2006年1月22日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/荒野の奇跡(3)-記念の塔をたてなさい
(ヨシュア4:1〜4)

・聖書でイエス様が'見ずに信じる者は幸いです。'とおっしゃいました。そのみことばを私たちが誤解することが多いのです。心で目で霊的に見てこそ、信じられるのです。聖書のそのみことばは、そのような意味ではありません。例えば、皆さんが大きい事故がおきて神様の恵みを受けることもできます。それより、そんなことがなくて信じるのが、さらに幸いだということです。皆さんが大きい苦しみにあって恵まれることもあるでしょう。しかし、皆さんがみことばを聞いて悟りながら恵みを受けるのが、さらに幸いだという意味であって、見ずに信じることが幸いだという言葉は、見てはならないという言葉ではありません。

・どのようにして神様がイスラエル民族が行く時に、紅海を、ヨルダンを分けられたのでしょうか? これはとても重要な話となります。今でも神様はそのようなみわざをなさるのでしょうか? ‘どのように’ではなく‘なぜ’神様がイスラエル民族が行く時に、紅海も分け、ヨルダンも分けられたかということが、とても重要です。その契約を捕まえた時、同じ答えを受けられるのです。とても重要なのは、神様の特別な救いの計画が聖書にあるということです。神様が初めから福音を与えられたのですが、アダムとエバが信仰生活する前から、霊的に大きいサタンの世界があったのです。知っている通り、アダムとエバをサタンは倒してしまいました。それで神様がすぐに福音を与えられたのです。そのように見た時、分かるでしょう。サタンは本来、天使が堕落したものなので、力がすごいのです。それで蛇を利用してアダムとエバから入ったのです。それを原罪と言います。滅ぼされたので、神様は創世記3:15にすぐに福音を与えられたのです。皆さんでも、そのようにするでしょう。不道徳な者が、皆さんの子どもを滅ぼす時、皆さんは無条件に皆さんの子どもを保護するでしょう。

・しかし、このサタンは、そのまま終わらないで、創世記6章を見ると、ネフィリム時代を偶像の時代にしました。それがノア時代、創世記6章です。ぱっと見れば、とても発展しているように見えます。これがまさに私たち人間がする錯覚です。文化が発展して、物質文明が起きるので、すごいと見るのです。それと共に、ノア時代には霊的問題がずっときました。人々は、とても楽しいと言うのですが、神様がご覧になる時には、とても問題がきたのです。それで人を救い出すために、洪水で審判されたのです。その後にも、人間はバビロン、カルデヤを中心にしきりに偶像を作りました。それがサタンの戦略です。しかし、さっと見ると、人がだまされやすいのは、バビロンは一番復興していた国なのです。この時、神様がアブラハムを呼ばれて、ガラテヤのウルを離れなさいとおっしゃったのです。この頃の言葉で言えば、バビロンを離れなさい。さらに簡単に話せば、偶像崇拝を最もよくする代表国を離れなさい。こういうことを一般の人々は知らないのです。

・さらに正確に言えば、サタンの勢力と災いから、はやく離れなさい。それで救い出そうとするから、メシヤを送る所、そちらに行きなさい。このように見る時、イスラエルの地がすごいのではありません。そちらへメシヤを送ろうとされていたから、すごいのです。それで、この契約を捕まえて出てきたアブラハムに祝福されるしかなかったのです。‘あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。’当然の話です。なぜなら、そのものすごい、目に見えないサタンの勢力から抜け出して、メシヤに会って、他の人を生かそうとする使命を持っていたからです。このようにして、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの家系が形成されたのです。この四人の話しを書いたものを創世記と言います。

・それでは、アブラハム家系の話だとせずに、なぜ創世記と言ったのでしょうか。賛美を探してみるとき、最初は‘何だったか?’と言いながらアイウエオ順で探すでしょう。歌もよくできない人々がカラオケ行けば、歌を思い出せないから、一番最初の歌詞で探すでしょう。聖書の扉を開ければ、本来、原文の聖書が‘創造された。’という言葉になっているのです。なぜなら、ヘブライ語は動詞から出てくるためです。‘創造された’という単語が一番最初出てくる単語です。それで、創世記と言ったのです。そういうことであって、本来は、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの話です。だから、このすごい霊的戦いの主人公として、4人を呼んだので勝利するしかないのです。そのように見れば、ヨセフがどのように失敗して成功したのか知ることができます。その話が、まさに今、皆さんが知らなければならないことです。神様が他の人を生かすために、目に見えないサタンの勢力から皆さんを抜き出されました。それが救いです。それが神様の救いの計画です。分かってみれば、ものすごい話です。それで、世の中ではよく生きているのに、問題がどんどん来るのです。不思議です。良く暮らそうとしているでしょう。良く暮らす国であるほど精神病者が多いのです。皆さんすべてが、幸せに暮らそうとするでしょう。幸せに暮らそうとする国ごとに問題がさらに多いのです。その主犯が聖書にだけ明らかにしているサタンです。

・このサタンは、目に見えずに、今でも皆さんの家系、子ども全部を滅ぼそうとします。それで、神様がそれを破ろうと、キリストを送られると約束されたのでした。聖書で最初にあるのが、創世記3:15です。何が出ているのでしょうか。‘女の子孫がきて、蛇の頭を踏み砕く’それは、処女マリヤからメシヤが生まれ、サタンの勢力をうち破るということです。これが普通の話でなく、これをヨセフが分かったのです。それで、ヨセフは、奴隷で売られたのに、エジプトの総理までなったのでした。どのように思うでしょうか。当然だと感じられるでしょう。‘〜そうだね!’そのように感じられるのではないでしょうか。間違って学んで、よく教えられなければ、違うように教えるのです。祝福の契約の中に入ってきたヨセフは、それしか仕方がないでしょう。これをのがしたのです。ヨセフの子孫がのがしたのです。話になりません。それでは、400百年が流れました。それと共に、エジプトの総理の家族として行った人々が全部奴隷になったのです。これを見てください。今、契約を捕まえたイスラエル民族が、偶像が一番多いエジプトの奴隷になったのです。今でも同じように歴史は反復されます。理解できないでしょうか。

・この時に、福音を悟ったモーセを呼ばれたのです。イスラエル民族を連れて出て来なさい。羊の血を塗って、犠牲のいけにえをささげなさい。聖書が解釈できないでしょうか。これでなければならないのです。行って犠牲のいけにえをささげなさい。パロ王がわかりませんでした。何の犠牲のいけにえなのか。羊の血を塗る日、解放されました。それは、また何でしょうか。このようになるのです。そのような中に、イスラエル民族がエジプトから出たのです。行く道に紅海がさえぎっていました。神様は紅海を分けられたのです。行く道にヨルダンがさえぎりました。ヨルダンの水がせき止められるみわざが起きました。エジプトで主張するのに、何百年に一回ずつ紅海が分かれるということです。その時にイスラエルが渡ったということです。それこそ、イスラエル民族が渡ったという証拠です。どうしようが、イスラエル民族が何百年に一度分かれる紅海を渡ったとすれば、さらに奇跡です。聖書を信じない人々が‘ヨルダン川に行ってみなさい。渡れる。’と言います。それもできると思えるのですが、しかし、イスラエル民族がヨルダンを渡る時には、川に水があふれていたとなっています。洪水になって困難になれば、家にある溝も誤って渡れば死にます。イスラエル民族が紅海もヨルダンも分けたのです。

・それで、何と言われたのでしょうか。ヨルダン川の中にある石十二個を取り出しなさい。十二個は十二部族のことを言うのです。アブラハムの孫は、十二人です。塔をたてなさい。それではどうなるのでしょうか。誰かが見れば尋ねるのではないでしょうか。‘これは何ですか?’皆さんの子どもや、孫たちが尋ねるでしょう。証明になるということです。私の家に今、孫たちが来ているのですが、いろいろ尋ねます。犬がいるから、私の下の孫が言うのに‘'おじいさん、犬を見に行こう’と言ったのです。そうしたら、私の上の孫は一才上なので‘犬を見に行こうというのは、ぞんざいな言葉で、おじいさんには、ぞんざいな言葉で言ってはだめで、犬を見に行きましょうと言いなさい。’と言いました。しかし、妹は聞き取れなくて、ずっと犬を見に行こう、と言うのでした。まだ行こうというのがぞんざいな言葉で、行きましょうという尊敬語であることを知らないのです。何かを作っておいたら、何かと尋ねました。そして、説明をしたのです。そして、続けて見ていると、何かを作っているから、あれは何かと言いました。‘あれは私たちのレムナントが集まって訓練を受ける場所だ’と言いました。成長すれば、どんどん分かるようになるでしょう。

・考えるほど驚くことではないでしょうか。ヨルダンから取り出した石です。その命令を今日くだされたのです。それなら、ヨルダンが分かれたことも、紅海が分かれたのも分かるでしょう。どんなことが起きるかということが分かるでしょう。なぜそうだったかを理解できるでしょう。これを持って、単に信仰生活するのではなく、記念の塔をたてなさい。どれくらい素晴らしい人生なのでしょうか。どれくらい素晴らしい信仰生活でしょうか。皆さんが今日、この祝福を捕まえなければなりません。それでは、記念の塔をたてなさいという言葉には、多くの意味があるでしょうが、いくつかのことは必ず理解しましょう。何のことでしょうか? ひとまず紅海を渡ったイスラエル民族にくださったみことばですが、証拠を確かに捕まえなさいという言葉です。エジプトからイスラエル民族が出る時、エジプトの人々が何と判断したかというと、あの人々は、行く時にみんな死ぬと言いました。行く道は砂漠で、昼間には暑くて行くことができないだろう。いくら主を信じる者だとしても、荒野の道は行けないだろう。そして、こちら側の道に行くようになれば、敵に会って殺されるだろう。敵を避けて行くなら、紅海を渡るべきなのに不可能だ。そのように見たのです。それは人の考えです。それは、皆さんの考えでもあります。

・神様は、重要な計画を立てて、皆さんを呼ばれました。教会が福音を悟れないから問題がくるのであって、福音を悟った瞬間、すぐに答えが来始めるでしょう。私は一番残念なことが一つあります。未信者が、皆さんを見て、教会を見て、なぜ教会があるのか分からないならば、それは私たちの誤りです。それよりくやしいことがどこにあるでしょうか? 皆さんを見て、あの人は教会になぜ行くの?と思うのなら、普通の失敗ではありません。皆さんを見て‘私も教会に行かなければならないな。’と思うべきでしょう。なぜそうなのでしょうか? 倫理でも、人格でもありません。福音ではないからです。福音をもっているならば、人格がちょっと足りなくても、働きが起きます。私たちが王の息子ならば、性質がちょっと汚くても王の息子です。私たちが本当に福音を持っているならば、働きが起きます。記念の塔をたてなさいという言葉は、証拠を明らかに捕まえなさいという言葉です。皆さんが信仰生活をしながら、証拠を捕まえていなければならないのです。単純に紅海が分かれた、ヨルダンが分かれたということではありません。神様がサタンとの戦いで、人間が勝てるように呼び出されたということです。それで女の子孫、契約の血という言葉が出たのです。その証拠を確かに捕まえましょう。

・周囲の国家が待っていました。イスラエル民族が全部死ぬだろう。それだけではありません。あのカナンの地で待っていた敵の軍は、イスラエル民族が全部死ぬだろう。それは人の考えです。それは自分たちの考えです。福音を知らない人々の考えであって、さらにおかしいのは、イスラエル民族の中にも、私たちは行くことができないと言ったのでした。それは皆さんの考えです。皆さんが聖書のみことばを批評しようとするなら、皆さんIQが700はなければなりません。それでもむやみに批評することはできません。なぜなら、神様のみことばであるためです。私たちは正しいと言うのですが、神様がご覧になるのでは違っていることもあります。私たちは未来が分かりません。

・私は、信仰生活すればするほど言うべきことがありませんでした。私も牧会を少し長くしています。するほど、言うべきことがないのです。それで、いろいろ言うことが多い人を見れば、勇敢だという気がしました。昔の話に、無知ならば勇敢だという言葉が、その言葉なのかと思いました。私は時間がたつほど、言うべきことがなくなりました。皆さんを見れば、話す言葉がなくて、本当に大切な神様の民だと見えます。なぜか、とてもすごいことだからです。ジョン・カルヴィンという偉大な神学者は、黙示録について解釈しませんでした。すべての神学者はしたのですが、ジョン・カルヴィンは、ヨハネの黙示録の解釈をしませんでした。理由があります。とてもものすごい神様のみことばだからということです。私のような足りない人間が、手を付けたら、失敗しそうだからということでした。それで、神学者の中でジョン・カルヴィンは尊敬します。すばらしい人です。だから、神様のみことばをその程度に見たとのことは、すばらしい人なのです。それで、私もその通りだという気がしました。それで、他の講義はしますが、ヨハネの黙示録の講義はしていません。あえてむやみにできないのです。どれくらい神様の奥義が大きいでしょうか。しかし、重要なのは何でしょうか。信仰生活の一番出発である証拠を確かに捕まえて行きなさい。それが記念の塔をたてなさいという言葉です。

・二番目は何でしょうか。記念の塔をたてなさいという言葉は、何の話なのでしょうか。子孫の前に証拠を堅くたてろという言葉です。皆さんの子ども達が、どうなるのでしょうか。本当に自信があるでしょうか。皆さんの子ども達が、これから生きていく世の中で、どれくらい難しいでしょうか。そこに何を持って行かなければならないのでしょうか。神様の契約を堅く捕まえて、力強く生きていかなければならないではないでしょうか。子孫の前に記念の塔をたてなさい。6節に見ると、それがあなたがたの間で、しるしとなるためである。7節を見ると、永久にイスラエル人の記念なのだ。これが今日与えられた神様の重要な祝福であり、契約です。皆さんが普通、家で生きていくならば、人は失敗もして、ある時はけんかもします。しかし、子ども達、皆さんの子ども達に、話ではなく伝えられていくことがあります。うちの母は、真に信仰があるんだな、ということは、言葉で聞くのではなく、伝えられていくのです。うちの父母は、真にかわいそうだということは、言葉で聞いたのではなく、伝えられていくのです。これがとても重要だということを分からなければなりません。

・皆さんの子ども達が、本当に皆さんを見ながら、本当に神様は生きておられるんだな、このように感じられなければなりません。本当に、この世の中で、私は福音のため生きなければならない。このように感じられなければならないのです。しかし、ある愚かな親は、不信仰なことを子ども達がいようが、いまいが、話すのです。子どもたちを、みな倒してしまいます。それで、牧師の子ども達や、役員の子ども達が、時々崩れる場合が、そのせいです。ある女の人たちは、試みにあって、こういうものを他人に話します。新しい信者と子ども達に話すのです。みな崩れるのです。その時、不信仰がサタンに捕えられるのです。私たちはみな足りません。しかし、子孫が見る時、本当に神様が生きておられるんだな。こうしてこそ、皆さんの子どもが崩れないのです。私は神様の子どもだな。私は霊的戦いのために勉強するんだな。そうならなければなりません。子孫の前に、子孫が尋ねたら話せという言葉です。こういう記念の塔をたてなさいということです。

・それと共に、今日、三番目に記憶しなければならないことがあります。重要なみことばを、ずっと繰り返されました。4:3節を見れば、祭司たちの足が堅く立ったその所から石を取ったとなっています。また4:5節を見れば、契約の箱の前でヨルダンが分かれたとなっています。4:7節にも、ヨルダンの水が契約の箱の前で分かれたとなっています。ここに契約の箱という言葉が、ずっと出てきます。それは、何の話なのでしょうか。皆さんが、今から生きていく中で、前へ行く道に契約を正しくつかんで行けという言葉ではないでしょうか。それでは、契約の箱の中には何が入っていたのでしょうか。これが重要です。イスラエル民族が、契約の箱が重要なのではなく、契約の箱の中に何が入っていたかということです。神様がくださったみことばが石に彫られて、その中に入っていました。また、何が入っていたでしょうか。イスラエル民族が難しい時、行く時にお腹がすいていた時、奇跡が行われたのですが、神様がマナを与えられたのです。そのマナを入れた壷が入っていました。また、アロンがツエを持っていたのですが、そのツエを地面にさしたところ、芽が出たのです。それが入っていました。その話は何でしょうか。神様の永遠に変わらない約束の契約のみことばが入っていたのです。

・イスラエル民族が飢え死にしそうになった時、神様がマナを与えて導かれたという、その契約が入っています。祭司アロンがツエを地面にさしたところ芽が出ました。創造の力の契約が、その中に入っているということです。これについて行きなさい。その言葉であって、記念の塔も重要なことではありません。その契約が重要だということです。しかし、私たち人間は、誰もみな足りないことがとても多いのです。契約の箱を作っておいたら、契約の箱がまた偶像になりました。しかし、幸いに契約の箱がなくなりました。今でも各団体が契約の箱を捜し出そうと、すばらしい作業をよくしています。多分、探せないでしょう。私たち人間は、契約をのがして契約の箱をつかもうとするのです。エルサレム神殿が崩れたのですが、それを回復させようと、イスラエルが何百年もを試みたのですが、回復できないでしょう。なぜでしょうか。それがまた偶像になるからです。また契約をのがすのです。だから、何の話なのでしょうか。記念の塔も問題にならなくて、ヨルダンを渡ったことも問題になりません。今日、私たちにくださるメッセージは何でしょうか。契約を正しく捕まえて行きなさい。そうすれば、答えが来始めます。

・契約とは何でしょうか。創世記3章に起きた原罪が、今でも皆さんの家に入っているのですが、そこから抜け出したということです。皆さんが外に出て行けば、ネフィリム、偶像文化がぎっしり埋まっていますが、そこから抜け出したというその話です。皆さんは、神様の民だから、本当に福音を悟った民だから、行く道に紅海も分かれるということです。本当に契約の民だから、行けばヨルダンも分かれるということです。その契約をつかめという言葉です。来週の聖日に話すでしょうが、エリコも崩れます。私は時々、後輩に会うとこのように話します。ここにも、今、後輩、牧師、伝道師など、たくさんいますが、この方たちが下手すると、違うように学んでしまいます。本当に福音だけ持っていれば、教会もなるようになります。本当に福音をもっていて、自己中心にだけしなければ、契約中心にしてしまえば、できるようになっているのです。本当に、この方たちが、福音をもっていて、人間中心主義を使わなければ、行く所ごとに答えがくるようになっています。それが福音です。それが契約です。間違いありません。だから、私たちの教会とか、皆さんの家でも、今に見ていてください。私たちが本当に福音をもっていれば、なるようになっています。そこで、私たちの神殿建築も、祈りを開始しなければなりません。はやくできない理由は、私たちは今、ここにいる人だけでも多いのです。正しくレムナント運動しなければならないから、適当なものでは良くできないでしょう。みな備えられています。なぜ教会が教会の役割をできないのでしょうか。福音だけ持っていればできるようになっています。だから、この契約を捕まえましょう。記念の塔をたてなさいという言葉は、子孫に教えなさい。教えること以前に、あなたからこの証拠を捕まえなさい。

・結論を結びます。4:14節にこういう言葉があります。ヨシュアをその一生の間恐れた。これが何の話なのでしょうか。ヨシュアを見て、本当に神様がともにおられることが分かったということです。皆さん、これが真の祈りです。皆さんを見て、神様が共におられるんだな。これが真の伝道です。私たちのタラッパンの伝道は、人を引っぱって教会につれてくるのではありません。今まで私が伝道を長い間、訓練させ、受けているのですが、伝道は人を説得して教会に連れてくるのではありません。皆さんがいる所で、他の人が見て、神様があの人とともにおられるのだな。これが伝道です。この祝福を受けるように願います。ヨセフを見て、ポティファルが主があなたとともにおられるんだな。確かにそうでした。パロ王が見て、主の霊にこれくらい充満した人を見たことがないと言いました。それが伝道です。モーセを見て、パロ王が、今続いている災いをなくしてくれ、あなたが祈りなさいと言いました。パロ王が、モーセを見て分かったということです。そして、ヨシュアを見て、他の人が恐れたということは、ヨシュアが力が強かったので恐れたということではありません。神様が共におられることが分かったということです。これが祈りで、伝道で、祝福です。これが皆さんが受けなければならない祝福で、皆さんの子孫が味わわなければならない祝福です。

・それで、出エジプト13:21に読んだとおり、雲の柱、火の柱で先に導かれます。出エジプト14:19に見ると、皆さんが今日信じさえすれば、先立って主の天使を先に送られます。確かにそうなっています。聖書に重要な時ごとに出てきます。これが今、お金がかかるのでしょうか。大変でしょうか。皆さんに信仰だけあれば良いのです。今日、神様のみことばを信じて、そうだ、信じれば神様は主の天使を先に送られるとなっているではないか。一箇所ももれなく、ダニエル3章、ダニエル6章、ダニエル10章、ヨハネ黙示録、ずっと出てきます。私は信じます。聖書に重要なところごとに一度ももれなく出てきました。それで、他の人が皆さんを見て、神様がともにおられるのだな。皆さん、この祝福を今年だけでなく、常に受けるように願います。皆さん、子ども達も、皆さんが家に帰って信じない夫に伝道をしようとすれば難しいのです。お父さん、今、この世界は霊的問題が多くて、と言えば、お父さんは内心そうだ、あなたもよく信じなさいと言います。キリストはすべての問題解決者です。それでは、何と言うと思いますか。解決されたのに、その格好かと言います。霊的問題がこの世にとても多いが、本当にイエス様が解決しましたと言えば、その人々が何というかというと、あなたは、なぜそんなに霊的問題が多いのかと言います。伝道ができません。ところで、私たちの学生たちが契約を捕まえて祈りの答えを受ければ、言葉には言わなくても、親は見ています。未信者が皆さんに悪口を言うようでも見ているのです。後ほど、その人々がさらに深く知って味わうようになっています。

・昔、私が初めに未信者と一年間、軍隊生活をしたのですが、自分たちどうし遊ぶのでした。私はその人々と一緒に遊べる時間もないから、自分たちどうし遊んでいました。いくら一緒に勤めていても、私は日曜になれば教会に行くべきで、この友達は聖日に会って遊びに行くのでした。だから、自分たち同士は仲良かったのです。ところが、そうではなかったのです。この友達が、本当に難しい問題があれば、私にきて尋ねました。遊んで食べるのは、自分たち同士で、悩みがあれば私にきて尋ねました。その時、私がその人を心より手助けしら、その人が福音も受けました。それで、一人ずつ、一人ずつ福音を伝える門が開きました。それほど良くしてなかったのに、その人々が私に神様がともにおられることを知るようになるのです。だから、私たちを知っている人たち、そばにいる人々は、結局は知るようになるのです。皆さんがいくら言えなくても、皆さんを見て分かるのです。

・ある男の人が、信仰生活もしなくて死にました。死ぬ時、私が行ったのです。イエスを信じなさいと言いました。もうあなたは見ると、この世を離れなければならないようですと言ったら、本人が認めていました。自分もだめだと言いました。それでは、イエスを信じなさいと言いました。そうしたら、この方が大胆に私に言うのには、牧師先生、私はイエスを信じています。イエスを信じているのですか。信じていると言いました。真にイエス様を信じるということでした。イエス様を救い主として信じるのかと言ったところ、そうだと言いました。それならば、良かったと言いました。死ぬ前に、一度でも教会に出てきたら良かったのに、と言ったところ、行けなかったということでした。なぜ来なかったのかと尋ねました。妻のために行かなかったということでした。一理ある話です。その奥さんは、いつも一人でよく信じて、いつも失敗して、道を通いながらも主イエスをどなりながら通って、とにかく人が変だったのです。夫よりはるかに足りないことをよくしていました。夫よりはるかに心配も多かったのです。だから、夫が奥さんによって、教会に行く理由がなかったのです。問題が生じれば奥さんのほうがさらに心配が多かったのです。自分は、何の心配もないということでした。そのとおりだという気がしました。申し訳ない気がしました。イエスは信じるのですが、奥さんを見て、言わばイエスの香りを見られなかったのです。信じられなかったのです。私たちが立派でなければならないのでしょうか。そうではありません。足りないのに、神様がともにおられれば、むしろ相手がさらに恵み受けます。あの人が足りないのに、神様の民だな。これを感じれば、さらに恵みを受けます。神様の最高の約束が何でしょうか。私たちとともにおられると、確かに話されました。なぜ紅海が分かれたのか、この契約だけ皆さんが正しく捕まえれば、すぐに答えがきます。この祝福を今、捕まえましょう。それでは、直ちに明日から答えが来るでしょう。確かにそうです。

・私は、証しすることが多いのですが、この時間にみなすることはできません。神様の契約を捕まえて受けた答えが本当に多いのです。しかし、これは開始に過ぎません。私は残った神様の働きを確かに確信しています。契約の箱について行きなさい。記念の塔をたてなさい。恐れずに記念の塔をたてましょう。いつ挑戦しなければならないのでしょうか。神様のみこころであることが確実ならば、挑戦しましょう。率直に、レムナントの子どもたち、私が何か大きい夢をかなえようというのではなく、私達の子どもたちが集まって訓練をさせるのに場所がないのです。今、私達の子どもたちがたくさん集まるから、彼らを集めて、寝て、訓練させられる所が大韓民国にはないのです。それで、私が数年を考えて、祈って作ろうと言ったのです。

・なぜでしょうか。神様のみこころです。だから、まだみな起きてもいないのに、今、皆さんが少しの間、参加したのに、六十、七十億円と出てきました。神様のみこころならば、いくら大きいものでもできます。それで、私たちのインマヌエル家族が、なぜ5ケ年の2010年までしようとするかというと、5年過ぎれば、皆さんの年齢が何歳なのか分かるでしょうか。よく信じられないでしょうが、5年過ぎれば、私が何歳だと思いますか。ほとんど60才を越えてしまいます。昔ならば、還暦のお祝いをしなければなりません。いつ世界福音化するのでしょうか。神様が皆さんを通してなさるのに、私たちには、時刻表がたくさんあるでしょうか。しましょう。神様の計画です。皆さんが祈って、力を合わせてできないことはありません。今年は、本当に経済を回復して、皆さんの健康も回復する、こういう祝福を本当に味わわなければならないのです。未信者が分かるように。本当に、霊的に困難を受けている人が皆さんを知って、福音を受けるように、記念の塔をたてましょう。この祝福が皆さんのことになることをイエスの御名でお祈りします。そばの人を祝福しましょう。‘契約を堅く捕まえましょう。’‘記念碑をたてましょう。’その契約のみことばです。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。今日、全国、世界にいる、またこの席に座った神様の人々に、答えの時間になるようにさせて下さい。記念の塔をたてる正しいみこころを悟る時間になるようにして下さい。それで、真に私たちの子孫が神様の恵みを受ける、そのような祝福を味わうようにさせて下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン