2008年3月9日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部:つぶやくユダヤ人
(ヨハネ6:41-51)

☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲今日の本文を見ればつぶやくユダヤ人の姿が出てくる。ユダヤ人は教育的に、経済的にとても優れた民族だ。
(1)ところで、一つを知らないユダヤ人-3つを理解できないこと
1)主なる神様はユダヤ人の神だけでなく、すべての人々の神だ。
2)イエスが神様の息子で神様だ。
3)これが理解できないから、霊的なことは全く理解できない。
(2)イエス様が来られることは聖書に預言された事実だった。
1)40-42節、イエス-天から下ってきたパン
2)50-52節、このパンを食べれば永遠に生きる!
▲私たちが信仰生活する時、一番注意しなければならないことが、知っていることが多くなければならないが、重要なのを知っていなければならない。
3)これを知らないので、怖い結果が訪れるようになった。
▲永遠に生きるいのちのパンとは何の話なのか?
1.過去に対する3つ解決
(1)運命から完全に抜け出すように
(2)呪いから抜け出すように
(3)霊的問題が解決されるようにされたのだ。
▲これはすでに過去にあった事だ。
2.今日の答え(目に見えること/目に見えないこと)
▲目にたくさん見られることではなく、見えないことはものすごいことがある。目に見えない問題を解決しに来たいのちのパンだ。
3.未来を分かる道
▲さらに重要なのは、未来問題を完全に解決して、永遠のいのちを与えるためのいのちのパンだ。あなたがたが、このパンを食べれば永遠に生きるようになる!これから未来に迫ってくるすべての呪いを防ぐようになる。レムナント、子どもたちにこの契約を教えれば未来は完全に保障されるのだ。
▲このいのちのパンという言葉は、過去、現在、未来をすべて解決するパンだ。永遠のいのちの中に過去、現在、未来がすべて入っている。これを見ることができてこそ、伝道も、信仰生活もできる。今現在、未信者は、目に見えることのために生きているのだ。私たちは目に見えないことのために生きるのだ。未信者は目に見えることのために目に見えないことをみな犠牲にするのだ。私たちは目に見えない霊的なことのために目に見えることを投資するのだ。これが違う。
4.結論-どのように開始をすべきなのか?
(1)ヨハネ6:63、いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。
▲この言葉が、私と皆さんが生きていく最も重要な部分を霊的な目を開いて見なさいということだ。確かに霊的な目を開けば違うように見られる。
(2)順序-順序をどのようにしなければならないのか?(Vヨハネ1:2)
▲Vヨハネ1:2、愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
(3)正しい祈り(マタイ6:33)
▲肉体が必要ないということではない。パンが必要ないということではない。あなたが先にこれを求めればパンは自然に付いてくるのだ。
▲今日、重要なのは先に霊的な目を開け。それを置いて祈れ。このような時に本当に答えがき始める。皆さんに、どんな問題があっても、いのちはすべての呪いから抜け出すのだ。これを置いて少しだけ祈っても答えがくる。皆さんのゆえに、家系のすべての霊的問題が完全に解決されることをイエスの御名でお祈りします。皆さんのゆえに、真の奉仕、真の愛国があることをイエスの御名でお祈りします。一週間の歩みごとに答えがあることをイエスの御名で祝福します。アーメン
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲今日の本文を見れば、つぶやくユダヤ人の姿が出てきます。おわかりの通り、ユダヤ人はとても優れた民族です。教育も最高に優れた民族です。今、経済的にもとても優れた民族です。ところで、一つが通じません。
(1)まだユダヤ人は、3つのことを理解できずにいます。これが未信者のような状態です。今、イエスを信じない人々が教会に対して3つのことをよく理解できずにいるのです。ユダヤ人がこの部分を理解できなかったのです。
1)その最初が、主なる神様がユダヤ人の神だと思っています。どこかの国から始まらなければならなかったので、始められたのであって、イスラエルの神ではありません。すべての人間を救おうとする、すべての人類の主なる神様(ヤーウェ)であって、イスラエルの主ではありません。その人々が今でもヤーウェ、自分の神だと誤解しています。そうしたら、未信者もヤーウェは、イエスを信じる人々の神だと思っています。ユダヤ人がもう一つ理解できないことがあるのです。
2)イエスが神様の息子で、神様であることが分かりません。
3)それで三番目に、霊的なことは全く理解できないのです。
▲その内容です。本文に出ている簡単な内容のように見えるのですが、とても重要な話になるのです。まったく対話になりません。ユダヤ人、一番よく信じるユダヤ人とイエス様が対話にならないのです。対話ができなければ、一番問題です。友人の間にも対話ができる友人がいます。人も対話ができる人がいます。時々、行くならば人に通りすがりに会うことがあります。時々、出会いがあって話もできます。思いがけず、霊的な力になる人がいます。特別な牧師でもないのですが、話しながら霊的な力になる人がいます。私たちに霊的に力を抜く人もいます。イエス様に対する行跡と最高よく信じるユダヤ人が対話にならないのです。
(2)より一層怖い事実は、イエス様が来られることに対する預言が聖書に書かれています。うまやで生まれることだとまで預言されました。布に包まれていることだと預言されています。苦難を受けるようになる、十字架にかけられて死ぬことになる、三日後に復活することだと預言されました。それでもユダヤ人が信じられないのです。他の人が信じられないのは分からないのですが、聖書をたくさん知っているユダヤ人が信じられないのです。
1)ヨハネ6:40〜42を見れば、ユダヤ人が、わたしが天から下って来たパンだと言われたところ、何の話かとつぶやいたのでした。つぶやいた内容がおもしろいのです。大工の息子ではないのか、私たちがあの人のお父さんを知っているのに、ヨセフの息子なのに、あの人が天から下って来たというのは、どういうことなのか。それまでみな預言されたのです。イエス様がわたしが天から下って来たパンだと言われたところ、理解できないのです。イエス様がこのパンを食べれば永遠に生きます。外に出て行って、このパンを食べれば永遠に生きますと言えば、狂ったと言われるでしょう。そのような形です。今、教会を批判する団体が見れば、精神が狂ったと言うでしょう。イエス様がこのようにおっしゃられました。このパンを食べれば永遠に生きるでしょう。
2)ヨハネ6:50〜52を見れば、ユダヤ人が争ったと言われています。つぶやくのは話になるのに、なぜ争うのでしょうか。互いに争ったと言われています。争ったというのを見ると、正しい、正しくないという意見があったということです。このユダヤ人が全く重要なことを調べて見ることができないのです。
▲私たちも信仰生活をこのようにしやすいのです。とても多くのことのために一番重要なことだけのがすことがあります。ユダヤ人がその姿です。時々、知識人が注意しなければならないのが、最も重要なことを最も知らないこともあるのです。
▲私が30年伝道する中で、話をよくわかる人が教授です。なぜでしょうか。賢いから対話ができます。ところで、弟子の実が一番小さく結ぶのが教授です。知っていることが多いからです。信仰生活の時、注意しなければならない部分が分かる部分です。ユダヤ人は知っていることが多くて一番重要なことを知りませんでした。
3)このようにして、怖い結果をもたらすようになったのです。ユダヤ人だけでなく、同じ結果がもたらされます。
▲そんなことは絶対に無いのですが、子どもたちが外に出て行って、全部、殺されてしまえば、どうなるでしょうか。そんなことは絶対に無いのですが、例えばの話です。孫たちがみな殴られて死んだとすれば、どうなのでしょうか。ある両親は、子どもが出て行って、まだ見つからないので、今でも寝られないということです。そんなことが絶対に無いのですが、皆さんの子どもがみな家出して道に迷えばどうなるでしょうか。ユダヤ人がそうなったのです。本当に驚くことです。この事実をまだユダヤ人は知らずにいるのです。残念なことです。
▲レムナントが起きて重要なユダヤ人に福音を伝えなければなりません。ユダヤ人が変だと思ったのですが、そうではありません。本当に賢い方々です。一度も、この方たちに福音を正しく伝えてあげていないのです。
▲今回、ハーバード大学の前のボストンにRUTCを作りました。ユン・アンチョル長老が融資を受けるために話をしたということです。米国には全く記録がありません。金を貸してくれることができないと言われたのです。信用の取り引きがなければならないのに、ないから貸せないと言われたのです。ユン・アンチョル長老が訪ねて行って説明をしたということです。これはレムナントを育てる家だ、レムナントが何か説明をしたということです。すると、この方が感動を受けたのです。学生たちを育てると言ったところ、仕事ができるように作ってくれたそうです。この方が分かってみればユダヤ人です。ユン長老が福音を伝えたら、奇跡で一度伝えたら、福音を受けたのです。どの程度かというと、外に出て行って新約聖書を買ったということです。ユダヤ人は旧約しか読みません。簡単に話せば、ユダヤ人はイエス・キリストが神様の息子ではないと言います。今でもそうです。ところで、この方がイエス様を受け入れて救われた証しもします。今回の集会に行ったところ、出席していました。このユダヤ人が、イエス様がなさった話を全く理解できなかったのです。ところで、皆さんは理解したでしょう。大部分のクリスチャンが、ここに関心がないのです。とても、重要な部分です。
▲いったい永遠のいのちを与えるいのちのパンという言葉は何の話なのでしょうか。今日、短い時間にこれから理解して帰らなければなりません。先週続き、ずっと出てくるいのちのパンという話は、何の話なのでしょうか。未信者が話す五つのパンと二匹の魚の奇跡を起こして手助けするのは良いことですが、それをいうのではありません。お腹が空いた人々にご飯を食べるようにさせたのは良いことですが、その話にならないのです。それのためならば、教会は必ずある必要がありません。何の話でしょうか。永遠のいのちを与えるいのちのパンというのは、何の話しなのでしょうか。重要ないくつかのことがあります。

1.過去に対する3つの解決
▲最初です。私たちの過去に対する3つの解決です。
(1)神様がキリストを私たちに送られたことは、なぜいのちのパンと言ったのかというと、運命から抜け出すようにするためです。どんな場合も抜け出せません。
(2)そして、呪いから抜け出すことはできません。
(3)また、霊的問題は解決できません。私たちが持った霊的問題は、簡単でないので解決できないのです。
▲これはすでに過去にあった問題です。この問題から抜け出す方法はありません。ユダヤ人が、ここから抜け出せませんでした。大部分のクリスチャンが、この話をわかりません。単にそうなのかと話します。私は元気に暮らしているのに、どうしたのと言うのです。そうではありません。神様がキリストをこの世に送られたことは、パンを作れと送られたのではありません。風邪は直さなければならないのですが、神様がキリストを十字架にかけたことは風邪のためではありません。貧しい人を助けなければならないのですが、イエス様を十字架にかけたのは、貧しい人を助けるためにではありません。健康によく暮らすべきですが、イエス様を十字架にかけた理由は、健康によく暮らせと釘づけられたのではありません。これを知らずにいるのです。ユダヤ人が、とうてい対話になりません。堂会員が会議をして囲んで座って話すのに、話が通じなければどうなるのでしょうか。それではしてもしなくても良いでしょう。夫婦が一緒に住むのに、対話にならないならば、それのように不幸なことはありません。考えてみてください。皆さんの水虫を直すためにイエス様が十字架にかけられたとすればどうなのでしょうか。水虫は水虫の薬を塗れば良いのです。そうではないでしょうか。風邪を引けば祈りも良いのですが、病院に行けば良いのです。からだが良くなければ病院に行けば良いのです。それのためにイエス様が十字架にかけられたのではありません。
▲人類の本当の問題をどのようにするのでしょうか。人類の霊的問題をどのようにするのでしょうか。これのためにキリストを送られたのです。わたしが来たのは、肉のパンではなくいのちのパンです。このパンを食べる者は永遠に生きるのです。ここでアーメンが出てこなければならないのに、何の話しかと言うのです。無知な大工の息子がおかしな話をする。ユダヤ人の反応です。もし今、イエス様が江南(カンナム)にきて話したとすれば、狂ったと言うでしょう。実際、だれが狂っているのかは、事実が証明しています。このようにして、全世界はどんどん難しくなるのです。ユダヤ人にもどんどん困難がきました。ところで、知識人や政治家たちがこれを知らなければ困難がくるでしょう。イエス様が来られた理由は、肉的なことをするなという話ではありません。

2.今日の答え(目に見えること、目に見えないこと)
▲イエス様が来られてなさったみことばの二番目の理由は何でしょうか。今日です。目にたくさん見えることではなく、見えないものすごいことが多くあります。目に見えないことがさらに重要です。この問題を解決しに来られたいのちのパンです。その話です。さらに重要なのは未来です。これからどうなるのでしょうか。イエス様はイスラエル民族がどうなるのか知っておられました。この神殿が石の上に石一つも残らないだろう。これから私と皆さんの未来がどうなるのでしょうか。神様が知っておられます。それを解決するのです。わたしがあなたがたに来たのは、いのちのパンであり、永遠のいのちを与えるために来たのですという説明をしておられます。この契約を捕まえなければなりません。

3.未来を分かる道
▲未来をどのようにするのでしょうか。神学院でそのような話をしました。一番、立派な教役者になろうとするなら、どのようにすれば良いのでしょうか。その説明をしました。立派な牧師になろうとするなら、どのようにしなければならないのでしょうか。全てをみなしなければならないのですが、それではありません。サムエルという指導者が良くしたのは、一言も地に落ちなかったのです。そして、Iサムエル3章に、未来に起きることをエリ祭司長に話したのです。そして、ダビデをあらかじめ王として立てました。
▲皆さんが信仰生活する時、一番重要なことは何でしょうか。福音にあって未来を見ることです。これより重要なことはありません。
▲イエス様がいのちのパンと言われたのは、パンを話すのではありません。永遠のいのちを与えられると言われたのは、弁当の話ではありません。あなたがこのパンを食べれば、永遠に生きるようになる。未来に迫ってくるすべての呪いを防ぐようになります。とても重要な言葉です。レムナント、皆さんの子どもが、この契約を教えて捕まえれば、皆さんの子どもの未来は完全に保障されるのです。このいのちのパンという言葉は、過去、今日、未来を完全に解決する言葉なのです。どれくらい重要なのでしょうか。
▲私は昔に不思議なことがありました。クリスチャンの中で、祈って預言することが不思議に思っていました。ある人は、私が神様に祈って、これをしなさいと言われたのでするという話を聞けば、不思議に思いました。私たちの教会にそのような女の方がいたのですが、リーダーになりました。この人に行けば、みな言ってくれました。どうなるのか。未来が気になるのです。このいのちの中にすべて入っているのに、気になるのです。知らないから混乱を起こします。私もこの部分が一番気になりました。このような時は、どのようにしなければならないのかと、目をとじて聖書を見て指を指して探してみたこともあります。とても苦しくて、そのようにしたのです。このような時はどのようにしなければならないのか。人というのは、誰でも関心が未来にあります。スポーツ新聞を見れば、今週の運勢が出ていました。私は聖霊充満して伝道しに通いながらも、その面に目が行きました。イエスを信じる人は干支も必要ないのですが、私は寅年です。寅年の部分を見るようになって、何かを用心しろと言われたら、頭にぐいっと入ってくるのです。これが人間です。私は昔に、これからどのようにしなければならないか一番気になりました。どれが神様のみこころなのかが気になったのです。明らかに、永遠のいのち、いのちの中に過去、現在、未来がすべて入っているのに、そうなるのです。
▲これを見ることができてこそ、伝道もして、信仰生活もできます。いのちのパンは3つの単語ですが、皆さんが死んでしまった呪い、過去を完全になくしたということです。そして、今、肉体的な生活を送っているように見られるのですが、霊的な重要な部分をつかんでいるという言葉です。簡単に話せば、今現在、未信者らは目に見えることのために生きています。私たちは目に見えないことのために生きるのです。未信者は、目に見えることのために目に見えないことをみな犠牲にします。私たちは目に見えない霊的なことのために、肉体的なことを投資します。これが違うのです。未信者が言うのに、献金をなぜするのですか。私たちは霊的な目に見えないことために、肉的なことを投資するのです。これが違うのです。私たちはご飯だけたくさん食べて寝て、死ぬのだけではありません。さらに重要なのは未来です。このいのちのパンを食べれば永遠に死なないでしょう。これにならなくて、3つもだめで、未来もだめなのです。
▲ある時、私と伝道師と車に乗りました。タクシー運転手がちょっとおかしな人でした。バックミラーで私たちと目を合わせたのです。伝道師が内側に、私が外側に座っていました。その人が私はあなた方が誰なのか分かると言いました。私は目を見る瞬間、背筋が寒くなったのです。そうしたところ、内側にいる人は、優柔不断だと言いました。とても驚いたことは、本当にその人は優柔不断な人でした。中にいた伝道師が怒ったのですが、私が止めました。この人が私には良い話をしたのです。その話を聞いたのに、気持ちが良かったのです。明らかにでたらめなのにも良くて、その話を聞いた伝道師は気分が悪かったのです。けんかをしようとしました。これだから未来が知りたいのです。
▲いのちの中には、過去、現在、未来がすべて入っています。過去はすべての運命、呪いから抜け出したのです。このいのちのパンを食べなさい、それが私たちの過去の解決です。いのちのパンは何でしょうか。私たちが肉のパンを食べるのは、そのためでなく、永遠のいのちのために食べるのです。さらに重要なのは、皆さんがここに座っているのは、永遠のいのちのために、いのちのために、未来のために座っているのです。聖書を見れば多くの政治家たちが美しいことを話したのですが、聖書には最後の時に苦しみの時が来ると言いました。それに対して備えなさいと言いました。聖書の黙示録には、最後に混乱の時が来ると言いました。そこに対していのち備えなさいと言われました。聖書が正しいと思います。ところで、私たちが一番だめになっているのが、過去も終わったのですが、未来と今日が良くならないのです。
▲私はこういう経験があります。神学生たちに話したのですが、ある教会を通っていて、他の教会に移るようになりました。とても良く暮らす勧士がさびしいから、食事の接待をするので来てくださいと言いました。学生の時、その勧士の家に行ったのです。色々な感じがあったのですが、この方がよい暮らしをしている人だと感じました。ひとまず家が大きくて、庭もあって、門も大きくてよい暮らしをしている人でした。こういう方が私を招いてくれて有難いと思って入ったのです。入ったが、私が知らない方たちが何人かいました。月曜日であったのに、あいさつをさせました。私を伝道師だと先に紹介したのです。他に行くようになって残念だとしながら、あいさつをさせられました。一人は私たちの韓国で有名だという勧士なのに、予言する方でした。名前を言えば皆知っています。顔は初めて見ました。顔だちはよかったのです。私がうっかりして挨拶をしました。私が感じたのが、この勧士が教会で恵みを受けられないから、課外授業をするんだなと思ったのでした。ところで、丸くなって座っていたのですが、容赦なく頭に手をのせて、人々ごとに予言の祈りをしたのでした。私はそのような光景を初めて見ました。勧士が立ち上がって回りながら祈りをするのではなく、あなたはこれからどうなって、どうなると話をするのでした。私は目をとじたり、開いたりしながら、その人が何をするのか見ました。祈るふりをしながら見たのですが、私の順序がきました。この方が私の前にきて、幸いなのか不幸なのか、私の頭に手をのせないでひざまずいて座って私の手を握りました。手を握ると全く気迷いなしに話をしました。2年後にソウルに行く、ソウルにいたあとで米国に行く、米国に行って博士学位を取って韓国に戻ると言いました。気分が悪い話ではありません。これから大きいしもべになると簡単にして、他の人に行きました。この人が祈るのでもなくて、予言をしたのです。それで、どぎまぎしてご飯を食べて出てきたのですが、私が米国に行ってソウルに行くことになるのかという気がしたのです。それも韓国で有名な世界的な予言者がした言葉です。私は米国に伝道しに行ったので、勉強したことはありません。ソウルも伝道するために、その方が話したのか約20年後に出て来るようになりました。ところで、変なのは事が良くならなければ、私がソウルに行かなければならないのではないのかという気がしたのです。いろいろなことが絡まれば、私が米国を行かなかったからだと思いました。このように私は信仰生活をさ迷う信仰生活をしたのです。
▲ある日、3つのことを見ました。第一に、伝道現場を見ました。習った人、習えなかった人、持った人、持っていない人、みんな霊的問題に捕えられていました。私が見た現場です。たくさん習った人も、立派な人々もみな隠していますが、困難はさらに多いのです。能力がある人を見たら、隠す能力があるだけであって、難しいのです。習えないで貧しい人々は、その自らのレベル低く霊的問題に陥っています。それを見たのです。そうするうちに、ある日、聖霊の中ですべて福音と霊的な話でした。私は聖書の中で答えを見たのです。こうなっては、病気も直すのですが、その前に精神的なもの、霊的なものから先に直さなければならないという気がするほどでした。政治家が政治をしても、政治的な戦略を持っていなければならないのですが、霊的に精神的に正しく立っているべきだと見えるようになったのです。その時から、聖日にメッセージを聞いたのとしたのを持って考えながら祈ったのです。ある時は面倒だから、みことばは考えなくて、定刻祈りもしました。ところが、何かが現れたのです。心と思いの中に答えがきたのです。あなたたちの心と思いを守られます。もちろん神様が特殊な場合、夢でも見せられます。しかし、さらに重要なのは、神様のみことばを心と思いの中に入れたのです。私たちが緊急な状況に幻も見ることがありますが、神様はみことばと重要な答えを私たちの心と思いの中に入れて下さるのです。その時からは私も驚いたのです。なぜならば、レムナント運動という答えをつかめば証拠が来るからです。RUTCをするほどきました。皆さんがおわかりの通り、私でなく神様のみことばが成就していくのを知るようになったのです。足りないのですが、これが信仰生活だな、神様が私を暗やみから救い出されたんだなあ、そして、私が今日を生きるのは、このことのために生きて成功しなければならないんだな、そして、さらに重要なのは、私たちとこの人たちと未来だな、このように答えが出てきたのです。このいのちのパンを言います。弁当一個で奇跡が起こった事件で、今まで話が出てきたのです。

4.結論-どのように開始すべきなのでしょうか。
▲私と皆さんはどのように重要な開始をしなければならないのでしょうか。いくつかのことを今からしなければなりません。
(1)ヨハネ6:63節に、直接イエス様がおっしゃられました。いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちですとおっしゃられました。この話は、何のみことばなのでしょうか。肉体的なものが必要ないということではありません。私と皆さんが生きていく最も重要な部分を、霊的な目を開いて見なさいということです。それでは違うように見えるよういなります。確かに霊的な目を開けば違うのです。
▲大学も卒業して、医師なのに、女執事がきて相談をしました。夫が毎日酒を飲んで夜明けに帰って来ると言いました。高級公務員でした。公務員が酒を飲むのが公務員なのか、毎日、飲んで来るということでした。子どもたちの前で夜に酒を飲んで帰ってくるということです。本当に一日も欠かさず、毎日だということでした。いっそ、帰ってこなければ良いのに、明け方2〜3時なって家族全員をみな起こすということです。こういう人間と住めないと言いました。執事が話をする人ではないのですが、私と聖書勉強をしているので、相談をしたのでした。とても賢い方なのに、人がとても腹が立つから、そのように言ったのでした。その執事に、申し訳ないが、執事のご主人はお酒を飲むと思わないと話しました。執事のご主人がさまよっていると思います。何かを探しているのです。自分をなくして探そうと歩き回っているのです。そのように見られる、執事のご主人に何度か会ってみたのですが、とても立派な人です。ところで、なぜ酒場に行くのでしょうか。さまよって行ったので、ひとまず執事より酒場の女が良いのではないのか、私は酒を飲むとは思わない。その方には安息が必要です。公務をして難しいのに、家にまで帰ってきて妻の律法に縛られるということです。この方は、本当に賢い方です。ところで、その人を手助けできる方は執事しかいません。本当に祈って考えてみなさいと言いました。昔に大学を出た賢い方です。わかったのです。酒を飲むのが問題ではなくて、歩き回るのが問題ではない。その人が何かをなくしたのが問題です。この方がその翌日に行ってみると、明け方祈りをしていました。何かがありました。一日も抜けないで出てきたのです。電話をして、家にどんなことがあるかと尋ねました。まったく祈らない方なのに、朝の祈りをどんなことがあるかといって尋ねたのです。執事の話がおかしかったのが、明け方を祈りしてはいけないかと言うので、私も冗談で、あまりにもしない人がするので、神様が感動を受けるかと思って心配になるからだと言いました。少しだけ祈ったがみわざが起きます。ところで、その時から目をさましたようでした。この方がとても賢い方です。ご主人が一番好むのが酒ではないということを分かったのです。ご主人が一番好むのは、囲碁だと判断して、囲碁を教える所に行って、毎日行って専門家に一対一で習ったのです。女が情念を抱けばものすごく強いと言われていますが、初めて土曜日に酒を飲まないで家に帰ってきたのでした。それも答えです。ご主人が横になっていて、碁を打とうと言ったところ笑ったということです。何度もしようと言うのに、ご主人がしないといって、五目並べならすると言ったのです。初めには、ハンディをつけてしたのですが、完全に勝ったそうです。その時まで横になって打っていたのですが、座りなおしたそうです。ずっと完全に勝利したところ、夫が目をさまして、どうして、囲碁をよく打てるのかと聞いたそうです。これで対話ができるようになり始めたのです。結論的に、ご主人が信仰生活を奥さんよりもっと良くするようになりました。
▲私たちは霊的なことを見なくて、肉的なことを見て違うように解釈するようになります。霊的な目を開いて見れば、失敗した人が憎いけれども哀れなのです。皆さんの夫が裏路地で酒を飲んで歩き回ったら、どれくらい哀れでしょうか。それだけ力がないということです。それだけ人生がつまらないということです。どれくらい哀れなのでしょうか。憎くて戦うべきことではありません。
(2)重要な二番目で順序です。知っているのでしょうが、順序を変えてしまいます。
▲愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。
▲私たちが幼い時に見れば、氷の上で駒を回しました。幼い時、駒の下にひもをくくって投げれば回るのですが、相手方の駒を倒して戦いもしました。ある子どもたちはひもを巻いて、相手方の駒をおして止めて自分の駒は回します。駒が回っていれば止まる前に手に上げて、相手方の駒をおして止めるなどのゲームをします。それをとても上手にする子がいました。上手なことには技術も重要ですが、さらに重要なのが駒です。駒の中心に何が打ち込まれたのかが重要なのです。駒の中心が少し崩れれば、絶対に長く回れません。木の駒の下に刺されているクギが少しだけ誤っても、少し回りながらも止まってしまいます。それを正しくなっているのは長く回ります。私たちの人間は、単に生きていくように見られるのですが、精神があって、その中にたましいがあるから、この部分が霊的に出来なければずっと崩れるのです。順序が、愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈りますと言われました。
(3)正しい祈り
▲それなら最後に捕まえるべきことは何でしょうか。イエス様がおっしゃられたように、肉体が必要ないという言葉ではありません。パンが必要ないという言葉ではないのです。あなたが先にこれを求めれば、パンは従ってくるようになるのです。正しい祈りです。神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
▲今日、特に私たちの総会神学校の学生たち、総神のために祈ろうという聖日です。私が見るには本当に重要です。私たちは職業で同じ牧師、神学生は作ってはいけないのです。そのような方が大部分です。私たちは食べて生きるための教役者を作ってはいけません。本当にパウロのような、ペテロのようないのちをかけた、いのちを持った指導者を作らなければなりません。とても重要です。今日、本当に契約をつかむように願います。それで先に重要なのは、霊的な目を先に開けなさい。その順序を変えてはいけなくて、順に祈れば本当に答えがくるようになります。皆さんにどんな問題があっても、いのちならば、すべての呪いから抜け出すのです。これを置いて少し祈れば答えがくるようになります。
▲皆さんのために家系のすべての霊的問題が完全に解決されることをイエスの御名でお祈りします。皆さんのために、真の愛国、真の奉仕があるようになることをイエスの御名でお祈りします。一週間を通して歩みごとに答えがあることをイエスの御名でお祈りします。
(祈り)
神様に感謝します。私たちに霊的な力を与えてください。それで目に見えるものを動かせるように神様が新しい使命を与えてください。この世に多くの人々が霊的な部分を知らないので、困難を受けています。教会が教会の使命を正しく果たせるように、使命を回復させてください。私たちの残った人生が、この重要なことのためにいのちを捧げられるように神様が祝福してください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)



2部:なぜ伝道するべきなのか
(エペソ2:1-7)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲天使で堕落したサタンは、徹底して人間を滅ぼす(黙示12:1-9、創世記3:5、創世記6:4-5、使徒11:1-8)こうした中、今日は一般信徒宣教献身礼拝だ。今まで大きく用いられた人物の中で100人中9人が献身礼拝の時決断して用いられた。なぜ私たちが伝道して宣教すべきなのか。
1.私が恵まれて生きる道
(1)創世記1:1-13、イザヤ60:1-3、Iペテロ2:9、光で創造して、この光を宣べ伝えるために私たちを呼ばれた。
▲問題、人、無能さにつまずかないように。神様が私たちに使徒1:1(キリスト)、使徒1:3(神様の国)、使徒1:8(聖霊充満)を与えられた。これを味わうのが祈り、これを言うのが伝道、これのために生きるのを献身と言う。だから契約を捕まえて少しだけ待てば良い。
@どんな問題が来てもキリストには勝てない。
Aどんな人が防いでも福音は防止できない。
B誰も福音になるような力はない。
(2)この時、復活メッセージが私たちに臨むのだ。
1)弟子-行ってあらゆる国の人々を弟子としなさい。
2)癒し-わたしの名で悪霊を追い出せ。
3)証人-聖霊充満を受ければ力を受けて証人になります。
▲天と地のすべての権威を持ってあなたがたとともにいます。
(3)御座のメッセージ-確かに伝道者、教会、聖徒を捕まえて働いておられる。
2.家族を生かして、人を生かして、真の愛国する道
(1)ヨハネ8:44、悪魔の勢力の下にいる者を救い出すのが伝道、愛国の中の愛国だ。
(2)出エジプト20:3-5、この光を照らせば暗やみの勢力は逃げる。
(3)使徒11:28、心の病気も光を照らせば逃げる。
(4)使徒8:4-8、不治の病が全世界を回っている。
(5)ルカ16:19-31、ある日、地獄に行くようになっている。
(6)マタイ27:25、子どもたちに問題が来るようになっている。
▲それで愛国の中の愛国が伝道だ。
3.教会が復興して生きる道が伝道だ。
(1)使徒2:1-47、マルコのタラッパンに大きい力が現れた。
(2)使徒11:19-30、宣教の門が開かれる
(3)ローマ16:1-27の働き人が起きる。
4.暗やみの世の中を生かす道
(1)エペソ2:1、罪と罪過で死んだあなたがたを生かした。
(2)エペソ2:2、空中の権威をつかんだ者、不順従の子に捕えられている。
(3)エペソ2:3、生まれながら御怒りを受けるべき子ども。この中にいる。
5.子孫を生かす最も重要な道
(1)イザヤ60:1-22、起きて光を放てば遠くから息子と娘が戻ってくるようになる。
(2)Uテモテ2:1-7、わが子よ。キリストの中にある恵みの中で強くなりなさい。
6.結論-一番だめなこと3つ
(1)どのように献身すべきなのか。
1)いのち的献身-私が神様を味わうのだ。
2)いのちをかける献身-私が持ったものを与えるのだ。
3)いのちを生かす献身-多くの人にこれを持つようにすること。
(2)使徒13:1、宣教
▲宣教現場に先に弟子+重職者+産業人を共に立てた(重職者時代)
(3)聖霊の導き-時刻表
▲皆さんが伝道と宣教を理解してしまえば、神様が全てをあなたがたに皆与えられる。アーメン

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲神様がなぜ善悪を知る木の実を作られたのですか。学生たちが時々する質問です。大人たちも尋ねたくても、信仰がないと思われるから、耐えているのでしょう。なぜ善悪を知る木の実を作ってまん中に置いて、滅びるようにされたのか。また、善悪を知る木の実を食べても、一度見のがしたら良いのに、それでなぜ滅ぼすのか。サタンが誘惑することを神様が知らなかったのか。あらかじめ防げば良いことではないのか。こういう質問を学生たちが時々よくします。先週にも、ある学生がこういう質問を手紙で送ってきました。それで、私はゆっくりメッセージを通して話すと答えました。質問する価値のある内容です。
▲ところで、聖書にこういうみことばが出てきます。神様が一番喜ばれ、一番なげかれたという内容があります。創世記6章に、この内容があります。人間を創造されたのを一番喜ばれ、一番嘆かれたと言われています。また人間と同じ人格を与えた天使が、神様に一番栄光を帰さなければならないのに、一番悪くなったのです。神様がすべての動物には霊は与えませんでしたが、人間にだけ神様と同じかたち、すなわち霊を与えられたのです。そして、すべての動物は自由がないのに、人間にだけ人格と自由があります。天使もそうだったのですが、天使の中のルシエルという天使が堕落したのです。これがサタンです。このようにして、初めから堕落をしたのです。黙示12:1〜9、過去の蛇と言われています。天使が堕落したのです。エゼキエル28:11〜14節にも出てきます。このサタンが人間に接近をして誘惑をしたのです。人間が悪魔の誘惑にあったのです。このようにして、創世記6:4〜5節を見れば、ノア時代にも家庭に入ってきたのです。創世記11章に見れば、文化の中に入ってきました。このようにして、人間を徹底的に滅ぼすのがサタンの目的です。ある家庭を見れば、5人家族がみな精神疾患を持っています。サタンがどれくらい悪いのか、徹底的に滅ぼします。またある家は娘六人がいるのに、みな離婚をしました。徹底的に倒すのです。これがサタンです。
▲今日は一般信徒宣教献身礼拝です。他のパートは別に献身礼拝をしないのに、一般信徒だけ宣教献身礼拝をささげます。重要だということです。今まで大きく用いられた人物の中で100人中9人が献身礼拝の時、決断しました。ですから、とても重要です。宣教献身礼拝の時決断したが、大きく用いられた人が多いのです。
▲なぜ伝道すべきなのでしょうか。伝道するのも重要ですが、なぜするべきなのでしょうか。どのようにしなければならないかを尋ねる人々も多いのですが、この質問がさらに重要です。それで、私たちが宣教する理由はこれのためにするのです。なぜしなければならないのでしょうか。

1.私が恵みを受けて生きる道
▲最初に私が最も恵み受けて生きる道がこの道であるためです。これが私が生きる道です。これが何の話なのでしょうか。
(1)今日、聖書のみことばを詳しく見れば、創世記1:1〜13節を見れば、神様が光を持って創造を始められたのです。
▲他の人は全部、呪いの中にいるのに、イザヤ60:1〜3節を見れば、主の光、栄光があなたの上に臨んでいるとおっしゃられました。
▲Iペテロ2:9節を見れば、この光を宣べ伝えるために呼ばれました。この祝福を味わえる道が伝道することです。
▲核心の時に話しました。釜山、慶尚南道(キョンサンナムド)は釜山核心集会に必ず参加して、メッセージ必ず捕まえなければなりません。核心メッセージをのがしてはいけないのです。牧師の中でタラッパンをしていたが止めた人々は、みな核心に参加しませんでした。タラッパン20の訓練を統合して、一緒に引っ張っていくメッセージが核心メッセージです。それで絶対にのがしてはいけないのです。いくら皆さんが立派で、経験を話しても、霊的な部分が遅れます。霊的部分が力が出ないために、結局は、負けるようになっています。韓国では訓練が多くあります。外国に行けば私がいつも感じるのが、訓練が多くないからとても違いが生じるのです。本人は知りません。また外国に長く行って来た人々を見れば、とても違いが生じます。本人は知りません。教会も一緒にバスに乗って集まって、核心集会に参加する教会が復興をしています。核心の時、重要なメッセージをするという以前に、一緒に行くメッセージを統合するメッセージが核心集会です。なぜなら、私たちが一緒に生きているからです。
▲このような核心集会の時、重要な部分を話しました。私たちは途方もなく祝福を受けたのですが、しばしば問題につまずいて倒れるのです。しきりに人のためにつまずいて倒れます。また、私自身が力がないから、私自身につまずいて倒れます。
▲それで、ここに重要な答えがあるのです。すべての問題解決者なるキリスト(使徒1:1)。皆さんが他のことをする必要なくて、神様の国(使徒1:3)。私たちは力がないから、聖霊充満(使徒1:8)。これを味わうのが祈りで、これを言うのが伝道です。これのために生きるのを献身と言います。これはイエス様が最後になさったみことばです。神様の国、聖霊充満、すべての問題を解決されたキリスト。ですから、私たちが問題がきた時、この契約を捕まえて待っているだけで働きが起きるのに、私たちがこれをできないのです。待つことをできません。それで、みな崩れるのです。私は幼い時から信仰生活をしました。多くの牧師、多くの長老、多くの先輩を見ました。神学校に行って多くの指導者を見ました。私たちはほとんどここに陥るのです。
▲それで私が(開拓を)始めた時に握った単語が3つあります。どんな問題がきても大丈夫だ。キリストには勝てない。どんな人が防いでも福音を防ぐことにはならない。誰も福音に勝つ力はない。私はこれを握って始めたのです。釜山で開拓を始めた時、出発から問題でした。お金もなくて、人もありませんでした。釜山の影島(ヨンド)その上に、あの果ての海辺で(聖徒たちは)おもにおばあさんでした。おばあさんの特徴は、お金がないのです。彼らの祈りの課題が世界福音化でなく、牧師と一緒に遊びに行くことでした。私が何度かは行ってあげました。私たちはともすると、通り過ぎてしまいます。また、そのような渦中でも見たら、聖徒たちの間でも戦いがありました。88年最後の日、送旧迎新礼拝の時、メッセージをしたのが、私の生涯、この話を一回だけする。もう二度としない。教会は政治をするところではない。教会は民主主義、共産主義をする所ではない。教会は神様の子どもが集まったところだ。教会の中で戦ってかたき同志となるのは教会ではない。教会の中で敵があって戦うのは、無条件にサタンの戦略だ。そんなことは神様の子どもではない。そのような人々は、無条件に聖書と賛美を持って教会を出て行けと、戦うなという要旨の話を強力に一度したところ、それ以後には、戦いはしなかったのですが、表に出さずに戦ったのです。そのような話をしたのにもかかわらず、また戦ったのです。こちらが何かの話をすれば、あちらで何かの話をして、あちらで何といえば、こちらでも何といって、私がこうしたことには感覚がないのに聞こえたのです。良いことと言いながらも戦って、一度は私の誕生日を準備しながらも戦いがありました。それで、教会で私がこれからもう二度と私の誕生日を祝うなと話しました。ペテロ、パウロも誕生日のお祝いしたことがありません。聖書にそんなことないからするなと話しました。それほど重要なことではないのですが、あまりにも戦うので。
▲どれくらい私たちに問題が多いでしょうか。しかし、ここにだまされてはいけないのです。牧師は、そのようなことにだまされないで、みな愛してあげてずらっと持続していく、それが牧会を上手にすることです。問題がいつも来るのに、問題にだまされればどうなるのでしょうか。知らずにじっとしていれば無知なわけですが、知ってじっとしているのです。知らずにいれば知恵がないことですが、知って知らないふりをするのです。前に見たでしょう。
▲はじめてのできごとでした。1番になる見込みがあるマラソン選手が走っていたら、ある人が突然、彼を防ぐ事件があったでしょう。彼がどのようにしたでしょうか。その時、彼が防ぐ人を捕まえて、誰か、どこからきたか、故郷がどこかとしていたら負けるのです。どのようにするのでしょうか。はやく押してしまって走ったでしょう。問題が一度来たからと、そこに捕えられていれば、何もできなくて時間がたってしまいます。どんなことも問題になることがありません。また、ある時、おかしな教役者1人がいて、未来の長老、勧士をみな定めて、教会の中でおかしな団体作って、お金をもらっていたのでした。長老が(その教役者は)だめだと言ったのですが、私は置いておきなさいと言いました。問題になることがありません。その程度で、教会が揺れれば教会ではありません。その程度で力がないならば、私が牧会をしなかったら良いのです。
▲気を遣うことがありません。神様がみな通過させて、倒すことみな倒されます。何も心配することがありません。私たちの無能にも、人にも倒れてはいけないのです。教会にもあらゆる人がみな集まるのに、そこに(人に)陥っていてはいけません。キリストはすべての問題解決者、神様の国、世界に勝つ方法である聖霊充満、これのために待っていれば聖霊のみわざが起きます。待つという言葉が分かるでしょうか。エルサレムを離れずに父の約束を待てとおっしゃいました。働きをしなければならないので、待たないのです。問題がくる時、少しだけ契約を握って待てば、聖霊の働きが起きます。今でも私が後悔することが一つあります。私が前にいて、出てきた教会で、私をとても手助けしてくれた金光一長老が、男性伝道会を集めて私を講師に招へいしました。私が失敗をしてきたのです。私が話をしながら、結論を何と言ったかというと、この教会はとても立派な人が多くて隙間がない。とても隙間がなくて、聖霊が働く余裕がないと言ったのです。多分、私が感じたことがあって話をしたようですが、ひとまず私が止めて出てきた教会で、そのような話をしたことを後悔しています。
▲ただ聖霊があなたがたの上に臨めば、力を受けて地の果てまで証人になります。これが伝道です。キリストがすべての問題の解決者ということを味わって言ってあげるのです。今から皆さんの事業と皆さんの家に神様の国が臨むのが伝道で、祈りです。
▲そして聖霊の働き。少しだけ待てば働きが起きます。どんな事がみな起きてもだまされてはなりません。
▲ある人は、問題だけ起きれば倒れます。少しも待つことができないのです。また、ある人は問題を待っていたというように倒れます。ある人はいつも問題を作って回ります。問題に陥らずに、少しだけ待てば聖霊が働かれるようになっています。確実なのは、何の問題になることはないということです。どんな人も神様の契約を防げません。私の無能さも聖霊の働きを防げることはできないのです。この契約を捕まえるのです。これが祈りで、伝道です。私たちは伝道しに行くものと思うのですが、それが私が生きる道です。
(2)この時、復活された主がくださったメッセージが私たちに臨むのです。
1)行ってあらゆる国の人々を弟子としなさい。
2)わたしの名で悪霊を追い出しなさい、これが癒しです。
3)聖霊充満を受ければ力を受けて、証人となります。これが祝福です。
▲天と地のすべての権威を持って、あなたとともにいます。これが伝道の祝福です。どれくらい驚くことなのでしょうか。皆さんが契約を捕まえて一日だけ待ってみてください。皆さんがこの契約を捕まえて一年だけ待ってみてください。みわざが起きるでしょう。これは私の話ではなくて聖書のみことばです。
(2)御座のメッセージ
▲見て下さい。皆さんが伝道しようとする時、神様がどのように働かれるのでしょうか。黙示録2章から3章まで、7つの教会に対する話が出てきます。真の伝道するしもべ、星を捕まえて燭台の間で通われると出ています。本当に伝道する教会の牧師ならば、神様が右手で捕まえて、本当に福音を伝える牧師を神様は右手で捕まえて、その教会の燭台、聖徒を1人ももれなく見て回っておられます。私たちが悩むこともありません。本当に私が伝道する人であるのか、それだけ悩めば良いのです。確かに右手で捕まえられます。その次に、ペルガモの教会には何と言われたのでしょうか。鋭い両刃の剣、また、ダビデの鍵を持った者。こういう祝福が伝道者が受ける祝福です。皆さんが誤解せずに、この祝福を受けるように願います。今、韓国教会が伝道に対してたくさん誤解しています。キリストを味わって話すのが伝道です。神様の国が成されたのが祈りで、伝道です。私たちは限界があるから、聖霊の働きが起きるのが祈りで伝道です。これが私が生きる道です。これを悟るのが伝道訓練です。

2.家族を生かして、人を生かして、真の愛国する道
▲二番目です。なぜ私たちが宣教献身礼拝をささげて、なぜ伝道すべきなのでしょうか。私たちの家族を生かして、人を生かして、本当に愛国する道が伝道なのです。人々は知らずにいるのですが、未信者状態6つの呪い,
(1)悪魔の勢力の下にある者(ヨハネ8:44)を救い出すのが伝道だから、これが愛国の中の愛国です。
(2)光が来ているから、この光を照らせば、この呪いが退くようになっています(出エジプト20:3〜5)。人々は答えがなくて偶像崇拝するようになっています。暗やみが逃げるようになっています。
(3)地球上に一番多くの病気が、心の病気、精神病です(マタイ11:28)。
(4)皆さんが光を持って行きさえすれば逃げます。使徒8:4〜8節を見れば不治の病のような悪い病気が全世界をずっと回っています。
(5)この土地でよく食べて生きるように見られるのですが、ある日、苦しみの中で滅ぼされて地獄に行くようになっています(ルカ16:19〜31)。
(6)子どもに問題くるようになっています(マタイ27:25)。
▲これ生かすのが伝道です。それで愛国の中の愛国が伝道です。

3.教会が復興して生きる道
▲三番目、教会が復興して教会が生きる道が伝道であるためです。
(1)使徒2:1〜47節、マルコのタラッパンに大きい力が現れました。皆さんが伝道という契約を正しく捕まえれば、教会に来る時ごとに力受けるようになります。
(2)使徒11:19〜30節を見れば、宣教の門が開かれるようになります。
(3)ローマ16章の働き人。教会が生きる道。
▲今日、献身礼拝をささげる皆さんが、世界福音化のために献身するのに、誤解しないようにすべきなのは、伝道とは何かです。私にある光を暗やみの中に照らして生きるようにさせることです。それが私が生きる道で、私たちの家系と国家が生きる道で、教会が生きる道です。

4.暗やみの世の中を生かす道
▲そして四番目、暗やみの世の中を生かす道になるためです。
(1)罪と罪過で死んだ状態(エペソ:2〜1),
(2)空中の権威をつかんだ者に従うこと(エペソ2:2)、このように生きています。
(3)生まれながら御怒りを受けるべき子ども(エペソ2:3)、この中にいるのです。
▲ここに光を照らすのが伝道です。どれくらい大きい祝福なのでしょうか。

5.子孫を生かす最も重要な道
▲五番目、私たちの子孫を生かす最も重要な道であるためです。
(1)イザヤ60:1〜22節を見れば、起きて光を放ちさえすれば、遠くから息子と娘が戻ってくるようになります。
(2)Uテモテ2:1〜7節を見れば、わが子よ。キリスト・イエス中にある恵みの中で強くなりなさいと言われています。子孫を生かす道が、この道です。それで、伝道自体だけ正しく悟れば、皆さんの事業、学業、牧会に働きが起きるようになるのです。

6.結論-一番だめなこと3つ
▲結論を結びます。今、私たちが一番だめなこと3つがあります。
(1)私たちが献身礼拝をどのようにささげなければならないのでしょうか。
1)いのち的献身は何を言うのでしょうか。献身からすることでなく、私が神様を味わうのです(インマヌエル)。
2)いのちをかける献身は何でしょうか。私たちがいのちをかけてという言葉もあるのですが、それよりさらに重要なのは、この部分を他の人が分かるようにさせるのです。私が持っているものを与えるのです。
3)そして、多くの人をしてこれを持つようにさせる、それこそいのちを生かす献身です。このやさしい部分が良くできなければ困るようになります。
(2)そして使徒13:1節を見てください。今、私たちは宣教を知らずに宣教師を送って宣教すると思っています。初代教会は必ず重職者が共に行きました。(重職者なしで宣教師だけ行けば)限界がきます。パウロは必ず重職者を先に探しました。これが使徒の働き全体です。それで、重職者時代を開いたのです。この話の中には、牧師や神学者が聞かなければならない多くの内容があります。今のように宣教すれば成功できません。神様が答えてくださるでしょうが、私たちの教会から重職者時代を開いて、すべての宣教地に外国人、多民族の重職者時代を開かなければなりません。聖書はそうなっています。
(3)私たちはみな悟ったのですが、だめなことがまたあります。まさに聖霊の導きです。聖霊の導きを受けなくてはいけません。聖霊の導きとは何でしょうか。聖霊の導きは時刻表です。普通の人々と仕事をしてみたり、話をしてみれば、ほとんどこの部分ができません。普通、見れば、緊急だから、それではだめなことを持って始めるのが十のうち九です。このような時、長老もそうですが、牧師は難しいのです。確かにだめなことだと言ってあげることは難しいのです。そのまま祈ってあげて帰ります。私が見る時は、確かにだめなのに、仕事を推進するのを見れば、時刻表ではないのに、とてもあせるようにするのを見れば残念です。十のうち九がそうです。クリスチャンが一番できないのが、聖霊の導きです。イエスがキリストであることをもうすべて知っていながらも。
▲私たちはもう、この契約を捕まえて出て行けば、確かに勝利するようになっています。なぜ伝道すべきでしょうか。これは世の中だけ生かすのではなく、私が生きるのです。私たちが伝道という単語をなぜ正しく握らなければならないのでしょうか。最も愛国する道です。伝道だけ正しく理解すれば、教会は生き返るようになります。皆さんが今日、伝道という単語を捕まえて宣教を始めれば、皆さんの子孫が生かされ、暗やみ文化も変えられます。すばらしいのです。それなら、このようにしていけば良いのです。皆さんが今から聖霊の導きを受けていけば、結果は聖霊充満で、答えとして現れるようになります。
▲私たちの胸の中に、今、一般信徒宣教献身礼拝で、他のことはみなできなくても、皆さんが一つは考えなければなりません。正しい宣教とは何でしょうか。これを今から考えなければなりません。それで、この部分を置いて皆さんが祈りを始めれば、多くの証拠が来るようになります。今、宣教師がたくさん派遣されていっていますが、ただし、これが間違った宣教だと話すのではなく、インマヌエル教会がタラッパン運動をする重要な教会です。宣教献身礼拝です。私たちが恵みを受けて、火を受けるのではなく、神様は今、どのような宣教を正しく希望されるのか、この部分を皆さんが真の伝道と宣教を心に入れれば、事実は、じっとしていても答えがきます。それで本当に祝福と答え受けるように望みます。
▲それでは本当に宣教を見ようとするなら、アンテオケ教会とパウロを見れば良いのです。アンテオケ教会とパウロが宣教を正しくしました。神様は事実はペテロとマルコのタラッパン教会を用いられませんでした。その理由は宣教を知らなかったためです。開始はそこでされたのですが、神様はパウロとアンテオケ教会を用いられました。それは、アンテオケ教会とパウロが宣教を知っていたということです。使徒13:1〜28:31節を見れば、パウロとアンテオケ教会があることがあります。何からしたのでしょうか。
@パウロとアンテオケ教会は行き先ごとに教会から立てたのではなく弟子から立てました。
Aそして、皆さんが目を開かなければならない二番目のことは、行く所ごとに重職者を立てました。
Bそして、行く所ごとに産業人を立てたのです。これが鍵でした。この目で韓国宣教を見れば全く違うのです。それでだめになっているのです。パウロはこれを捜し出したのです。インマヌエル教会で堂会員がたくさん起きて、このことをしようということです。
▲それを見る時、今ここに来ている多民族(聖徒)を見れば、皆さんが目がパッと開かれなければなりません。この多民族が重職者で全部起きて、世界を立て起こさなければならないのです。そうすれば、神様が喜ばれて全てのことをあなたがたに皆くださいます。それが答えです。私たちが出せと言うのではなく、神様が全てのものを与えると言われます。私たちの教会が席がなくて苦労を多くしているのに、重要な計画があるでしょう。皆さんが伝道と宣教だけ理解すれば、神様が全てを皆くださいます。今日、この契約を捕まえて一週間考えてみる時に、来週の聖日には皆さんが多くの証しを持って来るようになるでしょう。一般信徒宣教献身礼拝契約を堅く捕まえる日になるようにイエス様の御名で祝福します。

(祈り)
神様に感謝します。私たちに重要な時間になりますように。私たちは事実は力を失っています。力を得る時間になるようにさせてください。多くのことを持って知らずにいます。悟る時間にならせてください。それで、聖徒が真の力を得る、驚くべき伝道、宣教が始まりますように。今日、まさにこの時間が世界を生かす宣教献身礼拝になりますように。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)