2006年12月10日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/大物の身の振る舞い方
(詩119:113〜120)

■イスラエルが困難に会っていた時、何人かの大物を通して重要なことが回復されました。それなら、私たちは、その人々がその時、どのようにしたかを見る必要があります。先に分からなければならないことは、親がいる子どもといない子どもの差異点です。両親がいなければ直ちに心配事が生じます。どのように食べて生きるべきか? 勉強はどのようにするのか? こういう心配が生じるのです。しかし、親がいるなら、私がどのように食べて生きなければならないかという心配はしなくても済みます。私がこの話をする理由は、皆さんは未信者ではないということです。まるで孤児のように、未信者がする考えや行動をそのまましているから合わないのです。親がいる子どもが、孤児のようにして通えば、その親は心配します。同じように、私たちが神様の子どもなのに、まるで未信者がする考えや行動そのままするのです。ですから、信仰生活を良くしているように見えるのですが、合わないのです。皆さんは確かに悪魔の子どもではありません。羊の血を塗って出てきました。これは悪魔の子どもではないのです。羊の血をたくさん塗ろうが、少なく塗ろうが、エジプトから出たのです。
■皆さんが救いの祝福をたくさん味わおうが、少なく味わおうが、神様の子どもです。ところで、どのように対応するのかという以前に、これから解決されなければなりません。これを知らないので、アブラハムは人生の4分の3を苦労して送りました。わたしがあなたとともにいるとおっしゃって、神様の子どもなのに、しきりに未信者の考えを継続するのです。どのように食べて生きるのか? このような時、どのようにすべきか? 正しい考えですが、未信者がする考えを継続しているのです。これでは、人生の4分の3でなく、ほとんど違う苦労だけするようになります。イスラエル民族がエジプトから出てカナンに行くのに、一週間ほどしかかからない距離を40年もかかりました。まっすぐ行けます。今で言うなら、エジプトからスエズ運河を越えて、シナイ半島を通って入って行くのです。一週間あれば行けます。それを40年もかかったのです。他の理由は何もありません。この時までイスラエル民族は、エジプトから出たのですが、神様の子どもの身の振る舞い方をしないで、いつも昔の身の振る舞い方をしたのでした。それで、私と皆さんは、たくさん考えてみなければなりません。
■私たちは、やや下手すると、すべての質問が未信者のような質問をするようになります。事実、私たちがしている心配を全部総合してみれば、未信者と同じ心配をしています。まるで孤児のようにしているのです。確かに聖霊がともにいると約束されたのにもかかわらず、そのようにするということです。直ちに皆さんが教会の門を出て行けば、すぐ神様がいない孤児のように生活します。今日、私たちは大きい困難の中で、信仰の大物が、どのように対応したのかを分からなければなりません。この部分を実際的に参考にしなければならないのです。しかし、前提条件があります。ここには青年たちもいて、レムナントもいます。皆さん野中には、やっとご飯を食べて生きて死ぬ人がいます。そのようにしようとするなら、今日の聖書にある通り詩篇119篇113節のように二心を抱いて、そのように生きなければなりません。人にだけいつも頼って生きなければならないのです。115節を見れば、悪を行なう者どもとありますが、悪を行う者とは、いつも策略を使うということです。いつもそのように生きなければなりません。関心はいつも物質の現実しかなくて、どのように出世するのかにしたがっていつも変身して、それほど価値がないと考えられる人は蔑視してしまい、いつも肉体的な考えに追われて、それが答えを少しだけ受ける人です。しかし、本当に大きい答えを受ける人はそうではありません。
■今日、詩篇119篇113節に出てきている通り、二心を抱く者を憎み、主のみおしえを愛します。これは大物です。皆さんが大きい祝福を受けようとするなら、そのようにしなければなりません。もし皆さんが救いを受けられなかった、皆さんが悪魔の子どもだというなら、詐欺もして嘘もついて、そのように生きるしかありません。他人を殺さなければならず、勝たなければならず、そのように生きなければなりません。なぜなら、悪魔の子どもであるためです。しかし、神様の子どもは、そのように生きる必要がありません。二心を抱く者を憎み、主のみおしえを愛する。そして、114節には、あなたは私の隠れ場、私の盾。私は、あなたのみことばを待ち望みます。これはイスラエル民族の中で捕虜になった時、大物が捕まえた契約です。それでレムナントたちは、銘記しなければなりません。頭を使うのは、小物にしかなりません。レムナントは、大きい頭を使わなければなりません。もちろん小さくて細かいこともしなければならないのですが、そのような話ではないのです。
■皆さんは大物になってこそ、大きい答えを受けるのです。115節を見れば、悪を行なう者どもよ。私から離れて行け。私は、わが神の仰せを守る。116節に、みことばのとおりに私をささえ、私を生かしてください。私の望みのことで私をはずかしめないようにしてください。そして、同じようなみことばですが、120節を見ると、私の肉は、あなたへの恐れで、震えています。私はあなたのさばきを恐れています。これは、怖がるという言葉ではありません。畏敬するという言葉です。これが大きい信仰を持った人々の受ける祝福です。それなら今日、私たち神様の子どもが必ず持たなければならない身の振る舞い方は何でしょうか? イスラエル民族に問題がきた時、重要な人々によって答えがきたのですが、その人々がどのようにしたのでしょうか?それより重要なことがあります。問題がきた時にどのようにしたのかも重要ですが、普段の時にどのようにしたかが重要です。
■最初です。この人たちは、方法ではなく、契約でした。私たちには方法も必要ですが、それよりさらに重要なことは、方法ではなく契約です。これを捕まえた人々です。会社も同じです。方法も必要です。それよりさらに重要なのは中心です。契約のメッセージです。この時、重要な人々はいったい神様がどなたなのか?ここに対する体験が重要です。それで、詩篇全体に一番たくさん出る言葉が、主を待ち望みますという言葉です。私は主のみことばを待ち望みますと言いました。重要なのは、本当に神様が聖霊で生きておられるならば、する質問がどれくらい重要でしょうか? 私は幼い時、こういう質問をしたことがあります。いつも胸の中には神様がおられるのか? と考えました。大きい犯罪はしなくても、全部そのように心の中では思うから、そのように考えたのです。普通の人がする考えではないでしょうか。そのように考えているから、礼拝堂に無理に座っていれば変でした。そのうちでも、私のように静かに座っていれば良いのに、とてもハレルヤと言ったりすれば、気違いかと思うこともありました。今、神様がいるのか? という立場なのに、ある人が泣き喚くのを見ながら、精神が変なのかという考えもしました。また、一斉にともに祈る時も、そばで静かに何というのか見ていたりしていました。
■ある時、祈梼院に行ったところ、一斉に祈る姿がいろいろでした。ある人々は揺さぶって、これから前もそばも揺さぶっていました。あのようでなければならないのかと思ったりしました。ある人は、祈る姿の顔がゆがんだり、笑う人もいてさまざまでした。私が根本的に神様がいるのか? という考えがあったので、そんなことがみな面白く見えたのです。ある日、そのような質問をするようになりました。神様が本当に生きておられるのですか? 私に本当に神様が生きておられる恵みと証拠を下さいという祈りをしました。ところで、その時は特別なことはありませんでした。私が性格が火を受けて倒れる性格ではありません。それほど私には特別なことはありませんでした。私が性格が本来そうなのです。良いからとすばやく行って、嫌いだからと行かない、そのような性格ではありません。ところが、その質問が私の人生を変えました。
■皆さんが今は何でもない話のようですが、最も重要な質問になります。そして、私たちが誰か? 捕虜になっているイスラエルが誰か? これが重要です。契約を探さなければなりません。奴隷になっているのに、方法を探して何をするのでしょうか。道に迷った人が方法を探して、どうするのでしょうか。滅びに陥った人が楽しみを探して何をするのでしょうか。道に迷ってさまよう人が、楽しいとしても、どれくらい楽しいでしょうか。ですから、方法が問題ではなく、契約を探さなければならないのです。ここで最も重要なのが、私を見いだすことです。全部、そのような人が成功しました。これは利己主義の私ではありません。私が誰か? 神様が本当に生きておられて、歴史を治めておらるなら、本当に私たちは誰で、私は誰なのでしょうか? この契約をつかんだ人々が成功します。神様はこの人たちに答えをくださるのです。とても重要です。
■それで、私たちは今日も私たちがしなければならないことが何でしょうか? 講壇のメッセージをつかむことだけでも充分です。皆さんが聖書を一日に百ページ、二百ページずつ読まないでも、講壇のメッセージだけつかんでもかまわないのです。講壇のメッセージを捕まえて、問題は現場に行った時、現場の中には答えと失敗が入っているのです。それで少しだけ聖霊の導きを受ければ、みことばと現場の答えがつながります。大部分の人々が、たくさん習ったからなのか、何か、聖霊の導きを受けません。聖霊の導きを受ければ、講壇のみことばとぴったり合うようになっています。これが鍵です。それで、皆さんは貴重な神様の民だから他の質問は必要ありません。神様のみことばが成就すべきなのですが、私が今少しだけ聖霊の導きを受ければ、みことばと現場に答えが開くようになっています。
■私に困難が一つあるならば、多くの人々が周囲にいるのです。この人、あの人が世界へ出て行きます。その中に牧師がたくさんいます。後輩も多いのです。ところで、私の胸の中で負担になって心配になるのが一つ何かというと、絶対に聖霊の導きを受けないということです。確かに行く時刻表でもなく、行く所でもないのに行くのです。そして、行かなければならないのに行きません。大部分がそうです。このようにして行くのでだめなのです。なぜだめか、それでは神様が聖書で嘘をついておられるのでしょうか? 深刻な問題がずっとくるのです。働きもだめで、経済問題と人間の問題はどんどん起こります。残念です。私たちの人格が立派だという以前に、私たちが神様の導きを受ければ答えが来るのです。こういうものに包まれて、イスラエルが今、捕虜になってしまいました。ほとんど聖霊の導きを受けないのです。敬けんに暮らしながらも、聖霊の導きを受けません。ある人々は熱心に生きるのに、導きを受けないのです。神様のみことば、メッセージを聞くのが偶然に聞くように見られるのですが、聖霊の導きを受ければぴったり合うのです。この時、見られることが一つあります。この人のために何をすべきかということが見られます。それを伝道と言うのです。全く導きも受けられない人々が、タクシーに乗って、運転手は頭が痛いのに、そばで話して受け入れろと言って、脅迫して、受け入れなければならないと言うなら、それは伝道ではないのです。そのような人がいます。人を捕まえて、あなたが受け入れなければ、救われず、災いを受けると脅迫をして、この人がとても驚いて何の話かと問い直す人もいます。
■釜山でインマヌエル教会の前の広場でタクシー運転手と執事とけんかをしていました。私がメッセージしに入ろうと、止めて、どうしたのと尋ねたのです。そうしたら、執事がにっこり笑いました。運転手が言う言葉が、この人が自分に受け入れろと脅迫するということでした。それで、私がタクシー運転手に早く行ってくださいと言いました。何でそんなに伝道で脅迫をするのかと言いました。切実な心は分かりますが、私たちが神様のみことばと伝道と祈りがやさしい話のように見られるのですが、すべてのことなのです。少しだけ神様の計画が何か知って、導きを受けてしまえば、見れば答えが来ています。こういうものが小さい道のように見られるのですが、ものすごい祝福の道になります。このようにして、大きい答えの門になることができるのです。この時、捜し出すのが私です。教会がいくら復興しても、私を探せなければ私ではありません。
■インマヌエルが数千人、数万人が集まっても、私がだめならば私ではありません。祝福があふれるのに、答えを受けられなければ、私はだめです。つぶやいて、悪口を言って、のさばってもだめです。だめではないでしょうか。私が答えを受けるべきなのです。これは利己主義ではありません。これを見いだした人々が成功をしたのです。ですから、方法ではなく、契約です。簡単に話せば、メッセージと言えるでしょうが、とても重要な話です。いったい私たちのすべての命を治めておられる神様はどなたで、私たちは誰であり、私は誰でしょうか。これをのがしてしまった人がお金をもうけて何をするのでしょうか。考えてみてください。精神問題きて苦しめられる人が、どのように善行をして、霊的問題きて私が死ぬところなのに、どのように私が政治をすることができるでしょうか。このように、どんどん問題がきます。ここに対する答えを探さなければなりません。インマヌエルの家族と全世界の家族が、皆さんに最も重要なことは、方法も重要ですが、契約を捕まえなければならないのです。これが成功した人々の特徴の中の最初です。
■二番目は何でしょうか。さらに重要です。契約の中に契約があります。何の話でしょうか? 話の中に話があります。それを聞くことができなければなりません。文の中に文があるのです。それを読むことができなければなりません。皆さんの人生がうわべの人生になっても良いでしょうか。教会がうわべの教会になっても良いのかということです。聖書の中に聖書があります。だから、契約の中の契約を捕まえようということです。普通、私たちに手紙が来ます。何枚か来ます。また色々な言葉も多くあります。みな正しい言葉ですが、そこで私にしようとする話があるのです。ところで、その言葉はそれほど長くもありません。ある学生が、私に手紙を書いてきました。色々な、尊敬します、愛しますなど、そのような言葉を書いていました。事実は、その言葉もしたかったでしょうが、その話をしようとするのではありません。それで、私は読みながらいい加減に読み過ごします。この手紙が何を言おうとしているのかを知らなければならないためです。それで、読んでみれば、一番重要な話は一行出てきます。学費がありません。このような形です。その話をするために、前後に言葉を多く書いたのです。私が他のものはみな読みながら、アーメン、ハレルヤとして、その言葉を読めなかったとすれば、手紙を読めなかったことです。同じではないでしょうか。
■話の中に話があります。契約の中に契約があるのです。それが何でしょうか。女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。それが契約の中の契約です。それを福音と言います。箱舟の中に入れば生かされます。多くの十戒もあるでしょうが、羊の血を塗った人々を助けて、解放させられました。捕虜から出てきました。イザヤ7:14。これが契約の中にある契約です。この部分を体験すべきです。どんなことが行われるでしょうか? これが体験できなければ、正しい言葉ですが、体験できれば、どんなことが行われるでしょうか。女の子孫が蛇の頭を踏み砕くということが体験できれば、どんなことが行われるのでしょうか。これを捕まえた人々が生き残ったのです。イザヤがこの話をした時、この言葉をわかったそれ以後から、解放の門が開き始めました。皆さんは、この部分が体験できる時、どんなことが行われるのでしょうか。皆さんに驚くことが起き始めます。それを契約で捕まえるのです。皆さんがどのように生きて来たのでしょうか? 事実、この契約をつかみました。この契約を捕まえれば、福音のなかに全てがあるということが見られます。この時から味わい始めるのです。まだ、ある人々は福音の中に全てがあるという言葉が理解できません。救われたのですが、それだけ未信者のように生きていっているということです。ある時は、福音の中にあるというこの言葉がとうてい理解できないから、いろいろ理由を上げるのです。それでは、そのように生きなければなりません。福音の中に全てがあるということが見え始めれば、パウロのようになります。
■ 「すべての知識、知恵、宝がかくされているんだな」と告白しました。入っているということでなく、隠されていると言いました。その当時、最高の知識者パウロの発見であり、告白です。これを私が知って、私は今まで自慢したことをちりあくたと感じると言いました。今、私たちはそのちりあくたを探し求めているのではないでしょうか。牧師、牧師夫人が、そのちりあくたをとらえて泣き喚いています。それで、事がならないのです。パウロはそれをちりあくただと言いました。この時からみわざが起きます。この契約を捕まえる瞬間に、捕虜から戻る大きな働きが動き始めのです。目には見えず、力とも関係ありません。この契約を捕まえた瞬間に、バビロンから出てくる、ものすごく大きな働きが始まったのです。確かに出てきました。バビロンからう。この祝福が、皆さんが受ける答えです。皆さんが契約をよく捕まえれば、皆さんにこの答えが来る、驚くことを見るようになります。
■三番目です。この契約の中で、どのように振る舞ったのでしょうか。これがとても重要です。それでは、多くのことを見ることはできないので、この捕虜時代の時、どのように対応したかを何人かを見れば知ることが出来ます。聖書に何名かの人物がいます。ダニエルです。ダニエルがどのようにしたでしょうか。ダニエルは、一日に三回ずつ祈ったという程度ではありません。ダニエルがどれだけ仕事を良くしたでしょうか?ダニエルをはめようと陰謀をたくらんだのです。このようにしてダニエルが死ぬようにしたのです。本来、政治家たちはがそうであるように、絶妙に法律を作りました。相手を殺すための法律です。王様を訪ねて行きました。王様以外の他の神を拝する人は殺すように法律を定めようと言ったのです。王様が聞くには気持ちが良いから、そのようにしなさいと言いました。そのようにして王様の印鑑を押したのです。認めたのです。そうして告発しました。ダニエルという人が一日に3回、主のために祈ると告発しました。法律をどのように定めたか? 死刑にすることになっている。このようになっている。このようにダニエルが告発されました。どうしようもなく、獅子の穴に入りました。ところで、それが重要なのではありません。生きるか死ぬかです。ところで、王が言う言葉を聞いてみてください。その時の王の名前がダリヨス王です。このダリヨス王が何と話したのでしょうか。
■とても残念で「生きておられる神様のしもべダニエル、あなたがいつも仕える神様があなたを救われるだろう。」ダリヨス王が言った言葉です。ダニエルの姿が見られるでしょう。ダニエルが、獅子の穴に入りました。入ったのですが、その当時には、一日入れて死ななければ、これは天のみこころではないと言って助けるのです。夜通し王が待って、夜明けに行って獅子の穴をのぞいて、何と言ったでしょうか。いと高き神のしもべダニエル。あなたがいつも仕える神様が、あなたを救うことができたのか? それが王が言った言葉です。何の声もなければ死んだのではないでしょうか。しかし、人の声が聞こえてきました。普段の時に言うあいさつで、王よ、とこしえに生きられますようにと言ったのです。ダニエルが生きていたのです。何と話したでしょうか。「昨夜、主の使いが獅子の口をふさぎました。」入ったのですが、食われず死ななかったのでした。それで王が、ダニエルを引き出しました。あのダニエルを殺すためにこういう悪法を作った、あの臣下を全部、獅子の穴に入れろと言いました。
■ダニエルが入った時は、食いつかなかったのですが、この人たちが入ったら、聖書にはこの人たちのからだが地に落ちる前に、みなかみ切って食べられたとなっています。獅子がどれくらいお腹がすいていたのか、それほどでした。言わば、バレーボールをする時にトスをするように、みな食べてしまったのです。それで、ダニエルを最高総理の地位に座ったのでした。ですから、これからダニエルが仕える主の悪口を言う者は、全部あのようになると言いました。これは、戦いの問題ではありません。ダニエルの身の振る舞い方です。ダニエルを見た時、王が主なる神様に仕えていることが分かったのです。本当に答えを受ける人であることを見たのです。本当に実力があって、素晴らしいことを見ました。頭を使ったり、じめじめした悪い臣下と違うことが分かったのです。だから、ダニエルが完全に成功したのです。聖書の人物を見ましょう。少し反対になる人物もいます。
■ネブカデネザル王の時、偶像を作って全部、お辞儀をさせたのですが、三人がお辞儀をしませんでした。私はこの時、ダニエルがどこへ行ったのかはよく知りません。とにかく、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの三人が、お辞儀をしませんでした。同じ時代なのに、偶像にお辞儀をしたはずはないのに、よく分かりません。当時、ダニエルがいなかったことは確実です。とにかく、避ける道があったのか、いませんでした。彼らがお辞儀をしなくて、王に報告が行ったのです。知ってみたら、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴでした。王が一番良いと思っていた人々でした。こういう事があるのか。王が頼みました。機会を与えるから、お辞儀をするふりをしなさいと言ったのです。それも一度だけ、かわいそうだから言ったのです。そうすれば、あなたたちは少なくとも死ないから、するふりでもしなさいと言いました。世界的な王なのに、この青年たちを愛していたのです。その時、この三人は大胆に話しました。王よ、それに対しては2度、話す必要はありません。私たちが火の中で入るようになれば、主なる神様は助けられるでしょう。そして、後にはさらに重要な話をします。しかし、たとえそうでなくても、私たちは偶像の前にお辞儀はできないと言いました。どうしようもなく、火に入りました。歴史の記録にも残っています。歴史には、誤って投げたから死ななかったとなっているのですが、ひとまず死ななかったのは確実です。
■そうしたら、驚くべき働きが起き始めたのです。私たちの契約を持った人々が現場でどのように対応するべきでしょうか。そのうちで1人が女性で、エステルです。悪いハマンという人が策略を講じて、ユダヤ人をみな殺すようにしようとしました。色々な策略を作って、途方もないお金を使い、人を買収して、ユダヤ人をみな殺すように作戦を組んだのです。ところで、この人が知らなかったことが2つあります。王が一番尊く見ていた王妃がエステルだということをよく知らず、このエステルがユダヤ人だという事実を知らなかったのです。ですから、いくら頭を使っても、頭には限界があります。最も重要なことで限界がくるのです。死の前では頭が暗くなってしまいます。王が呼ばなかったら、前には行けません。なぜなら、王室は人を殺して罪を犯す者でなければ、決まった者たちだけが行くのです。今でも高い地位にいる人は、どこでも乱暴にできません。そのようにして、命をかけて行ったのです。法では死ぬことになっています。しかし、エステルが現れたら、王がなぜ許しもなく来たのかと言うのではなく、とてもうれしくて金の笏を上げるほどでした。私個人の考えですが、ものすごく会いたかったのに、話にはできなくて待っていたのではないかと思います。エステルを見て、どうしたのかと尋ねました。あなたに国の半分でも与えるから話してみなさいと言いました。
■その時、皆さんならば、直ちに号泣をしながら話をするでしょう。この身の振る舞い方が良かったのです。家でパーティーをするので、王が来てくださるかと尋ねました。その時、重要な話を一言言いました。来られる時、総理をお連れしてくださいと言ったのです。この総理が錯覚して、今、私がこのように人気が高いんだと理解したのです。ところで、パーティーをしている中に、気が付いた王が、何かが確かにあるので、変に思ってなぜこうするかと言いました。またエステルに尋ねました。何か用があるのか、何の頼みがあるのかと尋ねました。国の半分でも与えるから話してみなさいと言ったのです。足りない女には、そんな話はしません。受け取る女性でもないだけでなく、与えるに値する女性なのです。その時、皆さんならば、確かに話をするでしょう。つまらない言葉も言うのに、なぜしないでしょうか。自分にちっぽけな問題がきても、町中にみな言いふらして、他の人をむしろ試みにあうようにさせるのに、なぜしないでしょうか。この女性は、普通の女性ではありません。本当に祈る女性です。祈る人は、取立てて言う言葉が、そのように必要ではありません。幸せだからです。ところで、これは国家の危機に会っていたのです。
■その時、何と言ったでしょうか? 話さなければならないことですが、明日もう一度パーティーをするから、その時、来てくださいと言いました。この女性を見ながら、普通の女性ではないことを感じました。王がほれるだけの女性です。それで、またパーティーをしたのですが、王が変だから本当に尋ねます。どうしたのと尋ねたのです。その時になって話しました。私たちのユダ民族がみな死ぬようになりました。王が知っているとおり、ユダの民族には何の誤りもありません。そして、誰かが陰謀をたくらんでこのようにさせたのですが、全部嘘です。そして、私がユダヤ人だと話しました。王がその話を聞いて、どれくらい頭にきたか、いったい誰がそのような嘘をついたかと尋ねました。誰が民と王をだますのかと聞いたのです。今、私たちと共に食事している総理ハマンと言いました。聖書を見れば、王があまりに腹が立ったので、外にひとまず出て行ったということです。人は悪口が出てくるのも怒りが少しだからこそ、悪口も出てくるのです。その時になって、その高慢で権力が強大なハマンが、王妃の足を捕まえて助けてくださいと言ったのです。これが、普段の時のハマンの姿です。その困難の中でも、言葉を慎んで祈ったのが、エステルの普段の姿です。
■王が息をちょっと整えて入ってきたら、ハマンが王妃の足をつかんでいるのを見ました。ひざまずいて頼んでいると見えず、今その少しの間に愛する王妃を捕まえるように見えたのです。これで直ちに命令を下して、ハマンを殺してしまいました。ハマンだけを殺すのではなく、ハマンの一族と家族を全部抹殺させてしまったのです。モルデカイを殺そうと作っておいたところにハマンを付けて殺せと言いました。もちろん、勝利したということが問題ではありません。この契約を持った人々の振る舞い方です。こういうものがとても重要です。「牧師先生、それでも環境が」という話があるでしょうか。少しだけ耐えて待ってみてください。皆、知っておられるのです。皆さんが未信者と付き合う、そのようなことが未信者が好むように見えるのですが、中では好きではありません。未信者と額を突き合わせて、あらゆる嘘をつけば、表面では通じるふりをするのですが、中では悪口を言っています。こういう奴が長老か、執事か、執事ではなく雑事だね、こう言いながら悪口を言うのです。正しくすれば、表面では嫌がるようでも、中では尊敬しています。それで、伝道の門が後に開くのです。どのように、非真理が真理に勝つでしょうか。勝つことはありません。
■今日、皆さんが重要な契約を捕まえる時、どれほど多くの祝福が備えられているかを知るようになるでしょう。世界を動かした人々の特徴があります。本当に不思議です。人を滅びるように動いた人々と、生かすように動いた人がいます。知っているでしょう。みな勉強をしたでしょう。本当に不思議です。人を滅ぼすように率いた人々は、全部、神様を信じない人々で、人を生かした英雄は、全部、神様を信じる人々でした。本当に不思議に思います。絵も正しく描いた人は、みな神様を信じる人々で、音楽も正しくした人は、全部、神様を信じる人々でした。不十分な音楽家がいろいろな話をするのですが、本当に音楽をする人々は神様を信じる人々です。科学者で正しくした人は、神様を信じる人々です。そこでみな分けられます。福音を持った少数でも、世界を変化させられるのです。この人たちの信仰で、出エジプトする働きが起きました。皆さんが、これを契約で捕まえなければなりません。それでは、最後に考えなければならないことがあります。実際に、私たちに危機がくれば当惑します。普段の時、良くしてきたら危機も来ないでしょうが、来たら当惑します。実際に問題が生ずれば、当惑して、気が動転します。そして、とても何かにならなければ、思わず押さえられてしまうのです。精神、こういうものでなく、とても貧しくて問題がくれば、すぼめられる問題がきます。こういう危機がきた時、どのようにしなければならないのでしょうか。
■その時、その難しい時代にエレミヤを通してなさったみことばです。エレミヤ33:3、危機がきたとすれば本当に叫ばなければなりません。叫ぶということは、本格的に祈りなさいということです。重要なことに会った時、普段の時、3つになりながら祈ればみわざが起きます。危機がきたのですが、そのような時は叫んで祈らなければなりません。どこかに行って突然、水に落ちたというなら危機です。その時、どのようにしなければならないでしょうか。その時は、声の限りに叫びながら、助けを求めて大声を張り上げるのです。水に落ちて死ぬ人が、低い声で小さな声を出していたら、だれが聞くでしょうか。ところで、私たちが食堂や色々な公共場所では、静かにすべきです。そこで怒鳴りつけていては、変な人です。私たちに危機がきたとすれば、祈れとなっています。
■エゼキエル1:1、イザヤ6章に、イザヤが祈る中に六つの翼を持った天使の幻を見たのですが、その時、レムナントという答を話しました。本当に危機がきた時、ダニエルが20日間祈りました。人々は知らないのですが、悪いサタンがきてその祈りの答えを防いだのです。その時、助ける天使ミカエルを送って、打ち破って祈り答えの門をあけられたとなっています。それを見ながら、祈って、あきらめてはなりません。戦いだからです。エステルは、王の前に行きながら何と言ったでしょうか。私のためにすべての民は断食しながら祈ってくださいと言いました。死ななければならないなら、死にましょう。このように覚悟して行ったのです。この程度ならば、人の身の振る舞い方と信仰が全部見えるのです。神様に栄光を帰して、国が生きたら、私は死んでも良い。そのような覚悟で行きました。だから、神様の驚くべきみわざが起きたのです。色々な問題の中に、混乱が来る時があります。その時は、卑怯にせずに契約を捕まえましょう。
■少しだめなようでも、そうではありません。少し過ぎれば、答えの大きい門が開かれます。イスラエル民族が捕虜で苦労しました。最も重要なのが何でしょうか。再びこの捕虜に入っていかないことではないでしょうか。今日、皆さんがこの重要な祝福を受けたのですが、単に礼拝をささげて行くのではなく、本当に昔のことを捨てるべきです。ある人は、自分の家にある良い物をみな出してしまいました。それで、外にいる人々が、拾おうとけんかしたのです。そんな話ではありません。こういう考えを通して昔のことをみな捨てなければなりません。だめな昔の習性を静かに持っていても良いでしょうか。昔の水準、姿、そのまま持っていてはいけません。未信者が見た時、この人は本当に素晴らしいと感じられるほどになるべきで、だめだと感じるようにしてはいけないのです。それで、高齢な方々も、そのように考えずにちょっと頑張って計画して祈りながら素晴らしく暮らしましょう。これで20〜30年若いと見られるようにして、伝道もしましょう。
■知っている方1人は、年齢が80歳を越えたのに、見えるのは50代と見えます。ものすごく粋で、人も元々すばらしい人です。この人が、養老院に伝道しに行ったのです。そうしたら、70歳になったおじいさんが「君」と言うほどでした。それで、この長老が、あなたは今年何歳と尋ねたということです。私は70歳を少し越えたと言ったので、私は年齢はあまりとってないが、80歳を越えたと話したのです。だから、来た人々が、君と言ったことを許してくれと言ったということです。それと共に、お兄さんは、どうしてそんなに若く見えるのかと尋ねたのですが、その時、イエス信じるとこのようになると言ったのです。私がイエスを本当に信じるのでこのようになったと言いながら、福音を伝えたのでした。人が本当に素晴らしいのです。刑務所まで行って伝道したりしました。
■人は老いてそのままいれば、おかしくなります。過去がちょっとそうだったとすれば、みなはたいてしまうべきで、それをずっと捕まえてはいけません。昔に失敗した過去、低い水準、それをずっと捕まえていてどうするのでしょうか。容赦なく捨てなければなりません。前に話をしなかったでしょうか。何を捨ててしまうべきでしょうか? 乞食があき缶を持っていつも食べていたのが、この頃の言葉で言うとば何億円の宝くじに当たったのです。今は、乞食をしなくても良いのです。数億円の宝くじに当たったということです。あき缶は海に捨ててしまったのです。ところで、あき缶を捨てて、いくら探しても宝くじがありません。あき缶を捨てる時、習慣になっていて、あき缶の中に宝くじを入れてしまったのです。あまりにも乞食の習慣になって、何でもあき缶に入れたからです。
■私たちが信仰生活をそんなにしてはいけないのです。皆さんが今日、恵みを思い切り受けて、あき缶に入れて捨てて行ってはなりません。私たちが契約を捕まえて力を得て祈れば答えられる神様です。本当に問題があるでしょうか。本当に答えがあるのです。皆さんが今日、神様がくださる新しい力を得る祝福の日になることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。今日、私たちが新しい力を得る日になるようにさせて下さい。癒される日になるようにさせて下さい。神様が準備される遠い未来を見る日になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。



2部/世の中でレムナントはどのように対応するべきか?
(詩119:120)

■ 120節一節だけしか読まなかったのですが、ファン牧師が一節だけ読むのですかと尋ねました。その理由は、他ではなく、この時間は眠たいから一節で簡単に読むことにしたのです。そして、レムナントに簡単に説明するためにそうしました。事実は、私も外国に行ってみると、時差があるので説教をしようと座っていても眠たかったのです。それで、信徒が疲れて大変で座っていて、うとうとすることが理解できました。眠い方たちは、ゆっくりおやすみになるように願います。ところで、私たちが幼い時、旧盆の日には早く起きました。気持ち良い日は、夜明けに起きます。遅く寝たのに疲れないのです。それが年を取りながら、少しずつ理解できるようになりました。聖日や重要なことがある日ならば、私は何時間か前に起きます。普通、聖日で伝道師の時期には明け方にも教会に行きました。なぜならば、とても良かったためです。特に、私たちのレムナントは、そのような部分を持っていなければなりません。
■皆さんは成功するレムナントだから、時間を合わせて来るのではなく、何時間前に来ましょう。学校に行くのも、ちょっと早く行って祈りもして、色々な準備もすれば、それが何でもないことのようですが、多くのことが積み重なります。そして、皆さんが教会でも家でも、あるいは職場ででも、人々に会って話すようになります。頼みを受けることもあります。誰かと約束をするようになります。そんなことはメモをしておきましょう。先輩やおとなをまた呼んで尋ねるようになれば、皆さんは不合格です。その人は定刻の祈りもしなくて、何の準備もないということです。定刻の祈りは特別なことではありません。そのように準備して考えてみれば、あらかじめ簡単に報告できるのです。そうしてこそ、皆さんは成功するのです。
■良くするというのではなく、私の場合には頭が良くなかったのですが、副教役者だった時は、すべての信徒の電話番号をみな覚えました。牧師が探せばすぐに出さなければならなかったために、新しい家族のほか、重要な方々の電話番号はみな覚えていました。それでこそ、私が気楽に助けてあげられるからです。何かをいつも忘れるということは、真の成功をすることが難しいのです。レムナントは成功する人々だから、人生のスタイルから変えなければなりません。レムナントは、夜明けに早く起きて、運動もして、勉強もして、他の人が一日中することをみなしなければなりません。他の人について行くようになれば、結局はだめになっています。世の中を引っ張っていくべきで、世の中について行っていて、皆さんがどのように成功するのでしょうか?
■それで、世の中でレムナントはどのように対応しなければならないのでしょうか? 今日、1部礼拝の時、申し上げたのですが、それを根拠として、必ずレムナントが分からなければならない部分をみことばでお分かちします。最もやさしい話で、レムナントは今から何を準備しなければならないのでしょうか? レムナントは成功しようとしてはいけません。成功できる人にならなければなりません。必ずレムナントは銘記しなければなりません。しばしばバカのように成功しようとするのですが、どのように成功できるでしょうか?成功できる人にならなければなりません。それで、ひとまず皆さんが早く起きて、準備をして、他の人より先んじろということです。ところで、あまりにもにしないから、皆さんが少しするだけでも働きが起きます。私が良くするから祝福されたのではなく、神学生たちの中で伝道現場に行く人が1人もいなかったのです。私が行ったので祝福を受けました。私が立派だったために答えを受けたというのではなく、全く教会が福音に関心がないのです。少し関心を持ったところ、祝福を受けなければならない科学的な原理ではないでしょうか。多くの人々はしばしばお金を儲けようとします。もちろんお金は必要です。しかし、それよりさらに重要なのは、お金を儲けられる人にならなければならないということです。それで、次の人をそろえることがとても重要です。
■詩篇119篇は、176節まであります。何に対してでしょうか? みことばに対してです。背景はいつでしょうか? イスラエルが捕虜になった時です。その時から176節を覚えたことが、ずっと伝えられてきたのです。その主題がみことばです。それなら、私たちは詩篇119篇を持ってみことばに答えを完全に出すべきです。今日、そのような祝福を少し受けられるように願います。これを分かるために理解しなければならないことがあります。必ず理解しなければなりません。神殿に対する理解をしなければならないのです。エルサレム神殿は大きく3つがありました。一番最初に作ったということで、第1神殿と言うのですが、これはだれが準備したのかというと、ダビデが準備したのでダビデ神殿と言います。そして、ソロモンが完成をしたのでそのニックネームをソロモン神殿と言うのです。これが第1神殿でした。皆さんがここで考えを良くしなければなりません。これを作ってどれだけ祝福を受けたかというと、各国の人々がイスラエルにきてソロモンに会ってみることが願いになるほどでした。あの有名なシェバの女王がソロモンに会うために金銀を積んできたのです。どれだけ祝福されたのかというと、各国すべての王を合わせた知恵をソロモンに与えられました。聖書に記録されています。なぜでしょうか? 創世記3:15が成就する方法がなかったのですが、これを悟って神殿を作ったからです。創世記6:14に、箱舟の中に入れば生きるというこの祝福を理解した神殿を作ったということです。このメッセージがサムエルに伝えられて、皆さんがおわかりの通り、ダビデに伝えられました。神様がアブラハムの家系をなぜ祝福されたのでしょうか? アブラハムに起きた雄羊事件をご存知でしょう。この祝福がそのまま伝えられた神殿を作ったのです。そうするうちに、出エジプト3:18に血の契約を持って解放されたのですが、これを成し遂げる幕屋を作りました。これを完成させたのです。これら全部の契約を説明した契約の箱を納める神殿を作ったということです。皆さんの定刻祈りの中に、常に神殿に対する祈りがなければなりません。私にはあります。RUTCが全世界に起きることを自分の胸に抱いて、一日に三回ずつ祈ります。そして、胸の中に、首都圏に他の文化、暗闇の文化に勝つほどの、本当のレムナント生かす礼拝堂を作ります。力がないのにどのようにするのでしょうか? 神様が天と地と世界と海を揺り動かされるでしょう。この神殿を作ったのです。これが第1神殿です。ニックネームがソロモン神殿です。問題が、どこにあったのでしょうか? これが時間が経って、問題が来たのです。時間が経って、問題がきて、この祝福をすべてみなのがしてしまいました。私たちのレムナントと役員は、知っていなければなりません。この祝福がみななくなったのです。完全に儀式だけ残って、外形だけ残ったのです。このようになりました。この時、問題がきたのです。これが最も大きい原因です。
■ところで、ヒゼキヤ王の時でした。ヒゼキヤ王の時、各国の使節団がきたのです。来て、ヒゼキヤ王を慰労しました。あなたがどうしてアッシリヤ軍に勝ったのか? 病気にかかって死ぬといったのにどのように生き返ったのか? この時、失敗をしたのでした。主なる神様が私に恵みをくださったということを証ししなければならないのに、ヒゼキヤ王が大きい失敗いくつかをしました。最初の失敗が武器庫に連れていったのです。我が国には、こういう武器がある。その次に宝物倉に連れて行きました。宝物倉は、王が集めた財産です。金銀財宝を見せたのです。三番目の失敗をしました。神殿に連れていって、器具を一つずつ説明したのです。この時、バビロンの使者がこれをうらやましがり始めたのです。そのように歳月が流れて、B.C.606年頃になって、エルサレム神殿を破壊しました。無惨にも、この神殿を燃やしてなくしたのです。ゼデキヤ王が最後の王であったのですが、この王をバビロンまで二千里の道を引いて行ったのです。単なる話ではなく、実際あった事です。神殿中の器具をみな奪って行って、ネブカデネザル王がそれでパーティーをするのに使ったのです。これがエルサレム第1神殿でした。
■この時、皆さんが知っている通り、詩篇119篇を読んだ人々が祈り始めたのです。それでやっと発見したのが、この福音を発見したのです。メシヤがくる。これからメシヤが世の中を救い出すようになる。ところで、そのメシヤは処女がみごもって男の子を産む。この契約を捕まえて神殿が回復し始めたのです。皆さん本当に祈れば奇跡が起こります。想像もできない事件が起きて、クロス王がこの国を征服するようになりました。このようにして、第2神殿が建てられるようになったのです。この神殿を第2神殿だとして、ゼルバベルが総指揮をしたので、ゼルバベル神殿だと言います。私たちの力と関係ありません。クロス王が戦争を起こして、メディヤ、ペルシヤを倒してしまい、その国を建ててイスラエルに帰れと言いました。帰って神殿を作れ。それが第2神殿でした。燃えたのを新しく復元したのです。よく理解しなければなりません。
■そのような中に、歳月は何百年が流れました。イスラエルはまた、私たちが強調する福音がまたなくなってしまったのです。皆さんが本当に福音を味わったら、無尽蔵な門が開くのに、あまり味わいません。皆さんが今直ちに考えで、福音を味わわないのです。直ちに考えは昔に暮らした故郷の思い、そこで遊んだこと、そのようなことで、全く味わいません。私の性質、固執、体質であって味わわないのです。味わいさえすれば働きが起きます。これをまたのがしてしまったのです。味わいさえすれば働きが起きます。これで、またどんなことが起きたのでしょうか? イスラエルがローマに属国なってしまいました。この時、カイザル皇帝が治めるようになりました。このように毎日、奴隷生活をしたのです。目に見えないように霊的に、後ほどには抜け出せません。悪魔の奴隷になってしまいました。奴隷ということは、抜け出せないことを言います。そのような問題が現れたのです。この時、カイザル皇帝がイスラエルを通り過ぎるようになりました。その時、ある人が席を敷いていたのです。そして、祭壇を築いていました。そして、カイザル皇帝が通り過ぎるのを見て、そこにひざまずいてお辞儀をしたのです。皇帝が誰かと尋ねたのです。あなたはローマの皇帝だけでなく、全世界の皇帝で、まさに神です。カイザル皇帝が気持ちが良かったでしょう。お前の名前は何か?私の名前は何々です。お前の願いは何か? 私は王様の心に合うようにイスラエルを治めます。良い。それでは、お前が王をしろ。その人がヘロデ王です。ところで、この人はエドム族です。その人がヘロデ王です。イスラエル民族がたびたびデモをしたのです。あなたは王族ではないのに、なぜ王をするのか? そのようにするから、ヘロデ王が頭を使ったのです。どのようにすれば、ローマによく見られて、イスラエルによく見られるのだろうか? イスラエルの人々が一番好む神殿を作るようになったのです。これはなくしてしまい、神殿を作る。それがヘロデ神殿です。第3神殿です。イエス様が悪口を言われた神殿がこのヘロデ神殿です。イエス様が、わたしがこういうものは3日で立てると悪口を言ったのがこの神殿です。イエス様が宮きよめをしたのがこの神殿です。それで聖書の記録を見れば、46年間をかかって神殿を作りました。なぜ46年間作ったのでしょうか? いつまでも作ってこそ、いつまでもデモを防げるためです。この神殿を神様が静かに置いておられるでしょうか? すべての祝福が教会神殿から来たり、行ったりしたことを知っていなければなりません。今、福音は完全になくなって、政治、律法だけが残りました。これがヘロデ神殿です。皆さんがおわかりの通り、A.D.70年ごろ、このヘロデ神殿は崩れました。イエス様が預言された通り、そして、イスラエルは崩れ始めたのです。
■驚くべき事実は、今でもこの神殿を回復することができずにいるのです。強大なカトリックが、これを回復してみようとしたのですが、できませんでした。これを回復してみようと戦争を起こしたのが十字軍の戦争です。世界を揺るがした中世教会が回復しようとしたのですが、回復できませんでした。聖書には回復できないとなっています。回復される日は、世の中の終わりだと言われています。だれが神様のみことばを変えられるでしょうか? 今でも、嘆きの壁といって、壁の前で祈りながら泣いています。これを回復させてくださいと。この詩篇119篇は、この時、起きたことです(第2神殿)。背景をよく知っていなければなりません。レムナントは、どのようにしなければならないのでしょうか? 神様の祝福を回復した主役は,どのようにすべきでしょうか? レムナントと一般信徒は記憶しなければなりません。普段の時です。皆さんが普段の時に重要なことができなければならないのです。それが何でしょうか? 普段の時に、皆さんが誰かを知っていなければなりません。アイデンティティーです。私をのがしてしまえば、みなのがしてしまうのです。皆さんが音楽をしてもそうで、運動をしてもそうで、私をのがしてしまってはいけません。今回、金メダルを3個もとった水泳選手が何と話したでしょうか? 自分は水泳をするのに苦しむのではなく、最大限に楽しむと言いました。そうです。その言葉は、自分を見いだしたということです。私をのがしてしまえば、ひどい問題がきます。レムナントは、定刻の祈りや常時祈りをする理由が何でしょうか? これは私を見いだす、とても重要な理由です。
■その中で、今日からレムナントはこれを記憶しなければなりません。聖徒たちもみな記憶しなければなりません。皆さんが誰なのか、私がいくら話しても、味わわなければなりません。一番最初に味わうのが事実は、みことばではありません。今でも味わっていないでしょうが、みことばではありません。聞くか聞かないか、全く同じです。私はみことばを捕まえると言うのですが、それではありません。皆さんが一番重要なのが、現実、まさに今日です。ここには必ず2つのことが隠されています。失敗と成功です。そうです。呪いと答えです。それがここに隠されているのです。いつでも。それで、皆さんが少しだけ神様の導きを受ければ、その答えがつながっていきます。これがとても重要です。ところで、ある人を見れば、話すことも導きを受けない言葉を継続するのです。信仰生活は難しくありません。皆さんは救われた神様の民だから、これからは自分を見いださなければなりません。この時、はじめて講壇のメッセージが生き返るのです。本来、これが先ですが、事実はそうではありません。アイデンティティーが生き返ってこそ、みことばが先になって、ずっと答えを受けるのです。皆さんに証拠がずっと起きるのですが、それが伝道です。伝道するのではなくて、証拠が現れるようになります。その時に、やっと私を見いだすようになるのです。それ以上は見つけられません。
■今日、昼間に皆さんが眠い時間に、とても難しい話をしたのですが、それでも見いださなければなりません。そうでなければ、聖歌隊に座っていくら賛美を歌っても、私が誰なのか分からないのです。教会にきて、みなしても、私はないのです。それでは、どうするでしょうか? 皆さんのように音楽する人が、全世界にたくさんいるのに、私をのがして答えも受けられなければ、後ほど就職もできません。そのようなくやしい人生を生きれば、どうするのでしょうか。私を見いださなければなりません。私が神様の導きを受けて、答えを受けなければならないのです。確かに神様のみことばは成就しています。一つも難しくないのですが、しばしばここでのがすのです。私は今まで本当に多くの牧師、宣教師を見たのですが、神様の導きをぴったり受ける人あまりいませんでした。受けたなら、無条件に成功します。私が何度か話しました。個人をほめるのではありません。大部分を見れば、遊びに行って友人に会って開拓します。時々、叔父とご飯食べて開拓してしまうのです。いくら息子でも、ヨーロッパにいるからといってヨーロッパ宣教委員会を作ったりするのですが、普通の信仰生活がそのような形です。
■私がほめるのではありません。日本に行っているイ・ジョンウ宣教師のような人は初めて見ました。私の所に来て、牧師先生、私は日本宣教を長く祈りながら準備したが、どの地域へ行くことが神様が最も喜ばれるのでしょうか? 私はそのような質問を初めて受けたのです。それなら、あなたは名古屋に行きなさい。これは、簡単な話ではありません。日本を回りながら私自ら悟ったことがあったのです。ところで、行くやいなや答えが起きました。その理由は簡単です。自分が行ったからとか、私が話したからではありません。本当に神様の導きを受ければ。それでは、今日、皆さんが受けたメッセージが生きて、働かれるということです。この時からは、スケジュールが出てきます。無尽蔵な答えが継続されるのです。ところで、人々はほとんど導きを受けないのです。私が知っている人は、思い切り歩き回って何もしないのに、自分が牧会をするという人もいます。また、私たち息子のような場合は、幼い時からしろと祈ったのですが、しないといって毎日殴られました。私たちは幼い時から世界福音化の契約をつかんだのですが、本人はしたくないようです。政治、お金、こうしたものが良いようです。それでつかまえて来ました。今は、見ているとちょっと変わったようです。無理に来たのではなく、何か導きを受けたようです。ひとまず悟ったので、良くできるでしょう。
■私たちがほとんど導きを受けないのです。それで、私が少しだけ神様の導きを受けようと、苦闘するだけでも導きです。時々見れば、長老もこれが神様のみこころなのかどうか悩む方おられるのですが、それが導きです。ある人は悩みも全くしません。そして、後ほど問題がくるのです。それでは、どのようにするのでしょうか? 祝福はここにあるのに、私は他の所を歩き回るのでだめなのです。水はここから出てくるのに、私が他の所に行けば無駄なのです。これがずっと積もって捕虜になったのです。福音をのがしたのです。後ほどみなのがすのです。こういう問題が生じます。それで、神様がこの契約を持った人を捕虜から戻す驚くべき祝福を回復させられたのです。この人たちが何を捕まえたのでしょうか? 今日の本文にも見ると、この契約を捕まえてずっと覚えたのです。単に覚えるほどではありません。このみことばを捕まえたのです。特にイザヤ7:14はとても重要なメッセージです。皆さん、祝福の中の祝福はインマヌエルです。処女がみごもって男の子を産む。その名前をインマヌエルと呼ばれる。皆さんこの祝福を全部回復するようになるように願います。
■そして、現場でどのようにしたのでしょうか? 今日の1部礼拝で話しました。現場でどのようにしたのか、三人を見ればよく知ることができます。ダニエル。この時代の時、起きた人々です。ダニエルの友人たち。三人の青年。エステル。こういう人々を見ましょう。この三人には特徴があります。この答えを受けているので、どんな特徴が出てきたのでしょうか? 最高の力を持った人々が、全部、この人たちを見てほれました。素晴らしい人々です。これが世の中で私たちのレムナントが味わう祝福です。皆さんは心配しなくても良いのです。この答えだけ味わって行けば、驚くことが起きるでしょう。この祝福を絶対にのがさないように願います。皆さん、ダニエルが獅子の穴に入る時、王が何と言ったでしょうか? あなたがいつも仕える神様があなたを救われるだろう。エステルを見てアハシュエロス王が何と言ったでしょうか? 国の半分でも与える。皆さん、ここにそのような女性がおられればすごいのです。男が私のものをあなたにすべて上げる。誘惑する時ではなく、思い切り生きて、あなたに私のものをあげる。その程度にはならなければならないのです。このアハシュエロス王が、多くの女官の中でエステルを見て、あんな女性には国半分を与えてもかまわないと思ったのです。
■レムナント7人を見ましょう。あなたは奴隷ではない。奴隷をするな。これが現場に起きる身の振る舞い方です。驚くべき祝福です。皆さんが受けなければならない祝福です。今日、本当に信じて、本当にこの契約、祝福を受けるように願います。これが事実で、どれくらい大きい祝福でしょうか? 皆さんは現実の中にいつでも滅びと祝福の道があります。少しだけ導きを受ければ、講壇のみことばが成就するのです。そして、伝道の門が問題ではありません。証拠の門が多く開かれます。どうして、この国にこういう困難がきたのか?契約をのがすからではないか。これを捕まえて現場に入ったところ、こうしたことが行われます。この人のために、すべての国が生きて、みな生き返るようになりました。しかし、今、こういう普段の時ではありません。イスラエルが捕虜になりました。今、そのような時期ではないでしょうか。皆さんがこの祝福をいつも味わえば勝利するのに、他の人はそうではないのです。どんどんほろびる危機に会ったのです。
■このような時、レムナントはどのようにすべきでしょうか? 何人かを見れば知ることができます。あなたはわたしに叫びなさい。今は契約をとらえて叫ぶのです。祈りなさい、そうでなくて叫びなさい。わたしがあなたに答える。あなたが知らない理解を越えた大いなることをあなたに告げよう。皆さんがこの話が分かったら、本当に祈ってみましょう。エゼキエル1:1に、ケバル川の岸でエゼキエルがこの捕虜になった国のために祈ったのですが、神様が天の門をあけられました。イザヤ6:1-12に、祈る中にイザヤに大きい啓示の門が開いたのです。その時、レムナントという単語を与えられました。ダニエルが、この契約を捕まえて定刻の祈りをしたのですが、ダニエル10:10-20を見れば、すばらしい祈りが出てきます。目に見えないようにダニエルが祈ったら、サタン、この悪魔の群れが祈ることを防いで出てきたのです。心配しなくても良いのは、神様がそれをご存知で、天の軍隊長を送って、それらを防がれました。それで、一時代を生かす答えを与えられたのです。
■エステル4:14を見ましょう。危機がきた時、神様の前に祈りながら断食したのですが、驚くべき奇跡が起こりました。この3つが普段の時に分かった人が特別に祈れば、どんな困難も解決されます。のがしてはなりません。これを捕まえた人が断食の祈りをすれば奇跡が起こるのです。福音ものがして、普段の時の導きも受けられないで、現場で毎日悪口を言う人が断食したら、どうなるのでしょうか? はらわたが絡まります。してはなりません。福音もだめになっていて、性質がそれで、導きを全く受けないで、現場ではいつもおかしなことして、詐欺を働いて見つけられて非難されるのです。それで、ご飯を断って祈りながらわめけば、神様が死ぬかと思って少しくださるのですが、それが何の答えなのでしょうか? 私が知っている人は、そのように祈って、全部、病気になりました。本当に、このように祈れば奇跡が起こります。この祝福を皆さんが堅くつかむように祈ります。今でも、うとうとしている人は、しっかりしてこれを見なければなりません。今まで、うとうとしたことは大目に見てあげましょう。今はうとうとしてはいけません。この3つになる人。
これが重要です。イスラエルで救い出した人が、これがなった人でなく、これになる人を救い出したのです。これになる人が今日から本当に特別祈りをすれば、奇跡が起きるのです。レムナントです。
■皆さんは、どんな思考、どんな世界観を持って行かなければならないのでしょうか? これがみな違っているのでしょうか? これを回復させなければなりません。必ず記憶しなければなりません。イスラエル民族は、誤った世界観を持っていました。民族主義。私たちの民族だけが選民だ。それで死んだのです。神様は、そのように教えられませんでした。イスラエル民族を通して世界福音化、神様はすべての民族と言われました。ここに私たちのレムナントは注意しなければなりません。しばしば民族主義を主張する人々がいるのですが、ほろびます。イスラエルが私たちの民族だけと言うからほろびたのです。大院君が私たちの民族だけとして、韓国が日本に50年も遅れたのです。しばらく良くしていたアルゼンチンが、自分の民族運動をしてやっかいな論のために事実、乞食になりました。フィリピンが、ガルシア、マルコスこういう人通じて民族主義をして、今、乞食になったのです。世界で民族主義が一番上手な所が北朝鮮ではないでしょうか。生きた乞食状態になりました。
■この単語は、悪い単語ではありません。私たちの学生たちがだまされてはいけません。先生が変に話すから、学生たちがだまされるのです。牧師先生は右派なようだと言われるのですが、私はそうではありません。左派でしょうか? それでもありません。私は二つの目を真っすぐ開けた派です。私に党があるとすれば、天国です。前に私がわざわざアシアナに乗って通いました。それで、アシアナばかりではだめで、一つだけうまくいってはいけないと他にも乗っています。私は結婚も湖南の人としました。そのようなこと問い詰める必要もありません。私は右派ではないのです。私は初めに、うちの母に結婚すると言ったら、うちの母が尋ねました。うちの母は、優しい人なのに、故郷がどこか尋ねたら、全羅道だと言うから、全羅道はだめだけれどと言いました。まったく他人の話をしない人なのに、そう言いました。全羅道も韓国だと言うと、韓国でもねと言ったのです。それでも、あまりにもうちの母は人が良くて、お前が良ければ良い、神様が祝福されるだろうとして結婚しました。私たちはみな同じ民族で、救われた神様の子どもで、私たちが今、狭い土地で下、上に分けて、そばで分ければどこへ行くのでしょうか? それと共に私たちの民族、話は良いでしょう。私たちの民族というのに悪いという人がどこにいますか? しかし、それで三個をみなのがしてしまったのです。大変なことになります。
■子どもたちを見ても片方だけ教えれば霊的問題がきます。人は、保守も教えて、進歩も教えるべきです。私たちのレムナントは目を開いて肯定的なことも見て、否定的なことも見るべきです。目一つだけ持っていれば距離を合わせられません。二つでなければならないのです。こういう正しい世界観を持たなければなりません。これがなくて、イスラエル民族がほろびたのです。イスラエル民族は、自分たちだけが選民で、他の民族は異邦人だと言います。自分たちは救われた特別な民で、他の民族は救われないで滅びる民だと。話にもならない思想です。この思想は、サタンの思想なのに、今でもずっとどこかに流れています。記憶しなければなりあせん。今はそのような時代ではないのです。昔からそうだったのですが、グローバル時代です。全世界と肩を並べて、目を開いて、私たちも抜けないで一緒に世界福音化をするのです。どれくらい残念なことでしょうか? 私たちは正しい知識を持っていなければなりません。ユダヤ人は律法がすべてです。世界観自体にならなくなっています。世界観自体が私たちの民族、その次に律法です。律法は道を知らせる案内であって、救いがありません。それで、私たちは真っすぐ律法と福音を区分することができなければならないのです。私たちのレムナントは、区分することができなければなりません。少なくとも、皆さんは宗教と福音が違うということを区分できなければなりません。これを持って外に出て行かなければならないのです。皆さんがこの契約を捕まえて出て行けば、皆さんが行く道に毎日答えが起きて、奇跡の門が開かれるようになります。これで捕虜から戻ることが行われたのです。
■結論を結びます。神様は福音を持った少数を通してイスラエルを回復させられました。神様は、神様の力を信じる創造的少数を通してイスラエルを生かされたのです。世界的な畑は大きいのです。神様は生産的少数を通して、この地球を任せられました。それで考えも変えて、皆さんが抑えられていたことからも抜け出して、変えられなければなりません。皆さんがしばしば節制できない部分も変えなければなりません。皆さんが霊的問題の中に最も大きい問題が節制ができないことです。皆さんの家族が集まって食事をしながらワイン一杯飲むことが、何でそのように罪になるのでしょうか? 夜通し飲んで、2次、3次も飲んで、ごろごろするまで飲んで、ひっくり返るほど飲んで、事故を起こしているから、節制できないのです。それでは健康は言うまでもなく、そのようにしてどのように人が生きられるでしょうか? そんなことが悪魔の奴隷です。皆さんはここから抜け出さなければなりません。家族が集まって、将棋をしたり、カードや花札を打つのが罪になるでしょうか。お金だけ見ればかき集めて、ギャンブルをするのが霊的問題です。ある人は、娘の登録金を持ってギャンブルして失ったのです。それであまりにも泣きながら頼んだので、再び返してあげたのに、それを受けて行く時にまたしに行くのです。それが霊的問題ではないでしょうか。ですから、奴隷のように陥っていてはいけなくて、私たちは抜け出さなければなりません。ちょっと素晴らしくするように願います。外形も重要ですが、内容もこれからは、世界福音化の契約を正しく捕まえるのです。
■私が前に釜山で私たちの教会の人のことを話したでしょう。この人は商売することごとにだめでした。私が訪問に行ってみたところ、だめでした。おでんとお餅を売っていたのですが、私が見ても、汚くて見られなかったのです。私が話さないではいけないように見えて話しました。執事さん、お餅をこのようにすればどんな人が食べにくるでしょうか。ひとまず、場所は真ん中に行きなさい。隈で定刻の祈りするためにいるのですか。ここで何をするのですか。近くで見たら、頭の臭いはもちろん、変なものがついていさえしました。それがお餅に入ればどうなるのですか。私がどうしようもなくて、話してあげたのです。執事さん、そのように良くない人ではないが、頭も清潔にして、女の人だからやさしく、魅力あるようにちょっと飾りなさい。履き物もズボンも、変なものを着ていました。家に帰ったらミニスカートはないですか? それを着なさい。ミニスカートを履いて、頭も可愛くして、視線を引きながら商うべきで、本当にだめにならざるをえないのです。私たちが気をつけて、契約を捕まえて、このようにすべきで、人が変ならば、それでは奴隷です。皆さん見て下さい。この契約を捕まえたのがどれくらい祝福なのでしょうか? 個人的に、この答えを味わうように願います。皆さんのために、本当に現場、世界が生き返るように願います。そうすれば、私たちは格別ことではないのですが、未来が生き返ります。この祝福が、すべての証人にあふれ出るようにイエスの御名でお祈りします。祈ります。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。新しい力を得る日になるようにさせて下さい。新しい契約の日になるようにさせて下さい。私たちのレムナントに力を与えて下さい。世界に散ったレムナントに神様が祝福して下さい。暗闇が触れないように働いて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン