2007年8月5日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/私の口に見張りを置かれる主
(詩141:1〜10)

■私たちの隣の村に祈りをよくする方がいました。祈りをよくするのに、おもにこの方は異言祈りをしていました。異言祈りをとてもがんばってしたので、隣から告発されて困難にあうこともありました。だめだから、妨害されたと思って、一人で教会に行って祈るようになりました。異言祈りを継続して、聖霊の火を受けたら、時間が過ぎるのが分からないということでした。ご主人の食事も用意せず、ずっと祈っていたら、ご主人がイエスを信じていないので腹が立って職場も行かずに、奥さんを待っていたのです。奥さんが気がついてみたら、時間が10時になっていました。すばやく急いで家に帰ってみたら、ご主人が腹を立てて、職場も行かなくなっていたのです。人は感情が混ざって霊的問題が混ざれば変になります。ご主人が棒で奥さんを半殺しにしました。後ほどひどいと思えたので、そのまま出て行ってしまったのです。この執事が祈りをまたしたのです。大きい声で、隣にみな聞こえるように泣きながら祈ったのです。祈りをどのようにするかというと、主よ、私が迫害されますということでした。それで私が「迫害が好きなんだね」と思っていました。そばで大きい声では言わなかったが、告訴すると言っていました。
■私たちは錯覚をよくします。おもに苦しみにあうのに二種類があります。私が間違って受ける苦しみが多いのです。私が間違って苦しむので、さらに困難を感じるのです。皆さんが職場に行った時、無視されたら、それは、みなさん自身の誤りです。教会の働きをしているのに、信徒が私を無視したら、それは私の誤りです。信徒が100%悪い人である場合もありますが、それは錯覚です。ある学生が相談しにきて、自殺すれば天国に行くのか地獄に行くかと尋ねました。どうしたのと尋ねたのです。自分は自殺をしたいということでした。自分の周囲にいる人々が、全部、正常ではないということです。正常な自分が、正常ではない中で生きることができないと言いました。それで自殺をしなければならないということだったのです。あきれました。私たちは、おもに自分の問題であることを知らずに、度々、他人がしたという苦しみがとても多いのです。
■しかし、ダビデが受けた苦しみは、別の苦しみです。私たちが天変地異がきて受ける苦しみもあります。ダビデはそんなことでなく、人による災いでした。人のために来る苦しみがどれ位、困ったものか分かりません。サウル王のためにダビデが苦しみにあったのですが、今までそのような告白が出てきています。ところで、サウル王を止めさせれば良いのに、サウル王をそうなるようにさせる人々がいたのです。その上、サウル王は悪霊が働いたのです。ダビデを困らせるのに、この苦しさの度合いがどれくらい大きいかわかりません。こういう極限の困難を、ダビデがどのように勝ったのか、今日の本文に出ています。勝ったことは勝ったのですが、どのように祈りの答えを受けたのでしょうか。困難も困難ですが、世界で一番祝福を受けた王になりました。どうして、そのようになったのでしょうか。今日、私たちはこの契約を堅く捕まえなければなりません。
■ダビデは最初に、みことばを堅く捕まえました。神様のみことばをいつも黙想したのです。神様のみことばは、聖霊の感動を受けた人々が記録したことであるから、私たちに生かすみことばになります。およそ七千個の事件が成就しました。そのうちで核心となる単語がキリストです。今現在、成就していないのは二つあります。イエス様の再臨と審判が残っているのです。その他には、ほとんど成就しました。ところで、神様のみことばは、今でもずっと成就しています。皆さんは占いをする必要がありません。神様のみことばを捕まえれば良いのです。ローマ15:4に記録されたみことばは、終わりの日にそのまま成就すると言われています。Iコリント10:11、Uペテロ2:6を見れば、記録された神様のみことばは、最後の時に教訓で手本として神様がくださったのです。神様のみことばを捕まえることがとても重要です。ダビデは、神様のみことばを捕まえました。おもにダビデがつかんだみことばは、モーセ五書です。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記です。それを捕まえました。
■ある方は、モーセ五書を律法の書だと言います。そうです。イエス様も律法の書だとおっしゃいました。モーセ五書には、律法が入っています。しかし、重要なことが隠されているのです。モーセ五書の中で最も深く入っているのが福音です。初めから福音を与えられました。暗やみの中に光を照らされました。罪を犯すやいなや、女の子孫が蛇の頭を踏み砕くと言われました。箱舟の中に入れば生きる、血の契約、血をヌル日、過越祭で抜け出てきました。それが出エジプト記です。レビ記は礼拝をささげることです。礼拝の核が血のいけにえです。民数記は、イスラエル部族の数を数えたのです。神様が救われて選ばれた民です。申命記は、みことばを心の中にまた覚えるということです。カナンの地に入らなければならないためです。それをダビデが堅く捕まえました。
■皆さんは、みことばを捕まえるということを理解していますか。私たちは、そのまま通り過ぎるのです。ひょっとして、皆さんが時間が過ぎてから私たちの教会の週報を見てください。過ぎ去った週報を見てみましょう。私だけでなく、すべての教会の週報を見てください。驚くべきことが行われます。メッセージが出てきた、そのまま成就するのです。律法の教会は律法がそのまま成就して戦っています。福音を正しく伝えた教会は、福音のみわざが正確に起きます。講壇がこれでも、あれでもなければ、いつもごちゃごちゃになります。私が知っている長老は、幼い時から年をとる時まで、自分が聞いた説教を整理していました。それを死ぬ時、自分の子どもに贈り物に与えたのです。重要なのは、贈り物に与えたことが問題ではありません。私が牧師の説教を聞いて書いたが、書いた内容と私たちが受けた答えを見なさい。あまりにも正確です。皆さん、そのような経験をしてみたことはないのでしょうか。ある宣教団体で牧師を座らせておいて一般信徒が講義をしました。3年間、牧師の説教を聞いて祈ったが、受けた答えを話したのです。そのような経験をしてみたことはないでしょうか。知らずに過ぎ去ってしまうのです。だから、答えが来ているのに知らないのです。神様のみことばは、そのまま読んだのに、後ほど答えになります。みことばは生きて力があります。みことばを正しく説教すれば、説教者がとても祝福を受けます。これくらい、神様のみことばは生きているみことばです。私たちはほとんどのがしているのです。他の人はみなのがしていたのですが、ダビデはそれをつかみました。サウル王は、神様のみことばをのがしたのです。神様のみことばをのがしたので、霊的な問題が来たのです。霊的問題がくるので、自分が受けた祝福を処理できなくて悪霊につかれました。ダビデは、神様のみことばを捕まえました。
■二番目です。今日、みことばを捕まえる姿勢が出てきました。1-3節に、私の口に見張りを置くと言われています。聖書を見れば見張り人が3回出てきます。エゼキエル3:18〜21に、わたしがあなたを見張り人として立てたと言われて、みことばを宣べ伝えなさいと言われています。みことばを伝える見張り人です。イザヤ62:6〜12では、わたしがあなたを見張り人として立てた、祈りなさいと言われています。見守る祈りの見張り人です。見張り人は、緊急な便りを伝達するけれども、見守ったりもします。詩141:3を見れば、私の口に見張りを置いたと言われています。こういう困難がきたのですが、ダビデは一度も言葉でつぶやきを言いませんでした。こういう極限の困難の中でも、祈りながら言葉を無駄にしませんでした。口に見張りを置いたのです。とても重要な言葉です。サウル王を殺そうといった時、絶対に殺せないようにしました。そのまま見張り人を立てたのではありません。ダビデは、サウル王を恨んだことはありません。その口に神様のみことば捕まえて祈っていたのです。私たちは、やや下手すると言葉をむやみに使います。なぜ言葉をむやみに言うのでしょうか。みことばがある者、祈りがある者は、言葉をむやみにしなくても良いのですが、ない者はむやみにするようになるのです。祈りの奥義がある者は、いざこざを多くしなくてもかまいません。祈りの奥義がなければ、言葉で間に合わせなければならないのです。みことばの奥義があれば、あえて話をよくすることがありません。ダビデは人を殺す話しをしたことがありません。特徴を見れば、ダビデは本当に口の見張り人です。聖書を読んでみたら、神様がこの人の口に見張りを置いたということが見られます。口で話すことは重要です。言葉をむやみにするということは、むやみな人だということです。言葉で人を刺す人は、その人の中に毒があるということです。言葉を皮肉る人は、はらわたが絡まっているということです。酒を飲んで悪口を言うおじいさんは、悪口が積まれていて出てくるのです。また、あるおじさんは酒を飲んでたくさん笑うということは、中からの笑いが出てくるのです。言葉が気難しければ、性質が気難しいということです。言葉がすべてです。
■ソウルの人はわからないでしょうが、慶尚道には「舌が1万メートルも伸びる奴」という言葉があります。標準語に変えれば「舌がいっぱい伸びる」ということです。怖い悪口です。そのような悪口を子どもにもします。ソウルの人はわかることもできないでしょう。驚くべきことに、慶尚道で一番首をくくった人がたくさん出ました。不思議に、慶尚道や全羅道の人々が、親しい人に言う言葉があります。「らい病人」と言うのです。不思議に、慶尚道、全羅道から患者がたくさん出ました。言葉は怖いのです。そこまで深く見なくても、ダビデが口に見張りを置きました。主が油をそそがれたしもべを、絶対に害してはいけない。サウル王を殺そうというので、主が油を注がれたしもべに手を付けるのは神様が許されない。アブシャロムの乱を逃げながらも、アブシャロムは殺さないでくれと言いました。シムイが呪った時も、殺すな、神様がさせておられるのではないかと言いました。この人が勝利できる人です。ダビデは口に見張りを置いたのです。それが最初の姿勢です。
■ 4〜6節に不法を行なう者どもとともに、悪い行ないに携わらないようにしてくださいと言いました。悪い人々が困らせれば、巻き込まれます。4節に心を悪いことに向けさせず、悪いことに携わらないようにさせてくださいと言いました。彼らのうまい物を食べないようにしてくださいと言いました。みな同じ言葉です。悪いことに携わるという言葉は悪くなって、うまい物を食べるというのは、同じになるという言葉です。7〜10節には行動に対して話しています。口、心に対して話して、行動に対して話したのです。わなや落とし穴にかからないようにしてくださいと言いました。特に10節には、彼らが自分のわなにかかるようにしてくださいと言いました。ダビデは戦わないで完全勝利したのです。これがダビデが勝利した奥義です。今日、皆さんが神様のみことばを捕まえれば勝利します。
■三番目です。ダビデは差し迫ってくる、成就する神様の答えを堅く捕まえました。Iサムエル16:1〜13を見れば、サムエルがきてダビデに油を注いだのです。あなたは王になる。だから、ダビデは揺れる理由がありません。契約の箱の話をしました。そして、神殿の話をしたのです。ダビデの心の中にあったので、王になるやいなやしたのが契約の箱を移すことでした。王が軌道に乗ったので、神殿を作る準備をしました。このように迫ってくる確実なみことばを捕まえていたので、こういう困難をよく勝って勝利したのです。世界福音化。私たちのタラッパンが捕まえた契約が世界福音化です。インマヌエルの家族が捕まえたみことばが世界福音化です。聖書的伝道。聖書的に伝道しなければ、するほど損です。ただキリストの奥義が現れる聖書的な伝道です。だから確実な契約があるでしょう。ダビデの胸の中に神様に栄光を帰すと言いました。ゴリヤテの前に行っても、全世界の国々に主が生きておられることを証しすると言いました。それが伝道と宣教です。神様が伝道者にくださる祝福があります。必ず記憶しなければなりません。本当に伝道者で神様の民ならば、みことばをくださるようになっています。記憶しなければなりません。人間主義だけ使わなければ、与えられるようになっています。人間主義が何かと尋ねられれば説明が長くなります。
■ある時、7,8年前のことですが、誰かから電話がきました。「柳先生、ご苦労さまです」言いながら、電話がきたのですが、その方は有名な牧師でした。どんな事で電話したかと尋ねたところ、うわさで柳先生が苦労していると聞いたので、が手助けしなければならないと思ったと言いました。有難いと言ったところ、条件が一つあると言いながら、ひとまず私が復興師なので、柳先生の教会で復興会を一度させてくれと言いました。私がだめだということもできず、それで分かったと言いました。そして、教会で相談したのです。復興会をしようというのに、私たちの教会で復興会をすることがあるかと言って、取り消したことがあります。その翌日にまた電話がきました。何度か電話がきました。自分は復興会をする時、聖日からすると言いました。普通、月曜日からするのに、自分は聖日の講壇をくれと言うのでした。分かったと言いました。私たちの教会の役員と相談して、私の心でもしたくないうえに、役員もそのように考えて取り消しの連絡をしました。取り消したところ、二週過ぎて、内容の証明書が届きました。集会をするといってしなかったので、自分がこうむった被害がものすごく大きいということでした。損害賠償を請求するから、そのように知って待てということでした。本当に立派な方です。それを人間主義だと言います。無理に組み入れて合わせようとするのです。良い宣教師がきておられるのですが、宣教もそのようにする人が多いのです。私が知っている後輩は、どこかへ行ってお金を借りて、ぼんぼん使って回ります。みな心配するのです。ある日、私を訪ねてきてお願いすることがあると言いながら、宣教師として出るようになったと言いました。どこへ行くのかと尋ねたのです。韓国にいるほうが良いのにと話したところ、神様から自分が受けたと言いました。このようにあちこち回って、宣教に行くと言いながらお金を集めて回ったのです。行って宣教どころか、大騷ぎが起こりました。奥さんは逃げて、大騷ぎが起こりました。タラッパンをする人ではありません。宣教を軽く見たのです。それが人間主義です。そうではない以上、皆さんがみことば捕まえれば、そのまま成就します。今日、皆さんがこの祝福を受けるように願います。すべての宣教師と宣教のために祈られる方がこの祝福を受けるように願います。神様のみことばは、人間主義を使わずに捕まえれば、そのまま成就するようになっています。ある時は、考えるだけでもみわざが起きます。
■この上に予備軍訓練場があります。以前に訓練場に行って降りてくるところのここに工場がありました。予備軍が降りて来たので、私も付いてきたのです。工場を見て、私が心の中で教会になれば良いと思ったのですが、私たちの教会になりました。不思議なことです。皆さんは神様の民であるから、神様の前にみことばだけ捕まえて考えるだけでも答えがきます。そうではないでしょうか。それで、人間主義を使わないということです。特に牧師は人間主を義使えば大変なことになります。足りないのは大丈夫です。失敗することあります。それを言うのではありません。しばしば人間主義を使えば、大変なことになります。そのまま神様のみことばが入れば、働きが起きるようになっています。今から20年前に何人かが集まって、皆さんは福音化する核心の働き人だと始めました。このようにしたのが、全国、世界に核心集会が開いています。カナン修養館に行って、三人を座らせておいて、これが伝道だと説明したのですが、それが広がって神学院で世界中に広がって行きました。十年前に産業人を起こさなければならないと思ったのですが、そのメッセージが成就して世界産業人が起きています。10年前に米国行ってレムナントを育てなければならないと思ったのですが、全世界で起きています。神様のみことばは、そのまま成就するのです。皆さんにそのまま成就します。信じるように願います。人間主義を捨てて、不信仰を捨てたら、すぐに成就する働きが起きます。
■サウル王に神様のみことばが臨んだのですが、サウル王はずっと人間主義だけ使ったので、みことばが成就しませんでした。生きておられる神様というみことばが何か知っていますか。みことばで働かれる神様が、今でも働かれるということです。何も難しいことはありません。皆さんは神様の子どもです。皆さんは全世界を動かす宣教師です。人間主義、不信仰を捨てれば、すぐにみことばが成就する働きが起きます。皆さんは確かに神様の民です。みことばを受ける時、動機を捨てることを望みます。私はそれ捨てることをしています。時々、私に動機が生じます。はやく釜山で教会を大きくしなければならないというのも動機です。RUTCを作って私を迫害する者のこれからを見ようというのも動機です。それをすべてみな、神様の前で悔い改めました。悔い改めたところ、おかしな団体と戦うようになっています。その人々がRUTCを作っているのです。だから、あるものは考えだけ正しても、答えが起きるのです。
■金ヨンギ秘書と私が食事をしていたら、今日、サッカーをするということでした。バーレーンとすると言いました。今日は負けるはずだと言いました。負けてはいけないでしょうと言ったのですが、私は負けるべきだと、負けるように祈ると言いました。それでも、バーレーンなのに負けても良いのかと言うのでした。内心、ごり押しで言っているな、伝道者なら話せばわかるのにと思いました。本当にバーレーンに負けました。私の内心で話すだけでなく、金秘書にも負けると話しました。負けなければならないと言ったのです。今回は、本戦進出はしたのですが、優勝はできないと言いました。理由が3つあります。今、そのような形でサッカーをしてはいけないのです。最初の理由です。本当の理由は二番目です。上手な子たちはみな抜いていました。その中に朴○○という子もいます。みな抜いてしまったので、サッカーを見る必要がありません。私は、サッカーのために生きているのではありません。負けなければならないのです。そして、三番目の理由があります。今現在、未来がありません。若い子たちと賢い子たちを引き上げなければならないのに、その作業は全くせずに、目の前に見えることだけをするのです。今回、負けてこそ、ヘッドが変わるのです。そのとおりになりました。ヘッドが変わったのです。変わったその方がすごい方です。その方が、まさにとても上手な五人の選手と朴ジュヨン選手を育てた方です。伝道者に言い返してはいけません。そのままなりました。その方が監督になるやいなや、朴ジュヨンを司令塔として立てると言いました。手足が合うチームがあるので、五人を引っぱってくるつもりだと言いました。とても上手にする子たちがいます。そんなことを見える目がなければ監督をしてはいけないのです。だから、祈りのとおりになりました。皆さんは伝道者で、神様の子どもだから、話だけ捕まえて考えるだけでも答えが起きます。人々が信じないのです。みことばが生きて働くということが何の話なのかを知らないようです。私たちが、しばしば動機をもって、自分のためにするということだけ捨てて、みことばを捕まえれば、そのままみわざが起きます。
■牧師、宣教師が話す必要がなくて、育つレムナントもみことばだけ正しく捕まえれば、みわざが起きます。人々はまず小賢いこと、ごり押し、我を張れば良いと思っているのですが、だめになります。結局、福音が勝って、真理が勝つのです。私たちは小さな頭でだまされるのですが、結局、ダビデは勝利しました。王の中の最高の王になりました。ところで、敵ではなく、内部の戦いをほとんど戦わないでみな勝ちました。ダビデが苦しむ中に本当に働き人がみなついたのです。ダビデが王になるやいなや、イスラエルの国に最高の祝福が臨んで、みことばが成就したのです。ダビデの町を回復した後、一番最初にした仕事が、契約の箱を移すことでした。一生祈りの課題が神殿を作ることでした。これがダビデです。神様が王の中で最高の祝福を与えられました。
■私はみことばが生きているということを確信します。敵と戦う必要がありません。私が伝道運動30年の間、難しいことが何度かありました。外部から非難されるのは困難ではありません。内部で難しいことが、何度かありました。がんばる人が、それほど良い人ではないのです。利益になると思うのでがんばるのです。それが問題です。がんばりながら、しばしば、おかしなことをします。それで、私がしないでくれと言うと、反対にがんばるのです。いろいろな問題をみな作ります。驚きました。そのような人々がいるのです。人間主義が訓練されていて、ずっとそのようにするのです。そのような人の中で悟る人がいて、悟れない人がいます。私は静かに、それからを見ています。真の特徴が、不思議です。神様が完全になさいます。ほとんど、ご飯も食べられない段階にされます。一度は私を訪ねてきました。家もみな飛んで行って、子どもたちを学校も送ってやれません。助けてくれと言いました。手助けするお金もなくて、あってもあげられないと言いました。タラッパンで出る献金は私のものではないのです。あなたのような人に手助けするお金はないと言いました。完全にほろびたのです。そのようにほろびることはめったにありません。不思議です。私が戦ったこともないのに、神様がそのままみなされました。そうなことをとてもたくさん見たのです。皆さんはそのようなことを見たことはないのでしょうか。皆さんは神様のみことばだけ正しく捕まえれば、このみことばはまちがいなく成就します。私たちの長老、教役者が証人ではないでしょうか。私たちが昔からみことば運動してきながら、そのままみな成就しました。
■タラッパンから始めて聖書にある20の戦略を見つけ出したのですが、今でもずっと成就しています。聖書を見ると、わたしについてきなさい、わたしがあなたがたを呼んだのは、あなたがたとともにいるためだと言われました。このみことばを捕まえて合宿訓練を始めたのです。合宿訓練する場所がなくて、太宗台ホテルを借りてしました。先週、合宿訓練第500回でした。その合宿訓練だけで500回です。奇跡のような事は、数が減らずに、そのまま維持されているのです。チーム合宿、70人合宿、専門合宿など、合宿訓練の答えがどれほど多く来たでしょうか。そのうち正しく悟った人はみわざがまた起きます。ダビデに困難がきた時、何を捕まえたのでしょうか。記録された神様のみことばを捕まえました。どのように捕まえたのでしょうか。心と口と自らの人生を人間主義を捨てて、本当に神様のみことばを捕まえたのです。そして、成就する、迫ってくるメッセージを捕まえました。だからよく勝ったのです。戦うこともせずみな勝ちました。私の話を理解できるでしょうか。聖霊の働きがどれくらい正確かといえば、皆さんが無能なのは大丈夫です。不信仰して人間主義を使えば、絶対に聖霊が働かれません。少し足りなくても、神様のみことばを捕まえて神様に動機をまっすぐして行くなら、聖霊はそのまま働かれます。全国世界の使命者が、神様のみことばを正しく捕まえなければなりません。
■話しを結びます。神様のみことばを捕まえても、違うように捕まえてはいけないのです。斥候10人が行って来て、彼らは町が大きくて巨人で、私たちは女、子ども、老人を連れて入るから、私たちは死ぬと言いました。10人がそのように報告したのです。ところで、ヨシュア、カレブ、そうではない、すでに噂を聞いて指導者はみな逃げた、すでに残っている指導者は失望している、今行けば良い、今が機会だ、彼らは私たちの餌食だ、戦争は終わったのだと言いました。誰の話が正しいのでしょうか。だから、みことばを正しく捕まえなければならないのです。ヨシュア、カレブの話を聞いて、モーセが入るように命令を下しました。それで、モーセが死んでから入ろうと見たら、エリコが立ちふさがっていました。下手すると、また勘違いするのです。エリコに近く行ってみると、城門は堅く閉じられて、出入する者がいませんでした。すでに終わったのです。皆さんが福音捕まえる瞬間、皆さん家系、暗やみ勢力は終わったのです。どのように、私たちがRUTCをして、神殿を作ることをみなできるのでしょうか。みことばだけ捕まえることを望みます。そうすれば、そのみことばによって成就するようになっています。私たちすべての宣教師が、このみことば捕まえて現場に入って、現地に行って、その国を生かす働きがあることをイエス様の御名によってお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、ダビデに働かれた神様が、私たちに働かれたことを感謝します。みことばが成就する契約を堅く捕まえる日になるようにして下さい。私たちの動機、不信仰を捨てれば、聖霊の働きが成されることを味わうようにして下さい。今日一日が、世の中の千日より貴重な日になることを感謝します。今、主の聖霊が私たち個人、家庭、産業、すべてのレムナントに働いて下さい。私たちはこの席でみことばを受けているのですが、主の使いを、すべての所に送ってくださり、神様の計画が成就されるようにして下さい。主イエスの権威ある御名の前に、すべての暗やみの勢力が崩れる時間になるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン



2部/役員に与えられたメッセージ
(ヨハネ14:1〜6)

■私が幼かった時に、教会に通っていた時です。礼拝堂に来たら、うとうとしている方がいました。執事だったのですが、礼拝さえささげれば、うとうとしていました。その方は勧士になっても、ずっとうとうとしていました。その時は、礼拝堂が床になっていたのですが、礼拝時間にうとうとして、後に倒れて礼拝をささげられないほど、信徒が笑ったこともありました。一度は、区域礼拝に行きました。自分の家で区域礼拝するのに、うとうとしていました。ところで、この人を見ると、そのためなのかは分からないのですが、とても霊的に困難にあうのを見ました。霊肉共にどんどん力が抜けて、眠たければ、とても損をするのです。ある人は、少しも寝なかったのに、礼拝時間には気をつけて礼拝に集中する人がいます。そのためかは分かりませんが、そのような人々が祈りの答えを受けるのを見ました。疲れるのに、どのようにそのようなのか、本当に神様がなさることなのです。
■福音手紙を見る中で、三回目の出会いです。先週は、新しい信者にあたえるメッセージならば、役員にあたえるメッセージです。ここには多くの役員と、宣教師、レムナントがいます。イエス様が直接おっしゃられました。あなたがたは、心を騒がせてはなりません。ところで、ここで心を騒がせる理由があるのです。初代教会の心配は何でしょうか。その当時には、異端の汚名を着せられて、ずっと迫害されました。単なる迫害ではなく、ほとんど社会から断絶されました。問題は、イエス様が十字架で処刑されるのを、度々話されるのです。その当時、とても凶悪犯や政治犯が受ける処刑でした。ところで、これをイエス様が受けるはずだと言われるので、それ以後にどんな問題が起きるでしょうか。だから、弟子には心が騒ぐことだったのです。弟子の苦悩の中の最高の悩みが、イエス様が十字架に処刑されれば自分たちにも死が迫ってくるのだ。死が実際に迫ってくれば怖くなります。しかし、私たちはあまりにも簡単に「命をかけた。」という話をします。
■命をかけて愛すのと、一億円をかけて愛するのと、どちらがやさしいでしょうか。命がさらにやさしいのです。なぜでしょうか。一億円は現金で、命は掛け売りです。だから、一応、命をかけるのがさらにやさしいのです。それなら、命と一億円のどちらが高いのでしょうか。命がはるかに高いのに、そう思います。だから、今回、アフガンに行く方々が死をよく知らずに遺書まで書いて行ったのです。プログラムの中でするでしょう。私たちも伝道合宿を受けて、遺書を書くことをするでしょう。しかし、本当にそんなことが起きて、本当に死が迫って来ているので、助けてくれと言うのです。本当に死を覚悟して遺書を書いて行ったとするならば、ハレルヤと言わなければならないのではないでしょうか。それだけ実際に死が迫ってくれば、怖いのです。死が迫ってくる前には一番やさしいのが命をかけることです。しかし、実際に迫ってくれば、そうではありません。初代教会では、これが実際に迫って来ていたのです。だから、心配になるのです。皆さんは宣教、役員は教会の働きがあります。色々な事が多いのです。
■心を騒がしてはなりませんと言われました。イエス様が直接おっしゃったのです。ものすごく、心を騒がすことが多い弟子と役員見て、心を騒がしてはなりませんと言われたのです。心を騒がせてはならないと言われた理由、背景を説明をされました。何と言われたでしょうか。神様を信じて心を騒がしてはならないと言われました。この死が本当に迫ってくる人には、悟ることができる言葉です。しかし、死ぬのか死なないのかわからないという人には意味がない言葉ですが、本当に死が迫ってくる人に、神様を信じて心を騒がせてはならないと言われたのです。この言葉が理解が良くできないでしょう。適当な危機がきてこそ悩みもするのですが、本当に危機が来れば神様を呼ぶようになります。普通の人には価値がない言葉であっても、福音を体験した人にはとても重要な話になります。それで、ムダン(霊媒師)をしていてイエスを信じる人々を見てください。どれくらいよく信じるのか分かりません。分かるからです。
■光州に行ったところ、あるおばあさんが私に挨拶をしました。30年間、ムダン(霊媒師)をしていて苦しめられて、福音を聞いて良くなったということでした。それと共に感謝ですと、手を握って離さなかったのです。皆さんはそんなことを誤って受け取るでしょうが、おばあさんは本当に分かるのです。
■それで、危機に会った初代教会にイエス様が神様を信じて心を騒がせてはならないと言われたのです。大統領が来て、心を騒がせてはならないと言ったらどうでしょう。それよりさらに位が高い王がきて、心を騒がせてはならないと言ったらどうでしょうか。ところで、大統領、王の命までも思いのままにされる神様を信じて、心を騒がせてはならないと言われるのです。また、わたしを信じて、心を騒がせてはならないと言われました。キリストです。誰も心配する理由がありません。創世記3:15の主人公がきたので、わたしを信じて、心を騒がせてはならない。これが何でもない話のようですが、今から体験できるでしょう。血の契約。出エジプト3:18節の主人公を信じて、心を騒がせてはならない。とても重要なイザヤ7:14の主人公を信じて、心を騒がせてはならない。その次には何と言われたでしょうか。わたしがあなたがたのために住む場所を備えに行く。簡単に話せば、天国です。これを備えに行くので、心を騒がせてはならない。これは、天国に行くという言葉にもなりますが、とても重要な背景になります。心を騒がせてはならない。皆さんは、米国、日本、アフリカ等から来ているのですが、皆さんの背景は天国です。
■今、23人が捕えられて、2人は死んで21人がいるのに、米国はじっとしています。なぜでしょうか。自分の国ではないからです。しかし、米国人が1人でもいるならば、じっとしていないでしょう。前にグアムで飛行機事故が起きた時、米国人が1人乗っていたのですが、米国はそこに本部を設置して保護しました。例えば、米国人がそのように捕まっているならば、米国はどのようにしても、じっとしていないでしょう。
■皆さんの背景は天国の背景があるから、皆さんが行く所ごとにものすごい天軍天使が動員されるのです。ヘブル1:14に見ると、皆さんを助ける天使です。ヘブル11:22に見ると、数がものすごいのです。だから、皆さんがここにいらっしゃっても答えの門はずっと開かれるのです。住む場所を備えに行って、あなたがたを連れに来るから、心を騒がせてはならない。神様を信じて、絶対に心を騒がせてはならない。また、わたし信じて、絶対に心を騒がせてはならない。これを信じれば、行く所ごとに皆さんは今から体験するようになります。答えが来ているのです。心を騒がせてはならない。私の場合には、困難がたくさん来たのですが、事実は難しくありませんでした。なぜなら、私は人格が足りないから難しければ耐えられないのです。困難がきたのですが、私には一つも難しくありませんでした。その理由があります。行ってみれば答えが来ているのです。それで答えに驚いてそれを見ていると、みな忘れてしまうのです。だれかが私の悪口を言ったり、新聞におかしな話しがあれば、頭にくるのですが、現場に行けば答えが来ています。悪口を言おうとしながらも、忘れてしまうようになるのです。それでどんなのも勝つのです。
■それで、宣教師、役員に、すべての創造主である神様を信じて、心を騒がせてはならない。神様がキリストを通して全てを備えられたので、心を騒がせてはならない。皆さんの背景が天国なので、皆さんが行く所ごとに天軍天使を送って全てを準備されるので、心を騒がせてはならない。それと共に、この話をされました。ヨハネ14:6。今日、ミュージカルや色々なプログラムが準備されているので、簡単に話しますが、よく聞かならなければなりません。皆さんが祈りの答えを受けたことを契約のみことばのなかで受けた答えがあるならば、ずっと答えがきます。私が神様のみことばのなかで伝道の答えを受けたのですが、続いているのです。驚くでしょう。それで、みことばのなかで受けた答えは永遠なのです。人々はこれを知りません。また、記憶しなければなりません。
■皆さんに結局は、福音で答えが出なければなりません。福音で答えが出なければ、いつか崩れてさまようようになります。教会に来るようになった理由が何でしょうか。無条件に福音で答えが出た、その時から、堅く立つようになります。わたしを通してでなければ、父にところに来ることはありません。聖霊充満を受けて、聖霊のなかで来た答えは、絶対に変わりません。この永遠な答え3つです。本当に驚くことです。みことばのなかから来る答え、福音の中から出た答え。聖霊のなかで導きを受けた答え、この3つは永遠です。のがしてはいけないのです。それで、心を騒がせてはならないのです。神様を信じて、また、わたしを信じなさい。これはとても唯一なことです。それで、皆さんがのがしてはならないのです。いつでもみことばを捕まえて来た答えは、永遠に続きます。宣教師、役員が福音のなかで答えがきたら、この祝福は永遠に続くのです。そして、医者に癒された病気は後ほどまた再発することもあるでしょうが、聖霊で癒された人は、永遠です。不思議なことです。それで、今日、3つのことを記憶しましょう。
■最初です。これから私たちは教会をどのようにすれば良いのでしょうか。マタイ16:18です。イエス様がなさったみことばです。「あなたは、ペテロです。岩の上にわたしの教会を立てます。」ギリシヤ語の原文には「わたしの教会をわたしが立てます」今から宣教師をだれが立てられるのでしょうか。キリストが直接されます。今から長老をキリストが直接動かされるのです。それだけ記憶すれば良いのです。それを記憶できないほど、損です。福音を持った教会をだれが導かれるのでしょうか。キリストが直接されるのです。それで、教会を思いのままにする牧師が一番悪い牧師です。そのような教会は復興できません。復興しても、ずっと問題がきます。しかし、宣教師や牧師がキリストが治められるままに立ったら、偉大なしもべになるでしょう。必ず記憶しなければなりません。これが教会です。正確に話せば、わたしの教会をわたしが直接立てるということです。青年修練会の講義の2講です。これを記憶できなければ、ずっと損をします。これが未信者と信者の差です。
■皆さんは救われた人だから、確かにキリストが直接、動かれるのです。ひょっとして、本当にだめなことがあるならば、キリストの導きを受けずに、一人ですべてするからです。分かるのでしょうか。気分が悪いですか。そうではないでしょう。万王の王が、皆さんの責任を直接負われるのです。サタンの勢力を直接、うち砕かれたキリストが、皆さんの責任を直接負われるのです。だから、心配する必要がありません。問題が多くても、そこには答えがみな入っています。これが伝道です。アブラハムがなぜ苦労したのでしょうか。わたしがあなたの責任を直接負うと言われたのですが、アブラハムはずっと疑って通ったのです。モーセにわたしがあなたとともにいる。イスラエル民を導き出しなさと言われたのですが、モーセはできないと言いました。これは主人が家を作るというのに、しもべができないと言うことと同じです。社長が会社をこのようにすると言うのに、門番が何か言うのと同じです。マタイ28:16〜20。天と地のすべての権威をわたしに与えられた。したがって、あながたたは行きなさい。上のことが教会、福音ならば、これは伝道です。青年修練会3講です。わたしが世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。説明をよく聞いてみましょう。このとおりです。
■ローマが全世界を統治する時です。その時、戦いが上手な将軍を送り出します。将軍が行って、その国と戦って勝って軍人と共に捕虜を捕らえてくるのです。その時、その将軍を凱旋将軍と言うのですが、この将軍は、馬車に乗って前を行きます。その次には、将軍と共に戦った軍人が馬に乗って行きます。その後には、戦った相手側の王が手錠をかけられて来ます。その後には、その王に従った臣下が裸足で行きます。その後には、ムチで進める軍隊が行くのですが、ラッパを吹きながら王の前に行くのです。そうすれば、王がローマの旗を凱旋将軍に与えます。そうすれば、凱旋将軍が自分が一番信任している軍人に与えるのです。それで、この軍人は馬に乗って走って行って、勝った地域に行って旗を射しさえすればよいのです。射しておいて、話をよく聞く弟子を責任者として立たせておいてくるのです。凱旋将軍がすでに勝利をしたので、旗だけ射せば良いのです。これが伝道です。何の話なのか分かるでしょうか。
■怖がることは何もありません。この目を開けなければ、何もできません。すでにカナンの地にいる人は、心がしなえていました。インマヌエル教会に宣教師が集まったということを知って、現場はすでに心がしなえています。皆さんがそのように見えても、普通の人ではありません。普通の長老ではないのです。この方たちが、ここに集まったということを知って、暗やみの勢力はみな逃げてしまったのです。理解できないのでしょうか。この宣教師が動く所ごとに暗やみの勢力はみな逃げます。そうでしょう。旗だけ射せば良いのです。ところで、この旗を掲げて行く軍人が脱営したとすれば、死ぬのです。
■戦争中に脱営は死刑です。戦争ではなくても、軍人が脱営したとすれば、それは永遠に就職もできません。だから、男子の学生がいくら気分が悪くても、家に帰ってはいけないのです。帰れば脱営です。そして、軍隊で自殺したことは何の補償も受けられません。いっそ週末に出てきて車に乗って死ぬべきで、軍隊で自殺すれば一銭も受けられないのです。おかしな話ですが、必ず死のうとするなら、飛行機の中に高級一等席に乗って行って死ねば、ものすごくお金も出てくるのですが、正常に軍隊で自殺するようになれば、それだけ価値がない死になるということです。軍隊で脱営すれば、一生、就職できません。そして、皆さんの子どもまで就職できません。
■ある子は司法試験1、2次パスみなしたのですが、面接でその人の父が軍脱営でもなくて、逃げ出したということで、落ちたことがありました。だから、子どもまでみな滅ぼします。今、悪魔と戦っている中に、皆さんが伝道を知らないならば、皆さんは無条件に脱営兵です。伝道を知らずにいるならば、全部、逃げ出した者です。逃げ出した者とは何か分かりますか。軍隊に行かないで、逃げ回る人です。キリストがみな勝利されたので、旗だけさせば良いのです。これを知っているペテロは、ナザレのイエスの名で歩きなさい、法廷でも、世界中でこの御名の他に救われるべき名は与えられたことはない。分かるでしょうか。
■三番目です。皆さんが何も力が無いと思って、イエス様が重要なことをおっしゃられました。これは全部序論です。内容は本論ですが、話をしようとする目的は別にあるのです。神様を信じ、またわたしを信じて心を騒がせてはならない。天国の背景があるので心を騒がせてはならない。それと共に最後になさったみことばが何でしょうか。わたしが行けば、助け主聖霊をあなたがたに送って、あなたがたと永遠にともにいます。助け主とは何でしょうか。あなたがたを守る。あなたがたに恵みを与えて、生きる道と全てを教える。永遠に。
■ヨハネ14:26を見ると、わたしの名で送る聖霊。27節、あなたがたに真の平安を与えます。それで、この聖霊で充満されれば、ものすごい力が生じるのです。同じように勉強するのに、私たちの学生たちが聖霊充満されれば、ものすごい知恵が生まれます。同じ楽器を扱うのに、聖霊充満されれば、ものすごい霊的な力が生じます。同じ運動をするのに聖霊充満を受ければすばらしい力が生じるのです。このように変わります。聖霊充満です。それで前に付けた単語、ただ聖霊があなたがたの上に臨めば、力を受けて、地の果てまで証人なります。
■話しを結びます。それなら、皆さんにどの部分が一番重要なのでしょうか。神様という時、強く捕まえなければならないことが、みことばです。みことばを捕まえなければなりません。そして、イエス・キリストという時には、神様に会う道になるのですが、キリストという時には権威です。イエス様が直接説明されました。天と地のすべての権威がわたしには与えられています。それなら、みことばを捕まえて確信を持てということです。それと共に、聖霊が皆さんと共におられるから、聖霊の奥義、祈りの奥義を持ちなさい。これをずっと持っていれば、苦闘するのに、年齢と関係なく行ってみれば答えが来ています。行ってみれば皆さんの成功の座に座っています。誰も皆さんを手助けしないけれど、行ってみれば征服の座に座っているのです。私はこれを体験しました。30年間。本当に何の背景もないのに、祝福の座に座っていました。私は滅びると思いました。そのような時が多かったのです。他の人もみな、私に滅びると言ったのですが、行ってみれば、滅びないで成功していました。滅びるというその友人が滅びました。
■初めに影島にきた時、近所に牧師が、私にそのように熱心に走れば3年後には倒れると言いました。ところで、不思議に私たちの教会は3年後に千名の弟子が集まったのですが、その方は3年後に倒れました。若いが血圧が上がったのです。想像できないことです。私たちの宣教師、この祝福をもって全世界に出て行って、私たちのレムナント、全地域で役員が力を受けるように願います。本当に、そばの人を祝福して「あなたはものすごい背景の人です。」「あなたがそのように見えても、偉大な人です。」もう一度話してください。「老いた人も神様の中では勝利できます。」

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。この祝福を味わわせて下さい。あなたがたは、心を騒がせてはならない。神様を信じ、わたしを信じなさいとおっしゃいました。あなたがたのために、居場所を備えに行くので、心を騒がせてはならない。助け主聖霊をあなたがたに送って、あなたがたと永遠にともにいるので、心を騒がせてはならないという主の約束を捕まえる日になるようにして下さい。難しい現場にいる私たちの宣教師が、神様が与えられるこの力を受けるようにして下さい。世の中で教会で重要なことをする役員の方たちが、この祝福を味わうようにして下さい。全世界に散ったレムナントが、この力を回復する貴重な日になるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン