2007年3月4日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/神殿に上る者の姿勢
(詩123:1〜4)

・詩編は150篇まであります。119篇が一番長いのです。176節まであります。なぜそんなに長いのでしょうか。神様がみことばが何かを全体を説明しているのです。そして、その後の詩篇120篇から終わりまでは、ほとんど都上り(神殿に上る)内容です。それは、何の話なのでしょうか。礼拝に関するメッセージです。礼拝がそれだけ重要なのです。私たち人間がする行為の中で、最も聖なる行為があるならば礼拝です。いくら頭が優れた動物でも、礼拝をささげる動物はいません。それで、皆さんが礼拝だけ成功してもかまわないのです。皆さんが聖書をたくさん読んで聖書勉強をよくすれば良いのですが、礼拝だけ成功してもかまいません。もちろん、神学も学んで、聖書もたくさん読めば損をすることはありません。しかし、そのようにしなくても、皆さんが礼拝だけ正しくささげて悟れば、それで充分なのです。そのような程度でなく、礼拝ですべての問題を解決することができるのです。私たち人間は、無限に発展するのですが、限界がきます。
・皆さんがよく知っている三国志という本を見れば、諸葛孔明という人が出てきます。曹操という人が、この人を連れていこうと数十回要請しました。それで、この方が詩を一つ書いて送ったのですが、断る詩でした。行けないとは言わずに、詩を一つ書いて送ったのでした。鳳凰が一度運べば、千里の道を飛んで行く。そして、そのように飛んで行きながら、どこの木にでも留まるのではなく、桐にだけ留まる。こういう答えを与えたのでした。ですから、むやみに人が行き来するかという意味です。鳥も優れた鳥は、どの木にでも留まらないのに、どのように人がどこにでも行くかということです。このように考えが深い人が、戦争で敗れたことがあります。相手方を火の中に追い込んでみな勝ったと思ったのですが、突然、雨が降ったのでした。突然、それも暴雨で、夕立ちが降って火がみな消えたのでした。その時、その方がこういう話をしたことがあります。「私たち人間は最善を尽くすが、なるならないは、天にかかっているんだな。」
・皆さんが努力しないということではないのですが、皆さんの全ては神様の御手にあります。それなら、礼拝より重要なことはありません。皆さんがどれだけ生きて、どのように死ぬのか分からないでしょう。神様の処理によるのです。皆さんが長生きする事もでき、少し短く生きることもあるでしょう。今、神様がいないと話すその人の命も神様の処理によるのです。そのように見る時、一番重要なのが礼拝です。そのような程度ではなくて、礼拝をささげる時は、すばらしい霊的な事が行われるのです。単に礼拝して行くように思えるのですが、霊的にはすばらしいことが行われます。それなら、礼拝より重要なことはありません。
・ダビデは、王宮にいることを一番重要に思ったのではなく、礼拝をささげることを一番重要に思いました。ダビデに神様がこのようにおっしゃられました。「あなたは杉材の家に住んでいるのに、主の契約の箱は風が吹くところにあるんだな。」その言葉にダビデはとても衝撃を受けたのです。「そのとおりだ。私たちは良い家、杉材の家に暮らしながら、神殿はなくて契約の箱は風が吹く天幕にあるんだな。祝福を受ける、受けないとは関係なく、このように暮らしていて良いのか。」それで、この人が神殿の準備を完全にしたのでした。礼拝ぐらい重要なことはありません。これが事実と感じられる方は、本当に今日が祝福された日で、六日間、証拠を見られます。それでは、今日、どんな祈り、どんな礼拝をすべきでしょうか。今日、その答えを得なければなりません。
・皆さんが本当に神様のみことばだけ正しく聞いたら、答えを受けることができると私は確信します。どんな祈り、どんな礼拝をささげるべきでしょうか。ひとまず難しいと思う必要はありません。私が知っていることでは、とてもやさしいことです。私がソウルに35年前に来ました。ソウル駅におりました。人々が夜明けにソウル駅にあふれ出ていました。右の方に行ったら、クッパの店が一軒ありました。外は寒かったのです。クッパを私も一杯買って食べました。食べてみたのですが、私が生まれて世の中で一番まずいものでした。どれくらい急いだのか、沸かせば汁が出てくるべきなのに、それさえありませんでした。
・塩加減がよい、よくない、何かが入っている、入っていないは二の次で、汁に味がなかったのです。煮てすぐのようでした。これを急いで早く入れてくれたのですが、それでも食堂の中に人が一杯になっていました。「これがソウルだな。」と感じました。ソウルの初めての味をソウル駅のそばのクッパの店で知りました。あちこちにどれくらい人が集まっているのか「ソウルには、なぜこのように人が多いのだろうか。」それが一番初めに感じたことでした。ところで詳しく見たら、そうではありませんでした。
・私たちは少しだけ良くすればよいのです。とても勝手にするから少しだけ良くしても答えを受けます。皆さん、礼拝というからすごいと思うのですが、少しだけ良くすれば礼拝に成功します。それが今日の本文に出ています。難しいと考えないように。私たちはとても成功しようとするなら努力しなければならないと思うのですが、そんなに難しいことではありません。違うようにがんばるから問題で、違わないようにすればやさしいのです。人々の話をむやみにする人が多いのです。少しだけ話を選んですれば成功します。それが何で難しいのでしょうか。皆さんどこかへ行って話だけ少し選んでしても愛されます。
・ソウルに行って一度は食堂に行ってみました。外に「この店はおかずを25種類出します」と書いてありました。25種類ずっとくるのに私は持ってこないでくれと言いました。これがソウルの人たちが買うのです。少しの間、考えてみてください。おかず25種類で誘惑をした時は、その食べ物が良い食べ物ではないでしょう。食堂する方がいるでしょうが、買ってくる時、高いものを買ってこないでしょう。単に多くくれるという誘惑で人を呼ぶということです。それでは、それが良い食べ物であるはずがありません。人のからだに入る食べ物ぐらい重要なことはありません。私はもう二度と行かなかったのですが、人が一杯になっていました。それで、刺身を頼んだのですが、刺身は変なのが出てきました。ところで人が一杯になっていたのです。食べ終わって出るときに「なぜこのようにおかずを多く出すのか。」と聞いたところ、ソウルの人たちは、おかずを多く出してこそ来ると言いました。特に女の人たちは、これのためにくるということでした。やはり女が問題だなと思いました。
・とても損です。それで、韓国の経済が死ぬのです。他の国はそのようなところがありません。長期的に見れば死ぬのです。日本に行ってみてください。頼めば、ただ一つしか出て来ません。どれくらい専門性があるのか、日本に行ってお腹がすいたのです。食事を頼んだところ、ただそれだけが出てきました。おかずがなければならないのに、おかずが出てこなかったのです。それもお金を出したら、持って来ました。それで、たくわん二切れを持ってきました。いくら少しずつ食べても、二口でみな食べてしまいました。それも大きさが大きければ良いのですが、小さい半分を二つでした。それもカップのふたよりさらに小さいうつわに入れてくれました。それで、私がさらにくださいと言いました。すると、そのうつわを持っていって私たちのように積み上げているのではなく、冷蔵庫にビニールでみな包んであるのを宝物を取り出すように取り出したのです。そして、たくさんくれるのではなく、ぴったり二きれだけ切ってくれました。
・ご飯を食べなければならないのに、すぐみな食べてしまったのです。三回目にまたくださいと言いました。言葉が通じないから、行動でさらにくださいと言ったのです。また取り出して二つだけくれました。とにかく、食事のご飯を一杯みな食べなければならないから、四回目に、さらにくださいと言ったのです。そうしたら、その人も笑いながら三個をくれました。それがボーナスでした。「これが日本だな。」と思いました。残ったものをビニールにみな包んで、冷蔵庫に入れて、扉もドンと閉じず、そっと閉じました。これで日本が韓国に勝つのです。ですから、少しだけ良くしても私たちは成功します。難しくありません。
・私が普通の人々と会ってみれば、少しだけ聖霊の導きを受ければ良いのに、全く受けないのです。難しく迷ってぐずぐずしろという言葉ではありません。聖霊の導き受けるのが最も簡単です。そうではないでしょうか。今、私たちの教会で聖霊の導きを受ければ、私たちの信徒は多くて、レムナントのために私たちは何をしなければならないかと祈れば、それが聖霊の導きです。重要なことを重く見て、重要でないことを重要でなく見るのが聖霊の導きです。私がすること、私がしないことを区分するのが聖霊の導きではないのでしょうか。私が先頭に立たなければならないこと、私がついて行かなければならないこと区分するのが聖霊の導きなのに、それが何が難しいのでしょうか。それで少しだけ聖霊の導きを受ければ、すばらしい答えを受けます。
・私が多くの宣教師、牧師が開拓して海外に出て行くのを見る時、ほとんど聖霊の導きを受けないようでした。それで死ぬほど苦労するのです。苦労して後には、元々の所に戻ったのです。少しだけ聖霊の導きを受ければ祝福された道が多いのに、導きを受けなかったのです。難しくありません。人々は、ほとんどみなが自分の管理ができなくて遅く寝て起きられません。皆さんが夜明けに起きて祈って勉強して運動すれば、成功します。レムナントが夜明けに寝ずに夜明けに起きて運動して祈って勉強しなければなりません。
・今、ユダヤ人は5ケ国語を流ちょうに話すのに、語学の勉強もしなければなりません。毎日遅く起きてあたふたとするのに、どのように会社に行って勝利するのでしょうか。未信者は、すでに起きて、賢い人たちは、情報を捕まえているのに、私たちは遅く起きて、あたふたと顔もだいだい洗って走っていくのに、どのように勝つのでしょうか。少しだけすれば良いのです。全く難しいことはありません。私たちは礼拝だけ成功してしまえば、聖書をたくさん読んで、このようにしなくてもいくらでも恵みを受けます。
・序論がとても長くなりました。簡単に、どんな祈り、どんな礼拝をささげるべきでしょうか。神様が人間にくださった最高の祝福が何かを先に分からなければなりません。今日の本文にも、一般の人が聞けば理解できない内容が出てきました。多分、国会議員をする人々が読んでみれば意味がないでしょう。一般の人々が見る時は意味がないでしょう。しかし、ここにはとても重要な意味が入っているのです。ここに見ると、「あなたに向かって、私は目を上げます。天の御座に着いておられる方よ。」「私たちをあわれんでください。主よ。私たちをあわれんでください。」こうした話がぱっと見れば取立てて言う言葉ではありません。どんな祈り、どんな礼拝をささげなければならないか、私たちにくださった最も大きい祝福が何なのかを分からなければなりません。
・神様は、福音を私たちに与えられました。福音の中にはすばらしいことが入っています。これを見るべきです。単にキリストと言う時は、言葉で過ぎ去ることですが、その中にはすばらしいことが入っているのです。その中には、すばらしい霊的な祝福が入っています。今日、歌った賛美歌184番を見ると「罪を洗うは、イエスの血潮のみ。また、きよめるもイエスの血潮のみ。」という歌詞が出てきます。ここに「イエスの血しおのみ」という言葉が11回も出てくるのです。また、聖歌隊の賛美に「イエス、イエス、イエス」と歌っていました。それで、私はこの賛美を歌うのに、皆さんを静かに見ました。ある人は性格がそうなのか、分かっているからなのか、とにかく感動して歌っていました。ある人は歌わずにじっとしていました。何かを考えていたのでしょう。私たちはそのように普通に過ぎ去りやすいのです。
・しかし、この賛美を作った人はそうではありません。ひどい自分の問題に苦しめられて解決され、自分の人生で最も重要な部分を体験して「イエスしかないな。」と感じたのです。分かってみれば、皆さんが「キリスト・イエス、宝」という時、暗闇勢力はみな崩れるのです。これを感じた人が、この短い賛美の中に「イエスの血潮のみ。」と11回も言ったのです。ですから、それを知らずに歌えば、何となく歌っているのです。賛美を歌う時、少し知って歌ったほうが良いのですが、何となく歌います。私たちが礼拝する時に、神様がくださった最も大きい祝福が何かを確かに理解しなければなりません。礼拝をささげる時、神様がくださった祝福を理解する前に、私たちが受けた祝福が何かを分からなければならないのです。信徒が受けた7つの祝福です。皆さんが救われた瞬間に、神様の聖霊が皆さんの中に永遠にとどまられるのです。それなら答えが簡単に出てきます。皆さんが聖霊の導きだけ受ければ無条件に勝利します。それを与えられたのです。皆さんが聖霊充満ということを悟れば、本当に力が現れます。それを与えられたのです。くださったことを先に分からなければなりません。
・現在、大韓民国で占い師だけでも45万人が登録されているということです。今日2部の時、話をするつもりですが、自殺者が韓国が1位になりました。この難しい問題がどんどん起きています。韓国の離婚率が世界3位、こういう問題が来ているのです。それからおかしな犯罪者がたくさん出てきています。これがみな何か分かるでしょうか。これらがみな暗闇、サタンの戦略です。これをうち砕く力を与えられると言われたのです。礼拝する前に皆さんが受けた祝福が何かを確かに知っていなければなりません。それなら礼拝が何かということに返事が簡単に出てきます。皆さんが知らずにいるから、見られないのですが、間違いありません。一般の人々は知りません。
・皆さんが今日、みことばを聞いて「そうだ」と恵みを受ける瞬間に、神様は現場に天からすぐに主の使いを送って答えを成し遂げられると言われました。皆さんがおじけづいて、うろたえて、導きを受けないからであって、皆さんが行く所には、目に見えないように神様の国が成されます。すばらしいではないでしょうか。それなら、その中で隠された人々が、皆さんを通して救われるようになっているのです。これが信徒が受けた7つの祝福です。ここに対する確信が先になければなりません。間違いないから、はじめて来られた方も見つけなければなりません。それでは確実だから怖くなることがないではないでしょうか。聖書66巻が皆さんにキリストのなかで約束することがそれです。「イエスの血潮のみ」この言葉を千回、一万回言っても良いくらいです。皆さんが今日、恵みでこの祝福を味わうようになるように願います。
・大部分の人が悟れないで、遅れて悟ります。大部分の人々が、精神が狂って、病気になって大きい失敗してから探すのです。そうではなく、今、間違いなく悟りましょう。皆さんに来ている祝福が何か、確かに分からなければなりません。聖霊が皆さんの中にいらっしゃって、聖霊で印鑑を押したとなっています。それなら、皆さんを触ることができる霊的存在は何もありません。ところで、なぜだめなのでしょうか。聖霊の導きを受けないためです。少しだけ聖霊の導きを受けようとすれば、答えがずっときます。難しくありません。学生は何をすべきでしょうか。勉強をがんばることです。それが聖霊の導きです。長老は何をすべきでしょうか。皆さんが熱心に教会の中で、教会のため祈って、教会復興させることに献身しなければなりません。聖霊の導きは難しいことではありません。少しだけ探してみれば良いのに、それができなくてみなのがすのです。聖霊に導かれないから、聖霊充満を受けられないのです。ですから、力があるのにみなのがすのです。その後に起きる暗闇の勢力に勝てないで、みなのがすのです。間違いありません。このほか聖書には重要なことはありません。皆さんが他の話を聞くからであって、本当に聖書の核は何でしょうか。この7つです。それで、今でもこの祝福をすぐに回復することができるのです。それから確信しなければなりません。
・二番目です。祈る時、礼拝をささげる時、どんなことが起きるのでしょうか。これを分からなければなりません。礼拝をささげる時は、必ず3つの事が同時に起きます。皆さんが礼拝をささげる時、祈る時、聖霊が働かれるようになっています。聖霊という言葉と、聖霊の働きという言葉は違った言葉です。聖霊は聖霊ですが、働かれなければなりません。さっき話した1番、それを知って、私が受けた祝福が何か知って祈れば、聖霊が働かれるのです。聖霊は神様の霊です。聖霊が働かれれば、どんなことが起きるのでしょうか。大統領が現れれば、どんなことが起きるでしょうか。大統領が訪問すれば、その大統領が良い大統領なのか悪いのか関係なく、事前にきて点検をみなします。大統領が座る席も何かがあってはだめだから、みな点検してみるのです。それだけではなく、行く道に目に見えないように警護する人々をみな立てます。
・大統領就任式をする日、招待されて行ったところ、私達は直ぐ前ホテルで泊まったのですが、朝早く警察が訪ねてきて大統領の就任式があるから、大統領が来る道側のホテルの窓をみな閉じてくれと言いました。分かったと言いました。そちらまで警護をしていたのです。私は出て出席したのですが、人がとても多くて入るのが難しかったのです。少なくとも、国家のリーダーが動けば500人ないし2000人が目に見えるように見えなく警護します。少なくとも神様が働かれれば、天の軍隊が動員されます。聖霊が臨む所には必ず同時に天の軍隊が動員されるのです。それでは同時に、0.01秒のうちに暗闇の勢力が崩されます。これが礼拝です。これが皆さんのことならば、ものすごいことではないでしょうか。皆さんのことに間違いありません。
・私たちは度々、教会通いながら、宗教だけを学んで勉強だけして、実際のことはみなのがすのです。あたかも食堂に行ってメインコースをみなのがすように、みなのがしてしまうのです。聖書66巻をすべて覚える必要はありません。私たちが受けた祝福が何か、それを正確に分からなければなりません。聖書をたくさん覚えれば良いでしょうが、そのような必要もありません。礼拝する時、どんなことが起きるのでしょうか。この3つの事が同時に起きるのです。そこに対する証拠がどれほど多いでしょうか。アブラハムが樫の気の下に祭壇を築いたのですが、それが教会の開始となり、そこで祈ったのですが、どんなことが行われたのでしょうか。皆さんが本当に福音を知って祈り始めれば、驚くことが行われるのです。そこに対する証拠がどれほど多いでしょうか。今日、皆さんが短い時間ですが、この祝福必ず回復されるように願います。
・今、外国に私たちのレムナントがたくさんいます。行く所ごとに葛藤がたくさん起きるでしょう。心配する必要はありません。この契約だけ捕まえれば、すぐに答えを受けることができます。教会がどうであれ、牧師がどうであれ、どんなにそうであっても、この契約だけ捕まえれば、すぐに答えを受けられます。実験してみましょう。本物の答えがきます。皆さんが礼拝する時間、祈る時間には、必ず同時に3つのこと、聖霊が働かれるようになっていて、天の門が開けば主の天使が活動するようになっていて、暗闇の勢力が砕かれるようになっているのです。この契約を捕まえてモーセが出て行った時、どんな事が起きていったでしょうか。皆さんがご存知でしょう。ダニエルは、一日に三回ずつひざまずいて神殿に向かって祈りました。神殿もなくなってしまったのですが、その方向に向かってひざまずいて一日に三回ずつ祈ったのです。格別なことではないのですが、神様がダニエルに最高の知恵を与えられたのです。この祝福を皆さんが受けることができます。確かに話せるのでしょうか。私はその祝福を味わって、今でもしています。
・今朝、私が祈りながらそのようにしました。「神様、本当に神様が願われるみことばを神様の民にお手伝いできるようにさせて下さい。」都上りの歌が一番多く書かれた理由はなんでしょうか。それだけ礼拝が重要だということです。皆さん、聖書に見ると、このようなことが一つや二つではありません。ダビデが王宮に行くことより、神殿に行くことがより良いと言いました。詩篇を見れば、ダビデが王なのに、夜明けに祈ったのです。祈ればおきることです。間違いありません。皆さんはだまされないで、心を入れかえて祈ってみましょう。それでは、これより重要なことはありません。
・教会に通いながら未信者のように人間中心主義を使う必要がないのです。それは愚かな人がすることなのです。答え受けるようになっているのに、なぜするのでしょうか。分かってみれば、皆さんがものすごい祝福を受けたのですが、皆さんがみなのがしているのです。話しをむやみにして職場に行って無視される人のようにみなのがしているのです。お母さんの手を握って行けば良いのに、離して行って40年ぶりに家を見つけた子どものようにみなのがしているのです。今回、運動選手が20年ぶりにお父さんを見つけました。お父さんついて行けば良いのに、のがしてしまったのです。信仰生活をそのようにするのです。私たちは捜し出しさえすれば、すぐに答えを受けます。
・イスラエルが福音を悟れないで、聖霊の導きも受けられないで、国が完全になくなりました。このような時は、悪い人物が出てくるようになっています。皆さんおわかりの通り、ハマンという総理がユダヤ人をみな殺そうとしたのです。その理由がモルデカイという人が神様に仕えて、自分たちの話を聞かないから、ねたんでユダヤ人を殺すことにしたのでした。政治家たちの中には嘘をつく人も多いのです。ユダヤ人に汚名を着せて、みな殺すことにしました。その時、エステル時代でした。この時、ユダヤ人が皆殺されそうになったのです。津々浦々にユダヤ人を殺すように命令をみな貼ってありました。それをみなハマンがしていたのでした。
・ところで、ハマンが知らないことがあったのです。王が一番好きな女性がエステルだったのに、エステルがユダヤ人だということを知らなかったのです。真に聖書を見れば、面白い話が出てきます。エステルが王宮に王妃として入る時、モルデカイが言ったことがあります。「誰にもユダヤ人であることを話すな。」そのような記録があります。それが後ほどつながって、ハマンがエステルがユダヤ人だとは知らずにユダヤ人を殺せと言ったのです。この時、エステルがどのようにしたでしょうか。王が呼びもしなかったのに、王の前に出て行ったのです。王宮の中にいる人々は、王が呼ばなかったのに、王の前へ行けば、殺人犯だと問われて、監獄に行きます。王が重要だから、王の前には決まった人だけが食べ物を持って行くので、誰でも行くのではないのです。
・ところで、イスラエル民族は殺されそうになって、王が呼びもせず3日しか残っていなかったのです。だが、エステルは祈りの力を分かっていました。「3日間、断食をして王の前に出て行かなければならない。すべてのイスラエル民族は3日間、断食をして祈ってください。」これが祈りの力なのですが、ものすごいのです。それで王が呼びもしなかったのに、王宮を通過して入るということが不可能なのに、エステルは通過したのです。大騷ぎが起こらなければならないのに、王がエステルを見た瞬間に、聖書を見れば金の笏を高く上げたとなっています。それは大歓迎する時に使うのです。王が笏を上げるのに、だれが何と言うでしょうか。聖霊も働かれたのですが、王も普段に会いたく思っていたのかも知れません。
・このエステルがとても美女で、賢くて信仰深い人でした。王が笏を上げたのを見て、何の問題がないということが分かりました。イスラエル民族は外で祈っています。契約ある人が祈る時、どんなことが行われるのか分かるでしょうか。王が「どうしてきたのか。」と尋ねなければならないのに、「何の願いがあるのでこのように緊急に訪ねてきたのか。私は国の半分でも与える。」と言いました。ですから、他の願いでなく、家でパーティをするので、そこにきてくださいと言ったのです。ハマン総理と王が一緒に行ったのです。王が見たら、何か変でした。食事の接待をするためではないようで「何か用なのか?」とまた尋ねてみたのです。それでもエステルは話をしませんでした。祈りをよくする人は、話をむやみにしません。
・もう一度さらにパーティに参加しました。それが何が大変でしょうか。2日目にパーティにきた時、エステルが話したのです。「今、ユダヤ民族はみんな殺されるようになったが、何の誤りがないのにひとりが陰謀を企てたのです。数多くのお金を使って、法をでたらめに作って、ユダヤ民族を1人ももれなく皆殺されるようにさせました。」そして、初めて話したのです。「私もユダヤ人です。」王がとても驚いて、「いったいだれがユダヤ人を皆殺すようにさせたのか。」と言いました。目の前に座っているハマン総理です。聖書を見ると、王がとても怒って、座っていることができなくて出て行ったとなっています。王がその程度、頭にくるからどうなるのでしょうか。大統領も強いでしょうが、王くらいになれば、ものすごいのです。王がとても腹が立って、耐えることができなくて庭に出て行ったのです。
・その時、ハマンがもう殺されるなあと思って、王妃の足を捕まえて、助けてくれと頼んだのです。その力が強大な王妃エステルの足を捕まえて、助けてくれと捕まえたのです。王が考えて、いったいどうして、そんなことができるのかと思って怒りをちょっと沈めて入ってきたら、このハマンが今、王妃の足を捕まえて強姦しようとしているのです。そうではなかったのですが、王の目にはそのように見られたのです。足を捕まえて頼んでいるあとは知らずに、王が見た時は乱暴をすると見たのです。錯覚も答えの中の一つです。王が完全に命令をくだして、このハマンをすぐに死刑の場所に付けて殺せと言いました。この時、イスラエル民族は何をしていたのでしょうか。断食をして、契約を捕まえて祈っていたのです。
・初代教会が迫害されて困難を受けて殺されそうになった時、使徒の働き12章を見ましょう。契約を捕まえて祈り始めました。祈れば、どんなことが起きるのでしょうか。これが二番目のことです。いったい私たちはどんな祝福を受けたのでしょうか。本当に今日以後にのがしてはなりません。私が神様がくださった貴重な祝福をのがして、別のものくださいと言えば、通常の問題ではありません。幼い子どもにお金を与えたのに、お金を使ってしまい浪費して、またくれと言えば問題になります。しばしば違ったものをくれと言えば問題になります。私たちが受けた重要なことをのがしてはなりません。そしてまた、礼拝する時に、どんなことが行われるのでしょうか。そのことが確かに行われるのです。皆さんは、霊的な存在であるために、感覚がないだけで、事は起きます。
・三番目です。今日の本文に入ってみましょう。その二つが事実なので、どのように礼拝する姿勢を持つべきでしょうか。私たちが問題がきた時は、そのまま答えを探して祈れば良いのです。からだが病気の時は、健康を求めて祈れば良いでしょう。今これは、その祈りではありません。とても重要なみことばが出てきました。1節です。「あなたに向かって、私は目を上げます。天の御座に着いておられる方よ。」祈りの中で一番良い祈りが何かというと、神様の前でする祈りです。私たちの教会の牧師、長老たくさんいます。代表祈りをする方々がたくさんいます。おもに祈る時、神様の前でなくて人を意識します。それよりは、神様の前でする祈りをしなければなりません。あなたに向かって、私は目を上げます。これはとても重要な言葉です。祈りの中で一番良い祈り、答えられる祈りは何でしょうか。神様の前でする祈りです。もし説教者が神様の前で神様のみことばを受けて伝達したら、そのみことばは成就します。油をそそがれた主のしもべが、講壇に上がって神様の前で祈ったら、その祈りは答えられるようになっています。祈りが難しいということは、人を意識するからです。神様の前で祈らなければなりません。その祈りはまちがいなく働きが起きます。知らずにしただけであって、用心する必要があります。祈る時、聖書のみことばをとてもたくさん引用する必要はありません。神様を見てみことば引用することだからです。「神様、何章何節。」このような形です。そのような必要はありません。この祈りは福音を持った者は答えられるようになっています。
・二番目です。2節にこういう話が出ています。「ご覧ください。奴隷の目が主人の手に向けられ、女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれまれるまで。」ここにさらに重要な言葉が出ています。神様に目を向けているということは、祈りで一番良い祈りが何なのでしょうか。神様を味わうことです。神様は皆知っておられます。本当に祈りは私を神様にささげて、インマヌエルの祝福を味わうのが一番良い祈りです。分かるでしょうか。神様は目に見えなく、聖霊ですべてのことを知っておられるのです。お金が必要でしょうか。健康が必要でしょうか。神様はすでに知っておられます。マタイの福音書6章30節に、イエス様がそのような祈りをしないでと言われました。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
・もし皆さんが礼拝時間にみことばを聞いて一人で祈る時、神様を味わえるならば、すばらしいことが行われます。イエス様も祈りの課題一つしか教えられませんでした。「父の約束を待ちなさい。聖霊充満を受けなさい。」それだけ与えられたのです。それだけ受けたのですが、解決されてしまいました。修練会をする時ごとに学生たちが質問します。「祈りはどのようにするのですか」その言葉は、今、間違えて質問しているのです。その言葉は、人の前で祈りを上手にするやり方を尋ねるようです。そうでなければ肉体的に答えを受けることを言うのです。それは付いてくるようになっています。本当の祈りは、レムナントが祈りの手帳を捕まえて黙想することです。神様のみことばを捕まえて黙想することです。皆さんが神様の恵みのなかで自分自身を出して祈るのです。一番良い祈りです。祈りの課題がない祈りも良いのです。理解がよくできないでしょう。
・「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなたがたは力を受けます。地の果てまで証人になります。」悪霊につかれたサウル王は、祈りの課題が自分がいつまでも王であることでした。ダビデは祈りの課題がありませんでした。「私の力なる主よ。私は主を愛します。」それしかありませんでした。ところで、すばらしいみわざが起きました。ここで、主に目を向ける、神様に目を向けるという言葉は、普通の話ではありません。今日からしてみましょう。今日はじめて来られた方々は、私の話が理解できないこともあるでしょう。
・極端に言えば、何かを出せという必要はありません。皆知っておられます。子どもが両親に何かを出せと言わなくても、親の話をよく聞いて勉強できれば良いのです。私たちは今まで違った祈り、肉体的な祈りだけ継続していたのです。祈りの中の祈りが何でしょうか。神様を味わうことです。もし皆さんが今日帰って夜明けに早く起きて気楽に運動もして「主よ。私に聖霊充満を与えて下さい。」それで、すべての問題が解決されます。待ってみましょう。聖霊充満を求めて祈ったところ、マルコのタラッパンに大きい門が五つ開かれました。この祝福を回復するように願います。
・そして、何となっているでしょうか。3節には「私たちをあわれんでください。」新しく翻訳された聖書には「主よ私たちに恵みを与え、また恵みを与えて下さい。」とあります。恵みとは何でしょうか。恵みには、いくつかの意味があります。私たちが救われたのが恵みです。しかし、私が本当に滅びるしかはない危機にあったのに、むしろ勝利したのも恵みです。私たちが悟ったのも恵みです。私たちが悟った時、何と言うでしょうか。「今日、恵みをたくさん受けた。」と言うでしょう。その恵みを受けなければなりません。皆さんが教会に来て、恵みを受ければ必ず答えはきます。今日、この部分をのがしてはなりません。
・皆さんがいくらくやしいことがあっても大丈夫です。祈れば解決されるようになっています。皆さんがいくら大きい問題があっても大丈夫です。福音を持った皆さんならば、祈れば良くなっています。これをのがせば、未信者と全く同じです。それで良いのでしょうか。ある時は、未信者よりさらに混乱するのです。だまされてはなりません。確かに祈れば答えを受けるようになっています。福音を持った者ならば。福音を持った神様の子どもであるために、確かに祈れば答えを受けるようになっています。主を見上げます。これが祈りの中の祈りです。最高の祈りは課題もなくて、くださいというのもありません。「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」詩篇81篇「あなたがたは、主に目を向けなさい。」皆さん、礼拝時間に少しだけ神様の恵みを受けて、少しだけ時間をつくって主を見上げれば、奇跡が起こります。ところで、この体験をできずに生きているから、ずっと信仰生活の味がないのです。何も問題になることがありません。
・私が伝道運動をする間に、皆さんに会う前に周囲に問題が多くありました。問題がある人も多くて、問題を作る人も多くて、問題を仕掛ける人も多かったのです。本当に多かったのです。ところで、1人も私が戦わないで全部、祈りました。定刻祈りの時、その人々の名前を置いて祈りました。ところで、ずっとしていれば、ある日忘れてしまいます。それなら、しなければ良いのです。しかし、ある日見れば神様が解決しておかれました。神様がその人を完全に束縛されました。私にこれ以上、話をすることができないほど束縛されたのでした。それが一番多くて、何人は呼んで行かれました。それが一番簡単ですが、呼んで行かれました。祈りは何も恐れをなすことがありません。いくら多くの人々が福音の外で教団を邪魔しても、祈っていれば何の効果もありません。
・カルビンはこういう話をしました。「祈りとは何か。鉄と金で家を作って、鉄の壁を積むことだ。」そうです。それだけ強固だということです。マーティン・ルターはこういう話をしました。「犬と悪魔とはひざまずけば逃げる。」犬はひざまずけば石を拾うのだと思って逃げて、悪魔は祈ると思って逃げるということです。ちょっと幼稚な表現ですが、実際的な表現です。マーティン・ルターが生涯初めて聖書を翻訳しようとしていたら、悪魔がそばで実際に現れたのです。それでインク瓶を投げたということです。絶対に肉体を持っては悪魔に勝てません。インク瓶を一万個投げても勝てません。私たちはしばしば肉体的に勝とうとするのです。キリストの名前で祈ったところ皆みな逃げたということです。
・そのインク瓶がこわれた跡があるというので、私が一度行ってみました。ありませんでした。案内する人に、インクを投げた跡はどこへ行ったのかと尋ねました。泥棒が入ってきて、はがしていったということでした。変な泥棒が多いのです。それだけでなく、マーティン・ルターが座って聖書を翻訳した椅子、机をみな盗み出したということでした。今、あるのは似ているものを持ってきて置いたのであって、みな盗み出されたということでした。とにかく見れば、地球上で一番いやらしい人が泥棒です。
・ひょっとして泥棒がいるなら、悔い改めるように願います。盗みをすれば心がいらいらして、暗いところに通って虫つくように悪霊がついて暮らすようになります。本人は知らないからであって、ずっと霊的にとても縛られてしまいます。だまされるしかなくて、暗いところに通わなければならず、こっそり通わなければならないことは、普通の問題ではありません。詳しく聖書を見れば、これらも全部、霊的問題です。今日、皆さんが礼拝する時、すばらしいことが行われるのです。
・最後に一言、言います。「クリスチャンがそんなに多いのに、なぜ答えが来ませんか。知っている人がクリスチャンなのに、見たら答えを受けていませんよ。」これが問題です。ここに答えがあるのです。ある重要な方の娘が福音を受けました。申し訳ないのですが、韓国の財閥に属している方の娘が福音を受けたのです。しかも、ヨーロッパにいる留学生がとても重要な家の娘なのですが、福音を受けたのです。家に帰って話しました。すると、このお父さんがびっくりして飛び上がりながら、絶対に教会は行かないでと言ったのでした。二人のお父さんが同じ町の人ではなかったのに、同じ話が出たのです。どれくらい反対したのか、他のところは皆いっても教会は行かないでくれと言ったのでした。なぜかと尋ねたところ「私が今まで生きてきた間、事業してきた間、私に詐欺を働いた奴は全部、執事、長老だった。」と言ったのです。一理あります。
・なぜクリスチャンが祈るのに答えがないのでしょうか。私の周囲にクリスチャンが多いのに、答えを受けられないで何の力もないのです。理由があります。聖書をよく見ましょう。旧約時代にいつ奇跡が起こったのでしょうか。創世記3章15節の契約を捕まえた人に奇跡が起きました。残りの人には起きなかったのです。出エジプトした時、羊の血の契約を捕まえたモーセに奇跡が起こったのですが、他の人には起きませんでした。聖書をよく見なければなりません。イザヤ7章14節に「処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと名づける。」その契約を捕まえた人に働きが起きました。初代教会が何をしたのか分かるでしょうか。初代教会が世界を征服したのですが、毎日、聖餐式をしていました。それが何の話なのでしょうか。私たちは今、聖餐式を毎日しようとするなら面倒で、できないでしょうに、初代教会では毎日していました。「この血はイエス様の血、この肉はイエス様の肉」と与えます。この話は礼拝に集まる時ごとにいつも福音を味わったということです。奇跡が起こりました。
・それが何の価値があるのでしょうか。皆さんに一生付いて回る運命が福音の中だけで崩れるようになっているのです。皆さんが年を取って、人生の力がなくなって行けば、霊的に攻撃してくるのですが、これを防げるのが福音しかないのです。皆さんの家系に流れて降りてくる霊的問題を防げる道は福音しかありません。教会史を見れば、マーティン・ルターがローマ1章16、17節を捕まえたのですが、働きが起きました。クロスビーという人を見て下さい。福音を悟ったので、どれくらい良いのか、目が開かれないでも良いと言いました。それが本当の祈りです。「目を開いてください。」ではなく「目が開かないように」と言ったのです。それがレベルが高い祈りです。ところで、目が開かれないのにほろびたのでしょうか。最高の答えを受けました。
・ソン・ミョンヒ氏を知っていますか。からだも支えることができなくて、話もよくできなくて、字もよく書けません。ところで、この人が恵みを受けて証し集会もしています。その人が作った歌詞をよく見ましょう。「私は他の人が持っているお金、健康、名誉はない。しかし、私はその人が持っていないことを持っている。その人々が受けられない神様の愛、その人々が悟ることができない神様の知識を私は分かった。」それが普通の祈りではありません。それが本当の祈りです。ですから、からだを動かせない人を通してみわざが起きるのです。皆さんは腕と脚があって、目も正常ですが、働きが起きないのに、その人は動くこともできないのにみわざが起きるのです。ですから、今日、礼拝を通じてすべての祝福をみな回復するように願います。今日、神様が与えられる霊的な力を回復されるように願います。それで、六日間に答えを味わう祝福があることをイエス御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様、神様の人々を呼ばれたことを感謝します。この方たちに、神様がくださった祝福を発見するようにさせてください。神様が与えられる力を得るようにさせて下さい。それで六日間、答えを見ながら証拠を見る証人になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン



2部/伝道とは何か?
(エペソ2:1〜7)

・先週には救いとは何かに対して語りました。今週は伝道とは何かに対することです。こういう重要なことなどを午後にずっと勉強をします。可能ならば、タラッパンの初期の時にあったメッセージをよくしてみようと思っています。この頃、とりわけ自殺者がたくさん増えています。隠れた地方は詳しく知りませんが、首都圏でだけ一ケ月に1000人程度が死ぬということです。それでは、一日にほとんど30人以上が死ぬということになります。それで、今現在は自殺率1位です。ところで、一般の人々が死ねばよく分からないのですが、芸能人が死ぬので、ニュースに出てくるようになります。こういう多くの衝撃的なことが起きているのです。もちろん、瞬間的な失敗もすることもあるでしょうが、自殺は、そうかと言ってするのではありません。その人が嘘をついているからであって、ものすごい霊的な苦しみにあっているのです。人格を持ってだますからなのです。いっそ、その苦しみを持ち出せば大丈夫ですが、だましているのです。こういう苦しみが知らずにくるのです。こういう苦しみがとてもたくさんきて、ほとんど混乱する程度まできて、うつ病までなります。このようにして、精神病までもなるのです。精神が完全に狂わなくても、精神が正常でない病気になります。すでにサタンが攻撃をして、サタンに捕えられるのです。これで自殺をするのです。普段に、そんなに明るかったのに、自殺をして家族が驚くのですが、それはだましていたのです。
・ある面で、頭が良い人は中に苦しみがあれば表面でより一層騒ぎます。正常な人でも、福音がなくて霊的に弱い状態でずっと踊って遊べば、霊的に問題がきます。一般的な人も、そのようにしておかしくなった人が多いのです。それで親戚や友人も普段に明るかった人が自殺をして変だという話をするのです。絶対にそうではありません。ある面で、必ずそうなのではないのですが、女でも男でも、内側が空っぽであるほど、たくさん声を出します。それで明るいのではなく、だましているのです。
・私たちが6.25(朝鮮戦争)の後に、火事にも会って、共に共同生活をしました。それで、しかたなくお手洗いが共同で遠くにあったのです。私が幼い時、寝て夜に誤って食べたものがあれば、お腹が痛くなりました。それで夜にお手洗いを行くのが一番怖かったのです。毎日ではなかったのですが、私も痛い時があったので、それで弟を起こしても起きなかったのです。感づいて起きませんでした。食べ物でもあれば、こっそり触っても起きたのですが、普段にはよく起きなかったのです。それで、しかたなく一人で行かなければなりませんでした。
・暗い夜に街灯もないから、何倍かにさらに怖くなります。その時は、他の人が「手洗いには悪霊も出てきて、手洗いから手が上がってくる。」と言った言葉も思い出します。ものすごく怖がりながら、行くときにものすごく大声で歌を歌いました。私はめったに歌も歌わなかったのですが、行きながら「太極旗が風にはためきます!」と国歌も歌いました。歌を歌ったのは、楽しくて歌ったのではなく、怖くなって歌ったのです。ただ得意になって遊ぶように見えたでしょうが、そうではありません。
・これがどれくらい苦しいか「シン・ジンソン氏」は、長く探してさ迷ったと言いました。本人が教会を止めて、霊媒師になると重大な決断を下すほど、長く探してさ迷ったと告白をしました。その後にも、ものすごい苦しみが来るのです。世の中では教えないので、人々が知りません。こういう人々が一杯になりました。自殺をする人はまだ良いのですが、反対に罪を犯す人もいます。罪を犯す人は、他の人を殺すからさらに怖いのです。だから、霊的な問題が色々な形で現れるのです。そのようなある日、信仰があろうがなかろうが、福音がなくて人だけ意識して、霊的な問題がある上に、霊的な苦しみが崩れる時、みな崩れるのです。
・また会えば勝負欲がとても強くて他人に負けると生きられない人がいます。それで何にもなれないと、みな失ったことのようで、既にあった霊的な問題に重なって自殺をするのです。サタンに捕えられれば、私たちは高いところを見れば怖いのですが、この人たちははやく飛び降りたいと考えます。ある人は、他の人が止めるから、人々を避けて自殺します。ある歌手も家族が教会に行っている隙を利用して自殺をしました。怖いのです。それで、なぜ私たちの教会でタラッパンでは、福音を聞きたくないほど強調するのか、レベルが少し高い人は聞けば、特に内容がないでしょう。しかし、なぜ強調をするのでしょうか。
・自殺した芸能人3人が全部クリスチャンだったということを強調しなければなりません。福音の根をおろせなければ結局は勝てません。皆さんに迫ってくる問題に勝てないのです。私はこの使命を一つ悟って伝道しに出ました。それで、私はパウロが十字架の他には何も話さないようにしたということが理解できます。パウロは、私のように無知な人ではありません。パウロはとても立派な人です。福音の他に他のものをいえば呪われるとガラテヤで1:8節に話しています。そして、こんなにまで苦しみはなくても、霊的に混乱している人はいっぱいいます。とても多いのです。そのために、この世の中に福音を正しく根をおろせなければ生きることができません。今日、皆さんがどんな祝福を受けた人かをよく分からなければなりません。
・それではいったい序論で伝道とは何でしょうか。これから分かってこそ、その後に答えが出てきます。なぜ人々がしばしばこういう問題が来るのでしょうか。実際に神様に会える道がありません。神様がいるのかいないのかも知らないのです。それが問題です。神様を見たという人は神秘主義です。その人はすでに霊的な問題が来た人です。私が昨日寝ていたら神様が現れたという人々は霊的な問題がある人々です。むしろ、神様がいるのかいないのか尋ねる人が正常です。私たちは見たこともなくて、見ることもできなくて、永遠に見ることもできません。なぜそうでしょうか。それを原罪と言います。人間には問題がくるしかありません。この原罪を解決するために神様が直接働かれたのですが、キリストです。
・ある日、生きているうちに「私は救われて、神様がおられる。」と感じるのですが、それが正常です。子どもは知らないながら育つのですが、お母さんを見て「この人が私のお母さんだな」と感じるのです。ところで、赤ん坊が生まれて「私が一才半の時、うちのお母さんが私を殴ったところで」こういう人はおかしな人です。本来はよく分からないのです。このように私たちが神様をよく分からないのです。キリストの話を聞いて福音を聞いて「そうだな。」と考えながら、あとである日見たら、確信がき始めるのです。ところで原罪というものが深刻なのです。神様を知らないことだから重要なことをみな奪われるのです。ここから抜け出すのが福音です。
・人間は運命に引っかかってしまいました。誰でもサタンに属している運命に関わっています。抜け出す方法がなくて占うのが一理があります。ここから完全に抜け出すのが福音です。その事実を知らせるのが伝道です。伝道ということは、とても重要な部分になります。さっきも話したんのですが、「原罪あればどうだというのか。大丈夫なのに。」と考えるならば、私たちにはひどい霊的な問題がくるようになります。ここから解放されるのが福音で、言ってあげるのが伝道です。これよりさらに重要なことはありません。それで、地球上で、伝道者は全部、無条件に祝福を受けました。にせ物でなければ、神様が伝道者を無条件に用いられたのです。それで、皆さんが列を良く並んで伝道する牧師の教会に献身すれば、正しく献身することになるのです。それで、時代ごとに伝道者が1人現れれば無条件に時代が変わってしまいました。これが伝道です。
・神様を知らない罪が最も大きいのです。神様を知らない罪が最も怖いのです。原罪というものが何かというと、私が特に誤りもしなかったのに、どんどん問題がくるのです。ある人は、赤ん坊を三人を産んだのですが、三人全部、精神病患者でした。自分が間違ったのでもないのに、なぜそうなのでしょうか。またある人は何の誤りもなく、災いに陥ります。よくできなくて、そのようなことは一理があるのですが、間違ったのでもないのに、しばしばそうなるのです。これが原罪です。これで霊的問題がきて、人が正常ではなくなってしまうので、他の言葉が入らないのです。
・人が沼に落ちてしまったとします。子どもが沼に落ちてしまえば、上がって来ることはできません。皆さんも、ドロ沼を分かるでしょう。そちらに陥ってもがけば、すぐ沈んで行きます。それでは、子どもが沼に落ちて力もなくてどんどん沈んで行くのに「あなたの力で自ら上がってきてみろ。」というのが宗教です。自分ではできません。それは救いではないのです。今、上がって来ることができる力が全くないのに、あなたの力であなたが頑張って上がって来なさいと言うのです。それが宗教です。「なぜ入ったのか、なぜ用心をしなかったのか、なぜ用心をしなくて倒れたのか。」それは倫理です。いくら話をしても仕方がありません。すでに落ちてしまったので、この子どもを助けなければなりません。
・ひもをはやく投げて捕まえるようにさせなければならないのです。それが救いです。そして、ひもを捕まえるのが信仰です。これは他の道では解決しません。それでは、私たちが今日、多くの話をすることはできません。なぜ伝道をすれば祝福になるのか、理由を分からなければなりません。なぜ伝道は全てだと言うのか、いったいなぜ伝道をすれば神様は喜ばれるのか、それを私たちが分からなければならないのです。重要な理由があります。皆さんが今から正しい伝道、正しい伝道をする列に並ぶだけで神様が喜ばれるのですが、その理由が何でしょうか。皆さんがよく分かるでしょう。創世記3章で、いたずらのように始まったのです。いたずらのように開始になったのですが、エバをだれが打ち倒したのでしょうか。サタンが打ち倒したように見られるが、蛇がきたと出てきています。
・黙示録12:9に見れば、過去の蛇、サタンと言われているのですが、この蛇がエバを誘惑したのですが、この蛇の中に偶然なことに、サタンが入ったのです。まるで神話のようです。必ず何かの昔の神話のようですが、これが普通の事件ではありません。皆さんに友人、人、全く表に現れずに寄りついて入ってくるのです。きてとても良い話をするのです。「あなた、これを取って食べるとこのようになる。」女に「あなたは、本当に素晴らしい美人だ。」と言います。そのように男が話せば、女は全部気持ちが良いのです。蛇がエバにきて「あなたがこれを食べれば、目が開いて神様のようになる。」と言いました。このように高慢にさせるのです。このようにして人間を神様と遠ざかるようにさせるのです。
・神様が絶対に善悪を知る木の実を食べてはならないと言われました。善悪を知る木の実を食べる日には、必ず死ぬと言われたのです。それが神様とアダムの契約です。それが神様を分かるようにさせて、神様を分かる契約です。善悪を知る木の実に問題があるのではなく、私たちが神様との契約をしたのです。格別なことではなかったのですが、サタンがこれを破壊させのです。それで、これを食べたのです。その時、疑いを持ってきました。実際には、サタンである蛇がきてエバにどのように尋ねたのでしょうか。「神様がすべての実を食べてはならないと言われたのか」と尋ねました。「みな食べても良いのですが、これだけは食べてはならないと言われたのか」と尋ねるべきなのに、尋ねる時からとてもレベルが高い嘘をついたのです。これだけは食べてはいけないと言うべきなのに、すべての木の実を食えてはならないと言われたのかと尋ねたのです。
・それでエバが「違う、みな食べてもかまわないのにこれだけは食べてはならないと言われた」と言いました。このように出てくるので、言葉を変えて「これを食べる日には、必ず死ぬ」と言わずに「これを食べれば死ぬかもしれない」と言われたと言いました。その話を素早く受けて、サタンが断じて死なないと言いました。「あなたがこれを食べる日には君の目が開かれて、神様のようになる。」と言いました。今、ニューエイジ運動の重要な教理を分かりますか。「あなたは神様のようになるのだ。」です。それが救われることなのです。それで、悪霊につかれるようにさせるのです。これがニューエイジの理論です。
・今現在、起きている事を話をみなしました。これが昔の話のように見られるのですが、今ある話をそのままみなしたのです。この時から完全に神様を離れて、呪いの中に陥ったのです。この時から、イエス様が何と診断されたのでしょうか。ヨハネ福音8:44で、あなたがたの父だる悪魔と言われました。嘘つきと言われたのです。ここにだまされたと言われました。だから、ほろびるしかありません。この時、創世記3:15に女の子孫が蛇の頭を踏み砕くと言われました。これが伝道です。これを正しく話をしなければ、どれくらい大きい呪いになるでしょうか。なぜ神様が皆さんが伝道する決意をしても祝福されるのでしょうか。解決策であるためです。
・創世記3:15に、女の子孫が蛇の頭を踏み砕くと言われました。とても正確に話して「女の子孫が」と言われました。とても重要です。人間はこれを知らないから、ある日、問題が押し寄せてくるのです。皆さんは今日、契約をつかむことを望みます。福音を完全にしなければ、ある日、問題がくるのです。「いや、私たちが教会に通ってもということでしょうか。」そうです。「私たちは、牧師なのに、そうなのですか。牧師夫人なのに、そうなのですか。」そうです。ある日、この契約を捕まえなければ問題が突然くるのです。それでは遅いのです。
・影島の朴牧師を見て下さい。私たちの教会を異端にするのに先頭に立った会長です。この人が完全に身体が障害者になって、棒をついて私たちの教会に謝罪をしにきました。自分が救急車に3回ものせられたが、会話ができなくなったのです。その人がした話があります。その時、考えが一つしか出なかったということでした。「ただイエスだけ」救急車にのせられて行きながら、幸い、会話ができるようになりました。行きながら、何の考えも出ず、ひとりのことを思い出したということでした。他でもない私でした。それで回復してきて、謝罪をしにきたのでした。そのような場合が多くありました。それでも、その方は幸いでした。
・福音を知らないから、自然に人々が偶像崇拝をするしかないのです。普段の時にはしなくなっていても、後ほど問題がくれば偶像に陥ってしまいます。少し問題が来ても、占いに陥ってしまうのです。韓国の報告書に見ると、45万人の占い師が申告されているということです。昨年でだけ、占いに関して韓国のお金がほとんど4兆ウォンが出て行ったということです。ところで、それしか仕方がありません。問題が来てしまうので苦しいのです。重要なことは、信徒に会ってみても、信徒は毎日食べること、着ることが答えだと思っていて、答えになりません。それで、この人たちがさまよって、占いを訪ねて行くしかないのです。それで、各種の宗教を訪ねて行くのです。それで、福音がない教会に行ってみても全部、全く同じです。
・このようにして、出エジプト20:3-5に、自分だけほろびるのではなくて、3、4代までほろびると言いました。ここから抜け出すようにさせるのが、まさに伝道です。証人が座っているから、私が先週、話をしました。あるムダン(霊媒師)が福音を聞いて人が完全に変わってしまったのです。グッ(降霊術)をしに行く時に私が会ったのです。伝道は難しくありません。聖書を正しく話せば良いのです。時間がなくて、私がその方にすぐに話をしたのです。「おばさん、偶像崇拝をするムダン(霊媒師)の子どもたちは、無条件にほとんどみな精神問題がきます」ここに今いるでしょう。無条件にきます。皆さんが福音を受けたということが、どれくらい幸いなのか、後ほど分かるようになります。すると、そのおばさんがすぐわかったのです。それで、どのようにしなければならないのか尋ねたのです。簡単です。このおばさんが出エジプト記を分かっても、分からなくても、出エジプト20:3-5に3-4代までほろびると言われています。それで、イエス様を信じたのですが、今は私たちの教会の勧士になっています。家族、皆をみな救い出しました。それが伝道です。
・皆さんが本当に今日、心の中に他のものはみな捨てて、今日1部礼拝のメッセージのように、本当に契約を捕まえて伝道をするために祈りをすれば、門がみな開かれます。私が始めた時、カン・ホイン牧師と何人かの牧師に「私たちがこれが伝道運動ならば、神様が祝福されるだろう。それは問題にならない。ところで私たちを批判する人々が問題だ。」と初めから話をしました。35坪の地下だった時、長老、執事に「これから私が伝道者が確実で、皆さんが伝道者が確実ならば、心配することが一つもない、そうではないのか?それでは、神様が私たちに教会堂もくださって、皆くださるだろう。私がにせ物ならば分かりませんが、本当に伝道者ならば、神様が祝福されるのではないのか?」と言ったのです。
・今でも神様は多くの答えをくださって、どれほど多くの実をくださったでしょうか。これが伝道です。それで、皆さんが伝道をするのがすべての祝福が皆入っています。なぜそのように祝福になるのでしょうか。原罪、運命という問題でさ迷って偶像崇拝をして、その時から精神問題がくるのです。精神問題がくる前に、福音を伝えてあげるべきなのに、すでに来てしまったのです。
・精神問題がくること以外にあるでしょうか。これが何でしょうか。これは黒板消しではないでしょうか。これは使って消せば良いのに、ここに挨拶をして、お辞儀をして、これがまさに偶像崇拝です。それがすでに狂い始めたことです。黒板消しに挨拶をして、すでに狂い始めたのです。それが偶像崇拝です。木を自分が作っておいてお辞儀をします。昔に私たちのお隣りのおじさんが偶像を作る人でした。自分が直接、鼻も削って目も作っていました。みな作っておいて、自分がお辞儀をしていました。ひとまず、それが狂ったのです。そうではないでしょうか。すべての動物、すべての物質は人の下です。
・ところで、それを人の上にあげてお辞儀をするので、狂うしかありません。私は本来から信仰はなくても、偶像崇拝は違うと考えていました。私は福音がなくて、堕落をして通っていた時も、偶像崇拝は違うと思っていたのです。あれは狂うことなのに、なぜするのかと思っていました。それで、昔に弟が仏像を持っていれば、無条件にたたき壊しました。何の問題もありません。偶像に何か力があるのでしょうか。ここにお辞儀をするので、悪霊が現れるのです。
・「牧師先生が知らないからであって、私たちは答えを受けている」と言うかもしれませんが、少しの間、悪霊の働きが起きます。ここで皆さんが注意をしなければなりません。「私の過去も占うけれど。」悪霊の働きです。「私の前世も占うけれど。」悪霊の働きです。「親の法事をすればくるけれど。」悪霊が変装をしてくるのです。こんなにも人々が知らずにみなだまされているのです。それで精神問題が来るのです。くるしかありません。それで、イエス様がマタイの福音書11:28に、すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさいと言われました。使徒の働き16:16-18に、悪霊につかれた女が吉凶を占うと言われていますが、それしか仕方がありまえん。精神問題がくるしかないのです。
・「私たちはそんなことがない。」と言うのですが、表に出ないようにみなくるのです。早くくるのか、遅くくるのかが問題であって、みなきます。だから、こういうものを経て見たら、くるしかないのです。それで詳しく目を開いて見れば、地球のすべてが偶像、精神病者です。だから、今、私が初期の時、影島に行った時、話を何度かしなかったでしょうか。未信者は引っ越しもむやみにできません。行けば問題が来てしまうのです。これが未信者です。方向も勝手にすれば、救われなかった人は大変なことになります。
・私が住んでいた家の主人が家を修理しても、占いが入ってはならないと言ったので、入れないでいたのでした。少しの間、休むといって行ったのが方向を間違って行ったので、自分の息子が死んで事故がおきてしまったのです。本当に不思議なことです。ある長老が私に相談をしにきました。兄弟が4人がいるのに、自分一人だけ長老ということでした。兄が事故がおきて死にました。兄はイエスを信じなかったのです。それで、家族が占い師を訪ねて行ったのです。問題が生ずれば、占い師を訪ねて行きます。訪ねて行ったら、この占い師がどれだけ有名だったでしょうか。占い師が親の墓の場所を間違って作ったから、はやく移さなければ、次の人がまた問題がくると言ったのです。
・前に墓を作った時は、良い場所だと言われたのですが、今きて良くないというので何でもないと考えたのです。二番目の兄が滑り落ちて下水口で溺れ死にました。もう三番目の順序ではないでしょうか。三番目が突然、衝撃を受けたのか、病気になって横になってしまったのです。四番目が長老なのに、長老が不安に思ったのです。それで、墓地を移さなければならないのか、どのようにしなければならないのか、兄3人中の2人は死んで、1人は病院にいるのに、どのようにすべきかと言いながら、心配をしながら長老がぶるぶる震えていました。
・それで、イエスを信じるのかと尋ねたら、信じていると言いました。もちろん、長老であるからイエスを信じているでしょう。「本当にイエス様を救い主として受け入れたのか」そうだと言いました。それでは終わったのです。長老ともう一度祈りをしました。イエス様を救い主として受け入れた神様の子ども、その簡単な事件ですべての問題がみな終わったのです。何の心配もしなくても済むのです。それが全部です。途方もないのです。受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神様の子どもになる特権が与えられたと言われました。死からいのちに移ったと言われました。これが全部です。今、礼拝をささげに座っているでしょう。
・釜山では、ほとんどが証人です。皆さんが伝道をして、三人だけでもここに座っていれば、皆さんはすべての答えがみなくるでしょう。殆どいないのです。だから、この伝道がどれくらい大きいことでしょうか。牧師がもし未信者で伝道をした人が10人程度があれば、奇跡が起こります。幸いなのは、初期に私が伝道をして職分者までしている人が今、釜山に結構います。その中に家族も伝道してきた人もたくさんいます。その時、尹ソンフン牧師と共に行きました。人々は、格別なこともでないのに、ぶるぶる震えて半分死にそうになるのです。
・スヨンロ教会の復興会に行ってきたところ、スヨンロ教会で、自分の親戚が影島にいるので牧師先生が行って一度だけ訪問をしてくれと連絡がきました。一度ではなくて、百回もできるが、その人が私たちに来てくださいと言うのかと尋ねました。その方が拒否をすれば、どうやって行けるでしょうか。来てくださいと言われたら行くと言いました。来てと言われたので行きました。大きい敷物の下に全部、お守りが置かれられていました。27万円を出したというお守りが部屋のあちこちにありました。水を飲んでも死にそうだと、冷蔵庫の中にもお守りがありました。私はそんなことを初めて見たのです。毎日、事故がおきると言いました。その時が、尹ソンフン牧師が伝道師だった時なのですが、お守りだけしばらく取りました。「今日からイエスを信じれば、神様の子どもになります。悪霊、暗闇、すべての運命はみな終わります。」と言いました。それで、問題が起きたら、私が責任を負うから心配しないでと約束をしました。ところで、今10年が過ぎたのですが、死ぬ事はなく、とても元気に暮らしています。だから、人々は福音がなくてみな死んでいくので、一度だけ福音を伝えてもみわざが起きるのです。
・使徒の働き19:8-20に全部偶像に陥っていて、精神的に患っていました。聖書を見ると、このような病気にかかった人がどれほど多いのでしょうか。この3つになるので自動的にくるのが肉体の病気です。肉体の病気が問題ではありません。すでに霊的な病気になってきたので、なるしかないのです。今日、病気の方々は、薬も飲まなければならないのですが、霊的な力を得ることを希望します。霊的な病気を経てくるのがほとんど原則であるためです。ここに医師がおられれば、肉体だけ直そうとせずに、これから直さなければなりません。この人々の精神を直さないで、霊的な部分を直さなければ、まず肉体を直しても、ずっと問題がきます。ある人は、生まれた時から使徒の働き3:1-12足のきかない者になっていました。
・「ナザレのイエスの名前で起きて歩け。」足のきかない者が、生まれた時からこのようだったので、今までいつも、もの乞いをして生きていました。この人に、もの乞いができるように連れてあげた肉体奉仕者がいるでしょう。感謝なことですが、解決はできません。この人にコインを投げかける物質奉仕者もあったでしょう。しかし、解決はできません。本当にこの人に霊的な奉仕をしなければならないのです。「金銀は私にはない。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエス様の名前で起きて歩きなさい。」この人に元々あった原罪が解決されてしまいました。この人に元々あった霊的な問題が解決されてしまったのです。ある方は霊的な問題から来る病気もあります。
・肉体の病気なのに、悪霊につかれて来る病気があります。こういう病気は、イエスを受け入れる瞬間、すぐに解決されてしまいます。使徒の働き8章に確かにそうなっています。悪霊が離れたら、中風患者が癒されて、多くの病人が起きたと言われています。「それでは、すべての病気が悪霊につかれたものでしょうか」そうではありません。しかし、厳格に問い詰めれば、創世記3章からきたので、一理がある話です。このようになるしかありません。この人たちを救い出すのが伝道だから、伝道はすべての祝福がすべて入っています。どんな状態が来るのでしょうか。さらに問題は年を取ります。年を取るのです。年を取れば、いくら持っていても仕方がありません。
・ルカ福音19章に金持ちがいます。毎日をパーティをして、毎日を遊んでも、仕方がありません。年を取ればすることもできないのです。いくら友人が多くても、仕方がありません。友人が多くても、全部、酒友達でしょう。ある面では、正しい友人は1人もいないでしょう。金持ちのそばには全部アルコール中毒者などしかいないのです。そして、酒をずっと飲むからといって気持ちが良くて安らかなのではありません。皆さんが酒を飲むというけれど、ずっと飲んでみれば分かるでしょう。年をとった人々は、すぐ血圧があがり過ぎてしまいます。老いてしまえば、たくさん飲むこともできません。こういうことで、ある日、地獄に行ってしまったのです。だから、地獄で永遠に苦労をするのです。ヘブル9:27に、人間は死ぬ日が全部決まっていると言われています。持っているものがみな仕方がなくなるのです。伝道の書3章にあるのに、そして、伝道の書12書にあるのですが、全部、年をとれば虚しくなってしまいます。何の効果もありません。
・尹キオク教授をご存知でしょう。その方がとても賢くて強い方なのに、今日、見たら、年を取って人が変わってしまっていました。その方が紹介をして漢陽大に講義をしに行く時だけでもそうでなかったのですが、人が年を取るとこのようになります。このようにして、死ぬ時、最高の苦しみにあって地獄に行くのです。死ぬのもよく死ななければなりません。ところで、福音がない人々がただ老いて死ぬように見られるのですが、死ぬ瞬間が最も苦しみだということです。そして死ぬ時、とても不幸に死にます。不幸でないといっても、死ぬ時はすでに全てが虚しく終わるのです。全部、効果がないのです。これで終わるのではありません。
・マタイの福音書27:25にあるのですが、子孫に霊的な問題がそのまま降りて行くのです。どうすると、このようにも娘がお母さんの霊的な問題をよく似るのか、そのまま降りて行くのです。もしかしたら、そのように息子がお父さんの霊的な問題をよく似るのか、そのまま降りて行きます。似ることまでは大丈夫ですが、家系にある霊的な問題がそのまま伝達されるのです。これを終わるようにするのが伝道です。私たちのインマヌエルの家族は、伝道の祝福を味わうことを希望します。それでは今から伝道をしにでかけるべきなのでしょうか。そんな話ではありません。皆さんが今日知って信じさえすればよいのです。何を信じるのでしょうか。
・ローマ5:8に何と出ているのでしょうか。「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」神様が死ぬなとあらかじめ道を開いてしまわれたのです。理解できるでしょうか。そのまま受けましょう。解決しないから、そのまま受けなさい。誰でも主の名を呼ぶだけで良いという言葉は、解決しないから、すでに上がる力がないから、無条件にひもを下ろすからつかめということです。皆さんを見て信仰で救われるという言葉は、何もしてはならないということではなく、できないから、信仰で救われるようにされたということです。どれくらい緊急だったのか、誰でも主の名を呼ぶ者は救われると言われました。どれくらい簡単なのでしょうか。
・受け入れた人々、すなわち、その名を信じる者には神様の子どもになる特権を与えられたと言われています。必ず口で受け入れなければならないのではありません。心で信じる者、受け入れる者、同じです。この時、黙示録3:20に、神様の聖霊が皆さんの中に入ってきておられるのです。永遠にほろびることができません。皆さんが本当に、この契約を捕まえれば、信仰でみわざが起き始めます。二番目です。契約を捕まえていれば、皆さんに答えがきます。使徒の働き1:8しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となりますと言われました。伝道は難しいのではありません。皆さんがこれになっていれば、その時から証人になるのです。皆さんを見て分かるようになります。
・証人です。皆さんが話をするため、分かるようになるのです。証人です。それでは、皆さんがいる所ごとにみわざが起きます。この祝福を今日、回復するようになることを希望します。これが伝道です。問題は、皆さんの関心がどこにあるのかです。本当にここに関心があれば良いのです。ところで、ほとんど違うところにあるのです。牧師夫人の関心がどこにあるのでしょうか。じっとしていても復興するようになります。牧師先生の関心が本当にどこにあるのでしょうか。これがものすごいことなのです。マタイの福音書6:33だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられますと言われました。マタイの福音書10:42に水一杯も報いを失わないと言われました。Iコリント15:58に一つも無駄にならないと言われています。
・ある時、伝道をしていて、刑務所伝道をするようになりました。初期の時です。伝道がこのように祝福なのか分かりながらも、私の関心がここにあるのかも分かりながらも、行くのがいやな時がありました。月曜日に行くのに、突然、寝て起きるのでとても休みたかったのです。こういう時がありました。それで、電話をしたがのですが、少し早くすべきだったのに、してみても全部どこかに行ってしまい、いなかったのです。それでしかたなくチームと食べ物を少し買って行きました。その日、入ったのですが、ある部屋に行けば罪人と共に話をして、礼拝もささげました。食べ物も作って行くこともしました。しかし、1人が食べませんでした。大部分が食べていたのですが、その人だけ食べなかったのです。私は、その時、分かったのです。
・名札に名前がなくて番号があるのですが、番号が赤色でした。赤色はほとんど殺人犯です。私は、その時、分かったのです。その方は、食べませんでした。そして、私が福音を伝えれば詳しく聞いて、賛美をすれば同じように歌うこともせず、何も食べることもありませんでした。私が見る時は、その人が正常です。それで、私が近くに行きました。なぜ食べないのかと尋ねたら、お腹がすいていないということでした。それで、話をしました。他の人は青いが、赤色だと尋ねたら、笑いながらそうだと言いました。後ほど、泣きながら話をしたのです。
・夫婦げんかをしたのですが、自分は本当にたくさん殴らないで、ほおだけ殴ったが死んでしまったということでした。それで人を殺したので刑務所にきた。刑務所野中で今、考えるのに、自分には娘がいるのに、いくら考えてもこのように出て行って娘を見るのか心配だということでした。その子が今どうなるのか絶望の中で絶望だけ話をしました。それで、自分は内心、毎日、自殺だけを考えていると言いました。その日、この方が福音を聞いて、イエス様を受け入れたのです。私は、そこで食べて騒ぐ人々が、むしろにせ物のように見えました。その人が、泣きながらイエスを受け入れたら、とても安らかだと言いました。これが伝道です。私がもし朝に行かなかったら、どうなるところだったでしょうか。私の一言、神様のお手伝いをする、それにこの人の人生が関わっていて、死でいるのが生き返るのです。
・ある時は、また無理に町内に見れば、おばあさんが集まる養老院のような所があるのに、そこに行きました。教会で行くといえば、明らかに食べ物を持ってきて、そのようなことなのに、おばあさん一人が格別に私たちが礼拝をささげるのをとても喜びました。それで、私の考えで、いつかはきて福音を正確に伝えて、この方をイエスを信じるようにさせなければならないと考えていました。そのようにしていたら、歳月が数ヶ月が過ぎ去ってしまったのです。数ヶ月してから、私たちの教会がまた行ったのですが、行ってみると、そのおばあさんが見えませんでした。それで尋ねたところ、一週間前に亡くなったということでした。特別なことでもないのですが、その時、福音を伝えなければならなかったのにと後悔をしたのです。
・死刑囚が、なぜ福音を受けるのか、福音一つでたましいが死んでいるのが生きる、すばらしいことが起きるからです。皆さんが伝道をしに行かなくても、本当にこの伝道が何か分かりさえすれば、答えの門が開かれます。皆さんの中心が本当に伝道のために生きるとしたら、神様は皆さんの人生を祝福されるでしょう。この世で100倍に、来世には永遠のいのちを得るようになると言われました。救われるには時間がかかりません。
・初期にあった事です。私が副牧師で伝道をして家に帰るのにバスに乗って行かなければなりませんでした。ある時は、車があれば乗って行くのですが、そのままバスに乗れば、家の前を過ぎ去るからバスに乗りました。ところで、あるおばあさん一人が立っていました。多分、バスに乗って市場に行くように見えました。大きいバケツを持っていました。それで、そのまま話かけました。その時は、私の時刻表が会う人ごとに福音を伝えていました。それで自然に言葉が出たのです。それで、イエスを信じるのかと尋ねました。そのおばあさんは時間がないと言いました。それでイエス様を信じるのに、時間は必要ないと言ったのですが、おばあさんは仕事をしに行かなければならないと言いました。それで、イエスを信じるのには10秒ならば良いと言いました。それでも、おばあさんは教会に行く時間がないとずっとそう言いました。それで、教会に出て来なくても良いから、10秒ならば良いと言いながら、聞いてみるかと尋ねたら、聞いてみると言いました。
・イエスを信じなければ絶対にだめな6つのこと。おばあさんに合うように簡単に話をしました。今は多くの人々がいるので説明をしたのですが、簡単に話をしました。ところで、おばあさんがわかったのです。それで、どのようにしなければならないのかと尋ねました。イエスを信じれば良いのです。イエス様を信じれば罪から解放されます。イエス様を救い主として受け入れれば神様の子どもとなります。この話をするのに、神様がどれくらいよくわかるようにされたか、バスが何台が過ぎ去りました。10秒ならば良いと言ったのですが、30分説明しました。
・信じるのと説明は違います。説明は一時間もできて、二時間もできるのですが、信じるのには10秒あれば良いのです。本当に10秒でイエス様を受け入れる祈りをしました。10秒ならばよいのです。ところで不思議です。イエス様を受け入れる祈りをしたら、おばあさんが顔が変わったのです。バスに乗って先におりるのに、そのおばあさんはさらに行って、市場でおりながら顔が変わっていました。教会に来なさいと言わず、週報を与えてもきます。イエス様を受け入れる瞬間に、この人の中に聖霊が働きます。これが伝道です。そして、ある時は、こうしたこと、ああしたことが起きるのです。
・私は、小学生がおかしなことをするのを初めて見ました。私は初めに、そんなことがあることもしれないと思いました。この子どもが顔が変なほど変でした。この子がイエス様を受け入れる祈りをしたのですが、すぐに顔が変わりました。そのようなこともあります。そして、あるムダン(霊媒師)の子どものある学生一人は、病院でだめだという話を聞いてきたのですが、家族、みんなが受け入れる祈りをするのに、病気が離れてしまったのです。いろいろなことが、いろいろな方向で現れます。それで理由が何でしょうか。イエス様を受け入れる瞬間、聖霊がその中に臨むから、その時から事が起きるのです。信じさえすれば、こうしたことが行われます。
・それで皆さんがこの契約を捕まえて祈りだけすれば、答えを受けるようになります。答えを受ければ、証人になります。この重要なお話を、私たちがゆっくりよくするべきなのに、ひとまず一時間、話をしたのです。来週にもずっと説明をするつもりです。これが終われば皆さんが直接、福音手紙を一つずつ持って現場を行くと考えて、見てみなければなりません。私はあえて祈りをして、約束をします。皆さんが基礎を勉強して、福音手紙を勉強する間に、神様が皆さんに大きい変化をくださるでしょう。
・今、昼間になってうとうとしておられる方がおられるのに、うとうとしていても働きは起きます。なぜなら、うとうとするのは肉で、聖霊は霊であるために関係がありません。理解できます。本来、この時間に眠たいでしょう。そして昨夜に土曜日、歩き回ってTVを見るために当然、眠たいでしょう。私は土曜日になれば準備するので寝られないのですが、皆さんは土曜日になれば時間が少し気楽でしょう。理解できます。土曜日には友人も会ったり、人に会ったり、遊んだりもするので、そのようなこともあるでしょう。朝には忙しく飛んでくるのに大丈夫ですが、午後にはご飯を食べて座っていれば眠たいのです。眠たくても、聖霊は働きます。間違いありません。
・4年、レムナント集会をするのに、集会に入ってこないで外にだけいた子がいました。皆、聞いてきたがこの子だけ入ってこなかったのです。それも外でそのまま立っていました。この子が3回目に来る日には、外で待っていて、私にサインをしてくれと言いました。このサインを見たところ、自分が好きでするのではなくて、自分のお母さんがこの子がとても心配をかけるので、サインをもらって来なさいと言ったのでした。それで、集会が終わって、なぜ入らないのか尋ねたところ、暑いからと言っていました。それでみな暑いのに、あなただけが暑いのかと尋ねたところ、それでも自分は暑いのを耐えられないということでした。4年をそのようにしたのです。ところで、ある日5年目に一番前の席に座って恵みを受けて、書いていました。これは他の人がさせるからではなく、本当に変わったのでした。それで、これは歩き回るだけでも働きが起きるのです。
・皆さんが祝福の隊列に立っているだけでも働きが起きます。それで、にせ物の福音ではなく、本当に福音を捕まえることをイエス様の御名でお祈りします。眠いので、隣の人を祝福しましょう。あなたは真の伝道者です。そこに良心の呵責がなければ答えがきます。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝します。本当に伝道が何か、今日、理解する日になるようにさせてくださったことを感謝申し上げます。今から新しい働きが始まるようにさせて下さい。本当にこの祝福を他の人に見られるほど働いて下さい。それ以前に、私がこの答えを見るようにさせて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン