2006年5月14日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ
<父母の聖日>


1部/真の親孝行
(ルカ16:19〜31)

・米国のウェスト地域で、ジャービスという夫人がいたのですが、26年間、教会の奉仕をしながら多くの人を助けたということです。病気になったのですが、自分は世話をされずに、感動的な奉仕をしていたそうです。死後、アンナという彼女の娘が、白いカーネーションをお母さんのお棺に置いたということです。それが開始になって、父母の日になればカーネーションを付けてあげるのです。それが米国全域に広まりました。1914年頃になって、米国会でそれを決めたということです。お母さんの聖日を5月の2番目の週にしようと決めました。私たち韓国で1930年代に、救世軍教会でお母さん聖日でなく、父母聖日にしようと決定をしました。真に重要なことでもあるのですが、私が見る時は、大きい意味はないようです。本来、お母さんたちが、あまりにも苦労をするから、お母さんの日を作ろうという意味でした。ところで、聖書はそのように意味を置いていません。とても両親が苦労をするから、両親の日を作ろうというのは良い意味もあります。しかし、そのような意味ではありません。昔には誕生日パーティーをしました。とても食べられないから、誕生日にもよく食べようというパーティーです。今はそのようなパーティーではありません。

・この前の金曜日に集会を終えて食事をしました。宿舎のそばを見れば公園があります。漢江公園だったのですが、そちらに行ってみました。本当によく作ってありました。ところで、ロウソクのあかりが何百個かついていたのです。学生たちが作っていました。真っ暗な夜に、ロウソクのあかりをつけるので、見栄えが良かったのです。熱心に友人と作っていたのですが、問題が生じたのでした。管理人がきて、はやく片づけなさいと言うのでした。その子たちがほとんどみな作った時なのに、片づけろと言われるので、しかたなく片づけているところでした。それで、私が尋ねたのです。何をするのか?想像もできない話をしました。友人の誕生日だから、パーティーを準備していると言いました。しかし、おじさん2人がはやく片づけろと大騒ぎをしていました。それで、私が管理するおじさんに尋ねてみたのです。してはいけないのか? 悪いことするのでもなくて、きれいなのに、なぜだめなのか? それでも上の人が分かったらいけないと言いました。上とは誰か? そのまま置いておけと言いました。ですから、学生たちがうれしくて、それでは10分で終わらせようと言いました。そうしていたら、友人数人が待っていて、数人が来て、誕生日を迎えた学生が1人来たということでした。ロウソクのあかりを消して自分たちどうしで拍手をしました。ありがとうと言いました。これくらい誕生日パーティーが変わったのです。私たちが幼い時は、食卓に何かワカメのスープが出てきて、特別なものが出てくれば、私の誕生日であることを感づいたのでした。今、多くの人々が言う親孝行とは、聖書はちょっと違うように話しています。ひとまず、私たちが今日の本文を考える前に、先に見れば親孝行ということは正しい人の基準です。王が臣下を選ぶ時、必ず参考にすることがあると言われているでしょう。孝行息子かどうかを見たということです。なぜならば、孝行息子でない人は、まちがいなく悪い人なので、王に仕えることができないのです。

・出エジプト20:12 'あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。'と言われました。エペソ6:1には'子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。'親の教育が大学教育より良いのです。大学を卒業できなくても、社会生活をすることができるのですが、親の教育を拒否した人は社会生活ができません。それで、いくら習った人でも、習えなかった人でも、幼い時からあまりに親の言うことを聞かなくて、親から抜け出した人は何もできません。それで、教育の中で最も水準が高い教育は小言教育です。その教育ができていない女性は、家庭に仕えることができません。また、その教育ができていない男性は家庭を率いることができません。エペソ6:2には'「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、'と言われています。第一の戒めということは、十戒を見れば石の板が二つありました。一つは一戒から四戒までありました。神様に対してのことです。一つは五戒から十戒までで、人に対してです。五戒の一番前を見れば'あなたの父と母を敬え。'となっています。そのような意味で、第一の戒めです。エペソ6:3には'「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。'と言われています。単純に私たちがする話ではありません。私たちが理解をしなければならないのですが、赦して親孝行をするということは、力がある人ができるのです。単純に両親に良くしてあげなければならないのではありません。ですから、人を理解できる、許せる、親孝行できるということは、力がある人です。そして、私たちの親とレムナントが記憶すべきことは、聖書にレムナントの特徴は、親と指導者と心が通じたのです。万一、指導者が見る時、あの人は絶対に成功できないと見れば、絶対に成功できません。親が見る時、私の息子だが、あいつは希望がないと見れば、希望がないのです。

創世記37:11を見れば、ヨセフが夢を見た話をしたところ、お父さんがそれを心に留めたと言われています。ヨセフが持っている信仰と、お父さんが持った信仰が通じたということです。ヨセフが持っている心とお父さんが持っている心が通じたということです。こういうものが親孝行です。とても私たちは水準を低く、花を付けてあげて、パンを買ってあげるのですが、もちろん、それも親孝行です。水準もそれ次第です。いつも両親に挨拶するのも親孝行ですが、必ず親孝行と言うことはできません。出エジプト記2章を見れば、モーセという人がお母さんのお乳を飲みながら育ちました。何を聞いたでしょうか? そのモーセが持っている考えが何でしょうか? お母さんが持っていた祈りと考えが通じたのです。レムナント7人がみなそうでした。皆さんがおわかりの通り、サムエルとハンナ。ダビデがお手伝いに行くのに、お父さんが戦場行くのに、危険ならば帰って来なさいと言わなければならないのに、しるしを持ってきなさいと言いました。どうして、お父さんがその重要な財産を末っ子のダビデに任せたのでしょうか? どんなことが親孝行なのでしょうか? 私たちはいい加減にしても答えが出てくるでしょう。なぜ金持ちの財閥が、長男や次男に与えずに、何番目の息子に与えるのでしょうか? それは差別でなく通じるからです。単に心が合うということではありません。エリシャという人が、エリヤに呼ばれた場面をご存知でしょう。十二くびきの牛で畑を耕していた時に呼ばれたと言われています。皆さん十二くびきという言葉は分かるでしょうか? 牛二匹にくびきをかけます。この二匹が引っ張っていく時、すきが一つになって行くのです。それでは、十二くびきということは、牛が24匹いたことになります。24匹でくびきを作って、後にすきを当てたから、大きい工事でなければ、大きい農作業だったでしょう。こういうエリシャでした。色々なことが出てきます。この人がエリヤに招かれたということです。私たちは信仰も信仰ですが、色々なものがそこに含まれているのです。テモテにパウロは、このように話しました。あなたの真の良い信仰は、あなたのおばあさんロイスにあって、またあなたのお母さんユニケにあったので、あなたにもあるのだな。そうだとすれば、私たちは外で親孝行、親孝行を強調するから親孝行に対する考えを正しくしなければなりません。世の中の人が話す親孝行と、私たちは違うのです。

・私が暮らしていた昔の家の一階は他の人が住んでいて、二階は私たちが住んでいました。単独住宅なのですが、二世帯が住んでいたのです。おばあさんが1人おられたのに、息子は遠い所に船員で行き来していました。この方が、中風になったのですが、若い嫁がほとんど食べ物を与えないのでした。お腹がへったと言うのに、食べ物を与えませんでした。パンをあげても、投げて与えていました。このおばあさんが、お腹がすいているので、這って行って食べていました。本当に激しいように見えたのです。しかし、本人には理由があったのでしょう。大変だから、そのようにしたのでしょう。ある日、おばあさんが亡くなりました。ところで、私は驚いたのです。葬式をするのに、どれくらいお辞儀をして泣くのかわかりません。悲しくて泣くのか、うれしくて泣くのか分からなかったのですが、とにかく泣きました。すぐ一年が過ぎぎました。法事を行うのに、ものすごく立派にしました。それで、私がそれを見て、生きておられた時、おいしいものを与えず、死んだ後に自分たちみな食べようと法事を行うのだと思いました。それが未信者の方法の親孝行です。聖書はそのように教えていません。

・今日、ひとりが少しの間、紹介されました。よく暮らしていたのですが、死んで地獄に行って、ちょっと貧しく生きていた人は天国に行ったという話です。この話を皆さんが誤って聞けば、金持ちはよく暮らしたので地獄に行って、貧しい人は天国行くみたいだと理解するかもしれません。これは、その話ではありません。よく食べて、よく遊んで死んだが、たましいが地獄行く人がより良いのか、苦労していてもたましいが天国に行く人がより良いのか? イエス様の質問は、その意味です。それなら今日の本文を見ながら、私たちはどのようにするのが真の親孝行なのかを見ましょう。

・今日の本文を見ながら、最初に私たちは本当に親孝行しようとするなら、福音のなかで成功しなければなりません。ここには子ども達もたくさんいますが、皆さんが成功するのが親孝行です。皆さんが世の中の成功もあるでしょうが、簡単に話せば、よく生きるということが親孝行です。聖書に見れば、レムナント7人が全部、成功しました。それが最高の親孝行です。私たちが毎日、両親においしいものも買ってあげて、電話もするでしょうが、そのようにしなくても成功すれば、それが親孝行です。ここに両親がいるでしょう。一度、尋ねてみてください。最も親孝行は、子ども達がうまくいくこと、そのことがうれしいのです。レムナント7人を見れば、成功したのですが、多くの栄光を神様に現わすようになります。その中で代表的な例がヤコブです。なぜでしょうか? ヨセフが成功をしたということです。総理になってお父さんを招きました。どれくらいヤコブがうれしかったでしょうか? 一生の祈りなのでうが、それが答えになったのです。パロ王の前に行って、パロ王に手をあげて祝福しました。だから、このヤコブがどれくらい胸の中に自分の契約と祈り、すべてのことが成就したのです。今日の本文で見るように、成功しても福音がなければ失敗です。私たちが話す次元は、ただ良くしてあげて、ご飯を持って行く次元ではだめなのです。両親が知っていようが、知らなくても、私たちが正しく成功して、失敗しないでほろびないのが親孝行です。

・この金持ちを見て下さい。今日の聖書に見ると、毎日パーティーをしていました。紫色の服を着て、きれいな細布を着ていました。きれいな細布の反対は、太い生地で、きれいな細布はとても高い服です。これもパーティーを一日だけしたのではなく、毎日したのでした。どれくらいすごいのでしょうか。しかし、この金持ちには、なかったことが五つあります。この金持ちは多分幸いなのか、不幸なのか、お金は多かったようです。しかし、この金持ちは絶対に持つことができなかった五つのことがあります。最初は真の幸福がありませんでした。毎日、酒だけ飲んでいたのです。これが幸せでしょうか? 毎日です。この金持ちには、真の幸せがありませんでした。二番目、真の友人はありませんでした。この金持ちは、いくら友人が多くても、全部、酒友達しかいなかったのです。成功した人でしょうか? 私はそのように見ません。これは孝行息子ではありません。いくら、お金が多くても。この人は、真の友人がなかっただけでなく、真の希望もありませんでした。なぜ生きなければならないのでしょうか? 毎日、一緒に酒を飲めば毎日酔っぱらっているのではないでしょうか。そして、この人はお金があるように見られるのですが、真の力はありませんでした。もしこの人からお金を取れば、人間でもない程度の人でした。そして五番目、真の来世がありませんでした。ある日死んだのですが、地獄に行きました。これは親孝行ではありません。一番の真の親孝行は、福音のなかで成功しなければならないのです。これを未信者は知りません。未信者が話す親孝行は、勉強ができて、成功して、お金を儲けて、よく食べることです。私たちの福音を持った人々の観点で見る時は、福音がない人は孝行息子になれません。福音がなければ、成功もできないし、成功をしても問題です。

・二番目です。どんなことが聖書は真の親孝行と言うのでしょうか。特にレムナントが知っていなければなりません。どんなことが親孝行でしょうか。私が福音のなかで正しく成功するのが親孝行で、次にどんなことが親孝行なのでしょうか。家系を霊的に強固に立てるのが真の親孝行です。皆さんが両親を敬っても、クリスチャンは、既成世代の霊的問題をそのままついて行ってはいけません。今、未信者はずっと違うように思っています。ある人は、自分はイエスを信じられないと言います。どうしたのと尋ねたら、両親のためと言いました。それは、親孝行ではありません。ある人は、必ずすべきことがあるのに、両親のためにしないと言います。ある面で、それは親孝行ではありません。未信者は、そのように習って来ます。皆さんを通して、皆さん家系の霊的問題がみな解決されて、霊的に家庭を堅く立てるのが親孝行です。そして、本当に今日の本文を見ましょう。本文に重要な話が出てきました。金持ちが死んで、地獄に行きました。とても遠い所に見えたようです。天国にはラザロがいたのです。だから何と言ったでしょうか。ラザロをよこして、指先に水一滴だけくれと言いました。どれくらい苦しかったのでしょうか、そのように言うので、何とおっしゃったでしょうか。行き来することができない。全然、身動きができないのでした。聖書は、イエス様が確かにそのように説明しておられます。私はこれが正しいと思います。しかし、未信者は違うように思っています。親孝行の中の親孝行が何かといえば、両親が死んだ後、法事を行ってあげることだというのです。皆さんが霊的目を開いて見れば、未信者は全部、逆に知っています。死ねば地獄や天国に行って、出て来ることはできないのです。しかし、くると思っています。これを最高の親孝行だと思っているのです。それではどうなるのでしょうか。なぜ法事をする時、両親が悪霊なるのに、なぜそうなのでしょうか。法事を一度しなかったら、家に問題がきた。占い師を訪ねて行ったところ、占い師が言う言葉が、法事をしないないからだということだ。それが未信者が知っていることです。両親がご飯を食べられなかったということです。とんでもないことです。l悪霊がどのようにご飯を食べるのでしょうか。ところで、なぜそうなのでしょうか。

・ここに今、僧侶もいます。仏教理論ではないのですが、仏教でたくさん話します。前世に何だったということを離します。それがみな間違った話です。それでは、なぜそうなのでしょうか。それが何なのでしょうか。法事を行えば、両親が悪霊になって来るのでしょうか。それでは、法事をしなければなりません。本当に来るのでしょうか。ムダン(霊媒師)が何かをする時、ある人を呼びます。来て何かの話をするのです。ぴったり正確に占います。これはまた何でしょうか。皆さんが、こういうものを知らなくてはいけないのです。それがまさに両親、先祖がくるのではなく、だましてまねをした、それも悪い霊がくるのです。正しく分かってみれば、それほど危険なことはありません。ひょっとして、お祓い、供養をしている方があれば、恐れをなさずにしてはなりません。ほろびた国々見れば、お祓い、供養をしています。それでは、先祖が飢えて死ぬならば、なぜ米国、ヨーロッパは良く暮らしているのでしょうか。また何の悪霊がご飯を食べるのでしょうか。そして、終わったら自分たちがみな食べているのです。法事をしているのを外に出て行って見たのですが、品物になるに値するものは一つもありません。このように思っているのです。そして、そこにお辞儀をして、祀って、偶像崇拝して、これを親孝行だと思っているのです。だから、韓国にはずっと問題くるのです。私の話が正しいか、間違っているのか、法事を多くしている家を、一度研究してみてください。正確に話せば、その日がまさに悪霊総動員の日です。避けられません。これは他人事のように考えられるでしょうが、多くの人々がこのように生きているのです。両親が亡くなれば、天国か地獄に行ったことは永遠に変えられないのです。黙示12章で堕落したサタンが悪霊を率いて、今、全世界の宗教界を乱れさせているのです。皆さんが占っているのが、全部だまされているのです。悪霊が占ってくれて、後ほどだましてしまうのです。ここに今、霊媒師や占い師をしていて救われた方、数十人が座っています。今、タラッパンで唯一、ムダン(霊媒師)をたくさん悔い改めさせたのですが、今、私の説教を何百人かは聞いているでしょう。まちがいなく、それがみなだまされたのです。こういうものを親孝行だと思っています。

・皆さんを通して、皆さんの家系が完全に生き返るようになることを希望します。私はこれが親孝行と思います。そうです。両親を訪ねて行って、飴を持って行く、それも親孝行です。しかし、飴を食べて、とても孝心を感じるくらいならば、その両親はあまり良い両親ではありません。私が以前にこういう話をしました。日本に行きました。日本の空港で税関出入国管理所を通過しなければなりません。日本の人々は、日本人だから右に行って、私たちは外国人だから左に行きます。日本人、外国人の二つが書いてありました。あるおじさんとおばさん二人で、韓国人であるから外国人側に行ったのです。ところで、このおばさんがずっと夫に、私たちは韓国人であって、外国人ではないとずっと引っぱるのでした。だから、夫が、ここは日本だから、私たちが外国人だから、ここに行かなければならないと言っても聞き取れないのです。韓国の人なのに、なぜ外国人かというのです。今でも見てください。笑う人がいて、笑わない人がいます。笑わない人は聞き取れないのです。だから、夫が苦しいから、女を引っ張っていきました。それを見て、夫が妻を無視すると話すことができるでしょうか。それでは、その女がおばあさんになって受ける親孝行の水準はどの程度でしょうか。ほろびようが、そうでなくても、飴だけ持ってきて、お小遣をたくさん与えて、少しずつあたえるそれが孝行息子だと思っています。私はそのように考えません。私たちの韓国と教会とすべてのレムナントは、水準を上げなければなりません。もちろん、それもすべきですが、真の親孝行は、私たちは福音のなかで成功しなければならないのです。ある面では、息子、娘も区分して問題になることもありません。ある人は、子どもがなくても大丈夫なのです。私たちが正しく子孫を育てるのが、正しい両親で、正しくおとなを分かるのが親孝行です。だから、私の家系を生かすということは、単純に私の家系だけを話すのではなく、この地球上に霊的問題を解決することなのですが、それほどの愛国はありません。

・将校1人が、将校で行くと挨拶をしにきました。一つだけしなさい。熱心に軍隊生活を良くしながら、下の部下たちの霊的な状態を点検して相談してみなさい。そうすれば、ほとんど事故も起きないだろう。軍隊で事故を起こしたと言うけれど、分かってみれば家から本来、持っていた霊的問題だ。だから、福音を知らずに霊的問題を知らなければ発見できない。だから、皆さんが、これがどれくらい重要なことか知らないのです。真の親孝行は、私の家系を霊的に強固に立てることです。ある教団では悪霊論を言いながら、未信者が死ねば悪霊になると言うのですが、そうではありません。それはムダン(霊媒師)理論です。それなら、法事を行わなければなりません。そうではありません。皆さんが霊的世界にだまされてはいけないのです。牧師先生、今21Cで科学が発展しているのに、そのようなことがありますか。だまされてはなりません。私たちは、今、感情に捕われて、父母の聖日に'出る時の苦しさ...'と歌いながら、涙を流して、そんなことも必要ですが、そうしている時ではないのです。

・最後に真の親孝行は何なのでしょうか。両親が福音の祝福を味わうようにさせてあげることです。この金持ちが生きていた時も良く暮らすことができなかったのです。いつも酒を飲んで、そのように生きて、地獄に行ったのです。どれくらい苦しかったのか、指に水一滴だけ浸してくれと言いました。これが本当に苦しい人です。お腹が空いた人も本当にお腹が空いた人は何と言うのでしょうか。食事を一口だけくれと言います。そうではないでしょうか。お腹がそれほど空いていない人は、食事を一杯、食事を一膳くれと言うのですが、本当にお腹が空いた人は、一口だけくださいと言います。この人が水一杯くれと言わず、一滴だけくれと言いました。どれくらい苦しかったら、そう言うでしょうか。それもラザロに。自分の家の前でたくさん食べたから、ラザロをよこして、水をひたして舌をちょっと濡らしてくれと言ったのです。それから、何と言ったでしょうか。両親が救われたか、救われていないか、今日、ここに重要な話が一つ出てきました。死んだということは、たましいが抜けたことであって、死んだことではありません。地獄に行って、今、何と話しているのでしょうか。ラザロを送って、ここに兄弟たちが来ないようにさせてくれと言ったのです。行けないと言ったら、ラザロを送って、私の兄弟はここに来ないようにさせてくれと言いました。両親の願いは何でしょうか。もし救われていないとしても、私たちの子ども達はここに来てはいけない。行けないと言いました。あそこはモーセと預言者があると言いました。その話は、聖書、旧約聖書のことを言います。その聖書で悟るようにしたら良い。最高の親孝行が何なのでしょうか。両親が福音の祝福を味わうようにさせることです。両親のために本当に祈って、福音を伝えなければなりません。

・最後に話を結びます。私たちのレムナントは契約の情念を持たなければなりません。私が福音なかで成功してこそ家庭を生かせる。そうしてこそ、国家も生かせる。それが親孝行です。これを私たちのレムナントらが契約の情念としてつかんでいなければならないのです。それでこそ、大きい答えを受けます。例をあげてみましょう。ダビデという将軍がゴリヤテの首を打ちました。それも幼い少年がそうしたのです。サウル王が、ゴリヤテの首を持ってくるので、とても驚きました。その時、サウル王が何と話したのでしょうか。前は特別に見ていなかったのです。王宮で琴をひいたので顔は知っています。この王が見て、とても驚いて、いったい君が誰か。その時、ダビデがこのように答えました。主のしもべ、ベツレヘムの人、エッサイの息子です。皆さんが成功するとこのようになります。主のしもべ、ベツレヘムの人、エッサイの息子です。私たちのレムナントが成功すれば、主の御名が高められます。レムナントが成功すれば、故郷がどこか、故郷が高められるのです。皆さんが成功すれば、両親が誰か、このようになります。これが親孝行です。皆さんが福音の中にあれば、成功するしかないのですが、福音の外では失敗します。だから、福音を正しく悟ろうと強調するのです。

・ウン村の村にあった話を皆さんが聞いたことがあるでしょう。この人が少し脚も悪くて、ちょっと形も良くなかったのです。人が賢いのか賢くないのか、話をしないから、少しバカのように見えたのです。町中の人が、この人にはぞんざいな言葉づかいをしました。ところで、この人は確かな職業がありませんでした。村の清掃もして、宴会場に行ってお手伝いもして、こういうものをいつもしていました。この方が、それでも教会に行って信仰生活する人だったのです。息子が三人いたのですが、息子三人がみな成功しました。医師、将軍、裁判官になったのです。今は亡くなったのですが、その時からは、その方が町内の言わば一番上席に座っていました。本当に驚くことです。子どもが成功すれば、両親がこのようになるのです。それで、私たちのレムナントは、契約を捕まえて福音のなかで成功しなければなりません。契約で捕まえなければならないのです。そして、皆さんの家系を霊的に生かさなければなりません。そして、両親が福音の祝福を味わうように手助けしなければなりません。これが親孝行です。

・私は時々こういう時があります。時々、およそ三十年ぶりの人に会います。どれくらいうれしいでしょうか。そうでなければ、昔、四十年前に幼い時遊んだ友人に会います。このような時、私に残ることが一つあります。私はその人を見て、とてもうれしかった。しかし、話すところがないのです。前は私が家に帰って、母に話しました。お母さん、誰々、分かるでしょう、と言うと、分かると言います。私が今日、道で会ったといえば、お母さんも珍しく思って、どうして、その人に道で会ったのかと言いました。二人で話が通じるのです。この頃、時々感じます。私が四十年前に友人に会ったと、孫を捕まえて、このおじいさんが四十年の友人と言っても、話が通じません。私は忙しく通うのに、こうしたことがずっとあるのです。それと共に、初めには分からなかったのですが、時間が経てば、ますますずっと感じられることがあります。私が両親に本当によくしてあげなければならなかったのに、という考えが時間が経つほどずっと出るのです。

・一度は、私が中央アジアで五時間、車に乗って行くのに、どれくらい荒野が広いかわかりません。木、草、花を見ると、一番思い出すことが何かといえば、昔を思い出すのです。そんなことを見たら、両親、お母さんを思い出します。時間がかなり流れたというのにです。それで、両親が生きている時、よくしてあげなさいという話が、この話だなと思います。前にいる時は分からなかったのが、という気がします。今日、皆さんが福音のなかで成功する本当に祝福された人になることを希望します。それが親孝行で、信仰生活です。それで、今日、霊的な祝福、ラザロのようにならずに、金持ちのようにならずに、福音を持った成功者になることを希望します。特に海外にいるレムナントに、同じ祝福があることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、みことばを聞く方たちに、そのまま祝福が臨むようにして下さい。神様のみことばが成就する重要な時間になるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


<<一般信徒宣教会献身礼拝>>


2部/ヤコブの自己改革
(創世記32:24〜32)

・今日、私たちの献身礼拝ですが、タイトルはヤコブの自己改革です。私たちの教会に初めて来られた方、その中で他の教会に通っていた方もあるでしょう。そうでなければ、初めて受け入れて来られた方々、あらかじめ申し上げることは、ここで私が何をするか、色々と私はどのようなことをたくさんしようか、という以前に、一年でも、二年でも、みことばを良く聞いて、恵みを受けなければなりません。そうでなくてはいけないのです。そのようにしないで、皆さんに仕事をさせて、いろいろ重要なことを見て行けないようにする牧師は悪い牧師だと思います。今日、世界教会がそのようにしてきたので、教会は文化的に負けてしまいました。参考にされるように願います。

・私たちの教会学校や聖歌隊をしている方々は、自分から見いださなければなりません。私がこれで神様が私を救われたんだなあ、これから見いださなければならないのです。それにならなければ、何かを度々しようとすれば、どうなるかということは言うまでもありません。どうなるかは、私も知らずに、皆さんも分かりません。どのようにすればというように、私たちは多くの時間、信仰生活をそのようにしてきました。米国に行ったところ、ある方を私に紹介されたのですが、自分は何年か前から、あることに一生をかけたと言いました。何かと尋ねたら、悪いものではありませんでした。名前も良い、トレスディアスというので、奉仕することだと言いました。人生で、他人の物を奪い取る人もいるが、奉仕した方が良いと言いました。真の言葉をかけて上げられなかったのです。あなたが今、奉仕をされなければならないのに、奉仕する人ではないが、全く恵みも受けられないで、基礎もなっていず、福音もないのに、どこで奉仕するのかと言いました。そうでしょう。そのように信仰生活してはいけないのです。残念です。新しい家族も教会に来たら、色々な人が手助けして、祈ってもらうのは、感謝することでしょう。皆さんが夫を見る時、本当に感謝すると言ってこそ、答えを受けます。私の妻を見る時、本当に感謝すると言ってこそ、本当に答えを受けます。しかし、人々のためにせずに、新しい家族がみことばを良く聞きながら、ある面では私の話も聞かずに、みことばを良く聞いてください。神様の御声を聞いて、神様がこのようにされたんだなあ、このように分かられなければなりません。その次には、答えの門が開きます。開かれれば、そのまま行けば良いのです。それが信仰生活です。福音とは何でしょうか? 私が誰なのかを発見して、神様を知るようになって、神様の子どもになったことを知るようになって、その部分を味わうようになることです。それが福音です。それでは、その部分に十分な恵みを受ければ、私が行かなければならない道ができます。自然に。それが信仰生活です。それで、他のものはみな忘れても良いのです。誰でもみんなが知っている3つのことを話してみます。なぜそうでなければならないのでしょうか? 聖書の話はイスラエルの滅亡の話です。エジプトに奴隷に行って、戻ってバビロンにやられて、アッシリヤに捕えられて、バビロンに捕虜になって、ローマに植民地になって、後ほどには国が皆死ぬようになりました。

・その話ではないでしょうか。皆さんの中で、いくら自分が勇気のある果敢な人でも、私は何の話かわからないといえば、無知な人になります。この部分は、とても重要な部分です。中世教会の時、多くの問題が起きました。それで、皆さんがこの3つに対する質問をしなければなりません。世界教会は、今、ニューエイジという文化に負けるようになりました。他人の話でなく、契約を持って始められる方たちが、この契約を必ず受けられなければなりません。何からすべきでしょうか? 今日、ヤコブの自己改革という話を見る前に、序論の部分で一般信徒すべての方たちが、宣教に参加する前に記憶するべきことは、皆さんの中にひょっとしてこうした方はいないでしょうか? 私は人を通じて傷を受ける。こうした方はいないでしょうか? あるいは、なぜ人々が私を無視するのか? ひょっとして、なぜあなたが私を無視するか? また、とても不和が多いのか。どこかへ行けば、不和が起きて無視される。そうでなければ、私はとても病気の中で苦しい。確かに道は一つしかありません。いくら皆さんが方法を使って、頭を使っても、道は一つしかありません。神様が皆さんを祝福されるから、道はその道しかないのです。先に自己改革を行わなければなりません。これのほかは解決される方法はありません。それで、どのようにするのでしょうか? 神様が確かに皆さんを祝福しておられます。間違いないのです。神様は確かに私たちとともにおられます。そして、神様は私たちとともにおられるだけでなく、皆さんに完全な計画を持っておられます。それで、私だけ改革してしまえば、働きが起きるのです。こういう部分が、想像以上に、信徒に多くあります。ものすごいメッセージを聞いて、何のためにまた止めてしまうのでしょうか? これのためにだめだからです。

・皆さんには、こうしたこと、ああしたことがいろいろ起きるでしょう。どんな方法でも解決できません。神様だけが解決できるから、私を変えなければならないのです。その他には、どんな方法でも不可能です。同情を受ければ良いのですが、それも少しの間です。助けを受ければ良いでしょうが、それも少しの間です。理解されれば良いでしょうが、それも少しの間です。本当に解決される道は、神様しかないから、自己改革しなければならないのです。神様が皆さんをどれだけ祝福されるか知っていますか? 人間にくださった祝福はものすごいのです。私が以前、話したでしょう。創世記1:28に神様が一番最初になさったみことば。征服して治めなさい。この話の中には、すばらしいことが入っているのです。それで、医者たちには申し訳ないのですが、私たちのからだの中にある薬が外にある薬よりさらに強いのです。私は、だれが薬のことを話しても、ほとんど飲みません。外から入る薬より、中にある薬がさらに力があるということを知っているからです。そして、食べ物のように助けを与えるのも、からだの中にとてもあるのです。その証拠で、私が以前に話したでしょう。私は17年前からいつも祈りながら、健康維持する呼吸をしています。本当に助けになります。人のからだ中にある力はものすごいのです。医師はお手伝いするのに過ぎません。骨どうしがくっつくのをお手伝いするので、あって医師は付けられません。なぜ縫うのでしょうか? 私たちは付けたと考えるのですが、付くように縫うのです。からだのなかでセメントのように出てきて、みな直すようにするのです。このように神様が私たちにくださった祝福はものすごいのです。それほどまで、私たちだけ変えれば、神様はまちがいなく、救われた皆さんを祝福しておられて、皆さんは分からないでしょうが、皆さんと共におられて、皆さんに完全な計画を持っておられるのです。ですから、私だけ変われば良いのです。だれがどうだと他の人の話をするのは、正しくても解決されません。私は妻のゆえに、私は夫のゆえに、それは正しくても、解決はできません。解決される方法は、私を変えなければならないのです。それで解決されます。

・二番目です。ヤコブの自己改革に入る前に、皆さんが必ず記憶しなければならない二番目のことです。人間は誰にでも知らず知らずに霊的問題があるから、この部分を改革しなければ、ここで終わるのです。そうではいけません。皆さんが福音を伝えるのに、色々な話を聞く必要はなくて、神様をみことばよく聞いて、私の話が神様のみことばに間違いなければ、信じれば良いのです。人々を見ましょう。誤解せずに、悪い話だと聞かないでください。変に悪いこともしなかったのに、刑務所に行く人は、ずっと刑務所に行きます。その家族が皆いくのです。大きく悪いこともしなかったのに、ある人は、本当に悪いことをしても、そのままいるのに、ということです。もちろん悪いことしなければ行かないでしょうが、人には、不思議に失敗が継続されていく人がいます。なぜか人が一度行った、それは誰にありえることです。しかし、八回も、七回も、自分は絶対に行かないと言うのに、ずっと行くようになるのです。人が生きるならば、離婚することもあります。しかし、家族ごとにみなすることは霊的問題です。これを直さなくては、大変なことになります。私が話すのは、改革ということは、しなくてはいけないのです。これだけできれば、神様はものすごい祝福を備えておられます。

・それでも、牧師先生、夫がとても変ならばどうしますか。置いておきなさい。内心、死ぬのかそうでないのかと思うでしょう。それなら、こう考えれば良いのです。精神病になったよりましだ。ガンになって、治療費2千万円が必要なよりましだ、と考えましょう。人間よりだめなくせに、ガンがずきずきと痛んで治療費2千万円が必要だと言われたら、頭が痛いでしょう。それよりましです。ハレルヤ、こうやってそのまま耐えなさい。私は妻を誤って選んだ。本当におかしな人が多いのです。精神病院で一ケ月に5万円ずつ出して、いつも横になっている女たちがいます。そのように考えて、ハレルヤと言いましょう。そうでなければ、霊的問題に落ち込みます。私の話は、普通の話ではありません。これは聖書にだけある話です。違うところで、こういう話をするでしょうか。聖書にだけある話です。皆さんは聞かなくてはいけません。不思議に、いくら良い夫に会っても、終る時は、だれもそのように話さなくても、そのように死ぬのです。熊が死ぬ時は、不思議にいくら良いところに置いても、自分の家を探して歩き回って自分の家を探して歩き回ります。霊的問題を改革しなければ、大きいことが起きます。なぜなら、神様は祝福しておられるためです。祝福されないなら分からないのですが、祝福しておられるから。救われた皆さんに、最高の祝福を神様は備えておられるから、必ず記憶しなければなりません。霊的問題はすべての人が持っています。しかし、それを悟れなければいけません。誰にもあります。不思議です。人間の肉体的、霊的な本能がそのようなのです。高齢になれば、故郷へ行きたいように、霊的にもそうなのです。皆さんは必ず記憶しなければなりません。この説明をよくする時間もないから、しなくても良いでしょうが、よく見なければなりません。わざわざここに反対になる答えを捜し出してこそ、働きが起きます。

・三番目です。ここにしたがって3つの改革が起きるのですが、年頭に話した人生、宗教、文化改革です。ここにしたがって答えがき始めます。ここで、とても重要なことが、皆さんが今まで生きてきたことがあります。一番重要なのが、今、私たちの教会の中には律法主義、人間中心主義、起きる色々な知識層の人もいて、とても貧しい人もいる多様な信徒がいます。一番注意しなければならないことは、パリサイ人は、勉強をがんばって正しく生きてよく暮らしていました。パリサイ人が生きてきたのが、福音を知らないのでほろびるという事実を知らなかったのです。それで、一番危険な話が、私は私の人生のとおり生きるということですが、私の人生が神様計画と合わなければどうするのでしょうか? それが一番危険な言葉です。本当に福音を悟った人には。

・私が悟ったとおり生きるということは、とても危険な言葉です。それは未信者の話です。それでは、私が悟ったことが、間違った話ならばどうするのでしょうか? 問題になります。私が悟ったのが、いつも正しいとは思えません。私たちの一番危険な話がそれです。私は私の信仰で生きる。それも普通の危険な言葉ではありません。私の信仰がどのようなものなのでしょうか? それがよく悟られたら、どうなるのでしょうか。ある面では、昔に信仰生活するならば、教会の中で、私は神様だけご存知ならば良いという人です。何か事を起こすかもしれません。神様だけご存知ならば良いというから。自分勝手にしておいて、神様だけご存知ならば良いのです。それは止められません。いっそ人間中心主義がより良いのです。人間中心主義は、顔色を見ます。教会で人間中心主義を使う人は、顔色から見ます。子どもたち言葉で、目つきを見るのです。私は神様だけご存知ならば良いという人は、顔色もなく、そのまま生活するのですが、普通の問題ではありません。信仰生活する人々が、いたずらに神様の祝福をみな受け取っておいて失敗してはいけないでしょう。神様は確かに祝福しておられるのです。それで、変えてしまえば良いのです。教会を変えて、神様を変えようとしてはいけません。私を変えなければならないのです。私が違うので、私を変えなければなりません。それだけなれば、答えの働きはまさに開始です。それで、一番危険な話が、私は神様がご存知ならば良いとか、私の人生を私の信仰のとおり生きるというのが、間違っていることがあるのです。

・なぜ違うのでしょうか? 体質のとおり生きてきたためです。聖書勉強、祈り、断食までよく生きてきたのですが、初代教会を見たら、とてもめちゃくちゃでした。それはその人がめちゃくちゃであることであって、福音がめちゃくちゃなのではありません。ここでパリサイ人が崩れたのです。少し知識層にある人は、用心しなければなりません。それは、その時だけでなく、今でもそうです。教会で見ると、試みにあう事が多いのです。それは試みあう事であって、福音がそうだったり、神様がそうなのではありません。それを悟れる頭はなってこそ、少なくともIQが100以上はなるのです。これで、パリサイ人がほとんど崩れたのです。'あの人は絶対にメシヤではない。何でメシヤが宴会場に行って酒を作って、弟子を選ぶ時、取税人や魚を取る無知なペテロを選ぶのか、そしてメシヤはレベルがあるように遊ぶので、ベタニヤのらい病人の家に行ってご飯も食べて'このように見たのです。錯覚です。それは間違った話ではないのですが、キリストを見間違ったのです。それで、私たちは改革にならないのです。

・反対に、またある人は、とても無秩序に育った人々は、この人たちがそれのために恵みを受けられないのではないのですが、変わらないのです。このように、教会の中に葛藤の問題がきて、また一つは教会はいつも律法と福音に対する葛藤。私たちは、いつもどんなことが正しい、正しくないのかを教会で習って、このようにあのようにしろと習いました。そうするうちに、思わず律法が入ってくるのです。それで、どんな問題がくるのでしょうか。良いのですが、私に重大な問題がきた時には解決しないのです。私に重大な問題が来なければ良いのですが、ずっとくるのです。そして、福音理解もできず、霊的部分が理解できないのです。それでは、どのようにするのでしょうか。だから、はやく変えましょう。こうすれば、すぐにそのまま答え門が開き始めます。理解が良くできないのでしょうか。アーメンの声が出てこないのを見ると、病気を癒されるようにと言うと、すれば口が裂けるようにアーメンと叫ぶでしょう。それは良いでしょうか? そうでは良くないのです。私が変わらないのに、良くなって、何をするのでしょうか。恵みを受けるようにと言うと、叫びをみな怒鳴るでしょう。受けるは必要ありません。変わらないのに。それで、度々何を受けるのでしょうか。

・本当にこれは悟るだけでも答えを受けます。'そうだ、私は変わらなければならない。'神様は、私たちが弱いことをご存知なので、ローマ8:26〜28私たちの弱さをご存知で、聖霊が私たちを助けられるので。教会の中で、一番の葛藤がこれです。これから、私たちの教会もそうで、他人の教会もそうですが、この葛藤がたくさん起きるでしょう。今、百ケ所余りの教会がこの時間にインターネットでメッセージを一番たくさん聞くのですが、教会の中に葛藤がどれほど多いでしょうか。私たちのタラッパンでは、また他の戦いがあります。福音を悟ったか、悟れなかったか。あの律法教会は、戦いの主題が一つしかありません。君が正しいのか、私が正しいのか。しかし、タラッパンはもう一個あるのです。君が正しいか、私が正しいか、あれが福音だ、違う。このように戦いを継続するのです。なぜか、体質が変わらないから。悟るだけでも働きは起きるのにも、そのようにするのです。確かに神様は、皆さんに答えておられるから、大事な祝福を本当に受けるように願います。それで、全部、自分自身のために受けられないのです。悟るだけでも、そうだ私は律法主義で、律法でなく、みことば聞いて見たらそうなったのだ。誰かが今まで悪かったり間違いではないが、福音をずっと強調しなかったので、深く根をおろせなかっただけであって、知らないことでもない。そうなったのだ。そのように理解をして、他の教団でも私たちの教団に対する理解をしなければならないでしょう。信徒を奪われるために異端だと言うのではなく、何かこのようにさせてはいけないのです。今まで違ったことでなく、福音を強調をしなかったせいで、他のことでたくさん根を下ろしたから、福音の根を下ろしてあげなければならないのです。私はそこに対する緊迫した使命を感じた者です。それを感じられなければ、私、君、関係なく、この3つの問題にやられるようになります。だから、このようになるのです。

・イスラエルが、何のために捕虜なったのでしょうか。このようになります。何のためにヨーロッパ教会が崩れたのでしょうか。今、今日の世界教会が崩れています。それでする話なのです。今日、皆さんが本当に祝福を受けるように願います。みな来ています。神様は、確かに皆さんのために全てのものを準備されました。確かにあるでしょう。見つけられなかったのが、問題です。この時から、私が改革されれば、見え始めます。神様は、野の草も養っておられます。ある人が、このような話をしました。雑草はない。ただし、名前を知らないだけだ。そうです。私たちの神様は、そのような名のない草までだみな治めらておられます。私たちがいくら足りなくて、失敗しても、私たちの価格や価値は、草よりは良いのです。だから、頑張って恵み受けるように願います。これを聖霊の導きと言います。その時から答えを受け始めるのです。今までだめだったことが解けてき始めます。何か縛られていた暗いことが、明るくなってき始めます。度々、我を張ってはなりません。神様に変えなさいと言ってはいけないのです。私たちが変わらなければなりません。神様は、私たちを祝福されようとするのに、私たちの誤った悟りを変えようとすれば、すぐ答えを受けます。そのうちで一番最初に私を変えましょう。なぜなら、神様の祝福を受けるうつわだからです。神様が私とともにおられるから、神様は確かに私に計画を持っておられるためです。変えなければなりません。

・それでは、今日、私たちの一般信徒宣教会に参加する方々が、ヤコブが受けた祝福を見ながら、ヤコブの自己改革を見なければなりません。最初です。神様はヤコブのために何を準備されたのでしょうか? 自己改革を行えば、神様の計画が見られます。こうしてこそ、信仰生活しがいがあるのです。ところで、これが変わらなければ、私が変わらないで、私の霊的問題そのままあって、考えも変わらないから、きても分からないのです。先に肉体的な目で見えること以外、分かりません。お金、服、食べること、車、家、こういうもの。だからみな奪われるのです。神様は何を準備されたのでしょうか。ヤコブに先祖を通して契約をくださったことがあります。それから神様があらかじめ準備されたのです。よく知っているでしょう。創世記3:15、創世記6:14、すでにアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフにきました。それを悟るために、創世記12章を見ると、自分のおじいさんがガラテヤのウルから離れてカナンの地で来た事実、自分のお父さんイサクが、創世記22:13〜20を見れば、犠牲のいけにえとしてささげられて、雄羊のために生き返った事件。こういうものを皆知っていたのです。こういう契約を持って生まれた人がヤコブです。

・これを知るようになったのですが、ヤコブが知らなかったのです。自分自身が改革されないためです。それなら、ヤコブはやっとそのまま私がどのようにすればさらに満ち足りて生きるかとだけ思って動き始めたのです。神様はヤコブを通して十二部族を準備されました。ヤコブは知りませんでした。これが重要です。ヤコブができないことを、神様は皆さんにすでに先祖に与えられた約束と、皆さんの後に起きることをみな準備されたのです。ヤコブは、これを悟れないで、いつも葛藤したのです。その程度なのでしょうか? ヨセフという人物を準備して、エジプト征服を準備しておかれたのです。神様が。神様は、ヤコブに何と話されたのでしょうか。あなたの名をイスラエルとしなさい。聖書で一番大きな人は誰でしょうか? そのように尋ねれば、すぐに答えることは難しいでしょう。イエス様を除いて。それで、モーセだ、パウロだ、このように出てくるでしょう。しかし、自信をもって話せることがあります。聖書で一番有名な人は誰でしょうか? ヤコブです。なぜなら、その名前がイスラエルです。最高に有名な名前です。だから、それが何でしょうか。世界福音化を準備するのです。今日、皆さんがヤコブのように、自分自身だけ変えて、私たちの霊的問題だけ変えてしまって、変えようと決意しても答えがきます。そうではないでしょうか。私の考えだけ、体質だけ変えてしまっても、働きは起きます。この時、ヤコブにこの目が開かなかったのです。誰にでも準備されています。

・私が何度か話したでしょう。あまりにも私たちがそのような姿なので。貧しい人が、米国が発展するというので、お金を出して船に乗ったのですが、問題は、船に乗って一週間行くのですが、行きさえすれば、就職もみな契約していたのですが、食べるものがなかったのです。それで、この人は一週間、断食することに決心したのです。一週間、断食して行けば、就職すればご飯を食べられるという希望を持って行くのに、大変でした。そのままいても、お腹がすいているのに、船に乗って行くのに、どれくらいお腹がへるでしょうか。ところで、さらに問題は、一緒に船に乗って行って、他の人は食事しに皆いくのです。これがさらに問題です。自分は行くわけにはいきません。そばの人々が、一緒に食事しに行こうというのに、嘘をつかなければならないのです。お金がないといえば良いのに、今、お腹が良くない。腹がいっぱいだ、腹が痛いと嘘をついたのです。6日間、断食しました。それでも、希望があったのですが、一日だけ耐えたら良いと思ったのです。

・ところが、どういうことでしょうか。放送で'波がある関係で、この船がゆっくり安全に進んでいるので、予定より一週間さらに遅く到着します。皆さんは何の心配もせず、船で楽しい時間を送って下さい。'楽しい時間が持てるでしょうか。今、最悪の境遇なのに、これではそのお知らせを聞いたら、その時から人がおかしくなりました。生きるか死ぬかだと思って、行って食べたのです。どれくらい腹がへっているでしょうか。6日、断食したので。思い切り食べて、いくらかと尋ねたら、食堂で仕事をする人が見つめて'食事は初めてしましたか?'と尋ねたのです。初めて食べたという話はしなくて、いくらかと尋ねたのです。食堂の仕事をする人をからかうのでもなくて、ずっと価格を尋ねたのです。だから、食堂で仕事をする従業員が'船に乗ったでしょう。船に乗る時、船賃を出しませんでしたか?' '出しましたよ。だから船に乗っただろう。'だから従業員が'船賃に、寝ること、食べること、飲むこと、みな含まれているので。'それを知らずに、六日間、死ぬほどの苦労をしたのです。完全に一週間食べずにおりるところだったのです。これが私たちの信仰生活する方法です。私たちの姿かも知れません。

・苦しくて、一日でも食べて悟ったのです。だから、神様が私たちに苦しみを与えられるのです。悟るところには、苦しむ理由もないのです。ヤコブに苦難が続きました。こういう祝福を持って、十二部族の族長として、エジプトを負かすヨセフのお父さんとして、神様から初めから選択された契約を持った者として、それでも、なぜこのように苦難が続いたのでしょうか。今日、必ず聞いて、答えを受けなければ、私が責任を負います。これだから、ある学生から手紙がきました。私が牧師先生のみことばを聞いて、ずっと祈ったのに、答えが来なかったので、責任をとってくださいと言ってきました。今、私のe-mailにも来ています。牧師先生のみことばを聞いて、祈りの手帳をもってずっと祈ったのに、答えは来ないので、私はもう絶対に祈りの手帳を見ないと送ってきました。本当に、そうなのに答えが来ないはずはありません。ヤコブに苦難がずっときました。理由があります。悟れなければ、感謝が出てこなくて、欲だけ出てくるのです。これでは、自分の思い通りに思っていて、生まれる時から兄の弱点を握って出てきて、聖書で人間的にだけ見てください。霊的な理由は、みな抜いて兄がきて豆のおかゆを一杯くれと言えば、そのまま与えれば良いのに、長子の権を出せと言うやり方でした。これでは神様の祝福はすでに準備されているのに、祝福も嘘をついて祈って受けて、だからヤコブには答えが来なくて、毎日、心配だけくるのでした。衣食住の問題。皆さん、本当に答えを受けるように願います。

・私が今日する話は、普通にする話ではありません。本当に幼い時から教会に通っていたのです。教会で見たこと。30年伝道現場で見たこと、私の周囲にも立派な方々も、私のように足りない人、金持ちの人、貧しい人もいました。だから、私もある程度、見るのは、皆さんと一緒に見たということです。だから、単なる話ではありません。絶対に自己改革をしなければ、誰もする人がいません。なぜなら、神様だけすることができるから、神様だけなさるのです。神様が皆さんのために準備されることがあるからです。そして、必ず霊的問題、これは必ずしなければなりません。そして、私たちはこれまで生きてきた問題があります。当分自分のレベルと合わなければ問題がきます。それを越えるべきです。私の体質と合わないでも越えるべきです。これがすばらしい改革です。このような時、答えの門が開きます。そうでなければ、律法で、人間中心主義にどんどん陥って、行って失敗するのです。どれくらい重要かわかりません。ですから、この目が開かれないから、ヤコブには苦難がずっときたのです。できるのが欲だけ、出てくる答えは心配しかなくて、問題はしきりに起きました。どうするのでしょうか? 家庭不和がしばしば起きます。家中にどんどん問題が起きて、兄との問題、後ほどには兄が自分を殺そうとまでしたのです。それで逃げました。家の中の問題が、一番難しい問題です。葛藤の中で一番の葛藤が人間で、問題の中で一番の問題が家の問題です。犬のために葛藤することはありません。もちろん、少しできるでしょうが、しかし、解決策が簡単です。牛のために葛藤が起きたら、売れば良いのです。人間のために葛藤があるのは、売り飛ばすことも殺すこともできません。価値もない人間を殺せば殺人になってしまいます。

・今回、メッセージしたのですが、以前に、私たちのお隣りに本当におかしなおじいさん一人がおられました。毎日、酒を飲んで心配をかけていました。ところが、死ぬこともせず、頭が痛い人は、早く死ぬこともせず、長い間、苦労させるようにするのです。それが、交通事故で死にました。ところで、そのおばあさんが言うのに、私たちがどれくらい笑ったのかわかりません。生きていた時は、一円の価値もなかったのに、死んだら、報償金が出てきたと言いながら泣くのを見たのです。本当に、その人は一円の価値もなかったのですが、死んだら報償金が出てきたのです。だから、人のために来る問題が一番難しいのです。それで、この頃の大学生が使う悪口の中で、一番ひどい悪口は何か知っているでしょうか? 獣のような奴、こういうものは昔の悪口です。新型の悪口は、人間め。これです。一番の悪口です。あまりにも人間のために問題がくるからする言葉ではないでしょうか。

・こういう家庭不和のために、狂いそうな状況であるヤコブが逃げるようになりました。そうするうちに、ラバンに会ったのですが、だまされました。ここにいつもだまされるのです。人間は、チャンスだけあれば、だまそうとして、本当にだめでした。さらに重要なのは何でしょうか。ヤコブが自分が誰なのかを知らないほどでした。このようになれば、本当に困ります。ヤコブが自分を喪失したのです。このようになります。このように大きい祝福を受けておいても、このようになるのです。ヤコブに、重要な悟りが始まったのです。自己改革を行いました。聖書を見れば、ヤコブが静かに座ったのが三回出てきます。この話は、人間の相手をせずに、一人で遊ぶのではありません。兄に追われて行って創世記28:10〜14節に、とても疲れて、兄が刃物を持って殺そうとしていたので、十分にそのようなことが出来る兄エサウは、本来、猟師なので山もよく知っていて、ヤコブは山をよく知りません。これで逃げるのにつかまえにきたのです。どれくらい走ったでしょうか。そのように逃げて、日が沈む所で倒れて寝たのです。その土地の名前がベテルです。そこで倒れたのです。ところで、どれくらい疲れたのか、普通ならば、怖くて寝られないでしょうが、石を一つ取って寝たのですが、夢を見たのです。目を明けたら、地面からはしごが天まで連結しているのを見ました。'わたしはあなたの先祖の神、主である。わたしはあなたを捨てず、わたしはあなたを離れない'それと共に、天使があがったり下がったりしました。この時、ヤコブがどのようにしたでしょうか。逃げる時、母がくれた財産である油を石に注いで祈り始めたのです。ここが聖地になるようにと、私が父なる神様に恵みを受けて戻れば、十分の一をささげることで、ここに神殿をたてるという神様の前に誓願を立てました。何でしょうか?家庭福音化。これを契約で捕まえたのです。

・創世記31:1〜56を見れば、ヤコブが自分を喪失していて悟りました。私は今、父の家に行かなければならない。約束の土地に行かなければならない。その契約を捕まえてラバンと相談した後には、神様がヤコブにどのようにされたでしょうか? 詐欺にあって奪われたのに、経済の祝福をずっとくださいました。途方もない経済の祝福を受けたのです。今、みな説明する訳には行かないのですが、これでヤコブは錦の旗を掲げて戻りました。21年ぶりに財産と多くの子どもと家族を連れて帰るのに、噂を聞いてまだ兄エサウは心を解かないで、歓迎しに出てくると思ったのに、500人の軍人を連れてきたのです。この時、ヤコブがまたひとりで座ったのです。創世記32:23〜32特に、24節にヤコブはひとりだけ、あとに残った。この31章を見れば、小川に行ってヤコブが祈りながら、ひとりで残って、その時に多くの経済の祝福を受けたのです。皆さんは何も心配しなくても良いのです。この時、神様がおっしゃられました。'あなたの名前をヤコブといわずにイスラエルと言いなさい'何でしょうか? 世界福音化です。私たちはこれのために一般信徒宣教会を作りました。一人ももれなく技能の答え受けようと、技能宣教会。一人ももれなく伝道の祝福を受けようといったのが地域教会、一人も今は世界宣教会に参加しろということが一般信徒宣教会。どれくらい良いでしょうか。これは、皆さんの誠意と祈りが必要なことであって、皆さんの財産と何かを必要とするのではありません。

・一人ももれなく、一般信徒は宣教に参加して、世界に光を照らしましょう。一人ももれなく、伝道に参加する地域教会運動を行いましょう。これから、私たちの教会ソウルは、いつかは夢のような話かも知らないのですが、2000ヶ所に長老をたてて、2000長老を立てましょう。今年、既存長老にそう言いました。按手執事と長老をたくさん立てましょう。なぜか、私たちの教会は大きい門をあけなければならない教会だから、少し足りなくても大丈夫です。それで訓練させましょう。その代わり、よく見て、まったく訓練も受けなくて、死んでも献金しない人はだめです。そのような人をどのように立てるのでしょうか。教会の働きをしろと指導者として立てるのに、死んでも訓練も受けないならば、立てることができません。訓練が単にみな全く同じだと見られても、そうではありません。予備軍訓練受けた人と、受けない人は、火が出る時に見れば違います。予備軍訓練受けなかった人は、火が出る時に死にます。よく聞いてください。人々は知らないのです。訓練を受けた人とは違います。行ってみると、何がどうだということは、とんでもない目を開くからではないでしょうか。自己改革ができないからです。行ってみれば、いろいろなことがあります。ふとんがちょっと汚らしかったり、ご飯が気にくわなかったり、そうでしょうが、ご飯を食べようと行ったのでしょうか? またいろいろな問題があります。ある人が、印象が悪いのは、どうするのでしょうか。そういうこともあります。みな理解しなければなりません。

・私が重要なことをのがしてはならないのです。必ず恵みを受けられない人を見れば、必ず重要なことは悟らないで、必ず中に変なことだけ見てきてだれが何どうだったとか言います。心の中で'あなたは?'という気がします。必ず見れば、訓練を受けに出てきた人で、答えを受けた人は、必ず答え受けた人に会います。必ず見れば、おかしな人はおかしな人に会って、かける2になって、おかしくなってしまいます。もしかしたら、そのように導きを受けるのかわかりません。釣りもしてみれば、カレイはカレイどうしで泳いでいます。一緒に混ざって泳いでいる魚はいません。混ざって泳いでいたら、突然変異です。ごみ箱に行ってみなさい。蠅が飛んで回ります。前にも話しました。ごみ箱にも蝶々がきます。それは蓄膿症になった蝶々です。皆さんは、神様が間違いなく、このために準備されたのです。それが一般信徒宣教会です。'参加しましょうか、やめましょうか'を論じる話ではありません。私たちの教会が、今、これから2000ヶ所に首都圏地域がとても大きいから、2000ヶ所にリーダーをたてようということです。立てて、建物を作って、何かをしようということでなく、伝道運動をしようということです。このようにして、生かしてレムナント運動して、子どもたち、文化の働きと、こうすれば働きが起きます。本物ならば、神様が答えられるのではないでしょうか。心配する必要がありません。

・ヤコブは、人生に多くの答えを受けたのですが、これがどういうことなのでしょうか。人生の苦難が終わりがなくて、娘が男に捕えられて強姦されたのです。だから、どうしたら良いのでしょうか? その兄たちがそいつらを殺してしまったのです。殺したのも絶妙に殺したのです。そちら側では、無条件に強姦したのではなく、結婚しようと言ったのです。だから、分かった。私たちの民族と結婚しようとするなら、割礼を受けなければならない。割礼は、イスラエル民族の男の子が生殖器の端を切ることなのですが、それを大人たちで切ったので、どうなるでしょうか。全然身動きができなくなっている時、みな殺してしまったのです。それでは、そちらでじっとしているでしょうか。これが普通の問題ではありません。この時、ヤコブはどのようにしたでしょうか。

・結論です。創世記35:1ベテルに上がろう。ベテルとはどこなのでしょうか? ヤコブが過去に大きい問題にあって、追われて行く時に祈って恵み受けたところです。神様に約束をして、神殿を作ると誓願をささげたその場所です。ヤコブが最も恵み受けた場所に上がりました。だから、すべての問題が解決され始めたのです。皆さんが、この祝福が皆さんの生涯継続されることを、イエスの御名でお祈りします。一人も力が抜けずに、神様の祝福を回復する、こういう開始、世界で一番福音を美しく伝える一般信徒宣教会になることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、一般信徒宣教会献身礼拝に呼ばれた神様。私たちに私自身と霊的な問題と私の考えを変える神様の祝福を受ける日の開始になるようにして下さい。ヤコブに与えられた約束が、私のことであるから、私たちがこの契約を捕まえて今からベテルに上がる人生になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン