2005年10月23日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/我が所有
(詩119:49〜56)

・皆さんがこの席にいらっしゃって、全国、世界で礼拝しているということは、生きているという証拠です。生きている皆さんは、何でも新しく始められます。全部、残っている人生が機会になることができるのです。それで、新しい祝福を受ける開始になるように願います。多くの方が困難にあっています。おもに何の困難なのかというと、経済の困難です。また病気にも困難にあっています。その次に、想像以上に多いことが人間関係による色々な問題が多くありました。こういうものも、私たちが新しく始めれば良いのです。私は多くの聖徒にそのような部分を見たし、また話してあげたかったのです。私たちが事業を始める時には、とても正確に事実を見て始めなければなりません。大部分の人々が、そのようにしないで始めるのです。ですから、90%程度の失敗を持って始めるのです。始める時にはとても正確でなければなりません。ほとんど300%の専門性を持たなければなりません。そうではなくて始めてはいけないのです。しかし、大部分の人々が専門性は10%もないのに始めるのです。

・もちろん、信仰でしていれば模範になることはあります。しかし、神様はより大きいことを希望されるのです。皆さんがさらに正確で、より大きい答え受けることを神様は希望されるのです。皆さんが事業がちょっとうまくいったり、仕事をしている方々は、およそ30%は未来を準備しなければなりません。そのようにしなければ、皆さんがある日'昔には本当にうまくいったのに‥'こういう話をする時期がくるでしょう。私たちタラッパンが、共同体を作るのは未来を準備するのです。それと同じように、事業もそのようにしなければならないのです。また皆さんが一般的と思うことなどを聞いてみれば、本当に残念なことが多いのです。皆さんが収入があれば10%は神様にささげましょう。人よって違うでしょうが、収入がとても少ない人々は、10%程度は貯蓄をしましょう。それにしても少ないのに、何の貯蓄をするかと思うでしょうが、生活のレベルを低くすれば良いのです。そして、貯蓄のレベルを高めれば良いのです。ひょっとして皆さんの月給が少し上がれば、上がらなかったと思って、半分程度は特別貯蓄をしなければなりません。ある時には皆さんが特別な祝福でお金ができることもあるでしょう。それは神様と未来のために特別貯蓄をしましょう。片っ端からみな使うのは良い習慣ではありません。ある人々はみな使ってしまうまで歩き回ります。それほど良い習慣ではありません。いつも困難にあいます。それでは他の人に借りなければなりません。それでは色々な困難が継続します。私たちはそのように生きる必要がありません。私の生活のレベルを低くして神様のために準備して、貯蓄して、そのようにしなければなりません。そのようにすれば、誰も私をあざ笑う人がいません。皆さんが借りに通えばあざ笑われます。私たちが神様のためにそのようにしたら、神様が祝福されるでしょう。

・勉強を全くできない米国の人がいました。習ったことがないから、他人の店で仕事をしたのです。どれくらい運営が上手だったのか、その店がその人のために売り上げが倍に上がりました。ですから、誰が仕事をするかが重要です。主人が見たら、とても尊かったでしょう。売り上げが倍に上がるから、月給も倍に与えたのです。受けたものを、また貯蓄しました。そうするうちに、あるお客さんが計算をして行ったのですが、見たらより多く出して行ったのです。うわさをたよりに捜査をして、その人を捜し出して、知らずにさらに受けたとお金を返しました。時間が流れた後、そのお客さんがその人を呼びました。自分の商店で仕事をしろということです。それで、また熱心に仕事をして、聖日には必ず教会に行って、神様に仕えて教会学校を熱心にしました。彼はどんどん神様の祝福を受けたのです。勉強は全くできませんでした。しかし、大学を卒業した人よりはるかに知恵がありました。米国では金持ちに噂になり始めたのです。米国最大のデパートを持つようになりました。米国の大統領が長官に任命することもしました。誰なのか分かるでしょう。ジョン・ワナーメーカー(Jone Wanarmaker)という人です。私たちが神様の前で正しい知恵で生きれば、神様は祝福されるのです。

・私は幼い時、名節(韓国固有の盆・正月)になったら、お客さんや大人たちがたくさん来ました。新年の挨拶をしに行くと、お客さんに新年のお年玉をもらうこともありました。3日過ぎればポケットにお金がたくさんできました。それで、我が家の床の下に穴を掘って、カンに入れて隠して置いていたのです。悪いことしていると思って、震える気持ちで隠して置いていました。そうするうちに、ある日、うちの母に見つけられたのです。私は母をだまして隠したので、とても間違っていることだと思ったのですが、うちの母が、とてもほめてくれたのでした。その時になって、私はそれが良くしたのだと知りました。うちの母が'どうして、あなたがこれをみな使わずに集めていたのか、こんなところに置いていたら危険だ。'それと共に持って行ってしまいました。必要な時に言いなさいと言われたのですが、まだもらうことができていません。今、思うと、良い習慣だったようです。友人を見れば、金があれば通いながらみな使っていました。私は不思議に悪い習慣なのかは分からなかったのですが、できるだけ使いたくなくて貯めたかったのです。幼い時は、とても悪い習慣だと思っていました。過ぎて見たら、良い習慣でした。

・私たちがいくら難しく暮らしていても、充実して神様の前で祝福受けるように、そのように生きなければなりません。多くの人々が経済の困難に会います。だから難しい中に、さらに難しくなるから、うろたえるようになって、どんどんおかしくなるのです。そうするうちに見たら、事業もだめなのに他人のものを借りて、だめなことを次々とするのです。だから連続的な困難が継続されるのです。それと共に、神様はなぜ私に祈りの答えをなさらないのだろうかと思いながら生きていくのです。また多くの方が病気に苦しめられて困難にあっています。先週にKBSで放送がされていました。ビタミンCをたくさん飲む運転手を見つけたのです。なぜ飲むのかと聞きました。あちこちに良いからと言いました。それを飲んでから、色々な所が良くなったということでした。それで連れて行って、病院で医師が検査をしてみたら、病気だらけでした。1ケ月の間、約束したのです。一日も欠かさずに一時間ずつ走りなさい。ビタミンCを飲まずに、すると、この運転手が本当に汗を流しながら一時間ずつ走ったのです。1ケ月後に病院でまた検査をしたのですが、ほとんどすべての病気がみな消えていました。

・私たちは病気になることを仕方ないとしても、できることはしなければなりません。ほとんどの人々は、人間関係も変にして、問題がくれば不平を言うのです。本当に残念です。多くの人々が相談しにきて、内容を見れば、あまりに前のことが問題です。今現在よりも、前のことが問題だから仕方ないのです。だから、どれくらい残念でしょうか? 私たちは信仰生活で多くのことを得ることができるのに、のがしてしまっています。今日の本文にあるのは、そんなことよりもう少し重要なのです。なぜそのように答えられないのでしょうか? 私たちはこのようになる時、本当に困ります。隠れた悩みがどんどんできます。私の祈りが答えられば良いのですが、だめだから葛藤ができます。言えなくてしようとするから、また難しくて葛藤が生じます。祈りの答えを受ければ大丈夫ですが、受けられないから、いろいろなことで複雑で、話が多くなります。つまらない言葉も多くなるのです。私が祈りの答えを受けられないから、どんどん私の体質のとおりにせざるを得ません。そのようなのに、答えられるはずがありません。だから、あちこちさまようのです。だからますます失敗は保障されるしかなくて、気を落とすようになります。こういう人々がとても多いのです。

・このような時、私たちはどのようにすれば良いのでしょうか? 私たちは本当に新しく始めれば良いのです。どのように新しく始めれば良いのでしょうか? 今日の56節に見ると 'これこそ、私のものです。私があなたの戒めを守っているからです。'と言われています。私たちは本当にみことばを見ながら新しく始めなければなりません。なぜなら神様は、皆さんを祝福を受けるように呼ばれたので、祝福を受けなければならないのです。聖書は確かに'あなたによって、国々が恵みを受けるようにする'と言われました。聖書には'主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたとあなたの家族が救われます'と告げられています。それで神様は皆さんを通して、国々が恵みを受けるように呼ばれたのです。私たちが少しだけ準備しても、多くの答えを受けることができます。今からでも落ち着いて新しく始めれば、神様は答えられるようになっています。そのような中で、私たちはどんなことを捕まえなければならないのでしょうか? ここに'私のもの'と言われています。この言葉がとても重要な言葉なのです。詩篇の記者がむやみに話したのではなく'これこそ、私のものです'と言いました。

・それでは、最初、何を話すのでしょうか? 私たちは事実的な信仰でなければなりません。それを所有していなければならないのです。何でしょうか? 聖徒が持ったものが何であり、神様がくださったのが何でしょうか? 先にこれを持って始めなければなりません。私たちがみことばに合わないのは、どうしても良くなりません。それでは、私たちは何を持っているのでしょうか? 神様は何をくださったのでしょうか? それを持って始めなければなりません。それで、聖書で最も重要なことは何でしょうか。救いをくださったのです。私たちの身分です。Iコリント3:16を見ると 'おあなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。' と告げられています。そして、神様の子どもになる特権を与えられたと言われました。キリストの中にある祝福7つは完全なのです。これを持って始めなければなりません。皆さんが聖霊が共におられるから、祈る時ごとに聖霊の導きを受けると言われました。私と皆さんがとうていだめですが、神様が聖霊で力で働かれると言われたのです。序論で話した通り、少しだけ正しい信仰と考えを持って祈れば、神様は天の天使を送られると言われました。これが私たちが受けた祝福です。

・少しだけ正しい考えをもって祈りを開始すれば、福音を持ったので、行く所ごとに暗闇の勢力が崩れます。これが私たちが受けた祝福です。そして、私たちはご飯を食べて生きる程度ではなく、世界に弟子を立てるように神様は祝福されました。私たちはこの世に生きる間に、力がないから、神様が神様の国が臨むように私たちを祝福されたのです。これが聖徒が受けた7つの祝福です。そして、私たちには途方もない権威が与えられました。イエスの名前を使うことができる権威です。重要なのは、イエス様は、来られた時と再臨された時だけ直接働かれます。その間は、私たちを通して働かれるのです。これは、重要なみことばです。イエス様が初臨された時は、直接されました。そして再臨して来られても直接されます。その間を終わりの時代と言います。イエス様の初臨と再臨の間が終わりの時代です。終わりの時代ということは、終わりがあるということです。その間にはキリストの権威が、私たちを通して出てくるのです。それで '金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。'と話したのです。パウロも'イエスキリストの名前で命じる。汚れた霊は出て行け' それで私たちを通してその祝福が出て行くようになっているのです。

・序論で話した基本を少しだけそろえているならば、祝福は必ず受けるようになっています。ですから祝福は多くくださったのですが、皆さんが人間関係や物質を考えもなく、自分勝手にしてしまったら、受けられないのです。結論的にする言葉は、私たちは神様の子どもであるために、神様の導きだけ受ければ成功するのです。そのように新しく始めようということです。皆さんが少しだけ新しく始めれば、また答えを受けます。いくら絶望の中であっても、私たちは神様の子どもであるために、正しう新しく始めたら、神様はまた祝福されるのです。必ず事業する方々や、信仰生活される方々は、記憶しなければなりません。さらに重要なのは、私たちがこの祝福をたくさん受けたのです。

・二番目には、信仰生活が何かということです。さっき最初には私たちが受けたものが何かということです。私の所有が何かということです。さらに重要なのは、私が持っているものを味わうのです。これが信仰生活です。大部分の人々が私が私を導こうとします。がんばるというのですが、私が私を導いていくことなのです。私の判断が違う時が多いのに、そのようにするのです。しかし、信仰生活は、そうなのではありません。神様の導きを受けるのです。神様が私を導かれるのです。これが未信者と私たちが違う点です。未信者は自分勝手に生きます。自分のげんこつを信じて、自分のお金を信じて生きるのです。げんこつとお金が永遠ならば関係ないのですが、永遠でないから崩れるのです。私の健康、私が信じて生きます。それが未信者です。私の力、私を信じて生きます。それが永遠で完ぺきならば良いのですが、それは永遠でも、完ぺきでもないのです。

・しかし、完全な神様が私たちを導かれます。それなら、私たちの信仰生活は神様の導きを受けることがとても重要です。神様の導きを受けるために、いくら悩んでも大丈夫です。神様の導きを受けるために夜通し悩んだとしても、絶対に血圧も上がりません。世の中の憂いが続くと血圧が上がりますが、神様のために生きるという憂いはどうしても大丈夫です。ですから、信仰生活を正しくするのは私が受けた所有が何か? これが最初ならば、二番目は信仰生活が何か? 神様の導きを受けることです。神様の導きを受けるようになれば、知恵ができます。なぜなら、神様の知恵であるためです。私は足りませんが、私が神様に導かれれば、力ができます。私は弱いのですが、神様は力の神様であるためです。私は取るに足らないのですが、私が神様の導きを受ければ、本当に素晴らしくなります。なぜか、神様が素晴らしい神様であるためです。変わるのです。これが信仰生活です。

・記憶しなければなりません。最初には、私が持った所有、これを味わわなければなりません。神様がくださったこと。次の二番目は何でしょうか。信仰生活は何でしょうか。今日の本文にあるように、神様の導きを受けることです。こうすれば、知恵、力ができて、行くほど祝福が現れます。なぜか、神様の導きだからです。私の導きを受ければ、私が勘違いする時があります。未信者はとても偉そうな顔をして、私がと言うのですが、私が完全でない時どうなるのでしょうか。五臓六腑の中の一つだけ故障が起きても死ぬのに、どのように私ができるのでしょうか。皆さんがいくら立派でも、五臓六腑の中の一つだけ問題があっても死にます。正確に話せば、ガンができたという時は、本当に神様の祝福で初期に発見したら良くなりますが、あまり良くならないと言われているでしょう。皆さんが早期発見して、治療できたということは、神様の恵みです。大部分が自覚症状が現れた時は、末期だと言われているでしょう。このように、私たち人間は、弱いのです。それなのに、どのように私が私を導くのでしょうか。ネズミがいます。捕まえて米びつに入れたら、その中にいても米を70%しか食べないということです。人は、どれだけ愚かでしょうか。120%は食べるということです。皆さんがさらに食べたいと感じる時は70%です。人間は腹がいっぱいだという時は、120%すでに超えてしまっているということです。私と皆さんはおろかに150〜200%食べて通うのではないでしょうか。こういう人間が、どのように私が私を導くと言うのでしょうか。私の思いのままに生きることができるでしょうか。だから、神様の導きを受けるのが最も完ぺきです。それが信仰生活です。それで、私たちが何としてでもメッセージを聞こうとなぜするのでしょうか。神様の導きを受けようと。何のために謙虚に祈るのでしょうか。神様の導きを受けようと。いくら困難が来ても、神様の導きを受ければ勝利します。ここで知恵も出てきて、力も出てきて、みな出てくるのです。ここで本当に魅力が出てきます。人間的な魅力も重要ですが、神様がくださった祝福でこそ本当に魅力です。

・皆さんは何でもたくさん持つでしょう。教会も皆さんが見て牧師の説教を聞きたい、牧師が素晴らしい、こうしてこそ復興しますが、聞きたくない気味が悪い、こうすれば復興しません。ある教会は、牧師が止めるというので、教会員全員が感謝献金を出したと言われています。こういう教会は復興できません。ある方は、韓国に訓練を受けに出ていれば復興して、自分が帰ると復興しないと言っています。このようになれば困ります。友人も同じです。本当に素晴らしい。それでこそ、その友人に会うのですが、本当にご飯がまずくなるようならば、会いません。何でも同じです。夫婦も同じです。そんなに考えなかったのですが、時間が経つほど、私の家内は素晴らしい。こうしてこそ、会いたいのであって、時間が経つほど気味が悪い、こうしてはいけないのです。それは誰がなんと言っても仕方がありません。ヨセフを見てお父さんがほれました。この子は何かがあるんだな。それで偏愛したのです。確かに兄が腹が立つ程、偏愛しました。しかし、ヤコブはヨセフを見て、契約があることが分かったのでした。これから成功できる素晴らしい子どもであることが分かったのです。これが神様の祝福を持った人です。ポティファルの家で奴隷をするのに、どれくらい素晴らしくしたのか、ポティファルが見て感動を受けました。ポティファルがとても良くて、奴隷をしないでくれと言いました。これくらいになったのです。どれくらい素晴らしかったのか、ポティファルの妻がいつも誘惑をしました。その女が質は悪くても、見る目はあります。監獄でヨセフを見て、長官がほれました。こういう人がいるのか。どのようにして、このようなのか。後ほど王に会いました。王が感動したのです。こういう人は、初めて見た。私は主なる神の話は聞いていたが、主の霊にこれくらい感動した人は初めて見た。あなたが、どうしてそのようにできるのか。主が私とともにおられます。これより良いことがどこにあるのでしょうか。どれくらい素晴らしいでしょうか。このようになるのです。いくら困難がきても、ダビデが困難の中で、いつも神様の導きを受けようともがきました。神様はダビデにすばらしい祝福を与えられたのです。これが信仰生活です。

・今日の本文がすべて同じ言葉です。49節を見ると、主が私に希望をくださいます。50節を見ると、困難中で、みことばで私を慰めてくださいます。51節に私があざけられる中で主のみおしえを離れなかったと話しています。すべて同じ言葉です。私が神様の過去の定めを持って慰めを受けたと52節になっています。それが何の話なのかというと、記録された神様のみことばを見て、自分が慰めを受けたということです。54節には主のおきてが私の歌になりました。さらに重要な55節には、私が夜に主の御名で、主のみおしえを守りました。そして56節にいう言葉が、これが私のものですと言いました。そうすれば良いのです。勝利するしかありません。私たちは持っているものが何であり、信仰生活が何かを分からなければなりません。信仰生活は神様の導きを受けることです。例外があります。私が神様ぐらい全知全能だと確信したら、神様の導きを受けなくてもかまいません。私はとうていそのような根拠とそのような証拠を見つけたことはありません。どんな人間も、神様が呼べば行かなければなりません。どんな人間も、下される災難を防げません。それで、私たちが神様の導きを受けるのが完ぺきで一番良いのです。こういうもので、もがいて悩んで問題があっても神様の導きを受ければ、確かに勝利します。新しく始める皆さんになることを希望します。

・三番目です。どのように始めなければならないのでしょうか。それでは、私たちがどのように始めれば良いのでしょうか。最初です。皆さんが福音を味わいながら、事実的に始めましょう。そうすれば良いのです。私一人始めてはいけないのですが、福音を味わいながら、事実的に始めましょう。事業も事実的に始めましょう。弟子の中で食堂をして成功している人がいます。私が見ると、この人は成功をしそうでした。なぜなら、学校に行って勉強しました。おもにふぐ料理の勉強をみなしました。そして、大きい食堂に就職したのです。そうしたところ、私が知っている人の中に、ふぐの専門担当者がいないかと尋ねてきました。いると言いました。お金をもらわないから、ちょっと習うようにしてくださいと言いました。良いと言いました。それで、ここまできました。草原ふぐ料理店で勤務をしました。自分自らノウハウを持ってソウルで食堂を開業しました。自分の状態に合うように。だから事がなるのです。その人はよいように見えました。それと共に、いつも福音をもって祈っています。そして弟子を育てるのです。だから、なるしかありません。私たちが福音をもって、事実通り始めましょう。ほろびても大丈夫です。失敗しても今から始めれば神様が答えられます。気落ちすることはあっても、気をおとす理由はありません。それを見て、失敗は成功の元と話すのです。私たちは失敗したのですが、神様の契約を捕まえて新しく正しく始めれば、それは祝福の開始です。これが私たちが信仰生活する方法です。二番目です。どのように始めなければならないのでしょうか。みことばを捕まえて、神様の立場で一度見ましょう。米国の'イン・ヒズ・ステップ(In His step)'という本があります。この前、紹介していました。一時、世界的に売れました。その本を読んで、多くの人々が戻ったのです。何の内容かというと、神様ならば、この時どのようにされるか。神様はどのように見られるのか。イエス様ならば、どのようにされるだろうか。そのように信仰生活を始めたのです。ところで、奇跡が起こり始めました。あちこち奇跡が起こって、一時、数年間、本がとても売れました。私達の目で見る時は、いつでも錯覚でありえますが、神様の目で見る時は大丈夫です。前のことが重要です。私たちが事実通り見たとすれば、その次は神様の力で見なければなりません。モーセ、あなたはできるのか。できないと話しました。それはよく見たのです。わたしがあなたとともにいる。それを見なければなりません。神様があなたとともにおられます。神様が皆さんの全てのものをなさることができるという言葉です。その次に見なければならないのです。

・それと共に何でしょうか。少しだけ定刻の祈りをすれば良いのです。それで、皆さんは神様の導きをみな受けるようになります。皆さんが少しだけ神様の前に祈れば、一日に、私が今回もロシアに行って、一日に3分だけ祈りました。この福音そのまま捕まえて祈ったのです。違った祈りはいくらしてもだめです。このまま捕まえて祈りました。どのように3分するのでしょうか。どうせ皆さんは、寝るではないでしょうか。寝る時、1分だけ祈りましょう。この福音だけ正しいならば、皆さんの考えが正しいならば、開始が正しいならば、皆さんが福音の中にあるならば、神様の導きを受けるために、もがいたら、夜に寝る時、1分だけ祈っても働きが起きます。朝、目を開いてどうせ起きなければならないでしょう。1分だけ祈りましょう。それで、昼間にいつの時も一度食事する時1分だけ祈りましょう。これで働きが起きます。私が私の息子には、30秒だけ祈りなさいと言いました。寝る時10秒、起きる時10秒、食事する時10秒だけしなさいと言いました。それで、あなたはワシントンを変化させるだろう。このように話したのです。私たちが神様の導きを受けることが、とても重要な信仰生活です。

・ところで、信仰生活を始めながら、信じない家から始まる時、夫婦間に問題がたくさん来る場合があります。そのような例が本当に多いのです。そのような方が残念だという気がしながら、メッセージをよくわかったら良いという気がしました。簡単に話せば、奥さんが霊的に飢え渇いています。これを夫に話すことも大変です。何か精神的に霊的に飢え渇いています。この人が探していた答えを見つけたのです。この教会に行かなければならない。しかし、夫が見る時は変なのです。夫は正常です。正常に自分は社会生活も上手にしています。しかし、奥さんが変なのです。奥さんが、ずっと教会に行こうとして、ずっと訓練を受けに行こうとするのです。教会が奥さんを奪っていったようです。それで、教会に行くのはいやなのですが、奥さんのために一度行ってみたのです。もうそのような目で見るから、変に見えるのです。教会の権力が政治的に作ったことであるとは知らずに、異端と言われるから異端のように思えます。奥さんを見ると、そうです。実際に、その婦人は飢え渇いていたのです。そうしたら、どんな結果が出てくるのでしょうか。

・正常ですが、この男の人は、不信仰に陥るようになるので、熱心に見られるが、この女の人は狂信に陥ったようになったのです。これが問題です。これくらい理解できる頭を持った人があまりいないのです。単純に、奥さんが変で、教会が変だと思います。柳牧師の説教を聞くと、ただ福音だけで変だ。何がただ福音だけなのか。ご飯も食べるべきで、何でただ福音だけなのか。学生は学校も行くべきで、何でただ福音だけなのか。異端に間違いないな。こういう気がするのです。これだから、ずっと戦うのです。かなり多いのです。それでは、この人が少しだけ霊的な知識があるならば、これから危機があるのに、それを避けるようになるということです。それで、その男の方は、ものすごい神様のみことばと奥義、真理をとても軽視した罪が小さい罪ではありません。それで、この女の方は夫の正当な理由とか、家庭の正当な条件を無視するようになるので、それも小さい問題ではありません。夫の要求が間違った要求ではないのです。あまりに何もしないということです。何がずっと訓練を受けに通うのか、家で清掃もして、子どもたちの世話もしなければならないではないのか。本当に正しい話です。しかし、この人はそうではないのです。少しだけ霊的なことを理解したならば、この奥さんを手助けして直すべきだ、このような気がするでしょう。少しだけ考えれば、私がこのようにするので、夫は変に見えるだろう。私が本当に良くしなければならない。こう考えなければなりません。そのようなことが神様の導きです。このようになる時、働きが起き始めるのです。少しだけ祈れば良いのです。

・皆さんが新しく始める祝福があることを希望します。新しく始めれば、神様は新しい恵みをくださいます。アブラハムを見ましょう。おいを見て、今から選択しなさい。あなたがきた後に作った財産をあなたがすべて持って行きなさい。あなたがもし平地を選んだら、私は山を選ぶ。あなたが東と言えば私は西、あなたが西と言えば私は東を選ぶ。叔父がおいに先にそう言いました。だから、すばやくおいロトがチャンスだと思って、ソドム、ゴモラの高い土地を占めたのです。アブラハムは山で祭壇を築き始めました。その内容も方法も重要ですが、さらに重要なのは何でしょうか。アブラハムが正しく契約を捕まえて新しく始めたのです。その時、神様がこのようにおっしゃられました。'アブラハム、あなたの目を聞いて、東西南北をながめなさい。縦と横に歩きなさい。これをあなたに永遠に与える'と言われました。

・戦争が起きました。人間がいくらもがいても、問題がくるのは避ける方法がありません。よく生きようとして行ったロトは捕虜になったのです。アブラハムは家にしもべが318人がいる祝福を受けました。正しくだけ見て始めれば、また答えを受けます。神様、私はこれ以上できません。年もとりました。持っているものもありません。私はいっそ死ぬほうが良いです。誰でしょうか。エリヤです。見間違ったのです。神様がエリヤに与えられた苦難と比較できない祝福を今、備えておられたのです。ホレブ山で悟ったのです。あなた以外に7千人も残っている。そして王を変える。そして弟子をたてなさい。そのうちにエリシャを探しなさい。老人エリヤが新しく始めました。神様は天の火の馬、火の戦車を動員させられました。私たちは問題の中に陥るといっても、福音を正しく味わって、新しく始めれば神様は本当に答えられる神様です。

・それで結論の中の結論が何でしょうか。私の所有が何か。それで、私が神様の導きを受けるということです。今から神様の導きを受けるようにもがけば確かに勝利します。皆さんに真の勝利があることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。神様の導きを受ける生き方になるようにして下さい。私にくださった神様の祝福、私の所有を持って勝利するようにさせて下さい。新しく始める祝福を神様が与えて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン