2007年4月29日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/エルサレムの祝福
(詩128:1〜6)

・今日ここにおられる皆さんと衛星、インターネットでみことばを受ける皆さんに神様の大きい恵みがあることを希望します。なぜ人間はしばしば苦しもの中で生きなければならないのでしょうか。また真の幸福はどのようなものでしょうか。真の成功もどのようなものでしょうか。私たちは簡単に言うことは難しいでしょう。釈迦のような人は、なぜ人間に苦しみが来るのかどうかについて、家を出て6年間も菩提樹の木の下で座っていたのでした。ところが、その方は答えを得ることができなくて「無」と言ったのです。人間はみな脱ぎ捨てて解脱しなければならないと言いました。相当な人ですが、解決はできません。孔子のような人は、儒教思想が出てくるほど、いろいろ良いことをたくさん教えました。またソクラテスのような人は、自分をよく知らなければならないと言いながら自分自身に関するお話をする中で、深い講義もよくしました。それでも人間は苦難を解決することはできません。
・ナポレオンのような人は「私の辞書に不可能はない」と話しました。しかし、死ぬ時はそのように言いませんでした。海水は、みな人間が流した涙だと言いました。その言葉は、とても苦しいということです。英雄ジンギスカンのような人も、色々な所を槍に突かれて家に帰りながら号泣をすることもありました。英雄シーザーのような人は、死ぬ時、33ヶ所を刃物で突かれたのです。33ヶ所を刃物で突かれればどうなるのでしょうか。どれだけ強い人であったか、32ヶ所突かれてもそのまま立っていました。最後に背を向けている友人に助けてくれとお願いしたのですが、その友人が背を向けながら刃物を刺したのでした。それが最後の33番目の刃物でした。だから、あきらめて倒れたのです。そのような英雄もどうしようもなく、最後にそのように行ってしまいました。
・ショーペンハウアーのような人は「人間は生まれないのが良い。生まれたならばはやく死ぬのが良い」と、とても苦しいからこれくらい結論を下したのです。それでショーペンハウアーのせいで、全世界で多くの人が自殺しました。その本を読んで感動して、「長く生きることが何があるのか。どうせ苦労するなら、はやく死んだら良いだろう」と考えるように文章を書いたのです。数字は分からないのですが、とても多くの人が感動を受けて死にました。そうしておいて、ショーペンハウアーは82才で死んだのですが、長く生きようと冷水摩擦をしていて死んだのです。どれほど多くの人が苦しんでいるのか、ある人は波の中に船が傾いているのを描いて壁に付けていました。
・昔に、このようなおもしろい話もあります。ある青年が山の中を通り過ぎるときに虎に会ったのです。虎に会えば殺されます。どれくらい、はやくて力が強いでしょうか。この虎が歯をむき出して攻撃してきたのです。それで、この青年がとても緊急して、この虎と戦おうとしたのですが、力がなくて幸いに虎の後に回りました。それで虎の背中に乗って、首をつかんだのです。だから、それを離せば死ぬのです。ところで、虎が背中に乗った人をそのまま置いておくでしょうか。落とそうと、ごろごろしたりもしたのですが、最後までしがみついていました。命をかけて虎の首の皮をつかんでいたのです。降りれば死ぬためです。虎も、もう疲れてしまいます。背中に乗った奴があまりにもぎゅっととらえて離さないためです。虎も休息が必要だから、背中に乗せてそろそろ歩いて行きました。ところで、遠くの畑で仕事をしていた人々が見て、「あの人は運命が良い。私たちは馬にも乗れないのに、どのように虎に乗って通うのか。」と言いました。死にそうなのも知らずに、虎に乗って行くのに、それは政治家を比喩して言ったことです。降りれば死ぬためです。それで捕まえているのです。それも知らずに、他の人は幸せに見えて、すごく見えるのです。これくらい人間は苦しんでいます。
・それでは、真の幸福は何で、真の成功は何でしょうか。私たちは答を聖書の他には探せません。神様のみことばで答えを探さなければなりません。ところで、ひとまず、最初に考えなければならないことが、聖書には三種類の人のことを言っているのではなく、指摘しています。私たちはここに該当してはいけないのです。聖書には三種類の人を指摘しました。最初の人が誰でしょうか。神様がいないという人です。神様がどこにいるのかと言います。神様を信じないというのですが、それでは言うべきことがありません。ローマ3:23に、すべての人が罪を犯したので神からの栄誉を受けることができないと言いました。聖書は、ヨハネ8:44に悪魔に属していると確かに話しています。こういう人を聖書は指摘して警告しています。
・二番目の人です。神様に会うことができなくて、偶像崇拝をして宗教に陥ってもがく人がいます。そうするうちに、滅びるのです。それで聖書に記録しています。成功したように見えるのですが、みな滅びました。一時すごかったバビロン、今、どこの国でしょうか。イラクです。世界を動かしたのに、何か力があるのでしょうか。全世界を統一したペルシャです。クロスもペルシャの王です。イスラエル民族は帰って神殿を作れと命令した人がペルシャ王のクロスです。どれくらい強大だったでしょうか。ところで、この人たちが偶像崇拝をして、うまくいくように見えたのですが、ある日みじめに滅びました。今のイランです。今、特別なことははないイランです。以前には強大で、イスラエルを動かしたエジプト、今のエジプトです。このように多くの人々が宗教を持って生きていたのですが、失敗しました。聖書は事実、強く指摘しています。
・また、三番目の人です。教会を思い切りしながら滅びたユダヤ人です。聖書は指摘しています。世界で最も多くの虐殺にあって、約2000年間国がなくて、23カ国で民が殺されました。何のための審判なのでしょうか。最も教会をよく通うユダヤ人がそうなったのです。今日、私たちに暗示するところが大きいのです。なぜ苦しみが来るのでしょうか。神様がいないというので苦痛がくるしかありません。真の成功は何でしょうか。人々はなぜどんどん難しくなるのでしょうか。神様を信じないで、とんでもないものを捕まえてお辞儀をするためです。当然、精神が狂うしかありません。日本の地には八百万の悪霊がいるので、家ごとに精神病者が一人ずついるのです。狂うしかありません。さらに問題は教会に通う人です。教会に通いながら何の真理も見いだせませんでした。その代表的な例がユダヤ人です。もう一つの例が中世教会です。もう一つの例が今日の世界教会が眠っていきつつあることです。これを聖書は強く指摘しているのです。
・それでは、私たちは今日の詩篇128篇を読んだのですが、先週の127篇と連結する部分です。家庭に関する話も出てきたりもします。私たちはこれを見ながら詩篇127-128を見ながら、必ず捜し出さなければならないことがあるのです。127篇を見れば、早く起きるのも、おそく休むという言葉がありますが、これは仕事を熱心にするということです。128篇を見ても「あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう。」という話が出てきます。クリスチャンは、必ず記憶しなければなりません。最初のことが何でしょうか。肉的な祝福も受けなければならないのです。家庭がうまくいって、成功もしなければなりません。ところで、未信者はこれがすべてであるために、皆さんがこれを持っていなければ未信者が全部大変です。今日、神様がおっしゃる部分をよく理解して、特にレムナントがよく理解をしなければなりません。
・私が成功した人々を見ると、特徴がいくつかあります。この方たちは、おもに見ると、とても事実的であり、先んじています。しかも一つの特徴は、とても努力をするのです。もう一つは、この人たちは、とても創造的です。何かをどんどんやり遂げます。そして勤勉です。こういう人々がよく暮らします。成功するしかありません。それではクリスチャンは、このようにしなくて良いのでしょうか。そうではありません。他の見方をすれば、私たちクリスチャンがさらにこういう部分を良くすべきなのです。今日のみことばをよく見ながら、どのようにしなければならないのかが重要です。
・昔に知っている勧士夫婦が、ソウルにいたので、ソウルで訪問しました。ある若い青年が1人いました。それで息子なのかと尋ねたところ、違うと言いました。そして、あいさつをさせたのです。その人が私にあいさつをしてくれました。おいなのかと尋ねたところ、友人の息子だということでした。ソウルに来たが、少しの間、部屋を見つける時まで自分の家にいるということでした。それと共に言う言葉が、あの子はみな良いが、一つが問題だということでした。それで何か尋ねたところ、忠実で、実力もみな良いがイエスを信じないということでした。いくら話をしても信じないと言いました。するとその青年がにっこりと笑いました。良い子のようでした。学校は通うのかと尋ねたところ、今年、ソウル大学に合格したということでした。それで勉強をしなければならないから、少しの間、家を探しながらお母さんの友人の家に少しの間いるということでした。
・私がこの人をどのように福音を伝えるか自ら考えながら祈っていました。その人が私と話した内容を話す時間はないのですが、私がその人を見ながら驚いたのです。ご飯を食べるのにも、本を持ってご飯を食べていました。他の見方をすれば、人生でそこまでする必要があるかと言うでしょうが、そうではなくて、本がおもしろいからご飯を食べる時も持って食べていたのです。私はその時、私たちのレムナントを考えました。私たちは本格的に遊びます。家で遊んで、教会に行って遊んで、友人に会って遊んで、会って遊んで、来て遊びます。だから勝てないのです。さらに恐ろしいのは、お手洗いも持って行きました。本を持ってドアをあけて入ったのです。そんな人もいるんだなと思いました。出てくる時も持って出てきました。話もしなくて、あいさつを忠実にして、部屋にまた持ち込んで行きました。すると勧士が、止められないと言いました。一日中、勉強だけしているということでした。どのように勝てるでしょうか。勝てません。これだから、福音を伝える前に負けてしまうのです。その人は内心笑います。バカのような者と思いながら笑うのです。だから、世界福音化も何も対話になりません。
・昨日は、私が崔ジョンファン長老(判事)、南原支院長で、ソウルにきていました。あまりにも重要な地位に行ったので、本人も祈って私が訪問したのです。司法試験を合格する方々だけ集めた司法研修院という学校があります。司法研修院の教授で行ったのです。多分、その方たちは、かなりの経歴になるようです。ところで、重要な裁判官になる人々を教えるのだから重要な時刻表です。行ってみると大学のようでした。ところで、長老と話をしてみたところ、そこの人たちは睡眠を4時間しか寝ないということでした。4時間以上寝るならば、無条件に脱落するということでした。自分たちが見る時、押さえられるしかないと言いながら、良くないと言いました。それで私が成功した人が多く細かいこともあるのかと尋ねました。それは誰でも同じです。それほど成功をしなかったのですが、私も睡眠をたくさんとりません。医師が私に話をするのに、必ず11時から2時までは寝なければならないということです。その時、回復できると言いました。さらに重要にするなら10時から寝て、明け方2時まで寝る者が、からだにあるエネルギーが回復するということでした。そうでなければ大変なことになるということです。
・ところで、私は30年前から今まで11時から2時まで寝たことが一度もありません。寝られないのです。学生が睡眠をたくさんとれば、その学生は学校に通う時、勉強をそれほどしないということです。大学生が睡眠をたくさんとるのは、どんな場合でも未信者に勝てません。どのように勝てるでしょうか。例をあげれば、私の場合は、全国で集会をしなければならず、朝がくればメッセージだけをするのではなく、夜を明かして紙に書いて出さなければなりません。今週は特に多く書きました。今週は新聞に出す文章、神学院の文章などが多かったのです、それをみな書かなければなりません。他の人がきて恵みを受けて寝るのですが、私は夜にまた準備をしなければならないのです。何の集会でも、他の人はそのまま寝れば良いのですが、私は準備をしなければなりません。準備をするのに、ぐずぐずしていると1時、2時となります。ある時は、遅く終えてご飯を食べて、ぼうっとして少し座っていれば12時になってしまいます。それで、ニュースでも見なければならないからニュースを見れば1時を越えます。そして、テレビ番組を見て入れば1時半になってしまいます。このようになれば、準備をしなければなりません。たくさん寝られないのです。
・ところで、私がある時、だいぶ前ですが、日本の医師が書いた本を見ました。三時間睡眠法という本でした。それで、人は三時間だけ寝れば良いと言われていました。それ以上寝る必要がないということを医学的に証明してありました。私はそれを見て、とても恵みを受けて私が少なく寝るために、長く生きるのだと恵みをたくさん受けました。ところで、この人が医師なのに、そのまま書いたのではなく、重病患者室で睡眠をたくさんとる人と、少なくとる人を実験したのでした。一般の医者たちは病気になれば6-8時間寝なければならないと主張しました。ところが、この人は寝るのは、すなわち死ぬ練習だから、はやく死ぬと言ったのです。それでは実験をしてみようということで、実験をしました。患者数十人の名簿で、片側は三時間だけ寝て、片側は思い切り寝るようにしたのです。科学的、統計的に三時間だけ寝る人がはるかにはやく良くなって、ほとんど健康を回復しました。私はそれを見て、とても役に立ちました。
・私がなぜこの話をするのでしょうか。私たちのレムナントや、多くの青年たちが努力しなさいということです。私たちが他人に負けて良いでしょうか。世界福音化をすべきなのに、他人に負けてご飯を食べに通っていて、どのように世界福音化ができるでしょうか。お金が多い人が乞食にご飯を買ってあげながら、君もイエスを信じなさいと言うべきなのに、乞食がご飯をもらいながら信じてくださいと言って良いでしょうか。社長が面接をしに来た人に、君も時間があれば教会に行ってイエスを信じなさいと言うべきで、面接をしてもらいに来た人が社長、イエスを信じて下さいと言えば、客観性がない人です。年をとるほどそうです。一週間に本一冊程度の量を読まなければ無知な人になります。それで皆さんが何か努力をして正してがんばらなければなりません。先進国では、子どもたちが学校で正常に勉強した子どもたちは、4-5カ国語を話すということです。私たちは完全に遊んでいるのです。それで世界で一番よく遊んでいる(何もしていない)人が韓国の人です。思い切り遊んでまた遊ぶのです。単語も一番やさしい単語です。遊びに来ようとするなら来なさい。遊びに来たら行きますね。完全に無条件に遊びます。歌も遊んで若くて遊ぼうという歌もあります。若い時に、準備をすべきなのに、みな遊んでしまえばどうするのでしょうか。それで、特にクリスチャンはさらによく遊びます。教会にくれば憩い場があるので、憩い場であるから遊びます。みな奪われてしまうのです。それではいけません。私たちはクリスチャンであるほど、レムナントであるほど実力をそろえなければならないのです。昔に私の事務室が少し狭苦しくてガラスを付けるのに、ある執事がどのようにしてか知ってきて自分がすると言いました。他の人がすれば付けるのに、この人がすれば少し安くなるということでした。自分がすると何度も言ってきたのです。それで、させたところ、その人はガラスを付けるのに、とても苦労していました。それで、私の部屋の中に衣装だんすを一つ作ってくれと言ったところ、完全に1950年代の手洗いの扉のようなものを付けたのです。対話にならなかったのですが、私が扉は大丈夫かと尋ねたところ、大丈夫だと言いました。「君、これが1950代の手洗いの扉であって、これがどうしてたんすの扉か、君が見たら大丈夫なのか」と尋ねたところ、その人はずっと大丈夫だと言いました。それでは、対話にならなかったのです。そして、ガラスを付けるのに、雨漏りがして大騷ぎになりました。私がだめだと呼んで契約したお金を皆上げるから、もらってはやく家に帰りなさいと言いました。そして、未信者を呼んだのです。一気にみなして行きました。雨漏りもしませんでした。それで私がクリスチャンが外に出て行って勝てるのかと思いました。それをするのに3週間、苦労していたのです。
・それで、私が送りながら「これをしながら3週間、完成もできなかったのに、どのように稼いで生きてきたのか。あなたはクリスチャンなのに、どこに行って未信者の前でこのようにしていたのか。本当に生きてきたのが主の恵みだ」と話しました。それでもどれくらい食べていたのか太っていました。これでどのように世界福音化をするのでしょうか。それで、私たちはクリスチャンであるほど、レムナントであるほど、より一層がんばらなければならないのです。
・しかし、二番目が重要です。未信者はそれがすべてなのですが、私たちはそれが開始です。そうです。これが重要なのです。未信者は裁判官になり、医者になり、科学者になり、教授になるのが目的ですが、私たちは開始なのです。それで、レムナントは疲れる必要がありません。ソウルでもそうで、釜山でもそうで、今、司法試験、行政高等試験を準備する学生たちが多いのですが、疲れるように考えなくてもかまわないのです。こういうものは開始だと思えば良いのです。こういうものは序論だと思えば良いのです。そんなことを開始ではなくて、大変だと考えれば本当に難しくなります。さらに重要なのは、人は深く二時間だけ寝ても大丈夫なのです。エジソン同じ人は記録に見ると寝室がありませんでした。なぜなかったのでしょうか。寝なかったからです。寝る必要がなかったためです。そのまま椅子に座ってうとうとして、仕事をしてうとうとして、仕事をしていました。皆さんがみなベッドをなくして椅子に座って生活しなさいということではありません。これくらい私たちが世の中に勝とうとすれば、しっかりして準備しなければならないということです。
・しかし、二番目のことは、このようになるので人には限界がくるのです。それで司法研修院で自殺する人も出てくるのです。幼い時から勉強が良くできて、思い切り司法試験を合格して、少ししたら判事になる時なのに自殺をするのです。韓国で思い切り勉強をして、米国まで行って麻薬をしておかしくなってしまえば、人生がほろびてしまいます。それで二番目で悟らなければならないことが、肉体的な祝福の次に霊的な部分です。それで、主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしいと言われているのです。そして、主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしいと言われました。あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしいと言われました。それと共に、続いて128篇を見ると、「幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。」と言われています。本物の答えの祝福は、神様が共におられなければなりません。あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう。神様の祝福を受けることも出来ない人々は、苦労しても食べられないのです。しあわせという言葉は、何の話なのでしょうか。道がどんどん開かれるということです。この反対語は、道がしばしば詰まるということです。これは私たち思いのままにはできません。いくら私たちが努力をつくして、最善を尽くしても、神様が共におられる祝福がなければ人間には限界が来てしまいます。それで人間は苦しみがずっと来るのです。
・今日128篇を見ると、あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだと言われています。果実の中で最もからだに良いのがブドウだと言われています。なぜかと尋ねたところ、ブドウの木はとても深く、最もきれいな水の深いところまで根が降りて行くということです。細いように見えても根が最も深く入っています。そこから出る実であるブドウは、そのようにからだに良いのです。神様が祝福をされてこそ、あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ。私は後ほど分かったのですが、油の中で最もからだに良い油がオリーブだということです。食べる油の中で癌を予防できる順位の1番がオリーブだということです。私は昔に知らずに文章を書かなければならないから、飛行機に乗れば常に良い席をとってくれるので、常に油が出てきていました。しかし、私は一つも知らずに毎日戻していました。後ほど分かったのです。それで、後にはもう一つ持って来てと言って二個ずつ食べます。それがそのようにからだに良いのです。
・神様が祝福をすれば、あなたの妻はブドウ木のようで、あなたの子どもはオリーブの木のようです。それと共に、「主はシオンからあなたを祝福される。あなたは、いのちの日の限り、エルサレムの繁栄を見よ。あなたの子らの子たちを見よ。」と言われました。その言葉は、何の話なのでしょうか。長生きしたということです。子らの子たちということです。長寿が祝福なのでしょうか。中国の人々は長寿が祝福だと話します。東洋の5福の中で長寿がその一つです。聖書はそのように言っていません。神様の祝福を受けた人が長く生きてこそ祝福になるのです。祝福も受けられなかった人が長く生きてみれば、ものすごく難しいのです。神様の祝福を受けた人が長く生きてこそ、それが祝福になるのです。お金が祝福なのでしょうか、聖書はそのように言っていません。神様の祝福を受けた人がお金が多くなければなりません。神様の祝福も受けられなかった人がお金があれば、それが災いになって、家にいつも問題が来ます。健康が祝福なのでしょうか。聖書はそのように言っていません。神様の祝福を受けた人が健康であるべきで、神様の祝福を受けられなかった人が健康ならば普通の問題ではありません。神様の祝福を受けられなかった人は病気なのがもっと良いのです。毎日腹が痛くて、どこが痛くてこそおかしなことは出来ません。それで神様の祝福を受けられなかった強盗は、毎日、関節炎でなければならないのです。ところで、神様の祝福を受けてこそ祝福になることなのに、主があなたがたの家を守らなければと言われました。
・三番目です。重要なことをのがしてはいけないのです。ここにエルサレムの繁栄を見よという言葉は、何の話なのでしょうか。ここでシオンの祝福を見るという言葉は何の話なのでしょうか。これが重要な言葉です。ところで、これをイスラエルは自分たちだけ考えてシオニズムを作ったのです。逆に悟ったのです。シオンに祝福を与えるというので、イスラエル民族が作ったのがシオニズムなのですが、これで世界を掌握しようとして失敗したのです。ある人は教会に行ってがんばれば恵みを受けると考えます。そうではありません。シオンの祝福を見るということは、福音を真っすぐに悟りなさいということです。メシヤを送るエルサレムの繁栄を見なさいということです。イスラエルがこれを知らないので失敗したのです。
・今日、レムナントの皆さんが必ず記憶しなければなりません。私たちは努力をして世の中の人々を先んじなければなりません。だから、さらに重要なのは本当の祝福と力は神様がくださるのです。さらに重要なのは、熱心に教会を通うのが重要なのではなく、福音を正しく知らなければならないのです。そうでなければならないでしょう。それでこそ、私が救われてこそ、それから問題が変わるので、そうでなければ変わりません。この3つのことがそれほど重要なのです。それなら今日、私たちが回復しなければならないことがあります。私とレムナントが必ず回復しなければならないことがあるのです。それが何でしょうか。
・アレクサンダー大王が記録を見ると、臣下を集めてこのように質問をしました。「イスラエルの国は、おかしな国だ。どうしてほろびて立ち上がって、ほろびて立ち上がるのか。みなほろびると思ったのに、どのようにまた立ち上がるのか。そして、その小さい国がなぜこのようにお話が多いのか。また、人物も多くて、なぜそうなのか。」アレクサンダーが尋ねたのですが、その時に臣下の中で1人が答えました。「大王さま。それを分かろうとするなら聖書を読んでみなければなりません。」「そうか。聖書とは何か。」「イスラエル民族が読む神様のみことばです。」「そうなのか。」それで王が聖書をギリシヤ語で翻訳しろと言ったのです。それで、ヘブル語をよく知って、ギリシヤ語をよく知っている人がしなければなりません。このようにして学者を集めました。それで聖書翻訳の命令を下したのです。命令を下したのですが、翻訳するのに100年かかりました。100年かかったので、アレクサンダー大王は命令だけして死にました。その息子のトレミーという人がいたのですが、その息子が完成しました。100年かかったので、翻訳する人も死にます。この翻訳がどれくらい大作業であったか、翻訳する人々も年をとったら変えていきながら翻訳をしたのです。翻訳した人数が70人でした。100年かかりました。それで聖書をギリシヤ語で翻訳したのです。それが、あの有名な70人訳です。英語ではseptuagintと言います。あの有名な聖書です。だから聖書を読まなければならないということです。ところで、私たちが聖書を読むのに注意しなければならないことがあります。
・今日、それなら皆さんは必ず順序を変えなければなりません。聖書を読みながらさっき話した3つの順序をひっくり返して変えなければならないのです。最も重要なのが、私が神様の子どもだということで、身分を変えてしまわなければならないのです。そうです。私の運命を変えなければなりません。神様の子どもにならなければ、運命の中にいるから努力してもだめです。イエスを受け入れなければ、皆さんの中に聖霊がおられないために悪霊の支配を受けるしかありません。ところで、このように聖書を100年間、翻訳をしたのですが、正しく読めなかったのです。
・最も重要なのが何か、先に身分、運命、私を変えてしまわなければならないのです。それが最初です。それから二番目は何でしょうか。それからは、神様がくださる力を供給してもらいましょう。それが二番目です。三番目は何でしょうか。その力を持って肉的な祝福、世の中の征服もしましょう。このように順序を変えてしまえば、とても確実です。ところで、未信者は肉的に成功しようとして限界が来てしまうのです。しかし、クリスチャンがそれさえもできなければ、未信者に侮辱されます。それで共に努力をしようとするなら、神様がくださる力を知らないから限界が来てしまうのです。大変なことになります。私たちのレムナントは必ず記憶をしなければなりません。福音の祝福を先に味わわなければならないのです。これは時間がかかるのではありません。
・その次に、神様がくださる力を供給してもらいましょう。これを持って世の中の人を生かす程、先んじなければならないのです。それで福音の祝福、霊的祝福、世の中の祝福です。この順序を正しくした人がガイオですが、あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈りますと言われています。それで、まず神の国とその義とを求めなさい。そうすれば、全てのことをそれに加えて与えられると言われました。特に青年、レムナントはわかるでしょう。覚悟をしなければなりません。私はただ福音で、完全福音で人生を始め、そして、神様がくださる力を供給してもらい、私が職場でもすることに最高の座に行く。簡単に話せば、肉的に神様がくださる力で成功する。そうすれば、レムナントは完ぺきになるのです。
・そして、青年たちは何か他の力があるのです。ところで、この順序を変えてしまえば大変なことになります。しかし、クリスチャンがほとんど順序を変えてしまうのです。この順序をひっくり返さなければなりません。私がサタンの子どもではなく、神様の子どもだということが先にならなければなりません。間違いありません。私が世の中で滅びる運命の中にいるのではなく、神様の祝福の中に先になければならないのです。その次に限界がこないように神様がくださる力を供給してもらわなければなりません。それを持って世の中で成功をしなければならないのです。そうでしょう。それで、この祝福を悟らなければなりません。それでこれを悟れないでこのように多くの聖書を読んだのですが、ユダヤ人が失敗したのです。結論を結びます。ここは既成世代もいて、若い世代もいます。私たちは今日、正しい希望を持たなければなりません。違った希望を持ってはいけないのです。正しい希望を持たなければなりません。
・年をとっている方々も、新しく開始しなければなりません。「私は年をとっているのに」そうではありません。もう福音を受けたので、神様が与えられる力を供給してもらいましょう。そうすれば、神様が世の中で私に望まれることがあるでしょう。「いや、私が年をとっているのに、今になってどのように。」こう言う人々がいます。パウロがこういう話をしました。「私は得たのでもない。(開始という話です)キリストの手で捕えられるそれをつかもうとして行く。」この時、パウロの年齢は75才でした。すごいのです。イスラエル民族を連れて出発していくモーセの年齢が、その時85才でした。私たちは年を取っても、神様が与えられる力を受けて、新しい希望を探さなければなりません。どのようにするのでしょうか。上から与えられる力を受けてみれば、答えが出てきます。これを変えるので答えが出てこないのです。皆さんが神様が与えられる力を得てしまえば、年を取っても答えが出てきます。幼い青年たち、レムナントがこの話をわかれなければ、皆さんが外に出て行って世の中に苦しめられてしまいます。神様がくださる力を供給される奥義があれば、世の中に出て行っても勝てるのに、そうでなければ出て行けば負けます。それで成功をしておいて限界が来てしまうのです。
・私が知っている人は医師なのに、米国に行って麻薬患者になってしまいました。思い切りもうけたお金をギャンブルでみな飛ばしてしまったのです。それで追放されて韓国に帰ってきました。今はおかしな人のようにして通っています。どのように人がそのように変われるのでしょうか。そんなに着実に勉強した人が、どうしてそんなに変わるのでしょうか。福音がないためです。神様がないのです。それで自らが耐えられないためです。主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。そのうちで、特にタイトルをのがさないようにしましょう。エルサレムの繁栄を見よ、福音を真っすぐ理解しなければなりません。それで私たちは開始です。
・私たちのタラッパンはRUTCの開始です。それで、大邱のパク・チオン牧師が前に引退すると言ったのですが、年齢が何で、この時期に引退をするのかと尋ねました。まだ開始なのに。私たちは今、する事がどれほど多く残っているでしょうか。昔に何も知らずに、およそ50才でチョン・ウンジュ牧師が65才で引退をすると言ったのですが、65才にほとんどなっているのですが、今、青少年のようです。それで、が青少年が引退をして何をするかと尋ねました。私たちは、まだ全世界にすることが多いのです。これからRUTCだけ長老が訪問をして回っても、すばらしいことが行われます。
・皆さんが今、年をとっている方だとしても、気落ちするのではなく、新しい希望を捜し出しましょう。神様が与えられる力を得なければなりません。特にレムナントは話す必要もありません。皆さんの人生が新しく始まる神様の祝福の日になることをイエス様の御名でお祈りします。お祈りします。

<契約の祈り>
神様に感謝します。今日、私たちの祝福の順序を変える貴重な日になるようにさせて下さい。福音の祝福を受ける日になるようにさせて下さい。神様の力を供給してもらう日になるようにさせて下さい。それで、世の中を生かす世の中でも成功する者になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン



<一般信徒宣教献身礼拝>
2部/福音手紙4回目
-なぜイエスだけが道なのか?
(Iヨハネ3:8)

・四回目の出会いです。福音の手紙の中で一番重要な部分です。なぜ私たちにイエスだけが道なのでしょうか。一番重要な質問で、ここで答えを出すべきです。どうしてイエスだけが道なのでしょうか。ある人々は理解ができなくて、独善的だと言います。すべての宗教はみな良いことであって、どうしてイエスだけに救いがあると言うのか。これが多元論です。みな信じれば良いので、なぜよりによってイエスを信じなければならないというのかというのが出てくるようになりました。いよいよ教会でもこのようになってしまったのです。イエスを信じるだけでなく、教会に通いながら誠実に生きれば良いだろう。これが自由主義神学です。今、イエスを信じることより、経済的に良くなって、押さえられた者を解放しなければならないというのが解放神学です。こういうものがあふれ出ています。
・僧侶が聞けば気分が悪いでしょう。ただイエスだけが道です。他の宗教は気分が悪いでしょう。なぜイエスだけが道なのでしょうか。ここに答えを出すべきです。皆さんがここに答えを出すべきなのです。そうでなければ、困るようになります。それで三つのことがあります。ただイエスだけなのか、それは話にならない。このようにして知らない宗教団体がたくさん起きました。どうしてイエスだけが道なのか。こういう団体がたくさんあります。いよいよ教会の中で、どうしてイエスだけが道になるかという団体が出てきたのです。同じです。
・皆さんが本当にイエスだけが道だということを体験するその瞬間から、本当に答えがきます。その時から、どんな答えが来るのでしょうか。地球上で誰も悟ることができない伝道が何かを悟るようになります。そうです。ただイエスだけであることを分かったためです。今日、一般信徒宣教献身礼拝に集まったのですが、ただイエスだけでないならば、宣教する必要もありません。そうではないでしょうか。仏教、カトリックを信じてもかまわないのに、なぜ宣教師を送るのでしょうか。そのままその人々を手助けすれば良いでしょう。この時から皆さんにはとても重要なことが行われるのです。私の人生に、相手にとても重要な変化が起きます。
・皆さんの家系がいくら良くなくても、皆さんに勝つことができません。それで、これがただイエスだけが体験できれば、その時から答えがきます。人々はなぜこれを知らないのでしょうか。これが重要です。ただイエスだけが道だということが話になるのかと疑問を持つのが当然でしょうが、どうしてそうなのでしょうか。今、カトリックでもイエスを信じると言いますが、すべての偶像をみな受け入れています。メソジスト神学にビョン・ソンハン教授がいます。何年か前に教会以外にも救いがあると言いました。あい昧な話です。いよいよ、その後にイエス以外にも救いがあるとビョン・ソンハン牧師である教授が話をしたのです。それで、メソジストでその方を首にしました。それが幸いなのか不幸なのか、そのように言ったとその教授の首を切ったのです。これから牧師になって宣教師になる学生たちが全部立ち上がってデモをしたのです。ビョン・ソンハン教授の首を切ったということです。その立派な教授の首をなぜ切ったのかと大学でデモが起きたのです。そのような実情です。だから教会が復興ができない、伝道ができないのは当然のことです。イエスを信じる人々が未信者よりできないということは当然のことなのです。
・世界でお金が多いヨーロッパ、米国の教会が門を閉めるということは当然のことです。ここに四回目の出会いで完全に答えを出すべきです。ここで答え出せなければ、実際には祈りの答えを受けられません。受けるように見えるのですが、受けられないのです。実際には伝道ができません。共にキャンプをしても、本当の伝道運動は起きません。この答えを分からなければなりません。一番重要な質問、出会いになります。今日、私たちの衛星で礼拝する全国、インターネットで礼拝をささげるすべてのレムナント、神様が分からせてくださる祝福があることを希望します。
・それでは、彼らが何を知らないのでしょうか。私が分かることではいくつかのことを知らずにいます。カトリックでもそうで、すべての宗教では原罪が何かを知らずにいるのです。カトリックにいたあとで来られた方がおられるでしょう。マリヤにも原罪がないと言うのです。それは、原罪を決定的に知らないという意味です。原罪は、創世記3章に始まって皆さんと関係なく来る問題です。創世記3章の事件からすべての人類に臨んだのが原罪です。お父さんが北朝鮮に暮らすようになって、すべての子孫が北朝鮮人になった。それと同じです。何の誤りなくです。お父さんが奴隷で、お母さんが奴隷だから、子どもは千名、万名が産まれても奴隷です。だからアダム以後で無条件サタンの勢力の下に陥りました。これが原罪です。これを知らないから、ご飯を食べて生きて苦労してほろびながら死ぬのです。熱心にお金があれば良いとお金をもうけておいてほろびます。私が今、相手の人格があって言えません。私たちのインマヌエル・ソウル教会にも大きい財閥の家の子どもが隠れて出てきています。この頃は出てこないのですが、なぜ出てこないか尋ねたところ、メッセージはすべて聞いているということでした。自分の家の中にあまりにも問題が多くて、恥ずかしくて教会に出て来ることができないということでした。あまりに噂になるからです。すでに皆さんが勝利すれば、お金も付いてくるようになっています。お金、お金と言う人は、すでに負けているのです。皆さん中にお金がないと言うのは、すでに負けているのです。皆さんが祝福の現場にいれば、付いてくるようになっています。レムナントは必ず記憶しなければなりません。だから、原罪を知らないことは、重要なことを知らないことなのです。これを知らないのです。創世記3章の張本人である、事故を作り出したサタンの働きが何かを全く知らないのです。だから、どれくらい重要なことを知らないことなのでしょうか。福音が何で、宗教が何なのかをまだ区分を出来ずにいるのです。だから簡単に話せば、原罪が何かを知らずに、サタンが何かを知らずに、宗教が何かを知らずにいるのです。宗教は神様と全く関係なしで人が作って信仰生活をすることです。簡単に話せばサタンに仕えることです。これが宗教です。何年前に亡くなったソンチョル僧侶がこういう話をしました。釈迦はサタンのしもべだ。確かに話しました。その人が最高の方なのに、このように書いていたのです。私はその本を読みながらびっくり驚きました。そうだと思いました。これが何かを知らないから、教会がこれを知らないということです。律法と福音を区分出来ずにいるのです。ある家を訪ねて行く時には、略図を見ます。律法は略図と同じです。ところが、これを区分出来ずにいるのです。そして、自分に来ている霊的問題を知らずにいたり、分かるのにもじっとしているのです。来るしかなく、実際的な失敗が来ているのです。必ず来ます。この部分を全く知らずにいるのです。来世がどうなるか、地獄が何かを全く知らずにいるのです。だから、どのように解決するのでしょうか。神様がこの問題を解決するためにキリストを送られたのです。キリストを送って、重要なこと3つを解決されました。
・キリストを送って、創世記3章の事件を解決されたのです。Iヨハネ3:8に神様の息子が現れたのは、悪魔のしわざをうち壊すためです。それで罪の中に陥った人間の根本の運命を変えてしまったのです。そして、行く前に皆さんに働いている地獄の勢力を完全に破ってしまわれました。この3つのことを解決したのをキリストというのです。それで私たちが行ける道を完全に開いてくださったのです。マルコ10:45にすべての罪の問題を解決したと言われています。ヨハネ14:6に道を開いて下さいました。皆さんが話をする中に、この部分が分かる日、完全に弟子となります。なぜイエス様だけが道なのでしょうか。これを皆さんが体験する日、その時から答えがきます。確かにそれ以前はありません。正しいようなのですが、違うのです。それで、私が神学生、牧師は伝道現場をずっと行きなさいと言う理由が、体験しなければならないからです。実際、寺にも行ってみて、霊的問題がある精神病院にも行ってみなければなりません。行ってみなければ分からないのです。それで、ある日、分かるようになります。これでただイエスだけなのだな。この時から答えがきます。
・そして、伝道の門が開くのです。この時から家系の問題が崩れていきます。そうでなければ抜け出せません。どれくらい深刻でしょうか。分かってみれば、ものすごく感謝なことです。皆さんの周囲や家族が、ものすごく変でも、皆さんはやられないようになっています。わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、父のみもとに来ることはありませんという言葉が、私は理解できます。ある日、ペテロが使徒4:12に、世界中で救われるべき名としては、どんな名前も与えられていないと言いました。神様の息子が現れたのは、悪魔のしわざをうち壊すためです。ここに対する体験です。多くの教会がこれを体験できなくて知らずにいるのです。宗教団体のように知らずにいます。それで困難がくるのです。
・本文に入ります。なぜそんなことが行われたのでしょうか。大部分の人々が救いと生き方を区分することができずにいます。救いが何か、どのように信仰生活をしなければならないのか区分をできずにいるのです。これを知らないから、すべての宗教は同じだと言うのです。このように思います。だから善を行うのがすべての宗教の目的で、善を行うのではないかと話すのです。ぱっと聞けば、とても正しい言葉です。みな話すのです。だから教会に行く必要がありません。同じなので、なぜ行くのでしょうか。善を行うのは教会に行かないほうがさらに多く行えます。むしろ寺でさらによくします。多くの力を注ぐのが救いの道だと思うのです。いくら徳を高めても、これは救いとは関係ありません。
・それで、キリスト教は宗教でなくいのちそのものなのです。それで、宗教、いのちを区分できずにいるのです。宗教は人が作って、福音は神様がくださったのです。神様がくださったものと、人が作ったものを区分できずにいます。宗教は訪ねて行くことで、福音は神様が私たちに来られたのです。それで、インマヌエルと言うのです。宗教は人の行為が基準で、福音は神様の救いが基準です。こういう答えを受けるのに、これを知りません。一言で話せば、救われることができない者の滅亡状態が何かを知らずにやられてしまうのです。知りません。原罪は救われることもできない状態を言うのです。だから知らずにやられてしまいます。今日、皆さんがこの答えを受けると、他の人を生かす祝福の門が開かれるようになります。
・これを知らずにいます。私が何か罪があるかと言うのですが、神様を知らないことが最も大きい罪です。創世記3章に出現したサタンの手にそのまま掌握されているのです。知らずにいます。空中の権力をつかんでいる者の手にそのまま捕えられているのです。ほろびることもありません。生まれながら御怒りを受けるべき子であるためです。それで滅亡状態にそのまま陥っているのにこれを知らずにいるのです。なぜならば、その霊がサタンの霊に支配されたそのままいるからです。失敗するしかありません。霊自体が呪われた霊なのです。それで偶像崇拝、先祖供養、厄払い、占い、お守り、迷信に頼らざるを得ないのです。そして、みなしても滅びるのです。その人々は誤りがあるのではありません。救われることができないからそのようにしなければならないのです。彼らを救い出すのが最も重要なことになります。今日、皆さんが本当に福音を悟るようになるように願います。皆さんが牧会を長くしているのに、福音を悟れなければどうなのでしょうか。それより深刻なことはありません。牧会する奥様が、教会の仕事はがんばって教会に通うのに、実際に福音と関係がないならばどうなるでしょうか。完全にサタンの餌食になります。
・私たちのタラッパンでは、今はやく悟って決断を下さなければなりません。とても重要な話なのですが、特徴が何でしょうか。感覚がないのです。滅びる人は感覚がありません。だから死んでいくのです。皆さんが今日、契約を捕まえて解決されなければなりません。それで現実的に失敗して亡くなるのももちろんで、三、四代までほろびるのです。こういう状態がくるのです。一番多いことが精神病です。その次が名前を知らない病気です。分からない病気がきます。皆さんが祈る中で聖霊充満を受けて、人の思うようにはなりませんが、あまりに病気なのも良いことではありません。本当に恵みを受けなければならないのです。年をとった人も、聖霊充満した人々は病気があまりありません。若くても霊的問題がある人は病気がとても多いのです。こういう状態にあっても知らないのです。皆さんが教役者生活をして、あるいは教会通って、役員をしても、ここに対する体験がなければ、いつも似ているのでこんがらかります。今日、皆さんの人生に本当に完全な答えを出すことを望みます。
・救える人はただ1人だけです。それでは釈迦が良くなかったということでしょうか。違います。原罪、霊的問題、サタンの問題の解決はできなかったのです。本人がやられました。本人が運命の中から抜け出すことができなくて、精神的に問題がきて、王子なのにも、ずっと家を出て歩き回ったのです。どれくらい、とらわれたら菩提樹の木の下で6年、座るでしょうか。私は6時間も座っていられないでしょう。そのように歩き回ったのに、人々はそれを見て付いて回りながら信じるのです。地獄で一番悩んでいる人が釈迦でしょう。自分はさ迷ってきたのに、人々が付いてくるから普通の問題ではありません。釈迦の像、それも自分が作ったのでもありません。釈迦は無と言いました。ひとまず尊敬できることは確実です。菩提樹の木の下で座っていたということ自体が尊敬されるだけの人です。しかし何も発見できなかったのです。
・本来、すなわち何もないということです。どれくらい真実でしょうか。何も悟れなかったので、悟れなかったと話したのです。そして、自分は何もないと話しました。私はそのような面でこの人がとても立派だと思います。私たちならば、何でもたわごとでも少し言うでしょうが、言いませんでした。だから、この方はキリストではないのです。それで皆さんがここに答えを得られなければいつも苦労するようになります。このサタンの権威に勝てる権威を持った方であってこそキリストとなれるのです。人間を救い出すためには、必ず人間のからだを来てこなければならず、聖書に約束した通り罪があってはならないのです。アダムの子孫であってはなりません。カトリックにいたあとで来た人々に尋ねてみてください。マリヤは、アダムの子孫かではないでしょうか。アダムの子孫です。原罪があるでしょうか、ないでしょうか。あるのです。カトリックでマリアには原罪がないと話すのは根本の教理自体を知らないことです。
・一度、腹が立って神父と話そうとしたら、神父が逃げました。忙しければ忙しいと言うべきなのに、はじめはあいさつを良くしていたのですが、そうするうちに尋ねたら行ってしまいました。行く姿が私を無視したり避けるのではなく、うろたえて行くのでした。ある時は、車に乗って行くのに秘書に電話がきました。牧師先生、この方が何日か前から牧師先生と話したがっている方だという電話でした。それで変わってみなさいと言いました。電話のやりとりをするのに重要なことをいくつか尋ねました。そのうちの中心の内容が何かというと、本当に霊的な体験ができるかということでした。とても重要な質問なのですが、霊的体験をするということは、色々と解釈することができます。ところで、この人が話が通じたのかどうか、最後になって自分が誰なのか明らかにしたのです。ハプチョン海印寺の僧侶だということでした。電話が終わる頃にそう言いました。僧侶なのにメッセージをどこかで聞いて電話をしたのでした。今、継続して、何か知らずさ迷っているのです。答えが出ないのです。
・いったい救いとは何でしょうか。必ず滅びる罪から解放されることです。救いとは何でしょうか。罪から解放されることです。原罪、自分が犯す罪、先祖の罪。先祖が犯した罪がなぜ私にそのようなのか。先祖が偶像崇拝したから、来るようになっているのです。現在、サタンの勢力と運命から抜け出すことを言います。ものすごいのです。サタンの勢力から抜け出すのが救いなのに、ニューエイジ運動はサタンに仕えるということです。米国には教会もあります。サタン教会です。来世に天国の御座に座るのです。今現在、天国の背景とここに対する保障をはっきりと受けるのです。現実の中で来る色々な世代に証拠が現れるでしょう。
・Iヨハネ3:8を理解してみましょう。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。ここに皆さんがこれから宣教に参加したり、宣教献金することは、すばらしい祝福に対する決済をすることです。皆さんはどう思うでしょうか。神様が皆さんに祝福されるでしょうか。考えてみたことがありますか。私はある日、考えてみました。神様が私にどれだけ経済祝福を準備されただろうか。それを考えてみたのです。ところで、ある日このように悟りました。私に思い浮んだ単語が、あなたに準備しておいたお金は、白紙小切手だということです。白紙小切手を分かるでしょうか。思いのままに使うのです。財産がものすごく多い人が、小切手を与えて思いのままに使えと言うのです。それが白紙小切手です。神様が天国の御座のものすごい祝福を作っておいて、思いのままに使えるカードをくださったのです。私が祈って献金して宣教する瞬間は、その祝福をサインする瞬間です。私はそのように悟りました。神様の計画に従って行けば、私たちが動くこと自体が、祝福をサインすることです。今日も、その祝福受けるように願います。
・私は献金をささげる時ごとに、そのような祈りをします。必ずします。神様、私たちの子孫の中で十分の一献金で教会を生かすほどの子孫をずっと与えて下さい。私の子孫の中で、地域文化を変える建築をするほどの子孫をずっと与えて下さい。世界宣教に参加するほどの祝福を与えて下さい。RUTC運動する程、経済の祝福を与えて下さい。それが私の契約です。私はささげ物を出す時ごとにそのように祈ります。心の底から、間違いありません。私はキリストを体験しました。キリストは、すべての宗教はみな同じかもしれませんが、唯一なキリストです。この唯一性は、キリストという言葉は、私たちの根本の三つ問題を解決なさった方ということです。ソクラテス、孔子、みな立派です。しかし、その方たちの名前ではキリストの働きはできません。
・キリストという言葉は、罪とサタンと地獄の勢力をうち破ったものすごい名前です。ですから、実際に現場を見ないからです。実際に現場を行ってみてください。皆さんに驚くべき証拠が起きます。私たちが多くの未来に、ものすごい祝福も重要ですが、まずこの部分を体験してこそ、その時から働きが起きます。皆さんの残りの生涯に、この体験をするように願います。そうでなければ、未信者と同じようになります。こういうくやしいことがどこにあるでしょうか。それでは、皆さんに唯一性の答えがくるようになっています。ここに対する証人です。一般信徒宣教献身礼拝に参加した皆さんが、同じ証人の祝福を味わうようになるのです。
・何日か前に新聞を見ました。特別なことが出ていました。三星グループで初めて女性専務ができたのです。専務はオーナーと同じレベルです。この人は三星広告企画に就職をして、仕事をして今まで上がってきて専務になりました。この人が、三養ラーメンを引続き一番にして、仕事をする所ごとに多くの証拠が起きていたのです。ですから、韓国の最高のグループは三星グループなのですが、誰でも専務をさせるでしょうか。男もするのが難しい専務なのに、少ない女性の中でなったと特講をしたのです。その特講内容を要約して新聞に出ていたのです。
・特講の内容が何かというと、自分は広告会社に入ろうとしたのではない。広告に対する技能も趣味もなかった。就職して,お金をもうけなければならないが、行く所がなくて試験を受けた。ところが、第一企画になったのだ。就職したが、他の人は専門性があったが、自分は専門性がないから戦略を研究した。それが当たったのです。他の人は話すのが好きなのに、自分はそれができなくて、あらかじめ訪ねて行って説得して準備したということです。こういうものが合わさって成功したのです。それを読みながら、当然の話だと思いました。すべての真理はみなそうです。内容が違うだけであって、道はみなそうなのです。なぜそうでしょうか。私も同感します。私は我が家がイエスを信じる人々で、私も信じたのですが、いくらしてもだめでした。いったい信仰生活で伝道は何であり、成功は何でしょうか。答えが来ないということです。
・私には答えが来ませんでした。ある日、福音に対して関心を持つようになったのです。この時から答えが来たのです。本物です。そして、私はますますほろびなければならないほど、霊的背景がそうです。以前は知りませんでした。ある日、答えを受けた中に、キリストだけがこの問題を解決する可能性があることを分かったのです。その時から今まで、聖書にある伝道の働きが続いているのです。とても立派な人が発見できない聖書にある伝道を発見したのです。今でも同じ答えが来ます。キリストの唯一性を知っているレムナントを通じて世界は変化するのです。そこに対する確信がきました。
・その時から三番目ことが見え始めたのです。人を見る時も、皆さんの夫妻を見る時も、幼い時から持っていた霊的問題です。解決しないでしょう。ところで、福音を持った者にだけは該当しません。神様が真の変化をくださるのですが、真の変化とは何でしょうか。Uコリント4:7〜10四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。皆さんが、どんな環境の中にいても、そこで窮することはないのです。途方にくれていますが、行きづまることはありません。その理由は、土の器ですが、宝を持っているからです。これならば、充分ではないでしょうか。私はこの体験をしたのですが、その時から今まで、とても良くない環境だけきました。そして、とても迫害や妨害をたくさん受けたのですが、ある日知るようになったのです。それとは全く関係ないことだということです。四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。もう皆さんに世界宣教の門と、RUTCの門がずっと開かれればどうなるでしょうか。
今日、皆さんが1人ももれなくこの祈り始めましょう。イエス・キリストだけが出来るのです。神様、私に指定した福音の中にある答えを下さい。本当にキリストの中にある福音の中で答えを私に与えて下さい。これを祈ってみましょう。今日から。神様、本当に正しい伝道、宣教、伝道者、宣教師を助けるように門を開けて下さい。三番目です。私たちの家系に長くある霊的問題が、イエスの名前で崩れるようにして下さい。してみましょう。私の言葉を骨に凍みるほど感じなければなりません。そうすれば、働きが起きるでしょう。皆さんが持っている問題は、今日きたのではありません。皆さんが幼い時からあった問題です。そうではないでしょうか。悪い悪魔の勢力をイエスがうち破られました。本当に解決できない問題にあっているのではないでしょうか。それが友人でも、夫、妻のために来た問題でなく、皆さんが元々持っている問題です。だから、正しく認めてこそ解決できます。イエスの権威だけが解決できるのです。祈ってみましょう。礼拝の時だけ祈ったのに答えが来ます。
・神様、私に未信者のように、一般の人のようではなく、本当に福音の中にある答えを与えて下さい。これは絶対的で永遠なのです。そして目を開きましょう。お金をもうけることが重要なのではなく、本当に私に本当に伝道して宣教することができるように答えを与えて下さい。この時から経済の門も開かれます。本当に不思議なことが行われるのです。
・とても重要な三番目です。私と皆さんが持っている問題は、本来あったことです。年齢が50才ならば50年になっているのです。皆さんの家系から降りてきたのです。これはただイエスの御名にだけが崩せます。ただイエスだけ。私はこの単語がとても重要な単語だと思います。ヨハネ14:6、使徒4:12これ知らない者を救い出せる使命が、皆さんにあふれ出ることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、真の献身礼拝になるようにさせて下さい。私たちの家系と私にある長い間の霊的問題が、イエスの御名で崩れるようにさせて下さい。神様、私たちが肉的な成功のためでなく、伝道、宣教するほど、答えを与えて下さい。今日、私たちに福音の中にある真の答えを与えて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン