2006年2月19日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/サムエル時代を開こう
(Iサムエル2:1〜10)

・サムエル時代を開こうというタイトルでみことばを見ましょう。釜山にいらっしゃる方々は知っている方もおられるでしょうが、私たちの村に一軒に兄弟だけで7人、娘1人がいる家がありました。ところが、7人の兄弟がみな不良でした。娘1人がいたのに、娘も不良でした。その家が知られているのも当たり前でしょう。釜山で私と暮らしてきた人間は、このことを知っているでしょう。この家族がみんな不良になって、悪いことだけをしたのです。町の人々が分かるほどでした。しかし、簡単に触ることもできなかったのです。その程度ならば、知っているでしょう。そうするうちに、八人の兄弟姉妹の家庭がみな崩れてしまいました。奥さんが逃げたり、問題が起きるしかありません。ある人は病気になって死んで、あす人は自殺するという問題が生じたのです。しかし、一軒だけ良く暮らしたのでした。その兄弟がみなほろびて、その両親も亡くなったのですが、一軒だけ良く暮らしていました。

・知っている人は、私が説明しなくても、なぜそうだということが分かるでしょう。真ん中ぐらいの息子なのですが、良い奥さんに会ったのでした。とても良い女性に出会ったのでした。この家族が良くないことを見たのです。しかし、この女の方がとても賢くしたのです。夫に対して話せば、自尊心を傷つけることもあるから、そうしないように、とても正しく擁護しながらもよく仕えたのです。その家が結局、成功しました。その家の息子は私と同い年です。時々その町に行くと、そのお父さんがいますから、行けば挨拶をしに行きます。その有名な不良がおじいさんになっています。それで、私が行けば、うれしいと言います。そして、その方が私を見るたびに言う冗談で、とてもおもしろい冗談を言います。'まだ教会に通っているのか?'それで'通わなくてはね。'と言うと、'まだ悟りが与えられていないのか?' '悟りはすでに与えられましたよ。'と冗談を言ったりします。それを見ながら、女の人1人が、そのように重要だすることを感じました。男も重要ですが、良くない家を女1人がみな生かしたのです。

・皆さんも知っている通り、世界で映画を一番よく作る所が米国のハリウッドです。LAに行けば、山にハリウッドと書いてあります。そこで、一年映画で儲けるお金が90億ドルだということです。それなら、日本のお金では9千億円です。その85%をユダヤ人が儲けていくということです。そのうちの有名な監督が、ご存知のとおりスピルバーグという人です。その人がユダヤ人です。そのお母さんがまだ生きておられます。そのお母さんが、いつかテレビで出て話しているのを見ました。息子は、幼い時から写真を撮って遊んだということです。一度はカメラを持って遊んでいて、学校に行かなかったのです。私たちならば、何と言うでしょうか。皆さんならば、子どもが写真を撮って遊んで、学校に行かなかったとすれば、どのようにするでしょうか。大騷ぎが起こるでしょう。悪口も言って、怒りも現すでしょう。しかし、スピルバーグのお母さんは、そうではなかったのです。すばらしくほめたのです。'あなたは、学校に行くことを忘れてしまうほど、写真を撮るのを見たら、この道で成功する。本当にあなたはすごい。'このように話したのです。そのように力を得たので、継続するようになったのです。簡単に話せば、その人が映画界の革命を起こすようになったのです。

・これくらい、お母さんと女性が重要です。昔には、女が無視された時代がありました。特に聖書に見ると、女性をどれくらい無視したでしょうか。だから数字を数える時、含めませんでした。聖書に見れば女と子どもは抜いて、男は何人かを数えました。それが正しいということではなく、その時代がそうだったということです。そして、子どもが産めないならば、産む時まで待たなければなりませんでした。それで、夫が死んだとすれば、その弟が大きくなる時まで待たなければなりません。これがイスラエルの風習です。一言で、女は人の取り扱いをされなかったのです。ただ子どもを産む機械でした。それで、聖書を見れば、結局、夫がすべて死んでいなくなったので、子どもが産めないようになりました。だから、誰もいないから、そのまま追い出されなければならない時でした。それで舅をだまして子どもを産んだ人物がタマルです。ユダの子どもを産んだのです。聖書に見たら、タマルはほめられています。これくらいです。この程度だから、女はただ子どもを産んで育てる機械でした。これくらい無視したのです。そのような思想は、韓国にもたくさんあります。東洋にもたくさんありました。

・そして、漢字を見れば、良くない字には全部、女が入ります。例をあげれば、'嫉妬する'という時、妬むという字は、女と石という字です。つまり、女が石を投げるという意味で妬むと言うのです。女という字三個が集まれば、姦という字です。このような形で、男を三個集めて「かん」と言うべきで、そのような事は男がさらによくするのにも、女という字を書きます。こういう時代なのにもかかわらず、女性の中には、世界を生かした女性もいました。知っている通り、アブラハムの奥さんのサラという人物は、偉大な人物で、またヨセフを産んだラケルという人物も偉大な人物です。そして、モーセを産んで育てたヨケベテも本当に偉大な人物です。また、遊女であったのに、斥候を隠して生かされたラハブという女性、王妃になって国が滅ぼされそうになった時、国を生かしたエステルのような人物。今日、サムエルという偉大な指導者を作ったハンナという人。そのように女性が無視された時代にも、世界を生かした女性がいました。今日、私たちはどのようにすれば、ハンナが時代を生かしたような祝福を受けられるのでしょうか。私と皆さんが本当に祈り答えを受けられるのでしょうか。この部分に対する答えを出したら、皆さんはとても貴重な人です。

・ハンナが受けた答え、サムエルが受けた答えを、皆さんの子ども達が受けたら、皆さんは今、この席に座ったことはとてもよく座っているのです。最も簡単な結論からくだします。福音を理解してしまえば良いのです。福音を理解することが、何でそんなに難しいのか? と思うでしょうが、そうではないのです。私が以前にも話を聞いたのですが、私たちの弟子ですが、釜山でとても勉強が良くできる弟子がいます。見た瞬間に'あの子は清潔そうな子だな。'とても美女でマナーもあります。大人たちが見れば、全部 'あの子を私の息子の嫁したら良い'と感じるほどの子です。その子が幸いに大学で福音を受けたのです。お父さんは事業をしていたのですが、お父さん、お母さんを見たら、両親がエリートです。娘はお母さんに似ていたのですが、お母さんはとても良い人でした。お父さんも事業をする方ですが、とても素晴らしくて、清潔な方でした。良い家でした。娘が信仰生活を良くして、本当に幸いだから、お父さんも一回、教会にきたりしていました。

・釜山で、両親が私たちの教会で特別な行事があればくることもありました。とても娘が信仰生活を良くするから、行く所ごとに人気があったのです。この子の願いが一つありました。私は福音を知らずに育った、私は福音がある家に嫁入りする。それがその子の願いでした。どれくらい夢もきれいでしょうか?私に傷が一つあるならば、私の両親が福音を知らないことだ。それだけ祈っている。私の両親が福音を理解して、私は福音のある家庭に嫁に行くこと。自分の祈りの課題はそれしかないと言いました。それで、私が 'あなたは祈りの課題もきれいだ' みなほめたのです。あまりにも娘が信仰生活を良くして、きれいだったので、色々な所から見合いの話が入ってきました。それで、いよいよ嫁いで行くことになったのです。幸いに、私たちの教会信徒ではなくて、他の教会だったのですが、大学でボーイフレンドに会ったのです。どれくらい感謝なことか、その男の子は先輩だったのですが、医者になる、そのような子でした。まだ専門家ではなく、医大生でした。祈りのとおり、舅となる方は長老で、姑なる方は勧士でした。祈りの答えのとおりになったのです。出会う人ごとにフォーラムして、タラッパンして、ほめていました。

・そのようなある日でした。この姉妹が深刻な顔で私を訪ねてきたのです。牧師先生が言われるとおりにしますと言いながら相談をしに来たのでした。牧師先生が私に福音を教えてくださったので、先生が言われるとおりにすると言いました。言葉もとても用心深くする、とても良い子です。それで、悩みがあるのかと尋ねました。あると言いました。それと共に、自分の話をしたのです。結婚するようになって、日もみんな決まって、相手がいろいろなことをみな書き送ってきたということです。それえを持って来なさいということです。自分は良いが、両親にとても申し訳ないということです。このように自分の両親が侮辱にあいながら、このようにしてあげて結婚しなければならないのかということに対して、自分は認められないということでした。娘一人を誤って産んだ罪で、このように私の両親が苦労しなければならないかという気がすると言いました。そのように医師がすごいことなのか、私がこのように多くのことをして行かなければならないのか、さらに問題になるのは、自分の両親が、信仰生活しようとしていたのに、衝撃を受けたということです。こういうものが信仰生活なのか。ということに対して、とても多くの葛藤が生じて、自分は狂いそうだということでした。自分の父はすばらしい紳士で、'あなたが幸せならば、パパができればいくらでもしたいから、良いよ' と話すということです。しかし、あまりに自分の両親を無視して、侮辱することを継続するということでした。それで、自分が決断を下したということです。柳先生に相談してみて、嫁に行こうか、行かないか決めるということでした。

・本当に私も困りました。そのような相談にどのように答えなければならないでしょうか。みな過ぎ去った話ですが、とても良い子だったのです。本当に胸に火が燃えました。私はその姉妹にこういう話をしました。福音を悟るということは、そんなにやさしいことではないのです。紙一重の差で難しいのです。福音を悟れば終わります。しかし、人々は、このように福音を味わうことができないのです。それで、どんどん困難の中に陥って、出て来ることができないのです。少し持った人、習った人、習えなかった人、色々な種類があるでしょうが、これが福音の中に完全に入らなければ、とても人生に困難がくるのです。私たちが福音を理解したということは、本当に重要なのです。ところで、大部分の人々はそうではありません。福音を持っているのか、いないかはよく分からないが、これを理解するということは難しいのです。紙一重の差なので。人は少しバランスが整っていなくても、成功することはできません。また、少し解放されれば堕落します。これが人間なので、本当に難しいのです。それで、もう初めて信じる人が、福音が何かと、自分にどんどん葛藤がくるのです。それで、私が何と説明してあげなければならないか分からなかったのです。それでも、それではやめなさいと言えるでしょうか? 行けと言えるでしょうか。どれくらい大変かわかりません。それで、このように返事をしました。それでは、神様は私たちの祈りをお聞きにならないだろうか。福音を持った神様の娘であることが明らかだから、今から祈りを始めなさい。全てのものを、ちょっと減らして、この課題だけ置いて祈りなさい。それなら、神様が確かに答えをくださるだろう。このように相談をしたことを思い出します。

・信仰生活する皆さんが、福音を理解するということは、とても重要な祝福がいくつか入っているのです。それでは、祈りの答えを受けた人々は、聖書にいったい何とおっしゃっているのでしょうか。それを、今年、年の初めから説明しているのです。一番最初が何かというと、福音の中にある契約的祝福5つです。私がこのように、あのようにしなければなりませんか? ということではなく、根源的な祝福を与えると言われたのです。皆さんがこの契約を捕まえなければなりません。確かに、皆さんに神様がおっしゃったのは、祝福の根源になるようにする。この話は慰めの言葉であるから、聞くのは良いみことばですが、反対に考えてみれば、すばらしいメッセージとなります。このみことばは、アブラハムになさったみことばですが、アブラハムに祝福の根源を見ることができなくて、いつも表面だけ見て通ったということになります。アブラハムの人生半分がいつも殴られたのです。'あなたは祝福の根源になる。'それで福音と言うのです。福音を悟ったということは、祝福の根源を捕まえたことなのです。'私たちは今、どんな方法と手段で生きなければならないのでしょうか?' 聖書はそのようにおっしゃいませんでした。あなたによって、国々が祝福されるようにする。代表的祝福です。アブラハムがこれを知らないから、いつも不安だったのです。本当に霊的な力を得るように願います。不安になる必要がありません。皆さんは本当に神様の子どもであるために、手段、方法ではなく、代表的な祝福をくださると言われました。これが見えれば、福音を正しく悟ったことなのです。

・'生存競争の中でどのように生きなければならないのでしょうか。'これは未信者が使う言葉です。福音がない時代に、皆さんに福音を伝えるように呼ばれたので、時代的な答えを受けるようになっています。これが福音です。ですから、福音を悟ったということがとても重要な言葉です。福音を悟れなければ、牧師になっても、いつもおかしなことだけして、いつも困難を受けるのです。私が何をしてこそ食べて生きられますか。必要な質問ですが、確かに未信者がする質問です。あなたによって、あなたの子孫によって、国々が祝福される。それを記念碑的祝福と言います。今日から考えを変えられなければなりません。私は年をとっていて、お金もなくて、力もなくて、と言うかもしれません。それはそのとおりでしょう。しかし、それが神様の力を防げることはできません。私は状態が良くないないという考えを変えなければなりません。その状態が、神様の力を防ぐことができず、背景が神様の力を防ぐことができません。それで、ジョン・カルヴィンが言ったのが、不可抗力的恵みです。誰も防止できない不可抗力的恵み。これが福音です。これが悟れたら、福音を正しく悟ったことなのです。分かってみれば、問題のようなもので戦うこともなくて、答えもみな出ています。話をあまりすることもありません。私たちのレムナントが、福音を本当に悟ったとすれば、根源的な祝福を受けるようになります。

・私がこの頃、しばしば話すのですが、北朝鮮に行ってみて、そうなるしか仕方がないことを見ました。50年間、共産主義を習ったので出てくるしかありません。私個人は、北朝鮮と韓国を愛しているのですが、南北統一は、はやくしてはだめです。皆さんの中に入った、それは、絶対に出てくるようになっています。それが変わらなければならないのです。早く年をとった人々が行って、下の人々が上がってきて、新しくしなければならないのです。70年間、共産主義をいつも聞いたので、ロシアの女性が世界を売春婦をして歩き回っています。それしか仕方がないのです。その話は、何の話なのでしょうか。今、皆さんの子ども達が、今から福音を継続して聞いているために、後ほどこの五つの答えがあふれて与えられるということです。

・私はなぜだめなのでしょうか。昨日、私が核心の時に話しました。頭が悪いからです。しかし、頭が悪い人がさらに有利です。頭が悪い人は、はやくよく入らないのですが、入ったことはあまり出ません。それで、大丈夫なのです。私の家内が、いつも学校を卒業してまた勉強しているのですが、勉強ができないと言うのです。頭にけいれんが起こって、入らないと言いました。すぐ見て試験を受けて行ったのですが、一つも思い出せないと言いました。私が慰めたのです。大丈夫だ。頭が悪いからだ。その代わり、よく入らない人は、出て行かない。大丈夫だと言いました。年をとった人々は、よく入りません。しかし、入ったとすれば、出て行かないのです。80才になったおばあさんを見ました。話をして、また昨日話をまたして、明日また同じ話をして、おいに会ったならばまたして、婿がくればまたして、入ったものが出て行きません。だから、問題になることがありません。この契約を持っていれば、ある日、働きが起き始めます。これが福音です。皆さん、福音は契約的祝福5つが、確かに出てくるようになっています。皆さんが今、いくら答えが来なくても、来るようになっています。皆さんの子ども達の中に入ったことは出てくるようになっているのです。皆さんが福音に対する祝福だけ悟ってしまえば終わります。これが福音です。

・福音とは何でしょうか。今、私が話したことは内容で、福音は神様の方法を知るようになることです。簡単に話します。モーセは、イスラエル民族を連れて出なければならないのに、羊の血、創世記3:15を知っている人です。必然性です。必ず必要なことを知っていました。カナンの地に行かなければなりません。絶対性です。その間で起きることが、今日の現実です。当然性です。何の話なのか分かるでしょうか。皆さんの事業もこのようにすれば成功します。皆さんが今から職場に通う人々は、緊急にしようとせずに、私が何を必ずしなければならないのか捜し出せば良いのです。創世記3:15女の子孫が蛇の頭を踏み砕くということをモーセが知っていました。その契約を成就しにカナンの地に行くから、紅海も分かれて、ヨルダン川も分かれるということです。神様の方法です。青年たちがたくさんいるのですが、皆さんが職場に行っても、未信者に無視されないように熱心に仕事を良くしなければなりません。しかし、必ず必要なことを捜し出さなければならないのです。未信者も、それで成功するのです。だから、イスラエル民族が暗闇から出ること、必然性です。カナンの地に行って、メシヤに会うこと絶対性です。行く道に問題が起きた、奇跡が起こるのです。神様が雲の柱、火の柱で保護されました。当然性です。これが福音です。皆さんがこれを捕まえているから、気を遣う必要がありません。これが聖書の話です。今からこれだけ変えて悟れば、本当に答えが来始めます。また、聖書に福音が何と言われているでしょうか。聖書で、福音は何であるとおっしゃっているでしょうか。過去、現在、未来の問題を完全に解決したのが福音です。これが福音です。皆さんが呪われなければならない先祖の罪、皆さんの身分、運命みな変わってしまいました。そして、今、神様の子どもです。皆さんがここに座っているのですが、祈れば、行かなければならない所に神様が主の天使を送られて、祈りだけすれば答えが来ているのです。先に迫ってくる未来問題まで神様はすべての暗闇をみなうち砕かれました。それで、過去、現在、未来を完全に解決してしまったのが福音です。驚くべきことです。皆さんがこれを体験したら、信仰生活に力が出るしかないのです。感謝が出てくるしかないのです。皆さんにこの祝福があるようになることを希望します。

・初めには、ハンナがこれを知りませんでした。それで、聖書を見れば、初めにハンナは傷をたくさん抱いていたのです。傷をたくさん抱いていれば、その傷は確かに出てくるようになっています。昔に、未信者がこういう話をしました。旅行を一緒にして、ギャンブルを一緒にして、酒を一緒に飲んでみれば、その人のことが分かると言いました。なぜなら、ギャンブルをしてお金が行き来すれば、その人の性質が出てきます。未信者に酒をたくさん飲ませてみれば、その中にあることが出てきます。その中に傷が入っていれば、悪口が出てきたりします。酒さえ飲めば、文句を言う人がいます。その傷が積もっていて出てくるのです。傷が怖いのです。ハンナが、初めには傷の中で捕らわれていて、いつもゆがんだ考えをしていました。だから、被害意識ができます。私が無視されているようだ。こういう意識ができるのです。そして、比較意識ができます。他の人が少しうまくいけば、私はなぜこうするのかという比較意識ができます。こういうことでは、不信仰に捕われるのです。本当に幸いなのは、ハンナという女性が、その中で祈り始めたのです。契約を捕まえて最後まで神様の恵みの中で祈り始めたのです。ある日、祈っている中に、この答えが来たのです。皆さんに困難がきた時、揺れずに祈ることを望みます。私たちが何か話を聞いた時、人にこの話、あの話をせずに、本当に祈ってみましょう。祈れば、何の答も来ないから、ある面で苦しいでしょう。しかし、正確な神様の計画が見え始めます。これが祈りです。祈れば、直ちに答えがくるのではありません。だから、苦しいこともあります。お金がなくて、お金を求めて祈れば、突然、屋根に穴が空いてお金が落ちてくるのではないということです。しかし、それよりさらに正確な答えがくるようになっています。これが祈りです。

・ハンナが幸いなのは、そのように揺さぶられて、傷の中にいたのに、神様に祈ったのです。祈っていて悟ったのです。ずっと祈るならば、答えの中の答えとして悟りが与えられます。それで、ピリピ4:7を見れば人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。お金がくるのではなく、お金よりさらに重要な、お金になるほどの神様の知恵が与えられます。成功がくるのではなく、祈れば、成功できるほどの神様の祝福がくるのです。この時、ハンナが祈って、ナジル人、これが浮び上がったのです。私が息子を産んで何をするか、人が多いのに、また産んで何をするのか。こういうことで、産まれた息子がサムエルです。ナジル人の説明が必要ですが、最も簡単に話せば、福音完全を持った指導者です。それで産まれた人物がサムエルです。神様の前にささげて、今日Iサムエル2章を見れば、賛美しました。今日、ここ2章を見れば、神様の前に賛美する内容が驚くべき内容が多いのです。私の心は主を誇り、私の角は主によって高く上がります。4節に見るのと、勇士の弓が砕かれ、弱い者が力を帯び、食べ飽いた者がパンのために雇われ、飢えていた者が働きをやめ、不妊の女が七人の子を産み、多くの子を持つ女が、しおれてしまいます。6節を見ると、主は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。それと共に、10節に重要な告白をしました。主は、はむかう者を打ち砕き、その者に、天から雷鳴を響かせられます。こうしながら、自分の信仰を告白しました。このようにして、育てた人物がサムエルです。サムエルがどれだけ祝福を受けたのでしょうか。皆さんは分かるでしょう。皆さんの子ども達、皆さんに、こういう祝福があるようになることを希望します。サムエルが言う言葉は、一言も地に落ちませんでした。聖書に書いてあります。そして、サムエルが生きている間には、イスラエルに戦争がありませんでした。どれくらい祝福が臨んだのか、サムエルが生きている間には戦争がなかったのです。

・この頃は、挨拶する時、朝食べたかとは言いません。私たちに会ったら、元気ですかと言いますが、道を行くときに会えば、お昼を食べたかとは言いません。昔には、私たちは会えばあいさつが、朝食べたかと尋ねるのでした。なぜかというと、その時は貧しくて、絶食の日があったので、ひょっとして朝食べたかとあいさつをしたのです。イスラエルの人々は、会えば朝食べたかと、そのように挨拶はしません。いつでもシャロームと言いました。その言葉は、とても戦争が多いので、平和であるようにということです。イスラエルに戦争がとても多かったのです。しかし、サムエルが生きている間には戦争はありませんでした。普通の話ではありません。私はこれが重要な契約だと見ています。正しい言葉だと思います。皆さんが今日、ここにいますが、皆さんが行くどの場所でも、暗闇の勢力はありません。確信します。問題であっても、問題ではありません。皆さんが生きている間には、平和があるでしょう。皆さん、よく理解できないでしょうか。福音を持った者が行く所ごとに、目に見えない暗闇の勢力はみな逃げるのです。必ず、今日信じなければなりません。皆さんが行く所に、行く前に神様は主の天使を送られるのです。まちがいなく、皆さんが知らないからであって、皆さんが行く所に、主の聖霊がともにおられます。サムエルが生きている間に、イスラエルに戦争がありませんでした。それしか仕方がありません。

・釜山に将軍一人が、私たちのメンバーなのですが、除隊をして釜山に帰ってきました。私たちの教会を訪ねてきました。部隊に来てみたら、釜山で防衛兵がいたのですが、麻薬する人もいて、めちゃくちゃだと言いました。毎日のように事故がおきるということでした。それで、私が祈ることにしたのです。釜山にきて証しもしました。この方が、子どもたちを呼んで集めて、ギターを弾いて、賛美を歌って、全部隊を歩き回りながら祈ったのです。その方が行ってそうしたのです。奇跡のようなことが起きたということでした。ただの一度も、事故が起きなかったということです。そうでしょう。本当に問題があっても大丈夫です。皆さんの行く所に戦争がなかったということは、暗闇の勢力がみなうち砕かれたということです。それを聖書には神様の国と言われています。私たちの教会の男性は、契約をつかむことを希望します。男性は、教会にくれば女性の前にしょげてしまいます。考えがうまくできません。なぜなら、女性は、時間が多くて教会にしばしば来ます。それで信仰がとても良いようにします。男性は、外に出て行って帰ってくれば、未信者と同じようにします。女性は、家で待っているから、いつも男性が信仰がないように見えます。心配する必要がありません。男性が教会にとても熱心にくるのは聖書的ではありません。礼拝をよくささげて、信仰生活をよくささげようと、良い朝の祈りきて、徹夜の祈りもきて、毎日、女性のようにみなくれば、どのように事業をするのでしょうか。それなら良かったと、水曜日の日は行かないようにしよう、そのように考えずに、私の言葉は何の意味でしょうか。皆さんが、この席に座って少し礼拝をささげて行くのですが、皆さんは、神様の子どもです。皆さんが少しだけ祈れば、行く所ごとに暗闇の勢力がみな崩れるようになっているということです。それを私たちは心に、どうでも良いように考えます。とんでもない話です。サタンは確かに存在しています。皆さんが疑って震えて恐れをなしている時、そこを触るのです。サタンが誰でも触るのではありません。皆さんが揺れる時に触ります。それで、聖書にあなたたちの思い煩いを主に任せてしまいなさいと言われています。何も心配しないようにしましょう。それと共に何とおっしゃったのでしょうか。あなたたちの敵である悪魔がほえたける獅子のように食いつくすべきを者を探して歩き回っていると言われました。

・昔に犬をたくさん育てていました。犬もどんあ所にでもおしっこをしません。犬も清潔なところにはしないのです。通ってみて、においをかいで、変なにおいの所におしっこをするのです。とても清潔な通り、部屋には、良心の呵責になるからしません。ゴミのにおいがしたりするところに、足をあげておしっこをするのですが、どんな所にでもするのではありません。皆さんは神様の子どもだから、ものすごいのです。サタンが触れないと知っているので、いつ触るのでしょうか。皆さんが揺れる時に触ります。聖書には、心配しないで。心配しないようにという言葉は、聖書に365回出てきました。365日、一日も心配するなということです。サムエル1人を育てたところ、誰を作り出したのでしょうか。ダビデです。私たちが来週には、ダビデがどのように勝利したのか見るつもりです。今日、皆さんひとりの献身が、サムエル時代を開く祝福になるでしょう。一度は市内でこういう事がありました。女の人が子どもを抱いてバスに乗ろうとして行くのに、とても早く行こうと走っていて、車とぶつかったのです。血が流れてきます。母親と子どもが違ったところに倒れたのです。しかし、この母親は、すぐに起きると、子どもがいる所に行きました。自分が出血するのは考えもしないで子どものところに行ったのです。私がそれを見ながら、母というのは、あのように強いんだな。言われているでしょう。女は弱いが、母は強い。そうです。女は弱いけれど、妻は強い。聖書を見てください。女は弱くても、女弟子は強いのです。今日、皆さん1人の祈りが夫も生かして、子どもも生かして、みな生かせるのです。もう一度福音をさらによく理解しなければなりません。皆さんが本当に福音を持っているならば、行く所ごとに暗闇の勢力はみな崩れるようになっています。この時代を開こうとしています。サムエル時代を開きましょう。いつも胸の中で祈らなければなりません。私たちは、レムナント共同体訓練場を作って、これから皆さんの子ども達が世界のどこへ行っても道があるように作りましょう。そして、皆さんの事業、職場、現場を祝福されるか、されないか、契約を捕まえて待ってみましょう。神様の計画ならば、いくら大きいことでもできます。恐れずに、神様の計画が確実ならば攻撃しましょう。今年、驚くべき証拠がたくさん起きるようになります。皆さんが、サムエル時代を開く主役になることを希望します。

・言葉を結びます。ハンナがした小さい祈りが、世界を生かすと、本人も考えることはできませんでした。皆さん一人がする祈りが、世界を生かすとは、夢にも考えることができないでしょう。今日、その祝福を受けるように願います。私の母が、一度も欠かさず、朝の祈りに行ってきて私を捕まえて祈りました。私が信仰もなく通っていた時にもきて、捕まえて祈りました。祈りの内容いくつかを聞いてみれば、必ずそのうちに私が一番嫌うこと、主の一番大きいしもべ、牧師になるようにしてくださいと祈りました。横になって寝るふりをして聞きながら、私は牧師はしないと思っていました。私の性質に合わないからです。私は性質が良いか良くないかは知りませんが、たくさん儲けてよく生きる性質です。耐える性質ではありません。牧師をしないと思っていました。しかし、毎日のようにきて祈っていました。私は他のものはしても、牧師はしないと思っていました。しかし、本当に見てください。神様が世界福音化ができるように、答えをくださるのを見れば、皆さんひとりの祈りが世界を動かせるのです。あきらめずに、契約を捕まえて、今日、大きい祝福を味わう祈りが始まることを希望します。インマヌエルの家族、釜山、蔚山、すべて衛星で礼拝する所に、インターネットで礼拝する所に、同じ神様のみわざが起きることを希望します。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。サムエルが生きている間に戦争が終わりました。この方たちが行く所ごとに、暗闇が崩れるようにして下さい。ハンナ1人の祈りが世界を生かしたように、今日、この場に参加している方々の祈りが、民族と世界を生かすようにさせて下さい。1人の女性の祈りが世界を生かしたように、私たちの女信徒の祈りが、家庭と教会を生かすようにさせて下さい。今日、まさにハンナの祈りが答えられる時間になるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン