2007年8月12日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/私の避け所、私の分の土地
(詩142:1〜7)

■ある方が癌になりました。手術をしたのですが、坑癌治療をしなければならないということでした。とても苦しいということでした。どれだけ苦しいかと尋ねたところ、その方の表現では、昔の史劇を見れば、毒薬を飲んで死ぬのに、その時、からだが震えて死ぬが、そのような感じがするということでした。それで言うのに、それでも生きるならばするということでした。生きる保障が確実ならばするということです。私たちは、体験していないのですが、実際にその目にあった人は分かるでしょう。
■今日、詩篇142篇は、ダビデが死の直前にまで追い込まれたことを書いたのです。私たちは死というものを理解しなければなりません。ある方は死にたいと言います。それは死をよく理解できていないのです。死が何かも知らないのに、死にたいと言います。ある人は自殺をして、自殺を失敗したのにしばしば試みるのです。死にたいということです。死をよく理解できない人ではないかと思います。また、反対にとても死にたくないと、もがくのです。それもよく理解できていないということです。信仰に成功した方の特徴は、死をよく理解したということです。
■昔、日帝時代に、すべての地域に神社をみな作りました。官公庁は言うまでもなく、学校までみな作りました。いよいよ教会にも作ったのです。教会の中にも神社を作ってお辞儀をしろということです。言わば、教会の中に偶像が入ってきたのです。ところで、牧師の中で、とても力がある牧師を日本人が脅迫しました。しなければ、お前を殺すと言うので、おじけづいたのです。死んでも良いといえば良いのに、おじけづいたのです。神社参拝をするように通過させました。神社参拝通過させた時、日本神社にお辞儀をするのは偶像崇拝でないと通過させる時の総会長がホン・テクキという方でした。そのような方々が威嚇されたのです。総会はおもに牧師、長老が集まります。法として通過させた時、すべての牧師、長老のそばに日本の刑事が座っていました。みんな、おじけづいて通過させたのです。その中で、死を恐れない人がいました。死が何かを知っている人たちです。代表的な例がチュ・キチョル牧師です。人は何度も死ぬことではなく、この世に生まれてただ一度だけ死ぬ。ここで生き残って偶像崇拝しなければならないだろうか。今、死ななければならないのだ。それが、神様のみこころだと思ったので、勇気ができたのです。監獄で死んだのですが、その偶像崇拝を強要する国家と戦って勝ったのです。人は死を知らなければ、とても恐ろしがったり、そうでなければ死のうとします。
■皆さんがよく知っている話です。その次に共産主義が起きて教会を邪魔しました。このように礼拝をさsげていたら、共産党が銃を持って入ってきたのです。機関銃を持って数人が入ってきました。弾丸が入っていなくても、銃でねらわれたら怖いのです。こういう銃を持って礼拝堂に入ってきました。その当時、礼拝堂にイエス様の写真を付けてありました。今は教会にそんなことはないのですが、昔、私たち幼い時には、付けておいたのです。どうであれ、イエス様の顔だと思って信仰生活をしていました。それを共産党がきて壁にかかったのをはずして、地面に投げ捨てたのです。説教する牧師に銃をねらいながら出て来いと言いました。唾を吐いてイエスを呪って終わらせるか、死ぬかと尋ねたのです。銃をねらいながら言ったのです。その人々は容赦なく殺しました。ほとんどみな、唾を吐きました。死にたくないと、牧師、長老もみな吐いたのです。90才に間もなくなるおばあさんも、死ぬ日も残り少ないその方も吐いたのです。どれくらいもっと生きるのか怖いのか、そのようにしたのです。小さい子どもが写真を抱きしめて、その子どもは何か考えでしたのか知らないけれど、悪い共産党も子どもを殺せなかったのか死にませんでした。この子が何も知らないからだと言いました。そのような事件が伝えられて、今でも話されています。その次の聖日に、説教は誰がしたのか知らないけれど、そのようなことが行われたのです。
■人は誰でもみな、死ぬことを恐れます。このダビデが受けた苦しみは、ほとんど死に関する苦しみです。Iサムエル18:10節を見ると、ダビデが琴を弾いていたら、サウル王がきて槍を投げました。その記録を見れば、サウル王を見れば立派な将軍です。ところで、普通、頭を下げて楽器を弾いているのですが、そこに連続で槍を2度、投げたのです。ダビデがはやく見て避けたのです。どうなったでしょうか。王に立ち向かうこともできなくて、ダビデがひとまず避けたのです。Iサムエル19:1を見ると、サウル王が王子ヨナタンと臣下を呼んで命令を下しました。ダビデを殺せと言ったのですが、息子ヨナタンがお父さんに訴えて、ダビデを生かしました。Iサムエル19:10に見ると、また全く同じことが行われました。2度も槍を投げたのです。その時は、ヨナタンも仕方がなかったのです。それでダビデが逃げました。家に帰ったのですが、Iサムエル19:12〜17を見れば、サウル王が刺客を送りました。知っている通り、人形をダビデのように作っておくようにして、ダビデが死を免れるのが出てきます。仕方なくて、ダビデが逃げました。Iサムエル20:24〜29節を見れば、王が軍隊を率いて出てきたのです。野原でダビデを見つけようと隅々まで探すのです。どれくらい不安だったでしょうか。皆さん1人が逃げて、強盗2人が山に付いてくるとしてもどれくらい不安でしょうか。武装した軍人を連れて王が直接出てきて探すのに、普通の怖いことではありません。21章を見ると、ダビデがノブの地に逃げたのですが、そこまで訪ねてきてダビデを助けた祭司長と助けた人を殺しました。これは、政治病にかかると、このようになってしまいます。完全に婿なのに、婿もなく、息子もなくて、ただ殺すのです。本当に怖い病気です。ダビデがその時は、逃げたのですが、軍人を連れてまた捕まえにきたのです。あまりに急で、ダビデが隠れた洞穴がエン・ゲディという洞穴です。今日の本文はそこで祈った内容です。それ以後に、その中で起きた事件はご存知でしょう。ダビデが逃げたハキラの丘まで捕まえに来ました。結局、ダビデはペリシテに逃げました。その国にはいられなかったためです。軍人に命じて、捕まえて殺せと言うので、ペリシテに逃げたのです。ペリシテの軍人がダビデをじっと見たのです。ダビデが部屋にいたら、あちらの部屋で話をしていました。ダビデだ、今、サウル王に追われているダビデだ、昔に私たちの一番力があった将軍ゴリヤテを破った人だ、今がチャンスだ、逃げてきて私たちの手の中にきた、殺すべきだと自分たちどうし話をしていました。これをダビデが聞いたのです。どのようにするでしょうか。国でもだめで、逃げてもだめです。この人たちが、どのようにしようかと入ってきたのですが、あたかもタリバンに捕えられた人々の心情でしょう。その時、聖書の記録を見れば、ダビデが精神が狂ったまねをしました。唾もたらして、精神が狂ったように演技をしたのです。この人たちが見たら、ダビデがとても苦労して精神が狂ったんだなあ、ちょっと人間性が良い人が、狂った人を殺す必要があるかと、自分たちどうし話をしたのです。精神も狂って哀れだから殺すのをやめよう、ダビデは終わったのだ、精神が正しくてこそ、これから何かするだろうが、もうだめなのだ、そのまま適当にしてそのあとで送り出そうと言って、ダビデが生きることができました。
■それを見れば、詩もよく書いて、戦いも上手にしたのですが、演技も上手なようだと思います。その緊急な状況の中で、どれくらい演技が上手だったのか、その人々がだまされたのです。こういう困難に、ダビデが継続してあったのでした。相手方は、多少そのまま戦うほどの相手でなく、王でした。ダビデは万を打ち、サウルは千を打つという言葉に王が怒ったとなっています。この時、サウルの中にねたみが生じたのです。ねたむことが、最も霊的に問題がくる道です。悪霊につかれた人1人がいても難しいでしょうが、王であるから、普通の問題がくるのではありません。Iサムエル18:10を見れば、ダビデに槍を投げた時、悪霊が入ったと記録されています。19:10を見れば、同じ記録で悪霊が入ったと言われています。結局、Iサムエル28章を見れば、サウルが霊媒をする女を訪ねて行きました。結局、悪霊につかれた女を訪ねて行って、これから私がどうなるかと尋ねるほどに変わったのです。このように、サウル王は完全に失敗しました。
■どのように、ダビデがこの困難を勝利して勝ったのでしょうか。どのように、ダビデがこういう困難によく勝てたのでしょうか。最初です。幼い時から、ダビデは死が何かを分かっていました。聖霊の働きで、どのように子どもが分かるでしょうか。Iサムエル17:37を見れば、サウル王の前で言った言葉です。私がゴリヤテと戦う、私が羊を飼っていた時、羊一匹もなくさなかった、獅子が来てくわえて行くなら、獅子と戦って勝った、それと共に言った言葉です。主が私を獅子の歯と足の爪から救い出して下さった、それなら、悪い者の手から私を救い出して下さると信じると言いました。スポーツで行くのではなく、生きるか死ぬかということです。私たちが一勝負ゲームをしに行くのではなく、生きるか死ぬかなのに、ダビデが言った言葉が、主が私を救い出されるはずだと言いました。この程度ならば、本当にすごいのです。聖霊の働きです。そして、Iサムエル17:47を見れば、ゴリヤテの前に行った時、何と話したのでしょうか。ゴリヤテの前で言った言葉です。救いは、私たちの命は、剣にあるのではなく、主の御手にあるとゴリヤテの前で話しました。私たちの生きるか死ぬかという問題が、主の御手にあると言ったのです。私が生きるか死ぬかということが、お前の剣にあるのではなく、主の御手にあると言いました。すごいのです。槍と剣に人間の命があるのではなく、主の御手にあると言いました。今日、主がお前の首を私の手にくださったと言いました。本当に偉大なダビデです。何かを知っていたのです。
■死が好きな必要はないが、恐れる必要もありません。先週のメッセージでも言ったのですが、今、タリバンに捕えられている人々は、死を恐れてはいけません。恐れれば自ら死にます。時間がかかることですが、安らかな気持ちで死ぬ覚悟をして、その人々と無事に過ごさなければなりません。そのようにしてこそ、生き残るのです。そうでなければ問題がきます。私たちの命は、神様の御手にあります。記憶すべきことは、少し早く死ぬ人がいます。長く生きる人もいます。それも主の御手にあるのです。私たちが思うのには、早く死ぬことが哀れだというのですが、そうではありません。お父さんが死ねば、あの子どもたちは、どのようにすると言うのですが、それは私たちの考えであって、必ずそうではありません。ラケルが早く死んだのが、ヤコブが見る時には、悲しいことだったのですが、そこでヨセフ、大きい人物が出てきたのです。むしろ、私たちの親戚の中でみな健康に長く生きたのですが、私の父は、早く亡くなった。人々が思うのには、あの家はほろびたんだなあということでした。ところで、その多くの親戚の中で福音を伝える家は我が家しかありません。私たちの考えであって、死ぬということは全面的に神様の御手にあるのです。
■さらに正確に話せば、人間は死にません。私たちの霊がからだの中でにいたのが、出て行くことであって、死ぬことでもありません。イエス様のみことば中に永遠に死なないという言葉がそのことです。からだを管理するのは、家が崩れれば人が出てくるように、からだが崩れれば、霊が出て行くので、からだの管理をするのであって、死ぬのではありません。ある人は、死んだが今でも働きを起こす人がいます。ある人は、生きているのに死んだ人と同じです。おもしろい話があります。死者の中で生きている者がいて、生きている者の中に死者いるという話があります。ダビデが死が何かを知っていたので、大胆に神様の御手にあると言ったのです。さらに重要なのはガラテヤ2:20を見て下さい。すでにキリストにあって十字架にかけられて、私たちは死んで、新しい生活を送るので、キリストにあって新しく生きるということだとなっています。皆さんが信仰生活する中で、また問題がきても、死は恐れる必要がありません。始める時、死んだと思えば良いのです。ガンになって苦しんで生き返ったとすれば、どれくらい幸いでしょうか。そのように始める人々が、みな答えを受けます。そのように始めれば良いのです。おもに見ると、病気になって死の淵まで行って生き返った人々は、新しい命を得たら、この方たちがおもに答えを受けます。死んだと思えば良いのです。
■釜山で隣の教会が私たちの教会が急成長するので、話しを作りだして、汚名を着せました。くやしい気がしたのです。なぜ、あのように嘘をついてあのようにするのか。私たちのチームが度々呼び掛けました。あの人たちが、度々嘘をつくので、牧師先生が静かにいたら、やられてしまうということです。正式に裁判所に告訴をしました。告訴をしたら、この方たちが丸ごと一緒に行って、違うとあちらが誤っていると言いました。検察が見て、何の話なのかが分からなかったのです。宗教の争いになるので分かりません。まったく告訴自体に成り立ちませんでした。ある日、私たちの教会に若い執事が亡くなりました。その時、私が時間があったので葬式に行ったのです。この方が死んだので棺に入れます。幼い子どもたちが、土を掘って棺の上にかけました。その時、こういうことを考えました。私が死んで、棺の中に入っていれば、私達の子どもたちが、あのようにするのだろう。そのように考えました。事実上、世の中では終わったことではないのか。より良い世界が残っているが、世の中では終わって、人々が来て帰って埋めておいて行くのではないのか。その時、私に感じることがありました。幸いだ、私はこのように死ななければならないのに、今、生きていないか、寃罪をこうむったとして、どうなのか、幼い時から聞いた話ですが、悪口は腹を割いて入らないといくら話してみても効果がないことなのに、ということです。良い、私はキリストとともに十字架にかけられたのではないか、私は死んだのに話す言葉が何があるのか、もうキリストの中で生きるということだと、その棺の前で思いました。その時、私の考えがすべて変わったのです。むだな戦いもする必要はない。ダビデが、こういう死の中で、どんな考えをしたのでしょうか。ダビデがした告白を見れば、心の中で、死は主の御手にあると言いました。
■また理由があります。こういう困難の中で、ダビデはどのようにしたのでしょうか。自分に対する神様の計画を確かに分かりました。神様は、皆さんに向かった計画がみな成就される前には、皆さんを呼んで行かれません。ある面で、私たちから計画がみな完成されたとすれば、いる必要もないのです。ダビデは、Iサムエル16章に、サムエルがきてひそかに油を注ぎました。あなたはイスラエルの王になるだろうと言ったのです。だから、ダビデは揺れませんでした。死がきても恐れませんでした。神様は皆さんに向かって、世界福音化をして来なさいと言われました。簡単に話せば、まだ皆さんは死ぬ資格がありません。資格があってこそ死ぬので、そうではないでしょうか。伝道もよくしてから行くのに、したこともないのに、仕事をみな終えなければなりません。そして、サムエルに契約の箱の話を聞きました。契約の箱を移す話も聞いたのです。心の情念になった契約の箱の事件を聞いて、神殿を作る計画を聞きました。どのように、ダビデが死ぬことができるでしょうか。どんな敵がダビデを殺せるかということです。ダビデは明らかな神様の計画を持っている人なのに、どんな困難がきても大丈夫なのです。皆さんが今日、この契約を堅く捕まえて、どんな恐れも、皆さんに勝つことができません。
■三番目です。ダビデはそのような中に、祈りの奥義を持っていました。苦しみがとても大きいから、しばらく混乱もしたでしょう。なぜならば、そのような記録が詩篇に出てきます。ひょっとして、サムエル祭司長が話しを間違ったことではないか、ひょっとして私がだまされているのではないのかと考えたのです。とても、苦しかったからです。これに勝てる奥義が、祈りの奥義です。ダビデは詩78,23篇を見れば、普段の時に祈る人でした。この部分が、とても重要です。詩と賛美が出てくるほど祈ったのです。どのようにすれば、祈りの答えを受けるのでしょうか。本当に祈れば答えられます。ダビデがエン・ゲディの洞穴に隠れていたので、軍人が捕まえに来るのに、本当に祈ったでしょうか、にせ物に祈ったでしょうか。そのなかで、どのように祈ったのでしょうか。神様、与えられるなら与えて、与えられないならなしにしてくださいと祈ったでしょうか。確かに、その中でした祈りがここに出てきます。彼らは私より強い、主が私の避け所であり、私の分の土地です。この困難で救い出してくださいと祈りました。多分、生き残った後に作った詩だと思います。その中で詩を書いたでしょうか、祈ったでしょう。
■私たちすべてのタラッパンの家族、使命者が、本当に皆さんが祈りの答えを体験するように願います。祈りの力を持って祈りの答えを体験すれば、確かに変わります。ダビデはすでに幼い時、祈りの奥義を持った人でした。ダビデはゴリヤテに会った時、すでに祈る人でした。どんな困難がきても、神様の子どもは、祈りの中でものすごい奥義があります。今日、皆さんこの契約を捕まえるように願います。私はこのように話しました。祈りは科学だ。祈りは霊的な科学だ。祈りは世の中の人々が知らない科学だ。人間の構造を分かったら、祈りは完全に科学です。人間の構造を知っているでしょう。考えて話すことがそのままなるのです。皆さん中に何が含まれているのか、それが皆さんの未来です。これくらい人間の霊とからだは科学的なのです。祈りは完全に科学です。皆さんが祈る時ごとに、神様は聖霊で働かれるから、未信者は分からないのですが、答えの働きが起きます。祈る時ごとにダビデは告白しました。神様の主の天使を送ってくださって、神様の働きが成されるのです。
■重要な結論が、私の避け所、私の分の土地です。私の避け所は、軍隊用語です。自分が隠れる要塞、避け所です。私の分の土地。分の土地とは、英語でportionで私に来る財産ということです。私に来る持分ということです。エリシャがエリヤについて行って、2つの分け前をくださいと言いました。その時、英語を見ればdouble portionと言いました。その意味です。ところで、ダビデが何と話したのでしょうか。私に来る分の土地、財産が主だと言ったのです。止められない祈りをしたのです。誰が、この信仰に勝つでしょうか。主が私の避け所で、主が私の分の土地だと言いました。だから、どんな暗やみの勢力がダビデに勝つことができるでしょうか。
■皆さんが最後に整理することがあります。人間には苦難というものが来るのですが、これがいつ来るかが重要です。人間には決定的な苦難が来ることがあるのですが、いつ来るのでしょうか。これがとても重要です。信仰がなくて、福音が正しくない人が生きていく中に必ず一度はきます。幸いに、そのために福音を悟る人がいて、そのまま死ぬ人がいます。さらに重要なのが二番目のことです。神様がメシヤ、キリストという契約をかけて、皆さんが受ける苦難と呪いをなくしてしまわれたのです。これをダビデが分かったのです。さらに重要なのは、苦難がきても関係がありません。詩91篇を見れば、5節に、あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。7節には千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。パウロが告白しました。四方から囲まれるように見えても、窮することはないと言いました。これが契約を持った者の特徴です。この部分をのがしてはいけません。倒されたように見えるが、違うということです。神様の子どもが本当に救われた子どもならば、困難がくるように見られても、違うのです。どんな暗やみも、ダビデに勝てなかったという結論です。皆さんがこの契約を堅くつかむよう願います。
■最後に、皆さんがこの答えをどのように受けるのでしょうか。皆さんが必ずしてみてください。聖書にこういう記録があります。ものすごい知恵を持ってヨセフが話すので、パロ王が何と話したのでしょうか。パロ王が、勉強を十分にしていない人ならばこのように話したでしょう。どの大学を卒業したのか、専攻は何かと尋ねたでしょう。いつでも半分ぐらい習った人ならば、そのように質問したでしょう。しかし、パロは最高の大学、ヘスフェリーオ帝国大学を作った人です。その時、世界を統治していた国がエジプトです。その王の名称がファラオというのです。パロは、名前でなく、王の名称です。この王が言った言葉です。すでに大学を作って世界を掌握している人がした話が、神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようかと言いました。多くの信者が、知識人がのがしやすい言葉です。イスラエルが滅びた時、学者や預言者が現れて、権力によらず、能力によらず、神様の霊によってと言いました。いつでも勉強もたくさんできない人が話すのですが、今、パウロのような人はとても習った人です。とても知識のある人です。パウロが聖霊の導きを受けるために断食したと言われています。心の中にどんな気がするでしょうか。世の中を知らないのでそうだ、知識を知らないのでそうだ、科学を知らないのでそうだ、と心の中で思えるでしょう。特にソウルにはエリートが多いから、そのように考えることもできるでしょう。教会が分かるでしょうか、あの長老が分かるでしょうか、牧師が世の中をよく知らないからだという部分は認めることはできます。しかし、本当に優れた人物が言った言葉です。そして、イエス様が直接言われた言葉です。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。
■何か話をしようと私がこのように複雑な話をするのでしょうか。私は定刻の祈りをする時、必ずすることがあります。聖書に重要な方々が約束したことで、聖書で重要だから私は必ずします。聖霊が私の中に臨んで、私の考え、感じ、感覚、すべての部分を治めてくださいと言うのです。ところで、不思議です。その祈りだけすれば、悟りが一つずつ与えられるのです。私がした体験です。座って、5分間だけ神様の聖霊が私の感じ、考え、気持ち、全てを治めてくださいと祈ります。そうした後、説教準備をするのです。そのたびに、考えに何かが一つずつ浮び上がります。これが続いて、悟りが与えられるのです。聖書で、マルコのタラッパンから始まって、家ごとに起きた伝道運動が見られました。今まで私が違った伝道をしたんだなあと思ったのです。そのような迫害の中で、騒がないでマン・ツー・マンでしたのがチームの働きです。どんな暴君も家庭を防げないから、家庭に入ったのがミッションホームです。どんな王も、人の生活を防止できないから、職場に入ったのが専門の働きです。このような形で聖書にある20の戦略を悟ったのに、驚くことが起きました。してみてください。その祈りだけしたのです。本当に聖霊が私の考え、感じ、感覚をすべて治めてくださいと言います。こういう中に10年前にはレムナントという単語を悟りました。今、レムナントという単語が完全に爆発しています。神様は答えられる神様なので、誰でも答えを受けることができます。健康が心配になる方は今から祈ってください。確かに聖霊は働くと言われています。主の聖霊が、私のすべての五臓六腑を治めて、神様の栄光を現わすようにして下さい。イエス様の約束です。
■神様のみことばは永遠です。キリストは仕事を完成してなくなられました。わたしが、あなたがたわたしの代わりに助け主聖霊を送ると言われました。その前に、あなたがたは心を騒がせてはならないと言われました。神様を信じ、またわたしを信じなさい、天国が備えられているので心を騒がせてはならない。そこまで序論で、本論が助け主聖霊をあなたがたに送ると言われました。聖霊は神様の霊で、創造の霊です。皆さんのからだの中に臨まれれば、皆さんのすべての死から生かせます。これを信じるか、信じないかの問題です。聖書で最も重要なことなのに、なぜ信じないのでしょうか。勉強はほどほどにしたという理由で信じないのでしょうか、経験が少しあるという理由で、神様の最高の祝福を信じないのでしょうか。私はそこに対して本当に体験した証人です。今でも説教を準備する時、その祈りをします。私が解釈をすれば、どれくらいできるでしょうか。背景知識を分るとしても、どれくらい分かるでしょうか。皆さんが教会に勉強をしに来るのでしょうか。ここで勉強して資格に従って来るのでしょうか。そうではないでしょう。皆さんは神様の民で、神様のみことば聞いて生きなければならない方で、私はお手伝いだけするのです。そのためにすれば感覚が正しくならなければなりません。それで、そのように祈ったのですが、神様はずっと答えを与えられました。
■今日、皆さんの職場、皆さんの現場に主の聖霊が臨むように願います。影島でその祈りだけしたのですが、影島にみわざが起きました。私は一日に地球を三十回、祈りで回ります。それをしたのに、全世界にレムナントが起きています。私たちに迫ってくる問題を恐れずに祈っていれば、神様はそこで答えを出されます。危機がきても恐れないように。私たちの命を治めておられる方が主なる神様だから、その契約を捕まえて祈っていれば、確かにみわざが起きます。証拠があります。聖書が証拠で、教会史の学者が証拠で、私たちが証拠です。そのように福音をなくそうとしたローマ10人の皇帝が勝つことができませんでした。そのように福音を防ごうとした共産主義が勝つことができませんでした。その誰も神様の働きを防げることはできません。ここに皆さんは神様の子どもとして、使命者として呼ばれました。今日、皆さんの霊、皆さんの肉体、皆さんの現場に、聖霊のみわざが起きることをイエスの御名でお祈りします。終えながら、その祈りをしてください。そうすれば、働きが起きます。みことば受けて、少しだけそう祈っても、みわざが起きます。それで、病気になった人は、全部、癒されることをイエスの御名でお祈りします。皆さんが知らずにいる病気まで治るみわざが起きるように、イエスの御名でお祈りします。それよりさらに重要な霊的な病気が治ることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。聖霊で働いてくださって、人々が知らない正確な神様のみわざが起きるようにして下さい。今日、主の民が、この場に集まりました。全世界の主のしもべが、主の民が、みことばを聞いています。聖霊で働いてくださって、天と地とすべての国が起きる働きが起きるようにして下さい。今日、癒されるみわざが起きるように祈ります。すべての病魔、病気が退く時間になるようにして下さい。すべての不信仰が、暗やみが縛られるようにして下さい。新しい力を得る力の時間になるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン



2部/なぜイエスだけが道なのか
(Iヨハネ3:8)

■福音手紙の補充説明を継続します。なぜイエスだけが道なのか。私たちが社会生活をすれば、ご飯を食べて生きるべきなのに、なぜ福音だけ強調するのかと尋ねるクリスチャンが多く、そして、牧師の中でも多くて、教役者の中でも多いのです。それで、私たちが今日メッセージを捕まえて新しい答えが始まらなければなりません。皆さんに一番必要なことは何でしょうか。もし皆さんに一番必要なことがお金だと考えるなら、皆さんは失敗したのです。それは、祈りの答えを受けられずにいて、成功を出来ずにいるということです。ところで、大部分の人々に会ってみれば、神様の子どもではなくて、お金の奴隷です。それで、お金のために毎日問題が生ずるのです。そして、お金を使うのを見れば、とても浪費する人もいて、ある人はとてもケチに使います。また周囲で仕事をする時に見れば、神様が願われることだけすれば良いのに、毎日、お金がなくて、お金の心配をします。私は今までタラッパン運動30年をしながら、お金がなくてできなかったことは一度もありませんでした。神様がその時、その時、あふれるように与えられました。もう皆さんは福音を伝える人だから、教会堂建築を開始するならば、皆さんに祝福が注ぎ込まれるでしょう。心配する必要はありません。神様がくださらなければしなければ良いのです。何が怖いのでしょうか。その時は運動場で礼拝しながら神様にデモをするのです。何も心配する必要がありません。釜山で25坪で礼拝をささげていた時、広場のテントで礼拝をささげていました。それで、火が出て、雨が降ったりするから、神様が良い場所を与えて下さったのです。
■なぜイエスだけが道なのでしょうか。今からいくつかの体験をしてみましょう。皆さんが今からいくつかの体験をすれば、ますます分かるようになります。私が分かることでは、ここに座っている人々は救われた人が大部分だから、このまますれば良いのです。皆さんが本当に時間を定めておいて、イエス・キリストの御名で祈ってみてください。何をのがすかと思えば、イエス・キリストの御名で祈れば、直ちにそのまま答えがくることがあります。その次に、イエス・キリストの御名で祈ったのに答えがこないことがあります。答えがありません。ここで錯覚をするのです。その後に必ず完ぺきに来るようになっています。後に来るのですが、ほとんど完ぺきに答えが来ます。そうでなければ、私たちが知らずに祈ったので、神様はイエス・キリストの御名で祈れば、他のもので答えてくださいます。体験してみるように願います。
■二番目です。イエス・キリストの御名で暗やみの勢力をうち砕いてみてください。なぜイエスだけが道なのかが分かるようになります。イエス・キリストの御名で暗やみの勢力を一度、うち砕いてみてください。さっき話した通り、イエスの御名ならば、直ちに表に現れます。今回、学生たちがムダン(霊媒師)の家に行ってみたが、すぐ表に出ます。他の宗教人が行けば、その人々が宗教人をもてあそびますが、クリスチャンが行けば、皆さんがいくら信仰生活を不十分にしていても、行けばすぐ分かるのです。ところで、イエス・キリストの御名で祈るのに、なぜ答えにならないか、そのような場合はありません。神様の時刻表のとおり正確になります。私はまだ忘れない事件を使う時、これは多くの信者もそのように考えると思います。この前、私たちのチームどうしで島に行きました。そちらに行った人々が、全部、衝撃を受けたのです。知らなかったのですが、ある青年が私たちと共に島に行ったのです。普通の教会からきたというので、行く時はよく分からなかったのですが、この青年が突然、悪霊につかれたことをしたのです。悪霊に取りつかれたことをしたのが問題ではなくて、私たちはその人がそのようにしたということに衝撃を受けたのです。完全に、顔が普段と違った顔になりました。そうするうちに、私たちが一緒にイエス・キリストの御名で祈ったのです。そうしたら、この青年の顔が戻って、その場で回復しました。それで全部見て、本当に神様が生きておられることを感じるほどでした。すぐ分かるのです。
■ところで、ある時は、祈っても答えが来ないように見えます。皆さんがイエス・キリストの御名で暗やみ勢力をうち砕けば、一度うち砕くだけですぐにみわざが起きます。今、説教を聞いているので、申し訳ないのですが、ある女の人が完全に狂っていました。それで私がその家に行ったのですが、対話ができず、ずっとおかしなことを言っていました。共に礼拝をしようとしても、礼拝もできませんでした。その場で祈りをしたのに、何もなかったのです。そのような時、私の心の中に疑いが生じました。だめだと考えたのです。だめなことを、どのようにするのでしょうか。私が祈ったら、じっとしているか、下がらなければならないのに、より一層発作をしました。何時間も、そのようにもがきまくったのです。それで、4-5時間程度なのに、私が途中ぐらいに、だめだと確信を持ったのです。だめなことも確かに信じるので、確信して、帰らなければならないと考えたのです。そのように置いておいて出てくるのに、自尊心が傷ついたのです。ある人は、祈れば悪霊が出ていって気絶するのに、私にはむしろ立ち向かってきました。それで、家に帰ってきて、説教を準備をするのに、ずっとそのような気がしたのです。ある瞬間、私はそうではないと考えたのです。これは私の誤りで、私は何の関係もなくて、私がイエスの御名で祈った、確かにその姉妹を捕まえているサタン、悪霊は出ていくだろう。私一人で部屋で説教準備をして、そのような気がしたのです。そして、確かに神様はご存知だと考えたのです。初めにはとても驚いたのです。正常だったお嬢さんが狂って対話ができなくて、とても驚いたのです。確かに悪霊が入ったことが確実でした。ところで、私がイエスの御名で祈ったのです。それなら、私の責任でもなくて、私の使命でもないと考えて、祈っていたら、電話がきました。電話がきて、もっと深刻になったということでした。祈っていれば良くなったというべきなのに、今は、家の物をみなひっくり返して、火まで出すと言いました。それで、病院に連れて行かなければならないと言うのでした。私の考えでは行きなさいと言おうとしたのですが、それでも、祈ったので、待ってみてだめならば明日、行きなさいと言いました。その日の夜にみわざが起きたのです。悪霊が、その姉妹を通して、私はこの家にとうていいることができないと言いながら、出て行くと言ったのです。その後で、その姉妹が倒れたら、後ほどきれいに起き上がったのです。
■これは奇跡のようなことです。嘘もそのようにできません。すぐ良くなってしまいました。ところで、より良かったのは、人が少し変なのではなく、完全に何も残らずに良くなってしまったのです。そして、以前には礼拝をささげれば、毎日の後に座っていたのが、その後では聖歌隊にも座って、人が変わってしまいました。その時、私は感じたのです。イエス・キリストの御名の権威は、確かに働くのですが、信じる時、確かに働かれるということを感じたのです。基本的に重要なのは、私達が信じなくても、働かれます。あるものは、私たちが不信仰をしたのに働かれることもあります。私たちが信じる時、働くのもあります。体験をしてみるように願います。私が一つの地域を置いてずっと暗やみの勢力を砕いたのですが、本当に世界福音化が起きました。皆さんが権威と祝福がどれくらい大きいのかを知らずにいるからであって、皆さんが座って祈りだけしても、みわざが起きます。これを体験をしてみていないので、いつも心配になって、信仰生活をするのにも、するようでもなく、しないようでもなく、救われた者の祝福がどれくらい大きいかも知らなくなるのです。
■そして、毎日、お金が心配にもなります。皆さんがイエス・キリストの御名で、皆さんの病気を置いて祈ってみるように願います。皆さんが病んでいるところに一人で手をのせて、キリストの御名で祈ってみてください。同じ原理です。神様が直ちに直されるか、薬を通されるか、医師を通されるか、正確に良くなります。本当に皆さんが祈ってみてください。定刻祈りの時、医師を無視しろということではなく、あまりに医師だけを頼ってはなりません。医師も、そのような患者は嫌います。皆さんがどんなことが行われるのか、本当にイエス・キリストの御名で祈ってみてください。その後に、聖書のなかで教会史に現れたイエス・キリストの奥義を探してみてください。その後に、伝道現場に現れたイエス・キリストの奥義を一度、見て下さい。ひとまず、皆さんは伝道をしようとするなら、霊媒師を一度訪ねて行ってみなさい。皆さんがどれくらい、すばらしい人なのかが分かるようになります。皆さんがイエス・キリストが誰なのか宗教人を訪ねて行ってみなさい。イエス・キリストの御名を持って、皆さんが悪霊につかれた者を訪ねて行ってみなさい。全部、悪霊につかれた者ですが、特別に悪霊につかれた者を訪ねて行ってみなさい。ものすごいのです。そして、さらに重要なのは、この人たちが、イエス様を受け入れたとします。そうすれば、その病気は、はやく良くならなくても、救われた状態です。それでは、私たちが伝える福音のメッセージだけ聞くが、他のものは聞きません。それを皆さんが理解をしなければなりません。ところで、牧師、宣教師が、こういう経験がないから、全く理解できないのです。それで、霊媒師であったり、いろいろ苦しめられてイエスを受け入れをした人々は、残りの部分が完全に良くなっていないために、このメッセージをずっと聞こうとするのです。それも知らずに、なぜ柳光洙牧師だけ追いかけるのかと言うのですが、それは柳光洙牧師を追いかけるのではなくて、福音を伝えてくれる人のメッセージを追いかけようとするのです。だから、こういう基本的なことも知らないで、牧会をしようとして、宣教をしようとして、役員をしようとするので、いつも苦労するようになるのです。未信者とレベルが同じです。これを体験してみれば、ものすごいのです。ナザレのイエス・キリストの御名で、全世界を歩き回りながら祈ったのですが、その時間には答えが来ないように見えるのですが、過ぎれば答えが来ているのです。今、私たちは、ここで他人の学校を借りていますが、ある日見れば、神様が皆さんの産業、現場、教会に答えをみななさるようになっています。それが重要なのではありません。それで、過ぎた後に、神様の恵みがこのように大きいのかが分かるようになるのです。
■昨日はイエウォン教会修養館で礼拝をささげてきました。チョン牧師は、それほど感動しないと言いました。それでなぜかと尋ねたところ、もっと大きいものが与えられるために感動しないと言いました。そうでしょう。15年前にある長老が合宿訓練を受けました。まったく伝道ができなかった長老が合宿訓練を受けて、伝道がなるのでした。とても感動したので、この長老が牧師に行って説明をしたのですが、失敗してしまったのです。牧師先生、私がタラッパンの合宿訓練を受けてから伝道訓練されたことを本当に感謝します、これから伝道訓練をがんばりますと言えば良かったのですが、牧師先生、私がこの時まで誤って学んでいました。知ったところ、その人の周囲の数百人が行って訓練を受けていたのです。それで、この牧師が釜山でも一番性質が汚い人なのに、説教をする時、テーブルをたたけば大騷ぎが起こる人でした。それで、長老の前で、ご飯を食べている長老を見て食卓をたたいたのですが、おかずがみな落ちたのです。自分が誤って教えたのかと大声を張り上げたのでした。それで、そうではなくて訓練を受けてみたら、伝道がなるのが、とても恵みだと言ったのです。すると、その牧師が頭にきて、本性が出てきて、初めて大韓民国の全体新聞にタラッパンに行くなと出したのです。よりによって、その人がイエウォン教会のそばにいました。今でもずっと悪口を言っています。ところで、イエウォン教会は、祈りもしなかったのに修養館ができたのですが、その修養館が、まさにその牧師が運営をしていたのが、お金がなくて渡ってきたのです。笑わすにしても、普通の笑わせることではありません。イエウォン教会が落札したのを知って、その時には自尊心が傷ついたので、すべての方法をみな動員して防ごうとしたのでした。とにかく、その人はすごい人です。私たちは面倒で、戦えないのに、その人は戦う方法があれば、本当に熱心に戦います。私たちは他人の悪口を言えば面倒でできないのに、その人は昼夜で戦って、また、行って戦うほどすごい人です。それで、イエウォン教会で、その修養館を引き受け取るのを知って、不思議な方法をみな使って妨害をしたのです。おかしな言い訳を引き出して反対に告発しました。
■それで、崔ジョンファン長老が、部長判事なので、助けが必要なら、紹介をちょっとさせてくださいと言いました。私たちは落札をみなしたのに、文句を言って告訴をしたと言ったのです。それで、私が担当判事が誰なのか調べてみてくださいと言ったら、調べてみたところ、私たちのレムナントでした。本当に神様の趣味が不思議です。もちろん私たちのレムナントは、違うようにしません。そうですが、いくら功績でも悪い人の肩を持ちません。それで、お金一つもなく引き受けることができました。土地が良いから、銀行ではそのまま貸すと言いました。このようにして、修理をみなして入れるようになったので、昨日、行ってきたのです。それで、それほどうれしくないという言葉がこの話で、私たちはこういうもの程度は何でもないのです。私たちが未信者のようにお金がすごいと考えるのですが、そうではありません。皆さんが受けた祝福の力はより大きいのです。体験をしてみてください。
■それでは、どれだけすごいことをしたから、なぜイエス・キリストでなければならないのでしょうか。いったい、どれだけ重要なことをしたので、イエス・キリストを度々強調をするのでしょうか。最初です。創世記3章の事件を解決されました。神様の息子が来られたのは、創世記3章で起きた悪魔のしわざを滅ぼすためです。創世記3章の事件は何でしょうか。これが原罪です。原罪というのは、神様を離れたことだということを知っているでしょう。ここで違いが生じるのは、自分が犯す罪は、すべての宗教がみな解決ができるのです。これはキリスト教もそうで、すべての宗教が人を良くさせて、盗みもしなくさせ、全部、自分が犯す罪を解決するようにはできます。しかし、原罪ということは神様を離れたことです。神様を知らない罪が原罪で、根本的に呪いの下に陥ったのです。これが創世記3章の事件で、原罪です。それで、この時から苦難が入ってくるしかありません。創世記3:16-20に土地も呪われて、全部、呪わるようになりました。理由を分かるでしょうか。この部分を解決しようと、キリストが来られたのです。ものすごいのです。それで、だめなことがありません。皆さんが今日、本当に契約を捕まえて今日から開始するとすれば、だめなことがありません。ソンチョル僧侶が、確かに釈迦はサタンのしもべだと明確に話しました。私は初めて聞いたのですが、一理があります。
■二番目です。なぜイエス・キリストが道で重要なのでしょうか。悪魔のしわざだけうち砕いたのではなく、悪魔自体をうち砕かれました。記憶しなければなりません。すべての宗教は悪魔に仕えることで、すべての偶像は悪霊に仕えるのです。それで、ますます問題がくるのです。それで、ひとまず力が現れるように見えます。ところが、変に霊的な問題がくるのです。そうするうちに、完全にだまされる呪いに陥ってしまいます。それで、私たちのチームがムダン(霊媒師)に伝道をしに行く時、用心しなければならないのです。うまくいってお客さんが多い時に行ってはいけなくて、少し呪いに陥っている時に行って話をしなければなりません。シム・ジンソン氏は、今、行けば良いのです。商売がうまくいっている時には行ってはいけません。私たちのチームが行った時、家の前に30人が待機していました。この人たちは、待機する人ではなくて、予約できなかったが、とにかく助けてくれと来た人々であったのに、その人々が30人でした。今、何人かが予約されているので、予約と関係なしで頼むから助けてくれと30人が門の前で待っていました。それで、その人が自分が最高と思って、ものすごく大胆になってしまっていました。それで、私のお手伝いをする牧師が見て、30人程度いた中に按手執事もいるということでした。それで直ちに引っ張っていって福音を伝えたところ、この人が泣きながら祈りをして行ったということでした。これでシム・ジンソン氏に会ったのですが、最初に会った時、なぜ度々タラッパンで自分を困らせるのか尋ねました。自分は教会を手助けするのに、なぜ度々困らせるのかと尋ねたのです。二番目に行った時は率直な対話ができました。自分も苦しいが、仕方ないと言いました。人々がこのようにいるのに、どうするのかと言いました。その時は、実際には行ってはいけないのです。少しあれば迫ってくるようになっています。なぜイエスだけが道だと主張するのか、ここでは他の名は通じません。イエスが悪魔のしわざだけ滅ぼしたのではなく、悪魔を滅ぼされました。ものすごいのです。なぜ唯一の救い主と度々話すのでしょうか。女の子孫であるためです。これは普通の話ではありません。男の子孫は誰でもメシヤになれません。Iコリント15:45-52を見れば、上から生まれた者だと言われています。この言葉が、まさに創世記3:15に女の子孫、女の子孫が蛇の頭を踏み砕くと言いました。頭が踏み砕かれたら、すでに死んだのです。権威がみなうち砕かれたのです。それで同じる言葉ですが、イザヤ7:14に処女がみごもって男の子を産むと言われています。全国教会が礼拝を始めれば、乙女マリヤより生まれ、という言葉が出ます。この言葉に暗やみの勢力はぶるぶる震えるのです。それで、この程度ならできないことがありません。
■それで、今日、何種類のことはなくして、皆さんが今は新しく出発をしなければなりません。私はある日悟ったのです。私に、そして私たちの教会に、私が幼い時、福音ではないことに目を開いて見れば、福音ではないことにぎっしり埋まっていました。皆さんが発見しなければなりません。まだ分からなければ、本当に大変です。ところで、未信者が信者を見て悪口を言えば伝道ができないのです。ところで、一般信徒が教役者を見る時、あの人が福音に間違いないのかと疑いを持てば、教役者になれないのです。もし、牧会をする人が福音でない他のものでいっぱい満たされていれば、どうなるのでしょうか。発見するだけでもみわざが起きるのに、私たちは今、知らずにいるのです。私はある日、すべての信者は言葉ではイエスを信じると言うのですが、自分考えのとおり生きていると思いました。小さい知識をもって福音を防いでいると感じたのです。そして、私たちは恵みを少し受ければ私たちの考えが高慢になって、しばしば福音をのがします。なぜイエスだけが道なのでしょうか。創世記3章の原罪問題を解決されました。なぜイエスだけが道なのでしょうか。悪魔の権威をうち砕いてしまわれました。そして、根本的に人ではなくて、女の子孫です。それで、人間は人間を救い出せません。これはとても科学的な話で、重要な言葉です。皆さんはこの話しを普通と思うかも知れないのですが、暗やみの勢力がこの話しを聞けば、皆さんから完全に離れてしまうみわざが起きます。それで、この信仰をよく知らずに告白をしたのに、みわざが起きるのです。皆さんが使徒信条を知って告白をするのか、単に告白をしています。それなのにみわざが起きるのです。それで、もしそれなら、私たちは今から本当に準備ができなければなりません。
■レムナントに話をします。皆さんは祈りと勉強を別にせずに、祈りと勉強を合わせましょう。なる時までしましょう。そうすれば、皆さんはまちがいなく学業に勝利します。祈りと学業が分離すれば、問題がきます。分離にすることでもなく祈らないのです。それで、分離しなくても良いという言葉は、祈るという言葉だから幸いですが、祈りを全くしません。レムナントがこのようになってしまえば、ものすごいみわざが起きます。ここに今、役員のほか一般信徒がいます。一般信徒は、他のことをせずに、皆さんは今、3つが皆さんの前にあります。皆さんの仕事、その次に私たちが今持っている福音、その次に誰も取っていけない祈り、この3つが連結すれば、確かにみわざが起きます。複雑にせずに、簡単に捕まえましょう。皆さんの仕事、福音、祈りが合わされれば、皆さんは答えを受けないとしても答えがき始めます。それでは、皆さんが祈ったことは全部答えになります。皆さんが暗やみの勢力をうち砕いてしまえば、確かにみわざが起きます。ここにだけだまされなければ、皆さんは祈れば、病気も退いて、みことばも成就して、現場もみな起きます。のがさないように願います。
■ここに役員もいます。役員修練会が残っています。集会がほとんど終わって、役員集会と学生集会が残っています。役員は、初代教会を見て下さい。初代教会の役員を見れば、現場弟子を探しました。その次に、初代教会がほとんどみな現場弟子を探したのですが、そのなかで福音運動をしたのです。祈りは含まれています。そこで、神様がそのことに専門性を持つようにされました。役員はみな置いて、これだけすれば良いのです。初代教会で無条件に現場弟子、福音運動、皆さんの仕事に対する専門性です。他のことはすることもありません。この契約を捕まえて、ずっと祈っていれば、答えが来るようになっています。自分の息子、娘、祈ることもありません。全部、含まれています。皆さんがこの祈りだけすれば、この中にすべて入っています。家をどのようにするか、祈る必要がありません。皆さんが答えを受ければ、家はみな付いてくるようになっています。これから多くの役員を立てて、早く弟子を立てなければなりません。特に、ここに青年たちがいます。今回の集会の時に言いました。青年たちを祈りとみことばと伝道の主役に使いましょう。これから、伝道運動を地教会運動の核として使いましょう。それでこそ、この青年たちが育って、すぐ在職になれます。そうしてこそ、皆さんのレムナントが上がってきて、神様の証拠を見るようになっています。青年たちをとても核心の主役で使わなければなりません。今、釜山では準備中なのですが、ソウルでも考えてみてください。ソウルで青年会を担当する方が考えてみてください。あらゆる分野の核で青年たちを送りましょう。それでこそ、大学生が卒業をして上がってきて生きるのです。こういう経験を一度もできなくて世の中に出て行って、結婚して度々難しいのです。それで教会が人をわざわざ難しくさせる必要はありません。生かすようにさせなければなりません。これは一度だけ体験してしまえば、力が出ます。皆さんがこの部分を体験してしまえば、どこへ行ってもみわざが起きます。こういう祝福を私たちのタラッパンの家族、すべてのインマヌエル家族が回復することをイエス様の御名でお祈りします。ここには今、牧師もいて、宣教師もいます。
■特に副教役者たち。何も問い詰めず、心配しないように。地位の心配もせずに、何の心配もしないように。教役者は、無条件に現場を生かさなければなりません。その中にあります。どの程度、生かすべきでしょうか。実が出るほど生かさなければなりません。この中にみな含まれています。これを捨ててこそ、なるようになっています。そして、これがなくなっただけ、みわざが起きるようになっています。だから、伝道は伝道ではなくて、総合であり、すべての答えの祝福があるのです。ある地域に行ったところ、一般信徒が呼び掛けているのですが、それでも本当に困ります。外国からきて教会登録をしたのですが、あまりにも福音ではないことをするので、インマヌエルにまた行こうとしているが、このような時どのようにするのかと話しました。これくらいレムナントが賢いのです。実力もあります。外国から入ってきたのですが、そのまま近いタラッパン教会に皆同じだから入って行ったのですが、あまりに福音ではないことをすると言いました。それで悩んでメールを送ってきたのですが、私が答えられずにいます。私が答えがあってこそ話をしてあげられるのですが、それでは出て来なさいと言うでしょうか、一緒にいなければならないということです。それでも、何と言うこともできません。また、ある地域では一般信徒が自分は日本語の勉強を少ししたこと持って福音を伝えに行ったのです。それで、そこに仕事をしている人々に福音の手紙の話をしたところ、その人々が、どのように自分の問題を知っているのかととても驚いたそうです。ところが、教役者がきて、何度も福音の手紙をしないでくれと言ったそうです。それで、なぜしないでくれと言うのかと聞いたところ、まだから、後ですると言うのでした。だから、このような時はどのようにしなければならないのかと尋ねてきました。だから、本当に残念なことなのです。皆さんはつまらないことに人生を捧げる必要がありません。だから、特に教役者、副教役者は、何の心配もする必要なく、ここに命をかけなければなりません。ここでみな出てくるのです。そして、注意しなければならないことは、一般信徒の中にも、このみわざが起きる場合があります。こういう人々は表面でも、教役者や副教役者のような働き人をあまりに無視すれば、だんだん支障が生まれます。心より尊重をしながらしなければならなくて、またそのような方がいから、私たちが仕事ができるのです。これ一つだけすれば、すべての答えがみなきます。私は伝道だけ祈りました。私たちの息子、娘の祈りをする時間がなくて必要がありません。伝道の中にすべて入っているためです。今、私の息子、娘は健康に元気に暮らしています。自分の子どもの祈りをする必要が何があるのでしょうか。世界福音化の祈りをすれば良いのです。そのような祈りはする必要もありません。それで、私たちは本当に答えを受けてしまえば、すべての問題が解決されます。この世ですべての問題が解決が可能なのかと尋ねれば、完全はありません。
■ここは今、外国の人たちがいます。皆さんは、とても重要な方々です。それで、今まで見るので、残っている外国の人たちは、私が見るには使命者に間違いありません。それで、来年からは外国から来られる方たちは、特別待遇をしなければなりません。今までは見つめることもありませんでした。特別待遇というものは、違ったことではなく、少し見つめるということです。外国の人たちにお願いします。初代教会に散らされた弟子の祝福が、皆さんのことであるために、それを捜し出さなければなりません。初代教会には各地域に散った弟子がいたのですが、その祝福が皆さんのものです。それをのがしてはいけません。そして、宣教師もそうで、副教役者、牧師夫人もいます。副教役者の奥さんもいます。皆さんは大変ですが、専門性を持たなければなりません。これからRUTCができれば、皆さんは全部貴重に用いられなければなりません。もう牧師夫人も、ご飯だけすると考えずに、専門性を持たなければなりません。そして、副牧師の奥さんも、専門性を持たなければなりません。皆さんに神様がくださった仕事を捜し出して、福音を証しするのに使わなければなりません。昔には、牧師夫人と言えば、いつも食事の仕度をして待つ人でした。いつも牧師だけに仕えて、神様には仕えないからと言うので、牧師夫人です。それは昔の話です。今は時代がそうではありません。しっかりして福音を研究して、変にせずに、他人の邪魔をせずに、どんなことでも、なるべく訪ねて行こうとすれば、いくらでも可能です。それで、ある面で副教役者の奥さんは若いから、皆さんはこれから総神、RUTC、学校、大学の教授を準備してもかまわない、しなければなりません。それで、専門性がある伝道をしなければなりません。
■何も心配する必要がありません。キリストはどれだけ大きい方でしょうか。なぜキリストは、他の宗教と違うのでしょうか。宗教を捕まえている悪魔の勢力を打ち砕いた方がイエス・キリストです。私たちがする善行、悪行が問題ではなくて、原罪を解決した方がイエス・キリストです。私たちは地のこと持って話をするのですが、天の祝福をまさに味わえる、一般の人でない女の子孫として来られた方がイエス・キリストです。そうすれば、直ちに体験することができます。これは体験をして根をおろさなければなりません。それで、副教役者も完全に勝利をして、皆さんがこれだけ捕まえれば良いのです。多くのことを捕まえてだめなので、一つだけ捕まえれば良いのです。「いや、それでは他のことはどのようにするのか。」神様はご存知です。私がこの言葉がわからなければ、未信者です。神様は確かにすべて知っておられます。私たちがこれだけして、ずっと中心だけ立っていれば、私たちの仕事はどのようにするかとか、神様は確かにすべて知っておられます。神様はボーナスで私たちの教会と皆さんの事業に証拠をくださるでしょう。今週に正しく始める決心する日になることをイエス様の御名で祝福します。お祈りします。

<契約の祈り>
神様に感謝します。キリストの奥義を体験する週になるようにして下さい。そして、私たちに向けられた神様の計画が全て成就される日になるようにして下さい。真に答えを受ける力の時間が今週にあるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン