2005年3月6日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/新しいおきてと新しい時代
(ルカ14:1〜6)
 
■釜山(プサン)に雪がたくさん降って、礼拝に出席するのが大変だったようです。電話がたくさんかかってきて、礼拝はあるのか、道は通っているのか、たくさん尋ねられました。次からは、そのように尋ねずに、朝早くにきて、雪を一緒に片づけてくださるように願います。私たちの教役者が、職員と共に雪を片づけて、皆さんが礼拝をささげられるようになりました。神様のみこころならば、信じる者にはできないことがありません。
皆さんが教会のために多くの祈りをする中で、今日の本文は、私たちがこれから答えをどのように受けるのか、または受けられるか、受けられないかに対する、とても重要な内容です。タイトルを、新しいおきてと新しい時代としました。
■昔にロシアにソルジェニツィン(Solzhenitsyn)という人がいました。1950〜1960年代を生きながら、こういう話をしました。'今、私たちのソ連は、時計が1世紀も遅い。それで、はやく1世紀も遅く行く時計を変えなければならない。そして、とても古くなった2世紀も過ぎたカーテンを片付けなければならない。そうでなければ、ロシアは滅びるようになる。'すると、ロシアでは、彼をそのまま置いておかなかったのです。とても、否定的だ、悪い奴と言いました。そして、話をむやみにするという理由で、彼を監獄に入れました。私が知っていることでは、彼は結局は、米国に亡命して死んだと思います。ソルジェニツィンが、その話をして10年も過ぎずにロシアは崩れ始めました。今は、共産主義は完全に崩れました。とても時代に遅れたのです。
500年前にあった事です。コペルニクス(Copernicus)が'地球は丸くて回っている。'と話しました。すると、この無知なカトリックが、静かに置けば良いのに、その人を呼んで、法的に罰を下しました。'どうして、地球が回るだろうか、この地球が回ればどうなるのか。上に建物があって、人もいるのに、地球が回ればどうなるだろうか。話にならない話はするな'それでも、彼は地球は丸くて回っていると話しました。ですから、カトリックでは、創造の原理に合わないといって、彼に死刑宣告をおろしました。その時の法で、火あぶりにしたのです。このように、無知だということは1、2人を殺すのではありません。それで、彼はくやしく死んだのでした。何年か前に、法王庁で発表しました。'もう分かったが、地球は丸くて回っている。それで、死んだコペルニクスに申し訳ない。私たちが許しを乞う。'こういう発表をしたことがあります。
■このパリサイ人が、新しい恵みと新しい時代を知らない信仰生活をしていたのです。ですから今日、14章1節を見れば、'ある安息日に、食事をしようとして、パリサイ派のある指導者の家にはいられたとき、みんながじっとイエスを見つめていた。' 2節'そこには、イエスの真正面に、水腫をわずらっている人がいた。' 3節'イエスは、律法の専門家、パリサイ人たちに、「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか。」と言われた。' 5節'それから、彼らに言われた。「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」'この話は、何の話かというと、ユダヤ人が安息日に何かをすることを持って、いつも議論して戦ったのでした。それで、病人を直すことにも文句を言ったのでした。この話は何でもない話のように見られますが、多くの意味を持っています。このユダヤ人が、これから大きい問題にあう、そのような国です。福音を受け取っておいても、知らないそのような民族です。ですから、することがないのです。なぜ安息日に人を直すのか、こういうことで時間をみな送っています。ユダヤ人は、十分の一献金もそのまま出せば良いのに、粟のような小さい穀物も、みな分けて出すのです。皆さんはすでに知っているでしょうが、神様の前に十分の一献金する律法を守ろうと、その小さい粟10個ずつ分けて、一つずつ出すのです。神様の言葉の意味は、そのような意味ではありません。しかし、ユダヤ人は、そのようにいつも守るのです。
■ユダヤ人が、時代に合わない三つのことがありました。最初が選民思想です。私たちは、神様の子どもで、あなたたちは異邦人だ。私たちは神様の祝福を受けて、他の国々は受けられない。私たちは選民で、他の人は異邦人だ。これがユダヤ人思想です。失敗するしかない考えです。神様の宣教思想とも合わなくて、全世界から攻撃されるしかありません。
■またユダヤ人が持っていた二番目の思想が、律法思想です。律法だけ守れば良いというのです。そうしたら、これをもっていつも戦うのです。それでは、どんな結果が出てくるのでしょうか。ユダヤ人の言葉に従うのならば、私たちはイエスを信じる必要がありません。律法を守れば良いではないでしょうか。それなら、律法をみな守れるでしょうか。それでは、救われることができません。こういう難しい部分に、ユダヤ人が陥っていたのです。今日も、それで議論してきたのです。安息日に病気を直しても良いのか。弟子が小麦をもみ出していたら、安息日に収穫をして良いのかと言いました。38年間も病んでいる人を見て、あなたの荷物を持って家に帰りなさいと言ったところ、安息日に荷物を動かしても良いのかと言いました。皆さんはどうなのでしょうか?この話しを聞いて、おもしろく思うでしょう。私たちはどのようにしているのでしょうか?しかし、私たちもそうなのです。どれもこれも、みな細かいことに時間をみな送って、実際に重要なことはのがしているのです。パリサイ人が、そのように生きていっていました。三番目は、伝統と制度をとても守るのです。それで、伝統に合わないのは、無条件にしないのです。こうなって、メシヤがきたのに分からなかったのです。今日、私たちは、信仰生活をする中で、重要なことを学ばなければなりません。今日の本文で、とても重要なことが何でしょうか。祈りの答えを受けて、信仰生活を本当に正しくする祝福を悟れなければなりません。
■今日、この事を行われたのは、イエス・キリストです。ここは、今、イスラエルの国の現場です。しかし、こうしたことが時代ごとにありました。こうしたことがいつもあったのです。ユダヤ人が、全く悟れずにいる、そのような状況です。どのようにすれば、祈りの答えを受けるのでしょうか。どのようにすれば、神様の大きい働きを見られるのでしょうか。こういう部分は、とても重要です。ここに、今、レムナントがいます。全世界のレムナントが、共にメッセージを聞いています。皆さんが、必ず記憶しなければなりません。この時代も、どんどん変わって、職業も変わっていっています。そんなことを知らなければ、皆さんは失業者になるでしょう。教会も、こういうものを知って、伝道しなければなりません。今、私たちのタラッパンで、共同体施設をたくさん作っている理由は、未来をおいて準備しているのです。これから、もう文化時代という、そのような重要なことがくるようになれば、私たちが伝道運動をできないから、今、共同体施設を置いて準備しているのです。
■信仰生活で必ず成功しようとするなら、いくつかのことを必ず記憶しなければなりません。時代時代ごとに、信仰生活するのに、目を開ければ、神様の重要な計画がありました。それを見られなければなりません。今、イスラエルが、これを見られなかったのです。この話は、皆さんにもとても重要な言葉です。信仰生活をするのに、どんな目が開けられるべきでしょうか。時代時代ごとに、どんなことがあったかというと、福音がなくなって行って、偶像が多くなって、律法が多くなりながら、災いが押し寄せました。いつでもそうでした。この時に、イエス様がこられたのです。すべての問題を解決されたイエス様が来られたのです。この部分にパリサイ人が、目が開かれなかったのです。しかし、パリサイ人が、これからどのように滅ぼされたのかを知っているでしょう。今日、ここで皆さんが、神様の前にどれくらい多くの祝福を受けたのか分からなければなりません。今、私たちタラッパンで、昨年、一昨年に比べて、多くの働きが起きています。教会にも、多くの祝福が起きています。私が少し残念なことがあります。多くの方が、祝福を受けて味わっているのですが、これがなぜ、そうなのかをよく知らないようです。これをよく知らなければ、問題がきます。本部にもそうで、学生たちが集い、教会も働きがたくさん起きています。私たちの神学校も、今、新しくさらに作らなければならないほど、良い学生たちがたくさん集まっています。ある大学では、学校運営が大変で、私たちに大学を買ってくださいと連絡がきました。それで、私たちは、そのような考えも持っています。
■神様が多くの祝福をされました。なぜ、そうなのか、分からなければなりません。それでこそ、皆さんが、これからもそのような祝福をずっと受けられるのです。真の奇跡のようなことです。皆さんが、この部分をわかってこそ、祈りの答えが始まるのです。神様が、時代時代ごとに、いつでも福音はなくなって、教会の権力は強くなって、偶像が起きるのです。このような時ごとに、災いがやってきたのです。一度もかかさず、そうでした。このような時ごとに、神様が伝道運動のために伝道者を呼ばれたのです。ここで、事実上、韓国教会と私が戦っているのです。高慢だということです。メッセージも正しくて、みな正しいけれど、少し高慢だということです。絶対にそうではありません。皆さんは、祈りの答えを受けるために、今でも聖書を詳しく見ましょう。いつでも、エジプトの奴隷の時代がきた時、福音を悟った者を呼んで解放させられました。いつでも、捕虜時代がきた時、何人かの福音を悟った者を通して、神様は働かれました。ローマに植民地になって、パリサイ人の時代きた時、神様は何人かの伝道者を通して、また働きを起こされました。18〜19Cの時、そうでした。私たちの韓国教会が、この祝福の中に入らなければなりません。今、全世界は、福音が減っています。この時、福音運動をする教会と、国と、すべての時代を祝福されました。これを知らないパリサイ人が、失敗するしかないのです。何の話なのか分かるでしょうか。この一つだけ分かれば、すべての答えがみなくるのです。これが、神様の時代的な重要な要請です。私は事実、これ一つを知って、どれほど多くのことを悟ったのか分かりません。これ一つを分かりながら、どれほど多くの祝福を悟ったのか分かりません。これから私たちは、受ける答えがより大きくて多いのです。
■今日の本文をよく見ましょう。今、イエス様が霊的問題を解決して、災いを防ぐために来られたのですが、パリサイ人は、安息日になぜ病気を直すか、こういう話をしています。途方もない祝福を持って来られたのに、この人たちが、何をするかというと、なぜ、今、そのような、らい病人の家で食事をするのか。こういう文句を言ったのでした。ですから、イスラエルがどれだけ失敗したのか、皆さんは分かるでしょう。世界で最高にほろびた民族が、イスラエル民族です。いまやっと回復しました。ですから、わからなければなりません。これは、私たちの教会、私たちの教団だけそうで、他の教会はそうではないという言葉ではありません。今、これからでも世界教会は、この部分をはやく悟らなければなりません。それで、答えの大きい門が開かれます。インマヌエルの家族とタラッパンの全家族は、神様の大きい祝福があるように願います。ある教会が復興するので、その牧師がとても力が出たと言いました。それで、私がこのような話をしました。'あまり頑張らないで。あなたがすることでもなくて、私がすることでもない。時代を見て、元々の聖書を見なさい。本来、福音運動はそのようなことだ。真の神様が、弱い者を呼んで、福音運動を起こされているが、その時ごとに迫害も受けた。'
■皆さんは、この部分をどのように理解するでしょうか? 今現在、私の説教を聞いている200ケの教団は、どのように理解するでしょうか。それでは、ここに座って礼拝をささげている皆さんは、どのように理解するでしょうか。これが問題です。皆さんが、この部分だけ悟れば、祈りの答えの大きい門が開かれます。必ず記憶しなければなりません。福音がなくなる時代。教会は律法、教会の権力、宗教が強くなる時代。外側には、偶像が起きる時代。それと共に、地球全体は災いが押しよせる時代。この時ごとに、神様は福音運動を起こされました。今日の本文が、まさにその現場です。そのような中に、今日、水腫になった者がいたのですが、その人を癒されたのです。また何か問題にすることをご存知で、あらかじめ話されました。'安息日にあなたたちの息子や娘が水に落ちれば救い出さないのか。また、安息日に羊が水に落ちたとすれば取り出さないのか。それなら、安息日にこの病気になった者を直すのが良いことなのか、良くないことなのか。'だから、パリサイ人とユダヤ人が、何も話さずに帰ったと言われています。この部分に、皆さんがそうだったのか、とそのまま通り過ぎてはいけません。これは、とても重要な時間です。私たちが、今、この契約に対して、祝福に対して、悟りさえすれば、すばらしい大きい門が開かれます。多くの牧師が訓練を受けて、研究もしています。それは、重要ではありません。この部分を見なければならないのです。この福音がなくなる時代です。どれだけなくなったでしょうか。現場に行って、道で長老や執事に会えば、ほとんど福音を知りません。救われるべき人がそばにいるのにも、説明できないのです。
■ここに証人が座っています。家に、毎日、事故が起きるのです。どれくらい不安だったのか、家中にお守りを付けておきました。私がスヨンロ教会で集会をしに行きました。聖日の朝にスヨンロ教会の執事から電話がきました。'先生、ヨンドに私の親戚がいます。お金はよく儲けるのに、家にとても多くの問題があるために、いつもほろびています。先生が一度だけ行って、礼拝をささげてください'という電話でした。私は条件をつけました。今日、今、すぐにでも行けるけれど、その方が私に来て欲しいと言っているか。来て欲しいと言われたら行きます。それで、行ったのです。その時に、伝道師だったイ・ソングン牧師と一緒に行ったのでした。家の中にお守りがありました。それで、私がその家に行くやいなや約束しました。イエスを信じれば、全てのものが終わるのだ。イエスを信じれば神様の子どもになるのだ。それで、こういうものは、みな必要ない。そこで、イエスを受け入れたのです。事実は、その家がものすごく祝福を受けました。その人のために、伝道の門がたくさん開かれたのです。その人と一番親しい友人が、ヨンドの大きい教会の按手執事でした。按手執事が見た時、あきれて言った言葉が'なぜこのように突然に信仰生活がよくできるのか'それで、私たちの新しく信じた者が、友人の按手執事に話したのです。'あなたは、本当に変だ。なぜ、あなたは私に一度もイエスを信じるという話をしなかったのか?'すると、その按手執事が、申し訳ないから、笑いながら言った言葉が'あなたがそのようによく信じるとは思わなかった。'これが按手執事の答えでした。私はそのように考えません。私の推測ですが、按手執事は、福音を伝えようとは思わないのです。私の推測であるから違うこともあるでしょう。私が確信しているのは、その按手執事が新しい信者に福音を正確に説明できる力がなかったと思います。あくまでも、私の推測です。私は大韓民国の按手執事や執事が、ほとんどそうだと見ています。これも推測です。だから、世界教会は問題が来たのです。こうしている間に、偶像はどんどん起きています。これで終われば幸いですが、どんどん災いが押し寄せてくるのです。これを悟らなければならないのです。何の話なのか分かるでしょうか。
■すべての問題解決者。本当に大丈夫です。皆さんがいくら弱くて、背景がなくても、大丈夫です。皆さんが、今日、この契約を本当に捕まえたら、奇跡の門が開くということです。間違いありません。これが聖書の約束ではないのでしょうか。この部分をのがせば、みなのがすのです。この部分をつかみさえすれば、働きが起きるのに、パリサイ人は失敗するしかないのです。安息日に、そのような行動してもかまわないのかというのを問い詰めるレベルです。らい病人の家に行ってもかまわないのか。そのような乞食やならず者のような取税人と、一緒にいても良いのか。私たちのユダヤ人の伝統を守らないでもかまわないのか。こういうレベルです。だから、滅びるしかないのです。わかるでしょうか? 皆さんがこの契約一つだけつかめば、すべての問題が解決されます。私は勉強を高神大学でしました。大学院も、高神大学院で、合同側の総神大学院を卒業しました。韓国で一番正しい教団で勉強をしたのです。それと共に一つ発見したことがあります。世の中の多くの人々が、困難に会っているということです。彼らに福音を伝えてあげられる人々が、教会だということが分かりました。しかし、教会が、この福音を伝えられないでいるということも分かったのです。それなら、私が行って、これを伝えなければならない。それで、私たちの信徒も説得して、これをするようにさせなければならない。私が知っている牧師を説得して、これをするようにさせなければならない。そのように決心したのでした。しかし、この契約一つをつかんだのですが、前後四方、全部、祝福されました。見物する人まで祝福を受けたのです。それでは、この話が何の話なのか分かるでしょうか。世の中と人を生かす、このことを神様がどれくらい重く見られたから、この事を行われたのでしょうか。皆さんが、もし、この隊列の中に入ったら、神様の驚くべきみわざが起きるようになるのです。
■私たちの牧師が食堂に入りました。食堂に入ったら、何かが付けてあるのを見ました。'あなたの開始は弱くても、終わりは大きくなるだろう'という聖書箇所でした。イエスを信じる人の食堂では、だいたい付けてあります。それを見て、イエス信じる人であるようだと、主人を呼んでみたら、ある教会の勧士だと言いました。食事をしながら、この方に話を静かにしてみたら、この方は完全にさまよっていました。伝道は二の次で、本人がさまよっていたのです。世の中で勧士と言っていたのですが、教会も出て行かないでいました。なぜ出て行かないのかと聞いたところ、この頃、試みに会うからだと言いました。何の試みに会っているのかと聞いたところ、教会が、このようで、あのようでという言葉でした。その話す内容を聴いてみたら、全部、パリサイ人がする言葉でした。あまりにも苦しくて、私たちの牧師がキリストを分かるかと尋ねたのです。その程度は分かると言いました。それなら、キリストはどんな方であり、どんなことをされたのか、キリストは何の話か、それではイエスを信じれば、どうなるのかと、こういう基本的な説明をしたら、この方が目が丸くなって聞いていました。それと共に、その勧士がイエスを受け入れたのです。自分は、こういう話を初めて聞いたと言いました。聞いていたでしょう。しかし、詳しく聞くことができないのです。詳しく話をしてくれないのです。何の話なのか、分からなければなりません。今日、この契約を捕まえる皆さんに、私は約束することができます。今日、この話が悟れたら、皆さんは永遠に滅びません。主のしもべが、このみことばを悟れば、ずっと答えが起きるでしょう。長老、執事が、このみことばが本当に悟れたら、皆さんの事業は、ますます働きが起きるでしょう。なぜでしょうか? そのためではありません。そのようなことを越えて、福音を伝えられるようにしてくださるのです。しかし、この部分を知らなければ、福音を伝える理由がないでしょう。それでは、祝福を受ける理由もないのです。とても重要な言葉です。
■今日、皆さんがイエス様とパリサイ人、律法学者の中に起きたこの話を見ながら、大きい答えを受けなければなりません。全部、祈りの答えを受けた人々と聖書にある人物と教会史にある人物が全部、みんなそうでした。なぜそのように悟れないのでしょうか。この部分だけ悟れれば、全部、答えがくるのにということです。神様が、時代、時代ごとに、場所ごとにそうでした。皆さんが、ある場所に行って、ここはすべてがあるのに、福音がないな。それでこういう問題が来たなあ。それでは、私はここで福音を伝えて、この人達を生かさなければならない。このように悟れば、すべての答えの門はみな開かれます。しかし、私たちは関心が他のところにあるのです。毎日、食べて、着てというところにだけあるのです。今日、私たちのインマヌエルの家族、タラッパン家族に、最高の祝福の日が始まるように願います。私は、数十年前に、牧師按手を受けながら、このような考えもしました。神学校を卒業しながら考えたのです。それが、何でもないように見られるのですが、神様は完全な答えを与えてくださいました。それなら、私たちはもう一つの事を考えてみましょう。私たちがすること、そして伝道に、すでに時代的な神様の計画が見られます。それで、私たち自身にも、祝福が見られ始めます。この一つでみな悟れるのです。それで、信仰生活で成功しようとするなら、さっき話した信仰に対する時代的な奥義を知っていなければなりません。二番目に、仕事に対する時代的な奥義を知っていなければなりません。それなら、神様が皆さんを呼ばれた、自分自身に対する時代的な奥義を持っていなければならないのです。そのようになれば、答えがきます。皆さんが、一時代を見つめて祈るように願います。年齢がいくら上の人でもそのようにしましょう。自分は年をとっているから、何の時代を見つめるのか。そうではありません。祈りの答えを受ける、とても重要な部分です。若い人の中にも老人がいます。しかし、老人の中にも若い人がいるのです。本当に不思議です。私が会う方々の中で、成功したり、立派な方々には共通点があります。この方達は、とても未来的で若いのです。これが違いが生じるのです。
■私は、キム・ジュンゴン博士に会ったのですが、とても老いておられました。食堂に座って祈るのに、その方の祈りの声が私によく聞こえないほどでした。それで、どこか良くないところがあるのですかと尋ねたところ、腰が良くないと言われました。手術をすべきなのに、血をたくさん流す可能性があって、できないと言われました。年もとって力がないということでした。しかし、私との交わした話は、どんな人よりも若い話をしました。私にとても重要な話をされたのです。その話を聞きながら、この方は本当に若いということを感じました。年をとてもとって、歩みもやっと歩くのに、若い未来の話をされたのです。それで、それを持って、とても説得力があるようにお願いされました。私は、その話を聞いて、私たちの弟子に指示をしたのですが、話を聞く間中、とても未来的だと感じました。あまりにも福音的でした。高齢な人の中にも、若い人がいるということを思いました。私たち若い人の中でも、老いた人々が多いのです。単語がちょっと変ですが、老いた青年です。老いた青年たちが多いのです。しかし、私が見る時、立派な人々の中では、年をとった青年たちも多いのです。私が会ってみた人々は、ほとんどがみなそうでした。以前に、キム・チャンイン牧師と一緒に何日かつきあってみたのですが、この方は完全に青年でした。考えが青年だということです。南漢山城(サンソン)でおられて、亡くなったハン・キョンギ牧師のような方も、見ると今を心配しているのではなく、韓国教会の未来を心配していました。
■今日、私たちは、この契約一つを捕まえれば、すべての問題が回復されます。問題は、パリサイ人が機会をのがしたのです。初代教会が機会を捕まえました。それで、今日、新しいおきてと新しい時代としました。皆さんが、この契約を捕まえたら、今日、まさに答えの門が開かれ始めるのです。さらに重要なのは、過ぎて見れば、全てのものがみな答えです。過去に失敗したことも答えです。こんなにも、これが大きくて重要なのです。今、ここにレムナントと青年たち、多くの神様のしもべがいます。皆さんが、勉強をしても、未来を見通してしましょう。皆さんが事業をしても、仕事をしても、未来を見てしましょう。単純な未来ではありません。レムナント7人を見ましょう。これから確かに起きる、世界福音化を分かったので、ヨセフはどんな場合にも揺れませんでした。それを持っていたのです。ある日、まちがいなく答えがきました。これは、神様の働きであるためです。それまでには、問題がたくさん起きました。問題がたくさん起きた後に、答えがくるということではありません。問題がたくさんあっても、神様の契約は必ず成就するという言葉です。レムナントだけ見ても、知ることが出来るでしょう。皆さんが、全く揺れないで、この契約を捕まえなければなりません。ですから、これから起きるこの契約をモーセが捕まえたのです。幼い時、契約の箱のそばに横になっていた時、サムエルがその契約を捕まえました。サムエルの話を聞いて、幼い時、Iサムエル16:13節にダビデがその契約を捕まえたのです。まちがいなく、成就する日がきました。それで、皆さんがこの契約を本当に捕まえたら、神様が皆さんに答えも答えですが、未来に正確な答えをくださいます。問題は、私たちが行く過程の中に、問題が来るのですが、その時に揺れることがあるのです。そして、失敗のように見える場合もあります。ヨセフが監獄に行ったということは、確かに失敗のように見られるでしょう。いかに多くの苦労をしたでしょうか。奴隷に行った時には、40日くらい引きずられて行ったということです。奴隷市場では、物のように捨てられることもありました。そのような中に、ポティファルの家に売られたのです。しかし、ヨセフは揺れませんでした。理由があります。まちがいなく成就する神様の契約を持っていたのです。それが、今日の本文にもあるのと同じ、世界福音化の契約でした。
■皆さんが今日、この契約を捕まえるように願います。長老が、世界福音化の契約を本当に捕まえたら、皆さんの周囲の暗闇の勢力は、みな逃げるようになります。牧師が、世界福音化の契約を本当に捕まえれば、すべての問題は問題になりません。今日、私たちの一般信者が、この契約を本当に捕まえれば、神様はすべての門をあけられます。間違いありません。これを知らずに、毎日、とんでもないところに、毎日、葛藤して、時間をみな送るのです。誰が何を着て、履いたのか、そんなことに時間をみな送るのです。誰が私に何か話をしたのか? こういうものに時間をみな送っているのです。ですから、人々を見れば本当に愚かです。今日、皆さんが重要な契約を捕まえるように願います。それで、すべての暗闇の勢力が、今日、崩れる日になることを希望します。間違いありません。ある日、来るのです。創世記37章に、神様が願う世界福音化の契約を捕まえたのですが、ある日、成就したのでした。重要なのは、ヨセフがそれを知っていたのです。ですから、揺れなかったのです。奴隷になっても揺れないで、監獄に行っても揺れないで、揺れませんでした。どれくらい妨害が多かったでしょうか? 揺れませんでした。ヨセフとダビデのような人は、あらかじめ分かっていたのです。アブラハムやモーセのような人々は、後ほど分かりました。そのような差が少しあるだけです。まちがいなく、きました。出エジプト2章を見れば、イスラエルを出すように、そのお母さんとの契約が、モーセに成就されました。80年が過ぎてもこなかったのです。私たちは、こういうもの見て気をおとすことがあります。ある日、モーセが80才になったのですが、出エジプト3章を見たら、成し遂げられ始めたのです。世界福音化の契約は、確かに成し遂げられるのです。私たちのレムナントは、つまらない成功者になろうとせずに、世界福音化のために成功しなければなりません。この契約を本当に捕まえましょう。そうすれば、過程の中でも、答えがくるのですが、ある日、明らかな答がきます。モーセは80才で捕まえました。ここに年をとった方が契約を捕まえれば、働きが起きます。神様がこのようにおっしゃられたのです。あなたの力がないから、わたしがあなたに証拠を見せる。これが出エジプト3:18〜20です。
■私の場合は、伝道運動をして来たのに、背景もなくて、手助けする人もなくて、何もありませんでした。よく知る人もありませんでした。ある人々は、知っている人も背景も多かったのです。私はそんなこともありませんでした。ですから、力がなかったのです。しかし、成功するためにではありませんでした。本当に不思議です。ある日、この契約を捕まえたのです。そうです。今、福音がなくなって行く。それで、私たちの家系にも問題がきた。それで、この地球上にも問題がきた。それでは、この契約を持って、小さいことでもするのです。しかし、神様が答えをくださる程度ではなくて、私があらかじめ知らないほど、分かったならば失敗もしなかったはずなのに、多くのみわざが起きました。私たちはつまらなく、ご飯を食べて、良く暮らすために契約をつかんだ者ではありません。世界福音化のために、契約をつかんだ者です。安息日に病人を直したか、何を食べたか、やめたか、そのようなレベルではありません。聖日、安息日の日、5里を歩かなければならないか、10里を歩かなければならないか、そのような信仰ではないのです。聖日、お金を使っても良いのか? だめなのか? そのような信仰ではありません。聖日に、お金を使ってもかまわないのかと学生が尋ねました。今は、どうしても、みなはっきりと使うから尋ねませんが、昔には尋ねました。昔には、合同側、高神側、聖日にお金を使ったらぶるぶる震えたのです。ですから、今は、まったくそのような質問がなくなりました。中高等部を指導していたら、学生が月曜日ごとに試験があるのに、聖日の夜に勉強してもかまわないのか尋ねました。今は、おかしな話ですが、その時はそうだったのです。そして、聖日に教会で外の食堂に行きませんでした。教会の中に集まって、食べました。今は、私たちが聖日にある食堂に集まると言われたら、そこ行って食事をしたりします。ですから、これがたくさん変わったのです。私が15年前だけでも、聖日に外で食事をしようと言ったら、長老が良いのですかと言いました。それでは、昔にはどうでしょうか? それで、学生たちが聖日勉強しなければならないか? 聖日にお金を使ってもいいのか? と尋ねたのです。聖書は、そのような質問の答えは必要ありません。私は、このように話しました。神様の栄光になれば使いなさい。神様に栄光になれば勉強しなさい。できないことが何があるでしょうか? またしなければどうでしょうか? Iコリント10:31 'こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。'私たちは、そのような信仰ではないのです。
■皆さん、今日、大きい答えを受けるためには、重要な信仰のうつわを変えなければなりません。私たちが、小さい問題を持ってする信仰ではなくて、世界福音化の大きいうつわで準備しましょう。皆さん、お金も儲けようとするなら、お金を儲けるうつわが準備されなければなりません。皆さん、私たちの信徒が、礼拝をささげるのを見れば、1、2部およそ3000人釜山(プサン)にソウルに2000人がいます。目に見えなく、そのようなシステムがあります。それで、ソウルには10000人程度、礼拝をささげられる教会堂とシステムを準備しています。私たちの長老が導きを確かに受け取って、準備しています。そのようにしようとするなら、簡単にうつわを準備すれば良いのです。信仰のうつわが必要です。皆さんが、昔の傷のようなものが深くしみた信仰を持っては、絶対に世界福音化ができません。私たちのレムナントがたくさんいるのですが、親がどうであれ、家庭がどうであれ、こういうことを持っては、どの場合も世界福音化はできません。安息日に小さなことを問題にするパリサイ人は使えません。そうです。ですから、神様の祝福を受けようとするなら、うつわを準備しなければならないのです。少なくとも、皆さんが世界福音化のうつわを準備しましょう。世界福音化のために仕事をする。私の残った人生は、世界福音化のために生きる。こうしてこそ答えがくるのです。そうです。私が今回の開講セミナーにもそう言いました。大きい魚は、いつでも深い水にいます。私は大きい魚が、浅い水にいるのを見たことがありません。一度、そのようなことがありました。私が食堂の前で、浅い小川の水で大きい鯉を一匹つかんだことがあります。それは、まちがいなく精神異常がある鯉です。必ず、大きい魚は深い水にいます。ですから、今日、皆さんが本文を見ながら、パリサイ人のようになってはいけません。私たちが、こういう問題、つまらない問題、こうしたことを持って、どのように神様の祝福を受けるのでしょうか? 受けたのもみなのがすのです。そうではないでしょうか?未来はさらに哀れです。私たちは、少なくとも、目が世界福音化、そこになければなりません。私たちの学生たちも、そのように勉強を始めなければならないのです。小さな成功程度ではなくて、世界福音化です。
■ある学生が修練会の時、手紙を書いてきました。うちのお父さんはこのようで、お母さんはこのようで、このように傷ついたと書いてありました。内容がちょっと深刻でした。説教する時に話して、その子に申し訳ないのですが、私が呼んだのです。それでこういう話をしました。ひとまず、これはあなたの責任ではありません。しかし、あなたは、通常の問題に陥っているのではない。あなたは、すでに負けている。なぜなら、あなたは、この傷の中に深く陥っているから。明らかなのは、このうつわ持っては、これから勝つのは難しい。私が確かに話すが、このうつわを持ってはサタンに勝てない。大きいうつわを今日、準備しなさい。これは、全部、土台として、あなたは世界福音化に走って行きなさい。その子が、今、すばらしい答えを受け始めています。私に手紙を送ってきました。深い自分の信仰を告白する手紙です。牧師先生、私は本当に世界福音化のために勉強して生きます。あの時、牧師先生の叱責を聞いて、とても祈ったのですが、神様が私を愛して答えを与えられました。そして、私はこういう答えを受けました。それで、今は、大学でも良い成績で勉強しています。思うほど、神様に感謝して、牧師先生に感謝します。こういう手紙をもらいました。この信仰にしたがって、どれくらい重要なことが行われるでしょうか? 皆さん、普通、自殺する人々、深刻な問題を持っている人々、それは、うつわがそうであるために問題がくるのです。今、皆さんの教会でも、多くの役員など、多くの教役者、みな考えをそのように変えなければなりません。私たちは、つまらないことに多くの時間を投資する、そのような人生ではなくて、世界福音化のために大きいうつわを準備する働き人です。絶対に、パリサイ人のように生きてはいけません。パリサイ人を見れば、つまらないことに、毎日、問題だと言っています。私は、パリサイ人が話すことの中で、それは正しいと思ったことは一つもありません。パリサイ人が、問題にしたことを一度見ましょう。なぜ、聖書にはらい病患者と一緒にいてはならないと言われたのに、ベタニヤの町を訪問したのか? 何のために、取税人のようなならず者のような人を弟子としたのか? そして、なぜ弟子は安息日に麦の収穫をするのか? いくら患者であっても、どうして、安息日に床を取り上げるようにさせたのか? そのように、問題にしたので、イエス様が今日、あらかじめ話されたのです。安息日に、あなたの子どもが水に落ちれば、取り出さないか? そのように話しておられる方が、メシヤでキリストです。その病気を直しに来られたのでもありません。全世界を生かされようと、皆さんこの契約を本当につかまれるように願います。初めには、実感が出ないこともあります。しかし、時間がたつことで答えがきます。30年前に、チョ・ウンテ牧師にそのような話をしました。私は世界福音化をする。食事しながら、しなさいと話をしたのです。チョ・ウンテ牧師の私を見つめて、そのように話しました。しかし、その語り口がつまらないというような語り口でした。また会いさえすれば話したのです。伝道は、このようにしなければならないことで、世界福音化はこのようにしなければならないのだ。ですから、この友人の目を見たら、私を哀れに見つめるのでした。苦労をとてもよくすると、おかしくなったのかと思っていたのでした。10年前でさえも、そうでした。3年前に、私に告白しました。世界で悟りが一番遅かったのかも知れません。しかし、最も確かに悟りました。あなたが世界福音化を昔からしていたが、私が今回、外国に行ってきて分かった。外国をひとまわりして来たら、これが本当に世界福音化だ。それで神学院に講師にたくさん送りだせと言いました。世界福音化が何か、行ってみたら、本当に子どもたちに隅々に働きが起きているのです。
■私たちがご飯を食べられないので、信仰生活をするのでしょうか? 私たちが小さい成功をしようと、信仰生活をするのでしょうか? これから変えなければなりません。私たちが苦しくて信仰生活をするのでしょうか? 違うのではないでしょうか? 苦しければ、海辺に行けば、もっとすっとします。私たちは、そのような程度ではないのです。一時代を置いて、神様が災いか生きるか? 暗やみとサタンの手で滅びるか、いのちなのかという話です。ですから、どんなことを準備すべきでしょうか? インマヌエルの家族、タラッパンの家族、全部この大きいうつわを準備することを希望します。私は今、貧しくて、私は年齢も多くて、習ったのもないのに、どのようにできるのでしょうか? そうではありません。聖書を見るように願います。皆さんがいくら貧しくて、年寄りで、無知だとしても、神様が共にされれば、神様の働きは成し遂げられるようになっています。なぜか、神様の力はそのような程度ではないからです。理由があります。神様には能力のある者が必要ではないのです。私たちに必要なことで、神様には必要ありません。神様は能力が多い創造主なる神様です。私たちが金持ちの人が必要なことで、神様は金持ちの人が必要ではありません。なぜか、万物を思いのままにする方であるためです。とても、勇気のある勇敢な人は、人々が必要なので、神様には必要でないのです。神様は全知全能な神様です。どんな人が必要なのでしょうか? 神様の子どもであり、信仰を持った者が必要です。今日、皆さんが、この本文を見ながら、とても重要な決断をおろさなければなりません。皆さん、これを見ながら、重要な目が開かれれば、答えが来るようになり始めます。皆さんの生涯に、最も重要な祝福の門が、今日、開かれるようになることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、インマヌエルの家族と、すべてのタラッパン家族に働いて下さい。今日、この時間に、衛星でともに礼拝する教会に働いて下さい。本当に、このみことばが生きて働く答えの時間になるようにして下さい。インターネットで神様のみことばを聞く全世界に散った弟子に働いて下さい。特に、米国とヨーロッパ、また、他の難しい地域にある国々の弟子に神様が働いて下さい。今日、世界福音化の契約を捕まえる日になるようにして下さい。パリサイ人のように、つまらないことを捕まえる日ではなく、世界福音化の契約を捕まえる日なるようにして下さい。パリサイ人のように、小さいこと、人間的な、肉体の事に捕われる者ではなく、霊的な勝利する日になるようにして下さい。今日、この時間に主の聖霊が働いて、すべての方を癒して下さい。霊的な病気にかかった方々を癒して下さい。知識の病気にかかっている方々を癒して下さい。
経済の病気にかかっている方々を癒して下さい。肉体の病気も癒してください。私たちの霊的な目が開く祝福の日になることを祈ります。生きておられる主イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
 
 


2部/サウル、アブシャロム、アヒトフェル
(詩109:22〜31)
■今日は機能宣教献身礼拝です。私が見る時、ダビデぐらい機能に優れた人はいなかったと思います。今日の本文も、ダビデの詩です。私は、ダビデを見て、本当に一般信者宣教師だと思います。伝道は、することもあるのですが、他の人が見て感じるのが、さらに重要です。ダビデを見て、多くの人々が、神様の祝福を分かりました。それが、より良い伝道です。私たちが行って、伝道紙を伝えないでも伝道ができます。職場のなかで、他の人が私に神様の祝福を受ければ、それがより良い伝道です。ダビデは、そのような伝道でした。ダビデは、それこそ機能宣教師です。ダビデは、それこそ一般信者宣教師です。一般信者機能宣教師の最も代表的な人物だと見ることができます。もちろん、ヨセフもいますが、ダビデぐらい、このように正しくした人はいませんでした。それで、詩篇はほとんどみなダビデの詩です。私たちは、ここで多くの祝福を学ばなければなりません。今日、機能宣教献身礼拝のためでもあるのですが、私たちは、一生、これを見て習わなければなりません。私はダビデを見ると、そのように感じられます。本当に成熟した信仰を持った、福音を持った一人が、このように重要だなということです。単なる福音でなく、成熟した福音を持った人です。この1人がどれくらい重要でしょうか。目に見えなく、とても重要です。私は、この頃、時々必ずではないのですが、「英雄時代」というテレビ番組を見ます。この頃、見れば李舜臣も出てきます。二つは、暇が出来れば、時々見ます。見ながら、未信者なのに成熟した人が重要だなと思います。李舜臣が国を守ろうとするのです。私たちが軍隊を作らなければ、準備しなければ、日本が攻め込むと告げました。だから、成熟することも出来ない臣下が、李舜臣をねたんだのです。李舜臣が、少しうまくいくのを見て、嫉妬して、国がほろびるのも関係なく、嘘をついたのです。李舜臣を監獄に入れました。本当に、戦争が起きたのです。日本が本当に攻め込んできました。防ぐ人がいません。その時、始めて李舜臣を探したのです。私が静かに見ながら、私なら、すねて行かないと言うはずなのに、李舜臣は成熟した人です。国が私を必要とするならば、私が行くと言いました。そのようにして勝利するようになりました。私が見ながら、成熟した人一人が、このように重要だなと思いました。見ながら感じたのは、教会の中でも、外でも、1人の成熟した人が、あのように重要なのだな。もしかしたら、全く同じではないでしょうか。見れば、正しいことが出来ない人は、悪いことはとても上手にします。国のために献身できない人々が、他の人の悪口、ねたみはとても上手にするのです。不思議です。そして、能力がない人が、ねたむのに天才です。どのように捜し出すのかねたんで戦います。そのような人を見れば、全く能力がありません。本当に不思議です。昔も今も、未信者でも信者でも、全く同じです。私が長い間、教会生活をしてみて、本当に福音を持った人々は、福音を伝えて主の働きをしようとします。そうでない人々は、教会の中に問題をずっと作り出すのです。問題を作り出すのを見れば、とてもよく作り出します。もちろん、熟達しているのを見ながら、どのようにああできるのか。それで私がこのように悟りました。理解するのに鈍才は、誤解の天才になるんだなと思いました。本当に不思議です。全く伝道はできないのに、教会の中に問題を作り出すのを見れば、あきれるようにします。伝道のようなものは全くできないのに、問題作り出して詐欺を働くのには、あきれるように捜し出すのです。本当に不思議でした。私たちがこういうものを見ながら、たくさん悟られなければなりません。本当に成熟した福音を持った信仰がある人1人がどれくらい重要でしょうか。私はそれをいつも見ながら、そうだ、そのように重要だと感じました。ヨセフを見ましょう。兄が、そのようにヨセフを殺そうとするのにも、ヨセフは兄を理解しました。福音がない兄を。むしろ、兄たちのために祈ったのです。ヨセフがくやしく監獄に行きました。私なら話をします。どんなことがあっても、私は監獄に行かないと話します。それも、どれくらい長い監獄生活かわかりません。しかし、ヨセフは話をしても仕方がないということを分かったのです。そして、神様の計画があるということを分かったのです。どれくらい、この人が成熟した信仰人でしょうか。皆さんならば、怒りが混み上がって早死にしたでしょう。ヨセフは、そちらで祈りながら待ったのです。ある日、時刻表がきました。世界的な王、パロ王が、ヨセフを呼び出したのです。その時も、私なら夢の解釈をしろと言われても、行けないと言ったでしょう。何の罪もない私を、監獄所に入れておいて、私ならそう言ったかも知れません。その時、聖書を見たら、ヨセフはひげを削って服を着替えて行ったのです。行くやいなやした話があります。今から、私のおもな特技を申し上げます。このように言いませんでした。主なる神様が、王様を愛されるので、同じ夢を2度も見るようにされました。主なる神様が、王様に言われることがある。このように言ったのです。だから、パロ王が、とても感動したのです。本当にすばらしいだ。このように夢の解釈をして、戦略までみな話しました。私が、今まで神様を信じる人を何度か会ってみたが、あなたのような人を見たことがない。今日から、総理をしなさい。エジプトを思いのままにしなさい。それで、ヨセフが総理になったのです。天敵のようなヨセフを殺そうとした兄が、米を買いにきて会いました。私なら、それでも一言、言うでしょう。兄が私を売ったが、私は死なないで健在である。ヨセフはそのように話しませんでした。お兄さん、恐れないで、心配しないで。私たちを生かそうと、神様が私を送られた。正しいです。だから、心配する必要はない。ヨセフは福音を持った成熟した人です。こういう1人がどれくらい重要でしょうか。
■ダビデのような人を見ましょう。詩篇はほとんどダビデの詩です。ダビデが、どれだけ成熟した福音を持っていたでしょうか。この人の詩を見れば、色々分かるでしょう。ダビデがどれだけ苦労したでしょうか。今日、最初に思わなければならない部分です。この詩篇は、サウル王、アブシャロム、アヒトフェルが困らせたところで書いた詩です。ダビデは、どのように、こういう祝福された機能宣教を果たしたのでしょうか。最初、成熟した信仰を持っていました。皆さんが信仰を持つように願います。皆さん、一番苦しいことは何でしょうか。一番苦しいのは、近い人を通して苦しみが来ることです。ここを見ましょう。サウル王は、自らの家族です。サウル王は義父です。この人が、ダビデを殺そうと一生、ダビデに付いて回ったのです。これが成熟することも出来ない信仰人です。ずっと悪い人々の話を聞きました。少しだけ正しい人ならば、そんなにしないでしょう。ダビデを生かしてはいけない。ダビデが今、軍隊を集めている。ずっとこのように話します。少しだけ成熟した人ならば、このように話すでしょう。国を生かすのは、私よりダビデがより良い。私の婿である以前に、神様のしもべだ。彼が軍隊を集めるのではなく、あまりにも信仰が良いから、人々が追いすがるのだ。このように出て行かなければならなかったのです。しかし、ダビデを殺そうと目を皿にして走りました。皆さん、このように信仰に成熟することも出来ない人が、1人なってしまうとこのように問題がくるのです。ところで、ダビデが、どれくらい成熟して信じていたでしょうか。指示を与えました。どの場合にも、サウル王を害してはならない。指示をしました。そばの家来がきて、とても極限状況がくるので話します。今、サウル王は精神が狂って国家を動かせないから、はやく解決しなければなりません。解決策が何でしょうか。サウル王をなくすことです。それだけが道です。ダビデが3度も話した記録が出てきます。神様が油を注いだしもべに手をつけてはいけない。それだけでしょうか。どれくらい苦労をしたのかわかりません。しかし、そんなことをみな勝ち抜きました。信仰です。ダビデが神様を本当に信じる信仰。それも、単なるものではなく、成熟した信仰。
皆さんとても重要です。私たちは、こういうものを見ながら、少しずつ変えなければなりません。私は、牧会を良くする牧師を時々見ました。その方は、私を見て、いつでもこのように話しました。神様が、私に良い聖徒をくださって、私は真の祝福をたくさん受けた。このように話しました。そして、私は神様の民に仕えるのが、私の使命だ。こういう牧師は成熟した牧師です。ほとんど牧会に成功します。おもに、牧会が失敗した牧師に会って話すならば反対です。いつもさびしい、どうだ、何の長老がどうだ、ある執事がこうだ。このような形で話をします。私がいくら愚かでも、静かに聞けば、これは成熟出来ない牧師だなと思います。そのように現れます。会っても、とても成熟した長老を見れば違います。私たちが、教会と色々な全てのものによく仕えなければならないのに、足りないからと、心よりいつも思っています。また、ある人を見れば、牧師がどうであれ、教会がどうであれ、いつも方法を話す人を見れば、ちょっと成熟できない人だなと思います。また、牧師夫人でアン・ヒスク女史のような人は、いつも話せば、私は牧師と教会に迷惑をかけている牧師夫人だと言います。私は健康が良くなくて、牧師に心配をおよぼした者だと。神様の恵みで生きているが、本当に恥ずかしい、このようにいつも話します。それは成熟した人です。ちょっと欠けている牧師夫人を見れば、私が祈ったのでと話します。ちょっと欠けている牧師夫人です。人が成熟した人にならなければなりません。信仰に成熟した人です。これ一つに、いかに多くのことが行き来するのか分かりません。これが何でもないことのようですが、未来とも関係があります。大きい祝福とも関係があるのです。これが、祝福が入れられるうつわです。ダビデを見ましょう。そのような程度ではありません。ダビデに、今は、息子が逆らってきました。皆さんどんなことがあっても、息子が逆らってきたなら、どのようにするのか。ダビデが下に人に指示を与えて逃げました。驚いたのです。息子がお父さんを殺そうと、刀を抜いて軍隊を追い立てて王宮に入ってきます。ダビデがどれくらいあわてたのか、裸足で逃げました。それと共にした話があります。とても戦いを上手にする将軍に言った話があります。こっそりした言葉です。どんな場合にも、私の息子を殺すな。アブシャロムを殺すな。それがダビデの成熟した信仰だけでなく、お父さんの愛で、色々なものを持っていたのです。後ほど、ダビデがアブシャロムを殺した将軍を殺します。それだけではありません。このように、あのように顔色を見て、ここについて、あそこついて、国をごちゃごちゃにする家来がいました。それがアヒトフェルです。アヒトフェルは、元々ダビデの友人です。このように、あのようにして、敵について、国を乱したのです。ダビデが殺すことはありませんでした。ダビデが後ほど遺言する時、ソロモンに話しました。用心しなさい。結局、アヘトフェルがずっとそうするうちに、ソロモンに殺されました。私が見ると、このように成熟した福音を持った1人がどれくらい重要なのでしょうか。全国が祝福を受けました。ダビデ1人のために、詩篇がたくさん出たことはもちろんで、賛美がたくさん出たことはもちろんで、全国が恵みを受けました。ダビデ1人のために、時代が生き返ったのです。私たちは、困難に会う信徒、副教役者がたくさんいます。このような時、私たちは本当に成熟した信仰を持って、神様の前に献身すれば、神様は確かに皆さんを満たされるでしょう。だから、全く同じです。
■いくら親によく仕えても、すでに違うのです。すでに成熟した子どもは、両親に仕えるのが違います。いくら親に良くしても、遺産を得ようとする人がいます。親に本当に親孝行する心でする人がいます。成熟した子どもと成熟することも出来ない子どもは、見かけには全く同じでも違うのです。私たちは、表面だけ見て判断します。私たちはあらわれたことだけ見て判断するのですが、実際の中に入っているのは違います。神様がダビデ王国をなぜ祝福されたのでしょうか。神様は、今まで世界福音化する多くのしもべを単に祝福されたのでしょうか。神様は、皆さんの中心を見て、また私たち多くの聖徒の祈りを聞いて、神様は未来を準備されたのです。それで、今日の詩篇109篇は、機能宣教師と見られるダビデの、とても苦しんだ部分に対する答を半分だけ読んだのですが、サウル王、アブシャロム、アヒトフェル三人に対する話です。皆さん、こういう大きい祝福を受けることを希望します。
■ここに私たちのレムナントもいます。皆さんの家庭、環境が難しいこともあります。私はなぜこうなのか、私はなぜこういう親に会ったのか。それでは皆さんは負けです。すでに負けているのです。皆さんは、すでに未成熟で、事件に負けているのです。それでは、皆さんはこれから成功しても問題で、しなくても問題です。レムナントが信仰を成熟した信仰を持たなければなりません。こういう困難の中でも、私たちの親が私を大きくしてくれたんだなあ。本当に6.25(朝鮮戦争)世代を経て、4.19を経て、5.16世代を経て、こういう難しい世代をたどりながら勝って生きてきたんだなあ。さらに幸いなのは、私を福音が分かるように、このように案内をしてくれたんだなあ。これが成熟です。皆さんが成熟した、福音を持った信仰一つが、全てのものを左右します。今日、皆さんは祝福を受けるうつわとして準備されることを望みます。
■どのように、ダビデが一般信者宣教師として、こうしたことができたのでしょうか。二番目です。祈りです。今日の詩篇の本文を見れば、祈りが出てきます。とても重要な祈りが出てくるのです。詩篇109篇1節を見れば、私の賛美する神よ。黙っていないでください。4節を見れば、彼らは、私の愛への報いとして私をなじります。私は祈るばかりです。また26節、27節を見れば、わが神、主よ。私を助けてください。あなたの恵みによって、私を救ってください。こうして、これがあなたの手であること、主よ、あなたがそれをなされたことを彼らが知りますように。こういう内容が理解できるでしょう。22節を見ると、私は悩み、そして貧しく、私の心は、私のうちで傷ついています。と言いました。このように自分を謙虚に神様の前に祈っているのです。3つのことを悟らなければなりません。祈りに対して。今回、大邱(テグ)レムナントにこういう話をしました。単語をよく聞いてください。'常時の祈りの喜び'を捜し出さなければなりません。皆さんにすばらしいことが行われます。常時の祈りではありません。常時の祈りの喜びです。私はそれをのがす時ごとに失敗します。なぜなら、とても疲れてのがす時ごとに失敗するのです。秘書が報告をする時も、いつも祈りをしていれば大丈夫なのですが、していなければ、変に違うように指示をします。そこには多くの人間的なことがたくさん入っています。私は、ダビデを見ながら、この人は祈りの人だなと思います。皆さん、いつでも祈る喜びを悟れば、皆さんはまちがいなく勝利します。また、祈りに対してです。'定刻の祈りに対する価値'礼拝も一種の定刻の祈りです。皆さん、このような時、すばらしいことが起きます。そして、悟らなければならないことがあります。すでに備えられた祝福を味わう奥義です。ダビデは、これを持っていました。成熟した福音的な信仰です。それと共に、いつもいつでも祈る喜びの奥義があったのです。そして、時間を定めて祈る時ごとに、どんなことが起きるかが分かったのです。皆さん、良くないこと、良いこと、小さいこと、大変なことを通して神様の答えをいつも探せなければなりません。皆さん、学校でも小さな目に見えない答えを捜し出せなければならないのです。こういうものが全部、常時、定刻の祈りから出るのです。他の人が見ることができない祝福を発見しなければなりません。定刻、常時祈りの奥義です。他の人はできない現場を変化させられます。これが常時、定刻の祈りの奥義です。ダビデがこれを持っていたのです。皆さん、一度よく考えてみるように願います。よく捜し出すように願います。ダビデが持っていて、信仰に勝利した人々がすべて持っていました。私は事実、ここに対する多くの恵みを受けました。そのようにしなければ、このことをすることができません。今の働きが重要なので、ものすごいことが多くて、祈りの奥義がとても重要だと感じます。昨日は土曜日です。夜明けに起きて、産業宣教講義をしました。そして、すぐ移動して、イエウォン教会に行って、講義3ケをしました。またそれから、飛行機に乗って、車に乗って、大邱(テグ)に行って、講義3ケをしなければなりません。書かなければならないメッセージをみな書いて、家に戻れば夜です。これが何かたくさん積もります。皆さん、講義をした時間の後、血圧を一度測ってみてください。上下、20ずつ上がります。それだけ説教に力が入るのです。これを明け方から一日中するのです。どこで訴えれば理解できるでしょうか。しなければ良い、こうすれば良いのですが、またそうでもありません。家内はしなければ良いと言うのですが、しなければ良いのですが、それがそうもいきません。これは、人が祈りなしではできないのです。それで、今日は私が休めるでしょうか。このようになります。それで、私がこのようにして見たら、どんなことが出てくるかというと、判断や全てのものが祈りをしなくてはいけないのです。それで、聖書にある人々が多くの仕事をした人々が、祈るという言葉がこの話だなと説明するのが難しいほど感じられます。重要なレムナントを集めて話をしました。常時祈りの喜びを捜し出しなさい。定刻の祈りの価値と祝福を捜し出しなさい。それで、あなたたちは勝利するだろうと話しました。すでに福音を持ったからです。ダビデが、そのように捜し出して勝利しました。
■三番目です。ダビデが、どのように一般信者として神様の祝福を味わったのでしょうか。三番目が機能です。
ダビデは機能に多くの祝福を受けました。ダビデは、すでに仕事に対して、すばらしい機能の祝福を受けました。一言で、羊飼いだった時、羊一匹逃したことがなかったのです。それで、皆さんは簡単に知ることが出来るでしょう。詩篇78篇を見れば、正しい心と英知の手と言われています。Iサムエル17章34〜35節を見れば、私が羊を飼う時、羊一匹失わなかったのです。皆さん、これは普通に簡単に通り過ぎるように見られるのですが、この話がとても重要な言葉です。皆さんが会社で仕事をする時もそのようにして、教会の働きをそのようにして、聖日学校、聖歌隊の働きにも、そのようにしなければなりません。ダビデは、単なることではなく、どれだけ羊をうまく飼ったかというと、羊を一匹も失わない技術がありました。遠くから獣がくれば、石を投げて、獣を打ったのです。石で打って、獣が迫ってくれば、戦いました。ダビデが石を投げて獅子の頭を打ったのですから、ゴリヤテの頭を殴るのは何でもありません。これは私一人の考えですが、ダビデが、どのように獅子と戦って勝ったのでしょうか。皆さん、どのように、獅子がダビデに負けるのでしょうか。聖書に見れば、ダビデが獅子の口を裂いたとなっています。どのように、ダビデが獅子の口を裂けるのでしょうか。もちろん、神様がともにされたといえば簡単ですが、どのように共にされたので、獅子の口を裂いたのでしょうか。私が静かに見ると、可能なように見えました。ダビデが獅子が来る時、石を持ってライオンの頭を打ったのです。獅子が打たれても、羊の檻の中に入ってくるのでダビデが行って戦ったのです。簡単に話せば、頭が打たれた獅子の口を裂いたんだなあ。あくまでも私の解釈です。そのようなこともあるでしょう。そうでなければ、獅子と戦って、どれくらい戦ったのか、獅子が狼狽したのか、何か運が向いたのでしょう。ダビデがこの程度です。だから、この人が仕事にどれくらい専門性を持っていたのでしょうか。どれくらい祈ったのでしょうか。詩篇がほとんどダビデの詩です。生活も見れば、忍耐して、いつ挑戦して、とても専門性がありました。皆さん、あるものは耐えて、あるものは挑戦しなければなりません。ダビデが、ある時は戦いも上手にしたのですが、ある時は我慢しました。どれくらい素晴らしい人かわかりません。どれくらい専門性があったでしょうか。ダビデは、戦争で一度も失敗したことがありません。このように専門性があったのです。私は、私たちのレムナントと、仕事をする人々を見て300%の専門性を持ちなさいと言います。必ず記憶しなければなりません。何をしようが、そのようにしなければならないのです。小さい食堂をしても、300%の専門性を持たなければなりません。ご飯だけ作ると売れるのではありません。私ならこのようにします。韓国の最高の一流食堂に入って勉強します。大韓民国で一番商売にならない所に行って、一年ほどを働いてみれば、必ずうまくいく所はノウハウがあって、だめな所もノウハウがあります。それをキャッチしなければならないのです。そして、私がする技術です。100%の専門性。
■ソウルで弟子1人がそのような話をしました。ふぐの食堂をしたいと言いました。それで金を儲けたい。神様に仕えたい。良いだろう。それではこのようにしなさい。専門的に紹介をするから、ふぐ家に行って習いなさい。数ヶ月の間そのまま勤めました。自ら見て研究をしたのです。みな何かあります。それで勝利するのです。それで終わるのではありません。食べ物は作るのですが、食べることは相手方が食べます。食べる人の下で、研究しなければならないのです。相手に対して100%研究をしなければなりません。それで、終わるのではありません。私たちは、本当に祈りと本当に霊的奥義と、未信者を超越するほどの専門性がなければならないのです。難しくありません。私たちは、神様の祝福を少しだけ悟れば、誰でも受けられます。
■伝道は、例をあげれば、タラッパンの伝道は専門性があります。そして、ほとんど現場に今、食い込んでいます。神様がなさることですが、私たちが受けた祝福が何かを正しく知らなければなりません。専門性です。それが機能宣教です。皆さんが、機能宣教の最も大きい祝福を味わわなければなりません。ダビデは、機能にも専門性を持っていました。どれくらい専門性があったのか、それを置いて祈ったのです。私たち一般信者とすべての機能宣教専門性を持ちましょう。レムナントも専門性を持ちましょう。専門性を持とうというので、皆さん、難しいと思うのですが、そうではありません。やさしいのです。少なくとも、機能宣教では、教会の中に多くの人材が隠されています。そのような人を、一人一人知ることが出来る専門性を持たなければなりません。人々は、重要な人であるほど、自分を簡単に持ち出しません。ある愚かな人々は、産業宣教に行ったところ別に人物もいないと言います。それは愚かな人がする話です。本物の立派な人は、優秀だと行き来しません。教会は、人材もそうでない人もいますが、うまく混じっています。そのようなことをすでに分かるほど専門性を持ちましょう。それからしなければなりません。私たちのレムナントの学生たち、中、高等部、大学部の指導者は、学生たちを全部、知っていなければなりません。それが、専門性です。ある学生は、何の勉強がよくできるのか皆、知っていなければなりません。私が中、高等部をした時、子ども達の学校に行って、成績をみな見ました。おもに教会に来て、いざこざが多く騒々しくする子どもは、勉強ができません。申し訳ないのですが、息子、娘の成績も持ち出して見ました。一人で行って。持ち出して見せてもらったのです。息子に勉強はよくできているかと尋ねたら、できていると告げました。どれだけ、よくできているのかと聞いたところ、比較的よくできていると言いました。比較的、計算ができないと私が話しました。数学を言ったのです。それで、休みの時、数学を集中的に勉強しなさいと言いました。私たちが、専門性がなければなりません。難しくありません。私たちが少しだけ、誠意をもって祈れば、みな開かれるのです。ダビデがこういう専門性がありました。
■今日、皆さんになぜ一般信者宣教が重要で、機能宣教がなぜ重要なのでしょうか。私は、世界を回りながら、多くのことを見ながら祈っています。だから今、やさしい例で、他人の事を話す必要はないのですが、我が国のあちこちに文鮮明氏の統一教が入っています。こういう面で、一番たくさん入っていくのがニューエイジです。みな入っています。こういう面で、第1位に入っていく所がユダヤ人です。ユダヤ人を見れば、一番ダウンタウンで、一番たくさん集まる所に、一番大きいホテルを建てました。ここで、これよりさらに水準が高い団体がニューエイジです。そして、宗教を利用しながら、寄りついたのが統一教です。1千6百億円を持って濾水に最大のレジャータウンをたてようと準備しています。63ビルディング2倍になる120階ビルディングを作ると申込書を出しました。そこに統一教のマークを付けるということです。小さい韓国の土地に、飛行機で見下ろせば、その建物しか見えません。このように戦略的に出てきています。それでは、そのお金がどこから出てくるのでしょうか。私が裏調査をしてみたら、199ケ国を掌握しています。199ケ国の聖徒が力を合わせて保証人になって、後押しをしているのです。これを見ましょう。私たちが祈らなければならないのです。
今、答えを受ける、受けないというより、祈らなければなりません。なぜ、私たちのレムナントが答えを受けなければならないのでしょうか。なぜ、私たちの役員が祝福を受けなければならないのでしょうか。暗闇がとても起きるからです。私はこれを置いて祈りをよくしています。それで、私が過去にアン市長が生きていた時、そのような話をしました。金海(キムヘ)から私たちの教会に通り過ぎる所に橋をかけよう。私たちは事業家ではないから、手を付けない。ただ仕事だけなるようにする。それでハン・ドンフン長老に話をしたところ、長老がヨーロッパでお金を持って来ることができると言いました。アン市長が良いと言ったのです。ところが、私がよく知らなかったのが、下から接近すべきなのに、上からしたので、良くなかったのです。話が行き来する間に、アン市長がなくなって、仕事がこのようになりました。私が見ると、たくさんあります。国家で、私たちの国民にすることがたくさんあるのです。クリスチャンが知らずにいます。一例で、こうしたところをほとんどカトリック、寺でみな持っていきます。例をあげてみましょう。入口の海の前に訓練場が国家から金を受け取って寺でしています。プールのある修練場です。国家から金を受け取って、寺で作りました。することがなくて空いていたのです。私たちが一回ずつ行って合宿訓練をしています。お金を皆くれます。このような形で目に見えなく私たちは愚かです。みな奪われているのです。だから、目に見えることだけそうなので、見られないことがとても多いのです。機能宣教が祈りの答えを受けなければなりません。さらに重要なのは、皆さんの子孫のために祈りの答えを受けなければならないのです。こういう祈りを今日、神様の前にささげようということです。皆さん、これからも祈りましょう。ダビデのように、一般信者として宣教師を超越する一般信者宣教師になる。機能をもって宣教師になりましょう。この契約をつかむように願います。ダビデの神様は、皆さんの神様です。ダビデに答えられた神様は、今でも答えられます。それで、皆さんもこの祝福を受けられるのです。皆さんの残った生涯に、こういう答えがあるようになることをイエスの名前でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちの機能宣教献身礼拝を神様にささげます。今日、重要なみことばが成就するようにして下さい。子孫にレムナントに成就するようにして下さい。私たちの役員などと、すべての機能宣教チームに力を与えてください。聖霊の力を体験するようにさせて下さい。それで、多くの人を生かす答えを味わうようにさせて下さい。残った時間にも、歩みごとに神様が答えてくださることを信じます。主イエス キリストのお名前でお祈りします。アーメン