2008年8月10日 インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部:あなたがたは世のものではない
(ヨハネ15:18-27)

☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
(1)今まで真の福音を持った者はみな成功した。福音の中には成功も入っている。
(2)福音の中には時代を生かす精神も入っている。
(3)真の福音は道徳、倫理、秩序をたてることも多い。
▲しかし、今日、イエス様がなさったみことばは、これより一段階跳び越えてなさったみことばだ。どのようにして、ヨセフとレムナント7人は答えを受けたのか? いくつかの奥義がある。
1.一番の奥義-霊的に嫌われること(20節)
▲第一に、皆さんにもし困難が訪れてきたとすれば、それを最も重く見なければならない。それを喜ぶということではなくて、重く見なければならない。皆さんが世のものではないから、本当に福音を悟ったり、味わえば、世の中に合わないようになっている。そして、霊的にすばらしいことが起きるようになっている。これを先に記憶しなければならない。
(1)最も簡単にレムナント7人を持って見よう。
(2)本文の解釈- 20節を見れば、イエス様も迫害を受けられ、非難を受けたが迫害を受けて、悪口を言われている。ここに、はやく答えを出さなければならない。皆さんがこの部分を知らなければ、信仰生活をしながらしばしば葛藤するようになる。もし、この部分を知らずに過ぎ去れば、とても時代的な祝福をのがすようになる。今まで、ただ一度も福音運動が起きる時ごとに憎しみと迫害を受けないことがなかった。私たちは道がいくら小さくて険しくても、福音を選択しなければならない。これが後ほど生きる道だ。これを見なければ、歴史、教会史も知らないのだ。
(3)教会史-チュ・キチョル牧師、マルティン・ルター、ウエスレイ、ムーディー、みな嫌われて迫害を受けた。
▲その苦難の中にすべての祝福がみな入っている。ダビデが受けた苦難の中に、全てのものがみな入っている。これが今日、皆さんが握らなければならない最初のことだ。
2.2番目の奥義-彼らを生かす方法(26節)
▲彼らを生かすべきなのに、どのように生かすのか?
(1)26節に、わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。
▲皆さんは世の中の生活を模範的に、常識的にすべきだが、奥義がなければならない。その奥義が、26節に聖霊の働きだ。
(2)理由が何か?
▲ヨハネ8:44、悪魔に捕えられているから、その奥義でなければならない。私たちは多くの条件が良くない。それで、他の奥義がなければならない。聖霊が働かれれば、わたしをあかしするようになる。
▲ヨハネ16:11、サタンを世の中の支配者だと言って、使徒16章、18章、19章に、易、シャーマニズム、占いが広がるしかないのだ。そこで私が生き残ろうとするなら、聖霊の働き、この奥義を悟らなければならない。ヨセフとダビデが持った奥義が、主の霊に満たされて...
▲神様が力を与えられる奥義がなければならない。神様が、今日、私に聖霊の充満を下さい! 聖霊の働きが起きるようにしてくださいと祈らなければならない。この力はものすごいのだ。聖霊充満を受ければ、最も確信がきて、神様がくださる力ができて、この時から皆さんがする学業、事業、仕事に働きが起きる。この奥義を持って行こう。
(3)最後にも、イエス様が、ただ聖霊があなたがたの上に臨めば、あなたがたは力を受けて、エルサレムとユダヤとサマリヤと地の果てまで、わたしの証人になりますといわれた(使徒1:8)
▲聖霊充満を受けて力を得れば、征服の座、成功の座にあるようになる。
3.3番目の奥義-あなたがたは世のものではない(19節)
▲それなら何を捜し出すべきなのか?
(1)私たちの背景はどこにあるのか?天にある。
(2)それで、私たちが祈る時ごとに天の御座の祝福が臨むようになって
(3)祈る時ごとに天の軍隊が動員されるのだ。それで、キリストの兵士は、キリストの霊的権威を味わうのだ。
▲皆さんが今日捕まえなければならないことが、私たちは世の中に生きているけれど、世の中が何か、その世の中は救い出さなければならない対象だ。実際に、その人たちは、目に見えなくサタンに捕えられている。ですから、嫌うしかなくて、愛するしかない。それで、私たちは誤解をされても耐えて、福音を伝えて生かすのだ。そのようにしようとするから、聖霊のみわざがでなくてはだめだ。
4.結論
(1)カルビンの教理-神様の子どもは誰も奪っていけない。神様の力ある御手で握っているのに、誰も奪っていけない。皆さんがいたずらに揺れて気をおとす必要はない。奪っていく者はいない。これが救われたことだ。問題が来ているならば、それが問題ではなくて、最も重要なことなのだ。問題が最も霊的な祝福になる。
(2)聖書66巻-旧約聖書はイスラエル民族が福音を持っているから、いくらなくそうとしてもなくせなかった。新約聖書が何か? 福音持っているから、最高の文化、思想がなくせなかった。ローマ8:37-39節に、キリストの手から誰も奪って行く者はない。
(3)宗教改革者をいくらなくそうとしても、なくせなかった。それを契約でぎゅっと握らなければならない。神様の御手から奪っていく者はいない。だれが神様の全能な御手から奪って行くことができようか? 皆さんは神様に属する者であって、地に属する者ではない。
▲確かに皆さんは神様の民だから、他のもの握ってはいけなくなっている。未信者が滅びる、それを握っていては、皆さんはだめになっている。皆さんは地に属する者、悪魔に属する者でなく、天に属する者だ。今でもこの契約を握ったら、80歳になったモーセにも神様は働かれた。遅くない。70歳を越えて100歳になったアブラハムに神様は働かれた。なぜか? 神様の民だから...誰も福音を持った者に勝てない。どんな暗やみの勢力が皆さんに勝てるだろうか? ですから、あなたがたは世のものではない。この契約を握って、新しく始める祝福があることをイエスの御名で祈ります。
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲世界的な聖歌隊、世界的な賛美でした。根拠が何でしょうか。贈り物は受ける人が喜ばなければなりません。贈り物は熱心に準備しても、もらう人が嫌がるならだめです。賛美は神様が受けられるのです。それで、地球上で最高の長老、そして、勧士がレムナントと一緒に神様に賛美をささげました。それで最高の聖歌隊だと考えます。
▲皆さんが時々、このような時は誰と相談したら良いのか、と考える時があるでしょう。牧師先生には時間がないが、相談したら良いと考えることもできるのですが、その以前に分かっているべきことがあります。イエス様はこのようにおっしゃられました。あなたがたは、世のものではない。これから記憶しなければならないのです。この話は、よく導きを受けなければならないということです。世のものではないという、この言葉に、すべての答えが入っています。
▲私の孫娘は、7歳です。この前、私の部屋にきました。それで、パク・ジュヨン選手を知っているのかと尋ねたので、知っていると言いました。すると、それでは私がパク・ジュヨン選手と結婚してはいけませんかと言いました。分かった、そのようにしなさいと話しました。結婚が何かも知らずに、そのように話すのです。この頃、スポーツのゆえに大騒ぎをしています。昨日は、国民、皆が喜びました。韓国のチェ・ミンホ選手が連続で一本勝ちをして、金メダルを取ったのです。柔道史上、そんなことがあまりありませんでした。一本勝ちで勝ちました。その人が方法も同じように、一本勝ちでやり遂げたのです。私は柔道を長くしてよく分かるのですが、最も基本的な方法で、それをよく使ったのです。背負おうとして出来なければ、足をとって、それで、全部一本勝ちで勝ちました。ところで、その方法がその選手には良いのです。なぜなら、背丈を参考にしなければなりません。一番小さい選手です。ところで、そのようにしようとするなら、たくさん努力をしなければなりません。最も基本的なことを、高度に使ったので、練習をたくさんした人だけができるのです。
(1)今まで真の福音持った者はみんな成功しました。
▲福音の中には成功も入っています。それで、レムナント7人が成功して、それで福音を伝えました。しかし、福音がなくても、成功はできます。ある面で、成功はそんなに難しいものではありません。
▲何日か前に文章を書いて、食事をしようと、どこかに入って何を食べるようかと考えて、あんこう煮込みがあるので、あれを食べたいと思って行ったのですが、世の中で一番まずいあんこう煮込みでした。私たち釜山の人々は、あんこう煮込みを専門的に食べるのですが、冷凍をした、においがするものでした。また、もやしも、どこで捜し出したのか、変に固いのでした。分かったと思って食べて出てきながら、お勘定をしました。何の言葉もしなければ良いのに、主人が私においしく召し上がったかと尋ねました。すると、私のおもな特技が嘘なので、はいと返事をしました。正しいことを言おうとするなら、大韓民国の中で一番まずいと言うべきなのに、はいと言ったのです。出てきながらした決心があります。大きい決心ではないのですが、固く思いました。この店には二度と来ない。おもしろい事実は、食事準備する方が、初めから最後までずっと賛美を歌っていたということです。それで、ご飯を食べながら葛藤しました。さじを置いて福音を正しく話して、あんこう煮込みの講義をするか。そうでなければ、そのまま行こうか。葛藤しました。いっそ賛美を歌わなかったら良いのに。こういうクリスチャンがいっぱいになりました。
▲少しだけでも成功できます。私がいつも頼みます。私は全国世界で泊まるから、寝るのが一番大変なのです。エアコンだけ合わないでも問題がきて、気候と全てのものを耐えながら寝るのです。ところで、私たちの韓国は、行ってみればほとんどの部屋に、においがします。それで寝ながら、常に起きて、かゆくなるのです。ほとんどみなそうです。私が変なためか分かりませんが、ほとんどみなそうです。秘書は、皮膚が厚くてそうではないのですが、私はそうなります。しかし、日本はそうでなくて、本当に清潔です。このように、先進国と後進国の違いが生じるのです。私はいつもこのように話をしたいのです。デモを行わずに、仕事を真っすぐしなさいと。外国でどんどん韓国への投資をやめていきます。退屈ならばろうそくを持って、デモをするから、外国でみなやめるのです。仕事はあまりにできないのに...
▲レムナントに、どこに行っても仕事をよくしなさいと頼みたいのです。ヨセフを見てください。仕事をとても上手にして、未信者が見て感動を受けて、主があなたと共におられるのだな! と話をしました。
(2)福音の中には成功と時代を生かす精神も入っています。
▲皆さんがご存知なように、共産主義がいちばん優れていた時、ひざまずかないのがキリスト教でした。教会が静かに力がないようで、長老や牧師が力がないように見えても、そうではありません。日帝時代の時、神社を作ってお辞儀をしろと言う時、みんなしました。すべての宗教がしたのです。すべての政治家たちがみんなしました。そこに教会だけしませんでした。教会を見くびってはいけません。力がないようでも、重要な時は、いのちをかけて、時代の精神を導いていきました。福音は功績ではなく、表に出なく行くのです。
(3)また、福音の中には、道徳、倫理、秩序など多くの人生が入っています。
▲アン・チャンホ先生は、警察署100個よりは教会一個がより良いと言いました。本当に神様を信じる人が盗みをして、計画を立てて人を殺すでしょうか。神様を信じる人が、人を害しようとするでしょうか。それで、教会が重要だという意味で話をしたのです。
▲今日、イエス様がなさったみことばは、これより一段階飛び越えたことです。今日、イエス様がなさったみことばをわかって、人生の答えも出すべきです。なぜ私は答えがないのかと、反省もしなければなりません。神様は確かに全能だと言われるのに、そこに対する答えを出すべきです。神様は確かに全能で、私たちの祈りに答えられる方なのに、私はなぜ、このようなのでしょうか。どのようにして、レムナントが答えを受けたのでしょうか。とても重要です。いくつかの奥義があります。一般の人々はわかるのが難しいのですが、クリスチャンはわからなければなりません。奥義、いくつかを言いますが、聖書の本文を見ながら答えを探すことを希望します。

1.一番の奥義-霊的に嫌われること(20節)
▲最初です。皆さんの困難を最も重く見なければなりません。私たちはそれを嫌います。私に困難やだれかが悪口を言ったり、そうしたら、私たちは嫌がりますが、それを嫌うのではなくて、最も重く見なければならないのです。これが最初の奥義です。最も重く見なければなりません。何の根拠なのでしょうか。今日、イエス様がこのようにおっしゃられました。18節に、もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。それと共に、19節にもしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。この話を、はやく理解しなければなりません。私たちは、嫌われなければならないんだな。そういうことではありません。皆さんが、世の中に属する者ではないので、本当に福音を悟れば、合わないようになっているのです。そして、本当に霊的世界を認めるかは分かりませんが、霊的にすばらしいことが起きるようになっているのです。これを先に記憶しなければなりません。
(1)最も簡単にレムナント7人を見ましょう。
▲ヨセフに家庭に問題がきたのですが、これが重要です。ヨセフは契約を持っているが、兄はないから、合ってはならないのです。ヨセフが契約の話をすることを嫌いました。皆さんがこれをはやく分からなければなりません。それで、ヨセフは兄たちを理解したのです。そこで恨んで揺れれば、失敗するのです。当然のことです。ヨセフが奴隷で成功すれば、みんなが喜びました。しかし、ヨセフは契約を持った人です。ポティファルの妻が誘惑するのを嫌って、監獄に行ったのですが、それが重要です。そこで、すばらしい答えと未来を準備されたのです。
(2)今日の本文を見てください。20節に見れば、しもべは主人にまさるものではありません。この話は、イエス様も迫害を受けたのだから、あなたがたが受けないだろうか。イエス様を見ても、異端と言ったのだから、あえて悪口を言われないだろうか。これを理解しなければなりません。ここにすべての信仰生活の答えが出てきます。
▲もしこの部分を知らないならば、信仰生活を葛藤するようになります。もし、この部分を知らずに過ぎ去れば、時代的答えをのがします。だれが間違っても、上手にしても、皆さんの問題がとても重要なのです。簡単に話せば、神様がヨセフを祝福するために苦難を与えられたのです。エジプトを福音化するために、誰かを送らなければなりません。戦争ではだめで、ヨセフを奴隷で送られたのです。それを苦難だと見れば、信仰生活にひとまず失敗したのです。ヨセフを王宮に送ろうとするなら、王宮のラインに乗らなければなりませんが、そのラインの乗り場が監獄だったので、そこに送ったのに、それを苦痛に見るのです。それでは、気落ちしてしまいます。ある人は、私が神様をそのように信じたのに、なぜそうなのかと言います。あるレムナントから手紙がきました。祈りの手帳をそのようにがんばったのに、答えが来ないから、祈りの手帳をしないときました。それなら、そのレムナントはヨセフくらいになれば、自殺をするでしょう。なぜでしょうか。それが、私たちに必要なレベルであるためです。あなたがたは、世のものではないので、世はあなたがたを嫌うでしょう。これは嫌って戦えという言葉ではありません。本当に皆さんが恵みを受ければ、霊的にすばらしいことが行われるのです。
▲イエス様がおっしゃられました。最後の時に福音を伝える者は迫害されるようになる。マタイの福音書に、ヨハネ黙示録に、ものすごい混乱がくるだろう。これはこんにちも同じです。皆さんが本当に福音を持てば、足りないので迫害を受けるのは当然だけれど、そうではなく変なことが起きます。その時ごとに揺れれば、人生がいつも揺れなければなりません。今まで一度も福音運動が起きる時ごとに、憎しみと迫害を受けないことはありませんでした。ところで、知恵がない人は、大勢の側を選択して、イスラエル民族のように困難にあうのです。大部分、大通りを選択するのが大きい問題になるのです。私たちは道がいくら小さくて険しくても、福音を選択しなければなりません。これが後ほど生きる道です。
(3)これを見なければ、教会史を知らないのです。
▲嫌われなければならないことではなく、これが答えになるのです。今、受けている困難が、最も重要なのなら、どのようにするのでしょうか。逆にひっくり返してみましょう。ヨセフがもし奴隷に行かなかったとすれば、町内の長にはなったでしょう。もし、ヨセフが監獄に行かなかったとすれば、どうなるのでしょうか。大変なことになるところでした。ヨセフは神様が私を先に送られたと悟ったのです。
▲時代時代ごとに、そのようにしました。イエス様を異端だと言いました。大部分、賢いユダヤ人が、パリサイ側につきました。世の中で一番伝道上手にするパウロを、異端のかしらだと言いました。大部分の奥義を知らない人が、後ほどほろびることを知らずに、反対側につきました。時代時代ごとにそうでした。
▲マルティン・ルター、ウエスレイ、ムーディー。総会が集まって日本神社にお辞儀をするのは偶像崇拝ではない。それは国家儀式だ。私たちが日本に仕えているから、国家儀式であって、偶像崇拝ではないと総会で法で通過させて、雰囲気がそのようになったのです。大部分の知識人と成功した人は雰囲気について行きます。そこで1人が手をあげて立ち上がったのです。法ですか。神社参拝は偶像崇拝です。どのように教会に入れて、礼拝すべきところで崇めるのでしょうか。そのチュ・キチョル牧師を捕まえて行きました。国家反対法で捕まえて行ったのです。牧師が問題です。あなたが真理を選択したのではなく、あなたは誤って選択したと話をしたのです。総会で正しいと言ったら正しいので、なぜあなたがそのように言うのか。このように出てきました。さらに恐ろしいのは、その教会です。その教会の重職者が問題です。なぜ牧師先生は、一人で意地をはって、そのようにするのか。
▲この本文を理解したキリスト教会史は、あまりなかったのです。このような時は、嫌われなければなりません。このような時、愛を受けてはなりません。ところで、驚くべきことに、堂会が二つの派に分かれたのですが、そのうちで政治的に社会的に成功しようとする人々が、より大きく声を出したのです。いや、みな国家がそのようにするのに、特別にそのようにするのか。さらに恐ろしいのは、該当の老会でチュ・キチョル牧師を除名しました。国家ですること、総会ですることをしなければ罪だと、除名だと言ったのです。根拠はないけれど、どれくらい監獄で殴ったのか、監獄の中で死にました。その方が最後の説教の時、人は2度死ぬのか。人は何度も死ぬのか。それなら、このようにも、あのようにも死ねるが、一度だけ死ぬのだ。そして、神様の前に立つのに、どうしてそんなことができるだろうか。それが一死覚悟です。数年も過ぎずに、偶像を作った日本はほろびました。今はお互いが出てきてチュ・キチョル牧師と言います。なぜならば、今、言えば、利益になるためです。私たちが神様が与えられたみことばの中で、一般的なものがあって、とても重要なことがあります。この話は嫌われろということではありません。
▲イエス様もおっしゃいました。姑と嫁が未信者なのに、嫁が信じてしまえば姑が理解できるだろうか。戦わないだろうか。それは、戦えということではなくて、耐えなさいという言葉です。お父さんと息子が未信者生活をしていたのに、息子が信じれば、理解できるだろうか。それでわたしは平和ではなく、剣をもたらしに来たと言われました。この話を理解できるでしょうか。
▲ところで、この苦難の中に、すべての祝福があるのです。ダビデが受けた苦難の中にすべてのものがあります。これが今日、皆さんが握らなければならない最初です。

2.2番目の奥義-彼らを生かす方法(26節)
▲二番目は、彼らを生かさなければなりません。どのように生かすべきでしょうか。
(1)26節にわたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。重要な言葉です。
▲皆さんは、世の中の生活を模範的に、常識的にみなしても、奥義がなければなりません。皆さん、奥義とは、誰もがすることではありません。皆さんがタクシーに乗れば基本料金は奥義ではありません。道を行く時、新聞やバスの値段がいくらかということは、奥義ではないのです。奥義とは、重要な人だけが分かるのです。クリスチャンは、この世を生きていきながら、模範的で、熱心に、生きなければならないのですが、一つ奥義がなければならないのですが、その奥義が、26節の聖霊の働きです。
(2)理由が何でしょうか。
▲ヨハネ8章44節に、目に見えないように未信者が悪魔の手で捕えられているから、彼らを救い出そうとするなら、聖霊の働きがなければならないのです。
▲これから、たくさん残っています。私たちのレムナント運動、ミュージカルなど、レムナントは、することが多くあります。専門性を持たなければならないのですが、奥義があります。聖霊の働きです。これをのがせば負けます。未信者と同じようにしようとすれば、より悪くなります。未信者は条件が多いのです。未信者は集まって、人とつきあって遊ぶ時、皆さんはこの場にいます。私たちは多くの条件が良くなくて、多くの奥義がなければなりません。聖霊が働かれれば、わたしのことをあかしします。
▲もし世の人の言葉通り、サタンがいないなら、どうなるのでしょうか。本当に良いでしょう。もし、いるならば、どうなるのでしょうか。いるならば、どのように生きなければならないのか、答えが確かに出てきます。ヨハネ16章11節を見れば、世の支配者となっています。私たちがここに住んでいながら、他の奥義がありません。それで、使徒の働き13章、16章、19章に、ムダン(霊媒師)、占い、易、シャーマニズムが広がるしかありません。そこで私が生き残ろうとするなら、聖霊の働きと力がなければならないのです。私たちのレムナントは、勉強をがんばりつつ、この祝福を分からなければなりません。パロ王の前に現れた時、パロ王がヨセフに、私が今まで主の霊にこれほど満たされた者を見たことがないと言いました。世の中知識を跳び越える何かがあったのですが、それが聖霊の働きです。王の中の王であるダビデが,Iサムエル16章13節、23節を見れば、主の霊が充満したのです。
▲この力を皆さんが必ず得なければなりません。すべての重職者、レムナントが、この力を得なければなりません。とてもやさしいのです。神様、今日、礼拝する中に、私に聖霊充満を下さい。そうすれば良いのです。皆さんが最も良い時間の聖霊の働きを置いて祈らなければなりません。事業される方々は、事業を置いて祈らなければならないのですが、この力がものすごいのです。ソウルに多くの方がおられますが、記憶しなければなりません。
▲聖霊充満を受ければ、どうなるのでしょうか。異言もすることはあります。ある教団で、そのように教えないで、聖霊充満を受ければ異言をすることもあるのですが、それをあえてマスクをかけて防ぐ必要はありませんが、出てこないことを無理にする必要もありません。ある人は、気絶することもありますが、一番正常になるはずなのです。聖霊充満を受ける時、気絶したとします。その人は、少し脳に異常があるかもしれません。突然、聖霊充満を受ければ熱くなる、それはその人は血圧に問題があるのでしょう。私は聖霊充満を受けるのに何の異常もない。正常です。聖霊の働きは体験でなく、結果です。体験はとてもレベルが低いのです。聖霊充満を受ければ、からだが震えた。それは中風の気があるためです。聖霊充満を受ければ、最も確信がきて、神様が与えられる力ができます。その時から、皆さんの産業と学業にはみわざが起きます。この奥義を持たなければなりません。それでこそ、世の中を生かせるのです。
(3)イエス様のみことばです。最後にも、ただ聖霊の力を受けて、地の果てまで証人になります。聖霊充満に誤解があるけれど、聖霊充満がとても正常で、それと共に力ができるのです。
▲皆さんが少しだけ聖霊の力を受ければ、戦うこともなくても、征服の座にいるようになります。これが神様の導きです。私が単に努力するぐらいで、がんばったのに、ある日、成功の座にいるのを持って福音を伝えるのです。

3.3番目の奥義-あなたがたは世のものではありません(19節)
▲イエス様が最後の弟子に三番目の奥義を言われました。あなたがたは世のものではありません。それで、この話がとても重要です。重職者からレムナントまで、とても重要なのです。あなたがたは、世のものではない。それで、ペテロが私たちは旅人だと言いました。それなら、何を探さなければならないのでしょうか。
(1)私たちの背景は天です。
▲それで、祈る時ごとに天の背景と天の軍隊が派遣され、米国市民権者は米国市民権を味わうように、私たちは霊的な権威を味わわなければなりません。台湾に行くのに飛行機に乗ったら、私は前に、他の秘書たちは、後に乗りました。台湾なのか香港だったかは忘れたのですが、イ・ドンチョル牧師が後にいました。その中での一人、不良な人がいたのです。その人が飛行機に乗ったのですが、この人が酒も酔っぱらった人だったようです。いくら止めてもだめな人でした。フォームも変でした。その人が、イ・ドンチョル牧師の後に座っていたのです。イ・ドンチョル牧師が寝ようと椅子を後に倒しました。そうしたら、それでイ・ドンチョル牧師を足で蹴ったのです。それで、そのことで、飛行機の中で戦うこともできなくて、イ・サンベ牧師がそれを見てじっとしていたかと尋ねたら、殴ることもできなかったということでした。それで、髪の毛を抜かれたりもしました。それで、イ・ドンチョル牧師が、あの人もかなり性質が強い人なので、戦うことはできず、空港に降り立って警察を呼んだのです。米国市民権を見せながら、英語が上手なのを見せました。私が米国から来た者なのに、後に座った人が、私をこのようにしたとイ・ドンチョル牧師が、一部、髪の毛の抜けたのも見せました。そして、見せたら、警察がその人のパスポートを持っていってしまったのです。パスポートを持って行きながら、付いてこいと言いました。パスポートがなければ、出て行くことも、帰ることもできません。それで、その米国市民権者が怖かったのです。私が米国市民権者なのに、この人が私をこのように暴行した。後ほど、その人がひざまずいてあやまりました。イ・ドンチョル牧師が、それで気が晴れて、許してあげて、福音を伝えて祈ったのでした。
▲私たちが今はここにいるけれど、背景は天にあります。
(2)それで、私たちが祈る時ごとに天の御座の祝福が臨むようになって
(3)祈る時ごとに天の軍隊が動員されるのです。それで、キリストの兵士は、キリストの霊的権威を味わうのです。
▲これが奥義です。信じなければなりません。皆さんが行く所ごとに、信仰で動く所ごとに主の御使いを派遣されます。聖書に1、2ヶ所ではなく、いっぱい、あります。それで、この奥義をのがしてはいけないのです。
▲世の中で生きているのですが、世の中は何でしょうか。私たちが世の中で憎しみでなく、私たちが救い出さなければならない対象です。実際、この人たちは、サタンに捕えられているのです。それで、嫌って戦うしかありません。皆さんが今日、礼拝を終えて親戚の家に行って、舅に、あなたは悪魔に捕えられた悪魔の子どもです。そのように知っておられて下さいと言えば、大騷ぎが起こるのですが、事実です。誤解されても耐えて、福音を伝えるべきなのに、そうならば聖霊の働きでなければだめです。私たちは世のものではありません。この話は、地に属する者のようにする必要はないということです。今まで答えを受けることができないのは、神様が待っておられるのです。皆さんは、滅びる世に属する者ではなく、天に属する者です。

4.結論
(1)ジャン・カルビンが話しました。聖書を5つの文章で要約しながら、最後に神様の子どもは誰も奪っていけない。神様が力ある御手でつかんでおられます。いたずらに揺れて気をおとす必要はありません。神様がつかんでおられます。いや問題が来ているんですが。それが最も重要なことで、問題ではありません。さらに重要なのは、私たちに霊的な多くの祝福を与えられたのです。
(2)聖書66巻-モーセ5書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の主題は何でしょうか。ノアからアブラハムから、イスラエル民族をいくらなくそうとしてもなくせなかったのです。旧約聖書は、王たちの話です。各国がなくそうとしたのですが、そのうちに福音を持った神様の子どもがなくなることはできなかったのです。新約聖書は何でしょうか。ローマ皇帝10人が200年を越えて福音を持った者をなくそうとしたのですが、できなかったのです。ローマ8:37-39節に、キリストの手から誰も奪って行く者はいません。
(3)宗教改革者をいくらなくそうとしても、なくせませんでした。それを契約でぎゅっと握らなければなりません。神様の御手から奪っていく者はありません。だれが神様の全能な御手から奪っていくことができるでしょうか。皆さんは神様に属する者であって、地に属する者ではありません。キリストのうちから誰も奪って行く者はありません。この話をはやく悟らなければなりません。神様の御手に捕まえているのに奪っていける条件が、神様よりさらに強くなければなりません。私の手は、楊貴妃の手のように見えますが、つかめば抜け出せません。ところで、私がまだケガして痛めたところがあります。力強い人に会ったのです。朝運動をするのに、道場の館長が私に牧師先生、今日、学生たち、工業高校学生たちと一緒に練習してくださいと言われたのですが、選手たちを捕まえる瞬間に抜かれたのです。それで、痛めて長い時間が経ったのですが、今でも痛いのです。今、骨が飛び出してきています。力強い人は折れるのです。神様の全能な御手から奪い取れるでしょうか。この話は、皆さんは地に属する者ではないということです。みことばで悟ってしまえば良いのです。
▲私が知っている3代、4代目に信じる方が、これを知らなかったので、後ほど問題がきて、その時になって神様の恵みを受けようとしたのですが、遅かったのです。たましいは救われたのかは分かりませんが、肉は遅かったのです。自分の親戚の教会は毎日戦っていました。くる時ごとに戦ったのです。とても苦労していて、ある日、病気になったのです。それで、一度行ってみました。この方が、顔が変わって、みな変わって、手を握って祈るのに必死につかみました。その時、私の考えで早く悟るべきだったと考えました。時は遅れたのです。
▲私たちがどれくらい感謝しているでしょうか。ある人は、車にあたってはねられて。それで足をケガして、その後、それまで献金しなかった人が、神様、感謝ですと献金して、これくらい人間は愚かです。それで確かに皆さんは神様の民なので、他のものは捕まえてはいけません。未信者のことを捕まえてはなりません。あなたがたは、世のものではありません。誤解も気落ちもしないように。天に属する者です。今でも、この契約を握れば、80代のモーセにも働かれました。100歳の時のアブラハムにも、神様の民なので、神様が責任を負われました。
▲一度は、組織暴力団がイエスを信じて信仰生活して葛藤して私を訪ねてきたのです。特別、面談を申し込んでのですが、組織暴力団だったのですが、イエスを信じてとても苦しくて、面談を頼んできました。私を見て子どものように話したのです。牧師先生、私はイエス様を受け入れたが、元のように戻してもらえないのですかと...半殺しにしたい奴がいるのに、自分がイエスを受け入れた後には殺せないと...自分が静かに置きたくないが、イエス様を受け入れたから、できないと..それがあなた祝福だ。3つだけ記憶しなさい。あなたを救われたイエス様は、聖霊で永遠にあなたを離れない。二つ目、絶対に聖霊の導きを受けなければ失敗する。三つ目で、あなたのすべての経験、苦痛を持って、神様は踏み台にして世界福音化をなさるだろう。
▲皆さんは他の方法がありません。どの場合も、魚が水を離れては成功できません。どの場合でも、木が土地から根を離れては生きることはできません。救われた皆さんは、神様の民で、地の民ではないから、失敗できないのです。いくら失敗させようとしてもだめです。
▲私が少しの本を見たのですが、女の人が日帝時代の時、神社参拝しないために苦労したのを書いた本でした。神社参拝は偶像崇拝と罪だという程度でなく、偶像を作ったので偶像を強要するから、あなた方は必ずほろびると言ったのでした。おkれを人を集めて扇動もして、講義もしたのでした。それで、捕まえて行って、調査をするのに如何に多く殴るのか...背後の組織を明らかにしろと...私は、私が持っている信仰を話したと言いました。ところで、組織を話せと爪をみな抜いたのに、痛いとも言わなかったのです。日本を取り調べする人が、あまりにすごいので、あなたの血は何型かと尋ねたら、私はの血はイエスの型だと答えたそうです。記録に見ると、朝、明け方、昼間、夜に礼拝をささげるから、監獄にいる看守が、手足をくくっておいて、タオルを持ってきて口をふさいでおいたのです。ところが、この方が監獄から出る時まで、一度も欠かさず定刻祈りをしました。監獄に精神病者が一人、入ってきたのですが、時間になれば、タオルを抜いてくれて、礼拝をささげて...数日目に解放されて出てきたのでした。そんなことが行われました。誰も福音を持った者に勝てません。どんな暗やみの勢力が皆さんに勝てるでしょうか。ですから、あなたがたは世のものではありません。この契約を握って、新しく始める祝福があることをイエスの御名でお祈りします。

(祈り)
神様に心より感謝いたします。私たちは神様に属する者なのに、世の中に付いて回って失敗しました。私たちは霊的奥義を持った者なのに、のがしたのですが、回復する時間になるようにして下さい。今日から新しい力を得る新しい時間になるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)



2部:見ることができなかったことを見たペテロ
(使徒3:1-12)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲今日はペテロが前に見なかったことを見た。皆さんに一番重要な部分が使徒3章にたくさん出ている。私が見るには、一番重要なのが午後3時の祈りの時間に...(使徒3:1)皆さんは、ある面ではみな持っているのに、これがないわけではないだろうか。それでしきりに混乱するのだ。すべての祝福がみな来ているのに、いつでも過ぎて悟る理由が、これがないからだ。それで、今日皆さんが、特にレムナントはこれを(午後3時の祈りの時間に...)回復しなければならない。
▲皆さんが今、定刻祈りや定刻礼拝を回復するということは、全てをみな回復することだ。今日、皆さんがこれを回復することを望む。
▲ペテロが自分の午後3時の祈りの時間に何をしたのか。内容だ。
(1)内容
1)マタイ16:15-20,天国の鍵を味わう時間だ。
2)マタイ28:20,常にともにおられることを味わう時間だ。
3)使徒1:3,8,イエス様が最後に神様の国、聖霊充満
4)使徒21-47,使徒1:3-8節を捕まえて祈って神様が与えられる力を得た。
(2)そうしたら目が開く。
1)私を見る目が開いて、変わる(ともに、神様の子ども)
2)人を見る目が変わる。
3)世の中を見る目が変わる。
(3)本当に全てのものがこの中にあるんだな!
▲未信者は自分たちの力で行って限界が来るが、私たちは神様の力でするから、福音の中に全てが皆入っている。
1.意味(理由)
▲使徒3章に対する最も大きい意味と理由を悟った。
(1)イスラエルのすべての宗教指導者が起こすことも出来ない人
(2)さらに重要なのは神殿の美しの門に座っていたのでイスラエルのすべての人が皆知っていた人だ。
(3)ところで、この人が40年間ならば人間の力で完全に不可能な人だ。
▲ところが、そこでナザレのイエスの名で立て起こしてしまった。
@初めての告白-マタイ16:16節の告白が初めての告白だ。
A初めての宣言-使徒3:6節にペテロがナザレのイエス名で起きて歩きなさい!が、初めての宣言だ。
B初めての証拠-使徒4:12節に、世界中でこの御名の他にはどんな名も与えられていない!これが初めての告白だ。働きが起きるしかない。皆さんが今、この時代を生かす初めての宣教師だ。
2.真の奉仕
(1)肉体奉仕、物質奉仕、根源的な霊的奉仕-肉体奉仕、物質奉仕が重要だが、結局は足のきかない者だ。ところで、まったく根源的な霊的奉仕をした。
(2)身分、権威、運命、未来、来世が変わってしまった(ヨハネ1:12、Iペテロ5:6)
▲皆さんがしている働きは、永遠な働きになる(マタイ10:42、Iコリント15:58)
3.証人にされた。
(1)法廷に証人で足のきかない者が立った。
(2)ペテロの証言-使徒4:12世界中で、救われるべき名としてはどんな名も与えられていない。この証拠はずっと広がっていった。
(3)何を持ったのか?何を味わうか?何を見るか?だ。これならば、全世界を生かせる。
4.結論
(1)足のきかない者の信仰
▲神様の契約の時刻表がきたが、皆さんが信じて行動する時、働きが起きることが多い。(紅海、ヨルダン、エリコ)
(2)ペテロの信仰
▲金銀は私にはない。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエス・キリストの名で起きて歩きなさい...
▲今週に皆さんが必ずこれを(定刻祈り、定刻礼拝)回復することを望む。そのまま回復すれば大変だ。最も幸せに回復しなさい。
▲どのように祈りますか?
(1)眠る時、目覚めた時、祈りなさい。
(2)ご飯を食べる時
(3)思い出すこと、思い出せる人、思い出せることを祈りなさい。
(4)行く現場を置いて祈りなさい。
これを定刻、常時祈り、24時祈りという。午後3時の祈りの時間に行く時、足のきかない者を見るようになった。パウロが祈り場があるのかとして行く時、ルデヤに会った。使徒16:16節に、祈り場があるのかと行く時、悪霊につかれた者に会った。ペテロが屋上で祈っている中にコルネリオに会うようにされた。ダニエルが祈っている間に神様は歴史を変え始められた。この力を本当に得るように願う。
(あいさつ)今週に新しい恵みを受けましょう! 霊的な力を回復しましょう!
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲この時間が一番疲れる時間でもあります。今、食事もして、午後で疲れる時間です。それで、簡単に可能ならば短く申し上げます。それでも、皆さんが見て礼拝時間にずっとうとうとする方があれば、お金を貸してはなりません。礼拝時間にいつもうとうとしていたり、おやすみになる方々の保証人になれば、共にほろびます。
▲先週には、集まる教会、散る教会をしたのですが、今日は、重要なペテロが前に見られなかったことを見たということです。前にいつも見たことでなく、見られなかったことでした。皆さんに一番重要な部分が、使徒3章には、とてもたくさん出ています。とてもたくさん出ているけれど、私が見るのに一番重要なのがこれだと思います。
▲午後3時の祈りの時間に...(使徒3:1)皆さんがある面ではすべて持っているのですが、これがありません。それで、しきりにこんがらかるのです。すべての祝福がみな来ているのに、いつでも過ぎて悟る理由が、これがないからです。また、ひょっとして私は本当に感謝する、神様が多くのことをくださったと思った方は、はやくこれを捜し出さなければなりません。この話は普通の話ではありません。私は何か良くならないという方は、はやくこれから捜し出さなければなりません。本当に確信します。それに対して証拠を出すことがものすごく多いのです。イエスはキリストです。これは悪魔も分かる事実です。私たちは、イエス・キリストという言葉が救われた人であるから違うのですが、イエスがキリストというものを知らない人が、どこにいるでしょうか。直ちに悪霊が入った人に行って、イエス・キリストを話してみれば、全然、身動きができません。誰でも知ることができます。問題は、これがないのです。ところで、なぜか、人々を見れば、とても重要な決定をすれば違うようにする人がいるでしょう。いつも上手にするのに、とても重要な時に違った決定をする人がいます。言わば、導きを受けられないのです。その方がおもにこれをできずにいます。祈りということがすぐ答えがくるのではありません。答えがきてはいけないのです。私は今日、パク・ジュヨンがサッカーする時、祈らずにただ見ようと思っています。なぜならば、祈る時ごとに入らないのです。この間には、神経を使わなく見ていたら、ゴールが入りました。ところで、そうではありません。それが祈りなのです。私がパク・ジュヨン選手のためにいつも祈っています。今、神様が韓国で一番トップの位置に持って行かれました。そして、外国選手たちが話すのに、韓国選手たち中でもパク・ジュヨン選手が一番怖い人だということです。神様の答えがそれなら、またイ・グンホも私たちのメンバーでメッセージを受けています。私は皆さんに必ずお願いしたいのが、これ一つしかありません。すでにみな来ているから。ひょっとして、神様が経済も健康も多くの祝福をくれたかと思えば、はやくここに帰らなければなりません。
▲違ったものを持ってこれをして世界征服をした人がイスラムです。時間だけあれば、どこででもします。これから大きい問題がくるでしょう。地球の多くの部分を掌握しました。やや間違ってこの祝福をのがしてしまえば、ムダン(霊媒師)より力がありません。ムダン(霊媒師)は、合っていようが間違っていようが何の話でもします。ほとんどすべてだと言えます。
▲皆さんが30才ぐらいなった人で、専門性がないということは、仕事や祈りとか、全く事実は、しなくなっているということです。少しだけ集中力があったり、誠実さがあったり、祈れば出てくるようになっています。単語が別の言葉であって原理は同じです。祈りができるということは、集中力があるということです。それは誠実さがあるということだから、みな含まれることです。特に、レムナントはこれを回復しなければなりません。色々とそうです。ともすると忘れてしまうのは、これをしないからです。それで、私は秘書にいつも話します。常にポケットがある服を着ていて、誰かから電話したり、話を聞いたら、メモしていつも正確にまとめなければならないと言います。それを仕損じれば、とても間違うのです。それでは、重要な人々は私がそのようにしていると思って誤解をします。下に仕事をする人が、怠けたり間違ってしまえば、大きい誤解が生じます。
▲それで、定刻祈り時間にいつもまとめなければなりません。名前は話せないが、私が定刻祈り時間に必ず祈る人がいます。おもにレムナントをまとめて育てる人々のために、名前、顔を思いながら祈ります。本当に私がしたことは何もなくて、これしかありません。私は30年間、主義の仕事をするといったが教会に害や迷惑ばかりかけたので、実際にはしたことはありません。むしろ心配事を作りました。それしかないのに、神様が多くの恵みを与えてくださったのです。本当にしたことが一つあるならばこれです。結果的に、ガラテヤ2:20節のように私が問題です。いつも私が、私の思い通りにするのです。私が、私の思い通りにしない短い時間があるのでうが、それがこの祈りの時間です。これだけ持っても、すばらしい働きが起きます。レムナントは必ず回復するように願います。私はちょっと健康が良くないようにと思う人は回復しましょう。今、突然中国から起きる法輪功というのがあった、健康回復を口実に広がっているのですが、あまりに広がるので、中国で防いでいるということです。今回、レムナント大会をすると、宿舎をロッテホテルをとったのですが、夜明け5時に起きて湖畔を散歩をするのに、初めて見ました。法輪功だと垂れ幕を付けておいて、会員募集をするのか、男と女一人ずついました。自分たちの自ら内容があるのでしょうが、スーツを着て、目をとじていました。そして、少し姿を別にして座って目をとじているのが大部分でした。私がその日は太陽が出なかったので、祈って運動して2時間しました。私が5時に公園に入って7時に出てきて食事をしたのでうが、私が出てくるまで、そのようにしていました。雰囲気が7時頃出てくる時は、片づける雰囲気でした。2時間以上座っていたということです。霊的に問題がくるのですが、健康になるしかありません。こういう部分がとても重要な時間です。
▲皆さんが、今、定刻祈りや定刻礼拝を回復するということは全てのものをみな回復することです。時間がちょっと多くある方は、定刻礼拝をして、時間が短い方は定刻祈りをしなさい。度々していれば発展するから、簡単に話すことができない何かがあります。この頃、秘書と一緒にする運動が剣道ですが、頭、手首、腰、それしかありません。少し応用すれば、左右頭、そのまま頭、降りてきて、手首、腰、刺すのがすべてですが、いつも行けばそれだけします。50年をする人も、それだけします。ところで、飛んでくるのが違うのです。全く同じように見えるのですが、違います。私たちが上手な人とすれば、いつも殴られます。それで、私が尋ねました。どのようにそんなに出来るのかと尋ねたところ、上手な人がこのように答えました。剣道は人を切って勝つのではない。勝った後、切るのだ。普通の話ではありません。それは、心の状態、位置など全てのものを確保して、出てきた後、切ることを言います。ですから、この部分がずっと発展するのです。
▲私はこれを回復する前に賛美も回復できませんでした。率直に、流行歌が良いのが多いのです。どこか静かな所に行って、そこに合う賛美もあるでしょうが、ないのが多いと思いませんか。私は率直に、これを回復する前には、賛美より世の中の歌をたくさん歌いました。私だけそうだと思ったところ、他の人もそうでした。ある時は、勧士と遊びに行ったのですが、行きながら勧士が歌を歌うのを見ながら驚いたのです。勧士の中の会長格なる方がき、牧師先生、私たちがいつも賛美するから、今日は車の中では賛美を歌わないで世の中の歌を歌ってはいけないかと言ったので、どうぞと言いました。心の中では私も歌うのだから、何かと言いながら。ところで完全に驚いてしまいました。どれくらいよく歌うのか分かりません。さらに恐ろしいのは、歌の実力でなく、その表情でした。どれくらい恵みなる表情なのか、私はまだ聖歌隊でそのような表情を見たことがありません。結局、同じようなものです。本当に賛美が好きな人がいるのですが、私はそんなことを感じることができなかったのです。私が定刻祈り、定刻礼拝を回復する日から賛美が生き返りました。そのように力になって、良いことはありません。流行歌を良いのをずっと歌えば、後ほど変に揺れます。そして、歌曲など良いのをずっと歌うと、後ほど変に何となく寂しくなります。ところで、賛美を本当に正しく歌えば、すばらしい霊的な力ができるのです。皆さんが今日、これを回復するようになるように願います。
(1)ペテロが午後3時の祈りの時間に何をしたのでしょうか。内容です。
1)イエス様がマタイ16:13〜20節に天国の鍵をあなたに与えますと言われました。一番最後に天国の鍵をあなたに与えますと言われたのですが、それを味わう時間です。この時間があるということは、すばらしいのです。
2)イエス様がマタイ28:20節に、世の終わりまでいつもあなたがたとともにいますと言われたのですが、これを味わう時間です。
3)イエス様が最後になさったみことば、神様の国(使徒1:3)、聖霊充満(使徒1:8)、それで力を受けなさい。
4)この契約を握って祈って、使徒2章を見ると、神様が与えられる力を受けました。これです。
(2)これだから、今は、目が開くのです。
▲私を見る目が開くのです。前は私がいつも力がなくて、否定的だったのですが、私を見る目が変わります。前はいつも高慢だったのですが、私を見る目が変わります。神様が私とともにおられて、私は神様の子どもだ。そして、人を見る目が変わります。このように継続すれば、目が変わるのです。前は足のきかない者と見えたのですが、今日は、ナザレのイエスの名で歩け。前はコインだけ渡したが、今日は、じっと見つめて、私たちを見なさい。毎日見た足のきかない者が、今日は対象者に見られたのです。このように変わります。
(3)皆さんが福音を握ってずっと味わうならば、全てが変わります。パウロのように...嘘ではなく、本当に、全てがここの中にあるんだな!
▲未信者は、熱心に勉強して成功したのですが、私たちは神様の力の中から出ることだから違うのです。名前は話せないのですが、長老に感謝しましたが、長老の中で、レムナントを育てている方が多いのです。私はそれしか関心がないから、会えばレムナントについて尋ねてみて教わっています。ヨーロッパ行ってきたレムナントあれば、ヨーロッパで起きたことなどを学ぶのです。それで米国にいるレムナントに話しました。長老がレムナントを育てる方が多いのです。それで、私がどうかと尋ねました。レムナントが驚くべき告白を3つしました。未信者だったが勉強しにきて重要な方に会って福音を知るようになった。その後に家族もみな福音化された。どれくらい感謝なことか。そして、その人々がみな成功した人々です。二番目に、自分たちが米国にきて、とても何か分からなかったが、このように重要なところに自分たちを導かれたということを知らなかったとのことです。とても感謝するということでした。そして、こういう話をしました。生活、勤める時も見れば、多くの人々が比較できなくがんばるのを見て、たくさん習ったという話をしました。それが、未信者と違うことです。未信者は、自分の力で行って限界がくるのですが、私たちは神様の力のなかでするために、全てがこの中に皆入っているのです。
▲ペテロが完全に違ってしまったのです。見られなかった自分を見るようになって、見られなかった足のきかない者を新しく見るようになって、世の中を新しく見るようになりました。どれくらい大胆に話したのか、金銀は私にはないが、私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエスの名で起きて歩け...この足のきかない者が起きてしまったのです。私が悩みができました。なぜ私は起こせないのだろうか。これは今でも悩みです。私は足のきかない者がいれば、そのまま過ぎ去ります。ペテロのように行って、じっと見つめて、私を見なさい。ナザレのイエスの名で歩け、このようにするべきなのに、ただ見て知らないふりをして行きます。それまでは大丈夫ですが、ある時は、足が使えない人がきて、祈ってくれと言います。それでは、私がペテロのようにナザレのイエスの名で起きて歩けと、祈らなければならないことではないでしょうか。そのような考えが全くありません。理由はただ一つです。起きられないようだからです。私が話せば、起きないようだから。こういう考えになるために、私が今まで一度もできませんでした。ある足が使えない人が祈ってくれと言うので、私は神様がいつかは立て起こされるだろうと言いました。その話は、誰もができるためです。いつかという言葉も、日がくる事もあり、来ないこともあるので、ひとまず当面の問題ではないためです。今でも私はそうです。今でも足のきかない人に、起きろとは言えません。私が使徒の働きの講義をする時、これを講義した日です。釜山のヨンドで1章からするのに、よりによってその週に私がチャガルチ市場に行ったら、足のきかない者だけずっと来るのです。何かを押しながら、音楽かけておいて這ってくるのです。私が起きろという言葉が言えませんでした。一度は、ナザレのイエスの名で起きて歩けという命令でもしてみなければならないのに、自分の心に負担になったのです。私が説教をする時、月曜日にぐらいなれば聖日の説教を本文をとらえて頭に考えています。ところで、木曜日にタイトルを渡して、聖日夕方に説教なのに、足のきかない者がずっとくるのです。これを私が何と言わなければならないのかと悩んだのですが、その時、キム・イクドゥ牧師の逸話を思い出しました。キム・イクドゥ牧師が伝道師の時、学校から帰るときに足のきかない者を見たのです。この人が、私とは違って、ペテロが立て起こしたら、私も起こせないだろうか。ペテロがナザレのイエスの名でしたが、私もナザレのイエスの名ですれば良いのではないのかと思いながら、足のきかない者の前に行ったのです。ところで、この人が起きないこともあるのではないか。足のきかない者を持って、人がいない所に行ったのです。ぴったり聖書にあるとまましました。手をぴったりとらえて、「私を見なさい。金銀は私にはない。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエスの名で起きて歩きなさい」と言いながら、手をつかんで引っ張ったのです。本当にあった事です。そうしたら、足のきかない者が、死にそうだと大声で叫んで、足のきかない者の腕が抜けました。それでキム・イクドゥ伝道師が足のきかない者を置いておいて逃げたのでした。それでも、したということが、勇気がすごいのです。私はまったく敢えてできませんでした。後ほど、キム・イクドゥも力のある牧師になりました。
▲私はその日の夕方に説教準備をする中に、そこに対する重要な意味を悟ったのです。最も大きい意味と理由を悟りました。それですることにしました。

1.使徒3章の意味(理由)
(1)イスラエルのすべての宗教、指導者が立て起こすことも出来ない人。
(2)さらに重要なのは、神殿美しの門に40年間いたので、イスラエルのすべての人はみんな知っています。10年、座っていたとしても、みんな知っているでしょう。
(3)ところで、この人が40年間、ならば完全に不可能な人です。人間の力ではだめです。
▲ところで、そこでナザレのイエスの名で立て起こしたのです。ものすごいことです。私はこれを悟りました。誰も立てることもできない、この足のきかない者をナザレのイエスの名前で...
▲ここで私に、いくつかのことを浮び上がりました。ペテロは、マタイ16:16節、あなたは生ける神の御子キリストですが初めての告白でした。目に見えないからであって、この初めての告白をするのを見れば、ものすごい奇跡が起こるのです。ペテロがナザレのイエスの名で歩きなさい(使徒3:6)は、初めての宣言です。来週に出てくるのですが、使徒4:12節に世界中でこの御名の他に、救われるべき名としてはどんな名も与えられていないのですということが、初めての証拠です。ものすごいメッセージです。働きが起きなければなりません。今、足のきかない者が起きたより、もっと大きい働きを神様が起こしておられます。皆さんが、今、この時代を生かす初めての宣教師です。教師なのにどのように宣教師なのですか。そのような、初めての教師です。私はこれを悟ったのです。起きる、起きないのが問題ではありません。ところで、起きるしかなかったのです。

2.真の奉仕
▲二番目です。今日、私と皆さんが必ず握らなければならない契約です。真の奉仕です。
(1)私たちは肉的な奉仕も必要です。足のきかない者に行けるように連れてきて、連れて帰るのは、有り難いことです。その足のきかない者にコインを与えるのも、良いことです。しかし、足のきかない者にいくらお金を与えても、この人は足のきかない者です。この人がひょっとして足のきかない者でなくなっても、この人は救われていない人です。それでまったく根源的な霊的な奉仕があるのです。ナザレのイエスの名で起きて歩きなさい。
(2)初代教会の聖徒たちと使徒がした働きがこういう働きです。まったく身分を変えてしまうのです。驚くことです。こういう働きです。皆さんが福音を伝えてあげたのは、目に見えなくその人の身分を変えるのです。絶対に悪魔と暗やみの勢力と運命は、触ることができません。変えてしまったのです。今晩から、権威を使って、定刻祈りの時にしてみてください。まちがいなく、働きが起きます。まったく運命を変えてしまったのです。まったく未来を変えたのです。それりさらに重要なのは、来世を変えたのです。地獄に行かなければならない人を天国に。ひょっとして、霊媒師であって帰ってきた方々は恐れてはなりません。私は昔から霊媒師の伝道を長くして、少し経験してみたのですが、ほとんど恐れました。恐れてはなりません。牧師先生と重職者が理解がよくできないのが、霊媒師はしたくてするのではありません。とても苦しめられてなったのです。それでその選択を、簡単にしたのではありません。それでは、この問題がずっとくるのに、どんどん苦しみが激しくなるので、イエスを信じるようになったのです。終わったのに、しばしばきて刺激するのです。全く恐れる必要はありません。刺激するほど益です。完全に死からいのちに移ったのです。ヨハネ1:12節に、神様の子どもになる特権を与えられました。時々、重職者も、長老も、問題くれば恐れるのですが、恐れる必要はありません。あなたがたの思い煩いをみな主に任せてしまいなさい。ひょっとして間違って来る問題は、悟れば良いのです。神様に祈れば良いのです。そうではないのは全く恐れる必要はありません。それで、ナザレのイエスの名で起きて歩けという言葉は、普通の言葉ではありません。皆さんがしておられる働きは、永遠な働きです。この世で永遠な働きはないのですが、皆さんがする働きは永遠な働きです。長老が散ってタラッパンをして、長老がたくさん起きて地教会を作って、レムナントを助けて、この働きがずっと連結して永遠に。これは私の話でなく、イエス様がそう言われたのです。水一杯も報いを失いません。Iコリント15:58節に断じて無駄になりません。こういう働きです。

3.証人にされました。
▲最後です。
(1)神様が足のきかない者を立てて、証人にされました。これのために法廷に立つようになったのです。足のきかない者が証人できました。足のきかない者は、法廷に行って静かに立っていても証人です。言葉は必要ありません。足のきかない者で直ったこの人が立って、法廷に行って立っているので、話す言葉がないのです。顔が全く同じなのだけど。ですから、どのように起きたか、この人が起きろといった、何と言ったのか、ナザレのイエスの名で起きて歩けと言った、それで私が信じて起きたところ起きた。言うべきことがないのです。イスラエル全体に広がり始めました。神様がレムナントを祝福して、皆さんを祝福されれば、全世界にすぐに広がるようになります。
(2)特にペテロの証言です。とても有名な証言が出てきました。世界中でこの御名の他に救われるべき名としては、どんな名も与えられていないのです。この証拠はずっと広まりました。
(3)レムナントらは記憶しなければなりません。何を持ったのか、何を味わうか、何を見るか。リーダー修練会の時に話しました。これならば良いのです。全世界を生かせるのに、この答えが永遠に起きるようになります。

4.結論
▲結論を結びます。
(1)足のきかない者の信仰です。足が治るようにではなく、起きて歩けという言葉に本当に起きたのです。この信仰がどれくらいすごいのでしょうか。足を使えない人に、起きて歩けと言ったのですが、起きたのです。私はそんなことをたくさん見ました。神様の契約の時刻表がきたのですが、信じて行動する時、働きが起きたことが多いのです。それで、RUTC、教会など、することを心配せずに、神様の計画が確実ならば、私たちが献身する時、みわざが起きるのです。それで一番初めにミュージカルを始めた時も、私に話す時、どうせすることなので、しようと言いました。それで、今年はOMCで始まったのですが、これから全世界にレムナントを起こす作業を継続するでしょう。紅海を分けて入れと言われたのではなく、入れと言われました。先に行動する時に働くことがあります。ヨルダンを分けて渡れと言われたら、だれが行けないでしょうか。エリコを倒しておいて入れと言われたら、だれが行けないでしょうか。足がヨルダンに入る時に分かれたのです。エリコを回るときに崩れました。
(2)足のきかない者に奇跡が起こったのですが、それよりさらに恐ろしいのは、ペテロの信仰です。ペテロが足のきかない者に話すのを見てください。私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエスの名で起きて歩きなさい...前は女の子の前でもイエス様を否認した、肝の小さい人が、ナザレのイエスの名で歩けと言いました。この信仰の目が開いたということは、ものすごい奇跡です。
▲皆さんが必ずこれを回復することを望みます。約束することができます。皆さんが定刻祈りや礼拝を、そのまま回復してはいけません。そのまま回復すれば大変です。最も幸せに回復しましょう。本当です。私は定刻祈り時間に重要な方々、重要なのを置いて祈る時、とても幸せです。この時、絵を描きます。祈りにするのです。ところで、それが一つ一つ答えられてきています。定刻祈り時間に、私たちの教会を置いても、教会堂も祈っています。時間を定めずに、一番良い時間にしましょう。
▲一言だけ言って終わらせます。レムナントが時々尋ねます。祈りをどのようにしますか。簡単です。
-確かに今日の夜に寝なければなりません。寝る時にしなさい。
-そして、死なない以上、起きなければなりません。死ねばしなくても済むのに、死なない以上は起きます。目が覚める時、しなさい。目が覚める時、最も早く思い出せるのが、皆さんが一番重要だと思うものなどでうが、その時、祈りなさい。
-その次に、二番目です。頭が悪い方々も抜けなくてすることがあります。ご飯を食べるでしょう。この時間にしなさい。ご飯食べる時間に切実に祈りなさい。何をすれば良いのでしょうか。本当に重要な祈りをしなさい。私は食事する時、普通10分20分を待つようになるので、その時、祈りをします。本当に世界福音化を描いて、重要な人を置いて祈って、レムナントを置いて祈ります。ご飯が出てくれば、別に祈らないで食べます。あるレムナントが私を詳しく見たら、食事する時、祈りをしないのですかと言いました。あらかじめみなしたと言ったのですが、わからなかったようです。それまで祈らない人で、食事時間に目をとじてする人々がいます。その上に信仰が良いのです。まったく祈らない人が、食事時間に周囲を見回しながらします。ある人は、誰かが見るかと思ってこっそりとします。一度は高速バスサービスエリアで、ある男が祈りをとても長くしたのですが、見たくなかったのです。これは時間をよく利用しなさい。皆さんが必ず良くても悪くても、このようでもあのようでも、思い出せることがあって、思い出せる人がいます。思い出せることがあります。それを置いて祈るのです。
-四番目です。皆さんが生きている以上、どこにでも行くようになります。現場を置いて祈りましょう。
▲これを定刻、常時祈り、24時祈りと言うのです。自分の午後3時の祈りの時間に行く時、足のきかない者を見るようになりました。聖書を詳しく見ましょう。パウロが祈り場があるのか探しに行って、ルデヤに会いました。使徒の働き16章16節を見れば、祈り場があるのかと行く時、悪霊につかれた者に会いました。ペテロが屋上で祈っている中にコルネリオに会いました。ダニエルが祈っている時間に、神様は歴史を変え始められました。はやく答えが来ないようでも世界を変えられます。この力を本当に得るように願います。特に、私たちのレムナントを育てる長老、重職者などは、健康と神様の大きい祝福を本当に受けるようになることをイエス様の御名でお祈りします。そばにいる人を祝福することを望みます。今週に新しい恵みを受けましょう。霊的な力を回復しましょう。祈ります。

(祈り)
神様に感謝します。ペテロの信仰を告白を聞かれた神様が、私たちにも同じ恵み与えてくださることを感謝します。午後3時の祈りの時間にペテロにくださった恵みを、今でも私たちにくださると信じます。ナザレのイエスの名で宣言されたところに、神様の証拠が確かに起きるようにされると信じます。今週に神様が新しい力をまた新しく与えて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)