2007年5月13日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/ 私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます
(詩130:1〜8)

・昔に、王様が臣下を選ぶ時、実力がある者を選ぶのに、最も最後に見ることがあったのですが、それが孝行息子か違うかです。孝行息子でない人は、王にも仕えることができないということです。私たちは父母の日を過ごしながら少しの間、考えて過ごさなければなりません。両親に心配させない人が親孝行な者です。両親は、皆さんから何かをたくさんもらおうとはしません。いつも両親の心配事になったら、親孝行者になれません。しきりに問題が生じて、家庭が崩れて、それでは心配になります。両親に心配させる人は、おとなになっても、夫の心配、妻の心配になるでしょう。まちがいなく、その人は子どもにも困難を与えるでしょう。ここにレムナントがたくさんいますが、皆さんが成功することが親孝行することです。皆さんがあまりに失敗して困難な目にあっていれば、親孝行できません。話をよくするのも重要ですが、話さなくても、良く暮らしていれば、それが親孝行です。朝夕方に電話して挨拶しても、よく生活できなければ心配事です。
・この頃は、表現をよくしなさいと言われますが、そうでなくても、よく暮らしているだけでも、両親は気持ちが良いのです。私が全国を通ってみれば、韓国は狭いのに地域ごとに文化が違います。ソウルの人々は、表現をよくします。通り過ぎて会えば、大声を出しながらサインしてくださいと言います。大邱の人は見て逃げます。挨拶しておいても逃げます。釜山の人々は、そのまま無表情です。言葉をよくして、あいさつして、愛嬌を見せても、どんどん失敗すれば心配になります。両親に尋ねてみてください。一年に便りが一度しかなくても、子どもが成功していれば、両親は気持ちが良いのです。もちろん、父母の聖日で、心も表現しなければならないのですが、それより中心がさらに重要です。むしろ話をよくするのが良くないこともあります。
・米国人を見てください。夫婦もいつも会えばI LOVE YOUと、ぼってりした女がエレベーターに乗って、ほとんど場所をみな占めたのに、夫が倒れるかと思い捕まえてbeautifulと言います。そうしておいて、離婚したりするのです。また、慶尚道文化はちょっと違います。言葉にあまり現しません。それでも、中心はみな持っています。慶尚道の人は、むしろ反対です。子どもが何かを買ってきて、そうしたらソウルの人々は有難いとそのように言うのに、釜山の人々は何を買ってきたかと、そのように言います。それは、みな意味が含まれた言葉なのです。うれしいが、本当に良いが、あなたに苦労させるようだから、なぜ買ってきたかという話です。買って来ないでくれと言うのですが、その話は次に苦労するなということです。その話をそのように表現するのです。これが慶尚道文化です。
・大邱は、牧師夫人がみな良い方です。それで朴チオン牧師に「牧師先生は良い奥様に会われました。表に現れるのもなくて、話すことでもなくて、人が見えないように、すべての働きで教会を静かに生かされていますね。」今まで朴チオン牧師が奥様を連れて通うのを見たことがありません。それで奥様があまり前に出られないのだと分かりました。ところが、牧師より倍に美しい方でした。奥様がとても女性らしくて、お母さんらしくて、それでほめたのです。すると「ありがとうございます。」と言うどころか、他の女の人はみな死んでしまったのですかと言いました。それが慶尚道式の表現です。それでも韓国の10大財閥が、鄭周永氏以外は、みな慶尚道から出ました。韓国の大統領も同じです。話をよくするからといって実力があるのではないのです。私たちがとても難しくなってしまえば、親孝行もできません。とても失敗を繰り返して、それではどのように親孝行をするのでしょうか。
・今日、詩130:1に主よ。深い淵から、私はあなたを呼び求めますというみことばが出てきます。深い苦境に陥ってしまったということです。ひょっとして、皆さんの中で困難、悩み、問題の中にいる人がいるでしょうか。どのようにすべきでしょうか。小さい問題ならば大丈夫ですが、難しい問題にあったとすれば、どのようにするのでしょうか。デリーチという注釈家は今日の130篇は捕虜の時に書いたものだと言いました。一理あります。どうであれ、都上りの人が困難にあった時に歌った詩であることは間違いありません。経済的にとても困難がきたとしたら、私たちは難しくなるでしょう。少し貧しいという程度ではなく、ほろびるようになるとか、もう刑務所に行きそうな状況がきたら、それよりさらに難しいのは病気が私に近づいたら、どうなるでしょうか。ある日、病院に行ってみたら、あなたはだめですと医師が判定したら、普段の時、体験することができない気持ちになるでしょう。
・このように、私たちは苦境に立たされるのです。また、家庭の問題がきて、破綻するとか、子どもの問題が生じることもあります。この苦境によって未来を心配するだけでなく、不安になって、さらに困難の中に入ることもあります。この時、霊的問題がくるのです。表に現れないように混乱して、目に見えない病気になったりします。このような時、サタンが攻撃をするのです。ある人は、とても困難がくるから耐えることができなくて自殺をしたり、犯罪を行ったりもします。または、とても失望してしまってどこかにいなくなります。こういう人が多いのです。このような時、私たちはどのようにしなければならないのでしょうか。
・皆さんは困難の中に陥ったことがあるでしょう。私もそのようなことがありました。とても大きい困難に陥ったのですが、普段の時は知らないのですが、そのような時は、その答えが聖書にあるのですが、今日の本文のみことばにあります。どのようにしなければならないのでしょうか。私にある小さい問題は、どのようにして大きい問題はどのようにするのでしょうか。本当にばかにされるほどの困難がきたとすれば、どのようにしなければならないのでしょうか。
・今日、本文に入る前に、先にすべきことが一つあります。先に気をつけて分別をよくしなければなりません。どのように気をつけるかというと、はやく私が誰なのかというアイデンティティーを見つけなければなりません。それから後に、この事実を客観性をもってよく分別をしなければならないのです。このようにする時に、待てば良い問題があります。この時は待つのです。ヨセフは13年、アブラハムは25年、イサクは20年、ヤコブは21年、ダビデは40年ほどを待ちました。ある時は、待たなければならない時があるのです。そうすれば解決されることがあります。私たちが気をつけてみれば、あるものは問題でないのですが、問題の中に自ら陥る場合もあるのです。
・私の隣りにいた女執事は、夫に3日に一回ずつ殴られていたのですが、自分は迫害だと言っていたのですが、私が見る時には女の人のほうが変でした。いつもご飯も正しく準備せず、家は空けて通うので、家庭が変になっていたのです。そんなことは、すぐに直せるのです。ある場合には、大きい問題がきたのに、知らずに怠慢になることもあるのですが、問題でないことを問題として大げさに騒ぐこともあります。真に苦境の中で陥った時は、どのようにすべきでしょうか。今日の本文3〜4節を先に見なければなりません。簡単です。
・小さい問題がきた時は解決する初めのことは何でしょうか。私の誤りを悟ることです。ところで、私たちはバカのように、自分の誤りは知らずに、他人の誤りだけ考える人がいます。だから解決しないのです。そこに錯覚までして、誤解までするのです。問題がくれば、私の誤りだなとすれば最も速いのです。それでは、大きな問題がきた時はどのようにするのでしょうか。さらに重要なのは、聖書を見れば、神様はご自分のみこころを変えることもなくて、どんなものも変えることができないのです。ところが、聖書に神様がご自分のみこころを変えられる場合があります。ただ一つだけです。悔い改めです。聖書を読んでみてください。悔い改める時「思い直されて…」聖書にそうなっています。
・色々な問題がきたとすれば、自分の誤りを悟れば、はやく解決され始めるのですが、本当に困難がきたとすれば、神様の前に悔い改めれば神様は思い直されるとなっています。私と皆さんを滅ぼそうとされていても、神様が悔い改めすることで思い直されると言われています。ただ一つのケースです。どんな方法を使って、いくらもがいても変えられないのに、悔い改めれば神様は計画まで変えてしまわれるのです。
・「ヨナ」という預言者を知っているでしょう。預言者になっても神様の命令を拒否して逃げました。主の御顔を避けて言われていますが、避けられるのでしょうか。このヨナに、ニネベに行きなさいと言われたのですが、タルシシュに逃げました。ひとまずヨッパ港側に行ったのです。ちょうど船があったということでした。待ってもなかなかない船なのに、逃げようと見たら船があるのです。人が滅びようとすると、このように滅びます。聖書に面白く表現しています。船賃を払って船に乗ったとなっています。滅びる人は投資しながら滅びるのです。だから、お金を受け取っても乗ってはならない船に、お金を出して乗ったのです。このように、船に乗ってヨナは船の下に降りて行って安らかに寝ていました。本当にすごいのです。
・ところが、主は大波を起こされて、ヨナを追撃されたのです。昔に、中高等部で説教した時「暴風を作り出した男」というタイトルで説教したことがあるのですが、それほどものすごい暴風がヨナが乗った船に向かってきました。船がひっくり返りそうになって、大騷ぎが起こりました。中の人々が、各々、自分の神を呼んでも解決しなかったのです。その時、ヨナが出てきて自分の誤りを認めました。それで、その船から、助かるためにヨナを水に投げ込んでしまいました。その瞬間、波は穏やかになったのです。そうなるのです。皆さんが悟ってしまう瞬間、解決され始めます。ヨナが魚の腹の中で祈りました。そして、ニネベに行くのです。ニネベに行って福音を伝えたら、ヨナ3:10に重要なみことばが出てきます。滅ぼされるニネベの民が悔い改めたのです。本当に神様の前に悔い改めました。ところが、面白い単語が出てきます。「主が・・・思い直し」ルカ15章に家を出た放蕩息子がお父さんのところに戻りました。単に戻ったのではありません。私が大きい罪を犯したと悟って、しもべとして使ってくれと言いながら戻りました。それと共に換えって北の絵ですが、自分の人生の問題がみな解決されました。
・詩51:4にダビデがこのように祈ります。「私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し」そのようにレベルが高い悔い改めをしました。ダビデが人の前では全く問題でない事故を起こしたのです。将軍の妻を奪い取るために将軍を戦場に送りだして殺したのです。死んだので合法的にその婦人を連れてきて妻としました。その婦人がバテシェバでしょう。何も悪いことはありません。ダビデが何を悔い改めたでしょうか、私が主の前に前に罪を犯したということです。人々は知りません。神様はそのダビデの祈りをお聞きになって、全てを許されました。今日の3節を見てください。ヒゼキヤ王が大きい危機に2回会いました。
・アッシリヤ軍18万5千名が攻め込んできた時、神殿で涙で悔い改めながら祈りました。病気になって死にそうになった時、壁に向かって神様の前に悔い改めながら祈りました。確かに聖書に記録されているのが、思い直されたことです。皆さんが自分の誤りをいくら認めても人は理解しません。主が思い直されるのです。今日、皆さんが大きい答えを受ける祝福の日になるように願います。いくら苦境の中にいても、皆さんが神様の前に戻って誤りを悟って祈ったら、神様は思い直されるのです。赦される程度ではありません。思い直されるのです。
・二番目です。私たちが悔い改めだけしていたら良いのでしょうか。誤りだけ悟れば大丈夫なのでしょうか。間違ったと気をおとして涙だけ流していれば良いのでしょうか。生きる道を正しく見るべきなのですが、それが二番目です。5〜6節です。悔い改めだけでなく「私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。」飛行機がそのまま簡単に行くのではありません。管制塔から来る信号を見て行くのです。船がそのまま通っているようでも、機関士がみな道について行くのです。
・私たちの人生に困難がきた時に、最もはやく解決される道が主を見上げることです。私の誤りを悟って、大きい問題がきたほど悔い改めて、主を見上げれば最もはやく解決されるのです。詩81篇を見てください。イスラエルよ、主を見上げなさい。未信者は理解できない言葉です。私たちが見上げるべき所を見上げたら、わたしが力ある御手をあげてあなたの敵を打つ。だから、私たちが主を見上げると、すべての問題が解決されるようになっています。万一、皆さんが主を見上げる祈りを一日に5分だけできるならば、皆さんの生涯に変化が起きるでしょう。もし皆さんが主を見上げる定刻祈りを始めたら、皆さんの人生が変化するでしょう。
・私は昔に祈りというものを分かっていても知らなかったのです。祈りをすべきだと思ったのですが、よく知りませんでした。祝福はくるのに、私が今どこへ行くかも分からないし、答えはくるのに違っているようでした。そのようなある日、大きい困難にあいました。本当に主を見上げる祈りをしたのです。その時、祈ったのが、私個人とインマヌエル教会とすべての現場に今でも答えが続いています。皆さん、未信者らや科学者、政治家は絶対に理解できない言葉です。主を見上げなさい。誰も知らないのですが、皆さんの人生を解決することができます。なぜか、私たちのいのちの主人は、主であるためです。時計が故障したら、時計屋に行くべきで、煉炭屋に行っても良いでしょうか。私が病気ならば病院に行くべきで、旅行に行っても良いでしょうか。私たちの人生の最も重要な主人が主なのに、主を見上げるべきではないでしょうか。誰にも分からないように主を見上げる祈りができるならば、皆さんの生涯は確かに変わります。
・今、釜山をはじめとして、全国でみことばを聞く方の中で知識のある方も多いでしょう。皆さんは祈りをどのようにするのでしょうか。そのまま黙想すれば良いのです。祈りの中で一番良い祈りが黙想です。誰にも分からないように、心の底から中心で主を見上げるのです。これが一番良い祈りです。話を上手にする必要もなくて、そのまますれば良いのです。主を見上げるだけでも働きは起きます。主をどれくらい見上げるかにしたがって、皆さんが力を供給してもらえます。飛行機は、そのまま飛ぶのではなく、エンジンによって力を受けて飛ぶのです。それで、あなたが赦してくださるからだけではなく、そのみことばを見上げなさいということです。主を見上げて、みことばを捕まえて少しだけ祈れば、皆さんの生涯が変化するみわざが起きるでしょう。神様の祝福を受けるように願います。
・私はしばしば話すのですが、私の母を通して見ました。神様が多分、この証しと私と皆さんに伝道しろということで見せてくださったのでしょう。私はお母さんに対する証しを語りつくせません。どれだけ難しいことをしたのか、職業もみな話せません。もちろん、悪いことはしなかったが、どれだけ苦労したのか説明できないのです。私が見た中で、そのような難しい境遇に置かれたことを見たことがありません。ところが、他人に被害を与えたことも、借金をしたこともなく、勝利しながら暮らしました。私は私の母が主を見上げることを学びました。どれだけ奇跡が起こったか、我が家には病気も貧困も入ってくることができないほどでした。主を見上げる者に、災いが家庭に及ぶことができないと詩91篇に話されています。万人が倒れて、千人が転んでも、主が皆さんを災いから守られると言われました。確実な証拠があります。いくら問題がきても、私の誤りを悟って悔い改めて、主を見上げれば、その時から解決され始めます。多分、それ以前までは、だめなこともあります。なぜか、神様目的がそれであるためです。ヒゼキヤ王が困難が近づくから頭を使いました。お金も、度量の広さ、みな持って行ってもだめでした。いよいよ、ヒゼキヤ王が神殿に行って神様の前に行ってひざまずいて祈ったのです。神様はそれを待たれたのです。解決されます。
・今日、私たちのユン・アンチョル教授(執事)が、ボストン地域の長老になるために投票をするようになります。神様にどれくらい感謝するのか分かりません。ボストンという地域は、大学だけがいっぱい集まっています。ハーバード大学を中心に一流大学だけ集まっているのです。そこで働く教授なのですが、どれくらい貴重でしょうか。長老として立てられるのも祝福ですが、これから多くのレムナントを生かす祝福が始まるのです。今回もミッションホームを購入しました。購入する過程の中で、学生たちは信用がなくて借りられません。韓国と米国でレムナント運動をする資料を送りました。みなだめだと言ったのですが、よりによってユダヤ人1人が書類を検討してOKしたのです。色々な困難を通過しながら、ユン教授の話を聞きながら通過させました。ユダヤ人とは誰でしょうか。世界で子孫教育を一番上手にする人々ではないでしょうか。恐ろしいことには、ユン教授を通してイエス様を受け入れたのです。成功した人物なのに、メッセージを聞いて衝撃を受けたということです。こういう事を神様が起きるようにしているのに、どれくらい感謝するか分かりません。主を待ち望む者には、できないことはないと言われました。今日、皆さんが本当にこの契約をつかまむように願います。
・三番目です。主だけ見上げているのもそうなのですが、一つしなければならないことがあります。それが何でしょうか。私たちの呪い、失敗の根本の根を抜いてしまわなければなりません。雑草も根を抜くべきで、上だけを切れば、また育ってきます。皆さんの家系から流れてきた呪いの根を抜かなければならないのです。何十年間、皆さんをつかんでいる暗やみ勢力の根を抜いてしまわなければなりません。抜くということは何でしょうか。それが7〜8節に出ています。贖いという言葉は、みな赦してなくすことです。それが何でしょうか。福音です。皆さんが今は福音を持って根を変えてしまわなければなりません。そうすれば、必ず勝利します。いくら大きい困難が来ても、神様の前に悔い改めれば、神様が思い直してくださいます。主を見上げれば新しい力を得るのですが、最も重要なことは根を抜いてしまわなければならないのです。
・マルティン・ルターはこういう話をしました。私たちにくださった詩篇の中で詩130篇が最も大きい教訓だと言って、ヨハン・ウエスレイが詩130篇を読んで悔い改めたということです。その人たちに、どんな重大な問題がきたのかは分かりませんが、重大な問題に陥れば、答えになるのです。そして、すべきことがあります。問題きたとすれば根本的なことからはやくはやく解決しなければなりません。そして、はやく基礎に戻りましょう。学生たちが勉強ができないならば、基礎にはやく戻らなければなりません。経済の困難がきたとすれば、根本的にはやくはやく戻らなければなりません。人を見ることもありません。そして、事実通りに入って行かなければなりません。そうすれば、それが開始になって大きい祝福のみわざが起きるでしょう。世界で一番多くのデパートを持ったというワナメーカーも店員から始めました。世界的な鉄鋼会社を動かす、シーバーという人は清掃員から始めました。
・私たちは、主を見上げながめながら、小さいことが何でもないように見えても、すばらしい祝福の道になるのです。私たちのレムナントに難しいことが来たら、誠実にしろということは、それ自体でなく、それが祝福の道になるのです。清掃員として入って、いつこの大きい問題を解決できますか。店員で就職して、我が家の貧困をどのようにみななくせますか。神様がなさるということです。何もない私たちが現場に福音を伝えたのですが、神様は世界に門をあけられたでしょう。記憶しなければなりません。問題がきた時は、精神から整えなければならないのですが、みことば捕まえて、とても基礎から、根本から、事実から始めなければならないのです。そうしていたら、神様が答えの門を開かれ始めるのです。大きくても小さくてもみなそうです。
・私が副牧師の時も、どれくらい難しかったでしょうか、大きい苦境に陥ったことではないのですが、とても難しかったのです。その時、私が気をしっかりしたのです。これで良いのではない。私は人に依存せずに、神様の子どもとして、しもべとして祈らなければならない。私がいる現場で、誠実に祈りながら仕事をしなければならない。そして、副牧師だった時、夜明けに祈りながら伝道し始めたのです。そのようなある日、影島にあるこの教会から私を探しに来たのです。これが答えです。その時から今まで、どれほど多くの門を開けてくださったか分かりません。福音を持った副教役者と長老、こういう強固な方々にどのように会えるでしょうか。他の教会では毎日争っているのに、ソウル釜山を問わず、私が感じるだけでも、できれば福音を伝えるのに支障を与えないようにしています。どれくらい感謝か分かりません。私がどのように、こういう祝福の位置に立つことができるでしょうか。これが神様の恵みではないでしょうか。私がどのように世界福音化する皆さんに会うことができるでしょうか。このように少しだけ祈れば答えがきます。
・3つ、記憶しなければならないことは、はやく誤りを悟って悔い改めて、主を見上げて、福音に根を下ろしてしまえば働きが起きるのです。最後に一つの単語を捕まえなければなりません。見張り人が朝を待つように、見張り人が夜通し見張りをしながら朝がくるように、どれくらい待つでしょうか。そのような気持ちで、主を見上げて神殿に上がってきて礼拝に参加して神様の恵みを受けなさいということです。見張り人が朝を待つようにするということが、理解はできるでしょうが、実際にどのように可能なのでしょうか。こう思えば良いのです。
・皆さんが今、病院でガンになって、苦しんでいる人がとても多いのです。とても初期に発見されて、癒される人々は、肉体的に大きい恵みで、ほとんどは直せません。人生がすぐに終わることでもなくて、苦しむ人を見ました。ところで、その時、その人たちが、その中で主を探すのです。それを考えてみてください。皆さんは病院に行かずにここに来たではないでしょうか。どれくらい大きい喜びでしょうか。私はそう考える時、本当に感謝して、私は主を見上げるべきだという気がします。
・私がどれほど多く走ったでしょうか。すでに死んでいるはずなのに、今まで守ってくださったことに感謝します。大きく罪もたくさん犯したでもないのに、失敗して刑務所で苦労する人々が多くいます。刑務所に行ってみたら、ほとんど仕損じて入ってきた人々が多いのです。悪い人でもないのですが、感情を調節できなくて爆発して来た人々が多いのです。この人たちは、自由がなく閉じ込められていなければなりません。その人々がすることは一つしかありません。私がいつ出て行けるだろうか。それだけ思うのです。その心情を考えてみてください。どれくらい自由にきて、伝道しに行って、献身もできるのか、どれくらい祝福を受けたのでしょうか。そのような考えで、今日、皆さんが礼拝に参加したら、聖霊が働いて問題を解決することができます。そして、心の底から祈りましょう。「本当に私の重要な問題を主に任せます。」それが簡単なことのようですが、とても聖霊が働かれます。そして感謝しましょう。
・ある牧師が説教をしたところ、執事が訪ねてきました。牧師先生、牧師先生ならば、私の立場になっても祈ることができるのですかと問い詰めたのです。娘が誘惑されて売春婦の場所に行って、売春婦をしているということです。その時、牧師がこのように話したということです。「感謝しなければなりません。神様はその娘を生かせます。そして、今まで執事は本当に祈らなかったのに、本当に祈れます。何も足りないことがなかったのですが、主を見上げるところができました。その娘は神様が変化させれば良いのです。」その時、執事が聞いて「そうだな。私は今まで正しい祈りをしたことがないな! 足りないことがないと思って、子どもをよく育てたと思って、よく暮らしていると思った。ところで、なぜこのようになったのか! 私が主を見上げる機会が来たんだなあ! 」このように考えたら、われ知らず感謝が出てきたのです。「神様ありがとうございます。新しく始めます。私の娘を神様に任せます。」ところで、それが開始でした。
・ある伝道者が通り過ぎるときに、この売春婦と会ったのです。いろいろな話はしませんでした。単に福音を話したのですが、この女性がわあわあ泣きながら地面を打って号泣したのです。アウグスティヌスが、ローマ12章を読みながら手を噛みながら悔い改めたというではないでしょうか。聖霊が働かれれば、そうなるのです。今日、このように皆さんの貴重な人生を主に任せましょう。それで、本当に大きい答え、大きい働きが起きるようになる皆さんになることをイエスの御名でお祈りします。「私には問題がないのですが」と思う人はいますか。感謝なことではないでしょうか。
・一つ例ですが、息子がお父さんに「お父さん、私が今回とても感謝なことができました。交通事故がおきたのでうが、車がめちゃめちゃになったのに、一つもケガしませんでした。」そうしたら、お父さんは「私はさらに感謝することができた。」すると、お父さんも事故にあったのかと尋ねられたので「事故がなく、このようにしているので、どれくらい感謝だろうか。」と話した逸話があります。人々は本当に愚かです。必ず車がみな壊れて、ゆがんで、やっと出てくれば感謝すると言います。病院に行って大手術をして、それで感謝が出てくるのです。だから、今、ここに座っているのを感謝しているでしょうか。この祝福が皆さんの子孫代々、永遠にあることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様、感謝します。本当に主が願われる者になるようにさせて下さい。私たちの罪と誤りを主に出して悔い改める者になるようにさせて下さい。私たちの家系、現場、すべての暗やみの根を抜く日になるようにさせて下さい。見張り人が朝を待つように、主を見上げる祝福の日になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン



2部/福音手紙 6回目の出会い-
救われた私は、どのように変わったのか
(Iコリント2:10、14)

・救われた私はどのように変わったのか。救われた皆さんはどのように変わったのでしょうか。私たちの教会の初期にはこのようにしていました。長老、按手執事、勧士、すべての役員がいっせいに献身機関、聖歌隊にみんな入っていました。それで、いっせいに他のことはせずに、会議のようなものもしませんでした。理由があります。夜10:30になれば核心をしました。それを終えると11:30でした。その時、会議に集まったのです。役員が順番で回りながらラーメンを作って食べながら会議をしました。その数年が、世界をひっくり返したのです。私がこの話をなぜするのでしょうか。
・皆さんが聖日一日、明け方から核心まで人の話を聞かずに、人と話もせずに本物の祈りをすれば、みわざが起きます。多分、皆さんは聖日一日に色々と試みににあって話すのが、サタンが皆さんの祝福をみな奪い取ろうとする戦略です。皆さんが一週間に一日、簡単に話せば、安息日の日だけ恵みを受けても、6日間、証拠がずっと起きます。それで、多分、これから正しくしようとするならば、皆さんがいろいろ集まることは平日にして、聖日には完全祈り、献身、伝道をするのも良いでしょう。一時、釜山で一番たくさん働きを起こした西部教会ペク・ヨンヒ牧師は、聖歌隊も集まらないでと言いました。祈りとみことばだけしなさいと言ったのです。悟ったことでしょう。なぜなら、皆さんが生きなければならないためです。皆さんが生きて、答えを受けてこそ誰なのかが分かります。答えを受けられなければ、そのままです。
・今日、皆さんが絵でよく見ることを希望します。本来の人間は、神様と対話して交わりながら、いつも生きていました。創世記1:27に神様のかたちに創造されたとあります。そのために、神様からものすごい祝福があったのです。本来、このように生きていました。ところで、重要なのは、創世記3章の事件でサタンが現れたのです。そのようにして、完全に人間を神様と断絶させました。これがサタンの戦略です。それで、完全に行くことができないように防いでしまったのです。本来はそうでなかったのですが、創世記3章の事件が起きて、このようになったのです。そして、サタンが権威を防ぎました。神様にはものすごい天国の祝福がたくさんあるのにも味わえないのです。神様のところには神様の祝福がとてもたくさんあるのですが、とうてい味わえないのです。このようにして、ローマ3:10に義人はいない、一人もいないと言われました。ローマ3:23に、断絶してしまったので、すべての人が罪を犯したので神様の栄誉を受けることができないと言われています。だから、いくらもがいてもだめなのです。
・ここで皆さんがいくつかの重要な答えを出さなければなりません。米国でもこれを尋ねると混乱を起こします。幼い子どもが生まれて死ねば天国に行くのか、地獄に行くのかに対する質問が出てきたのです。どこに行くのでしょうか。サタンに捕えられています。絶対に錯覚をしてはいけません。創世記3章の事件以後、人間自体がサタンの勢力の下に置かれているから天国には行けないのです。くやしくないのかと尋ねるでしょうが、それは考えであって、行けません。こういう質問をよくします。死んで多くの献金をすれば天国に行けないだろうかと尋ねます。カトリックではものすごく功績を立てれば行けると言います。こういう錯覚に陥るのです。この間、私に自分の牧師も柳先生と共にタラッパン運動をする方だけれど、それでも行けると言ったから、はっきりと話をしてくれとメールで送ってきました。絶対に神様のみことばには、義人はいない、一人もいないという言葉があるのですが、それは行けないという言葉です。すべての人が罪を犯したので、すべての人が神様に対して知らずにいるのです。それで、神様の栄誉を受けることが出来ずにいます。だから、先祖供養を行うと言うのですが、いくらしてもサタンの勢力の中にいるのです。
・皆さんが善行をしても良いでしょうが、善行は善行だけで、神様のところに行くことはできません。ここでテキストを見ますが、誤った救い観、救いが何なのかを知りません。これを知らないから、誤った救いが何かを知らないのです。何かの宗教や宗教を持って熱心に信じれば良いのではないかというように言うのです。いくら宗教を持っていても、サタンの勢力の下にいる以上は、神様のところには行けません。また、ある人は教会に熱心に通えば良くないかと尋ねます。サタンの勢力の下で教会に熱心に通えば、神様のところに行けるのでしょうか。行けません。ある人は、教会に熱心に通えば良いと言うのですが、すでに詰まってしまいました。
・それで一般の宗教人がほろびて、パリサイ人がほろびたのです。そばの人々が、私たちがおもに言う言葉ですが、がんばろうと言います。がんばろうと言うのですが、救いとは何も関係がないのです。すべての宗教生活をする人々は、自分が熱心にできなくて申し訳ないと言います。何をがんばるのでしょうか。それでも、行きながらがんばると言います。信仰がなくてと話したりもします。熱心にすることができないからだとも言います。何をがんばるのでしょうか。違うようにする人が、がんばれば頭が痛いのです。サタンの勢力のなかでいくらがんばっても、熱が出るだけで、神様のところには行けません。行くことができなくなっているのです。それがどれほどだから、神様がキリストを十字架に釘付けられるまでされたのでしょうか。行けません。それでも、私たちが信念、哲学を持って生きれば良くないかと言うのですが、いくらそうでも神様のところには行けません。ところで、この中で、ないより持っているほうが良いだろうと思うようになりました。この中で、完全に呪いの中にいるより、何かをしたら良いと思ったのですが、神様のところには行けません。ある人は経済を覚えたり、念仏を唱えるのですが、いくらしてもだめです。それで、人間は完全に呪いの中に陥って、結局は地獄に行くのです。どうなるのでしょうか。それで、サタンの勢力には、サタンというものすごい力があるから、神様があらかじめ約束をされたのです。それで出てきた言葉です。
・女の子孫がきて蛇の頭を踏み砕く。ユダヤ人がエジプトから、どのように出てきたのでしょうか。羊の血を塗った日、出てきました。とても信じないので、あらかじめ何千年間、話しました。そうした後、ある日、神様がキリストを送られたのです。道を開けられたのです。ローマ5:8にキリストが十字架に死なれることによって、私たちに対する愛を明らかにされたのです。そして、すべてのサタンの勢力をうち砕いて、神様に行く道を開かれました。それで、わたしは道であり、真理であり、いのちなのですと言われました。なぜでしょうか。神様が私たちがすることができないからキリストを送られて、サタンの勢力をうち破られたのです。この時から、神様の祝福がき始めるのですが、神様には隠されたものすごい祝福があるのです。いよいよ、キリストが来られて、この世で途方もない祝福を味わって、神様にあって天国のすばらしい神様の国、御座の祝福をずっと味わうようになります。なぜ神様がこのようにされたのでしょうか。この道しかないためです。他の道はありません。他の宗教で他の人は立派な人々だけで、神様の息子キリストではありません。キリストではないから、サタンに勝てないのです。それで道を開けられたのです。神様のほうには、ものすごい祝福が備えられています。このようになったのです。
・皆さんがそれならば、皆さんは今どんな状態にいるのでしょうか。これを確かに分からなければなりません。それで皆さんには内的変化が起きたのです。目には見えないのですが、皆さんは神様の祝福を受ける場所にいます。それで、自由にできる祝福を与えられたのです。救われた状態ということは、皆さんの中に完全に聖霊が住んでおられるのです。普通のことではなく、聖霊が住んでおられるので、祝福が見え始めます。それでローマ8:2に、いのちの御霊の原理と言われたのです。今は皆さんにいのちが与えられました。これを確かに分からなければなりません。それで、今はヨハネ14:16-17に、聖霊が皆さんを導くと言われています。皆さんの失敗は聖霊の導きを受けないこと、一つしかありません。今まで苦労したことは、聖霊の導きを受けないことで、導きを受ければ、ずっとみわざが起きます。特に聖霊が皆さんの中にとどまっておられます。それで、どんなことが行われるのでしょうか。律法を私たちは守ることができないのですが、それをみな成し遂げておられるのです。それで、恵みをくださり、ものすごいことなどを分かるようにされるのです。また神様の神殿になりました。私たちが間違ったことを祈れば悟るようにされます。私たちが弱いことを知って助けられます。安らかさの中に導いて、祈りを助けられるのです。
・今は難しいように見えるでしょうが、すべてのことを働かせて益としてくださるのです。なぜなら、皆さんは神様のほうに来てしまったからです。前にサタンの勢力の下にいたのですが、神様のところに来てしまって、ものすごいみわざがあるのです。どのように、この救いの中に入るのでしょうか。皆さんができないことを知って、キリストを送って道を開かれたのです。それで、水と聖霊、神様のみことばと力で、新しく生まれ変わるようにされました。方法はありません。私たちの力ではだめなのです。それで、キリストを送って、イエス・キリストを送って、私たちに永遠のいのちを与えようとされたのです。ここに皆さんの驚くべき奥義、状態がどのように成されたのでしょうか。人間は誰もできないから、女の子孫を送られました。この話しは、普通の話ではありません。今日、よく聞かなければなりません。「女の子孫」皆さんが礼拝をささげる時、毎週、乙女マリヤより生まれという言葉をよく知らずに言っています。今日も言ったでしょう。2度も知らずに言ったでしょう。それで礼拝をささげる時ごとに、全能の父なる神様と言うでしょう。
・皆さんが乙女マリヤより生まれという言葉を言うと、暗やみ、悪霊がぶるぶる震えます。暗やみの勢力は絶対に他のものには震えないで、神様にだけ震えるのです。乙女マリヤより生まれました。それは、人の息子は人だからサタンの餌食なります。聖書に約束されたのです。見よ。処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと呼ばれる。だから驚くことが起きたのです。それで、もう皆さんの霊は神様の中にあります。
・それで、もう皆さんが聖日だけでも核心までみなささげるように願います。祈りながら一日中するように願います。ご飯もたくさん食べずに、一日中祈りましょう。夜通しTVを見て、歩き回ってきてその後でTVを見て、夜明けにきわどく起きて、朝は忙しいが聖歌隊のために歩いてきて、ご飯を食べて、このように座っていれば恵みになるはずがありません。今頃、皆さんはしないでしょうが、礼拝を終えて、どこへ行くのか、温泉か、海かと考えて終えれば、すぐに出て行きます。それでは、機関の集いをすれば逃げるのですが、ある人は逃げる時に服を引っ張られて裂けたりもします。皆さんが核心をしなければ、歩き回って家に入ってきて唾が流れるほどTVを見るのです。みなのがしてしまうのです。
・ある勧士は、午後に教会に来ずに口を広げてTVを見ていたら、入れ歯が落ちました。だから、皆さんが祝福をみなのがしているのです。皆さんが聖日には、本当に聖歌隊、教会学校を置いて祈るのです。これをのがすからですが、それだけしてもみわざが起きます。考えを変えなければなりません。主の民、主のしもべ、役員、とても尊い方々ですから祈るのです。長老が講壇の上で祈る時、長老のために共に祈りをするで、祈る時、アーメンと言うのです。皆さんが賛美をする時は、本当に天の軍隊が動員されるみことばを捕まえて賛美するのが聖霊充満です。なぜか、ものすごいことが行われたからです。女の子孫、処女がみごもって男の子を産んだのですが、その方が蛇の頭を完全に踏み砕いてしまわれました。神様に行く道を完全に開いてしまわれたのです。サタンの勢力を全部、終わらせてしまわれました。それで新しいいのちを与えられたのです。
・キリストのいのちの原理、その聖霊があなたがたを解放したのです。このいのちを持った者には4つの変化が起きます。どのような変化が起きるのでしょうか。皆さんの霊的な戸籍が変わってしまいます。前は悪魔の子どもでした。皆さんの名前が滅びの名簿に記録されていたのです。いくら騒いでも、滅びの名簿にあったのですが、いのちの書に変わってしまいました。そして、前は身分自体が世の中、罪の奴隷でした。ところが、もう皆さんが神様の子どもに変わってしまったのです。ところで、前はいつも肉体中心で生きていたのですが、今は状態が変わって聖霊の導きだけ受けるようになりました。そして、前は皆さんの人生自体が悪魔、空中の権威をつかんだ者の下にいました。
・今は皆さんの人生が聖霊の導きを受けているのです。このように完全に変わってしまったのです。神様は、いのちを持った者をどのように導かれるのでしょうか。この答えを持っている者は、神様がどのようにされるのでしょうか。神様が最後まで捨てません。皆さんが最後まで導きを受けながら仕えなければなりません。誰も皆さんを滅ぼすことはできません。私が手がこのように楊貴妃のように美しいのですが、力は強いのです。私が運動をほとんどしていないものはありません。ボクシング、柔道、剣道、ほとんどしていないものはありません。ひとまず用心してください。ところで、私がこう見えても、私が相手をつかめば簡単に抜け出すことはできません。
・私が以前に柔道をして、捕えられて相手の手から抜け出そうとしたのですが、ケガをしてまだ良くなっていません。相手が強い選手だったのです。指を完全にくじいてしまいました。私がつかんでいれば、皆さんは抜け出せません。ただ抜け出ようとするなら、条件があります。私より力が強くなければならないのです。私より力が強くてこそ、この手から抜け出られます。この手を高校生としてケガをしました。運動をしていたのですが、休みになって高校の柔道部がきたのです。柔道の館長が、高校の選手たちがきたから、一緒にしなさいと言いました。私がびっくりしたのです。この子たちが昼夜にするので、どれくらいからだがはやいかわかりません。そして力がどれくらい強いかわかりません。それで年を取って力ではだめだから、技術でしなければならなかったのです。それで、私がつかんだら、あっという間に手を退けてしまいました。その時、手をケガしたのがまだ数年間残っています。だから、私より力が強くてこそ、私を退けて抜け出せるのです。
・全能な神様の御手に捕えられた者を誰も奪えません。これが大きい祝福なのに、これが問題なのです。皆さんは、ほろびることもできないのです。それで、皆さんは行く道が決まった、ものすごい祝福があります。皆さんはすでに聖霊が内住しているから、永遠に滅びない身分に変わってしまいました。それで、今は皆さんがみことばを捕まえて聖霊充満を受ければ、ものすごいみわざが起きます。聖霊充満とは何でしょうか。がんばるのではありません。皆さんが正しく神様の契約を捕まえて祈って、神様の力を味わうようになることです。聖霊充満とは何でしょうか。
・皆さんが救われたので、とても危機にあえば、祈るようになりますが、それを危機でないようにして味わうことです。それが聖霊充満です。何の話なのか分かるでしょうか。祈りができないという人もいます。お腹が痛いと祈りが自然に出てくるでしょう。祈りができないことは、みな嘘です。痛くなると腹が治るように祈るのです。これが聖霊充満です。祈りができませんか。皆さんが突然事故が起きたら、火事が起こったり、事故がおきた、どのようにするでしょうか。建物が崩れて、火が降ってくれば、どのようにするのでしょうか。祈りが自ずから出てきます。それを聖霊充満と言います。ところで、その祈りを火の中でするのではなく、味わいながらするのです。何の話なのか分かるでしょうか。それが聖霊充満です。皆さんが試験を受けると、祈りが出てこないでしょうか。
・昔、僧侶もそうでした。冬の話ですが、僧侶が氷の上を歩いていくのに、ひょっとして割れたらどうしようか。それで、静かに祈りながら木魚を打ちながら、観世音菩薩と言いながら歩いて行ったのです。ところで、足もとが割れて、落ちてしまったのです。だから、木魚とか、何であれ、どうするでしょう。みな落としてしまったのです。それで、その深い氷の水に落ちれば死ぬのに、どうするでしょうか。だから、自分も知らずに、神様、助けてくださいと言いました。それを祈りと言います。ところで、聖霊充満はそんな目に遭う前にすることです。聖霊充満、何の話なのか分かるでしょうか。皆さんは滅びることができません。数年になったのですが、部屋に上がる所の前に、ある人が車を遠慮なく置いていたのです。晋州から来ていました。牧師が連れてきたのですが、酒を飲んでいた人でした。
・それと共に、自分の友人が酒を飲んできたので一度会ってくれと言いました。それで、どんな人なのかと尋ねたところ、とても有名な組織のやくざだということでした。それと、共にちょっと会いにきたと言いました。それで、私が車で話をしたのです。そのようにたくさん飲んだのでもなく、車で会ったのです。面白い話をしました。自分はイエス様を救い主として受け入れてから苦しいと言いました。酒も飲めないで、悪いこともできなくて、狂いそうだと言ったのです。それで、ちょっと中のキリストを取り出してくれと言いました。冗談ではなくて、本物でした。それで、私が申し訳ないが取り出すことはできないと言いました。あなたが降参をすべきで、他に方法がないと言いました。それで、私がローマ8章に永遠にほろびることができないと言ったのです。あなたが悟れなければ永遠に苦しむと言いました。仕方ありません。
・ものすごい祝福があるのです。皆さんはすでに終わって、少しだけ聖霊充満を受ければ6日間、勝利するしかありません。皆さんが少しだけ平日にヨセフのように仕事をしながら祈ってみてください。皆さんが職場に行って、ダニエルのように祈ってみなさい。同じようにみわざが起きます。いよいよ聖霊充満を受けていれば、実が結ぶようになります。これは必ずここまで、相手にメッセージの最初からまとめてあげてください。なぜなら、これが救われた私の状態だからです。皆さんが今からいくらがんばって努力をしても、サタンの勢力に行くことはできません。救いを受けてしまったので、これからは肉的体質で見つめている必要もなくて、この祝福を受ければ良いようになっています。聖霊の実には何があるのでしょうか。愛、喜び、平安。こういう実があります。この3つのことを見て、神様と私とに対して結ぶ実と言います。いよいよ変わります。皆さんが神様の愛を受ければ変わってしまうのです。
・皆さんが神様の愛を受ければ、それまで家にあった傷は問題になりません。皆さんが神様の愛を受ければ、だれかが皆さんをちょっと無視しても大丈夫です。皆さんが神様の愛を受ければ、敵も許せます。ヨセフが神様の愛を受けました。それでヨセフが兄を見て赦しました。ダビデが神様の愛、力をたくさん受けたので、怖くなることがありませんでした。この時にくるのが喜びです。平和がくるのです。そうでしょう。皆さんが本当に神様の祝福をたくさん受ければ変わります。こういうものを受けられないで、受けたふりをしているといらいらし始めます。他の人が恵みを受けるのを見れば、自分は受けられないから、不思議に変になります。ある人がたびたび証しをすれば、不思議に変になります。自分がだめになれば、不思議に変になります。そんなに力なくて無知だった人が、神様の愛を受ければ人が不思議に変わるのです。これを受けられなければ、そんなに学び賢く立派な人が変になります。この時から何でしょうか。
・人に対する実が出てくるのです。言葉もむやみにしません。この時から、なるのが神様の愛を受けるから、寛容、親切。この時から可能ならば相手方が良いようにと考えます。神様の愛を受けられなかった人は、答えを受けられないで行けば、ますます悪いことを考えます。ところで、この人たちは、可能ならば相手方の良いことを考えるのです。善意。この時から自分自身に対する実が結びます。柔和。頑張ることもありません。誇ることもありません。神様の答えを受けているためです。柔和。高慢だ、謙虚だと話す必要もありせん。柔和。働きをしろ、献金しろこういう話をする必要もありません。誠実。私が神様の祝福を受けるので当然するのです。誠実。そして、うらやまがったり、欲が出たり、ねたむことができません。自制。あるためです。お金をたくさん持った人が節制をするのですが、ない人が節制をするのでしょうか。お金が一銭もないのに、節制することが何があるのでしょうか。そうではないでしょうか。お金があってこそ、節制をするのです。私たちは神様の祝福をとてもたくさん受けるから節制をしなければなりません。それで神様と人と自分に対する実を持たなければなりません。
・今日、皆さんがここで結論を下して、祈り始めなければなりません。神様はサタンから私たちを終えてしまわれました。もう神様にある祝福を持って開始をしなければなりません。この暗いところに住んでいたのに、これをそのまま置くのではなくて、今はするのです。皆さんはいくら貧しくて、いくら力がないと言えても、今はどのようにすべきでしょうか。私たちのレムナントは目的を確実にしなければなりません。もう神様のために最高の成功の座に挑戦するのです。これから行くのです。救いの力を持って最高の成功に向かって,挑戦するのです。教師になっても、単なる教師ではなくて最高の教師、もう清掃をしに行っても最高の清掃員として、家で遊んでも最高のおばさんとして行くのです。最高の成功に向かって。前は私が弱かったのですが、これからはそれではなくて救いの祝福を持って仕える祝福を味わうのです。このようにして、暗やみの世の中を変えるのです。
・今は私たちは宗教人よりもっと大きい最高の献身をしなければなりません。この祈りの課題を捕まえなければならないのです。私たちはもう宗教人よりもっと大きい最高の献身を、このように決心しなければなりません。これは、社会で起きることです。三番目です。皆さんが今は経済祝福を受けて、全世界を生かす最高の祝福を。結論がお金を出せということかと思うかもしれませんが、そんな話ではありません。最高の経済祝福を受けてください。
・あるおかしな人が英国でまったく教会に行かない人なのに、こういう話をしました。有名な博士ウェスレイ牧師がくるという言葉で出席をしたのです。大復興会なので、その日ウェスレイ牧師が説教を3つの主題でしました。「皆さん、他の人よりお金を一生懸命に儲けなさい」これが最初の主題でした。それで、その人が教会に生まれて初めてきて聞くので、牧師の中の最高の牧師の言葉のようだと思いました。初めて聞く話だったのです。他の牧師は天国の話をしたが、この人はお金を最高で儲けろと言ったからです。やはり最高だと考えました。二番目の主題が一生懸命に貯めなさいと言いました。それで本当に感動して、本当の牧師だと考えたのです。三番目の主題が神様に捧げなさいと言いました。結局は、同じやつらだと考えながらすねたのです。
・信仰生活を上手にするなら、いろいろなことではなくて、たくさん儲けて一番多く出すのです。祈りの課題にすれば良いのです。ロックフェラーのお母さん、お父さんが子どもをそのように教えました。今は皆さんが経済も社会献身も専門性も最高に行くのです。なぜでしょうか。聖霊にあって隠された途方もない祝福があるから、これを持って行くのです。昔に私がいた呪われた地に向かって、今はみわざが起きるのです。このように十字架の道についてパウロは話しました。十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それでこのみことばを捕まえて祈りをしながら、残った人生にずっと勝利があるでしょう。この祝福を味わうようになることをイエスの御名でお祈りします。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝します。新しい力を与えて下さい。新しい答えを準備されていることを信じます。神様の力を体験するようにさせて下さい。聖日にみことばを捕まえて一日中祈り、聖霊充満を6日間見るようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン