2006年12月17日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/あなたのしもべの幸いの保証人となってください
(詩119:121〜128)

■今でも影島の橋の下に行ってみれば、占いをする人が多くいます。そこに人々がたくさん訪ねて行って、悪霊につかれた人に占ってもらうのです。道を知らないからです。ある人は、鳥がくわえてくるもので占います。人間がどういして鳥がくわえてくるもので、自分の人生を決めるのでしょうか。さらにおもしろいのは、シン・ジンソン氏(有名な霊媒師)が書いた本を見れば、牧師も占いに来るということでした。そのようなおかしな牧師もいるのです。ある場合は、宣教師まできて、どこへ行けば宣教がうまくいくのかを尋ねるということです。私たちは、そのようにする必要が全くありません。今日、私たちは何のみことばを正しく捕まえなければならないのでしょうか。今日、ここに1行、重要な節が出てきました。あなたのしもべの幸いの保証人となってください、とても重要な言葉です。私が皆さんを保証したらどうなるでしょうか。また、皆さんが私を保証するという時、どうなるでしょうか。とても重要な話になります。大統領が私はこの人を保証すると言うと、どうなるでしょうか。その危機の中で、あなたのしもべの幸いの保証人となってくださいと言いました。今日、それでは私たちはいくつかのことを持ってみことばをよく捕まえなければなりません。
■最初に、聖書全体を見なければなりません。聖書全体を見れば、本当に福音を持った人、福音で世の中を生かす人であることに間違いないなら、神様が保証されるでしょう。皆さんがこの質問を継続するならば、何かが出てきます。本当に私が福音を持って、福音で人を生かす人に間違いないのか。そうすれば、神様が保証されるでしょう。本当にあの人が会社を生かす人に間違いないのか。それなら、会社が保証するのです。当然のことではないでしょうか。それで、この部分をのがしてはいけないのです。この部分がとても遠くにあるならば、皆さんの信仰生活はさまようようになります。これをしばしば考えて、祈りながら、近くにくれば私と関係あるようになります。これがとても重要な最初の部分です。それでは聖書の重要な例をいくつ上げてみましょう。神様がノアを呼ばれました。あなたのために、箱舟を作りなさい。14節。18節にあなたの家族のために箱舟を作りなさい。20節に、他の人と動物の命を保存するために箱舟を作りなさい。その契約をノアがつかんだのです。それなら、問題になることがありません。今までいた人の中で、ノアは最高の多くの財産を持ちました。答えを受けるしかありません。神様がノアを保証されたのです。これが重要です。未信者でも経済の祝福受ける人々の場合、その部分で神様の保証を受けたのです。
■私は蔚山で現代グループを見ながら、この人が神様は信じないけれど、この人は韓国のために神様が保証された人であるように見える気がしました。学問的にそれほど習ったこともないのに、知恵が優れているのです。創世記13章に、アブラハムがロトと別れた後に、祭壇を築き始めます。あなたの目をあげて、東西南北を見渡しなさい。縦と横に歩いてみなさい。わたしがこれをあなたとあなたの子孫に永遠に与える。そして、創世記15章に、わたしがあなたの盾で、あなたの報いだと言われました。それなら、終わったのではないでしょうか。これがどれくらい重要な話でしょうか。だから、アブラハムはだめになるはずがありません。だめになることが奇跡であって、だめになるはずがありません。なぜなら、アブラハムの盾が主なる神様だからです。その理由があります。
■神様がなさろうとしている重要なことがあるので、アブラハムを保証されたのです。これが信仰生活の最初です。太陽と月と星がお辞儀をする世界福音化の夢を、幼いヨセフが見ました。むなしい夢でなく、本当に見たのです。だから、奴隷で行っても、監獄に行っても、どこへ行っても大丈夫で、成功までしました。ヨセフが監獄に行ったところ、監獄に祝福があふれて、監獄が監獄でなく王宮になりました。ヨセフが奴隷に行ったところ、ポティファルの家が祝福されて、この人が奴隷ではないと言われました。だから、主がヨセフとともにおられたと言われたのです。とても重要なみことばです。神様がどのようにされたのでしょうか。「モーセ、あなたはイスラエル民族を連れて出なさい。わたしがあなたと共にいる。」その時、モーセは自分の状態を知っていて、私はできないと言いました。神様は、わたしがあなたとともにいると言われたのですが、私が誰だというので、パロの前に行きますか。パロが私の話を聞いてイスラエルの民を出すでしょうか。わたしが力ある手をあげて彼を打つ。しかし、イスラエル民族が私に従って出ますか。主が送られたと言いなさい。わたしがあなたに証拠を与える。と言われました。神様がモーセにそう言われたのです。モーセが自分の状態をとてもよく知っていて、できないと言いました。
■出エジプト4章を見れば、死ぬ思いをさせられました。尋ねるまでもなく、モーセは決断を下したのです。皆さんが死ぬ思いをしたら、じっとしているでしょうか。しかし、当然のことです。モーセが行く道にエジプトが崩れて、紅海が分かれるのは当然です。その理由が何でしょうか。モーセを神様が保証されたのです。モーセがそんなにだめになれば、神様がおられないことで、聖書が嘘になって、福音も必要なくなります。これがとても重要なみことばです。それで、ヨシュアに雄々しくあれ、恐れてはならないと九回も話されたのです。そのうちに、重要なみことばが出てきます。わたしはモーセとともにいたように、あなたと共にいると言われました。だれがヨシュアに対抗できるでしょうか。皆さんを神様が保証されるのです。だれが対抗できるでしょうか。難しくありません。私たちが本当に福音を伝える教会に間違いなくて、人と地球を生かす教会であることが間違いないならば、心配する必要がないのです。心配は別にしなければなりません。幼い時に、この保証を受けた人々が成功したのです。それで、レムナント運動をするのです。
■幼い時、この保証を受けた人が、ヨセフであり、ダビデです。だから、何も怖くありません。あなたはイスラエルを生かす王になる。それも神様のメッセージを受けたサムエル大祭司がきて油を注いだのです。言わば、主の保証を受けたのです。皆さんならば、恐ろしいでしょうか。ダビデがすごかったのです。その時から祈りました。その時から、時間さえあれば、指導者の準備をしたのです。時間さえあれば、文章を書くこともして、賛美して詩を作ることもしました。それで、ダビデは気持ちの中では、これから王になって起きる事を想像しながら文章を書いて、賛美をしたでしょう。その時、ゴリヤテに会ったのです。これは怖くなるのではなく「この時だ。」という気がしたでしょう。
■それで、兄に話したのです。荷物をみな預けておいて、兄に話しました。すると兄がダビデに高慢だと悪口を言いました。千人隊長に話したら、千人隊長が王のところに連れて行きました。王が見て、お前ができるか、彼は戦士でお前は少年なのに、その時、ダビデが重要な話をしたのです。まさに、その神様が自分を保証するメッセージをしたのです。私がお父さんの家で羊を飼っていた時、私は羊一匹もなくさなかった。私は獅子の口を裂くこともした。主は獅子の足の爪と歯から私を守って下さった。神様を侮辱する者の手から私を救い出されることを確信します。石の話はしませんでした。事実は、ダビデが自信があることが一つあったのですが、それが石を投げることでした。
■この前、TVで大邱にいる男性が50年間、銃を撃ってきたという人が出ていました。幼い時から撃っていたのですが、50年、着実に撃ってきたのです。どれだけ自信があるかというと、何でも当てます。それで、放送局に連れてきて、放送局でするので震えないかと尋ねたら、カメラのために少し震えると言っていました。小さいタバコの吸殻ほどの大きさに当てられるかと聞いたら、してみると告げました。正確に当てたのです。この銃で蠅も打つほどでした。この人には自信があったのです。ところで、この人は全世界の銃をみな集めてありました。言わば銃に対する契約があるということです。何かを研究していたのです。だから、それだけ自信があった人なのですが、ダビデもそうでした。ダビデがあまりにも信仰が良くて、神様を知っている人だから、銃の話はしなかったのですが、自信があると言いました。お前は私に刃物と槍と投げ槍を持って向かってくるが、私は銃で立ち向かうと言いませんでした。原則はそう言うべきです。しかし、私はお前が侮辱する万軍の主の御名で立ち向かうと言いました。それが自分を保証しておられる神様が、保証してくださっていることに確信があったからです。
■私たちのレムナントが、こういうものを少しだけ考えても、神様が答えをくださいます。今、皆さんが失敗しているとしても、今、この契約をつかんで始めれば、本当に奇跡が起こります。少し年をとったという気がしたら、この契約を捕まえて新しく始めるように願います。そうでなければ、皆さんそのまま老いてしまいます。それが神様の望んでおられる計画ではありません。何をするのか? 私が何をすべきか? という悩みは、占いに行くことと同じです。そうではなく、この契約をつかみなさいということです。そうすれば、神様がくださる答えがあるのではないでしょうか。神様が何とおっしゃられたでしょうか。絶対に困難を受けていたエレミヤに何と言われたでしょうか。エレミヤ33:2〜3。イスラエルが完全にほろびた時、ある人1人が重要な契約を捕まえたのです。なぜこのようにほろびたのですか? 神様は何と答えられたでしょうか。さらにほろびるだろう。それでは、どうしますか? すべての建物が燃えてなくなる。それではどうするのでしょうか。それでも、テレビンや樫の木が切られることがあっても、切り株は残るようになる。この契約をイザヤがつかんだのです。だから、神様がイザヤを保証されたのです。
■私は十二坪で皆さんと始めた時、神様の確実な契約を捕まえて、皆さんが伝道者だから、神様が祝福されると確信しました。単純に、世的によく暮らして生きようというのではなく、それ以上の驚くべき約束を神様がくださったということです。滅びることができません。「あなたは生ける神の御子キリストです」どのようにペテロがほろびるでしょうか。その時代に、誰も知らずにとんでもないことを考えているのに、そのような告白をしたのです。だから主がペテロを保証されたのです。だから足のきかない者も起きて、驚くことが行われたのです。皆さんがこちらに少しだけ方向を合わせても唯一の答えが与えられます。この部分を仕損じてはいけないのです。
■聖書に答え受けた人々は、果敢にしたのですが、私たちはよく合わせられないでいます。とんでもないことせずに、少しだけ持続していけば、その時から契約的祝福が回復するのです。こういう祝福が今日、皆さんのものになるように祝福します。それでは、当時、捕虜になった時の詩を見ましょう。今日の本文に出てきました。それが、私たちが二番目に捕まえなければならない契約です。122節です。これは何の話なのでしょうか。神様の神殿をみな倒してしまい、神殿の器物をみな奪ってしまい、このように神様を侮辱したのでした。
■ここに、それではないと話せる証人が出てきたのです。わたしがあなたを保証する。言わば、この契約を捕まえたのです。私の目は、あなたの救いと、あなたの義のことばとを慕って絶え入るばかりです。何の話なのでしょうか。救いを待ち望む者、みことばを捕まえる者、その証人になるようにしてくださいということです。124節には、主の恵みによって。そうでした。神様の愛と恵みが、どれくらい大きいことかを現わす証人にならなければならないという話です。125節には、あなたのさとし(主の証拠)を知るでしょう。そして、126節には怖い話が出ています。今こそ主が事をなさる時です。彼らはあなたのおしえを破りました。と言いました。よく捕まえたのです。こういう少数の人々のために生き返ったのです。
■今日、皆さんが貴重な時間に、こういう契約だけ捕まえる時間にさえなれば、本物の答えが始まります。それでは三番目です。今日、私たちがどのようにしなければならないのでしょうか? それが問題です。聖書は確かにそうなっていて、その当時には、そのように証拠がきたのですが、私たちはどのようにしなければならないのでしょうか。それが重要です。今日、私たちがどのようにしなければならないのでしょうか。最も重要なことが、この契約を証拠として、実際に捕まえなければなりません。これはとても重要なみことばになります。ソウル、蔚山、京仁(ソウル・仁川)、アンサン、すべての私たちの海外の家族が礼拝をささげています。そして、多くの一般信徒の方々が、このメッセージに参加しています。いくらみことばが良くても、私がどうなるのかを知らなくてはいけません。いくら外に食堂が多くても、私が行って買って食べなければ、私と関係がないのです。
■今日、どのようにしなければならないのでしょうか。主の保証、主の証拠を、どのようにしなければならないのでしょうか。主の保証、主の証拠を、どのようにつかまなければならないのでしょうか。そこで、最初です。実際につかまなければなりません。実際につかむということは、何の話なのでしょうか。荒野でイスラエル民族が40年いました。そこで悟ることがないでしょうか。イスラエル民族がカナンの地に入って、あなたはどこに住んで、私はどこに住むのかが確実になってこそ行けるのです。これがとても重要な言葉なのです。イスラエル民族がそうでないと、40年でなく、400年回っても入れません。これが答えを受ける原理です。イスラエル民族がカナンの地に入らなければなりません。行く前に部族の数で分けたのです。確認しました。どの部族はどの土地に行かなければならないのかを説明したのです。それがあいまいならば、入って大変なことが起きます。そのように徹底的にしたのに、入って失敗したのが士師記です。祈りの答えは簡単です。実際にすれば良いのです。
■副教役者だった時のことです。新しい家族一人が教会にきました。在職者会をしたのですが、その人は新しい家族であるから、在職会には出席をできないから、出て行くときに在職会をするという報告書を持って行ったのです。知ったところ、この人はとても大きい事業家でした。この事業家とお金を儲けられない人々の差異点です。その紙を持って行って分析をみなしたのです。一ケ月献金と支出がどれくらいなるかをみな調べたのです。それで、私に電話がきました。自分の家が教会の近くあるのでちょっと来ていただけますかと言いました。行ったところ、分析した資料をみな出してきました。「教会がこのように献金が入って出ていくのですね」このように話しました。そうだと言いました。ところで、教育費が2%にもならないということでした。もちろん、違ったところに重要なことがあるからでしょうが、教育費が2〜3%しかないならば、教育がどうなるかと言いました。それで状況がそうだと言ったところ、それで失礼にならないならば、教育費を特別献金してはいけないかと尋ねてきたのです。それで、それはいくらでもしてもかまわないと言いました。ところで、問題はそれではありません。私は教会を数十年を通っても、そのような人を見ることができなかったのです。教会に長く通って、教役者生活をしてみても、そのような役員は見られませんでした。これが金を儲けられる人、儲けられない人の差です。教会にはじめて来た人が、参加する資格もないのに、それを持って行って分析まですることを見て下さい。だから神様は、私たちが実際的に捕まえないのに答えられないのです。子どもがまだ幼稚園生なのに、その子にお金を何億ずつ与えても良いでしょうか。私たちが契約を実際に捕まえなければなりません。
■私が初期に地下にいた時、礼拝時間にある方がある献金をしたかについてみな祈っていました。その時は信徒が百人くらい集まっていたのです。ところで読んであげてふっと「私は一生、百人を連れて生きなければならないのか。」という気がしたのです。信徒が千名が集まるなら、どのように読んでいられるでしょう。それで一千万弟子を立てるのに、一千万弟子の名を呼んでいたら、数年かかるでしょう。今度からしないと言いました。私たちが読めばいつまで読むか分からないと言って、単に神様の前でしてくださいと言いました。ところで、その後に神様が一気に千名が集まる教会にしてくださったのです。
■それで、私たちは実際に契約をつかまないのです。実際に捕まえなければなりません。今ぐらいは、どんな文化センターを作って、どのようにするのかをずっと上映もして実際に捕まえなければなりません。実際に捕まえるならば、私と関係あることが出てきます。これが答えの開始です。何の話なのか分かるでしょうか。ところで、教会が私と関係がないならば関係ないのです。世界福音化が私と関係ないならば、それこそ関係ないのです。泣き喚いて、いくら祈ってもそうです。いくら会社の前で泣き喚いていても、就職できないのです。関係あってこそ入れるのです。
■フランスのチャールズ7世という王がいました。私が国民と主なる神様のために美しい神殿を作ると言ったのです。国民は全く心配するな、すべての建築費はみな私が出すと言いました。これで素晴らしい神殿を作ったのです。それで、すべての信徒が感謝して祈って、喜びました。教会を完成をして、そばに大きく字を入れました。「チャールズ7世寄贈」それで、チャールズ王の記念の教会です。ところが、不思議なことです。王が教会を作って夢を見たのです。指が出てきて、ジンセンドルフと書いたのです。ところで、同じ夢を3度も見たのです。皆さんが見る夢は、普通のなんでもない夢なのですが、これは3度も同じ夢を見たのです。それで王が命令を下しました。ジンセンドルフを探せと言いました。ところが、ジンセンドルフがいなかったのです。
■不思議なことです。ある日、見つけました。ジンセンドルフは、教会学校の子どもでした。王がその子を招いたのです。「いったい君は、この神殿を作るのに何をしたのか」と尋ねました。子どもが重要な話をしたのです。何もしたことはなくて、王様が神殿を作ると言われたのが、とてもうれしくて、いつも祈っていたということです。いつも祈って見たら、自分がすることが一つ出てきたということですが、これが本物の祈りです。王がまさにそれのように思って、それが何かと尋ねました。レンガをのせて行く馬車がいつも自分の家の前を通り過ぎるので、自分がすることは、自分の家に出てくるきれいな水があるので、その水を汲んで、馬に乗っている人と馬にあげたということでした。自分がそれを祈りの答えとしてするのに、とても良くて継続したということです。王が命令を下しました。あった碑を取り除けと言って、新しくするのにジンセンドルフとしなさいと言ったということです。今でもその教会があるということです。
■だから、私たちが本当に実際に契約を捕まえれば、私がすることが出てきます。私と関係あることが出てくるのです。だから、私たちが神様のみことばを実際に捕まえなければなりません。私はこれが世界福音化と、このように祈ってみたら一千万弟子が出てきました。ある日びっくりしたのが、金ジュンゴン博士が通り過ぎる時に言われたのが、世界福音化しようとするなら一千万名を派遣しなければならないと言われたのです。その方は普通にした話だったのでしょうが、私は胸にあたったのです。そうだという確信を持って、継続したら、訓練がどんどん出てきました。今は私たちが実際的なことを捕まえて祈らなければなりません。その時から答えが始まるのです。これから私たちが釜山だけでも、700ヶ所に弟子が立てられればどうなるでしょうか。今から大きなみわざが起きるでしょうが、現在、見る時には私たちがまだ契約をつかんでいなかったのです。1年に70人立てても、700人立てようとするなら10年かかります。2年に70人立てたら20年がかかります。普通、私たちのテンポでしたら、3年ごとに一回ずつ立てれば30年かかります。30年なれば、ここにいる長老はみな亡くなっていなくなっているでしょう。私がどれくらい生きるのかわかりませんが、その時になれば90〜100才なることなのに、どのようにするでしょうか? この時刻表ならば、一千万弟子は不可能だと考えました。もちろん神様が重要な時刻表でなさるでしょう。後ほど私たちの教会に数万人が集まってきて、同時に立つかもしれないのですが、それは分からないのです。
■ところで、問題はそれではありません。私たちが実際に契約を捕まえなければならないのです。部族を完全にたてて、完全に分ける前までは入れません。はやく感づかなければなりません。完ぺきに準備されているのですが、この人たちが入る場所をまだ知らずにいるのです。把握するだけでも良いのに、それをできずにいるので、神様は入れないように中断させたのです。それも、みな過ぎて来てカデシュ・バルネヤでそうしたのです。そこで38年いました。このようになります。それで私たちは契約を捕まえる時、そのまま捕まえるのではありません。聖書的なもの、歴史的なことも捕まえなければならないのですが、個人的な証拠も捕まえなければなりません。
■神様のみことばはロゴスと言います。それでロゴスという時、みことばという意味です。神様のみことば。しかし、ギリシヤ語には、ロゴスだけがあるのではなくレーマという言葉があります。このレーマという言葉は、私にあたってくるみことばです。私たちの言葉で話せば、メッセージということです。神様のみことばが皆さんにぶつかってくる時、その時、働きは起きます。私たちは、しばしば目に見えることと混同するのですが、神様の契約を先に捕まえてこそ、その次にことがくるのです。私たちは、しばしば未信者のように目に見えることを先に捕まえようとするから、未信者のように生きるのです。本当に契約を捕まえて待てば、少しだけ持続すれば働きが起きます。
■それで、皆さんが神様のみことばをどのように捕まえるのか。状況別に聖書にあります。職業と職分別に、そこによってみことばを捕まえるのです。ですから、一般信徒と牧師が違うこともあるでしょうが、そのように捕まえるのです。アイデンティティーを分かりながらみことばを捕まえるのです。このみことばは確かに成就されます。エリコの城壁を倒した時、この町を再建する者は死ぬようになるだろうと預言されたのですが、本当にそうなりました。この神殿が石の上に石一つ残らずに崩れるはずだと言われたのですが、本当にそうなりました。今でも回復しないでいます。それで、皆さんは単に礼拝するのではなく、神様が皆さんを保証されます。これが最初です。二番目は、神様が保証された契約を皆さんが捕まえるのです。その証拠を実際に捕まえて行くのです。そうすれば、驚くべき答えの門が開かれます。
■私はこの部分に対する聖書を見ながら、本当に神様のみことばは生きて、今でも働いておられることを感じます。単に私たちが信じられないだけで、信じないだけです。この契約を捕まえて目を開かれて祈れば、働き起きるようになります。祈りというものは、他のことではなく、神様のことが私のことと関係があるようにさせるのが祈りです。それで、今日から祈って、定刻に祈りなさいということは、考えを継続しなさいということです。例をあげるなら世界宣教です。人の話ですが、ずっと祈るならば、これが私と関係あるようになります。その時に、神様がそれで答えをくださるのです。分かるでしょうか。教会建築。良いことです。それでは皆さんと関係がありません。これをずっと祈るなら、何かが私にあたってきます。この時から答えになるのです。ジンセンドルフという子どもがずっと祈って、自分がすることの答えを受けたようにです。
■私たちのタラッパンの特徴は何でしょうか。多くの方が見守っておられるでしょう。タラッパンの特徴は、知識を拾ってする所ではないのです。現場に行ってみて、また祈って、また会って、祈って出てきたのです。私たちがここで復興運動を始めた時、私たちの教会が急成長しながら人が多くなりました。すると、周囲の教会が喜ぶと思っていたのですが、とても悲しみながら困難を与えたのです。牧師先生が、私が集会する時ごとに集まりました。すると、教団がとても怒りながらそれを防いだのです。本当に不思議なことです。私なら手助けするはずなのですが、なぜそうするのかと思ったのですが、そうしたところ力を合わせて集まって作った方法が異端にすることでした。ところで本当に不思議なことです。人が異端へ行きそうなら、行かないようにさせるべきで、行こうともしないのに、どんどんそのようにしたのです。神様の前で、この方が異端に陥らないようにすべきで、いつも異端になれと手助けしてはいけないではないでしょうか。今までそのようにやられてきました。私は異端ではないと言うのに、どんどん異端になれというのでした。
■そして多くの方が、柳光洙牧師の説教にひょっとして失敗があってはいけないと言うべきなのに、失敗しないかと探す目で私を探りました。このように賜物がすごい方々が多いのです。それにもかかわらず、私たちは現場で伝道運動を継続しています。今、確実な証拠は、レムナントが世界第1に起きています。これから私たちのレムナントが成功し始めれば、地図は変わるでしょう。ところで、私が今、感謝することが一つできました。私たちと全く関係ない方です。韓国で、とても重要で、自他とも認める学者が1人おられます。この方に対してはむやみに話をすることができないほどの学者です。ご夫妻ともに学者です。そして、この人が単純に勉強だけしたのではなく、相当な力がある方で、正しい言葉を言う方です。ご自分が学者で、神様の前で多くの本を書いたが、伝道運動に対して本を書かなければならないと考えたということです。
■ところで、その方が聖書から歴史を通して現在世界を動かしている伝道運動史を書きながら、五つの団体を選んだのですが、そこにタラッパンを選びました。相当な影響が及ぼされるでしょう。ところで、それは私たちを最も難しくさせたところにいる方です。私たちと親しかったり、話しもしなかったのに、本を書かれました。真に神様の働きです。それを見ながら本当に感謝しました。私たちが今まで歩いてきた道に多くのことがあったのですが、契約を捕まえた時、みな答えが来ました。35坪の地下にいたので、訓練をさせられませんでした。太宗で観光ホテルを借りて訓練をしていた時、神様に祈りました。神様、これよりは良い建物を与えてくださってこそ、私たちが訓練ができるのではないですか。と言いながら祈ったのですが、こちらを与えられました。
■ここでこれから重要なことが始まるでしょう。そして、聖書的な伝道をすべきだとの祈ったのですが、20個の契約が聖書から出ました。10年前にレムナントという単語を捕まえたのですが、今までずっと答えを与えられています。どれくらい大きい答えの門を開けてくださるでしょうか。神様の前にとても感謝するほど働いてくださいました。不思議に、父母が良くならない夫婦なのに、子どもたちはみなうまくいってみわざが起きるのです。ある両親は、子どもたちのために、タラッパンしないわけにはいかないほど、レムナントが世界で起きています。神様は一つも契約を取り除かないで答えを与えられました。
■それで来年には、二つの事業を進行することに祈りの答えを受けました。音楽専門家の90%が、それほど自分の仕事がよく出来ずにいます。それで、各地域の分野別に賛美宣教学校を作って、来年にできる放送、私たちRUTC放送で送り出すでしょう。あちこちに英語宣教学校を作って、幼い時から世界化させなければなりません。私たちの団体は優れた英語の実力家も多いから、いくらでもできます。施設もそれほど問題にならず、内容だけ良ければ子どもたちは生かされるでしょう。違ったところでするのを調べてみたら、その人々は15〜20万円ずつ取っていますが、私たちはそんなに世がしているようにはできず、実費だけ取って多くの子どもたちが参加することができるように、そのように進行しようとしています。それで、私が祈りの課題と答えをあらかじめ話しました。
■私の予想ですが、ここからは収入がありそうなので、そのまま集めて勉強するのに大変なレムナントを手助けするつもりです。頭は優れているのに、両親が手助けできない場合が多いのです。特に牧師の子どもたちがそうです。牧師はアルバイトをすることができません。長老はできます。例えば、カン・チルセ長老が昼間には事業して、夜には交差点でお餅を売りながら世界福音化しても、だれも何にも言いません。しかし、お金が必要だと私が交差点で帽子かぶってお餅を売っていればちょっと変ではないでしょうか。だから、牧師はいくら難しくても、お金をもうけにでかけられません。私の場合には、四方から皆さんが力になってくださるのですが、しない人が大部分です。それで、私がこういう子どもたちを生かさなければならないのです。それで、来年にその一つの答えで進行されていくでしょう。それを話したところ、総会長が感動を受けて、自分から率先して模範にならなければならないと言いながら、子どもたちのために使ってくださいと封筒を出されました。顔色を見たら、結構入れたようですが、本当に良くしたと言いました。私たちのレムナントを育てるためならば、そのようにしなければなりません。
■また、その方がするのに私がしないはずがありません。しかも、私がすれば、心優しいチョン・ウンジュ牧師、キム・ドンゴン牧師が静かにおられるでしょうか。みなするでしょう。牧師が率先して、ない子どもたちを育てるというのに、執事、長老がそのままおられるでしょうか。レムナントに投資して、その子たちが成功したら、その子らが上前をはねていくでしょうか。私たちが育てて、その子が成功して、大きい人物になったのに、その子が知らないふりしているでしょうか。その子がまたレムナント運動をするでしょう。このような形でレムナント運動を通して、人材と経済力が積もるでしょう。このようにして、世界福音化するでしょう。神様が私たちが契約を捕まえれば、初めから今まで全部、答えを与えられました。
■神様が皆さんを保証され、皆さんはこの保証された契約を捕まえて、今日と明日を生かす重要な祝福を受けるということです。今日、皆さんにこの契約を必ず捕まえる祝福の日になることを、イエスの御名でお祈りします。今日からより大きい重要な答えがあるでしょう。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。答えをくださる神様に栄光をお返しします。新しい目を開かれながら力を得るようにさせて下さい。本当に答えを受ける具体的な証拠を捕まえるようにさせて下さい。すでにこの方たちは、神様が保証される方々なので、今日、契約を見いだすようにさせて下さい。それで、私たちの歩みごとに真の喜びと神様の恵みを味わうようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


<一般信徒宣教会献身礼拝>
2部/3つを細密に点検すべき
(マタイ25:21)

■マタイ25:21「その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」私たちは先に世界福音化のために集まる時間です。それで一般信徒宣教献身する礼拝です。ところで、先に点検をしなければならないことがあります。これは必ず必要なのです。まず個人的に見れば、家の霊的な問題のようなものは、同じように伝達されます。ほとんどもれなく伝達されます。そして、肉体の問題のようなものも、ほとんど遺伝されます。それで、私たちはこういう部分を参考にしていなければならないのです。それで、これを完全に変えられることがなければなりません。特に、レムナントは必ず記憶しなければならず、年をとるほど記憶をしなければなりません。ところが、知らずに生きていたのですが、霊的な問題が私に来る場合があります。そのまま知らずに生きていても、そのようになります。これを変えるべきです。本当に変えなければなりません。
■大部分、良く話をしてみれば、ある家に息子娘4人がいたが、4人みな司法試験にパスしたのです。すごいでしょう。ところで、みな遺伝の流れに関係があるのです。また、ある家を見れば、家族がみな頭が悪いのです。これもみな関係があります。ところで、良い悪い、気持ちが良い悪いとは違って明らかなことです。それで、福音を正しく知るのは、この部分を変えられなければなりません。そのために道があるのです。祝福の隊列に立たなければなりません。ここまでが、皆さんがしなければならない重要な信仰生活です。このようにしてこそ、世界宣教もして、世界征服もできるのです。ところで、この隊列に立たなくては、誰もがだめになります。それで、重要な2部献身礼拝をささげる日に、少しだけ考えをよくすれば、解決されます。皆さん自身が「私は我が家の霊的な問題をそのままついて行っているんだな!」と感じられれば、すぐ霊的な問題を悟るようになります。特にレムナントの中で記憶をしなければなりません。それで、この部分が変わらなければ、多くの契約を持っていても味わえないのです。ほとんどみな、こういう問題があるのに知らずにいます。それで、今日、献身礼拝をささげながら、他のすべての人とレムナントすべてが、この祝福を味わうことを望みます。
■それでは、何を正しく点検すべきでしょうか? 祝福の隊列に立つために、何を点検をすべきでしょうか? とても重要です。それで、ピリピ1:10で、真にすぐれたものを見分けることができるようにと言われました。レムナントは話す必要もなく、事業する人々も話す必要がなく、必ずこれをしなければなりません。時代の分別をしなければならないのです。これがとても重要です。思想や神学のようなものがあるのですが、これがほろびるものがあって、ほろびないものがあります。これを分別できなければ、大変なことになります。思想が時代ごとに流れるのですが、これを知らずにいることもできるでしょう。言わば共産主義思想は完全にほろびる思想なのに、知らずに行く人々が多いのです。普通に考えて、後ほどみな損害をこうむります。こうしたところを悟れば、変えられて、出てくるべきなのです。今は分別をしていなければなりません。特にいくつかのことはそうです。そして、教会でも、時代でも、どこでも主流があって、非主流があります。ところで、これが正しい、あれが正しい、今現在の真理がどちら側にあるのかが重要です。これをレムナントや知識人がはやく分別しなければなりません。これを分別できなければ、ひどい損害を受けます。
■やさしい例をあげてみます。主流という言葉は英語で話せばmajorityと言います。これが多数ということです。英語で話せば、非主流はminorityです。これが真理がどちら側にあるのか見られる目がなければならないのです。これを知らなければ、パリサイ人が完全に主流をなしているのに福音がなかったのです。しかし、非主流だったマルコのタラッパンは小さかったが福音があったのです。これを分かれなかったので、イスラエルは約2000年間ほろびるようになりました。考えなくて、そのまま通り過ぎれば、みな普通に考えます。そうでなければ、私が上手にすれば良いと考えるのですが、そうではありません。神様がいないと話す変な所でいくら上手にしてもだめです。言わば祝福の隊列に立てなかったのです。パリサイ人が悪くてそうなのではなく、祝福の隊列に立てなかったのです。主流が悪いということではなくて、祝福の隊列に立てないのです。それで、祈りの答えを受ける人々は、ここに対する分別力がとても優れていなければなりません。イエス様が時代の分別をしなさいと言われました。いちじくを見ながら、時代の分別をしなさいと言われたのです。そうでなければ予想できないひどい問題が近づくようになります。
■特に学生たちがここにいます。学校で先生に何かを学ぶ時、気をつけて学ばなければなりません。正しい目を開いて読まなければならないのです。私たちは左派でもなくて右派でもありません。両側の目を開いてよく見なければなりません。私たちは主流でもなくて、非主流でもなくて、真理派です。私たちは民族が嫌いだということでもなくて、民族主義でもなくて、グローバル時代です。いくら騒いでもグローバル時代です。それを知らなければ、大変なことになります。それを知らない時ごとに国が100年、50年ずつ損害を受けることが行われました。私が先週、話をしたのですが、大院君のために韓国が100年ほど遅れたのです。こういう思想がどれくらい重要かわかりません。それで色々なことを学生は見ながら、よく学ばなければなりません。ところで、見れば目をよくあけて見なければなりません。教会史に見れば、いつでもとても大きい正統の教会がありました。いつでも教会史を見れば異端がありました。本当の異端がありました。そして、いつでも見れば異端の寃罪をこうむった団体がありました。歴史に一度も抜けることがなく、この3ケがあったのです。この目もよく開けなければなりません。大部分の人が、あとで失敗がくることも知らずに来てしまうのです。国がほろびて、子孫がほろびることまで考える余裕がありません。それで、私たちは時代を分別をする目がとても重要なのです。こういう大きい意味を持って、変えて改革してする意味を神様が時代時代ごとに福音を持った者に与えられたのですが、私たちの教会に与えられたのです。「いや、今、柳先生、何の話をするのですか?」と言うこともできるでしょう。それでも、確かに共産主義は崩れるのです。
■中国ではとても気分が悪く考えています。気持ちを悪く考えることではなく、私は中国をとても祝福して、重要な国だと考えています。中国で私たちの教会に関心が多くて、毎日、私たちの教会の週報も、毎日、中国政府に入るということです。それで、私のメッセージもすべて聞いているということです。それで、私が共産主義の悪口を言うので、とても気分が悪いということです。ところで、そうではありません。中国はとても重要な国で、希望がある国です。そのために、正しい道に行かなければならないのです。神様がいないということは正しい道ではありません。それで、結局は、それ一つのためにどれほど多くの困難がきたでしょうか? パリサイ人思想のために、どれくらい大きい問題がきたでしょうか? 韓国の大院君のような人のために、日本がいつもリードして、韓国は遅れてしまったのです。
■これくらい教会も見れば、いつでも同じように流れたのです。こういう時代を分別をしなければなりません。回復するには、普通200〜300年がかかります。これは目に見えないことだから、思想、主流、非主流、こういう流れは100〜200年ずつかかります。本当に怖いのです。レムナントがどのようにわかるでしょうか? 大人たちは年をとっているから、そうだなと分かるのですが、レムナントは分別ができなければ問題にあうのです。鎖国政策は大院君の時に使ったのですが、その時はわからなかったのですが、その後に私たちは小国になってしまいました。他の国が先んじるためです。私たちは知らずにいて、レムナントがやられてしまいます。それで皆さんが祝福の隊列に立とうとするなら、時代の分別を上手にすべきです。
■二番目です。教会の分別です。これは必ずしなければなりません。マタイ25:1〜13イエス様が直接説明をされました。10人の女の比喩をあげられました。十人みな同じようにともしびを持っていました。同じように教会を通うのです。しかし、五人は油の準備ができいて、残りは油が準備できていませんでした。とても重要な言葉です。だから、私たちはこれをはやくキャッチしなければならないのです。ともしびを持っているように、教会だけ行き来する人が地球上にはたくさんいます。そのような人になってはいけないのです。油が準備ができていなければなりません。私がこの話をしようとするなら、説明が必要なのですが、イスラエルの人々は説明が必要ありません。イスラエルの国の婚姻の祭りを話せばすぐわかります。私たちは説明が必要ですが、イスラエルの人々はみことばが一度にすぐにわかりました。
■なぜなら、結婚式をイスラエルは3回するのです。ひとまず、両親だけ会ってすることがあるのですが、それを定婚式と言います。日本の婚約式と似ています。その次が新婦の家で祭りをするのです。その後には新郎の家でまたするのです。これがイスラエルの風習です。ところで、最も問題は、二番目に新婦の家でするときです。新婦の家でするのに、決まりがこうなのですが、新郎がいつ行くと言いません。風習がそうなのです。新郎が何時に行くと話せば、思い切り寝てから準備をすれば良いのですが、何時にくるかを知らせないのです。それなら、夜2時にくるのか、4時にくるかもしれないので、待たなければなりません。これがイスラエルの風習です。ところで、新郎が夜とても遅くきたのです。どうなるのでしょうか? 寝ていればどうなるのでしょうか? こういう話です。
■多分、イスラエルの人々は賢いから、そのようにして、健康や状態をチェックするのでしょう。そして、結婚式をして新婦を連れて行けば、新郎の家でまた祭りをします。イスラエルの風習なのですが、救いと似ています。救われた者が信仰生活をするのに、イエス様が再臨される時、いつ来られるのか分かりません。そして、天国に行ってまた祭りをするのです。他の見方をすれば似た話です。その話をしながら、イエス様が教会に関する話をされました。新郎が夜遅くくるのに、五人の女は知恵があって油を準備をしたのですが、残りは油を準備しなかったのです。それで火をつけられないのに、夜遅く新郎がきました。五人は油の準備ができて、火をつけて出て行ったのですが、残り五人は油がなくて、できなかったのです。それで、五人の女が貸してくださいと言いました。だが貸せません。貸せば私はどうするでしょう? このように救いは貸して受けるのではないのです。そのたとえを言われたのです。イエス様がなぜこのたとえを語られたのでしょうか? 最後の時に起きる最も大きい問題、教会の中には、教会に通うというのですが、空き缶だけ持って行き来する人が多いのです。
■それと共に、イエス様が二番目のたとえを言われました。マタイ25:14〜30にたとえをあげられたのです。ここに何のたとえを上げられたのでしょうか? タラントのたとえを語られました。これは何を話すのでしょうか? 他の人はタラントをそのまま土地に隠しました。ところで、五タラントをもらった人が、五タラントを残して称賛を受けた話です。これは色々な解釈をします。しかし、聖書をずっと読んでみれば、最後に見れば五タラントを残した者は、主人の祭りに参加をするのですが、残りは外側の暗いところに追い出されるのです。これは誤って解釈することもできます。タラントを誤って残せば、暗いところに追い出されるのか?ある人はそのまま置いて、あるは仕事をして、主人の祭りに参加するのか? この3つの特徴が、外側の暗いところに歯ぎしりして追い出されるということです。これが何の話なのでしょうか? 全く救われなかったのに、ともしびだけ持っていることがあるということです。そして、神様の子供でない人々は福音運動をすることができないということです。それで、結論的に、外側の暗いところに行ったということは、本来の場所に行ったということです。
■そして、マタイ25:31〜46を見れば、羊とヤギが出てきます。ヤギは結局、追い出されます。それでは、信仰生活をしてヤギに変わって追い出されるのでしょうか? そんな話ではありません。教会の中には、救われた羊もいて、ヤギもいるということです。これをよく分別しなさいということです。教会生活をしながら、大きな問題があっても、気落ちすることはありません。みな混ざっているのです。一番用心しなければならない部分で、一番知恵を持たなければならない部分です。私が幼い時には、同じ村で羊も見て、ヤギも見ました。羊たちは本当におとなしいのです。同じ動物で同じ草を食べるのですが、ヤギは性質が本当に汚いのです。それで、救われた者と救われなかった者をたとえられたのです。
■冬に寒くなれば、羊たちにヤギ二匹を置きます。理由が何でしょうか? 羊がどれくらいおとなしいでしょうか、毛をみな刈られてもじっとしています。ヤギはひげだけ引いてもじっとしていなくて、のさばって大騷ぎが起こります。羊たちはどれくらいおとなしいのか、毛をみな刈ってもじっとしているのです。冬に寒い時、羊を入れておけば寒いから、固まっています。互いに覆って重なるのにも、下に隠れて休めないでも、じっとしているのです。それでは、一夜寝て起きれば、羊たちが窒息して何匹かずつ死ぬのです。息がつまって死んでもじっとしているのです。これが羊です。ところで、ヤギを二匹だけ入れておけば、一匹も死にません。なぜなら、このヤギ二匹が夜中ずっとあばれて寝られないようにさせるからです。それで、羊を死なないようにするために、ヤギ二匹を冬に入れるということが、どれくらいおもしろいかわかりません。こういうものをイエス様が分別しなさいと言われました。皆さんがこういうものを分別をする時、すばらしい祝福の門が開かれます。それでは、個人分別です。
■3つは必ず分別をして、点検をしなければなりません。果たして私は神様の子どもに間違いないのか? どうなのか? 神様の子どもに間違いないのか? 皆さんはあまりにも多く聞いているからですが、私が集会に行って尋ねれば、手をよく上げられません。私が寺で尋ねたのではなく、教会で尋ねたのに、そのようにします。それだから、どのように信仰生活になるでしょうか? 「私は神様の子どもに間違いないのか? 」と尋ねた質問に、自信をもって手を上げた学生たちが何人かしかいませんでした。おもしろいことです。皆さんが聞けば、なぜそうだろうかと思うでしょうが、今、確認してみれば、そのような時代がきているのを知ることが出来ます。学生たちが何百人か集まっている所で、神様の子どもだと思う人は手を上げなさいと言ったところ、何人かが上げました。残りはどうなのでしょうか? どのように世界福音化をするのでしょうか? ところで、ある学生は上げて下げました。救いが上がって下りたりしたのです。私がとてもあきれて、本当に自信があるのかと尋ねたところ、何人は驚いて手を下げてしまいました。
■どのように世界福音化をするのでしょうか? 証拠があるのでしょうか? 私が神様の子どもだという根拠があるのでしょうか? それを確実にしておかなければなりません。「私が今、教会を通っているためだ。」そうではありません。教会にいくらよく通っても、救われなければ神様の子どもではありません。私が本当に救われた神様の子どもに間違いないのか? ある人は、これを知らないから、いくら教会に熱心に通って、夜明けに祈りに通っても、救われなければ神様の子どもではありません。これにならないから、とんでもないことで争うのです。洗礼、浸礼を持っても争います。長老教が良い、ホーリネスが良いと、争います。違って合同が正しい、高神が正しい、統合が正しい、こういうものを持って争います。高神であっても、救いを受けられなかった人は子どもになれません。ここに対する確信がなければならないのです。確信も確信ですが、証拠がなければなりません。ところで、ここに証拠があるのでしょうか? この部分が問題です。だから、どれくらいおかしな話なのでしょうか?
■釜山で海雲台海岸に行けば、一番大きい教会があります。本当におもしろいことです。ある牧師がきて「私は神様の子どもだ、救われた人は立ち上がりなさい。」と言いました。だから、人々が右往左往したのです。「でなければ、私は本当に初めて福音を聞いて、神様の子どもとしてイエス様を救い主として受け入れる人は立ち上がりなさい」と言ったら、長老がどっと立ち上がったのです。初めてイエスを信じるということです。それで、牧師が恥ずかしくなって、そこに座りなさいと言いました。それを救われなかったから、座れということではありません。こういう大騒ぎが行われるのです。これが何の話でもないようでも、全世界的に本当におかしな話です。「私が神様の子どもに間違いないのか?」Iヨハネ2:22〜23に確かに話しています。イエスがキリストと信じられる者は救いわれたと言われています。他はありません。他はだます者だと確かになっています。聖書に確かに出ています。イエスがキリストと信じられる者は神様の子どもです。
■Iヨハネ5:11〜13にまた証拠はこれだと言われています。皆さんが涙が出ないでもかまわないのです。証拠はこれだと言われました。そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。と言われています。確かにIヨハネ2章を見れば、その他はだますことだと言われています。だまされてはいけません。「先生、私は一度も心に感動がないけれど。」関係がありません。それは本来、冷静な人だとそのようになります。関係ありません。「私は祈る時、涙も一度も出てこなかったが。」救いと何の関係もありません。何かことがあるように泣く人もいます。それは救いと関係はありません。本来、よく熱くなる人もいます。だから何の関係もないのです。賜物も受けられなかったとしても、何の関係もありません。本来、何を確かに受け取る人もいます。今、奥さんは教会に来て、夫は家にいます。夫が私の友人なのですが、私と共に礼拝堂を行くのに、行くやいなや私の友人は火を受けて、光を受けました。今、イエスも信じていません。その時受けた火は何かも分かりませんが、今は信じていません。むしろ、私に自分の奥さんが、とても特別に信じるから止めさせてくれと電話がきました。何の関係もありません。イエスがキリストだと信じられる者は神様の子どもだと言われました。Iコリント12:3に、誰でも聖霊ではなくてはキリストを主と認めることはできないと言われました。マタイ16:13〜20に、あなたは生ける神の御子キリストですと言いました。イエス様が言われました。「これをあなたに知らせたのは、血縁ではなく、天にいらっしゃるわたしの父です。」と言われました。今日、2部礼拝で疲れるでしょうが、大きい祝福を受けることを希望します。イエスがキリストと信じられる者は神様の子どもとなります。
■二番目です。今から考えましょう。そうすれば、全てが答えに変わります。私が果たして伝道者の列に立ったのか? そうすれば、確かに答えられるようになっています。私が今この時代の宣教の列に立っているのか? これだけ分かれば、大きい答えの門が開かれるようになっています。私が救われた神様の子どもに間違いないなら、何の心配もする必要がありません。今から一日に一度だけ考えましょう。「私は果たして伝道者なのか? 私たちの教会が宣教をする教会なのか?」これでないならば、普通の問題ではありません。これに間違いないなら、問題になることがありません。この3つが個人的に点検にできなければなりません。これになれば、くださいと言っていない答えまでみな開かれます。こういう祝福を皆さんが必ず受けるようになることを希望します。「私は今、貧しくて難しい状況なのに、何の世界福音化か?」と質問をすることもあるでしょう。皆さんが基礎から落ち着いて祈りをし始めれば、神様が答えられるようになっています。私がよく知っている人が、私に相談したいと言いました。食堂をしたいということでした。それで、私がしないでくれと言いました。ソウルに良い場所があると言ったのですが、私がやっと止めさせました。私に尋ねたので、しないようにと言ったのです。お金がなくても成功をしようとするなら、少なくともその現場で数年間の経験がなければなりません。それもなくて、すれば確かに失敗します。それで貧困であるほど、気をつけて底辺から祈りをすれば、答えがくるようになっています。私たちは多くの問題があります。「私たちの教会は復興しないのに、どのように世界福音化をするのですか?」難しくありません。皆さんが考えを変えれば、みわざが起きます。牧師は聖徒が最も自分が仕えなければならない重要な人であることを分かれば良いのです。反対に、心より主の民は、主のしもべが私が最も仕えなければならない人だと分かっていれば良いのです。互いに心よりそうなって、それが会うようになれば、みわざが起きます。心配する必要がありません。こういう契約をつかめば、今現在大変でも、答えがくるようになっています。それでは結論を結びます。
■私たちは具体的に神様の祝福を準備しなければなりません。教会システムをそろえなければならないのです。自慢ではなくて、私たちが一番多くの宣教師を送りださなければなりません。正しい宣教師を助けるべきです。教会がシステムをそろえなければなりません。そして、個人も祈りをしなければなりません。「私たちの家系で教会を通して宣教師を助ける」という祈りの課題をつかみましょう。今から細かく具体的に準備をしましょう。もう皆さんは経済の祝福を受けるように、献金システムも準備しなければなりません。どんなことが行われるのか細かくしてみましょう。他のことはしなくても準備をすれば神様が働かれます。
■名前は言いませんが、私と親しい友人がいるのですが、ある時、財布を落としたのを見ました。誰のものかわからなくてあけてみたら、住民登録証があったので、分かったのです。ところで、びっくりしました。カードが10枚もあったのです。それも色別にさしてありました。私はカードが一個あります。それもひょっとして外国に行って使おうとするならなければならないから持っているのです。それで、あまり必要はないから一個あります。この友人は私が数えてみたら9〜10個ありました。私が顔色を見たら、自分はあれこれと、使いながら頭を使っているようです。私たちがそのように熱心に生きるのにも、伝道と宣教に対することには全く考えがないのです。人々が大部分そうです。皆さんが本当に世界宣教をする人ならば、心配する必要がありません。皆さんが今は時代をよく分別すれば、子孫も生きるのに、ほとんどみなのがしています。皆さんは今、すべての祝福をみな受けました。皆さんは救われた神様の子どもであることが確実です。
■それでは、結論を結びます。伝道者の列に立って、宣教の列に立ちましょう。それは初めには、特別なものではないように見えます。この列に立てば、教会も個人もみな変わります。この時、神様が経済に対する驚くべき祝福をされます。詩81:10に、わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。神様が口を開けば満たされると言われました。それで、一般信徒宣教会を通して、正しく世界宣教の門が開かれる祝福があることをイエス様の御名でお祈りします。昼間に眠くなるでしょう。正常な人は眠くなります。私は立っていて寝られません。本来、2時は眠くなる時間です。そうしたら、皆さんがメッセージの重要なことをのがしやすいのです。それで、眠りからさめて、これはのがしてはいけません。本当に伝道する人がいます。殆どいませんが、います。本当に、真の宣教をする人がいます。この人を助ける教会にだけなれば生かされます。全く同じ話のように聞こえるでしょうが、違うのです。
■ある人が私に尋ねました。「先生は、どのようにして、昔からそのように伝道したのですか?」難しくありません。私が上手にしたのではありません。なぜなら、私が学校に通いながら見たら、伝道に関心がある伝道師がただ1人もいなかったのです。そのまま私は関心を持って行っただけです。だから、ものすごく違いが生じるのです。そして、教会で、伝道をどのようにするかに関心を持った教会がありません。それで、少しだけ関心を持てば良いのです。難しいことではありません。皆さんに証しをすることが一つあるならば、私は本当に伝道者に会いました。そして、本当に福音を持って宣教をする人を手助けしたのです。少し誇張された話で、すべての答えをみな受けました。私たちの教会が、この祝福を味わわなければなりません。これだけなれば、祝福の隊列に立ったので、皆さんがいること自体が答えになります。これは相手は違って、私たちは正しいということではありません。皆さんは祝福の隊列に立ったのです。
■今、アキコを見れば、日本語も上手で韓国語も上手です。ものすごい祝福を受けたのです。今、日本語が上手な人は、日本に行けば多くいます。そのような人々は違ったところに用いられるのですが、今、通訳を日本語でしています。祝福の隊列に立ったのです。そして、全国、世界にいる人々が福音をよく聞こえるという保障がありません。この重要な福音を話すのに執事さんが手話をしています。これが祝福の隊列に立ったことです。答えが他のことではありません。祝福の答えの場に座ったのです。これを捕まえなければなりません。これが信仰生活の原理です。多くの人をみな好きでなければならないのですが、本当に伝道する人を見ました。私の生涯にただ2人だけ見たのです。それで、その人の手を握りました。これがものすごい答えを受けるのです。お金があれば、可能ならば多く使ってたくさん手助けすれば良いのですが、本当に宣教をする人をつかまなければなりません。そうすれば、行かなくても祝福の隊列に立つようになります。どれくらい大きい祝福でしょうか。この契約を今日、疲れていても、この契約を捕まえなければなりません。
■ここに警察官もいて軍人もいます。警察官は警察の業務を良くすべきで、軍人は国家のために軍の業務を良くしなければなりません。しかし、必ず弟子がいます。これをのがさないで捜し出せば、すべての答えはみな回復されます。こういう宣教師を送り出すのに、一人ずつ祈りで参加するのです。今は祝福を待たなければなりません。神様が皆さんと子ども達に多くの証拠を確かにくださるでしょう。聖日、貴重な日にそのまま過ぎ去ってしまってはいけません。1部、2部のメッセージの重要なことをわからなければなりません。この時代を分別しながら、私が本当に祝福の隊列に立ってこれがどれくらい重要なのでしょうか? 反対に何の誤りもなく、滅びの隊列に人々が立っているのに、祝福の隊列に立っているのです。こういう祝福をすべての人が味わうようになることをイエス様の御名でお祈りします。
■心より祝福しましょう。「あなたは祝福の人です。あなたは祝福の隊列に立ちました。眠りからさめて下さい。」
<契約の祈り>
神様ありがとうございます。必ずこの契約をのがさないようにさせて下さい。時代を分別する目を開いて下さい。教会の中でも、教会を分別をする目を開いて下さい。私の個人の人生の中に私を分別する目を開いて下さい。私たちは産業と職業を持っています。その中で、神様の真の弟子の奥義を捕まえて、すべての答えを回復するようにさせて下さい。それで、今日、祝福の隊列に立った者になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン