2007年11月25日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/私にあるもの
(使徒3:1〜10)
(ファン・サンベ牧師)

■今日、大事な賛美、神様に栄光を帰します。朝早い時間に聖歌隊で労苦される方々に契約的な祝福があふれるように願います。今日1部に出てこられた皆さんに、特別な恵みがあふれることを望みます。ひとりも失望しないように願います。神様が新しい恵みを注いで下さると信じます。
■今日、年を召したお母さんの勧士が40代の息子を言い聞かせていました。それも、聖日の朝に言い聞かせていたのです。話は私たちの教会の話ではありません。40代の息子が聖日の朝に教会行くのがいやだと言ったのです。なぜそうなのかと、どんなことがあったかと尋ねました。40代息子が教会に行くのがいやな理由をいくつか話しました。教会に行くと、長老が出てきて、枠にはまった祈りをするのを聞きたくなくて行くのがいやだと言いました。私たちが長老を見て教会に行くのではなく、主を見て教会に行くのだと言い聞かせました。それでも、また理由がありました。聖歌隊が賛美するのに、練習もしないで賛美するのに恵みにならず、教会に行くのがいやだと言いました。私たちが聖歌隊ゆえに教会に行くのか、主のゆえに教会に行かなければならないと言いました。理由がまたありました。教会に行くと、聖徒たちどうし、あいさつもしなくて、しかめっ面をしている聖徒たちを見たくなくて、教会に行きたくないと言いました。
■このお母さんが息子に言い聞かせたのです。あなたは、教会に行く理由があるではないのか。あなたはその教会を担任している牧師ではないかと言いました。この話は、牧師もある日、教会に行くのがいやな日があるということです。世の中、世の荒波に苦しめられた聖徒たちは、さぞかし大変だろうということです。それにもかかわらず、皆さんが勝利して来ました。今日、無理に教会に出て来られた方がいますか、小言に勝てないで教会に出てきた方はおられるでしょうか。背中を押されて教会に来られた方がおられるでしょうか。とにかく、来られる方々はよく来てくださいました。皆さんが教会に近づいて、礼拝を近づいてこそ、神様の恵みの中に勝利することができるのです。礼拝は、私の人生の最高に祝福された時間です。千万人に会うことより、礼拝は神様に会う時間です。どんな人に会って対話することより、神様に会って対話することが私の人生の最高の幸せな時間です。
■礼拝は、私自身を神様の前にささげる時間です。神様は私たちの他のものを望まれません。私たち自身を神様は希望されるのです。私たち自身を今日、神様の前にささげる時間になると信じます。礼拝は、神様のみことばを通して恵みを受ける時間です。上から神様が与えられる新しい力を受ける時間です。みことばで聖霊充満を重ねて受ける時間です。神様が私たちの人間をこのようにさせられたのです。神様の恵みを与えられて、受けてこそ、生きる存在として造られました。神様とともに暮らしてこそ、幸せに暮らす存在として造られました。神様がない人生は、この世に生きながら、さまよわなければなりません。それでは、人生は大変、疲れます。礼拝を通して神様の恵みを与えられなければなりません。みことばを通して神様の恵みを与えられなければならないのです。なぜ、私たちに聖霊充満の霊的な力が必要なのでしょうか。この世の現場は、暗やみが掌握している世の中であるためです。暗やみがいっぱいなこの世に勝っていく奥義は、霊的な力でだけ可能です。霊的戦いを戦うためには、霊的な力が必要です。今日、礼拝を通して、みことばを通して、その力を得ることを望みます。
■マタイ4:4に聖書は語っています。人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。それが私たちの人間の本来の姿です。ヘブル4:12は話しています。神様のみことばは生きていて、力があり、私たちのたましい、関節、骨髄を刺して分ける癒しの力のみことばです。誰でもこのみことばだけ捕まえれば、霊的に勝利するようになっています。このみことばを皆さんが本当に胸に入れる時間になるように願います。
■私たちがみことばをどのように聞かなければならないのでしょうか。神様のみことばを詳しく聞かなければなりません。それでこそ、そのみことばが分かって悟れるのです。そして、その神様のみことばを私たちの心の深い気持ちの中に受けなければなりません。私のたましいの中の深いところに神様のみことばが根をおろすように、みことばを受けなければならないのです。その時、私のたましいが癒されます。私の心の傷も癒されます。私の霊的な問題も癒されます。みことばが私のたましいの中に根をおろす時に可能な話です。
■私たちは、また神様のみことばを持続的に聞かなければなりません。このみことばを捕まえて、契約で捕まえて祈らなければなりません。そうすれば、私たちに驚くことが起きます。真の癒しが起きて、真の変化が起きて、更新されてみことばの力でこの地で勝利の生活を送ることになります。今日、完全福音の中に入る祝福の時間になることを望みます。今日、皆さんの胸の中に神様が与えられる真の平安が充満することを希望します。
■聖書の本文を見れば、何の希望もない人が登場します。人がこの世に生きていながら、希望ということは少しなければならないのに、希望さえもありません。生きているのですが、何も人生の意味がありません。なぜ生きなければならないのか、人生の目的もないのです。すべての希望、意欲をなくして、暗い生活を送っていました。ところで、ある日、この人に光が射し始めたのです。すべての困難が崩れて、真の希望で新しい人生が始まったのです。今日、ひょっとして私たちの中に絶望の中に生きているという人がいますか。世の中のあまりにも多くの問題のために、とても荷が重くて生きている、私は絶望の中にある、人生をやり直せるならば私は新しく始めたい、そのような方たちに、答えが聖書の中にあるのです。聖書を通して解答を得る時間になるように願います。
■いくら絶望的な状況といっても、神様は今でも生きておられます。いくらどうしようもない人生を生きていても、神様は今でも聖霊で働かれます。神様の子どもなった者の人生を、神様は具体的に導かれることを願っておられます。神様の子どもなった私と皆さんが、神様の導きを受けないのが問題で、神様の導きを確かに受ければ良いのです。神様は私と皆さんの人生を祝福されることを願っておられます。最高の祝福された道に導かれることを願っておられます。今日も、私たちをそのように導いておられるのです。今日、みことばの中で解答を得ることを希望します。
■そのために、皆さんの心の門がパッと開かれて、本当に私におられる方が誰なのかを確認する時間になることを望みます。あるいは、私たちの中に救いの確信がないという方がおられるでしょうか。なぜイエスを信じなければならないのか、よく分からない方がおられるでしょうか。そのような方は、今日、イエスを救い主として受け入れる時間になることを望みます。イエス・キリストが皆さんの人生に完全な解答として得られる時間になることを望みます。
■今日のタイトルは「私にあるもの」です。今日、私に何があるのか発見することを望みます。最初は、現場で、伝道対象者を正しく理解しなければなりません。私たちが生きる世の中の現場には、こういう部類の人々が今日もいます。肉体的な深刻な問題を持った者、その人の問題は生まれながら、一度も歩いてみたことがなかったのです。この人の肉体的な面を理解してみましょう。いつから歩けなかったのでしょうか。生まれてから歩くことができなかったのです。後天的な病気ではなく、先天的な病気を持って生まれたのです。だれが病気をもって生まれることを願うでしょうか。誰もそのような考えはありません。それにもかかわらず、その人は重大な病気を持って生まれたのです。使徒4:22節を見ると、この人の年齢は約40才です。人生40ならば、半生を苦しみの人生で生きたのです。病床の生活でした。生きているが、何の希望もなかったのです。生きているが、希望もありません。どこかに好きなように行くこともできなかったのです。
■そのような彼が、どこに座っていたのでしょうか。美しの門という神殿の門の前に座っていました。美しの門は、最も神殿で派手な門です。多くの人々が、その門から神殿に出入します。そこに、この人が座っていたのです。彼がこの美しの門までどのように来ることができたのでしょうか。本人の力では来ることができません。彼は歩くことができない者だからです。誰かがこの人を運んできて、この美しの門の前に置いたのです。この人の周辺にこの人を手助けする奉仕する人々がいたということです。肉体奉仕者も、その人には必要だった人です。この人が何日に一回ずつきたのでしょうか。毎日来ていたと言われています。雪であろうが、雨が降ろうが、天気が秋雨でも、暑くても、彼は毎日、美しの門の前にきたのです。なぜ美しの門の前に出てきたのでしょうか。目的が何でしょうか。過ぎ行く人に、もの乞いするためにきていたのです。過ぎ行く人々が投げかけるコインのためにきていました。もちろん、この人に、そのコインは必要です。食べて生きなければならないので必要なのです。この人に、物質で救済して、奉仕する人々もあったのです。
■この人の霊的な面を考えてみましょう。神殿の美しの門の前に出てきたのですが、一度も神殿に入ったことはありません。その話は、彼が神殿の中に入って礼拝をささげてみた経験がないということです。その話は、一度もその人は神様に会ったことがないということです。その霊の中に、イエスの命が植わっていない人です。その人は神様なしで生きていく人です。彼は運命に陥った者です。生まれてから霊的病気から、肉体の深刻な病気を持って生まれた人です。彼は生きながら、いろいろたくさん考えたでしょう。なぜ私はこういう数奇な運命の中で生まれたのか。なぜ私は他の人と違って、このように生まれて生きているのか。運命に捕えられた者です。その霊の背景が暗やみの中で捕えられたのです。彼の心も考えも、暗やみが掌握していました。
■この人の霊的背景は、明らかに暗やみでした。いくら努めて努力しても抜け出す道がありません。これが私たちの周辺に住んでいる未信者の人生です。これが神様なく生きていく人々の姿です。今日、私たちの現場の数多くの人々の人生の姿です。ひょっとして、私たちの家族、隣、周辺にこういう人がいるならば、私たちはどのようにしなければならないのでしょうか。あるいは、からだは来ているが、自分がそのような人ならば、どのようにするのでしょうか。今日、聖書に解答があります。この解答で完全に解放されることを祝福します。
■二番目、神様の時刻表があります。神様の時刻表は、神様の計画が含まれている時刻表です。ある日、歴史的な事件が迫ってきました。この人に向かった神様の計画が成就する、その日が迫ってきたのです。それが、神様の時刻表です。救われるのも、神様の時があります。癒しも神様の時があります。祈りの答えを受けるのも、神様の時があるのです。この人が、毎日、来たと言われています。このペテロが初めて神殿の門を通り過ぎる人ではありませんでした。この二人もいつも通る人です。しかし、今日、この時間、その現場で、それは神様の時刻表でした。神様がこの人を救おうと決意された時刻表でした。
■私と皆さんにも神様が働かれる時間が必ずあります。なぜ、私にはこういう答えがないのか。私には、この問題をはやく神様が解決して下さらないのか。神様が私にはやく働いてくださいと祈ることがあります。しかし、神様の時刻表があるのです。信仰で契約をつかんで祈りながら忍耐することを希望します。神様の時刻表になるようになる、その時間に、私たちに必ず働かれます。
■三番目、ペテロが何を与えたのでしょうか。私たちが現場で伝道対象者に何を与えなければならないのでしょうか。何かをもらえるかもしれないと思って、ペテロをながめました。その時、ペテロが叫んだのです。金銀は私にはない。私にあるものをあなたにあげよう。ラザロのイエス・キリストの御名で起きて歩きなさい。何を与えたのでしょうか。イエス・キリストの御名を与えたのです。これが解答の中の解答です。この人に、真に必要なことが何でしょうか。金と銀だったのでしょうか。もちろん、物質が彼にも必要です。食べて生きようとするなら必要です。しかし、その物質は使えばなくなるのです。この人が持っている根本の問題を絶対に解決できません。それで、イエス・キリストを与えたのです。この人は一度も受けたことがないイエス・キリストでした。この人に永遠なことでした。分ければ分けるほど、より一層、豊かなこの霊的な奥義。肉的なものは、分けるほど私になくなります。しかし、霊的なことは、分けるほど豊かになる奥義があります。分けてあげるように願います。私にあるならば、分けてあげるように願います。
■四番目、なぜよりによってイエス・キリストだったのでしょうか。ペテロが持ったものが何もない、そうでしょうか。ポケットの事情のために、そうだったのでしょうか。持ったものは、それしかなくて、そう言ったのでしょうか。そうではありません。ペテロは知っていたのです。この人に本当に必要なことが何か、ペテロは知っていました。この人は、数えきれないほど、コインをもらいました。金銀を与えても、この人の最も根本的な霊的な問題が解決されないことをペテロは知っていたのです。この人が暗やみの中に陥っているこの運命は、絶対に解決できないということをペテロは知っていました。すべての問題の根源を解決する主イエス・キリスト、この御名の奥義を知っていたので、ペテロは与えたのです。皆さんは、イエス・キリスト、その御名の奥義を知っていますか。私たちの人生の根本問題を解決するキリストの御名の奥義を知っていますか。神様に会うことも出来ない人に、最も必要なことがキリストの御名です。物質も、その次の話です。名誉と権力も、その次の話です。私たちの人間が最も早く所有しなければならないことが、イエス・キリストの御名です。すべての人生は神様に会わなければなりません。それでこそ、神様の中で幸せな人生の生活を送れるのです。
■ただ一筋だけです。それで、イエス様がおっしゃられたのです。わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。唯一の問題に対する唯一の解答。唯一の問題があります。すべての人がこの世に生まれながら、神様から離れた状態で生まれるのです。なぜ神様を離れるようになったのでしょうか。罪のためです。なぜ罪を犯したのでしょうか。目に見えない暗やみにだまされて罪を犯したのです。それで、すべての人生はこの世に生きながら、神様がない人生を生きなければなりません。その人生が幸せならば、どれくらい良いでしょうか。神様がない人生は、この世を生きながら、さまよわなければならないのです。いつまでさまようのでしょうか。永遠のお父さん、神様に会う時までさまようのです。私たちすべての人間は、神様にはやく会うほど益です。唯一の問題に対する唯一の解答があります。神様に会う道で、この世に来られたイエス・キリスト。私たちの罪と呪いを完全に解放された主イエス・キリスト。この暗やみのサタンの勢力をうち壊して、勝利する権力者、主イエス・キリスト。神様は、私たちにキリストを与えられました。人間の唯一の問題に対する唯一の解答、キリストしかありません。
■どんな暗やみの勢力もキリストに勝てません。この地球上のすべての暗やみ勢力をみな動員しても、キリストに勝てないのです。それで、ペテロが他のものを与えないで、キリストを与えたのです。使徒4:12に聖書は話しています。他の名では救われることができないので、世界中でこの御名の他には救われるべき名としては、どんな名も与えられたことはありません。ただ一つの名前キリスト。この御名で充満するように願います。
■仏教の偉い僧侶がおられました。もちろん、その方はかなり以前に亡くなりました。仏教界の精神的な支柱でした。その方は、生きている仏陀、生き仏だと言われるほどでした。ソンチョル僧侶です。その方は、多くの仏教人に影響を及ぼしました。その方の「山は山で、水は水だ」という本があります。その方が人生を終える時、告白した話があるのです。人生を終えながら作った詩を涅槃頌(ねはんしょう)と言います。人は誰でも、自分が死ぬ時になれば真実になります。生涯を終えるときに何かを残したい時、遺言を言います。その方がこういう話をしました。涅槃頌で、私は生涯数え切れないほど、人々をだました、私の罪業は、あの天の果ての須彌(スミ)山よりさらに高い。須彌山は、仏教人の心の象徴的な山です。世界の最も大きいエベレスト山より、さらに高い山の意味をこめています。自らの罪がそんなに多いと告白しました。私が、もう生きたまま、果てしない地獄に落ちてしまうんだな。その方が涅槃頌で告白した内容です。生涯、多くの人々をだましたんだなあ、私の罪業があまりにも多いな、私は生きたまま地獄の火の中に落ちるんだな、その方が生きている時、法話でした話があります。「サタンよ、あなたは仏陀です」サタンと仏陀を同じと見たのです。この世に救われるべき他の名はありません。ただ一つの名前しかありません。ただ一つの名前、イエス・キリスト。皆さんの心の中に、キリストの名前で充満することを祝福します。
■このキリストの御名を受けたこの人、その結果はどうなったのでしょうか。まったく立ち上がることをあきらめて生きてきた人です。ところが、この人の足首と足に力が生じました。彼を今まで支配した暗やみの勢力がうち砕かれる時間です。生涯、病気で苦しめられた病気の勢力が離れる時間です。いよいよ、彼がむくっと立ち上がったのです。皆さんにも、この奇跡のみわざが起きることを望みます。この人がどれくらいうれしかったのか、起きて歩いて走ってすっかり喜びで充満しました。これが夢なのか、事実かわからなかったのです。この人が喜ぶのは、肉的癒しよる、その喜びだけではありません。運命と罪とサタンに縛られていた者が解放される喜びです。今まで暗やみのしもべのよういなって生きてきたことからの解放です。永い歳月の間、神様を離れてさまよいながら生きてきた者が、霊の父に会う喜びです。多くの歳月の間、神殿美しの門の前でうずくまって座っていました。一度も神殿に入ってみる経験がないということでした。
■彼が神殿に入ったのです。まず最初に神殿に入ってした事は何でしょうか。今日8節を見ると、神様を賛美したということです。神様に賛美をささげました。神様に栄光をささげたのです。一度も入ってみることができない神殿でした。彼が自ら歩いて神殿に入ってきて、神様に礼拝をささげたのです。それなら、この人に最も根本的に、この人をこのようにした奥義は何でしょうか。より多くの救済ではありません。より多くの物質の奉仕ではありません。その人を手助けする肉体の奉仕ではないのです。この人に全ての全てになられるイエス・キリスト。イエス・キリスト、その御名が、この人を祝福された人に変えました。
■賛美歌101番で、このように賛美します。主イエスの御名こそ、高く尊し。来られる前より定めし名イエス。主は今も生きて、なさるそのわざ。罪人を招き望みくださる。今日、その御名、イエス・キリストが皆さんの霊に充満するように祝福します。
■私どもの教会にある兄弟がいます。最近、起きた神様の働きであるから、共に分かちあいます。その兄弟と共に多くの対話をしました。その兄弟は、年齢が30代半ばです。この兄弟が、からだに深刻な病気がやってきたということでした。強直性脊椎炎という病気でした。からだがどんどん固まっていく病気です。原因も分からない不治の病です。現代医学では特別な原因がよく分からないということです。この兄弟は、10年間、有名な病院を訪ね歩きました。良いという薬は、すべて使いました。これでもだめだから、お祓いをし始めたのです。それでも、自分の問題が解決されませんでした。それによる精神的に苦しめられることは、到底、話せなかったのです。からだもからだですが、苦しめられる多くの霊的な問題がありました。苦しみの中に生きた苦痛の10年でした。そのようなある日、この兄弟が福音を受けたのです。この兄弟に、いのちなるキリストが伝えられました。この兄弟が、キリストを心に受け入れたのです。すぐに1次合宿訓練に行き、多くの恵みを受けました。そして、この兄弟が決断したことがあったのです。もうみことばを聞こう。みことばの中に入ろう。時間があれば、みことばを聞き始めたのです。みことばの中に、福音の中に、ずっとみことばを聞きました。ところで、奇跡が起こったのです。一ケ月前に病院に行って、炎症数値を調べたが、正常だと出てきたのです。神様に栄光をささげます。兄弟の家族、家の中で、両親がうれしくて、どうしたら良いか分からないと言われました。自分に働かれたキリスト、救われただけでも感謝なのですが、奇跡のみわざが起きたのです。残った人生は福音だけのために生きることに決断したのです。塾の講師です。塾を経営しています。その場所をみことば運動する場所として使っています。自分に働かれたキリストを多くの人に証しする証人として生きています。
■最後の五番目に、私たちに与えられる教訓は何でしょうか。私たちは重要な教訓、いくつかを得なければなりません。本当に私にあるのが何か、正しく知っていなければなりません。私にあるキリストの権威と価値がどうか、知っていなければならないのです。ヨハネ1:12は話しています。受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神の子どもになる特権が与えられたと言われています。イエスの御名の権威は、ペテロにだけ与えられたのではありません。キリストを信じる私と皆さん、すべてに子どもとなる特権が与えられました。この権威を思いきり使うように望みます。この権威で、現場で勝利するように願います。私にあるのが何か、もう一度記憶してください。天と地のすべての権威を持たれたイエス・キリスト。私の人生の完全な解答となられたイエス・キリスト。キリストは私の人生の財産目録の1番です。そのように自信をもって告白するように願います。
■これから、私にあるキリストを通して、多くの人々にこのキリストを言う使命が私たちにあることを記憶するように望みます。これが私たちが生きるべき理由です。私たちの生存の目的です。なぜ私たちがこの世に生きなければならないのでしょうか。何のために、この世に生存しなければならないのでしょうか。キリストを私たちの心の中に迎えたという、この証人の使命を果たさなければなりません。その為に、世の中を見る霊的な目が開かなければならないのです。現場を見る目が開かなければなりません。なぜ福音がない人が苦しみを受けるのか、それが見られなければなりません。あの人に何が必要なのかということが見られなければならないのです。あの人に必要なことは物質ではなく、名誉と権威ではなく、私たちの人生のすべての問題を解答となられたキリストが必要だという、このキリストの奥義に対する解答の目が開くことを望みます。
■癒しの目的は何でしょうか。神様はすべての人を癒される目的があります。その神様の計画を発見できなければなりません。一つのたましいを救うためにも、神様は癒されます。しかし、その癒しの事件を通して伝道の門をあけられるのです。その事件を通して、福音を伝える門を開けられます。結局、神様の栄光があらわれることを神様は希望されるのです。今日の使徒3章の事件は、エルサレム全地域の福音化の門でした。この人を通してエルサレム全地域に福音が広がる門でした。今日、皆さんの中で、キリストの御名で癒された経験がある方はおられるでしょうか。神様に感謝するように願います。神様に栄光をささげることを希望します。皆さんのそのことを通して、福音の門が開かれることを神様は希望されるのです。伝道の門として用いることを神様は希望されます。
■みことばの結論を結びます。今日、ペテロとこの足のきかない者との出会いは、神様が計画された出会いでした。神様の計画を成し遂げるために、ペテロの歩みを導かれたのです。キリストの完全なこの御名の奥義を持った私と皆さんの歩みを、神様は細かく導かれます。福音を受ける者のために、神様は私たちの歩みを導かれます。福音を持った私と皆さんと現場で、福音がない者との出会いを神様は導かれます。この奥義を持って、現場で勝利するように願います。今日私たちは3つの時代を迎えました。RUTC時代を迎えたのです。私たちの子孫にものすごい奥義、キリストの契約を伝達しなければなりません。私にあるもので私が勝利して、私たちの子孫に確かにこの契約を伝えましょう。私たちは(按手を受けた)役員時代を迎えました。私にあるもので現場を生かしながら、現場の地教会の答えを受けるすべての(按手を受けた)役員になることを祈ります。私たちはOMC時代を迎えました。私にあるものでキリストの奥義で、暗やみのすべての経済を征服するOMCの主役になることを希望します。
■終えます。もう一度、皆さんに尋ねたいのです。皆さんは皆さんの心の中に、人生の解答であるキリストが主人になっているのでしょうか。それなら、私にあるものが何かを記憶することを望みます。一瞬も忘れないことを希望します。問題の前で忘れないでおくことを望みます。困難の中で忘れないでおくことを望みます。どこに行こうが、その方が永遠に共におられるという事実を信じることを望みます。ひょっとして、私たちの中で私の人生の主人で受け入れできない者がいるのでしょうか。今日、そのような方は心の扉を開くことを望みます。今日、イエス・キリストを救い主として受け入れることを望みます。今日、そのような方が一人でもいるならば、今日、その方を助けたいと思います。このみことばが伝えられるすべての現場に、すべての暗やみの勢力は崩れて、神様に出会うみわざが起きることを希望します。
■今日、そのような意味で受け入れ祈りを共にすれば良いでしょう。私たちみな、一緒に心を合わせるように望みます。私の祈りを同じようについてしてください。口でまねをするのではなく、皆さんの信仰告白として告白することを望みます。イエス・キリストが私の人生の主人になられることを願う気持ちで祈ること願います。
■ 「父なる神様。私は罪人です。今まで神様を離れて罪の中でさまよいながら生きていました。人生がどこからきて、何のために生きて、どこへ行くのか知らなくてさまよいながら生きてきました。こういう私のために、キリストが来られて十字架で死んで復活されたことをありがとうございます。この時間、私の心の扉を開きます。イエス様を私のキリストとして、私の救い主として、私の人生の主人として受け入れます。私の中に入ってきて、私の人生を導いてくださって聖霊で働いて下さい。私を救われたイエス様の御名でお祈りします。アーメン」
■イエス・キリストがおられるでしょうか。私の中にイエス・キリスト。その方が永遠にともにおられるイエス・キリスト。その方は、この世を私が離れるその時間まで、あの神様の国でも、永遠に救われた私と皆さんとともにおられると信じます。今日、その御名の力を持って現場に行くことを望みます。現場に勝てる奥義がどこにあるのでしょうか。この世で勝利する奥義がどこにあるのでしょうか。ただイエス・キリスト、その御名の力しかありません。皆さんと、皆さんの子孫と、皆さんのすべての産業に、神様の驚くべき祝福があふれ出ることを祝福します。

<<契約の祈り>>
神様ありがとうございます。私たちに福音をくださったことをありがとうございます。福音を悟るようにされたことをありがとうございます。私にあるイエス・キリストの御名を持って生きるようにされたことをありがとうございます。名前の奥義で現場を生かせるように導かれたことをありがとうございます。私たちが歩いていく一歩ごとに、中に聖霊で働いて下さい。神様なく、さまよう人生に完全な解答を分けてあげるよう導いて下さい。その為に、私たちが先に福音で充満するようにさせて下さい。私たちが歩いていく、あらゆる歩みに聖霊なる神様が同行して下さい。すべての暗やみの勢力が崩れるようにして下さい。神様の栄光があらわれるようにして下さい。神様の国が成されるようにして下さい。今も生きておられる私たちの主イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン



2部/伝道者の人生
(使徒17:1〜9)
(イ・ソンフン牧師)

■最高の栄光を受ける礼拝であり、皆さんの人生であるように願います。その人生が伝道者の人生です。ヨハネ20:31を見れば、聖書を記録した目的があります。すべての聖書をこの目でながめなければなりません。伝道神学院を94年3月に立てました。立てた目的が、地域を生かす70人弟子を立てるためです。それで、2年間、完全福音の中に根を下ろすようにした訓練が伝道神学院です。そして、この方たちが卒業すると、70人1次訓練を受けるのに、なぜ受けるのでしょうか。地域の70人弟子が、少なくとも聖書を見る時、契約的観点で見ることができなければならないためです。それで常にこの2つの目で見なければなりません。最初に、いったいイエスがどなたなのか。神様の息子。キリストです。聖書旧約から新約まで、全部、これを話すのです。旧約は、神様の息子キリストを送ることで、新約は来られました。その方が、まさにキリスト・イエスです。そして、その御名を信じる私たちに、神様の永遠ないのちがあることを知らせるために、聖書を記録したとなっています。同じ内容がIヨハネ5:13にもあります。
■これがまさに福音の鍵です。神様が私たちに聖霊を与えられた理由でもあります。とても重要な内容です。柳牧師が、事実は、怖くなることはありません。仏教が怖くなるでしょうか。完全にとんでもない話するから、全くそうではありません。他の団体が怖くなるのでしょうか。そうではありません。それなら、私たちに異端だと話す団体が怖くなるのでしょうか。それも恐れることはありません。いくら私たちに異端といっても、私たちは神様が願われる福音を伝えることをするから、全く怖くならないのです。一番、怖くなるのは、まさに私たちの中です。私たちの中で完全福音を言うべきなのに、混ざった福音を言うのです。福音を混合させるのです。適当に話すのです。まったく、ある人は福音を利用します。それが一番怖いのです。皆さんはよく分からないでしょう。これがなぜ重要なのでしょうか。なぜなら、完全福音をずっと説教とみことばを通して聞いているためです。ところで、問題は私たちの次の世代です。完全福音を聞くことができなくて、適当な福音を聞いたらどうなるでしょうか。私たちの未来、次の世代は、完全福音がなくなります。福音を利用する人の話を聞いたらどうなるでしょうか。完全福音がない暗黒期が来ます。それが、イスラエル民族がほろびた理由ではないでしょうか。
■先週は、収穫感謝祭でした。ユダヤ人には、刈りいれ感謝の日です。祭りはよく守るのですが、その本質自体を完全に忘れてしまったのです。その本質をなくすので、どうなるのでしょうか。奴隷になって、捕虜になって、国自体がなくなったのではないでしょうか。ナチによって600万という数字が、容赦なくそのまま殺されました。いよいよ1948年イスラエルという国ができました。それ以前、2000年間、国がなかったのです。なぜそうでしょうか。福音の本質をなくしたためです。うわべは持っていたのですが、中身がなかったのです。完全福音をなくした結果です。1990年くらいだったと思います。ある神学大学のビョン・ソンファン教授が「他の宗教にも救いがある。」と話しました。キリスト教外にも他の宗教にも救いがあるという言葉です。神学校の教授です。知識は本当に優れています。それがポストモダニズム思想です。多様性を言うのです。文化を見れば多様にそろえられます。私たちが楽しむ娯楽にも多様性があるように、宗教の中にも多様性を認めるのです。
■私もそのように考えます。宗教の中には多様性があります。しかし、この方はキリスト教が何か知らないのです。福音の本質さえ知らないのです。だから、キリスト教を宗教の中に入れて、全く同じで、キリスト教以外にも救いの道があるということです。これが、神学大の教授が言った言葉です。それで、学校で解任しました。ところで、問題は学生たちです。学生たちが立ち上がったのです。なぜ重要なことを教える教授を解任させるかと言ったのです。学生たちが勉強もしなくて、デモをして大騷ぎになったのです。私はその時、総会神学校に通っていた時でした。そこでは勉強もせずに、大騷ぎになっていました。私の記憶では、1990年代です。それなら、その当時に、その教団で輩出された牧師が、今現在どこにいるのでしょうか。今、韓国でなく全世界にみな広まっています。それと共に、福音を薄くさせるのです。
■私たちは、ただイエスだと言っているのに。ただイエスしか私たちを救う方法がないのに、他の宗教にも救いがあって、いくらでも救われると言ったのです。これは完全に本質自体をなくすことです。いったい、誰の策略で、戦略でしょうか。創世記は神話だと言います。創世記が神話ならば、深刻な問題がきます。創世記は、サタンの戦略がみな出ていて、末路まで出ています。サタンが私たちをどのように滅亡させたのかみな出てきて、神様が私たちのために準備されたものがみな出て来ます。人間の根本的な問題がみな出てくるのに、創世記が神話ならばどうなるのでしょうか。このように話す人は、また神学の学者です。いったい誰のしわざなのでしょうか。だたイエスだけと話す私たちには異端だと言います。本当の異端は防ぐ力もないのに。
■私たちの、ハ・ツゥンシク牧師がこういう話をしました。イ・マンヒという教祖がしている新天地という教会があるのですが、釜山の大きい教会に侵入して、約千名が侵入したということです。2004年度から入ってきて、今は教会全体をおかしな方向に導いていったということです。先週、ファン・サンベ牧師が江南(カンナム)神学院で新天地の戦略についてビデオを見せてくれました。ひとまず一般信徒として人々を投入させて、一、二名でなく組をつくって大量に登録させるのです。そうしておいて、自分の味方の中から(按手を受けた)役員を立てられれば、投票して立てるのです。役員を立てて、三番目の戦略が教役者を立てます。一般信徒、役員、教役者、副教役者まで立てて、主任牧師の弱点をずっと掘りおこすのです。主任牧師が間違ったことを、いちいちみな書いておいて、本部で放てといえば同時に放ってしまうのです。直ちに倫理問題に引っかかるので、牧師が切られていって、力がある役員になって自分たちが願う教役者を担任牧師で立ててしまうのです。教会一つが倒されるのです。今、これさえ防ぐ力がありません。誰なのかさえも分からないのです。
■ところで触ることができない人がいます。新天地がいくら攻め込んでも大丈夫です。大挙して入ってくればくるほど益です。それがまさに私たちなのです。私たちの教会に来たと仮定してみましょう。確かにおかしな話をするでしょう。完全福音でない他のこと話すでしょう。皆さんがその話を聞いたとすれば、どのようにするでしょうか。「あなたは答えが出ていない。答え出ていないので訓練を受けなさい。あなたは霊的問題が解決できていない。」来て話をむやみにするでしょうか。話せば話すほど、福音でないのがばれるでしょう。世の中が手に負えない人が私と皆さんです。完全福音を話す人が私と皆さんです。現場を生かす人が、私と皆さんです。私たちはどんな生活を送るべきでしょうか。私と皆さんは、本当に命をかけてしなければならないことがあります。私たちの教会がしなければならない理由があるのです。これがまさにイエスいのちです。イエスいのちは、神様に会う唯一の道です。他の道を神様は私たちに与えられたことがありません。皆さんの胸に受け止めてくださるように願います。私は今日、序論で本論、結論をみな下したのです。
■ペ・ヨンジュン氏を知っているでしょうか。みことばの中でペ・ヨンジュン氏に対して話して申し訳ないのですが、今、その俳優が撮影しているドラマが太王使節期というドラマです。今20編以上を撮影しているということです。この人が、一編を撮って受けるギャラが2千万円です。それでは20編を撮影したのでいくら儲けたのでしょうか。4億円です。自分の生涯で4億円を触ることがでもあるのか分かりません。この俳優がどこで浮かび上がったのでしょうか。私たちの韓国ではありません。ところで、大騷ぎが起こったところがありました。ペ・ヨンジュンならば発作を起こす人々がいます。日本です。こういうペ・ヨンジュンをサポートする団体があるのですが、ソウルにいるある長老がおっしゃったのですが、統一教がサポートしているということです。日本のおばさん部隊を起こした人が誰でしょうか。それが統一教です。統一教でないおばさんたちまで大騷ぎが起こったのです。統一教でひとまずブームを起こしました。冬のソナタです。ちょっとぼぉっとしていたおばさんたちまで大騷ぎが起こりました。皆さんの胸に何かを入れなければなりません。私たちのレムナント中にペ・ヨンジュンを超越する、そのような俳優を作り出さなければならないのです。
■単純に祈ってはいけません。今、私たちの韓国のサッカーが1ゴールも入れられないでしょう。サッカー見れば、ストレスが積もるほどです。ストレスが問題でなく、胸に情念を込めなければなりません。見ながら、なぜああするかと癇癪を起こさずに、胸に何かを入れましょう。私たちのジュヨンが、本当にキリストの御名で勝利することができるように、一日も早くはやく回復しなければなりません。足の甲を傷をついたのが、まだ治らずにいます。私たちのレムナント1人をスターにしなければなりません。福音のためにならば、本当に1人作らなければならないのです。第2のパク・ジュヨン、第3のパク・ジュヨンはもちろん、ペ・ヨンジュンを超越するレムナントを作り出すべきなのです。なぜそうでしょうか。福音のためです。イエスいのちを証しするためにです。ジュヨンが信じるイエス、私も信じたいと言う人がいるように。本当にレムナントに福音の思想を植えるのがとても重要です。皆さんが本当に祈って下さるように願います。試合する前にも祈って、ずっと祈って下さるように願います。全世界でサッカーと言えば、ジュヨンが出てくるほどです。
■他の道はありません。イエスの御名しかないのです。他の名を与えられたことがありません。呪いと災いとサタンの勢力から解放される道は、イエスの御名しかありません。私たちのたましいが生き返る、新たに生まれる奥義が、イエスの御名です。これが受け入れです。なぜそうでしょうか。創世記1章を見ると、神様が人間を神様のかたちに創造されて、2:7には詳しく出ています。人間を土で作って、その鼻に息を吹き込まれて、生きた霊になったと言われています。ところで問題は、創世記3章の問題です。創世記3章の問題によって、人間の霊が死んだ霊になってしまったのです。未信者だけでなく、すべての人間の霊が死んだ霊になってしまいました。死んだ霊を生かそうとするなら、生かす霊が入らなければならないのではないでしょうか。生かす霊とは誰でしょうか。Iコリント15:45〜50に見ると、初めての人アダムは生きた霊で、最後のアダムは生かす霊だと言われています。初めての人アダムは地から出た者で、最後のアダムは天から出た者だと言われています。
■それなら誰でしょうか。最後のアダムが誰でしょうか。神様が人間を救われるために人間のからだを着て来られた方は誰でしょうか。それがまさにイエス様です。生かす霊であるこのイエス様を受け入れれば、死んだ霊が生きた霊になるのです。それでイエス様を受け入れれば、神様の子どもになるのです。それが、身分です。霊はどうなったのでしょうか。生き返るようになるのです。これが生まれ変わる奥義です。これがイエス様を受け入れたという事実です。死んだ霊がまた生き返ったのです。それがまさにイエスの御名です。皆さんがイエスの御名の力を持っていなければなりません。なぜでしょうか。ただイエス様だけが罪に勝たれました。Iペテロ3:18です。
■私はこのみことばが、単なる一節には見えません。ある執事のお母さんが30年間、統一教にいて文鮮明に付いて回った勧士でした。この執事が牧師に電話をしました。お母さんが臨終になりそうだから、来てくださいという電話でした。それで牧師と私と勧士一人と一緒に行きました。行ったら、統一教で礼拝をささげていました。それで、他の部屋で待っていて、終えて寝ていた勧士を訪ねて行きました。ところで、この勧士が柳牧師を見るやいなや言ったはじめての言葉が「牧師先生、神様が私を受け入れられるでしょうか」何の話なのでしょうか。救いの確信がないのです。その時、牧師先生が言われたみことばがIペテロ3:18でした。「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。」「勧士さんは、30年間、誰をつかんでいましたか。勧士さんは、キリストでなく文鮮明をつかんでいたのではないですか。完全に救いを与えない異端の文鮮明を置いて下さい。神様に導かれるため私たちの罪のために死なれたキリストであるイエス様をつかんで下さい。イエスだけつかんだら、勧士さんは救われます。勧士さんが持っているすべての災い、呪いのサタンの手から完全に解放されます。イエス様だけが真の救いの道です。イエス様だけが私たちに永遠のいのちを与えられます。イエス様を堅くつかんで下さい。受け入れて下さい。主人として受け入れて下さい。」それと共に祈ったのですが、その目から、どれくらいとめどなく涙を流したでしょうか、起きることもできなくて、そのように受け入れの祈りをしたのでした。そして、牧師先生が、その方のために祈って私たちは出てきました。ところで、後ほど聞いてみたら、この勧士が私たちが行って、息子を呼んで賛美を聞かせてくれと言ったそうです。それで、この勧士がずっとイエスのあがないの血の賛美を聞いたということです。
■キリストという名は単純ではありません。私と皆さんの永遠な問題を解決されるのです。二番目は、世の中に勝たれました。世の中には、すべての罪悪が乱舞しています。この世の中にだれが住んでいるのでしょうか。私と皆さんが住んでいるのです。皆さんは世の中に勝てる力があるのでしょうか。勝てません。私たちの人間の力では絶対に勝てません。世の中に勝てる奥義の中の奥義があるならば、それがイエスの御名です。そのイエスの御名の中にある力です。三番目です。サタンに勝てます。私は昔に救われる前に、サタンの奴隷でした。サタンのしもべでした。お使いでした。
■柳牧師に会った時に、柳牧師が尋ねました。「君は、昔に何をしたのか。」と尋ねられました。DJをしていたと言いました。よく信じない人が多いのですが、約26年前にDJをしていました。すると、牧師が「君は音楽で青年、青少年を完全堕落させたね。」そのとおりの言葉です。それで、そうだと話したところ「堕落した青少年をみな生かしなさい。君は賛美の働きをしなさい。」それと共に91年度に私に賛美を任せられたのです。昔にはサタンのお使いだったのですが、イエスいのちを得たから、むしろサタンを縛る人になりました。今、サタンは私を恐れています。昔に、私はサタンを恐れていました。どれくらい怖いかわかりません。田舎で友人と一つのふとんの中で悪霊の話をよくしました。おもしろく過ごしたのですが、夜12時に腹が痛くてお手洗いを行こうとすれば、怖くなって行けないのです。それで寝ている友人まで、みな起こして行きました。田舎のお手洗いを皆さんがご存知でしょう。広場をすぎてあるのです。外に出て行くのも怖いのに、用事を足さなければならないから、どれくらい怖かったのか分かりません。それで、懐中電灯を持って友人をみな起こして用を足したことがあります。しかし、用を足すにも、どれくらい怖いのか、よりによって卵の悪霊の話を聞きました。突然、それが思い浮かんで、用を足しながら、あっちこっち照らしてみて、下から手が上がってくる気分にもなって、下をずっと眺めながら友人が元気なのか確認もしながら、それでも怖くて、愛国歌も歌って完全に餌食でした。
■ところで、今はイエスの御名で、私がサタンをつかんでいます。悪霊につかれた人が、正しく私を見つめることができません。いつもわき見をして、私がまっすぐに見つめれば、背を向けてしまいます。私は行く所ごとに、サタンの勢力をうち砕きます。なぜでしょうか。キリストの奥義です。イエス・キリストが、世の中に勝たれて、サタンの勢力に勝たれて、悪魔の勢力をうち破られたのです。私たちはこのイエス・キリストの御名で勝利します。その次に、私たちはイエスの御名で、多くの人を生かさなければなりません。まず、たましいを生かさなければならないのです。そして心を生かさなければなりません。心が治らなければならないのです。その後、肉体を癒してあげなければなりません。たましいを先に生かさなければならないのです。順序が逆になってはいけないのです。たましいが住んでこそ、心も肉体も生かされます。私たちはいつも肉体だけ見ています。私たちは、イエス・キリストの御名でたましいと心をみな生かさなければならないのです。世の中の人は肉体しか生かせません。私たちの教会には、お医者さんもたくさんいます。患者は、肉体しか関心がありません。それで、福音を持った執事、長老が何をするのでしょうか。福音を伝えるのです。このように、たましいを生かしたら、みな生きるようになるのです。うわさが立つほどでした。あの病院に行ったら、病気がすぐよくなるということです。なぜでしょうか。福音を持っているためです。それがイエスの御名の奥義です。そして、私たちに見えない奥義があるならば、祈りです。
■皆さん、祈りとは何でしょうか。私のレベルを神様のレベルに押し上げることです。これは目に見えない力です。なぜ人がしばしば失敗するのだと思いますか。先週、伝道学のみことばでした。3つだけ捨てれば成功するのに、最初が動機、二番目が人間主義、三番目が不信仰です。なぜ人々がしばしば人間主義を使うのだと思いますか。祈りの奥義を知らないからです。祈りの力の体験があるならば、人間主義を使う必要がありません。なぜでしょうか。祈れば良いから。全く私の力や私の頭が必要ありません。神様がちょうど、介入してくださって、神様の力が正しく現れるということです。これはどんな環境にも勝ち抜ける力です。人間は必ず環境にぶつかるようになるのですが、その環境を越えられるようになるのが祈りです。この力がまさに神様の力です。二番目に、祈りは福音を最高に味わうことです。ヨハネ1:12。神様の子どもは、祈れば必ず答えられます。なぜでしょうか。身分が神様の子どもであるためです。祈りは天のみこころを地で成されるようにすることです。神様の計画を成就するのが祈りです。それで皆さんが三つで体験するようになります。ひとまず、祈りはインマヌエルで体験するのです。祈るので聖霊充満します。使徒1章の契約をとらえて祈りに専念するので、神様の聖霊が、神様の力が現れました。それが使徒2章の事件です。聖霊を体験するようになります。そして、神様のみことばが成就するようになるのです。契約をつかんだ祈りは必ず答えられます。イエス様がそのようなたとえを上げられました。それがヨハネ15:7です。何でも求めなさい。Iヨハネ5:14。必ず成就されます。それで祈りというものはものすごい力なのです。祈りの奥義を必ず持たなければなりません。
■五番目です。伝道です。伝道は私たちの人生の意味でもあって目的です。なぜ生きるのでしょうか。なぜ生きるべきでしょうか。死ぬのがはるかに良いではないでしょうか。はやく死ねば、罪をさらに犯さずに天国に行くことであるから、さらに気楽ではないでしょうか。ところで、私と皆さんが健康でなければならない理由でもあります。必ず、神様の答えと祝福を受けなければならない理由でもあります。それで、私たちにもペ・ヨンジュン俳優を超越するレムナントが起きなければならないのです。パク・ジュヨンだけでなく、すべてのレムナント選手たちが世界的なスターにならなければなりません。伝道のためです。今、私たちの韓国の財閥の中にクリスチャンがいるのでしょうか。皆さんの中から財閥になるように願います。事業する方の中に最高の答えが臨むように願います。全く付いて来ることができない神様の最高の契約的な祝福が臨むように願います。
■なぜなら、皆さんが祝福を受ける理由がまさに伝道のためだからです。それで、神様のインマヌエルを体験するのが伝道です。伝道する時、神様が共におられることを体験して、力を体験するのです。それだけではなく、神様の願いを成し遂げるのが伝道です。伝道する人生は本当に貴重な人生です。昨日、核心を聞いた中に哀歌4:1〜5が語られました。なぜイスラエル民族がほろびたのでしょうか。哀歌です。本当に悲しいことです。金がどのように変わるのでしょうか。どのように光を失うのでしょうか。シオンの子どもが陶器師の手で作られた土のつぼとどのように比較できるでしょうか。神様の子どもが、それだけレベルが落ちたのです。教会があっても、その役割を出来ずにいるのです。それと共に哀歌が4:3節に、本当にみじめな内容が出てきます。ジャッカルさえも乳房をあらわし、その子に乳を飲ませるのに、私の民の娘は、荒野のだちょうのように無慈悲になったと言われました。ダチョウと全く同じだということです。本当にみことばを伝えてあげる人がいません。野良犬より劣る人間になったのです。4節には、乳飲み子の舌は渇いて上あごにつき、幼子たちがパンを求めても、それを裂いて彼らにやる者もない。どうして、このようになったのでしょうか。子どもがパンをくれと言うのに、パンを与える人がいません。
■いったい、なぜこのようになったのでしょうか。聖書は話しています。神様のみことばを伝えてあげる人がいないのです。本当に福音を話す人がいません。本当に福音を語ってあげる人がいないということです。イエス様が弟子を連れて行って現場に目を開いてくださいました。ひとまずマタイ10章の現場に送る前に、9章の現場を見せられました。刈りいれする所は多いのですが、刈りいれする働き人がいません。今、死んでいく人がとても多いのに、福音を与えて生かす人があまりにいないのです。本当に福音を伝える人がいません。完全福音で人を生かすように願います。私がなぜIテサロニケを言ったのでしょうか。テサロニケ教会は、Iテサロニケ1:7に見ると、アカヤとマゲドニアの完全に模範になった教会です。どんな模範でしょうか。その人々の信仰の色が完全福音です。二番目、その人々が持ったものが完全祈りです。私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。
■それと共にIテサロニケ5:16〜18です。私が結婚をして新居に入ったのですが、一万円の保証金に、月5千円ずつの部屋でした。日の光も入ってこない山の中にある家でした。だから、どれくらいかびが多かったでしょう。そこに訪問しに柳牧師が来られました。その時、Iテサロニケ5:16〜18みことばを与えてくださったのです。「世界福音化のうつわ。伝道者のうつわ。あなたがこのうつわにだけなったら、どんな問題が来ても揺れることがない。世界的に用いられる伝道者になった時も揺れないだろう。伝道者は、必ずこのうつわを持たなければならない。それが、いつも喜びなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことについて感謝しなさい。」皆さんは喜んでいますか。そのような家に暮らしながら、身の上を嘆くだけではないのでしょうか。どれくらい神様を恨むでしょうか。その時に与えられたみことばです。どんな環境も、問題も越えられる奥義の中の奥義です。絶えず祈りはできました。感謝と喜びはなかったのです。ところで、牧師先生は「あなたは誰か。この家を入りながら出て行きながら叫びなさい。この家は、世界福音化の働き人が生きる家、伝道者が住んでいる家だ。この家は、神様が用いられるしもべが住んでいる家だ。」私が誰でしょうか。皆さん誰でしょうか。現場は誰によって生かされるのでしょうか。
■結論的に、神様を皆さんを通して神様の国を成し遂げるように望んでおられます。皆さんが行くすべての場所ごとに、神様の国が臨む時間を過ごすように願います。反対の言葉でサタンの国は崩れます。二番目、皆さんの生涯を通して神様の願いが成就するように願います。神様の最高の願いが何でしょうか。なくしたたましいを捜し出して未信者を生かすのです。事実、私と皆さんがなぜ生きているのでしょうか。これが神様の恵みです。信仰の結論はたましいの救いです。神様の最高の願いが何でしょうか。現場に死んでいるたましいをみな生かしなさい。イエスいのちで生かしましょう。完全福音で生かしましょう。それで、神様が私たちに完全な力を与えられたのです。それから完全伝道のために、完全宣教のために、神様の隠された経済の祝福まで開いてくださるでしょう。未信者をみな生かしましょう。隣の人を祝福しましょう。「未信者をみな生かしましょう。」1部礼拝の時、最後にイエスを受け入れる祈りをしたでしょう。神様の子どもなったことをおめでとう。今は皆さんが生きなければならない理由があります。神様の願いを成し遂げられるように願います。未信者をみな生かすように願います。神様の目的が成就するように願います。これが世界を生かす道で、世界福音化の道です。皆さんがどれくらい重要な人なのか、私たちは未来を準備する人です。それが、RUTCです。私たちは現場を生かす人です。それが役員時代です。私たちはレムナントを生かして、未来を準備する時代的な神様の祝福を受ける人。これがOMC時代の主役です。最高の祝福の皆さんすべての生涯に臨むことを希望します。

<<契約の祈り>>
生きておられる神様に感謝をささげます。完全福音で人を生かす伝道弟子になるようにさせて下さい。完全祈りで、神様の力を体験する証人になるようにさせて下さい。完全伝道で神様の伝道と目的を成就する伝道者になるようにさせて下さい。現場を生かして、レムナントを生かして、役員時代に現場を生かすだけでなく、未信者を生かしてレムナントを起こしながら、伝道弟子を探しながら、またOMC時代の最高の祝福の隊列に立つ伝道者の人生になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン