2005年10月30日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/十ミナのたとえ
(ルカ19:11〜27)

・信仰生活を良くしているというのは、どういうことなのでしょうか? そのように尋ねれば、あまりにも広い質問なので、答えに困るでしょう。それなら、この短い時間にどのようにするのが一番良くすることなのでしょうか? それは、みことばをよくわかることです。神様のみことばをよくわかることが、信仰生活を良くする一番の開始です。それで説教する人が重要だという理由がそこにあります。また説教する人が失敗する理由もそこにあるのです。また説教する人が成功する理由もそこにあります。それで、神様のみことばを正確に伝達して正確に聞かなければなりません。それが信仰生活を一番良くすることなのです。私たちが友人と交わっても、話がよく通じない人がいます。それでは、多くの人々が感づいて嫌います。いくら両親、兄弟でも、話がよく通じなければ大変です。

・それで、私たちが聖書のみことばを見れば、よくわからない時、たとえを上げておられます。私たちも話が正しくわからなければ、たとえを上げる場合があります。相手がよくわかればたとえを上げる必要はありませんが、聞き取れないからたとえを上げるのです。今日の19章11節にもイエス様がたとえでおっしゃられました。'人々がこれらのことに耳を傾けているとき、イエスは、続けて一つのたとえを話された‥'と言われています。ユダヤ人は、ほとんどみことばを理解できませんでした。それで大きい失敗をしたのです。イエス様を変に見たのです。変にイエス様は、律法で行ってはいけないと言われているらい病人と一緒に食事をして、変に不良の人々と遊んではいけないのに、その人々にもよくしてあげて、ある場合は、やくざのような取税人マタイを弟子とすることさえされたのです。パリサイ人が見るには、イエス様が分からなかったのです。前にも見たように、ザアカイの家でイエス様が泊まられたのです。ザアカイは取税人の頭で、とても不道徳なことで噂になった人なのに、その家でイエス様が泊まられたのです。それと共に、人の子が来たものは、なくした者を探しにきたといわれました。

・その話をしておられたのですが、たとえを上げられたのです。それでは今日、皆さんがする重要なことは何でしょうか。このみことばが何かをよくわかれば良いのです。それでは、皆さんが教会にきて、多くのことをすべきですが、神様のみことばをよくわかって行くことが、最も良いことなのです。もし皆さんが教会にきて、礼拝をささげる時に、眠たかったり、寝てしまうなら、はやく健康診断を受けてみてください。どこかが弱いということです。肉体にも霊的にも、弱ければ眠たくなります。それでは、神様のみことばを全く聞けないという話になるので、それでは未来が問題になります。ほとんど間違いありません。皆さんが聖日にきてする一番重要なことは一つしかありません。神様のみことばを正しくわかって行くことです。それより重要なことはないのです。それで、私の話を聞いたり、他の人の話を聞くのも重要ですが、神様のみことばが 'これが何のみことばだ!' ということがわかれば、今日の祝福はみな受けたのです。それでは、イエス様がザアカイの家でその話をして、たとえを上げられたのです。ある面では、実際に起きたことよりたとえがさらに重要です。なぜなら、たとえは話をしようとすることがあるためです。

・ある王がいました。しもべを呼んで、ミナを与えました。おかしな人々がきて、'その人は私たちの王にしたくない。私たちはその人が嫌いだ。'と言いながら、仕事を出来なくさせたのです。そして、この王が戻ってみたら、十ミナを持った人は十ミナを残しました。また、五ミナを持った人は五ミナを残したのですが、この'ミナ'という言葉は、お金の単位です。ある人はこの一ミナを埋めておいたと言いました。ですから'不道徳で悪いしもべ'と言ったのです。十ミナを残したしもべには、十の町を治める権威を与えると言い、このことを防いだ敵を引き出せと言いました。あの敵を殺せと言いました。これが何のみことばなのでしょうか? イエス様がこういうたとえを上げられたのです。とても正確に言うと、イスラエルの未来を話されたので、私たちの人生を話されたのです。重要なのは、一ミナもらったのまで奪って、十ミナを残した人に与えよと告げられたことです。

私と皆さんは信仰生活をそのまま適当にすれば良いと思っても、私の人生を生きて見たら、みな奪われてなくなるのです。ある場合は、殺されるような失敗をしたとすればどうでしょうか? このようなたとえなのですが、怖いことではないでしょうか? 皆さんが思い切り生きたのに、人生をみな奪われてしまったとしたら、どうなるのでしょうか? イエス様が語られたたとえは冗談ではありません。そして、敵は連れて来られて、殺されてしまいました。こういうたとえです。ある人はよく聞き取れなくて、解釈を自分自らします。'見ろ。
私たちは、タラントをみな受けたが、がんばるべきで、熱心にしないとこのようになる,'このように教える人がいます。そんな話ではありません。私たちの大部分のクリスチャンが、そのように思っているのです。'熱心に聖歌隊や教会の働きをすべきで、しないと私たちが祝福を受けられない。'このように思っているのです。もちろん怠けて聖歌隊や主の働きをしろという言葉ではありません。

・またマタイ25章のタラントのたとえも似た話です。そこに見たらタラントをそのまま埋めておいた人をあの外側の暗いところに追い出しなさいと告げられました。それで、歯ぎしりしながら悲しげに泣くと言われました。普通の人は、この話を理解できなくて'私たちは奉仕をよくすれば良いか。'と思っているのです。だから、問題にあうしかありません。皆さんはどう思うのでしょうか。全世界に使命者がメッセージを聞いているのですが、どう思うでしょうか。本当にイエス様がどんな意味でおっしゃられたのでしょうか。私たちの人生がいたずらのようならば、適当に聞いて通り過ぎてもかまわないのですが、それは確かに違うのです。どのように、この部分を理解しなければならないのでしょうか。

・ある時に、飛行機に乗ったのですが、ある人が私のそばに座りました。ちょっと遠くへ行く飛行機だったので、この人と話をしなければならないと考えたのです。もちろん、その人に福音を伝えるべきだという考えです。しかし、この人は信者でした。あらかじめ自分が先に私に牧師だと言って挨拶をしました。それで、どの教会に行っているのかと尋ねたのです。そうしたら、ある教会に通っていると言いました。私は尋ねることもしなかったのに、私が予想したのと違う話をしました。私が尋ねることもしなかったのに、牧師先生を見ると恥ずかしいと言いました。私はそれからの話が何の話かと分かりました。'がんばるべきなのに、この頃できなくなっています。'と言いました。それが今日の執事、長老のレベルです。それで私が'何をがんばるのですか? 'だから教会の働きを熱心にすべきなのに、この頃、私がとても怠けていると言いました。間違った話ではありません。そのためなのか、この頃、何かが良くならず、会社も難しいと言いました。ほとんど飛行機がおりる時になっていたので、細かく説明できなかったのですが、その方に何をがんばるのですかと尋ねました。そして、'執事、がんばろうとせずに正しくして下さい。'と言いました。すると'正しくするということはなんですか?' '事実通りにして、事実通り信じて、そうすれば良いので、熱心にがんばってもかまわないのですが、しなくても済みます。'私の話をどれだけ理解したのかわかりませんが、それだけ対話にならないのです。

・多くの信者がそのように思っています。漠然とがんばればよく信じるのだと思っているのです。もちろん、怠けるようにしろという言葉ではありません。しかし、この本文の中にあるものすごい奥義を知らなければならないのです。王とは誰でしょうか。あなたを私たちの王としたくないと話した人々は誰でしょうか。答えがみな出て来ているでしょう。ミナは何でしょうか。それを銀、お金だと思ってはいけません。ミナを渡したのです。いつか時になって王が戻ってきました。それで、そのミナをもってカウントしました。最後に敵を引き出して殺したのです。ものすごい話です。私たちが単純に熱心に仕事をしよう、こういう話ではありません。ここで信仰生活で成功しようとするなら、必ずいくつかのことを理解しなければならないという答えが出てきます。私たちの考えにしたがって色々なものを探し出せるでしょうが、いくつかのことは必ず捜し出さなければなりません。ミナを渡しました。何でしょうか。この救いと福音を渡したということです。王はメシヤを言うのです。キリストが救いと福音を与えたのです。それで、それ捕まえて生きるという話しです。

・それで、皆さんが今日、最初に記憶しなければならないことが、最も基本である福音から理解しなければなりません。私たちは福音をみな理解したと思っています。しかし、そうではないのです。大部分の人々が、福音から理解しなければならないのに、分からなかったのです。このようになれば、信仰生活を継続するほど問題がきます。ミナを渡したのに、それが何かわからなかったのです。お金の単位ですが、私たちはそれを見ながらコインを渡したと理解したら困ります。その時の人々が使っていたお金を持ってたとえを上げただけです。今じならば、ドルだと言われたでしょう。その時の人々がミナを使うから、イエス様がそのようにたとえを言われたのです。内容をいうなら福音です。救いを与えられたということです。それで、私たちの信仰生活をよくする最初には、基本的な福音から理解しなければなりません。それなら、全世界の牧師が私にこのように質問したいでしょう。'私たちは福音をみな理解したのではないのか?'

・私が初期に、伝道運動をするために外に出てみました。現場の中にいたクリスチャンで、救いに対する確実な答を持って他の人の前に謙虚に正しく説明できる人に会ったことがありません。他の見方をすれば、クリスチャンは現場でバカのようになっています。ほとんどみなが揺れているのです。その人が私を見つめたら '福音とはこういうものだな。'と分からなければならないのではないでしょうか。夫が妻を見つめて、妻が夫を見つめながら、福音であることを分からなければならないのです。その程度はレベルが高いことなのに、全くだめになっているのです。私はびっくりしました。学生たちの集会に行ったのですが '私は救われた神様の子どもだ、という人は、手をあげてください'と告げたが手をあげなかったのです。その程度であれば、どのように信仰生活をするのでしょうか。高校生に、救われた人、私は神様の子どもだと思う人は、手をあげてみてくださいと言ったら、手をあげませんでした。それでは、あなたたちは、救われていないのかと、問い詰めたら、自分たちどうし顔を見合わせてみて何人かあげました。それも自信ありげに上げることはできなくて、頭を下げて半分だけあげていたのです。百何人が座っている中に何人かだけ手をあげました。あまりにもあきれて、あなたたちは、本当に神様の子どもに間違いないのか? と尋ねたのです。それほど強くではなく、あなたたちは神様の子どもに間違いないのかと言いながら、講壇をドンとたたいたら、みな手を下ろしてしまったのです。何で救いが、たたけば上がったり、降りたりするのでしょうか。ですから、サタンに勝つでしょうか。信仰生活がだめなのが正常です。

・この福音から理解できなくて、そこに対する自信がまったくないということです。そのようにして未信者をどのように手助けして生かすのでしょうか。それで大変なことになったと思ったのです。これが普通の問題ではないと思いました。それで、出て行って講義し始めたのです。'主は生ける神の御子キリストです' '受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになった' だまされてはなりません。すると、韓国、世界の教会がみな反対して立ち上がったのです。これでは柳光洙牧師、タラッパンは信徒を奪い取って行くと、いっせいに200ケの教団が立ち上がって、みな防いでしまったのです。皆さん、本当にこの部分を知らなければすべての事に失敗します。笑わせることが、釜山(プサン)ですでに1,2ヶ所ではありません。普通の問題ではないのです。今、世界教会の牧師は、他のことをしようとせずに、信徒がどのように知っているかをはやく確認してください。

・集会をしているのに、ある牧師がきて、救いに関する福音の話をしたのです。最後の日にイエス様を救い主として受け入れたい人々、初めて受け入れる人々、新しい信者は立ってくださいと言いました。教会の端に座っていた長老が立ち上がったのです。担任牧師が長老が立ち上がるから恥ずかしかったのです。長老がのそばに座った牧師が、長老に座れと引っぱったりしました。そのような笑うことができないことが行われたのです。この長老が、牧師の手を拒んで、最後まで立ってイエスを受け入れたのでした。釜山(プサン)の大きい教会で起きたことです。後ほど終った後に、牧師が長老を叱り飛ばしながら'長老、どうしたことですか?その信徒の前で牧師を恥ずかしくさせるのにも程があるでしょう。イエスを受け入れるというのは話になりますか? '長老が面白い話をされたのです。'先生、事実は福音を初めて聞いて、初めてイエス受け入れたのです。'そのようなことが、まれなことではないのです。その長老はちょっと真実だったために立ち上がったので、残りの人がみな立ち上がるべきなのに耐えたのでした。

・救いが冗談でしょうか? キリストが冗談で十字架に釘づけられたのでしょうか。これが今、普通の問題ではありません。そのまま普通、そのまま受けて埋めておいてこうするたとえは、とても重要なたとえです。救いの福音を全く味わうことができなかったのです。正確に言わば 'このイスラエルのパリサイ人は、全くこの救いの祝福を味わうことができなくなっている。'これが今、その話です。この祝福を受けられなければ、何でも揺れるようになります。これがユダヤ人の弱点です。中世教会は、なぜ問題になったのでしょうか。この救いの福音を分かったのに、味わうことができなかったためです。各種宗教が、救いのほかの努力を教えています。

・この間、話をしたでしょう。私が大学院で勉強していた時です。舎堂洞(サダンドン)総神大学の前で、ある人が座っていました。おじいさんなのに一日中大声で叫でいたのです。私たちが話しをかければ、返事もしませんでした。とにかくマイクもなしで、ずっと叫んでいました。私たちが朝に授業に入ろうとして見たら、大声で叫んでいました。お昼を食べに出てきてみたら、ずっと大声で叫んでいました。私たちが学校に行く時もずっとそうでした。大声で叫ぶ内容が何かというと、'長老教は異端だ。この学校は異端学校だから悔い改めろ。ジョン・カルヴィンは地獄に行った。'それと共にずっと主張することがあります。'イエスを信じる信仰で救われるのではない。行動を正しくしろ。'正しい言葉でしょう。ソウル大学生が過ぎ去って聞けば、その人の話が正しい言葉です。ソウル大、ヨンセ大、高麗大、勉強をたくさんした人々が聞けば、その話が正しいでしょう。何でイエスを信じて救われるのかということです。その話を一日中していました。この人は、福音が何か人生が何か、全く知らないのです。

・私が伝道する人間なので、この人を捕まえて伝道しようとしても、まったく聞きませんでした。そして、ずっと大声で叫んでいたのです。だから、ほとんどの人が、その人のように生きていなくても、この福音を理解できないのです。そうしたら、伝道がとても難しく感じられるのです。皆さん、伝道が難しく感じられること自体が問題です。皆さんが今日から契約を捕まえて外に出て行って神様の祝福を受ければ、他の人が見て、神様の祝福を受けるんだなと感じます。

・私は昨日、気持ちが本当に良かったのです。ある軍人一人が食事を共にしながらこういう話をしました。自分は大佐なのに、星を付けるのか、やめるのか、いつもそれが祈りの課題で心配だということでした。食事をしながら私に話をしました。奥さんと一緒にいたのですが、その人は大佐でした。それと共に、私に驚く話をしました。私は神様の前に悔い改めたと言ったのです。なぜかと尋ねました。星を付けようとするなら、他の人に礼儀をつくして、このようにすべきなのに、自分はタラッパンをして回って、そのような人だと押されてしまったということです。他の人が将軍になろうとするなら、礼儀をつくして、人々に良いようにすべきなのに、毎日タラッパンをして回ったので、あなたは絶対だめだと言われたということです。昇進するのか、だめかという問題なのに、よりによって部隊のなかで、牧師が中心になってタラッパン運動を反対する運動が起きたのでした。

・家に帰ってきて悩んだということです。本当に私がこういうことで昇進ができなければ、これから何をしなければならないのか心配になったということです。神様の前にその時、悔い改めたといいます。'神様、私は神様の子どもです。星が問題ではなく、昇進が問題でない、神様の子どもです。私がなぜこういうものを恐れるのでしょうか。'信仰が良いのです。その祈りをし終えたら、安らかになったと私に話しました。ところで、それ以後に見たら、そのように言った人はだめで、この人は将軍になりました。私に会って、真の神様の恵みと牧師先生の祈りでそのようになったという話をしました。それで、全羅道(チョルラド)側に行ったのですが、その方がその当時に大統領賞を受ける1等になりました。また昇進をしたのです。星を二つ付けました。部隊に行ってみたら、部隊の壁に聖書箇所が書いて付けてありました。

・私はそのような人を初めて見たのです。イザヤ6:8の‘私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」’これを付けてありました。もちろん聖書箇所のイザヤ、これは書いてなくて、その節だけ書いてありました。こういう人もいるんだなと思いました。それで神様があなたをずっと祝福されるでしょう。何も話をせず、一番高い地位に上がったら、その時になってタラッパンだと話しなさいと言いました。あなたはまちがいなく勝利するはずだと言いました。また会ったら星を付けていました。とても若くて、賢い方なのに、星三個を付けたのです。それで私に電話をしてきました。私はその電話を受けられなかったのですが、昨日、電話をして、うれしくて神様に感謝すると言いました。私が気持ちが良いのです。神様をよく信じる人です。本当に福音を持った人です。後で噂を聞いてみたら、その人を嫌う人は1人もいません。とても良い人です。見れば、この人は福音を持った人だなと、表に現れます。それと共に、変に見えなくて、とても良い方だと感じられるのです。未信者が見ても、この人はとても良い人だと感じます。それがキリストであって、それが伝道ではないでしょうか。伝道は何も難しいことではありません。

・それで、私たちは聖書に基本なるこういう部分をはやく知っていなければなりません。旧約に一番重要な単語がメシヤです。新約聖書の第一重要な単語がキリストです。それなら皆さんに一番祝福は救いです。それなら救いの中に入っている祝福が何かを味わわなければなりません。私たちは未信者状態を知っています。なぜ彼らを救い出さなければならないのか、私たちは知っているのです。それでは聖書にある伝道がどんなものなのか、それがどれくらい大きい祝福なのか知るようになるのです。その時から祈りになるのです。タラッパンに出てくる二十の戦略、訓練をずっと受ける理由がそこにあります。ある方がこういう話をしました。訓練をずっと受けて何をするかと言いました。私が内心、本当にあの人は学校に通う時、勉強ができなかった人だろうと思いました。入ったのが後ほどまちがいなくみな出てくるのです。七十年間入った共産主義思想が今ずっと出てきているのです。なくなりません。だから徹底的にみなほろびるのです。皆さん、入らないようでも入ったものがみな出てきます。年を取っても、今、皆さんの中に何が入ったかが、未来を左右してしまうのです。それは変えることもできません。きつい話では、神様も変えられないのです。ちょっと変な話ですが。皆さんの中に入ったものは、未来を確かに左右するようになっています。それで、正しく訓練を受けなさいと言うのです。だから見てください。救いが何かわからないから、ずっとこういう問題がくるのです。

・二番目に記憶しなければなりません。27節にこういう話をしました。19:27に、ただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ、と言われました。この敵は誰でしょうか。それを分からなければなりません。この敵が、まさにサタンです。人も含まれるのですが、サタンです。もしかしたら、人は敵ではありません。サタンに利用されるので、敵です。皆さんは記憶しなければなりません。サタンは皆さんに何を望むのでしょうか。福音を悟るな。二番目に、福音を悟ったら、福音に根をおろさないようにしろ。そして、福音を正しく知って、本当に祝福を受ければ、文化が変わるので、それを悟ることができなくさせるのです。世界教会が色々なことをつくして、命だけなければ良いのです。福音を知らないように。これがサタンの戦略です。皆さんが福音を少し悟って、根をおろせば、皆さんの霊的問題、全てのものがみな解決されます。これをサタンが嫌いなのです。皆さんが福音を正しく本当に分かってしまえば、本当に祝福を受けます。そして、ほろびることもない本物の経済の祝福も受けるようになります。これをサタンが防ぐのです。この敵が、皆さんが、こういう祝福を受けてはいけないから、ずっと防ぐのです。今日の本文がその話です。皆さんがどれくらい大きい祝福を受けたのか分かれば、感謝が出てくるしかありません。本当に神様の民の皆さんが、そのような祝福を受けたのです。この祝福を皆さんが回復するようになる重要なことがあるようになることを希望します。

・そして三番目です。16節に見ると、十の町の権威を与えると言われました。18節に見ると、五つの町をあなたに与えると言われました。救われた人が福音を普段の時に実際に味わうようになれば、今からはすばらしいことが行われるのです。大部分の人々が実際に福音を味わうことができません。ミナを渡したということは、実際に福音を味わいなさいということです。十の町の権威を与えるという言葉は、ものすごいことではないでしょうか。権威を味わいなさいということです。ミナを受けたということは、身分を味わいなさいという言葉で、権威を与えるという言葉は、権威を味わいなさいという言葉です。これを人生の中で味わわなければなりません。私たちが人間関係でも、福音を味わわなければならないのです。私たちが事件を解釈する時も、福音を味わわなければなりません。私たちが仕事を処理する時も、福音を味わわなければなりません。いくらでもすばらしい祝福を受けられます。だから、私たちが実際に福音を味わうことができないのです。神様が皆さんをほろびないように、神様の子どもになる身分を与えられました。皆さんは占いをする必要もなくて、不安になる必要もなくて、供養をする必要もなくて、何もする必要はありません。罪と死亡の原理から解放されたのです。皆さんの身分、運命を変えてしまわれました。王の子どもとして、しもべとして、ミナをしるしに与えられたのです。だから、これを拒否したり、埋めておいたので、これがどれくらい愚かなことでしょうか。

・まだ理解がよくできないのでしょうか。今、未信者の理論を聞いてはいけません。全部、違っているのです。ここに今、霊媒師をして来た人もいます。吉凶を占ったりすれば、親が出てきたりします。それは親ではありません。それが親を装った悪霊です。霊媒師が後ほど知るようになりました。その悪霊はサタンの支配を受けています。それを呼び入れれば、大変なことになるのです。皆さんの両親が死ねば、たましいは完全に地獄でなければ、天国に行ってしまいます。供養する時、皆さんの両親がきたということは、両親でなく、両親を装ったとても悪い悪霊です。皆さんが知らないからそうであって、供養をする、それがものすごい失敗になるのです。檀君神殿をなぜ反対するかというと、今、指導者は知らずにいるのです。あの日本の神社参拝をなぜ反対するのでしょうか。そんなことをあちこちに作っておいて、ずっとお辞儀をすれば、ものすごい悪霊の働きが起きます。それで、それを知っている私たちは反対するのです。そして、皆さんは恐れる必要はありません。神様の子どもになる特権を与えられたのです。これを実際に味わわなければなりません。人間関係で味わわなければならないのです。

・もし、その人が良くしていたのに、間違ったとしましょう。その人にどのようにすべきでしょうか。こんなにもできて、あのようにもできます。しかし、一つは参考にしなければなりません。悪魔が喜ぶ方法は、使ってはいけません。そうです。悪魔の目標があります。皆さんが家庭もそうで、教会もそうで、生きているならば、誤解される時、間違う時があります。そんなことは直さなければなりません。しかし、皆さんの胸の中に、サタンが喜ぶ方法を使ってはいけません。それが福音です。ある時は、許さなければならない時があります。その理由はサタンが利用しないように。その人がサタンにはめられないように。それが福音です。これが分かれば、すばらしい祝福です。暗闇の勢力をイエスの御名でもうち砕けますが、最も良い方法は、人間関係で勝ってしまわなければならないのです。皆さん、とても重要な言葉です。律法は何かといえば、相手方が死のうが、やめようが、法の通りしてしまうのです。それが律法です。これは死のうが、やめようが、法の通りしなければなりません。福音は法を違うようにするという言葉ではありません。この人がサタンに利用されないように。教会が暗闇に利用されないように。それと共に、正していけば、すばらしい勝利をします。だから、私たちが実際に福音を味わわなければならないのです。

・十の町の権威をあなたに与える。皆さん、今日、この本文をよく見ながら、そうだ、私が今、この福音を正しく知って味わう祝福を受けるべきだという契約をつかまなければなりません。なぜでしょうか。皆さんが受ける祝福の中で一番良い祝福が、神様がくださる祝福です。未信者も話しました。小さいお金は人の力でなるが、多量のお金は天から与えられると言いました。未信者も話したのです。私たちの運命は天にある。未信者もそのように言いました。私たちがこの土地で最善を尽くすが、なる、ならないは、天にかかっていると言いました。それなら、私たちは神様の子どもです。当然、神様の祝福、神様の能力、神様の知恵を得なければならないのです。

・結論を結びます。私たちの未来はどうなるのでしょうか。いつも皆さんが考える時がありますが、これを持って見れば間違いありません。イスラエルの未来はどうなるのでしょうか。まちがいなく答え出ています。私の未来はどうなるのでしょうか。すぐ知ることが出来ます。私たちが人をあらまし見れば、あの人はどのようになるだろうかということが、すぐ分かります。私はこちらの分野をいつもしたためか、簡単に理解できます。あの牧師はがんばっても、できないだろうということが見えます。教会が復興すると偉そうにしているが、いつか問題がくるということが感じられます。その基準が何でしょうか。この福音をどれだけ味わっているかです。しかし、これを正しく味わう人を見れば、その人は未来があるということが見られます。今日、皆さんが聖日に教会をきたのですが、こういう複雑なこと、多くことを私たちは理解できません。私たちは、生きてきたのも見れば、よく生きてきたのもあるが、仕損じたことも多いのです。また、これから私たちは行かなければならないのに、どれが良く行くことなのかよく分かりません。

・それで、イエス様がこういう話をされたのです。集まれとおっしゃいました。集まって、神様が与えられる力を得なさい。聖霊充満を求めて祈りなさい。聖霊が臨めば、力を受けるようになる。あなたたちの子どもは知恵を得て、預言するようになる。あなたたちの若者も、力を得て幻を見るようになる。高齢な老人もビジョンを持って夢を見るようになる。力を得なさい。イエス様が最後のなさったみことばです。救われた者に主がなさった一番最後のメッセージが何でしょうか、神様が与えられる力を得なさい。そのみことばがあの有名な、しかし、聖霊があなたがたに臨めば、あなた方は力を受けて、地の果てまで証人になります。イエス様が最後になさったみことばです。今日、皆さんが受けなければならない祝福です。神様が与えられる力を得なさい。簡単です。神様、私が礼拝する間に、聖霊で働いて下さい。私が今日、神様のみことばを聞いて読みましたが、この神様の力が私の事業に、職場に臨んで下さい。これはイエス様がなさった約束です。皆さんがこの力を得なければなりません。皆さんが神様が与えられる霊的な力を得れば、肉体の病気もよくなることもあります。私たちの医者たちが、たくさんいるでしょうが、医師の助けも受けなければならないのですが、皆さんが神様が与えられる力を得れば、すばらしい癒しが起きます。神様の聖霊が皆さんと共におられれば、すばらしい知恵が生まれます。これを契約で捕まえて行かなければならないのです。福音を持った皆さんに権威を与えると言われたのですが、聖霊の力で神様あたえられる力を得れば、皆さんには神様の力が現れるということです。今日、皆さんがこの祝福を受けるようになることを希望します。少しだけすれば良いのです。

・私は必ずすることがあります。それが何かというと、朝起きれば、適当な時間に神様に力を求めて祈ります。それはご飯を食べなかったら食べなかったところでします。そして集会に行く前に必ずします。そして私は夜に必ずします。神様が聖霊で私に臨んでくださって、すべての肉体を癒してくださいと言うのです。霊的な病気も癒してくださいと言います。それから皆さんのために祈る時も、聖霊が働いてくださいと言います。本当に不思議なことが起こります。これは私の約束ではなくて、キリストの約束です。これは神様が皆さんにくださった約束です。皆さんが未信者のように、とんでもない苦労をして失敗せずに、福音にあって神様の力で勝利しろということです。この時、人生が新しく変わってしまいます。今日、皆さんが結論を出して帰らなければなりません。未信者のように持つ力でなく、神様が与えられる、上から与えられる力を得て世の中を生きていくという言葉です。運命とサタンの勢力の中で生きるのではなく、福音のなかで神様の力で新しく生きていくという言葉です。

・今日、ミナをくださった主のたとえがそれです。これから私の事業も福音の力でします。これだけ決心すれば良いのです。私に職場も福音の力でします。これは話でするのではありません。職場に行って騒ぐことでもなくて、少しだけ契約をつかんでいれば働きが起きます。ある先生が合宿を受けて学校に行きました。教室に入って、主は生ける神の御子キリストです。良くしたのでしょうか、誤ったのでしょうか。誤ったのです。福音はそのように伝えるのではありません。学校は授業する時間であって、その時間に聖書箇所を書いけば、理解できない人々がじっとしているでしょうか。この力は、静かに影響を与えるのです。その力を言います。ヨセフがポティファルの家に行ったところ、ポティファルの家が恵みを受け始めたのです。ヨセフが監獄に行ったところ、監獄も祝福を受け始めたのです。その力を言います。皆さんがそれを持って行かなければなりません。不思議にヨセフが総理になったところ、エジプトが恵みを受けて、世界が恵みを受けました。これが福音の力です。

・この福音が入った国、米国が生き返って、福音が入ったヨーロッパで昔に生き返ったように、この福音が入ったところごとに生き返ります。皆さんがこれを持って行けという言葉です。簡単に話せば、ミナを持って行けということです。このミナが、まさに福音の力を持って出て行くことなのです。全く難しくないのが、考えだけ変えて少しだけ祈れば、働きが起きます。この祝福をのがせば、どれくらい愚かでしょうか。結局、イスラエルがのがしたのです。それで、皆さんがこの契約だけつかめば、騒ぐことでもなくて、変なことではありません。全く表にも出す必要がありません。パン種のように広がって入るのです。畑にかくされた宝のように蓄えられた財産です。その祝福をいうのです。皆さんがこの力を持って今から生きていくように願います。少しだけ祈ってもかまわないのです。

・皆さんが今、心の底から神様、私に聖霊充満を与えて下さい。私が世の中を生きていくのに、本当に神様の力で生きていけるように聖霊で働いて下さい。これを皆さんがおよそ一年くらいしてみてください。人生全体が整理され始めます。この祝福をなぜのがすのでしょうか。その話です。皆さんがこれを一年くらいだけ思っていれば、皆さんの過去、現在、未来が完全整理されてしまいます。どれくらい大きい祝福でしょうか。この祝福を受けることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。一番良い祝福を受ける日になるようにして下さい。世の中で千人に会ったより、さらに貴重な時間になるようにして下さい。この方たちの家庭、事業、現場に神様が働いて下さい。今日、この時間に癒される力の時間になるようにして下さい。神様が与えられる大きい力を得る貴重な時間になるようにして下さい。私たちの長老と役員などが疲れないように、神様が天の力を与えてください。私たちの聖徒が現場で困難に遭わないように神様の聖霊で保護して下さい。全国、世界に散った私たちのレムナントが揺れないように、神様が主の霊で働いて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン