2008年4月13日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部:渇いている者はわたしのもとに来なさい
(ヨハネ7:37-52)

☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲人は霊的な飢え渇きが満たされなければ、大変なことが起きるようになる(一家族を殺した野球選手イ・ホソン選手の例)
(1)本文背景
▲祭り(仮庵の祭り)を守るから、聖書をたくさん知っているから、なることではない。だから、つまらない言葉、行動に陥るようになる。
1)仮庵の祭り-祭りをいくら守っても渇く。
(2)渇いた者の姿
▲霊的に葛藤が起きて、おかしな団体に陥って、信徒は律法主義と人間主義、神秘主義に陥るようになる。
(4)そのまま置いておけばどうなるのか?
▲精神的に、肉体的に問題がきて、教会に通いながら試みにあって、教役者の子どもの中にも崩れた人々が多い。
▲この時、イエス様が私たちの弱さをご存知で、わたしのもとに来なさい、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。
▲どのようにすれば良いのだろうか?
1.考えから変えなさい。
(1)ユダヤ人の考えでは、ものすごい祝福をみなのがすようになる(アブラハム、モーセ、エリヤ、ニコデモ)
(2)韓国教会50%以上が、牧師が財政を持っている。
(3)重職者50%が、教会で毎日、ポジション争いをして、時間をみな送る(レムナント7人の周辺の人々が考えが変わらないのだ)
2.信仰を持たなければならない。
(1)イエス様が来られた理由を信じなければならない。
(2)38節に聖書に言っているとおりに、みことばを信じなければならない。
(3)聖霊充満、新しい力、霊的な力を与えられると約束された(ゼカリヤ4:6、使徒1:8、イザヤ40:27-31、ハガイ2:4-10、ヨハネ14:1-27)
▲それで、私たちは信仰だけ持てば良い。他のことを考えずに、主を見上げれば、力が与えられると言われた。
3.礼拝だけ正しくささげてもかまわない。
(1)準備-詩100:4感謝しつつ大庭に入れ...今日、神様が私に最も良い祝福をくださるだろう。
(2)カナンの女、バルテマイの信仰のように...
(3)聖日みことば一つだけ正しく握っても、働きが起きる。
(4)小さな実践一つだけ手につかんでも働きが起きる。
(5)それで、私たちはいつも信仰生活する時、だまされてはならない。
▲問題も、人も、経済も、神様のみこころならば良い。だまされてはならない。
4.結論
(1)聖霊充満を受ければどうなるのか?(使徒の働き)
▲恐れることがなくなり(使徒1章)、力(使徒2章)と確信(使徒3-4章)が生まれ
1)伝道の門(使徒9章)、宣教の門(使徒11章)、天の軍隊(使徒12章)、暗やみの勢力が縛られる(使徒13,16,19章)ようになる。
(2)聖霊充満を知らなければどうなるのか?
▲未信者に勝つことができず、限界がきて、不信仰にずっと結局、失敗
(3)聖霊充満の奥義を持った者
▲世の中に出て行ったら、霊的な目を開いて見よう。考えの中に信仰だけ持っていてもかまわない(ピリピ4:7)、定刻の祈りができるならば、確かに変わるようになる(ヨセフと兄、ダビデとサウル、サムエルとエリの差)
▲毎聖日礼拝に勝利するように願う。そして、聖霊充満を求めて祈るように願う。聖霊充満が与えられれば変わってしまう。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」この力が皆さんの家系に、皆さん個人に永遠なことをお祈りします。
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲イエス様が「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」とおっしゃいました。昔に見たのです。私の家のあの向い側で、一日中棒を振り回していました。少し休んで、またして、またして、何をするのかと思って見たら、自動車のタイヤを上に縛っておいて、ずっと殴るのでした。見たら、何百回も殴るようでした。少し見ていたら、殴らなくなって、また殴り始めました。三日間、そのよういしていたのでした。私はなぜあのようにするのだろうという考えをしていました。後ほど分かりました。野球選手が休暇で帰ってきていたのでした。休暇で帰ってきたのですが、休まないでずっと殴るのでした。私は見ながら、本当にすごいという考えと共に哀れだという気がしました。有名な選手になれば、サインと写真も撮ったりしますが、その人は血を流すような苦労と努力をしなければならなかったのです。それで、成功する有名な選手になろうとするなら、死ぬほど努力をしなければならなかったのです。それで、成功すれば人気もすごくて、お金もたくさん儲けられます。それなら、その個人はどうでしょうか。ボールを打って、一年に何十億円もらうその個人の心情は、どのようでしょうか。ところで、それがまた数年だけです。いくら上手にしても数年です。それで事業を始めたのです。事業がうまくできません。難しいのです。そして、運動して事業して、間違って、多くの借金をして、その選手がお金いくらのために人を何人も殺して、韓国の野球ファンがみな衝撃を受けました。その選手がどうして人を殺すのか。さらに驚くべき事実は、その人はクリスチャンだったし、一時、証しもしていました。放送に出てきて、教会でも証しをして、本当によく信じる模範選手だと思っていたのですが、個人はそうではなかったのです。あまりにも霊的に渇いていて、渇いてものすごいことが自分の背後には起きていたのでした。自殺したイ・ヨンジュという俳優もクリスチャンです。
(1)本文の背景
▲今日の本文を見れば、仮庵の祭りという祭りを守るのに、祭りをどんなに守っても喉が渇きます。これを解決しなければなりません。聖書をたくさん知っていても、解決できません。イエス様を見て、この人はキリストのようだと、41節には預言者のようだ、42節にガリラヤの人がどのようにキリストになるかと言いました。ガリラヤの人がキリストになっても良いのかという言葉は、聖書をよく知っていることになります。最も祝福されなければならないイスラエルの民が最もさ迷っているのです。皆さんこのようになったらどうなるのでしょうか。これは、私と皆さんがこの部分を点検しなければなりません。渇いて、何かだめです。それで良いのでしょうか。
▲それで、つまらない言葉と行動をするようになります。それで言葉も正しいことでもないのに、続けてするようになります。飢え渇いて、渇いて苦しいから、そのような話をするしかありません。キリストが来られたのに、来たのか、来ていないのか分かりません。その程度ではなくて、キリストをつかまえろと上から命令もしました。その時、イエス様がおっしゃった時、つかまえに来て帰って逮捕ができなくて、そのまま帰って行きました。帰ったら、上から尋ねました。なぜつかまえずに帰ってきたのか。私たちがその人の話を聞いてみたら、普通の人ではない。私たちがこういう話を初めて聞いた。だから、異端が言う言葉にお前は惑わされたんだなあ。その異端に惑わされたと話したのです。それで、たくさん学んだ人が一言、言いました。その人は、かなり以前にイエス様を訪ねたニコデモです。ニコデモがこのように話しました。私たちが、よくわからなくて、むやみに判断しても良いだろうかと言いました。少しイエス様側に助けを与える言葉を言ったのです。ニコデモはとても力ある人です。ところで、そばにいた人が、ニコデモを見て、あなたもガリラヤの人かと話しました。だからニコデモもそれほど話す言葉がなくて、そのまま何も言いませんでした。
(2)もしかしたら、今も昔も同じです。信仰生活をそのようにする可能性が大きいのです。何かを知らずに、この話もあの話もして、人生を失敗させるのです。それで、何か満たされない渇いた者は、仕方なくなったのです。
▲それで、ある立派な人は、言葉で間に合わせて。レベルが高い人は自らの言葉で、レベルが低い人は、他人の話を持って何かといって、そうしながら、時間を費やしてさまようようになったのです。変なところに行って、おかしな団体に行くしかありません。それは、今、何か満たせないのです。それでは、普通の問題がくるのではありません。もし皆さんの子どもが何か満たされなければ、確かに話せません。レムナントが外で何か満たすことができなくてさまよえば、崩れる日がきます。それで、信徒はどうなるのでしょうか。崩れないで持ちこたえたのが律法主義です。その上に、ご飯でも食べて生きなければならないからしたのが人間主義で、知らないとすることが不健全神秘主義です。だから話にならないことをするようになるのです。
▲答が出てこなくて、財産をみな取っていって、永生教がそうでした。永生教の教祖が死にました。一度、フィルムを見たら、理解ができないほど、ものすごく集まってひざまずいて賛美もみなさんと違うように歌っていました。その瞬間だけ見れば、皆さんより良かったのです。時々、賛美を歌っているときに、カメラを回せば避けて、ある人は静かに座っていたりもします。それが、全世界に出ているということも知らずに座っているのですが、ひざまずいて、手もたたいて拍手するのに、私は驚きました。どのように、あのようにしているのでしょうか。JMSのチョン・ミョンソク、こういう人に付いて回る人は理解できません。何かむなしくて、満たせないで、そのようにするのです。ソウル大、高麗大、そのように勉強できる人が集まって、有名な声楽家、聖歌隊がみな声楽家なのに、さらに笑わせることは指揮がチョン・ミョンソクでした。みことば伝える人は、みことばでも伝えるのですが、聖歌隊の指揮をして上がってして。さらに笑わせたのは、拍子と全く関係なくてするのにも、声楽家が圧倒されているのです。真に理解できないのですが、私は分かります。だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
(3)そのまま置いておけばどうなるのでしょうか。
▲精神が変になります。それで、この祝福を知らなければ、最も深刻な病気は精神と肉体の病です。思い切り教会に通って、毎日、試みにあうようになります。それで、この祝福を受けられなくて、教役者の子どもの中で崩れた人が多いのです。
▲イエス様が足りないことをご存知でわたしのもとに来なさい。聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。普通の話になりません。水道水を考えると理解ができないでしょうが、生ける水の川ならばものすごいのです。水道の蛇口をひねれば水が出てくるのですが、それが何が重要なのでしょうか。水がなければ、飲料水を買って飲め良いでしょう。それは、その時と違います。暑い中東地域で最高に重要なのが水でした。来たら、水を与えるのではなく、生ける水の川が流れるようにすると言われました。解釈は39節に生ける水とは聖霊のことだと言われています。
▲皆さんがどれくらい難しいのでしょうか。聖霊の力を受けましょう。救われた者に神様が与えられた最高の祝福は、聖霊の霊的な力を受けることです。どれくらい世の中が難しいのでしょうか。騒々しい総選挙が終わったのですが、とても大変なようです。私が見るのに、本当に哀れです。どれくらい緊急なのか、先週に蔚山(ウルサン)に行くのに、とても緊急に夜明けにキム・ヨンオ議員から電話がきました。私と通話できなくて、秘書に夜明けに電話がきました。夜明けにキム・ヨンオ議員が訪ねてきて、どのようにしなければならないのかと尋ねたのです。それで分かって、私が電話をしました。牧師先生、蔚山(ウルサン)も良いけれど、釜山が死んでいくのに、そこで何をしているのですか。それで祈ってくださいと...分かったと言いました。それで、とても苦労されたようです。どれくらいみな大変でしょうか。それでも、お金を多くかかるサムソンのイ・ゴンヒ会長もいろいろなことがあったようです。悪く話せば、お金を持って困惑させたのが大きい罪です。良く言えば人材を探して、食事もおごってあげたということです。何を話すかというと、私のお金で私が使うのに、なぜそのように言うのかということなのですが、このように重要な人々なのに、みなが見ているので、いろいろ大変だと思います。
▲私は皆さんを見れば、生きるのが、どれくらい難しいかと思います。あのように競争の中で長老がどれくらい大変でしょうか。そうするうちに教会にきて気楽ではなく、RUTCとかOMCとかお話が多いのです。
▲それで、イエス様がご存知で来られたのです。わたしがあなたの心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようにさせます。どんな困難があっても来なさい、わたしが生ける水の流れるようにする。これを本当に契約として握らなければなりません。
▲どのようにすれば良いのでしょうか。今日のユダヤ人を見てください。

1.考えから変えなさい。
▲この祝福を味わおうとするなら、最初に考えから変えなければなりません。
(1)ユダヤ人が持っている考えでは、このものすごい祝福をみなのがします。考えが変えないかぎり、何もだめです。神様は祝福を与えようとされるのに、私たちが考えを変えなければならないのです。
▲アブラハムを見てください。カルデヤを離れなさい、そして、わたしがあなたに指示する地に行きなさい。重要なのは、アブラハムの考えです。飢え死にしたら、どうするか。故郷、父の家をおいて行けば、どのようにするのか。カナンの地なのに、私がそこでどのように生きるのか。それでアブラハムが命令を受けても、離れなかったのです。偶然なのか、必然なのか、父と兄が死にました。ロトの父が亡くなったのです。その次に、顔色を見て、自分の順序のように思いました。それで出てきたのですが、どのようにすべきか分からないと思ったのです。わたしがあなたを大きい者にすると言われてもだめでした。アブラハムの考えが変わらないで、死ぬほど苦労してから悟りました。最初から変えたら良かったのです。神様は祝福しようと言われたのです。
▲モーセを見てください。考えを正しくしなければなりません。今、イスラエル民族を連れて出なさい。それでは、このように話さなければなりません。神様、まさに今なのですね。それで私をエジプトで勉強させて、パロ王を分かるようにされたのですね。私は死んでもイスラエルを連れて出て行きますと、話さなければならなかったのですが、モーセの考えが違いました。私が誰なのにパロ王の前に行くのですか。パロ王が今、私をつかまえて殺そうとするのに、私が誰なのでパロ王の前に行くのですか。それを簡単に解けば、私が誰ですか。私がどのようにパロ王の前に行くのですか。その話なのに、私が誰ですかとすれば、モーセではないか、このようでなければならないのに、神様の返事はわたしは主である。主が送ったと、主がイスラエルを連れて出てきなさい言われたと言いなさい。わたしが力ある手であなたとともにいる。それでも、私は話にもできず、口も重くて行けないですと言いました。あなたの兄であるアロンは話し上手だから一緒に行きなさい。行って何と言いますか。神様がおっしゃるので、あなたの口はだれが作ったのか。行きなさいと言われたのに、行かないと言いました。みな準備したのですが、行かなかったのです。それで、出エジプト記4章に、その日の夜に神様がおかしなことをされました。今夜にモーセ、あなたを呼んで行かなければならない。言い訳と割礼を話しながら、あなたを呼んで行かなければならないと言われました。モーセがその日の夜にしっかりしたのです。ここにいる人に一ケ月に1人以上伝道しなければ死ぬといったら伝道するでしょう。聖歌隊から抜けたり、遅刻すれば、ガンになると言えば、誰も抜けないで遅刻もしないでしょう。このモーセがそのように決断を下して、杖一つ持って行ったのですが、みわざが起きました。
▲あの有名なエリヤ預言者。神様、私はこれ以上することができません。神様は開始もされなかったのですが、私はできません。
▲ユダヤ人の考えは、死んでも変わりません。律法がすべてです。ニコデモが話しても聞かないで、律法は人をむやみに判断しないでと言われるのに、なぜそうですかと言います。
(2)福音と全く関係がありません。ある人がおもしろい統計を出しました。自立できない韓国教会の大部分の教会が、すべての予算を牧師がすべて持っているということです。そのようなバカな人がどこにあるのでしょうか。牧会を知らないのです。
(3)重職者50%が、みなポジション争いをして時間に合わせて行きます。
▲レムナント7人の周辺の人々は、何の理由なく考えが変わらなかったのです。サウル王が考えを変えないでほろびて、ダビデは考えが違いました。サムエルが王になるといっても出て行きました。兄が、あなたはどうして高慢に考えてゴリヤテと戦おうとするのか。だからダビデが、私がどうして理由がないでしょうかと言いました。考えが違ったのです。シムイがダビデを呪った時、あれは神様がさせておられると話しました。
▲私たちは考えだけ変えても、ものすごい働きが起きます。

2.信仰を持たなければなりません。
▲二番目に信仰を持たなければなりません。
(1)イエス様が来られた理由を信じなければなりません。それも聖霊でともに...
▲これをユダヤ人は知らずにいるので、分からなければなりません。
(2)38節に聖書が言っているとおりに、みことばを信じなければなりません。
(3)私と皆さんが力がないと知って聖霊充満を受ければ良いと言われたのです。新しい霊的な力を受けるようになります。事実、この力がなければだめです。どのように釜山で世界福音化をするのでしょうか。霊的な力が必要です。未信者と競争をして、どのように勝つのでしょうか。未信者が知らない力がなければならず、それでこそ、福音を伝えることができるのです。
▲皆さんが知っているように、チャック・スミス、オーラル牧師のような人は、信仰をのがしたのですが、つかんだら、今のように大きい教会になっています。
▲イザヤ40章27節で、ヤコブ、イスラエルと言われます。同じ人に二つの名前で呼びました。過去の名前と新しい名前です。意味があります。あなたは、どうしてそのように話すのか。神様は私の祈りに答えないと話すのです。あなたは、知らないのか、聞いていないのか、今までの答えを知らないのか、無限な神様の力を聞くことができなかったのか、若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる...鷲を見たことはないのですが、鷲は子を産めば、餌を与えるより先に絶壁に投げるということです。それでは落ちて死にます。わざと高いところに行って死ぬので、死なないように翼をからなければ死にます。これを知って子どもが地に落ちる前に、はやく降りてきて親がつかんでのぼり、さらに高く上がって、また翼をかるようになるまで落とすのです。これが子を育てる方法だということです。それで、鷲が鳥の中で王です。今日の聖書で、鷲が翼をかってのぼるようにと言われています。
▲ハガイ2章には、天と地と海を神様が揺れ動かす。主であるわたしの言葉だ。信じなければなりません。だめな理由がありません...
▲ゼカリヤ4章6節に、権力でもだめで、能力でもだめだが、主の霊によってできる。そのとおりです。私はできることがあっても、限界があります。できることはあって、力も強くできますが、それにも限界があります。
▲後ほどイエス様が、一番最後に言われたみことばが、あなたがたは心を騒がせてはなりません。神様を信じ、またわたしを信じなさい。そして、天国が備えられているので、心配しないように。また、なさったみことばは、あなたがたが行けば、助け主聖霊が働かれるだろう。目には見えません。何も心配しないように。信仰というのがどれくらい重要かわかりません。神様が与えてくださいます。他のことを考えずに。力は神様がくださいます。

3.礼拝だけ正しくささげてもかまわないのです
▲それで、今日の本文から出る答えが、礼拝だけよくささげれば、聖霊充満を受けることができます。
(1)準備-今日と残り時間と聖日に教会にくる時ごとに、詩篇100篇4節に、感謝しつつ主の宮に入り、その言葉は何の話なのでしょうか。感謝しつつ主の宮に入り、王が臣下を呼んで大きい位を与えるから来なさいと告げる時、どのようにするのでしょうか。時間もないのに、こう言いながら行くのでしょうか。まず宮殿に向かって、3回お辞儀をした後に出発します。その心はどうなのでしょうか。もし大統領がカン・チルセ長老を掌管して、釜山で最も信仰が良いな...と言えば、その気持ちが面倒だと考えるでしょうか。町内の人にみな連絡して、自慢して格好つけて行くでしょう。そのような気持ちで礼拝をささげに来ましょう。今日、神様が最も良い祝福をくださるでしょう。
(2)あのカナンの女性が、息子を助けてくださいと言う時、異邦の女性がここになぜ来るのか。子どもに与えるパンを犬に与えても良いのか。それでは、試みにあうべきなのに、言うことが、犬も主人の皿から落ちるパンくずを食べないでしょうか。私がこれほどの信仰を見たことがない、あなたの信仰のとおりなるように!こういう気持ちで来なければなりません。説教する人と、礼拝をささげる人が、そういう気持ちで来なければならないのです。
(3)そうすれば、みことばを正しく捕まえられます。そうすれば、聖霊充満を受けます。
▲バルテマイのように、ダビデの子イエスよ。私をあわれんでください。他の多くの時間は必要なくて、聖日に礼拝ささげる時だけでも恵みを受ければ良いのです。
(3)そして、礼拝中に一つの契約だけ、そして、実践一つだけ捕まえれば良いのです。
▲私はいつも貧しかったのです。ある日、考えました。私は貧しくなければならないか。教役者は貧しくなければならないか。宣教献金もできなく良いのだろうか。教役者だから、貧しい必要はない。教役者も献身すべきで、献金することはしなければならない。それで、私がとても難しい副教役者の時期に宣教献金の内容を計画して祈ったのです。本当に不思議に思えることが起きました。その時から今まで、私と関係するところすべて経済祝福を受けたのです。今、大韓民国で宣教費をみな勝ち取るのに、勝ち取らない所がタラッパンです。
▲だから、今、ここに共に礼拝をささげているのです。ある執事が説教を聞きながら、牧師先生がいつも伝道を話すのに、私はどのようにしなければならないか思ったのですが、それが聖霊充満です。それで親戚に電話したところ、まさに働きが起きました。それが聖霊充満です。みことばの中で少しだけ捕まえても、みわざが起きます。私が知っている若い裁判官は、テープを持って行って、みわざが起きたのでした。
(5)それで、私たちはいつも信仰生活する時、だまされてはなりません。周囲で問題が起きる時、だまされてはならないのです。それで、わたしの霊によってできると言われたのです。私たちは人々を見れば試みにあうことがとても多いのです。
▲それで、ただ聖霊があなたがたの上に臨めば、聖霊充満を受けると言われたのです。その中でも、私たちが経済に抑えられるのです。私はそのように考えません。神様の計画ならばできて、神様のみこころでなければだめです。それで私たちの教会が世界福音化をしなければならないのですが、神様のみこころならばできるのです。それで私は、教会堂よりRUTCを先に始めたのです。RUTC参加した教会は、神様が祝福されるでしょう。それで、礼拝に成功するだけでもなると、信じれば良いのです。
▲日本に行ったら、宣教師がりんご二つを割っていました。日本語でりんご一つにはありがとうございますと書いて、他の一つには悪口を書いていました。それで、私は封筒に入れて持ってきたのですが、何の話もできないりんごもそうです。皆さんが、すでに不信仰になれば血が変わってしまいます。ソ・ギボン長老に尋ねてみてください。血が変わってしまいます。それでは、聖霊充満を受けるなら、それでは霊的にものすごくなります。イエス様が弱さをご存知で、無力なことをご存知で、わたしに来なさい。単なることではなく、約束のとおり生ける水の川が流れるようにする。それが成就したのです。

4.結論
▲結論を結びます。
(1)聖霊充満を受ければどうなるのでしょうか。
▲いらない恐れがなくなります。マルコのタラッパンに集まったのを見てください。聖霊充満を受ければ、力が生まれます。使徒の働き2章です。聖霊充満を受ければ確信ができます。金銀は私にはないが、私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエス名で歩きなさい。世界中で救われるべき名は、どのような名も与えられていません。聖霊充満を受ければ伝道の門が開きます。重職者をたくさん立てる理由は、全地域にあかりを照らそうということです。聖霊充満を受ければ使徒の働き11章の宣教の門も開かれます。危機がきても大丈夫です。使徒の働き12章に、天の扉が開いて、神様が未信者は知らない天の軍隊を派遣されました。使徒の働き13章12節-19節を見れば、世の中の人々が受けている霊的問題が崩れました。
(2)必ず記憶しましょう。聖霊充満を知らなければ、未信者と競争して勝てません。そして、限界がくるようになります。そして、不信仰にずっとなって、失敗をするようになります。
▲それではどうなるのでしょうか。いやエジプトで暮らしていたら良かったのに、なぜこのようになるようにさせたのか。このようになります。私たちが前に紅海がふさがったのですが、どうするのでしょうか。前に紅海があって、後にはエジプトの軍人がいて、それはちょっと理解できます。しかし12人の偵察は分かりません。みな準備したのですが、10人がだめだと言いました。聖霊充満を受ければ目が変わります。しかし、ヨシュアとカレブ2人は正確に見ました。すでに町の中の指導者はみな逃げて、軍人は力が抜けている。正しく見たのです。遠くからの知らせを聞いてみな逃げたのでした。彼らは私たちのえじきです。
(3)聖霊充満の奥義を持った者
▲今日、皆さんにさらに重要なのは、礼拝が終わって月曜日からの社会生活です。社会生活を霊的な目を開いて見れば、全部、困難の中にいます。それで、聖霊充満の力を神様が与えてくださると言われました。それで、あなたたちの心と思いを守られます。このようになったら良いのです。定刻祈りを始めたとします。そうすれば、みなさんがするより、さらにはやくきます。まったくしないのに、すれば神様が驚いて与えてくださるのです。事実、祈らずに信じるだけでも働きが起きるのですが、少しだけすればみわざが起きます。ヨセフはどこが違ったのでしょうか。まさにここが違ったのです。神様を体験したのです。説明ができません。それで、後ほどポティファルが言うのに、神様があなたとともにおられるんだな、パロ王が、主の霊にこのように感動した者を私が初めて見た。80才になって答えがなかったのですが、80才になって答えを得たモーセが、ものすごい体験をしたのです。
▲エリとサムエルの差は何でしょうか。サムエルが神様がともにおられることを体験したのです。ダビデとサウルの差もこれです。力の体験です。それでパウロは、神様がともにおられることを体験して、大きな知恵を得て、ローマまで征服しました。毎聖日、皆さんは礼拝に成功することを望みます。そして、聖霊充満を求めて少しだけ祈っても答えを受けられます。くれば変わるのです。こうしよう、ああしようではなく、くれば変わります。お金がないのに、あるようになれば変わります。答えを受けられないでいたのに、くれば変わります。
▲皆さん新しい力を得ることを望みます。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」それも重要な話が、聖書が言っているとおりに。聖書に約束して、当然、与えることにされました。受けられなければ愚かです。それで、この力が皆さんの家系にあることを、イエス様の御名で祈ります。
(祈り)
神様、貴重な神様の民が全国、世界で神様のみことばを聞いています。特に重職者に、そして、レムナントを育てる人々に、特別な力を与えてください。すべての信じる者に与えられる聖霊のみわざが起きるようにしてください。今週、大胆な答えの週になることを信じます。また、産業宣教に答えを与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)




2部:出会いの祝福-チームの働き
(使徒2:9-13)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲出会いの祝福を今から味わわなければならない。いったい献身礼拝をなぜささげるのか?初代教会は、信徒が何をしたのか?
(1)一地域- 700地教会+700長老で+現場の日
▲皆さんが一地域を正しく置いて正しく知って祈りなさい。一週間に一度、金曜日の夜に重職者中心に集まりましょう。これが初代教会で、それを分かるのが献身礼拝だ。
(2)一つの国-少なくとも、長老くらいになれば、一つの国に対しては大使以上に精通していなければならない。聖書にイエス様がすべての国の人々、万民、地の果てまで....そのようにおっしゃられた。
(3)経済- RUTC、世界宣教、神殿建築、十分の一献金
▲皆さんの事業、学業、技術が、どの程度、答えを受ければ良いのか?RUTC+世界宣教+神殿建築+十分の一献金(教会)
▲みなさんに出会ったとすれば3つのことを見せるべきだ。神様が生きておられて答えられるんだな、神様のみことばは本当に生きているんだな、私も伝道しなければならない!この三つの気がしてこそ、その人が弟子だ。
▲皆さんはもういくつかの出会いがなければならない。
1.みことばの中で福音に会わなければならない。
(1)使徒1:12-14,マルコのタラッパンに集った人々(五旬節の答え)
(2)使徒2:9-11,15ケ国の門が開いた。
(3)使徒8:4-8、サマリヤの門が開いた。
(4)使徒8:26-40、エチオピアの宦官とピリポの出会い(聖霊の働き)
(5)使徒11:25-26、こういう祝福がずっと起きる。
2.福音にあって現場に会わなければならない。
(1)使徒2:41、3千人弟子が起きた。これを味わえば終わる。
(2)使徒9:1-43、重職者がぱっと植えられた。重職者が植えられたところごとに働きが起きた。
▲牧師が使徒2:41節を味わえば、どこへ行こうがいらっしゃいませ! この味を知らなければ、どこへ行こうがはやく出て行ってください!
(3)使徒13:1-13、易、シャーマニズムの現場使徒14:20-22ルステラでテモテに会って、使徒16:15マケドニヤでルデヤに、使徒17:6テサロニケでヤソンに、使徒18:3-4コリントでプリスカ夫婦に、使徒19:8-10エペソでとても重要な弟子に会った。
3.現場の中で祈りの出会いが始まらなければならない。
(1)聖霊の働き
1)私の中に先に(Iコリント3:16)
2)私の周囲に臨むようになる(ヨハネ14:61-17)
3)私が行ってもいないのに働きが起きる(使徒1:8)
(2)天使を派遣される。さらに重要なのは行く前に...
▲聖書の証拠-出エジプト14:19、詩103:20-22、ダニエル3:8-24、ダニエル6:22、I列王19:1-7、U列王19:35、U列王6:15、使徒12:1-25、使徒27:24、黙示1:1-3
(3)暗やみの勢力が崩れるのを見るようになること(マタイ12:1-25、使徒19:8-20)
4.結論-必ず会わなければならない人
(1)使徒2:1-13、神様を正しく体験した人々
(2)使徒2:42、信仰生活を正しくする人々
(3)使徒13:1、5人1組のチーム
(4)ピリピ3:1-20、コロサイ2:2-3、とても成功していながら謙虚な福音の人。世の中でとても成功したが、そんなことをちりあくた程度に感じられる人、パウロのような人物
(5)ローマ16:1-27、福音でワンネス(oneness)を成し遂げる人
▲皆さん1人がどれくらい重要なのか分からなければならない。皆さんは光だと聖書はおっしゃった。だから、皆さんが光だけ放てば、暗やみは逃げるようになっている。
▲今週に新しい恵み、新しい祝福が始まることをイエスの御名で祝福します。一般信徒世界宣教の門が開かれるようになることをお祈りします。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲今日、献身礼拝では出会いの祝福というみことばを見ます。この前、外国に行こうと飛行機に乗っていました。飛行機の中には、およそ300人程度が乗っていました。ところで、飛行機が飛ぶ時間になったのに、出発しないのです。なぜ出ないのだろうかと思って待っていました。少ししたら、放送で飛行機に乗るために切符も切って、荷物もみなのせておいて、人が来ていないということでした。時間になったのに、どこかに行ったのか、食事しに行ったのか、行ったのに来ないのです。10分程度さらに待った後にも現れませんでした。放送でまた言われました。お客さん中1人がまだこないために出発はしなければならないが、問題がある。その人が荷物を積んでおいた状態で、まだ飛行機に乗っていないということは、ひょっとして荷物の中に誤ったものが入っていることもある。ひょっとして爆発物であることもある。そうなので、荷物をみな持ち出さなければならない。その人の名前が書いている荷物を探さなければならないということでした。私たちが中で、どれくらい悪口を言ったでしょうか。だれなんだ、いったいどこへ行ったのかということです。まちがいなく男であるようで、顔もとてもぶさいくな男性を思いうかべました。このようにして、みな持ち出す時になっても、その人は現れませんでした。私が尋ねました。荷物をみな持ち出したのに、その人が来たら、どのようにするのかと言ったら、それでは、その人に荷物を持って行くようにしなければならないと言うのです。少ししたら、放送されました。もう荷物をみな持ち出して、みな完了したので、出発すると放送されました。このようにして、総1時間かかったのです。300人が乗ったので、総300時間を奪い取ったわけです。目的地まで行くのに時間差もそれだけあることで、待つ人々も1時間をさらに待たなければならないのです。おかしな人一人が600時間を奪ったわけです。
▲信仰生活をそのようにしてはいけません。大部分の人々がいるのに、時間をよく合わせられないで、神様の導きを受けず、答えを受けられないのです。この献身礼拝で、この祝福を今から味わわなければなりません。飛行機に1人がよく乗らなかったから、600時間が飛んで行くように、私たちが祈りの課題を正しく捕まえられなければ、そのようになります。
▲いったい献身礼拝は、なぜささげるのでしょうか。正確な課題を握らなければなりません。初代教会は、信徒が何をしたのでしょうか。
(1)一地域-皆さんが一地域を正しく置いて祈らなければなりません。伝道を勝手に、いいかげんにする人が多いのですが、そのようにしてはいけません。一地域を正しく知っていなければならないのです。それで、釜山にだけしても、インマヌエルでは700地教会をしようとしています。それで、これから長老を700長老を立てようとしています。これをするために、皆さんが、さっき堂会でも話をしたのですが、金曜日の夜は重職者を中心に現場の日にしなければなりません。金曜日には全地域で重職者中心に集まりましょう。一度してみてください。どんな答えが来るのか。何もしなくてもかまわないから、そのまま集まってみてください。みわざが起きます。ある人が言いました。予備軍の訓練はなぜ受けるかということです。行って出席だけ呼んで来て行くのに、それをなぜするかということです。それは知らないことです。もし一度も集まらないでいた状態で戦争が起きたら、普通の問題が生じるのではありません。もし事故がおきたり、天変地異が起きれば、その時になって予備軍を集めようとすれば、一度もしていなかったのに、集まるでしょうか。皆さんが重職者を中心に信徒が集まって、祈りを始めたら、これが初代教会の姿です。それを分かるのが献身礼拝です。
(2)一つの国-二番目、皆さんは必ず一つの国を正しく知っていなければなりません。あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさいと言われました。少なくとも、一般信徒と重職者は、一地域を生かすのはもちろん、一つの国を分からなければなりません。十何年間、パク・ウォンギュ長老がカレンにずっと行ったのですが、今回、賞を受けるようになりました。後ほど見せるはずですが、各国大統領級の人が与える賞です。一つの国を正しくしてもみわざが起きます。これが献身礼拝です。皆さんが一つの国を正しく知って宣教するのと、知らずにすることは天と地の差です。
▲将来に、私はこういう考えもあります。大学生らが可能ならば、何ケ月かずつ宣教地を行ってくるのです。必要ならば、休学して、宣教地域に1年ほどいてくるのはどうでしょうか。到底出来なければ、休みの時でも回りながら宣教地域で過ごすのはどうでしょうか。これを全く知らずに、これからおとなになれば大変です。実際に、考えだけしているのですが、答えが何か知らないのです。だから、多くの重職者が、全く知らずにそのままいます。レムナントは義務的に3ケ月以上、あるいは1年ずつ宣教地にいるのはどうでしょうか。レムナントを宣教師に送るのも重要ですが、よく連結して、海外の重要な人の家庭に送って、何かを見るようにさせるのは、どうでしょうか。そのように考えました。ずっと考えるなら、答えがくることもあるでしょう。
▲明らかなのは、長老程度になれば、一つの国に対して大使以上に精通していなければなりません。聖書に、イエス様が確かにすべての国の人々、万民、地の果てまで...とおっしゃられました。初代教会は、多くの聖徒たちが一地域を生かしていました。
(3)経済-皆さんの事業、学業、技術が、どの程度、答えを受ければ良いのでしょうか。経済が良くなるほどにはならなければなりません。博士になっても、飢え死ねば話になりません。釜山市長になったのに、貧しくて、栄養失調で死んだら話にならないのです。皆さんと皆さんの子孫がRUTC、世界宣教、地域を生かすほどの神殿建築、子孫代々、十分の一献金で地域を生かせるほど、祝福されなければなりません。家系の常識にならなければなりません。皆さんの息子、娘、孫たちが、これから育って世界にRUTCを立てるほど、祝福されて、世界に宣教師を送るほど祝福されて、神殿を作るほど祝福されて、十分の一献金で教会が生き返るほどにならなければなりません。実際に皆さんが信じなければなりません。このようにしなければならないからです。何の国も知らずに、何の地域も知らずに、経済もだめならば、みなないのです。
▲それで、皆さんに会う人が、またこの祝福を見られるように。アキコに会えば3つのことが見えるべきです。神様が生きておられて答えられたんだなあ。神様のみことばは本当に生きているんだな。そして、私も伝道しなければならないな。この3つの気がしなければなりません。それでこそ、その人が弟子なのです。その人に会ったところ、していた祈りもしたくなくなり、聖書も読みたくなくなり、伝道が何か、映画でも見に行こうという気がしてはいけないのです。皆さんが他の人を見て、地域を生かす祝福にならなければなりません。
▲私は率直に、昔に信仰が生まれませんでした。自分の性格が、またそうです。自分の性格が他人の話をよく信じません。秘書もいつもその部分に用心深くなっています。話しても、私は、信じなくて、ひとまず私が確認をしなければならないためです。新聞社のチョ・ウンテク社長、秘書が集まって私に報告をするのに、私は信じないでみな確認をしてみます。それで、ある時はそれを知って、あらかじめこれを話してみても信じないだろうが...と言いながら話を出したりもします。何をいっても確認しなくては、絶対、そのまま、まるめられないのです。自分の性格がそういうことなのに、どうしようもないでしょう。こういう性格であるから、信仰も生まれませんでした。神様がいるのか、いないのかと思って信仰が生まれなかったのです。そうするのに、私は変にますます難しくなりました。私より劣っている人が、むしろ私よりましで、私はおかしくなったのです。私に神様を説明する人がいませんでした。これが通常の問題ではなかったのです。うちの母、父を見て、神様が生きておられるということを感じることができなかったのでした。後ほど分かりました。うちの母、父がとても苦労する姿を見たためでした。そして、私が幼い時、教会に行って長老や重要な方々を見ても、神様が生きておられることを感じられなかったのです。これがほろびる道でした。私が完全にほろびてしまったのです。こういうことではだめだと、証し集を買って読みました。証し集を読んでみると、信仰が生まれました。ところが、韓国の人が書いた証し集よりは、外国の人が書いた証し集を見るので、さらに信仰ができたのです。韓国の人が書いたことは、大げさにした話しが多かったのです。このようにしても、信仰ができました。一度、信仰ができれば、本当にずっと続きます。そうするうちに、ある教会に行ったのですが、そこでイ・ジング長老に会いまいた。この方は福音なく完全律法なのに、この方を見ながらも信仰ができたのです。この方が自分の証しをしました。自分は全羅道(チョルラド)で、全く勉強ができなかった。それで釜山にきて祈ったということです。私の弟は勉強をさせることができるようにしてくださいと。そして、自分は聖日を守れるように就職させてくださいと。どれだけこの人が答えを受けたかというと、大統領が認めて、新しい村研修院の教授に呼ばれたということです。そのような人に何度か会ったのに、信仰が生まれました。
▲この出会いがとても重要なのです。皆さんの働きの中でも、これよりさらに重要な働きはありません。皆さんが普通に人に会って話すのに、皆さんのたましいの信仰を落として殺す出会いもあって、たましいを生かす出会いもあります。いくら正しい言葉でも相手のたましいを殺す話があって、賢くない話でも相手のたましいを生かす話があります。私がこの祝福を受けられないでずっと崩れていたのです。
▲そうするうちに、私が伝道する人、何人かに会いました。残念なことに、この人たちは教会に所属している人ではありませんでした。執事一人に、伝道する生活を送る人に会いました。知ってみたら、ネビゲイトでした。ネビゲイトを見ながら私が感じたことは、そうだ!これだけでした。信徒に会った時、いつも違うとそのようなのに、なぜそうなのか分からなかったのですが、神様がこれではなかったのです。それで、今、この時間レムナントがとても重要なのです。彼らの心の中に、神様が生きておられるんだなという福音を正しく知ってしまえば、ものすごく成功するのに、それができなければほろびるのです。そして、副教役者で行ったのですが、ソン・セマン宣教師に会いました。この方が伝道する方なのに、知ってみたらCCCでした。
それだけだったのに、すばらしい役に立ちました。
▲ある日、私に時刻表がきたのです。私は聖書を見ながらキリストを知るようになりました。そして、それを持って現場に行ったのですが、現場で確認できるようになりました。その時から今まで、私は全く背景がなかったのですが、受けた答えが大きかったのです。この神様が生きておられて、答えられたこの祝福が、出会いが、どれくらい重要かわかりません。
▲皆さんは、もう人の出会いより、さらに重要な出会いは何でしょうか。これを置いて祈りながら、いくつかの出会いがなければなりません。

1.みことばの中で福音に会わなければなりません。
▲今から献身礼拝をささげる家族と全世界の人々は、みことばの中で福音に会わなければなりません。これがとても重要です。神様のみことばを、神学校に行って勉強して、みなしたのですが、福音に会えなければほろびます。そういう人に会ったのです。
(1)使徒1:12〜14節にマルコのタラッパンに行かないように言われたのですが、いのちをかけて集まりました。マルコのタラッパンは異端だから、そこ行けばとても損するのに行ったのです。マルコのタラッパンは、すべてのユダヤ人が全部、嫌う所であるから、そこに行けば何もだめになるのに、この人たちは、集まりました。ところで、神様はこの人たちに最高の答えを与えられたのです。それがまさに五旬節の答えです。このみことばの中で、福音を探すと、このようなことが行われます。
(2)使徒2:9-11、今日、読んだところです。15ヶ国の門が開かれました。
(3)みことばの中で福音に会うので、サマリヤの門が開かれました。
(4)驚くべきことが行われます。たった一度の機会を通してエチオピアの宦官とピリポが会ったのです。皆さんは心配しなくても良いのです。これを心配しなければなりません。使徒8:26節を見れば、主の使いがピリポに、29節に聖霊がピリポに...この話は、皆さんが聖書を通じて、みことばに、福音に会い始めれば、皆さんが行く所ごとに主の使いを送って、神様が働かれるのです。
(5)使徒11:25〜26節こういう祝福がずっと起きます。

2.福音にあって現場に会わなければなりません。
▲二番目です。福音にあって現場に会うのです。驚くことが行われます。
(1)使徒2:41節に三千人の弟子が起きました。ここにいる副教役者がこれを味わえば終わるのです。長老がこれを味わえば終わるのです。多くの教役者が、これを味わえば終わるのです。これを味わった人が医者になればルカのようになって、これを味わった人が牧師になれば、ペテロとパウロのようになって、これを味わった人が宣教師になれば、パウロのようにみわざが起きます。そんなに多くの出会いの中に、これだけがだめになっているので問題がくるのです。残念です。これを見なければなりません。今日も、ある伝道師が相談をしにきたので、この体験をしなさいと言いました。働きが起きます。確かにあります。あるだけでなく、祝福がぱっと置かれています。もし長老がこの祝福を受ければ、ガイオのようになります。驚くことが行われるのです。大変で忙しくてではなく、出会いがあるかないかが重要です。献身礼拝をささげる方々に、この祝福の出会いが起きるようになるように願います。
(2)使徒9章に、重職者がぱっと植えられたのですが、植えられたところごとにみわざが起きました。
▲タラッパンでいのちをかけて重職者を回復させようとしています。それで教役者は、計画をよくたてて、重職者中心の現場の日を作りましょう。私が米国、ワシントンに行って、レムナントの曜日を作りなさいと言ったのですが、ワシントンのレムナントが土曜日になればみな集まっています。それで、私たちの教会もこれからRUTCを作って、レムナントの曜日を作りましょう。全国のレムナントが、海外から来たレムナントなど、時間ある人々はそちらへ集まりましょう。すばらしい運動が起きます。私の考えはそうです。
▲徳平RUTCに教会を作るのも良いでしょう。これから大韓民国全国をカバーすることができます。これから国際空港は向うにあるから、金浦(キンポ)空港はなくなるのですが、それではそちら側は完全にコーナーになってしまいます。それで、空港が中間ぐらい一つできる可能性があるのですが、それがひょっとして徳平になる可能性があると思っています。理由ある話です。目をよく開けなければなりません。重職者は見ましょう。この祝福を知っている人は、山にいても大丈夫で、どこにいても何の関係もありません。パンをよく作る人は、どこにパン工場を整えることができるかに気をつかいません。おかしなパンを作る人々が、場所に気をつかいます。食べ物を本当によく作る人々は、場所があまり必要ありません。金海(キムヘ)のような村を見れば、ボシンタンを食べさせるところがあるのですが、完全に田舎なのに、人々が車に乗って駆せ参じます。そして、皆さんが一度だけ祈ってみてください。
▲ある日、教役者がこの目が開いたら、行く所ごとに、はやく来てくださいと言われるでしょう。ところで、全くみわざが起きなかったら、行く所ごとに、はやく出て行ってください、このようになります。きても良いのですが、来なければさらに感謝すると言うでしょう。こういう問題がきます。深刻なのです。もし一般信徒が、この祝福を受ければ、すばらしいのです。この目を、軍人が開けば、軍隊に行って生き返ります。ところで、これだけのがしたのです。私たちが献身礼拝をすれば、神様に献身することなのに、重要なことを悟って神様が願われるのをすべきではないでしょうか。
▲例えば、私がアキコが一番嫌うことをしながら、アキコのためにと話せば、話にならないではないでしょうか。アキコが一番願うことをしながら、手助けしてこそ、助けになるのではないでしょうか。神様が一番望まれること、準備をみなしておいて、人を生かして準備すること、それだけしないのです。それとともに変なことは上手にします。試みにあって、他人の話をするのに時間みな送ります。おかしな賜物です。そうすれば、他人の話をしなければ消化できない段階がきます。他人の悪口を言いながら、感覚がよくなる状況になってしまいます。
▲初代教会を見てください。これを回復しなければなりません。コルネリオがこれを回復したので、軍隊を生かしました。コルネリオは多分重要な役割をしたでしょう。医師ルカが、これを悟ったので、本当に医者になったのです。これ悟ったので、すばらしいことが行われるのです。
(3)福音にあって現場を悟るので、いよいよ易、シャーマニズムに陥っている現場を生かし始めました。この時、パウロが石で打たれたのですが、ルステラでテモテに会いました。マケドニヤを行ったのですが、行くやいなやルデヤに会いました。テサロニケに行ったのですが、ヤソンに会うようになりました。コリントに行ったのですが、プリスカ夫婦に会うようになりました。使徒19章エペソに行ったのですが、とても重要な弟子に会うようになりました。この出会いの祝福があるようになることをイエスの御名でお祈りします。

3.現場の中で祈りの出会いが始まらなければなりません。
▲三番目です。みことばの中で福音に会わなければならず、その福音にあって現場に会わなければなりません。その現場の中で、祈りの出会いがなければならないのです。その現場の中で、祈りの出会いが成される時、本当にみわざが起きます。
(1)その時にはじめて聖霊のみわざが起きます。
▲聖霊が私の中に先に臨まれます(Iコリント3:16節)。私の周囲に臨むようになります(ヨハネ14:16〜17)。私が行くこともしなかったのに、祈りだけしたのにみわざが起きます(使徒1:8節)。驚くことです。
(2)この時から、皆さんが現場で正しく祈りに会うようになれば、この時から神様が天の門をあけて天使を派遣されるのです。さらに重要なのは、行く前に。レムナントは心配しないように。レムナントが行けば、行く前に主の使いを先に。それだけ発見すれば良いのです。出エジプト14:19節に主の使いがモーセに先立って。驚くことが行われます。ダビデが言った言葉です。偉大な信仰の英雄ダビデが告白したのです。神様のみことばが臨む所に、神様のみこころが成される所に、神様の聖霊が働く所に、天の軍、天使が動員されるのです。ダビデが悟った告白です。やはり、ダビデは祈りができる偉大な人物です。皆さんが現場を回りながら祈るということは間違った祈りです。ある人は福音も知らないのに、山の中で祈ったところ、答えを受けたと言うのですが、それは悪霊です。ダニエル3:8〜24節に、火の中で神様は主の天使を送ってダニエル、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを保護されました。ダニエル6:22節に確かに記録されています。昨日の夜に神様がダニエルより前に主の天使を送って、獅子の口をふさいでくださったのです。聖書はマンガ本ではありません。神様のみことばです。救われない神学者、牧師には、マンガ本のように見えるかも知れませんが、聖書は神様のみことばです。確かに記録されています。I列王19:1〜7節に、神様は倒れたエリヤに主の天使を送って力を与えられました。この献身礼拝に参加した主の民が行く所に神様は主の使いを王って、力を与えられるでしょう。先に送られるので、行って答えを見るだけを良くすれば良いのです。U列王19:35節にこういう記録があります。昨夜に...この話はヒゼキヤ王が、祈ったその夜に。主の使いがアッシリヤ軍18万 5千人を打ったとなっています。聖書を詳しく見てください。U列王6:15節に、アラム軍隊が攻め込んだのですが、エリシャがこのように話しました。アラム軍より私たちと一緒にいる軍隊がさらに多い。レムナント、長老が心配する必要がないのは、皆さんの周囲に、人の軍隊より神様の軍隊がさらに多くいるのです。聖書は確かに記録しいて、実際にそうなのです。使徒12:1〜25節に、初代教会が危機に会った時、神様は主の天使を送って、驚くべき答えを成されました。長老も知っているでしょう。北朝鮮が戦争を起こして攻めてきて、釜山だけ残った時、初めて牧師、長老が集まって本当に祈ったのです。政治的な集いではなく、本当に祈りました。ポジション、権力、名誉でなく、本当に祈ったのです。奇跡が起こりました。皆さんも知っている内容ではないでしょうか。国連軍が韓国を手助けするので、会議をしているのに、手助けするのを反対するソ連が車が故障して出席ができなかったのです。神様の子どもらが祈っている時間に。重要なことが行われるのです。使徒27:24節に、昨夜に神様の使いが、パウロ、恐れてはなりません。黙示1章も見れば、ヨハネに神様が現れて黙示の中で見せられました。驚くことが行われます。
(3)皆さんに現場の中で祈りに会えば、この時から暗やみが崩れ始めます。マタイ12章を見れば、イエス様がおっしゃるのに、この暗やみを崩さなければ何もだめだと言われたのです。
▲なぜサタンの話をするのでしょうか。聖書には確かに話しています。パウロは、これ以外には戦うことがないと言いました。使徒19:8〜20節に、弟子がこれを砕いたら、みわざが起きました。神様の祝福が、今週にあふれ出ることをイエスの御名でお祈りします。昨日遅くまでテレビを見た人は眠たいでしょうが、それでもこの答えを受けられるように願います。私も昨日3時に寝ました。テレビを見たのではなくて、メッセージが整理ができないからでした。月曜日から祈るのに、内容は分かるのですが、整理できません。神様は趣味が変なので、ちょうど3時になって整理をさせてくださいます。それで昨夜には祈りました。神様、趣味を変えてください。宵の口に整理できるようにさせてください。昨日3時を越えて寝ました。そのうえに朝早く起きるので、私が立っているからであって、座っていれば眠たいのです。初代教会は、説教する人が座ってして聞く人は立っていました。来週からは部屋を別に作って、寝る人は立って聞きましょう。もっとも、うとうとする人は立ってももうとうとしていました。

4.結論-必ず会わなければならない人
▲必ず今から会わなければならない人がいます。
(1)最初に使徒2:1〜13節、神様を正しく体験した人々です。神様を変に体験した人に会えば大変なことになります。福音も知らないのに山に祈りに行って火を受けた人に会えば大変なことになります。福音も知らないのに、どこかへ行って火を受けるのですか。こういう人に、レムナントが会えば大変なことになります。神様を正しく体験した人は違います。
(2)二つ目、信仰生活を正しくする人々です。使徒の教えを受けて、パンを裂きしながら、交わりながら祈りに専念するのです。レムナントらが留学に行って会った人が、まさにみことば捕まえて祈る実力がある人ならば良いでしょう。
(3)三つ目、使徒13:1節の5人1組のチーム、こういう人に会わなければなりません。
(4)四つ目、ピリピ3:1、とても成功しながらも謙虚な福音の人。世の中でとても成功したのですが、そんなことをちりあくただと感じられるパウロのような人物に会うようになれば、どれくらい大きい祝福でしょうか。
(5)五つ目、ローマ16章の人。福音でOnenessを成し遂げる人。こういう人に会えばみわざが起きます。私は釜山の長老を見れば、真の福音のために生きようとする人々です。目に見えます。こういう祝福の人々です。また、チェ・ギュソン長老も今日参加していますが、米国でレムナントを育てるためにすべての苦闘をみなしている人々もあります。さっきニュースも見たでしょう。キム・ソンジン長老は、子どもたち13人を連れて育てています。これが小さいことではありません。そこに集まった子どもたちが、全部、実力ある子どもたちです。誰もが集まるのではありません。私は衝撃を受けました。私は金持ちの人がうらやましくありません。なぜならば、そこに対して自信があります。私は実力ある人がうらやましくありません。神様が全てを知っておられるためです。私はそのような恵みを受けた人がうらやましいのです。祝福を受けた子どもを持った人を見ればうらやましいのです。祝福を受けたレムナントを育てる人を見ればうらやましいのです。皆さん、重職者を色々な所に立てて、光を照らそうという理由を知っていますか。
▲私が幼い時、3才の時、村に火事が起こりました。その時、大人たちが何百人も死んだのですが、私は火の中で死ななかったのです。理由は一つしかありません。私がその時死んだら、私は皆さんに会えないからです。ところで、その時、私たちをあの山に連れて行きました。その山に連れていって置いて、少ししたら家を建ててあげて補償するから待ちなさいと言われたのですが、今でも報償金は出してもらっていません。そこで十年以上、住みました。そこがスチョンドン、チュァチョンドン、チョリャンドン、ポミルドンの有名なムダン(霊媒師)がグッ(降霊術)をする所でした。そこに住んでいた人の中で、福音を受けて正しくなった家は我が家しかありません。驚くことです。タラッパンにムダン(霊媒師)だけ五百人が立ち返りました。ところで、この場所が何をした所なのか知っていますか。前に、土地を使えないように垣根を作っていた人が私にきて話しました。ここは影島(ヨンド)と釜山の有名な易者がグッ(降霊術)をする所だと言いました。その人が言った言葉です。他の人がくればみなほろびます。教会でこそ大丈夫だと言いました。それでは安く売れと言ったのです。自分が安く売ろうとするのに、インマヌエル教会の長老が対話をしないと言いました。みな違う言葉を言ったのですが、その言葉は正しいのです。ここは、ムダン(霊媒師)がグッ(降霊術)をする所でした。私たちはここに引っ越してきて、十年になったのですが、ものすごいところです。また驚くことは、徳平の土地、メゴンニは、グッ(降霊術)をする土地だということです。そこに神学校が立って、完全にめちゃめちゃになりました。後ほど分かったのですが、私の家の前が僧侶の家だったということです。私たちがきた後、その僧侶が、からだが病気になったと言いました。このようにして腹を立てて私たちに買えと言いました。買わなければの道を防ぐということだったのですが、その道もその人の土地でした。私たちが買って道をつけたのです。私たちの学校をよく作るようになりました。ものすごい門が開かれたのです。
▲皆さん1人がどれくらい重要なのか、知っていなければなりません。知らずにいるのですが、福音を持った長老が皆さんが行く所ごとに、暗やみが逃げるようになっています。それを分からなければなりません。私がソウルに行くと一番たくさん泊まる所が、江西(カンソ)地域の鉢山(パルサン)という町です。この町に私がたくさん生きます。この字を探してみたところ、鉢は金と本という字が合わされた字で、鉢は、僧侶の茶碗だということです。僧侶茶碗はお金の根本という意味です。施主をよくしろという言葉です。だから、その町が昔に何の町なのか分かるでしょう。そこをたたき壊しました。そこにタラッパンで一番大きい教会が立ったのですが、イエウォン教会です。神様は行く所ごとに暗やみを倒されます。皆さんを光だと聖書は話しています。光だけ照らせば、やみは逃げるようになっています。光を持ってぶるぶる震えて、光を隠してはいけないのです。今週に新しい恵み、新しい祝福が始まるように祝福します。一般信徒献身礼拝で、世界宣教の門が開かれるようになることを望みます。
(祈り)
神様に感謝します。私たちに真の出会いを与えてください。必要な出会いを与えてください。神様が願われる出会いを与えてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)