2006年7月23日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/聖書的な教会で世界福音化の主役になろう。
(マタイ16:13〜20)

・昨日の新聞にこういう文章がありました。二十才になった青年が、歌を持ってレコード会社を訪ねて行ったのです。お金は4ドルほど持っていて、お母さんの誕生日に歌をプレゼントしたい。それで、私が歌を歌うからレコードを作ってくれ。二十才になった田舎の青年がそのように話したということです。立派だと、レコード会社が青年の言うことを受け入れて歌を作ったということです。それが、まさに20世紀の大衆文化を変える開始だったということです。その人が、まさにエルビス・プレスリーという歌手です。米国を揺るがして、ジャズをする黒人が力を合わせて自分たちの歌を盗み出したというほど歌をよく歌いました。ヨーロッパをとても揺るがして、ヨーロッパのジャーナリズムが騒ぐほど、そのように影響力があった人物です。そのような人が麻薬にやつれて四十一才で死にました。なぜそうなったのでしょうか。

・聖書に重要な答えが与えられているのですが、それを知らなかったからです。それで、私たちは今日のタイトルが、聖書的な教会で世界福音化の主役になろうということです。ヨーロッパで、こういうことがたくさん起きました。神様のみことばがよく信じられない。正しい言葉だけ言ったのです。どのように処女が子どもを産めるのか、水の上を歩けるのか、紅海が分かれるか等、こういう理由をたくさん送って新しい神学が出てきたのですが、それを自由主義神学と言います。その神学がどこから出てきたかというと、ドイツを中心としたヨーロッパから出たのです。不思議なことに、それ以後、ヨーロッパはずっと崩れ始めました。偶然なのでしょうか。どれだけ崩れたかというと、皆さんの子ども達が正しく福音がなければ、ヨーロッパに留学させてはいけないほどです。イエスを信じない子どもたちをヨーロッパ留学させれば、無条件にほろびます。その程度に堕落したのです。女学生は注意しなければなりません。男が食事をしても良いかと尋ねるということです。悪い話ではありません。それで良いといって食事をして、女学生をホテルに引っ張っていくということです。どうしたのと尋ねました。食事できるかという言葉に、それが含まれているということだったののです。これくらいヨーロッパはおかしくなってしまったのです。ヨーロッパ全体の国防費をみな合わせても、米国の国防費について行けません。簡単に話せば、ヨーロッパがみな戦っても、米国に負けるということになります。

・しかし、不思議なことがあります。米国である日、ある大統領がメッセージの中でこういう話をしたのです。宗教が自由だから、学校で聖書を教えてはならない。宗教が自由なのに、聖書を学校で教えるのか。正しい言葉のようです。その大統領はカトリック信者でした。その時から米国で聖書を教えることを公式化することができなくなりました。本当に不思議です。その時から米国にも、ものすごい暗闇があるようになり始めました。その大統領は暗殺されて死にました。皆さんが知っているようにケネディ大統領です。偶然と言えるかも知れません。私はそのように考えません。聖書は、今、私たちに重要な話をしているのですが、人々は拒否したりもします。ニーチェのような人は、神様はいない、死んだとまで話しました。公式にです。ところが、不思議なことに、若くしてニーチェが精神が狂って病院でさ迷って死にました。それも偶然にそのようなことがあるとも考えられるでしょう。私はそのように考えません。神様がいないと、神様が死んだと公式に宣言したのが共産主義です。神様はいない。信仰生活する人々は、細胞が宗教細胞が多いからそうであって、いないというのです。それが共産主義です。70年後に惨めにほろびました。偶然なのでしょうか。北朝鮮で、神様のみことばをみななくして、自分たちどうしで生きるといったが、今、どうなっているでしょうか。絶対に偶然ではありません。今日、私たちは神様のみことばで何をおもに話しているのかを見ましょう。

・私たちが受ける困難の中で一番多いことは何でしょうか。統計に出てきたのですが、人が受ける困難の中で一番たくさんあるのが、家庭問題だと出てきました。昨年だけでも韓国の30%の人が離婚をしました。二番目に出てくることは、お金に苦しめられて困難を受ける、お金の問題です。その次にたくさん出たのは、職場や会社で人間関係から来る問題が多いことが明らかになりました。私たち神様の人々は、そのような部分をよく知っていなければならないでしょう。人間関係の問題は一日で来るのではありません。聖書には正確な答えを明らかにしています。皆さんが本当に家庭問題、経済問題、人間関係の問題を解決しようとするなら、聖書を詳しく見なければなりません。私たちは聖書を詳しく見ないで、うわべだけを見るのです。皆さんの夫の問題、家庭の問題どのように解決するのでしょうか。家庭にある問題、どのように解決するのでしょうか。解決よりさらに重要なことがあります。ある日、突然に来た問題ではないのです。これが重要です。すでに創世記3章、6章、11章で、聖書にだけ記録されています。私たちが何も知らないのに、地球上に問題が来たのです。そのような背景を持ってすでに育ってきました。この時に霊的問題に引っかかったのです。未信者は知りません。私たちの言葉で話せばサタンに捕えられたのです。聖書にだけ記録しています。サタンに捕えられてしまったので、何もすることができないのです。これを置いて皆さんが夫を恨み、妻を恨んでも、どうしようもありません。ますます難しくなります。離婚もして、破綻もするでしょうが、幸せになる保障がありません。ますます難しくなるのです。聖書にそうなっています。聖書に答えを与えているのに、私たちは聖書を知らないので、そのように問題がくるのです。

・ある人は、なぜずっと詐欺を働くのでしょうか。これが一日で来たのではありません。幼い時から経済に対して粗末に育ってきて霊的問題に引っかかればそのようになります。人々は世の中の方法で解決しようとするのですが、できません。政治指導者もそんなことを知らないのです。表面だけを話します。このように地球には、深刻な問題がくるのです。歌手が死んだ日になったのか、新聞に載っていました。原因も知らずに書いてあったのです。惜しい人物が死んだ。そんなことでしょう。しかし、その人はすでに長い間持っていたのです。創世記3章、6章、11章に出てくる霊的問題に陥ったのは、本来から陥っていたのです。長い間の霊的問題に苦しめられて、人気はあって、お金はたくさん儲けたのですが、そうなるしかありません。四十一才で死んだのは、結果できただけです。どのようにしなければならないのでしょうか。今日、私と皆さんは、神様がなぜキリストを数千年間、約束して送られたのか、四十人あまりの預言者と王を動員して記録された神様のみことばを暗記するようにと下さったのでしょうか。今日、私たちはみことばを捕まえて知らなければなりません。

・マタイ16:13を見ると、このようなみことばが出てきます。さて、ピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々は人の子をだれだと言っていますか。」この話は、すぐに通り過ぎやすい話ですが、とても重要な言葉です。ピリポ・カイザリヤという言葉は、本来この地方の名前ではありません。皆さん、レニングラードという町があったのをご存じでしょうか。本来はこの名前ではありません。本来はペテルスブルクという町です。レーニンという人が革命を起こした後に変わった名前です。しかし、今は共産主義がなくなったので、本来の名前に戻りました。今はその町をレニングラードとは言いません。それで、ピリポ・カイザリヤという言葉は、普通のことではありません。ローマのカイザル皇帝と、そこにへつらうピリポ王の名前を付けた名前です。イスラエルが完全に滅亡したということです。この時、イエス様が現れて尋ねられたのです。最初に尋ねられたのです。今日、これが私たちに重要な質問になるのです。私と皆さんが、今日、この質問を確かに受け取らなければなりません。イエス様がこれから何をするかを尋ねられませんでした。何をしたいのか、これを尋ねられませんでした。私たちは、おもにこういうものを尋ねます。これから私が何をすれば良いのでしょうか。私たちは普通このように尋ねます。今、何をすれば良いのでしょうか。イエス様は、それを尋ねられませんでした。最初の質問が何でしょうか。今日、皆さんが必ず答えを受けるように最初すべき質問です。人々がわたしをだれだと言うのですか。このように尋ねられました。これがイエス様の最初の質問です。私たちに今、尋ねられた質問です。人々がわたしをだれだと言うのですか。これを言葉を少し変えようとするなら、数千年間、預言されたメシヤが来られたのですが、その人をどのように見ているかということです。神様が私たちにものすごいメッセージ、聖書を与えられたのですが、私たちはこれをどのように見ているのでしょうか。ほとんど今、違うように返事をします。エレミヤのようだ、エリヤのようだ、バプテスマのヨハネのようだ、預言者のようだと言っていると答えました。皆さん、ここで信仰生活を長くした人でも、初めてする方も詳しく聞いてみる必要があります。

・エリヤはとても神秘主義の代表者です。キリスト教にこういう性格があります。しかし、これはキリスト教の本質ではありません。またバプテスマのヨハネ、社会運動をして死にました。社会が誤る時には、教会がそのように話をすることもあります。しかし、それはキリスト教の本質ではありません。エレミヤ、涙をたくさん流します。言わば、私たちは博愛主義も必要です。しかし、キリスト教はそれが本質ではありません。そのようなことがあるでしょうが、本質ではありません。ところで、大部分のクリスチャンを見れば、そのように考えています。預言者とも言います。この話は宗教です。私たちのキリスト教は、宗教ではないのでしょうか。宗教性はあります。しかし、宗教ではありません。このように信仰生活をするので、ずっと困難がくるのです。だから、信仰生活をしながら、イスラエルがローマに植民地になりました。皆さんが少し鋭くよく聞かなければなりません。他人の問題でなく、私たちの問題です。私たちクリスチャンが、聖書をでたらめに知っていて、福音をでたらめに知っていれば、問題は当然くるのではないでしょうか。

・私が知っている牧師ひとりが、病気でこの前に死んだのですが、医師が誤診をしたのです。腹が痛くて死にそうなのに、病院で内視鏡検査をしたのですが、何の異常もないと言われました。死にそうようになりました。もうご飯も食べられないようになったのです。病院にまた行きました。私は、ご飯も食べられない。もう一度、検査をしてください。この人がまた内視鏡をしたのです。何の異常もありませんでした。そうするうちに死にました。死ぬ1ケ月前、半月前に発見したのです。胃ガンなのですが、胃のなかで癌が広がったのではなく、胃の外にガンできていたのでした。だから、内視鏡に検査しても出てこなかったのです。死んでしまったのです。金海にいた牧師先生でしたが、やむを得ず亡くなりました。もし私たちの人生を霊的にそのように信仰生活したらどうなるでしょうか。

・私たちが車に乗って田舎に行けば、本当に苦しい時が多いのです。私たちが今始めて行くところです。慶尚道地域に行って、道を聞いてみれば、すぐそこだと言います。その人々が、すぐそこと言うのは、何キロなのかわかりません。少し正確に話をしてくれれば良いのに、すぐそこだと言うので、いくらもかからないと思いました。全羅道に行って尋ねたところ、まっすぐに行きなさいと言うのです。まっすぐに行って、どれくらいなのか、私が分かりません。道を探すのにずっと行き来しました。後には怒りも出てきたのです。道を知らなければ知らないと言うべきで、とんでもないことを教えたので、行き来したのです。私たちがこのようになれば、どれくらい問題でしょうか。ヨハネ10章を見ればイエス様がパリサイ人に盗人で強盗だと言われました。今日、信仰生活をしながら、この部分はしばらく記憶しておいても良いでしょう。福音をよく理解せずに、答えは来るから、教会の不満、神様に不満、人に不満を言います。イエス様があなたがたは、わたしをだれだと言いますか、このように尋ねられました。これが今日、皆さんが二番目につかまなければならない答えです。ほとんど弟子たちが、返事ができませんでした。これが教会の姿かも知れません。いや、それが何の話かと尋ねるのです。私は伝道現場に初めて行ってみた時、職場に入ってみたら、信徒がたくさんいました。集いをするのに、何人しか来ません。この福音を持ったことが、どれくらい良いことが起きたのかを知らずに、恥ずかしいと思っているのです。皆さんが国会議員なることより祝福を受けることが、神様の子どもになることなのに、それを味わうことができないので恥ずかしいのです。そのように信仰生活しています。レムナントが、これから学校や会社に行っても、恐れをなさずに、仕事を正しくしながら、堂々と話しましょう。チャンスがくれば私が神様の子どもです。そして、私が神様を信じる理由を説明すれば、その人も悟るのです。大変なことになりました。私がクリスチャンに会ってみれば、ほとんど恥ずかしく思っていて、揺れているのです。そして、じっとしていてもできるようになるはずの伝道が、一番難しいと思っています。

・これくらい問題が来たのです。イエス様が尋ねられました。あなたがたは、わたしのことをだれだと言いますか。このように弟子に尋ねられました。誰も返事ができませんでした。これが下手すると、私たちが今、信じている信仰です。その時、ペテロが返事をしました。何と言ったのでしょうか。あなたは生ける神の御子キリストです。驚くことです。初めての告白です。ペテロが、あなたは生ける神の御子キリストですと言いました。この言葉は、普通のことではありません。私たちが解決できない創世記3章の問題を解決された方です。皆さんは勝てないサタンの勢力を負かされた方です。運命は変えることができません。運命を変えた名前です。キリストという言葉がこの話です。そして、今、生きておられる神様の息子です。

・正しく告白をしたのです。イエス様がびっくりされました。バルヨナ・シモンと言われました。ヨナの息子シモンということです。私たちが教会に長く通いながらも、とても福音の祝福を知らずに通っているのです。これで私が答え受けられないのは大丈夫ですが、未信者にとても悪口を言われます。他の人が皆さんを見て、神様が祝福された人だと見られることが正常です。これが世界福音化の主役です。インマヌエルの聖徒たちが、この祝福をみな受けることを望みます。クリスチャンが、恥ずかしく道で伝道して、騒いで、そのようにしなくても済みます。クリスチャンが駅で大声を出して、そのようにしなくても済むのです。社長が私に神様の人だな。このようにならなければなりません。そばで人が見て同じ人なのに、何か祝福を受けるんだな、このようにならなければなりません。長官ポティファルがヨセフを見て、主があなたとともにおられる。王がヨセフを見て、あなたのように主の霊に充満した人を見たことがない。これが伝道です。この祝福を持っていなければならないのです。あなたは生ける神の御子キリストです。その時、イエス様がバルヨナ・シモン、あなたは頭が良い。このように言われたでしょうか。違います。バルヨナ・シモン、あなたは偉い人物だな。このように言われたでしょうか。バルヨナ・シモン、あなたは教派がどこか、このように言われたでしょうか。バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ものすごい祝福です。この時からイエス様がペテロに重要なことを見せ始められました。クリスチャンが、どれくらい愚かに恥をかいていると思っていますか。

・ある学校に、とてもおかしな子が一人いました。とても汚らしくて、一緒に共同生活をするのに、掃除もせずに変だったのです。静かに見たところ、クリスチャンです。未信者は、イエス信じる人は、このように言います。時間が経つほど人がおかしい。詳しく見たらタラッパンだ。このようになれば死んでも福音化できません。そうではないでしょうか。あの人は、何か違う。あの人は、つきあうほど大丈夫だ。クリスチャンだ。見ていたら、この人に本当に何かがある。この人と対話するのに、私に答えが出てくる。この人がタラッパンだな。行ってみなければならない。この人を見たら、本当に祈りの答えを受けて、神様の契約を持っている。インマヌエル教会だな。そうすれば、伝道しなくても来ます。どれくらい驚くべき祝福なのでしょうか。皆さんキリストという言葉は、ものすごい言葉なのです。地球上で一番重要な単語です。私たちの人生の根本問題を解決したという単語です。

・カトリック信者には、申し訳なくて、僧侶にも申し訳なく思います。私が一度は神父にこういう質問をしたのです。なぜ教会に偶像を作るのですか。偶像を作れば何の問題が起きるのか分かるでしょうか。私たちが、こういう偶像を作っておいてお辞儀をすれば、何の問題が起きるのか分かるのでしょうか。私が証拠を見せるから、一度、話してみますか。そのまま逃げるように行ってしまいました。僧侶を見て、確かに話しました。私は遠足に行く時、いつでも寺に行きます。とても雰囲気が良いのです。中の真っ赤なものは見なくて、外に水が流れるのはみな見ます。雰囲気が良いのです。悪いところではありません。しかし、人間の問題、サタン、地獄、呪い、運命を解決できません。私がそこに対する証拠を出すと僧侶に話すので、一様にこの方達が逃げます。ここに今、僧侶も1、2名が来ておられます。キリスト、この話は普通の話になりません。あなたは、生ける神の御子キリストです。皆さんが知らないからであって、この単語だけ持っていれば、皆さんの職場、現場、事業体に暗闇の勢力がみな逃げるのです。

・三番目です。この時から祝福を与えられました。これを皆さんが確信しなければならないのです。あなたはペテロです。あなたは岩です。砂利のように揺れない、岩です。これが最初に与えられた祝福です。前に私はイエスをよく信じて堕落しました。こういう言葉はありません。前に教会よく通って、福音を知らずに堕落したのです。それで教会が重要なのです。皆さんの子どもが福音を分かるなら、どこにいってもほろびません。どんな暗闇が皆さんを攻撃しても、勝つことができないのです。あなたは岩です。イエス様が約束されました。二番目に何とおっしゃったのでしょうか。ハデスの門があなたに勝つことができない。絶対に勝つことができません。わたしはあなたに天国の鍵を与えます。地でつなげば天でもつながれ、地で解けば天でも解かれます。天国の何を与えると言われたのでしょうか。鍵を与えます。これは、権力の表示にもなるのですが、天国のドアをあける鍵です。ものすごいのです。皆さんこの鍵を使いさえすれば、みわざが起きます。これがペテロに与えられた約束です。この祝福を持っている人々は、どこでも勝利することができます。私は色々な状態にあると思うでしょうが、時間が過ぎて見てみましょう。ヨセフは自分のお母さんが早く死んで、不幸に見えたのですが、そうではありません。ダビデが少し苦労したように見えるでしょうが、そうではありません。ジョン・バンヤン十何年間、監獄にいたように見えるでしょうが、そうではありません。わたしがあなたに天国の鍵を与えます。だれが奪い取れるでしょうか。あなたが地でつなげば天でもつながれ、地で解けば天でも解かれます。鍵を何かあればなくす人がいます。その人は少し苦労しやすい人です。鍵というものは、私が勝手に持ち歩くのではありません。この頃は鍵がカードになっている鍵があります。これをどこに出しておいて通えば良いでしょうか。どこにでも持っている必要もありません。ポケットに入れておいて、必要な時、取り出して開けば良いのです。それでは、天国の鍵のようならば、天国の全てのものを見られて、引き出せるのではないでしょうか。

・私が、一度は急いで家に帰って、鍵でドアをあけるのに、いくらしても開かなかったのです。はやく書類を持って出てこなければならないので、それでドアを叩いたのです。鍵が突然、なぜ開かれないのでしょうか。しかし、ドアが開いてみたら、別の女の顔が出てきました。私が知らずに一階下に行ったからなのです。一度は、秘書が私の車を駐車しておいたのですが、私が本を取り出そうと、いくら開いても開きませんでした。すぐ駐車しておいて行ったのに、開きません。しばらく開こうとしていたら、だれかが後ろから何をするのかと言うので、見たところ車の持ち主でした。知ったところ、同じ車だったのですが、私の車ではありませんでした。鍵はどこでも開けられるのでしょうか。神様が私たちに天国の鍵を与えられました。今から皆さんが祈りさえすれば、答えを受ける天国の鍵が与えられます。何も気をおとす必要がありません。どのようにすれば、世界の主役になるのでしょうか。どのようにすれば、人を生かす主役になるのでしょうだろうか。今日、皆さんこのみことばを確信することを望みます。イエス様が皆さんにくださった約束だから、ペテロが揺れたのに、イエス様が訪ねてきて働かれました。事実は、ペテロはイエス様を否認して逃げることもしたのです。その時、イエス様が訪ねて来られました。そして、何と言われたのでしょうか。あなたはわたしを愛しますか。小羊を飼いなさい。使命を与えられました。これが何の話なのでしょうか。皆さんの中に、救われた命があれば、私たちが弱くて揺れても、神様が来られて私たちを導いて行かれるという言葉です。それで、今日、神様のみことばを捕まえることを希望します。皆さんが本当に信じれば働きが起きます。しかし、信じないのです。アブラハムが神様のみことばを初めには信じませんでした。なぜでしょうか。話にもならないことを指示するようだったからです。聖書には、そのような部分もあります。どのようにするのでしょうか。神様がモーセに何とおっしゃったのでしょうか。40才では来られず、80才でモーセを訪ねてきて話されました。話になるでしょうか。イスラエル民族をわたしが解放させる。そう言われたら、話になるのに、あなたが行って連れ出しなさい。話になるでしょうか。私たちが実際に神様のみことばが合わないから信じないのです。本当に信じる時、働きが起きます。皆さんが今日、神様のみことばを本当に信じる時、証拠はものすごく起きます。イエス様も悪魔に勝つ時、みことばを持って勝たれました。聖書は、確かに約束しています。

・ヘブル4:12で五つのことが癒されるとあります。皆さんがみことばを聞くだけで、霊、たましい、関節、骨髄、心と考えが治るとなっています。本当にみことばを受ければ。しかし、私たちが実際に習ったことがあって、私の考えがあるので、信じないのです。私が今、説教しているのですが、釜山で聞いている人の中に証人が座っています。ある方が私たちと少し親戚のような関係の人ですが、ガンになりました。私はとうてい理解できなかったのです。この方がおかしな話をするのです。私がガンにかかったから、最善を尽くそう。このようでなければならないのに、病院に行かないのです。病院に行かないで、どのようにするのでしょうか。私があまりにも苦しくて、神様が癒してくださるのかと言いました。内心、確かに人は勉強をほどほどにしなければならないと思ったのです。慰めました。医師も神様が作られたので、治療をしながら祈れば良いと言ったのです。しかし、自分はそのような考えがないと言うのでした。どのようにするのでしょうか。だめだったと思いました。しかし、変なことが起きたのです。人には医師が知らない何かがあるのです。無知であろうが、違おうが、本当に信じれば良いのです。私たちが本当に信じる時、中で起きるものすごい働きがあります。私は大変なことになったと思ったのに、死ななかったのです。数年持ちこたえたのですが、まだ持ちこたえています。どれくらいなったかというと、16年ほどになりました。本当に不思議なことです。私たちは、実際には信じないのです。私たちの人間が信じる時、神様がからだの中に入れておかれたエネルギー、天の祝福、ものすごいものなのです。そして、今でもメッセージを聞いています。医師にだめだと言われたのですが、仏教信者だった人がタラッパンで福音を受けました。肝臓が固まる病気なので、良くなりません。世の中で薬も飲まずに、治療も受けず、この人が本当に信じて祈る瞬間に回復したのです。この方の特徴が何でしょうか。本当に信じるのです。まだ生きています。生きているのが問題でなく、神様のみことばが、みわざがどれくらい重要なのでしょうか。

・私が家から教会に行く時、秘書を呼ばないで私が車を運転して行きます。車を運転して行くのに見たら、高齢な勧士が歩いていました。車を止めて乗ってくださいと言いました。この方が初めには有難いと大声を上げてドアをあけてみたら、私がいるので驚いたのです。乗りなさいと言いました。後に乗る中に、車に乗ったことを天の奇跡が起こったように祈りをしていました。このように純粋な信仰です。私たちならば、車に乗せてくれてありがとう、この程度でしょう。そうでなければ、よりによって牧師先生の車に乗れたのでうれしい。この程度でしょう。しかし、この人は私の車に乗ったことを、まるで紅海が分かれたように言いました。だから、その信仰が働きが起きるのです。私がわざわざ勧士さん、この頃、特別に問題はないかと尋ねました。返事が簡単です。問題があることがあるでしょうか、と言いました。そうです。信仰が私より良いのです。皆さんがみことばを信じるということは、すばらしいみわざが起きるのです。特に救いのみことばは、生きて力があると言われました。今日、皆さんインマヌエルの家族、衛星で礼拝をささげる方々、信仰を持つ時、皆さん神様の子どものためにどんなことが行われるのでしょうか。すばらしいことが行われます。あなたが地でつなげば天でもつながれ、地で解けば天でも解かれます。その言葉が何のことなのか分かるのでしょうか。皆さんはもう運命の子どもでなく、神様の子どもです。皆さんは今から悪魔の子どもではなく神様の子どもです。子どもという言葉が何の話なのか分かるでしょうか。すごい言葉です。それで、私たちは祈れば、答えを受ける資格があるのです。

・今、通訳者は、ダラスからきたのですが、どれくらい通訳が上手でしょうか。わざわざタラッパンに通訳をしにここまできました。チェ・ミョンシン牧師の娘なのですが、韓国語も英語も上手にできます。初めに開始はエステル牧師夫人が先にしました。私はエステル牧師夫人を見たのですが、どれくらい韓国語も上手にして、英語も上手にするのか不思議に思いました。これは一つだけ上手にできてもだめです。二つが上手にできなければなりません。さらに不思議に思ったことは、釜山のなまりをあきれるほど、わかるのです。人々は、テープをずっと聞くから分かるのですが、初めに私の言葉をわかるのが難しかったのです。今は、私も歩き回って見て、こうなっていますが、初めには完全に慶尚道のまなりなので、ソウルの人々がわからず、釜山の人々がそばで通訳をしていたのでした。こういう言葉をあきれるように通訳するのです。この方たち以外にも、今、隠れて苦労する通訳する人々が多くいます。ある面では、さらに尊いのです。この人達が認められるのですが、認められることもせず、今、みな隠れて通訳しています。それも、私の説教を全世界に出て行くようにしているのです。それにもかかわらず、私が一度もご飯をごちそうしたこともありません。一度も服を買ってあげたこともありません。みな自分たちが買って着ています。ところで不思議なことに、私の娘は、私のためにすることが一つもありません。本当に何もありません。服を買って、カバンを買って、買わないものがありません。買ってくれと言われたら、みな買わなければならないのです。一度は、米国の集会行ったところ、集会に参加しに来ることができないと言いました。勉強のために行けないから、出て会ってくださいと言ったのです。それで、ニューヨーク、ニュージャージーは、それほど遠い所ではないので、わざわざ時間を作って行ったのです。どのように私が疲れていて、米国集会をして骨を折ったのに、また訪ねて行ったのです。理由が何だったのでしょうか。来てちょうだいと言われたので行かなければならなかったのです。行ったら、他のことではなく、コンピュータを買うのにお金をくれということでした。また、ご飯をごちそうして、お肉に買って、お金もコンピュータを買いなさいと与えてきました。私たちのイ・サンベ室長が帰りながら、これが子どもの権力だと言いました。私が疲れていることが分かるのです。ところが、来てちょうだいと言われたので、容赦なく行くのを見て、子どもの権力だと言ったのです。皆さんが誰でしょうか。神様のおいではなく子どもです。聖書にわたしをあなたをおいにすると言われたら、少し立場が違うでしょうが、わたしがあなたを子どもとすると言われました。受け入れる者、すなわちその名前を信じる者には神様の子どもとなる特権が与えられたのです。この時、本当に祈れば、皆さんの隠された家系の問題までみな解決されるのです。ここの主役です。この主役は何なのでしょうか。信仰を持った人。それで、今日マタイ16:13〜20の信仰を持った人です。今、幸いにほとんど証人が共に礼拝をささげています。精神的に苦しめられた霊媒師が5百人以上立ち返りました。実際に異端に陥った方が福音を聞いてたくさん立ち返りました。今、レムナントが起きています。それなら、私たちは誰でしょうか。皆さんが福音がない人を生かさなければならない主役です。それで、この信仰を持って祈れば答えられるのです。どんな信仰のことでしょうか。救いを与える神様のみことばを捕まえましょう。それで私たちは神様の子どもです。単純な答えでなく、他の人を生かさなければならないからです。今、霊的に死んでいく者を生かさなければならないからです。この契約をつかめば良いのです。今日、神様がくださったこの祝福を永遠に子孫代々で受けることをイエスの御名によってお祈りします。

・マタイ16:13〜20はとても重要な部分だから、皆さんに永遠な家系に、個人に、祝福されることをイエスの御名で祝福します。

<<契約の祈り>>
神様、感謝します。新しく始めるようにさせて下さい。私たちは宗教人でなく、神様の子どもになった祝福を味わうようにさせて下さい。岩のような祝福で信仰が立つようにさせて下さい。暗闇の権力に勝ちながら、神様の子どもになった祈りの祝福を今から回復するようにさせて下さい。それで、福音を知らない者が、とても多いのです。教会に通いながら知らない者がとても多いのです。多くの人々が隠していて、霊的問題に苦しめられています。彼らを生かす神様の子どもになるようにさせて下さい。今日、この席に参加したこの方達のゆえに、神様が鍵をくださって、職場が生き返るようにさせて下さい。この方達のゆえに現場、すべての家系にある暗闇が今日、縛られるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン.


<一般信徒宣教礼拝>


2部/誰のための献身なのか?
(I歴代29:10〜14)

私たちは一ケ月に一回ずつ献身礼拝をささげています。一般信徒宣教献身礼拝です。先月には'何のための献身なのか'に対してみことばを聞きました。私たちが献身するのも重要ですが、何のために献身するのかがさらに重要です。また、私たちが献身するのも重要ですが、誰のための献身なのか? この部分は、答えを受けるか受けられないかと関係があります。これはこれから祝福を受けるのか、受けられないのかと関係があるのです。それで、今日は皆さんが安らかな時間に答えを受ける'誰のための献身なのか?'に対してみことばを分かち合おうと思います。I歴代29章10〜14節はダビデが話したことです。

・今回の大学修練会に行ったところ、大学生が私にこういう質問をしました。その中でこういう質問をしました。'牧師先生は、難しいことはないのか'と質問しました。'難しい時どのようにするのですか?',という質問をしました。20個の質問の中に'福音をどのように味わうのか'と質問をしていました。その二つの問題が関連があると思います。私に問題がなぜないでしょうか? この問題はいつでも答えがあるから、祈りながら見れば、多くの祝福を受けるのです。その中で一番難しい問題は、何なのでしょうか? 最も簡単に話せば、私たちのインマヌエル教会は神様が重要な福音の計画を持っておられるのです。今、皆さんの考えと私が思う程度ではないでしょう。この部分をほとんどよく知らないのです。こういう部分を自分の見解のとおり話をするのです。そのような部分が、考えれば難しい部分です。なぜならすばらしい理由らが入っているためです。今は、席が埋まって集まっていますが、それが重要なのではなく、神様が皆さんに向けて明らかな計画を持っておられます。そして、私と私たちの教会にも明らかな計画があるのです。これが何でもないかも知らないのですが、これを説得させるのがとても難しくて、苦しい部分です。釜山でテープをせずに、ソウルでしようというのも、10年以上かかったのですが、本当に大変でした。難しい部分です。私たちの教会は、釜山で訓練する教会を作らなければならないことを説得するのに、ものすごく時間がかかりました。全国でどんどん集まるから、やっと見て理解できたのです。それは、このような形ですべての答えをのがしているということです。救われた人は、恐れることがありません。それで福音を味わって、問題を見るのには祈りしかありません。

・レムナントが尋ねるから私は答えました。私は常に歴史と問題を見ながら、福音の力はこの程度ではないと思います。それで、問題をすぐ越えるのです。私たちの福音の力は、私たちが思う、その程度ではないのです。聖書と教会史を見れば、すばらしいのです。皆さんは、この席に座っていますが、聖霊は今でも働いておられるから、私たちは事実、問題になることがありません。私には確信が与えられました。私が誰のために、何のために生きるのかによって、天使を送られます。明らかに心配することがありません。誰のために、何のために献身するのかによって、みわざが起きるのです。その答えだけ持っていれば、皆さんが動く所ごとに暗闇が崩れるようになるので心配することがないのです。今日、皆さんが短い時間に祝福を受けるように願います。誰のために、何のために献身するのでしょうか? ダビデがした話をもう一度考えてみなければなりません。詩篇103篇20〜22節この箇所で恵みを受けました。詩篇103篇20節に、ダビデはこういう話をしました。‘御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、みことばを行なう力ある勇士たちよ。’このようになれば、どうなるのか、みことばだけ正しく受ければ、力ある天使を送って、その働きを成し遂げて下さるという言葉です。大部分の人は信じないでしょうが、私は信じています。そして、ここですばらしいヒントを得たのです。'みことばだけ正しく捕まえれば良い'と考えることができます。それで、私の一生のメッセージもあり、困難もあり得ることで、良いこともあり、たくさんあるでしょう。みことばだけ正しく捕まえれば、神様は主の天使を送って下さるのに'力がある'とおっしゃられました。21節に見ると、このようになっています。‘主のすべての軍勢よ。みこころを行ない、主に仕える者たちよ。'ここには、何となっているかというと、御使いとなっていて、軍勢となっています。同じようなものですが、概念上では差があります。22節には'主の治められるすべての所で'と言われました。言わば聖霊が臨む所を言います。

・主が'治められるすべての所で'という言葉は、天使、軍勢がみな含まれる言葉です。事実、救われた以後、みことばを見ながら答えを得ました。皆さんはどこにいて、誰のために、何をするのでしょうか。それではこうしたことが成し遂げられていきます。私たちがいくら失敗なくて、いくら敬けんな人でも、全く何のためにいるのでしょうか? それなら、皆さんはここに座っていても明らかに答えが起きます。世界宣教のための心を持つならば、このようなことが成し遂げられるのです。霊的な目が暗いしもべが不安に思うから、エリシャが何と話したのでしょうか。'あのしもべの目を開いて下さい'霊的な目が開かれて見たら、天使が動員されていました。この間、台湾伝道のビデオを見れば、台湾の占い師に行ったら、すぐ私たちのことが分かりました。'あなた方は神様信じる人々なのになぜきたのか?'と尋ねたのです。それで、私たちのチームが尋ねたのです。'どのように分かったのか。'その方のことばが傑作でした。'皆さんがくるのに、前に十字架があって天使が並んできた。'皆さんがそのように精神が狂う必要はないのですが、霊的な目は開かれる必要はあります。信仰の目が開かなければなりません。ですから心配が終わりです。人々が無駄に心配するのですが、私たちは契約を持って行かなければならないのです。私はこれを知って定刻の祈りを始めました。今、天の軍隊を送って、私たちの祈りの課題を捕まえて祈ったのですが、答えの門が開かれたのです。これからどんなことが起きるのか本当に驚くことです。長老の話を聞いて、今週に済州道に行ってきました。ある新しい家族が、レムナントに使ってくださいと建物一階を出したという話を聞いて、行って衝撃を受けました。そのまま使えない郊外にある建物だと思っていました。完全、市内に神様のみこころで建物を出したのです。済州道は重要ですが、神様が働かれたのです。それで、私が確信を持って契約を捕まえてきました。そちらで、とても重要な伝道訓練を始めると思いました。それで、こうしたことが行われるのです。祈りだけしていれば、門が開かれます。これから私たちのレムナントを通して、どのようなことが起きるか分かりません。みことばを聞いて、本当に答えを受ける門が開くように祈ります。これからレムナントを通して、どんなことが起きるか分かりません。みことばをよく聞いて、本当に答えを受けて、何かぎゅっと捕まえなければなりません。'御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、みことばを行なう力ある勇士たちよ。'これがダビデがした話です。事実、王の中で最も答えを受けた王ではないでしょうか? 前にする言葉が'みことばを行なう力ある勇士たち' 'みこころを行ない、主に仕える者たち' '主の治められるすべての所で'それで簡単なのです。私はこの時から定刻祈りもして、常時祈りをするのに、私は考えるほど理解できないほど、答えをたくさん受けます。現場にあまり行かず、よくご存知ないのかも知れませんが、いつも奇跡だと感じます。大部分が行ってみていないのですが、現場に行く牧師は'全部すべて奇跡だ'と話します。

・レムナント集会に今回、1万人が集まります。これ以後に、また神様は重要な働きをなさるでしょう。それでは、ダビデは誰のための献身をしたのでしょうか? この話に入る前に参考にしなければならないことがあります。サウル王は誰のために献身をしたのでしょうか? 調べてみる必要があります。この話は、重要な話になります。どのようにすれば、国とは関係なく、私が王の役割を長くできるだろうか? こう思う人がいます。人物を育てるのが問題ではなくて、どのようにすれば、また私の息子がどのように王になるのか?サウル王がどうなったのか分からないでしょうか? 悪霊につかれてしまったのです。これが、サウル王とダビデ王の差です。私が信仰生活をしながら、牧師を見れば、敬けんながらも自分のために祈る人がいます。とても敬けんだですが、とても教会のためでなくて、聖徒も大切にしないで、福音も大切にしないで、あまりに自分だけ大切にする人がいます。そのような方たちは、絶対にだめになるようになっています。その人が称賛を受ける所は軍隊しかありません。自分の妻にほめられます。なぜなら、常に自分のために生きるから、我が家のために私の妻のために、私の子どものために、いつもこのようにするのです。しかし、敬けんです。私はそのような牧師をたくさん見ました。答えを受けることがありません。悪霊につかれるのです。むしろ、主のために、むしろ聖徒のために、教会のために、このようにすれば、さらに答えを受けます。根本の精神がサウル王とダビデ王は完全に違ったのです。大きい人物一人が出てくれば、それを殺そうと、サウル王は一生を捧げました。ダビデを殺そうとしたのです。そのようなバカがどこにいるでしょうか?ダビデは神様に向かった献身であったのに、契約を捕まえた献身をみなしました。神様は献身だから、契約の献身をしたのです。ダビデが誰に影響を受けたのでしょうか? サムエルに影響を受けました。それで聖日が礼拝をささげるのが重要だということです。サムエルの心にあったことがダビデの胸の中に入ったのです。それが、献身でした。それがどれくらい重要でしょうか? 聖書をよく見なければなりません。Iサムエル3章3節を見れば'その日、エリは自分の所で寝ていた。――彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。――'、'サムエルは、神の箱の安置されている主の宮で寝ていた。'この話は、サムエルがダビデに会った時にしたでしょうか、しなかったでしょうか。エリは目がかすんで寝ていたのに、幼いサムエルは契約の箱のそばで寝ていました。

・聖書をよく見るように望みます。4章を見れば22節までペリシテに契約の箱を奪われました。話になるでしょうか? サムエルがその時、どんな考えをしたでしょうか? すべての民はみことばを聞くこともせず、全部、堕落して、みな崩れたのですが、契約の箱のそばで横になっていたサムエルはすべて見たのです。エジプト、ペリシテ全域に災いが下されました。6章1〜22節に契約の箱が戻ってきます。これをサムエルがよく知っていました。その後に7章1〜17節を見れば、サムエルが育ってミツパに民を集めて'すべての偶像を捨てて神様に戻りなさい',この心がダビデの心に伝えられたのです。ダビデはこの献身をしたのです。聖書をよく見ましょう。Iサムエル16章13節に、サムエルがダビデに油を注ぎました。"あなたは、これから王になるだろう","気をおとさずに待て"それが私たちがつかんだ契約です。それが皆さんがつかむ契約、それがインマヌエルがつかんだ契約、私たちのタラッパン伝道者がつかんだ契約です。それがダビデがつかんだ契約です。あらかじめこれから起きることを話して、隠密に油を注いで、王になると話したのです。それと共に、確かにこの話をしました。その証拠があります。ダビデが一生を契約の箱のために胸を痛く感じたのです。その話は、サムエルがした心がダビデに伝達されたのです。契約を捕まえた献身をしました。Iサムエル16章23節を見れば、王宮に入ってみたら、王は悪霊につかれていました。こうすれば、どのようにするでしょうか? この時に、Iサムエル17章1〜47節にゴリヤテが登場します。ダビデがどのようにしたでしょうか?契約を捕まえて行きました。40日間、イスラエル民族を侮辱して、イスラエルが皆死にそうになりました。ゴリヤテがどれくらい大きいかといえば、約3m程度あります。そして、戦いの条件が何なのでしょうか? 戦争をしようというのではありません。この中に代表者が出てくればゴリヤテと戦おうということ、それが昔の戦争の方法の中の一つだということです。40日間、主を侮辱して、サウル王は悪霊につかれていて、この時の場面です。ダビデが堂々と契約を捕まえて出て行ったのです。兄達に先にゴリヤテと戦うと話したのですが、兄達は叱責しました。'おまえは、本来高慢だった' ダビデにそのように話したのです。しかし、ダビデはどうして理由がないでしょうか?10代は理由なき反抗をするのですが、ダビデは理由ある反抗をしました。私たちのレムナント達も理由ある反抗をしなければなりません。'どうして理由がないでしょうか',兄たちに話したのですが、だめなので、千人隊長に行ったのです。千人隊長にゴリヤテと戦うようにさえてくれと話をしました。国が緊急だとしても、子どもが話すので、その時、千人隊長がサウル王に紹介しました。サウル王は、このように話しました。'彼は若い時から戦士で、お前は少年だ。戦えるか'と言われて'私はお父さんの家で羊を飼って一匹もなくさなかった。私は、ライオンの口を裂いた。主は私をライオン口から守られたので、ゴリヤテからも守られる'と王に話をしました。そしてすぐにゴリヤテの前へ行ったのです。そして、重要な話をしました。'おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。'ダビデが2つのことが確実でした。神様を信じること、その次に石を投げること、私たちのレムナントは習わなければなりません。神様を信じるのと技能一つは、確実でなければなりません。命をかけてしなければならないのです。粗雑にせずに、レムナントは死なないから、命をかけてしましょう。これは単純な熱心ではなく、理由ある熱心です。ですから、神様とダビデが持った技能は確実なのです。この対話の中に全部入っているのです。ライオンの頭を殴ったダビデが、ゴリヤテの頭を打てないでしょうか? 確信がありました。主がともにおられる確信があったのです。ところで、ライオンの口を裂いたということは、石を投げてライオンの頭を殴ったから、ライオンがふらついて、その時になって裂いてしまったのです。ライオンの頭がどれくらいはやいでしょうか。その頭を殴ったのです。だから、ゴリヤテ程度は、何でもなかったのです。その話をするやいなや、一気に石を投げてしまったのです。ゴリヤテに石が食い込んでしまいました。それが剣道で話せば正面の頭です。最高級の所です。ですから、ゴリヤテが当たって、そのまま倒れました。その時からダビデは全世界でうわさが立ち始めたのです。専門化、福音化、世界化が成し遂げられ始めたのです。このことがダビデがした献身です。皆さんが、このように契約を捕まえて祝福を受けるように願います。

・ダビデは、二番目にどんな献身をしたのでしょうか? ダビデは本当に神様を信じる人ではなかったのでしょうか? 神殿に向かった献身をしました。これがダビデの一生の献身でした。サムエルの話を聞いたダビデは、胸の中にあったことは何でしょうか? まさに契約の箱を迎える家でした。詩篇5篇3節を見れば、ダビデは王になって、朝の祈りにずっと出て行っていました。王が早天の祈りに行けば、どうなると思いますか?明け方ごとに祈りをしました。レムナントたちは、可能ならば、夜明けに早く起きて、運動もして祈りもして、そのようにするように願います。大きい人物になるために必ずそのようにしましょう。必ず夜明けに祈りはしなくても良いのですが、夜明けに神殿のために祈りをしましょう。少し遅く寝て、早く起きてもかまいません。あまり人の話を聞かずに、そのようにしてもかまいません。明け方から夜まで私は講義をしました。家に到着したら、10時を越えていました。12時を越えても、4時に起きました。毎日、そのようにするのですが、大丈夫です。ダビデが夜明けに起きて祈りをしました。私たちのレムナントたちは、明け方を起こす明け方の人になるように願います。先んじる人になるように望みます。ダビデは夜明けに起きて、祈りをしました。少し私たちが夜遅く寝る人がいるのですが、そのような人は少し大変です。私も本来、夜型でした。夜11時は宵の口と感じます。今でも同じです。夜型はどのようにすれば良いのでしょうか? 遅く寝て、早く起きれば良いのです。そうすれば、他の人より何倍に仕事ができます。健康はどのようにするのでしょうか? 大丈夫です。科学的根拠がありますが、時間がありません。長く寝る人がはやく死ぬのです。女性もいつも寝ようとしますが、そうするだけはやく死ぬのです。早く起きて運動する人が長く生きます。昔には、お母さんたちは、どのようにしたでしょうか? 少なく産めば8人、ちょっと産んでも10人を産みました。置いて洗濯、洗濯機がどこにあったのかのでしょうか、洗濯板でみな洗濯をしました。それでも健康ではなかったでしょうか? しかし、この頃のおばさんたちは、子どもを二人産んで、病気になって苦労します。乳ガンになぜなるのでしょうか? 母乳を使わないからなるのです。ぞろぞろ10人産んで使えば良いのに、使わないからなるのです。睡眠を少なくとるのが、からだに良いのです。違ったことを学んではいけません。聖書を見れば、夜明けに起きろとなっています。それで、他の人が勉強をしない時にして、他の人がうとうとしている時に勉強して、他の人が目を覚まさない時に走って、そのようにしなければなりません。そして、祈って、このように習慣を身につけなければならないのです。そんなにしなくて、毎日、朝寝坊して、病気も持って霊肉ともに問題がくるのです。私も初めに夜明けに起きるのが大変でした。それで、朝の祈りは、通常の問題ではないと思ったのです。本当に牧師は朝の祈りさえなければ、良いのにと考えていました。マルコ1章35節、イエス様がなさったのでした。朝早く起きて、重要なことをしなければなりません。いよいよUサムエル6章1〜16節にオベデ・エドムにある契約の箱が、ダビデの町に戻ります。ダビデがどのように生きたのかが出てきます。ダビデの町を完成するやいなや、オベデ・エドムの家にある契約の箱をダビデの町に移しました。移す時、ダビデがどれくらい気持ちが良かったのか、踊ったとなっています。しかし、目がくらんだ妻であるミカルはあざ笑ったとなっています。ダビデが契約の箱がきて、とてもうれしくて踊ったのですが、なぜミカルは笑ったのでしょうか? それは、例えば今、私たちの長老がここに来て踊れば、皆さんは多分みな笑うでしょう。しかし、歌手がきて踊れば誰も笑いません。理由が何でしょうか? 歌手はよく踊るからです。しかし、長老は変に踊るためです。多分、ダビデがそうだったようです。しかし、ダビデはとてもうれしくて踊ったのです。そして、ダビデはどのようにしたのでしょうか? 一生の願いが何でしょうか?神殿を作って神様にささげることでした。それが今日、読んだ本文です。これがダビデが持った献身です。ここに重要な話がたくさん出ています。I歴代29章を見れば、重要な話がたくさん出ています。10節にダビデが全集団の前で'私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたはとこしえからとこしえまでほむべきかな。'王の告白です。'偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。'明らかな答えが出てきました。'富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。'明らかな告白をしました。14節に、まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。この祝福も神様がくださったのです。

・ダビデが神殿を作る準備を完全にしておいて神様にささげた祈りです。これがダビデの献身です。私たちは、正しく計画だけ捕まえれば、私たちの力と関係なく、こうしたことが行われます。今日、この祝福を受けるように主の御名で祝福します。神様が願われる契約、神様が願われる計画を捕まえれば、このことが行われるのです。さらに重要なことが出てきました。ダビデは全世界に向かった宣教に献身を持っていました。証拠を出せば、Iサムエル17章46節に見れば、ゴリヤテの前に立った時、ダビデがこのように話をしました。'必ずおまえに私が勝つ'と話しませんでした。'今日、主がおまえを私の手に渡される'と話しました。それと共に、重要な話をしたのです。'すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。'ダビデの話です。そして見てください。今、詩篇を開いてみれば、75篇がダビデが作ったのです。詩と歌をたくさん作ったということは、すばらしい宣教と伝道に多くの思いを持っていたということです。後ほどソロモンが王になった時、世界の王たちがイスラエルに来ることが願いでした。世界の王たちがダビデが準備した神殿を見るのが願いだったのです。全世界の指導者がソロモン会うのが願いでした。こういう答えがきたのです。この献身をダビデがしたのです。皆さんが、本当に祝福を受けるように願います。ところで、重要なのは、神様のために献身することだと思っていたのですが、知ってみたら、生かされるのは私が生かされるのです。事実は、神様が私たちの何の力が必要でしょうか。私たちが生かされるようになるのです。創世記6章14節に見れば'あなたのために、ゴフェルの木で箱舟を作りなさい。あなたの子孫のためにゴフェルの木で箱舟を作りなさい。あなたの命のためにゴフェルの木で箱舟を作りなさい'結局、私たちのためのものでした。ダビデが献身したことは、神様のためのものだったのですが、それは、イスラエルの子孫が生きる契機になったのです。今日、皆さんがこの契約を捕まえていれば、神様は答えをくださるようになっています。事実、このまま答えくるようになっています。この契約を捕まえて祈るように願います。

・私は、昔に現場伝道して、伝道することだと思っていました。今、メッセージで答えがみなきました。そして、昔に副教役者をしていた時、何も言わずに教会に仕えていました。これが全部、私に祝福で帰ってきました。私は教会が異常なところが多かったのですが、そのまま仕えて伝道したのですが、神様が私に教会の祝福で一番良い教会を与えられました。今世界で思いきり伝道して宣教できる教会がたくさんありません。そして、神様の前に少し献身したのですが、どれくらい祝福されたのか、全部、私を生かすことです。皆さんが今日、献身する事実は、皆さんが生きる道です。それで、神様の契約を捕まえて、経済の祝福も受けて、神様の働きを成し遂げるようになるように願います。がんばるのではなく、何のために献身したのか、ここですべての答えが回復します。私たちは雲をつかむようなことをしているのではありません。神様のビジョンを持っていれば、この答えは起きるようになっています。今日、皆さんがここに座っておられるのですが、神様は神様の軍隊を家、家庭、事業体に今、送られることを今、確信します。今、レムナント共同体で、宣教現場で働かれることを信じます。私たちは節約する理由も世界福音化のためにします。節約するのと貧困なのは違います。必ず節約を学んでこそ、祝福を受けるのですが、貧困を学べば、祝福を受けることができません。今、私たちがすることも世界福音化のためにするのです。それで、献金に対することも悟って、多くの経済の祝福を受けました。世界宣教をするのに、私たちは神様の前に祈れば、神様はすべての門をあけてくださいますが、私たちの小さい献身で世界は生き返るようになるのです。それで、皆さんはこの契約だけ捕まえているので、私たちは力はありません。神様が天の門をあけて、現場をみな変化させられるのです。今日、皆さんはこの献身に入ったので、この契約をつかんで行くように願います。私たちの長老、按手執事、役員たちも、事業に今日、このままの祝福が起きるように願います。これは、暗闇が行くのではなく、暗闇を束縛するのです。そのまま祝福が行きます。今日、すべてのタラッパンの家族が、神様のみことばを捕まえたら、主は聖霊で働いてくださり、主の天使と軍勢を送られるという事実を捕まえて、何も恐れる必要がありません。私たちはダビデのように素晴らしい聖徒になったのです。皆さんがどこへ行こうと、素晴らしい聖徒になるように願います。タラッパンの家族、インマヌエル家族が行く所ごとに、こういう祝福が起きなければなりません。今、クリスチャンが悪口をたくさん言われるのですが、悪口を言われず、素晴らしい聖徒、皆さんを見て素晴らしいと感じさせなければならないのです。とてもお金をむやみに使ってもだめで、あまり少なく使って貧困で苦しくてもだめです。タクシーの運転手がそのようにします。韓国の人々がとても変だと、酒場で酒を何十万円飲んで、タクシー運転手には何百円でけんかをするから、タクシー運転手が悪口をみな言います。私たちがとてもやぼな人になってはいけないのです。自分のためにお金を多く使いながら他人には貧困な人がいるのですが、そのような人になってはいけません。ダビデを見れば、羊を預けておいたところ羊一匹も失わないで誠実に仕事をしました。ダビデが少年時代にどのようだったでしょうか?すでに少年時代に神様の力を体験したのです。イスラエルの最も難しい問題を少年時代に解決しました。ダビデの青年時代を見ましょう。サウル王に数えきれない程、追われたのですが、一度もサウル王に害を与えませんでした。必ず記憶するように願います。本来、神様の祝福を受けた人は、人を困らせないでも良いのです。そんなにダビデを困らせるサウル王を一度も困らせませんでした。これがダビデ王の粋です。王になった時、どのようにしたのでしょうか? 王になって、ダビデはただ神殿、どれくらい素晴らしいでしょうか?他の王たちは、ただ王を長くすることだったのですが、ダビデはただ主に栄光でした。ダビデは危機の時、どのようにしたのでしょうか? ひたすら神様の契約を捕まえて、主は私の羊飼い。私には乏しいことはありませんと告白しました。素晴らしい一般信徒になるように願います。素晴らしい産業人になるように願います。素晴らしい一般信徒宣教チームになるように願います。それで、世界を生かすみわざが、行く所ごとに起きるようにイエス様の御名でお祈りします。そばの人を祝福しましょう。素晴らしい伝道者になりましょう。この契約を所有しましょう。それなら、すぐに明日から答えが開かれるでしょう。

<<契約の祈り>>
神様ありがとうございます。ダビデの答えが私たちの一般信徒宣教にそのまま答えて下さい。詩篇103篇にある契約が、そのまま成就するようにさせて下さい。今日からこの契約を捕まえて、歩みごとに答えを味わう新しい力を得る日になるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン