2006年11月5日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/日常の祈り、礼拝祈り、特別祈り
(Uテモテ2:1〜7)

■私たちの神様に栄光を帰して、すばらしい聖歌隊に感謝します。来週からは、詩篇とルカの福音書を新しく始めるつもりです。今、レムナント7人を持って祈りについての話を継続しています。どのようにすれば本当に祈りの答えを受けられるのでしょうか? 簡単です。真実になれば、答えを受けます。今日から1、2部礼拝に手話通訳を始めました。また釜山でする時も継続して続けて行くつもりです。通訳する執事は、私たちの教会の執事ではなく、イエウォン教会の執事です。手話通訳を1、2部でしなければならないから、働き人を派遣してくださいと言いました。すると、イエウォン教会から、ためらうことなく、喜びんで派遣してくださいました。私たちの信徒になったのではなく、同じ信徒ですが、手話通訳をしに来たのです。福音をもった教会だけができることです。全世界の私たち韓国の聴覚障害者が、メッセージを聞くようになります。これよりも大きい祝福はないでしょう。
■昔に学生たちを連れて学校を借りて修練会をしました。先生一人が宿直をしていたのですが、果物をくださいながら話を始めました。ひょっとして教会に通っているのですかと尋ねました。通っていると言いました。私が話をする前に、自分が先に証しを始めたのでした。学校の先生をしていて倒れたが、肝臓ガンになっていたということです。病院から、学校を休職して、手術も受けなければならないから病院にいなさいといわれたということです。自分は過去に一番嫌っていたのが教会だったということです。そして、ラジオをつけて、一番聞きたくなかったのがメッセージだったということです。しかし、この方がガンのために病院で横になっていた時、ラジオをつけたそうです。なんとなくつけたチャンネルがキリスト教放送だったのですが、ちょうど癒しに関するメッセージが出てきたのでした。「あなたは病気の中で苦しんでいませんか?」というメッセージが出てきました。自分はその日、初めてメッセージを聞いたのですが、放送を通して初めてイエス様を救い主として受け入れたということです。自分に奇跡が起こったということです。奇跡が起こったことではなく、なぜ自分が教師になったのか分かったと告白しました。
■祈りは3つで答えがきます。私たちが祈ったそのまま直ちに答えが来るものがあって、あるものは私たちがしばしば間違った祈りをするから、神様がその祈りを変えて、より良いことをくださる場合があります。また重要な人や大きい人物は、祈りの答えがしばらく後から来る場合もあります。それで、祈りの答えが来ない時、考えることが、私が間違っているのか? という場合もあるでしょうが、うつわが大きい場合もあるのです。ところで、この方の場合には直ちに答えがきたのでした。
■私は昔には、祈って病気が良くなったということを、あまり認めませんでした。健康に気を付けて、普段の時によくすべきで、何か祈って病気を直すかと考えていたのでした。そのように考えていた時がありました。ところで、我が家には、ほとんどがイエス様を信じていたのですが、一番下のおばさんが信じていませんでした。私たちが教会に行くと、その家ではグッ(降霊術)をして、私たちはクリスマスの日には喜んで賛美をしていたのに、おばさんは占い師を訪ねて行ったりしていました。ところが、時間が経つほど、ますます問題が来て、後には完全に病気になってしまいました。病院で診断したら、腎臓二つがみな悪くなっているので、可能性がないということでした。ひとまず病院では退院した方が良いと言われたのです。その程度ならば、どうしようもないことでしょう。そのようにして、帰ってきて家で死ぬ準備するということです。とても苦しいから、うちの母を呼んでくださいと言ったのでした。ところで、うちの母は集会に行って、いなかったのです。いないと言ったら、その時、初めて言ったのです。「私もちょっと連れて行ってほしい」そのように言ったのでした。
■それで、その翌日に集会をするのに、両側で支えてもらってきたということです。そのようなこともあるでしょう。礼拝堂に座って、賛美をしていたら心にあたってきて、メッセージを聞く中で完全に変わってしまったのです。その時、それを見ながら「〜こういうこともあるんだな!」という気がしました。病院に行かなかったのですが、腎臓が完全に良くなってしまったのです。分かるでしょうか? ここにも医者がおられるのですが、理解できないのではないでしょうか? 他の人の話ならば、嘘だとか、そのようになる理由を考えたでしょう。しかし、私のおばさんがとうていだめな状態だったのに、完全に良くなってしまうのを見たのです。'「聖霊が働かれるとこのようなこともあるんだな!」聖霊が働かれたら、医師も祝福されることができるのですが、聖霊もなさることができるんだなという気がしました。その時から信仰生活をするのに、うちの母より良くしていました。本当に不思議なことがあります。この病気が良くなった人は、他の人を直す賜物もあるのです。それほど聖書も知らないのに、病気の人に行って祈れば、その人はまた良くなります。不思議に思ったのですが、ある時は教会も来ないのです。しかし、裏の家で病気の人いて祈れば、また良くなりました。「〜信仰の働きは霊的に通じるんだな。」ということを感じました。
■神様が私たちに救いの次にくださった祝福が祈りの答えです。私は今まで経験した中で、私のような人に答えられた神様は、すべての人に答えられる良い神様であることが分かりました。私は起きたこと、背景、過去をみな話すことができないのですが、神様は答えられる神様であることを確信します。それで、青少年に揺れないでと言うのが、その時に揺れれば、大きな損を受けるからです。私は親も良くて、勉強も良くできたのですが、家庭の環境が良くなかったから崩れたのですが、通常の問題が来たのではありません。それだけでなく、その時から今まで、すべての部分に神様は答えられました。聖書を見てください。いくらしても、問題が解決できません。それで、アブラハムが自分を変えたのです。それで、創世記13:18に祭壇を築き始めたのですが、どうなったでしょうか? ひとまず目に見えるほど、最高の富豪になりました。そのような程度ではありません。あまりにも難しい中で、とうてい環境が良くないところから祈りを始めた人がヨセフです。神様はヨセフに世界福音化ができるビジョンを与えられました。それで、聖書だけでなく祈りは確かに答えられるのです。皆さんが知っている通り、モーセ、ヨシュア、カレブの祈りを神様は聞かれました。それなら、今でも祈りは答えられるということです。本当に祈れば答えられます。詩142篇は、サウルがダビデを捕まえにきた時、洞穴で祈った時です。エリヤとエリシャが祈った時、どれほど多くの働きが起きたでしょうか。とても弱い初代教会が集まって祈ったのですが、その人々が祈って答えられたということです。今まで祈りの人が祈りの答えを受けることができなくて失敗したことは一度もありません。教会史でマルチン・ルターが最も大きいことをしました。教会が完全に堕落した時、宗教改革を起こしたのです。
■中世教会で、マルチン・ルターをそのまま置いておいたでしょうか? 裁判を受けた教会に行ってみたのですが、今でもその教会がそのままあります。宗教裁判が一番怖いのです。社会裁判は、控訴もできて再審もできますが、宗教裁判はそれができません。社会裁判は誤ったことが後ほど覆ることもありますが、宗教裁判は覆ることはありません。一度、異端と言われたら、永遠に続きます。いつまでかといえば、異端になった側が成功して他の一方が失敗した時、その時になって降参するのです。どれくらい怖いでしょうか。カトリックがほろびる時まで持ちこたえました。神様がずっと祝福されて、米国とドイツを祝福され、プロテスタントが大きくなったので、その時になって降参しました。これが宗教裁判です。マルチン・ルターを立たせておいては取り消すかと尋ねた。間違ったと告白して取り消せば許すが、そうでなければ死刑宣告をくだすと言われたのです。皆さんならば、どのようにするでしょうか? 人がいくら真理でも、間違った人々がとてもたくさん話せば混乱するはずです。マルチン・ルターが少しの間、混乱したのです。一週間だけ余裕をくれと言いました。人があまりにそばで圧迫するから、一週間くれと言ったのです。これは、ある程度、譲歩をしたということです。家に帰って来て、一週間祈りもせずに、落胆していたのです。そこで出てきた、おもしろい逸話があります。
■ある日、マルチン・ルターの家の外で泣き声が聞こえてきたのです。誰かが死んだのかと思って出てみたら、ルターの妻が喪に服して号泣していたのでした。ルターがとても驚いて、誰かが死んだのか、なぜそのようにしているのかと尋ねました。すると、奥さんが、死んだと言うのでした。誰が死んだのかと尋ねたら、神様が死んだと言うのです。それで、ルターがそれが話になるか、神様がなぜ死ぬのかと尋ねたら、その時、奥さんが言った言葉です。「神様が死んでいないなら、あなたはなぜ落胆しているのですか?」その時、ルターがしっかりしたのです。そうだ、私がなぜこのようにしているのか。そうしながら、死ぬ覚悟を決心したのです。一週間後に法廷に立ちました。その時、この法廷ではすべての文と言葉を取り消すことができるかとまた尋ねました。その時、マルチン・ルターの返事が簡単でした。私は今、神様の前に立っている。私が神様の前で嘘をつくことができないと言いました。だから、すぐに死刑宣告がくだされました。当時には、死刑宣告がくだされたら、一週間後に執行されました。それで、引きずられて行かなければならなかったのです。しかし、今でも分かっていません。誰が拉致したのか、マルチン・ルターを捕まえて行ったのです。今でも分からないのですが、だいたい、ある宣教団ではなかったかといわれていますが、まだ分かっていません。そして、どこかに連れて行ったのです。目を開けたら山の中でした。良い家が建ててありました。そこに行ってみました。そこで、縄がほどかれて、聖書を翻訳しろと言われたのです。すべての民が読むことができるように。これがどういうことなのでしょうか? 記録に見たら、昼間には猟師で、夜には聖書を翻訳したということです。ある城主が報告しました。また他の有名な逸話があります。悪魔がマルチン・ルターが座って聖書を翻訳するのに、四方からやって来たのです。実際、そうではないでしょうか? とても重要なことをするためです。唯一、聖書を翻訳して出せば、どうなるでしょうか? 悪魔が実際に働いたのです。
■今、私たちが福音運動するのに、伝道者が記憶しなければならない内容です。どれくらい混乱したのか、インク壺を投げたと言われています。悪魔がインク壺を投げたら逃げるでしょうか。その時、ルターがひざまずいて祈ったのです。主イエス・キリストの御名で。悪魔がすべて離れてしまいました。ルターがおもしろいことを言いました。「犬と悪魔はひざまずけば逃げる。」ひざまずけば、犬は自分に石を拾って投げると思って逃げ、悪魔は祈ると思って逃げるという意味です。それで、この間、ドイツへ行った時、聖書を翻訳してインク壺を投げたその家に行ってみました。いくら探してみても、インク壺の跡がなかったのです。案内する人に尋ねたら、泥棒がきて壁だけはがして行ったということです。それがお金になると思って、その壁と椅子を持って行ったということでした。マルチン・ルターが座って翻訳した机も持っていったということです。今ある机と椅子は、模造品だということでした。とにかく、泥棒は本当に泥棒です。このマルチン・ルターは、とても重要なことをする中で、祈りですべての難しい問題をみな勝ったのでした。祈りはどれだけ大きい力を持っているでしょうか? 皆さんが知らない部分も答えられると言われました。1950年に戦争が起きて、侵略されて、釜山だけ残りました。共産党にロシアが手助けして韓国が負けそうになったのです。故郷がミルヤンではないのですが、避難して行ってそこで暮らしました。どれくらい緊急だったのか、大統領も釜山にきて勤めるほどでした。その時に初めて大韓民国に長老、牧師がみな集まって祈ったのです。国家のために本当に祈りました。形式的な祈りではなかったでしょう。本当に祈れば、答えを受けるのです。プログラムやポジション争いのためにではなく、本当に祈ったのです。神様は、皆さんの本当の祈りに答えられます。この体験をすれば、世の中で何でもできるでしょう。
■良く知っているでしょう。その時、韓国がみなほろびて釜山だけ残ったのですが、世界連合国が手助けするのか、しないかを相談するUN理事会が開かれました。今でも同じですが、常任理事国で一つの国でも反対したら、だめなのです。その時、戦争をロシアが手助けしていたので、確かに反対するでしょう。会議しようと集まったのに、ロシア代表が乗った車のエンジンが止まってしまったのです。直さなければならないではないでしょうか。直している間に、他の国はみな集まって決議したのです。決議した後に、エンジンがかかったのでした。行ってみたら、すでに終った後でした。そして、国連軍が私たちの韓国を生かすために上陸したのです。本当に不思議なことではないでしょうか。それを見ながら、エンジンが止まるのも神様のみこころがあるんだなと思いました。どうしてそんなことが起きることができるでしょうか。それで、韓国がほろびないで生かされたのです。そうでなかったら、共産主義にみな奪われたはずです。その当時起きた事を、私たちがみな体験したでしょう。今は体験もできない子どもたちが何を知らずに生きていますが、私たちはみな体験したでしょう。共産主義は、ある目的を達成するためには、殺人も嘘もはばかりません。良い目的を持ったのかは分からないのですが、兄弟、家族も殺します。私たちは体験したでしょう。それで、共産主義は70年後にほろびました。これをどのように勝ったのでしょうか? 祈りで勝ったのです。
■私が恐ろしいのは、私は共産主義を分かるから、ロシアに初めて行った時に怖かったのです。完全にほろびてしまっていました。どの程度ほろびたかというと、韓国がわらじを履いて通っていた時、ロシアには地下鉄が通っていました。その時、すでにエスカレーターがあるほどでした。エスカレーターが古くなって、がたがた揺れているのに、直せないでいたのです。道に公衆電話は半分は故障していて、直せずにいました。昔に良い暮らしをしていた時、公園を作ったのですが、公園の噴水が2/3は故障していました。直す人も能力もお金もなかったのです。15年前にそうなっていました。共産主義が崩れるのに、誰が手助けしたでしょうか? キリスト教国家が手助けしたのです。誰が福音を防げられるでしょうか。どんな思想が福音を防げることができるでしょうか。福音は何でもないようですが、全世界を動かせて、全てができるのです。
■それなら、本当に祈らなければならないのですが、どのように祈れば良いのでしょうか? 今まで祈りに対する多くの話を聞きました。今からは本当に祈らなければなりません。今日、本文に兵士、競技する者、農夫が出てきています。ここにとても重要な話があるのです。兵士、競技する者、農夫とは何の話なのかは皆知っているでしょう。子どものように理解するのではなく、違うように理解しなければなりません。兵士、競技する者、農夫の特徴があります。最初に日常の祈りです。兵士も農夫も競技する者も、常に見張って育てて練習しなければなりません。それで、皆さんが今からどのように祈れば良いか、日常の祈り、礼拝の祈り、特別祈り、この3つだけ理解すれば、祈りの答えを受けます。この中でどれが最も重要なのかと尋ねるなら、日常の祈りです。兵士が戦争するのも重要ですが、日常に訓練を受けるのが重要です。農夫がある日植えておいてしばらく後にきて実を収穫しようとはしません。日常に育てるのです。そのように、祈りの答えを受けるのに日常の祈りが一番重要です。日常の祈りという時いくつかのことを必ず理解しなければなりません。
■そのうちで最初が何でしょうか? 祈りの中の祈りが何でしょうか? 断食なのでしょうか? それではなく、それはしばらくあとですることです。徹夜祈りなのでしょうか? 違います。今日、聖書に何となっているでしょうか。わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。福音理解、味わい、福音の中に入ることです。これが祈りです。韓国教会、世界教会が失敗する理由が、ここで失敗したのです。ある面では、とても極端な話をしたら、福音の根をおろして味わったら、祈りを全くしなくても祈りなのです。いくら泣き喚いて断食と徹夜をしても、福音を知らないならば祈りではありません。いくらしっかりして精魂を込めても、福音を知らないならば祈りではないのです。これをよく分からなければなりません。日常に福音を持っていて分かったら、それを味わうのが祈りです。今日、皆さんに神様の大きい祝福が始まるように願います。
■それでは、皆さんが少しだけ人間関係の中でも福音を味わったら、それが大きい答えに変わります。問題がきた時、難しいことに会った時、福音を少しだけ味わったら、大きい答えに変わるのです。分かるでしょうか? なぜ韓国教会と世界教会で信徒が減るのだと思いますか。これから大変なことになるでしょう。減少しているというのですが、それしか仕方がありません。今まで偉大な人物がたくさん出たのですが、その後の処理が問題なのです。何万名かを集めた大きい人物が消えれば、その後が問題です。これから、ものすごい教会が大型教会を作って、力ある方々がたくさんいたのですが、その方が消えれば問題です。ただ福音を正しく知って味わったら、何の問題もありません。祈りの中の祈りです。ひょっとして皆さんが皆さんの子どもに与える祝福の中で一番大きいことが何だと考えているでしょうか? 皆さんの子どもが神様の子どもになった祝福を味わう救いの奥義を分かることが一番重要です。
■今日、学習洗礼を受ける方々に一番重要なことです。福音とは何でしょうか? 運命をみな変わってしまったのです。今は占う必要も恐れる必要もなくて、する必要がありません。本当に福音ならば、じっとしていても働きが起きます。皆さんがいる所ごとに神様が働かれるのです。信徒は復興するようになっています。サタンの問題もみな終わってしまうのです。だから、これから味わわなければなりません。これが日常に味わう祝福です。日常に少しだけ福音のメガネで見れば、全てが新しく見られるでしょう。何で葛藤して、何のために涙を流しているのでしょうか? パウロのように、この福音のために涙を流したら奇跡が起こるでしょう。韓国教会と世界教会、全世界にいるすべての方が、この話をわかるようになるように願います。その時から何でしょうか?
■皆さんが定刻の祈りや定刻の礼拝を回復しましょう。今からしてみましょう。すばらしい働きが起きます。それが日常の祈りです。一日の中で良い時間を作って、定刻の祈りが出来なければ定刻の礼拝がより良いでしょう。後ほどレムナントに別にお願いするつもりですが、祈りの手帳とメッセージを捕まえて祈ってみましょう。この良いことをなぜしないのか分かりません。皆さんが少しだけ時間を作って定刻の礼拝を一人でしてみてください。単に福音ではないことで泣き喚くことはうめき声であって、祈りではありません。本当に神様の恵みを味わう祈り。これが日常の祈りです。これができれば、皆さんは本当に答えを受けます。私がこの間も話したでしょう。私は率直な話で、昔には賛美が一番回復できませんでした。本当です。賛美より良いことがさらに多いのです。集会を終えて運転をしながら田舎の道を行くのにコスモスが咲いていました。この時「よるべなき我は」と讃美歌を歌うでしょうか。歌謡曲の「コスモス」を歌うでしょうか? 率直に言ってください。どちらが恵みになるでしょうか? 秋に穀物が豊かに実る田園を通り過ぎながら「もろびとこぞりて、迎えまつれ」と讃美歌を歌うでしょうか、麦畑の歌謡曲が似合うでしょうか? 賛美を歌う時間もなくて、楽しさもありませんでした。昔に一人で車を運転して通っていた時には、歌謡曲も大丈夫だったので、流行歌を隠して持って通っていました。しかし、秘書が運転するようになってから、ひょっとしたら、その人たちが試みにあってはならないと思って、すべて片付けました。賛美を歌う時間がなかったのです。ところが、違います。ある日、すごいことを発見したのです。集会を控えて朝早く起きました。その時、神様に祈りました。定刻礼拝をしました。「神様、今日私に神様が力を与えて下さい。私たちが一生、一度だけ生きていく人生なのに、正しく福音を伝えて行くようにさせて下さい。私たちの聖徒と私たちの周囲にある多くの問題が解決するようにして下さい。」としながら賛美を歌ったら、本当に聖霊様が働かれることを感じたのです。その時、どんな歌も価値がなくなりました。これを回復してから教会で賛美してみてください。普通の力ではありません。
■このように、重要な人であるほど、そのような定刻の礼拝が回復しなければなりません。重要な人であるほど自分の時間がどれくらい重要かわかりません。私は昔に祈る方法を知らずに、独身の時は一週間に一回ずつバスに乗りました。バスに乗れば、釜山の最終の停留所まで行きます。友人がいたらおもしろくなくて、一人で行きました。そして、田舎を行きました。そこで魚も見て、川を見ながら、ご飯も食べて来たのです。一週間に一度。とても必要なことでした。一人でたくさん考えました。田舎道を行くバスの中で、窓の外を見つめながら考えるのがとても良かったのです。結婚してからは、できなくなりました。たびたび、どこへ行くのかと尋ねられるので、言うべきことがなかったからです。重要なことをのがしたのですが、必要だと思っています。朝、毎日起きて深い霊的な対話をするということが、どれくらい重要でしょうか? 建国にもとても良くて、精神の健康には言うまでもなく、本当に祈りの答えがきます。皆さんが重要な人であるほど、そのようにすべきです。少しの間だけする人と本当にする人がいます。学校の教師をしても職業でする人がいて、本当に教師をしようとする人がいます。本当にしようとするなら、その力を得なければなりません。運動選手もだいだいしてやめる人と、本当にする人がいます。だから、この力を得なければならないのです。兵士、農夫、選手このようになれば、その後からくるのが答えなので、その時から常時祈りができるようになります。これが日常の祈りです。この祝福を必ず回復するように願います。
■このようになれば、二番目の答えがきます。この時から礼拝するのです。礼拝には3つが出てきます。いつでも解答がきて、答えがきて、未来が見られる礼拝があります。これまで問題があった全てのものが解答が得られて、神様がどんな恵みをくださったのかが分かって、未来が見える礼拝があります。普通の説教者はだいたい分かります。すでにみことばよく聞いて、いつもみことば味う人は確かに成功します。学生たちの中で教えてみれば、メッセージを正しく聞く子がいます。1人ももれなく成功します。ところが、メッセージを聞かない子たちも多いのです。ですから、神様のみことばの時間が、祝福の時間なのに知らないのです。その次に出てくるのが特別祈りです。特別祈りとは何でしょうか? 重要なこと、問題、危機、本当に私を変化させなければならない時、このような時、特別に祈るのです。出エジプト3章に、イスラエル民族が苦しみの中に祈るのに、神様がその祈りをお聞きになったと言われています。おわかりの通り、ダビデが死の中で行き来していた時、神様の前にどれくらい祈ったでしょうか。これが特別祈りです。ある時は、危機がきたとすれば、特別に祈るのです。断食もして、すべての信徒が一致協力祈りもするのです。イスラエルには数回の危機がありました。
■イスラエルの危機が何度もありました。エジプトの捕虜になった時です。ご存じの通り、悪い政治家が出てきてユダヤ人をみな殺そうとしたのです。その時が、エステル王妃の時代です。このエステルが自分の民族が皆死ぬと思いました。悪い総理ハマンがユダヤ人をみな殺そうとしました。ところで、このハマンは知らないことがあったのです。主なる神様の生きておられることを彼は知りませんでした。そして、祈りの力を知らなかったのです。どのように分かるでしょうか。そして、ハマンは王が一番愛する王妃エステルがユダヤ人であることを知りませんでした。その時、エステルが言った言葉です。2つのお願いをしました。一つは何でしょうか? 私が今、王の前に出る時ではないけれど、出るつもりです。死ぬならば死にます。だから、私のために祈ってください。そして、私が戻る時までイスラエルの民は、3日間断食しながら祈ってください。そのように一致協力して断食する間に奇跡が起こりました。これが特別祈りです。皆さんが日常の祈りと礼拝の祈りが回復すれば、特別祈りはさらに回復するのです。病気になったとすれば、ヒゼキヤ王のように特別祈りができます。こうしたことが初代教会で起きました。初代教会をなくそうと、ペテロを牢屋に閉じこめました。その日の夜に全教会員が集まって特別祈りをしたのです。どんなことが行われたでしょうか。ペテロが牢屋から出てきたことはもちろんで、突然ヘロデ王を倒してしまわれたのです。聖書を見ると「主の使いがヘロデを打った。彼は虫にかまれて息が絶えた。」となっています。これが福音を持った者の祈りです。皆さんがこの力を得るように願います。
■多くの方たちが質問します。とても経済が難しいが、どのようにするのかと尋ねます。聖書はこのように記録しています。初代教会には、とても貧しい人々だけが集まりました。この人たちが変化したのです。その貧しい人々が世界福音化しました。また私たちの家庭の問題がとても多いと質問するでしょう。聖書はこのように記録されています。主がヨセフとともにおられたので。家庭問題で祈ったヨセフに、神様はビジョンを与えられました。夫が変ならば、そのおかしな夫のために祈って答えを受けた人が、ダビデ時代のアビガエルです。妻が変ならばどうするのでしょうか? 完全にぞうきんのような女に会ったホセアは、当時最高の預言者になりました。だから、もちろん多くの問題があるでしょうが、神様は答えられます。私のからだが弱いのをどのようにするのかと尋ねたら、聖書にただ聖霊充満を受けなさいと言われています。聖霊充満と医学が何の関係があるのでしょうか? 関係があるのです。皆さんの心の中に本当に力を得てしまえば、ほとんど病気がみな飛んで行きます。びっくりすれば病気が入ってきます。気を落としたり、変に押さえられれば重要な病気になります。まして聖霊充満を受ければすばらしい働きが起きるのです。
■今日、皆さんが覚えてくださるように願います。神様が皆さんに答えられれば、誰も防止できないのですが、それを知って皆さんがする祈りをサタンは防げるのです。この部分を注意しながら、皆さんが祈りの新しい力を得て今日が祝福の日になることをイエスの御名によってお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。今日、実際に祈りを始める祝福の開始になさせて下さい。日常の現場で力を得る聖徒にならせて下さい。礼拝をささげに来る時ごとに答えを得て、解答を得て、未来を見る時間になるようにさせて下さい。この方たちの特別祈りによって世界が変化する神様のみわざが起きるようにさせて下さい。私たちの主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2部/レムナントの生き方と規律、習慣
(Uテモテ2:1〜7)

■ダビデにあった賛美の祝福が聖歌隊にあることを希望します。共に賛美を聞く賛美する皆さんに、サウルのように癒されるみわざが起きることを希望します。20才時、日本に行って65才まで住んでいた人がいます。45年間、暮らしていたのでした。ところで、日本人が見て日本人のようだと思うほど日本に長く住んでいたのでした。日本語をあまりにも上手にするので、当然、日本の人々が日本人だと思っていたのでした。熱心にお金も儲けたのですが、ある日、病気になりました。ところで、その人が手術の段階まで行ったその時に、はっきりと「私は死ぬんだな」と感じたそうです。問題は45年間暮らしていたのに、日本語が一つも出てこなかったのです。日本人が日本人かというほど日本語が上手だったのですが、死にそうになったら、日本語が出てこなかったのです。その人が治って集会に参加して話した告白です。死ぬ段階に行ったのですが、言葉が出てこなかったのです。ほとんど45年間、使うこともなかったのに、韓国語が出てきたということでした。何のためにレムナント運動をすべきなのでしょうか。その理由を言いたいのです。
■それで、レムナントの生き方、規律、習慣がとても重要だと思います。残念なことが一つあります。私が外国や国内で訓練をしながら、いくら話をしても分かってもらえませんでした。わかってもよく悟れないのです。福音を知らなくて味わえなければ時間がどんどん来て、少しずつ霊的な問題がきて崩れるのです。それがみな、私と皆さんが値することなのにもかかわらず、感覚がありません。あたかもアルコール中毒になった人が、どんどん肝臓が固まって行くのに、知らずに話をしても感覚がないことを同じようなのです。ほとんど聞き取れないのです。年を取りながらしきりに問題がきます。それでは、どのようにしなければならないのでしょうか、米国や日本やヨーロッパのようなところに住めばよりひどいのです。少し行き過ぎた表現ですが、私が米国へ行って人々を見る時、うわべを見ずに詳しく見て下さい。皆さんをだましているから分からないのですが、子どもたちがほとんどみな麻薬に接しています。ほとんど接するのです。ある子どもは切って、ある子どもは葛藤をして、このような形です。そして、理解ができないのです。もう少し進めば、お金ができればギャンブルをします。米国やヨーロッパはすることがないから、どんどん問題がくるのです。それで、あまり理解できないのですが、タラッパンでしばしば福音を強調する理由があるのです。本当に不思議です。私たちは大丈夫だと考えたのですが、後ほど見れば家庭もこわれて問題がくるのです。それで、私は見ながら重大な決断を下しました。私が強く話して子ども達、孫たちに、全部、韓国に帰ってくるようにと言いました。完全に整理をして、来週に息子も帰ってきます。皆さんが今、米国に送ろうとするのですが、私は帰ってこいと言っています。福音という祝福訓練が正しく出来なければ、大変なことになるということで判断をしました。ところで、本当に不思議なのが、この話を、どのように言っても聞き取れないのです。どれくらい不思議なことでしょうか。それで「これが体質のためなのだな」と思いました。みなほろびながらも知らないのです。そこに少し習ったことがあれば、それを持って高慢になって、より一層だめです。そこに答えを受けたのが少しあれば、その答えのためにより一層だめなのです。それで私が得た単語が10年前にレムナントでした。そして、今、子ども達を福音で育てなければ、未来がないと思ったのです。そうしたら、ある人が「先生、それでは、私たちの年齢の人は、どうしたら良いのでしょうか。年を取った私たちは、何の希望もなくて、どうしますか?」と言いました。希望がただ一つあります。それで、聖霊充満をずっと受けなければならないのです。そうすれば、ずっとみわざが起きます。なぜ聖霊充満になるべきかというと、今までの私の体質のためにだめだからです。それで、少しだけ祈れば良いということが、この話です。今、レムナントだけではなくて、皆さんも本当に祈りの答えを受ける祝福を味わわなければなりません。それでは、どのような生き方をすべきでしょうか。
■序論で、とても重要な部分が一つあります。Uテモテ2:1で、そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。この部分がとても重要な言葉です。この言葉は、何の話なのでしょうか。私たちは神様がキリストを送ってくださって、すべての問題を終わらせてくださったということです。ところで、しばしばだまされて、この祝福を捜し出せないのです。それで、レムナントと皆さんが記憶しなければなりません。Uテモテ2:1に、「わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」と言われました。これがとても重要な言葉です。すでにみな終わってしまったのです。ところで、捜し出せないでしばしばだまされているのです。信仰生活で、この一つだけ正しく理解すれば、答えがみな来るのにそうなのです。すでに神様の子どもです。そして、特に青少年はレムナントです。まちがいなく、21世紀の主役です。みな終わらせたのです。そして、「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」と言われました。強いという言葉は、何の意味なのでしょうか。今は、この部分に確信を持って力を得なさいということです。間違いない事実です。大人たちはさらに同じです。今は、祝福で与えられたことをみな味わう恵みがあることを希望します。それでは、神様が私たちに何を与えられたということなのでしょうか。ローマ8:2で、罪と死の原理から、すでにあなたがたを解放したと言われました。ヨハネ5:24に死からいのちに移ったと言われました。ところで、これを捜し出せないでいれば問題になるのです。すでにみな終わったことなのにもかかわらずということです。今日、皆さんに今まで受けた答えが多いでしょうが、新しく力を得る祝福の時間になることを希望します。なぜ確信しなさいと言うのでしょうか。確信しなければ、暗闇の勢力に負けます。「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」この話は、霊的な力を得なさいということです。霊的な力を得れば、みな得るようになっています。こういう祝福をすでに与えられたのです。それでは、三つのことで本論を話します。
■この祝福を捜し出そうとするなら、生き方はどのようにすべきでしょうか。どのように生きれば良いのでしょうか。そして、私たちの規律をどのように作っておくべきでしょうか。そして、レムナントが持たなければならない習慣をどのようにすべきでしょうか。このように答えを出して、レムナントが祈りの答えを受けることを始めなければなりません。事実、レムナントだけではなくて、大人たちが先にこの恵みを受けなければならないのです。生き方をどのようにすべきでしょうか。聖書に確かに話をしています。よく知っている本文です。兵士です。そうしたら、すばやく捕えられる感覚があるはずです。そして、競技する者と言いました。そして、農夫と言われています。確かに神様が生きておられて世界を征服しておられるのに、なぜ私には答えが来ないのでしょうか。今日、病気にかかっている人がいるならば、癒される恵みがあることを希望します。人は病気になれば、どんどん弱くなります。聖霊充満を受けなさいという言葉は、飛び越える確かにみわざが起きるのです。どのように生きれば良いのでしょうか。その生き方を今日の本文で話しています。兵士、競技する者、農夫と言われています。簡単に話をしなければなりません。霊的な戦いを始めましょう。そうすれば勝利します。霊的戦いを始めましょう。一般の人々は聞き取れません。問題がどこから開始するのでしょうか。霊的な戦いをする対象者から開始したのです。簡単に話せば、問題が神様から開始したのではなく、サタンから開始したのです。問題が神様がくださったのではなく、私たちの肉体のために開始したのです。この問題が神様を離れた大きい災いのために開始になったので、霊的な戦いを戦いましょう。そうすれば、答えの大きい門が開かれます。今日、皆さんの家にあるすべての暗闇の勢力が、イエス様の御名で砕かれることを希望します。間違いありません。聖書の中にだけあります。なぜ先進国がどんどん難しくなるのでしょうか。霊的問題です。お願いします。皆さんの子どもがこれを悟れなかったら送ってはなりません。そのままやられてしまいます。英語のためにおもに送るのですが、私が来年からは決断を下しました。タラッパンに伝道学校、神学院を作るように、全国に英語幼稚園を作ろうとしています。中学校に行ってからでは遅いのです。中学校では遅いから幼稚園から3〜5年、本格的にしなければなりません。なぜなら、タラッパンには英語が上手なメンバーが多いのです。わざわざ子どもたちを英語のために送りだして問題が来なくてよいほど、準備ができています。すでに呼べばいつでも来ます。それで、来年から本格的に作る計画です。そして、本格的に宣教幼稚園を作って数年間、教えなければなりません。わざわざ米国ま行かなくても話ができるように。
■ある政治家は、米国の悪口をたびたび言いますが、それは誤った考えです。それは、大院君時代の発想です。なぜなら、150〜200ケ国の天才が、今、米国に集まっているからです。それでは、それを嫌わなければならないのではなくて、子ども達が話をして対話ができるように入っていかなければなりません。なぜ米国のように発展した国が崩れるのでしょうか。霊的な問題です。知識人ならば、知識人らしく理解しなければなりません。なぜ日本に霊的な問題が多いのでしょうか。これのためにです。それで、レムナントを見て言う言葉が、パウロがあなたは霊的な兵士だと言いました。その話は、霊的な戦いをしなさいという言葉です。そうすれば、勝ちます。すでにみな来ているためです。目が開けば、みな答えを味わうのですが、レムナントにはすでにみな来ています。ある奴隷が家族と住んでいたのですが、別れるようになりました。あるお金持ち人がみな買ったのです。自由を与えました。そうしたら、自由に家族どうし、事を成すべきなのに、バカのように歩き回って昔の主人にまた捕えられたのです。行く理由がありません。お金をみんな払って出てきたのに、主人が来いと言ったからといって行く理由はありません。ところで、ただ習慣のために、主人が呼べば急いでついて行きます。仕事をしろと言われるのでまたするのです。私たちが信仰生活をこのようにする可能性があります。みな返したのに、また返しに行くのです。十字架ですべての呪いをみな解決してしまったのに、またそこに行ってお手伝いをするのです。どのようにすれば良いのでしょうか。霊的な戦いをしましょう。霊的な兵士です。今日、悟れば勝利するでしょう。率直に、皆さんの家系に長くある霊的な問題が、イエス様の御名で崩れることを希望します。次の言葉は、選手、競技する者です。簡単な話です。善良な戦いをしなさい。信徒は戦いが上手でなければなりません。しかし、肉体の戦いをするのではなくて、霊的な戦いをしなければならないのです。必ず戦おうとするなら、善良な戦いをしなければなりません。競技する戦いは、殺す戦いではなくて自分自身が先に走って勝つ善良な戦いです。農夫とは何でしょうか。私と他の人を生かす戦いをしなければならないのです。この戦いが大きい答えを受けられる私たちの生き方です。レムナントが行く所に、他の人も生かされることを希望します。レムナントが行く所に善良な戦いが起きることを希望します。さらに重要な霊的な戦いが起きることを希望します。そのために、レムナントが契約を記憶して、聖徒たちもこの戦いをしなければならないのです。
■それと共に何と言われているでしょうか。Uテモテ2:2に、「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」それと共に「主はすべてのことについて、理解する力をあなたに必ず与えてくださいます」と言いました。今からレムナントは挑戦しながら行かれなければならない重要な規律があります。今から一番だめになっている祈りに挑戦しましょう。霊的な戦いをしようとするなら、祈りで規律を持たなければなりません。さっき話をしました。定刻の祈りをするか、定刻の礼拝をするか選択しましょう。これをすれば答えがきます。答えが来たら、うれしいのです。答えられれば、自然に復興します。そして、祈りの答えを受ける人と受けない人は、確かに話が違います。違わざるをえません。そして、祈りの答えを受ける人は、礼拝時間がとても重要ですが、受けない人はそれほど重要ではありません。そして、答えがくれば、すべての門がみな開かれるのです。これが常時祈りです。それでは、今日、礼拝する時間は、6日間に神様の祝福があふれるメッセージとなるのです。重要なのは、レムナントが行く前に神様のみわざが起きるのです。
■礼拝する時間は何の時間なのでしょうか。神様に栄光を帰す時間です。礼拝する時間にメッセージを捕まえれば、神様の聖霊が働かれます。今日、この席で礼拝をしているのに、皆さんの現場に神様が主の天使を派遣される時間です。この3つがこの時間です。それでは、今これが間違いないならば、ものすごい益がある時間です。皆さんがここに座ってアーメンとみことば受けて、祈って賛美をするのに、神様はこの時間に栄光を受けられ、聖霊で働いてくださって、現場に主の天使を派遣される時間なのです。どれくらい驚くべきことでしょうか。それほど皆さんは驚いていないようですが、どれくらい驚くべき話でしょうか。お金を儲けようと命をかけるのに、なぜここには命をかけないのでしょうか。お金を儲けようと命をかけるでしょう。ある人はお金を儲けようと、詐欺もして嘘も言います。ところが、これとは比較にならないのです。私たちの教会とタラッパンに伝道運動をしながらこの祝福が集まれば、お金は付いてきます。私は祝福をしたいのです。レムナントは、お金について行くのではなく、お金がレムナントに従ってくるようにしましょう。このように生きれば良いのです。レムナントは、世の中をついて行かずに、世の中が付いてくるようにしましょう。そのために答えを受けなければならないのです。そのために規律をそろえなければなりません。そして、とても良い本を選んで読みましょう。
■レムナントはこのように生きなければなりません。とても良い本を読みましょう。皆さんはキリストを分かるから、本を見れば違います。そして勉強は専門性を持ちましょう。誰がなんと言っても、これがレムナントの規律です。そして、世界福音化をしなければならないから、この時間に運動もしましょう。健康でなければならないためです。こういう規律をそろえるのです。こういう生き方をすれば、驚くことが起きるでしょう。そして、レムナントは今はこの契約を捕まえて、ずっと祈っていれば、ある日、専門化になることが行われます。これが重要です。ずっとこの恵みを受けていれば、ある日、事件が起きて専門化になってしまうのです。レムナント1人が専門化になってしまえば、直ちに世界化になってしまうのです。この世界化になる時、福音化が起きるのです。あなたが証人の前で聞いたことを、また他の人にゆだねなさい。これはレムナントを見て言う話ですが、大人たちは、はやく理解をしなければなりません。これが皆さんの規律にならなければならないのです。そうすれば、主はすべてのことについて、理解する力をあなたに必ず与えてくださいます。神様は、どれくらい良い神様でしょうか。私は時間がないから、これだけしたのに、答えをくださいました。皆さんが車に乗って行く時「神様が今日、私が行く道に栄光を受けて下さい」本を見る必要はありません。一人で定刻礼拝をしましょう。皆さんがよく知っている賛美をしましょう。私はおもに446番を歌います。私が一番好きな賛美です。その賛美を歌います。それと共に、みことばを今日に合うみことばをいくつかを定めて祈りをするのです。どれくらい良いかわかりません。こういう生き方が規律になれば、後ほど重要な習慣が出てきます。それで、これを味わってこそ、レムナントが行く前にすでに神様が答えてくださいます。これがこのようにできないならば混乱がきます。うろたえている必要はないのですが、混乱がくるのです。それで、神様の子どもが本当に受ける祝福が何か、行ってみればすでに主の天使が派遣されているのです。今日、私たちは礼拝して賛美するように見えるのですが、聖霊が働かれる時間です。今日、聖歌隊のすべての皆さんに不治の病が癒されるように願います。それが聖霊の働きです。どれくらい大きい祝福かわかりません。レムナントは、この祝福を必ず味わわなければなりません。
■最後に、皆さんはどんな習慣を持つべきでしょうか。ここにとても重要なことが2章1節をもう一度見ましょう。「わが子よ」皆さんは今から一番良い習慣を持つべきですが、それが人間関係です。レムナントは、人間関係をいくつか考えなければなりません。必ず本を読む時は、重要な人に会うと考えて読みましょう。新聞もニュースの種をあらまし見て、皆さんが必ず会わなければならない人がいるならば、新聞を読んでみましょう。とても役に立ちます。これが皆さんの生き方で習慣にならなければなりません。一番重要なのが人を通してみな行き来するのです。レムナントは、3つのことを銘記しなければなりません。皆さんが受ける基本的な祝福ですが、少しだけ規律をそろえて、少しだけ人間関係を良くすれば成功します。レムナントは、周囲の人に助けを受けようとせずに、仕えるために人と付き合いましょう。仕えることが重要です。そして、無条件に仕えてはいけないから、レムナントは分別しながら人間関係を持ちましょう。皆さんの信仰を落とす人がいるから、分別しながらつきあいましょう。四番目です。レムナントは専門性を持って人間関係を持ちましょう。皆さんが大きくなるためには、大きくなる人に会うのが最も早い道です。ある人が、お金を儲けられなかったのですが、偶然にお金をよく儲ける人に会ってお金をよく儲けるようになりました。絵を適当に描く人が、正しく描けるようになるには、正しく絵を描ける人に会えば良いのです。これがすべてであるから重要です。人間関係で、人に会うことが全てを左右します。皆さんがここにとても良い習慣を持っていてこそ、これが形成されるのです。今から未来を共にする人に会うでしょう。そうすれば、神様の門がたくさん開かれるでしょう。皆さんがしばらくどこかへ行くようでも、そうではありません。未来と関係があるのです。レムナントが、今は未信者、信者を分けずに、世の中のビジョンを共にする人々に会い始めましょう。そして、最後に私たちは隠された祝福があるから、福音ビジョンを共にする人々に会いましょう。ここですべての成功は左右されます。重要な人が皆さんを見て「わが子よ」と言いました。レムナントが行く所に重要な人々が見て「わが娘のようだ」と言います。これが何と関係があるのでしょうか。皆さんが普段に生きる習慣と関係があるのです。習慣でギャンブルをする習慣を持てば、絶対にこのように会えません。無条件に遊ぶ習慣を持てば、このようなことが起きません。それで、レムナントの生き方、規律、習慣は全世界を征服することができるのです。すべてのことについて、理解する力をあなたに必ず与えてくださいます
■今日、レムナントがこの戦いが開始されることを希望します。すでに全てが与えられました。今からは、この戦いをして規律だけそろえれば、答えの門が開かれます。それで、これを発見してみましょう。礼拝をささげる時ごとに、感謝しつつ主の庭に入り、王が呼ぶ時、臣下が行く時に喜ぶように、礼拝の時、感謝しつつ主の庭に入りながら。今日、皆さんがそのような祝福を受けたので、信じる時、神様は驚くほど、皆さんの現場に働かれるようになります。それでは、次の聖日に証しをすることしかありません。そうすれば、次の人に会った時、証しをするようになります。そうすれば、聞く人の信仰が育つのです。これがなければ、皆さんが証しをすることもありません。それでは、皆さんに会う人が試みにあいます。ある人は、話をすれば信仰が生まれる人がいます。ある人と対話をしてみれば、残っていた信仰まで飛んで行きます。やっと一つ捕まえている、糸のような信仰さえ落とす人がいます。私はその人が一番悪い人だと思っています。少し力がなくても、教会でその人に会うと信仰が生じ「そうだ、私がたとえ弱くても、私も祈らなければならないな」こういう気がしなければなりません。「そうだ。私が揺れずに、私が主を見上げなければ」こういう信仰が生じなければならないのです。それで、私がまた他の人を教えて、証人の前で忠実な人にゆだねましょう。このように生きれば、私も生かされ、あなたも生かされ、みな生かされるのです。感謝しつつ主の庭に入りながら。その時代には、それがすべてでした。感謝しつつ主の庭に入れば、礼拝する時間がすべてです。今日、皆さんの悩みが何でしょうか。この祝福で解決されることを希望します。すべて与えられました。私たちはしきりに何か問題があるのでしょうか。策略にしばしばだまされるのです。皆さんがどれくらい貴重な祝福を受けた人なのか知らずに、しばしばだまされるのです。皆さんが神様の子どもとして祝福を受ける人なのに、しばしば人間主義を使いながら、しばしばだまされるのです。それで、しばしば策略に倒されます。自分自身が。おもに見れば、体質のためにです。背後を見ればサタンがだましているのです。「わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい」なぜなら、特別に体験をすることもなくみなきたからです。特別に感動を受けることもなく、みなきました。このようにそろえれば、皆さんはずっと答えを受けます。レムナントの隠れた生き方、レムナントの規律、レムナントの人間関係、こうすればずっとみわざが起きるのです。それで、皆さんはだまされなければ良いのです。ものすごい祝福をくださるのに、だまされるのです。みな来ているということです。また、なぜそのようなのでしょうか。私たちは体質も体質ですが、長くからある傷を(レムナントは注意しなければならない)持った人がいます。こういう人々を見れば、他人の否定的な部分が見えて非難する人です。なぜなら、傷が多いためです。答えをたくさん受ける人々を見れば、この反対です。他の人を祝福して生かすというけれど、傷が多い人々を見れば、否定的なことが先に見えるのです。こういうもののためにしばしばだまされるのです。言わないのですが、ここにだまされるのです。レムナントが自分とサタンにもだまされるのですが、しばしば傷と環境にだまされます。
■それで、キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。キリストにあって強くということは、何の話なのでしょうか。その言葉をだれが聞き取れないのでしょうか。それを反対に考えてみなければなりません。子ども達が外に出て行けば、何と言うでしょうか。出ていく時に何と言うでしょうか。道路に出て行けば、何と言うでしょうか。「船に気を付けなさい」このように言うでしょうか。船もないのに、何の舟に気を付けるのでしょうか。子どもたちに「出るときに牛に気を付けなさい」と言いますか。外に出る時には、「車に気を付けなさい」と言います。車が行き来するためです。キリストの中にある恵みの中で強くという言葉が何の話なのでしょうか。皆さんを弱くさせる条件があるということです。恐れをなさずに、霊的戦いを戦いなさい。恐れをなさずに、善良な戦いを戦いなさい。恐れをなさずに、生かす戦いを戦いなさい。それでは、これをどのように持続をすべきでしょうか。はやく規律をこのようにそろえましょう。そして、レムナントだけでなく、すべての人々は人間関係をこのようにして行かなければなりません。そうすれば、世界を征服する、すべてのことについて、理解する力をあなたに必ず与えてくださいます。この祝福がすべてのレムナントに、すべての聖徒たちにあるようになることを希望します。今、共に礼拝をする、衛星を受ける教会、そして、すべてのインターネットでみことばを聞くレムナントに、祝福があふれ出ることを、イエス様の御名でお祈りします。隣の人の眠気も起こすのをかねて祝福しましょう。「だまされるのをやめましょう。私たちは証人です。霊的戦いに勝利しましょう。善良な戦いをしましょう。生かす戦いをしましょう。」勝利するように願います。

<契約の祈り>
神様に感謝いたします。だまされないように目を開いて下さい。環境のためにだまされないようにさせて下さい。この環境を祝福にする力を与えて下さい。私たちの過去を新しくさせる力を与えて下さい。私の弱点を祝福に変える力を与えて下さい。そのために、霊的戦いで勝利する私たちのレムナントと聖徒になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン