2006年12月3日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/足のともしび、道の光
(詩119:105〜112)

■今日、足のともしび、道の光というタイトルでみことばを見ます。私が一度、時間をとって仏教放送を聞いてみました。ある僧侶が出てきて、生活に関する10種類を言いました。とてもレベルが高いことを感じました。心にも届く話をしたのです。すごいと思いました。もう一度は、天理教に行ってみました。信じるために行ったのではなく、何をしているか見るために行ったのです。本を一冊もらってきました。初めから最後まで、一つも違ったことは言っていませんでした。そして役に立つほどでした。健康に助けなる話も多かったのです。心配をよくすればどこに病気がきて、怒れればどこに病気がくるのか、とても詳細に一理あるように書かれていました。ところで、聖書は読んでみれば理解するのが大変です。さらに面白味もありません。これが問題です。一つを知らなければ、つまらない本が聖書なのです。重要な一つを知らなければ、ここにきて騒いでする理由がありません。騒々しいだけです。寺に行ってみてください。どれくらい静かかわかりません。カトリック聖堂にも行ってみれば静かで雰囲気も良いのです。
■ところで、教会は来てみれば騒々しいだけで、人々も変です。そして、一つを理解できなければ、賛美も全く理解できない内容です。さっき歌った82番の賛美も理解できないでしょう。「わが喜び、わが望み。わがいのちの主よ」そうでしょう? 「昼歌い、夜歌いて、なお足らぬを思う」本当にそうでしょうか? 未信者が見るなら、おかしな人々です。皆さんにも合わない歌を私たちが歌っているのに、未信者はさぞかしい大変でしょう。そして「慕いまつる飼い主よ。いずこの牧場に」このように、一つが分からなければみなだめなのです。聖書には7000個余りの約束が成就したのですが、最も核心は何でしょうか。このように生きて、あのように生きなければならないという内容もあるのですが、その話ではありません。善良に生きて、優しく正しく生きるのもあるのですが、その話ではありません。この話がわかれなければ、信仰生活に全部失敗します。
■ナポレオンという人は、何と話したのでしょうか。ナポレオンは、世界を征服した英雄の中の英雄です。どれくらい勇敢だったのか、彼が残した話の中には「私の辞書には不可能という言葉はない」とまで言いました。どれくらい立派な人物だったのでしょうか。ところが、この方が教会にきて聖書を見たら、全く分からなかったのです。ある日、ナポレオンが戦争で失敗しました。大きい危機が迫ってきたのです。そして、セントヘレナという島に島流しにされました。また、からだに病気もき始めたうえに、疲労も積もって、心がひどく重くなったのです。その時になって、ナポレオンが言った言葉です。「あの海の水は人間が流した涙であろう。あの風は人間がつくため息であろう」と告げました。
■ところで、よりによってナポレオンが戦った相手がイエスを信じる人でした。「キリストは全世界を征服したが、私は土地一坪しか獲得できなかった。」と話したのです。どれが本当のナポレオンかと尋ねたら困るでしょうが、事実は、セントヘレナ島で告白したのが物が分かった告白ということは確実です。勇敢に戦争をして、昇進していた時は、何か無我夢中だったのです。
■いったい聖書には何を話しているのでしょうか?今、イスラエル民族がみなほろびてしまい、捕虜になって読んだ詩です。捕虜になって、解放されて出る時までいつも読んだ詩です。どれくらい熱心に読んだのか176節を全部覚えるほどでした。なぜこのようになったのでしょうか? 皆さんがこれを知らなければ、ここに座っている理由もなくて、信仰生活もだめで、聖書にはなぜ理解できない内容が多いのかと言うでしょう。そして思い切り生きて、人生の最後には虚無感でみなだめになるのです。
■体面ゆえに、嘘をついてだましているのです。私が誰なのに、恥ずかしくて、正直になることができないのです。釜山で有名な医師がいるのですが、自分が病気になりました。病気になることはあります。ところで、この方の問題は、病気になっても誰も来ることができないようにしたのです。それが何でしょうか? そのように生きてきたのです。全てをだまして隠して、恥ずかしいから、そのように生きてきたのです。他人に良くない姿を表わせば恥ずかしくて申し訳ないと思うのです。知識人であるから、礼儀がなければならないと思っています。韓国で偉い方であったのに、他の人が分かれば困るではないでしょうか。それで、死ぬ時まで家族に頼んだのが、人が来ることがないようにしてくれということでした。最後まで恥ずかしいという言葉は言わずに、人が来ないようにしてくれということでした。そのように生きるのです。
■そこに対する答えを聖書が与えました。なぜこのように難しい問題にあうのでしょうか? これを知らないならば、皆さんの信仰生活は、どんどんとんでもないことをするようになります。それで、外に出て行けば、クリスチャンがおかしなことをして、他の人まで非難されるようにするのです。重要な内容を知らないから、人生にもとても失敗して、他の人に被害を与えて通うのです。他の人は、それがクリスチャンで、福音だと思います。重要なことを知らないからです。いったい聖書では何を言うのでしょうか。聖書で最も重要な問題は何でしょうか? それを7000個余りの約束を成就させながら、核として明らかにしています。とうてい理解できない話を聖書はしたのです。これが理解が良くできません。童話のような話なのです。
■ある日アダムとエバが暮らしていたのに、エバに近づいて来たものがいました。普段の時には、無事に過ごしている蛇がきたのです。この蛇がきて、エバに善悪を知る木の実を取って食べろと、簡単に言うと、神様と同じようになることもできると、色々なことを言ったのです。問題は、その話を聞いたのですが、その時から、ものすごい不幸が来てしまったのです。よく知らずに人を殺すのですが、同調すれば、最後まで隠して逃げ回らなければなりません。まったく私が間違ったといえば良いのに、それができないならば、隠さなければなりません。聖書には明らかにしているのですが、目に見えないサタンが蛇を利用してアダムとエバを倒してしまったのです。
■この頃、科学が発展したのに、サタンの話とは何か? 悪霊の話とは何か? 聖書がどうしたのか?と言います。ところで不思議なことです。一番発展した国が米国です。世界有名大学5000個が米国に集まっています。ハーバードを中心にして、最高の学校が集まっているのです。ところで、悪霊につかれた人14人が集まって作った運動がニューエイジ運動です。これが米国の文化、芸術すべての所を掌握しました。そして、米国の人口の半分が麻薬中毒になっています。いったいなぜそうなのでしょうか。それだけ、偉大な国なのに、そうなのです。
■日本に行ってみてください。どれくらい便利でしょうか。日本に行ったら、日本語が全くできなくても暮らすことができる程、便利にしてあります。他の国は、話をほどほどにしてこそ暮らせるのですが、日本では一言も言えなくても暮らせます。できるのです。食堂のメニューも、写真で作ってあります。指だけ差せば良いのです。どこでもそうです。チョン・ウンジュ牧師が「これを見なさい。本当に良くできている。」と言うほどです。どこでも、一つ一つ細かくしてあります。直ちにお手洗いから分かります。空港のお手洗いに入ってみてください。韓国では、どこでも私が持っている本を置いて手を洗う所がありません。足の間にはさんで落としたりするのです。日本には必ずあります。しかし、なぜ人口の中で家ごとに一人以上ずつ精神病者がいるのでしょうか。聖書で答えています。目に見えないサタンが神様を知らなくさせて、良いこともあれば絶望と滅びの中に落とそうとするのです。これを原罪と言います。
■原罪という言葉は、私が犯した罪ではありません。私が犯した罪でもないのに、どうしたのと尋ねても仕方がありません。奴隷の子どもがいくらたくさん生まれても奴隷であるように、そうなのです。倫理、科学と関係なく、皆さんの家に流れる霊的問題を解決することはできません。どうするのでしょうか? ヨーロッパは麻薬を隠れてする程度でなく、道で注射器を分けているほどです。精神病、エイズが広がっています。一番多いのが精神病者です。私たちの韓国には、ただで精神病者を検診して集める病院が70個なのですが、患者がみな順番に入ることもできません。道に出てきて歩き回る精神病者が多いのです。だから、人間に来る呪いと運命からは抜け出せないのです。とても否定的に見ているのではないかと尋ねるなら、嘘をつかないで見ればその通りでしょう。
■いよいよ私たちの韓国にも30%の家庭が離婚して崩れ始めました。米国や日本の家庭は2回以上が大半です。そして、一番商売がうまくいくのが何だと思いますか? ギャンブル、淫乱が一番うまくいくのです。正常な商売をする所は良くできません。
■人間は、自分の運命を変えられません。それで、神様は私たちに道を開いて下さると言われたのです。できないから、許して下さると言われました。そして、サタンから抜け出す道を作られたのです。その道の名前がキリストです。聖書旧約にずっと約束されました。この契約を捕まえた者に答えを与えると約束されたのです。これが聖書の約束です。この約束をあたえる重要な媒体が神様のみことばなのです。このみことばを握るので、私の足のともしびで、私の道の光だと言うのです。どうして私の足のともしびで、道の光なのか理解できなければなりません。人生で一度も行ってみなかった道を行くのに、どうやって行くのでしょうか。だいたい予測して行くのであって、正確には分かりません。それで未信者は占うのです。だから、どんどん悪霊にだまされるのです。
■それで、私の足のともしび、道の光になるのが神様のみことばだと聖書は話すのです。私たちは知らずに行けば、危機と滅びの道に行ってしまいます。それで、光がなければならないのです。それで、このみことばを見て、光について道を行きなさいと言われるのです。方法がないのではなく、暗くなっているので見えないのです。皆さんが真っ暗な夜に田舎に行ったら、車のヘッドライトを絶対に消してはなりません。消せば、大変なことが起きます。どこに落ちるか分かりません。一般的な光でもそうです。
■私は昔に一度、田舎に行きました。とても田舎でした。ところで、そこは夜になったら、暮らせないほどでした。全部、早く寝るのに、村が完全に真っ暗でした。釜山市内のネオンサインがきらめくところで住んでいたのに、そこに1ケ月間いたら、どれくらい真っ暗かわかりません。それで、夜に妹とお手洗いに行くのにも、ランプを持って行きました。そのように行くのに、水溜りをおおってあるところを知らずに踏んでしまったのです。ランプを持って、一緒に落ちてしまいました。それで、夜に火事が起こって大騒ぎになったことがあります。それで、私は母に田舎では絶対に暮らせない、暗くて生きられないと話したことがあります。肉体的なものもそうです。私たちが霊的に本当にまっ暗なところでさ迷っているならば、どうなるでしょうか。
■今日、私たちが重要な話をします。このみことばをどのようにしなさいということなのでしょうか。106節を見ると、このみことばを私は誓い、そして果たしてきましたと言いました。111節を見ると、主のさとしを永遠のゆずりとして受け継ぎましたと言われています。この時、この上なくひどい苦難から抜け出すようになることで、危機の罠で抜け出すようになるのです。これが事実ならば、そうなるでしょう。なぜ人間にこういう困難が度々くるのか分かる時、堅くつかむようになります。今日、皆さんが貴重な祝福を味わう恵みの時間を過ごすように願います。私は神様を信じない。ひょっとしてそのような人がいるとしても、その人のいのちを神様が治められるのです。
■未信者も話します。私たちの運命は天にかかっていると言います。ところで、この神様を知らないようにサタンが人間を滅ぼして暗闇に引っ張っていくのです。それで、私たちの人間は率直に救われる方法がないから、神様が道を開いて下さったのです。私たちは原罪、自分が犯す罪を解決する方法がないから、聖書が約束されました。十字架ですべての罪を赦す。運命が変わってしまうのです。とても重要な言葉です。
■昨年、米国の新聞に「米国の英雄」というタイトルで記事が載りました。それが何なのかと見たところ、この時代の米国の英雄だと女の人の顔が出ていました。読んでみたら理由がありました。米国で凶悪犯が脱出したのです。凶悪犯が脱出すれば、何かことが起きないでしょうか。それで、この凶悪犯が米国のあるアパートの地下に入ったのです。その地下で車から出てくる女の人1人を人質としてつかまえたのです。この女の人をつかまえて、銃をつきつけて脅しました。大騷ぎが起こったのです。ところが、驚くことが行われたのです。この女が静かに落ち着いてこの人に話をしたのです。本当に自分は神様を信じて、祝福を受けた神様のみことばを話したのです。不思議なことです。この人が神様のみことばを聞いて、自分も知らないで感動を受けたのです。それで、この人の説得を受けて、この凶悪犯が自首しました。その場で銃を捨てて出てきたのです。米国で警察官が拍手して、もちろん凶悪犯は逮捕されたのですが、その女の人がどうしてそんなにしたかと驚いたのでした。
■この前にもニュースと新聞に載っていました。前科20犯。刑務所を20回も通った人です。まともな精神状態ではないでしょう。5分間、移監する間に福音を聞いたのですが、自分も知らないで変化したのです。どのように、人の話で可能でしょうか。おわかりの通り、サンダー・シングという人も自殺しようとしたのですが、みことばを聞いて世界的な人物になりました。韓国でも1900年代に有名なやくざ、金イクドゥが福音を受けて普通の人になりました。単純な変化ではありません。
■この前にある青年が証ししました。これは科学的に理解できない話です。自分の耳にずっと何かが聞こえるということでした。精神が変になって混乱の中で陥ったと仮定しましょう。耳に聞こえる声があまりにも正確に聞こえるのです。どこと言われて、行ってみればあるのです。これで占いなった人が多いではないでしょうか。問題は、この人に悪霊がお父さんを殺せと話したのです。それで、この子が本当にお父さんを殺したのです。そして、どこかに逃げろと言われて行ってみると本当に家がありました。結局、そこで捕えられたのです。捕えられて刑務所にいたのに、ずっと声が聞こえたのです。お前はもうお父さんを殺したので、自殺しろということでした。お前がどのように生きることができるのかと言うのでした。これはどのように解釈するでしょうか。解釈する方法がありません。たわごととしても、あまりに話がぴったり合うのです。
■そのようなある日でした。窓越しにご飯をいれて刑務官と話をしたのです。本当に幸いなことに、この刑務官が教会に通う人ではなく、イエスを信じる人だったのです。教会だけ行き来する人が多いから言うことです。それで、その人に説明したのです。「君に度々おかしな声を聞かせている存在が悪霊だ。聖書が話しているのは、神様の息子が来たのは悪魔のしわざを滅ぼすためということだ。聖書にある話をどのように理解するか、わたしがあなたを救うだけでなく、悪霊を追い出す権威も与えると言われている。」ところで、それを話してあげ、イエスを受け入れて祈ったら、すぐにその声が終わったのでした。逃げたのです。その人がとてもうれしくて、その時から、中で他の人に福音を伝え始めました。いったい、これをどのように理解することができるでしょうか。
■この間も、台湾の宣教師にこのようなことがありました。教会の車を運転して道を間違って、大きい寺に入ってしまったのです。私たちならば、申し訳ありませんと出てきたはずなのに、この人は道をよく知らずにきたが、神様のみこころがあるのかといって降りて話をしたのです。僧侶と宣教師が話したら、実はこの僧侶が、そこでおつとめしているが、夜ごと苦しめられて押さえられて、どのようにすれば良いのかと尋ねたのです。それで、宣教師が福音を伝えました。住職を捕まえて祈ったのです。この住職が、イエス様を受け入れました。それほど夜ごと押されたことがなくなってしまったのです。この方がとても驚いて、宣教師を呼んで寺の後の部屋で聖書勉強をしたのです。そこでタラッパンをして仏教信者に見つけられてしまいました。なぜ僧侶がそうするのかと言われました。説明するのが難しいから、もう一度大騷ぎが起こったりしました。これを理解する方法はありません。世の中で医学的、科学的には理解できない部分がとても多いのです。
■時々、例外だと見られるのですが、とても多いのです。大韓民国に登録されたムダン(霊媒師)だけで30万人で、実際にみな合わせれば100万人を越えます。ここにもムダン(霊媒師)の子ども達がいるならば、知っているのではないでしょうか。子ども達の中に、同じように霊的問題が伝えられるのです。これをどのように解釈するのでしょうか。こういう部分に答える方法がありません。聖書だけに答えが明らかにされています。それなら、私の足のともしび、道の光です。それだけではありません。
■ウェルリスという人が、どんな人か知っているでしょう。なぜ度々私たちは聖書を持って聖書を信じるのかと、信じてはいけない理由を書き始めた人です。書いていてこの人に問題がきたので、また心を変えて書きました。その人が書いた作品が「ベンハー」です。正確に見てください。神様のみことばと福音が正確に入る国ごとに、時代を生かす祝福を受けました。福音がヨーロッパに入った時は、ヨーロッパが生き返りました。しかし、福音がなくなり始めたので、ヨーロッパが崩れ始めたのです。この福音を米国で主導した時は、米国が生き返ったのですが、今は米国に福音がなくなってしまいました。こういう福音運動が韓国に入ってき始めました。歴史的証拠です。
■ニーチェを知っているでしょう。牧師の息子です。この人が何と言ったのでしょうか? 神は死んだと言いました。そのような哲学者です。不思議に、よりによって若くして精神病で死にました。最後を記録したのを見れば、地面をはいながら神様を探したということです。真昼なのに、天を見つめながら暗いと怒鳴り続けたということです。これが彼の最後の姿です。そして、共産主義は神様がいないと言いました。そうするうちに、70年後にみなほろびました。どのように、このみことばを理解することができるでしょうか。ヘブル4:12。この祝福を皆さんが受けられるように願います。人が変化させられない多くのことと、自分自身もだめなことがどれほど多いでしょうか。すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしの所に来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。占いをすれば、卦が出てきます。運命が変わらないからです。イエスを信じたら、死からいのちに移したと言われています。
■だから、やくざの金イクドゥが牧師になることが起きたのです。1907年には、最高の復興の風を起こしました。シラソニという人物を知っていますか。その人の、本名は李ソンスンです。その人は、拳の世界では一番強かったということです。今まで拳のでは一番けんかが強かったということです。それでニックネームもシラソニです。それで、拳の世界だけで、ずっと過ごすようになりました。変化がすごかったのです。そうするうちに、この方が福音を受けたのです。福音を受けて、自らのすべての人生を変化させました。それでけんかをしたことをすべて清算して、ソウルでヨンラク教会に登録しました。信仰生活をどれくらい良くしたのか、後ほどには長老にまでなりました。そうするうちに亡くなったのです。
■これのように、神様がその人に変化を与えなければ、どのように人の心のとおりできるでしょうか。それよりさらに重要なのは、皆さんに隠れた家系の霊的問題は、理解するのが難しいのです。ここに答えを与えるのが福音です。この部分を見れば、その時から聖書が理解できます。そんなことをこの理解した人たちが歌った賛美であるから、その時から賛美も理解できます。今日、皆さんがこの祝福を味わうようになるように願います。今日、108節に何となっているでしょうか。「私の口の進んでささげるささげ物」言葉で、口で告白するのも成就するということです。それなら、神様のみことばはどうでしょうか。
■この前、TVを見ていて、一時間以上見たことがあります。歌謡舞台というプログラムでした。そんなに好きなことでもないのに、なぜ見たかといえば、過ぎ去った歌手の中で切なく早く死んだ歌手だけ出てきていたのです。おばさんの心をとらえたペホ、顔と歌が出てきました。落葉について行ってしまったチャ・チュンナク、ハ・スヨンなど、みな出てきていました。だから、思い出に浸ったのです。気を落として、恵みを受けながら見ました。ところで、この人たちが歌った歌の共通点があります。とても切なく痛恨な歌でした。人は、歌もよく歌わなければなりません。それだけ私たちが言葉がどれくらい重要かわかりません。したがって、考えがどれくらい重要かわからないのです。
■皆さん、この部分の聖書を理解したら、聖書の全体を見ながら、なぜ私がこの契約を捕まえなければならないのかが理解できます。今日、皆さんが本当に福音のなかで、皆さんの家庭の中に隠された問題が解決されるように願います。他の宗教が悪いということではありません。違っているということでもありません。キリストだけが解決できる霊的問題を言うのです。サタンの力に勝たれたキリストの奥義を記録したのが、聖書です。その話です。それで、皆さんがこの契約だけ捕まえて答えがくるのか来ないのか、一週間、体験するようになることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、福音の祝福を回復する日になるようにさせて下さい。それこそ、契約を堅く捕まえた勝利者の信仰を見るようにさせて下さい。私たちが隠している家系の問題と、家庭、個人の問題が解決されるようにさせて下さい。世の中で簡単に分からない霊的な問題が解決される日になるようにさせて下さい。私たちの子孫と家庭を倒す暗闇の勢力が崩れる日になるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2部/ Rtの前に照らす光
(詩119:105〜112)

■神様がレムナントの前に多くの光を準備されました。106節を見れば「私は誓い、そして果たしてきました。あなたの義のさばきを守ることを」と言われています。「守ることを、誓い果たす」これは問題がきた時のことです。皆さんに問題がきた時、神様のみことばを堅く捕まえなければなりません。ところで、必ず注意しなければならないのは光でたとえたということです。光のみことばを堅く捕まえるということは、福音のみことばを堅く捕まえるということです。これを記憶しなければなりません。皆さんは普通、問題がくれば断食をします。その時、解決されるように見えるのですが、解決はしません。その人は変わらないのです。自分だけのことです。ご飯を食べなければ良いように見えるのですが、違います。光の福音のみことばを堅く捕まえましょう。この言葉を、皆さんがわからなければならないのです。同じような話なのですが、違うのです。
■ある人は、問題がくればみことばを堅く捕まえるのですが、度々人のせいにします。それでは解決しません。この福音のみことばを堅く捕まえるということは、捕虜になって問題がきたということです。この時、福音のみことばを堅く捕まえましょう。みことばを堅く捕まえることより重要なことがあります。普段の時に福音のみことばを味わうことです。これができないので、問題がきたのです。レムナントの皆さんに一番重要なのが、この部分です。なぜ立派な人々が問題の中に陥るのでしょうか。問題が何か知らなくて、そのようにするのです。1部礼拝の時、話しました。サタンというものを全く知りません。それで、この福音を正しく知りさえすれば完全に解放されます。単に解放されるのではなくて、奇跡が起こるのです。ところで、なぜだめなのでしょうか? これが問題です。確かに問題が何か知って解放されて出ました。
■レムナントと全世界にいる神様の人々が覚えなければなりません。なぜだめなのでしょうか? 皆さんが問題も解決されて、解放されて、みな受けたのですが、実際に福音を味わわないのです。少しだけ味わえば良いのです。レムナントは、未来の心配をせずに福音を味わうことを、少しだけ味わえば働きが起きます。どのように味わうのかは後ほど話しますが、まず基本的に分からなければならないことがあります。皆さんが福音を受けたのに、考えと体質はそのままなのです。福音を持って味わえないのです。福音がない人がほろびるのは当然です。思い切り苦労して、困難にあうのは当然なのですが、福音を持っているのに味わえないのは、私が考えと体質がそのままあるからです。周囲の人々を見たら、そのまま持っているでしょう。ところで、持っている考え体質が正しい時もあるのですが、正しくない時がさらに多いのです。問題は、福音と合わない時が多いのです。それで、未信者と同じ状態に行きます。ある面では未信者よりさらに難しいのです。それで、判断をする時を見れば、福音がなく、そのままします。これをとても注意しなければなりません。
■今は何でもないような気もしても、福音を味わって判断していれば、その後に大きい答えが付いてきます。とても重要です。レムナントと聖徒たちは、必ず記憶しなければなりません。人のために福音をしばしばのがすのです。直ちに礼拝を終えて集まれば、人のために福音をのがしてしまいます。おかしな人も多いのです。そして、福音体質とは全く違う人々も多いのです。このような時、私たちは福音を味わえないようになるのです。福音を味わう日、奇跡の門が開かれます。福音的選択をした時、大きい答えの働きが起きるのです。私たちはおもに、人のために味わえません。おかしな人々が多いのです。ところで、教会に行ってみれば、おかしな人々が多くいます。職場にも多いのです。それまでは大丈夫です。教会におかしな人が多くても、見なくて信仰生活を良くすれば良いのです。少し見たくない人がいても、しかたなく見なければ良いでしょう。ところが、家に帰ってみれば、そうはできません。家に見たくない人がいるのに、見ないのは難しいのです。本当に大変です。豚ならば取って食べれば良いのですが、これはできません。豚より価値もないのに、取って食べれば大変なことになります。練習もしてはいけません。殺して死体遺棄をすれば、大変なことになります。豚肉はつかまえて、倉庫に入れてしまえば良いのですが、人は死体遺棄です。
■ヨセフを見れば、ヨセフはここでだまされませんでした。兄たちは、一言で最悪の状態です。どのように弟を殺そうとしたり、売り飛ばしたりするのでしょうか? ヨセフは全く傷つかないで契約を捕まえたのです。ダビデを見て下さい。そのような義父がどこにいるでしょうか。それでもだまされないで、かわいそうに思って祈りをしたのです。福音にいつみな逃してしまうのでしょうか。人のためにみな逃してしまうのです。そして、多いことがあります。仕事をする時を見れば、すぐまた自分の体質が出てくるのです。福音が出て来ません。レムナントは、この祝福だけ記憶すれば、答えの大きい門が開かれます。今日、核心集会の時に全部、細かく話します。今日、レムナントのみことばの光。光はすばらしいのです。これを記憶しなければなりません。
■捕虜になった時、神様が光の話をするようにした人がいます。誰でしょうか? イザヤです。起きよ。光を放てと言われました。すべての地とすべての万民は、暗やみとやみの中にいると言われました。それと共に、起きよ。光を放てと言われたのです。この話をしながら、神様がイザヤ60章を見れば、レムナントの話をされました。神様が光の話をしながらレムナントの話をされたのです。大人たちも記憶しなければなりません。なぜ荒野に40年間いたのでしょうか? 答えは簡単です。レムナントが起きる時まで。なぜレムナントが起きる時まででしょうか? 年をとった人は考えが変わらないで、エジプト生活をそのまま持っていたからです。荒野であった体質をそのまま持っているから、神様が40年かけて変えられたのです。ここで大人たちが記憶しなければならないことがあります。悟ってしまえば年をとっているほど益です。悟れないでしまえば、変えられる対象です。一度に殺してしまえば試みにあうから、戻りながらじわじわと殺されました。ひそかに呼んで行くのに40年かかったのです。
■これが荒野で起きたことです。簡単に話せば、エジプトを知らないレムナントが連れて入ったのです。これが怖い話です。エジプトを知っている人の中にカナンに入った人は、2人しかいません。誰でしょうか? ヨシュアとカレブです。皆さんがこういう信仰にならなければなりません。エジプトを知っているのに、カナンの地に入りました。残りは入れなかったのです。全部、レムナントが新しく生まれて入ったのです。それで、なぜ大人たちがレムナント運動をしなければならないのかというと、からだは老いても考えは老いてはならないのです。何のために、捕虜で70年間いたのでしょうか? 同じ言葉です。起きて、光を放てとイザヤ60章で話されました。そうしてこそ、物事がなるのです。あなたの息子と娘が抱かれてくるだろう。イザヤ60章に出てきます。
■なぜローマ福音化をするのに250年かかったのでしょうか? レムナントがみな変化したのです。それでは、レムナントがどれくらい重要なのか分からなければなりません。それで、イザヤ60章1〜5、起きよ。光を放て。その話をしながら、一番たくさん出た話の中で財産も戻って、みな戻るのですが、レムナントの男女、息子、娘が抱かれてくると言われました。イザヤ60章6〜12神様が万民のために旗を揚げろと言われました。その時、多くのレムナントが入ってくると言われたのです。これを感づいた大人たちは、一人も抜けることがなく答えを受けました。今日、皆さんに答えの大きい門が開かれるように願います。少しだけ味わってもかまいません。そのうちに皆さんが重要なことを考える時、人のために、仕事のために、福音だけ回復してしまえば、すばらしい働きが起きます。
■私は証しをすることが一個しかありません。上手にできることはありません。そして、事実は上手にする、しないというのではなく、する時間がないのです。私たちの教会は、副教役者と長老がみなしたので、私はしたことはありません。初めから今まで、副教役者と長老がみなしました。私はメッセージだけして、行ってしまっています。それでも、神様が役員、副教役者を見て、神様が祝福をされて、多くの弟子が起きたのです。ところで、みなできないのに一個は上手にしています。それが何でしょうか? 人を殺さないで生かすのです。それは私が上手にします。これは私の証しです。私の生涯にただ1人だけ出て行かせました。今まで経験の中で、ただ1人だけです。私を見てキリストと話す人だけ、出て行きなさいと言いました。それで、私が呼んで話をして、違うといったのに聞き取れないのです。いくら話をしてもだめだったのです。私を見て正しい話をしてくださいと言うのです。いくらしてもだめでした。しかたなく、胸が痛かったのですが、長老と相談して処罰を下しました。その他にはありません。誰でも私は赦します。それで私を恐れる人がないのです。常に赦すのをよく知って、悪用をする人がいます。しかし、福音をのがさないために、赦すのです。それで中でも問題が生じて、他の人が手をつけようとすれば、私はだめだと言います。その時は、それではいけないようであっても、後ほど見れば悟って祝福を受けるのです。
■それで、人のために試みにあわずに、福音を味わわなければなりません。私は福音は万人を生かすということを分かったので、福音だけが創造的祝福を味わえるということを分かりました。皆さんが全く味わわないのです。味わいさえすれば、みわざが起きます。おもに見れば、牧師もそうで、味わうだけで良いのに、味わわないのです。それで目を開いて見ない人々は、100%味わいません。ここでは聞いてアーメンして、行けば違うのです。判断をする時は、無条件に自らの体質のとおり、おかしな体質でします。牧師がメッセージをする時はそのとおりなのに、メッセージだけ終わればすぐに律法に入るのです。その上に、律法は少しましで、すぐに人間主義に入ります。それでだめなのです。おかしな話をしているのですが、牧師はみな家族なので話しているのです。福音を味わいません。それで、少しだけ味わってしまえばみわざが起きます。
■私が何もなくても、それから神様の創造的門が開き始めるのです。この祝福を必ず受けなければなりません。レムナント7人と周囲に起きる人々の祝福を見ましょう。その他にもダニエルのような人々とその友人を見ましょう。神様がこの光の祝福をレムナントに与えようとされているのです。言わば光の祝福を味わう主役が皆さんだということです。今日、皆さんは一つの単語だけを記憶してください。詩篇119篇106節、どのように契約を堅く捕まえるのでしょうか? 111節に、どのように永遠のゆずりとして受け継ぐようにするのでしょうか? これです。どのようにレムナントが契約を堅く捕まえて永遠なゆずりになるようにするのでしょうか? レムナントは常に3つのことを悟らなければなりません。レムナントが悟らなければならないことが3つあります。
■いったい今、これが何でしょうか? ここに今、座っている皆さんにいったいこれが何でしょうか? 歴史意識です。この目を開かなければなりません。数十世代をかけながら福音を悟ったのですが、そのことがモーセに起きました。悟らなければなりません。そして800〜700年また忘れてしまったのですが、バビロンに行って捕虜になった時、イザヤを通して悟りました。本当に難しいのです。この福音をまた忘れてしまったのですが、神様が300〜400年流れて、主は生ける神の御子キリストですと告白するようにされました。度々忘れてしまうのです。これではまた1000何百年が流れました。ところで、そのうちに悟った人が出てきたのです。マルチン・ルターです。義人は信仰によって生きると言いました。しかし、またなくなってしまったのです。今500年ぶりに福音がまたなくなってしまったのです。おかしな団体が一つ出てきました。それがタラッパンです。onlyイエス。おかしな団体です。他の人たちが見る時、おかしな団体です。onlyイエス。歴史意識がなければなりません。人が信仰生活も歴史に目を開いて見ることができなければなりません。今なぜ捕虜になったのか見ることができなければならないのです。イスラエル民族が最高の祝福を受けるべきなのに、この契約をのがして、光をのがしたせいでまた捕虜になってしまったのです。これを悟ることが、堅く捕まえることなのです。
■堅く捕まえろというので「信じます」と大声で叫ぶのですが、そのような必要はありません。そのまま信じるといえば良いのです。愛する人を見る時「愛します」と怒鳴りつけるでしょうか? そのようにすれば、おかしな人です。しかも、こういう人が女の人の前でとことん良くするのですが、それがにせ物です。米国人を見ると、すぐ愛していると言っておいて、向うに行って離婚状を送るのです。特にまた会えば、ソウルの人と釜山の人は違います。釜山の男性は言葉をあまり言いません。それでも、あまり変わらないのです。ソウルの男性は話を上手にするのですが、よく変わります。それで、私たちが堅く信じるというと、強く話すのではなくて、そのまま話しても信じることなのです。この目が開かれたのです。今が何をする時だな。働く時だな。どうして地下で10人が始めた核心が、全世界に起きるのでしょうか? 何か見る方法を分からなければなりません。どうして、あの南端の釜山、一番お金もない影島で起きて世界へ起きているのでしょうか。どうして、合宿訓練が全世界で起きて、ヨーロッパで中国で起きているのでしょうか。聖歌隊の席に座って伝道を恐れているので、私が読んであげなさいと福音手紙を書いてあげたのですが、それが北朝鮮まで行っています。今がいつの時なのでしょうか。それを悟るのです。それがみことばを正しく捕まえることです。いくら聖書を覚えても捕虜になるのを知らなければ、それは愚かなことなのです。
■それでは、何のためなのか、私が何をすべきでしょうか。内容が何でしょうか? 使命意識です。これを悟るのが、光がなくなった、福音がなくなってしまったということです。これがありません。それでレムナントがこれを持って入るということなのです。米国が足りないということではありません。あるのに福音がないということです。日本がどれくらい良い国でしょうか、しかし、福音はありません。それで、これを持って行くということです。使命意識、これがみことばを正しく捕まえたことなのです。これに堅く捕まえたことで、永遠なゆずりの祝福を味わうのです。それでは、だれが行くべきでしょうか? 私がいくべきなのです。召命意識です。これがみことばを正しく捕まえたことです。レムナントは記憶しなければなりません。いつでも記憶しなければならないのです。使命意識、歴史意識、召命意識。この意識が重要です。こういう祝福が皆さんにあることを希望します。このみことばを捕まえて、私の口の進んでささげるささげ物と言われています。皆さんがこのみことばを正しく捕まえればどうなるのでしょうか。
■今日、皆さんがみことばだけ捕まえても、答えが開始します。違ったみことばを捕まえれば、どうなるのでしょうか? 皆さんがみことばだけ捕まえても、答えが始まるのです。何かをよくしなさいと言うのですが、それはそれからの話で、みことばを捕まえなければなりません。みことばは生きて、力があります。それで、皆さんがこの福音を捕まえる時、どれくらい重要でしょうか。今、この福音が2000年ぶりに回復して、レムナントが起きる運動です。この価値を分からなければなりません。それで、皆さんがみことばを受ける時ごとに何を発見しなければならないか、みな適応しましょう。感謝しましょう。「私はなぜこのように貧しいのか?」このように気落ちをする人がいます。違います。「神様がなぜ私を貧しくさせたのだろうか?神様が私に貧困と戦って貧困が何か分かるようにさせて、勝利するようにされるのではないのか?」気をつけましょう。それで、私たちは神様のみことばに千に一つ、万に一つ、誰も得られない福音を分かるようにされたこの福音の価値を知って、感謝しなければなりません。それで、詩篇100:4感謝しつつ主の大庭に入れと言われました。
■神様のみことばが聞こえる時、このみことばが私にどれだけ成就したのかだけ見れば良いのです。私に全く成就にしなかった時は、だめなその場で捕まえれば良いのです。牧師が、伝道することを神様が最も喜ばれると言うので、ある人が聞きながらそのまま聞き過ごさなかったのです。今日のみことばが成就されて、現れると思ったのです。99%以上、そのまま聞き過ごします。この人が、なぜ神様は一番喜ばれるといったが、私はなぜしなくなっているのだろうか? その質問だけしたのですが、その場で答えを受けました。そうだ。私は友人も多くて、親戚も多いが一度もこの話をしたことがない。簡単です。家で電話をしました。今、私のメッセージを聞いているでしょう。最初、電話をしたのでうsが、まさにその人が泣きながら、どのようにあなたが私の困難を知って電話をしてくれたのかと言いました。家族、すべてが救われたのです。私たちが、みことば成就をのがしているのです。皆さんが今日、みことばを正しく捕まえる時、どんなことが行われるでしょうか? 創世記3:15が成就する驚くことが行われます。出エジプト3:18に、エジプトにどんなことが起きたのでしょうか? こういう答えが皆さんにき始めるのです。
■バビロンで、どんなことが起きたのでしょうか? この祝福が皆さんとレムナントのものです。マタイの福音書16:16の告白をして、どんなことが起きたのでしょうか? こういう祝福がレムナントにあるでしょう。特に一般信徒はもちろんですが、レムナントは覚えましょう。今、答えを受けられないでも大丈夫です。レムナントの中に、今、答えを受けている人は手をあげてみなさいと言えば、何人もいないでしょう。レムナントは答えがないのは正常です。正常ではなくて、さらにそれが正しいのです。なぜなら、皆さんは今、開始だからです。皆さんが今、成功するでしょうか? 金を儲けるのでしょうか? それで、レムナントの中では勉強が良くできる人もいて、できない人もいます。関係ありません。
■正しく考えなければなりません。そうすれば、皆さんに時刻表がきます。この考えというのは、続けてすれば、意識に変わります。それが自分になるのです。考えを続けてすれば、私も知らない間に潜在意識に変わるのです。その時は、私の思いどおりにはできません。考えたことが、無意識の中に入ります。その時は永遠に続きます。それで、皆さんが福音を正しく味わう考えだけでも、働きが起きるのです。レムナントは福音を正しく味わうと考えることが重要です。レムナントは事実を見る考え、この目が重要です。絶対に他人の話を聞いて、そのまま移してはいけません。失敗します。皆さんが店に行って、何かを買うのは失敗をしてもかまわないのですが、人生はとても重要だから、外に出て行ってみれば必ず確認してください。それほど重要でないと見られるのですが、とても重要で、成功ができる道です。レムナントは事実的な目を開かなければなりません。
■それで、皆さんが何かする時にも、すぐ判断をせずに少し確認してください。この練習ができなければなりません。それで、客観性、主観性が出てくるのです。それで、専門性も出てきて、みな出てきます。裁判をする時、判事が裁判をすれば、そのままするのではありません。この人が何か罪を犯したと検事が話をします。それでは判事は分かったと、すぐに刑をくだしません。その反対、その人の立場を話す弁護士の話を聞きます。この判事が両側の話を皆聞くのです。そして、証拠物を持って来なさいと言います。その理由が何でしょうか? 人が死ぬ、生きるのに、事実的な判断をするためにです。これは法廷だけでなされるのではなくて、人生も同じです。
■そして、レムナントは立派な考えをしなければなりません。レムナントは、この時、こういう考えだけ正しくすれば良いのです。皆さんは今、答えを受ける時ではなくて、正しく福音を味わって事実を見られる目が開かれなければならないのです。立派な考えとは何でしょうか? ヨセフを見ましょう。「兄が私を売ったのではない。」売ったのには、間違いありません。「兄が私を売ったが、私がここにきて総理になった。」このようにならなければなりません。だがどれだけ立派な考えをしたのか、兄が私を売ったではないと言いました。神様が兄を通して私をここにくるようにされたと言いました。これは普段にヨセフの考えでした。立派な人であってこそ、立派な答えを受けます。これから多量のお金を儲けようとせずに、多量の金を設けられる人にならなければなりません。一番足りない人が、人に良くないのにお金を儲けようとする人です。
■成功しようとせずに、成功ができる人にならなければなりません。重要です。大きい成功をしようとせずに、大きい成功ができる人になるべきで、それにならなければ大変なことになります。それで、皆さんは光の子どもで、ものすごい契約を持っているから、福音だけ味わって、事実的な目を開いて、立派な考えをするだけでも、大きい答えの門が開かれます。ダビデがこういう話をしました。「私は何の足りないことがない。」理由は何でしょうか? 前のことが重要です。主は私の羊飼い。私には乏しいことはありません。困難にあっていた時にした話です。だから、すでに立派な人物です。この祝福を必ず味うように願います。皆さんは光の祝福の子どもで、その主役です。これは私の話ではなくて、聖書に光の話をしながらレムナントの話をしたのです。みことばを捕まえるというのは、福音の光を捕まえることなのですが、この意識になってこそ、正しく捕まえたことなのです。それで、少しだけ味わいさえすれば答えが起きます。祈りの答えが来ないという言葉は、簡単に話せば全く味わわないということです。少しだけ味わっても働きが起きます。「いや、私は祈りをよくするけれど。」
■皆さんの根本の考えを福音に少しだけ変えてしまえば、みわざがどんどん起きます。レムナントは何も心配せずに、今日から祝福を味わうようになるように願います。もう考えの門を少し広げる必要があります。私たちはこの程度ではなくて、世界福音化をしなければならないのです。一般信徒でも、レムナントでも、事業する方でも、牧師でも関係なく、5つのことを記憶しなければなりません。「もう門を広く開こう」「心の扉も広く開こう」「考えも少し広く開こう」そうしてこそ、皆さんに多くの祝福の門が開かれるのです。今はインマヌエル教会の組織を広くしましょう。それが答えの祝福の門になります。それだけレムナントに祝福が行くのです。
■私は外国に行く時ごとに不思議に思います。皆さんがここに座っておられるのですが、皆さんの子どもが外国で私に会う時、どれくらいうれしいでしょうか? 私は外国で長老の子どもたち、執事の子どもたちに会えば、どれくらいうれしいでしょうか? この子たちが信仰生活を良くしているのです。どれくらい気持ちが良いでしょうか? もし子どもたちが信仰生活を下手すると、心配になります。ところで、信仰生活が上手で、成長することが見られるのです。気持ちが良いのです。私はその時、感じます。「私たちのタラッパン組織はすごいな。」どのように、子どもたちが行く所ごとに組織があって、信仰生活をみなしているのでしょう。門を広く開けましょう。
■私がソウルに行った時、一番最初に行ってみたところが福音もない明洞カトリック聖堂に行ってみました。福音もないのに、行ってみるとどれくらい大きいかわかりません。中に交通巡査がいました。私が行ってみたのですが、すべての明洞聖堂をはじめとするすべての門をみな開いてありました。教会に来てみれば、すべての門をみな閉じてあります。私たちの教会は、すべての門を閉めておいて、幼い時、オルガンが一つあったのですが、鍵が2つもかかっていました。教会の役員もそうで、牧師も心を大きく開かなければなりません。世の中が大きいので、大きく開くべきなのに、狭くしていたらみなのがします。それで、私が一度はある教会に用を足しに入って、ものすごく嫌がられました。見たら、若い人であったのですが、伝道師のように見えたのですが、私を見てにらんで上から下まで見たのです。気持ちがとても悪くて呼びました。そして、私を知らないのかと尋ねたところ、知らないと言いました。私が教会の牧師なのに、牧師が道で用を足しても良いだろうか? それで教会に入ったのに、そのような人に何ということか! と言いました。その時、はじめて申し訳ないと言ったのです。すみませんであれ、何であれ、門をちょっと開いておきなさい。家を盗み出すことでもないのに、門をみな閉じてありました。格別なこともないのに、門をみな閉じておいて、ちょっと開けておかなければなりません。
■これは例で、心の扉を閉ざせばみなのがしてしまうのです。それで、昔に大院君が国に門をみな閉じておいてほろびてしまいました。いつも日本より先んじていたのに、遅れてしまったのです。今、北朝鮮を見れば門をみな閉じています。あのキム・ジョンイルさんが門をみな閉じてしまいました。私が一度、その人に会えば、開けと話さなければなりません。とてもみな閉じています。それで、今、韓国にKTXが通っているのに、そちらは牛がひく荷車を引いて通っています。今、日本は新幹線が走って韓国はKTXが走っているのに、北朝鮮は牛がひく荷車を引いて通うのです。夕方に過ぎ去ればロマンはあります。だから、門をあけなければなりません。
■皆さんが世界に向かって門をあけて、心の扉を開いて、みな開かなければなりません。それで、インマヌエルは3000地域に向かって、ソウル2000、釜山700、蔚山300、大きい門を開けなければならないのです。このように暗闇の勢力をうち砕くのです。今、私が何をするのでしょうか? 全世界に門を開けているのです。そして道を整えるのです。そうすれば、レムナントが直ちに行くのです。門をあけるのですが、進行は神様の計画によってするのです。門はパッと開いたのですが、導きは神様の計画により導きを受けなければなりません。ここが重要です。神様のみこころならば、何でも答えを受けるとIヨハネ5:14におっしゃられました。簡単なことではありません。
■私たちは創造的祝福を受けたのです。レムナントは、記憶しなければなりません。創造的とは何でしょうか? 違わなければならないのです。「この人は違うんだな」と言われなければなりません。食堂も、この食堂が違うと言われなければなりません。同じではいけないのです。違わなければなりません。ここで唯一性の答えがくるのです。違うといって、一人だけとても違って、誰も気がつかないのではいけません。今は多くの人が生きられるように、生産的な祝福を味わわなければならないのです。これから釜山の700地教会で生産的な運動が起きなければなりません。初代教会のようにしなければなりません。使う時にない金を使わずに、初代教会のように宣教に向かって力を集めなければなりません。
■初代教会は、マルコのタラッパンに集まったのですが、5000ヶ所に弟子が起きました。それで、ユダヤ人の経済を乗り越えたのです。それでローマ政権を乗り越えました。それが力です。最後に何でしょうか? これら全部の祝福が、皆さん個人のことにならなければなりません。個人化にならなければならないのです。そうしてこそ、皆さんが恵みを受けられるのです。今日1部、2部のみことばが皆さん個人にそのまま成就になるように願います。この祝福が皆さんにあふれ出ることをイエス様の御名でお祈りします。必ず記憶しなければなりません。レムナントが受ける答えです。すべてのタラッパン家族が受けなければならない答えです。この祝福が現場にあるようになることを、主イエス様の御名でお祈りします。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝します。今日、私たちに光の子どもであることを確認させてくださったことを感謝します。この契約を正しく堅く捕まえるようにさせて下さい。味わうようにさせて下さい。現場で見るようにさせて下さい。新しい力を与えて下さい。主の民の手で癒す力の御手が現れるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン