2007年4月15日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/復活以後新しく始まった教会
(使徒2:4〜8)

・復活以後新しく始まった教会です。聖書を見れば、また教会史に見れば、答えられた人の特徴があります。どの場合にも試みにあったり、気落ちをしたりしませんでした。ところで、試みによくあう人がいます。他人の話を聞いて試みにあって、誤解するのが上手な人がいます。自由ですが、答えは受けられません。見れば、時々「ある長老がさびしがっています」こういう人々が多いのです。さびしいことが何があるでしょうか。それで悪魔の中で第一レベルが高い悪魔がさびしがらせる悪魔です。なぜなら、ひとまず理性を失わせるからです。それで、これが病気より怖いのです。初代教会は、五つのほとんど死と同じ困難にあいました。その最初が宗教的なものでした。宗教的な迫害がきたのです。社会法よりさらに怖いのが宗教法です。
・500何年ぶりにコペルニクスという人は宗教法から解放されました。初代教会を異端の宗教にしてしまったのです。いつでも伝道運動をしたり、福音運動をすれば、そのような寃罪を受けるようになります。このように、宗教的に圧迫されるのに、その時の社会は私たちのようではなくて、ほとんど死と同じです。国家自体の国教がユダヤ教であったためです。それで異端と言われたら、何もできません。そして、二番目に迫ってきたのが政治的な迫害でした。政治家たちはおもに、昔も今も、真理より世論に神経を多く使います。世論がどこへ行くのかによって決定をするのです。独裁者であるほど、世論を重要視します。初代教会が世論が異端だとされたので、政治的に圧迫し始めたのです。そこに法的に禁止しました。それが三番目に迫ってきた困難でした。マルコのタラッパンに集まってはならないと、法で定めてしまったのです。ずっと行ったり、伝道をすれば拘束しました。もし再犯した場合には、死刑することになっていました。もし海外でキリストを伝えた場合には、拘束令状もなく、すぐその場で殺すようにしたのです。このように圧迫を加えました。
・そうしたら、四番目に迫ってきたのが、経済的な問題でした。みな断絶されて、どのように生きることができるでしょうか。それと共にきたのが何かというと、外国に行っても暮らせません。他の国に行っても連結されていて、無視されて就職もできなくて困難を受けたのです。初代教会が受けた五つの大きい困難です。それで、もし言い訳をよくする人なら、とうていできないのです。試みによくあう体質ならば、どのようにここで耐え抜けるでしょうか。しかし、福音の力を誰も防ぐことはできませんでした。福音とは何でしょうか。ある人々がずっと聞いたのに、福音が何かと尋ねる人がいます。福音の内容を言おうとするなら、3つで話ができます。メシヤを通した神様の力を知ることです。それが旧約時代でした。イエスが十字架にかかって、復活されて、キリストの働きを成就されました。その事実を知るのが福音です。その次に、キリストを分かる者に聖霊で働かれるようになっています。キリストの御名で聖霊が働かれるようになっているのです。だから、その力はどれくらい大きいでしょうか。この3つのことを分かることが、福音を分かることです。いくら迫害されても大丈夫です。
・今日、インマヌエルの家族と全世界メンバーが、考えを完全に変えることを希望します。なぜそのような状況だったのでしょうか。何を説明するのでしょうか。どの場合も福音に勝てません。ほとんど死がみなきたのに勝つことができなかったということです。だから、皆さんが今の状況がいくら難しくても、今より難しくはありません。言い訳になることがありません。皆さんがいくら貧しくても、初代教会より貧しくはありません。皆さんが私は「なぜこうなのだろうか?」と思うでしょうが、ヨセフぐらい困難にあったことはないでしょう。初代教会は難しいことが全部合わさったのに勝ち抜きました。それが福音の力です。初代教会は、どのように福音の力を体験したのでしょうか。皆さんも本当に答えを受けられるのでしょうか。
・今日、私たちの問題を解決して勝利することができるでしょうか。聖書をそのまま見れば良いのです。最初です。初代教会は確信を持っていました。キリストは復活して、今でも私たちと共におられるだけでなく、すべての暗やみをうち砕かれました。だから、これから勝てるのです。今は難しいようでも勝てるのです。それで勝つのです。証拠があります。ここに対する確信があります。何の確信なのでしょうか。キリストの十字架で勝利されて、すべての罪と呪い、災いは終わったのです。前は悪魔の子どもだったのですが、今は神様の子どもです。前は私たちの背景が地獄だったのに、今は天国が背景です。それで、皆さんが目に見えなく、皆さんが動く所ごとに主の天使が付いて回るのは天国の背景です。皆さんが地獄が背景になれば、サタンがいつも付いて回ります。ここに対する確信があったのです。
・ある子どもが大きな家の前でボール遊びをして、その家の大きいガラスを割ってしまいました。大変なことになったのです。それで、この子がぶるぶる震えていたので、主人がきてこの子がとても恐れていたので、赦してやりました。そして、ガラスを新しいものにしたのです。それでも、この子がしばしばきて「おじさん、本当に許して下さったのですか?」と尋ねるのです。初めに見たら、良い子だと思って、赦したから心配しないでと言いました。次の日にまたきて「本当に赦してくれるのですか?」と尋ねました。主人が少し気持ちが変でしたが、その子が良い子のようなので、心配しないでと言いました。またその翌日にきて「本当に赦してくださるのですか?」と尋ねました。その時は、主人の考えが違うようになりました。「この子は少し足りない子だな」それで、語り口はあまり良くなりません。「赦したから、来ないで。」赦されて、みな終わったということです。その翌日、またきて「おじさん、本当に赦してくれるのですか?」と尋ねました。しかたなく、殴られないとなりません。主人が忙しいのに、しばしば来て、そのように言われたら、どうでしょうか。
・かなり以前から約束をしてキリストを送って、皆さんの呪いをみな終わらせたと言われたのに、ずっと縛られていれば殴られるのです。その殴られるのは、罰を受けるのではなくて、しっかりしろということです。主人が赦したと言われたのに、しばしば来て、そのようにしてみなさい。神様が私たちのすべての暗やみをうち砕かれて、みなキリストで終えたのに、しばしば私たちは陥るのです。だから殴られるしかありません。そうではないでしょうか。このように信仰生活をする人がとても多いのです。初代教会は確信がありました。ある金持ちの家に貧しい子どもが仕事をしていました。その家を見たら、金持ちの家なのに色々な働き人が多くいました。ところで、この子は清掃をして、店番をする子でした。主人がものすごく大切にるす物の中に、とても高い骨董品があったのですが、それを清掃していて割ってしまったのです。自分も知らない間にそれを紙に包んで、裏の垣根に埋めてしまいました。このようにしたので、ずっと嘘をつくようになったのです。主人が尋ねた時、知らないと言いました。当然、自分がそれを土に埋めたので、知らないと言わなければなりません。だから、主人が警察署に申告しました。だから、いつ見つけられるかもしれないので、不安になり始めたのです。警察はきて、あれこれ捜査もして、必ず捜し出すと話をするので、さらに怖くなりました。警察が自分をちらっと見るだけでも怖くなることさえしました。それで、その時から悩んで、食欲もなく、仕事も良くできませんでした。主人がきて自分を見ただけでも、疑うようで、怖くなったのです。
・そのようなある日でした。家政婦の中に悪い家政婦が1人いたのです。昼間にその家政婦が呼びました。それで行ったところ、雑用をさせられました。それで店番をしなければならないから、できないと言いました。家政婦がしなければならないことをみなさせるのでした。それで、できないと言いました。すると、その家政婦が、あなたが骨董品を割って埋めるのを見たと言って、主人に話すと言ったのです。それで、この時からはさらに苦しくなったのです。だからしもべのしもべになったのです。私たちも下手すると、サタンのしもべになるのです。あまりに荷が重くて、今は最悪の境遇でした。主人が見ても大変で、仕事をするのにも大変で、家政婦は困らせるので生きた心地がしなかったのです。この子が死ぬことを覚悟しました。自殺をするのではなくて、死んでも良いという覚悟をして主人を訪ねて行きました。それで、自分が失敗して割ってしまったが、とても怖くなって嘘をついたと話をしました。ところで、主人がその話を聞いて大騒ぎをすると思ったのに、笑っていたのです。主人が笑いながら言うのに、自分は感づいていたが、その子がいつ話すのか待っていたということでした。すでに割れたのであるから心配はしないでと言いました。わざわざしようとしたのではなくて、失敗して割れたのだから心配せずに忘れてしまいなさいと言ったのです。それと共にお小遣を与えながら、今日一日、休みなさいと言いました。お小遣までもらって、その日、その子は楽しく使いました。その翌日、店に座っていたら、家政婦がまた呼んだのです。行きませんでした。すると、家政婦が目をむいてすごみながら来いと言いました。行けないと言ったら、主人に言うと言いました。それで言ったら良いと言ったのです。
・完全に解放されたのです。私たちはすでに暗やみの勢力から、完全に解放されたのに、しばしば陥るのです。この事実を初代教会が分かりました。力が強大なのです。二番目は何でしょうか。重要な約束を捕まえました。しばらくしたら、聖霊でバプテスマを受けるだろう。旧約時代は、みことばでなさった時代で、新約時代はキリストが成就され、それ以後は聖霊で働かれる時代ではないでしょうか。心配せずに約束されたことを待ちなさい。聖霊充満を受ければ力が与えられ、証人になり、世界を生かすほど証人になります。この約束を捕まえたのです。ところで、実際にその約束で祈っていたら、力が現れたのです。皆さん少しだけ聖霊充満を祈れば、力が現れます。体験が来なくても大丈夫で、きても大丈夫です。皆さんが実際に聖霊充満を祈れば、確かにみわざが起きます。どんなみわざが起きるのでしょうか。聖書に風のような、火のようなみわざが起きると言われています。これは何の話なのでしょうか。風のような火のような働きということは、人が防止できない働きということです。人が思いのままにできない働きです。皆さんは風を分かるでしょうか。この前、松都で風が吹いて全部みな飛んで行きました。松都で橋を渡っていくと、ある建物があったのですが、その建物を借りてレムナント文化会館にしようかと思って行ってみたところ、それが飛んでいったのです。風は、どれほど力が強いのか建物も飛ばしてしまいます。
・私が幼い時、6.25(朝鮮戦争)以後に台風が来て、風が吹いて屋根がみな飛んで行ってしまいました。今のように、こういう家ではないから、風が吹くと屋根がみな飛んで行ったのです。これくらい風の力は怖いのです。火のような働き、火の体験をしてみてこそ分かることです。皆さんは火事の見物だけしたことがあるでしょうが、体験してみたことはないでしょう。私が4才の時、火の中で三時間を這って出たことがあります。母の手を握って共に這いました。昔には屋根が隣どうし続いていたので、上から火がついたら、下を這って出て行かなければなりませんでした。ところで奇跡のようなことです。おとなだけ何百人が死にました。その時、馬も歩き回ったので、馬に踏まれて死んだりもして、大人たちが出てきて死ぬこともありました。ところが、4才だったのですが、死なずに這って出たのです。何の考えもできず、一つの考えだけでした。死にそうだという考えだけしていました。思わず生きるべきだという考えだけしていました。それで、死ぬほど母の手を握って這って出たのです。それで、私は火が恐ろしいと確かに体験しました。
・米軍部隊からガソリンが流れ出て、溝の上を流れていたのです。道を通り過ぎた青年2人が、ガソリンを見て、お互いに揮発油だ、違うと、互いにもめたのです。染色物であって、あれがどのようにガソリンかと言ったのでした。すると1人が、自分もガソリンのようではないと思うから、マッチを付けてみれば分かると言いながらマッチを付けたのです。昔には、ふたもなかったために流れている所に投げたのでした。そのマッチの火がさっとついたのです。火がついて、ガソリンが流れる所が全部火に変わって覆ってしまったのでした。ところで、ガソリンが出てくる穴に火が入って爆発してしまったのです。そのようにして、私の町自体を覆ってしまったのでした。だから生きることができなかったのです。道を通り過ぎていた人も火に覆われて死にました。だから火というのは、よく使えばエネルギーですが、とても危険なのです。風のような火のようなみわざが起きたということは、人が防止できない働きが起きるということです。本当に何の気落ちもせず、祈ってみてください。初代教会はこの約束を捕まえたのです。
・また一つ重要な三番目のことがあります。初代教会は神様の新しい契約を捕まえました。聖霊充満を受けて、そのままよく食べて寝て生きるのではなくて、神様の新しい契約があるのです。ヘブル4:16に、恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。おりにかなった助けとは何でしょうか。昨日受けた恵みと、今日受ける恵みは違います。皆さんが今週に受ける祝福は違うのです。それで、恵みの御座の前に大胆に進むのです。初代教会が神様の新しい計画であることを分かったので、それを捕まえたのです。間違いありません。皆さんが困難がくるようでも、確かに神様の計画があります。初代教会は困難が問題になりませんでした。なぜかというと、神様の新しい計画を分かっていたためです。最初は確信を持っていて、二番目は聖霊の力を体験して、三番目は神様の確実な新しい計画を分かっているから揺れる理由がなかったのです。今でも同じです。そして、今日でもこれから礼拝をささげに来る時も、新しい恵みがあるということを分からなければなりません。詩編100:4には、感謝しつつ主の大庭に入ると言われています。今日、皆さんが礼拝をささげにくる時ごとに、みことばを聞く時ごとに、王宮に入るようにしましょう。王が位を与えると王宮に呼ばれるのに、どれくらいうれしいでしょうか。そのような気持ちで来ましょう。
・皆さんが教会にくるのに行きたくないという考えでくればどうなるでしょうか。そのような人が多いのです。聖書もやっと探して、ホコリが積もったものをはたいてくるのです。行く時も多いのです。ある人は友人らが遊びに行こうと言います。礼拝をささげにくる時、ある人は長い間、信じる人が来ないはずもないと思われるので、来る人もいます。また、ある人は一度抜ければ女伝道師が訪ねて来るので、来ます。私たちの教会はこういう人が1人もいないのですが、ある教会は行ってみれば教会で寝ている人もいます。ある人は礼拝時間に新聞を見る人もいます。多分、そのような人々は奥さんに従って無理に来た人々でしょう。礼拝時間がとても重要なのに、のがしやすいのです。宮中に入るように、時にかなった助けの恵みを得るために、大胆に御座の前に進むのです。初代教会は、皆さんが知っているように七つの力がありました。マルコのタラッパンで五つの力が現れたのです。人が防止できないみわざが起きました。その時から門が開き始めたのです。人がいくら閉じておいた門でも、神様が働かれるならば開かれます。その時から、前は知らずにいたのですが、神様のみことばが成就しました。私は神様のみことばが成就することをとてもたくさん体験しました。
・神様は、伝道することを重要にご覧になるようです。私が初めに説教をした後に、私の説教を聞いて誤解した人々が多いのです。なぜなら、私は知らずにそのまま説教をしたのですが、長老が誤解をしました。「柳牧師があのように説教をするのを見ると、私たちの牧師が言い聞かしたんだなあ、どのようにあの人が細かく知っているのか。」このように誤解をしたのですが、牧師もあきれたということです。長老が誤解をしているので、牧師が行って長老に話をしたのです。「そうではない。本当に伝道者ではないのか、私がなぜそのような話をするのか。」すると、長老が自分が誤解をしているのではなくて、あのように細かく知っているのは、誰かが話したから分かるのだろうと言ったのだそうです。そのような時が多くありました。神様のみことばが成就するということは何の話なのか、私は知らずにしたのに、そのような場合が多くあったのです。昔には、連合で集会をする時、私が講師でたくさん推薦されました。
・私はチョ・ジュンサン牧師をまだ尊敬しているのですが、その方が前の時間に講義をして、私がその次に講義をしたのです。その方が講義をしておいて、私の講義を聞こうと座っていました。私はその方が、何の講義を前の時間したのかも知りませんでした。そして、私は講義をしたのです。「皆さん伝道は簡単なことです。そのままイエス様だけ伝えれば良いので、それで終わりです。難しく思うこともない。メッセージもそのまま福音を説明すれば良いのです。」その場に牧師がたくさん集まっていたので、牧師にする原理的な話をして、説教はキリストだけ説明すれば良いのだ、神様が何を希望されるのか、私たちはお手伝いだけすれば良いのです。その時、しばらく説教に演繹法、帰納法のようなものがたくさん出ていました。それで、私が演繹法、帰納法、全部やめてみことばだけ伝えれば良いと言ったのです。そうしたら、前の講義が帰納法的説教方法だったのです。その方がどれくらい驚くでしょうか。前の時間に帰納法の聖書研究方法を説明したのに、二番目講師が帰納法のようなものはみないらないという話が出たということです。私は本当に聞いたのではありせんでした。ところで、こういう場合が本当に多いのです。私は本当に聞いたことがないのに、こういう場合が本当に多いのです。
・一度は、スヨンロ教会でそのようにしました。私はスヨンロ教会も知らずに説教をしながら話をしたのです。Iコリント1:18-31を読んで説明をしました。神様が弱い者を用いて強い者を恥ずかしくされました。それはこの力が神様にあって、人にない。それと共に私がこういう話をしたのです。「私はソウル大学を出なかった。私はハーバード大学を出なかった、もし私がハーバード大学を出たらどうなるだろうか。私がもしソウル大学を出てハーバード大学を出たらどうなっただろうか。それでは、確かに皆さんがやはりハーバードは違う、やはりソウル大出身は違うと言ったでしょう。私は幸いに、出なかったので、話だけすれば福音の力がすごいということではないのか。」このように説明をしたら、不思議に信徒が笑ったのです。知ったところ、その前の週にジョン・ピルド牧師が、自分がソウル大を出たことを、とても自慢していたのでした。私は変にこのような時が多いのです。ところで、一つ感じたことがあります。
・皆さんも私も知らずにいるからであって、神様がみことばで私たちをずっと成就させておられるのです。聖霊の力を体験したら、それが見え始めます。前は伝道をどのようにするのかと思ったのですが、弟子に会い始めました。この力を受けて神様の答えを受ける前には、教会と現場がとても違っていたのですが、もうこれが同じになるのです。前に私が教会生活と学校生活がとても違っていたのですが、これがみわざが起きるのです。それと共に世界宣教をする力ができました。それと共に全世界共同体を成し遂げ始めたのです。これが初代教会が受けた恵みです。これを約束を捕まえてすでに知っていたのです。皆さんが今日、復活以後に新しく始まった教会の祝福を一人ももれなく回復するように願います。
・それでは、いくつかのことを整理しなければなりません。皆さんは質問が多いでしょう。「私は貧しいが、どのようにするのか」ある信徒を見たら、本当に貧しく暮らしていました。それで、私は昔に信徒の家に訪問に行ったら、考えが違うようになりました。どんな気がしたのかというと、私はお金の話をしてはならないように思う気がしたのです。このように難しい人々が、お金の話をすればどうなるだろうか。それで、多分、私がインマヌエルに入る前まではほとんどの話をしなかったでしょう。昨年になって、こういう気がしたのです。「これは私の考えで、信徒が祝福を受けるように手助けすべきで、これは私の同情心でするのではない」それで、昨年からこの話をし始めたのです。その以前にはほとんどの話ができなかったのです。ところで、初代教会はそんなに貧しかったのですが、どのように世界福音化をしたのでしょうか。伝道宣教のための神様の隠れた経済は別にあるのです。
・ある日、私は悟りました。神様が途方もなく備えられたのに、私が正しい福音を捕まえて献金するのは、神様の祝福を決済してもらう瞬間です。私はそのように悟ったのです。神様が祝福をものすごく備えられたのですが、決済すべきではないでしょうか。神様がものすごい祝福を備えられたので、サインをすべきではないでしょうか。まさに、それが福音にあって献金する瞬間です。そのように悟りました。それを悟っただけですが、神様が私たちのタラッパンに世界で一番で安定した経済の祝福を与えられました。心配することもありません。
・私は問題が多いのですが、問題がきた時どのようにするでしょうか。初代教会とレムナント七人を見て下さい。問題に会った時は、いつでも大きい答えが備えられていました。また反対に、大きい答えがある時は少し問題も来ます。なぜ来るのでしょうか。人も区分しなければならないからです。うつわ準備もしなければならないからです。足りないことは満たさなければなりません。大きい答えを置いては問題もきたりもするのです。それで、ヤコブ1:1-5に色々な試みに会ったら喜びなさいと言われています。試みがきたら、耐えると言うのに、どのように喜べるのでしょうか。その後を見れば説明が出てきます。神様が足りないことがないように満たされるためです。それでは、私たちが今日、最後に祈りをすべきですが、どのように祈りをすれば良いでしょうか。皆さんが初代教会のように祈りの答えを受けようとするなら、いつくかのことを参考にしなければなりません。皆さんが祈りの答えを受けなければならないのではないでしょうか。それでは、いくつかのことを参考にしなければなりません。
・私たちは、あなたがたくさん努力をしなさい、がんばれと学んで教えます。正しいのですが、それは限界がきます。ところでまたこのようにおもに考えています。普通の人は、私がこれをしようとするので、神様の力が必要だ。それで私が作っておいて祈るのです。それではありません。私たちは普通そのようにします。私がこれをしようとするので、神様の答えが必要だから祈りをするのです。信仰が良いように見られるのですが、それではありません。皆さんが本当にずっと答えを受けようとするなら、神様の恵みから先に受けなければなりません。インマヌエルから先にならなければならないのです。そうです。その後に来る答えが本物です。それでは、皆さんは力が抜けないでずっと世界福音化ができます。この部分がとても重要です。だから、順序を変えなければなりません。これをするために祈るのではなくて、祈りをすればこれが出てくるのです。これが祈りの答えを受けるとても重要な部分です。
・特にレムナントは記憶しなければなりません。皆さんがインマヌエルの祝福をいつも味わっていれば、その後にずっとみわざが起きます。もし私たちが献身礼拝の時、ダビデ王を呼べば何と証しするでしょうか。私はまちがいなく何を証しするのか知っています。ダビデ王が最後にソロモンにした話が何でしょうか。「あなたは努力して、男らしくなれ」それと共にした話があります。主にをよく仕えなさいと言いました。詩篇81に主を見上げると言いました。これが重要な祈りです。私たちはしきりに作っておいて、しようとするのです。この順序を変えてしまえば、すばらしいみわざが起きます。皆さんが問題があれば、問題は置いておいて祈りからしましょう。皆さんの道がまっ暗だから、まっ暗な道をどんどん行こうとせずに、置いておいて祈りからしてみましょう。皆さんに混乱がきたら、混乱を捕まえて解決をしようとせずに、置いておいて祈って恵みから受けましょう。ただ聖霊があなたがたに臨めば力を受けると言われました。それでは何の計画もないということでしょうか。それが二番目です。
・祈りの二番目です。神様の計画が確実な時、この時は挑戦するのです。それが祈りです。神様の計画が明らかなら、ここで良いレムナントが動いて訓練を受ける場所を作らなければならない、神様の明らかなこと。RUTCを作って、世界の子どもたちを生かさなければならない。それでは挑戦するのです。その時から、答えの門が開かれます。最後に記憶しなければならないことがあります。皆さんの今の状況、年齢、皆さんの時期にしたがって祈りが違わなければなりません。初代教会はどうだったのでしょうか。死ぬ危機の時、この時と考えて本格的に祈ったのですが、みわざが起きました。もし皆さんに健康の問題がくれば、本格的にずっと祈るのです。違わなければなりません。もし皆さんに危機がくれば、本格的に断食しながら祈ることができるのです。皆さんが時期に合う、職分に合う、私に合う祈りをしなければなりません。初代教会が祈りに専念したというこの言葉が重要な言葉です。私たちが食堂を行ったり、喫茶店に行けば、話を静かにしなければなりません。喫茶店に行って、町中にみな聞こえるように話して、大声で叫べば、その人は少し足りない人です。重要なお客さんに会って、喫茶店で話す人が相手にだけわかるようにすれば良いのに、騒々しく騒いではいけません。
・私は昔に、おかしな信徒に1人会ってひどい目にあいました。喫茶店で話をするのに、私に祈ってくださいと言ったのです。私は内心、恥ずかしかったのですが、祈りをしてくださいと言われるので、どうするでしょう。それで、私があらまし回りを見て、あらまし祈りました。そうしたところ、次は自分がすると言ったのです。私が大変そうだったのですが、してくださいと言いました。35分するのに、私は時計を何度も見たのです。35分、大声で叫びながらしました。喫茶店のテーブルに唾をかけながらしました。私が目を開いて、恥ずかしくて回りを見たのです。私が内心、祈りをはやく終わるようにしてくださいと祈りをしていたのでした。そのようなところで、このようにすれば恥ずかしいので、人は勘が良くなければなりません。伝道もしようとするなら、素晴らしくすべきで、喫茶店にいたら、静かに話をしなければならないのではないでしょうか。火事が起こったり、私が水に落ちた。このような時は、私があるかぎり大きい声を出さなければなりません。水に溺れ死ぬ人が「私が騒々しくしても良いのか。」あるかぎりみな怒鳴るべきなのに、低いベーストーンで「助けて。」と言えば、どのように生き返るでしょうか。そのような時は、大声で叫ばなければならないのではないでしょうか。祈りも同じです。私たちが急に悪化する時は緊急にするのです。私が死ぬことがくれば、恐れずに本格的に祈りをするのです。大変なことに会えば、大きい祈りをするのです。そうではないでしょうか。
・初代教会がいのちをかけて祈ったのですが、このみわざが起きました。神様が皆さんにくださる答えは明らかです。証拠です。聖書に記録された証拠が、今、歴史が証明しています。福音なければ皆死ぬようになります。私は今回、英国に行ってきました。とても深刻です。英国には教会が工事している真っ最中なので、何かと思ったのですが、中の内部工事をしていたのですが、英国は建物の外は直せないようになっています。それがヨーロッパの特徴です。建物の外はそのまま置いておかなければならないのです。それがヨーロッパの法です。それで外を修理するのは大丈夫ですが、形はそのまま置いておかなければなりません。それだけ伝統を持っているということです。それで、昔の教会堂の姿がそのままあるのです。ところで、中は全部、酒場でした。売れるためです。形は変えられないようになっているので、形は教会なのに、中にはストリップショーなどさえあり、いろいろなことをしていたのです。このような形で何百箇所が門を閉めました。
・いよいよイスラムに教会をみな奪われています。そんなに発展した英国がそうなのです。福音という力を人々は知らずにいるので、これがなくなれば大変なことになるのです。皆さんが福音を始めるということを知らずにするからであって、これは重ね重ね皆さんの子孫一万代にみわざが起きるのです。今日、信仰でこの祝福を完全に回復するようになることをイエス様の御名でお祈りします。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝します。今日、新しい力を得る日になるようにさせて下さい。新しい祈りが始まるようにさせて下さい。正しい祈りが始まる答えの日になるようにさせて下さい。復活以後に新しく始まった教会の祝福を私たち全教会が味わうようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


<福音手紙2回目の出会い>
2部/なぜ人間は神様に会うことができないのか?
(使徒4:12)

・インマヌエル・ソウル教会のある学生がこういうe-mailを送ってきました。良い内容だから名前を明らかにできます。ソウル大学校の朴ボンソという学生です。e-mailの内容はこういう内容でした。私はこのように伝道をしていました。またこのように祈っていました。タラッパンもこのようにしていました。ところが、この頃はしたくないのです。していません。理由は、これが私自身のためのものではないかと思うからだということです。私が伝道すればうれしくて、何か見えることのためにするのではないだろうか。それでは、これが偶像でないか。それで、この頃はしないのです。私はそれを読みながら、やはりソウル大学の学生らしいと思いました。その程度の頭になってこそ世の中を生きることができます。この話をする理由は、世の中の人々は無条件によく信じれば良いと思っているためです。話も考えもなく、そのままします。そして、行動もとことん行ってしまうのです。何の考えもありません。これが正しいのか、間違っているのかも知りません。この程度は質問すべきです。ひとまず、この学生のIQは135を越えていると思いました。私たちが福音を聞くのにも知恵があって分析できなければなりません。皆さんは皆さんの人生を見ながら、これで良いのかという、その程度IQはなければなりません。その程度になってこそ、希望があるので、そうではなくてはだめです。
・私たちの人間になぜ幸せがないのでしょうか? そのような意味で質問をしたのです。神様に会うことができなくないためです。今日、二回目の出会いは、なぜ人間は神様に会うことができないかです。反対で言うと、どのようにすれば会うのかということです。人間はなぜ神様に会うことができないのでしょうか? 会えないのです。それで、皆さんが福音だけ正しく知ればレムナントは確かに成功します。ところで、朴ボンソの話をした理由は、人々がよく確認をしないで行くためです。何をするかでなく、正確に分かりさえするだけでも働きが起きます。英国を行ったところ、ある人が真っ赤な服を着ていました。軍人が着るコートです。勲章4ケを付けていました。簡単に話せば、私がこういう人だということです。この人を見て、誰も喜ばなかったのですが、一人で勲章を付けて通っていました。少し精神が変なようだという感じがしました。正常な人ならば、それを付けて通わないで、家に置いておくでしょう。また、ある人は家に行けば過去にしたことなどを集めておいています。そんなことが悪いということではありません。人間はそれだけ幸せがないのです。問題は幸せなところがありません。それで、過去のことを引き出して、私がこうだったと見つめたりするのです。今現在、幸せではないのです。ある時は、昔に上手にしたことを誇らしく思います。どれだけ幸せがないのでしょうか? 韓国のペ・ヨンジュンのドラマを見ながら、日本のおばさんたちが完全にまいってしまいました。それを見るために、ある人々はお金を借りても旅行して来ました。その程度ではありません。自分の生涯の最も幸せが何か? ヨンさまに会うことだということです。今、幸せでなければならない。なぜならヨンさまがいるということです。それで日本で離婚した人もいます。写真を全部持って行って自分の家に貼っているのです。他の人が見れば理解できません。私は分かります。幸せがないためです。真の幸せがないので、それしか仕方がないのです。そして、肉体的な愛であって、霊的な愛を見たこともありません。日本のようなところに行けば、肉体的な愛はよくあります。それで真の愛の映画を見れば感動するのです。いくら必死になってもがいても、幸せはありません。だまされてはいけません。本当に神様に会った時だけ幸せなのですが、会えないのです。
・時間を作って、レムナントと一緒に英国の最高の場所でミュージカルを見ました。上手にするという言葉を言う必要がないほど上手でした。最上階から見たのに、施設がとても良かったのです。一年ずっと公演をしていました。メアリーポピンズというミュージカルでした。ずっと今でも公演をしています。私たちは、一ヶ月に予約をしました。1ケ月前に予約をできなければ入れないのです。それも、私たちが固まって座れたのではなく、1人はここに他の1人はあそこに座る式でした。それほど席がなかったのです。始まる時、見たら、席が満杯になっていました。人々はそれをまた見にきて、また見て、何度も見るのです。そして、ヨーロッパではサッカーが完全信仰です。それでサッカー選手たちに月給を何十億円ずつ与えます。お金をそこにみな投資するのです。なぜでしょうか。それでも幸福がないのです。運動を少しするとすれば、自分たち命をかけてみな出します。それで、他の見方をすれば、米国、日本やヨーロッパに福音を伝えることはとてもやさしいのです。まともに伝えればみわざが起きるのです。幸せがないのです。
・なぜ人間は神様に会うことができないのでしょうか。いくつかのことを必ず記憶しなければなりません。それは神様を離れたためです。根本的に会うことができません。人間の根本的問題です。私と皆さんが福音を分かるということは、大いなる幸いだけであるだけでなく、正確に分かるということは奇跡です。全世界の牧師、伝道者、宣教師に確かに申し上げます。福音を正確に分かったら、じっとしていてもみわざが起きます。福音はそんなに足りないことではありません。神様が私と皆さんに完ぺきなプレゼントをくださったのですが、それが福音です。キリスト、完ぺきなためです。それで何の足りないことがないのに、私たちはしばしばとんでもないことをするから、だめなのです。根本的に人間は霊が死んだ状態です。ですから、会って、会わないということもなく、死んだ状態なのです。エペソ2:1に、罪と罪過で死んだあなたがたと言われています。そして神様の霊が離れてしまったのです。神様のかたちに創造されたのですが、これが離れてしまいました。本来はそうでなかったのですが、堕落以後にそうなったのです。この部分がとても重要です。サタンという大きい存在の前に、誘惑されて完全にしもべになってしまったのです。この状態ではいくらもがいても幸せではありません。ミュージカルの大チャンピオンになっても幸せではありません。サッカー選手がサッカーをする時ごとにヘッドトリックをしても幸せではないのです。なぜか、サタンのしもべになったためです。それで困難がきます。これを正確に理解して、恵み受けなければなりません。Uテサロニケ2:10-11に知識、知恵まで暗くなってしまいました。勉強をよくしても、その知恵さえも暗くなってしまうのです。Uテサロニケ2:10-11に、私たちが迷わす霊に陥って、幸せであれ、何であれ、みなのがすようになっています。聖書をたくさん読めば良いだろうと思えるでしょうが、神様のみことばを受けても悟れないのです。Uコリント4:4-5にこの世の神、悪魔に捕えられたので、聞いても悟れないのです。それで、私たちが福音を正確に理解したということは、すべてみな悟ったことなのです。それで、皆さんが仕事でも福音を正確にすれば、門が全部開かれます。そして、行けば答えが来ているのです。私がすることはそれしかありません。
・世界を動かすRUTCを作っているのですが、私の動機が福音かという気がしました。ここに神様が釜山を驚かせる教会堂をくださるのですが、それを考えて、その答えが問題でなく、これが正しい動機かという気がしたのです。さっき朴ボンソ学生が質問したように、これはとても重要なことです。これは小さい考えのようですが、私の一生を左右するほどの答えが来るのです。今日、皆さんが2部メッセージを捕まえる時、生涯で最も大きい祝福の礼拝となるでしょう。本当に主の御名で約束することができます。皆さんが本当に福音を正しく知って味わって、正しく判断したら、すべての門がみな開かれます。閉じられた門がみな開かれるのです。間違いありません。暗やみの勢力がみな砕かれます。福音体質だけなれば、すべての門がみな開かれるのです。人間は神様に会うために実際に努力しています。しかし、根本的に神様を離れているから、努力自体がだまされる人生です。どうなるのでしょうか。努力をするのですが、根本的にだまされるのです。理由が何でしょうか。根本的に神様を離れたのです。会えなかったのです。それで事にならないのです。なっても幸せがないのです。私がいくら答えを受けても幸せがありません。それなら、皆さんがよく聞いて、今日、神様の恵みを受ける最高の祝福の時間になることを望みます。
・大きい船があるとしましょう。この船は盗む海賊船です。ここには多くの船員がいるでしょう。その中に一番良い船員1人がいます。そして、一番勤勉で良心的です。どうなるでしょうか。海賊船に乗っている人は良いほどさらに泥棒です。根本的に泥棒船に乗っているから、この人は誠実なこと自体がさらに悪い人です。とても誠実で盗みがとてもうまくいくのです。いっそ海賊船に乗ったら、誠実でないほうがより良いのです。嘘も絶対にだまし、盗みをとても上手にします。良いほど泥棒です。何の話なのか分かるでしょうか。これは難しい話だから、目をパッと開けて聞かなければなりません。前にもこういう話をしたのですが、日本に行ったところ、おばあさん、おじいさんが私のそばにいました。空港で外国人の列に並ぶべきなのに、奥さんが私たちは外国人でなく韓国人だと言っていました。日本きたから外国人というその言葉を、このおばあさんが聞き取れなくて、外国人でなく韓国人だと言っていたのです。あまりにも話が通じないから、旦那さんの側がおばあさんを強制的に引いて連れて行きました。男の方が少し賢かったのです。女は引きずられて行きながらも、理解できないというように首をかしげながら行ったのです。そのような頭脳でイエスを信じて、救われるでしょうか。ですから、私が泥棒船に乗ったのかどうかも知らないのです。それで聞いて、無条件に努力すれば良いと思うのです。とんでもない話です。ここにひょっとしてスパイがいるでしょうか。
そのようなスパイは良い人であるほど悪いのです。他の国を害してスパイをするのは、力があるほど問題になります。ですから、私たちはやや下手するとだまされるのです。
・人間は霊的存在であるから、神様を探す本能は持っています。それでさらに問題になるのです。会えないのに、しばしば探そうとするためです。ある人は、真実ならば神様に会うことができると思ったのですが、失敗しました。真実は良いのですが、神様に会えません。ある人は宗教に行くと良いと思ったのですが、神様に会えません。また、ある人は占いや哲学を探せば良いと思ったのですが、神様には会えません。するほどだめになっています。それで、時間がたつほど問題になるのです。なぜなら、原罪の問題が解決しないために会えないのです。とても重要な言葉です。それでも、私は楽しいと言います。一番楽しいのは麻薬だということです。これが楽しいものでしょうか。麻薬を飲めば、感情が10倍程度上がります。これが本当に楽しみなのでしょうか。楽しみではありません。狂っているのであり、継続すれば死にます。世の中で無理に楽しさを味わおうとすれば、さらに難しくなるのです。人間が神様に会うことができないのは、根本的に会えないでいるためです。
・三番目です。教会に通っても仕方がありません。必ず用心しなければなりません。私たちがいくら勉強して、努力して、教会に通っても、神様に会えるのではありません。教会に通っても救われなければ神様に会えません。新しく生まれなければ神様に会えません。新生と言います。救いとは、サタン、運命、運勢から解放されることです。解放されなくては、救われません。救いとは、罪から抜け出すことなのに、抜け出せないのです。そして、地獄の勢力から抜け出すことなのに、抜け出せません。この地獄は、悪魔の子どもが行く所です。ところで、天国は神様の子どもが行く所なのに、この神様の子どもにならなくては、いくら努力しても、教会に通っても仕方がありません。家を出てきた乞食を見ると、自分たちなりに住んでいるのですが、幸せでしょうか。良く見て下さい。思い切り学校を通っても、悪いということではありません。神様に会えません。努力しても会えないのです。さらにくやしいのは、教会に通っても会えません。長老もして、牧師もしたのですが、神様に会えなかったとすれば、どれくらい問題があることでしょうか。これよりもっと大きい問題はありません。あたかも乞食が家を出てきて生きているということなのに、どれくらい幸せでしょうか。
・各国に乞食がいます。米国も、日本も乞食がいます。日本の乞食は駅にいて、米国の乞食は公園にいます。公園は用心しなければなりません。私は知らずに、米国で夜明けに出て行って公園で運動をしたのですが、黒人が座っていました。寝ているのかと思って近くに行ってみたところ、寝ていなくて、目をぱっちり開けていました。人々にこの話をしたところ、大変なことになると言いながら、そのような人々はそのように見られたら、気分が悪いと銃を撃つということでした。米国へ行けば、無条件に挨拶しなければなりません。そうでなければ銃を撃つのです。米国へ行ってみてください。道を通り過ぎて、先に見る人が挨拶をします。会えば「hi(ハイ)」と挨拶します。行くのにどんなことがあるかも分からないからです。麻薬した人が座っているのに見つめれば、にらむように見えてしまうのです。それで、自分が持っている銃を撃つのです。だから、公園に行くと、とても乞食が多いから、それを知って用心深く無条件に挨拶するのです。エレベーターに乗っても無条件に挨拶します。韓国の人々は乗る時、おりる時、振り返ってそばで見つめます。日本の場合は、精神病者が駅にほとんどいます。家を出てきた人々が段ボールで家を作って寝ています。日本の乞食は確かにより良いのです。日本の乞食は世界でより良いと思います。行ってみれば、日本の乞食は整理しています。自転車もあって、雨が降る時使う傘もあります。ふとんも清潔に開いて横になって、本も読んでいます。汚いのは米国の乞食と韓国の乞食です。ものすごく汚くしています。釜山駅に降り立って、車を待っていたら、乞食三人がいるのに2人が座っていました。鶏を一匹煮たのですが、拾ったのか、もらったのか、煮て酒を持って置いていました。それでもしばらく食べないでいたのです。私が尋ねられなくて、見ていたのですが、食べないでいました。少ししたら、乞食の親分が来ました。親分が来たので、蓋を開けて食べ始めたのです。それを見ながら、乞食にも順序があるんだなと思いました。上下があったのです。気持ち良く、おいしいと幸せに食べているのを見ました。
・いくらそれでも、それが幸せでしょうか。人間は幸せなことがなく、死んだ人はいくら努力しもだめなように、霊が死んだ人はどうしてもだめなのです。死んだ木に水を与えれば、さらに問題がきます。救われることができない者の努力は、外的変化に過ぎません。そして、その努力は良いわけですが、救われる価値はないのです。地にあることでは、天国を得る価値があるものはありません。だから、いくら持っているものが良くても、天国の値段を払えるのではありません。私たちは霊的な目を開かなければなりません。なぜ人間が努力で救われないのでしょうか。自分の努力では霊は生かせないのです。他の人の助けでも霊は生かせません。誰もサタン勝つ英雄をこの地に送られたことはありません。救いは神様の恵みです。6番の結論を出す前に、今日、ここで重要な答えを得て行かなければなりません。
・福音の手紙の著者は誰でしょうか。私です。この話をする理由があります。この福音の手紙を持って、ある人は説明を深くします。そのような必要はありません。本来、私がそのように書いたのではありません。そのまま単純に読んであげるように書いたのです。ところで、弟子が持っていって、とても熱心に研究して複雑にさせたのです。多分これからもそうでしょう。RUTC、世界で一番大きいものができて、これから大きな働きが起きるでしょう。後日になって分析するでしょう。柳光洙牧師は誰なのか。釜山インマヌエル教会は何の教会かと分析して、大騷ぎが起こるでしょう。その時になれば、「福音の手紙」だけを研究して、本を書く学者も出てくるでしょう。なぜならば、マルティン・ロイド・ジョーンズという英国の人がいるのですが、ローマ1,2章の講義を分厚い本に書きました。ところで、私が見たら、そうではありません。パウロが何かそのような意味で書いたのでしょうか。そのまま書いたのに、自分自ら付けて書いたのです。そのまま詩人が文を書いたのに、後ほど国語の先生が勉強したことを自慢しようと、どんどん説明を長くするのです。そのような必要はありません。それでこそ、自分が国語の勉強したことを誇れるから、学校へ行けば著者と何も関係ない説明を継続するのです。言葉を問い詰めてすれば助けにはなるのですが、実際、有益にはなりません。
・ここで必ず記憶しなければなりません。福音が何かを知って受け入れる時、すぐに身分が変わります。福音を正しく知るということは、皆さんが以前に神秘主義したことや、こういうものをそのまま悟って捨てれば良いのです。昔にしたことを捨てて、福音を正しく悟れば、それが必要ないと悟れば、正しいのです。それでは、すぐに身分が変わります。そして、受け入れる時、すぐに身分と同時に権威ができるのです。ヨハネ1:12。そして、こういうことが行われます。皆さんが必ず信じるように願います。行く所ごとに神様の国です。いったい福音を正しく理解するということは何の話でしょうか。簡単です。私が福音を知って、伝道運動をしながらも、インマヌエル教会の影島に入ってくる前まで悟れませんでした。影島にきても悟れませんでした。方法と内容を悟れなかったということではありません。本当に私が福音のためにするのか。それではなかったのです。それを悟りました。私は私のためだと思いました。それで、みわざが起きず、問題が起きたのです。そのようなある日、私が悪い者だということが分かりました。私がものすごい福音を受けたのに、この福音を他の人にお手伝いすることであって、私のものでもない。このように悟ったのですが、簡単なことなのに、行く所ごとに神様の国でした。マタイ10:7に悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。使徒1:3に神様の国に対して40日間説明をしました。マタイ12:28-29に聖霊が臨めば、神様の国が臨んだのです。必ずこの答えが起きます。皆さんがこの祝福を味わうようになるように願います。年をとった人は体質があります。少しだけ考えればみわざが起きるのです。
・ところで、私はむしろ朴チオン牧師を見て、本当にすばらしい方だという気がしました。その方は、全部会えばこのように言います。「牧師先生。私たちはだめです。私はからだが良くないから牧師先生の説教を聞かなければ、また律法に行きます。することができないのですが、これがみな福音ではありません。特に、大邱の人は福音が入りません。」その程度になればすばらしい方です。その程度になれば福音です。私たちは知らずにいるのです。ものすごい祝福を見れば、すぐにみわざが起きるのに、皆さんが行く所ごとに神様の国が臨むようになります。レムナントは知らないでしょうが、これから彼らを通してすばらしいみわざが起きるでしょう。幼い時から今、福音が入っているので、これはすばらしいことなのです。本人は知らずにいます。年をとっている方も、少しだけ考えれば答えが起きます。皆さんがこの福音を正しく知って、少しだけ祈りを体験すれば世界を変化させられるのです。福音を知って祈りを体験するということは、皆さんがいくら問題があっても、置いておいてインマヌエルの祝福を少しだけ味わう祈りをすればみわざが起きるということです。皆さん福音の奥義はものすごく大きいのです。この福音の内容を味わう祈りを始めれば、みわざが起きます。それで、祈りの答えの中の最高の答え、課題の中の最高の課題が何でしょうか。聖霊充満です。信じる者の事業、家に聖霊充満が臨んだのが、最も大きい働きが起きたのです。そして、祈りの課題も私たちが作ったのではありません。答えの中で来た課題です。この時からは、礼拝だけささげれば、みことばが成就する働きが起きます。
・一度だけ体験すれば良いのです。皆さんが福音で正しい伝道を一度だけ体験すれば、大きな働きが起きます。皆さんは正しい福音が伝えられることを一度だけ体験すれば、一生、答えの門が開かれます。ペテロが「あなたは生ける神の御子キリストです」と言いました。そして、足のきかない者に行って「ナザレのイエスの名で起きて歩きなさい」と一つだけしたのですが、ずっとみわざが起きました。ここのカギが何でしょうか。本当に私たちが福音が何か知って、受け入れて祈って伝道したら、神様の驚くべき証拠が起きるようになっているのです。なぜでしょうか。人間は根本的に神様に会うことができないから、会える正確な答えだけあれば大きなみわざが起きるのです。私たちが運動をして、規則的な生活をして、食べ物を正しく食べれば肉体が健康になります。新しい信者のためにする話です。皆さんが黙想するだけで精神が健康になります。しかしこの答えを知って定刻祈りを始めれば、霊的な健康がくるようになっているのです。今日、皆さん聞きながら、そうだと思えばみわざが始まります。それで、私はキリストの話を聞いた時「私はキリストをよく知らないんだな」とだけ感じたのにみわざが起きました。人間は福音のほかは神様に会うことが絶対無いから、福音だけ正しく知ってしまえばみわざが起き始めるのです。今日、この祝福が全世界の家族が聞いて味わうようになるようにイエスの御名でお祈りします。言葉を結びます。これら全部メッセージをおいて重要な人がいるならば、福音を伝えたらどんな部分になるでしょうか。皆さんが今は、すでにキリストを分かってしまったのです。皆さんが味わう中で、いつも福音を区分すれば良いのです。私たちは考える時も、しばしば違ったことを考えます。福音の中で。私たちは人に向かう時も、しばしば私たちの基準で対します。福音の中で。私たちは何か選択して、行動する時も、しばしばとんでもないところでのがしてしまいます。この時、福音の中で。これが祈りです。この事実だけなれば、自然に他の人に証拠が起きる前に変化が起きます。どれくらいやさしいでしょうか。これだけしたのに、変化して、地の果てまで証人になります。どのような変化が起きるのでしょうか。皆さんが健康を求めなかったのに健康にもなって、経済を求めなかったのに経済が起きて、そのまま神様が現場に変化をくださって、結局は、ここに対する証人になるようにさせてくださるのです。ここに関する証人がなるように。どれくらい驚くことでしょうか。とても簡単なことなので、すべての答えを今日、回復することができます。今、皆さんが回復することができます。行かなくてもかまいません。今、回復することができます。それで、この福音の手紙十回目までみなしながら、皆さんに驚くべき証しが起きるようになるでしょう。私は福音の手紙を私たちの信徒に書きながら、その後で私たちの教会に起きた働きは言葉で表現できません。福音の力。皆さんの子孫代々に現れるようになることをイエスの御名でお祈りします。

<契約の祈り>
神様に感謝します。重要な答えが福音の手紙を通して起きると信じます。十回目の出会いを通して私の人生に変化が起きると信じます。私たちの家系に長い間ある霊的な問題が崩れると信じます。物質のためにやられた多くの苦しみも解決されると信じます。根本的な神様の恵みを悟るみわざが起きると信じます。生きておられる主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン