2004年12月12日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/最高の信仰人、パリサイ人と律法の専門家
(ルカ11:37〜44)
  
■ はじめの頃、私たちの教会に訓練を受けようとたくさんきていました。今でも、たくさん受けていますが、はじめの頃は、来て、こういうことを話していました。東三第一教会に行ってみたら親切でない。食堂が異常だ。幹事の印象が悪い。柳先生は人情がない。などの多くのことを聞きました。すべて正しい話しだと思います。ところが、重要なことがひとつあります。その方たちは、みなよく見ていたのですが、一つのことを見ることができなかったのです。
 
■ 今、この時代の何の訓練なのかを見なければなりません。やはり今回も、合宿訓練をしたところ、米国の人がいろいろ言いました。韓国式だ。食べ物が変だ。待遇がよくないなど、みな正しい言葉を言っていました。 私はそれを見ながら、100%受け入れました。しかし、この方達は、一つのことを見ていないのだなという気がしました。重要なことを見ることができなければ、こまります。ある人は、米国へ行って、こう話しました。米国で約10年ほど暮らしたのに、これからすこし適応できるだろうということでした。そのように適応していて、どうするのでしょうか? 10年ぶりに適応して、米国でどのように生きていくのでしょうか?
 
■ 私たちは、また訓練受けようと来て、国に戻ったりしています。韓国と米国は違うのですが、深く見れば同じです。ヨーロッパと韓国は違うけれど、深く見れば同じです。いつでもうわべを見ているのです。うわべを見れば、文化も違って、みな違います。しかし、深く見ればみな同じです。それを見るべきです。それで早く適応しましょう。それでこそ、世界福音化もできて、多くのことを越えることができるのです。人間関係が難しいと言うのですが、私はそのように考えません。ある教会に行ったところ、とてもおかしな水準を持った教会でした。その教会の信徒は、ほとんど水準が全部、自分が優秀だという式でした。また、そのようなことは、より仕事をしやすいのです。優秀なことが好きな人々は、優秀なようにしてあげれば良いのです。それをしてあげた後で、伝道すればよいのです。むしろ、もっと簡単です。難しいことはありません。
 
■ ある教会に行ったところ、伝道に全く関心がない人でした。ただ自分だけのためにする人でした。そのような人もいます。私は、この方はこのようにすれば良いと思いました。毎日、その方に益になることだけしていったのです。どれくらい良いでしょうか、私を見れば喜びました。なぜなら、毎日、益になることを持って行ったためです。それで、福音を伝えたのです。難しいことが何でしょうか? 私が伝道運動を開始する時、私たち教会では、一つしたことがあります。今、韓国と世界教会の牧師と聖徒は、資料を欲しがるために、資料をみな出したのでした。私の目標は、それではありません。それで、弟子を探すのです。なにが難しいでしょうか? 私たちはしばしば言い訳をするけれど、重要なことはそれではありません。私達が本当に神様の恵みを見れば、その次のことは、簡単に適応できます。
 
■ 今日、ここには役員と教役者、新しい家族がたくさんいます。今、全世界はインターネットで、衛星で、メッセージを聞いています。また、礼拝が終われば、テープでみな聞きます。皆様が祈らねばならない、最も重要なことは、本当に神様の恵みを知って、味を知るべきなのです。それでこそ、その次のことが解釈できます。
 
■ ある時、私が大邱から帰る途中で、田舎へ行きました。田舎の小さい食堂に行ったのです。その店は、牛肉を売る所でした。おもに、そこまでその地域の田舎の人たちが座っていました。それで、主人に入っていって、こう話しました。この店で一番良い肉を持ってきてください、と言ったところ、主人が私を見て、本当に良いものを食べるのかと言いました。くださいと言ったのです。その主人は、高いと言いました。どれくらい高いのかと聞いたら、普通の牛肉より 2〜3倍高いと言いました。その名前を尋ねたら、この主人は完全に専門家でした。牛一頭にすこしだけ出てくる部分があるのですが 'チュムチ‘というものでした。ところがこれは約3倍ほど、高いと言いました。これを置いていたのですが、自分たちが食べたり、特別なお客さんが来たら売るためにあるということでした。焼いて食べてみたのですが、私は本当に牛肉がそんなにおいしいとは、初めて知りました。それこそ、口でとろけるようでした。
 
■ ところが、問題はその時から他の店の牛肉を食べることができなくなったということです。今まで油の良くない肉を食べていたのでした。行く店ごとにチュムチはありますかと尋ねるのですが、驚くべき事実は、一名も知る人がいないということでした。それで、仕方なく、時間を作ってその店にまた行きました。他に行って尋ねたら、チュムチというものはないと言われると言ったところ、それを知っているなら、牛の商売人の中でもたいした水準だと言いました。そして、少し前に私たちチームと一緒に行ったところ、味が良くなかったのです。主人が変わったのでした。変わった主人は、その内容を知らなかったのです。食べ物も、このように違いが生じるということを悟りました。食べ物も良いものの味を知ったら、それから他のものは食べることができません。皆様が服をひとつ買うのも、良い服を見てしまって、良くない服を見れば、着るのがいやでしょう。皆様が良い家を見て、良くない家を見れば、住むのがいやでしょう。人は誰でも、みなそのようなのです。
 
■ 今日のタイトルは、皮肉でつけました。最高の信仰人、その当時、最高の信仰人パリサイ人、律法の専門家達。この人達が最高の信仰人です。今日の本文を知っているはずです。イエス様を招いたのです。招いて食事をするのに、とても簡単な話です。イエス様に、なぜ手を洗わずに食べ物を食べるのかということでした。イスラエルの風習通りで、特別な話ではありません。それをとても重要視して、なぜ手を洗わずに食べるのかと告げたのです。イエス様がおっしゃったのは、あなたの手の汚さより、あなたの中のことがより汚いから、それからまずきれいにしなさいと告げられたのです。この人がわかるでしょうが、気分が良い話ではなかったのです。あなた達は、献金も、十分の一献金もみなするけれど、神様の公義と愛は知らないと言われました。
 
■ それもせねばならないけれど、これがより重要なのです。またイエス様は、十分の一献金をしないでよいと言われたのではありません。ある牧師は、十分の一献金をするなと言われたと言いますが、その話ではありません。十分の一献金をして、これがより重要だという話です。それとともに、その瞬間に、イエス様がものすごいことを話されました。 '忌まわしいもの..'と話されたのです。私達が生きながら、呪われても良いのでしょうか? あなたが呪いを受けるようになると言われました。ところが、この話は、普通の話ではないのです。普通 クリスチャンが信仰生活をしていて、みな滅びます。あらゆる宗教人が、最後には滅びます。皆様、ムダン(霊媒師)をする人々は、思い切りムダン(霊媒師)をして、後ほど霊的に変になって自殺したり変に死ぬのです。
 
■ あらゆる宗教人は、熱心にして死にます。この話は、普通の話ではありません。今日、あなたがたが信仰生活をしながら、必ず捕まえなければならない部分です。皆様に多くのこと重要ですが、本物の恵みを受けましょう。本物の恵みを受けた人は理解します。本物の味を見れば、残りの解釈が変わります。問題は、この味を知らずに、どんどんするから、葛藤が生じるのです。それで、この祈りをしなければならないのです。今日、イエス様がその話をなさったのです。今、この対話は味を知った人と、知ることができなかった人の対話です。それでも、この人達は、たいした人々です。私たちのいのちと全てのものが天にあるのです。あらゆる人が認めることです。それなら、天の主人はだれでしょうか? 神様です。神様が、私たちを赦して、救おうとキリストを送られたのです。その事実を知っていれば、神様の子どもとなります。それなら、私達が信仰生活して、これが最も重要だと思っていますか? それなら、私たちに世の中に勝つだけの答えを下さいます。これが答ではないでしょうか? こういう部分を知らなくて、問題がくるのです。
 
■ 私は、あなたがたが礼拝だけささげても、あらゆる問題が解決することを祈ります。なぜなら、私は信徒がそれは抜いてしまって、多くのことであれこれ右往左往して死ぬのを見たためです。ですから、そのような 愚かな信仰人になってはなりません。それは基本的なことで、しても、しなくても良いことです。すると、自慢することもなく、気落ちすることもありません。重要なことをのがさないようにしましょう。私たちは、今日、このみことばを見ながら、最高の祝福を受けなければなりません。
 
■ ここに3つの教訓が出てきます。今、この人がイエス様を招きました。そして、食事の接待をしたのです。イエス様とは敵同なのに、なぜ招待したのか知りませんが、とにかくしたのです。それとともに、簡単な話のようですが、この人の生活全体を見ることができます。食事する時、手を洗わないかという質問は言えるでしょう。問題は、その人の話しが違った話ではないのです。より重要なことは、そのようなことが、その人の全部だということです。それで、その次のことの神様の愛と公義はみなのがしたのです。だから死ぬのです。
 
■ 最初です。外見も重要ですが、内容をのがさないで。外見主義になるなということです。神様が皆様を救われたのは、人前に体面を保って、外見のためではありません。そのようなことは必要なことですが、それゆえに十字架にかかられたのではありません。皆様に最も重要だと考える外見ゆえに、人々はほとんどが滅びているのです。ここに教会に新しく来た人々がいます。この方達は、雰囲気に揺れます。そのように信仰生活をせずに、内容を見ましょう。
 
■ ソウルから来たある人は、信仰生活をしたくて、インターネットで探したということです。なぜか分かりませんが、その方の心には、私たちの教会の説教が一番気に入ったということでした。それで、おそるおそるやっと探して来たのに、来てみたら、瑞草洞の地下ある時でした。それで入っていったら、入って行くやいやや、その方は案内の人に追い出されたのでした。席がないから、他の所に行ってくださいと言われたそうです。その方は、そのように感じたようです。それで、その方が、この教会には、なにかあるんだな! 私がこのように余裕をもって来たのに、席がないから、来週には早く来なければと考えて早く来て、前の席に座ったのでした。ところが、そばに聖書が二冊あって、何の不思議もなく考えたのに、しばらくして、人々が前もって取っていたのだと言ってきました。そのようなのかと考えていたら、いきなり横腹をヒジで容赦なく突いたということでした。
 
■ 私が考えるのは、単に私達がのいてくださいと言いながら、そっと押したのが、そのように感じられたようです。ところが、運動している人は知っているでしょうが、人の一番弱い部分が横腹です。もし女の人達が強盗に会ったら、武器を持って難しくせずに、ボールペンのようなもので、横腹を打ちなさい。絶対に死ぬこともせず、30分間ほど起きあがることができないでしょう。ところが、そのような横腹をげんこつより3〜4倍強いヒジで突かれたから、どのようになるでしょうか? あまりに驚いて、この教会には通ってはならないという考えをしたと言うことです。そして放棄して、1年ぶりにまた出てきたのでした。その話を私にするのでした。この人が分かってみると、普通の人ではありませんでした。ですから、どんなに賢い人も、雰囲気に巻きこまれるということです。
 
■ 知ればみな外見です。やむを得ず、役員や職分者は、仕事をしなければならないから、それが重要に見えます。また教役者は、職業です。職業だと見ると、あらゆる堂会長の牧師をはじめとして、あらゆる教役者は、職業的に出てきます。こういうものがみな必要なのですが、こういうことゆえに、とても重要なことをのがすようになるのです。皆様が今日も何を悟るべきなのでしょうか? 宗教と違うこの福音、未信者がなぜ滅びるかを知っていなければなりません。今日、ここに '忌まわしい者..'と言われました。人がどのようにすれば、滅びるのでしょうか? どのようにすれば、神様の救いを受けることができるのでしょうか? これを捕まえなければならないのです。これを捕まえることができなくて、全部、うわべだけ捕まえているのです。
 
■ 今日、皆様が受けた祝福は、そのような程度ではありません。どの程度、礼儀を守って、仕事を良くするべきか? その程度ではないのです。正しいのですが、そんなに重要なものではありません。必要なのですが、それがすべてではありません。それがすべてだと見る宗教が、儒教やパリサイ教です。私たちは、それが必要 ないということではなく、常識であって、それがすべてではありません。皆様は、絶対に滅びません。本当に神様の祝福を捕まえましょう。
 
■ 2番目です。私達が信じる神様の祝福は、律法主義ではありません。外見も必要で、律法も必要なのですが、主義ではないのです。最高の信仰人がするのを見ましょう。 37節'イエスが話し終えられると、ひとりのパリサイ人が、食事をいっしょにしてください、とお願いした。そこでイエスは家にはいって、食卓に着かれた。'こんにち最高の信仰人は、誰かを接待して、招待することが最高だと考えたのです。他の人に仕えて、接待することが悪いことではないのですが、それが最高だと考えるのです。それが最高ならば、どのようになるでしょうか? 私たち信仰生活ができるでしょうか? 必要なことですが、最高だというならば、私が気落ちすることだらけになってしまいます。それで、しばしば教会のなかで、試みにあって信仰生活しながら崩れるのです。なぜなら、これがすべてだと思っているためです。
 
■ 米国に行ったところ、とても重要な人に会いました。私を見て、メッセージをきくこともせず、切実にお願いをしたのです。何ですか? と聞いたら、この訓練だけは絶対に受けなければならないと言うのでした。先生が、この訓練を受けるならば、この運動はすばらしい運動になると話しました。それで、何かは知らなくても、次に一度見ましょうと言いました。この方が集会に参加して考えが変わったようでした。この方が、私にそのように自慢したのは 'トレスディアス(Tres Dias)' だったのですが、これは3日間、何かをするということです。奉仕を教えるのでした。キリストの愛で奉仕して習うのでした。悪いことは絶対にありません。それで、その方に話しました。
 
■ その方は親しい人で、よく知っている人なので、あなたは今、霊的に死んでいっていないか? あなたが奉仕できる状態ですか?あなた自身にまず奉仕しなさい。自分自身から生かしなさい。あなた自身は、霊的に揺れて、苦しめられながら、他の人に奉仕して良いのでしょうか? と言いました。その人は、いつも苦しめられています。どこか一ケ所に、静かにいることができなくて、いつも不平を言って、ああしたり、こうしたりしていました。普通の霊的問題を持っているのではありませんでした。そのような状態なのに、何の奉仕をするということでしょうか? それが、間違っているということではありません。私達は、信仰生活が何かを正しく知っていなければならないのです。ところが、このように信仰生活する人があまりに多いのです。
 
■ 38節を見ましょう。 'そのパリサイ人は、イエスが食事の前に、まずきよめの洗いをなさらないのを見て、驚いた。' 何でしょうか? マナーのことです。マナーが悪いことではありません。しかし、私たちの信仰の最も重要なことは、その中のことを見ることができなければならないのです。私達が接待したり、マナーを守ったりすることは常識です。しかし、そのような程度ではなく、皆様がこの席に座っていることは、キリストが十字架にかかられた、ものすごい祝福の救いがなければならないということです。
 
■ 42節を見ましょう。'だが、忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を納めているが、公義と神への愛とはなおざりにしています。これこそ、実行しなければならない事がらです。ただし他のほうも、なおざりにしてはいけません。' ですから、忌まわしいものなのです。形式的な全てのものは揃えたのですが、内容がないということです。43節を見ましょう。 '忌まわしいものだ。パリサイ人。あなたがたは、会堂の上席や、市場であいさつされることが好きです。' ですから席や位置、そのようなことが悪いのではありません。また、そのようなものがあってこそ、事が進行します。しかし、この人達は、これがすべてだと言うのです。
 
■ 重要なことは、これが問題ではありません。あまりに重要なことを知らなかったということです。今日、皆様の神様の恵みを本当に受ける日になることをお祈りします。何ゆえに、皆様がこのよい日、ここまでくるようになったのでしょうか? 皆様が、本当に神様の恵みを受けなければならないではないでしょうか? 必ず、この契約を捕まえることを願います。
 
■ 三番目の教訓です。本当に神様の子になった、その祝福を受けなさいということです。福音を正しく悟りなさいということです。ここで正しい信仰生活が始まるのです。接待が重要なのではなくて、私は誰か?私が出会ったキリストがだれか? それが重要なのです。接待を重要に見たのです。それで、あなたがたは、本当に、神様の祝福を捕まえなければなりません。マナーも重要ですが、中の人がより重要です。それで、39〜42節まで見れば、色々なマナー、色々なことを話します。それが重要でないということではなく、内的な中の人がより重要だということです。私たちは、接待も重要ですが、キリストが誰なのか、私は誰なのか、それを悟ることがより重要です。
 
■ それで、時々、国会議員や身分が高い方達には、福音を伝えることがむずかしいのです。私がメッセージを伝える方法が難しいということではなく、この方の心の状態が難しいということです。大部分、私たち教会やタラッパンに訪ねて来る場合は、挨拶しようと来るのです。おもに心は他にあるために、福音を伝えてあげるのが惜しいのです。例を上げると、このように貴重な食べ物を作って、誰にでもあげないように、惜しいと思うでしょう。
 
■ 私たちは、なにが重要か早く悟らなければなりません。一度は、教会の入口で、あるタクシー運転手と私たちの教会の執事がけんかをするのを見たことがあります。執事がタクシーに乗ってきたのに、お金がないからかと思って訳を尋ねろと言いました。分かってみたら、執事がそのタクシー運転手に、今日、あなたは受け入れないと、大変なことになるから、即、受け入れろと言って、そのタクシー運転手は、自分は受け入れたくないのに、なぜせねばならないのかと、気分が悪く、何で大変なことが起きるのかと言っている内容でした。それで、そのまま行かせなさいと言いました。福音をそのように、恐喝したり、脅迫して伝えるのでしょうか? 相手がひざまずいて頼むから話してくれと言われても、惜しいくらいのこの貴重な福音を、そのように伝えて良いのでしょうか?
 
■ 私達が最も重要なことは何か? '忌まわしいもの..' この話は、とても重要な話です。滅びから救われたということ、福音とは、その話です。今日、皆様は滅びから救われる神様の祝福を、必ず味わうようになることを 願います。すると、この話を分かるならば、どのようにすれば、この祝福を受けるのでしょうか? これが重要です。私はむかしに、ちょっと考えました。何度もだまされたのです。できることがありませんでした。これが普通の問題ではなかったのです。1、2回でもなくて、何にもできませんでした。だから、人がものすごく鋭くなって、異常になったのです。そして頭はあるので、しきりに人が批判的で、否定的に変わるようになったのです。われ知らず、そのように変わったのです。そして、人がよくできれば、事故が起こることを嫌います。人が非常にだめになれば、人が事故を起こすことを何の異常もなく感じて、むしろ事故を起こします。成功した人は、車を運転したり、道を渡る時にも、用心して行きます。なぜでしょうか? 死んではならないからです。しかし、家もない、そのような乞食は、車が来ても神経を使わないで歩いています。人がそのようになります。
 
■ ところがある日、私が何かを知ったのです。私が言葉では教会に通っていたのですが、実際に福音に対する味を知ることができなかったのです。そして、教会で働きをしていたのですが、すべて自分の動機を持っていたのでした。仕事を続けていても、祈りがとても難しかったのです。そのようなある日のことです。みことばを聞く中に、私が神様が与えられる力を得なければならないという恵みがきたのです。私が福音を正しく伝えないで、何かを達成しようという悪い者だったということを知ったのです。私が中・高等部や、大学部を預かって、復興させるのに動機があった人間です。簡単に話すと、口だけ生きていて、私が完全なうわべだということを知ったのです。それで、私はそうではないと考えて、機会がある時、福音を正しく教えてこそ、生かされるのに、私が今、違うようにしているな、ということを悟ったのです。そして、以前には祈りが大変でした。しかし、一瞬、考えが変わったのです。私が神様から力を得られなければ、力を得れば、果てしないのです。私が、神様が与えられる力の供給を受けることができないならば、私が助けられる人はいません。誰が変えることができるでしょうか? 私は、神様が与えられる力を受けなければならないと考えるようになったのです。それとともに、祈ったら、幸福でした。以前、祈っていた時、難しくて、祈ろうとするなら、心に決めてしていたのに、祈ることが、幸福でした。答えが来るのに、おかしな奇跡が来ないで、じわじわと答えがきました。
 
■ 私たち東三第一教会が 35坪にいた時、私たち教役者何名かを集めました。 "あなた方は核心メンバーだ。伝道を理解せねばならないではないか?" としながら、事務室で話をしました。だから、気がつくのが早いキム・デオン牧師のような方達が参加しました。神様が少しずつ答えられたのです。ところが、これがなぜでしょうか? その核心の集いが、35坪の地下に埋まり始めたのです。光州、ソウル、大邱で、この核心にき始めたのでした。その時、チョ・ギボン長老は、江原道から軍医だった時、釜山までやってきていました。それで、私が見た時、これではだめだと思って、釜山、ソウル、光州、大邱に別々に分れるようになったのです。これがレムナント核心へ広まって、全世界核心へ広まっています。神様が答えを下さいました。とても驚くべきことです。
 
■ カナン修養館で3人で始めました。それも、したくてしたのではありません。釜山の聖者といわれていた牧師キム・チョリュン牧師のお父さんのキム・インスク牧師が、私に訪ねて来られたのです。とても年が上の方なのに、私が話すならば、大先輩です。そのような方が、謙遜に私にいらっしゃって、お辞儀をして、挨拶されたのです。身を置き場がなくて、どうして来られたのですかと尋ねたら、お願いがありますと言われました。何のお願いですか? 言われたのは、自分が農村福音化のために神学校をするのに、募集をしたところ、3人しかいないけれど、そちらで伝道学の講義をしてくださいと言われたのでした。その代わりに、謝礼はないということでした。分かりましたと言いました。3人が行く所もなくて、事務室で座って勉強したのです。
 
■ ところが、これが只事ではなかったのです。3人が恵みを受けて、動き始めました。出来なくなったので、祈梼院の本堂を借りたのです。そこで、後ほど釜山市内から慶尚南道にいる牧師達まで集まって、何百人に復興しました。だから、祈梼院院長が率直に、私に話して、この祈梼院が先生のものなのか、自分のものなのか区分できないと言う話でした。幼い時から、気づくのが早くて、ここでしないで欲しいということなのかと尋ねたら、参考にしてくださいということでした。言わば、とても復興して、追い出されたのでした。
 
■ すると、簡単なのです。祈梼院の下に一番近い南山の東にある教会で伝道学校を開いたのでした。そこで、伝道学校、伝道神学院、みな始まりました。これが今、ロシアまで広まったのです。どれくらい、神様の答えでしょうか? すこし祈ったのに、このように答えられました。そして、6年前にレムナントという単語を使い始めました。ところが、今は、レムナント自身が起き始めています。8年前には、産業宣教という単語を使い始めました。その弱い産業宣教で、年毎に共同体を作り出しています。今回、未来指導者学校を建てたのも、産業宣教で献金したのです。このように、神様が少しずつ答えられています。私達が少しだけ福音の実際的なことを悟るだけでも良いのです。
 
■ 最も大きい問題は、パリサイ人が、自分たちが最高の信仰人だと思っていることです。それが錯覚です。私達がうわべを皆、行なって、最高だと理解しています。以前に、私がそうでした。完全にうわべなのに、自慢して、勉強をよくしていたのです。それが問題ではなく、純然にうわべでした。福音も祈りでもなかったのです。そのことひとつ悟ったのに、答えをくださいました。
 
■ 神様は良い神様です。私達が少しだけ悟って、祈っても、大きい答えを下さる神様です。すると、簡単です。私達がその祝福をどのように受けるのでしょうか? 私たちは、これからそのような心を持って、聖書を詳しく見ましょう。この聖書が全部、答えでくるはずです。そのような心を持って、現場を少しだけ見ればオープンするのです。今回、神学院終講の時、神学院生に質問のペーパーを出してもらったら、20%が伝道をどのようにするか分からないと書いていました。今日、この説教を参考にするならば、簡単に開くはずです。そして、自分をうわべではない、本物で見て、教会の中の色々な形態ではなく、中を見ましょう。人を見る時も、うわべだけ見るからです。
 
■ 本物の中を見れば、その人の霊的問題で困難にあっていることがわかります。私は伝道10年して悟りました。イエス様があなたがたを呼ばれたのは、悪霊を追い出す権威を与えるためというこの話を、なぜされたのか、伝道10年して悟ったのです。私はとうてい知らなかったのです。未信者は、完全に悪霊に仕えていたのです。この話だな! それで、イエス様がこの話をなさったんだなあ、ということを知るようになりました。今日、皆様が神様に祈ることを願います。最高の祝福の日になることを願います。色々なことを誤解せずに、本当に、神様の恵みを受けることを願います。ある時は、譲歩して、また、非難を受けてもかまわないのです。問題は、神様の祝福を受けなければならないのです。ある時は、皆様がすこし味わうことができなくても、神様の祝福を受けましょう。すると、私たちはみな味わうことができるのです。神様の恵み、秘密、この祝福を見ると、全てのものがみな回復します。
 
■ 全く同じく私と勉強した友人がいます。その方は、賢い人でした。しかし、私と違ったことがひとつありました。この方は、本当に手段が良かったのです。人もよく交わろうとする手段が良かったのです。私は、それが良くできませんでした。したいこともなく、できなかったのです。単にこのように祈りながら、福音運動だけしたのです。ところが、歳月が過ぎて変わりました。この方は、今でもむずかしいのです。いよいよ、この前に、私に手紙を送ってきました。一緒に勉強した同期なのですが、助けてくださいということでした。その手紙を読みながら、本当に賢い人であったのに、持っていなければこのようになるのだなと、とにかく、事情を知って助けてくれということでした。ほとんど一度だけ助けてくださいという内容で書かれていました。どれくらい最悪の境遇になったかと見たら、お金もいくらでもなく20万円でした。
 
■ 信仰生活は、とても簡単です。うわべではない、中身を捕まえましょう。すると、想像を超越する答えがきます。私たちは、信仰生活の中で、色々な事に下手すると中身を奪われることがあります。私たちは、人であるゆえに、それがものすごく重要に見えることがあります。ところが、これを悟ることができなければ、そのようなことに感情まで生じて、けんかするようになるのです。人間がどれくらいおろかというと、その程度のことで人を嫌って殺人もするのです。人間は、感情の動物だからです。
 
■ 今日、パリサイ人とイエス様との短い対話です。私たちに与える教訓はすばらしいのです。今日、皆様が必ず答えを受けることを、この契約を捕まえましょう。見せかけも重要ですが、内容を捕まえましょう。多くのマナー、形式も重要ですが、救いの秘密を捕まえましょう。皆様が多くの事も重要ですが、それより重要な キリストと、私達が存在する理由を悟って、答えを受けましょう。
 
■ それで今日、本当に大きい恵みを受けるようになる日になることを願います。私は、釜山を見ながら、本当に見れば見るほど、すばらしいという気がします。私が釜山核心を一ケ月に一度しようか、やめようかと迷います。それで、釜山核心が正しくできるのかという気がしたのに、揺れないことを見ました。私が釜山に2週間、くることができなくて、今回、来ました。皆様の信仰生活と集いが、揺れないことを見ました。それで、神様が釜山を通じて始められたのですが、全世界を福音化する時まで、力をくださるはずです。地域ごとに皆行ってみれば、釜山だけ特別です。ソウルの場合は2時間前からきて待っています。光州は、後が少しずつ席が空席です。講義して、黒板に書いて振り向くと、みな埋まっています。少しずつ遅く来るということです。以前に、大田で始めたら、まず半分だけ来ています。してから見れば一名ずつ入ってくるのです。終えて出てくるのに来る人もあります。ところが、唯一はじめから終わりまで変わらない所が釜山です。それで、釜山が本当に理由があるということを感じます。
 
■ 皆様に、神様の恵みが始まることをお祈りします。愚かなうわべだけを捕まえているパリサイ人にならず、重要な神様の恵みを捕まえなければなりません。今日、千人に会ったより貴重な日になることをお願いします。今日、皆様が数千億の財産を得たより、大きい祝福になる日になるようにお願いします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、最高の信仰人だと思っていたパリサイ人のように生きないようにさせてください。真に神様の秘密を見る恵みを受ける日になるようにさせてください。真実なことを見る、貴重な日になるようにさせてください。今日、聖書のみことばに、イエス様の記録の中で重要な教訓をくださったことを感謝申し上げます。私達が形式、外見主義ではなくて、福音を持った人になるようにしてください。人前でマナーと秩序も重要ですが、神様の恵みを受けて、キリストが誰なのかを知る救われた者になるようにしてください。多くのことが私たちの前にありますが、私達が忌まわしいものではなく、福音の力を体験する日になるようにしてください。今日、一日中、祈って、六日間、答えを見る祝福の日になるようにしてください。今日、みことばを捕まえて祈る中に、献身して、六日間、現場で神様の奇跡を見るようにさせてください。今日、みことばを聞く方達が、六日間に神様の証拠を見る恵みの日々を与えて下さることを信じます。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 新しい歌
(詩98:1〜9)
■ 釜山、慶尚南道で今、伝道キャンプがおきています。元々、釜山、慶尚南道で起きれば、大きい働きがたくさん起きました。私が幼い時、4.19デモが起きたのですが、釜山、慶尚南道で、とても大きく起きました。それで、政権が変わることもありました。大統領が殺害される前にも、釜山、慶尚南道で大きいデモがおきました。その時、釜山中央教会の前に、キム・チェギュ氏が車から降りるのを見ながら、あの方がこちらまで来たのを見たので、大きなことなのだと考えました。霊的にも同じです。釜山、慶尚南道で伝道キャンプが始まったのですが、相当なみわざが起きるはずです。それで、むかしに釜山、慶尚南道は、たいしたものだと考えました。釜山、慶尚南道がおきると、政治、伝道も変わると誤解したのです。知ってみたら、のろい町なので、釜山、慶尚南道がおきれば、みな起きたことなのです。釜山、慶尚南道で静かに見ると、ハン・ギソン牧師が恵みを受けました。むかしからハン・ギソン牧師を見ると、終わりまでする性格です。これから、釜山、慶尚南道の暗闇の勢力がみな崩れるでしょう。ところが、皆様とハン・ギソン牧師と全世界で伝道する方達にしたい話があります。
 
■ 私が伝道をするのに、十年間、何にもありませんでした。それで、率直な話で、これをしていて良いのかという気がしたのです。はじめに伝道をするのが、あまりに大変だったのです。ところが、不思議に私の胸の中で、しなければならないという考えになったのですが、そんなに格別な面白みもなく、実も起きなかったのです。ところが、ある日から、不思議な事が起きたのです。それは私もとうていわからないことです。ところが、どんどん働きが起きたのでした。それで、あなたがたは、必ず銘記しなければなりません。この福音運動は、失敗しても成功します。アテネでの伝道を失敗して、ローマに追い出されたプリスカ夫婦が、一番祝福の 出会いがなされたのです。パウロがアジアで福音運動を伝えることができなくなったのに、マケドニヤへ行くようになりました。それで、必ず銘記しなければならないことが、実がなくてもみわざが起きるのです。時間が経てば、答えがおきるのです。たぶん皆様はよく知らないでしょう。むかしにあったことが、今まで働きで起きます。神様が、この福音運動を、どれくらい喜ばれるでしょうか? 暗闇の勢力が、この福音運動をどれくらい恐れるでしょうか? 皆様が、この契約一つだけ捕まえれば、全てのものが解決します。
 
■ 私がこの前、話したでしょう。刑務所に伝道しに行っていたのですが、行くのがいやだったのです。不思議に月曜日は疲れていて、行くのがいやなのです。そのような時があります。どのようにしても、行かなければならなくなったのです。それでやむをえず行ったのですが、ある人が真っ赤な名札を付けていました。番号がついていたのです。私は、その時、初めて知ったのですが、赤色の名札をつけた人は殺人犯だったのです。自分自身が話すのでした。奥さんとけんかをしたのですが、本当に強く殴ったのではなかったということです。単に頬を殴って押したのに死んだということでした。それが問題でなく、自分には娘が一名いるということです。ところが、この娘が自分を見て、どのように考えるだろうか? お母さんが死んでいなくなったこともせつないのに、父がお母さんを殺したことに対して、どのように考えるだろうか? そして、私がその子を育てることができるだろうか? あまりに心配をするうちに、考えがひとつしか起こらなかったのです。死ぬべきだと考えたのでした。その考えだけが起こるのです。そのような瞬間に、私に会ったのでした。この人は、格別に違っていました。福音を伝えたら、イエスを受け入れながら泣くのでした。はじめから違っていました。食べ物を食べないのです。私達がおいしいものを持って行くでしょう。しかし、食べなかったのです。この人がはじめから違うと考えたのですが、イエス様を受け入れたのです。それで、新しい人になっていく祝福を見ることができました。その時、私が考えました。朝に来るのがいやだったのに、来なかったら、大変なことになったなぁという気がしたのでした。伝道運動は、10年、20年前に終わったことでも、いままで答えがくるのです。
 
■ 私たちの牧師は、キャンプしながら、必ず記憶しなければなりません。失敗も答えです。本当にこう話せば、だめですが、こういう事がありました。私が副牧師だった時、伝道を熱心にして、ものすごく復興したのでした。教会が私の前にあった時、けんかが起きて、大騷ぎになったのでした。けんかになって、分けられたのです。福音がないから戦うしかないのです。若い牧師と堂会員が戦ったのでした。それで、若い牧師が信徒をみな連れて行ったのでした。若い青年は、長老にパリサイ人だと言って、長老たちは、分別がないと言いながらけんかをしたのでした。私が行ったら、聖歌隊員がいなかったのです。若い人がみな行ったためでした。そちらに副牧師として、青年会を預かったのでした。伝道して回復するだけでなく、使命者が何百名も集まったのでした。神様の恵みです。だから、党会員たちが心配しました。なぜなら、前のことがあったためです。むかしのその牧師が問題でなく、今、私たちの教会の青年達が、全部、柳牧師の弟子だと心配したのです。以前は90% ついて行ったが、柳牧師が行けば100%、ついて行くということです。そのように堂会長の牧師も心配をしたのでした。
 
■ それで、新年になって、指示が下されたのですが、副教役者は、堂会が言うとおりします。アンチャン村に指示されたのです。その時、アンチャン村は、登録もない無住宅で、逃げて通う人々、ムダン(霊媒師)だけが集まっていた所です。そちらに担当教役者として、派遣されたのでした。それで、担任牧師と堂会で、そのようにしなさいと言われたので、従って行ったのです。ところが、行ったら、色々な考えになるのです。理由は理解できます。理由は知っているけれど、なにか気分が良くなかったのです。ところが、そちらで驚くべき事が行われたのです。そちらで未信者状態六つを発見しました。初めてムダン(霊媒師)の家に伝道しに行きました。私は話しだけ聞いていたのですが、入っていってみたことがなかったのです。元々、私はキリスト教の家庭なので、そのような所に行ったことがなかったのに、その時から行ってみるようになったのでした。ところが、その答えが今でもずっと来ます。あるムダン(霊媒師) をした人は、知らずに、あの人はどのように、あのようによく知っているのか、深く入っていかねばならないのにと話します。その現場をすこし見たのに、答えが途方もないのです。
 
■ 銘記しなければなりません。伝道は失敗してもかまいません。実がなくてもかまいません。伝道は、今、現在の答えが来なくてもかまわないのです。そして、時間が経てば、完璧なみわざが起きるのです。私は確信があります。皆様は参加したということ一つだけで、ずっと答えがくるはずです。イエス様が、このようにおっしゃいました。あらゆる民族に福音が宣べ伝えられた後に、終わりがくると言われました。使徒28:31には、誰も妨げる人がないと言われています。神様が主の天使を送ってくださって、パウロに直接、おっしゃいました。パウロよ。恐れてはなりません。カイザル前に立たなければならない。これが福音です。私はどれくらい幸いなでしょうか、不思議に福音が良くて伝えていたのに、後ほど見ると、このように大きい祝福を受けるようになったのです。事実は、祝福程度ではありません。皆様が、どれくらい大きい祝福を受けた人なのか、このキャンプに参加しているハン牧師と、あらゆる老会の牧師達に神様の驚くべき証拠があるようになるはずです。
 
■ すこし理解できることは、はじめにはみわざが起きません。はじめにみわざが起きてこそ、力が出て通うはずなのに、ところがそれが重要です。はじめから働きが起きて、はじめから答えが来たら、にせ物がついて来るからだめなのです。それで私達が、インマヌエル教会、タラッパンにいる牧師達は、一朝一夕にそのまま 生じたことのではなく、遠い以前から神様の重要な計画があったのです。ローマ16:25を見れば、代々に渡って長い間、隠されていたと言われています。皆様が生まれる前に、このことを神様が準備されたのです。どれくらい神様がこのことを喜ばれるでしょうか、暗闇の問題は、福音でなければ解決できないことではないでしょうか? それなら、皆様が今日、いくつかのことを記憶しなければなりません。最初です。今日、ここに新しい歌と出てきました。私たちは、3つのことは、常に新しいものがなければなりません。銘記しなければなりません。
 
■ ヘブル4:16に、毎日、新しい恵みがなければなりません。なぜなら、過ぎてしまえば、分かるでしょうが、これを見る目が必要です。私は今日、ここに座って、神様に、以前になかった祝福をくださいと祈りました。今週に残っている時刻表は、以前になかった神様の働きをくださいと祈りました。毎日、神様は新しい恵みをくださるのです。これを皆様が受けることができなければなりません。昨日受けた祝福とは違います。正確に、昨日は12月 11日で、今日は12月 12日です。太陽はまた昇っても、12月12日はまた来ません。12月12日は来るかもしれないのですが、2005年12月12日でしょう。それで、新しい恵みを受けなければならないのです。今、この時間に癌で人生を捧げて死んで行く人がいます。今、この時間に完全に犯罪の中に陥って抜け出てくることができない人もいます。米国にいる私たちの学生達、ヨーロッパにいる学生達、日本にいる学生達は記憶することを願います。皆様が麻薬に接するようになれば、永遠に死にます。今でも、それゆえに陥って、完全にサタンに捕えられた人があまりに多いのです。今日、私たちはこの席に座っています。それも福音を伝える隊列の中に座っているのです。新しい恵みを、いつも受けることができなければなりません。単に座っていれば、分かりません。よく考えてみることを願います。大韓民国に教団が200個はあるのですが、福音運動する教団です。数えきれない程、多くの牧師たちがいるのに、福音を伝える牧師と共にキャンプする人です。そのような働きの中に、今日、礼拝をささげるようになったのです。新しい恵みです。理解できますか? 私は考えても驚くことだという気がします。それで、皆様が毎日、新しい恵みを受けなければなりません。
 
■ 2番目は、詩98で新しい歌です。皆様が胸中に本当に新しい歌が出てくるべきです。新しい恵みを受けた歌が出てくるべきです。そして、私たちは三番目に、毎日、新しい開始をしなければなりません。この三つをいつも新しくならなければなりません。新しい恵みを受けること、新しい感謝、賛美が出てくること、一言で、新しい出発になるのです。明日も新しい出発です。信仰で出発しなければなりません。誰も知らないのです。神様だけがご存知です。皆様がどれくらい祝福を受けるとは、神様だけがご存知です。それで、新しい開始です。あらゆる信仰人が記憶しなければなりません。この新しいものがなければ、いつも一般的な生活になります。皆様の家庭も、礼拝も、一番の問題は日常から来ます。ここに女の人、男の人、レムナントがたくさんいます。あなたがたが家庭生活する時、いつも改まる生活を作ることができなければなりません。女の人がそれを一番上手にできません。それをする方法を知っていなければならないのです。それがものすごく重要です。これがなければ、礼拝をまたささげることで、それが面白いでしょうか?
 
■ 私は、ヨーロッパ、米国に行ってみて、なぜ離婚を多くするのか、理由を知りました。3時に退勤するのです。4時に家に帰ってきて、その時から、お互い顔を合わせて、朝までいなければならないのです。なんの 変化もありません。そのようにして、けんかして、真っ青になれば、離婚しかないのです。私たちは、行く所もありますが、その人々は行く所もありません。本当に恵みを受けることができなければ、生きられません。皆様、全く同じ礼拝をずっとささげているとします。礼拝堂には、プログラムもありません。しかも、タラッパンは、もとおもしろくありません。他の教会は、プログラムでもありますが、タラッパンは、いつもイエスの話だけをします。他の教会は面白いこともありますが、私たちは、面白いこともなくて、常にイエスの話です。皆様、これを悟ることができなければ、大変なことになってしまいます。家庭、職場、勉強もそうで、新しい恵みがなければなりません。全く同じ中で、新しい恵みを捜し出すのです。それは作り出すのではなく、すでに備えられているのです。どれくらい驚くべきことでしょうか? 皆様、必ずこの祝福を受けてくださることを願います。確かに次週は、新しい週ですから、神様の新しい恵みがあるのです。私たちは、世界福音化ゆえに、また新しい出発をするはずです。それで、この三つの恵みと、新しい賛美と開始は、いつもなければなりません。言わば、皆様が新しいことを発見する目があれば、感謝が出てくるのです。すると、新しい歌、開始になるのです。すると、解決できるのです。どれほど重要でしょうか? 皆様が、全てのもの、明日も、生活も、そのようにすることを願います。単にピアノを弾いたり、単にバイオリンをしてはなりません。それは新しい恵みではありません。
 
■ 私は私が幼い時、ピアノをとても弾いてみたかったのに、弾くことができませんでした。私は幼い時、バイオリンをしたくても出来なかったのです。そのような状況ではなかったのです。そして、私には、音楽性が あります。確認しようとするなら、私の息子、娘を見ればよいのです。私の娘は、ピアノほとんど習っていないのに、賛美を皆弾けるし、私の息子は習ったのでもないのに弾きます。そして、家内が音楽に天才では絶対にありません。私の息子、娘は、私に似たと見ればよいでしょう。その証拠で、私に音楽性があると言えます。本当です。私は、長調、短調は知りません。専門家ではないためです。しかし、音が出るとおりに譜に移すことができます。音が出たら、その他のものにそのまま現すことができます。それでも、私は習うことができなかったのです。なぜでしょうか? 環境が、そのようにならなかったためです。ピアノとバイオリンは、誰もがすることではありません。こういう楽器は、誰もがすることではないのです。多くの人の中のひとりがすることです。そのような中で、また賛美をするのです。それも全世界でインターネットで見ている中に、世界福音化に最も先んじた教会で、皆様が賛美をするのです。それが新しい恵みです。それが、神様の恵みです。それに対する感謝が出てきます。それが新しい歌です。すると、明日の生き方は変わります。私たちの目が変わるのです。それを新しい開始だと言います。なんの話なのか分かるでしょうか? こういうことがなければ、霊的に問題がくるのです。私は私たちの長老、皆様を見れば、いつも新しいのです。一時代に福音ゆえに集めた人です。これがどれくらい恵みでしょうか? だから、胸の中に愛と感謝が出てくるのです。すると、明日からこの方のために、祈りが出てくるのです。この三つがいつもなければなりません。だから、大きいことをする、しないという問題ではないのです。
 
■ ある方に私が言いました。米国に行ってきたら、ある方が、私に言いました。米国に一度、行ってみたら、米国では、牧師たちが福音が良くならないようだと言いました。それで苦しいと言いました。もしかしたら、正しい話しなのかもしれません。しかし、正確に見たのではありません。私は、そのように見ませんでした。あの方達がいなければ、私がレムナントに福音を伝えることができません。あの方達がいなければ、門を通って入っていくことはできません。あの方たちの門が粗末なことが、はるかに良いのです。門が立派ならば、入っていくことができません。粗末な門は、そのまま入っていくことができます。あの方達がいなければ、どのように、こういうレムナント達がいるでしょうか。そうして見ると、どれくらい尊く見えるか分かりません。その人々に期待が出てきます。
 
■私が米国へ行って、パク・ソンファン牧師にすばらしいと言いました。牧師が本当だと思って「はい」と言いました。
 
■娘を見たら、どのようにあんな娘を生んだのか。私がこう話したのは理由があります。デボラの音楽の才能は、父に似ています。パク牧師は、歌がうまいのです。技術は父に似て、マインドはお母さんに似ました。今回、ミュージカルを作ったでしょう。専門担当者が驚いたのです。現在、専門担当者が評価しました。本当に粗末に準備したのに、舞台に上げても、何の遜色もないと言いました。音楽専門家がそのような話をしたのです。すでに私たちレムナントに、神様がどれくらい祝福なさるでしょうか。私達が何でも見る目がなければならないのです。私達が新しい恵みということを知っていなければなりません。すると、伝道者は失敗しても、成功するのに、これから受ける祝福は、どれくらい大きいのでしょうか。すると、私たちの献身が、どれくらい価値があるのでしょうか。この祝福を言うのです。
 
■ 2番目の新しい歌は、何を言うのでしょうか。今日の1節2節を見ると、救いを賛美すると言いました。皆様、救いを賛美することが新しい歌です。1節を見ましょう。 '新しい歌を主に歌え。主は、奇しいわざをなさった。その右の御手と、その聖なる御腕とが、主に勝利をもたらしたのだ。' これが新しい歌です。この歌をする人々は、理解ができるでしょう。全くエジプトに奇跡がおきて、エジプトの人々が降参しました。これが神様の力です。それまでは良いでしょう。どのように出てくるのに、紅海が分かれるのでしょうか。どのように、こういう事がありうるのでしょうか。驚くべきことです。知ってみたら、神様の救い、この奇しいみわざを賛美するのです。これが新しい歌です。それだけではありません。2節を見ましょう。 '主は御救いを知らしめ、その義を国々の前に現わされた。.' こういう事件が生じるので、全世界が知るのではないでしょうか。なぜこういうのかと理由を尋ねるでしょう。これが世界福音化になるのです。この救いを賛美することが新しい歌です。皆様がこの歌を回復するようになれば、霊的問題はなくなるようになります。皆様が普通にするこれに、救いに感激する賛美が出てきました。皆様には本物の神様の驚くべきみわざが始まるようになります。それで、これを今日、回復しましょう。
 
■ 今日、皆様がメッセージを聞いて、一日に一度以上だけしてみましょう。単に賛美せず、単に賛美するのも良いけれど、定刻の祈りや、礼拝時間に神様に礼拝するという考えで、賛美をしてみましょう。確かに違います。それがちょっと体験できる救いの新しい歌です。私が前に話したではないでしょうか。一般的に賛美より世の中の歌が良いのです。私は性質がちょっとそうなのか知らないのですが、不思議に世の中の歌が良いのです。礼拝堂に来て賛美を歌いますが、むかしには、ほとんどみな世の中の歌が好きでした。世の中の歌も水準が低いのではなく、良いのが多いのです。こういうことをおもに聞きながら、率直に静かに恵みを受けていたのです。
 
■ 私たちが幼い時に見れば、有名な歌手も多かったのです。例えば、長老達もよく知っているでしょう。世界的な歌手がどれくらい多いでしょうか。私は今でも道を行く時、トム・ジョーズの歌が出てくるのに、不思議に恵みになるのです。すると、賛美はいつ歌うのでしょうか。賛美と歌う時間がありません。礼拝の時しか歌えません。私に救いの歌がないのです。これから本当にしてみましょう。私が神様の前で少しの間、何の時間に縛られることなく、本もなく、神様の前に礼拝せねばならないという気がしたのです。その時、私が賛美を歌いました。 '主なる神様が創られたあらゆる世界' この賛美を歌ったのですが、本当に私に神様が恵みをくださいました。それとともに、その週の聖日のみことばを考えたのです。それが定刻の祈りです。今週に一緒に受けたみことばを考えてみました。それとともに、今まで神様が私に答えてくださったことに、感謝が自ずから出てきたのです。これから、働かれる神様。レムナントを生かす神様。皆様を祝福なさる神様を考えると、感謝が出てきました。
 
■ 救いの賛美。新しい歌。あらゆるキャンプする方達に、この祝福があることを希望します。2番目に新しい歌は、何でしょうか。今日、3節、4節を見ると、証拠の歌です。 '主はイスラエルの家への恵みと真実を覚えておられる。地の果て果てまでもが、みな、われらの神の救いを見ている。全地よ。主に喜び叫べ。大声で叫び、喜び歌い、ほめ歌を歌え。' 新しい歌は何でしょうか。証拠の賛美です。神様が皆様に永遠に滅びないように、過去と身分を全部、変えられたのです。皆様が祈る時ごとに、神様は最高の答え、聖霊で働かれます。これから死んでいく未信者を生かすことができる祝福が、私たちにあるのです。それが何でしょうか。証拠の賛美です。これが新しい歌です。これが皆様にいつもなければなりません。救いの賛美と証拠の新しい歌。私が救われた神様の驚くべき働きの新しい歌。これが回復しなければなりません。皆様が瞬間、瞬間、定刻の祈りの時、短い瞬間にみなできます。
 
■ 私は時間が来たら、いつでも定刻の祈りをする時、メッセージも考えますが、一つ考えることがあります。幼い時からいままで、私と共にされた神様。あまりに確実な神様なので、申し訳ないのです。幼い時から、今まで正しく生きてこなかったのに、私を祝福なさった神様。世界で一番美しい祝福を私たち教会にくださったのですが、この祝福を下さった神様。なぜこのようになさるのでしょうか。全世界に証ししなさいということです。それなら、神様が私たち教会、皆様に答えられるしかありません。それを考えます。証拠の新しい歌。救いの新しい歌。三番目です。すると、どんな結果が出てくるのでしょうか。今日5節から終わりの節まで見ると、皆がひとつとなった新しい歌。何でしょうか。琴で主を賛美しなさい。5節です。 '立琴に合わせて、主にほめ歌を歌え。立琴と歌の調べに合わせて。' 6節には 'ラッパと角笛の音に合わせて、主である王の御前で喜び叫べ。' どれくらい表現を上手にしているでしょうか。海と世界、そのうちにあるものも主を賛美する。詩的に表現したのです。大水が拍手します。山々が共に歌います。それとともに、9節には '確かに、主は地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、公正をもって国々の民を、さばかれる。'
 
■ 万物がひとつとなって、主に栄光を帰すしかありません。以前とは違います。新しい歌です。これから悟ったのです。私が億万の暗闇から救われた新しい歌。多くの人を生かすことができる証拠の新しい歌。これから前とは違います。全てのものが神様を賛美できる、こういう新しい歌が始まりました。これがキャンプする人と皆様に必ず祝福になるのです。モーセの詩ならば、モーセの時代の背景です。それなら、私達がどのようにこの祝福を受けることができかも参考にできます。モーセは40年間、王宮いました。その話は、皆様が勉強することは熱心にするべきだということです。しかし、そこで重要な事実をモーセは見たのです。自分は神様の民で、世界の随一のエジプトを見たのです。しかし、それだけではできません。モーセがミデヤンに40年間いました。神様が与えられる力を得たのです。そして、モーセは新しい力を得ました。それだけ持ってできません。それからは、エジプトからイスラエルの民を引出す使命の目を開けました。その時から、神様は本物の答えを下さいました。
 
■ 皆様は、早く参考にすることができます。今日、新しい歌を回復する皆様になることを願います。私は皆様に聖書のみことばをもって約束できます。皆様が救いの新しい歌を回復すれば、皆様の中にある病気も解決します。皆様がそれをしている時、人が開くことができない門が開かれます。本当に驚くべきことです。ペテロが皮なめしのシモンの家で祈っていた時、神様はコルネリオの門をあけられました。使徒16章に、パウロはがっかりして、門がふさがって祈っていたら、神様はマケドニヤの門を開かれました。パウロを破るその時間に、どんなことがあったのか、アナニヤが祈っていたのです。驚くべきことです。私と皆様が、今日の時間に新しい歌を歌っている瞬間に、皆様の職場、皆様の現場には、神様が働かれるはずです。今、確信することを望みます。今が答えの時間です。私達が新しい歌を歌っている時間に、神様は主の天使を送って、答えの門を全部開かれるのです。すると良いでしょう。どれくらい驚くべきことでしょうか。これをひとりで味わうことを定刻の祈りと言います。こういう祝福を、あらゆるキャンプをする方達、あなたがたが受けることを願います。
 
■ 全国、世界にいる家族が、このメッセージを受けることを願います。今、苦しくても、ヨーロッパ、米国、こういう外国でインターネットで礼拜を行なっています。神様の祝福が臨むことを願います。悪魔がとても嫌うことがいくつかがあります。最初は、皆様が偶像崇拝をすることを喜んで、教会に行けば嫌います。偶像崇拝して、占いを訪ね歩いて悪魔のしもべになるあなたがたが、教会に行くことを嫌います。2番目に嫌うことがあります。教会に通っても、単に通って、福音を悟ることを嫌います。単に通ってこそ、あなたがたが適当にして滅びるのです。福音を悟れば滅びることができないので、悪魔が嫌います。そして、福音を悟れば、皆様の体質通り生きて、恵みを受けることを嫌います。皆様が恵みを受けましょう。働きが起きるから、それを嫌うのです。そして、最後に嫌うことがあります。恵みを受ければ良いのですが、伝道することを嫌います。そのまま静かに生きていればよくて、なぜ出てきているかと嫌います。よく知って勝たなければなりません。今週に皆様に新しい恵み、新しい祝福があるのです。その祝福があることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に真に感謝申し上げます。新しいことを回復するようにさせてください。その中で、新しい歌を回復するようにさせてください。それで、主の民が、祝福を味わう本当の開始になるようにしてください。私たちキャンプする方達に、少しも気落ちしないように、霊的な目が開かれるようにお祈りします。必ず実がくる事実を知るようにさせてください。私たちハン・ギソン牧師をはじめとして、釜山、慶尚南道のあらゆる牧師達を一時代に呼ばれたことを感謝申し上げます。このしもべに大きい霊的な祝福を与えて下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン