2005年1月2日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/ 起きよ。光を放て
(イザヤ60:1〜20)
    
■ 新年にあなたがたに神様の新しい恵みがあることを願います。世の中には、本当にせつない悲劇が多くあります。少し前に、ある記者が書いた記事を読みました。私はその文章を読みながら、涙が出ました。何の理由もなく、ある夫婦が公園で話していたのに、誰かが殺したのです。けんかをしたのでもなく、見つめたのでもなかったのに、彼らを刀で刺したのでした。恨みあるのでもありませんでした。後ほど、犯人の中の一人が捕まえられました。なぜ殺したのかと尋ねたら、自分達が遊ぶのに、邪魔になったからということでした。問題は、その家の子ども達でした。子ども達が、父母が突然に死んだので、この子ども達がどこにも行かず、家にだけいたのです。あまりにせつなくて、親戚がきて行こうと言っても行かず、お父さん、お母さんと暮らした家にいるというのでした。本当にせつないことは、記者が子ども達に、お父さん、お母さんに、ものすごく会いたい時、どのようにしているのかと尋ねたのです。その時は、お父さん、お母さんが過ごしていた部屋に入っていって、服のにおいをかぐと言いました。それを見ながら、こういうことがあるのか? いったい、その犯人はどんな精神病者なのか? と思いました。
 
■ 少し前には、大邱の地下鉄火災事件で、多くの人が死にました。ある妻が死んだのですが、夫が娘を見て、あまりにせつないのです。お母さんは死んでいないから、忘れてしまいなさいと言っても、娘は隠れて、しばしば携帯電話で電話をするのです。その父が見て、とてもせつないということです。お母さんは、死んでいないからがんばれと話しても、お母さんもいないのに、携帯電話をしばしば掛けるのです。こういうことが地球上には起きているのです。
 
■ 今週も、ニュースを見て、多くの衝撃を受けました。数万名の人が、遊んでいたのに死にました。その中には、新婚旅行に行って死に、ある人は遊んでいて死にました。そのような人々は、遊びにいって死んだのですが、周囲の町の子ども達がたくさん死にました。波が少し引いたので、魚がたくさん出てきたのです。それで、近くの子ども達が、みな出ていって魚を捕っていたら、波が来て、子ども達がさらわれたのでした。数万名が死んだ時間が30秒、1分くらいにしかなりません。私はそれを見ながら、本当に人の力では止むを得ないけれど、どうしてそんなことがあるのか? と思いました。ところが、本当に不思議に思ったことがひとつあります。歴史的に、地震、津波、火山がおきた所ごとの特徴があります。最高に偶像崇拝を多くしていたポンペイでは、火山が爆発しました。そして、一時、フィリピンでもすごい火山が爆発しました。人々は知らず、未信者は知らないことですが、偶像崇拝する所ごとに、そのようなことがおきているのです。日本でも、神戸で地震で多くの人が死にました。皆様、知っているでしょうが、神戸という言葉は、悪霊の家という意味です。神戸が漢字では「神」というのに、「神」という字が悪霊の「神」で、悪霊がいる家という意味です。今回も見れば、インドネシア、タイ、マレーシア、インドのような偶像崇拝の地域で起きました。今でも重要な学者たちが予言するのに、最も怖い地震が日本の下に待っているということです。怖い話ですが、それがおきれば、沈むこともあると自信をもって話しました。そうして見ると、世界で偶像が2番目に多い所が日本です。偶像が一番多い国はネパールです。そして、2番目が日本です。ただ済ましてしまう話ではない気がします。
 
■ 今日の本文は、少し読んだのですが、この本文の中には、相当な背景があります。皆様がおわかりの通り、王の中で最高の王であるダビデが準備して、その息子が神殿を建てました。そのような中で、悪い王が起きたのですが、ダビデ王を繋ぐ王が出てきたのですが、その王がまさにヒゼキヤ王です。それで、この人が王になってしたことがあります。山のあらゆる悪霊に仕えるところ、おかしなものをなくしてしまったのです。そして、アッシリヤに連絡をしました。私たちの先祖が知らずに、アッシリヤに仕えたが、私たちはアッシリヤに仕えない。簡単に話して、イスラエルの王たちが怖がって、強大国のアッシリヤに税金を捧げたが、私たちは、税金を捧げることができない。ヒゼキヤ王が大胆に言ったのです。アッシリヤが静かにいるでしょうか? その 時に、アッシリヤ軍十八万5千人を連れて来たのでした。皆様イスラエルの土地は、江原道と京畿道を合わせたくらいです。イスラエル人を全部みな合わせも、千五百万になりません。外国に行った人をみな合わせても、その程度です。世界を征服したイスラエルは、小さい国です。エルサレムに王があって、エルサレムの町も小さな町でした。その時、最大の強国アッシリヤが十八万5千人の軍隊を連れて来たのです。言わば完全に焦土化するということです。
 
■ その時、ヒゼキヤ王に起きたことです。ヒゼキヤ王の心があせったのです。まず人を送って、謝罪しました。ヒゼキヤ王は、すばらしい王だったのに、あまりに急だったので、そのようにせざるをえなかったのです。私たちもあせってしまうと、信仰より人間中心主義が出てきます。その話をアッシリヤ王が聞くはずがありません。ですから、ヒゼキヤ王が、どんな作戦を使ったでしょうか。金銀を集めて送ったのです。今まで税金を出さなかったことを許して下さいという意味で送ったのでした。既にアッシリヤは、イスラエルをなくすことに心を決めていました。あまりに急だから、ヒゼキヤ王がこういう頭を使ったのです。アッシリヤに次ぐ国がエジプトです。それで、エジプトに助けてくれと要請しました。そのようになれば、エジプトとアッシリヤの戦地がイスラエルになるはずです。失敗でした。今までヒゼキヤ王が考えたことは、みな失敗でした。私たち人間が重要な問題に会う時は、根本に早く入っていかなければならないのに、しばしば頭を使ってしまうように、ヒゼキヤ王が失敗したのです。皆様が本当に重大な問題があれば、神様の前に立つべきで、しばしば人間の方法は使えば使うほどだめです。その時に起きたことです。ヒゼキヤ王が、ダビデが準備して、ソロモンが建てた神殿に行ってひざまずいたのでした。ヒゼキヤ王は、夜通し祈ったのです。祈りの内容は色々なことを多くしました。
 
■ そのような中で、重要な祈りの内容が出てきたのです。全世界の国々に、主なる神様が真の神様である証拠をくださいと言ったのです。その祈りは事実、最も良い祈りです。皆様を通じて、皆様の子どもを通じて、神様の栄光が現れるようにしてくださいという、その祈りが最も良い祈りです。簡単に話せば、神様もそうで、私たちもそうで、恥をかかないようにしてくださいということです。息子が父母にする一番良い言葉が何でしょうか? 親の名に恥をかかさないように生きるという話は、孝行するということです。また、先生の教えに外れないように生きるという話しが、最も良い弟子だということです。それと同じで、主の栄光が現れることを祈るということが、一番良い祈りです。ヒゼキヤ王がその祈りをしたのです。簡単に話せば、私は死んでもかまわない。困難にあってもかまわない。神様の名前が地に落ちてはならない。その祈りを夜を明かしてしたのでした。歴史にも記録されています。朝に起きたら、アッシリヤ軍十八万5千人がみな死んでいたのです。今でもアッシリヤの歴史を研究すれば、そこに対してこのように言及しています。私たちアッシリヤ軍が、駐屯している所に伝染病が回った。それで、寝ている間にみな死んだ。とにかく、そちらがわで十八万5千の軍隊がみな死んだことを認めたのです。聖書は、何と記録しているでしょうか? U列王19:35を見れば、その夜に主の天使が彼らを打ったと記録されています。その夜に主の使いが彼らを打ったということです。
 
■ 私は、その話しが正しいと考えます。皆様を呼んで行く時、天使を送って呼んで行かれるのです。それで、完全に勝利したのです。そして、すべての所にうわさが立ちました。ところが、また問題がきたのです。ヒゼキヤ王が死ぬ病気になったのです。聖書を見れば、ヒゼキヤ王はどのようにしたでしょうか? 壁に向かって、主の前にひざまずいたのでした。その話は、神様に向けてどれくらい切実に祈ったのでしょうか。病気に勝利しました。ロックフェラーのような人は、癌になっても、三十年生きました。それほどよく戦ったのです。このヒゼキヤ王が、簡単に話して、癌になっても、息をふきかえしたのです。たいしたものです。ところが、問題がきたのでした。イスラエルが繁栄したので、各国から使節団がきて、イスラエルを見たのです。この時、ヒゼキヤ王が決定的な失敗をしました。ヒゼキヤ王がこの時、このよう話すべきだったのです。私は神様の恵みで、この神殿で祈って、アッシリヤに勝った。アッシリヤには申し訳ないけれど、軍隊が寝ている時に、みな死んだと言うべきでした。ヒゼキヤ王は、強大な軍事力を見せるために、各種の金銀でできた盾のようなものを見せたのでした。王宮の中の内帑庫という所に連れて行きました。この宝石を見せました。また失敗したのでした。神殿に連れて行きました。この神殿の品々を見てくださいと言ったのです。
 
■ むかしにあった遺物と宝石ゆえに生じた戦争は、すごいのです。チャン・ケソクという人が中国にあった宝物を台湾に移した時、戦争しながら移したのです。中国のファリョンという所に行ってみると、道を作りながら、話しを聞かない人は殺しながら、それを移しました。船に宝石と昔の遺物をぎっしり積んで行ったのです。ですから、中国がじっとしているでしょうか? その人々を攻撃すべきだ、と言ったところ、毛沢東がこう話したということです。放っておきなさい。すこししたら、持ってくるはずだ。彼らを殺して、宝物がみな沈めば、どうするのだ。これくらい宝物と遺物を重要に思うのです。その時、バビロンの代表が、心に思ったのです。これらすべてのものをいつか持ってこよう。これが、イスラエルが捕虜となった最初の理由でした。ですから、かなり以前から生じた理由でした。それとともに、イスラエル民族は、神様に仕えないで、知らずに偶像崇拝をしたのでした。
 
■ 日本に申し訳ないのですが、日本が知らずに、神社をたくさん作るように、どんどん知らずにするのです。人々は、ほとんど重要なことに無知です。法事をすれば、どんなことがおきるかを知らずにするのです。私の話が正しいか、そうでないか、あなたがたは三年間、滝の下に座ってみてください。悟りをえるようになります。それが問題なのです。それとともに、イスラエルが偶像に陥った中に、民は神様を信じないで、しきりに変わって行ったのです。国は弱くなりました。この時の王がゼデキヤという23代の王でした。いよいよ世界を動かしたバビロンが攻め入ってきました。元々、攻め込む時は、いろいろ言います。竹島問題で、いろいろ言うように、これは私たちのものだから、あなたのものだから、というようにです。私たちの地域を過ぎる時は、税金を出しなさいというやり方です。話しを聞かなければ、そっとしておきません。こういう方法でいろいろ言って、バビロンが攻めて来たのでした。バビロンの話を聞かないと、このようになるという証拠で、ゼデキヤ王の目玉を国民が見ている前で抜きました。そして、これから足にかせをはめたのです。そして、手はひもで縛って、馬に縛りました。そこからバビロンまでは、約二千里の道です。引っ張っていきながら、エルサレム神殿にあるものは、すべて持って行きました。そして、ダビデ王とソロモンが建てたものすごい神殿を、燃やしてしまったのです。このようにして、イスラエルが完全に捕虜になりました。それで、イスラエルの国はなくなり、神殿も燃やされたのです。
 
■ 私たちは、その理由を知っています。この時、神様がメッセージをくださったのです。どれくらい重要でしょうか? このメッセージを正しく握らなければなりません。私たち人間には、考えることもできない悲劇が待っています。ところが、認めるしかないことは、地球はどんどん、難しくなっていきます。私たちは、この時、メッセージをよく握らなければなりません。皆様に本当にこの祝福があることを願います。メッセージを捕まえるのに、皆様が参考にすべきことがあります。釜山もそうで、ここ(ソウル)でもそうですが、私たちは、人々がたくさん集まるので、席が足りません。気持ちが丁寧な方達がきたのに、席がないと、立っていたら心が安定しないので、そのまま帰ることもあります。ある人は、聖書をあらかじめ持って行って、自分の席だと置いている人がいます。また、ある人は知らずに聖書をのけて、そこに座ったのです。聖書の主人が、自分の席だからのいて下さいと押したら、座っていた人にひじが当たって、あまりに痛くて家に帰ってしまったのでした。幸か不幸か、他の教会は席が多いのに、私たち教会は席が足りません。
 
■ 皆様、聖日に礼拝をささげようと来る時には、考えなければなりません。正しい教会の特徴は、むかしから共通点がひとつあります。王と一般人と全く同じ立場で礼拝をささげます。それが教会です。会社では、相当な財閥の会長でも、教会では一緒に奉仕します。家にいたら、相当な貴婦人でも、教会にくれば皿洗いもします。皆様が席がなければ、一緒になって譲り合って座るのが教会です。なぜでしょうか?そのようなことが重要ではないということを知っていなければなりません。神様が今、私たちにどんなメッセージをくださったのでしょうか? 困難を受ける人に、神様は、イスラエル民族に与えられた最初のメッセージが何でしょうか? 起きよ。これが普通の話になりません。単に夜明けに寝ている子どもに起きなさいと言っても良いでしょうか? 今、私達がどこかに行かなければならないのに、食事の準備が殆どできたから、起きなさいと言わなければならないでしょう。人生が変わる、とても重要な時間です。簡単に話せば、神様が準備をしておかれて、起きなさいとおっしゃったのです。皆様、気落ちしていず、起きなさいということです。それなら、何を準備しておかれたのでしょうか? それが重要なのです。私たちは今、イザヤ60章を読みました。すると、前を読んでみるべきです。イザヤ6章13節に、こういうみことばがあります。‘みな滅びて、みな崩れても、信仰の切り株は生き残る' ですから、起きなさいということです。レムナントは、記憶しましょう。本当に神様が与えられる信仰を持っていれば、どこに行っても生き残ります。全世界に散在した私たちのレムナント、皆様の子ども達がこの契約を持っていれば、どんなに困難が来ても生き残ります。ですから、起きなさい。
 
■ 2番目に見れば、イザヤ7章14節です。‘処女がみごもって、男の子を産む。その名前をインマヌエルと名付ける' 人間は人間を救うことができないために、処女に神様の息子を送られなければならないのです。その話しがなんの話でしょうか? 救いを準備したから起きろということです。あらゆる呪いに勝つことができる祝福を用意したから、起きなさいということです。これが、ものすごく重要な言葉です。そして、イザヤ40章(8節)を見ましょう。何となっているでしょうか? ‘草は枯れ、花はしぼむ。しかし、神のみことばは永遠に立つ' それとともに、こう話されました。人々がとても愚かだ。どうして、人が作ったものが神様なのか? お金が多い人々は金で作って、お金がない人は木で作るのに、それがどうして神様か? お金がない人々は、作った木が揺れるかと思って、釘を打つが、それが何で神様なのか?
 
■ ‘(28節) あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。' このみことばを捕まえましょう。‘(31節) しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。' 皆様が今までしたことが、みな必要ないということではなく、新しい力をくださると言われました。世の中の人々が話したことでなく、主を待ち望む者は、新しい力を与えられるとおっしゃいました。それで、起きよということです。準備しておいて起きよと言われるのであって、夜明けに寝ている子どもに、誰がいたずらに起きなさいと言うでしょうか? 神様が皆様を置いて、完壁な救いの祝福を置いて起きなさいと言われたのです。
 
■ より重要なことは、イザヤ43章です。何と言われたでしょうか?‘(18〜13節) 先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。’‘わたしは、あなたをあがなった。あなたはわたしのものだ’以前の事を、どのように思い出さずにいられるでしょうか? 私達が精神が変になったり、記憶喪失になるならばできるかも知れませんが、どのように記憶しないでいられるでしょうか? しかし、その話ではありません。以前の事に浸って、気落ちしていないで。その話です。そのことであって、どのように、記憶しないでいられるでしょうか? そして、今、捕虜になったことが問題ではなく、その理由がより問題です。私はそのように考えます。以前に、韓国が日本に植民地になったことがありました。植民地になったことも問題ですが、そのようになった背景がより重要だと考えます。李朝時代にあまりに身分の高い人々が、いつもけんかだけをして、無能だったゆえに、そのようになったのではないでしょうか?
 
■ 新しい事とは何でしょうか? 歴史に出てきています。バビロンから解放させられました。奇跡のような事が起きたのです。その歴史の背景をみな説明しようとするなら、時間がありません。歴史的に、イスラエルは、バビロンから帰ってきました。バビロンは完全に滅びて、帰ってきたのです。想像ができない話です。バビロンをイスラエルが打ったのではなく、他の国が打ちました。それで、何とみことばで言われたか知っているでしょうか? ‘わたしが荒野に道をつける。砂漠に川を流す。獣もわたしをあがめるようになるはずだ。昔のことを思い出すな。わたしが新しい事を行なう。起きよ。’ この話です。相当な話です。皆様が、この祝福を受けなければならないのです。皆様の運命が変わる時間です。
 
■ それとともに、2番目には、何とおっしゃったのでしょうか? ‘光を放ちなさい。起きよ。光を放て' と言われました。光とは何でしょうか? 福音です。皆様に、もしかして、本当に解決できない問題があるのでしょうか? 皆様の夫、妻、子どもが本当に理解できない事をしているのでしょうか? 皆様の周囲に、本当に話せない問題が行われているのでしょうか? それがまさしく、暗やみの働きです。対処する方法は戦いではなく、光です。なんの話なのか分かるでしょうか? 皆様の夫が深刻なギャンブルに陥ったのでしょうか? 私が見るに
は、ギャンブルに陥ったのではなく、暗闇にまず陥ったのです。ですから、光を放ちなさいと言われるのです。分かるでしょうか? 皆様の子どもが、学校にも行かず、おかしなことをするのでしょうか? 学校に行かないことの以前に、暗闇に捕らえられたのです。皆様が関係している人や家族の中におかしな人は、簡単に話せば、サタンに捕えられたのです。すると、律法や原則で対処するのではなく、福音で対処しなければなりません。その時に、その人が暗闇から抜け出せるのです。誰にも出来ません。重要なことは‘やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。'と言われました。創世記1:2 暗闇が全地を覆ったということです。これは信者でも、未信者でも避けられない事実です。創世記3章で、呪いが全地を覆ったのです。それで、皆様がそのように努力しても、問題がくるのです。創世記6章のようなネフィリム時代が全地を覆ったのです。どれくらい成功しようと努力したでしょうか? 皆様が幼い時から勉強を熱心にしたのではないでしょうか? ある人は、一流大学に行くため、頭をこき使って勉強したのではないでしょうか? また、ある人は司法試験、医師試験、何かの試験だとして、最善を尽くしたのではないでしょうか? ところが、なぜ人生はバベルの塔のように崩れるのでしょうか? それで、聖書は光を放ちなさいと言われたのです。
 
■ より重要なことは‘あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。' それで ‘起きて、契約を捕まえて光を放ちなさい' ヨハネ1:1にはイエス様が光としていらっしゃったと言われています。12節には '受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった’マタイ5章には‘(14節)あなたがたは、世の光です' 誰が光をすみに隠しておくでしょうか? 高い所にぶら下げて、明らかにするでしょう? Iペテロ2:9‘あなたがたを、この光を表すために呼んだ'と言われました。私は30年、伝道しながら見たのです。医者の方達には申し訳ないけれど、とうてい医者ができない病気を、福音を聞いて解決されるのを見ました。あらゆる宗教に申し訳ないけれど、宗教と律法で解決できなかった霊的問題が、解決にするのを見ました。私は確かに見たのです。皆様が訳が分からなくて通う占い師の子ども、ムダン(霊媒師)の子どもが、全部滅びるのを見たのです。その人々が悟って、福音に入って生かされるのを見ました。
 
■ ここにもたくさんいらっしゃるはずです。ある地域に行ったら、おばあさんが、私の手をつかんで、離してくれませんでした。突然に、なぜおばあさんが道をふさいで、手をつかむので、誰かとたずねたら "先生。本当にありがとうございます"と言ったのです。それで、この方が信徒であることが分かりました。その感謝の内容が30〜40年、ムダン(霊媒師)をしていて、どんな方法でも解決できなかった問題を、福音を悟って、イエスを受け入れてみことばを聞きながら、きれいに解決されたという内容でした。分かります。とてもありがたくて、あいさつしたのでした。あまりに手を離してくださらないので、私が手を引いて行きました。私は、そのような場合をたくさん見てきたのです。契約を捕まえながら、1つや2つの恵みを受けたのではありません。
 
■ 歴史にも見ましょう。音楽をする人々も問題が多いのです。この光を見ることができなければ、勝つことができません。ヘンデルのような人は、アルコール中毒者でした。この人がこの光を見て作ったのが、メサイヤです。学校に通いながら、とても勉強ができなくて崩れた人がアインシュタインです。皆様がおわかりの通り、中・高等学校の時、勉強ができませんでした。ある日、神様の光を見たのです。福音を受けるようになったのでした。祈って、ものすごいみわざが起きたのです。元々エジソンは、少し足りない人でした。小学校に通っていた時、学業不適応で退学までさせられたのです。そのエジソンに神様の光が臨んだのです。その人ぐらい、私たちに多くの恩恵を与えてくれた人はいません。しかし、この光を受けても悟っていない人は、困難にあうのです。昨日もTVで、英国と米国でとても有名だった人々が自殺した内容に対して出てきました。神様が死んだと話した人がニーチェです。皆様がおわかりの通り、ニーチェは牧師の息子ということを記憶しなければなりません。彼は精神病で死にました。さらに神様がいないと話した人がいました。それが共産主義です。共産主義は、なくなったではないでしょうか? 人々は、どれくらい愚かかわかりません。
 
■ 光の結果です。皆様が今日、重要な契約を捕まえて戻るべきです。色々な事があるでしょうが、光の結果がどうか認めなければならないのです。10年前のことです。ある人が、私にこういう話をしました。勉強を多くした、とても賢い人でした。 "先生を見ると、とても重要な人のようです。それで、東三第一教会の組織をとても強化しなければならない" それで、そうですね、という返事をしたのですが、内心は、そうではないと考えていました。10年前のレベルで講義すれば、10年前に終わるはずです。世界福音化が出てくる前に、その組織を強化させてしまうならば、その組織で終わるではないでしょうか? 内心 '勉強はたくさんしたけれど、頭が悪いな' と考えました。そして、その人にこう話しました。 "釜山で私たちの教会の人々が足りなくて、組織が弱いことを神様がご存知ではないでしょうか? それで、神様が必要ならば、その時、答えてくださるのではないでしょうか?" もちろん、何にもしないということではありません。誤解しないように願います。それよりもっと重要なことがあるのです。神様が完全だということを記憶しなければなりません。どんな方法でも、人間の方法ではバビロンから抜け出せません。
 
■ 国々が光に帰ってきます。それしか方法がないでしょう。私たちの教会が粗末で、私達が足りなくても、福音があって、光があるならば、暗やみにいる人々が来るしかありません。4〜5節に、レムナントの皆様の子どもが帰ってくると言われています。帰ってくるということは、単純な話ではありません。皆様の子どもたちが、立ち上がって、悟って、光を見てくるようになるということです。6〜9節には、財産が帰ってくると言われています。財産が帰ってくることが問題ではなく、神殿を建築するようになる時に、正しく財産が帰ってくるはずなのです。10〜19節には、シオンの栄光が回復すると言われました。結果です。私たち学生達が、一番注意しなければならないことです。勉強をする時には、しっかりとしなければなりません。なんでも専門性があるようにしましょう。しかし、常に記憶しなければならないことは、それは基礎だということです。神様の力は、その上のものすごいことであると、知っていなければなりません。礼儀を揃えて、秩序を守らなければなりません。当然です。しかし、これがすべてではなく、基礎であることを知っていなければなりません。一般の人々は、これがすべてです。一般の人々は、死ねば終わりです。私たちには、開始です。パリサイ人は、死刑宣告を受けたら終わりですが、初代教会の信徒には、殉教することが開始だということです。
 
■ ものすごい差が出るのです。こういう事が、どんな方法で、誰が知っているでしょうか? 本当に歴史には、驚くべき事が行われています。それで、この部分に関する歴史の書をすこし読んでみました。もちろん、聖書ではなく、歴史の書であるゆえに違うことがあります。前に話しました。メディヤの王が同じ夢をずっと見るのですが、その夢の内容が、自分の娘の膝の前に葡萄の実が結ぶ夢でした。どうして、このように同じ夢を見るのかと思って、夢の意味を呼んで尋ねたのです。そうしたところ、王様の息子が王になるのではなく、王様の娘が子どもを産めば、その子が王になるということでした。政治は怖いのです。王は娘が子どもを産んだら、無条件に殺せという命令を下しました。それで、産婆が子どもを受けたのですが、息子でした。どんなに王の 命令でも、殺すことができなくて、嘘をついて、その子を包んで山中に捨てに行ったのです。行ってみると、ある老夫婦が木を植えていました。それで、その老夫婦にこの子どもを途中で拾ったので、育ててくださいと子どもを与えたのでした。何の教育も受けることができなくて、山中で、おじいさん、おばあさんの下で子どもが育ったのでした。
 
■ この子が平凡に育ったのです。子どもの名前は、クロスでした。この子が大きくなって、バビロンといろいろな国を打って連合させたのですが、王になるやいなや述べた言葉が‘捕虜になったあらゆる国は戻りなさい。自由を与える。そして、特にイスラエルは戻って、神殿を建てなさい' この人が宗教的でなく、政治的に話したのでした。ありえないことではないでしょうか? このことが、歴史にあったことです。このようにして、帰ってきて建てた神殿が、第2神殿だったのです。22節に話しています。‘最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強国となる。時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。' どれくらい重要な話でしょうか? 今日、皆様は、この部分を簡単に私たちのものにすべきなのです。
 
■ ‘起きよ'ということは、なんの話でしょうか? 皆様が、契約を捕まえて行きなさいということです。皆様の人生は既に変わったから、恐れるなということです。既に臨んだ光を味わって、これからは、この光を放てということです。より重要なことは、この光の結果です。結果という話は、原因があるということです。皆様はみな行なうことができないけれど、私たちは神様の力を99%ではなく、100%信じなければなりません。私は時々、悔い改めます。‘席もないのにどうするのか?' その時、あなたのいのちを治める神様は、ご存じだ。世界万物を動かす主は、皆知って準備しておかれた。雀一匹も神様の手に、野草も神様が育てられる。それなら、心配する必要がない。それで、私はいつも信仰100%なのです。そこにともなって残りは、献身して、従順にすることです。これを知っている以上、献身を良くするからといって自慢ではありません。できないからといって気落ちすることがありません。この光の結果が皆様の事業、家にあることをお祈りします。すると、どのようになるのでしょうか?‘最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強国となる。'誰がなさるのでしょうか?‘時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。'
 
■ 私は時々、韓国と米国でたくさん学んだ方達や、たくさん習った牧師に会う時があります。必ずこの方たちは、何かが混ざっています。神様の力と信仰はその次のことで、何かがより大きいのです。ところが、それが神様がご覧になるときには、怖いのです。それをサタンが見る時は餌食です。私たちはこれは基礎にならなければなりません。礼節や倫理、道徳は基礎です。早くしましょう。基礎です。私達が常識を揃えたり、実力を揃えることは基礎です。そのようなことは、早く準備してしまいましょう。そのようなことを持っているといって、高慢になることもありません。より重要なことは、神様の力です。‘新しいことを行なう。昔のことを思い出すな。海の中に道をつける。荒野に川を作る。獣もわたしをあがめるようになるはずだ' そのようにおっしゃられました。これがより重要です。私たちは、よく区分しながら、契約を捕まえる時、答えがき始めるはずです。だからと言って、先生の説教を聞いてみたら、神様の力だと言いながら、ゴミを椅子の下に入れて行ってはなりません。そのようなことは常識であって、そして、礼拝時間に席の取り合いをして、他の人を追い出して良いでしょうか? また、ある足りない青年は、先生の説教を聞いてみたら、酒を飲んでも良いのだと言いながら、焼酎18瓶を飲んで倒れて、這い回る場合もあるということです。そのようなことをして良いでしょうか?
 
■ 常識であって、そのようなことを持って、ものすごい神様の祝福を侮辱して良いでしょうか? 私達が常識以下のことを話す必要がありません。常識は英語で common senseと言います。共通的に誰でも分かることは、常識です。それは福音と関係なくて、常識です。常識が問題になったり、一番になったりしてはなりません。私がどのように祝福を受けて、どのように仕事をしているか、こういうことは常識です。より重要なことは、時代を見ましょう。ますます暗闇の中に陥るこの時代に、起きて、光を放てとおっしゃるのです。すると、すべての暗やみは帰ってくるようになっています。2005年、皆様の事業、家、職場に光が臨むようになることを願います。蔚山、釜山、京仁(ソウル・仁川)の地域教会と、あらゆる衛星で礼拝する教会に、光が臨むことをお祈りします。特に海外にいる弟子達に、神様の光が臨むことを希望します。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。この祝福が必ずあらゆる神様の人々に臨むことを信じます。そして、私たちの子どもたちに臨むことを信じます。この方達の産業、事業に臨むことを信じます。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
 
 


2部/ 国々の民の上に旗を揚げよ
(イザヤ62:6〜12)
 
■ ある子どもが、木で作った船を持って遊んでいました。とても良い船だったのですが、遊んでいるうちに、波が打って流れて行ったのです。大きい川の水に流れてくだって行ったので、見つからないのです。この子が、それゆえにどれくらいたくさん泣いたか分かりません。いつも、船のことを思っていたのです。そのようなある日、市内を通る中で、その船を見たのです。まちがいなく、自分の船でした。いくつかがあるのでなく、一つだけあるのを見て、まちがいなく自分の船だったのです。たぶん誰か流れくる船を拾って、その店に売ったのでしょう。それで主人に自分の船だと話したのです。主人はその話を認めませんでした。この子に方法はひとつしかないのです。この船を見たら、価格がついていたのです。その船を取り戻すために、その船を買ったのでした。この子が船を買うことは単純な意味ではありません。主人は単に売ったのですが、この子には相当な意味で買ったのです。その船を持って帰りながら、この子がこう話しました。お前は僕のものだ。忘れてしまうはずがないと考えたのでした。聖書のイザヤ書に神様が危機の中に一番強調された言葉です。あなたはわたしのものだ。それで、起きて、光を放ちなさい。
 
■ 今日ここを見ると、国々の民の上に旗を揚げよ。どのようにするかという以前に、確認すべきことがいくつかあります。神様が、あなたはわたしのものだと言われました。すると、私は神様の子どもであることが間違いないでしょうか? 証拠が問題です。私たち教会には、そのような人はいませんが、大部分の教会に通う人が返事がよくできません。あなたは、神様の子どもに間違いないのか? そうだと思いますと返事をします。なぜ、そうなのですか? 幼い時から、教会に通ったと言います。幼い時に通って何をしたのですか? 教会の働きを多くして、献金もしたゆえに、神様の子どもでしょうと言います。普通、そのように返事をします。それで、多くの異端が、その部分を持って人々を難しくするのです。すると、異端も悪いところがありますが、それに対する明らかな答をできない私たちに、より大きい過ちがあるのです。ほとんどみな、それに対して返事がよくできません。あなたがたは、あまり多く聞いているので、なんの話かと言うはずです。人々に会ってみれば、ほとんどこの部分に自信がありません。特に学生達はそうです。私たちは講壇でいつも、福音、イエス・キリストが出ているので、そのように考えないのですが、ほとんど学生達は揺れています。そして、知っていても、問題がくれば、それに対して深く味わうことができないのです。それで、世界の教会の牧師は、これから確かにしなければならないのです。
 
■ 私が大韓民国で一番良くするという教会に行ってみました。その教会で中・高等部の修練会をしたのです。そちらで講師として私が呼ばれたのでした。大韓民国で一番良い教会だというので、相当な決心をして、祈りを多くして行ったのでした。確かに本当に良い教会でした。どれくらい仕事を良くしているか分かりません。隙間がないのです。本当に驚きました。食事をしにいく前にも、小さいうつわを持ってきます。なにかと尋ねました。喉に良いおかゆです、と言われました。二さじをくれたのです。終わった後に、食事しに行きました。食事を終えたら、また出てきたのです。これはなにかと尋ねたら、喉を和らげるおかゆですと言われました。その程度ではありません。どれくらい良くしているか分かりません。そして、警護も私たちのようにしません。付いて回るのではなく、危険な場所ごとに立っていたのです。事務室で挨拶して説教するために階段を上がったら、カーブのある所ごとに警護員が立っているのでした。もしかして、私が驚くかと思って、あらかじめ挨拶をするのでした。ほとんどプロ級でした。私は驚きました。ところが、それからメッセージをしてみたら、違うと感じました。とても行事も良くして、準備も良くして、かんぺきでした。ところが、説教をしてみたら違うのでした。
 
■ それで礼拝が終わって、集会をみな終えて、キャンプファイアをするでしょう? それで、担当者は講道師でした。講道師にお願いをしたのです。椅子を三つだけ準備してくださいと言いました。一つは講道師、一つは私が座って、残りの一つは、学生達がキャンプファイアをして感動していたのですが、順番に相談をしたのです。簡単な話で尋ねました。あなたは神様の子どもですか? キリストを知っていますか? 救われたた神様の子どもですか? その雰囲気の中で尋ねたら、学生達の中で驚く程に、90%以上が分からないというのでした。すると、皆様の子どもが世の中で困難にあうならば、どうするでしょうか? 世の中をさっと見れば、ものすごいように見えるのに、どのようにするのでしょうか? それで、私が簡単に福音を説明したのです。そちらで学生達 70人程度が、例を上げれば100名中、70人程度がイエス様をもう一度、救い主として受け入たのでした。この講道師が、とまどっていました。この講道師が申し訳ありませんと言う必要はありません。ほとんどの信徒が、そのように信じているのです。皆様が、神様の子どもであることが間違いないのでしょうか? 神様があなたはわたしのものだと言われたのですが、その証拠は何でしょうか? 私たちは、ほとんどみな、それに対して答を正しく持っていません。
 
■ またある教団では、体験しなければならないと言います。神様の子どもの体験があるのでしょうか? 体験をどのようにしなければならないのでしょうか?体験は、性質通りにするでしょう? だから、私の友人一名は、教会に行ってすぐに倒れました。すぐに火を受けたのです。どのようになったのか、初日すぐに受けたのでした。それで、からだも震えて、人が変わってしまったのです。それで聖霊を体験すれば、あのようになるのかと考えました。そして、一人で祈りに行くのでした。異言の祈りをするのです。あれなのかと思いました。ところが、その友人は今、教会に通っていません。それを見れば、そのようなものでもないようです。いったいどうなのでしょうか? 私たちは、どうなので救われたのでしょうか? 人々が、自分勝手に話をします。カトリックでは、このように教えます。あなたが徳をたくさん積んで、良い行いをたくさんすれば、救われると言います。正しいでしょうか? 私はそのように考えません。救われた私たちが、当然に左手が右手が知らなくように良い行いをするのであって、救われるためにそれをするのでしょうか? そのようにすれば、救いが与えられるのでしょうか? 救いは、そのように価値がないことでしょうか? このように最も重要なのに、混乱するのです。あなたがたは多く聞いているので、知らないでしょうが、外に行って尋ねることを願います。執事に会って、イエスが誰なのかを尋ねれば、最もやさしい話のキリストが何かを尋ねれば、知らないのです。それを知らなければ、霊的に勝てないのです。ほとんど、このように信仰生活をしているのです。
 
■ 皆様の中で、教会にきて狂的に信じなさいという意味ではありません。よく信じれば良いでしょうが、それと救いとは関係ありません。ほとんどみな、救いに対して誤解をしています。今、長い話をする時間がありません。Iヨハネ5:11〜13に‘そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。'‘御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。'わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。私達が罪人であった時に、キリストが私たちのために死んでくださることによって、神様が私たちに対するご自分の愛をあきらかにしておられます。私たちが神様を信じることはありえません。それで、受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになったのです。私と皆様が、どんなに苦闘してもだめであることを知って、神様がキリストを送られたのです。それで旧約で預言されました。処女がみごもって男の子を産む。その名前をインマヌエルと名付ける。私たちはこれが認められる日まで苦労をするのです。
 
■ 私は良くしているのに、なぜそういうのですか? 私は神様を信じないでも良くする、そのような人が本当に多いのです。ところが、なぜ神様がキリストを送られたのでしょうか? いったい皆様は、救われた神様の子どもであることが間違いないのでしょうか? イエスを信じる者は、神様の子どもになったのです。‘主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます' パリサイ人が何と言ったのか知っているでしょうか? イエスの名前を言うなと言ったのに、なぜ言ったのか? ペテロが何と返事をしたでしょうか? 世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。サタンが何と言っているか知っているでしょうか? 皆様が教会を熱心に通っても、イエスを信じて救いだけ得るなと言います。教会に通いながら、思い切り奉仕しなさい。思い切り献金しなさい。救いだけ受けるな。これがサタンの目的です。早くキャッチしなければなりません。私が救われた神様の子どもであることが間違いないのでしょうか? それに対する確信がある時、変化が起きるのです。私は神様の子どもだという確信が本当にある時、その日から皆様の家にある暗闇の勢力は離れるのです。ここにムダン(霊媒師)の家族がいます。確かに悪霊は活動しています。神様の子どもだという事実と確信を持つ時から、逃げるようになっています。皆様は、神様の子どもです。ところが、しばしば誤解をするのです。神様の子どもになることが、どんなことか理解すると、恵みによって救われるのです。
 
■ 簡単に話します。ある子どもが行く途中にドロ沼にはまったのです。ドロ沼は、水もなく、動くほどはまっていくのです。ところが、この子は既に疲れてしまったのです。もし苦闘すれば、ドロ沼にずっとはまってしまいます。どのようにするのでしょうか? どのようにしてこそ、この子が生きるでしょうか? その子に、あなたの力で泳いで出てきなさいと言うのでしょうか? 泳ぐ力もないでしょう? ドロ沼で動くほど、はまって行くでしょう? 自らあなたを救いなさいと言うのでしょうか? これが宗教です。話にならないのです。実際に死ぬのに、話にならないのです。ドロ沼にはまった子どものそばに行って、用心しろと言ったのに、なぜはまったのかと話すのでしょうか? 誰を怒らせるつもりなのか? 前から落ちたのか、後ろから落ちたのか? 必要がない話しです。倫理、道徳の先生が言う話なのですが、はまってしまった人には、何の効果もない話です。皆様、霊的問題がきて、苦しめられているのに、他の話しは必要がないのです。
 
■ 皆様、ここには警察官もいて、教授もいます。たまたま失敗する人と、犯罪をずっとする人は、別の人です。全く同じ立場で話せば、その人を無視するようになって、より傷を与えるようになります。少なくとも、福音を持った人は、あなたはこれゆえにこういう問題がきたと答を与えれば、その場で膝を屈するでしょう。だから、人々がよく知らずにいるのです。どのように救われたのでしょうか? 神様の子どもであることが間違いないのでしょうか? 皆様がこの契約を必ず握らなければなりません。私たち学生達は、必ず握らなければなりません。私は神様の子どもで、レムナントだ。私はイエス・キリストによって救われた神様の子どもだ。数千年前に預言されたキリスト、その方を信じる神様の子どもです。私たちは、偶像崇拝をする者ではありません。悪霊に仕える者ではなく、神様の子どもなのです。神様が、あなたはわたしのものだと言われました。わたしがあなたを指名して呼んだと言われたのです。ここに対する答えがなければなりません。どのように、この祝福を味わうのでしょうか? 簡単です。私たちは、何にも出来ないので、信仰で得るのです。ヨハネ5:24に、信じる者は永遠のいのちを得て、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。ドロ沼に陥った者には、方法がありません。ひもを与えて、握りなさいと言わなければならないのです。それが救いです。握る、それが信仰です。信仰で救われるのでもありません。ひもを投げ掛けることが恵みです。それで、どれくらい驚くべきことでしょうか? ここに対する感謝と確信がくる時、霊的なことは解決するのです。
 
■ それで2番目にくだすべきことは、信仰によって与えられるということです。正確に話せば信仰でもありません。恵みによることです。神様が皆様に恵みをくださったのです。方法が信仰です。この時、三番目に重要な祝福を下さいました。これから、そのままでいず、落胆せず、起きて、光を放ち、国々の民のために旗を揚げるのです。皆様、これから気落ちせずに、一段階より多く入らなければなりません。皆様のために、皆様の家系が生かされるようにかえすようになるのです。私のために、すべての民が生かされるようになるのです。間違いありません。皆様一名が光を照らすので、家系が生かされるようになるのです。どのように、この祝福を味わうことができるのでしょうか? 自分が生きるのも難しいのに、どのように国々の民のために旗を揚げることができるのか? 先生、私が今、食べていきることも難しいのに、どのように私が国々の民のために旗を揚げることができるのか? 私のために旗を揚げくださいと言わなければなりません。私が今、一人で生きることも難しいのに、どのように、国々の民のために旗を揚げることができるのか? どのようにすることができるのでしょうか? 今日の本文にあります。
 
■ 最初です。祈りの霊的な見張り人になることです。簡単です。必ず、この契約を捕まえなければなりません。今からです。すると、皆様はできる力が生じるのです。ここで重要なことを捕まえて、越えていかなければならないのです。クリスチャンの中で祈りの味を知らなければ、どのようになるのでしょうか? どのように なるか知っているでしょうか? 救いは確かに受けたのに、祈りの味を知らないならば、どのようになるか知っているでしょうか? ある人々は、救われたから信仰はあります。ところが、実際に祈りの味は知らないのです。すると、いくつかの事が出てきます。話をたびたびするのです。なぜなら話すことによって、自分が維持できるのです。そのまま祈れば簡単なのに、しばしば話でするのです。ある人は、人に会ってしばしば話をします。これは使命を持って、働きのためにすることがありますが、そのようなことでなく、しばしば話すのです。また、ある人はどんどんさまよいます。新しいことを見なければならないからです。祈りをしなければ、そのような結果が出てくるのです。祈りをすれば、祈りで全部、通じるはずなのに、なにか対処しなければならないのです。クリスチャンの中には、そのような人が本当に多いのです。自己主張と自分の信仰を話でしばしばするのです。なぜなら、かたちが良いから、証しのように見えるのです。他の人は、ものすごくだまされやすいのです。メッセージをしているかのように見えるためです。しかし、祈りで味わう人は、自分のものになるのです。すると、話をたくさんしなくても関係がないのです。
 
■ それで、祈りを回復できなかったならば、何か違った方法が出てきます。人間は祈るようになっています。ところが、これができないから、女の人達は、友人に会うのです。友人に会うことができなければ、狂いそうになるのです。ある人が見る時は、聖徒がお互い交わりをしているのです。ところが、その人の隠された問題は、別にあるのです。会っても感謝して、会わなくても感謝しなければならないのに、何か違うことがあるのです。祈りに答えがなければ、何かをしなければならないのです。これがさっと見る時には、美しく見えることがあって、良いように見えることがあります。ある倫理コンプレックスになっている人は、倫理の話をしばしばします。それでこそ、自分が維持できるのです。律法コンプレックスになった人は、律法の話しだけずっとするのです。それでこそ、自分が維持できるのです。不安な人は、不安ではないとしばしば話します。
 
■ 私が幼い時、火災に会って共同で住みました。ところが、お手洗がものすごく遠くにありました。なぜなら、近所の人々が共同で住まなければならないから、お手洗は遠くに置いたのでした。これが夜に腹が痛ければ怖いのです。それで、方法が私の弟の目を覚まさせたのです。付いて来いと言いました。だから、弟は感づいて、次からは絶対に起きないのです。眠っているふりをするのです。腹が痛いから、私だけ苦しいのです。自尊心ゆえに、母に一緒に行こうという話はできません。それで、やむをえず行きます。行くのに、どれくらい怖いか分かりません。その時、子ども達が話すことが、お手洗の下から悪霊が上がってくるという話しを思い出すのです。その時、そのような話が回っていました。お手洗にたまごの悪霊がいると回ったりしたのです。背中がぞくぞくしました。それで、私が一人で行きながら、大声で、国歌を歌いました。そして、太極旗が風に吹かれてとかいう歌をみな歌ったのです。私が住んでいた故郷の歌を歌ったのでした。そして、ひとりで怖くないと、どなったりしたのでした。それが怖い証拠です。
 
■ 祈りができなくなれば、いろいろなことをするのです。これを普通一般の人、99%はものすごいように見ます。しかし、神様はご存知です。皆様、祈りがほとんどすべてです。ところが人々は、ほとんどできないのです。口で言うのがやさしいから、口で話すのです。それで、おしゃべりなのです。祈りを本当にすれば、特に話しは必要ありません。話してもかまわなくて、しなくても関係がないのです。人に会えば感謝で、会わなくても関係ありません。そのように、何か安らかになるのです。なぜなら、祈りができているからです。祈りはものすごく重要です。見張り人です。全てのものを守ることができることが祈りです。祈りの見張り人です。皆様、必ずこの契約を捕まえるように望みます。城壁の上にあなたを置くと言われました。それとともに、6節にこういう言葉が出てきました。主に思い出されることを求める者よ、みずから休んではならない。(口語訳) 7節に、(主が)お休みにならぬようにせよ。(口語訳)と言われました。これが祈りの最も決定的な定義です。皆様、理解できるでしょうか? 主がお休みにならぬようにせよ。主に思い出されることを求める者よ。神様が、覚えることができないお方でしょうか? その話ではありません。主が休まれるのでしょうか? その話ではありません。それほど、祈りの祝福を受けなさいという意味です。皆様、これができれば、すべての問題が解決します。インマヌエル、タラッパンの聖徒は、全部、この祝福を回復するようになることを希望します。24時間、祈りの祝福を味わうことを願います。
 
■ ジョン・カルヴィンが、こう話しました。ジョン・カルヴィンが述べた言葉がみな正しいのですが、ひとつが違いました。ジョン・カルヴィンは、相当なメッセージをした学者です。ところが、ジョン・カルヴィンが述べた言葉の中でひとつは違いました。ところが、その人としては正しい話です。ジョン・カルヴィンがこう話しました。祈りなさい。祈りは労働だ。それでもしなさいと言いました。理解できます。カルヴィンは、28ケ所に病気がありました。だから、祈るのがどれくらい難しかったでしょうか? 私は、そのように考えません。ジョン・カルヴィンが誤って悟ったのでした。からだが病気だから、自分自ら悟ったのです。祈りは、何でしょうか? 幸福です。最も幸福です。皆様が愛する人と対話する時は、気分が悪いでしょうか、幸福でしょうか? 親しい友人と対話する時、気分が悪いでしょうか、幸福でしょうか? 皆様、女の子を見て下さい。友人に会って、夜通し話をします。母親が寝なさいと言っても、寝ると返事して、またします。明け方まで、ふとんをかぶっておしゃべりをします。米国では、夜に寝ずに話をするプログラムがあります。ですから、幸せです。皆様が愛する人も、夫婦も、話しが通じる人は、話せば幸せです。皆様、話しが通じない友人に出会うと、十分話しても難しいのです。この祈りは労働でなく幸福です。皆様がどれだけ祈りの祝福を受ける資格があるでしょうか。主がお休みにならないようにさせる、この話は、主が休まないで、皆様に答えていらっしゃるということです。主が皆様のことを常に覚えておられます。それを感じるのが祈りです。わかりやすく表現をそのようにしたのでした。皆様に困難がきた時、何も心配せず、それを祈りの内に持って入っていきましょう。働きが起きるようになります。それで、祈りの見張り人になりましょう。それも皆様は祈りの答えを受ける資格が堂々とあるのです。
 
■ 幼い時、私の家に息子、娘二人がいました。私の娘と息子とは、少し違います。私の息子は、物心があるのか、信仰がないのか、お小遣をもらう時、私に対していつも恥ずかしそうにしました。私の娘は、堂々とくださいと言います。どちらが、正しいでしょうか。お小遣をもらえず、隠れて困ることが正しいのでしょうか。お小遣をくださいと話すことが正しいのでしょうか。堂々とくださいと言わなければなりません。幼い時、私の娘は、私が知らずにお小遣を上げずに来る時があると、即刻、携帯電話に電話がきて、なぜくれずに行ったのかと言います。知らずに、申し訳ないと言いました。堂々と話します。お父さん、次には気をつけてねと言います。堂々とくださいと言うのです。私の息子は、知らずに上げなくて来ても、何もないかのようにしています。それとともに、借りて使っています。さ迷いながらも、何でもないようにしています。私がすまないとお小遣を与えれば、私の息子は全く善良でないのに、善良なように両手で受けます。幼い時、特に行動が美しいこともないのに、両手でお辞儀までします。また震えながら、かなり尊敬するふりをします。私が手が震えているのかと言いました。私の娘は、そのようにしません。与えれば、片手で受け取ります。なぜでしょうか? 当然に受け取るのです。気分が悪くありません。なぜでしょうか?私の娘で、私は父です。私の娘が、お金がより必要と言います。私の息子は、お金がより必要ならば、他のことをします。母親を困らせて出させます。妹を困らせて、借りたりします。表情を静かに見ると、頻繁に借りるようでした。また借りて行けばあまり返しません。ところが、私の娘は、そのようにしません。そばにきて、お父さん、疲れているでしょう。顔を見たら、ちょっと疲れているようだと言いながら、慰める話を動員するのです。それとともに、背中をたたいてくれながら、お父さん、私はお金がいくら必要となの、と話すのです。分かったとお金を与えれば、もらって、たたくのをやめて、行ってしまいます。堂々としています。なぜでしょうか? 私の娘であるからです。皆様、祈りの答えを堂々と受けましょう。キリストの血の値で買われた皆様なのに、祈れば答えられないことがあるでしょうか。24時間、答えてくださる主です。この答をつかまえれば、ヨセフのようになります。この答を捕まえれば、回復する祝福です。すると、一足、一足が答えで、祈りです。問題が来てもかまわないのです。8節に、このように約束されています。主は右の手と、力強い腕によって誓われた。今から契約を捕まえて祈りましょう。敵に、あなたの穀物を与えない。9節にそう書いてあります。葡萄酒を異邦人が飲まないようにする。あなたがたが、聖所の庭で飲むようになる。祈りの見張り人になりなさい。皆様、この祝福を味わうように願います。今日から祈りはやさしいのです。祈りは呼吸で対話です。呼吸が難しければ、良いでしょうか。そのまま呼吸を自然にすべきで、難しいようにするならば異常です。本当に、私が悪口をしないようにしているのですが、チョ・エンテ牧師と一緒に寝て、死ぬ思いをしました。どこかに行くと、私が部屋のよい所を与えて、ここで寝て下さいと言います。頼むから、私のそばに来ずに寝て下さいと言うのです。この前も、あるところに行った時、部屋をもらって、ここで静かに寝て下さいと言いました。理由があります。一度、一緒に寝たのに、死ぬ思いをしました。いびきをかくのですが、そのままかくならば良いのですが、息が少し止まってしまうのです。それで、私はもしかして死んだかと思いました。ところが、それが止まって、十秒ほどじっとしているのです。それで、私は死ぬのかと思って、そのまま見ていたら、PU〜と出てきました。これが、夜を明かしてするので、寝られないのです。普通、年をとれば、いびきをかきます。いびきをかけば、ある程度、するのですが、これはおかしかったのです。あまり心配なので、次に来たら、別の部屋にするようにしたのです。皆様、呼吸が自然にできず、苦しいならば、問題があるのです。それで、祈りがむずかしいのです。祈る時、そのまま対話で、祈りはいつも通いながら、神様との対話です。安らかに対話することです。皆様、今、私の子どもが困難にあっているとします。今、神様、私の夫がおかしなことをします。神様はなさることができます。私に恵みを与えてください。そのまま対話で祈ればよいのです。難しく対話するのではありません。道を歩きながら対話するのに、神様は全知全能で、というようにする必要がありません。そのまま気楽にするならば良いのです。祈りも、私たちの長老達が祈るのを見れば、一番良くします。先週にこういうメッセージをくださって、ありがとうございます。またこれから、こういう行事があるので働いてください。私たちの聖徒達に恵みを下さい。イエス様の御名によってお祈りします。そのまま、こう言うのです。世界で私たちの長老達が祈りを一番良くします。何の祈りをしようと出てきて、創世記から黙示録までアブラハムがどうであれ、イサクがどうであれ、神様がそれをご存知ではないのでしょうか。モーセが40年をがまんしたでしょうと言いますが、誰を見て言う話でしょうか。神様を見てする話でしょうか。祈りは、そのようにする必要がありません。神様、私たちに恵みを下さい。歩きながら常時祈りを続けましょう。いくらでも答えを受けます。皆様が率直なほど答えを受けます。神様、私はこのようになりました。このように祈れば、答えがずっときます。24時間、祈りに答えてくださる神様です。
 
■ 私たちのハン牧師の息子が今、勉強を良くできます。すると、ハン牧師の息子が、ハン牧師に会って、何と言うでしょうか。お父さん、金があれば千円だけください。そう言えば良いのです。すると、ハン牧師がお金千円を持って震える人ではありません。正して、書いて、こういう人ではありません。分かったと言って、そのまま与えます。それを持って、時代的な偉大な主のしもべ、50年間、私を育てて本当に時代的な主のしもべでおられる私の父、ハン牧師よ。千円だけ与えて下さい。こう言うでしょうか? そのようにする必要はありません。そのまま、父さん、千円だけくださいと言えば良いのです。祈りがやさしくすべきで、祈りを難しくする必要はありません。また皆様、代表祈りは違います。代表祈りは、もし失敗するかと負担になるのは、人間中心主義でなく良心です。そのような時は、少し重要なことは書いて きてしてもかまわないのです。それも知らずに、ある人は、長老が祈りを目をあけてしているのは、何かと言います。目をあけてしようが、閉じてしようが、聖書には、必ず目を閉じなさいと言われていません。すると、私達が祈る時、必ず、「父よ」こう言うべきなのでしょうか。二つの目を開けても、「父よ」と言わなくても良いのです。なにか私達が祈りの概念を、違うように考えています。そして私は、食堂に行って座って、時間があれば、あらかじめ祈りをすべてします。良いチャンスです。健康のために祈って、知っている人のために、家族のために祈ります。食堂に行けば、待ちながら祈ればよいのです。ご飯が出てくれば、そのまま食べるのです。祈りです。しておいたのです。ところが、普段に祈らない人々を見れば、ご飯が出てくる時に祈ります。それでも、食堂に行って祈れば、信仰がちょっとある人です。普通、人を見れば、食堂に行って祈る時、注意深くみてします。気が早い人は、祈りをするふりをして、顔を覆ったりしてします。私はそのまま食べたら、誰かが先生は、祈らないのですかと言いました。あらかじめみなしておいたと言いました。とにかく、祈りに対して誤解が多いのです。そのまま祈りはなせば良いのです。子どもが父に対して話すことは、そのまま皆様の内を話すことは、全部、答えられます。祈りの見張り人を立てた。すると、良いのです。
 
■ 2番目です。伝道とレムナントの見張り人を立てましょう。皆様、これから恐れず、城門に行きなさい。ここを見ると、民の道を備えなさい。大路を整えなさい。皆様を見て話されました。国々の民のために旗を揚げなさい。これから恐れず、娘シオンに話しなさい。このことをどのようにすることができるのでしょうか。本文に答えています。救いがあなたがたに臨んだ。そして、報いと報酬が、主の御手にあるのです。恐れず大路を整えましょう。道を作るということです。車が入るように、道を作りましょう。私は皆様が祝福を受けなければならないと、祈っています。私は長老達に約束しました。私たちの教会が、福音を伝える教会に間違いなくて、私が本当に伝道者であることが間違いないならば、神様は皆様を祝福なさるはずです。本当にせつない事が多いのです。今、多くの人々が、お金をとんでもないことにみな使っています。ある女の人は、一生儲けて集めたお金四十億円を、お寺に出しました。僧侶に対しては、すみませんが、私が見る時は、寺にはお金が多いのに、本当におかしなことです。それが必要ないということではありません。ある人は悪いことするのにお金をみな使います。皆様が今日、契約で捕まえなければならないのです。私たちは、レムナントと子孫のために大路を整えるのです。なぜでしょうか? 国々の民のために旗を揚げるのです。それが、私たちの祈りです。皆様、いくらでも神様は答えられることができます。
 
■ 最後の三番目です。あなた、6節から「あなた」という言葉が五回も出てきました。私を守る見張り人になりましょう。あなたをそのように呼んだということは、皆様が守るということは、用心するという意味もあるのですが、その話ではありません。皆様が誰なのかをよく知って、この祝福を味わうのです。祈りの奥義は、私を守ることです。皆様が祈りの奥義を持って、少しだけ祈れば、私をいくらでも守ることができます。皆様が今から少しだけ定刻の祈りをすれば、全てのものがみな回復します。今回の元旦の時に話しました。皆様が静かな時間を少しだけ持てば、答えられるようになっています。すると、祈りが時間を決めてすることが難しいことがあります。すると、常時で祈りましょう。常時で祈るのに、定刻の祈りは、すこし黙想するのが良いでしょう。皆様が黙想の祈りをする時は、最も脳に良くなると科学的に証拠されました。皆様が黙想する時、ものすごい能力が生じると、医学的に証拠されたのです。皆様が時間を定めて黙想の祈りをすることは、健康にもものすごく助けになります。しかし、より重要なことは、そのまま安らかに祈ることです。困難も神様に任せて安らかに。問題も神様に任せて安らかに、ずっと祈ってみましょう。これで、なにか皆様に幸福な時刻表がきて、皆様が安らかになりながら、力が生じるのです。皆様の子どものためにも、心配せず、ずっと祈るのです。心配が生まれれば、心配せず、それを置いてずっと祈るのです。心が苦しいことがあるのにと言います。神様はなさることができるのです。あなたを見張り人として立てた。皆様が伝道の奥義をもっていれば、あらゆる時刻表が回復するのです。それとともに、7節、12節に主に栄光、賛美を帰すためだと言いました。
 
■ 本当に感謝なことです。昨日、少しTVを見ていたら、年末だからと歌手、演技者が賞を受けていました。むかしとかなり変わりました。十名中、六名、七名が出てきて、神様に感謝すると言います。今は神様を信じる人々が現場にたくさん通って、そのような告白をするということは、信仰が良いということです。また、韓国に優秀な運動選手は、ほとんどみな神様に感謝すると言います。神様の人です。本当に感謝することです。もちろん、それに反対して、非難する人もいます。神様を信じるという証拠です。どれくらい感謝することでしょうか。
 
■ ダビデが何と告白したでしょうか。ゴリヤテに勝って帰ってきた時、主のしもべベツレヘム人、エッサイの息子だと挨拶をしました。皆様が成功すれば、神様に栄光を帰すようになります。皆様が成功すれば、親に栄光を帰すのです。皆様が成功すれば、皆様の故郷も名が知られます。ですから、主のしもべベツレヘム人、エッサイの息子ですと言ったのでした。見張り人の祝福を回復するように願います。どのように、私がこの途方もない困難に勝つことができるのでしょうか。見張り人になりましょう。祈りの見張り人になりましょう。すると、みな解決します。私が私の家庭をどのようにできるでしょうか。祈りの見張り人。信じることができないかもしれません。しかし、私は見たのです。私たちの母が数十年、祈るのを見ました。私は、その祈りの答えがどうなのか体験したのです。それで、アンブロスという監督は、祈りの子どもは滅びないと言ったのです。皆様が本当に福音をもって祈れば、驚くべきみわざが起きるようになるのです。それで、国々の民に旗を揚げましょう。そこにはいくつかの結論をおろさなければならないことがあります。これから気落ちしていず、信仰を回復しましょう。そして、これからは、しもべではなく、神様の子どもが行くから、考えを変えましょう。これから更新しましょう。
 
■ 私が、この前、外国に行きました。外国に行くと、本当にせつない話しをたくさん聞きます。中国に行ったところ、台湾の人々がとてもせつなくお願いをしました。これは、聞いてみれば分かるのではないでしょうか。単に話すのでは、とてもせつなくお願いしたのです。先生、礼拝を中国語で出してくださいと言いました。私達が福音を聞いてみたいと言ったのです。本当に、私達が国々のために旗を揚げるべきです。それで、ハ・スユン宣教師を連れて入っていったのです。この前、米国へ行ったところ、せつなく言われました。先生、教会の説教 1部を待っているのに、これがいつも音が途絶えると言いました。この前にきて話すのを聞いたら、先生、説教が英語で順次通訳でなく、中国語で出てくる時は、英語が聞こえず、日本語で出てくる時は、中国語の声が聞こえないように一緒に声が聞こえると した. それで頼むからメッセージを聞けるようにしてくださいと言ったのです。それで私が釜山に行ってたずねたのです。なぜそうなのかと尋ねました。何かの装置をせねばならないが、装置ができないからだと言いました。すると、せねばならないのではないのに、みんな興味がないようでした。それで秘書に調べさせて、費用がいくらかかるか把握しなさいと言いました。この前、報告書がきたのを見たら、千二百万円なければなりません。千二百万でなく、1億円がかかっても、せねばならないでしょう。年初に祈りの課題で出そうとしたら、チャン長老が、その方面の専門です。それで私が尋ねたのです。そうしたら、約四十万円あればできると言いました。その四十万円が、千二百万円するのかと言いました。私達は、更新して、専門化になければなりません。昨日ご飯を食べたのに、本当に申し訳なかったのです。外国の人を見てください。韓国語でたどたどしく、お願いをしたのでした。私たちの役員は、みな聞きました。韓国にくることができなくて、通信神学院をしているのに、ビデオテープが見えないと言いました。とにかく、ずっと話したのです。少しだけ質が良いものを使ってくださいと言ったのです。なんの話かと聞きました。この頃、ソニーのような日本の機械は、テープがすこし古いと、誤って入れたことは拒否してしまい、自動でコンピュータが受けつけないようです。そのように発展しています。むかしには、不十分ならば、画面が悪くても見ていたのに、この頃は、いっそのこと良くないものは出てきません。それで、分かったと言いました。ところが、この人がご飯も食べずに、ずっと話したのです。それが届いたのに、すこし良くないので、入れたら出てきたということです。今、あなたがたは、とても良い時間に礼拝をささげて、このように良いものがあるから知らないのですが、今、外側では死んでいるのです。国々のために旗を揚げなさい。この祝福を準備しておいて、国々のために旗を揚げましょう。共にいるとおっしゃいました。皆様、気落ちせず、見張り人の祝福を回復することを望みます。勝利することをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に心より感謝申し上げます。これから、私達が見張り人の祝福を味わうようにさせてください。なんにも 心配せずに祈る祈りの見張り人になるようにさせてください。家庭を守る、見張り人になるようにさせてください。私たち教会と社会を守る、見張り人になるようにさせてください。それで2005年に祈りの答えを受ける、絶対に気落ちしない神様の人になるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン