2007年4月1日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/種をまく者
(詩126〜1:6)

・皆さんは歩いて米国まで行くことができるでしょうか。北朝鮮によく話して、中国を通って、ロシアから中央アジアに行こうとしても、泳がなければなりません。多分、確かに不可能でしょう。そうでなければ、日本側から死ぬ覚悟して泳いで行って、そこでまた反対に行くこともできます。確かに行く時に死ぬでしょう。行けないのです。それでは、飛行機にぶらさがって行けばどうでしょうか。飛行機にぶらさがって行けば、確かに行く時に凍え死にます。落ちたりもするでしょうが、そうでなくても凍え死にます。しかし、皆さんがお金を少し出して飛行機に乗れば、安全に米国まで行けるのです。
・私が仁川で飛行機に乗ったのですが、仁川で蠅一匹と蚊一匹が入ってきました。私がLAに到着したのですが、この蠅と蚊が安全に一緒におりたのです。私がなぜこういう話をするのでしょうか。今日、学習、洗礼を受ける新しい家族もここにいます。他の言葉は何も聞かずに、福音の中に入りましょう。皆さんが祝福を受ける時ぐらいになれば、人を通して試みにあうことが起こります。そんなこと絶対に聞いてはいけないのです。時々、信仰生活を長くした人で、間違っている人が多いからと失望してはいけません。また、皆さんがこの教会が蔚山を生かす教会であることが確実ならば、完全福音に入らなければなりません。
・私たちが心配することは一つしかありません。私が福音の中にいるか、いないか、それだけ心配すれば良いのです。目に見えない神様の大きい祝福の枠が福音だから、皆さんは知らない間に、できるようになっています。皆さんが知らない間に、暗闇という勢力が地球を囲んで、皆さんを囲んでいるから、そこで保護されるのが福音です。聖書にだけあるのですが、サタン、暗闇、悪霊こういうものが全世界を掌握しています。そこで完全に保護されるのが福音です。福音の中にだけいれば、何でもできます。
・今日、私がこちらに到着して、カン・サンモ牧師が案内してくれたので、私が座ってすぐに、このような話をしました。教会の仕事、聖日の仕事をするのに、何も心配しなくても良いのです。完全に福音の中にだけいればできるのです。これが聖書の結論です。これが教会史の結論で、今まであった歴史の結論です。結論から知って信仰生活しなければなりません。ところで、問題がたくさん起きます。私たちは病気になったり、経済問題がきて人間関係にも問題が来たりします。こういうものをどのようにすべきなのでしょうか。
・これが重要な課題になるのです。その中には、必ず神様の計画が入っています。それを見いだすことができなければなりません。それ探す姿勢にならなければならないのです。それで、信仰生活を良くしている人は、話をむやみにしません。本当に福音を知っている人はむやみに判断することもありません。本来、人を見て、話をよくする人々は、祈らない人です。祈りを本当にする人々は、人を見て話す必要がありません。そうではないでしょうか。私が心で神様に祈れるのに、話すことが何があるのでしょうか。
・皆さんが知っている通り、塞翁の馬という話があります。未信者なのですが、たくさん学んだ立派な人々は違います。学ぶことができなくて、教養がない人は目につきます。その家のしもべが来て、主人に大変なことが起きたと言いました。「馬が家を出て行きました。」主人が答えました。「出て行くこともあるが、何でそれが大変なのか。待つか、探すかすれば良いのではないのか。」そして、何日か後に、また大騷ぎが起こったのです。馬が戻ってきたのですが、他の雌馬一匹を連れてきたということです。「そのようなこともあるのでないか。何でそれで大騒ぎをするのか。」
・今回は、本当に大変なことになったと言いました。主人の息子が馬に乗って落ちて足を怪我したということでした。「有能な馬の乗り手になろうとするなら、馬に乗って落ちることもあるので、大変なことにではないではないか。」その息子が良くなったが、足がちょっとひきずるようになりました。今回は、本当に喜ぶことが起こったと言いました。戦争が起きたが、主人の息子は足が悪いので、戦争に出て行かないようになって幸いだと言うのでした。「それが何が幸いなのか。このように、足りない人々は軽々しく振る舞うのだ。」と言いました。未信者でも、学問を深くして、考えが深い人々は、そのようにむやみにしません。私たちは、神様の子どもです。皆さんは福音の中にだけいれば、すべての問題は解決されるようになっています。
・私が知っている尊敬する牧師一人が、米国から韓国に講義のために飛行機に乗って行くべきなのに、予期せず、奥さんと言い争いをしたのでした。この言い争いが激しくなって、飛行機をのがしてしまったのです。それで、翌日の飛行機に乗るのに予約をしなければなりませんでした。ところが、この牧師が乗ろうとしたその飛行機が爆発したのでした。爆発した大韓航空機でした。ですから、その方はけんかをしたおかげで、死ななかったのです。私たち人間のいろいろな事の中には、神様の計画がすべて入っています。未信者にもあるのに、ましてや神様の民にはどうでしょうか。
・聖書を見れば、おもしろい記録があります。エステルが王妃になった時、モルデカイが何と話したでしょう。「王宮に入ったら、絶対にユダヤ人であることを話してはならない。」取立てで言う言葉ではないのですが、その一言が記録されています。ところで、それが後ほど悪いハマン総理を負かす答えになったのです。どんな場合にも、神様はご自分の計画を違うようにされないので、皆さんは契約だけ捕まえていれば、答えを受けるようになっています。今日の本文は、バビロン捕囚から戻った記録です。今日、ここで重要なみことばを捕まえて、答えを受けなければなりません。特に、信仰生活で困難を受けている方々も、今日、契約捕まえて答えを受けなければなりません。今日、学習、洗礼を受ける新しい家族も答えを受けなければなりません。
・ここに何となっているのかというと「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」と記録されています。「種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」確実だということは、必ずということです。少しも揺れずに皆さんが契約つかまなければならないのは、神様の契約の中で、神様の計画を知って涙で種をまけば確実に刈り入れるようになるのです。条件は「契約の中で」です。皆さんが神様の計画を分かろうが分からなくても、その計画を待ちながら祈れば、確かに答えられます。この証人がレムナント7人です。
・皆さんおわかりの通り、ヨセフからはじめてパウロ、テモテまで。ヨセフをよくご存知でしょう。とても大きい困難がきました。死ぬ危険もきて、奴隷に行って、監獄にも行きました。皆さんならば、そのような困難が連続してくれば、どのようにするでしょうか。もし、皆さんが生きているのに問題がくれば、どのようにするのでしょうか。ところで、このヨセフがどのようにしたのでしょうか。契約のなかで神様の計画を悟ったのです。それを捕まえて祈りました。総理になったのも重要ですが、それが全部、祝福の土台になったのです。今日、皆さんが信仰生活でまず最初に重要なことが何かというと、神様の計画は確かに入っているということです。それ捕まえて祈れば、答えを受けるようになっています。
・私は昔、幼い時に、父親が早く亡くなったので「なぜ私の家は、こうなのか、神様がいるなら、何のためにこういう幼い子どもを置いて、お父さんがはやく死ぬのか。そして、なぜ私たちはこのように貧しいのか。なぜ、金持ちらは良く暮らしていて、私たちはこのように苦しいのか。」私はいつもそのように考えました。ですから、ほろびる道に行ったのです。私も知らない間に。私がほろびる道に行こうとしなかったのに、どんどんほろびる道に行きました。ある日、福音を悟って見たら、それが全部、訓練でした。幼い時から苦労して大変だったことなどが、全部、訓練でした。今、ある場合は他の人が難しいというのに、私は難しくありません。なぜならば、昔に苦労したのが全部訓練なので、その中に神様の計画が全部、入っていたのです。
・捕虜なった時、皆さんがご存知のとおり、何人か分かるでしょう。捕虜になっていた時、ダニエルと三人の青年を知っているでしょう。いくら困難がきても、神様の計画が何なのかを分かっていました。それで、揺れることがありません。インマヌエル教会とインマヌエル蔚山教会を、神様が祝福され、神様が地域の福音化をされます。それは神様の計画です。それでは、他の教会は違うということでしょうか。それでは、他の教団は違うということでしょうか。それは分かりません。福音が確実でなければ違うのです。それは確かに歴史が証明しています。ここに学習、洗礼を受ける方が座っていますが、単に座っているでしょうが、皆さんが普通の恵みを受けたのではありません。人が知らずに行ったのに、福の場合があって、呪いの場合があります。自分の友人のお父さんは裏路地に小便をしに行って、肉たたきの棒が当たって亡くなりました。人は、偶然に呪いを受けることもあります。皆さんが神様の恵みで福音を持った教会にきて、学習、洗礼を受けるのです。これは普通の祝福ではありません。ですから、神様の計画を知って祈るのです。揺れることはありません。
・ここに信仰生活を長くしている方々もいるでしょう。信仰生活を長くしてみると、やや下手すると、信仰がなくなることもあります。ある場合には、牧師がさらに信仰がないこともあります。生き長らえていたら、そのようなこともあります。ところで「神様の計画に間違いない」それは間違いないことなのです。私が釜山で開始をした時、伝道訓練を長くして行ったので、伝道しなさいというのが神様の計画だと思いました。教会にお金が一つもなくて、それでも関係ないことでした。なぜか、神様は確かに生きておられるためです。そうではないでしょうか。神様が答えられれば、だめなことはありません。私たちは、やや下手すると、違うように思うのです。私の状態を見て考えます。それで行ってすぐ、助けを受けること切って、宣教費を決定しました。職分者が何人かいたのですが、目を見たらみな心配する目でした。「教会が少し状態が良くなればしよう。」という、そのような目つきでした。
・何の意味なのか分かります。しかし、いくら弱い人でも神様は計画を持っておられるのに、世界福音化が最も重要な計画です。これは何の話でしょうか。皆さんは何も心配することがないのです。問題がきた時は、神様の計画が何かを知って祈れば「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」必ず記憶しなければなりません。必ず記憶しなければならないのです。単なる祈りではありません。いのちをもって種をまくということは、なるようになっているのです。
・一度だけお辞儀をして助かるか、そうでなければ火の中に入るか。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ。皆さんもそうなると火に入ると言うでしょう。偶像崇拝が神様の計画なのか、しなくて死ぬのが神様の計画なのか明らかだからです。それは、インマヌエル教会、蔚山教会の執事を連れてきて尋ねても「私は火の中で入ります。」と言うでしょう。人が死ぬようになれば、神様のみこころが明らかになれば、恐れがなくなるのです。私たちが火の中で入れば、主が救い出して下さるでしょう。たとえそうでなくても、私たちは偶像にお辞儀をできない。なぜか神様の計画が明らかだから。奇跡が起こりました。
・「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」皆さんが困難を受ける時や、神様の計画が何か知らなくても、神様の計画が何か捕まえて種をまけば、まちがいなく答えがきます。私たちすべてが困難に会うことがあります。そうでなければ過去に困難にあったこともあるでしょう。そうでなければ、私たちが生きていく中に会うこともあります。この時ごとに、神様の計画を捕まえて祈りましょう。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
・私が本当に答えを受けたことが多いのですが、何度か決定的な時がありました。本当に、これが格別なことではないのですが、私が副教役者の時期に困難がきました。教会が福音がないから、いつも戦っていたのです。私は副教役者だったのに、私がどれくらいみじめかわかりませんでした。私の心は、そのまま止めたかったのです。しかし、私には子どももいるから、肉体的なことだけ思い出したのです。私が止めれば、うちの子が学校に行けなくなるのではないか。こう思うから、さらにみじめでした。その時でした。私が神様に祈ったのです。
・「神様、私は本当に神様の計画を分かりました。私はこういう教会にしません。私は福音を伝える教会を作ります。ただ福音ならば良い教会を作ります。伝道する教会を作ります。人を生かす教会を作ります。」夜明けにその祈りをしました。それで、神様が答えられたのです。全く私はだめなのに、どのように答えられたでしょうか。福音だけ思いきり伝える教会に神様が私を導かれたのです。私がインマヌエル釜山から始まったのですが、あの教会ぐらい私が福音を伝えるのに気楽な教会はありません。私が今まで世界へ思いきり通いました。そして、あの教会は長老が難しいことができれば、みな解決するだけでなく、私にはあまり話さないように、それだけ手助けしてくれます。行く所ごとに弟子が起きるのです。
・私が、もう一度は、私が失敗して困難がきました。その時は、このように祈りました。「神様、私が神様の計画を分かりました。私の力で行うのではなく、福音の力で行うのです。本当に中心から謙虚になります。」と祈ったのですが、それ以後にした祈りは全部、答えられました。驚くことです。どこででも、同じようにあることですが、私たちの教会が復興するから、そばの教会が迫害をしました。迫害をして汚名をかぶせてそのようにしたのです。その時、私が祈ったのです。何の祈りをしたのかというと、「神様の計画が何ですか。」その時、私に答えがこのようにきました。
・「イエス様も迫害されなかっただろうか。パウロも寃罪をこうむらなかっただろうか。今まですべての伝道者が寃罪をこうむらなかっただろうか。それが何でそんなに大きく問題になるのか。福音だけ伝えよう。」このように神様の計画を捕まえて祈ったのですが、今、レムナントだけで数万名が起きました。今は私たちの子ども達が答えを受け始めているのです。私は今RUTCを作る理由があります。これから皆さんの子ども達が、休み時は、そこに行って伝道訓練も受けて、言語のために苦労するので、言語キャンプもして、皆さんの子どもを休みの時には送って専門性キャンプもして、このようにして私たちのレムナントが世界へ出て行けるようにさせてやらなければならないのです。これがいつきたのでしょうか。神様の計画を捕まえて祈ってです。皆さん、何も心配せずに皆さんが弱くても、神様がなさればできるようになっています。
・未信者は知らないことです。そうではないでしょうか。神様が働かれれば、不思議なことが行われます。エジプトで捕虜になっていて、出てくることができないのに、不思議なことが行われて出てくるようになりました。イスラエル民族が力がないから、事件が起きてみわざが起きたのです。それで、この教会が本当に蔚山を生かす福音を伝える準備だけなっていれば、どんなことが起きても、神様は答えられるようになっています。今日、皆さんこの契約を捕まえるように、本当にイエス様の御名で祝福します。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
・二番目です。どのようにすれば、そのような答えを受けるようになるのでしょうか。聖書を詳しく見ましょう。福音回復に計画を知って、涙で種をまく者は、必ず答えがきます。詳しく聖書を見る必要はないのですが、簡単に考えてみましょう。イザヤ預言者がなぜ私たちがほろびるようになったかを知るようになりました。福音がなくなるから、ほろびるようになったということを知るようになったのです。それで、処女がみごもって男の子を産む。その名前をインマヌエルと名づける。そこに種をまいたところ、奇跡のような働きが起きたのです。聖書を詳しく見ましょう。モーセがそれを悟ったところ、どんな奇跡が起こったのでしょうか。この答えが今日、メッセージを聞く皆さんにそのまま臨むようになることを希望します。
・初代教会がいくら弱くても、福音を回復しながら種をまくから、それが答えになって、全部、戻ったのです。本当に不思議なことです。成功した人々を見れば、未信者の中に本当に賢い方々が多いのです。どれくらい発展したのでしょうか。昔には、一つの村に電話が一つあろうかないかというくらいでした。私が幼い時だけでも、私たちの長老の家に電話があったのです。それで、私がいつも申し訳なかったのです。緊急な連絡がくれば、そちらへ来ます。長老が私を連れにきました。私が青年の時なのですが、電話きたと呼びにくるのに、どれくらい申し訳ないのか、また、その家に入って電話を受けなければなりませんでした。そのような時がありました。今はどうなのでしょうか。全部が携帯電話を持っているでしょう。初めには、私の按手執事は、携帯電話の非常に大きいものを持って自慢していたのですが、今は、皆さんみな持っています。私が入ってきて見たら、小さい子どもも携帯電話を持っていました。「あんな小さな子もみな携帯電話を持っているんだな。」と思いました。このように変わったのです。
・財閥が苦労をして仕事を良くしています。一つだけ知らないのです。あきれたことです。本当に一つだけ知りません。霊的問題が何か、福音が何か全く知りません。話はできないのですが、家の半分ほどが自殺して家に横になっています。私が名前は言うことはできません。家族、子どもの中の半分は精神が狂って、自殺したり、家に横になっています。なぜそうなのかを知らないのです。何の話なのか分かるでしょうか。韓国ではノーベル賞を受けた人がまだいません。平和賞を除いて。ノーベル賞3分の1以上、半分ほどをユダヤ人が持って行きました。ところで見てください。このユダヤ人がただ一つだけを知りません。何を知らないのでしょうか。福音を知りません。不思議に思います。これがサタンのしわざです。
・皆さんがこれを知って種をまけば、必ず刈り取るようになります。私たちのタラッパンのすべての家族は、記憶しなければならず、今、すべての他の教団の牧師は、記憶しなければなりません。皆さんを滅亡させるサタンは一つだけ知らないようにさせるのです。イザヤがこれを知って、涙で種をまき始めたということです。奇跡が起こりました。起きるしかありません。この契約を捕まえて、今から種をまかなければなりません。それでバベロンで契約を捕まえて、涙で種をまいた人が何人か出てきたのですが、奇跡が起こりました。本当に不思議に思えることです。
・私は幼い時から信仰生活をしたので、副教役者生活も色々な所で習いました。おもに行ってみれば、教会が貧しいのです。ところで、とても金持ちだけが集まった教会に行ってみたことがあります。すごいのです。この人達はみな良く暮らしていました。どれだけよく暮らしているかというと、貧しい人々が来て帰って雰囲気が合わないで来ないのです。その程度に良い暮らしをしていました。そして、教会員を見れば、ほとんどソウル大学出身でした。韓国に噂になった弁護士、裁判官、医師、こういう方々がきていました。
・長老の中で一人は食事して話したのですが、私は驚いたのです。毎日、毎日、変わる全世界の金利の現況を皆知っていました。完全に驚きました。それぐらい賢かったのです。私はたくさん習いました。そして、この方たちが仕事をするのも、非常に上手にしました。一度は、大統領と直通、電話を使う最高級の警察が釜山に来ていました。その方がその教会に出るから、聖日にさえなれば、警官が出てきて交通整理をみなしていました。その方が一言、言ってだめなことはありませんでした。その方が他に転勤して行ったら、警察が誰も来なくなりました。とにかく力が強大だったのです。本当に私がたくさん習いました。「良く暮らす人々はこのように生きるのだな。」とても良いことをたくさん習ったのです。
・一度は、私が衝撃を受けたことがあります。高等部の修練会に一度行ったのですが、長老一人が場所の現地調査をしに行きました。そして、私を呼んで言うのに、「伝道師、私が調査に行ったが、ちょっと問題だ。田舎教会なのに、行ってみたら、とても狭い。私達の子どもたちが入れば、あまりに前まで座るので、首をあげて聞かなければならないので、説教を聞けるだろうか。そして、前に何メートル出て行くと、池があるのに、測ってみたら水深が6.5mだ。もし子どもがそこに落ちたらどうなるか。そして、落ちたらどんな車で移動するのか。」その時は車がたくさんなかったのです。「それで、病院までは何kmくらいか。」
・私は完全に驚いたのです。私たちが修練会に行く時、水深を測って行くでしょうか。内心「事故が起きなければ良いだろう。」と思いました。ところで、その方の話は、もし、ということであるから、間違った話ではありまえん。あり得るからです。それぐらい賢い方々でした。行ってたくさん習いました。ところで、ただ一つだけがなかったのです。真に残念なことです。教会は死んでも復興しませんでした。今でも復興できていません。そんなに賢くて力があって金持ちの人々が集まれば、良くなければならないではないでしょうか。何が一つにならないのか、その方たちはまだ知らずにいます。残念なことです。
・皆さんが、祈りの答えを受けるのは簡単です。福音がなくなる時ごとに、神様は回復させられるのですが、そこに種をまく者、イザヤ、初代教会、マルティン・ルター、ジョン・カルヴィン、ジョン・ウエスレイ、ムーディー、みなそうでした。ですから、皆さんが祈りの答えを受ける重要なことを知って祈ってこそ、答えを受けるのです。それで、涙で種をまく者は確実だということは、必ず喜びで刈り入れるようになるのです。
・三番目です。イスラエルは帰って神殿回復をしなさい。皆さんが福音を持った神殿とRUTCを回復する時、その祈りは一言も地に落ちないでしょう。皆さんが本当に目を開いて祈らなければなりません。どうしてクロス王が、未信者が、「帰って神殿を建築しなさい。」と言ったのでしょうか。なぜだからでしょう。そして「イスラエル民族は帰れ。」と言ったのでしょうか。私は理解できなかったのです。もちろん、神様が働かれました。それで、私が静かに背景を研究してみました。どうしてか答えが出てきました。クロス王が、エジプトに攻め入って勝つためには、イスラエルを踏み台としなければならなかったのです。それで、イスラエルをはやく送りかえして回復しなければならなかったのです。
・そのために、イスラエルが一番喜ぶ神殿をはやく回復させなければならなかったのです。これを見てください。バビロンとエジプトが戦うのにも、神様の計画があります。ここに神様の計画があるのか、誰も知らなかったでしょう。このようにして、何人かが神殿回復を祈り始めたのですが、神様が彼らに答え始められたのです。誰でしょうか。ハガイ、ゼカリヤ、エズラ、ネヘミヤ、ゼルバベル、この人たちが祈り始めたのです。神様の契約、福音を持った教会を置いて祈る者、その種をまく人々に、神様は必ず刈り取るようにされるのです。
・難しい話をすると思っていますか。核心の時の話したのですが、やや誤って聞くことがあります。一番祝福を受ける道が、福音を持った人々が神殿を作ることです。反対に、一番呪われる道が、福音を持っていない人が神殿、ひいては偶像を作ることです。これは難しい話です。もし、この話がわかったら、なぜ神殿を作って、恵みを受けるのか、なぜほろびるのか知ることができます。なぜ神様がヘロデ神殿を呪われたでしょうか。答えが出てきます。それでは、皆さん福音を持った教会が神殿を作るのは、それこそ神殿です。福音もない人々が教会に通う、それは偶像です。それで苦労するのです。福音を持った皆さんが神殿を作り始めれば、神様は隠れた経済を生かされるということです。ハガイが言うのに「主が天と地と海を揺り動かされる」皆さんがこの祝福を回復するようになるように願います。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
・私は幼い時、何の力もなくて背景もないうちの母が涙でずっと福音の祈りをしていました。私は苦労せずに祈るなと言いました。どれくらい祈りをするのか、休んだりもしなければならないから祈るなと言ったのです。とても大変だったのに、一日も夜明けに欠かさずに祈りをしていました。一度も欠かしたことがありません。世界福音化を置いて、女が何か力があるでしょうか、毎日祈りました。私たちの息子が牧師になって、世界福音化するようにしてくださいと祈っていました。教会で祈れば良いのに、家に帰ってきて手を握って祈って、そうしていました。内心、思っていました。「私は、絶対に牧師をしません。」私はその時、教会も出て行かないで、堕落しているので、うちの母が手を握って、牧師になって世界福音化させてくださいと言っていたので、他のことはできても牧師はしないと思っていました。ところで、その祈りが答えられたのです。ですから、福音、契約を捕まえて涙で種をまいた者は、刈り入れるようになるのです。
・結論を結びます。今日、皆さんがこの時間がこの主題が都上りの歌です。今日、皆さんがこの時間が一番種をまく時間です。それほど実感がないかも知れませんが、信じるように願います。この時間がまさに種をまく時間です。創世記13章18節に、アブラハムが信仰で祭壇を築き始めたのですが、どんなことが行われたのでしょうか。80年間、答えが来なかったモーセがホレブ山で神様の前で祈り始めました。それが種をまく時間です。私は祈りの答えをたくさん受けるミュラーという人の本を読みながら「そうだ、私たちが礼拝をささげる時間、この時間が種をまく時間だ。」と思いました。神殿に行って、モニカが息子を置いて祈っていたら、アムブルス監督が「絶対に涙の子どもはほろびない。」と言いました。ですから、今が種をまく時間なのです。
・次の聖日は復活聖日で、今週は苦難聖日です。私は、苦難週にする説教が良くできません。しかし言及はします。なぜしないのでしょうか。終わったためです。キリストが十字架で終わらせたためです。ある人々は、苦難聖日に泣き喚くのですが、そのような必要はありません。悪魔が泣き喚かなければならないのです。聖書を真っすぐ知ってしなければなりません。キリストが苦難聖日に苦難を受ける間に、皆さんと全人類が受ける苦難をなくすと神様が約束されました。イエス様が十字架で最後に完了したとおっしゃられました。ですから、だまされてはなりません。皆さんが受ける呪いを終わらせてくださったのです。ところで、しばしば私たちがだまされるのです。皆さんがこれから受ける祝福がみな備えられているのに、いつもだまされるのです。だまされてはなりません。すでに終わったとなっています。貧しさも病気も呪いも終わりました。
・副教役者はお金がないでしょう。私が本当に好きな伝道者が、宣教に出て行ったのですが、手助けできませんでした。神様の前で決心したのです。「神様、私があの人のために祈るので、答えを下さい。」何の力もないのに、契約を捕まえて祈ったのですが、本当にみな備えられていました。ある出版社から連絡がきました。私はよくできないのに、うわさが流れたのか、米国の辞典を翻訳するのに博士の名前に学生たちが翻訳をするのにそこに来なさいと言われました。テストをして価格を決定しました。
・私の先輩は、英語が良くできるのに、一枚に100ウォンくらいでした。私の場合は一枚に150ウォンだったのです。先輩がとても気分が悪いと言いました。原稿用紙に文章がいくつも入らないのに、一枚に150ウォンならば、かなりの価格になるのでした。神学の辞典を翻訳することだったので、勉強にもなりました。それでお金もかなり儲けました。宣教師の手助けをして、家には言わずに余ったお金を私一人で使いました。なぜか、それは特別収入だったからです。
・本当に神様に祈りました。「神様、なぜ私たちは貧しいのですか。」ある日悟りました。神様がすでにすべてくださったが、福音を持った人は動きさえすれば、神様がサインされるのです。隠れた経済が埋められているのです。私はそのように悟りました。私が神様の契約を捕まえて福音のために神様の前にひざまずいて祈ったら、神様はサインされるのです。その契約を捕まえてRUTCを始めたところ働きが起きました。苦難はみな終わりました。今は、重要な大きいことを前に置いて大きい信仰を準備しなければなりません。
・インマヌエルのすべての家族、インマヌエル蔚山の家族、皆さんは大きい信仰を持つように願います。そうです。私たちがいくら力がなくても、信仰は大きくなければなりません。私たちが今日の現実は弱くても、考えは正しくしなければなりません。初めから「蔚山から宣教師を派遣させて下さい。」このように祈りましょう。私たちの新しい家族、学習、洗礼を受ける方々「世界で私が宣教師を送るのに最もよくする一般信徒なるようにさせて下さい。」このように祈りましょう。私たちのレムナント、一般信徒は、大きい祈りをしましょう。私たちの一般信徒が「私が世界で、蔚山で一番十分の一献金をよくする一般信徒になるようにさせて下さい。」このように祈りましょう。
・率直に、私達が祈っても、そのように答えられなかったとしても、元々ではないでしょうか。損をする必要はありまえん。私が世界福音化を祈ったが、だめだった、それではいけないことです。いたずらに私たちが信仰を小さくして、恐れをなしてぶるぶる震えて、私の事情をくんで震えて、そのような必要はないのです。神様が確かに聖霊で働かれれば、事件が起きます。皆さんの先に、主の使いを送られれば事件が起きます。蔚山に事件が起きます。皆さんの周囲に事件が起きるのです。いよいよ事件が起きました。
・イスラエル民族に事件が起きたのです。バビロンにクロスという他の国の王が攻めてきました。ユーフラテス川の上に王宮を作って、そこで酒盛りをしたバビロンです。メディア、ペルシャ連合を統一をして、クロス王が攻めてきたのです。どのように攻めて入ってきたのか分かるでしょうか。ユーフラテス川の元を防いだのです。それで、水が他に流れるように工事をしたのでした。それでは、どうなるのでしょうか。水が流れていた所が、道になるのです。向こう側からクロス王の軍隊が入ってきました。ですから、バビロンに人々がそっくり、そちらで死ぬようになったのです。水の流れが切れてしまったから、船に乗って遊んでいた船が行く所がなくなったのです。イスラエルはじっとしているのに、この人がきて、イスラエルは帰れと言いました。はやく帰って神殿を作れと言ったのです。事件が起きるようになっています。
・私たちがインマヌエル釜山から引越ししたらすぐに、影島の後へ渡る道ができました。今は何をしているでしょうか。高速道路から影島に通じて、すぐに海雲台へ渡る道を作っています。そうなれば、影島が交通が一番はやくなります。神様は、福音を伝えようとするなら事件を起こされます。神様は蔚山を生かそうと現代のような会社も作っておいて、多くの準備をしておかれました。神様はすでに蔚山を生かす世界福音化するために、人材をたくさん送っておられます。ですから、私たちが信仰が小さければ、神様が答えをくださっても受けられないのです。
・「あなたの口を大きく開けよ。わたしがそれを満たそう」そうなっています。聖霊の働きを信じるのでしょうか。私たちの新しい家族は、聖霊の働きを信じるように願います。救われたということは、神様が聖霊で共におられるので、皆さんを保護して守られるということです。救われたということは、天国の民になったのですが、皆さんが行く所ごとに天の門が開いて、主の天使がいつも派遣されるのです。怖くなることが何があり、ならないことが何があるのでしょうか。
・それで誰かRUTCと私たちの教会を一度にすれば大変だと言うのですが違います。RUTCをする間に各教会を神様が全部祝福されるようになっています。なぜか、神様の計画であるからです。RUTCをする間に、皆さんの事業を神様は時代的に祝福されるでしょう。今日、皆さんが不信仰みな捨てるように願います。苦難週でキリストが皆さんの呪いをみななくて捨てられました。終わったのです。次の復活主日に私たちは復活の新しい恵みを受けるようになるのです。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。この証拠を皆さんが捕まえられるように願います。そして、この祝福が必ず今日から始まることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろうという神様の契約を捕まえる日になるようにさせて下さい。神様の計画を捕まえて、種をまく者になるようにさせて下さい。福音回復に契約を捕まえて、種をまく者になるようにさせて下さい。RUTCと神殿建築を置いて、種をまく者になるようにさせて下さい。私たちの生活に神様の奇跡を見る働きを成し遂げて下さい。生きておられる主イエス・キリストの御名によっておお祈りします。アーメン



2部/権威の意味
(使徒3:1〜12)

・年輩の方たちは、通訳をするので、聞くのが大変だと言われることがあります。私も通訳をせずに説教をすれば、はるかに気楽です。感情表現を思いどおりして、長くもして短くもしなければならないのに、通訳をすれば、それをがまんしなければなりません。それでも今、110ケ国で英語を使うから、私たちが今、英語で通訳をします。アジアでは、日本が一番影響があるから、日本語で通訳をしているのです。それでも、若年層は違います。英語と一緒にするので、勉強にもなって良いという人々がいます。そして、タラッパンで通訳をする方たちは韓国でも世界的に一流です。
・1部礼拝の時、通訳をしているソウォンは、今現在、梨花女子大に通っているエリートです。アキコも通訳のために日本からわざわざ韓国に来て通訳をしています。ある人が、通訳が上手だから、見合いをしたいと言ってきましたが、すでに結婚をしています。結婚をしていなかったら、私が当然、見合いを進めるのですが、結婚しているので、できません。次の聖日からは福音の手紙を持って勉強します。福音の手紙に入る前に一番重要なのが一つ残っているのですが、それが権威ということです。皆さんがこの意味を知って入らなければなりません。ところで、少し詳しく聞かなければなりません。
・イエス様は、権威という言葉をとても重要に使われました。ところで、クリスチャンは、ほとんど重要に見ていません。それで、問題が始まるのです。イエス様は一番重要に見ておられました。ところが、クリスチャンは、一番重要でないように見ています。それで、他に言うことがないからか、なぜ権威という言葉を使ったかと問題にします。それで説明をしたのですが、聖書にある程度ではなくて、イエス様は重要に話されたのです。私が分かっていることでは、皆さんがこの言葉を誤って聞けば、祈りの答えがあまりないでしょう。なぜなら、ここで実際に知らずにいる人々が、なぜ知らないのかを見れば、サタンを認めないからです。実際に認めるとしても、よく知らないのです。
・大韓民国の人70%以上が悪霊をおがんで、法事を行うのにもかかわらず、知らずにいるのです。45万人が登録されていて、100万人ほどのムダン(霊媒師)が登録されているのにもかかわらず、知らずにいるのです。実際によく知りません。そして、米国ではニューエイジ運動をする人々が、まさにこの団体です。ある場合は、この人たちは、サタン教会を立てています。ところで、この存在を認めないので、実際に答えがあまり受けられず、未信者より答えられていません。それにもかかわらず、知らないのです。ところで、さらに恐ろしいのは、知識人であるほど知らないのです。なぜなら、これが水準が低い人々にたくさん現れる現象だから、知らないのです。しかし、必ず記憶をしなければならないことは、分かってしまえば簡単なのですが、知らなければ、皆さんの弱点を最後まで活用するのです。これを病気で話せばガンです。最後まで皆さんに食い下がってきます。ところが、知らずにいるのです。
・恐ろしいのは、神学者がまた知らないのです。この人たちは、勉強だけをしているので、霊的な部分の知恵がとうてい分からないのです。ムダン(霊媒師)より知らないから、実際にクリスチャンの牧師がムダン(霊媒師)より力がありません。そこで、1つや2つの困難がくるのではありません。これは目に見えないのですが、皆さんの家に徹底的に福音を悟れないようにするのが目的です。教会員を集めて、役員を集めて問題を出せば、全部、律法に変わってしまいます。あなたが良くして、私が良くてと言いながら、すぐ試みにあってしまうのです。
・タラッパンでは、ずっと福音を話しているので、押さえられているのですが、一般教会では問題が起きてしまいます。だから、サタンを知らないということは、ひっくり返せば聖霊を知らないということです。なぜ聖霊を強調したのかというと、悪霊の反対語であるためです。聖霊があなたがたの内におられるという言葉は、サタンがあなたがたを絶対に支配できないということです。聖霊充満を受けなさいということは、サタンが全世界を掌握しているということです。それでは、実際に重要なことは、全く認めないということになります。サタンと聖霊を認めないから、自然に天国、天使という言葉を理解できないのです。しかし、聖書にはたくさんあります。それも、どこかにあるというのではなくて、重要な所ごとに出てくるのです。私たちが見れば過ぎ行く話があり、なんとなく一度する話もあります。これを引き出して拡大をさせるのは行き過ぎです。しかし、聖書には、たくさんあるのです。たくさんあるのを話さないことは、深刻な問題になります。それで、どんな結果になるのでしょうか。私と皆さんの信仰生活が霊的なことは一つも知らずに肉体的なものだけ残っていることになります。話す、戦う、試みにあう、全部、肉体的なことです。私たちが心配する、思いわずらう、全部、肉体的なことなのです。こういう怖い結果になるのです。
・そのように、日が進むにつれて答えられていくべきなのに、日が進むにつれだめになっていくのです。そのように言わないでいたら、どうするのでしょうか。それで一般信徒は試みにあって教会に来なければ良いでしょうが、役員が来なければ目立つから、これで半分死んだようになるのです。それで教会にくれば心配になることが多いのです。新しい信者は、そのまま行ってしまえば良いでしょうが、役員は共に心配をしなければならないから、憂いの上に憂いが積もるのです。そうするうちに一つもだめになります。また、教会はいつも集まって死ぬこともなく、集まって話をし続けています。カン長老のような人は、学校の先生なのですが、学校は卒業して出て行くこともありますが、教会には卒業がありません。卒業もしなくて、いつもけんかをして話をして、この話、あの話をするのでこんがらかるのです。皆さんが本当に福音を分からないならば、教会に通いながら本当に困難にあうのです。
・母親に連れられて胎児の時から信仰している人も、みな認めるでしょう。私も幼い時から信仰生活をした者です。これが教会なのか、地獄なのか分からなくなってしまうのです。そうしておいて、食べて生きるのが難しく、教会が維持できないから、伝道する団体が出てくれば異端にしてしまうのです。それは、自分たちが維持しなければならないためです。事実は、だめだから怖くなるのです。ずっと違うように行くのです。このようになればどうなるのでしょうか。皆さんが信仰生活をしても、どんどん肉体的になります。それでは本当に肉体的なもののためのならば、必ず教会を行く必要がありません。本当に肉体的なもののためにならば、教会に行く必要がないのです。必ず病気が直るのが目的ならば、医師を訪ねて行けば良いので、何しに教会に行くのでしょうか。だから、聖書で最も重要なことをみなのがしてしまうのです。このようにして、残念なことに、年を取ると答えが一つも残っていないのです。これよりくやしいことが、どこにあるのでしょうか。あたかも、お金を思い切り儲けて詐欺に会ったのと同じです。
・釜山に、そのようなことがありました。新聞に載りました。釜山の国際市場で、おばあさん一人が一生の間、食べる物も食べずに節約して生きたのです。履き物も拾って履きました。服ももらって着ました。だから、支出は1円もないのです。これで、8億円を貯めました。すごいでしょう。子どもがいません。子どももいないのに、なぜそのように貯めたのか、とにかく貯めたのです。ところで、養子が1人いました。この人が詐欺を働いたのです。それで、おばあさんが後ほど分かったのです。「こいつは養子だけれど、詐欺をしたんだなあ。」これを知って、その翌日、自殺をしたのです。そして、財産は確かに養子のものになりました。
・だから信仰生活をこのようにすれば、どうなるのでしょうか。思い切りしてみても、何もないのです。話にならないことが、話になっているということが問題です。だから、ほとんど見れば、信仰生活を長くした人々を見れば、耐えているのです。しかし、必ずそうなのではありません。深刻な問題が来てしまえば、その時になって信仰生活をしようと神様を探す程度です。皆さんは福音を悟ってきたのですが、教会を見ればほとんど問題にやられてしまってからきたのです。怖くなって来たのです。このような形で信仰生活をすれば、福音でもなくて、教会でもない問題がくるのです。
・イエス様は、弟子たちを召された時、まず最初にこの話をされました。「わたしがあなたがを呼んだのは、悪霊を追い出す権威を与えるためです。」それでは、イエス様が失敗されたのでしょうか。3年間に、全てのことを終わらせるべきなのに、いつわり事を言われたのでしょうか。どれくらい重要だったから、この話をされたのでしょうか。私は伝道現場に行って分かりました。人々が全部サタンに陥っています。問題が生ずれば、占ったり、全部、サタンに陥るのです。イエス様は、マルコ16:15-20一番最後にも、権威の話をされました。一番初めにされた話を一番最後にまたされたのです。そして、一般信徒を見ても話されました。「わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。」これは一般信徒にされた言葉です。
・使徒パウロを知っているでしょう。使徒パウロが、伝道者として召されました。それで、多くのことをしたのですが、大きいトピックが何個かあります。宣教師として初めて派遣されたらすぐに、使徒13章を見れば、どんなことが行われたのでしょうか。魔術師に関わっていた地域と総督を生かしました。1、2回でもないのですが、では、これは簡単に越えて行ける問題でしょうか。パウロが伝道の門がふさがれて、祈った時、マケドニヤから来て下さいと言われました。これは、小さい事件ではありません。マケドニヤに行ったところ、一番最初に起きた事件は何でしょうか。占いをする悪霊につかれた女を直してしまったのです。それでは、これは普通のことではありません。
・宣教も宗教も伝道も、何の話なのか答えが出てきます。パウロがローマに行く前に、最も重要な伝道をどこでしたのでしょうか。エペソのツラノでしました。それが、まさに使徒19:8-20全部、偶像につかえる人々が立ち返ったのです。全部、悪霊に仕える人々がきたということです。私たちがサタン、聖霊、天使を認めないことは、実際に信仰生活にならないことです。これを置いて皆さんが権威の意味という重要なことを悟らなければなりません。いったい、それでは権威は、どんな意味を持っているのでしょうか。何の話なのでしょうか。ここで、私たちはのがしてはならない、いくつかの重要な前提条件があります。
・その最初が、権威は上から来るのです。能力は私がそろえることですが、権威というのは、上から委任されるのです。そうではないでしょうか。私たちが試験で資格証明を取るのではなく、上から与えられるのです。大統領がソ長老に自動車の商売をせずに、交通部長官をしなさいと言うのが権威です。上から委任されたので、誰も言うべきことがありません。ここで私たちはすべての信仰をみな見いださなければなりません。それで、蔚山の力で行うのではなくて、上の力で行うのです。信仰生活を皆さんの力で行うのではなくて、上から与えられる力で行うのです。そうしてこそ、これが解決されるのです。
・私たちの力で行うのは宗教で、上から与えられる力で行うのが福音です。宗教は人が作ったことで、福音は神様がくださったことです。宗教は訪ねて行くことで、福音は私たちにくるのです。宗教は努力することで、福音は恵みで悟るのです。このように完全に違ってしまいます。上からくださったことというのは、とても重要なことになります。皆さんが持っている不信仰が、理由があるでしょうが、全く持つ必要がないのです。私たちはどんな基準で信仰生活をすべきなのでしょうか。私の基準ではなくて、神様の基準で信仰生活をするのです。この権威をだれが回復させてくださったのでしょうか。キリストが回復させてくださいました。これが前提条件です。上から与えられたことで、キリストが回復させられたのです。
・イエス様がマタイ28:16-20に、天と地のすべての権威をわたしに与えられたと言われました。そして、コロサイ1:13には、暗闇の勢力から皆さんを救い出したと言われています。ピリピ3:21には、万物を服従させるようになる名前と言われています。それで、皆さんがイエス様の名前で祈れば、何でも答えられるということは、万物を服従させるほどの名前であるからです。この権威を誰にくださったのでしょうか。聖徒に委任されたのです。それがこの話です。すごいのです。それでは、私たちが意味を分かる前に、前提的な条件を先に知っていなければなりません。それで、本当に信仰生活をすれば、心配する必要がありません。私たちが、どのように建築をするのか心配する必要がないのです。どのように作らなければならないのか、心配する必要はありません。本当に信仰生活をすれば、心配する必要がないのです。
・神様が門を開かれるまま行けば良いのです。いろいろな話は必要なくて、門をあけられるまま、答えがくるまま行けば良いのです。神様が大きく開けば大きく行って、小さく開けば小さく行って、開かなければ行かなければ良いのです。信仰生活は他のことではありません。神様が長く生きなさいと言われたら、長く生きて、はやく行けと言われたらはやく行くのです。年齢が80才を越えてガンになれば、感づくべきなのに、死なないためにもがけば神様も困ります。人は勘が良くて、何かをすれば、ピンとこなければなりません。
・信仰生活も良くしようとするなら、勘が良くなければなりません。そうすれば、何の心配もありません。千名が釜山にきて、地下にくるのに座れるのか。ところが、私は心配をしませんでした。私はいつも言う話があったのです。「本当に神様が生きておられるのか、本当に聖霊で働かれておられるのか。」分かることではないでしょうか。そうすれば、必要なことをくださるでしょう。与えられなければ、慶尚道の言葉で、「片づけてしまえば良い」のです。私が損することが何があるのでしょうか。ところで、そんなことはありません。私たちの体質にぴったり合って、必要なことを与えられました。それも、ぴったり訓練しやすい山に与えたのです。前を見渡せば都市、後を見れば山、のぼれば海、驚くべきところが与えられました。子どもたちがきて思いきり遊んでもかまいません。交通事故も起きず、どれくらい良いでしょうか。中に入れば、空気も良いのです。だから心配をすることがありません。
・心配はしてもかまわないのですが、皆さんが心配をすれば、サタンが知って、静かに刺激します。心配をするからといって、神様がしょげることはないのですが、サタンが刺激するのです。だから、Iペテロ5:7に、あなたたちの思いわずらいを主に任せてしまいなさいと言われました。それと共に、あなたたちの敵である悪魔、これが今でも存在していて、ほえたける獅子のように、歩き回っていると言われました。そして、食い尽くすべき者を探し求めているのです。探し求めるということは、今の韓国で言えば、訪問しているということです。そんな話になるのではないでしょうか。牧師、長老と教役者が、訪問して回るように、探し求めているのです。そして、黙示2章にサタンの会衆となっています。これは、確かに組織を持っているということです。だから、インマヌエル蔚山教会の担当組織もあります。どうにか皆さんが信じることがないことを願って、どうにか集まってとんでもないことを言うように望んでいるのです。
・ところで、今、非常事態になったようです。「蔚山には、インマヌエル蔚山教会だけなければ良いのに、カン・サンモ牧師だけいなければ、キャンプもしないはずなのに。」だから、サタンがどれくらい嫌がるでしょう。サタンは、このような体質を嫌います。サタンは宗教でもなくて、福音でもなくて、これでもなくてあれでもない牧師が好きです。これは使命でもなくて、職業でもない、そのような人が好きです。だから、この祝福を聖徒に委任されたのです。ここで記憶しなければならないことがあります。もしこの権威を使えと与えられたのに、使わなければどうなるのでしょうか。例をあげてみましょう。警察に権威を与えられました。誰でも呼んで疑わしければ呼んで、調査もして、不法ならば呼ぶ権威を与えられたのです。皆さんがいくら気分が悪くても、警察が呼べば行かなければなりません。
・皆さんがいくらハンサムでも、警察が見るのに詐欺師のように見えたら、身分証を出せと言われたら、見せなければなりません。警察が通って泥棒のようならば行って身分証を見せろと言うべきです。ところが、気分が悪いと、まったくしなければどうなるのでしょうか。警察が検問もまったくせず、警察が通いながら、巡回もしない、こうすればどうなるのでしょうか。泥棒の世の中になってしまいます。私たちは、この世に生きる間に、権威を使わなければ、完全に悪魔の世の中になってしまいます。もし、これを誤って使えばどうなるのでしょうか。
・もし警察がギャンブルをする人と一緒にお金を自分のふところに入れて遊べばどうなるのでしょうか。誤って使ったのです。こうすれば、警察なのにもかかわらず、泥棒のお使いになります。弱点を捕えられるのです。皆さんがこれを誤って使えば弱点を捕えられます。だから、判事や検事が組織暴力と共に遊べば、弱点を捕えられるのです。それでは、組織暴力がそのままいるでしょうか。判事、検事と親しくして、弱点をつかんで,利用するでしょう。そうすれば、悪魔の世の中になるのではなくて、悪魔のお使いになるのです。
・この権威は、使いさえすれば、すばらしいことが行われます。やさしい話で、どんなことが行われるのでしょうか。使いさえすれば、神様が働かれるのと全く同じことが行われます。私の名前ではなく、イエスの名前で。これが権威です。この祝福を聖徒に与えると話されました。それで「わたしがあなたがたを呼んだのは、あなたがたとともにいて、また伝道もして、悪霊を追い出す権威も与えるためです。」一般信徒70人を見て、蛇とさそりを踏みつける。敵のすべての力、敵とは誰でしょうか。長老が敵なのでしょうか。執事が敵なのでしょうか。悪魔を見て言う言葉です。敵のすべての力を制御する権威を与えると言われました。だから、信徒は霊的戦いを良くしなければなりません。
・霊的なことを知らないから、霊的な戦いをせずに、肉体の戦いだけをするのです。そうすれば負けるのです。どれくらいくやしいでしょうか。だから記憶しなければなりません。誰かの名前ということは、その名前と同じことです。ナザレのイエスの名前でということは、キリストの力がそのまま現れるということです。世の中を生きるのに、保証人にならない訳には行かないのですが、皆さんが危険な保証人になってしまえばほろびてしまいます。そうでしょう。名前を書けば完全に責任を持たなければなりません。私の場合には、印鑑証明書、印鑑を互いに違う人が持っています。なぜなら、私の位置が重要なので、私がもし詐欺にあってしまえば、タラッパン全体が困るからです。それで、証明書、印鑑を互いに違う秘書が持っているのです。なぜなら、必ず使う時は一緒になって、確認して使うようにしたのです。なぜでしょうか。名を連ねてしまえば、責任を負わなければならないためです。
・ナザレのイエス・キリストの名前で、私たちが救われた神様の子どもになる権威を受けたので、ナザレのイエス・キリストの名前で、今日、皆さんが本当に心配をなくしたら、聖霊が働かれるようになっています。未信者でもなくて、信者が心配をすればどうなるのでしょうか。悪魔は、まだ死ななくて健在です。悪魔は権威だけ砕かれたので、マタイ25:41で主が再臨して来られるその日まで、あとで地獄に永遠に行くのです。
・皆さんが不信仰を捨てろということは、とても重要な言葉です。不信仰を捨てろという言葉は、医学的にも重要ですが、霊的にも重要です。なぜなら、皆さんを触れないということを知って、不信仰になるように刺激するのです。根本的に皆さんに勝てないということを知っているから、皆さんを心配させて、しばしば刺激します。だから、後ほど見て誰でも刺激するのではありません。それで、未信者のように心配して、不信仰になるようにさせます。皆さんが恐れる必要もないのに、恐れるようにさせるのです。恐れる理由がありません。
・ムダン(霊媒師)をして来た人が私に手紙を送ってきました。「まだ悪霊が現れるのに、どのようにすれば良いのですか。」答えを送りました。現れるほど良いのです。救われた人には、何の関係もありません。恐れる必要がありません。ところで、私たちが恐れをなせば刺激してきます。私は今まで一度もスリにあったことがありません。しかし、スリをよくやられる人がいます。車に乗ってうとうとしている人が、酒を飲んでふらついていると、このような人々を狙うのです。それで、スリをする人々には、技術があります。見ていて、うとうととする時、抜き出すのです。私たちのようにしっかりして通えば刺激しません。人がふらついていれば、触りながら抜き出すのです。悪魔が見ていて、ゆらゆらとすれば、きて刺激するのです。
・犬もどこにでもおしっこをしません。時々においをかいでみて、ここは大丈夫だ、良心の呵責を感じないと思えば足を上げるのです。清潔な道や、清潔な部屋ではしません。そうではないでしょうか。蠅もどこにでも集まってくるのではありません。蠅も腐ったにおいがして、汚らしいところに行くので、清潔なところをなぜ行くでしょうか。皆さんは蠅が花畑に集まっているのを見たことがありますか。ハチがごみ箱に集まっているのを見たことがありますか。蠅一匹が花に飛んで行くのを一度見ました。その蠅は、蓄膿症になった蠅です。そうでなくて、どうやって行くわけがあるでしょうか。蠅は、根本的に香りを嫌って、腐った臭いが好きなのです。
・だから、私たちが少しだけ待てば答えが来るのに、いたずらに心配をして、やられてだまされるのです。話が出たので、レムナントにお願いします。皆さんが、ものすごい祝福を持っているのにもかかわらず、うろたえるようになります。自分が何でもないようで、未信者がすごく見えるようになります。混乱して、神様が何か、いったい何か分からなくなるのです。このようにレムナントが混乱します。そうすれば、自らの規律が崩れるのです。だまされるのです。少しだけ待っていれば答えがくるということです。少しだけ気をつけて祈れば、答えがきます。私が先週にも話したでしょう。だから、私たちはこの前提条件から確実にしなければなりません。
・神様はこういう祝福、権威をすでにくださったので、祈る時に起きるのです。祈りを通して神様はご自身の権威を現わされるのです。祈れば、必ず3つの事が行われます。祈れば聖霊が働くようになっていて、それで暗闇の勢力が崩れるようになっていて、それで主の天使が動員されるようになっているのです。確実です。これが科学です。それで、祈りは霊的な科学なのです。肉体だけが科学ではありません。祈りは正確な霊的な科学です。黙示8:3-5に、信じる者の祈りを一つも地に落とさずに天に持って行くとあります。それで、祈りさえすれば、一度ももれなく必ずそのようなことが行われるのです。祈れば、必ず3つの事が行われます。聖霊が働かれます。聖霊が働かれれば、同時に天の御座の門が開いて、天の天使が動員されるようになっています。だから、同時に起きることです。
・聖霊が臨めば、光が臨めば暗闇がなくなるように、自然に皆さんを捕まえている暗闇の勢力は崩れるようになっています。これが祈りです。祈る時、神様のものすごいみわざが起きます。それで、皆さんが記憶しなければならないことは、聖書で定刻祈りをする時、どんなことが起きたのかを見て下さい。聖書にひょっとして、いつでもずっと祈りをした人を探してみてください。どんなことが起きたのでしょうか。このような時、権威が現れるのです。このような時、また権威を使えるのです。皆さんが祈りを通して権威を使うことができます。今日からしてみましょう。間違いありません。ところで、ある日、答えも正確に来ています。始めてみましょう。不信仰を置いて、神様に任せて本当に体質も変えて祈りをしましょう。それで、神様は祈る時、神様が私たちにあたえられる権威が現れるのですが、必ずそのまま、すべての現場に行かなくても現れるようになっています。この席に座っているのに、神様は同じように働かれることができます。
・それで、祈りは万能なのです。祈りは完全なのです。祈りは全てのことができるのです。全てのことができます。それで、私が今、祈りの課題である20の戦略を、全世界を置いて祈るのに、行かなくても答えがみな起きるのです。影島を置いて、初期の頃、ずっと祈ったのですが、暗闇の勢力がみな崩れてしまいました。ある日、風が吹いて、前に仏像があったのも飛んでいきました。実験してみれば、不思議に思うでしょう。皆さんが本当に病気の時ではなく、普段に、健康のために権威ある祈りを継続してみましょう。そして、本当に皆さんが神様の前に立って、重要な人々、人を敵だと思わずに、肉的にせずに祈ってみましょう。本当に正確に答えがきます。そして、回りの暗闇が皆さんを触ることができないのです。
・災いがあなたがたに近づくことができない。四方で言い張って囲まれても、窮することはなく、倒されても倒れません。だから、この重要な権威を使う時、みわざが起きたのですが、おもにいつでしょうか。伝道する時です。ここで銘記しなければならないことがあります。伝道をする時、聖霊が働くのではなくて、その時、聖霊充満が臨むのです。聖霊充満が臨めば、地の果てまで証人になります。この言葉を変えれば、皆さんが伝道をしようと本当に決心した時は、聖霊充満の働きが起きるのです。聖霊充満の働きが起きれば、力が現れます。よく見てください。この時、天使が動員されるのではなくて、この時は天の軍隊が動員されるのです。もう戦争をしているためです。
・この時に、エリヤ、エリシャには天の火の馬、火の戦車が動員されたと言われています。すごいのです。皆さんの家、皆さんの事業、長老、役員などの事業に、火の馬、火の戦車が動員されるということです。信じることを希望します。それで、教会で人間主義を使う必要もなくて、我を張る必要もなくて、すればみな損です。普通、教会に行ってみれば、人々が自分たちどうしで意地の張り合いをするのですが、そんなことをする必要がありません。だれかに認められるようにがんばろうとする、そんなことはする必要がありません。そんなことをするのは、小さい人物です。それは、霊的なことを全く知らない人々です。霊的なことを知っている人たちは、そんなことをしろと言ってもしません。答えを小さく受けることもなるのに、なぜするのでしょうか。皆さんが本当に伝道をしようと決心すれば、天の軍隊が動員されるのです。
・考えてみてください。将軍が戦場に出て行った時、軍隊を送るので、戦争にも出なかったのに、なぜ軍隊を送るでしょうか。それで、皆さんが本当に伝道をしようとすれば、聖霊充満しなければならず、それでは天の軍隊が動員されるのです。この時に、サタンの勢力が追い出されるくらいではなく、完全に縛られます。そして、悪霊は完全に追い出されます。それで、伝道に対する持続的な旗を掲げなければなりません。役員に話すつもりでうが、とても重要な祝福が私たちにあるのに、私たちが知らずにのがしているのです。生まれながら足のきかない者でした。それを運命と言います。変えられないのです。誰かの誤りでも、仕損じたのでもありません。
・ところで、足のきかない者でもお金が多ければ大丈夫ですが、乞食でした。足のきかない者だから、もの乞いするのではないのですが、この人はもの乞いすることにしたのです。ひとまず適切な職業を選択したのです。それでも、運命が変わるのではありません。ところで、見たら「毎日」となっています。その人は、勤勉だということです。神殿の美しの門に座っていたと言われています。それは、良い場所を取ったということになります。ひとまず、食堂も良い場所を取らなければならず、お餅を売るにしても良い場所を取らなければなりません。この足のきかない者は、良い場所を取って神殿の美しの門にいたのです。人々が祈りにくる時は、心がけが少し違うようにしてきます。この時、お金をもらうのです。かと言って、運命が変わるのではありません。ところで、もしこの人がものすごいお金を集めたとしても乞食です。この人がそれをして家を何軒買ったとしても、足のきかない者です。
・さらに重要なのは、この人は足が使えないのではありません。この人は、霊的に完全に縛られた人です。正確に見たのです。「ペテロがヨハネとともに足のきかない者を注目して」その後に何と言ったでしょうか。起きろとは言いませんでした。「私たちを見なさい。私を見なさい」ペテロとヨハネと足のきかない者の目が会ったのです。これがどれくらい重要でしょうか。金銀は私にはない。本当にコインが一個もなかったのでしょうか。金銀は私にはない。私にあるものをあなたにあげよう。そして、ナザレのキリストの名前で起きて歩きなさい。この時、この人の運命が変わるのです。
・ここで、3つの奉仕が出てきます。足のきかない者をいつも連れていく人も重要です。肉体の奉仕です。この人にコインを投げかけるのも重要です。物質の奉仕です。しかし、運命は変えられません。「私にあるものをあなたにあげよう。イエスの名前で起きて歩きなさい。」この人の根本、創世記3章に縛られているのを解いてしまったのです。起きないでも、事実は問題になる必要はありません。この人の霊的状態を完全に変えてしまったのです。パリサイ人が知らないでいるナザレのイエスの名前で、誰も立てることができないが、ナザレのイエスの名前で。起きて歩きなさいと言いました。さらに驚くことは、ペテロが地球上に初めて出した言葉です。
・蔚山に私たちのタラッパンをするメンバーと牧師がいるのですが、この方たちが蔚山地域に、個人的に初めて福音を正確に伝える人々です。蔚山の地ができて、初めてこの教会がキャンプを継続しています。この初めてという言葉がとても重要なのです。開始ということです。ペテロが初めて話しました。蔚山ができて初めて、全国、世界の使命者が見物にきます。これが祝福サインです。すごい何かがあるのではありません。建物を見て、何をするのでしょうか。明らかです。そうですが、それが祝福の兆しなのです。
・35坪の地下にいた時でした。米国である人が私を訪ねてきたというので、行ってみました。どこにいるのかと聞かれたので、地下にいると言ったら待っていると言われたので、行きました。米国から来られた牧師がおられました。伝道に対して知りたくて来たことをずっと話をしてくださいました。その方が言うのに、礼拝堂の本堂はどこかと言われました。本堂はここだと言ったところ、衝撃を受けて、ここが本堂かと再度、尋ねたのでした。すごく失望した顔でした。うわべを見たのです。「こういう所から何が…」こういうことです。そして、その方は結局、いいかげんにして行きました。見間違えたのです。35坪の地下にいたのですが、私たちはすでに数千ヶ所組織を敷いて伝道運動を始めていました。それで、釜山で人々が集まり始めたのです。それが釜山ができて初めてだったのです。だから、釜山影島区庁長が「牧師先生、先生の教会のために私たちの町が世界的な町になりました。」と言いました。それが祝福のサインです。
・伝道をどのようにするのか、キャンプをどのようにするのか、蔚山に行ってみようと言います。地球ができて初めての出来事です。いつこの蔚山でそのようなことがあったでしょうか。蔚山に現代がなければ、町の取り扱いもされないでしょう。影島、そこに何をしに行くでしょうか。福音が伝えられるから、うわさを聞いて世界のエリートが集まり始めたのです。どれくらい大きい祝福のサインなのでしょうか。奉仕の中で本当に奉仕が何でしょうか。キリストの権威で、彼らの運命をひっくり返す奉仕です。今日、皆さんにこの祝福が回復されるように願います。
・私が分かっていることでは、これより重要なことはありません。それで、これを知って、今からは皆さんが実際に一度してみましょう。定刻祈りです。実際に時間を定めてしてみましょう。正確に何時かを決める必要もありません。そのまま良い時間にしましょう。良い時間にしていれば、とても時間に追われるならばできない時もあるでしょう。幸いに、私は少しやさしいのです。私はメッセージがいつもあるので、祈らないとだめです。今日の場合も、ご飯を食べて、はやく祈りながら準備しなければなりません。ある面では、皆さんがさらに時間は多いのですが、するのが難しいこともあります。しかし、ある日、答えが来始めて、味わえば良くなるのです。皆さんが一番良い時間を作って神様の前で、他のことをせずに、インマヌエルの祝福を味わってみましょう。神様が私と共におられることを味わいましょう。他のことではなく、個人的に力を得なければなりません。
・今日から必ず捜し出しましょう。聖霊充満の方法。皆さんの立場に合った通り、聖霊の充満を見つけましょう。私の場合は、定刻、常時をするのですが、皆さんの立場に合うようにしてください。重要な役員や男性の執事が、仕事もせずに徹夜祈りをしに通えば、神様が嫌われます。学生は勉強をがんばるべきで、朝の祈りをしなくても良いのです。勉強もしなくて朝の祈りすれば、神様の血圧を上げることです。自分の立場に合うことをしなさいということです。捜し出しましょう。すると、ある学生が「私は一年に一度だけします。」と言いました。それも定刻祈りです。
・今から皆さんに最も良い時間、明け方の時間が最も良いでしょう。早く起きて、神様の前に祈りも、運動も、考えもしてみましょう。この時、必ず祈りの課題に内容を入れましょう。不思議に思えるほど答えがきます。皆さん事業の場所に聖霊が働いてくださいと祈って、主の天使を派遣してくださいと、暗闇がくずれるようにしてくださいと祈ってみましょう。これを定刻祈りの時ごとにしてみましょう。その時、権威を使うのです。このようにするならば、本物がきます。答えがくるのです。答えがくれば、その時からはやさしいのです。答えがくれば、その時からは祈りの課題を作ることもやさしいのです。20の伝道戦略も、仕損じて出てきたのではなく、答えを受けて出たのです。皆さんに小さい答えから祈りの課題も方向もみな出てくるのです。それ捕まえて継続するのです。私の場合は、皆さんと違うから、深い定刻祈りを一日に三回ずつします。私はしなくてはいけない立場ですが、皆さんはそこまでしなくても、少しだけ時間内で祈れば、答えが本当にきます。
・さらに重要なのは皆さんが、心の底から行く所ごとにこの答えが来るのです。この祈りを正しくしなくても、皆さんが答えを受ける道があります。皆さんの考えと体質が完全福音になれば、祈りはそんなにしなくても答えはずっときます。結局は、定刻祈りをするということは、体質を変えることなのです。神様を変えるのではなく、私の体質を変えるのです。このようになったら、皆さんは暗闇の勢力を追い出すのではなく、行ってしまいます。福音が完全だから、完全福音をしっかりと捕まえれば良いのです。ここで注意することは一つしかありません。一般信徒は、過去に自分の傷や、こういうものために完全福音に行けないで、教会にきて試みにあいます。試みにあう必要がありません。だから、祈りだけすれば、神様の子どもであるために、行く所ごとに働きが起きます。
・ここで、私たちの役員が考えなければならないことがあります。役員は、教会が仕事に負担を感じることがあります。しないわけにもいかないので、プレッシャーになることがあります。それらは完全に祝福で福音に変えてしまいましょう。その時から大きい答えの門が開かれるでしょう。そして、教役者がいます。皆さんも知らない間にこれが職業になります。ここで多くのことをのがすようになるのです。職業でなく、神様の前ですれば、すばらしい働きが起きるでしょう。小さいことなのに、答えが見えなくなるのです。
・今日、この時間に皆さんに聖霊充満の働き、すべての所に起きるようになることを希望します。今日、皆さんはここに座っていますが、神様は天の軍隊と主の天使を全地域に派遣されるようになります。皆さんを難しくさせている暗闇の勢力は、完全に崩れるようになることをイエスの御名でお祈りします。これが権威です。この力と権威で勝利するようになることをイエスの御名で祝福します。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。私たちに重要な祝福を分かるようにしてくださったことをありがとうございます。瞬間、瞬間、今からこの祝福を味わうようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン