2007年1月21日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/一日七回主をほめたたえる
(詩119:161〜168)

■神様が、アブラハムがカルデヤにいた時にカナンに行けとおっしゃいました。カルデヤは、バビンで、今のイラクです。立ち向かう者がないようにすると言われ、乳と蜜が流れる地と言われました。とても美しい土地だと思って行ったのですが、行ってみたら小さい土地でした。その上に山が70%であり、水もたくさんありませんでした。下からはエジプトという大きい国がいつも攻撃してきて、上からはアッシリヤ、バビロンがずっと攻撃をしてきました。東方からはアラビアという民族が攻撃してきて、地中海沿岸にいるペリシテが攻撃をしてきました。なぜ神様はそこを乳と蜜が流れる地と言われて、行くようにされたのでしょうか。私たちは信仰生活を初めから良くすべきなのに、イスラエルは初めから良くできなかったのです。なぜそちらに行きなさいと言われたのかを知らなかったのです。
■神様がイスラエルに祝福を与えられるしかなかった理由が、どこかの国を通して、みことばを与えてなければならなかったためです。アフリカでもイスラエルでも、みことばを与えなければなりませんでした。それで、強大国が集まっている所の真ん中にあるイスラエルに与えられるのが最も良いと思われたのです。ところで問題は、イスラエル民族がそのように考えないで、高慢になったのです。周りの人はみな違った民で、神様が私たちにだけ祝福をくださったと錯覚をしました。そして、福音は理解できずに、外部にあらわれることだけ捕まえたのです。神様が私たちを祝福されるのを見なさいと、内容をのがしてしまったのでした。それで、結局は、エジプトの奴隷になってしまいました。400年ぶりに解放されて出たのですが、それがどれくらい長い歳月でしょうか。解放されて出た時、すばらしいことが行われました。人ならば誰でもその奇跡を見て衝撃を受けるのですが、イスラエルは「私たち民族を見よ。海も渡って、川も渡った。エジプトも負かした。主なる神様は私たちの神様だ。」とまた錯覚をしたのです。福音を知らないことが、このように問題になるのです。
■なぜしばしば福音を強調するのか理解しなければなりません。祝福を与えても問題になるのです。ダビデやソロモンのようなすばらしい王が出てきて、ヒゼキヤのような王も出てきました。ところが、またみな忘れてしまったのです。良いことだけ記憶して「私たちを見よ。私たちはこのように復活するのでないか。」と外国の使節団がきた時、武器と神殿と王宮を見せたのでした。BC600年頃に紛争が起きました。ある学者は、606年だ、586年だと主張をするのですが、重要なのではありません。バビロンという国がイスラエルに攻め込みました。バビロンは今のイラクです。今もそうですが、以前にもすばらしい国でした。一番最初にした事が、王を呼んで鎖でしばりました。そして、捕虜として連れていったのです。そこからバビロンまで約2千里程度の道を、馬に引かれて歩いて行ったのです。それだけでも大変だったのですが、両目を抜かれた状態で引きずられて行ったのです。さらにひどいことに、エルサレム神殿が燃やされてしまいました。ダビデがそれほど準備して、ソロモンがたてた神殿なのに、それを焼いて燃やす前に、そこにあった器物をすべて持っていったのです。
■この程度なれば、気づく人ならば、初めから今までの背景をはやく理解しなければなりません。これが私たちの信仰生活と同じです。道を知らなければいつもさ迷うでしょう。略図を上げても、道を知らなければさ迷うのです。イスラエルはすばらしい祝福を受けても、道を知らずにさ迷って捕虜になったのです。捕虜なった時の詩が詩篇119篇です。イスラエルが捕虜なった時、今と同じように3種類の人が出てきました。どんな種類の人がいたのでしょうか。
■最初に、何の感覚もなく、単に食べて生きれば良いと捕虜になった事実も忘れてしまった人々が多かったのです。韓国も同じでした。朝鮮王朝500年の間、いつも食べて生きることで戦っている間に、他の国々はみな発展したのです。学校の先生がおられるのですが、子どもたちに反北朝鮮や親北朝鮮、反米、親米のようなことは教える必要がありません。誤った考えです。私たちに力がなければ、誰にでもやられるようになっています。実力がなければじっとしていてもやられるようになっているのです。私たちが愚かなことをしていた時、そばの国は発展して、強大国は力を養って手を握ったのでした。今、この時点にきて、親米だ反米だ、親日、反日だと話す時ではありません。そのように愚かに教えるから、愚かな人々が出てくるのです。捕虜になっているのに、こちら側、あちら側がどこにあるのでしょうか。今、イスラエルが捕虜になって奴隷になって死ぬところなのに、食べて生きるは問題になりません。
■それから、どんな種類の人がいたのでしょうか。むしろ、バビロンに密着してイスラエルを難しくさせる人がいました。イスラエルが解放されて出た時に邪魔をして、エルサレム神殿を再建する時、嘘をついて邪魔をした部族がいます。エドム族です。エサウの子孫です。契約を知らずに、福音を知らずに、信仰ががないということは、怖い結果を産みます。
■また、どんな種類の人がいたのでしょうか。イスラエルの問題が何か、なぜこのようになってしまったかを知っている人です。こういう人々が祈り始めたのです。神様は、こういう人々の祈りを聞かれるのです。そのような人々の詩が、詩篇119篇です。私たちは、理由を知って祈らなければなりません。問題が何か知って祈らなければならないのです。理由を知っている人は、神様の答えを受けられます。アブラハムが、おいのロトを送り出して、山で祈り始めて、どんなことが行われたのでしょうか。祈ったということでなく、理由を分かったということです。どうして神様が老いたモーセに働かれたのでしょうか。モーセが力があったのではなく、理由を悟ったためです。
■理由だけ分かれば、答えが始まります。信仰生活は難しいことではありません。違った道は熱心に通っても違った道です。正しい道は、這って行っても正しい道です。がんばっても、違っているのは違っているのです。理由を知らないのに。韓国、世界教会が急速に減って問題が生じています。理由を知らないためです。これから大変なことになるでしょう。すでにヨーロッパ教会は門をみな閉じました。宣教師を派遣したのですが、1人、2人、十人このように集まっています。青年たちが行ってみことば運動して働きが起きたら、それをまた邪魔するのです。理由をなくしたのです。祈りの答えを受ける最初は何なのでしょうか。理由を知っているということです。
■ダビデがこのように話しました。ゴリヤテが攻め込んでイスラエルをなくそうとした時、ぶるぶる震えながら誰も出られなくて、将軍の中からもゴリヤテと戦うという将軍が出てこなかったのです。ゴリヤテは、「主を信じる者がいるなら出てこい」とイスラエルを侮辱しました。「私に勝てば降参するが、私が勝てばイスラエルを滅ぼす。」と言ったのです。どれくらい緊急だったのか、サウル王が賞金を持ち出しました。ゴリヤテと戦って勝つ者が出てくれば、私の婿として、その家系の税金は永遠に免除して、私の個人の財産半分を与えると言いました。それでも1人も出てこなかったのです。死ねば財産は必要がないためです。生きていてこそ婿になるのですが、死ねば婿にならないから、死ぬことが確かだと思って誰も出てこなかったのです。この時、ダビデがお兄さんのお手伝いをしに来て、帰りに「お兄さん、私が行って戦う。」と言いました。だから、食べて寝るだけをしていた兄たちが言うのに「お前は幼い時から高慢だったが、お前がどのように戦いに行くのか。」その時、ダビデが言ったことです。Iサムエル17章29節に「私が今、何をしたというのですか。一言も話してはいけないのですか。」(他の翻訳では「どうして理由がないのですか」:訳者注)となっています。ダビデが言った言葉です。どうして理由がないのかということです。理由を悟ってこそ、答えを受けるのです。
■バビロンに捕虜になっているのに、それでも良いと、食べて生きているのに、どのように祈りの答えを受けるのでしょうか。理由を悟らなければなりません。今、世界や韓国教会も、はやく理由を悟ってこそ、みことばが回復して答えられます。今日、この人たちがどのようなことを悟るべきなのでしょうか。重要なみことばがあります。一日に7回ずつ祈ったという言葉があります。これは切実に祈ったということです。祈りだけしたので答えを受けたのではなく、イスラエルの問題が何かを知って、重要な人々が一日に7回ずつ賛美して祈ったのです。問題を知っていて、自分自身が誰なのかを知っていました。これが霊的な目が開いたことです。切実に祈って答えを受けるのももちろんですが、問題が何かを知っていました。レムナント7人がみな悟っていて、信仰の英雄が1人ももれずにこれを悟っていました。今日、私たちの問題を正確に悟る祝福の日になるように願います。
■人は、自分自身の問題をはやく悟らなければなりません。そうでなければいくら祈っても問題を知らないから答えが出てこないのです。問題がないのに答えは出て来ることはできません。学校で試験を受ける時、韓国ではおもに4ケの中から一つを選択します。4ケの中で答えは一つしかないのです。ある時は、はっきりしないように書いてあります。どれが答えなのかが重要なのではなく、問題を正しく見なければならないのです。問題を正しく見られなければ、答えを見いだすことはできません。イスラエルの人々が「今、私たちが重要なことをのがして捕虜になったんだなあ。今、私たちが戦って、つまらないことを言っている時ではないな。私たちがここで職分を持って成功する時ではないな。」これを悟ったのです。7回ほめたたえたということは、切実に祈ったということです。この問題を知って定刻祈りを始めたのです。分かれば、答えが始まります。ダビデを見たり、捕虜時代のイザヤを見れば、祈りの奥義が出てきます。
■ダビデを見ましょう。レムナントにも話して、核心の時も話しました。ダビデは幼い時から家庭とイスラエルの問題が何か分かっていました。なぜペリシテにやられているかを分かっていたのです。それで、ダビデは定刻祈りを継続したのです。定刻祈りが良くできないでしょうが、しばしば試みてみると、ある日、答えがきます。皆さんが時間を定めて祈るということは、やさしいことのようですが、とても難しいのです。問題を正しく知ったといえばやさしいでしょうが、分かっても難しいのです。もしできるならば、すばらしいことが行われます。ダビデが幼かったのですが、イスラエルの問題が何か分かったのです。契約の箱を奪われて戻ったことも分かりました。ダビデが羊を飼っていたのですが、それを捕まえてずっと祈ったのです。
■定刻祈りをしていれば、突然に答えが来るのでしょうか。違います。そのように答えが来てはいけないのです。定刻祈りをしたところ、突然、屋根があいてお金が降ってくるのでしょうか。そうではいけません。それでは神様でなく変なのです。定刻祈りをすると何も起きません。しかし、本当の答えがきます。学生たちにそのように言いました。世界福音化するようにさせてくださいと定刻祈りを10年くらいしたところ、背が高くなったでしょうか。身長を測ってみたら1cm減りました。答えが来るのでしょうか。そうではありません。ある日、答えがくるのです。
■ダビデが問題を知って祈っていたのですが、ある日、答えがきました。大祭司サムエルが訪ねてきたのです。「あなたは王になる」これは小さい答えでしょうか。過ぎ行く占い師がした話でもなくて、大祭司が秘密裏に油を注いだのです。「あなた君は王になる」ダビデが祈っていた時、ものすごいビジョンが与えられました。それが定刻祈りです。それで終わったのではありません。サムエルが話をして行ったでしょう。「契約の箱を回復させなさい。ペリシテにやられているイスラエルを救いなさい。」その祈りを始めたのです。私たちが神様の契約を正しく捕まえれば、重要な答えがきて、その時から挑戦するようになっています。私たちは普通、挑戦を違うようにします。答えが正しくきてこそ、挑戦を正しくできるのです。クリスチャンの大部分が祈りをしないだけでなく、違った祈りをするのです。
■ダビデが祈りをしていた途中、大祭司がきて王になると言われたことは、間違いないことです。この時からダビデが挑戦し始めたのです。「はやく契約を回復させて国を回復させなければならないな。あのペリシテに奪われた神様の栄光を取り戻さなければならないな。」としていたら、ゴリヤテがきたのです。突然に戦ったのではありません。ダビデは、王になることを分かっていたので、ペリシテを置いてずっと祈っていたら、ゴリヤテが来たのです。簡単な話です。定刻祈りをすれば確かに答えがきます。条件があります。問題を正しく知って祈れば答えが出てくるのです。問題を分かるから、答えが分かります。答えが出てきてこそ挑戦をするのです。レムナントは注意しなければなりません。答えでもないのに、挑戦してはいけないのです。未信者は、神様を知らないから右往左往するのですが、私たちの信者もそうであってはいけません。
■王になることが分かれば、希望もあるでしょうが、負担もあります。愚かでない以上、ペリシテの国を意識しなければなりません。ところで、ペリシテの将軍が攻め込んできて、ゴリヤテがイスラエルを侮辱していたのです。ダビデはかなり以前から祈っていました。それで自分が戦うと言ったのです。その時、石五つを持って行きました。なぜ五つなのでしょうか。それは本人だけ分かるでしょうが、私の考えでは、ダビデがそれまでどれくらい挑戦する練習をしたのか、ゴリヤテが自分を刺しにくる前に石五つで終える自信があったと思います。明らかです。幸いに、一発で終わらせました。ですから、偶発的に石を投げて勝ったのではありません。感情的に魔が差して戦ったのではありません。すでにダビデが問題を知って、答えを知って祈りを始めていたのです。ですから、ダビデは英雄になりました。この時から想像することもできない問題がきたのです。特に、レムナントは知っていなければなりません。
■私たちが大きい人物になったり、大きなことをしようとすれば、他の問題がきます。私がそれを知りませんでした。私がそのまま平凡に信仰生活して育ったので、このように全世界に伝道運動が大きく起きるとは考えることができなかったのです。私が釜山で建物を借りて礼拝をささげていたのに、突然に何百人、何千人と起きることが予想できませんでした。そして、そのように起きるので、そばの教会で悲しむとは思わなかったのです。人であるからねたむことはあると思いました。しかし、私はそこまでやけくそになって陰謀をたくらむとは思わなかったのです。ソウルに行って集会をするのに、一番大きい礼拝堂に何千人が入れるのに、牧師だけで一杯になっていました。この牧師を説得させて正しい伝道をしなければならないではないでしょうか。それで、韓国の教会がひっくり返ったのです。私は教団がそのように攻撃してくるとは、想像もできなかったのです。牧師の中にも組織暴力があるということを知りませんでした。
■ダビデはこれを分かっていたのです。全く失敗なく避けて行きました。主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。そのサウル王が軍隊を引いてダビデを殺しに通うのに、試みにあわずに、逃げ回りました。その時、ダビデが現わした祈りが何でしょうか。常時祈りです。祈りはこういうものです。問題を分かってしまえば簡単です。私たちが今なぜこのように集まっているのでしょうか。教会は多いのに、なぜ私たちが教会をまたするべきなのでしょうか。牧師もとても多いのに、神学校を作って牧師をなぜすべきなのでしょうか。問題を分かれば、答えはすぐ出てきます。この時から祈りの答えが始まるのです。
■ダビデが逃げ回りながら神様に常時祈りをしました。羊飼いをしていたので「主は私の羊飼い」と言ったのです。ダビデが後ほど王になった時は「主は私の王だ。」と言い、軍人だったので「主は私の避け所であり、砦だ。」と言いました。詩篇はほとんどみなダビデの祈りです。問題を知るということが、このように重要なのです。
■ダビデが王になってどのようにしたのでしょうか。突然にしたのではなく、心に抱いた契約の箱を置く、神殿建築をしました。ひとまず町を作っておいて、契約の箱を持ってくる時に踊りました。この契約の箱を置いて、礼拝をささげる神殿を準備したのです。地球上で一番最初に神殿を立て、礼拝をする創造的答えを受ける創造的祈りがダビデに始まったのです。その精神を失ってしまったから、イスラエルが捕虜になったのです。これを悟った人がイザヤです。問題だけ分かれば答えが出てきます。その時から、正しい祈りが始まって答えがくるのです。心配せずに祝福を受けて、落ち着いて私たちの問題を見て祈るように願います。どれくらい切に祈ったのか、一日に7回、主をほめたたえました。
■二番目です。この人たちが祈りの答えを受けたのですが、二番目にしたことは何でしょうか。問題も分かっていたのですが、なぜこのようになったのか根本原因を分かっていたのです。根本原因とは何でしょうか。今日164節にこういう話をしています。「あなたの義のさばきのために、私は日に七度、あなたをほめたたえます。」聖書を見れば、義人はいないと言われていますが、義のさばきとは何でしょうか。それがまさに福音です。私たちは罪人だから福音が必要です。イザヤ7章14節に「処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと名づける」とされています。これは何の話なのでしょうか。福音をなくした時代に災いが何かを分かったということです。福音を悟った者の祈りの答えは何かを分かったということです。
■クリスチャンが最も知らないのが福音です。北朝鮮に行ってみると北朝鮮の人が一番知らないのが北朝鮮です。米国でさまよう人が一番知らないのが米国です。それは仕方がありません。福音がなくなれば変なことが行われます。福音をますますのがすようになれば、違ったことが行われるのですが、それがより良いと思うのです。エジプトで奇跡が起こって、ヨルダン川が分かれて、紅海が分かれて、エリコの城壁が崩れました。カナンを征服したから、どれくらい良いでしょうか。しかし、福音をなくしたのです。王たちが立って、ダビデ王が立って神殿を作ったのですが、福音をなくして捕虜になりました。戻って神殿を作りました。また福音なくしたのです。
■中世教会の時、またなくしたのです。中世教会は王も思いのままに立てて高めるほど強大でした。どんな罪を犯しても免罪符さえ買えばなくなるというほど福音をなくしました。福音をなくせば、何でもないことのようですが、人が愚かになります。この話をクリスチャンが知りません。僧侶がわかれなければ大丈夫なのですが、クリスチャンが聞き取れないのです。どの程度教会が変になったかというと「イエスを信じて救われるのではなく、良く暮らして、誠実に生きたら救われる。」この程度にまでなりました。とんでもない道に行くのです。普段の時、罪をたくさん犯したらお金を多く出して捧げれば天国に行くと言いました。お金は食べるのには良いのですが、絶対に救われることはありません。
■それで宗教改革が起きたのです。福音だけ回復すれば、ものすごいみわざが起きます。「処女がみごもって男の子を産む」「人でなく、神様の息子が来られてあなたの問題を解決する。その名はインマヌエルだ。」と言われました。これを悟った人を通してみわざが起きました。私は神様を通して受けた使命が一つあります。福音だけ強調するのが私の使命です。それでこそ、皆さんがほろびないのです。良いことは多くあります。業績が多くて、科学が発展して、エリートも多くいるのですが、後ほどほろびます。この目が開かれないのです。それで奴隷になって捕虜になるのです。
■未信者がこのように言っています。「教会が食事をさせてくれるなら、教会に行こう」実際に、以前は釜山インマヌエルで食事を与えていました。「教会になぜ通うのか。自分の力を信じろ。」そのようなレベルです。私たちが福音がなくなればどうなるのでしょうか。回復する時、驚くべき答えが起きます。そのような祈りを一日に7回ずつ賛美しながら切実にしたのです。今日、みことばだけわかれば答えが来るでしょう。
■三番目です。単に切に祈ったのではありません。神様の力と未来を分かってしたのです。皆さんはたとえここに座っているとしても、未来を分からなければなりません。たとえ皆さんは力がなくて、年を取るとしても、私たちのレムナントが起きることを分からなければなりません。真理は変わりません。私たちが正しい福音を植えておけば起きる秘密が何かを分からなければなりません。それでイザヤにおっしゃられたのです。みな切り倒されても切り株は残る。レムナント運動です。それを分かったのです。
■イザヤ40章に「主を待ち望む者は新しい力を得る」 43章には「野の獣もわたしをあがめる」と言われました。それが何でしょうか。「わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。」神様がバビロンをうち砕き、イスラエルを解放させるということです。「光を放ちさえすれば全世界から多くの男女しもべが集まる。万民のために旗を揚げなさい。」それを知っていました。今日、皆さんが3つのことを捕まえて答えを受けるように願います。
■気をおとすこともありません。私たちの問題を真っすぐ分かれば、気をおとすこともありません。問題を分かれば、解答がきて、答えがくるようになっています。それよりさらに重要なのは、福音がなくなってしまったということです。皆さんにやってくる未来を見ながら祈らなければなりません。165節に「あなたのみおしえを愛する者」という言葉がありますが、それは「みことばを本当に信じる者」ということです。神様のみことばを本当に捕まえれば、大きい平安が臨み、障害物がないと言われました。気落ちもせずに、疑いもしないように願います。この3つのことを知って祈りを開始すれば良いのです。
■私の問題が何か知って、私たちの問題が何か知って、福音がなくなったという最も大きい問題を知って祈れば良いのです。この正しい福音が、私たちの子孫に伝達されて起きなければならないことを置いて祈れば、答えられるようになっています。福音のなかで確信を持つように願います。キリストを知っている神様の子どもであるために、確信を持てば良いのです。皆さんは神様の子どもであるために、運命、悪魔みな必要ありまえん。神様から最も早くくるのが祈りの答えです。神様の子どもに来る問題は、全部、勝利に変わるようになっています。神様の子どもになる瞬間、皆さんの運命、呪いの家系、みな終わって世の終わりの日まで導かれると言われました。これが最初に持つ確信で、祈れば良いのです。
■二番目に、私のレベルで考えてはいけません。聖霊充満は神様のレベルです。私たちのレベルではできません。注意することがあります。知識人は、知識を持っているならば不信仰に陥ります。反対に、無条件に信じるという人は非合理的になりえます。ソウル大の出身だけエジプトに置いておいたら、多分、出てこなかったでしょう。みな賢いから行けないのです。「おじいさんが狂っているので、どうして私たちがそちらに行くのか。子どもたちを連れてその遠い道をどうやって行くのか。水もないのに地質学的に兵法学的に医学的に軍事学的に行けない。」と言うでしょう。それでは永遠に奴隷になるのです。ですから、全部、愚かな人にして連れて出て行ったのです。いっそそれがより良いのです。知識人がしばしば不信仰に陥ります。
■反対に、無条件に信じてアーメンと言うならば、人が非合理的になります。二つとも変です。聖霊充満ということは、神様のレベルです。これをとらえて祈れば、ある日、答えの場に来ているようになります。ある日、答えを受けるのではなく、答えの場にくるのです。ある日、成功するのではなく、成功の場に来ているのです。ある日戦って勝ち取るのではなく、征服の場に来ているのです。
■私は幼い時、祈りを知らなかったので、ミューラーという人の本を読みました。ミューラーという人は、祈り答えを5万回も受けたのですが、祈りは単純でした。その人の祈りは他ではなく「神様、この子が病んでいます。神様がご存知ではないですか。神様が責任を負って下さい。」こういう祈りでした。ミューラーは単純な祈りでした。しかし、多くの答えを受けたのです。またムーディーに対する本を読みました。なぜ神様はムーディーを用いられたかというと、祈りの人でした。ムーディーは聖霊充満して祈りもよくしました。私の母は、よく祈りました。後ほど答えがきたのですが、その時は、なぜそのように祈りをよくするのか知りませんでした。
■ある日、本文のように問題を悟ったのです。このまま暮らしてはいけなくて、希望がないということだけを分かったのですが、祈るようになりました。この地球上に福音がないということを悟ったのです。ですから、やさしい答えがきました。滅ぼされて当然名罪人なのに答えが来ました。お手伝いでもして清掃するのも処理できない私の人格が、皆さんのように祝福された人々に愛されるように、神様が答えを与えられたのです。一人でご飯を食べて生きることも大変な事情なのに、多くの人々を助けて生かして伝道するようにさせてくださいました。どれくらい感謝かわかりません。
■この頃は、特にレムナントがたくさん起きています。RUTCという単語を本当に捕まえなければなりません。奇跡が起こります。釜山では、田舎者も祈りの答えをたくさん受けています。RUTCという単語が出てきてから働きが起きるのです。とてもよく作ってある海雲台の教会も買って、美しく作られた昌原教会も買って、キチャン教会も買うようになりました。それで、突然、予算より決算が多くなってしまったのです。昨年の予算は何億円かだったのですが、決算は十数億円でした。神様が一度に注ぎ始められるのです。捕虜なった時、神様がくださったレムナントという単語をつかんだのです。光を放つ時、あなたたちの男女の子ども達が戻ってくるはずだと言われました。
■何でも祈りの答えを受けようとするなら、本当に答えを捕まえなければなりません。それで、皆さんの事業、個人、家庭、すべての所に神様の真の平安が臨むことをイエスの御名でお祈りします。今日、この祝福の日に、そばに人に心より祝福しましょう。「本当に今日のみことばがあなたのことになるように願います。私たちのことになるように願います。」

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、みことばがそのまま私たちに成就するようにさせて下さい。問題を見る目を開けて下さい。福音を見る目を開いて下さい。レムナントと未来を見る目を開いて下さい。それで、本当に答えを受けるみわざが起きるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン




<一般信徒宣教会献身礼拝>
2部/初代教会の一般信徒
(使徒17:1〜9)

■初代教会の一般信徒です。当然、記録された聖書であるから、理解をしなければならないのですが、この祝福を受けなければなりません。まず、聖書には「しなさい」「してはいけない」という律法と倫理、こういう宗教があります。こういうものはしなければならない、こういうものはしてはいけないという記録が聖書にはあるのです。しかし、聖書には、これのほかに、とても重要な記録があります。これをするためには、わざわざ教会に行かなくてもかまいません。正しく生きて、倫理を守って、宗教を持つことだけを大切にするのなら、キリストが十字架に釘付けられる必要もありません。「しなさい」「してはならない」もありますが、聖書にはそれよりさらに重要なことが記録されています。
■聖書には、救われていない未信者がなぜ失敗をするかを確かに記録しています。簡単に話せば、創世記3章に引っかかっているということです。ひょっとして未信者が聞けば気分が悪いかも知れませんが、聖書には「あなたたちの父である悪魔」と出てきています。それで、やむを得ず占いに行かなければならないのです。やむを得ずグッ(降霊術)、お祓いもしなければなりません。そうするうちに地獄に行かなければなりません。それを偶像崇拝と言うのです。良く暮らしていても、問題が生ずると、このような問題に陥るしかありません。そして、霊的に病んで地獄に行くようになるのです。
■しかし、聖書には救われた信者に与えられた本物の祝福があります。これを分からなければなりません。救われた本当の信徒は、未信者6つの状態から抜け出したのです。Iコリント3:16に、救われた皆さんに聖霊が中にいらっしゃると言われています。これは、律法や倫理、宗教だけをいつも話す人は関心がないことです。それで良いと考えるのです。それも重要なのですが、本当に重要なのは他のことです。未信者を掌握しているサタンが、皆さんを攻撃をしに来ても帰って、聖霊がおられるので、何もすることができないのです。それを救いと言うのです。天国に行くのは後のことで、これを今、救われたというのです。
■そしてヨハネの福音書14:16-17に救われた皆さんを聖霊がいつも導くと言われています。それで、聖霊の導きさえ受ければ、答えをずっと受けるのです。信仰生活は聖霊の導きを受けることです。聖霊が私の中におられるということは、救いのことです。聖霊の導きを受けるということは、信仰生活のことです。これで終わったのではありません。使徒1:8に、聖霊充満の力をくださって、世界征服をするようにすると言われました。これは使命を果たすことができるように力を与えるという言葉です。これが信徒に与えられた祝福です。福音を味わうほど、味わうようになります。それで終わるのではありません。
■祝福を受けた皆さんは、今日、メッセージを聞いている時、皆さんの現場にヘブル1:14、主の使いが送られて、お手伝いをさせると言われています。それで祈りだけすれば良いのです。皆さんがここで祈りをしていれば、神様がまちがいなく主の天使を送って下さって、みわざが起きます。皆さんが信じる、信じないは自由です。ものすごい祝福なのです。これが答えとして現れる祝福です。ものすごいことなのです。
■明らかに皆さんがここでみことばを受けてアーメンと言うのですが、神様は主の使いを先に送ってくださって、福音を味わうだけ働くのです。そして、これで終わるのではありません。ルカ10:19に、皆さんが今ここで祈るのに、周囲の家庭、暗闇の勢力、行かなければならない所の暗闇の勢力がみな砕かれるのです。これを権威と言います。このようになればどうなるのでしょうか。じっとしていても、この祝福を味わったら現場に変化が現れます。使徒の働き1:3に、皆さんが行く所ごとに神様の国が臨むようになると言われています。
■最後に、最初で最後になさったみことばのとおり、マタイの福音書16:28-30に行く所ごとに弟子が準備されていると言われました。これが信徒が受けた祝福です。今日の午後に皆さんが質問を確かにして、答えを出さなければなりません。なぜイスラエルは祝福を受けたのでしょうか。理由があります。イスラエルが祝福されてこそ、その当時に世界福音化ができるはずでした。なぜイスラエルは世界経済を征服したのでしょうか。しかし、なぜほろびたのでしょうか。イスラエルは、律法、倫理、宗教の部分はよく知っていたのですが、この霊的な祝福の部分を知らなかったのです。それで、皆さんが目を開いて、聖書には「しなさい」「してはならない」「このようにしなさい」「あのようにしなさい」もありますが、それよりさらに重要なことを、メインにしなければなりません。
■この目をはやくあけなければならないのです。なぜ世界教会がますます眠ってしまって行くのでしょうか。1番(律法、倫理、宗教)をしようと努力をするのに、2番(霊的な祝福を知らないのです。結局、2番を知らないから、後には1番もだめで、後ほどにはみなだめで未信者に負けるのです。これは聖書にだけある話です。どんな本にも神様のみことばではないから、こういうことは書いていません。未信者が6つの運命に陥って死ぬということは、聖書にだけあって、他の本にはありません。聖書は神様のみことばです。これを知らないで良いのでしょうか。
■どのようにして初代教会には驚くべき復興が起きたのでしょうか。皆さんも初代教会を知っているでしょう。法的に禁じたのです。しかし、初代教会はずっとみわざが起きました。世界で一番優れた民族がユダヤ人です。世界でその当時一番強い国がローマでした。この組織を跳び越えたのです。不思議なことです。それが何か分かるでしょうか。この話しがわかった現場弟子が起きたのです。そして、この話しがわかった役員が地教会の門を開けました。それで、世界、ローマ経済を征服したのです。この人たちが、全世界でOnenessになって文化を征服したのです。
■今日、現役軍人も一緒に集っています。私が知っていることでは、タラッパンの立場で今現在、聖書にあるとおりの伝道をしなければならない所が中国と軍隊です。今中国では福音を伝えさせないでいます。そして、軍はタラッパンを入れないでいます。だから、聖書にある戦略をそのまま使わなければなりません。聖書を見れば、完全に防ぎました。それで、心に葛藤ができたり疑いが生じるでしょう。「なぜ難しい福音を伝えるのに、神様が防がれるのか、いくら問題があっても、なぜこのようなのか。」このように考えることもあるでしょう。反対には「人々が迫害をしなければ良くできるのに」と考えます。しかし、初代教会もそうで、イエス様もそうで、パウロもそうで、ムーディーもそうで、ウェスレイもそうで、みな寃罪をこうむったのです。
■反対に、今、中国に門が開かれれば、むしろ福音がなくなります。だから、今が良いのです。北朝鮮の門ももう少しあとで開かれなければなりません。北朝鮮も弟子が入って出てきて、よくて10年くらい過ぎたら、本当に伝道弟子が生じるようになるので、次にその時、開かれなければならないのです。今、開かれれば騒々しくてだめです。問題が生じます。それで軍で働く方たちが、聖書そのまま働きをして入るのです。神様が軍隊をとても重要にご覧になって、本当に伝道運動をしなさいとおっしゃいました。しばしばパリサイ人のようになってのがすのです。中世教会も同じように、のがすようになりました。
■聖書はこの2種類の話です。片方のグループが多くなれば、反対側が異端になって、他の一方が多くなればその反対側が異端になります。これがいつも反復されるのですが、それが教会史です。福音運動をよくした人が出てきたら、その人が異端になるのです。また人が多くなれば異端になります。こうした話を一般信徒がどのように理解できるでしょうか。ところで、この話を理解してこそ、色々な解釈が出てくるのです。それで、軍でも本当に弟子を探せます。そして、中国でも弟子を探して、北朝鮮でも弟子を探せるのです。
■こういう難しい話はやめて、初代教会はどのように世界福音化をしたのでしょうか。使徒の働き17:3に
キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。初代教会の方法です。イエスがキリストだ。これが初代教会の発見であったし、方法でした。
■最初です。今から軍でもそうで、皆さんの現場でもそうで、初代教会のそのまましてみましょう。初代教会の聖徒たちです。聖徒たち個人にどんなことがあったのでしょうか。彼らに本当に平安と答えがありました。伝道よりさらに重要なのがこれです。初代教会の聖徒たちは、本当に安らかさがあって、答えがあって、いつも感謝すると言いました。知ってみたら、この人たちは答えを持っていたのです。この人たちが答えを持っていたのですが、まさにイエスがキリストであったためです。この問題を全部、答えで味わっていました。それで、初代教会の聖徒たちは、インマヌエルの祝福をいつも味わっていたのです。これが世界征服の方法です。これが初代教会がよく勝った方法です。
■友達同士でも見れば分かります。いくらヨセフが奴隷であっても、ポティファルが見ると、何かがあるのが分かります。何がでしょうか。神様が共におられることが分かるのです。夫婦間でも分かります。友人間でも互いに弱点を知って、いくら悪くても、知るようになります。これが初代教会が世界を征服する方法の最初です。皆さんがこの祝福を受けることを希望します。皆さんが救われたので、本当にこの契約を味わえば、神様が共にされる契約が起きます。これが世界征服の最初の方法でした。初代教会はみなこのようでした。イエスがキリストだ。本当にこの契約を捕まえて祈りをして答えが起きたのです。ヨセフもそうで、聖書の人物がみなそうでした。
■ダニエルに祈りの答えがずっときました。祈りの答えがくれば色々なみわざが起きます。ダニエルを殺すために反対派が作戦を計画したのですが、そのために危機に会いました。その時、王が「ダニエル。あなたがいつも仕えている神があなたを救い出すだろう。あなたが仕える神がいつもあなたとともにおられるだろう。」と言いました。
■私が知っている勧士一人は、信仰生活をがんばるのに心配も多くて、とうていインマヌエルになりません。それで小さい問題にも心配が多くて大騷ぎが起こりました。あまりにも大騒ぎになるので、神様も信じない夫が「あなた、神様が生きておられるので耐えなさい」と言ったのです。未信者も知って、そばの人も知って、自分も分かります。今日からこの祝福を見いだすことを希望します。途方もないことが来ているのです。皆さんにこれより大きい祝福はありません。キリストを分かる者はほろびることができません。なぜなら、聖霊がともにおられるためです。それで、この祝福を持っていれば、現場も生き返って、みな生き返るのです。これが初代教会の方法です。
■二番目です。初代教会はどのように伝道をしたのでしょうか。この迫害が起きる前には、初代教会は本文に出てきたように、人を感動をさせて、手助けして、こういう祝福が起きました。それで、人を生かすことが起きたのです。私たちの青年たちも職場に行けば伝道からしようとせずに、人を助ける事からしなさい。無条件に伝道をしに歩き回れば、他の人が変に見ます。本当に伝道をするためには、皆さんは人を生かさなければなりません。そうすれば、その人々が助けを受けて心が開くのです。この時、与える答がやはり「イエスがキリスト」ということです。この時、どんなことが行われるのでしょうか。神様の国が臨むのです。これが伝道です。
■伝道は、そちらに神様の国が臨むようにすることです。「国」という言葉は、みな含まれるのですが、神様の聖霊様がともにおられ、主の天使がいるのが国です。すばらしい祝福です。これが初代教会の戦略でした。初代教会の答えだったのです。特に軍宣教をする方たちが、この祝福を受けることを希望します。そして、学校を伝道する学生たちもこの祝福を受けることを希望します。宣教とは何でしょうか。初代教会はこれを知っていました。行くすべての現場に変化が起きたのです。ですから、行く現場に神様のみわざが起きたということです。皆さんが知っているように、レムナント7人がみなそうでした。初代教会の弱いすべての聖徒たちが行く所ごとにこうしたことがみな起きたのです。結局、何でしょうか。結局は「イエスがキリスト」という答えだったのです。
■ここに神様の光が照らしました。この光という言葉は、暗闇がみな崩れる宣教を意味したのです。個人にも光ですが、イザヤ60章に、起きて光を放てと言われました。それで、すべての国から男女のしもべが抱かれてくるはずだと言われています。初代教会がこれをして、答えを受けたのです。皆さんがこの答えを捕まえていれば、本当に答えを受けます。一般信徒が答えを受ければ、現場が変わるようになっています。どんな結果になるのでしょうか。皆さんが今日でも本当に答えを受ければ、明日から変わります。本当に答えを受ければ、職場も変わって、事業も変わって、みな変わるのです。今日、信仰を完全に回復しなければなりません。私たちが本当に答えを受ければ、だめだという現場も変わるようになります。私たちが本当に答えを受ければ、全世界のレムナントがみな起きるのです。どのように不信仰と暗闇が神様に勝てるでしょうか。勝てません。第一に、答えを受けるのには不信仰を捨てるだけ働きが起きるのです。初代教会は、法で防ぎました。皆さんはどうするでしょうか。神様は何を希望されるのでしょうか。
■初代教会のマルコのタラッパンには、行ってはいけなかったのです。職場もみな首を切られました。何もできなかったのです。皆さんはどうするでしょうか。私の予想ですが、大丈夫なのですが、もし皆さんがインマヌエル教会に出てくれば職場で首を切られるとすれば、多分、半分ほどだけしか出て来ないでしょう。それで終わったのでしょうか。イエスがキリストだという言葉をいえば、拘束までされました。拘束されればさらに怖くなります。それなら、皆さんならば行くでしょうか。そして、拘束された人がまた捕えられれば死刑でした。海外でする場合には、その場ですぐに死刑だと法に定めてありました。ところで、現場で弟子が起きてユダヤ人、ローマ組織を超越したのです。すべての散らされた地教会で宣教献金が集まって、ローマ経済を征服してしまったのです。散らされた弟子がどれほど多かったのか、ローマ文化を変えてしまいました。話しになりません。防いでおいたのですが、どうなったのでしょうか。だから信仰人は基本的に信仰に答えを出さなければなりません。皆さんが信じる瞬間、この働きが起き始めるのです。間違いありません。皆さんがこの場で信仰で信仰告白をするのに、聖霊は完ぺきに働かれるようになっています。
■本当にこれを信じなければなりません。今日、ここで正しいみことばを捕まえる瞬間、神様は主の天使を送られて、あらかじめ先に働かれると言われました。その時には暗闇の勢力がみなうち砕かれます。心配をすることもありません。これを本当に信じたのです。そうして、法でみな禁じておいたのに勝ちました。ですから、目をはやくあけなければなりません。時々、ある牧師も「私たちが汚名を着せられて、伝道の支障になる。」と言うのですが、そうではなく、真の弟子を捜し出さなければならないのです。それは聖書と合わない言葉です。初代教会は完全に防いでおいたのに、これを持って現場をみな生かしたのです。
■使徒17:1-9に本当に答えが起きました。そのように妨害をしてだめな条件なのにもかかわらず、大ぜいが起きたと言われています。17章6節には、世界中を乱している者がここにきたと言いました。そして、どうなったのでしょうか。Iテサロニケ1:3に、彼らの信仰、希望、愛が全地域に広がったと言われています。1章5節には、言葉だけでなく聖霊と力と大きい確信と言われています。後ほどローマ16:21に、ヤソンがローマ福音化まで参加しました。皆さんが本当に答えを受ければ、目が開かれます。本当に答えを受けることを希望します。
■私たちは、たびたび不信仰と信仰が戦います。不信仰を捨てるだけ、答えが付いてくるのです。アブラハムが少しの間、不信仰を捕まえたのですが、それが「イシュマエル」という今のイスラムの先祖です。エサウが福音の反対になる不信仰を捕まえたのですが、今でもエドム部族が問題です。もちろん人だから弱くて、不信仰になることもありますが、福音に反対になる不信仰を捨てれば、大きいみわざが起き始めます。初代教会が行く所ごとに個人がこういう答えが起きたのです。このようになるので、他の人を生かすしかなくて、他の文化を生かすしかありません。これが宣教です。皆さんが今日、この契約をしっかりととらえて、一般信徒宣教会で大きい答えを受けることを希望します。
■もし皆さんが真の伝道をすれば、行く所ごとに変化が起きます。私が昔に本当に伝道をする人に会いました。変化が起きたのです。それ以前にはにせ物だけに会っていました。信徒を一度たくさん作ってみようとぎらぎらした目で歩き回る人がいたのですが、そのような人々は本当の伝道ではありません。本当に伝道をする人を見たことがなかったのです。精神が少しおかしくなって、家を出て大声で叫びながら伝道しに回る人も見たのですが、そのような人ではなくて本当に伝道をする人を見たことがありませんでした。教会が何人かを動員して、外に付けて大騒ぎをするのですが、それは商売をするのと同じで、何かをしてみようとすることだけです。ところが、ある日、本当に伝道をする人に会ったのです。その人と私は言葉も交わさなかったのですが、神様は私の人生を変えてしまわれました。今日、この祝福を受けることを希望します。
■それで、難しいことではありません。私たちが立派でもなく、私が立派なのでもありません。その多くの神学生たちの中でも、現場に出てみれば福音の中にこういう人が殆どいませんでした。私は皆さんに会うことが初めてです。本当に福音のために献身をする、こういう牧師に会うのが初めてです。いません。もし皆さんが真の宣教を捕まえたら、まず最初に回復するのが経済です。真の宣教です。今でも本当に福音を伝える宣教師を派遣すると、神様はまず最初に皆さんの経済を回復されます。証拠、神様はなぜアンテオケ教会を用いられたのでしょうか。神様がなぜパウロに全てを注いで下さったのでしょうか。神様がなぜローマ16章の人々を祝福して下さったのでしょうか。真の宣教をしたためです。
■別に福音も伝えないのに牧会をする人も多く、福音も伝えない宣教師も多いのですが、その人々は単なる門で、はやく老いて亡くなれば良いのです。正しく福音を伝える人を送りださなければなりません。この時、本当に神様が隠された経済の働きが起きるのです。今日、長老、役員がこの契約を堅く捕まえることを希望します。おかしな人でなければ、本当に真の平安を持って人を生かして、現場を生かす人が、皆さんの周囲にいるという変化が起きます。こういう宣教師を送り出せば、必ず祝福が起きます。それで、私たちの教会でこういう宣教師を探して送り出せば、神様は全てみななさるのですが、まず最初に祝福されるのが経済の祝福です。本当に契約として捕まえることを希望します。
■この時間には、どうしてもちょっと眠たいのです。眠たくても、これはとらえて、うとうとするように願います。にせ物が多いのです。ほとんどにせ物です。単に何かをしてみようとする人々です。それで、私は多くの人々に話します。あっちこっちしてするのではなく、牧会をしようとするなら、しないでと言います。それは中心が違っているのです。一番良い人物を選んでさせなければなりません。それが神様が願われるのです。本当に韓国で正しく実がある人々を探して宣教師で送り出さなければなりません。あっちこっちするさまよう人を送りだせば、本当に損害です。本当に伝道をする人を送りだせば大きなみわざが起きます。インマヌエル一般信徒宣教会が一番捕まえなければならない契約がこれです。皆さんが今から目に火をつけて訓練をさせなければならないことが、真の伝道をする人を真の宣教師を派遣すれば、神様は私たちに答えをされなくてもかまわないのですが、まず最初にこの答えをなさいます。
■私が皆さんにすることがあるならば、証しをすることがこれしかありまえん。私はこの人を探したのです。今でも他の人、いくら立派な人も私には序論です。私はこの人を探しました。真の伝道をする人を探したのです。残りはみな序論です。子どもでも序論です。そして、本当に目を開いて宣教をする人を送りださなければなりません。みわざが起きます。これを反対にしたので、イスラエルはほろびるのが当然です。これを反対にしたので、今、世界教会は経済困難がくるのが当然なのです。
■チョン牧師や軍宣教をする方たちがおられるのですが、必ずこのようにしなければならず、よくするのも重要ですが、正しくなされた軍人を送りださなければならないのです。もちろん、知らずにいてはいけません。今、このメッセージをすれば全国教会、インターネット5,000、軍隊にみな出て行くのですが、必ず軍隊に行く人は、必ず軍合宿を受けて行かなければなりません。福音が何かも知らずに、伝道が何かも知らずに、答えが何かも知らないのに軍隊を先に行けば、それはむなしく歳月送って終えてくるのです。皆さんが社会に出てくれば、社会はそのように風は弱くなくて強く、その時は信仰生活を捕まえる力もないのです。
■私が今回、学生たちに話をしました。私と共に1年から6年まで勉強をした友人がいました。ところで、その友人が1年から6年まで全校で1番の友人でした。できることも模範的にできたのです。賢かったのです。そして優しかったです。そして実力もありました。それで、両親もしっかりした良い人々でした。率直な話で、私たちの両親と違いが生じるほど立派な両親だったのです。私と親しくはなかったのですが、同じクラスなのでよく知っていました。この子は予想通り、以前にはおもにすることがそれしかないから判事になりました。何年か前に私と会ったのです。それも私たちの信徒が連結して、分かって紹介をして会ったのです。
■判事をして問題が出て、とても苦しくて隠れてホテルの部屋にいました。それで執事が出てきて、同窓であることを知って連結をしてくれたのです。ところで、その友人が私に話したのです。「うらやましい。私はあまりに荷が重い。」そのような理由がありました。判検事だと言っても、お金がものすごく多いことではないのですが、それが問題ではなかったのです。私が話をしてみたら、全く福音を理解できなかったのです。衝撃を受けました。そんなに賢かったのですが、わかることができなかったのです。一を言えば十が出てくる子でした。だれかが話せばそのまま行う模範生であったのに、福音だけ話したらわからなかったのです。そして、まったく考え、感覚、体質が福音を聞けなくなってしまっていました。それを見ながら、レムナントの時が重要だと感じました。これで福音が正しく入ることが重要です。
■社会に出て行けば複雑になります。わけがわからなくなります。それで軍隊に行って最後のコースです。レムナント運動の最後のコースです。それで必ず合宿を受けて軍隊に行かなければなりません。知らずにいてはいけないのです。知って行かないのは仕方ないのですが、知らずに行かないのはだめです。そして、軍隊は今、すべての門をみな閉じているから、より一層、弟子を探しやすいのです。それで、本部で訓練をする人々が徹底的に訓練を良くしますが、軍隊から来た人々は無条件に速くするから時間がありません。最も重要なのは訓練ですが、それではなくて、真の伝道をする人と真の宣教をする人です。そのとおりでしょうか。間違っているでしょうか。もし私がにせ物の福音を伝える人ならばどうなるでしょうか。それでは、皆さんがみな詐欺師になるのです。にせ物の福音を伝える人です。そして、すべてをする時、本当に福音のためにするのではなくて、他のことをするので、違うのです。この中にすべて入っています。
■ 「こうしたのに、なぜ迫害が起きるのですか」 17:5に、しかしユダヤ人はねたんでと書いてあります。これは正常な考えではなくて、ねたんでしたと言われています。サウル王もねたむ時、サタンが働きました。それで迫害をしたのです。もし誤りもないのに迫害を受ければ、大きい証拠が起きます。まちがいなく起きます。それで迫害を恐れることはありません。皆さんがもし迫害を受ければ、マルコ福音10:29-30に100倍で答えを受けると言われています。マタイの福音書10:42には水一杯も報いを忘れられないと言われています。こういう迫害の中で本当に弟子が起きるのです。それなら、この答えを正しく受けなければなりません。
■こういう意味で、今日、皆さんが一般信徒宣教に参加しているのです。いつでも一般信徒宣教礼拝に参加する時ごとに真の宣教師を派遣するように手助けさせて下さいと祈りましょう。真の宣教師という言葉は、真の福音、真の伝道、真の宣教を本当にする人です。律法や倫理や宗教も必要ですが、これは僧侶もします。他の宗教もみなできるのです。しかし真の福音、真の伝道、真の宣教は違うのです。律法や倫理、宗教も良いのですが、真の福音、真の伝道、真の宣教をする人が必要です。
■今日少し疲れる時間に過ぎ行くメッセージと思わずに、契約をとらえて今日から答えを受けることを希望します。皆さんの現場と経済に神様は祝福されるでしょう。特に軍宣教をする方々に神様の特別な恵みがあることをイエスの御名でお祈りします。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝します。私たちの霊的な目を開いて下さい。真の福音、真の伝道、真の宣教の目を開いて下さい。それで、私たちももう真の答えを受ける証人になるようにさせて下さい。世界を生かす経済祝福も受ける信徒になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン