2009年3月15日  聖日礼拝 場所:インマヌエル教会 :柳光洙牧師


1部:ヨセフの確信
(創世記45:1-5)

☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲今日、ヨセフが確信したことを私たちが確認しなければならない。どのようにすれば祈りの答えを受けられるのだろうか。皆さんも受けられる。問題はどのように受けるのかだ。
▲今日、皆さんが重要な部分をのがしてはいけない。
(1)マルティン・ルター-幼い時から神様のみことばが整理されていた。
▲救いに関することは整理しておいて、みことばを握らなければならない。
軍人、大統領、牧師夫人、牧師ならば-聖書に何となっているのか、みことばが整理されてつながなければならない。その時から聖日に礼拝をささげれば、講壇が生き返って重要なことが見られる。救われた皆さんが神様のみことばが整理されれば、皆さんが想像できない答えがき始める。
▲少なくとも、神様の人は福音が何であり、私にくださった神様のみことばが何か整理されていなければならない。
(2)ムーディー-お母さんが福音の力と神様のみことばを握れと言った。ムーディーがそのみことばを握ったが起きた働きを見よう。
(3)クロスビー-幼い時、目が不自由になったが、おばあさんとお母さんを通して、神様のみことばを握った時、米国に最高の影響がある尊敬する人物になって、その賛美は世の終わりまで影響を与えるだろう。
▲世の中の難しいことは、みなしながらその全てのものを治められる神様のみことばだけ私に整理できなくなっているということは愚かなのだ。神様のみことばは生きていて力がある。皆さんがみことばを握ればずっと働きが起きる。Uペテロ2:6、ローマ15:4、ヘブル4:12、みことばは生きて力がある。イザヤ40:8、このみことばは永遠に働く。ここに対する証拠をつかまなければならない。このみことばが整理されていればまさに答えが始まる。ヨセフがここに対する確信と夢を持っていた。
1.家庭問題がきたがヨセフが持った契約と夢に勝てなかった。
(1)お母さんの死で受けた困難にも勝った。
(2)他のお母さんによって受ける苦痛にも勝った。
(3)兄たちが暴力と死の威嚇にも勝った。
▲このような時、ヨセフがどんなことが起きたのか。神様の契約を握って祈って大きいビジョンを見るようになった(創世記37:1-11)。これがずっと成就していくのだ。これがヨセフの開始だ。
2.呪いの奴隷生活がヨセフの確信と夢に勝てない。
(1)ポティファルの家に祝福が臨むようになり始めた。
(2)主の御手がヨセフとともにあることを本人も分かって、ポティファルも分かった。
(3)それでヨセフに家庭総務を任せた(創世記39:1-6).
▲ヨセフが奴隷に行って何を習ったのか。経済を学んだ。
3.甘い誘惑がヨセフが持った確信と夢に勝てなかった。
▲もしヨセフがポティファルの妻と遊んだとすればどうなっただろうか。
(1)とりあえずは幸せ-少しの間は幸せなこともある。
(2)出世保障-そして相当な出世も保障されるかもしれない。
(3)故郷の夢(創世記40:1-20)-そして、故郷へ行ける夢も成就されるかもしれない。
▲錯覚だ。私たちのレムナントがみことばの力がなければ悪い世の中に勝つことはできない。それで、ヨセフは社会勉強がよくした。世の中がこういうものだな!
4.地上の地獄である監獄がヨセフの確信と夢を防ぐことができなかった。
(1)寃罪を受けて監獄に行くようになった。しかし、うらみもせず、弁解もせず、呼び掛けもしなかった。私に何か力があれば勝てるのだ。
(2)苦しみに耐えたのでなく味わったのだ。何かを見たのだ。これが神様のみことばだ。
(3)長官の出会い(創世記41:1-38)-監獄の中にまた働きが起きた。そこで政治を学ぶようになった。時刻表はくるようになっている。
5.ヨセフの確信と夢は成功の前でも超然だった(創世記45:1-8)
(1)パロ王の夢(創世記41:1-38)
▲パロ王が夢を見て解釈する人がなかった時、いよいよヨセフが招かれた。皆さんが心配しなくても、待てば良い。どんな人間も福音なしでは生きることができない。
(2)創世記45:1-8、パロ王の夢を解釈する時もヨセフが答えたのは、主なる神様が王様を愛して夢を見せて、主なる神様が王様に言われることがある。これは完全福音だ。パロ王が言うのに、私が今まで会った人の中でこのように知恵があって主の霊に満たされた人を見たのは初めてだ。その場で命令がくだされた。あなたがこの国の総理を引き受ければどうか。
(3)ヨセフが総理になった後にも超然だった。
▲いよいよ時刻表がきたとのことを分かったのでヨセフは超然として...ポティファルの妻に対して報復しなかった。兄にも復讐しないで、兄に告白して、あなた方が私をここに売ったといって心配しないで、嘆かないで下さい。神様がいのちを救うために私をあなた方より先に送られました(創世記45:5)
4.結論
▲どのようにすれば答えを受けられるのか
(1)普段の時にみことばを握って祈りの力がなければならない。
▲教会を作ろうとするならみことばから握りなさい。I歴代29:3、詩11:4、ハバクク2:20、ミカ1:2すべての教会員がみことばから整理できなければならない。私たちの次世代がきて神様を学んで、私の人生を発見できる神殿を作りなさい。世の中の疲れた人々がきて力を得て、神様を発見できる資料を入れる神殿を作りなさい。この神殿を作れば、空と海と土地とすべての国々が揺り動かされるだろう。主の御告げ。
(1)使徒ヨハネが福音のためにパトモス島に流されていった。とても怖い島で、島流しされたが神様が七つの教会を治めるキリストの姿を見せて、サタンが起きて働くが、滅ぼされた姿を見せた。それと共におっしゃるようをこの預言のみことばを読む者、聞く者、守る者が幸いである。時が近いのだ...
▲皆さんが今日、本当にこの契約を握ったら、神様が答えられる体験をするようになる。レムナント、すべての皆さんの人生に神様が新しく始める祝福があるようになることをイエス様の御名で祝福します。
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲今日、ヨセフが確信したことを私たちが確認しなければなりません。どのようにすれば、祈りの答えを受けられるのでしょうか、皆さんも受けられます。問題は、どのようにすれば答えを受けるかということです。大部分の人々が信じるのに、実際なぜ答えを受けられないのでしょうか。がんばらなくてそうだろうかと思っています。もちろん怠けてはいけないのですが、がんばってもだめならば、どのようにするのでしょうか。
▲今日、皆さんが重要な部分をのがしてはなりません。
(1)マルティン・ルター
▲マルティン・ルターという人を知っているでしょう。この方1人が話をしたのですが、全世界宗教改革が起きました。どのようにしたら、こういう答えがきたのか、いろいろ考えられます。ただ一つの理由があったので、もちろん救われた者ということですが、それで何をしたからなのでしょうか。マルティン・ルターのお父さんが幼い時、このように話したのでした。今、教会はこれでだめだ、宗教改革が起きなければならない。それで、お前は裁判官になりなさい。それで、一時マルティン・ルターは、法学も勉強をしました。それをして、あきらめて神学をしたのでした。
▲幼い時から整理されたことが一つありました。それが何でしょうか。神様のみことばが整理されていたのです。これが祈りの答えを受ける、とても重要な理由となります。
▲なぜ人間は救われなければならないのか、なぜイエス・キリストでなければならないのか、なぜ天国があって地獄があるのか、いったいサタンは何か、なぜ信じれば聖霊を受けなさいと言われるのか、こういう基本的なことは整理しておいて、みことばを握らなければなりません。神様は確かに生きておられるのですが、見えなくて、私たちに見える方法は一つあるのですが、それはみことばです。聖霊の働きは確かにありますが、しかし、聖霊の働きという証拠はみことばにあって、サタンが確かにいて、皆さんを倒すのですが、見えないようにみことばから遠ざけるのです。それなら、皆さんも答えが受けることができます。ある面では当然の話です。
▲私が軍人だとします。それでは、聖書で軍人に何とおっしゃられたか。整理されていなければなりません。私が大統領だ、それなら大統領には神様が何とおっしゃられるのか、みな出ています。整理されていなければならないのです。私が牧師だ。牧師夫人だ。宣教師だ。全部、神様のみことばが整理されています。
▲それが私に来なければなりません。その時から、聖日の礼拝をささげれば講壇が生き返って、重要なことを見るようになります。私たちのいのちを治めておられる方は神様です。それなら、神様のみことばが整理されていなければなりません。どんなことをする時も、神様のみことばに何となっているのか、それを握らなければならないのです。皆さんはそれをのがしたのです。時には祈りの答えが来そうでもないようだったり、うろうろするのです。救われた皆さんが神様のみことばが整理されれば、皆さんが想像できない答えがきます。
▲皆さんがおわかりの通り、韓国の財閥に問題がたくさん来て、ある人は自殺して、事故で死んで。重要な方々なのに、なぜこういう多くの問題がくるのでしょうか。
▲少なくとも神様の人は福音が何であり、私に与えられた神様のみことばが何か整理されていなければなりません。そして、このみことばで何かをする時、神様のみことばが何となっているが少しだけ見回せばみわざが起きます。このようにやさしいことをおいて、違ったことを難しくするから、ずっと難しくなるのです。
▲昨日も牧師を迎えてこういう話をしました。変に、やさしいことをおいて、何のために難しいことをするのでしょうか。米国に行ったところ、ある牧師が挨拶しに来られました。お会いしてうれしいと挨拶しました。牧師先生、私たちが二人で教会を合体させたと言いました。そうですか。それはカルビンとベーズのようなすばらしい人物がすることなのにすごいことですねと言いました。それはものすごく重要なことです。こういうものをやさしいと思うのです。とても重要なのを適当にしてしまうのです。全く神様みことばと関係なしで...皆さん救われた皆さんが神様のみことばを握って、少しだけ祈ればみわざが起きます。それはやさしいのです。今日、皆さんが始めなければなりません。
(2)ムーディー
▲ムーディーを知っていますか。シカゴから始めて米国を揺るがしたムーディーは、兄弟が9人であったところでお父さんが亡くなったのです。ところで、どれくらい貧しいかったでしょうか。食べ物を持って9人が分け合って食べようとすれば、お腹がすいているのです。その時、隣の人がムーディーのお母さんを呼びました。食べ物を与えながら手助けする。それと共に何か話をしたのです。それをムーディーと兄弟が聞いて、何と話したかというと、とてもだめだ、この子たちを苦労させるな。孤児院に送りなさい。孤児院に送ればあちこち行って勉強できて、あなた一人で9人を養育しようとするなら大変だから、国家の助けを受けて育てて、こういう話をムーディーの兄弟が聞いたのです。お母さんが入ってきたら、9人の兄弟が泣きながらお母さんをつかまえて、絶対に行かないと言ったのです。パン一つで9人が分け合って食べても良いから、私たちはお母さんと住みたいと言ったのです。
▲ですから、お母さんが話すのに、私はあなたがたを育てる力がなくて、ただ一つあなたたちが福音と神様のみことばを握りなさい。約束することができるか。その兄弟が神様のみことばを握ったのです。ところで、心より握ったのです。皆さんがおわかりの通り、ムーディー1人でどれくらいみわざが起きたでしょうか。ムーディーがシカゴをひっくり返して、米国全域でみわざが起きました。一回、礼拝をささげれば献金の中に銃が何個ずつ出てきました。人を殺そうとしたのですが、説教を聞いて悟って銃を入れて行ったのです。ですからムーディーぐらい影響を与えた人はいません。
(3)クロスビー
▲先週、話しました。幼い子どもが生まれて医師の失敗で目が見えなくなったのです。それがクロスビーです。ところで、このクロスビーが哀れに育つのに、お父さんまで亡くなって、このように不幸になったのですが、正しく助ける制度もなくて難しかったのです。この目が見えない幼いクロスビーをおばあさんに任せてお母さんはお金をかせぎに行きました。ところで本当に不思議なことが行われたのです。このおばあさんがクロスビーのそばで神様のみことばを話したのです。これが驚くことです。人々は大部分、神様のみことばがどれくらい力があるのかを知らずにいます。疑わしいのがあれば、夕方にお母さんが帰ってきて尋ねればお母さんが、また話してくれました。聖書に見なさい。目が見えなくなった人は、自分の罪でもなくて、両親の罪でもなくて、神様がなさろうとすることがある。それと共に自分の一生に、計画を夢見始めたのです。ところでその目が見えない者は目が開かれたのですが、自分は開かれませでした。ですから、その聖書をおばあさんができなくてお母さんがしたのでした。肉的に目が開いた人が問題ではなくて、霊的な目が開かれなかった人が問題だと、それを握って祈り始めたのでした。私の考えですが、多分、地球の最後までクロスビーの賛美は継続されるでしょう。米国の国民を集めて最も尊敬する人物が誰かと尋ねたら、クロスビーと言ったそうです。
▲皆さんの事業に皆さんの計画に、神様のみことばが臨めば、どうなるでしょうか。ところで、私たちは大部分、みことばの整理をしないで、みことばを握りません。難しいと思わずに私が事業家ならば、神様のみことばで整理されるのが当然ではないでしょうか。私たちは免許証も取りました。そして、試験を受けて大学も行って、資格試験の勉強もしました。ある人は試験を受けて会社に入社もしました。そのような難しいことをすべてしながら、その全てのものを治められる神様のみことばだけ、私に整理できずにいるならば、当然、答えられないのです。
▲私が言うことをわかってこそ、聖書を読む理由を知るようになります。この言葉をわかってこそ、説教を聞く理由を知るようになるのです。この時から神様は生きているみことばで働かれます。当然、聖書に重職者を何といったか、油を注がれたしもべと言いました。それなら私にはどうでしょうか。ローマ16章に個人個人の秘密を皆上げて、それが何か、こうしてこそ、その時からみことばが働かれるのです。難しくありません。今日から答えを受けられます。本当です。
▲みことばは生きていて、力があります。私もとても難しい中にいました。率直にできることがありませんでした。これがどれくらい怖いでしょうか。幼い時、環境は難しく、貧しく、しかも、戦争も起きて、火災が起きて、幼い時、難しく暮らしていたうえに、韓国はずっと問題が起きて、デモが継続されて、幸いに韓国はたくさん成長したのですが、幼い時は、かなり難しく、私はもともと、貧しくなければならないのか、もともとお金はないのだと思っていました。難しいから教会に行っても同じです。ところである日、重要なことを悟ったのです。教会の人々が何のために、いらないことをよく話してお話が多いのか、結局、福音を知らないことでないか、分かっても味わえないことでないか、それなら、当然、伝道を知らないことではないのか。これをお手伝いしなければならない。それで創世記から黙示録まで伝道について整理していったのです。ところで整理をみなする前に、みわざが始まりました。
▲創世記18:17節に、神様が確かにご自分の事をなさる時、みことばからくださると言われています。それで、皆さんは心配する必要もなくて、占う必要もなくて、記録されたみことばは今でもずっと成就しています。これが申し訳ないのですが、仏教の経典とは違い、神様のみことばはずっと成就するのです。なぜ寺では人相をみてくれるのでしょうか、それは、死んで働かないためです。教会でなぜ占わないでと言うのかというと、皆さんがみことばを握れば、ずっとみわざが起きるためです。Uペテロ2:6、ローマ15:4、ヘブル4:12みことばは生きていて力があって、イザヤ40:8このみことばは永遠に働きます。ここに対する証拠をつかまなければなりません。私が聖書を研究しながら自分の人格と関係なく、答えがきました。このように、神様のみことばは、私たちに大きい祝福をくださるのに、私たちが知らずにいたんだなあ。それなら、私たちがこれから働きをする時、何から握らなければならないかというと、みことばです。みことばが整理されていなくて、握るという言葉を知らないのです。ところで、この救いのみことばと全体的な私に与えられるみことばが整理できずにいて、みことばにずっとついて行けという言葉が理解できないのです。
▲イスラエル民族が国を失って回復するのに1000年かかって、その間にも自分の国の言葉を使ったということです。アブラハムの話をモーセが記録したのですが、それまでにヨセフがいたのですが、ヨセフが知らなかったのでしょうか。ヨセフが勝利するようになった秘訣、おじいさんアブラハムの時から伝えられてくるみことばを握ったのです。そして、その中に現れる各種の力を握りました。そして、最も重要な福音の契約を握ったのです。そして、自分の家に起きる問題、家族の情念を握りました。そのような中にヨセフに苦難が差しせまってきて、それでは揺れるしかないのですが、みことばが整理されていれば、大きい力になってしまうのです。皆さん、心よりこの体験をしなければなりません。難しくなくて、誰でもできます。
▲私たちのレムナントが、みことばが整理されていれば、困難を受けてもすぐに答えが始まります。この体験ができてこそ、信仰生活になります。そうでなければ、ずっと疑いが生じます。行き来しながら、神様が有るか無いか、教会に行ってもそれおくらいで、行かなくてもそれだけなのです。

1.家庭問題がきたのですが、ヨセフが持った契約と夢に勝てませんでした
▲ヨセフがここに対する確信を持っていました。そうしていたので、家庭問題がきたのですが、ヨセフが持っていた契約と夢に勝てませんでした。簡単に話せば、このみことばが整理されていたので、家庭の困難を越えて立つことができたのです。最も大きい困難が何でしょうか。
(1)お母さんが亡くなったのです。これが最も大きい困難です。それで、子どもたちには最高の困難が何かというと、お母さんがいないことです。夫婦の中で先に死ななければならない人がいるとすれば、お父さんが死ななければなりません。お母さんがいなければ、その子たちが育つのに通常の問題がくるのではありません。霊的な部分と、すべての部分でそうです。普通の困難ではないのです。ヨセフにあった困難です。それで最もかわいそうな子どもは、お母さんがいない子どもです。時々、法廷で争いになって、お父さんが連れていくのか、お母さんが連れていくのか、お父さんが法を通して連れて行こうとするのは、とても悪い場合です。それは人生が何かわからないことです。人が何かわからないのです。子どもたちが育つ時、お母さんに乳を飲ませてのもらうことがすべてです。ところで、ヨセフがこの祝福をのがしたのです。弟は、まったくお母さんの顔を見られませんでした。しかし、ヨセフは知っていて、それもお母さんに最も会いたがる年齢で失って、皆さん、今、小学生の子どもたちと本を読んで時間を送りなさい。中高校生になれば皆さんを見つめることもありません。それよりさらに重要なのが、一歳、二歳、三歳の時です。この時、お母さんが全部です。この時、ヨセフのお母さんが亡くなったのです。だから内容は言葉で表現できません。
(2)こういう場合に、他のお母さんが多くいました。
(3)ところで、兄たちが暴力的で、ヨセフを殺そうとしたのです。
▲このような時、ヨセフが神様の契約を握って祈って、大きいビジョンを見るようになりました。皆さん、みことばが整理されるとこのようになります。兄たちの中にはみことばがなかったのですが、ヨセフの中にはみことばがありました。それなら、困難がくれば祈るのではなく、祈るようになります。祈ったのですが、大きいビジョンを見て、そのビジョンが何かというと、全世界、太陽と月がお辞儀をするのでした。これが何か、ヨセフの開始でした。
▲皆さん今からでも可能です。

2.呪いの奴隷生活がヨセフの確信と夢に勝てませんでした
▲こういう中で、ヨセフが奴隷に売られました。ところで、奴隷に売られる時、ヨセフにすでに答えを持っていました。皆さんが神様のみことばが整理されていて、みことば握った人には働きから起きます。すでにヨセフは、その夢をかなえに行くという事実を確かに分かっていました。どういうことなのでしょうか。
(1)ポティファルの家に祝福が臨み始めて、主がヨセフのゆえにポティファルの家の畑にまで祝福されました。祝福が臨み始めたのです。
(2)ところで、主の御手がヨセフとともにあることを本人も分かって、ポティファルも分かって、それでどうなったのでしょうか。
(3)あなたは奴隷をせずに、我が家の総務を引き受けろと言われました。
▲何でしょうか。呪いの奴隷生活がヨセフの確信と持ったみことばに勝てなかったのです。今日からこのみことばを握って信仰生活を始めなければなりません。不思議に思えることが行われます。
▲合宿を受けろということは、福音から整理しなさいということです。それがタラッパンで作ったわけですが、私は教会生活を長くしたがそのようにしてはだめです。福音が何か、はやい時間に整理されなければなりません。それで、合宿を受けなさいと言うのです。男性が訓練を受けません。男性が重要ですが、重要なことをしながら訓練を受けなくて、多くのエリートが重要ですが訓練を受けません。他のものはすべて持っているのに、神様のみことばだけ整理されていません。私はこれがサタンの働きだと思います。
▲ヨセフがみことばが整理されているから。奴隷に捕えられるのにみわざが起きました。皆さん、奴隷ということは、今話す雇い人ではなく、とてもみじめなのです。
▲ところでヨセフが奴隷で行って、何を学んだかというと経済を学びました。単純な奴隷になってはいけないのに、家庭の総務になって、大きい家で生活したので経済勉強もみなしました。

3.甘い誘惑がヨセフが持った確信と夢に勝てませんでした
▲ところで、少し予想したことですが、レムナントが行く所ごとにありうることです。ポティファルの妻がずっとヨセフを誘惑したのです。世の中に出て行けばいくらでもありえることです。それで力がなくてはいけないのです。ヨセフは力がありました。今、女の方々が外に出て行けば、おかしな人がいっぱいいます。今回、俳優が自殺をしました。それと共に遺書を書いていたのが、お酒の席で性的なことを要求されるのでまだ若い子だったので自殺したのです。世の中がそうです。もし皆さんが力なければ、世の中に出て行けば押さえられるか、そのようなことをしたのか、そのようになってしまいます。
▲もしヨセフがポティファルの妻と遊んだとすればどうなるでしょうか。
(1)少しの間は幸せだったかもしれません。
(2)相当な出世も保障されるかもしれません。
(3)そして故郷へ行ける夢も成されるかもしれません。
▲錯覚です。ヨセフは力がある人です。ヨセフはすでに毎日みことばが整理されて成就する力がありました。
▲私たちのレムナントがみことばで力がなければ、悪い世の中に勝てません。それでヨセフは社会勉強が上手だったのです。世の中がこういうものだな。勉強をよくしました。

4.地上地獄である監獄がヨセフの確信と夢を防ぐことができませんでした
(1)しかし、監獄に行って汚名で恐ろしいのは恨むことを考えなかったのです。聖書をいくら探してみても、弁解もせず、私なら呼び掛けでもしたはずなのに、呼び掛けもしなくて、なぜそうだったのでしょうか。神様がくださる力というのは、監獄に行っても、奴隷に行っても関係なく、私に何か幸せと力が臨めば勝てるのです。さらに重要なのは、こういう答えを受けてみたら、兄たちに売られて奴隷にくることでも、奴隷で出てきて監獄に行くことが似ています。なぜでしょうか。神様の計画を成し遂げるということを分かったのです。
(2)さらに重要なのは、耐えたのでなく味わったのです。苦痛を耐えるより何かを見たのです。これが神様のみことばです。皆さんが神様のみことばが整理されて味わえば、本当にみわざが起きます。私に問題がきたがどうするのか、神様のみことばを整理しなさい。必ず答えがきます。これが、かんたんなのに、人々がこれをのがしているのです。ヨセフが話せば良いでしょう。ヨセフがどんな人ということをポティファルが知っています。ポティファルがヨセフを見て何と話したのでしょうか。本当に主があなたと共におられるな、あなたは奴隷をせずに家庭の総務をしろと言ったのですから、それならヨセフが話せば良いでしょう。本当に違うと話せば良いでしょう。そして、あの女が毎日私を誘惑して、今度は自分の服をはがして、それで私が逃亡してと話せば、ポティファルがわかることもあるでしょう。真実のヨセフをポティファルが分かっています。法廷でもポティファルに話せます。他の人は分からないがポティファルは分かるでしょう。ヨセフを監獄に入れなかったでしょう。分かって、本来、自分の妻はそのような女だと言えるでしょう。しかし、ヨセフは弁解しませんでした。ところで、ヨセフが監獄に入って、法にも訴えませんでした。家庭の破綻を守ったのではありません。
▲ヨセフには他の力があったのです。困難がないことはありません。私たちがみことばを握っていれば、困難に勝つ力があるということです。監獄でまたみわざが起きて、当然のことです。
(3)そこで政治を学ぶようになりました。皆さんが知っている、全部、祝福に変わる驚くことが行われたのです。
▲時刻表はきます。神様のみことばは政治、社会、歴史でも、全部、合うように成就するから驚くことが行われるのです。

5.ヨセフの確信と夢は成功の前でも超然でした
(1)ある日、パロ王が夢を見たのですが、おかしな夢を見たのです。解釈する人がいません。パロ王がとても腹が立って、博士、呪術師が多いが、この夢を解釈できないのか。数日の内にこの夢の解釈をできなければ、あなたたちは皆殺されると思えと言いました。人は、死が迫ってくればしっかりします。皆さんを見て1ケ月の中に百人伝道しなければ死刑。一年内に、一億ずつ献金しないならば死刑、このようにすればみな、みわざが起きるでしょう。王が命令をくだしました。数日の内に夢を解釈できなければ、私のそばにいる呪術師はみな死刑。緊急になったので、この長官が死ぬようになるので思い出したのです。ヨセフ。その時、思い出せたのです。監獄から出たのですが、つまらなくて思い出せませんでした。しかし、緊急だから思い出したのです。
▲人は緊急な瞬間には福音が必要です。それで心配しなくて待っていてもかまわないのです。どんな人間も福音なしでは生きられません。待てば良いのです。
(2)ですから王に話したので、直ちに呼び出されました。ヨセフを呼びだして、王が尋ねました。お前が私の夢を解釈できるのかと尋ねた時、私のようならば、はいそれは自分の特技だと答えるでしょう。しかし、ヨセフはそのように返事しませんでした。主なる神様が王様を愛して、夢を見るようにされて、主なる神様が王様に言われるのです。これは完全らしくて完全福音です。初めて聞いてみた王はどういうことなのか尋ねて夢を解釈してあげて方法も知らせたのです。王がヨセフの話を聞いて、私たちがする言葉で、参ってしまったのです。私の祈りの課題です。私たちのレムナントが行く所ごとに、多くの既成世代が参ってしまうように。世の中でこうできるのか。そうなるでしょう。みことばを握れば良いのです。みことばが整理されて行く方向を握れば、みわざが起きて、なります。王が言った言葉です。臣下を見て王が直接推薦しました。私が今まで会った人の中で、このように知恵があって主の霊に満たされた人を見たことは初めてだ。その場で命令を下しました。世界最高の王パロが、お前がこの国の総理を引き受ければどうなのか。そして、言った言葉です。この国をお前の思いどおりにせよ。そして、お前の許しなしでは国民が手足を動かさないようにする。最後に王が、私はお前よりまさっていることは一つもなくて、ただ王座に座っていることしかないと、パロ王が話したのです。
(3)ヨセフが総理になった後にも超然でした。みことばがある人。いよいよ時刻表がきたということを分かったので、聖書のどこを見てもポティファルの妻に復讐した内容がありません。ひとまず私なら総理になるやいなや、ポティファルを呼ぶでしょう。時間があればポティファルの妻を呼ぶでしょう。今までにない強大な権威の総理になったのです。それならポティファルは首が飛ぶのです。その時の王と総理は、今と同じでではなくて、もしその事実が現われれば家を全部滅ぼしたでしょう。昔には、王や総理に悪い嘘をつけば、子孫を滅ぼしてしまったのでした。ヨセフは、聖書を見れば、そうした記録がありません。
▲自分の兄に会っても、兄に恐れずに心配しないようにと言って、兄たちが私を売ったのではなく、神様が私を先に送られたのだと言いました。これを見れば普段、みことばを握っていたということです。
▲今日、皆さんが感づいたでしょう。

6.結論-どのようにすれば答えを受けられるのでしょうか。
▲どのようにすれば答えを受けるのでしょうか。
(1)普段の祈りの力も重要で、ビジョンも重要ですが、このみことばが正しく整理されていなければなりません。このようにすれば、驚くことが行われます。
▲私たちが普通、今の教会を見れば、教会堂を作る時見れば、そのまま建築にありったけの力を込めます。それが失敗で、みことばを握らなければなりません。I歴代29:3ダビデが話すのに、神殿のためにこれらすべてのものを神様が備えられました。これが何の話なのでしょうか。ハバクク2:20、主がその宮にいらっしゃるので、何の話なのでしょうか。詩11:4主がその宮にいらっしゃるので、ミカ1:2、主がその宮でなさることで、こういうみことばが整理されなければなりません。
▲それで、私が釜山にいた時、ソウルに上がってきたことがあります。一番最初に3ケ所に行きました。ヨイド純福音教会、ヨンラク教会、ミョンドン聖堂に行きました。道を分からないでバスに乗って訪ねて行ったのです。私はヨイド教会に行って、このように感じました。ドア十ケ所が同時に開いて、まるで体育館にきたようだと感じました。そして、ヨンラク教会に行ってみたのですが、あたかも会社にきたようでした。本当にうまくいっています。会社に行ったのです。ところで、ミョンドン聖堂に行きました。衝撃を受けました。ひとまず入口に交通警察が整理していました。どれくらい大きいのか、路上生活者が寝る所もあって、国民がしたい話があれば座り込みをする席もありました。ミョンドン聖堂の本堂に入ってみました。人々が何人か行き来して、そちらに座ったのです。よく作ってありました。下手すると誘惑されるところでした。やや恵まれる気持ちでした。その時、思ったのが、もし未信者ならばどこへ行くでしょうか。もし信者でなければ、全部、偶像とも知らずにどこへ行くでしょうか。
▲その時、私が祈りを始めて、神様、本当に福音がある教会が何をしなければなりませんか。私たちが教会を作ればさまよう青少年が、子どもたちが、教会に来て帰って座って何か見た時、自分の人生に新しい力を得られる教会であるべきではないでしょうか。言葉にしなくても、教会のあちこちに見つめて人生を学んで、神様を学べる資料を作らなければならないのではないでしょうか。
▲ワシントン記念館に行ってみたことがありますか。その一ケ所を回れば、多くのことを学べます。そして、多くの国民社会の人々がきて、安息を得ることができる教会を作ることができないでしょうか。私がそのように考えたのですが、私たちがみことばが正しく整理できなければなりません。インマヌエル家族とタラッパンで、教会堂を作ろうとする方たちは、全部、みことばが整理されなければならないのです。
▲イエウォン教会は大きく教会を作っていて、しかし、すべての教会の信徒がみことばから整理されなければなりません。なぜか、その教会がうまくいかなければならないためです。それなら重職者がみことばが整理されなければなりません。その時からずっとみわざが起きます。単に教会堂を作りなさいではなく、本当に私たちの次世代がきて神様を学んで、自分の人生を発見できる教会堂を作りなさい。本当に世の中で疲れた人々がきて神様が分かるように資料を入れる教会堂を作りなさい。この教会堂を回復すれば、空と海と土地と国々を揺り動かすでしょう。主の御告げ。
▲皆さんのこれからも、みことばが整理された後で何でも始める時、みことばを整理して入って行けば本当にみわざが起きます。
(2)使徒ヨハネがパトモス島に島流しされて行きました。福音のために、その時はそのような時代がありました。とても怖い島に行って、神様が七つの教会を治めるキリストの姿を見せられたのです。そして、サタンが起きて力を発揮すると見られるが、滅ぼされる事件を見せられました。それと共に何と言われたでしょうか。この預言のみことばを読む者、聞く者、守る者は幸いです。時が近いのです。
▲皆さんが今日、本当にこの契約をつかむように願います。そうすれば、神様が答えられる体験をするようになります。私たちのレムナントとすべての皆さんの生活に、新しく始める祝福があるようになることをイエスの御名で祝福します。
(祈り)
神様に感謝します。神様のみことばが整理されるようにしてください。みことばが成就するようにしてください。みことばよって勝利する生活を送るようにしてください。新しい開始になるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)



2部:パウロ、恐れてはなりません
(使徒27:10-25)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲今日、献身礼拝をささげる派遣された宣教師に、神様がみことばをくださるのに、パウロ、恐れてはなりません!なぜそうなのか契約をよくつかまなければなりません。
▲仕事をしていれば葛藤もきて、試みもあって、困難もくる。この時、注意しなければならない。このような時に、祝福を受ける人と受けられない人が区分される。なぜ神様が悪い者をそのまま置かれるのか。あのように善良な人がなぜ困難にあうのか。伝道もしない人が伝道する人を異端にしてしまうのに、なぜそのまま置いておかれるのか。なぜ福音を伝える人々が時代時代ごとに困難にあったのか。ここに対する答えがなければ伝道できない。この時、神様にハバクク預言者が、なぜ義人が苦難にあって、悪い者はなぜ生かされるのかと尋ねたところ、答えられるのに、わたしの言葉を石に刻んで、走って行きながらも見るように刻みなさい。すべての人が永遠に見るようにしなさい。それが神様の答えだ。何の話なのか。
(1)少しの間-悪人が良く暮らすのは少しの間だ。義人が苦難にあうのも少しの間だ。永遠なことは別にある。わたしの話を石に刻みなさい。違った者が真理を持った者を異端にする。悪い者が義人を罪人として審判することもある。それが少しの間だ。
(2)しかし永遠なことがある。それを握らなければならない。
(3)必ず真理が勝つ。特に福音が勝つ。心配するな。ここに対する確実な答えがあってこそ献身できて、伝道者になることができる。
▲今日の本文はとても重要だ。伝道するパウロをつかんで殺せと言った。歴史には一度も欠かさず...パウロがローマに上告をした。それでローマ総督が裁判をするのに、よくわからない。それでフェストという総督が言うのに、この人は何の誤りもないのに、なぜあなた方が悪口を言うのか。ところで、パウロが上告をしてローマに行くようになった。パウロが罪人として縛られてローマに行く中で、船に乗り換えて行く中で起きた事件だ。その時、神様がパウロにみことばをくださって、パウロ、恐れてはなりません!あなたはカイザルの前に立たなければならない!そして、あなたとともに船に乗っている者は、みなあなたに与えた。私たちに霊的教訓が大きい。
1)人々はほとんどみなが伝道者と神様のみことばを見くびっている。教会を見くびる。
2)人々は多数主義だ。
3)便利主義だ。便利に生きよう...
4)安易主義
▲ところで強風が吹いて完全に絶望の中心に追い込まれた。
1.暴風とは何か
(1)突然-良く暮らすのに突然、これが暴風だ。神様が必要ないというのに突然...
(2)この暴風は、どんなにしてもだめだ-努力、科学的な方法、宗教、階級、お金では解決できない。
(3)絶望だけ残っている。人が狂って自殺する理由は絶望だけ残っているためだ。
▲今日、このように大きい暴風が固め打ちして、人々は最悪の境遇だ。
2.神様は自分の民を放置しないで見守られる
(1)聖書66巻を見よう。本当に救われた者に間違いないならば、どんな場合も失敗しない。
▲ローマ8:31-39、どういう者も神様の御手から奪う者はいない。剣、天のこと、地のこと、どんなことも奪えない。
(2)使命者-特に使命者は奪っていけない。
(3)伝道者-伝道者がいる貴重なところに神様が一緒におられる。
1)祈り-祈る時間に
2)御使い-主の使いが直接きて話した。
3)みことば-パウロ、恐れてはなりません!あなたはカイザルの前に立たなければならない!
3.みことばが宣言される時、すべての問題解決
▲パウロが堂々と出て行ってみことばを宣言した。皆さん、私の話を聞いたら良くなるところした。しかし、昨日、夜に神様の使いがおっしゃった。カイザルの前に立たなければならないから恐れるな。神様があなたがたとともにおられる。この言葉をし終えたが波が穏やかになった。
(1)パウロはみことばを持っていた-使徒19:21、使徒23:11、使徒27:24
(2)みことばをどのように握るのか
1)福音が整理されるメッセージから握りなさい。
2)職業、職分、状況によって、自分のメッセージを握りなさい。
3)それでは必ず自分の未来が見られる。
(3)みことばが宣言されるその時に驚くことが行われた。
1)詩篇103:20-22、主の御使いを送って驚くべき奇跡の働きが行われる。
4.結論-パウロ、恐れてはなりませんという言葉は、何の話なのか。なぜそうなのだろうか。
(1)パウロのために-船、船長のためでなく、パウロのために...皆さん1人が重要だ。ヨセフのために...契約を握る瞬間にヨセフのために...
(2)福音のために-カイザルの前に立たなければならない!
(3)使命のために-暴風の中で救い出されるだろう。この福音をあかしする使命のために...
▲皆さんが今日メッセージを正せば同じ答えを受けるようになる。
▲今から21年前、インマヌエル教会を開拓した時のメッセージがまさにこのメッセージだ。パウロ、恐れてはなりません!私の信仰告白だ。それからおよそ20年を駆けたがおよそ2年駆けたようだ。このように皆さんと共にソウルで世界福音化する祝福を味わうようになった。
▲奇跡はいつ起きるのか。神様の契約があるのに、この道を行く時、危機がくれば奇跡が起こる。イスラエル民族が紅海を渡るべきなのに、紅海がふさいでいるならば奇跡が起こる。イスラエル民族がカナンの地に行くべきなのに、エリコがふさがっていれば崩れなければならない。神様のみことばは防ぐ者はいない。ここに主役になることを望む。皆さんはこの現場の主役だ。必ずこの答えを受ける主役になることを望む。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲私たちの聖歌隊員に神様の大きい祝福があることを希望します。この頃、声が大いに変わったようです。賛美に恵みを受ければ多くの人々を生かすようになります。映画を作れば1-2年ならば、ほとんど終わります。良いミュージカルのようなものも、およそ10年行くのがあるくらいです。しかし、賛美は百年も過ぎていきます。クロスビーが歌った賛美は、百年を越えたのにずっと世界を生かしています。
▲今日、献身礼拝をささげる皆さんと派遣されたすべての宣教師に神様がおっしゃるのに、パウロ、恐れてはなりません!なぜそうなのか、契約をよくつかまなければなりません。
▲仕事をするならば、葛藤がきたりもします。このような時、注意しなければなりません。また、私たちは試みにあったりもします。このような時、注意しなければならないのです。私たちは良いことだけくるのではなく、困難もきます。良いことより葛藤がさらに多いのです。このような時に、祝福を受ける人と受けられない人が区分されるのです。特に、私たちの宣教する方はさらにそうです。
▲人々が尋ねました。なぜ神様が悪い者をそのまま置いておかれるのでしょうか。死んでしまえば良いのですが、なぜそのまま置いておかれますか。あのように善良な人がなぜ困難にあうのですか。そんなことが多いのです。伝道もしない人々が伝道する人を異端にして、心配をかけるのか、なぜそのまま置いておくのでしょうか。質問するべき程です。とても福音を伝える人は、時代時代ごとに困難を受けました。ここに対する答弁がなければ宣教できません。時代ごとに伝道しない人が伝道する人を困らせて、伝道する人々は汚名を着せられて、なぜそうでしょうか。そこに対する答弁がなくてはいけません。これは社会に行っても同じです。優しい人は困難を受けて、悪い人々はなぜあのように、のさばって回るのでしょうか。この時、神様はハバクク預言者にこのようにおっしゃられました。ハバクク預言者が尋ねました。なぜ義人が苦難にあっているのでしょうか。あんな状態で悪い者はなぜ生きているのですか。その時、神様がこのように答えられました。わたしの言葉を石に刻みなさい。石に刻めば、どうなるのでしょうか。常にあります。その当時、石に刻むのが、最高だから、石に刻みなさい。走って行きながら見るように刻みなさい。石に刻めば、行きながらも見るようになります。馬に乗って行きながらも見るようになります。それは、何の話でしょうか。すべての人々に永遠に見るようにさせなさい。それが神様の答えです。何の話なのでしょうか。
(1)悪人がよく生きるということは少しの間です。義人が苦しみに会うのも少しの間です。
(2)永遠なことが別にあります。わたしの言葉を石に刻みなさい。なぜ耐えなければならないのでしょうか。ここで少しの間です。違う者が真理を持った者を異端ですることがあります。多くありました。悪い者が義人を罪人に審判する時もありました。ところで、それが少しの間なのです。石に刻みなさい。この話は永遠なことがあるのです。それを握らなければなりません。
(3)必ず真理が勝ちます。特に福音が勝ちます。心配しないように。
▲ここに対する確実な答えがあってこそ献身できて、伝道者になることができるのです。
▲今日の本文はとても重要な背景です。パウロを異端にしました。伝道するパウロをつかんで殺そうとしました。どうしたのと尋ねてはいけません。時代ごとにそうでした。一度ももれなく。歴史に一度ももれなく。それでパウロが告発したのです。どのように告発したかというと、ローマに束縛されているので、ローマに上告をしたのです。私たちは異端ではない。告発をしたのです。ユダヤ人は異端だ。ところでローマ総督が出てきて裁判をするのに何かわかりません。今でもそうです。教会が自分たちどうしで戦えば、判事は何の話かわかりません。それで、フェストという総督が裁判をしながら、このように話しました。この人たちは、何の誤りもないのになぜ度々悪口を言うのか、それでパウロに話したのです。あなた何の誤りもない。無罪だと宣言する。ところで、パウロ、そうではありません。上告します。判事が理解できないのです。無罪宣告をすれば、すぐに出て行くのに、その背景です。聖書を読む時、知っていなければなりません。私は上告します。どこにでしょうか。大法院に。大法院に上告すれば、カイザル皇帝の前に行かなければなりません。多くの理由があります。ローマに属国なっているから、ローマ法で無罪とすれば終わるから。しかも、開ざルの前に行ってこの説明をしなければなりません。これは大きな背景です。私が見る時、パウロは普通の人ではありません。それで船に乗ってローマで行く道です。パウロが囚人として行きました。それで船に乗り換えて行くところで、パウロが話したのです。祈りをよくしているしもべパウロが、今、行けば暴風に会う。船だけに問題があるのではなく私たちが死ぬようになる。それで、今、休んで行くのが良い。何でもない囚人がそのような話をするから、何の話なのか、今、この人が最も重要な福音を持った伝道者とは知らずにいます。この百人隊長は引率の責任者です。だから分かりません。だから百人隊長が船長を呼んだのです。いや、この人が暴風に会うと言うのだが、そうなのか。船長が何と話すか、違う。経験が多い船長が、ないと言うけれど、百人隊長が軍人なのに怖くなって船主を呼びました。暴風に会うと思うが大丈夫なのか。あのおかしな人が、暴風に会うと言うのに、大丈夫なのか。船主が話します。今は、暴風がふく時ではありません。そのまま行きましょう。多くの人々が、そうではないと話します。暴風に会っても、ここで休んではいけません。より良いところ、ペニクスに行って休まなければなりません。ユリアスという百人隊長が航海命令を下すようになりました。このようにして、船が行くのに何の事もありません。いや何の事もないのにどうしたの、しばらく行ったら突然、暴風がきました。どうしようもなく沈んでいきそうなのです。14日間、昼夜区分なしで暴風が打ちつけました。船が沈みます。この時、神様がパウロにみことばをくださったのです。その時、なさったみことばです。パウロ、恐れてはなりません。あなたはカイザルの前に立たなければなりません。そして、あなたと船に乗っている者はみな、あなたに与えました。パウロがその言葉を宣言する内容です。
▲私たちに霊的な教訓が大きいのです。
(1)人々はほとんどみなが何をしているかというと、伝道者と神様のみことばをおもしろいと思っています。世の中の人々が教会を見くびっています。時代ごとにそうでした。それで、イエスを信じる人を殺して、みなほろびるようになったのです。それも囚人で縛られていく、つまらない伝道者が話せば、それが何かと無視するのです。それだけではありません。
(2)多くの人々が行って、そんな話をするのは、ほとんどみな人々は多数主義です。いや、1人も暴風に会わない。行こう。
(3)休もうとすればペニクスに行こう。そこがさらに便利です。人々は真理がありません。便利に生きよう。何か多くの人々が行く所に行こう。行く道に行こう。何が神様のみことばか、そのようなかたちです。行く所、何のこともありません。
(4)聖書を詳しく見れば、百人隊長が船主と船長の話をパウロの話よりさらに信じたのです。11節にそうなっています。12節に、その港が冬を越すのに不都合だから、離れてペニクスに行こう。そこで過ごそうと言う人がさらに多いから、これが今日の世の中です。
▲ところで13節に南風が優しく吹いて来て、暴風に会うというと、南風が優しく吹くのに、安易主義、みなこのように生きています。大丈夫だが、なぜそうなのか、ところで14節にいくらにもならなくてユーラクロんという強風程度でない、暴風が吹いて近づいたのでした。完全に絶望の中で追い込まれるようになりました。
▲私たちに霊的教訓が大きいのです。

1.暴風とは何でしょうか
▲暴風とは何でしょうか。辞書を見ると、風がとても強く吹いて水が固め打ちするという意味なのですが、私が話すのはそうではありません。
(1)突然。元気に暮らしているのに突然。これが暴風です。神様が必要でないと思っているのに突然。何が祈りと献金で、世界宣教なのかと思っているのに突然。宣教と関係なく元気に暮らしているのに突然。
(2)この暴風は、二番目の特徴が何でしょうか。いくらしてもだめです。沈むのに人々がひもを引っ張って自ら努力をしているということです。ある物を全部みな捨てました。科学的な方法を動員したということです。できるでしょうか。各々、自分の神に祈って大騒ぎが起こりました。宗教をもってもだめです。この時、見ると船主が行き来するのに、お金を持って解決できません。水が漏れて入ってくるのに、階級をもってもだめです。百人隊長が命令するからなるのではありません。ずっと沈むのです。皆さんが乗った船がますます沈んだら、どうなるでしょうか。水がどんどん入ってくるのに、どのようにしなければならないのでしょうか。歌を一度歌ってみるでしょうか。このような時、タイトルマッチのビッグゲームを見るでしょうか。何の効果もありません。
(3どんどん水が入ってくるので、死だけが残ったのです。残っているのが絶望だけ残っていました。なぜ人々が狂って自殺するのか分かるでしょうか。絶望だけ残って、これが大きい教訓です。今日、暴風が吹いて打って、人々は最悪の境遇に置かれました。

2.神様は自分の民を放置しないで見守れます
▲今日、皆さんが二番目に記憶しなければなりません。パウロ、恐れてはなりません。神様はご自分の民を放置されません。
(1)聖書全体の話です。聖書66巻をはっきりと握るように願います。本当に救われた者に間違いないのでしょうか。アブラハム、イサク、ヤコブを見ましょう。創世記です。本当に救われた者に間違いないのでしょうか。モーセ、ヨシュア、カレブを見ましょう。出エジプト記、レビ記、民数記、申命記です。本当に救われた者でしょうか。どんな場合も失敗しません。
▲ローマ8:31-39どういう者も神様の手から奪う者はいません。剣も天にあるのも、地にあるのも、神様の手から奪う者はいません。神様の御手で奪う者は一人しかいません。誰でしょうか。神様の御手にあるのに
▲私の手が楊貴妃のように見えるので、あるレムナントは触って行く人がいます。今回、サイン会の時、一度、触ってみてもかまわないか尋ねる学生がいました。多分、このメッセージ聞いていたのでしょうが、私の手の力が強いのです。すると今回、あるレムナント1人が次に会う時は腕相撲を一度してみましょうと言ったので、分かったと言いました。私が特に好きな運動が柔道です。つかめばなかなか抜け出せません。ところで、一度、休みの時、学生たちがきました。選手です。私より経歴が短いのですが、選手でした。休みのときにきたのですが、館長が一度してみるかと言ったので、分かったと言いました。びっくりしました。どれくらい上手にするのか、私が捕まえた瞬間に指を抜きました。その時、手をくじいたのが20年になったのですが、骨が飛び出しています。
▲神様の御手に捕えられた者を取っていく条件は一つしかないのですが、神様より力が強ければできます。つまり、奪い取る者はいません。
(2)特に使命者。誰が取っていくのでしょうか。神様の子どもも尊いのに、特に使命者。皆さんが本当に神様の働きのために献身するのに使命者。
(3)今日、ある長老に言いました。神様が伝道者を滅ぼされることは一度もありません。このように汚名を着せられて、迫害を受けても絶対に失敗しませんでした。これからを見てください。世の中の人々はよく知らないのですが、韓国がそのようにおかしな国ではありません。世界福音化できる重要な国です。伝道者がいる貴重なところに神様がともにおられます。
▲その日の夜に祈る時間に、カイザルの前に立たなければならないだろうと契約を持った人です。それならば恐れてはなりません。わたしがあなたとともにいる者をみな助ける。いつでしょうか。

3.みことばが宣言される時、すべての問題解決
▲この話しを聞いてパウロが出て行って、神様のみことばを宣言します。大胆に出て行きました。皆さん、今はめちゃくちゃになって囚人と船長だという必要はありません。出て行ってパウロが船長になったのです。皆さん、私の話を聞いたら良くなるところだったのにと言いました。ひとまず叱責して、しかし、昨日の夜に神様の使いが私におっしゃった。カイザルの前に立たなければならないから恐れてはならないと言われました。神様があなたがたとともにおられます。この言葉を宣言したら、波が静かになりました。
(1)パウロは契約を持っていて、みことばを持っていました。ローマも見なければならない。先週に24:11、勇気を出しなさい。今日、危機に会った時、恐れてはなりません。これが神様のみことばを持っていたのです。
(2)今日、長老が集まった時、少しの間、言ったみことばです。1部礼拝の時、みことばを正しく握りなさい。このみことばをどのように握るかを説明しました。そして、福音を整理されるメッセージから握りなさい。そして、皆さんの職業、職務、状況に自分のメッセージを握りなさい。これは握れば、必ず未来が見られます。今日、重要です。神様のみことばを整理される時、ものすごいことが行われます。説明できません。説明を聞こうとするなら重職者にならなければなりません。まちがいなく働きが起きます。
(3)このみことばが宣言されるその時に驚くことが行われ始めました。聖書を詳しくご覧になるよう望みます。神様のみことばが宣べ伝えられる時ごとに詩103:22-25神様の主の御使いを送って驚くべき奇跡が起こり始めたのです。それで、恐れてはなりません。

4.結論-パウロ、恐れてはなりませんという言葉は何の話なのでしょうか。なぜそうなのでしょうか。
▲結論を結びます。パウロ、恐れてはなりませんとは何の話でしょうか。なぜそうでしょうか。
(1)船のためではありません。船長のためでもありません。誰のためなでしょうか。パウロのために。皆さん1人が重要です。ヨセフのために。皆さんが本当に福音を持って今日、契約を握った瞬間に、ヨセフのために、恐れてはなりません。カイザルの前に立たなければならないとは何の話でしょうか。
(2)ある面では、パウロのためでもありません。福音のために、この暴風の中から救い出して下さるでしょう。
(3)ある面では、福音のため、これではありません。福音はすでに与えられたのです。これをあかしする使命のためにです。今日、重要です。今日のメッセージよく握れば同じ答えが起きるようになります。
▲今日、釜山からパク・ウォンギュ長老が参加されたのですが、教会に席がなかったので、お客さんの接待ができない教会なので仕方ありません。今から21年前でした。副牧師だった時、どれくらいその教会がけんかをするのか、本当に変でした。それで、なぜけんかをするのか私は分かります。祈りの答えを受けられないで、恵みを受けられなければそうなります。私は教会で無駄にいざこざの多くて、そのような人は嫌いです。なぜか、よく分かれば祈りの答えを受けられない人です。とても立派な人がたくさん集まったのか、どれくらいけんかをして騒々しいか、何もだめでした。私が祈りを始めたのです。神様、私に福音を伝えることができる教会に導いてください。貧しくても良くて、名誉も必要ありません。小さい教会でもかまいません。どこでも良いです。福音を伝える教会で私が思いきり福音運動できる教会に、その祈りを3ケ月をしました。毎朝。祈って出てくるのに胸の中にこういうことが出てきました。どこにでも、でも田舎は送らないで下さい。私は不思議に田舎は体質が合いません。それ以外、どこでもよいです。このように祈ったら、電話がきました。その電話が今日、礼拝に参加したパク・ウォンギュ長老からの電話でした。会おうということでした。あらましなぜ会おうというのか説明をしました。長老はヨンドにいて、私はスチョンドンにいたのですが、中間で会うことにしました。今でも思い出します。中間の釜山駅の前に幸運喫茶店というのがあるので、そこにきてくださいということでした。今でもあるようです。その時、長老と初めて会いました。いろいろ話をされました。開拓をしたが、牧師が来られなければならないのに牧師が必要です。その時、長老がこういう話をしました。履歴書が三十個来ています。それで、牧師先生も履歴書を出してください。長老が思い出されるかも知れませんが、私がこのように話しました。怒ったことでなくて、やんわりと、それでは三十人みなしてみて、その方たちがだめならば私に連絡をください。そして、私は見合いする説教をできません。私がそんなに立派な人ではないのですが、言葉がそのように出てきたのです。いやそうですか。私を呼んで下さい、そのように話さなければならないのに、神様がそのようにされたのでした。説教を持って試験を受けることはできません。それならば、必要ならば長老が来られて、私の説教を聞いてくだされば良いです。おもに水曜日夕方に説教をします。そのような時間がなければ、牧師先生が外国に行かれた時、聖日に説教したのがあるので、そのテープを持って行ってお聞きになれば良いです。長老が、それではテープをくださいと言われました。そうだと思っていてテープを二つ持って行っていました。比較的、うまくしたのを持って行っていたのです。それでこそ恵みを受けるのではないでしょうか。見合いする説教はできません。一週間たたずに、パク長老が電話してこられました。牧師先生、私たちすべての教会の信徒が集まって牧師先生の説教を聞いたが、全員一致で牧師先生を迎えることにしました。その時、全員一致と言っても、三十人くらいしかいませんでした。それとともに長老がこういう話をされました。聖日に説教してください。これは見合いする説教ではありません。牧師先生を迎えることにすれば顔を分からなければならないのではないでしょうか。分かりました。担任牧師が許しが出れば、神様のみこころだと思って、そうでなければ違うを思います。待って下さい。その事実を担任牧師に報告しました。その話を担任牧師が聞いて、普段に私を嫌われたのか、すぐに行けとおっしゃいました。それで1988年10月、初めての週にその教会に行って説教をしたのです。その時にした説教です。パウロ、恐れてはなりません。私の信仰告白だから、その時、そのように説教しました。それから20年を駆けてきましたが、神様がおよそ2年になったことのようです。長老は、その時には若かったのですが、今はお年をとられたのがわかります。このようにソウルで世界福音化する祝福を味わうようになりました。
▲奇跡はいつ起きるのでしょうか。神様の契約があるのに、この道を通り過ぎるのに危機がくれば、奇跡が起こるのです。イスラエル民族が紅海を渡らなければならないのにふさがっていました。奇跡が起こるのです。イスラエル民族がカナンの地に行かなければならないのに、エリコがふさがっていました。その時は崩れるのです。何の話なのでしょうか。神様のみことばは防ぐ者がいません。ここに主役になることをイエス様の御名で祈ります。皆さんがこの現場の主役です。必ずこの答えを受ける献身礼拝になることをイエス様の御名で祈ります。
(祈り)
神様に感謝します。今日、意味ある献身礼拝になるようにしてください。私たちすべての献身者、重職者が力を得る時間になるようにしてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン
(The end)