2005年5月29日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/私はどこからきて、どのように生きて、どこへ行くのか?
(ルカ16:1〜13)

・今日の本文はよく知っている本文です。イエス様が直接説明された、とても重要な本文でもあります。若い学生が、軍隊に行ったのですが、軍隊で自殺しました。その人を知っているすべての人々がショックを受けました。最もショックを受けた人は、彼の両親でした。ショックを受けるのも事実ですが、どうしようもない事です。また忘れることができないでしょう。私が知っているある学生は、学校に行って帰ってきて見たら、自分のお母さんが自殺をしていたのでした。それを見た瞬間、とてもショックを受けて、おとなになっても、そのショックを忘れられなかったのです。とても賢くて、勉強もたくさんした人が、官職についたあとで自殺をしました。また、お金も多くて、多くの背景がある経済人が自殺をしました。私たちは、各々が理論をもって話したり、解釈したりもします。しかし、そこには重要な理由があるのです。軍隊に行ったところ、軍隊で誰かが自分を困らせるからといって自殺をすることはありません。経済が困難になったといって自殺することはありません。その前に、他の重要なことがあるのです。普通、そのような人々の特徴があります。本人だけが知っている特徴があるのです。それがうつ病です。うつ病というのは、大小の問題で特徴がみな違うから、表にはよく現れません。ある面では、誰もが持っていると見なければならない病気です。それで今、うつ病のために事故がおきて死んだり、自殺をして死ぬ人の数が、ガンになって死ぬ人々より多いということです。また、私たちが病気に長い間捕われれば、うつ病に陥るようになります。

・予期せぬ失敗をするようになって、また、それがすぐ回復しなければ、うつ病になったりもします。年を取れば取るほど、うつ病になったりもします。それで、前にしなかった'人間がどこからきて、どこへ行くのか?'に対する質問をしたりもするのです。こういう質問を早くする人もいます。正確に言わば、うつ病に早くなったのです。仏教信者には申し訳ないのですが、私が見る時には、釈迦は幼い時からこれを悩んだようです。人は、'人はなぜ苦労して死ぬのか?’ に対して悩んで、家を出ることはありません。しかし、釈迦はそれのために家を出たのです。人生がなぜこのようなのかに対して悩んだために、財産も家庭も王位も捨てて、家を出るということは、ほとんどないことでしょう。私がその方について研究をしてみた結果、この方はこういうものに対して幼い時から苦しめられたのでした。うつ病に苦しめられれば、お金も嫌いで、良いものも嫌いになって、みな嫌いになります。だから、苦しめられるようになれば、家も嫌いなのです。うつ病ということは、神様を離れた、その時から始まったのです。問題は癒されないのです。世の中から来たならば、世の中の方法で癒せるでしょうが、そうではありません。

・ある程度の精神問題ならば、宗教で解決されるでしょうが、それでもないのです。この方も、ものすごく苦労をしたのでした。うつ病に襲われて、苦しめられなければ、そのような問題で苦しめられません。結局は、道を探せと話して、自分は答えを提示できなかったのです。他の人は、すごい人だと見るのですが、私はそのように見ません。重要なことに会って苦しめられて行った人だと思います。大きい人物であることだけは確実です。しかし、道を話すことができなかったのです。今、釈迦の心をだれが分かるでしょうか。うつ病になった人の心は、誰もわかりません。ナポレオンのような人は、一歩遅れてなったのです。事実は、ナポレオンはネルソンという人に負けました。その時から、ナポレオンはうつ病に苦しめられたのです。それで死ぬようになった時には、からだにも心にも病気が来たのでした。

・今日、ここで金持ちを見ると、毎日、酒盛りをしていたということです。このうつ病は、神様を離れたところから始まるから、聖書を見れば、それしか方法がないのです。それで、このようにすべての宗教人が、うつ病になって、開始するのです。私は確かにそのように思っています。人が暮らしている家を出て、山で髪を剃って座っているというのは、普通の人ではありません。本人には少し申し訳ない話ですが、正常な人ではありません。本人にはとても申し訳ない話ですが、とても違う方向の人です。ですから、神様に会うことができなくて、人間がもがくから、それしか仕方がないのです。前にも話したのですが、福音を正しく悟ることができなくて牧師をするということは、正常な人ではありません。ですから、ずっとうつ病になるのです。

・今日、その中の一部分をイエス様が話されたのです。金持ちが1人暮らしていたのですが、その家の前には、乞食も暮らしていました。その金持ちは、毎日、パーティをしていました。しかし、乞食は門の前で、もの乞いをしながら暮らしていたのですが、からだに病気もあって、その病気の部分を犬がなめることもしていたのです。ある日、このラザロが死にました。死なないように思っていたのですが、金持ちも死んだのです。しかし、それで終わるのではなく、金持ちは地獄に行って永遠に苦しんでいたのですが、ラザロは、アブラハムの懐に行ったのです。イエス様の比喩です。私は、ここでとても重要な答があると思います。本当に、私はどこからきて、どこへ行きながら、どのように生きなければならないのでしょうか。こういう重要なことが入っているのです。私たちが、うつ病までならなくても、圧迫されることがとても多いのです。私たちが、人の前でみな話すことができなくても、私たちが受けるストレスはとても多いのです。そして、私たちは予期しない霊的問題がとてもたくさんきます。今日、この本文を見ながら、どのように、この病気から抜け出して、正しい生活を送ることができるのでしょうか。

・今日、イエス様のみことばの中で多くのことを悟れるでしょうが、最初です。救われた者が、インマヌエルの祝福を味わう時、解決されるのです。いくら金持ちでもだめなのです。それで、いったい私はどこからきたのでしょうか? 私たちは、ご飯を食べようときたのでしょうか。私たちは、確かに質問しなければなりません。それなら、私たちは本当に哀れです。もしかしたら、ショーペン・ハウワーの話のように、はやく死んだ方が良いのかも知れません。私たちは、いったいどこからきたのでしょうか。救われて神様に会うインマヌエルの祝福を味わわないならば、私たちの人生は難しくなるでしょう。それで、この金持ちには、四つがありませんでした。この人は、毎日、酒盛りをしたことを見ると、真の幸福がなかったのです。あるはずがありません。お金はありますが、どこからきたお金なのかも知らずに、毎日一緒に酒盛りをしたとなっています。真の幸福はなかったのです。そして、真の友人もありませんでした。この金持ちの周囲には、全部、酒飲みしかいなかったのです。ここではそのような言葉を使っているか知りませんが、慶尚道(キョンサンド)では酒飲みを'招杯人(チョッペイ)=乾杯を楽しむ人'と言います。簡単に話せば、周囲にいる友人だと言う人々が、全部、乾杯を楽しんでいただけなのです。正しい友人はいません。

・そして、この金持ちは、真の希望や目的がありませんでした。そうするうちに、ある日、突然死んだのですが、来世もなかったのです。こういう問題が金持ちに来たのでした。しかし、金持ちの家の門の前で食べたラザロも死にましたが、この人は神様の中に帰ったのでした。このラザロは、救いの祝福は受けたのですが、インマヌエルの祝福を味わうことができなかったのです。今日、イエス様がされた質問です。どちらがより良いのか? その話です。今日の本文をよく見られなければ、よく食べて良く暮らす金持ちは、地獄に行って、貧しい人々は天国に行くと誤解することもできます。よく食べて良く暮らした金持ちが死んで地獄に行った。そして、とても貧しい人が苦労して死んだが天国に行った。二つのうちどれがより良いか? という話です。この話であって、金持ちは地獄に行って、乞食は天国に行くという言葉ではありません。たとえラザロは乞食だったが永遠な神様の中に行って、金持ちはしばらく良く暮らしたかもしれないが、永遠な地獄に行った。言わば、私たちの人間がどこからきて、どこへ行くかについてです。そこに対する契約を堅く捕まえていてこそ、私たちは勝利するようになるのです。

・ここで二番目に捕まえなければならないことがあります。神様の子どもになって、来世の希望を味わう時に、死も恐ろしくなくて、勝利することができるのです。ここでとても重要なのは、私たちの人間は、誰もが皆死ぬのですが、これのために多くの混乱がくるのです。今、多くの未信者は、いくつかの誤解をしています。第一に、死ねば終わりだと誤解している人がいます。ある人は、反対に、他の動物や生物に生まれ変わるとも言います。こういう理論のために、ますます難しくなるのです。もし死ねば終わりならば、このように生きる必要がありません。それで、この世には問題がしばしばくるのです。死ねば終わりであるから、だめならば人を殺したり、自殺をしたりもするのです。また、死んだ後には、他の生き物で生まれるというのです。絶対に錯覚です。

・韓国の公営TVの放送プログラムで、ある有名な人が出てきて、前世を知らせるプログラムがありました。目をとじて前世を見るのです。それを公営放送で見せていました。一般の人々は、ほとんど知らないのです。それが全部、悪霊のしわざです。人生が過去には犬だったが、現在は人に生まれて、そんなことはありません。皆さんが少し間違ったら、来世にはネズミになるようなことはありません。今は人なのに、犬のスープをとてもたくさん食べれば、来世には犬になる、そんなことはないのです。話にもならない理論です。こういうものが出てきて、人々を混乱させるのです。この世に生きて、話をちょっと聞かなくて、来世には、牛に生まれる、そのようなことはないのです。絶対にだまされてはなりません。ところで、それを実際に見せるのですが、それが全部、悪霊のしわざです。しかも、一つの理論は、死ねば悪霊になるということなのですが、絶対にそうではないのです。

・今日の聖書には、死ねば地獄に行くと言われています。神様の民が死ねば、天国に行って、神様を知らない民が死ねば、地獄に行くのです。簡単に話せば、悪魔に仕えた人が悪魔の国で行って、神様に仕える人は、神様の国に行くのです。しかし、しばしば混乱を与えて、この三つで混乱させるのです。私たちの人生は、死ねば終わるのでは絶対にありません。皆さんが今日、福音を受けたのが、子孫に伝えられて、霊は死なないで、ずっと伝えられて行くのです。前世に他の動物であって、現世には人になって、こういうものは、全部、悪霊のしわざです。死んで悪霊になることはありません。聖書にはそうなっていません。死ねば悪霊になるのではなく、地獄に行くのです。'先生、ムダン(霊媒師)や占い師が、死んだ親や兄弟を呼んで話すのですが、それは何ですか? 'と聞くでしょうが、それが全部、皆さんをだます両親や兄弟のまねをする悪霊なのです。もし、そのようならば、捜査官が何で必要なのでしょうか? 全部、占いやムダン(霊媒師)呼んで解決すれば良いことではないでしょうか。そこから出てきた理論が先祖供養なのですが、間違った理論です。'ペレヤ'という団体で、未信者が死ねば悪霊になって、信者は死ねば天国に行くという言葉を言いますが、それでもありません。

・今日、皆さんが必ず記憶しなければなりません。私たち神様の民は、この世に生きて死ねば、私たちの霊は死なないで、神様の国に行くのです。ここで今、死んでみた方がいないから、正しく証明することは大変です。しかし、死んで生き返った人々が時々います。私たちの村には、ある青年が死んだのですが、お棺に入れて行くのに生き返ったのでした。普通、死ねば、何の理由があるのかは分かりませんが、全身をくくってしまうのですが、解いておくのも良いようです。それも子どもたちが死ねば、そんなに激しくしないのか、この青年が死んだのですが、なかでうごめいて生き返ったのです。その人の話を聞いてみれば、自分がどこかへ行って、また帰ってきたということでした。それが正しいでしょう。私たちの人間が死ぬ瞬間、牛にかわったり、悪霊になるのではなくて、永遠な世界へ行くのです。これが地獄か、天国かが問題です。

・さらに重要なのは、三番目です。私たちは、とても重要な部分が、天国の民が天国に行くのですが、この世でその祝福がすでに成されるのです。皆さんが地獄で行く人ならば、すでにこの世で、その影響がくるのです。これがとても重要です。皆さんの国籍が米国ならば、韓国に住みながらも、米国の影響をずっと受けます。皆さんが、国籍が韓国ならば、インドに住んでも韓国の影響を受けるのです。私たちが救われた神様の民ならば、この世に生きる間、天の御座の祝福を受けて味わうようになるのです。今日、この祝福が皆さんに本当にあるように願います。皆さんの家、職場、背景の中に、神様の国の祝福があるように願います。これが聖書が話している、とても重要な部分です。近頃は、はやく行く列車ができました。ソウルで汽車に乗れば、大邱(テグ)に到着すれば、二時間程すれば到着します。それで、そこで集会をして、またソウルに戻っても、夜9時くらいなら到着することができます。はやく行くという意味でKTXと言います。そのうちでも特別室があります。特別室に行ってみると、一般室と椅子も違います。新聞もあって、飲み物もくれます。文章を書くのが確かに楽で良いのです。それで、どこから違うかというと、乗る前にチケットを切るところから違うのです。一般室を利用する人々は、列に並んでしばらく待たなければなりません。それで、特別室に入る人々は別にいるのです。

・何の話なのか分かるでしょうか。神様の救われた天国の国民は、この世に生きる間に、すでに違うように祝福を味わうということです。飛行機もファーストクラスに乗ってみれば、完全に違います。行く前に、すでに連絡がきます。食べ物はどんなのが好きなのか等、秘書にみな連絡がきます。席に座っていれば、事務長やフライトアテンダントが、いちいちみな挨拶しにきます。そして、少しからだを動かしても、来て、何かありますかと尋ねます。ライトをつけても来ます。それで、まったく面倒なので、呼ぶ前にはこないでくれとお願いします。それでも一回ずつ追いかけてきて、何かありませんかと尋ねてくれます。初めから、チケットを切ることから、カバンをのせて行く時から違うのです。同じであるはずがありません。

・皆さんがとても重要なのは、神様の国に名前が登録された神様の民は、この世に生きる間に、天国の祝福を味わうということです。皆さんが地獄の民ならば、この世でずっと呪いが臨むのです。さらに重要なのは、子孫にも、その働きが起きるのです。人々はよく知らずにいます。皆さんがイエス様を受け入れた親の子どもと、そうではない子どもは違うのです。年をとった方が老いる前にイエス様を受け入れて、救われてしまえば、目に見えなく、その人の運命が変わってしまうのです。こういう部分を、人々がほとんど知らずにいます。この祝福をラザロがのがしたのです。

・今日、イエス様が言われた比喩ですが、金持ちは地獄に、ラザロは天国に行ったが、だれがよりよかったのかという時には、ラザロナがより良かったのです。しかし、私たちは、この世に生きる間に、救われた民がラザロのように生きていてはいけません。これは、イエス様の比喩であるだけです。しかし、とても重要なのは、マタイ28:16〜20に見ると、天と地のすべての権威を持ってあなたと共にいると言われました。重要なのは、使徒1:3に見ると、神様の国の事をおっしゃられたとなっています。私たちが、まだ神様の国に行くこともしなかったのに、神様の国の事をおっしゃられたのです。使徒19章にも見れば、パウロが伝道しに行って神様の国について話しました。今日、皆さんがこの貴重な時間に、本当に祈りの答えを受ける契約で捕まえるように願います。祈りの答えを受ける契約を捕まえようとするなら、どのようにすれば良いのでしょうか。

・今日、ここに見ると、金持ちとラザロの比喩が出てきましたが、最初のことが何かといえば、私たちは本当に神様の国の民にならなければならないということです。私たちは来世があるから、この世で生きていく間にも、心配しないで、死も恐れません。さらに重要なのは、神様の国に行く人々は、この世に生きる間、神様の国の祝福を味わうようになっているのです。今日、重要なのは、この金持ちが突然に死んでみたら地獄だったのです。遠くを見ると、簡単に見られるものと思ったのに、ラザロがいました。ラザロがいる所を見てみると、そこは天国でした。こういう話をしたのです。あの人は、我が家の前で毎日食べた人なのに、私が今、とても喉が渇くので水一滴だけくれと言ったのです。どれくらい喉が渇いたら、水一滴だけくれと言うでしょうか。皆さん、お腹も本当にすく人は、一さじだけくれと言います。ご飯を一セットくれと言う人は、腹がへった人ではありません。本当に腹がへった人は、一さじだけくれと言います。

・どれくらい水がなくて苦しんでいたのか、水一滴だけ私の口につけて濡らしてくれと言ったのです。ところが、天国、地獄が近くに思ったのですが、渡って行くことはできないのです。だから、何と話したでしょうか。大変なことになったと言いました。それでは、私の兄弟五人がいます。彼らに行って、ここに来ないように話してくれと言ったのです。これが今現在、救われても、救われていなくても、皆さんの親の願いです。私たちの兄弟五人は、ここに来ないようにしてくれ。それはモーセと預言者があるので、話しに行く必要はないと言いました。モーセと預言者ということは、モーセ五書と預言者の書という話です。だから聖書があるので、聖書でわかるようになるという話です。くることもできなくて、行くこともできなくて、永遠に出て来ることができないと言いました。私たちはこれを見ながら、私たちがしばらく生きる間に、天国、地獄を考えもしなかったのですが、こういう部分があるのです。

・中学生の時に読んだと思います。ダンテという人がいます。ダンテという人が、神曲とは神の歌という意味ですが、神曲という小説を書いたのです。自分が死を迎えた経験で文章を書いたのです。かなり、一理があります。ダンテという人が書いた小説を見れば、1地獄、2地獄、3地獄、4地獄........9地獄まであります。聖書にはそのようなことは書いてありませんが、ダンテが書いたことです。1地獄は、罪を一番少なく犯した人なのに、罪を一番たくさん犯した人は9地獄に入っています。9地獄はドアをあけてみると、2人が座っていました。ダンテが果敢に書いたのですが、イエス様を裏切ったイスカリオテのユダと、ジュリアス・シーザーを裏切ったブルータス2人がそこにいました。

・面白い表現はどこかというと、皆さんも小説を見たてしょうが、汚物の水に落ちていたのでした。悪魔が大きい棒を持って、上がってくれば押して、上がってくれば押して、それを永遠に押しているのです。だから、罪を犯したとおり行くのに、それは正しいでしょう。地獄に行ってみると、罪を犯したとおり、罰を受けます。1地獄を見てみました。1地獄は罪を一番少なく犯した人々です。そこにダンテが行ってドアをあけたのです。この人が面白い文章を書きました。果敢に名前を明らかにしたのです。自分が1地獄で見た三人を記録していました。孔子、ソクラテス、釈迦の三人が座っていたのです。ダンテがそのように書きました。私はかなりよく見たと思います。その中でも一番良い1地獄です。監獄所の中にも良い部屋があります。地獄の中でも1地獄が一番良いところです。それで、私の中にそこが極楽のようだと思いました。そのうちでも一番楽しいところであるから極楽です。

・皆さんが今日、本当に祈りの答えを受けられるでしょうか。皆さん一つ考えを必ずしなければなりません。ある人は、こういう冗談を言いました。天国に行って3回を驚く。なぜ驚くのでしょうか。最初に驚くこと。とても信仰生活をがんばって、祈りをよくして、伝道よくして通っていたのに、その人がいない。それで驚くということです。皆さんがいなかったら、どれくらい驚くでしょうか。聖歌隊員が天国に行ったら、指揮者のオ・チャンホ執事がいない。どれくらい驚くでしょうか。ところで、二番目に驚くことがあります。その人は、絶対に来ないことと思っていたのに、その人が来ている。例をあげれば、強盗などが来ているのです。本当に驚くことではないでしょうか。本当に来ると思っていたその人は来ていず、絶対に来られないと思っていた、その人が来ているのです。

・そこで、三番目に驚くことがあるということです。ものすごいが、私がどうしてきたのか驚くということです。かなり意味がある冗談です。いくら優しくても、アブラハムのふところに抱かれたということは、救いを分かる者を言います。いくら不道徳な者のように見られても、神様の救いを受けた人は、神様の子どもになるのです。皆さんがいくら過去が悪くても、イエス・キリストを信じる者は、神様の子どもに変わってしまうのです。地獄に行こうとしている皆さんの名簿が、天国の名簿に変わってしまうのです。これが救いです。何かそのような救いがあるのでしょうか。説明をしばらくしなければなりません。皆さんが神様が与えられるイエス・キリストによって神様の子どもになるのに、どんな祝福が来るのでしょうか。天国が皆さんのものになるのです。

・この時から二番目に付いてくることがあります。皆さんが、この世に生きる間、神様の国が臨む祝福が臨むようになるのです。その時からは、金持ちのように生きるのではなく、ラザロのように生きるのでもなく、神様に栄光を帰す人で行くようになるのです。間違いありません。皆さんの家、皆さんの事業の場、皆さんの職場、皆さんがいる現場の中に、この神様の祝福が必ず臨むようになることを希望します。パリサイ人がこれを理解できなかったのでした。イエスを信じるのが何かを理解できなかったのです。今日、イエス様がこの説明をされたのですが、この時間に、皆さんがイエスを信じることを理解して帰らなければなりません。イエス様が私たちの風邪でも直そうと十字架に釘づけられたのでしょうか? 私たちがご飯を食べることのために十字架に釘づけられたのではありません。皆さん、この部分を今日、知っていなければなりません。ここは知識人がたくさんいます。知識人が分からなければなりません。どのようにおもしろく生きるのか? それのためにイエス様が十字架に釘づけられたのならば、教会に行かなくても良いのです。それのためではありません。人間を永遠に滅亡させる罪悪と地獄、サタンの勢力をなくすために、神様がイエス様を送られたのです。いくら弱くて、乞食でも、この契約を悟った人は、神様の国の民になるということです。皆さんが、その祝福を持っていれば、職場の中に神様の国が臨むようになります。それで、祈りの答えを受ける神様の子どもになるのです。だれがより良いか、私たちは金持ちのようにでもなくて、ラザロのようでもなくて、神様に栄光を帰す人に変わるのです。皆さんがこの祝福を必ず受けることを希望します。

・ソウルに来てみたら、ソウルの教会も昔に見ると、奉仕、救済こういうものをよくしました。良い行い、こういうものをよくしたのです。良いのです。常識です。それでは一つ尋ねたいのです。それをするためには、必ず教会に行かなくても良いのです。分かるでしょうか? それのためにイエス様が十字架に釘づけられて、預言者を送って、そのような程ではないのです。人間は、目に見えない災いと地獄、呪い、権力、サタンから抜け出すことができないから、キリストを送られたのです。何の話なのか分かるでしょうか? 必ず私たちがうどんを煮てあげて、ご飯を与えて、救済して、良い行い、奉仕するなら、あえて教会に行く必要はないのです。それは間違っているのではないのですが、当然すべきだということですが、それはすべての宗教がみなできるのです。あえてそれを持って宗教を作らなくてもかまわないのです。さらに重要なのです。

・皆さんに迫ってくる人生のうつ病や失敗をどのようにするのでしょうか。それを解決するところが、神様の国の民になることで、この世に神様の国が臨むようになることで、それで、皆さんが人を生かすようになるのです。皆さんが、この祝福を必ず受けることを希望します。メシヤを送る、キリストを送る。それを旧約で多くの預言者を殺しながら話されました。理由が何でしょうか。メシヤを送ったら、あなたたちが救済の運動をしなさいということでしょうか。そうではありません。ものすごい重要な問題、皆さんが天国か地獄か、身分が変わる問題です。昨日にも話したのですが、ヨセプスが歴史の記録によれば、イエス様が十字架をかついで行って十四回倒れたということです。その昔に、ゴルゴタで十字架を背負って行って、あまりに荷が重くて倒れたのでした。イエス様が倒れる所ごとに血を吐いたということです。血を吐いたということは、手の平をたたいたり、足の裏をたたいたり、お尻やふくらはぎを叩かれて血を吐くのではありません。血を吐いたということは、胸をとてもたくさん殴られてこそ、血を吐くのです。イエス様が十四回も倒れる所ごとに、血を吐いたということです。それで、ゴルゴタに十字架にかかった時、雷と稲光がする中で、イエス様がこのようにおっしゃられたのです。「完了した」全てのものをみな成し遂げた。

・皆さんはこれ以上、サタンの勢力の下にいる必要がありません。みな成し遂げた。今は呪い、運命の下ではありません。みな成し遂げた。今日、神様の国の民、大胆にこの契約を捕まえるように願います。イエス様が、十字架に最後に死にながら、ご飯を与えろと言われたでしょうか。私が十字架にかかるのは、救済運動するためだ。絶対に違います。それは誰でもできるのです。私たちの教会が、今、個人が生かされ、首都圏を生かして、世界を生かそうとするなら、この契約を捕まえなければなりません。

・'先生、私も祈りの答えを受けられますか? 'このように質問したい人もいるでしょう。3つのことを記憶しましょう。本当に私も祈りの答えを受けられるのでしょうか。受けられます。神様が送られた福音、イエス・キリストによって、皆さんの身分が神様の子どもに、天の国民に変わるのです。二番目です。皆さんが少しだけ信じれば良いのです。神様の国が臨むようにしてくださいと、皆さんの職場、家で少しだけ祈れば良いのです。そして、最後に、これまで神様なしで持った傷、うつ病、こういうものがあります。こういうものを全部、祈り、神様の計画に変えましょう。

・私が先週に話しました。私の父は、40才で結婚をしました。だから、母とは十三才の差がありました。父が四十才で私が産まれたのですが、とてもうれしくて、せきする病気が治ったということです。だから、私の父が、私を十三年間、育てて亡くなったのです。それでは、何歳で亡くなったのでしょうか。53才で亡くなりました。そういえば、ナポレオンも53才で死んだのですが、その時に亡くなりました。それで、母と父が、13才差で、母が何歳だったでしょうか。40才です。だから、父と十三年間暮らしたという結論です。でなければ、前に二人が死んだので、十五年間暮らしたという結論です。それはそうと、皆さん、40才になる未亡人が子どもを4名連れていたのです。これが普通の問題ではありません。うつ病や病気が来ても、普通の問題ではありません。しかし、これを追い払ったのです。

・母が完全福音と祈りで追い払ったのです。祈りをして、神様の前で契約を捕まえて、行く所ごとに答えを受けたのでした。職場のなかでどれだけみわざが起きたかというと、職場の中にいた人々が、公務員関連の仕事をしていたのですが、大統領に話して賞をもらえるようにしてくれたのです。どれくらい仕事を良くして、祈ったから、他の人が推薦をしたのでした。私の母に機能があったでしょうか。月給を少しずつもらって、仕事をする人でした。有難くも、政府側から提示してくれたのでした。今まで仕事をしたのを、公務員と同じように仕事をしたことにしよう。だから、職場の中でもどれくらい祈りながら仕事をしたのか、職場にも起きて、一度は母が病気で、仕事を出来なくなったら、その人々が心配をしてくれたほどでした。困難の中で、この契約を捕まえて祈ったのですが、今、私たちに来る答えは話せません。私は、ここに神様のすばらしい計画があるのを分かりました。

・今日、皆さんが3つのことを捕まえるように願います。天国の民、イエス様が今、説明されたのが、天国の民という説明です。皆さんがこの世に生きる間に、方法、神様の国の秘密。神様なしで生きてきた時、皆さんのすべての過去、傷、すべてのうつのこと、全てのものをみな祈りに変えましょう。それで、すばらしいみわざが起きます。私は考える時ごとに、奇跡だと思います。先週にも何度か話しました。考えれば考えるほど、福音の力と母の祈りは、普通のことではありません。とうてい有り得ないことです。神様がどれくらい祝福されたのか、その時から今まで、私が一度も病気になったことがありません。皆さん、病気にかかって倒れてしまえば、できないでしょう。これは本当に奇跡です。だから、この間にも話したのですが、私のような人だけならば、医者たちは完全に乞食になります。神様が私の母の祈りをお聞きになって、どれくらい私たちを保護されたか、私は歯も一つも虫歯になりませんでした。

・修正しますが、家内が9ケ虫歯があると言ったのですが、5ケだけだということです。5ケなのに、なぜ9ケだと話すのかと言われました。知らなかったと言いました。神様がどれくらい保護されたのかわかりません。私は今、不思議に思うほどです。皆さん、契約をつかむことを望みます。神様の民という話は、天国の民なのですが、皆さんはすべての身分がみな変わって呪われないということです。もうこの祝福を持って職場に行って、会社に行って、学校に行くのです。

・私たちは、神様を離れてしまってあったすべての過去が、私たちも知らずに迫ってくるから、これを全部、祈りに変えましょう。重要な話です。皆さんが幼い時に受けた傷をそのまま置いておけば、全部、戻ってくるから祈りに変えましょう。その中に特別な神様の計画があるのです。今日、金持ちとラザロの話を聞きながら、皆さんは、天国の民という契約を堅く捕まえる祝福の日になることを希望します。

<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、貴重な神様の国民が、この席に参加しました。一時間ですが、一生を左右する時間になるようにして下さい。神様の国の民であることを悟る時間になるようにして下さい。もうラザロのように生きるのではなく、それをもって現場を生かすようにさせて下さい。私たちの過去、傷、すべての弱い部分を、祈りの課題に変える日になるようにして下さい。生きておられる主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン