2008年3月23日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部:復活信仰
(ルカ24:1-12)
(ファン・サンベ牧師)

☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
(1)復活聖日を迎えて、キリストの復活と私との関係を確認して、復活の真の意味を確認する時間になることを望む。
(2)今日、十字架アクセサリーが多いがキリストを象徴する意味をよく分からなければならない。
(3)今日本文に見れば- 1節に準備しておいた香料を持って墓に行き、3-4節にイエス様の死体がないことで、途方にくれていた。これは、イエス様の復活を実際には信じなかったということだ。
▲それなら、真の復活信仰はどのようなものなのか?
1.キリストの受肉の真の意味を分かる信仰
(1)創世記3:15、女の子孫として来られたキリスト
(2)神様であるキリスト(ピリピ2:6)
(3)人として来られたキリスト(ピリピ2:7)
(4)十字架に死ぬまで低くなられたキリスト(ピリピ2:8)
2.十字架の血を流されることの真の意味を分かる信仰
(1)私の罪の赦しのための十字架で血を流されること
▲レビ17:11、ヘブル9:22、イザヤ53:5-6、ローマ5:8
(2)ひとつのたましい、ひとつのたましいの救いのために血を流された
1)ペデスダの池で(38年間の病人)
2)スカルの井戸の周りの女性
3)取税人ザアカイ
4)十字架の上の強盗(ルカ23:42)
▲ルカ19:10、人の子が来たのは、なくした者を探して救うためだ。
(3)十字架で成就された救いの内容は?
▲人間は生まれる時、運命を持って生まれたが、十字架でみな解決された。したがって、神様の子どもは罪意識から抜け出そう。悪魔のしもべの役をする人生から暗やみの勢力をうち破ってくださった。したがって、復活されたキリストの御名で祈る時、聖霊で働かれる。
3.復活メッセージの真の意味を分かる信仰
(1)マタイ28:16-20、弟子
(2)マルコ16:15-29、霊的癒し
(3)ルカ24:13-35、気落ちした既存信徒
(4)ヨハネ21:15-18、レムナントを生かせ。レムナントの胸を福音で満たせ。
4.復活信仰を所有した者の結果
▲使徒の働き的答え-イエスがキリストという契約で全地域を生かす答え。エルサレム→ ユダヤ→ サマリヤ→ アンテオケ→ 小アジア→ローマ→ 地の果て
5.結論
(1)復活されたキリストは今、生きておられる。
(2)今、働かれる。
(3)時代を生かす重職者、一般信徒働き人、伝道弟子の祝福を味わうように願う。
▲復活信仰を持って現場に進もう。そうすれば、問題だと考えられる所に復活されたイエス・キリストが働かれるだろう。
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲私たちのキリストが死の力をみな破って勝利されました。今日、復活の栄光が皆さんと私たちの胸に充満することを祝福します。キリストの復活と今日、私自身とどんな関係があるのか一度調べてみます。私たちが復活祭になれば、タマゴを配ることがあります。今日は、皆さんにタマゴがなくて、そのために空しい思いをしている方々は、訪ねて来てください。私が個人的にあげます。事実、復活祭とタマゴとは関係がなくて、うちの子の胸に復活の栄光のその復活の意味が植えられなければならないのに、タマゴが植わってはいけないのです。クリスマスにキリストが植わるべきで、サンタクロースのおじいさんが植わってはだめなのです。そのような意味の中で復活の真の意味が私たちの中であふれるように願います。十字架は私たちのキリスト教の象徴です。キリストが十字架にかかって初代教会の聖徒たちが十字架にかけられて、多くが処刑されました。賛美歌にも十字架の歌詞が入った歌詞が多く、私たちクリスチャンには、十字架の意味がとても重要です。アクセサリーで十字架バッジもあって、ネックレスもあって、指輪もあって、色々なものの十字架アクセサリーがあります。ひょっとして、皆さんの思いの中に、そのアクセサリーを皆さんが持つことで、皆さんが保護される守護神のように思ってはいけません。ある人が、十字架ネックレスをして外に出て行きます。もちろんそれ自体が悪いのではありません。ひょっとして、皆さんの考えに、私が今日、十字架ネックレスをして安心するとなってはいけないのです。忙しくて、とてもネックレスができなくて、一日、中心が不安ではだめなのです。十字架が偶像になってもだめです。アクセサリーの十字架の形を頼らずに、復活されたキリストを頼るように願います。
▲イエス様が公生涯の三年間に、弟子とイエス様に従う多くの人々に、この十字架の復活事件をいつも話されました。わたしが罪人の手で売られて死に、三日後によみがえりますと、何度も話されました。ところで、弟子がその話を耳をそばだてて聞かなかったのです。皆さんは、主のみことば、神様のみことばを耳をそばだてて聞くように願います。
▲今日の本文を見れば、この弟子が、イエス様のみことばを耳をそばだてて聞かなかった証拠が出てきます。本文をもう一度見ると、イエス様がもう十字架にかかって墓に入れられました。安息後の初日の明け方に女たちが、香料を準備してイエス様の墓の横に行ったのです。その香料をイエス様の死体につけようとして行ったのです。それは、イエス様の復活を信じなかったということです。もし、イエス様が生きておられる時、なさったみことばを耳をそばだてて聞いていたら、香料は準備しなかったでしょう。3節を見れば、イエスの死体がなかったのです。しかし、何の感覚もなくて、むしろそのために途方にくれて、5節に、なぜ生きておられる方を死んだ者の中から探すのですか、イエス様は復活されたのに、死んだ者の中からイエス様を探しているのです。これが愚かな信仰です。イエス様は復活されたのです。ところで、死んでいるイエス様のように今でも思っていて、記憶して考えているのです。
-6節を見ると、まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい、このみことばを記憶できず、彼らが墓の横に行ったみことばを記憶するように願います。
-7節を見れば、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょうと、おっしゃいました。
-8節を見れば、その時になって、彼らがイエス様のみことばを思い出したと言われていて、9節を見れば、これらすべてのことを十一弟子とそのほかの人たち全部に知らせ始めたのです。
-11節に、使徒たちがこの女たちからイエス様の復活の知らせを聞いても、そうだと思わなかったのです。イエス様が生きておられる時、言われたみことばが成就したと、思いませんでした。彼らの話しが、たわごとのように聞こえて、信じなかったと言われています。復活されたイエス様を見たという人々の話を聞かなかったということです。
▲ひょっとして、私たちの中で、キリストの復活が信じられない人がいるのでしょうか。私たちの考えと関係なく、キリストは復活されました。私たちの理性的な考えのレベルで、キリストの復活を考えないようにしましょう。そのお方は、復活されてあまりある力があるお方です。私たちの中で、ひょっとしてみことばが信じられない人がいるのでしょうか。神様のみことばを信じるように願います。そのような方は、神様のみことばが信じられるように祈ることを願います。
▲私たちは、神様のみことばを本当に事実だと信じなければなりません。神様のみことばを契約で捕まえなければなりません。このみことばをよく信じなければ、いつも愚かな信仰生活をします。ある人が、このように話すのを見ました。私たちの町ではなく、他の町にいる方が、朝起きれば、聖書をどこでも一箇所広げて、みことばを読んで、それが一日、自分を導く約束のみことばだと思って生活する方がいます。今朝、聖書を開いて聖書を読みました。マタイの福音書27章5節が開いたのです。イスカリオテのユダが自ら首をくくって死ぬのです。とても気持ちが良くなかったのです。また聖書を広げました。それがルカ10章37節でした。行って、あなたもそのようにしなさい、とても気持ちが良くなかったのです。もう一度、三回目、開きました。三回目、開いてみたらマタイ14章31節で、信仰が少ない者よ。どうして疑うのか...このようなやり方で、聖書を見てはいけません。
▲聖書全体の中で、神様が私たちに何をおっしゃるのかをよく見なければなりません。イエス様に従った弟子が、イエス様がおられる時、みことばをよく聞いたとすれば、このようなことは生じません。今日、キリストの復活に対するこのみことばも、本当に心に耳を開いて、植え付けなければ、弟子と同じ愚かな姿になります。
▲今日、この栄光ある復活の朝、この復活信仰が与えられるように祝福します。復活信仰は、どんな信仰かを申し上げます。
1.キリストの受肉の意味を分かる信仰
▲最初は、キリストの受肉の真の意味を分かる信仰です。復活信仰はどんな信仰なのでしょうか。キリストの受肉の真の意味を分かる信仰です。イエス様は、人間のからだを着て、この世に来られました。
(1)創世記3章15節の約束のとおり来られました。女の子孫として、すでにイエス様を送られることを約束されました。その方は来られるメシヤでした。
(2)ピリピ2章6節に、その方は神様であり、キリストで、神様であるキリストその方は、神の御姿であられる方です。彼は神様と等しい方です。栄光と力が等しく、権威が等しく、目に見えない神様が目に見える神様として来られたのです。その方がキリストです。天の栄光をみな捨てて、その方が来られました。なぜ天の栄光の御座を捨てて来られたのか分かるのでしょうか。理由はただ一つ、私と皆さんを救うためです。その方は人として来られたキリストです。
(3)ピリピ2章7節に言われています。むしろご自分を無にして、人の形を着られました。その方が人として来られたのです。栄光のその方が人として来られました。なぜ来られたのか、私と皆さんを救おうと来られたのです。
(4)ピリピ2章8節に話されています。その方は、十字架に死ぬまで低くなられたキリスト。天の栄光の御座を捨てて低くなって、低くなって、低くなって、どこまで低くなったか、しもべのからだを着るまで低くなって、どこまで低くなったか十字架にかかり血を流して死ぬまで低くなられたのです。なぜ、そうなのかというと、私と皆さんを救うためです。

2.十字架で血を流されることの真の意味を分かる信仰
▲復活信仰の二番目です。十字架の血を流すことの真の意味を分かる信仰が復活信仰です。十字架の意味が何か、十字架の意味を今日回復する時間になるように望みます。(1)の十字架の意味は、私と皆さんの罪と呪いをうち砕くための時間です。私の罪の赦しのための十字架の血を流されることです。聖書の何ヶ所を申し上げます。
▲レビ記17章11節のみことば、肉のいのちは血の中にあるからである。いのちとして贖いをするのは血である。多くの人々が罪を赦される時、動物の血を流しました。しかし、イエス様自らが来てくださって、動物の血ではなく、自らの血を十字架で流してくださったのです。
▲ヘブル9章22節では話しています。律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。血を流すことによって罪の赦しを受けたということです。
▲イザヤ53章5節は話していますしかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。キリストがムチで打たれたので、私たちがいやされたのです。キリストがムチで打たれたので、私と皆さんのすべての創世記3章の暗やみの勢力がうち砕かれたのです。ひょっとして皆さんの中で、病気で苦しんでいる人はいますか、キリストが十字架でムチで打たれたので、いやされたのです。キリストの十字架の事件によって、私たちが持っているすべての病魔がイエスの御名で癒されるように願います。
▲イザヤ53章6節は話しています。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。ここを見上げるように願います。説明します。こちらの手には私たちの罪、創世記3章の根本の罪があります。こちらの手は、イエス様だとしましょう。神様は私たちの罪悪を、私たちのすべての罪悪を、イエス様に担わされたのです。私たちのすべての罪がイエス様にみな委任されたと言います。それを旧約では転嫁と言うのです。私たちのすべての罪をイエス様が負って十字架を背負われたのです。今日、キリストの十字架の事件に真の意味を記憶するように願います。
▲ローマ5章8節は話します。私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。神様が私と皆さんをとても愛しておられます。その神様が人間のからだを着て、この世に来られました。罪人の姿で十字架にかかって、私と皆さんの罪を担われたのです。死の勢力、すべての勢力をうち砕かれました。今日、この事実を信じて、確信するように願います。
(2)また、十字架にどんな意味があるのか、血を流されることは、一つのたましい、一つのたましいの救いのためなのです。イエス様の公生涯の3年の働き自体がそうであって、イエス様は常に一つのたましいを救われました。
▲聖書を見れば、38年間の病人が出て来ます。運命の中に陥っていて、何の希望もありません。38年も病人だった病状はあまりにも濃厚です。この病人がベテスダの池の端で横になっていました。イエス様がこの病人に会うために、ベテスダの池のほとりに訪ねて来られたのです。何の希望ないこの病人に、キリストの福音この伝えられました。この人が福音を受けて癒される事件を聖書は記録しています。どんな不可能なことであっても、キリストに会えば、そこに聖霊は働かれるのです。そのような意味で、今日、本当に不可能なことや、不可能な病気があっても、復活の力、キリストの前に下ろすことを希望します。今日、キリストの力があなたを癒すことを希望します。
▲聖書に見ると、スカルの町の井戸にいる女性がいます。この女性は、他の人の前に出られない色々な背景を持っています。他の人々の視線を避けて井戸の周りに水を汲みにきたのです。他の人々が井戸の周りにこない正午の時に水おけを持ってきました。イエス様は井戸の周りのそばで、この女性を待っていて、被取るのたましいを救うため、イエス様が井戸の周りでこの女性を救われたのです。二人の対話が行き来します。この女性がこの方がキリストだという事実を発見するのです。この女性の心の中に、いのちの水の川が流れてあふれ始めて、水おけを投げ捨てて、町に走って行きました。私がキリストに会いました、私が会った方に出て来て見てくださいと言いました。主は一つのたましいを救うことに関心があったのです。
▲取税人ザアカイという人がいます。多くの人々はこのザアカイを罪人として扱っていました。対話もしません。それで、いつもこのザアカイは蚊帳の外でした。今日、話せば、いじめのようなものです。ある日、自分の村にイエス様が通り過ぎるという話を聞いたのです。このザアカイがすべての体面を捨てたのです。自分の村を通り過ぎていくイエス様を見るために、彼はいちじく桑の木に上がったのでした。多くの人々と自分の背が低いことために、イエス様を見られなかったのです。その下をイエス様が過ぎ去られました。イエス様は、その現場でこのザアカイに会うために待っておられたのです。ザアカイが降りてきなさい、わたしは今日、あなたの家に泊まることにしている。あなたもイスラエルのなくしたアブラハムの子孫だ。イエス様は、一つのたましい、一つのたましいの救いに関心があったのです。
▲ルカ福音19章10節は話しています。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。イエス様が十字架にかけられました。そのイエス様がかけられた十字架の左右に二人の強盗も同じように十字架にかけられました。イエス様が十字架でいくつかのことばを叫ばれます。わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。父よ。彼らは、何をしているのか知らないのです。彼らをお許しください。両側の強盗がその話をすべて聞きました。ところで、片方の強盗は、それが福音だったのです。主イエスよ。あなたが神の国に臨まれる時、私を思い出してください。主がおっしゃいました。あなたは、今日、私と一緒にパラダイスにいます。イエス様の死のその時にも、一つのたましいを救われたのです。そのために主がこの世に来られたのでした。
▲この前、江南(カンナム)伝道神学院が開講しました。2月に新しく入ってくる神学生と面接をするのに、ある女性の信徒と面接をしました。私たちの新しい家族が登録する時、面会しながら見た顔のようなので、尋ねて、私の教会に来て3ケ月なったその方が、どのように神学院に来るのか不思議に思って尋ねたのです。いや、どのようにイエスを信じて3ケ月で神学院に来ることを考えたのですか。皆さんが考えをよくできないその考えを、その方はしたのですが、この方が涙が雨が降るように流れたのです。それと共に話しました。自らの年齢が52才で、自分は生まれる時から仏教だった。生まれて見たら、お父さんが僧侶で、幼い時から寺に行きながら生活して、最近まで寺に通いながら仏教を信じていた。ところで、ある日、その方に霊的問題がきて夜に寝ることができなくなったのです。夜が恐ろしくて、なぜなら、寝られないからです。そのためにイエス様に会った。私のような者が、私たちのような家系から、イエス様を信じるようになったのがあまりにも感謝だと泣いていました。私がその方にまた福音を話したのです。救いの確信をまた植えました。神様の子どもの奥義が何か、また植えました。そして、その方のために切に祈りました。それと共に、霊的に戦う祈りの文章を書いて差し上げました。今、とても良くなっています。本当にその信徒は恐れなくても良いのです。権威あるキリストが、その方のすべての霊的問題をすべて癒されたことと信じます。
(3)もう一つ、十字架上で成し遂げられた救いの意味を分からなければなりません。十字架上で、どんな救いの働きを主が成し遂げられたのでしょうか。私と皆さんが生まれる時、運命の中に陥っています。この運命の中から誰も抜け出すことはできません。しかし、キリストが十字架を負われたことによって、その中から抜け出ることができて、私と皆さんのすべての罪を十字架でイエス様がみな解決されたのです。これ以上、皆さんの心の中で、罪悪感で悩んではならないのです。すでにイエス様がみな解決されました。一歩進んで、一生涯、私たちが悪魔のしもべ役割をしていました。これら全部の暗やみをイエス様がうち砕かれたのです。皆さんは、これ以上、何かを守りながら生きる必要はありません。何かに遮られながら生きる必要はありません。すでにキリストが十字架ですべてなくしてしまわれました。今日、復活されたキリストのその恵みがあふれ出るように祝福します。今から、私たちは本当に復活されたキリストの御名で祈れば聖霊が働きます。
▲パク・サンフェ長老にこういう証しを聞きました。この長老は、医師です。この方は医学的な専門知識があります。この方と懇意な方が、心臓まひによって、ほとんど脳死状態にある時に訪ねて行ったそうです。突然、起きたことなので、事実、家族はうろたえていました。病院に行くと、ですでに状態が脳死状態になる直前の、そのような状態だったのです。家族もあきらめたのか、奥さんも帰っていて、看病人ひとりだけ残っていたということです。長老がその患者を見ながらそこで祈り始めたのです。何の意識もありません。意識がなくても、生きている一つの機関があります。それが聴覚です。なぜ神様が聴覚を最後まで残されたのか、死ぬ瞬間でも福音を聞けと、福音を受けろと残されたのです。その方に福音を話して、キリストの奥義も話して、そして、イエス様の御名で暗やみをうち砕く話もして、何の意識もない人のそばで30分程度祈り始めたのです。真の残念に思う心で帰ったそうです。この前、その方から電話がきたそうです。長老は、亡くなったと思っていたのですが、電話がきてどうなったのかと尋ねたら、その方は、あなたがきて私に祈る話を皆聞いていた。その薄い記憶の中にも、その祈りのひもを捕まえて目覚めたと話して、信じられない事実だったのです。復活されたキリストの力はものすごくて、本当に私たちがそれを信じることによって、イエス御名で祈る時、聖霊が働かれるのです。この信仰で充満するように願います。

3.復活メッセージの真の意味を分かる信仰
▲大きい3番目の復活信仰は、復活メッセージの真の意味を分かる信仰です。イエス様は四つの福音で最後にいつも福音メッセージを話されました。
(1)マタイの福音書28章16節から20節では話しています。弟子としなさい。福音の真の弟子にしなさい。
(2)マルコの福音書16章15節から20節では話しています。霊的に苦しめられる者を霊的に癒しなさい。
(3)ルカの福音書24章13節から35節では話しています。気落ちしている既存信者を癒しなさい。
(4)ヨハネの福音書21章15節から18節は話しています。小羊を飼いなさい。レムナントを生かしなさい。レムナントの胸に幼い時に福音を植えなさい。世の中のことが入る前に福音でレムナントを生かしなさい。
(5)そして、使徒1章8節、地の果てまで福音が宣べ伝えられると信じます。
▲皆さん今日、これが私と皆さんの使命です。私たちの重職者が、今日、この使命を持って現場で勝利することを祝福します。

4.復活信仰を所有した者の結果
▲最後の四番目、復活信仰を所有した人々の結果です。使徒の働き的な答えがくるしかありません。本当に私たちが復活信仰を持っているならば、使徒の働き的答えは付いてくるしかありません。イエスがキリストというこの契約を使徒の働きでマルコのタラッパンに集まった人々が捕まえました。彼らが祈り始めたのです。彼らを通して神様は伝道の門をあけられ、全地域が生き返って、行く所ごとに神様は真の弟子を準備しておいて彼らに会うようにされ、そして、福音が全世界に広がって行くことを彼らが成し遂げたのです。
▲エルサレムから福音が始まりました。福音がユダヤ、サマリヤ、アンテオケ、西アジアからマケドニアに、ローマに、地の果てまで、この福音が広がったのです。マタイの福音書24章14節は話します。この福音が地の果てまで宣べ伝えられるその日まで、主が共におられると約束されました。復活信仰を持って行く足取りを誰も防ぐことはできません。復活信仰を持って進む皆さんの足取りで神様は世界福音化の門をあけられるでしょう。
▲私たちの神学院にペルーから来られる方々が訓練を受けています。彼らは昼間に寝て夜に仕事をします。昼間に眠らずに伝道訓練を受けるのです。彼らは眠たくないと言い、みことばを受けるのがとても良いと言います。そうするうちに、また彼らが帰って、この前、女執事がここで仕事をして休みの時、ペルーの地域に行ってきたのですが、その女執事が行くと、多くの伝道の門が開かれました。それで多民族宣教局のホールリオ牧師が牧師夫人と一緒にまた入られました。その方たちを通してペルーという国に、ものすごく大きな門を開けられるでしょう。今回の4月の伝道新聞に多分出てくるはずですが、使徒の働き的な働きを彼らを通して神様が答えられたのです。どれほど多くの人々が飢え渇いているのかわかりません。みことばを分かちあう現場に、無限の人々が集まってきました。これから持続的にみことばを伝える場所をたくさん開いて、使徒の働きのような奇跡の働きいくつかがありました。みことばを聞いて悪霊につかれた者が自由にされました。夫が医師だった奥さんが、足が悪かったのが、福音を聞いて立ち上がり、ある年老いた方から、すぐに死にそうだという電話を受けたのです。その電話に対し祈り始めました。そして、時間が過ぎた後、その方が亡くなったのです。その伝道チームが行きました。ところで、そこでその方が生き返って信じられなかったのです。しかし、色々な証人がいて、本当にこの福音がどれほど偉大かわからないのです。この福音の力がどれほど偉大かわかりません。皆さんの宣教献金で、その現場を行っています。私たちが、主の前にささげる小さい献身が、世界福音化の大きい門を開いていることを覚えましょう。

5.結論
▲みことばの結論を結びます。今日、私たちは復活主日を迎えました。本当に皆さんの心の中に、復活信仰で充満することを希望します。復活の力で充満することを希望します。キリストの復活は、すなわち私のための復活です。不信仰、心配を捨てて、復活の力で充満することを希望します。
(1)復活されたキリストが今、私とともにおられます。私が問題だと思う所に神様がともにおられるのです。復活されたキリストが今、一緒におられます。
(2)復活されたキリストが今、聖霊で働かれます。そのキリストの豊かな恵みが皆さんの心にあふれることを祝福します。
(3)この信仰をもってこの時代を生かす重職者の皆さんになることを希望します。
▲この復活信仰のこの信仰が、レムナントに伝えられるように願います。私たちが行くすべての現場が、この復活の力、この福音の奥義をもって生き返るように祝福します。

(祈り)
神様の恵みをありがとうございます。十字架の愛で私たちを愛された主の恵みをありがとうございます。主のこの大事な愛は、一生を返してもみな返すことができないことを分かります。私たちが生きていく間、この福音のために献身するようにさせてください。この復活信仰を持って、全世界、全地域を生かすようにさせてください。福音をもって進むすべての聖徒たちの足取りの中に神様の国が成されるようにしてください。生きておられる主イエス・キリスト御名でお祈りします。アーメン
(The end)



1部:神様の恵み
(Iコリント15:1-11)
(イ・ソンフン牧師)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲私たちは神様の恵みによって救われた神様の子どもだ
(1)それなら先に救いの意味を分からなければならない。
▲人間が絶対に解決できない問題、霊的問題から解放されて出たのだ。
(2)救いの内容
▲それで、救いの内容は一言で、人間が持っている原罪、そしてサタン、そして、行かなければならない地獄の問題を解決したのだ。人間の力ではこの問題を解決できない。イエス・キリストが原罪を解決された祭司、サタンの問題を解決された王、審判と地獄から救い出された預言者だ。
(3)救いの方法
▲エペソ2:8、神様の恵みで、信仰で、受け入れることによって、私たちを救われた。
(4)救いの確信-神様の子どもの身分は永遠に変わらない。イエスの御名で送られた聖霊が永遠に私とともにおられる(ヨハネ14:16)。救いは永遠に変わりない。
(5)救いの感謝(感激)
▲宗教は人間から出発したが、キリスト教は神様から出発した。出発から違う。不安な人間から出発したとすれば、救いは不安なのだ。昨日も今日も永遠に同じな神様から出発したとすれば、その救いは永遠だ。それなら感謝するしかない。
1.現場の姿
(1)聖徒たち
▲この中で生活(教会生活と社会生活を分離して世の中の人生をあきらめたり、世の中の人生に陥ってしまった。力もなくて、救いの確信もなくて揺れて、律法と神秘に陥って、祝福のモデルがいない)
(2)未信者
▲力があふれて熱心にがんばっている。成功した人も多い。ところが、霊的問題は深刻だ。
(3)事件
▲成功した芸能人が深刻なうつ病に陥って自殺して、成功した人物が自殺して、現場は霊的問題に陥ってぞっとする事件が起きている。
▲こういう問題を解決する所は教会しかなく、その人を生かせるところは福音しかない。だから、本当に福音を伝えるべきなのに、伝えてやる人がいない。だから、宗教がやたら起きるのだ。
2.神様の心
(1)神様の願い
▲神様は本当に現場で福音を伝える人がいることを希望される。聖徒たちが救いの確信を持って福音の光を照らして、未信者を生かして事件が起きられないように、あらかじめ予防しなければならない。
(2)神様の嘆き
(3)神様の審判
3.私たちの使命
(1)神様と通じる者
▲神様と通じる人は、神様の心、神様の嘆き、神様がなぜ審判されるのか理由を知っている人だ(レムナント7人、ダビデ-使徒13:22)
(2)復活のメッセージを持っている人
▲行って弟子としなさい(マタイ28章)、行って福音で人を生かしなさい(マルコ16章)、レムナントを立て起こしなさい(ヨハネ21章)、さまよっている聖徒たちを生かしなさい(ルカ24章)、地の果てまで証人になる(使徒1章)。
(3)現場で祝福のモデルとして
▲現場で福音で成功する祝福のモデルになろう。
4.結論
(1)復活の主のために
(2)現場を神様の国に
(3)最高の栄光を帰そう
▲これが神様が私たちに恵みをくださった理由の中の理由だ。皆さんの中心が復活された主のために、私と皆さんの人生が現場に神様の国を拡張しながら、私と皆さんの人生の目的が神様に栄光を帰すために...神様が皆さんを祝福されるしかない最高の祝福を受けたキリストの弟子になることを主の御名で祈りします。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲先に私と皆さん中に神様の恵みが充満することを希望します。毎日、神様の恵みが臨むことを希望します。私と皆さんは救われた神様の子どもです。これがまさに神様の恵みです。救いは私たちの行いから出たことではなく、神様の恵みによるのです。
(1)一番最初に、救いの意味を分からなければなりません。救いは一言で、私たちの人間が絶対に解決できない問題から抜け出すことを言います。永遠に解決できない霊的問題から解放されることを言います。それで、救いの内容は、人間が持っている原罪とサタンの中に運命自体が捕えられていることと、必ず行かなければならない終着点である地獄、この問題を解決するのです。
1)最初に、創世記3章の問題である原罪を、どのように解決するのでしょうか。そして、現れる結果がまさに自分で犯す罪です。私とは関係ない問題です。私が生まれる前から本来あったのです。私が生まれるやいなや持っている罪です。私が犯していない先祖の罪まであります。多くの人々が罪を犯さなければ良いと話すのですが、罪を犯すしかありません。原罪です。神様から完全に離れたのです。人間が全面的に堕落をしました。人間の力ではこの問題を解決する方法がありません。
2)二番目の問題は、目に見えないサタンの存在です。目に見えれば戦ってみることもできるのですが、目には絶対見えません。このサタンが、今でも運命を掌握して、思いのままに引っ張って行っています。結婚も思いのままにできません。厄日でない日にすべきです。ある兄弟姉妹が相談をしにきました。新婦側は、両親が執事、勧士で、信じる人々ですが、新郎側の両親が未信者でした。未信者が結婚を準備してみたら、聖日に結婚をしようということです。5月の厄日でない日にしたということです。この日に結婚をすべきか、やめるべきかと尋ねたのです。未信者はそうしなければ大変なことになります。少しだけ悪くなれば結婚の日を誤って選んだからだと感じます。完全に掌握されているのです。引っ越しも思いどおりにできません。引越しする日、時間、方角をみな尋ねなければなりません。厄とは、悪い悪霊を意味します。占い師が言う言葉です。サタンが、悪い悪霊が活動する日があるというのですが、とりわけたくさん活動する日を避けるのです。悪い悪霊が活動しないで休む時を利用して引っ越ししようとするのです。ある時、私の家が引っ越ししようとしたら、業者が途方もなく高い価格を要求するのです。知ってみたら、その日が良い日なのでそうだということでした。東三洞(トムサンドン)から東三洞(トムサンドン)に引越しするのに、車、人件費が倍も高かったのです。私がなぜそんなに高いかと言ったら、その日が吉日だというので、その場で私がそれでは、厄日にすると言いました。すると価格が半額なりました。未信者は完全に掌握されているから、お金を多く出しても抜け出ることはできません。私と皆さんはここから解放されたのです。思いどおりに、厄日にしても大丈夫なのです。
3)地獄があるのにも、地獄があること知らずに、地獄に向かっていきつつあります。昔、友人が私にイエスを信じろと言いました。イエスを信じて救われなさいという話でした。その時、私が仏教に心酔していて、母について寺に通っていた時期でした。その時、私は、生年月日の運勢、運命が良くないということで、寺に僧侶の養子で入っていました。私にイエスを信じなさいという友人に、私は、それでは君は仏陀を信じなさいと言いました。すると友人が正気になって、イエスを信じなければ地獄に行くと言うのでした。それで、私が君はそれではどこへ行くかと尋ねたら、自分は天国へ行くと言いました。私たちのクラスで勉強を1番よくできる友人でした。後ほどソウル大に入りました。私は勉強をがんばっても、成績が中間であったし、できなければ最低のレベルでした。その友人は勉強も良くできて、先生に人気も良かったのですが、私は勉強もできなくて、毎日、先生に叱られていました。ところで、この友人は天国に行って、私は地獄を行くと思うと、どんなに気分が悪かったか、まるで私に呪いを浴びせたようで、とても気分が悪くて、それでは君は天国に行くことが間違いないのか、天国を見たのか、天国を行って見た人がいるのかと(問い詰めました)。友人は見られなかったと、見た人がないというので、どうしてそんなによく分るのかと言ったら、聖書にあると答える友人に、私は聖書を信じないのに私がどのように分かるのかとしながら話にならない我を張ったのです。家に帰ったのですが、夜12時に勉強をしていて怖くなりました。地獄があればどうするか..その時から怖くなり始めたのです。私は自分自身をとてもよく知っているためでした。地獄があるならば、必ず地獄に行く人間でした。これが問題でした。なければ良いが、あるならば大きい問題でした。夜通しどれくらい苦しめられたのか分かりません。その翌朝に学校に行きました。自分のパートナーであるその友人の顔を見たら、また地獄が思い出されるのです。夜通し苦しめられたが、朝また苦しめられました。この友人がまた話すのです。ソンフンと言うので、私が話しました。君が話さなくても分かる。そうだ、地獄行くのだろう。どれくらい悩んだか分かりません。
▲ところで、私が伝道をするのに、必ず私のような人に会います。イエスを信じれば神様の子どもになって天国に行くというのに、ある人がきて私に天国に行ってみたのか、行ってみなかったのに、どうして、そのようによく分かるのかと言うのです。もしかしたら神様がこういう人に会うようにされるのか、あきれました。(私はその人にこのように話しました)。聖書のみことばはあると話します。世の中の人はないと話します。確率はひとまず客観的には50%です。それで、ないならば何の問題もないのです。ところで、聖書のみことばのように本当にあるならば、その時はどうなるのでしょうか。だから、その人の話がそれでは行かなければなりませんね..こう言いました。あるならば行かざるを得ないのです。
▲それで、神様が私たちにあらかじめおっしゃられたのです。一度死ぬのは神様の決められたことで、その後に必ず審判があるようになるのですが、罪の審判を受けるようになります。ここから解放されることを言います。
(2)救いの内容は一言で福音です。罪問題を解決された祭司、サタンの権威をうち破られた万王の王、地獄から天国への道自体を変えられた預言者。それで、イエス様がこの3つの職分を完成された真のキリストです。
(3)それでは救いの方法は何でしょうか。エペソ2:8〜9節に神様の恵みによって...神様が私たちを救われるために、人間のからだを着てこの世に来られました。1部礼拝の時、出てきたみことばです。それが受肉された神様の恵みです。信仰によって救われました。イエス様をキリストとして信仰で。それで、このイエス様を受け入れる者は神様の子どもとなります。救いの方法は他がありません。神様の恵みで、信仰で、イエス様を受け入れることによって、神様の子どもになるのです。生年月日による運勢、運命がみな変わります。
(4)それなら、ここに確信を持たなければなりません。救いの確信です。私は救われた神様の子どもです。永遠に変わりません。Iヨハネ5:11〜13節に、そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。私と皆さんの中に何があるのでしょうか。世の中の神があるのか、神様が送られた聖霊があるのでしょうか。イエスの御名で送られた助け主聖霊なる神様が私たちの中にいらっしゃいます。ヨハネ14:16節に、永遠に共におられると言われています。この救いは永遠に変わることがないのです。永遠な方法です。宗教は人間の行為から出発するのですが、救いの出発は神様です。時間、条件によって変わる不安な人間から救いが出発したとすれば、救いは不安になるのです。昨日も今日も明日も同じ神様から出発したとすれば、その救いは完全なのです。救いの確信を持たなければなりません。
(5)それでは、現れる証拠があります。救いの感謝と感激があふれます。皆さんが生きているという証拠が、まさに感謝が出てくることです。胸の奥深いところから感謝が出てきます。今日、使徒パウロが、その告白をしました。私が私なったことは神様の恵みでなったのだ。すべての人が自分がしたことをいうということです。
▲私は昨年レムナント大会の時、胸の中に入ってきたことがあります。現実は、たくさん大変でした。心臓が止まるようで、あまりに荷が重かったのです。そのような環境が私にきていました。あまりに荷が重かったのです。水曜日の夕方にパク・ソンジン牧師が賛美の導きをして、それから柳牧師がメッセージをすることができたのですが、証しをされました。4つの証しされたのですが、その中で最も大きく私の胸の中に入ってきたのが神様の恵みでした。その告白をされました。私がしたのではない。絶対に、神様の恵みでなった。自慢することはない。私はあまりにも足りない。皆さんに会ったのが最高の出会いの祝福だ。このようにレムナントが成長したのが本当に神様の恵みだ。そこに対する感謝があふれる。この告白を聞いて、自分の胸の中にも同じ告白になりました。難しい環境、良くない働き、全てのものをみな越えるのが感謝です。今まで20年間、現場で伝道できる奥義がこれです。神様の恵み、毎日、新しい神様の恵みがあふれるのです。あまりに荷が重くて苦痛だったのですが、誰も背景になってくれなかったのですが、神様が背景になってくださって神様が力を与えてくださいました。神様が永遠にともにいるという契約を私に与えられました。与えられた難しい環境を越えられる力を神様が与えられたのです。

1.現場の姿
▲今、現場の姿はどうなのでしょうか。
(1)聖徒たち-聖徒たちは二重生活をしています。教会生活と社会生活を各々分離させているのです。世の中の人生をあきらめたのか、世の中の人生の中に陥っています。聖徒たちに力がありません。うまくいくようだが、良くなりません。救いの確信がないから、いつも揺れるのです。問題がくれば罪を犯すからだと、律法の目で見るか、神秘主義の側に行きます。これが現場の姿です。財閥の中にイエスを信じる人がいません。それと共に、自らのノウハウを話します。信じる人々さえも、積極的な考え方を持つために最善を尽くします。現場に福音で成功したモデルがいません。福音で成功するように願います。祝福されたモデルになるように願います。
(2)未信者-未信者は、どんな姿なのでしょうか。未信者は力があふれています。熱心です。未信者の中で、成功した人々も多いのです。昔、柳牧師が海洋大学キリスト教学生会に招かれて礼拝の導きをしに行きました。サッカーをしている学生たちがいるのに、どんなに力があるように見えるのか、ところでキリスト教学生会に入ってみたら、学生たちに力がなかったのです。これが現場の姿です。
▲ところで未信者は霊的な問題が深刻なのです。
(3)事件-今現在、起きる事件を見てください。成功した芸能人が深刻なうつ病で自殺をして、成功した釜山市長も、大宇建設のナム社長も自殺をしました。一つがなくて、そうなるのです。今、ニュースに引続き出てくるアニャンの子ども失踪事件を知っているでしょう。犯人がその町の人でした。表から見るには正常な人だったのです。どのように、あの人がそんなことができるのかと話すのですが、その人は深刻な霊的問題がある人です。子どもを強姦して、のこぎりで殺して、考えるだけでもぞっとします。私も娘がいるので、他人事のようではありません。教会が何をしているのでしょうか。今、世の中の人々が教会をどう思っているのでしょうか。教会が入れば騒々しいから、地価が下がると思っています。そして、教会が入ってくるのを防ぐのです。本当に霊的問題を生かせるのは教会しかありません。アニャンの子ども事件の被疑者チョン氏は、事実は青少年の時から問題が来たのです。酒を飲んでボンド吸入して幻覚状態でそうなったのです。青少年の時からしたことを直せなかったのです。この問題をどのようにするのでしょうか。その人を本当に生かせるところは福音しかないのに、教会だけがその人を生かせるのに、とても残念なことです。大邱地下鉄放火犯もそうです。教会だけがその人を生かせるのに。ところで、世の中の人々は教会が必要ないと思っています。それと共に対策宗教について話しをしています。
▲私が、イ・テウン執事の要請で釜山大学病院に行っていました。蔚山(ウルサン)市交響楽団の団員の中1人が幼い時からブタンガスを吸入した人であったのですが、ガスを吸入する時にタバコを吸って3度、やけどになっていました。蔚山(ウルサン)市交響楽団の団員ならば、立派な人ではないでしょうか。ところで、霊的な問題が深刻なのです。私が行ってみたら、歯だけ残っていて全体に火傷をしていました。そこで、福音を伝えたのです。イエスを受け入れました。どれくらい本当に残念なのでしょうか。
▲起きる事件を見れば、教会が何をしなければならないのか知ることができます。

2.神様の心
(1)この現場を見る神様の心と願いがどうでしょうか。本当に福音を伝えるべきなのに、福音を伝える人がいません。
(2)神様がなげかれます。教会が福音を伝えないで、信徒の数のために戦って、重職者どうし戦って、信徒間の葛藤と問題の中でさ迷っているのです。神様が涙を流されています。神様は現場で福音を伝える人がいることを希望されるのです。
(3)神様が審判されると言われました。エゼキエル3:20節に福音を伝えなければ、その血の値をあなたがたに尋ねると言われました。現場を生かせる道は、信徒が救いの確信と感激を持って福音を伝えるべきなのに、光を照らして未信者を生かすべきなのに、事件が起きないように予防するべきなのに、全くできずにいるのです。

3.私たちの使命
▲私たちの使命は何でしょうか。
(1)神様と通じる人になるように願います。神様と通じる人は、神様の心を知っている人です。今、神様の願いと嘆きが何か、神様がなぜ審判されるのか理由を知っている人です。レムナント7人がそうでした。特にダビデが神様に用いられた理由が何か分かるのでしょうか。使徒13:22節を見れば、私の心に合う者と出ています。なぜダビデが神様の心にかなったのでしょうか。人生自体が神様の願いとみこころと計画を成就するために生きた人です。神様が用いられるしかはないのです。神様の願いを必ず成し遂げる教会になるように願います。神様の涙、神様の嘆きを終わらせてあげる皆さんになるように願います。
(2)そして復活のメッセージを持っている人になるように願います。復活のメッセージをつかまなければなりません。1部礼拝の時も同じみことばが出てきました。行って弟子としなさい(マタイ28枚)、行って福音で人々を生かしなさい(マルコ16章)、弟子、レムナントを立て直しなさい(ヨハネ21章)、さまよっている聖徒たちを生かしなさい(ルカ24章)、地の果てまで証人になります(使徒1章)
(3)そして、現場で祝福のモデルになるように願います。これが皆さんの使命です。ローマ16章の人物がそうでした。伝道者を保護した保護者、伝道者と人生を共に同労した同労者、教会と伝道者の全てのものを責任を負う家主、労苦する者、愛される者、認められる者。現場で福音で成功するモデルになるように願います。
▲柳牧師がこういう話をされました。成熟したキリストの弟子、成熟した真の伝道者です。聖書的に成熟した伝道弟子です。現場を生かさなければならない祝福のモデルが私と皆さんです。

4.結論
▲結論的に、私と皆さんの中心が復活の主のために、人生が現場に神様の国を拡張するために、人生の目的が最高の神様に栄光を帰すために。これが神様が私たちに恵みをくださる理由の中の理由です。神様が皆さんが祝福されるしかありません。最高の祝福を受けたキリストの弟子になるように主の御名で祈ります。

(祈り)
生きておられる神様にありがとうございます。神様の恵みによって救われたキリストの弟子になるようにされたことをありがとうございます。現場の姿を見ながら、神様の心を持った伝道弟子がなりますように。神様と通じる人にならせてくださって、復活のメッセージが復活の証人として用いられるようにさせてください。現場でキリストの福音を宣べ伝えるしかない最高の祝福のモデルとしてください。復活された主のために、すべての現場を神様の国で拡張するために、最高の栄光を帰すために、私たちに恵みをくださった神様に感謝申し上げます。福音のために、福音によって成功する伝道弟子がならせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)