2008年6月8日 インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部:良い牧者
(ヨハネ10:1-12)
 
☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲みことばを握れば、まちがいなく働きが起きる。ところで、私たちはみことばを握らない。
(1)信仰生活の最初は、みことばを握ることだ。それで、今まで答えられる人々の共通点、みことばを握った。神様はみことばをくださって、必ず成就される。
▲アブラハム、モーセ、ダビデ(詩100篇)、バルテマイがみことば捕まえた時、イエス様が歩みを止めて働が起きた。
▲キリストが皆さん事業、家庭に歩みを止められれば終わる。
▲今日のみことばは何か?キリストを私の牧者として握ろう。その時、働きが起きる。
(2)なぜ私たちを羊だと言われたのか。羊には特徴がある。
1)目が悪くて、遠くが見えない。
2)悪い人でも主人がきて、毛を刈ればじっとしている。私たちの人間がそうだ。
3)私たちは未来を知らない。
だれが私たちにきて、私たちを滅ぼしても、私たちは識別もできなくて、私たちはいつ死ぬかも分からない。今日、イエス様がわたしは良い牧者ですと...
▲今日、皆さんどのように、みことばを握って答えを受けられるのか?
1.イエス・キリストが良い牧者として来られた事実を信じなければならない。
(1)10節を見ればいのちを与えに来られた。これを信じなければならない。
(2)11節に私たちのために命を捨てられた。
(3)16節に囲いの外にいる羊を探そうと命を捨てられた。
▲創世記3章の問題、原罪、暗やみの勢力、悪魔のしわざ、呪いをキリストが十字架で完全に解決された。わたしは良い牧者。利用することでもなくて、お金を要求することでもなくて、いのちを与えに来られた。この事実を信じるように願う。皆さんが信じる瞬間に、霊的な働きが始まる。
2.神様のみことばを握ろう
▲信じるだけでなく、そのみことばを聞くのだ。
(1)3節、羊は彼の声を聞くと言われた。
(2)9節、その門で救われて、出入りしながら牧草を得ると言われた。
(3)キリストが私の牧者になる時、働きが起きる。
▲イエスはキリストだ! キリストが私の主人、私の牧者になる時、働きが起きる。
3.神様のみことばを証拠で握ろう(38節)
▲38節に、本当にイエス様を信じられないから、そのわざによって信じなさい。皆さんが問題きた時、どのようにするのか? 3つでみことばを見れば良い。
(1)今までどんなことがあったのか? 過去にあったことを証拠で握りなさい。
(2)今日、神様が私にどんなみことばをくださるのか?
(3)また、私が未来に歩いていかなければならない祝福の中に神様がどんなみことばをくださるのか?
▲本当に信仰でみことばを握れば、福音にあって神様のみことばを握れば、3つの事が行われる。常に...
1)皆さんに先立って主の使いを送られる。
2)主の聖霊が皆さんとともにおられる。
3)みことば握る瞬間に、神様のみことばが正確に成就される。
4.結論
(1)悪い羊飼い,1-2節に見れば、パリサイ人、宗教人などを見て強盗、盗人と言われた。他のもの皆与えながら、重要なことを(救い、霊的なこと)与えないから...
(2)皆さんが今日、決断を下さなければならない。
1)先週には運命を変えなさい。
2)主が皆さんの牧者になるようにしなさい。
3)皆さんの最も重要な人生の主人を主にしなさい。
(3)ダビデの人生告白-主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。たとえ死の陰の谷を歩いても災いを恐れません。主のむちと杖が私の慰めです(詩23篇)
▲幼い時、ゴリヤテの前に立った時、サウル王が殺そうと追いかける時、王になった時、人生晩年に困難きた時(アブシャロム,シムイ)
▲私たちはこの祝福を受けることができないから神様がキリストを送ってくださって、良い牧者として私たちを導かれる。今日、みことばを握って、最高の答えを受ける祝福の日になることをイエスの御名でお祈りします。
(祈り)神様、感謝します。今日、神様の民が集まりました。あちこちに神様の民が集まりました。世の中で、神様を知らなくて人々が死んでいっています。彼らを生かせるように、この時間に働いて下さい。この方たちが今日、みことばを握る時、神様は先立って主の使いを送る力の時間になるようにして下さい。今日、礼拝する時間に聖霊が働いて下さい。今日、みことばを聞く人の霊を神様が癒して下さい。ひょっとして肉体の病気があれば、癒して下さい。知らない不治の病があれば、神様が働いて下さい。今日、神様の計画を成し遂げる最高の日になりますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲指揮者をはじめとする、すべての隊員に神様の祝福があふれることを希望します。今年には重要な答えがたくさん残っています。それで、私が静かなところで作った歌詞(主よ私の人生の中に...)。そして、すべてのメンバーと家族に祈ろうと作ったのです。やはりインマヌエル・ソウル教会が表現が上手なようです。聖歌隊に特別な祝福をあることを希望します。
▲ある牧師がラスベガスに行きました。そこで大金を持ってカジノで一勝負したのです。それで、人々が知るようになりました。牧師がなぜカジノをするのかと尋ねたら、公式にこのように答えました。お金をもうけて建築献金をしようとすると言いました。真心なのかもしれません。本人だけ知っていることだからです。大邱に行ったら、誰も手をあげませんでしたが、尋ねたいことがあります。宝くじのようなものを買う人はいますか。手をあげてくださいと言ったら、誰もあげなかったのです。買う理由は何でしょうか。手を上げてくださいと言えば、誰もあげないでしょう。なぜ買うのでしょうか。番号だけ合えば良いのです。ある人は1億、十億円です。これを見て、したようです。私は一度もしてみたことがありませんが、人々がたくさん買うようです。悪いようには見えません。買う時、どこかへ行って買わなければなりません。それで、皆さんの手帳や部屋に保管しなければなりません。そして、発表する日があります。その番号を発表する日、合わせて考えるでしょう。そして、番号がはずれれば失望するでしょう。小さいお金でも、多額のお金でも、番号が合えば喜ぶでしょう。
▲みことばをそのように握るように願います。まちがいなくみわざが起きるのに、私たちはほとんどみことばを握りません。
(1)信仰生活の一番最初のことは、みことばを握って答えられることです。
▲それで、答えられた人の共通点が、みことばを握ったのです。神様は必ずみことばをくださった成就されます。皆さんが教会を出る時、そのように契約を持って行かなければなりません。教会にきて、みことば時間にみことばを聞かなくてうとうとしている人は、お金を貸さないように願います。返してもらえません。教会に来て寝ている人は、保証人になれば共にほろびます。多分、大きい危機に出会う人だと見れば良いでしょう。みことばを受けることがすべてです。しかし、私たちはそのように考えません。説教に対して、どうだとだけ話して、本当にみことばをわからないのです。本当に正しい職員は、社長の話をよくわかります。本当に神様が生きておられて、神様の子どもならば、みことばを正しく聞かなければなりません。
▲アブラハムが神様のみことばを聞くことは聞いたのですが、信じませんでした。信じなかったのでもなく、みことばを握らなければならないのに、握らなかったのです。しきりに苦しみが訪れました。不思議です。正しく良く暮らしているのに、どんどん危機がきます。その時、初めてアブラハムが神様のみことばを握ったのです。どれくらい堅く握ったのか、神様が創世記13章を見れば、アブラハム、あなたは目を聞いて東西南北をながめなさいと言われました。そのみことばを握った後です。あなたが見ているのを皆上げよう。縦と横に歩いてみなさい。あなたの踏む地をあなたと、あなたの子孫に永遠に与える。そして、わたしがあなたの報いだとおっしゃられました。その後、アブラハムが受けた答えがどれくらい大きかったでしょうか。
▲最も祝福された神様のみことばを本当に自分のこととして握るのです。おもに私たちは、みことばを握らずに、そのまま聞いて行きます。人に喫茶店で会って、そのまま行けばどのようにするのでしょうか。おかしな人になります。重要な人に会って、何か話をした、契約したと言わなければならないのに、そのまま会ったとすればどうなるでしょうか。何の答えもないのです。
▲初めにモーセもそうでした。イスラエルの民を連れて出なさい!私はできないです。私はその立場ではありません。わたしあなたと共にいる! この時、モーセがみことばを握れば良いのに、立場ではなく、背景もなくて、何の力もないと言いました。それで私はできないと言ったのです。すると、神様がわたしがあなたとともにいる、これが信じられなかったのです。パロ王が自分をつかまえて殺そうとして、自分が力がないのは事実で、神様がともにおられるという言葉は漠然とした話です。このみことばを握らなければならないのに、握ることができなかったのです。その日の夜、神様がモーセに呼んで行こうとされました。記録にはないのですが、その日の夜に神様がそのモーセにおっしゃった時、そのみことばを堅く握ったのでしょう。どれくらい祝福を受けたでしょうか。アブラハムのように危機に会わずに、今、みことばを握ることを希望します。モーセのようにとても失敗した場でみことばを捕まえても良いのですが、今、握ることを希望します。いつも記憶しなければなりません。
▲詩篇100篇を見れば、感謝しつつ大庭に入り...と言いました。バルテマイのような目が見えない人は、ダビデの子イエスよ。私をあわれんでくださいと言いました。今日、私は神様の契約のみことばを必ず握らなければなりません。今日、バルテマイのように、ダビデの子イエスよ。私をあわれんでください。どれくらい大声を出したのか、人々が騒々しいと言いました。より一層大声を出して。弟子も静かにしろと言ったのですが、より大きい声でダビデの子イエスよ。私をあわれんでくださいと言いました。なぜそのようにしたのでしょうか。なぜならば、機会がないからです。目が見えず、イエス様が過ぎ去るのに、どのあたりなのかも知らずに、いつ会うかも分からないのです。いるところで大声を出したのです。ダビデの子イエスよ。私をあわれんでください。みな騒々しいと言ったのですが、イエス様が歩みを止められました。何をしてほしいのか。見えるようになることです。あなたの信仰のとおりになるように。
▲キリストが皆さんの事業、皆さんの家庭に歩みを止められれば、すべての問題は終わるのです。人が100万人祝福することより、神様が皆さんを10分だけ祝福されても良いのです。そのような気持ちで行かなければなりません。
▲今日の主題は何でしょうか。どんなみことばを握らなければならないのでしょうか。神様を、キリストを、私の牧者として握りましょう。その時、みわざが起きます。本当に答えを受けられるのでしょうか。なぜ神様を牧者として握らなければならないのでしょうか。
(2)なぜ私たちを羊と言われたのでしょうか。
▲羊の特徴は、目が悪くて遠く見ることができないということです。動物の中で、遠くが見えない動物が羊です。そして、悪い人や主人がきて、毛を刈れば、ヤギは、たたいて刺激しても静かにしません。しかし、羊はじっとしているということです。普通、動物は、毛を刈れば動くのに、羊はじっとしているということです。真冬に羊たちが集まって寝て起きれば、およそ二匹ほど死んでいるということです。なぜ死ぬのかというと、上から押さえる一番下の2匹ほどが死ぬということです。押さえられるから死ぬのです。そのように押さえられて、息ができないなら、出てこなければならないのに、じっとしているということです。それで、とても寒い時はヤギ二匹を入れておくということです。それで、夜中にヤギが他の羊を突き上げて、他の羊たちが集まれないようにするから、死なないということです。事実、私たち人間がそうでしょう。事実、私たちは未来が分かりません。私たちはだれが害を与えて滅ぼしても、識別できません。私たちは、いつ死ぬかも分かりません。人間がそうなのです。
▲それで、主を、キリストを牧者としなければならないのです。それも、良い牧者にしなければならないのです。それで、イエス様が今日、わたしは良い牧者ですと言われたのです。今日、皆さんは、どのようにみことばを握って、答えを受けられるのでしょうか。今は宝くじのようなものを買わず、神様のみことばを握りましょう。本当に答えを受けなければならないのです。今まで経験したことが少しあるならば、皆さんよりできないこと多いのですが、一つ明らかなのは、神様のみことばを握ればみわざが起きるということです。それで心配することがありません。この多い量の中で、どのように握るべきでしょうか。

1.イエス・キリストが良い牧者として来られた事実を信じなければなりません
▲最初です。皆さんがイエス・キリストが良い牧者として来られた事実を信じなければなりません。パリサイ人が信じないで、もめ事を起こしました。
(1)10節に見ると、いのちを与えるために来られました。これを信じなければなりません。
(2)11節には、私たちのためにいのちを捨ててくださいました。
(3)16節には、なくした私たちの外にいる羊を見つけるためにいのちを捨ててくださったのです。
▲この話はとても重要です。本来、人間は悪に生まれたのか、善に生まれたのか。それについて学者がたくさん戦います。人間が生まれる時、善に生まれたけれど、人生を生きながら悪くなるのでしょうか。そうでなければ、悪く生まれたのに、教育を通して善になったりもするのでしょうか。これについてとても戦います。大学に行けば、これについて哲学の時間に一学期中、戦っています。人間が悪に生まれたのか、善に生まれたのか。生まれる時は善に生まれたということが性善説で、悪に生まれたということが性悪説であり、これが互いに戦うのです。
▲二つとも正しくて、二つとも間違っているのですが、正確に見れば、本来、アダム、エバは善に創造されました。ところで、アダム以後、暗やみの勢力に縛られたのです。これが一般の人々が知らないことです。奴隷に息子が産まれれば、ずっと奴隷です。キム氏に子どもが産まれればキム氏です。アダム以後、悪魔の勢力の下に押さえられた人間が、その時から原罪を持つようになりました。それで、神様がキリストを送って、その問題を解決しようとされたのです。何の話なのか分かるでしょうか。小さい子どもが、本人も知らずに、創世記3章の事件に捕えられているのです。
▲この事実を信じる瞬間、そこから完全に解決されます。お金ではだめなので信仰で。他のものはお金でできるのですが、これはお金ではだめです。それで信仰でするのです。皆さんの運命と身分が変わるのは、他のものはみな実力でできるのですが、これは信仰でできます。何の信仰なのでしょうか。神様が暗やみの勢力を破ろうと、かなり以前からキリストを送られると約束されました。深く考えてみてください。解決策がありません。悪魔は目に見えなくて勝てません。皆さん個人に入ってくる暗やみを見ることはできず、勝てません。さらに重要なのは、科学では解決できないのです。確かにあるのに、医学で解決できません。確かにあるのにもかかわらず、政治で解決できません。これをご存知である神様が、キリストを送って、悪魔のしわざを滅ぼしてしまわれました。皆さんが受けなければならない呪いを、十字架で代わりに受けられたのです。そのようなことができるのでしょうか。
▲皆さんならば、そんなにしないでしょうか。皆さんの子どもや孫が、穴に落ちたら救い出さないでしょうか。皆さんのかわいい末っ子が悪い人についていって、戻ってきたら受け入れないでしょうか。警察を動員して、悪い人を捜し出して皆さんの子どもを探して来ないでしょうか。それを信じなさいということです。
▲パリサイ人は、これを信じませんでした。それで重要なのは、いのちを与えるためにキリストが良い牧者として来られたのです。私たちのためにいのちを捨てたと11節には話しています。この話は、十字架で皆さんが受けなければならない呪いを全部、十字架につけられたのです。受難週に皆さんが泣き喚く必要はありません。泣いて叫ぶ奴は別にいます。悪魔が泣かなければならないのです。悪魔の勢力を十字架で完全にうち破られました。これを信じなければならないのです。問題はこれを信じないことです。
▲それで、人生は発展するほど困難がどんどんくるのです。不思議に先進国であるほど問題が多いのです。一番制度がうまくできている米国であるほど、麻薬患者が多いのです。最も組織的に安定したヨーロッパであるほど、麻薬患者がさらに多いのです。私たちよりはるかに科学的な日本が、精神病者がさらに多いのです。解決できません。どんなにしてもできません。
▲それで信じなさいということです。だめだから、神様がご存知でキリストを送られて、私は良い牧者だと言われました。皆さんを利用するのではなくて、お金を要求することでもなくて、私はあなたたちの問題を解決しに来た良い牧者です。いのちを与えるためにきた。16節にそうなっています。あの異邦人まで救い出そうと来られたのです。イエス・キリストが復活されることで、すべての暗やみの勢力をうち破った証拠で、勝利するようになったのです。この事実を信じるように願います。ところで、パリサイ人はこれを信じないで失敗しました。皆さんが信じる瞬間、霊的なみわざが始まります。

2.神様のみことばを握りましょう
▲二番目です。今日、どのようにすべきでしょうか。今は、信じるだけでなく、そのみことばを聞かなければなりません。
(1)3節に、わたしの羊はわたしの声を聞くと言われています。
(2)9節に、牧草を見つけると言われています。わたしが門であるから、私によって出入りして、牧草を見つけると言われました。この話は何の話なのでしょうか。信仰だけでなく、この時間にみことばだけ握っても、みわざが起きます。皆さんが今日、本当に答えを受けることを希望します。神様が私にイエス・キリストを送られました。イエスはキリストです。これまで人生の全体の問題を解決するためにキリストを送られたのです。
(3)今は、キリストが私の主人になる時、神様のみわざが起きるのです。キリストが私の羊飼いになる時、みわざが起きるのです。
▲このようにみことばを握らなければなりません。

3.神様のみことばを証拠で握りましょう(38節)
▲みことばをどのように握るのでしょうか。三番目です。38節に、わたしが行ったら、わたしを信じないでも、そのわざを信じなさい。そうすれば、あなたがたは父がわたしの中にいらっしゃって、わたしが父の中にいることを悟るだろう。本当にイエス様を信じられなければ、そのわざを見なさい。それを見て信じなさいと言われました。今日、皆さんが神様のみことばを証拠で握らなければなりません。
▲皆さんに問題がくればどのようにするのでしょうか。この3つでみことばを見れば良いのです。
(1)このような時、今までどんなことがあったのか、過去にあったことで証拠を握りましょう。今日、神様はどんなみことばをくださるのでしょうか。また、私が未来に歩いていかなければならない祝福の中に、どんなみことばをくださるのでしょうか。みことばで証拠を握らなければなりません。やさしくて簡単なことです。そのように握っても、答えられる驚くべきみわざが起きます。今日、皆さんがみことばを握ることは簡単ですが、みことばを本当に握れば、信仰にあって本当にみことばを握れば、3つの事が行われます。間違いありません。
▲簡単に話せば、福音にあって神様のみことばを握れば、キリストを良い牧者で送られた契約を握れば、3つ事が常に起きます。聖書を見れば、一箇所ももれなく、皆さんがみことばを握る瞬間に、神様が皆さんに先に主の使いを送られます。これが普通の人が信じることができないことなのです。聖書では、一度も欠かすことはありませんでした。聖書を、もう一度、研究してみてください。ただ一度も例外ありません。紅海の前に立っとき、後にはエジプト軍人が捕まえに来ています。前は紅海です。死にそうになった時、モーセがイスラエルの人々、今日、静かに立って主がなさる救いを見よ。主があなたがたのために戦われる。この話は、単なる慰めではありません。モーセが出発する時、神様がくださったみことばです。このみことばを握った瞬間、簡単です。その時、出エジプト記14章19節に、モーセに先立って主の使いを送られました。驚くことです。今日、ここでみことばを握るのに、皆さんが行くこともしなかったのに、主の使いを先に送られたのです。どれくらいすごいのでしょうか。事実ならば、宝くじも買いに行くのに、なぜこのみことばをなぜ信じられないのでしょうか。カジノも行くのに、なぜこのみことばを握れないのでしょうか。ある人は、お金を取ろうと眠らずにギャンブルをするのに、なぜこのみことばを握らないのでしょうか。契約のみことば、良い牧者、皆さんの羊飼いですが、その契約を捕まえる瞬間に、神様は先立って主の使いを送られるのです。
▲祈りの答えをたくさん受けたダビデが、こういう話をしました。主をほめたたえよ。主のすべての軍勢よ。みこころを行ない、主に仕える者たちよ。ダビデの祈りです。どこで出てくるのでしょうか。詩篇103篇の最後に出てきます。すごいのです。皆さんが神様の民です。神様のみことばを、今日、握る瞬間、一生のみことばを握る瞬間、神様は主の使いを先に送られるのです。
▲ヒゼキヤ王が危機にあった時、いくらもがいてもだめでした。死ぬことを覚悟したのです。その危機の中で手紙を持って神殿に行ったのです。神様のみことばを握って祈りました。不思議なことが起きました。聖書のU列王記19章31節に、その夜に、その日の夜だと言われています。何をした時なのでしょうか。ヒゼキヤが、みことばを握ったその夜に、主が主の使いを送って、アッシリヤ軍18万5千人を打ったとなっています。科学的に合う言葉です。私たちが死ぬ時、神様が命令を下して主の使いがきてみな作業をします。聖書一箇所も欠けることはありません。
▲シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ、ダニエルが死を覚悟して神様のみことばを握りました。聖書は確かに記録しています。ダニエル6:22に、神様が私に先に主の使いを送られた。それで、獅子の口をふさがれた。本当にそうです。皆さんがみことばを握ることを望みます。主は皆さんの羊飼いです。いくら弱くても、皆さんは神様の子どもです。みことばを握る瞬間に、主の使いを先に送られます。
▲ペテロが危機にあった時、使徒12章を見れば、集まって、その日の夜にみことばを握って祈りました。記録に出てきます。神様が主の使い送って、牢の門を開かれて、その夜にヘロデ王の首を打たれました。聖書を見ると、主の使いが打ったので、虫にかまれて死んだと言われています。ヘロデ王を殺すのに軍隊を送る必要もなかったのです。5分ならば終わるのです。いくら悪くても、神様が5分だけ鼻をつかめば良いのです。簡単なことです。その悪いヘロデ王を主の使いが打ったので、虫にかまれて死んだのです。驚くことがたくさん起きました。今日、皆さんがみことばを握ることを希望します。
▲パウロが暴風の中で危機に会って祈った時、どんなことが起きたのでしょうか。パウロ、恐れてはならない。使徒27:24を見れば、その日の夜にパウロが契約のみことばを握って祈ったその日の夜でした。主の使いがパウロのそばに立って、パウロ、恐れてはなりません。あなたはカイザルの前に立たなければなりません。
▲今日、事業するすべての方が、神様の契約を握る瞬間に、神様が事業の場所に先に主の使いを送られるでしょう。ずっと祈りましょう。
▲私たちのレムナントが心配しないようにすべきなのは、レムナントが行く前に主の使いを送られるのです。行けば、答えが来ています。これが信仰生活です。わたしは良い牧者です。
▲皆さんが今日、みことばを握る瞬間に、二番目の事が起きます。全く目に見えなく、主の使いを先に送られるのですが、主の聖霊が一緒にされます。これよりさらに重要なことはありません。目に見えないのです。主の聖霊が一緒にされます。
▲三番目の事が行われます。みことばを握る瞬間、神様の計画が正確に成就されます。わたしは良い牧者です。そのためにいのちを捨てます。牧草を与えて、いのちを与えるためにきた。わたしを信じないで、みわざによって信じなさい。証拠を握りなさい。滅びないようにするために呼んだ。この契約のみことばを握ることを希望します。

4.結論
(1)悪い羊飼い-ヨハネ10章1節に、強盗、盗人、悪い羊飼いについて出てきます。これは何の話なのでしょうか。わたしは良い牧者だけれど、わたしの他に門からでなく入ってきた者は、強盗だとなっています。理解するのが難しい言葉です。宗教人とパリサイ人についての話ですが、何の意味で言われたのでしょうか。
▲この前、ニュースにおかしなことが出ていました。あるおじさんを捕まえて、島で十何年間、家に帰さずに仕事をさせたのです。ご飯も与えて、みな手助けしました。ジャーナリズムが放送して写真も撮っていました。させた人がこのように話していました。私が行く所がない人に服を着せてご飯を与えて眠らせてあげれば良かったのです。私は間違っていないと言いました。そのようにしながら、最も重要なその人の人権を奪っていくのです。すべて上げて、重要なものを奪っていけばどうなるのでしょうか。今日、私の家の鍵をオ・チャンホ執事に与えれば気持ちは良いでしょう。自動車の鍵と通帳と印鑑を、みな上げます。その代わり、一つだけをくれ。あなたのいのちをくれと言えば、どうなるのでしょうか。それは何も与えないことなのです。
▲他のものはみな教えるのに、救われないようにだけするのです。皆さんに全てをみな与えておいて、最後には滅びるようにする、こういうくやしいことなのです。これをこっそり教えれば盗人で、強く教えれば強盗です。なぜ、逃げるのかというと、危機がくるからです。そして、イエス様には悪霊につかれた者か言います。最も霊的な問題を、最も粗雑に話しました。
(2)今日、私と皆さんが短い時間ですが、神様の子ども貴重な民が集まったのですが、私たちは決断を下さなければなりません。
▲先週は運命を変えなさい。盲人になったその人が運命変えたように運命を変えなさいというみことばを分かちあいました。今日握るべき、神様のみことばは、主を皆さんの羊飼いとしなさい。それは主人です。皆さんの最も重要な人生の重要な主人を主にしなさいということです。
▲私たちが幼い時は、家にシャワーがありませんでした。金持ちの家に行っても、部屋の中にはお手洗いはありませんでした。浴場があるのに、1年に2度行きました。母が行けと言う時に行きます。おもに、次の日が旧盆の時と正月の時、2回行きました。それで、普段は家でしました。家で母が洗ってくれました。変なことに、こすって殴って、そのようにしました。そのように入浴をしたのです。夏には、山に行ってして、山に住んでいたので、やりやすかったのです。その時は、タオルのようなものはありませんでした。石でこすりました。浴場に行けばすごかったのです。湯気が立ち込めていました。その時は戸に鍵もなくて、そのまま服を入れて入りました。だから、なくす事件も起きました。この前、浴場サウナに行ったところ、とても発展していました。ホテルに行ったところ、大きくて、お湯も真っ赤なもの、青いもの、グツグツ泡立つお湯など、色々なものがありました。冷湯、温湯、ないものがないようでした。すみに汗を流す所もあったのですが、40年前や50年前と変わらないこと一つありました。まさに壁に文章が書いてあったのです。主に真っ赤な字で書かれています。貴重品は主人に預けて下さい。主人に預けていない貴重品は、責任を負いません。それは主人が責任を負います。皆さんの人生と事業と皆さんの子孫の責任を主がとってくださいます。キリストが良い牧者として来られました。今日、短い時間ですが、皆さんの周囲と産業に神様の国が臨んで、家庭に神様の国が臨むように望みます。
(3)旧約で、この言葉を最もよく使ったのがダビデです。ダビデは、主は私の羊飼い。私は乏しいことがありませんと言いました。私が死の陰の谷を通っても恐ろしくなくて、主のむちと杖が私を導く。
▲それでダビデが人生の大きい告白5つをしました。
-とても幼い時です。記憶しましょう。レムナントはとても幼い時、何もなくて孤独な時、文章を書きました。羊を飼いながら賛美して、技術を磨いて、成功の土台を作りました。その時のダビデの心には、主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。万王の王、大王であるダビデの告白です。
-ダビデの二番目の告白です。ゴリヤテがきてイスラエルの滅亡と威嚇を与えました。チェ・ホンマンよりもっと大きい、約3メートルくらいの人が現れたのです。だれも出て行きませんでした。王も出て行かなかったのです。その時、ダビデが行きながらこういう話をしました。主は獅子と熊からも救い出して下さった。あの主を侮辱する者から救い出して下さることを信じる。幼いダビデがサウル王に言った言葉です。ゴリヤテの前では、お前は剣と槍と投げ槍を持ってくるが、私はお前が侮辱する主の御名で立ち向かう。今日、救いといのちが、刃物にないことを証明する。今日、主がお前の首を私の手に渡された。この話が実際にあったのです。その時、ダビデの心に何があったのでしょうか。主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。たとえ親が私を捨てても、主は捨てません。ダビデの告白です。皆さんの残りの生涯、主が羊飼いになります。
-さらに危機がきました。政治で王が何千人を率いてダビデを追いかけた時、ダビデは失敗しませんでした。私は寝ているときに、窓の声でも怖いのです。ところで、人を殺そうとしたのです。王権を持って、ダビデが逃げながら一番重要な話がこれです。ダビデの部下が、サウル王をなくそうというので、神様が喜ばれないと言いながら逃げて通いました。ダビデは告白します。主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。死の陰の谷を通っても、災いを恐れません。
-ダビデが王になった時、私は良い家で寝ているのに、主の宮がなくて私は寝られない。すべての民は立ち上がって、神殿を作ろう。
最後の五番目を見ましょう。困難がくる時、その人が分かります。損得問題が起きれば、その人の人柄があらわれます。問題が起きれば、その人が誰なのか知ることができます。暴風に会う時、力ある船長と力がない船長がわかり、戦争が起きる時、だれが良い長官なのか、そうでないかを知ることができます。
-ダビデに問題がきました。人生の晩年に悪い政治屋が、自分の息子を説得させて王を狙いました。その時、最もダビデを見ましょう。私がダビデに対する研究をしたのですが、その時が最もダビデらしかったのです。ダビデは戦いの専門家で部下も多かったのですが、ダビデは裸足で逃げました。それと共に、軍人に残した話があります。アブシャロムを殺してはならない。この話をして逃げました。シムイが呪いました。どこ王を呪うでしょうか。しかし、逃げてほろびたのを見て、その時、そばの長官が首を打とうと言いました。その時、ダビデがした言葉です。最もダビデらしく話しました。静かに置いておきなさい。神様がさせて言った話だ。おいておけ。私の息子もこのようにするのに、ましてシムイは当然ではないか。ひょっとして神様が私に恵みを与えてくださるかもしれない。これがダビデです。もし私たちだったら、首を10回もさらに打つでしょう。あわただしく逃げるのに、何も間違ったのか、ダビデを呪う、静かに置いておくのか。主がなさることなのか。これがダビデの目です。
▲主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。死の陰の谷で通っても、災いを恐れません。私たちはこの祝福を受けることができないから、神様がキリストを送って、良い牧者として私たちを導かれるのです。今日、みことばを握って、最高の答えを受ける祝福の日になることをイエスの御名でお祈りします。祈ります。
(祈り)
神様、感謝します。今日、神様の民が集まりました。あちこちに神様の民が集まりました。世の中にいるのに神様を知らずに、人々が死んでいっています。彼らを生かせるように、この時間に働いて下さい。この方たちが、今日のみことば握る時、神様は先に主の使いを送る力の時間にならせて下さい。今日、礼拝する時間に聖霊が働いて下さい。今日、みことばを聞く人々の霊を神様が癒してください。ひょっとして肉体の病気があれば癒して下さい。知らない不治の病があれば、神様が働いて下さい。今日、神様の計画を成し遂げる最高の日になりますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)



2部:神様が願っておられる職業と働き
(使徒18:1-4)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲今日のタイトルは、神様が願っておられる職業と働き! 神様が私たちに一番答えをよくされる時、一番重要な答えをいつしたと思いますか?
(1)神様が特別な答えを備えられる時は、いつでも当事者は苦難にあっている時だ。苦難にあってこそ、答えられるということではない。苦難にあっていると思ったが、その時、神様は一番答えられた(ヨセフ、モーセ、私が苦難にあっていた時)
(2)パウロがアテネ伝道に失敗して苦難にあっていた時、ローマから追放されたプリスカ夫婦に会うようにされて、時代を変える事が行われるようにさせられた。
▲それで、神様は一番難しい時に一番良い計画を立てておられる。これに感づいたパウロは、困難にあったらむしろ喜べと言った。
(3)ところで、永遠に地球上で忘れることのできない出会いが始まった。
▲それでは、今日、私たちはなぜ神様がこのように困難を通して重要なことをなさるのか?
1.救いの祝福がどれくらい大きいかを分かるようにされるのだ。
(1)マタイ16:13-20、プリスカ夫婦がローマに暮らしながらマタイ16:13-20節のみことばを聞いたということは奇跡だ。
(2)マタイ28:16-20節のみことばをわかったということは奇跡の中の奇跡だ。
(3)使徒2:9-10、マルコのタラッパンに参加したということは奇跡の中の奇跡だ。
(3)使徒2:1-47、初代教会が誕生した。この恵みがどれくらい大きいのか?
2.聖霊の導きを受けるのがどれくらい完全なものか?
(1)使徒2:10、五旬節の日にマルコのタラッパンに参加して、聖霊充満を受けたのが、完全に聖霊の導きだ
(2)ローマ1:9-10、パウロがローマのために祈る中にこの夫婦が入っていることは確実だ。
(3)使徒18:1-4、パウロと出会うのが、完ぺきな聖霊の導きだ。
3.伝道の実がどれくらい大きい祝福なのか?
(1)使徒18:24-28、教役者にも感動を与えるほどプリスカが聖霊の導きを受けた人だ。
(2)Iコリント16:19、プリスカの家と出てきて
(3)ローマ16:2-4、プリスカ夫婦は命をかけるほどパウロの同労者となって、最後まで世界福音化の祝福を味わった。
4.結論-今から5つのことを必ずしなさい。
▲苦難を受けなくてこの祝福を味わう道だ。
(1)計画-一日に一度以上は神様の最も偉大な計画が何かを質問してみなさい。
1)質問してみれば、みことばが出てくる。
2)みことばが出てくれば、伝道に対する理由も出てくる。
3)そうすれば、祈りも出てくる。
(2)定刻の祈り-神様がくださった7つの祝福を握って祈り.
(3)勉強-必ず定刻の祈りの時、定めて勉強しなさい。10倍にしなさい。
(4)運動-これを正しく体質に持つために運動をしなさい。
(5)呼吸健康法-私の場合、必ずする。
▲それで一日におよそ三回程度このようにする。長くしなくて簡単に幸せにする。皆さんの職業と神様の働きがぴったり連結されなければならない。これができなければ、いつも難しい。勉強と訓練、教会生活と社会生活、この2つがみな連結されなければ難しい。詩78:70-72、正しい心と英知の手、信仰と技能を持って...このようにすれば、まちがいなく答えが起きる。そうすれば、大きい困難がなくても神様が答えをくださる。
▲今日、皆さんが新しい力を得て、答えを受け始めるプリスカの祝福を受けることを望む。皆さんお現場にまで、この答えが現れるようになることをイエスの御名で祈ります。アーメン
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲聖歌隊に神様の特別な祝福があることを希望します。ダビデが賛美する時のように聖霊充満の働き、癒されるみわざがあることを希望します。今、100ヶ所余り、衛星で礼拝する所に、神様の祝福が同じようにあることを希望します。また海外にいるインターネットでメッセージ受けるレムナントに、神様の恩寵があることを希望します。今回の韓国、殉国烈士の日に、釜山では堂会員80人が修練会をしました。そして、かん養にある未来指導者学校を訪問したのです。そして、コチャンにあるインマヌエル西部教会を訪問しました。そちらの担当のユ・チャンスン長老の息子が私に手紙を一通くれました。その人は、私が見るには、慶尚南道(キョンサンナムド)では一番信仰良くて人物が良いのです。フォームが完全に慶尚南道(キョンサンナムド)フォームでなく江南(カンナム)フォームです。これからソウルにきても、ここで受け入れるでしょう。手紙をくれたのですが、手紙の内容にいろいろ恵み深い挨拶を書いていました。その中で、手紙で必ず伝えたい話があるでしょう。牧師先生が、説教をされる時には、インマヌエル蔚山(ウルサン)、ソウル、このように必ず挨拶をして、一度もコチャンにある西部教会は言わない。一度だけ言ってくださいと手紙に書いてありました。インマヌエル西部教会に神様の祝福があることを希望します。今でも、全国、世界には、私たちのレムナントが一人ずつ一人ずつ起きています。特に、今、ドイツのようなRUTCには、良い学生たちがたくさん集まっています。ヨーロッパを生かす模範がなるように、本当に祈らなければなりません。今、ボストンでは、大学だけ100ケ集まったそこに私たちのミッションホームがあります。そちらも、とても重要です。ペンステイトでも、レムナントが集まっているのに困難も受けています。ここだけでも、韓国の重要な働き人、キム・ソンジン長老の下で訓練を受ける、とても良いレムナントもいます。本当に、その方たちに神様の永遠な祝福があるようになることをイエスの御名で祈ります。
▲今日のタイトルを神様が願っておられる職業と働きとしました。少し変な話のようですが、理由があります。一番最後に話します。神様が、私たちに一番答えをよくされる時がいつだと思いますか。少し言い換えれば、神様が一番重要な答えをいつされたと思いますか。神様がとても重要な答えを、みな重要ですが、特別な答えをされる時があります。この時がいつかということです。私たちは、はやく感づかなければなりません。
(1)神様が特別な答えを備えられる時がいつでも当事者は苦難を受けている時です。この話は苦難にあってこそ答えを受けるということではありません。苦難を受けていると思ったのですが、その時、一番、神様は答えられたということです。ヨセフが一番苦難を受けていた時、神様は一番良いことをされました。モーセが何もできないと考えていた時に、神様はモーセをホレブ山に呼ばれました。皆さんが仕事をして困難にあっているならば、この時、神様は良いものを計画しておられるかもしれません。ほとんどみな、この時起きたという事実。それでは、説明しなくても分かるでしょう。
(2)パウロが伝道運動して、ただ一度だけ失敗した時がありました。アテネです。パウロは、アテネで伝道運動をして、唯一、一度失敗をしました。そこでパウロが自分の専攻を生かして、哲学と学問を話したのですが、噛み合わなかったのです。その時、決断を下したのに、私はキリストとその十字架以外には話さないと話しました。ところで、それで行ったところがコリントです。またプリスカ夫婦がローマから追放されました。難しくなったのです。それで行ったのですが、そこがコリントでした。これが時代を変える事が行われたのです。神様は一番難しい時に見れば、もしかしたら一番良い計画を立てておられます。それで、これを感づいたパウロは困難にあうことをむしろ喜べと言いました。
(3)永遠に地球上に残るくらいの、そういう出会いの答えが始まります。コリントという出会いも重要ですが、伝道者パウロとの出会い、いろいろな祝福の出会いが開始しました。それでは、今日、私たちはなぜ神様は困難を通して準備されるのか、この部分をはやく理解すれば困難にあう必要がありません。

1.救いの祝福がどれくらい大きいかを分かるようにされるのです。
▲最初です。簡単におっしゃいます。しかし、契約は必ず握らなければなりません。なぜ神様がプリスカ夫婦をこのように、またパウロをこのように会うようにされたのでしょうか。なぜプリスカ夫婦に、こういうものすごい困難を与えて、分かるようにされたのでしょうか。理由がいくつかあります。最初です。救いの祝福がどれくらい大きいかを分かるようにされるのです。これは簡単に分かることが難しいのです。どれくらい大きいことかを実際に分かるようにするために苦難を通しても、分かるようにされるのです。
▲私が長く知っている執事がいました。とても賢い方でした。外に出て行けば人気が高かったのです。実力もありました。何代も信じる家です。この方がどこにでも行けば人気が高かったのです。会社でも人気がありました。他の人より昇進もはやかったのです。そのうえに、この方が運動もできて、私が見る時は、できない運動がありませんでした。特にサッカーのような場合は、選手で出て行くほど上手でした。ハンサムだったんで、実力もあって、お金もあって、見るのに何の傷もなかったのです。ところが、この人は一つだめでした。単なる信徒だったのです。福音に対して、あっ、そのとおりだ! こうしたものが全くありませんでした。ですから、信仰生活もなんとなく、単にしなければならないから奉仕して献身する程度でした。こうして見たら、外側に仕事が多くなって信仰生活がどんどん難しくなったのです。時々、一回ずつ教会も来ませんでした。忙しければ。ある時は、数ヶ月間、来ませんでした。婦人と子どもたちは出て来ていたのですが。私が尋ねれば、忙しくて行ったということでした。良い人であるから、おかしくなる方ではないのですが、とにかくそうでした。そのようなある日、連絡がきました。家に行ってみたら、横になっていました。突然、倒れたのですが、病院に行ってみたら、腎臓だったのか、とにかくガンになったということでした。その方の話しでは、ドクを抜き取ることができないということでした。ところで、それが問題ではなかったのです。その方は、それが問題だったのですが、私が見る時、変わった点を感じました。この方が全く別人でした。前は実力あって、私が何..話もよくする人であったのに、もう見たら、そうではありませんでした。その時見たら、子どもが小さいから、生きなければならない、この意志も強かったのです。ですから、神様をしっかりと捕まえたのです。皆さんもするでしょう。残念で、私がしばしば行きました。この人が難しいから信仰も強くなったのです。ところで、ある日、行ってみたら、また変わっていました。この方の語り口や目つきが全てをあきらめたようでした。本人が、だめだということが分かったようでした。そのようなある日、ほとんど二日あとで亡くなったのですが、また人が変わりました。驚くべき話を私にしたのです。その方の口からは出て来るはずがない話を私にしました。神様の恵みを感謝するということでした。なぜかと尋ねたら、自分はどうしてもだめだということです。ところで、なぜ感謝するのかと言ったら、神様が自分をキリストを通して救われたようだ...私たちがいつも使う専門用語なのですが、この人が息が途絶える前に言ったのです。そのまま普通で聞けるでしょうが、私はとても意味があるように聞きました。これ一つ悟るのが、このように難しいということです。真にキリストによって、私が救われたのです。恵みを感謝して、この話をするのがそんなに難しいのかということです。この方は良くなるか、亡くなるだろう思いました。その翌日、神様が呼んで行かれました。
▲皆さんは人の話で聞くでしょうが、私はその人を知っていたから、たくさん考えるようになりました。救われた私たちが、これ一つ正しく悟るというのがそのように大変なのかということです。ですから、苦痛を通しても初代教会にこれを分かるようにさせられたのです。私がした話は昔の話ですが、この前、空港であるおばさんが私に挨拶をしました。知ってみたら、亡くなったその方の娘でした。年をとって、おばさんになっていたのでした。
(1)プリスカ夫婦がローマに暮らしながらこの話しを聞いたということは奇跡です。ローマに住んでいた夫婦が、主は生ける神の御子キリストです(マタイ16:13〜20)という話を聞いたことは、奇跡だったということです。
(2)この人たちが、マタイ28:16〜20節のイエス・キリストが復活してされたメッセージをわかったということは、奇跡の中の奇跡です。
(3)さらにすごいのは、使徒2:9〜10節を見ると、マルコのタラッパンの聖霊充満を受ける日、そこに参加したということは奇跡の中の奇跡です。
(4)そうしたところ、使徒2章に、初代教会が誕生したのです(使徒2:1〜47)。
▲この恵みがどれくらい大きいかを説明しているのです。ところで、私たちがこのことを分かるのがそんなに大変なのです。やさしいことなのですが。皆さんが今、この恵みを忘れてしまわずに、ここで全てがみな出てこなければなりません。

2.聖霊の導きを受けるのがどれくらい完全なものでしょうか
▲二番目です。聖霊の導きを受けるのが、どれくらい完全な祝福なのか、神様はこの夫婦を通して分かるようにされました。
(1)地球上に一度ある五旬節の日に、このマルコの屋上の間に参加して、聖霊充満を受けた人の中の一人だということ自体が、完全に聖霊の導きでした(使徒2:10)。
(2)ローマ1:9〜10節を置いて、パウロがローマの人のために切実に祈る中にこの夫婦が入っていることを確信したのです。
(3)この夫婦が、どのようにして、使徒18:1〜4節このようにパウロと会うことが起きたのでしょうか。このように聖霊の導きということは、完ぺきなことだということを神様が説明されるのです。皆さんが、この祝福の中で永遠に神様の恵みを味わうようになるように願います。私たちはプリスカ夫婦をよく分かります。聖霊の導きを受けるのが、どれくらい完ぺきなことかということを...

3.伝道の実がどれくらい大きい祝福なのでしょうか
▲三番目のことを説明します。伝道の実はどれだけ大きい祝福でしょうか。伝道は総合の祝福なのですが、この実がどれだけ大きい祝福かを神様は分かるようにされるのです。ペンステイトでイエスを信じるようになった教授が韓国にきて、大学で子どもたちにすばらしい影響を与えています。ワシントンでイエスを信じたレムナントが、今、ボストンに行って影響を与えています。それ一つだけでも小さいことではありません。それで、引続きレムナントに働きが及ぶのです。
(1)使徒18:24〜28節に見ると、プリスカという女性一人が、教役者にも感動を与えるのを見れば、どれだけ聖霊の導きを受ける人かということを知ることができます。
(2)Iコリント16:19節を見れば、プリスカの家だと出ています。この伝道運動が今まで働きが起きているのです。
(3)ローマ16:2〜4節に見ると、パウロのために献身した伝道運動が、今まで働きが起きているのです。これを説明するためです。

4.結論-今から5つのことを必ずしましょう。
▲それなら今日、皆さんがこういう苦難を受けないで答えを受ける方法があります。あえて追放されて奴隷に行って答えられるよりは、病気にかかって悟ることより、さらに重要なのがあらかじめ悟ることです。核心の時、申し上げたのですが、五種類を一日に一度以上は必ずしましょう。一日に一回以上、いつでもどんな所でもできることではないでしょうか。
(1)計画-そこで、神様の最も偉大な計画が何かを質問しましょう。これは何でもないことです。ところで、これがすべてです。それを質問すれば、みことばが出てきます。みことばが出てくれば、伝道に対する理由も出てきます。そのようにすれば、祈りも出てきます。私がこのようにして、聖書にある伝道戦略20個を発見しました。朝起きて祈る中にこれをします。今日、神様の最も偉大な計画は何ですか。神様が皆さんを王のような祭司として呼んだと言われました。それでは、神様の最も偉大な計画は何でしょうか。皆さんがこれ質問するのに、一ケ月、二ヶ月、一年すれば、すばらしいことが起きます。
(2)定刻の祈り-これを握って定刻の祈りをするのです。今からしてみましょう。定刻祈りは、可能ならば、神様がくださった7つの祝福を持ってすれば正確です。祈りの課題よりさらに重要なのがこれです。私の場合は、三回程度します。昼間には簡単にして、朝夕方にちょっと深くします。これだけでも答えられます。
(3)勉強-そして三番目、必ず定刻祈りの時、皆さんが定めて勉強しましょう。勉強と読書をするのに、なぜするか、基準があります。先週に話したのですが、量でも、質でも、他の人より十倍以上をしましょう。それでこそ愛国者にもなって、それでこそ経済も生かされて、それでこそ伝道もできます。祈りの力を受ければ良いのです。ですから、神様が私たちに祝福されるのです。私が時間が足りなければ、内容ですれば良いのです。できなければ、私が時間をとってすれば良いのです。初めから祈り始めなければなりません。特にレムナントは、そのようにしなければなりません。レムナントは、今から遅く寝て早く起きる習慣を身につけなければなりません。そうするうちに、はやく死ねばどうするのでしょうか。死ねば良いのです。そうではありません。体質になれば大丈夫です。このようにしても、少しだけ神様の計画を握って、三つを一つで簡単なのです。祈れば答えられます。
(4)運動-そして四番目です。これを正しく体質に持つために運動をしましょう。運動は単純なことを話すのでなく、これができる体質を言います。ヘルスクラブに行ってもかまわないのですが、行く必要もなく、一人で軽くすれば良いのです。ある日、大きく心に決めて帽子かぶってパンツを履いて出て行っては、長くできません。そのまま毎日、家で着実にしましょう。定刻祈りの時するのが一番良いのです。特にレムナントは、しなければなりません。結局は、時間の戦いなのですが、夜明けに早く起きて走らなければならないのに、いつも乞食で暮らしていくなら大丈夫ですが、しようとするなら走るべきなのに、体力がなければできないでしょう。体力だ、何だ、そんな言葉まで使う必要がなくて、ちょっと朝早く起きても大丈夫でなくでは、いつも朝寝坊で朝起きれば病気になってしまいます。
レムナントは、特にこのようにしなければなりません。神様の最も偉大な計画を置いて祈り始めなければならないのです。私はこれについて証しすることがとても多くあります。これを質問したのですが。本当に一度、質問してみてください。神様の最も大きい計画が何か質問すれば、答えはこのように出てきます。私が何か偉大な人物ではないのですが、偉大なことをするものがあるべきで、この答が出てきます。ところで、このように積もっていくのが本当にみことば成就する答えです。もし、皆さんが一日に三回以上、契約を握って最も幸せな時間を持ったら、まちがいなく働きが起きます。これで答えられないならば、私を訪ねてきなさい。無条件にみな返します。そのまま来ずに棒を一本ずつ持ってきなさい。だめなはずがありません。これが体質なれば、すばらしい働きが起きます。
(5)呼吸健康法-私の場合は、このようにしながら、もう一つします。これは必ずしろというのではありません。私自ら、私は必ず定刻祈りの時間にこれをします。呼吸健康法、これをします。これは私の話です。空気の中には、多くのことが入っています。それで、私が一日に三回程度します。長くしなくて簡単に、幸せにします。今朝は、およそ5時半に起きてしました。時間も多いのです。そして夜には安らかな時間に、目覚めないほどあらましして、昼間にもします。
▲どの程度、答えが来るのでしょうか。皆さんが一番悩みになる皆さんの職業と神様の働きが連結しなければなりません。これができなければ、いつも難しいのです。ある学生たちは、勉強しなければなりませんか、訓練を受けなければなりませんか。ある人は、教会生活をがんばらなければなりませんか、そうでなければ、職場生活をがんばらなければなりませんかと言います。この二つには答えがありません。いつも行ったり来たりするから...プリスカ夫婦のように、これが連結して、神様が働かれればなっていくやさしいことで、そうでなければいつも難しいのです。詩78:70〜72節に、正しい心と英知の手で、信仰と技能を持ちましょう。
▲皆さんがこのまま契約を握って祈れば、まちがいなく働きが起きます。そうすれば、大きい困難を受けなくても、神様の多くの答えが起きるのに、困難がきても神様が答えをくださるようになっています。今日、皆さん新しい力を得て、契約を握って答えを受け始めるプリスカ夫婦の祝福を味わうようになることをイエスの御名でお祈りします。先週にある方が訪ねてきました。初期の時、伝道運動するのを研究した方がいます。この方が研究した後、何の問題もないと発表をして困難にあったのです。その方があった事を、ここにきてずらっと話しました。話を聞きながら、私達がしなくても、神様は皆さんの祈りを正確に神様のみこころのなかでみな成し遂げていくということが分かりました。皆さんが現場にまで、この答えが現れるようになることをイエスの御名で祝福します。
(祈り)
神様に感謝します。まさにこの時間が聖霊の導きを受ける時間になるようにして下さい。福音の価値を悟る時間になるようにして下さい。まさにこの時間が伝道の実を永遠に現わせるように、新しい契約を握る時間になるようにして下さい。生きておられる主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)