2006年11月12日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/私の目は主のみことばを
(詩119:81〜88)

■多くの人々が、韓国は危機だと話します。外交関係、北朝鮮核の実験、経済も危機だと言うのです。このような時、私たちはどのようにすべきなのでしょうか? 聖書で最も困難に会った人たちが言う言葉が、私の目は主のみことばに向かうということです。神様のみことばを見れば、そのように危機でもありません。私が見るには、危機ではなくむしろ良い機会です。これまで私たちのバブル経済が、どれくらい危険なことかも知るようになり、私たちの学生たちがほとんど知らなかった共産主義の思想もどのようなことか知るようになって、私たちが政治家のために祈らなければならない理由も発見するようになり、いろいろ良い機会になっています。神様は聖霊に感動を受けた人々に、神様のみことばを与えられました。そのみことばの中に全てがあります。特に今日の本文は、困難に会った時のみことばです。それで神様は、みことばを持った者にご自身を現わして事を成し遂げられたのです。詩篇119篇はとても長いです。何節まであるのかを確認してみたことがありますか? 何と176節まであります。ところが、ユダヤ人はこの176節をみな覚えたのです。後ほど捕虜から解放された後に記録されたのですが、捕虜の時は、いつも隠れて覚えていたということです。それも13世紀、14世紀になって何節ずつかに分けられたので、その時はまるごと覚えたのでした。どのように、この長いものをみな覚えたのでしょうか? それだけ、みことばを正しく捕まえたのです。前に私が話をしたことがあります。
■皆さんが長い詩篇119篇を理解しようとするなら、このように理解すれば良いのです。市中に行けば聖書百科事典が売っています。それを翻訳する時、全国にいる学生たちが分けて翻訳をしたのです。もちろん、監督は教授がしました。私がAの部分を翻訳するようになったのでした。ところで、翻訳していたら、とうてい分からない文章が出てきたのです。この前申し上げたように、アクロスティックという単語が出てきたのです。「ACROSTIC」という綴りですが、これが何の話かわかりませんでした。分かってこそ翻訳ができるのではないでしょうか。アクロスティックとなっていて、また下を見るからアクロスティックスタイルとなっていました。これがとても重要なことなのに、私がよく分からなかったのです。普通の英語の辞典にはありませんでした。それで、大きいウェブスター辞典を見たら、少し出ていました。アクロスティクスタイルが何なのかしたところ、韓国語で翻訳されていました。踏冠体となっていました。踏冠体とは何か? と漢字を見たら、「踏」とは踏むという字です。「冠」は頭にかぶる冠で、体は字ということです。期限の中で翻訳をすべきなのに、とうてい何の話かわかりませんでした。それで、その部分のために全体を解釈できなかったのです。それで釜山大の国文科教授に電話をしました。踏冠体は何かと尋ねたら、自分も知らないと言われました。国文学者も知らないのに私がどのように分かるのでしょうか。一週間ほど苦労をして、だめなように思えたので、ブリタニカ辞典を引きました。しばらく読んでいって分かりました。この言葉だなと思ったのです。とても重要な言葉でした。
■例えば、金大中大統領を短くしてDJと呼びます。金泳三大統領を短くしてYSと呼びました。そして、YMCAは'Yong Men's Christian Association'の先頭の字を取ったものです。これが踏冠体です。私たちがいつも多く使っているのですが、その時に分かったのです。多くのことを覚えられないから、先頭の字だけ覚えること、それがアクロスティクスタイルです。それが何の話なのかというと、イスラエルの人々が困難に会った時、聖書全体を覚えたのですが、先頭の字だけを記憶して、ずっと歌を歌って覚えたということです。私たちが試験勉強をする時も、先頭の字だけ覚えて記憶するのですが、この重要なことを私が知らなかったのです。詩篇の長い文はそうなっていたのでした。
■それでは、詩篇119篇は、神様のみことばに関することなのですが、176節もあるのは、その中にすべてあるということです。その中で今日はとても困難に会った時、捕虜になった時の話です。このような時、私たちはどのようにするのでしょうか? 聖書によく出ています。今日、私たちが最初に考えなければならないのは、苦しみにあって絶望して失敗する時、どのようにするのでしょうか? リストラされたり、死の危機がきたり、また破産したり、本文の状況よりはあまり難しくないでしょうが、こういう状況で私たちはどのようにするのでしょうか? とても重要な答えが出てきました。81節に見ると、「私のたましいは、あなたの救いを慕って絶え入るばかりです。私はあなたのみことばを待ち望んでいます。」と言いました。捕虜になってとても難しい状況だったのに、むしろ以前は考えることもできなかったみことばを見るようになったということです。82節、83節には、みことばを慕うのも疲れると言いました。
■私たちにとても大きい困難がくれば、みことばも読みません。このような時、何と言ったでしょうか? 主のおきてを忘れませんと言いました。私たちに大きな困難がくれば、聖書を読まなくても、みことばが思い出せます。85、86節にこういうみことばがあります。高ぶる者は私のために穴を掘り、偽りごとをもって私を迫害していますと言っています。その時、何と言っているでしょうか? あなたの仰せはことごとく真実です。その言葉を捕まえたのです。87節に、こういうみことばがあります。「彼らはこの地上で私を滅ぼしてしまいそうです。しかしこの私は、あなたの戒めを捨てませんでした。」そして、88節には「あなたの恵みによって、私を生かしてください。私はあなたの御口のさとしを守ります。」と言いました。イスラエルが捕虜になって困難に会った時ですが、どれくらい重要でしょうか。
■これは私と皆さんが必ず記憶しなければならないみことばです。どのようにすべきでしょうか? どれだけみことばを正しく捕まえるかということです。なぜならば、神様のみことばは聖霊の感動で与えられたみことばだから、皆さんがどれくらいみことばを正確に捕まえるかによって重要な答えが出てくるのです。皆さんは、だいたいこのようにすれば良いのです。ひとまず見れば、ケースごとに与えられたみことばがあります。それを正しく捕まえなければなりません。それで「私の目が主のみことばを」と言われています。この時、神様が私たちにどのようにしろとおっしゃるのか、みことばも捕まえるようになるのです。そうなってこそ、今日、私がどのようにしなければならないのか分かるようになるのです。そうでなければ、皆さんが難しくなって、からだも病気になって、ある時にはからだが病気になって問題がくるようになるのです。どれくらいみことばを正しく捕まえたのか、みことば捕まえたイスラエルが捕虜から戻るようになるみわざが起きたでしょう。
■この聖書は何でもないことのようですが、聖霊に感動したみことばを人に与えて記録するようにしたので、すばらしい奥義が入っているのです。それでヘブル4:12には、みことばは生きて力があると言われています。たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通して癒すと言われているのです。実際に、みことばを正しく受ける時に、霊肉とも力を得られるということです。ローマ15:4にこのように言われています。記録された聖書みことばは、今でも成就されるのです。それが聖書みことばの特徴です。永遠な神様だから、Iコリント10:11を見ると、このみことばは終わりの時に成就するみことばだと言われています。Uペテロ2:6を見ると、最後の時、模範として、鏡として、神様がみことばをくださったと言われています。伝11:11には、神様のみことばをよく捕まえれば、よく打ち込まれた釘のようになると言われています。イザヤ22章を見ると、そのよく打ち込まれた釘の上に、イスラエルのすべての栄光がかかるだろう。この部分がとても重要です。皆さんに困難が来なかった時もそうすべきですが、困難がきたとすれば、神様のみことばを正しく捕まえなければなりません。
■神様のみことばを違うように捕まえてしまえば困ります。信仰生活がよくできない人を見れば、神様のみことばを違うように捕まえます。私たちの目が神様のみことばをどれくらい正確に見て捕まえるか、これがすべてです。私たちは知らずに流すのです。皆さんが、今から過去を一度振り返って説教されたこと、長老が祈ったことを録音してみてください。驚くことです。そのまま成就しています。人々は知らずにいるのです。皆さんと同じ人なのに、油が注がれたしもべをここに立てて祈れば成就するということを人々は考えないでいます。しかし、普通、メッセージや祈りが右往左往する教会を見れば、いつも右往左往しています。講壇がとても律法的ならば、教会がとても律法的に変わります。しかし、時間がたてばあちこちで問題が起きるのです。そのまま成就します。人々は普通だと思ってのがすのです。皆さんが普通で過ぎ去るでしょうが、皆さん話すことも成就します。それは、皆さんの中から出てきたことだから、とても重要なのです。まして、神様のみことばを正しく捕まえれば、その時からは違ったことが行われるのです。神様の驚くべきみわざが起きます。皆さんがみことば正しく捕まえる祝福を味わうように願います。
■さらに重要なのは二番目です。確かに捕虜になっている人の胸にあるのは何でしょうか? それは明らかでしょう。いつ私たちは解放されるだろうか。これです。私と皆さんも全く同じです。いったい、これから私はどうなるのだろうか? これが良い意味でも、悪い意味でも気になります。地球上で人々が一番に占い師をたくさん訪ねて行きます。信徒はさらに難しいのです。占い師も訪ねて行けず、答えも受けられないで迷うのです。未信者は占い師を訪ねて行って尋ねます。それが当たるか、当たらないか以前に、訪ねて行って尋ねるのです。クリスチャンは、あれこれしてもだめで、尋ねることもなくて行くこともできなくて、ぼうっとなければなりません。皆さんはどう思っていますか? これから皆さんに起きることをよく知っているならば、どのようにすべきでしょうか? これがどれくらい大変で、重要なことでしょうか。私は一時、これが一番気になりました。私が学生たちを指導して伝道するのに、未来が分かって教えれば良いのですが、私にもできないのです。その時、本当に困ります。ある時に、ある国に行ったところ、重要な使命者が自分が子どもがお腹にできたと言いました。その家では必ず息子を産まなければならないということでした。そうしたところ、私を見て、牧師先生、息子でしょうか、娘でしょうかと尋ねたのです。二つのうち一つであることは明らかですが、私がどのように分かるでしょうか。その時は、本当に困ります。その夫もそれが一番気になっていました。病院では教えてくれません。この方もまじめな方だったので、心配していました。私がその家に行ったのです。この方たちは、とても立派な家によく暮らしている人でした。中国人なのに、邸宅に住んでいて、人々も礼儀が良くで、学がある方々でした。私がその家に行ってメッセージを与えたのです。「神様が必要なことは息子でもなくて娘でもない。神様が必要とする人は別にある。本当に神様はガイオのような人を必要とする。多くの事業家が必要だが、神様が本当に必要とする人はガイオのような人だ。」このように語ったのですが、夫婦が話合いをして、お腹の中にいる子どもの名前をガイオとつけたのです。これは普通の問題ではありません。名前をガイオにつけたのに、女の子が生まれたらどうするのでしょうか。本当に困るでしょう。
■チョン・ウンジュ牧師にこういう事がありました。ゴルフ場に行ったのですがが、ロッカーのキーを女子のキーをくれたのです。名前がウンジュ(女性の名)であるためです。女性のキーを持って男生のロッカールームで開こうとするので、いくらしても開きませんでした。ややすれば、そのようなことが起こるところでした。その人がメッセージを捕まえたのです。すでにお腹の中にある子どもは決定されたのです。神様がその家に重要な使命を与えるために、とても賢い息子が生まれました。今回、私がフィリピン集会に行ったところ、わざわざ家族が挨拶しに来ました。子どもがとても賢いのです。福音を持って、契約を持って育つから、とやかく言う必要がありません。
■このように、私たちは気になります。未来がどうなるのかが分かれば簡単なのにということです。それでは、未信者は合うのでしょうか? 悪霊が悪霊とともに占って、悪霊とともにだますのです。とても重要なのは、サタンにだまされるから、むしろ大きい問題になるということです。それで聖書では、してはならないと言われたのです。私たちの勧士のおいであるソン・ジョンウンが、アナウンサー試験を受けるから祈ってくださいと言われました。静かに私を見る目の光を見て、私が答えを知っているように、あなたは合格したので心配しないでと言えば良いのですが、そのような言葉を言ってあげることができません。見ていて、私はアナウンサーになることがそれほど大変だとは知りませんでした。2人募集するのに、何百人が集まってきたのです。試験も1、2回ではなく、1次,2次,...5次,6次このような形であるのです。一段階上がる時ごとに報告してきました。今回、試験を受けるので祈ってくださいと言ってきて、それでずっと受かっていくのでした。ソウル・インマヌエル教会へ行きながら話をしました。最後の面接が残っていました。六人残ったが、その中で2人を選ぶということでした。みな落ちて六人が残ったのです。時間もなくて、門の前で私がこういう話をしてあげました。「今まではあなたに実力があったから、ここまで上がってきた。もう最後に、偉い人たちの前に行くからスタイルをちょっと変えなさい。賢くせずに従順にしなさい。今までは実力あるようにみな発揮したのですが、今はそのようにせずに、このようにしなさい。私たちの教役者、長老もみな祈っている。」と言いました。最後の試験を受けてきて言うのに、だめですということでした。なぜだめなのかと尋ねたら、ニュースのアナウンサーを選ぶのでなくMC側を選ぶから、自分ではないと言いました。私は祈る中にこういう気がしたのです。その中で一番可能性が大きいと思いました。釜山で契約職でアナウンサーをして、英語も上手で、福音を持ったレムナントです。一番良い条件です。そのような形で激励したのですが、確実な答えは与えられませんでした。この前、集会をしていたら、秘書が光州から電話がきて、ソン・ジョンウンがアナウンサーに合格したと言いました。それで、私たちのタラッパンに有能なアナウンサーが1人出てくるようになったのです。初めからこの話をしてあげたとすれば、どれくらい気楽だったでしょうか。君は合格する。何の心配もしないで良いと言えば良かったでしょうに、私たちは未来を正確に知らないのです。私たちはいつもこれのために心配して不安に思うのです。それで、皆さんは3つの中に入れば良いのです。神様は、今でも正確にみことばを成就しておられます。それでは、私がその成就するどの部分にいるのかが分かれば、その次のことが確実です。皆さんが聖書に見れば、伝道者が祈りの答えを受けたことがあります。それを見れば、私たちがどこへ行くかが分かります。私たちが悪霊につかれた者ではないから、悪霊のようには言えません。しかし、神様のみこころは知ることができます。
■二番目に、神様は皆さんの祈りに確かに答えられるから、その答えがどの程度きたのかを見れば、時刻表が分かります。それでは、神様は確かに救いの働きを今、成し遂げておられます。私が今、伝道スケジュールの中にどの程度来ているのかを見れば、その次のことを見れば正確です。例をあげれば、私の場合は、以前は現場で走りました。今は現場でなく、全国、世界を通いながら起こしているのです。それは確かに違います。スケジュールを見れば、その次のことが答で出てくるようになっています。皆さんが初めには努力をすべきですが、後ほどには、なるようになる段階がくるようになります。それを継続するならば、絶対的な段階がくるようになるのです。私の場合は、数年のスケジュールが組まれていて、絶対的な段階がきます。それでは、明日どのようにするか迷うこともありません。計画がみな組まれているからです。神様がそのように答えの門を開いておられるので、皆さんが確かにその中に入れば、まちがいなく答えの門が開かれます。これを知らずに信者がさまようのです。
■今日、皆さんが最初に捕まえなければならないことが、どんなことがあっても神様のみことばを捕まえましょう。さらに重要なのは、神様が私をどのように導かれるのか、そのみことばを捕まえましょう。イスラエルに奇跡が起こりました。ある日、神様がこの契約を捕まえて祈っているのに働かれたのです。皆さんがおわかりの通り、バビロンに戦争が起きました。そのようなことがあります。クロスという王がその国を占領したのです。そのようなことは、あるでしょう。ところで、おかしなことが起こりました。クロスという人が、狂ったように宣言をしたのです。理解できません。イスラエル民族を送り返しなさいと言いました。何の理由もなく。イスラエル民族が帰って神殿が作れるように準備して行きなさいと言ったのです。バビロンのヘルモン山にある木を船に乗せて川を使って行って神殿を作りなさい。奇跡のようなことが行われたのです。絶対に崩れないと思っていたバビロンがメディア・ペルシャ連合軍に崩れたのです。この事件をだれが止められるでしょうか。驚くことです。
■私がよく知っている長老1人は、軍司令官をされていました。この方がある事件が起きて拘束されたのです。それで国家の事であるから話せないのですが、重要な問題に引っかかりました。だから1審で死刑宣告を受けたのです。慶尚道の方です。そのお母さんが信仰が良い勧士でした。そのお母さんが、その息子の刑務所を訪ねて行ったのです。将軍になる時も来なくて、司令官になる時も来なかったのですが、この方が刑務所にいた時に来ました。長老に直接証しを聞いたのですが、そのお母さんがこのようにおっしゃられたということです。もうあなたは、福音を回復してみことばを捕まえなさい。他はどうしようもないのです。だから、神様のみことばを捕まえなさい。その言葉は、前にもいつも聞いた言葉なのに、普通の話ではなかったのです。長老がそのみことばを捕まえたのです。そのみことばを捕まえて祈る中に、驚くことが行われました。国家に関する話なので、内容は言えないのですが、刑務所の中で奇跡が起こりました。それで、特赦で解放されたのです。この方が長官もして、後ほど多くの証しをされました。
■私たちが神様のみことばを捕まえるということがどれくらい重要かわかりません。私たちは皆さんが今は神様みことばを捕まえることが最初で、このみことばを捕まえているならば、これから何をするのか正確に見えるようになります。今、私たちは釜山を生かさなければならず、レムナント生かさなければならない重要な祝福の中にきています。もう私たちは思いきりレムナントが訓練を受けられる準備を始めなければなりません。皆さんにそれをしなさいということではなく、みことばを捕まえてこそ、みわざが起きるのです。今日、皆さんがみことばを捕まえる祝福があるように願います。私たちが力がないのに、どうやって行って神殿をたてるのかと話しました。それでハガイ預言者はこのように話したのです。わたしが天と地と海を揺り動かす。私がすべての国を揺り動かす。主なるわたしの言葉だ。ハガイ2:4-17で、何度かそのみことばが出てきています。万軍の主はこう仰せられる。私たちが神様のみことばを正確に捕まえれば、未来が見られるのです。皆さんに今日からこの祝福が始まるように願います。さらに重要なのが三番目です。それが重要なのではありません。神様がより大きい神様の計画の中に皆さんに入って来なさいとおっしゃるのです。
■これから私がどうなるかではなく、より大きい神様の計画の中に入って来なさいということです。この中に入った人にみわざが起きました。何人かだけ選んでみれば知ることができます。こういう危機の時、エレミヤに何と言われたのでしょうか? エレミヤがまだ監視の庭に閉じ込められた時、「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を・・・。」神様はそのようにおっしゃられました。それと共に4節から9節まで見れば、イスラエルが回復して戻ってくるみわざが起きます。こういう神様の祝福の中に入りなさいということです。このみことばの中に皆さんの人生を植えなさいということです。どれくらい重要でしょうか。その時、もう一人の人物がいます。その中のもう1人がエゼキエルです。神様がエゼキエルを幻の中で、干からびた骨がある所に連れて行かれました。韓国のような墓ではないので、開けば全部見えたのです。この骨が生きることができるか? エゼキエルが何と答えたでしょうか? 主、あなたご存知です。主がすることができます。私たちにはできません。それでは、その骨に何をしなさいと言われたのでしょうか。みことばを預言しなさい。このみことばを聞いたら、骨が生き返ったのです。それが啓示です。言わば、私たちが神様のみことば受ければ生きるようになるということです。皆さんの事業に神様のみことばの力が現れられるように願います。だから、このみことばがエゼキエル47章を見ると、川に広がって海までみな生かすようになりました。神様が何とおっしゃられたでしょうか。イザヤに何とおっしゃられたでしょうか? 以前の事を記憶するな。わたしが新しい事を行う。起きて光を放ちなさい。そうすれば、闇が光に戻ってくるようになる。道を整えなさい。そして、万民のために旗を揚げなさい。そちらに万民が戻るようになる。そして、レムナント運動しなさい。彼らにインマヌエル福音を正しく教えなさい。そして、みことばで力を得なさい。ただ主を待ち望む者は、新しい力を得る。この中に皆さんが入らなければなりません。皆さんがこのように信仰生活すれば間違いありません。良いことがきたり、問題がきたりした時、何から確認しなければならないのでしょうか? みことばを捕まえなければならないのです。このような時に、どのようにしたのか聖書を見れば分かります。そして、そのような程度ではありません。このみことばを正しく捕まえていれば、未来が見えるようになります。そして、そのような程度ではないのです。神様の計画の中に私の人生を植えるのです。働きが起きます。私の目が主のみことばを、この祝福を全部受けられるように願います。
■泥棒らの特徴があります。その目は、お金だけが見えるのです。他人のことも持ってきて人も傷つけます。お金だけ見えるのです。それが、私の目がお金に向かってと言うのです。ですから、人を殺して盗みもしておかしなこともします。どのように、そのような人に神様がお金をくださるでしょうか。サウル王のように、私の目が権力に向かって、そうであるうえに権力が与えられても良いでしょうか? 権力が与えられたらだめです。私の目がみことばに向かって。皆さんがこの祝福を受けるように願います。ヨセフがここに決断を下しました。神様はヨセフを用いられました。王宮を捨ててモーセが決断を下したのです。この時、神様が用いられたのです。息子をくださいではなく、ナジル人を求めて決断を下しました。だから、みことばに正しく自分を植えたのです。するとハンナに答えが起きました。ダビデを見ましょう。ゴリヤテの前に出て行ってした話を見ましょう。私は万軍の主の名でお前に立ち向かう。だから、ダビデが重要な決断を下した時、どんなことが行われたでしょうか? ダニエルが獅子の穴に入ると死ぬと思っていても、一日に三回ずつ祈ったとなっています。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴは、このように話しました。私たちが火の中に入れば、神様が私たちを救い出される、しかし、そうでなくても私たちはそのようにはできない。その話は、火の中で入って死んでも、私たちはみことばを捨てられないということです。初代教会がこの決断を下したのです。
■私も一つ決断を下しました。神様、何で教会がこのように多いのでしょうか。どれくらい教会が多いかと言えば、一つの建物の中に教会が2〜3個もあります。ある商店街に行けば、教会が3〜4ケもあります。そこに入れば、商売人が両側で案内しながら大声で叫んでいます。夜に見れば、ソウルに十字架が本当に多いのです。それを見て、日本人は韓国は天国だと言うのですが、天国ではなく地獄です。ソウルにある教会に行ったところ、教会二つが一つの看板に名前を仲良く書いていました。何で牧師がそんなに多いのでしょうか。その時、神様に祈ったのです。私もすべきですか? このように多くの立派な牧師先生がおられるのに、私まで割り込んでしても良いのでしょうか? 最近は誰もがしようとするのに、私まで割り込んで公害を起こして良いのでしょうか。その時、私は神様に決断を下したのです。神様、伝道を正しくします。神様が最も望まれること。その祈りしたところ、神様がそのみことば成就させられました。今日、皆さんがみことばを捕まえてみましょう。どんなことが行われるでしょうか。皆さんに重要な祝福があるだけでなく、神様はすでにあらゆる事を準備しておかれたのです。今日、みことばを捕まえて終日礼拝する中に癒される働きも起きるように願います。皆さんのすべての病気が離れる時間を過ごすように願います。お祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。私たちに大きい契約をくださった神様、ありがとうございます。もう福音を受けた私たちがみことばを捕まえる祝福の時間が一生あるようにさせて下さい。今日一日中礼拝する中に、癒される日に、大きい力を得る日になるようにさせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2部/私の目は主のみことばを
(詩119:81〜88)


■特に私たちのレムナントに神様のみことばが臨むようになるように願います。神様が私たちに祝福をくださったのに、私たちが知らずにいることが多いのです。私は役員とも話したのですが、先週にTVを見ました。食卓の上に食べ物を当てるプログラムでした。見た方々もいるでしょうが、この食べ物が入れば、からだにあるガン細胞をみななくす。ただ一つ、ガン細胞を殺せるものだと表現していました。実際にネズミで実験したところ、ガン細胞の半分がなくなったという証拠も話しました。それとともに、突然に尹スンシン将軍が出てきました。尹スンシン将軍がそれを食べたり、お母さんや重要な人々に贈り物で送ったりもしたということでした。そして、女性にはとても良いことだと言いました。ずっと食べれば、子宮ガンにもならないほど良いということでした。いったいそれは何でしょう? ちょっと、そのうちに見せたらワカメでした。それがそんなに良いと告げていたのです。さらに重要なのは、その時からワカメを食べようとしても、ワカメがないのです。三食ワカメを食べなければならないと思ったのですが、目を大きく開いて見たところ、ワカメがありません。昨日も食堂に行ってワカメはないのかと尋ねたら、あったが無くなったと言われました。今日ひょっとしてと思って、我が家の朝も見たら、他はあってもワカメはありませんでした。とても安いものです。神様が食べ物の中にみんなくださったのに、私たちが知らずに食べられないからです。確かに問題をくださった答えを与えられているでしょう。私が思うには、地球のどこかにガンを直せる食べ物があると思っています。神様がご存知だから、確かに備えてあるでしょう。
■福音も同じです。私たちが正しく味わいさえすれば、答えを受けるようになるのです。詩119篇は、176節まであります。なぜ176節まであるのでしょうか? 主題はみことばなのですが、みことばの中に全てがあるということを説明したのです。そのうちで今日は81〜88節までですが、とても困難にあった時です。それで、1部礼拝の時に話したことを少し要約します。皆さんが本当に問題がきた時や重要な事件が生じた時には、必ずみことばが何と言っているかを確認しましょう。これ一つがとても大きいのです。特にレムナントは揺れずに聖書でどのように話しているかを確認しましょう。そうすれば、このみことばは、ヘブル4:12に生きていて力があると言われているように、働きが起きます。骨髄を刺して通すことさえするという言葉は、事実は病気も直すということです。ローマ15:4にある通り、今でも働きが起きています。そして、イザヤ22:20〜24のように、このみことばが釘のように打ち込まれれば、すべてのイスラエルの栄光、祝福がみなかかります。そのような程度ではありません。私たちのレムナントがみことば成就するスケジュールの中に入れば、必ず未来が見られます。「〜私がこのようにすれば良い」ピリピ4:7にある通り、あなたたちの心と考えを守られます。このように答えをくださいます。
■初めに勘違いしたのです。不思議に私がメッセージをすれば成就すると思ったのです。錯覚です。一度は、集会に行ったところ、古い紙を一枚持って来ました。「牧師先生、こんなことがありえるでしょうか。これは、牧師先生がこの前、私たちの教会に来られてなさったメッセージです。今、そのまま成就しました。」こんなことがあるのでしょうか? そのまま説教してきただけなのに、成就するのかと言いました。神様のスケジュールの中に入れば神様がそのような知恵をくださるのです。私たちがそんなことをよく知らなければ、高慢になるのですが、私たちがみことばと伝道スケジュールの中に入れば、全部、見えるようになっています。なぜなら、神様は確かにスケジュールを持っておられるためです。皆さんに問題がきたとすれば、いつでもみことばで答えを受けましょう。
■そのような程度ではありません。神様の大きい計画の中に私たち生活をささげましょう。その時、神様がこのようにおっしゃられました。「以前の事を思い出すな。わたしが新しい事を行う。」みことばを受けたイザヤにそのように言われました。「主のみことばがエレミヤに臨んで」何が臨んだのでしょうか。「あなたによってイスラエルが全部、回復して賛美となるだろう」皆さん、これくらいみことばの力は大きいのです。レムナントやすべての聖徒は、今日、みことばで癒される祝福があるように願います。それで今日の本文を見れば「私の目は主のみことばに向かって…」と言われています。
■レムナントであるので、それではこの祝福を私がどのように正しく味わうのでしょうか? レムナントは必ずこのまましましょう。詩篇を読んでみたでしょう。詩篇の特徴があります。詩篇は生活の中で書いたものです。ところで、詩篇の特徴を見れば、おかしな特徴が一つあります。ダビデが書いたもののほかは、ほとんど福音がありません。ここに私たちのレムナントは目を開かれなければなりません。ダビデがイエス様に関する預言を詩篇にいくつか書きました。それはダビデの詩です。その他の色々な部族や祭司長が書いたものの特徴は、福音がないということです。レムナントは、早くわからなければなりません。イスラエルが困難を受けた理由。この人たちのすべての文学作品や告白の中に福音がないのです。わかるでしょうか。詩119篇の間をいくら読んでみても、福音が出て来ません。レムナントは、これ一つだけわかっても良いのです。
■私が一番初めにロシアに行った時、博物館に行きました。天地創造からはじめて、多くの絵を貼ってありました。その時、瞬間的に「ロシアは完全にキリスト教文化なんだな!」ということを感じるようになりました。しかし、近くに行ってみたら、他のことを感じるようになりました。「ロシアは完全に福音が一度も宣べ伝えられていないのだな!」驚くことです。ロシア教会に対する作品が残っているロシアです。ある時にはイエス様が十字架を背負って倒れれば、後からある女が支えています。その人がマリヤです。このような形で変えてしまったのです。赤ん坊イエス様を抱いているマリヤに後にオーロラのような輪が太くあるのですが、イエス様は細いのがついています。霊的な目を本当に開いて見れば笑わせることです。
■その話を聞いて、ある人が「牧師先生、私はメッセージが良くて来ているのですが、我が家がみなカトリックです。だからあまり悪口を言わないで下さい。」と頼んできました。それで悪口は言わないと言いました。ところで、私に深刻に質問をしたのです。「カトリックが本当に誤っていますか? 本当に救いはないのですか?」このように尋ねました。それで、簡単に答えたのです。「失敗して聖書のとおりに信じれば救われるが、カトリック教理のとおり信じれば救いはない。」カトリックに通いながら失敗することはあります。仕損じて聖書のとおり信じることがあります。そうすれば、救われます。確かにマリヤに原罪がないと言ったことは原罪が何かわからないことです。絵で表現するのに、ある時はイエス様にはそのような光が一個あれば、マリヤは二つか三つあります。何かイエス様を力がない存在の赤ん坊にしておいて、マリヤを高めているのです。作戦がすごいのです。そして密かに戦略まで使っています。こういうものが、ロシアに広がっているのです。言わば昔にギリシヤの正教会が入って来たからです。間違いなく、共産主義は崩れてしまいました。
■レムナントが今日の午後に堅く捕まえなければならない重要なことです。それで特徴が、ヨーロッパも行ってみれば教会にたくさん通っても福音がないのです。詩篇を読んでみれば、特徴は、ダビデの他には非福音的なメッセージをたくさん記録しておいて読んだということです。それで問題がくるのです。それでは、レムナントに重要な三つを申し上げます。大人たちはもちろんですが、皆さんが祈りの答えを受けるためには、どのようにしなければならないのでしょうか。「私の目が主のみことばに向かって」みことばで福音を理解しましょう。これが最も重要です。3つのことを理解しましょう。皆さんが聖書を見るのに、聖書の流れを福音で見ましょう。二番目に、教会史を見るのにその流れを福音の目で見ましょう。次に皆さんに家庭と学校の中で起きるすべての事件と人を福音の目で見ましょう。これを継続すれば、レムナントは全く神経を使わなかったのに答えの座に来ているようになります。これが最初です。レムナントが理解しなければならない最初です。悔しい両親も福音の目で、理解できない家族を福音の目で見ましょう。とても残念な部分を福音の目で見ましょう。これによって、どれくらいサタンの戦略が大きくて怖いことかを知るようになります。私たちのレムナントがこのように理解したら、答えの座に向かって行っているのです。
■私が影島の東三第一教会に来て最初にどんな話をしたか記憶していますか? 一番初めに来るようになったのは、ここの長老一人が電話をしてくださったのです。初凉にある喫茶店で会いました。初めての対面であったのに、初めから何かありました。牧師先生、私たちの教会は牧師が必要だと言いました。開拓をしたが、信徒が結構、集まっているということでした。そして、釜山で多くの牧師先生が、私たちの教会に来ようと履歴書を出してきたということでした。絶対に高慢ではなく、長老にそれではその方たちにしてもらってくださいと言いました。履歴書を書いた人がいるのに、その人々がすべきではないかと言いながら、その方たちがみな来ないと言う時に連絡してくださいと言ったのです。その時になると言いました。これが初めての出会いの対話でした。なんだか私は強い人ではないのに、そのような対話が出てきたのです。二番目の電話が長老の電話でした。来て説教を一度してくださいということでした。できないと言いました。みな説教しようとするのに、なぜしないと言うのですかと尋ねました。「試験を受ける説教はできない。どんなに明白でも、説教が上手にできる場合も、できないこともある。私がする説教を長老が正しく分析することもできない。」と答えました。それでも聞いてみなければならないからと言うので、それでは説教をひとまず聞いてみなければならないなら、私たちの教会で副牧師だから説教している。その時にきて聞きなさいと言いました。長老がちょっと衝撃を受けたのか、そうですかと言いました。時間がなければ、担任牧師が外国に出て行かれた時に説教したテープがあるので、それを聞いてみてくださいと言いました。それで長老がテープ2ケを持って行きました。そして、電話がきたのです。牧師先生、私たちのすべての信徒が全員一致で牧師先生を迎えることに決めたと言いました。その時全員一致と言ったのですが、三十人余りでした。長老が強調されました。見合いする説教でなく、もう牧師先生を迎えることにしたので、顔を分からなければならないから、来て説教してくださいと言いました。その時になって、「分かりました。行きます」と言いました。そして、担任牧師に申し上げたのです。影島にある小さい12坪の教会から私に来てくださいと決めたのですが、どのようにすれば良いでしょうかと尋ねたところ、仕えていた牧師先生が、神様の計画であるようだから行きなさいとおっしゃいました。
■それで来たのですが、来たのが12坪でした。他人の建物の中。本当にタラッパン(屋上の間)を借りました。三十人くらい座ったら、ピアノを置く床が沈んで行くので、祈ったのです。それで、神様に祈りをしました。「神様、私がいくら小さいとしても、これは何ですか。建物もそうで。」そうしたら、朴長老の娘が幼稚園生でした。説教していたら、後にきて私の手を触ったりしていました。その話は、講壇の区分や、そんなこともなかったということです。その時、私が何の説教をしたのかというと、使徒27:24節の「恐れてはなりません。パウロ。あなたはカイザル前に立たなければならない。」そのメッセージを10月にしました。そして、その次の週から赴任してきたのでした。それで、すぐに集会をしました。その時にした話です。創世記から黙示録まで、福音だけ探して読んでしまえば、教会は奇跡が起こります。それだけ私たちが福音を知らずにいて、聞かなくなっているということです。今から聖書講解するから、創世記から黙示録まで神様が与えられた福音を理解だけしてしまえば働きが起きるだろう。その時まで私たちがサタンにだまされて生きていたのです。創世記と使徒の働きだけ講解したのですが、奇跡が起こりました。66巻を見ることもなく、創世記と使徒の働きをしたのですが、私たちの教会には世界的な人物が集まり始めたのです。
■レムナントは記憶しなければなりません。聖書の流れと教会史の流れを見るのも重要ですが、さらに重要なことは、皆さんに起きる事件を見る目を福音の目で見ることです。そうすれば、試みあうこともありません。ヨセフがいくら家庭環境が良くなくても落胆しませんでした。なぜなら福音の目で見たら分かるためです。悪霊につかれたサウル王を福音の目で見たら分かったのです。そうすれば、答えの座に来ています。これが皆さんの目が主のみことばに向かうというみことばの最も実践する最初です。レムナントだから、こういうメッセージをします。二番目です。みことばで福音を理解した後には、皆さん目が主のみことばで福音を味わい始めるのです。最も難しい時、神様のみことばを捕まえるように、これからは味わい始めるのです。どのように味わうのでしょうか? レムナントは必ずしなければなりません。福音に関連する聖句を持って暗唱しましょう。レムナントだから、英語でしましょう。私が福音に関係した聖句30ケを暗唱したのですが、奇跡が起こりました。だから、私たちは実際にみことばを行うのです。この言葉がよく分からないでしょう。読んだのと聞いたのと暗唱したことは、天と地の差です。ところで、私たちは聖書の何でもを暗唱するのです。福音と関連あることを暗唱しましょう。これを暗唱してみましょう。そうすれば、勉強もできるだけでなく、霊的にすばらしい働きが起きるでしょう。宣教団体にお願いします。福音と関連ないものは暗唱する必要がありません。暗唱をしたということは、とても重要な言葉です。何でも暗唱させる必要はありません。私が説教する時、聖書箇所をたくさん分かるようでも、30ケしかありません。残りのことは参考にすれば良いのです。ところで、参考にすることを覚えて、覚えなければならないことを参考にすれば、大変なことになるのです。それで、子ども達にも福音に関連した聖句を暗唱させましょう。何も知らなくて律法を持って無条件に暗唱させるのですが、それではいけません。福音に関連したことを暗唱させれば、選んでみれば約30個くらいになります。私はこれをしたのですが、どんなことが行われたのか皆さんがご存知でしょう。本当に起こります。私の目が主のみことばに向かうというみことばの中で、最も具体的な言葉を今、レムナントにしています。そして、レムナントがもう少し深みある聖句を英語で探して覚えれば、もし聖書に福音と関連した聖句を400〜500ケ覚えたとすれば、英語も極限に達するでしょう。これを暗唱しながら、とても小さいことから実践しましょう。一個ずつでもしましょう。そうすれば、驚くことが起きます。それで、こういう部分を持ってしましょう。
■このメッセージを祈りながら、こう考えました。私も少し違った分野に、福音に関連した深い部分に聖書暗唱をしなければならないと考えました。そうすれば、実践すると、小さいことから重要なのと連結します。そして自然になるはずですが、近い人に会えばこれをフォーラムと証しをするのです。このようにすれば良いのです。特別に伝道する必要はありません。皆さんが本当に答えを受けた部分を、実践して恵みを受けた部分を友人に話すのです。
■ポティファルがヨセフを見て、主がともにおられることを悟りました。皆さんの両親が皆さんを見つめて主が共におられるんだなと感じられなければなりません。ソウルにある家庭は、親が子どもを見て教会に登録することもありました。私達の子どもたちが信仰生活すること見て、本当に神様は生きておられると信じて教会に登録したのです。そのような証拠がきます。レムナントが大きくしようとしなくても、ちっぽけなことだけでも皆さんはいくらでも働きが起きます。このようにすれば、皆さんがもがかなくても成功の座に来ています。成功しようともがいて成功できるのでしょうか。レムナントは、他の人と戦う必要もありません。成功の座に来ているからです。レムナント7人を見てください。成功の座に来ていました。
■私たちはほとんど重要なのをのがしています。可能ならば、大人たちは1部で礼拝をささげて、2部はレムナントを集めて本格的なレムナントの話をするのが神様の計画ではないかという気がしています。なぜなら、レムナントはメッセージを聞いても適用するのが難しいのです。実際に適用する部分を話してあげなければならないためです。今日から家族、両親、すべての人を福音というメガネを正確にかけて見ましょう。福音と関連した聖書箇所を暗唱しましょう。皆さんは成功の座に来ているでしょう。
■三番目です。みことばで、今からは、福音の方向を定めるのです。その話は、歴史がそのまま流れているようですが、みな道があるのです。これをつかまなければならないのです。お金がそのまま行ったり来たりしているようですが、みな道があるのです。その町角に立っていれば良いのです。サッカーをする時、20人が走るのですが、ボールは一つです。優れた選手は、このボールがどこに行くのかをはやく見る選手です。だから全てのものには、みな流れがあるのです。それで、聖書の道しるべがあるのです。マタイ1:1にアブラハムとダビデの子孫イエス・キリストの系図とこういう福音が流れる脈があります。この隊列に立っていてこそ、教会が生かされるのです。レムナントがこの隊列を見ることができてこそ、ほろびません。
■私たちは、しばしば尋ねます。「あの人は一生、信仰生活をがんばったのに、なぜあのようにほろびたのか?」ほろびたのではありません。当然、この隊列に立たなかったのでそうなったのです。あの牧師は思い切り牧会をしたのに、教会はめちゃめちゃになって教会は分裂するのか。当然、他の列に立っていないためです。立派なこととは何の関係もありません。実力とは関係ないのです。聖書は、霊的流れがある霊的な道しるべがあります。創世記3:15に女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。言わばイエス様がサタンの権威をうち破られたのです。この流れがあるのです。このサタンは、死なないで今でも活動するから、今でもその流れがあるのです。
■三番目です。皆さんがする働きにも、今からそろそろ目を開かなければなりません。道しるべがあります。ローマ16:25〜27に、世々に渡って長い間隠されていたが、いまや現わされたと言われていますが、その脈が流れているのです。簡単に話します。インマヌエル教会は、どんな人々が集まったのでしょうか? 世々に渡って長い間に救われると定められていた人が隠されていたのですが、今や現わされたのです。これが歴史の流れる脈です。いくら大きい団体でmajorityといっても、ここに立てなければほろびるのです。それで、パリサイ人と中世教会がみな崩れたのです。わかるでしょうか?
■そして教会史。この教会史にも流れる道しるべがあります。使徒4:12キリストの名で話すなという言葉への返事です。世界中でこの御名の他に救われるべき名としては、どんな名も与えられていないのです。この戦いの流れ。これに乗ることができなければなりません。それでは、皆さんは征服の座に来ているでしょう。成功の座だけでなく、他の人を生かす征服の座です。これが神様の目的であり、恵みです。私たちのレムナントは、必ずこのようになるように願います。
■今日から一つずつしましょう。直ちに始めましょう。福音に関する聖書箇所を暗唱しましょう。これからどんなことが起きるのか見ましょう。ただ必ず福音に関連したものです。そうしてこそ、道を正しく行けます。道しるべを見間違えば、違うように行くのです。それで毎日、苦労するのです。どれくらい苦しいでしょうか。いくら教会に通ってもだめなのです。私の目が主のみことばに向かって…聖書でレムナントを見ましょう。特徴は、その目が主のみことばに向かっていることです。いくら家庭に困難がきても、ヨセフは目が主のみことばに向かっていました。今は完全に滅びて存在がなくなってしまう奴隷になった状態です。しかし、ひとりモーセを通してその目が主のみことばに向かっていました。神様がサムエルというナジル人1人を通して、その一言も地に落ちないようにすると言われました。
■おわかりの通り、いくら危険な状況にあっても、ダビデは詩78:71〜72を見ると、神様がダビデを祝福しておられるのですが、ダビデが神様に向かっていたのです。レムナント7人の特徴です。ですから、おわかりの通りエリシャを見ましょう。最後まで主のみことばに向かってU列王2章に、最後までついて行きました。神様がイザヤに答えを与えられました。神様がイザヤにどのようにすれば良いかという問いに、答えを与えられたのです。イザヤ40:6〜8草は枯れ、花はしぼむ。主のみことばは永遠に立つ。それを話しなさい。それで、パウロがUテモテ2章を見れば、テモテに話をした中で重要なみことばがあります。このみことばを忠実なものにゆだねなさいと言いました。そして、あなたは霊的に戦う兵士だと言いました。
■レムナントの皆さんは、瞬間、瞬間、聖書をたくさん分からなくても、神様のみことばを捕まえれば確かに働きが起きます。こういう答えを私たちすべてのレムナントと聖徒が受けるようになるように願います。レムナントにおもに話すから、大人たちは私たちとは関係ない話だと思うこともあるのですが、皆さんにはちょっと緊急なのです。牧師先生は、直ちにこの恵みを受けなければなりません。神様の祝福が皆さんにあふれ出ることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。今日からみことばの力が現れるようにさせて下さい。今日から答えと成功の座に立つようにさせて下さい。私たちのレムナントが征服の座に立つ奥義が分かるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン