2005年2月20日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/神様の国と人間の体質
(ルカ13:18〜21)
■長い間、教授をしたあるおじいさんが、孫を連れて教会に来たことがありました。そうしたところ、その方が私にこういう話をしました。本当に残念だ。どうしたのと私が尋ねました。教会の教育が、とてもめちゃくちゃだ。その方は、教育学博士で、教授をした方でした。引っ越してきたのですが、自分の孫を教育させなければならないので、教会にきてみたら、とてもめちゃくちゃだったということです。聖書勉強する所に行ってみると、一部屋に数人がいて騒ぐので、よく聞こえない。どのように、その中で教育できるだろうか? その方が、とても腹が立ったのか、そのように言いました。私がその方を見て、話をしました。教会の施設がなくて、色々と足りません。教会は、また教師の中で教授のように立派な方は多くいません。しかし、教授の孫が一言だけわかれば良いのです。そのように騒々しい中から多くの立派な人物が出ました。日帝時代の時、神社参拝に命を賭けて反対した愛国者が、私たちクリスチャンの中から出てきました。知識人、王たちすべての政治家が、みな屈服したのですが、クリスチャンはしませんでした。共産主義が、キリスト教をなくそうとしたのですが、そのように不十分に習った人々に勝つことができなかったのです。先生の孫が一度だけ福音をわかれば、永遠に生かされるようになります。そして、教会史を見て下さい。この福音は、途方もない、人が想像できない力が出てくるのです。
 
■皆さんが信仰生活しながら、誤解する場合があります。聖歌隊が何で、そんなにすごいのかと思うでしょう。これがどこから始まったのでしょうか? 天から始まった賛美で、皆さんが後ほど主が再臨して来られる時、天国に行ってする賛美です。何でメシヤが馬小屋で生まれるのか? 王宮で生まれたより、はるかにより良いということが見える目がなければなりません。イエス様が王宮に生まれたならば、ごく少数だけが行けるので、誰もが行くことはできません。どうして、大工の息子として育つようにされたのでしょうか? 王の息子として育つようになったとすれば、メシヤになれません。私たちは、何かを逆に見るために、そのように思うのです。今日、イエス様がこのようにおっしゃられました。神様の国が何か分かるのか? からし種のようなものです。皆さん、からし種を見たことがあるでしょうか? この頃は時々、見ることができます。ある人が、イスラエルの聖地に行ってきて、私に贈り物をくれました。本の中に入れるしおりを一つくれたのですが、私はしおりだと思ったところ、その中にからし種が入っていたのです。それが、からし種でした。どれくらい小さいのか、点をつけたようでした。とても小さいから、良く見なさいと、点がある部分を丸く表示してありました。これが育ちながら、後ほどは大きい木となるのです。それが神様の国です。イエス様がおっしゃられました。また、神様の国が何だと思うのでしょうか? 小麦粉があるのですが、その中に入れたパン種と同じです。
 
■皆さんがパン屋でおいしいパンを食べるでしょう。そこにパン種が入らなければ、食べることができません。固くなるためです。そこに、パン種が入っているので軟らかいのです。しかし、そこにパン種が入っていることがまったく分かりません。パン種が入れば、小麦粉の中にあっという間に広がります。私はそれを見ました。幼い時に、時々、うちの母が私を呼んでお手伝いをさせました。大きいうつわを一つ持って店に行って、ドブロクを半分くらい買って来るようにと言うのです。なぜ買って来なさいと言うのか、私には分かります。それで、買ってくると、大きいうつわに小麦粉を練ってこねた物が作ってあります。私がお手伝いに行ってきて、ドブロクを渡すと、そこにドブロクを注ぐのです。そして、しばらく振ります。それで、小麦粉がふくらんで、うつわにあふれそうになります。それをきれいなふきんで覆って、釜の中に入れて蒸すのです。それで、それがパンになるのでした。そして、母が切って、私たちが食べるようにしてくれました。それが、どれくらいふわふわとおいしいかしれません。なぜそうなるのでしょうか? その中にパン種が入ったためです。それをそのまま蒸せば固いパンになります。それではまずいのですが、パン種が入るから、とても味が良くなるのです。しかし、不思議にもドブロク半升を入れただけで、すぐふくらんでいきます。神様の国がこれと同じです。イエス様がなさった説明です。
 
■6.25(朝鮮戦争)が起きて、とても難しい時期に暮らしていました。そこに、私たちの村では火事が起こったのです。それで、私たちは難しいところで生きたので、耐えることができなくて、信仰がなかった父は亡くなったのです。その時、幸いにオーストラリアから私たちの韓国を助けに宣教師が来たのでした。皆さん、一般信者宣教師の派遣がどれくらい重要なのか、その宣教師がオーストラリアから韓国にきたのでした。この方が、宣教戦略として、佐川洞(チュァチョンドン)に一神基督病院をたてました。その時は、一神産婦人科と言いました。女の人が、お産で苦しむから手助けする病院でした。この方が、山にかわいそうな人々が住んでいるからということで、入口に小さい教会をたてたのです。それが一神教会です。今でもあります。私が、その教会の出身です。そこで、私たちの家族は福音を受けました。
 
■しかし、このパン種がどれくらい広がったのでしょうか? 私がオーストラリアに福音を伝えに行きました。私が初めてオーストラリアに福音を伝えに行って、オーストラリアの首相に会いました。その方が、私にこういう話をしたのです。麻薬する子どもたちが多いから、麻薬に関する教育が必要で、教会でしなければならないと言いました。それで、私がそれしにきたと言ったのです。たくさんのことを考えました。オーストラリアの宣教師が、私たちの村にきて福音を伝えたのですが、私はオーストラリアに向かって福音を伝えに行ったのです。小さいからし種が木になったのです。それで終わるのでしょうか? 全世界でレムナントが起きています。
それで終わるのでしょうか? これが私たちの子孫には、より大きいみわざが起きるでしょう。パン種が広まるように広まるのです。皆さんが、この言葉がわかるでしょうか? 皆さんの信仰がいくら小さいからし種のようでも、それが真の信仰ならば大きい木となるのです。誰が認めない信仰であっても、皆さんが持った信仰が、小さい信仰であっても、それがパン種のように広がって入るのです。
 
■小さくて難しい家庭に、母一人で子ども九人を大きくしたのです。とても貧しかったのです。それで、その子どもたちは、お母さん手を握って、いつもすることがありました。私たちはいくら難しくても良いから、お母さんと一緒に暮らします。その時、お母さんが言ったことです。あなたたちが一つだけ良くするならば良い。あなたたちが、本当に神様を信じて、本当に誠実に勉強したら、私はそれで満足します。そこで、九番目の息子ムーディーという人物が出てくるようになったのです。習ったことはあまりなかったのですが、そのムーディーの中に福音が入ったのです。このムーディーが成長して、米国を動かすことは誰も思うことができなかったでしょう。このムーディーが成長して、ヨーロッパに影響を与えるとは、誰も思うことができなかったでしょう。これが福音です。皆さん、福音の力を簡単に判断したり、私たちの現実だけで見たりしてはいけません。何の使い道もないやくざに、ある長老が福音を伝えました。長老として福音を伝えたのではなく、その町で一番かわいそうな青年に福音を伝えたのでした。その長老の話に感動を受けた青年が福音を受けました。その人が変化したのです。その人が変化して、神学校に行きました。神学校で勉強した後、牧師になりました。その人が1900年代大韓民国を揺るがしたリバイバル伝道師キム・イクドゥ牧師です。これが福音です。我が国が知らずに石にもお辞儀して、木にもお辞儀をする民族でした。どれくらい無知だったのか、何にでもお辞儀をして、どこでもお辞儀をする民族でした。
 
■その時、韓国にトーマスという宣教師が来たのでした。その時の指導者は大院君でした。この無知な朝鮮の人が、その人をつかまえて殺しました。なぜ来たのかということです。どこからきたのか? 英国からきた。英国からなぜ来たのか? 福音を伝えにきた。福音とは何か? 私たちがイエスを信じて、神様の子どもになるのだ。
そして、死刑宣告を受けたのです。その時の死刑は、ならず者が出てきて、刃物を振り回して首をはねるのでした。そのようにして死にました。トーマス宣教師が死ぬ前にした話があります。小さい聖書一冊を渡したのです。それも新約、旧約があるのでもなくて、新約聖書だけある聖書でした。そして、これを必ずちょっと読んでみなさいと言って死んだのでした。しかし、誰が一番最初に福音を受けたのでしょうか? この宣教師の首をはねた、ならず者が福音を一番最初に受けたのでした。皆さん、この聖書の影響をどれくらい受けているでしょうか? 今、私たちの韓国が、米国の次に宣教師を最も多く派遣する国家に変わりました。この福音の力というのは、ものすごいのです。レムナント1人を通して世界が変わったり、小さい女性1人が変わって地域を生かしたりもする、それが福音です。
 
■それなら、私たちが今日、どのようにこの祝福をさらに具体的に味わうことができるのでしょうか? 福音がこういうものならば、私たちはどのように、この福音の祝福を味わうことができるのでしょうか? いくつかの隠された奥義があります。最初です。福音を持った人は、神様の国を持ったのです。今日、ここで神様の国という言葉を語られました。神様の国という事は、普通のことではありません。皆さんが救われる瞬間に、Iコリント4:4-5にある暗闇の国が崩れるのです。それで、皆さんも知らず、他の人も知らず、そのように働きが起きるのです。皆さんが神様の子どもになる瞬間に、使徒16章にある世の中の支配者、サタンの勢力が崩れるのです。そうなのです。皆さんがこれを分かれば、どれくらい感謝なことか分かりません。そのような程度ではないのです。
 
■この世に生きる間に、神様の国の祝福を味わうのです。私たちは、この地に住んでいたり、あるいは米国にも住んでいるのですが、私たちの国籍は、神様の国にあるのです。その説明をイエス様が40日間されたのです。皆さんが少しだけ味わいさえすれば、神様の国のインマヌエルの祝福7つだけ味わいさえすれば、みわざが必ず起きるのです。それが神様の国です。皆さんがあまりにも祈らないで、24時間心配だけするから、そうであって、少しだけ祈れば働きが起きます。そうでなければ祈るのに、祈りより心配がさらに多いからそうであって、少しだけ祈れば働きが起きるのです。本当に信じれば、神様の働きは起きるのです。本当に信じれば、聖霊が働かれるのです。本当に信じれば、天の軍隊が動員されるのです。本当に信じれば、サタンは縛られるのです。本当に信じれば、暗闇は逃げるのです。これが神様の国です。聖書に説明がとても多いのですが、私たちが必ず分からなければならないことが、それです。
 
■以前に、グアムという地域で飛行機事故がおきました。その時、米国はそこに特別本部を作りました。理由があるのです。なぜでしょうか? 私たちの韓国の事故なのに、米国でなぜ本部を設置するのでしょうか? 我が国よりもっと水準が低いグアムで問題が起きたのに、そこに米国は本部を設置したのです。理由が一つあります。グアムは、米国の領土です。また、死んだ人の中に米国人がいたのです。グアムで事故がおきたのですが、その人の所属は米国になっていたのです。韓国のゴルフ選手の中でパク・セリ選手がいます。初めて優勝した時、対戦した相手が米国の人でした。私たちは夜に寝ないで決勝戦を見ました。詳しく見たのです。私たちが撮影したのではなく、米国で撮影をして全世界に送ったのでした。ひどいと思うほど、相手方の選手は休息している姿まで見せました。パク・セリは、ただ打つ姿だけ見せるのでした。相手方の選手は、家族が来たのまで、みな撮してくれました。それでも、パク・セリが勝ちました。だから、しかたなく最後にパク・セリとお父さんが抱き合う姿を見せたのです。それは、放送会社の思うとおりにしているのです。私たちは不平を言う理由がありません。理由があります。それを撮して送るのは、米国でした。自分たちはおもに誰を応援するのでしょうか? 米国人を応援するのです。皆さんが、この世に生きているように見えるのですが、所属は神様の国です。
 
■ヨハネ福音14章に、あなたたちは、心を騒がせてはなりませんと言われました。神様の国が準備されているので心配しないで。黙示20:21-22には、ものすごい天国が準備されているので、心配しないようにと言われました。これが、私たちが受けた祝福です。それで、時代時代ごとに、聖徒は迫害や死を恐れませんでした。未信者が恐れなかったのです。ですから、神様の国です。
 
■私が話をこのようにしていますが、死が来るのは恐ろしかったのです。この間、私がからだがちょっとしんどかったのですが、死ぬ時になったようだという気がしたのです。呼ばれるなら、ハレルヤという気がしなければならないのに、変に憂鬱で重苦しかったのです。天国に行けばどれくらい良いでしょうか。ここは、それほど良くない所かと思っているのに、気持ちは重かったのです。私が病気で死ぬのかという気がしました。ですから、私の周囲にいた人々も心配になり始めたのです。世界福音化もまだ残っているのに、こういう考えになりました。人がとても弱くなったのでした。天国が良いと言いながらも、行ってみなかったためか、特別良いかわかりませんでした。私たちの目標は天国だという話をしてきたのですが、ここがはるかに良いように思えたのです。だから、心配するようになりました。私も精神が過敏なので、私が心配をなくそうと研究したのです。どのようにすれば、この心配をなくせるでしょうか? もし癌になったら、どうするのか? そのように考えました。それで、2つの計画をたてたのです。私は癌になったとしても、治療を受けない。治療を受ければ、結局は時間をみな奪われてしまうからです。坑癌治療のようなものが、人を半分殺すのです。それも、時間がある人がすることであって私はできない。私は直ちに集会を行かなければならないので、その場合には、いっそ死ぬのがより良い。人は不安になると、考えがそこまで行くのです。
 
■そして、希望を作り出します。それでも、約6ケ月は生きるだろう。それなら、6ケ月の間は何をするのか? 6ケ月の間に、偉大な作品を作らなければならない。私の息子に送る文章、私の娘に送る文章、メンバーに送る文章、訓練はこのようにしろと出して、準備をしなければならない。そのように考えたのに、うれしくなかったのです。人というのは、弱い存在です。それで、病院で身体検査をしたら、何の異常もないという話を聞いたら、聖書のみことばを読むより、さらに力が出るようでした。これが率直な私です。私たち人間は、このように弱いのです。聖書には、いつも心配しないでと言われるのですが、心配することがあるので、どのようにしたら良いのでしょうか? 医師が見て、健康はみな大丈夫で、油分の多いのと、塩辛い食べ物は召し上がらないようにと言われたのですが、その話を聞いたら力が出ました。私たち人間の体質というのは仕方ありません。
 
■私たちが、人生全体をおいてみる時や歴史を見る時、本当に私たちが神様の前に立つ時は違うでしょう。神様の国です。この世に生きる間に、神様の国が成されるのです。天国に行ける完全な国を準備されました。私たちが、この世に生きる間に、すべての暗闇の勢力に勝つ神様の国です。これを説明されたのでした。それなら、私たちがこの祝福を受けなければならないのではないでしょうか。この祝福を受けたとすれば、味わわなければならないのではないでしょうか。今日、皆さんに本当に重要な祝福の時間になるように願います。
 
■ところで、静かに考えてみると、神様のみことばは完全なみことばなのに、私たちが足りなくて、悟れない時が多いのです。今日の二番目に思うべきことは何でしょうか? からし種の話をされました。からし種は小さいけれど、木になったということは何でしょうか? これがまた重要な言葉です。福音を持った人は、いのちを持っているのです。からし種がいくら小さくても、いのちがあるから木になったのです。福音を持った人は、種を持っているということです。福音を持った人は、永遠ないのちを持っています。それで、パウロがこういう告白をしました。私たちが、四方八方から苦しめられても窮することはない。倒されてもほろびない。理由が何でしょうか? たとえ弱い素焼きの土器であっても、このうつわの中にいのち、宝を持っているから。そうです。心配と思い煩いは、私たちの考えであって、神様がご覧になる時は、皆さんがとても大切なのです。宝を持っているのです。
 
■私たちが、家が火事になったとすれば、どのようにするでしょうか? なったらいけないのですが、なったとすれば、どのようにしなければならないのでしょうか? 味噌の瓶を持ち出すでしょうか? 家が火事になった。洪水になった。このような時、机を持ち出すでしょうか? 何を持ち出すでしょうか? 皆さんが最も大切なものを持ち出すでしょう。皆さんの子どもを連れて出たり、宝石を持って出てくるでしょう。私が思う時、最も重要なものを持って出てくるでしょう。そんなことをおいて、タンスを持ち出すでしょうか? そうではありません。神様がご覧になる時、皆さんは宝物のような神様の子どもです。いくら困難にあっているように見えても、この割れる素焼きの土器の中に宝物を持っているのです。弟子が知らずにいるから、イエス様が知らされたのです。とても重要な言葉です。
 
■そして、三番目に見るべき事は、なぜパン種を話されたのでしょうか? 福音を持った人は、すべての人を生かす影響力を持っています。皆さん1人が福音を悟ったら、家族も生かされ、家系も生かされ、みな広がって入るのです。皆さんが持った福音は、人を生かす御霊だから、パン種が広まるようにずっと広がります。それで、家族の救いに対して、あまり心配する必要はありません。伝道を知らない人が、こういう話をするのです。伝道を知らない人が、伝道講義に出てきて、家族も救い出すことができない人が何の伝道かと話します。真に知らないのです。家族の救いには、時刻表があります。私の思いのままに引いて来るのではありません。皆さん、思いのままに夫を引いてきて、イエスを信じるようにさせるのでしょうか? 時刻表があるのです。パン種が広がるように。私は、伝道の専門担当者です。私の妻の実家に行っても伝道しませんでした。なぜでしょうか? パン種が広まるように広がるからです。私が真の福音を持ったとすれば、私の義父、義母が分かるようになるからです。いつも機会がない人には話すのであって、機会がいつでも多くあるからです。私は一度も話をしませんでした。なぜか、この福音はパン種が広まるように入るからです。
 
■私は外では熱心に伝道したのですが、親戚にはしません。なぜでしょうか? パン種のように入るようになっているからです。福音を見れば、分かるようになっています。ある日、見たら、私の義父、義母の中に福音が入っていました。私は、初めに私のためにきてくれているのだと思っていました。初めには、娘のためにきてくれているのだと思っていたのですが、そうではなかったのです。一度、何か話をしていたら、私の義父がこういう話をしました。親戚の話をして、その人もイエスを受け入れれば良いのに、というように言ったのです。福音が入ったということです。永遠にほろびません。一度は、私が私の妻の実家に行ったのですが、義母の部屋を見ました。そこに、使徒信条が貼ってありました。それを見て覚えるのです。初めて信じるから、覚えなければならないでしょう。それを見て、私がどれくらい笑ったでしょう。'全能なる'の綴りがおかしくなって(韓国語の綴り'ニウン'が一つ抜けて)いました。そうすれば、通常の問題ではありません。'全能なる'に'ニウン'を抜いてしまったら、'低能なる'となります。それでは、神様が低能なのでしょうか。そのような意味で書いたのではないでしょう。知らずに書いたのでした。それも、神様はご存知です。全能な神様もご存知です。ところで、わざわざ'ニウン'を抜いたとすれば、それは本当に異端です。私がそれを見ながら、本当に福音が入ったんだなあと思いました。
 
■この福音はますます広がって、パン種が広がるように入るのです。私たちのキリスト教会は出しゃばりません。影響力を与えるのです。私たちのキリスト教会は、戦って勝とうとしません。必要な人になるのです。この福音は、ひとりが受けても、その影響力は、子孫代々に及ぶのです。皆さんが、この福音を本当に少し捕まえても、子孫代々に祝福が及ぶことを、誰が防げるでしょうか? 皆さんが教会の働きをしながら、葛藤する必要がありません。私たちは、パン種のように仕事をするのです。ある人はパン種のようにしなさいと言ったら、一人で隠れてするのですが、その話ではありません。私が行って仕事をすれば、長老も力を得て、私は表に出ず、私が行って仕事をすれば、聖歌隊も力を得て、それと共に私は表に出ず、私が行ってメッセージを伝えれば、私たちの勧士も力を得て、それと共に神様だけ現れて、私は消えて、それがパン種です。パン種は見えません。消えてないのです。しかし、本当にないのでしょうか? みな入り込んでいるのです。私が行ってみことばを伝えたところ、皆さんは祝福を受けて、私は消えて、これが福音です。福音の祝福が、どれくらい大きいのでしょうか? 皆さん1人が福音を正しく受ければ、皆さんの家系が結局は、みな生かされるようになるのです。
 
■今、私が祈っています。ただ一つが残っています。私の本家が、まだ福音を受けていません。みな悟ったのに、そこだけが残っています。その方たちは、うちの母を、イエス信じると、とても迫害したのです。一度は、家の中の集いで、母に向かって攻撃しました。母を完全に悪い人にしたのです。先祖も、家も、おとなも知らないのに、何のイエスを信じるのかと言いながら攻撃したのです。このような形で攻撃しました。大人たちなので、話はできなくて、あきれたのです。その時、うちの母が、このように言いました。とても、謙虚でかつ強く"ここには、柳氏が多いですね。夫が死んで、子どもを育てる時は、私の回りには柳氏が1人もいませんでした。私は、神様を信じて、この子ども達を大きくして、難しい時は神様に祈って、答えを受けながら生きてきました。私が難しい時には、誰も私を助てくれる人はいませんでした。私は、神様を信じる、その信仰で今まで生きてきたのです。なぜ私に干渉するのですか? 私が倫理的に誤っているのでもなく、神様を信じるのに、なぜ干渉するのですか? "そのように言った後、そのうちで階級が高い人であったのか、より一層、母を攻撃しました。他の親戚の中の1人が"私たちがこのようにしてはいけない。信仰も自由なのに、あのように信仰生活しながら、良く暮らしている人にこのようにしても良いだろうか?"と話しました。幼い時の記憶です。
 
■しかし、この福音は、静かに我が家に入ってきたのです。この人たちは、格別でしょうか。生きていくうちに、みなほろびるから、福音を皆、聞くようになったのです。うちの母側、母方のおじが信じ始めたのですが、我が家全体が福音を受けたのです。どれくらい驚くことなのでしょうか。今日のタイトルに、なぜ人間の体質と言ったのでしょうか。私たち人間は、成功をしようと多くの努力をするのですが、福音をのがすと、このような愚かなことが起きるのです。反対に、人間は、とても外形的なものだけがんばるのです。それで、パン種のように広がる福音と、からし種のようないのちが分からないのです。また、反対に、福音持った人々でも信仰がない人々は、とても基本がだめで、生活にならない人もいます。これが私たちの人間の体質です。今日、皆さん本当に福音を悟る祝福があるように願います。この福音は、誰も防ぐ者がいません。福音を持った人は、死ぬ日まで勝利して、死んでも素晴らしく死ぬのです。この福音は、死んだ後に、より大きいみわざが起きるのです。私は、この福音の力がどれくらい大きいのか、歴史を見ながら'そうだ'ということを、もう一度感じるようになりました。我が国が不幸にも、日本に植民地になりました。日本の人々が、私たちの国の人々の名前を使えなくして、言葉まで日本語を使うようにさせたのです。韓国をなくすということです。そうしながら、最後に要求したことがあります。韓国のすべての人が、日本神社にお辞儀をしろということでした。これが、国民の精神を奪っていく方法です。皆がしました。問題は教会でした。大韓キリスト教長老会総会で可決したのです。日本神社にお辞儀をすることに可決しました。総会が可決したのを、みな同じようにすることは、カトリック思想です。今、全世界で牧師たちが何と話すのでしょうか。タラッパンが、なぜ問題があるのか。それほど問題はない。それでは、なぜ問題と言うのか。総会が可決したから。と話します。無条件に可決だけすれば、そうだということです。これが福音思想ではなく、カトリック思想です。この単語がCatholicism churchというものです。教会が話合いをしてしまえば、みなそうだというものです。それで、本人は、何の問題がないと言いながら、教会が決めたからと話すのです。総会が神社参拝することに可決したのです。その時に、何人かは、そうではないと話したのです。そのように言えば死ぬのです。その時に、手をあげた人がチュ・キチョル牧師です。'どのように教会が神社の前にお辞儀をできるか。私はこの可決に従えない'それで、すぐに拘束されました。さらに笑わせるのは、教団の総会でチュ・キチョル牧師を除名したのです。牧師は監獄に行きました。そちらでひどい体罰を受けました。どれほどひどい拷問を受けたのか、監獄で死んだのでした。その死体を持ってきた長老の証言を聞いてみれば、からだに無事なところが一ケ所もなかったということでした。さらにすごいのは、チュ・キチョル牧師のお母さんです。捕まって行く時にも'恐れるな'と言いました。その監獄に入った後に慰めに行った奥様です。'あなたと私は永遠に会わないでも大丈夫だから、降参してはなりません。私たちは天国で会えば良いのです。'これくらい強かったのです。これが福音なしで可能な話なのでしょうか。
 
■また、全羅道(チョルラド)にいたソン・ヤンウォン牧師が、日本神社にお辞儀をするのは偶像崇拝だと言いました。それで、捕まえられて行ったのです。そのような人は、捕まえて殺すのです。そうしたら、政治をする牧師が日本から金を受け取って、ソン牧師を難しくさせるのでした。それまで親しく過ごした牧師が、ソン・ヤンウォン牧師を告発して捕まえて入れたのでした。ソン・ヤンウォン牧師の奥様と息子は、食べ物がなくて、乞食に変装をしてもの乞いをしたということです。この教会も、腐った教会で、奥様と子どもたちを追い出したのでした。良心に引っかかったのか、友人の牧師が訪ねてきたということです。おもしろい話をして、"奥様、とてもそのようによく信じるふりをしてはいけない。私たちが日本の神社にお辞儀をするのは、偶像崇拝ではなくて、祈っているので神様が喜ばれるのですよ。"それと共に"お腹が空くでしょうから、ご飯でも買って食べて、子ども達にも食べさせてやりなさい"と言いながら、封筒を一つ差し出したのです。この方がどれほど大胆だったかというと、その封筒を渡したその直後に、その牧師のほおを殴りながら、あなた方だけでもよく食べて寝て、生きたら良いと話したそうです。それから、時間が流れて、ソン・ヤンウォン牧師が監獄から解放されるようになりました。出てくるのに日本の巡査が話して"あなたが出て行くときに、最後にお辞儀をしろ。"すると牧師は"私は永遠に監獄にいてもお辞儀をしない。"法的に出してくれるようになったので、どうしようもなかったということです。
 
■私たちの韓国が、それ以後に受けた祝福が、どれくらい大きかったでしょうか。およそ二人の福音を持った人と福音のためにどれくらい、大きい祝福と恵みを受けたでしょうか。釜山(プサン)に住んでいた、チェ・ドクチという女性もいます。その人は一段階さらに優れていました。日本の神社にお辞儀をするのが偶像崇拝か?
偶像を作ったこと自体が偶像崇拝だ。それのために日本は滅びるだろう。さらに強く話したのです。理由があったのです。教会堂の中に作っておいて、礼拝が終わった後にお辞儀をさせていたのです。お辞儀をするのが問題でなく、礼拝堂の中にそれを作ったこと自体が罪だと言ったのです。このチェ女史を静かに置いておくでしょうか。この女性をつかまえて、監獄に閉じこめて、色々な拷問をみなしたのでした。記録によれば、その人々がより一層驚いたということです。足指の爪をみなはいだのに、痛いという言葉一言しないのです。祈ったのです。皆さん、爪をはげば、どうでしょうか。ひどすぎるようにせずに、お昼の時、爪楊枝で一度刺してみてください。拷問した人が驚いて、いったいこの女は、どんな女なのかと思って、日本の人々が尋ねたということです。"あなた血は何型ですか? "その時 "私の血はイエス型です。"と答えたということです。それで、どれくらい困らせるのか、朝昼夕夜と祈りをささげたのです。それも賛美を歌いながら、定刻の礼拝をささげたのでした。静かに置いておくでしょうか。それすると、ずっと拷問したのです。後ほどには、それをしないように縛っておいて、口にぞうきんをねじって入れて、防いだということです。ところが、不思議なことがありました。監獄の中に、精神が少し狂った女が入ってきたのでした。狂った女も用いられるので、礼拝の時間になれば、防いでおいたぞうきんだけを抜いてくれて行ったのでした。一日に四回ずつ、一度も欠かさずに。3日後に、死刑にされるのに、3日前に解放されました。出てきて書いた文章を読んでみました。こんなにも信仰を守ったんだなあと思いました。
 
■私たちの韓国を見ましょう。この世界福音化に、すばらしい役割をしています。その中で私たちのタラッパンにレムナントが、福音で準備されて起きています。皆さん持った福音が、何でもないように見えるのですが、神様の国です。何でもないように見えるのですが、パン種が広がるように広がって入るのです。皆さんの信仰が小さいからし種のような信仰ですが、後ほどには大きい木になる信仰です。いくら小さい信仰でも大丈夫です。いくら力がなくても大丈夫です。今日、皆さんが、真の信仰を所有したら、まちがいなく実を結びます。この小さい種が、大きい木になるように、パン種が広がるように、全地域に、世界へ広まるでしょう。今日、この祝福が皆さんのものになることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様、この福音が私たちのものになったことをありがとうございます。今日から、この契約がさらに確実になる勝利する信仰になるようにしてください。私たちの事業、家庭、私たちの現場に、神様の国が臨むようにして下さい。神様のいのちが伝えられるようにして下さい。パン種がように広がるように、祝福の福音が伝えられるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
 
 


2部/不義な子どもにも良いものをくださる神様
(詩107:1〜9)
 
■神様は未信者にも祝福しようとされます。それなら、信者である皆さんにも祝福しようとされるのです。特に、使命者に答えようとされます。多くの方たちが、どのように祈りの答えを受けるのかと尋ねます。ピリピ4:6 '何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。' 皆さんの問題と心配は、まさに答と連結するというみことばです。それと共に、とても重要な話をされました。'そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。'
 
■どのように祈れば、答えを受けるのでしょうか? 皆さんの胸の中に、考えの中に何が入れられるのかが重要です。それは必ず答えと連結します。皆さんの心と思いの中に神様のみことばが臨めば、まちがいなく働きが起きます。家族の話であるから誤解がないようにしてください。私が一度は、私の弟を半分殺すほど殴ったことがあります。家族の話であるからするのです。うちの弟が、それのためにまだ誤解しています。本当に悪くて、不道徳だと思っています。殴ったのには、理由があるのです。ある人が私の家を訪ねて来ました。来た内容が何かというと、お金をくれと言うのです。何のお金なのかと尋ねました。弟のお金をくれと言うのです。何のお金なのかと尋ねました。店で売り物をとてもたくさん買って食べたのです。お金もかなりの額でした。私の弟が、このように買って食べたのかと尋ねました。お金を払わなかったのかと尋ねました。払わなかったので、もらいにきたということです。本当に憤ったのです。それで、弟が来たので、半殺しにしました。何のために、そんなものを買って食べるのかと言いました。買って食べたら、なぜ返さなかったのかと尋ねました。何のためにそのようにしたのかと尋ねたのです。とうてい、私の頭では理解できないのです。それで、本当に半殺しにするほど殴ったのです。さらに殴れば死にそうでした。それで止めました。考えと心の差です。私の弟が理解できないのです。そのようなこともあるだろうと考えるのです。私はなぜそうだったのかと尋ねました。これが弟が理解できないのです。それで見ると、そのような種類の人々がいるのです。そのような人は、ずっと経済に苦しめられます。だから、答えではないのでしょうか? 聖書に心と考えを守ると言われました。私は、これ以上の答はないと思います。皆さんの胸の中に神様のみことばが本当に入って、思うなら、それが皆さんも知らない間に答えで来ているのです。
 
■そして、副教役者に誤解される言葉なのですが、誤解せずに聞いてくださるように願います。私が神学校に通う時、一度も旅行に行ったことがありません。お金がなくて行かなかったのです。教会に話せば、被害になるのです。私のために、党会員が集まって、伝道師が旅行に行くので、お金をあげようか、やめようかと言い出すのでした。私は、私を置いて、そのような話をするということが、とても自尊心が傷つけられたのです。それで、私はそのようになることを予め防いだのです。学校から通知文を送ってくるでしょう? 伝道師が旅行に行くので、いくらを出してくださいという内容です。私がそれを受けて、捨ててしまったのです。行かなければ良いのです。その時間に、伝道と祈れば良いことであって、お金がないのになぜ行くのでしょうか? その金について、堂会で論議が出てはいけないのです。それが私の心です。ところで、普通の人はそうではありません。なぜ手助けしないのか、そのような形です。それで、私は理解できないのです。どのようにすれば、教会への被害を小さく押さえられるかと考えるべきなのに、なぜ私を支援しないかという式です。さびしいという式です。人の心がこのように違うと考えました。そのまま答えを受けないでしょうか? だから、あなたの心と思いを守られると言われたのです。同じ状況なのにそうなのです。
 
■私たちには、レムナントがいます。親が間違ったとします。ひょっとして大人たちが間違うことがあります。それで、皆さんが傷を受けることがあるのです。傷を受ければ、それが心に傷として残るのです。それでは、まちがいなく問題として答がきます。ヨセフをはじめとして、福音を持った人々は傷を受けませんでした。親と兄と環境が理解できたのです。それを祈りの課題としたのです。胸の中に傷で入ったのではなく、みことばが入ったのです。それで終わったのです。答えがくるほかはないのです。私はピリピ4:7のみことばがとても正しいという気がしました。
 
■ある人は、牧師と重職者と葛藤して、けんかをしたりするのです。私はそれが理解できないのです。私は目をとじて浮かび上がるのが、私たちの信徒、役員などで、祈りが出てくるのに、どのように葛藤できるのでしょうか? そして、率直な話で、重職者などと長老が祝福を受けてこそ、教会が生かされるのです。それで、祈りは自然に出てくるのです。私は戦うのを見ると、とうてい理解できないのです。だから、そのような答えを受けるしかないのです。私がなぜこのように話すのでしょうか? 詩107篇から詩150篇までは、結論です。どんな結論が出たのでしょうか? 心配しないということです。大胆にということです。信仰には、堂々とした祝福を味わわなければならないのです。詩1篇から106篇まで、証拠を言ったのです。だから、結論が出てきたということです。それで、詩107篇から150篇までは、結論です。それで、一番たくさん出た話が感謝と賛美です。
 
■それと共に、詩150篇の最後の節には、すごい話と結論を下しました。賛美しろ、その程度ではありません。'息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ'このように出てきました。結論の中の結論です。皆さんの胸の中に、神様のみことばが入ることを希望します。特に、私たちのレムナントが、歩いていくところは、より一層そうです。皆さんが一本気に行くようになってはいけません。他の人を理解もできず、対話もしなかったりする、そのような人になってはいけません。しかし、利益、損する状況で、真理と非真理を選択する時には、損害をこうむっても真理を選択しなければなりません。皆さんが、どこに行っても、対話できない人、性格も気難しい人になってはいけないのです。しかし、真理を置いて狭い道なのか、広い道なのか選択をする時には、真理である狭い道に行かなければなりません。英語で話せばマジョリティ(majority)、マイノリティ(minority)があるのですが、損害、利益を問い詰めずに、正しい道に行かなければなりません。次の聖日は、1部礼拝が、狭い道に行こうです。狭い門に入って行こうです。この言葉は、一途に行けという言葉ではありません。とても大変な宗教の門に入れという言葉でもありません。何の話なのか分かるでしょうか? こういう重要なことが、私たちの前に置かれます。
 
■パク・ジュヨン選手が、たくさん困難にあっているようです。今日、釜山(プサン)にきて、一緒に礼拝をすることにしたのですが、来ることができず、ソウル・インマヌエル教会で礼拝をささげているということです。世界的な選手になったので、パク・ジュヨンにクリスチャンが攻撃をするのです。簡単に話せば、タラッパン教会に通うと、このような形で異端だと批判するのです。それで、パク・ジュヨンのお母さんに尋ねてみたところ、ジュヨンが笑ったということです。神様が、皆知っておられると話したそうです。私たちは、狭い道を行かなければならない時があります。しかし、それは一途に進んで、対話ができない側へ行けという言葉ではありません。私たちが信仰生活をする中で、心配なことが起こったりもします。堂々としなければならないのです。私たちが、信仰生活をしてみるならば、経済が難しくなったり、破産したりもします。堂々とした信仰人にならなければなりません。私たちが信仰生活をしていれば、病気になったりもします。堂々とした信仰人にならなければなりません。結局は、必ず一回は死が訪ねてきたりもします。神様に感謝して、賛美をささげなければなりません。詩篇の残った部分が、全部、そのような部分です。
 
■孟子という人が、こういう話をしました。孟子が偉丈夫論を主張したのです。偉丈夫な男はこのようにしなければならないと言いました。偉丈夫な男は3つのことができなければならないと言ったのです。世界レムナントは、国語の勉強をしなければなりません。英語をデボラやエステルのように上手にできる人は、たくさんいます。しかし、デボラのように、韓国語が上手にできる人はあまりいません。それで、皆さんが用いられないのです。留学に行く人々が、早く行くことだけが良いのではありません。皆さんの子どもの中で、勉強がよくできる子どもたちは、留学させなくなることを望みます。また、科目にしたがって違うようにしなければなりません。何も知らずに、留学にたくさん行くので、下手すると大変なことになります。少なくとも、中学校を出て、国語と文字をほとんど知ってから行って、英語を学ばなければならないのです。これから、そのような時代がきます。ハーバード出身の韓国学生を私たちの韓国会社で採用をしたのですが、韓国語ができないのです。それで、説教を通してみことばを聞く私たちのレムナントは、記憶しなければなりません。漢字4個からできる四字熟語があります。それは、そんなにありません。500ケ程だけ勉強すれば、韓国語を確かに分かるようになります。笑わずに、勉強するように願います。それほど重要です。レムナントの時に準備することを少しずつしなければならないのです。私たちには、そのような困難が迫ってきたりもするのです。それで、孟子が何と話したのでしょうか? 男は貧しくても動かない。それで貧窮不動と言いました。そして、二番目にこういう話をしました。偉丈夫な男は、多くのことを持っていても、堕落しないと言いました。そして、三番目にこういう話をしたのです。本当の男は、権力や怖いこと、こういうもの前で屈しないと言いました。こうした話を孟子がしたのです。孟子は未信者です。それでも、偉丈夫の話をしたのです。
 
■私たちは神様の子どもです。皆さんは、この契約を捕まえて、大胆に、謙虚に、生きていかなければなりません。その理由は何でしょうか? 詩107篇には、三つの大きい主題があります。今日1節〜9節まで見れば、購われた者と言われました。簡単に話せば、神様の子どもにあたえたメッセージです。1節に、主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでと言われました。揺れる必要がありません。2節に何と言ったでしょうか? 主に贖われた者はこのように言え。主は彼らを敵の手から贖い、ですから、私たちは揺れる必要がないのです。5節〜7節には、こういうみことばが出てきました。主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出された。荒野と砂漠のさまよいから救い出すと言われたのです。住むべき町に導かれると言われています。神様はこういう神様です。だから揺れる必要がありません。詩篇を読みながら、揺れる必要がないという結論を出しています。堂々とした信仰人になることを希望します。特に、レムナントが、そのような信仰人になるように願います。
 
■ 10節〜21節までは、また別の話です。みことばを断った悪人も、神様に戻って祈れば、神様は答えられると言われました。いくら不道徳な者でも、神様に戻って祈れば答えると言われたのです。13節、この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。20節に滅びの穴から救い出すと言われました。未信者でも、神様に戻って祈ればそうなるのです。21節に、奇しいわざを行うと言われました。このように良い神様です。23節〜40節は読まなかったのですが、また重要な話をされました。悪い世の中で生きていく人々、悪人の中に、主の働きをする人に、どのようにされるのか約束されたのです。24節に見ると、海に奇しいわざを行われると言われました。皆さんは神様の子どもです。自分が使命者として生きるならば、海に奇しいわざが行われると言われたのです。このような時、海の奇しいわざが行われました。
 
■詩篇107篇は、3つの大きい課題からなっています。購われた者、救われた者は、揺れる必要がありません。二番目が、悪い者も神様に戻って祈れば、神様が彼を救い出されます。今日、三番目が重要です。悪い世の中で主の事を行おうとする使命者に、神様がわざを行われるのです。海の中で奇しいわざを行うと言われました。イスラエル民族が出てくる時、神様が紅海を分けられました。イスラエル民族が出てくる時、ヨルダンを分けられたのです。この契約をつかむように願います。皆さんの中で、危機に会っている人はいますか。ひょっとして、皆さんが生きていて危機がきたら、この契約を捕まえましょう。病気のために悩む者はいますか。ひょっとして、皆さんが病気になったり、困難にあっているとすれば、この契約をつかむように願います。悪い人の世の中で主の事を行う者に、神様は奇しいわざを行われます。25節,31節にはこういう話をされました。あなたを波の中からその望む港に導かれます。32節には、民の集会と長老の座であなたが賛美するようにされるのです。そうです。今日、皆さんが使命を回復する場に入るようになることを希望します。35節には、さらに重要な話をされました。荒野が水のある沢になるようにする。乾いた土地にわき水が出るようにする。皆さんが行く道に、荒野の中にわき水がわき出るようにされるのです。その話です。こういう約束が、実際になされた時がありました。それで、何も心配せずに、契約を堅く捕まえましょう。今日、神様のみことばが皆さんの心と考えの中に入れば、まちがいなく働きが起きます。この契約をつかむように願います。
 
■私はある方の証しを聞きました。直接に聞いたのではなく、他の人を通して聞いたのです。この患者が、癌になりました。それで私が先週に話したでしょう。癌細胞を殺すのをずっと思いながら祈ったということです。この人に本当にみわざが起きました。もちろん、特別なことなので、証しに出てきたのですが、こういう想像も出来ないことが行われたのです。どのように医師が理解することができるでしょうか。こうしたことが行われたのです。私は理解できます。私たちのからだの中には、不思議なものすごい力が入っているのです。実際、私たちが祈れば、すばらしいみわざが起きます。ところで、世の中の人々は、ほとんどみな基準だけを話します。公害が多くて、ガスが多くて、多くの話をします。汚染されて、二酸化炭素が多くて、多くの話をするのです。私はそのように見ません。私たちのからだのなかで、それを防ぐ力はさらに強いのです。しばしば人々は、正しい言葉なのに、部分だけ話すのです。ですから、ほとんどが重要なことを知りません。私たちが、神様の力を知って、信仰を持って祈る時は、すばらしいことが行われます。そのような話を、ほとんどしないのです。皆さん、農村に住めば、空気がきれいなようでも、それだけ心理的な困難をたくさん受ければ、さらにはやく死にます。
 
■私たちの幼い時を見てください。私たちの幼い時は、冷蔵庫がありませんでした。ご飯のようなものをそのまま置いていました。ネズミが行き来していました。私たち、幼い時そのようにして暮らしていたのです。ここにいる長老たちも、そのように暮らしていたのです。横になっていれば、天井にネズミが走っていました。
そして、学校で宿題として、ネズミの尻尾を持ってくることが宿題だったのです。休み間の宿題が、ネズミ尻尾何本か持ってくること。その話は、ネズミをつかまなければならないということです。そのような時代があったのです。それでも、私たちはこのように健康に良く暮らしていました。神様が、私たちのからだの中に与えられた力がどれほど多いのでしょうか。前に話したのですが、ガムのようなものを一ケ月かんだこともありました。壁に付けておいて、はがしてかんで、壁に付けて。今ならば、想像できないでしょう。今、私がこの話をしたら、うなずく人々がいます。この人達が、みなそのようにかんだのです。私は、知らずに私の弟のを間違ってかんで、どれくらい気分が悪かったのかしれません。それでも、私達が死なずに生きていました。人々が、ほとんどみなうわべだけを言うのですが、私たちのからだの中には、すばらしい力があるのです。それで、皆さんに祈って、運動して、聖霊充満を受けて力を得なさいと言うのです。私たちには、神秘な力があります。神様が、世界万物を創造される中で、どれくらい不思議に創造されたでしょうか。太陽が宙に浮いて、落ちないで回っています。それで、聖書に見れば、神様が受け台もなしでこの宇宙を支えておられるのです。誰が理解できるでしょうか。海水は、地球にくっついているでしょう。この丸い地球に、海水がついているのです。ついて回っています。普通の珍しく思えることではありません。太陽を中心にして、地球が回ります。私たちが知らずに、もう少し中に入れば、全部焼け死ぬのです。地球が回る中で、少し上側にいる人が、とても暑いのです。私たちの地球が、少しだけ遠ざかれば、寒くて凍え死にます。そのように不思議に思う中で、さらに不思議に思えるのが、人間です。神様が万物を創造して、人間を創造されたのですが、最高の万物の霊長として創造されました。どれくらいすごいと思いますか。皆さんの胸の中に神様のみことばが入れられて、福音が臨み、信仰が臨んだら、働きはとても起きるのです。今週に、この契約を入れることを望みます。今週に、皆さんが神様の重要な祝福を体験することを望みます。
 
■ 42節,43節にこういう話があります。不正な者はすべてその口を閉じる。知恵のある者は主の恵みを悟れ。簡単に話せば、結論を下したのです。神様を知らない者、話せなくさせられます。神様を分かる知恵ある者に答えをくださるのです。そのみことばです。今回、皆さんが神様の力を体験することを望みます。どのようにでしょうか。信仰で。あなたの心と思いを守られるでしょう。神様の答えを体験しなければなりません。どのようにでしょうか。神様のみことばが皆さんに臨めば。私の限界を克服しなければなりません。どのようにするのでしょうか。この契約を捕まえて祈れば、まちがいなく答えがきます。今週に、皆さんが新しい祝福を受けるように願います。
 
■私たちのレムナントがたくさんいます。世の中を見る時、見くびってはなりません。そうかと言って、世の中をとてもすごく見てもなりません。また、世の中に恐れることもせず。必ず記憶しなければなりません。世の中を、とてもおもしろく見てはいけません。学生たちが、おもに世の中をおもしろく見たり、すごく見るのです。みな違っているのです。世の中をおもしろく見てはいけません。私が釜山(プサン)中央教会にいた時です。ある金持ちの家でした。その教会は、金持ちがみな集まっていたのです。貧しい人々は、登録しても行ってしまいます。なぜか、顔色を見ると、みな良く暮らしているから、そのまま自分は他に行くのです。このくらいの教会です。それで私がびっくりしたのです。長老の子ども中で、とてもしっかりした人がいました。長老は、良い暮らしをしている家です。この人は、留学費をみな送ったのです。勉強して生活しなければならないから、留学費を送りました。その人が、どれだけ賢い人なのかというと、留学して博士になって帰ってきました。お父さんが送ったお金を、すべて貯めて帰ってきたのです。どうして、このようになったかと尋ねたら、お父さんが心配するかと思って、もらったのをみな貯めたと言いました。それで、何をして勉強したかと尋ねたら、アルバイトをしたということです。どうしようもない子です。こういう優れた人物がいっぱいいます。私もみて驚きました。どのようにして、アルバイトをしたかと尋ねたら、ちょうど自分が下宿する家が食堂だったと言いました。自分が助けしたところ、とても仕事を良くすると継続して月給をもらったということでした。そして、勉強もほとんど一等でしたのです。皆さん、世の中を恐ろしく思って生きたり、いい加減に生きたりしないように。私たちの学生たちは、世の中おもしろく見ないで。そして、このように成功した人々は、お金を使うのが違います。むやみに使いません。ですから、皆さんは世の中をおもしろく見てはいけません。そうかと言って、世の中を見て、すごく見るのでもありません。世の中をとても恐れることもせず、すごくも見ないで。また、世の中を見くびってはなりません。皆さんは、神様の子どもです。神様のみことばが、皆さんの胸の中に込められるように願います。神様の祝福が、皆さんに本当に臨むように願います。
 
■今日、産業宣教の時の話をしようとしています。しかし、私たちのレムナントがここにいるから、少し補充して話します。私たちは24時間が与えられています。全く同じだと思わないように。私たちのレムナントは、24時間を240時間にしましょう。それが成功する道です。皆さん、ただ単に祈らず、24時間を240時間にしましょう。それが可能なのでしょうか。可能です。成功した人は、24時間を240時間にします。そのようなノウハウを知っているのです。失敗者は、24時間を2時間40分にするノウハウを持っています。わからなければなりません。それで、私のような人がすごい人物でもないのですが、皆さんと一緒に仕事をしようとするので、重要なことをしています。ほとんど通いながら、普通の人がする仕事を移動しながらみなします。文章を書くこと、メッセージを準備すること、送ること、ほとんどみな移動している時にしています。残りは、講義するのを置いて。そして、他の人と同じ時間が与えられれば、その時は運動して管理をします。それでこそ勝つのです。24時間、そのまま勝手に送れば、それがどれくらい失敗でしょうか。皆さんは神様の子どもです。結論が出ています。揺れる必要もありません。今日、確かにあがなわれた者は、永遠に保護すると言われました。それと共に、悪い者でも、神様に戻れば神様は救われると言われました。さらに重要な話が出ました。悪い世の中に生きる使命者には、神様は奇しいわざを行われます。そうでしょう。今週にこの祝福受けるように願います。皆さんの胸の中に、皆さんの考えの中に何が込められているのでしょうか。いつかはそれが答えになって戻ってきます。皆さんの心と考えに込められた神様の契約は、必ず成就するようになっているのです。それでそのまま過ぎ去らずに、私たちのレムナントと集まっている人々は、良い計画をたてるように願います。そして、祈り始めるのです。私は神様の子どもで、このようにする。そして、祈りを開始すれば、神様は答えてくださるでしょう。こういう良い神様です。
 
■みことばの結論を結びます。皆さんの中で、ひょっとしてこういう方はいませんか。恨みがずっと出てくる方はいませんか。こうする方々は、確かにいくつかのことがあります。信仰がないのではなく、傷があるのです。傷をそのまま置いてはいけません。もう一つは、確かに知らないのです。未来に関することを知らないので、そうなのです。さらに重要なのは、神様に対して知りません。神様は良いことをくださる神様です。皆さんが今、困難があるように見えるのですが、神様は良いことをくださる神様です。こういうものが癒される祝福の日になるように願います。何でもないように見えても、後から来る結果は防止できません。死の中で監獄に行ったように見えたのですが、ヨセフにより良いものを準備された神様。家庭環境が良くないように見えたのですが、より良いものを準備しておかれた神様。皆さんがこういうものを知らなければ、傷があって病気にかかる人々は、恨みが出てくるのです。反対に、この良い神様を分かる福音を持った人は、賛美が出てくるのです。こういう感謝が回復する貴重な週になることをイエスの名前で祝福します。今日、神様のみことばを皆さんの心に入れることを希望します。今日、神様の祝福を皆さんの考えの中に含まれるように。成就してくるでしょう。
 
<<契約の祈り>>
神様、私たちのレムナントとすべての聖徒を祝福して下さい。この時間に、全国、世界にいるレムナントに、神様が特別に祝福して下さい。このために、私たちすべての主の民、大人たちを祝福して下さい。詩篇107篇にある、完全な結論を捕まえて、新しく始める新しい恵みを今週にくださることを信じます。この時間に、神様が聖霊で働いてくださって、病気にかかった者を癒して下さい。人が知らない癒しのみわざが起きるようにして下さい。不信仰が崩れる驚くべき力の時間になるようにして下さい。祝福を受ける私たちすべての聖徒の考えが癒されるようにして下さい。神様の力を見られるように、心が癒されるようにして下さい。それで、契約を捕まえて勝利する貴重な日になることを信じます。生きておられる主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン