2006年7月9日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/社会、国家、世界を生かす主役教会
(U列王2:1〜11)

■聖書で最高に有名な預言者はエリヤとエリシャです。それで、預言者の代表だと言われています。ところで見れば、一番難しい時代には、こういう預言者が現れました。私たちは危機や問題がくれば恐れが生じます。聖書には恐れないでと言われていますが、私たちは恐れが生じるのです。信仰が良かったヒゼキヤ王も、困難に会ったら揺れました。アッシリヤ18万5千名が攻め込んで来たから、彼は金銀を持って行ったり、人を送ることもしたのです。結局は、だめことが分かりました。私たちが恐れが生じれば、分別力がなくなります。そして肉体にも問題がくるのです。
■ノーベル賞まで受けた米国の有名な医師は、こういう話をしました。すぐ死ぬ人でなければ、病院にいる人々は、悩みだけ振り切ってしまえるならば、本当に生き返ることができるということです。全快するとまで言いました。それだけでなく、恐れにしばしば揺れ始めれば、霊的にも問題がきます。しかし、人であるから、恐れがなくなることはありません。ただ、一つ分からなければならない事実があるのです。いつでも危機の時、神様は一番良いことを準備しておかれました。一度ももれなく、そうでした。それなら、私たちがしっかりして恐れる理由がありません。Iコリント10:13に、耐えられる試みだけ与えられると言われました。ヤコブ1章には、試みに会ったら全て喜びなさいとなっています。なぜそうなのでしょうか? 何一つ欠けたところのないものにならせるためだとなっています。
■私の場合は、ひどい困難を与える人がいれば、わざわざ訪ねて行って手助けします。その人にも慰めになりますが、計算上でも良いのです。なぜなら、祝福を受ける人だからです。ある方が訓練を受けるのに、とても難しいが、私が見た場合、良い人でした。本人が全く助けてくださいという話もしなかったのですが、私が手助けしました。訓練を受けるようにしてあげたら、ありがたいと言いながら泣きました。それで、内心‘男がなぜこのように涙を流すのか’と思ったのです。今は、レムナントのために一番多くの献身をしています。神様の祝福を受けてということです。いくら危機がきても、神様がパウロに恐れてはならないと言われました。
■聖書を見れば、とても悪い王が何人か出てきます。そのうちの1人が'パロ'王です。このパロ王という言葉は、エジプトの王の称号なのですが、そのうちのラムセス2世という王です。どれくらい悪質であったか、イスラエル男の子を無条件に殺せと命令しました。それより悪質があるでしょうか。ところで、神様はモーセという人物を送られました。だからある面では、皆さんの中で、自分が難しいと考えられる方は、一番良い時間なのかもしれません。重要ないくつかだけすればということです。それがエリヤとエリシャがしたのです。また、聖書に悪い王が現れたのですが'アハブ'という王です。どれだけ悪い王だったでしょうか。預言者をほとんどみな殺して、奥さんに会ったのですが、奥さんの名前が'イゼベル'です。奥さんもシドンの王,'エテバアル'という王の娘です。エテバアルという言葉は'バアルと共に'という言葉です。だから、名前だけ見ても誰なのか分かるでしょう。私たちの教会の名前をインマヌエルというのは'神様が私たちとともに'という意味です。ところで、エテバアルという言葉はインマヌ・バアルということです。この奥さんがどれくらい悪質だったか、預言者を無条件に殺しました。本当に不思議です。しかし、この時、神様は最高の預言者を送られました。その預言者がエリヤとエリシャです。
■だから、私たちは過ぎ去ったら悟るのですが、実際に困難がくれば揺れるようになります。また、あらかじめ引っぱってきて心配したりもするのです。事実は、そのような必要がないのに、そのようにします。もう一度、悪い王がいました。ヘロデ王です。この王はどれだけ巧妙だったかというと、ローマにへつらってなったイスラエルの王です。この王は、エドム族の子孫です。王になれないと思って、王になってイスラエル民族が反対するから、それを防ぐために作った神殿がエルサレム大神殿です。ところで、神様は初代教会をこの時にたてて、キリストをこの時に送られました。このように現れた人物がエリヤとエリシャです。それでは、私たちは今日、危機や困難をどのように勝って勝利することができるのでしょうか? 今、私が無条件に読むのではなくRUTCに成功した人々を選んで話しているのです。
■どのように、エリヤとエリシャは信仰生活に勝利できたのでしょうか。困難がくる時もあり、きそうな時も、どのようにするのでしょうか? 誰にでもありえることです。不安でしょう。もしやと思いながら、悩み事ができて不安になるのです。その程度ならば大丈夫ですが、危機がくるようになれば、事業や健康に危機がくれば揺れます。また、がんばるように見えるのですが、いつも不安に思いながら仕事をするのです。がんばるのは良いのですが、不安に思うのは変わることがありません。
■この時、エリヤとエリシャはどのようにしたのでしょうか? こういう大きい危機がきた時、どのようにしたのでしょうか。最初です。エリヤとエリシャは、最悪の状態を知って、そこから出発しました。それなら、恐ろしいことがありません。最悪の状態がきても良いという、そこから始めなければなりません。私は問題がきても良い、簡単に話せば死んでも良いと思うほどになれば、どれくらい気楽かわかりません。どうせ死ぬなら、正しく死のう。卑屈に死なずに正しく死のう。ところで、むしろ生きようと地団駄を踏む人は、皆死んで、エリヤとエリシャは成功しました。私たちは自殺する必要も、気をおとす必要もありません。なぜか、私たちは死んだと思って始めれば良いからです。人間は終わったと思うのに、神様は開始である場合がとても多いのです。'私のように高齢な者がどのように…'という考えを持ったモーセに、神様は開始もされていませんでした。これ以上できないと告白したエリヤに、神様はまだ何も開始されていませんでした。
■私と皆さんは、そのように錯覚をよくします。私たちが受ける祝福は途方もなく残っているのに、私は終わったと思うのです。神様の子どもで、大きい祝福を受けるのに、私たちは未信者のように思っているのです。いくら問題がきても、必ず道はあります。だから、最悪の状態を知って、そこから私は出発すると思えば良いのです。例をあげてみます。ジョン・バンヤンは、16年刑を受けました。ジョン・バンヤンは'私の年を見ると死んで監獄から出るだろう。良い。死んで、監獄から出るならば、私はここから出発する。'それと共に本を書き始めたのです。それが世界をひっくり返したのですが、その本の名前が'天路歴程'です。ところで、16年みなそこでいることもせず、驚くべき働きで出てくるようになったのです。はやく気をおとしてしまい、混乱するのは私たちの考えです。そのような必要はないのです。神様は確かに生きておられます。
■昨日、私が核心の時、こういう話をしました。カーネギーが書いた文章を見たら、こういう紹介がありました。米国に'ハーネー'という人がいたということです。私がその人を知っているのではなく、カーネギーが紹介していました。重要な病気があって病院に入院したが、90Kgが越えるからだが40Kgくらいに減ったのです。医師は、当然、生きられないと言いました。食べ物も食べないで、肉もみな落ちたので、そのままあなたは安らかに休むほうが良いと言われました。それで、この方が医者に尋ねて、本当にだめかと尋ねたのです。医師はだめだと言いました。ハーネーは、それなら退院すると言いました。だから、医師が退院して何をするのかと尋ねたのです。ハーネーは、旅行をすると言ったのですが、医師は家で休むべきで、今、旅行をすればすぐに死んでしまうと言いました。するとハーネーが尋ねて、旅行に行かないならば死なないのかと尋ねたのです。すると、医師は旅行をしなくても死ぬだろうが、すれば危険でさらにはやく死ぬと言ったのです。しかし、彼は医師の話を聞かないで決定をして、家族に死んだらどこに埋めるようにと話しておいて、旅行社の職員にも私が死んだら死体を冷凍室に置いて故郷へ持って帰ってと頼んでおきました。それで、彼はその日から薬も憂いも全てをみな捨てて、出港したのです。それで、ハーネーは、海を船に乗って行くのに、行く中で思い切り食べて遊んでみなしたのです。そして、おかしな人々と会って夜中ギャンブルもしました。3日間、すべての憂いをみな捨てたのです。医師は、確かに死ぬと言ったのですが、彼は死なないで、3日の旅行をみな終えて家に戻ったのですが、その時から病気が治り始めたのです。徹夜で祈ったのでもなくて、そのまま遊んだのです。ところで、本当に良くなってしまったのでした。完全に回復したのです。何を言うのでしょうか?医師の方たちは、よく知らずにいるのですが、とても医学的です。
■その話の中には2つのことが含まれています。私たちはいつも心配しているのです。それが、からだをものすごく殺していることを知らずにいます。自分が生まれて初めて心配から抜け出した3日だったのです。奇跡が起こりました。それがどれくらい聖書的でしょうか? それが医学的です。私たちは祈ればみわざが起きるからといって、ある人は涙で祈りながら心配しているのです。そして'主よ、あの人を!!!!'と言いながら、涙で祈りながら敵に歯ぎしりしています。それは祈っているのではありません。その人は本当に心配をなくしてしまったのです。3日だけ心配を捨てたのですが、病気が離れるほどでした。実際に、その人は死ぬ病気でした。どう思うでしょうか? 私は偶然だと思いません。とても科学的で医学的であり、聖書的だと思います。神様は、私たちに心配してはならないと言われました。心配すれば、すでに錯覚します。最悪の状態になれば、その時から開始すれば良いので、何を心配するのでしょうか? 私が会社で切られれば、出てきて商えば良いので、心配をあらかじめして死ぬのです。
■アン・イスン女史の話をしたでしょう。その方の夢にも見る願いは、天国に行くことでした。医師がガンになったと言ったので、とてもうれしくて、その時からいつも賛美しながら、天国に行く準備をしていたのですが、ガンが良くなってしまったのでした。医師の方たちは理解できるでしょうか? それでプラトンは、こういう話をしたのです。'医師が作る最も大きい罪は、心を治療しないで、肉体だけ治療することだ。'そうです。人間に対して私たちがどれくらい分かるでしょうか。聖書で神様は‘いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。’と言われています。パウロを通しては、何も思い煩ってはならないと言われました。心配すれば大丈夫なようですが、そこで錯覚も肉体の病気もきて、霊的な病気もみな来るのです。釜山の人々は皆知っているでしょう。亡くなった金ビョンジ勧士は、90何才かで亡くなりました。
■約17〜18年前に私に話したのです。自分は説教を聞くうちに、天国がとても良いという気がしたということです。それで、からだが疲れたので、病院に行ったところ、おばあさん、糖尿がひどいから、色々なことに気を付けて、特に砂糖に気を付けなさいと言われたのでした。すると勧士どれくらい喜んだのか、天国に行く時がきたかと思って、ひとまず砂糖を一缶をみな食べたということです。今、家族たちが、私の説教を聞いているでしょう。ずっと砂糖だけ食べたということです。医学的に分かるでしょうか? 私は分かります。この方がからだが良くなって、病院に行ってみたら、糖尿がなくなっていました。それでは、今日から本格的に砂糖を食べようと理解したとすれば誤って理解したことです。皆さんが本当に神様に感謝するという気がすれば、本当にみわざが起きます。本当ではないのです。習慣上、感謝すると言うだけです。実際のことではないのに、そう言うのです。米国人のように、無条件に会えばThank youを連発して、いやな時もNo, thank youと言います。それでは、違うのではないでしょうか。日本の人々も感謝するということを習慣で言います。そのように思えなくても、ありがとうと言います。
■本当に感謝して祈ったら、働きが起きます。だから恐れることがないのです。最悪の状態になれば、その時から始めれば良いので、何のために私たちが恐れるかということです。I列王18章を見ると、エリヤが死ぬ覚悟をして偽りの預言者と戦いました。これは死ぬ覚悟をして王に挑戦状を出したのです。どれくらいすごいのでしょうか。王に‘あなたが仕える偶像と、私が仕える神様の中で、どちらが正しいのか対決してみよう’と言いました。あえて王の前でしたのです。これは、死ぬ覚悟をしたということです。今日の本文を読んでみたでしょうか。エリシャは、最後までついて行きました。ギルガルという意味は、すべての問題がみな退いたという意味です。それが問題ではなかったのです。ベテルに到着しました。ベテルは神様の家という意味ですが、これも問題ではなかったのです。エリコに行きました。エリコは富の城ですが、これも問題ではありませんでした。最後までついて行きました。エリヤが尋ねました。何が欲しいのか? 私に倍の霊を与えて下さい。エリヤが最も困難に会っていた時、エリシャはエリヤに従いました。それで、先生がすることを私がするように力をくださいと言ったのです。こういう人は止められません。死んでも良いというのに、どのように止められるのでしょうか? 銃を持って、刃物を持った人や、テコンドー8段が怖いのではありません。悪い話で、それよりさらに恐ろしい人は、死ぬ事で頭がおかしくなった人です。それよりさらに怖い人はどんな人でしょうか。死んでも良いという人です。死ぬ覚悟をしてするというのに、怖くなることが何があるでしょうか。そうなれば、しっかりします。皆さんが死ぬ覚悟ですれば、精神が澄むのです。死んだと考えれば簡単です。私たちは何も恐れることがありません。
■二番目です。私たちが話をする時間がたくさんないから、この人達にどのように勝つのでしょうか。世の中で誰もくれません。霊的な力です。私に倍の霊を与えて下さい。今の言葉で言えば、聖霊の充満の働きです。I列王19:1〜7を見ると、神様が気をおとしたエリヤに力を与えられました。神様の民、神様のしもべは大切だから、くださいと言わなかったのですが、エリヤが倒れていたのです。エリヤがとても疲れて、その有名なエリヤが気をおとして倒れていました。えにしだの木の下に倒れていて言った言葉が、神様、私を呼んで行って下さい。最後の祈りでした。この時、聖書に何と記録されているのでしょうか。神様が天使を送って、エリヤに力を与えられたとなっています。今でも全く同じです。これは未信者は知りません。教会に通っても聖書を信じない人は知りません。教会も無理に、律法で、宗教で通う人は知らないことです。本当に信じる人は分かります。神様がエリヤにされたように、皆さんにも主の天使を送って力を与えられるのですが、エリヤが40日40夜を歩いていったとなっています。皆さんは、40日40夜を歩いていくことができるでしょうか。それでホレブ山に到着しました。そこでエリヤが神様の大きい力を得たのです。それは世の中が止めることができません。それを知っているエリシャが、最後までついて行きながら、倍の霊を私にくださいと話したのです。ゼカリヤ4:6、権力によらず、能力によらず、わたしの霊によってできるのです。それで、私たちを見て、祈りなさいと言われたのです。皆さんは、何も心配しなくても良いのです。本格的に祈れば、みな解決されます。定刻の祈りが本当に難しいでしょう。定刻祈りがなぜ難しいのかというと、時間を定めても、二日すれば忘れてしまうのです。三日坊主という話が普通の話になりません。普通、三日すれば忘れてしまうのです。それでは、定刻の祈りを3日ごとに一回ずつすれば良いのです。皆さんが本当に恵みを受け始めれば、定刻の祈りほど気楽で良いものはありません。
■私はメッセージを準備する時、本をたくさん見るのではなく、祈りをよくします。なぜかというと、神様が説教をする時、私がしてはいけないから、神様に主の民を祝福してくださいと言うのです。それなら、祈りがとてもやさしいことで、無尽蔵な奥義が入っているのです。いつでも祈ります。これがとても難しくて泣けるのです。しかし、よく考えればとてもやさしいのです。ヨセフが奴隷でありながら祈って、監獄にいながら祈って、後ほど総理になって祈りました。いらいらすることがあります。それなら、とても気をおとすのです。その前に、神様、いらいらします。こうすればこれが祈りです。あの人が、なぜああするのか、こうすればとても葛藤が生じます。前に、あの人がなぜあのようですか。こうすればこれが祈りです。それがつながれば、何でもないことのようですが、すばらしいことが行われるのです。その中で、どんなすばらしいことが行われるかというと、皆さんが礼拝をささげたら祝福を受けます。この祈りをする牧師は、説教だけすれば聖徒に成就します。私たちはこの祝福をのがすのです。牧師が必ずいつでも祈って、定刻の祈りをしている方が説教すれば、メッセージが成就するのです。とてもやさしくて気楽なのです。私が道を歩いていれば、皆さんのことを思い出します。この人、あの人、たくさん思い出せます。事業をする人を見れば、事業する信徒を思い出して、軍人を見れば軍人を思い出せます。これを全部、祈りにつなげるのです。この時、祈るのです。常時祈りです。これがどれくらいやさしいことかわかりません。これを知っていたエリシャは、他のものをくださいと言いませんでした。倍の霊を私に与えて下さい。ヨエル2:28、使徒2:17を見れば、聖霊充満を受ければ未来が見えると言われています。とても重要です。それで勝つのです。簡単に話せば、神様が与えられる力を得たということです。皆さんが、この力と祝福を受けることをイエスの御名でお祈りします。いくら立派な人も神様の祝福ほど大きくはありません。
■劉備がこういう話をしました。勇気ある軍人が必要だ。しかし、それより知恵ある軍人が必要だ。しかし、さらに必要なことは、徳がある軍人が必要だ。しかし、さらに重要なのは天の恵みを受けた軍人が必要だ。未信者なのに、こういう話をしました。私たちが神様の祝福を受けることほど大きいことはありません。エリヤ、エリシャです。この時、何をしたのでしょうか。
■三番目です。記憶しなければなりません。そんなに、もがくのに答えが出てきませんでした。エリヤに。エリヤがどれくらいすごいのでしょうか。そんなに祈りをよくした人なのに、答えが出なかったのです。力が現れて、答えをたくさん受けたのに、苦しみがずっときました。なぜそうだったのでしょうか。反対に、エリシャにはものすごい祝福が現れました。なぜそうだったのでしょうか。エリシャがどれくらい祝福を受けたでしょうか。エリシャのために国が生かされて、社会が生かされて、みな生かされました。どうするからなのでしょうか。これが差異点です。エリヤには、ずっと問題がきて、エリシャにはずっと祝福がきました。どの程度エリシャに祝福がきたのでしょうか。アラム軍隊が攻めてきたのですが、祈りをとてもよくしたので、見えたのです。それなら簡単です。自分の国の軍隊をあらかじめ送れば良いのです。祈っていれば、また見えました。アラム軍隊は、他の国を害する国です。だから、あらかじめ行って軍人の伏兵を隠しておいたのです。この時、アラム王が何と言ったのでしょうか。アラム王が、不思議だ。私たちの中にスパイがいるようだ。どのようにして、私たちが行く所ごとに軍人が隠れているのか。その時、将軍1人がこういう話をしました。そうではなくて、エリシャという預言者がいるのに、この人が祈りをあまりにもよくして王が話すことまで皆知っている。アラム王が、そうなのか。それなら、エリシャを捕らえてきなさい。軍隊をものすごくたくさん夜に送って、エリシャとしもべが寝ている時、取り囲んだのです。朝、目を明けたら、アラム軍隊が取り囲んでいました。戦術的に話せば、戦いは負けです。しかし、不思議なことが行われたのです。祈りの力がどれくらい大きいのでしょうか。しもべがぶるぶる震えていました。エリシャが祈って、主よ、あのしもべの目を開いて下さい。霊的な目が開かれて見たら、天の火の馬、火の戦車が、エリシャの家を取り囲んでいたのです。何と祈ったのか分かるでしょうか。主よ、あのアラム軍隊の目がくらむようにして下さい。目が悪い軍人がどのように戦うのでしょうか。目が悪い軍人をサマリヤに引っ張って行きました。イスラエル王が尋ねたのです。どれくらい、この王がエリシャを尊敬したのか、父よと呼びました。正しい預言者はそうです。父と呼んだのです。この軍人をどのように刃物で打って殺したら良いのかと尋ねたのです。エリシャが何と言ったのでしょうか。私たちが刃物で捕らえたのでもないのに、殺す必要があるだろうか。パーティをしなさい。パンと水をたくさん持ってきて、また祈ったのです。主よ、あのアラム軍隊の目を開いて下さい。目が開いてみたら、殺すことができたが、パーティが行われたのです。
■敵に復讐する方法。実力ある神様の人が敵に勝つ方法。接待を受けて、殺されるかと思ったのですが、もてなされて行くので、再び攻め込みませんでした。自尊心があるので、どのように攻め込むでしょうか。ここには、とても重要な話があります。エリシャが祈りだけすれば答えられました。どこが違っているのでしょうか。
■これを今日、三番目に捕まえなければなりません。なぜエリヤは苦しみが継続して、エリシャはずっと答えがきたのでしょうか。夢にも考えできないことが隠されていたのです。何の考えもしないことなのですが、エリヤも知らなかったのです。ホレブ山に行って、隠れて祈っていたら、神様が何とおっしゃったでしょうか。あなたのほか、バアルにひざまずかない七千人を残したので彼らを探しなさい。それで、U列王2章を見れば、あちこちに預言者のともがらがいたのです。このことを一番上手にした人が誰でしょうか。エリシャです。何の話なのでしょうか。レムナント運動です。何でもないようでしょう。ある人は、それが何でそんなにすごいのか。ある人はレムナント運動すれば祝福を受けるんだなと、会社の名前もレムナントに変えてしまいました。悪いことではありません。しかし、重要なのはその話ではないのです。この話は、霊的な目が正しく開いたということです。この話は、暗闇の文化が何かを知ったということです。私たちが未来のために、大変な投資をするということは、未来を知ったということです。これを悟ったら、エリヤの苦しみがすべてみな消えてしまいました。これを悟ったエリシャに、答えがあふれたのです。信じられないでしょう。
■私は十年前に、事実はメガネを一つ合わせなければならないと考えていました。飛行機に乗って行くのに、文章をたくさん見るので、目が良くなかったのです。今日も米国へ行くのに、十何時間、行かなければなりません。飛行機の中で聖書を読んで、レムナントという単語を見つけたのです。これだと、私がこの単語をつかんでから、事実は途方もない答えがきたのです。どれくらい目がパッと開いたか、本当に肉眼も良くなりました。これからレムナントを通してどんなことが起きるのでしょうか。エリシャがこれを悟ったのです。今日、私たちはこの契約を捕まえながら、私たちもどのようにこの主役になることができるのでしょうか。聖書箇所二つだけ記憶すれば良いのです。今日読んだU列王2:9「あなたの霊の、二つの分け前が私のものになりますように」私たちの言葉で話せば、聖霊充満を与えて下さい。聖霊充満という単語を、正しく理解すれば、全ては終わります。今まで知っていた聖霊充満でなく、今まで皆さんは一つだけ分かったのです。聖霊充満すればハアハアと息をして歩き回って、こういうものだと思うのですが、これは聖霊充満であることは確かなのですが、水準が低いのです。女性が祈りをよくして喉がかれて、男のような声を出して通えば、聖霊充満だと思うのですが、それは聖霊充満ではありません。喉がかれたことです。聖霊充満を本当に受けてしまえば、皆さんに本当に働き起きます。それで、簡単に、皆さんが今から安らかに全てを祈りにつなげてみましょう。皆さんが静かに悩んでいる時、からだに病気は霊的にもずっと入っています。そして、ひょっとして皆さんが時間をあけて、定刻の祈りをしていれば、それほど投資したのでもないのに、すばらしいみわざが起きます。
■もう一つ記憶しなければならない単語です。U列王6:15〜16私たちの軍隊より私たちと共にいる軍隊がさらに多い。聖書を読んでみれば、重要な時ごとに神様は主の天使を送って、皆さんを保護されるという言葉です。本当に信じることを希望します。今日、皆さんが信じる時間に、神様は目に見えない天使を、皆さんの職場、現場、事業に送って、働きを起こされるのです。それで、小さい信仰を持たずに、大きい信仰を持ちましょう。この大きい信仰は、心に興奮して、こういうものを言うのではありません。神様が大きい神様だから、皆さんが祝福を受けるのが大きいから、大きい祈りをしましょう。神様は、そのような力を与えようと、皆さんを呼ばれたのです。どれくらい感謝なことでしょうか。そのままじっとしているのに、目に見えなく聖霊は皆さんの家、職場に働かれるのです。目に見えないから知らないのですが、もし皆さんに見えたら問題です。目に見えないから今でも働かれるのです。聖霊、神様が目に見えれば、全部、詐欺師が来ていて、皆さんくることもできないでしょう。ここでみことば捕まえるのに、神様は天使を送られるのです。聖書のどこにあるのでしょうか。そのような聖書があるのでしょうか? 皆さんが神様のみことば捕まえるのに、神様は天使を送られます。皆さんは聖霊の働きを起こしてくださいと祈るのに、その時、神様は主の天使を送られるのです。神様の計画が何なのかと尋ねたのですが、主の天使を送られました。聖書のどこにあるのでしょうか。詩103:20〜22、家に帰って読んでみましょう。間違いありません。みことばを捕まえたのに、神様は天から主の天使を送りだされました。どれくらいすごいことなのでしょうか。皆さんが信じないならば、信じないでしょうが、私は信じます。私はそのような祈りの答えをたくさん受けました。どれくらい神様の祝福をたくさん受けたのかわかりません。この祝福の主役になることをイエスの御名によってお祈りします。皆さんはイエスを信じる神様の子どもであるために、言葉を一番用心しなければなりません。皆さんの言葉通りになります。神様の子どもです。言葉を持って祝福された話をして、他の人を祝福してあげて、このようでなければなりません。これが未信者と違うのです。それで、もう皆さんはいつも祈って、祝福しなければなりません。今日、皆さんは祝福の言葉を隣の人に伝えることを望みます。
■ 'あなたは神様の人です。' 'エリシャが受けた祝福を受けて下さい。'そのまま成就すると信じます。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。この祝福を一人ももれなく受けるようにさせて下さい。エリヤに送った天の火の馬、火の戦車を主の民に送って下さい。エリヤ、エリシャに送った聖霊充満を、主の民に送って下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン