2009年5月24日 聖日礼拝 場所:インマヌエル教会 :


1部:神様の前で争う人々
(出エジプト記17:1-7)


☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
(1)クリスチャンが、なぜ争うのだろうか。
1)私たちが祈りの答えを受けられなければ、争わなければならない。
▲争うというヘブル原語の意味は度々、外れるという意味だ。外れれば問題がきて、非難と毒々しい眼差しを受けて、すべての人を苦しくさせて、より大きい問題は、中心がはずれてしまえば、この時は滅亡を受けるのだ。
(2)本文の背景
1)ですからイスラエルが、度々こういう犯罪、争いを継続するのだ。こうするから、結局はサタンに利用される。
2)復興できない教会、祝福を受けられない家庭は度々争う。
(3)信仰の本質、福音とは何か。神様には問題になることがない。神様に任せれば良い。祈れば良い。これが信仰生活の本質だ。これができなければ、すべての争いが続く。
▲今日、私たちはどのように、この争いと問題のわなから抜け出られるのだろうか。
1.逆に見なければならない(過去)
▲私たちが今、逆に見ている。それは、私たちが逆に見なければならないということになる。
(1)出17:1-2、飲む水がないのかと→ なぜ神様が水がない所に導かれたのだろうか。このように見なければならない。神様が私たちをエジプトから救われて、紅海を通過させて、マナとうずらをくださったので、問題になる必要がない。
▲皆さんの問題を逆に見よう。反対の立場で一度、見よう。
(2)出17:2、主を試みて→ 主は試みる対象ではなくて、信仰の対象だ。
(3)出17:3、なぜ私たちをエジプトから連れ出して死ぬようにするのか→ 神様の計画がある。むしろ機会だ。
▲私たちを手ぶらでエジプト軍隊に勝つようにされた。神様が私たちを荒野を行く間に火の柱、雲の柱で導かれた。それなら、私たちは勝てる。むしろ、ここに神様の計画がある。それなら機会だ。
2.真っ直ぐに見なければならないことがある(現在)
(1)出17:4、モーセが主に叫んで言った...
1)祈りは科学だ。
2)問題は答えだ。
3)危機は機会だ。
(2)出17:5、昔にナイル川を打った杖を持って行け。
▲皆さんは神様の子ども、霊的なことを持っているから、杖一本ならば充分だ。
(3)出17:6、その杖を持って岩を打ちなさい。そこから水が出るだろう。
▲皆さんは神様の子どもだ。それが信徒が持った権威だ。杖一本ならば良い。神様が全てのものを責任を負って準備されたためだ。岩を打てということは、信仰を言う。岩、水は、イエス・キリストを言う。
3.遠く見なければならない(未来)
(1)これから荒野の道をたくさん行かなければならない。神様がイスラエルを訓練させるのだ。
(2)これから、カナンの地に入国しなければならない。遠く見なさい。
(3)カナンの地に行って、世界福音化しなければならない。
4.結論
▲多くの問題、事故が全世界あちこちで起きた。聖書には神様を信じれば良いのに何も心配する必要がない。私に争いがあるのに、どのようにすべきなのか。全部みな、徹底的に神様の祝福の機会にしよう。その中には神様の祝福がある。それで、感謝が出てくるのだ。今日、皆さんひとりの祈りで、すべての暗やみが砕かれる時間になることをイエスの御名で祈ります。
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲今日は、神様のみことばを見ながら、争いに対して見るつもりです。聖書に何と言われているのかを見ます。どのようにしなければならないのかも見るつもりです。私たちに必要なことです。もしかしたら、皆さんが一番争っておられるかもしれません。親、子どもの間でも争います。そうするうちに傷を受けるのです。友達同士も争います。夫婦も争います。ひどすぎるように争えば、別れます。私たちに最も近くある単語なのかもしれません。しかし、聖書では最も危険なことだと言われています。さらに、今週には前職大統領が逝去されたため、多くの衝撃を受けました。皆さんがよく知っている人が死んだといえば、びっくりするでしょう。皆さんの家族や親戚や友人でも、近い人、よく知っている人が死んだら、それも交通事故で死んだら、ものすごい衝撃を受けるでしょう。しかし、すぐ過ぎ去ってしまいます。自殺をしたといえば、とても聞く家族に傷となるのです。感じが新しいのです。なぜ自殺したのかと、驚くようになります。自殺は気持ち良い時にするのではありません。私の息子が就職して、成功をしたなあ。このような時、自殺をしよう、そんなことはありません。これ以上、生きることができない。そのような時にするのです。これ以上、生きる希望や理由がない。さらに重要なのは、迫ってくることがさらに恐ろしい。避けたい。このような時、死ぬのです。さらに重要なのは、結果的に聖書に見れば、サタンに捕えられてこそ死ぬのです。こういうひどいことが起きるようになりました。
▲聖書には答えを与えています。今日、聖書に争いという単語が出てきます。多分、多くの政治家たちと多くの方たちが、一生、争って自分に勝つことができなくてほろびる場合が多いのです。なぜ争うのでしょうか。マキャベリの君主論、孫子の兵法、三国志、全部、争いに対して教えています。真の知識を学ぶことができない方々がよく争えば良いと思うのです。
▲聖書を見れば、勝とうとすれば争わないようにと言われています。レムナント7人は争わないで勝ちました。とても重要です。今日、イスラエルの民が争うことに対して出てきます。これを見て、私たちは答えを受けなければなりません。
(1)クリスチャンが、なぜ争うのでしょうか
▲祈りの答えを受けられなければ、争うようになります。教会に座っていても、祈りの答えを受けられなければ、とても大変です。私が祈りの答えを受ければ、礼拝をささげるのが幸せです。しかし、祈りの答えを全く受けられなければ、礼拝をささげる時、いらいらします。執事なので、教会に来ないわけにもいかず、長老なので、教会を止めることもできなくて。教役者が家で寝ていることもできなくて。来ることは来ても、狂いそうなのです。とても難しいのです。私は苦しみの中にまきこまれているのに、これ、あれ、あまりにも荷が重いのです。そこにRUTCだ、建築だと大変です。私が今祈り答え受けられないでやっと耐えているのに、荒野を通り過ぎようといって、食べ物もなくて、イライラするのです。ですから、争いたくて争うのでなく、争うしかありません。
▲争うという単語を見れば、ヘブル原文ではリブという単語ですが、外れるという意味です。人が中心に行っていなければならないのに外れたのです。それでは問題になります。ねじが真ん中を締めているべきで、ゆるんでいれば、問題がきます。普通の人々は、中心に行けば良いのにしきりに外れるのです。外れる方法が、とても先んじる人がいます。行くのは行くのに、まっすぐ行くのに、先に行ってしまう人がいるのです。周囲の人々から非難され、毒々しい眼差しを受けるようになります。ある人はついて行けば良いのに、度々緩んでくるのです。こういう人は、妻をはじめとして、すべての人を苦しくさせます。ある人は、度々近くまで行きます。左に行って、右に行って。失敗することもありますが、根本生活がこうなれば、どうなるのでしょうか。すべての人に心配させるようになります。それが争い、外れたという単語です。
▲ところで聖書に見れば、罪という時、ハマルティアと言って、似た単語が14個あります。14個が共通に持っている意味が、はずれたということです。すべての問題がみなくるのです。このように行くのに、少し前後左右に、はずれるのです。それは直せます。とても先んじる、ついて行けない、はずれたと話すのですが、より大きい問題があります。中心がはずれてしまっていることです。この時は滅びるのです。横道に行った時は戻れば良いのですが、中心がはずれているといことは、中心が違っているということです。
(2)ですから、イスラエルがこういう犯罪を度々、犯すのです。少し横道に行ったのでなく、中心がはずれた争いをするのです。結局、サタンにどんどん利用されます。
(3)信仰の本質をのがしてしまうようになります。信仰の本質とは何でしょうか。福音とは何でしょうか。神様には問題になる必要がありません。それが信仰の本質です。神様が任せれば良いのです。これが信仰の本質です。祈れば良いのです。これが信仰生活の本質です。
▲これがだめになるから、個人的に家庭、全てのものに争いがずっと起きるのです。このように苦しくなっているのに、水までないからまた争うのです。それが、今日、私たちが読んだ本文です。教会も、復興できない教会に行ってみれば度々争います。マタイ12章を見れば、争う時にサタンが働くようになっているのです。エペソ4:27を見ると、争う時、悪魔がすきを利用するのです。祝福を受けられない家庭を見れば、度々争います。このような時、すきを利用するのです。機会を利用するということは分かるでしょうか。悪魔がすきを利用します。すきを利用するということは、皆さんに勝つことができないから、すきを利用するのです。悪魔をヨハネの黙示録に昔の蛇と言われています。創世記3章にも、蛇がアダムとエバを誘惑しました。蛇が悪魔ではありません。悪魔が蛇を利用したのです。友人が悪魔ではありません。しかし、悪魔が友人を利用することができます。私がよく知っている人ですが、どのように悪魔になることができるのでしょうか。悪魔が利用することはできます。利用する時は、最も活用できることを活用するのです。私が蛇を30匹程度つかまえました。不思議に蛇をたくさんつかまえたのです。知ったところ、不思議なことは一つもなくて、山で暮らしていたからです。ところで、蛇を捕まえてみれば、本当に変です。蛇の特徴は、いつでも舌が出てくるのです。舌が出てくるのを見れば、私がつかんだ蛇はいつでも舌が二本でした。悪魔に捕えられた人は、この話をして、あの話をします。蛇はすぐ穴に入ってしまいます。私たちが見た時は、すでに遠くへ行ってしまうのです。これで、サタンが蛇を活用したのです。
▲今日、私たちはどのように、このわなから出られるのでしょうか。短い時間ですが、重要な答えを受けなければなりません。どのようにすれば、争いと問題、わなから抜け出せるのでしょうか。とても重要です。家庭の争いをどのように抜け出すのでしょうか。若い夫婦が意見を書いて出したのを見ると、夫、子どもの問題が多いのです。聖書に見ながら、重要なことを捜し出さなければなりません。私は一週間、聖書を静かに黙想しながら、いくつか見たことがあります。イスラエル民族を見て、自分の姿を見ながら、見たことがあります。

1.逆に見なければならない(過去)
▲神様のみことばの中で最初に見たのが何でしょうか。私たちが今、逆に見ているのです。そうするならば、逆に見なければならないということになります。
(1)出17:1-2、飲む水がないのかと→ なぜ神様が水がない所に導かれたのだろうか。
▲出17:1-2に見ると、飲む水がないと。モーセと争って言った...このようになっています。逆に見なければなりません。神様が私たちをエジプトから連れ出されたから、水もくださるでしょう。このように見なければなりません。神様が私たちを紅海を通過させたので、今、残っている問題が問題になりません。神様がこの間、見たら、うずらとマナを与えて救い出されました。このように見なければなりません。この人たちが、私たちのように逆に、違うように見ているのです。皆さんの問題を逆に見る必要があります。私の立場でだけでなく、反対の立場で見る必要があるのです。私たちはいつも片方の言葉だけ聞いて、片側のことを言います。反対に見る必要があります。今、イスラエル民族を反対に見れば、そうではありません。水がないと見てはいけないのです。どのように見るべきでしょうか。水がない。どのように見るべきでしょうか。水がないと見るから負けるのです。
▲どのように見るべきでしょうか。このように見なければなりません。神様が、なぜ水がない所に導かれたのだろうか。このように見なければなりません。昔にはエジプトからも救い出されたでしょう。これから、逆に見なければなりません。私たちは12坪、35坪で、何もなく何人かが始めたのですが、今は30万人を助ける祝福を受けました。そのような意味で見る時、争って恨むということは、ものすごい罪となります。今日、一度、逆に見ることを望みます。ある人が私にきて言いました。牧師先生、米国は大きい畑です。ところで、1世だけ起きれば良いのに、これが問題です。私はそのように見ないと言いました。起きて何をするのですか。伝道がそんなに簡単でしょうか。どれくらい見なければならないことが多いのでしょうか。レムナントが起きなければなりません。1世は土台で、レムナントが起きなければなりません。見間違ったのです。見間違えば争いが解決もできず、継続されます。私はどうして、こういう両親に会ったのだろうか。見間違ったのです。私はなぜあんな夫に会ったかといえば、一生、答えが出てきません。ある人は、なぜあんな敵に会ったのだろうかと言います。
(2)出17:2、主を試みて→ 主は試みの対象ではなくて信仰の対象です。
▲出17:2に見ると、主を試みたと言われています。見間違ったのです。主は試みの対象でなく、信仰の対象です。60億人口が全部拒否しても、拒否するいのちを、神様が治めておられるのです。また一つの神様の計画があると見なければなりまえせん。そうでしょう。大きい困難がきた。大きい計画を見ることを望みます。小さい困難がきたとすれば、小さい計画を見ることを望みます。人の前に話せない問題がきたとすれば、神様が話せない恵みをくださるでしょう。この目を開かなければなりません。小学校1年を見て、何で大学生の試験を出すでしょうか。小学校1年には、1年の試験を、5年には5年の試験を出します。見間違うのを正しく見ろと神様が大きい試験をくださるのです。逆に見なければなりません。
(3)出17:3、なぜ私たちをエジプトから連れ出して、死ぬようにするのか→ 神様の計画があります。むしろ機会です。
▲出17:3に、なぜ私たちをエジプトから連れ出し手、死ぬようにするかと言いました。逆に話さなければなりません。何と話すべきでしょうか。私たちは手ぶらでエジプト軍隊に勝つようにされた。神様が私たちを荒野へ行く間、火の柱、雲の柱で導かれた。それなら、この問題を解決することができる。ここに神様の計画がある。むしろ、自分自身を試みなければならないのです。これが皆さんが争うことができる多くのことを解決できる機会です。逆に見なければなりません。夫婦も一方の言葉だけ聞いてはいけません。特に、女の話を聞けば、自分の話だけします。男に尋ねれば、男は自分の話だけします。話にもならない自分の話だけするのです。自分の誤りはみな抜いてしまいます。聞けば興奮します。何かそのような気違いがいるのかと言いたくなります。人はそうなります。一度、逆に見なければなりません。

2.真っ直ぐに見なければならないことがあります(現在)
▲今日、モーセを見てください。私たちが真っ直ぐに見なければならないことがあります。
(1)出17:4、モーセが主に叫んで言った...
▲出17:4です。モーセが主に叫んで言った。これは真っ直ぐに見たのです。祈りは科学です。問題は答えです。危機は機会です。これはそのまま言葉の遊びではありません。間違いない答えです。
(2)出17:5、昔にナイル川を打った杖を持って行きなさい。
▲今日17:5に、川を打った杖を持って行きなさいと言われました。これが何の話なのでしょうか。昔にナイル川を打った杖を持っていきなさい。モーセを見て。皆さんは、神様の子ども、霊的なことを持っているから、杖一本で、充分なのです。モーセがエジプトに勝って、カナンの地まで杖一本持って行きました。それを持って岩を打ちなさい。そこから水が出るでしょう。
▲私はこのように見ます。皆さんが持った杖が小さい場合があります。しかし、神様の子どもです。それがまさに信徒が持つ権威です。違ったことは必要ありません。杖一本ならばよいのです。神様が全てを責任を持って準備されたためです。
(3)出17:6、その杖を持って岩を打ちなさい
▲岩を打てということは、今の言葉で話せば私たちの信仰です。神様がみなできるから、岩を打ちなさい。そこから水が出てくるでしょう。新約聖書では、岩、水をイエス・キリストで表現しました。
▲今日、ここで悟ることが一つあります。荒野で起きたすべての重要な特別な奇跡の事件は、来られるキリストの恵みを説明したのです。そのような中に荒野を行っています。私たちの周囲に悟らなければならない争いが多いのです。

3.遠く見なければならない(未来)
▲争いをどのように見るべきでしょうか。遠くを見ましょう。争うのが問題ではありません。
(1)これから、荒野の道をたくさん行かなければなりません。神様がイスラエルを訓練させるのです。
(2)これから、カナンの地に入国しなければなりません。遠くを見なさい。レムナント、若い青年たちは、記憶しましょう。困難がきたとすれば、どのようにすべきでしょうか。これから遠い道を行かなければなりません。それを問題にしてはいけないのです。カナンの地に入らなければなりません。
(3)カナンの地に行って、世界福音化しなければならないのです。
▲今朝、私たちは神様のみことばを読んでいく中に、これに会いました。今週に韓国では、多くの問題が起きました。全世界のあちこちで多くの事故が起きています。聖書は答えを与えています。聖書は神様を信じれば良いのに、何の心配する必要はないと言っています。

4.結論
▲今日みことばを見ながら結論を出します。私は幼い時から教会に通っていたのですが、教会をたくさん見ながら、一番多いのが争いです。たくさん争うのを見ました。それを見ながら、違うということを分かりました。知っている証人がここに座っておられます。
▲私は幼い時に通った小さい母教会がありました。それを作る人は、良い意味で作ったのです。火災に会った被災者たちが集まっていたから、礼拝をささげなさいとレンガの教会を建ててくれたのです。ここに来る教役者、重職者、在職者が、昼夜なく争ったのです。幼い時、たくさん見ました。教会がとても争います。それで、それを見て、多いことを悟りました。福音がなければ、このようになります。祈りの答えがなければ、このようになるのです。私はげんこつでけんかをするのを見ました。教会が。このようにして、教会の信徒が、ほとんどでたらめで、外では教会の信徒を嫌います。町の人々が集まれば、教会の悪口を言うのです。戦う人がいれば、教会に通うのかと、なぜ争うのかと言います。争いが教会の代名詞です。これは普通の話ではありません。私が知っていることに、救われていない人々の集いです。とても深刻な話です。私は幼い時に見ました。とても争って、殴り合うのを1、2度見たのではありません。幼い時の祈りの課題が、教会を行かないことでした。母のために、やむを得ず行ったのです。後ほど教会の中に、どんなことが行われたか知っていますか。言葉で表現できない事件が起きました。外にニュースが出てくるほどでした。話でできません。それと共に、私が教育伝道師、伝道師、講道師、副牧師、ずっとすべてしました。思ったとおりでした。争わない教会がありませんでした。ひどく争いました。私がここにくる前にいた教会は、さらに戦う所でした。長老が朝の祈りきて座っていたのに、見てみたら、その日、けんかをするタイトルを書いていました。けんかを度々してみるならば、そうなります。後ほどひどすぎるようにけんかしたので、警察が止めにきました。私が神様の前に数ヶ月をひざまずいて祈ったのです。神様、私は率直に、この教会にいる理由がないのに、しかたなくいますと...ひとまず、この教会を止めて出て行けば、私の息子を幼稚園に送れません。私の人生がこのようにみじめです。神様に祈ったのです。どんな教会でも良いから、福音を思いきり伝えられる教会に送ってくださいと祈りました。ところで、連絡きたところが、まさにこの教会です。初日に会った人がパク長老と、キム勧士です。神様が弱いのですが、私の祈りに答えて、福音を伝える教会に送られたのです。
▲それが、私が悟った真理です。何のために教会で、敵、争い、戦って殺すのでしょうか。それが何の教会なのでしょうか。教会だけは人を生かして、民族を生かして、世界を生かさなければなりません。これからもそのようにするでしょう。私たちは人を生かして、民族を生かして、世界を生かさなければならないのです。事実は、私たちが外で私たちを困らせる人々と戦う力があるのですが、戦わないのです。なぜでしょうか。そのようにすれば、結局、みな損です。必ず真理は出てくるようになっています。争うことがあれば、どのようにすべきでしょうか。夫が信仰が一つもなくて遊びに行こうというのに、争うべきではないでしょうか。夫が信仰生活を上手にすればわかりませんが、毎日、おかしなことして歩き回るのに、夫と一緒に行くことはできなくて、争わなければならないのではないでしょうか。家族と妻のレベルが変ならば、合わせてはいけないでしょう。争わなくては。アナニヤ、サッピラ夫婦を見なさい。妻が献金をピンはねしようという時、たたいて殴らなければ。一緒にしたのです。誰がピンはねしようと言ったのか知りませんが、献金をみな決意してピンはねしました。二人が共に心を合わせたが、初めに誰が言い出したのかは知りません。もしアナニヤが今、失敗して、とてもたくさん決意したが半分ぐらいピンはねしようと言うことがあります。そのようなとき、サッピラがだめだと言わなければならなかったのに、二人の気が合ったのです。その時のために、爪を伸ばすのです。どれくらい重要な瞬間なのでしょうか。アナニヤは決心したのに、サッピラがなじることがあります。永遠に滅びてしまうものすごい誤りを共に話合ったのです。その時のために、テコンドーを学ぶのです。ところで二人が合って、共にほろびました。
▲それで私たちは今日、契約を握って行かなければなりません。争いがあれば、どのようにすれば良いのでしょうか。全部、機会にすれば良いのです。それが答えです。徹底的に機会にしなさい。神様の祝福の機会に。その中には確かに祝福が隠されています。それで、感謝が出てくるようになるのです。今日、イスラエル民族が、荒野の遠い道を行くべきなのに、また争って損をしています。これはあたかも私たちの民族と世界の姿なのかも知れません。今日、ひとりの祈りで、すべての暗やみが砕かれる時間を過ごすことをイエス様の御名で祈ります。
(祈り)
神様に感謝します。今日、暗やみ、争いが崩れるようにしてください。私たちの周囲に、こうしたことがとてもたくさんあります。機会にさせてください。隠される祝福を発見するようにしてください。すべての信徒が、新しい力を得る時刻表になるようにしてください。韓国の地にあるすべての争いの勢力が縛られるようにしてください。韓国の長い間続いている、地域別の争いが縛られるようにしてください。私たちの韓国にサタンが活用する左派、右派の争いが縛られる時間になるようにしてください。これから重要な問題、南と北の争いがイエスの御名で縛られるようにしてください。これから絶えず起きる問題を解決できる信仰を持った者に力を与えてください。それより重要な私たちの現場の争いと、不信仰と、すべての戦いが縛られるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)




2部:私たちが滅亡の中にいる時
(ローマ5:1-11)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲今日、皆さんが一つ分からなければならないことがある。伝道(救い)が何かを知っていなければならない。今日、皆さんが滅亡を受けない祝福の道があるのに、それを知って話すのが伝道だ。この事実を分かれば、祝福を受ける。みな来るようになっている。全部、見えるようになっている。伝道ということは、福音を伝えることなのに、それを知らないことは、みな知らないことだ。それで正しく祈りの答えを受けようとする時、この部分を必ず分からなければならない。人間は、なぜそのように苦しみを受けるべきなのか。なぜそのように先進国で、麻薬をよくして自殺をよくするのか。理由を分からなければならない。
(1)ヨハネ8:44(あなたたちの父である悪魔-使徒13:48)-創世記3章の事件以後、ヨハネ8:44節を見れば、あなたたちの父である悪魔...人間はしきりにやられているのだ。神様が使徒13:48節に、救いに定められている者がある。このお手伝いをする働きが伝道だから、ものすごく祝福を受けるのだ。伝道が何かを分かれば良い。
(2)出20:3-5(偶像崇拝-動物、石)-人々が困難が度々きて苦しいから、占い、ムダン(霊媒師)を訪ねて行く。石、動物を見てもお辞儀をする。ここから救い出すのを伝道と言う。
(3)使徒8:4-8、静かに置いておくから、肉体に病気がくる。不治の病がきて、家族みんなが病気で苦しめられて、一生、病魔に苦しめられて...
(4)マタイ11:28、マルコ5:1-10、それで、今は精神が狂う。彼らを救い出すのが伝道だ。
(5)マタイ27:25、その問題が子どもにくる。
(6)ルカ16:19-31、地獄に行くようになって、行く前に地獄を見ることになる。
▲彼らを救い出すのが伝道だから、皆さんが分かるだけでも働きが起きる。すべての答えがみな始まる。
1.神様が約束された。
(1)創世記3:15、女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。
(2)すべての呪いをなくしてくれる。
(3)あなたの運命を変えてくれる。
2.今でも成されている。
(1)ローマ5:1-2、キリストによって、すべての呪いをなくした(義と認められるようになった)。神様と一緒に和平を味わうようにする。キリストによって、恵みの中に入るようにする。キリストによって、恵みによって、神様の栄光を見るようになる。
(2)ローマ5:5-8、聖霊によって-世の中のことを持ってはだめだ。かん難の中で、喜べ。かん難は忍耐を、忍耐は練られた品性を、練られた品性は希望を成し遂げるだろう。6節には、あなたがたの弱さのためにキリストが十字架を背負われた。8節には私たちがまだ罪人であった時に、滅びの中にいた時、救いを与えられた。
(3)ローマ5:10、彼が十字架で死なれたことは、あなたがたを救うため。
3.さらに重要なのは、皆さんを祝福の証人として呼ばれた。
(1)その証人で私たちのレムナントを呼ばれた。
(2)初代教会-使徒1:8節に証人になる
(3)教会史に最も重要な人物がここに証人として用いられた。
4.結論
▲皆さんが重要な問題がきた時も、この考えを(伝道-救い)1秒だけでも答えを受ける。なる、ならないではない。皆さんは神様の子どもだ。これから皆さんのすることは証人だ。皆さんが祝福を受けて他の人に証拠を見せる証人だ。皆さんと家系の問題が来ていても、後にはそれも証拠だ。皆さんに困難が来たのも困難でなく証拠だ。皆さんはこの一つだけ(序論)理解すれば、全てを理解できる。今日から皆さんに新しい答えのドアが開くようになることをイエス様の御名で祝福します。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲この間、TVを見たら、ガンになって、医師にだめだと言われたそうです。一日に二時間ずつ笑ったのですが、まだ10年間生きていました。また放送に出てきたのですが、一日に二時間ずつ手をたたけば、すべての病気がよくなるということです。このように素晴らしく賛美をしたのですが、拍手がそれだけでしょうか。神様に栄光の拍手をおささげしましょう。
▲今日、聖書に私たちが罪人であった時、そう言われています。この話は人間が滅亡の中にいる時に、その話です。滅亡の中にいる時に起きることがあります。皆さん、滅亡を受けたい人は誰もいないでしょう。
▲私たち2部礼拝の時は、共に重要なことを一つずつするので、のがしてはいけません。お金をたくさんもうける人は二つのうちの一つです。最初には、お金をもうけることができるためです。そうでなければ、知らずにいるのにも、知らずにもうけられるところに立っていたためです。そうでしょう。水を飲む人は、水がどこに流れるのか分かるから、飲むのです。そうでなければ知らずに立っていたのですが、知らずに掘ったら、それが水の流れだったかです。それで、ひとまず水があってこそ、飲めるのではないでしょうか。王が私がこのことを必ずすべきだ。ところで、王であるのにもかかわらず、臣下が聞き取れないとします。それでは、命令をしてなるのではありません。わからないから。それでは王が苦しいでしょう。ところで、わかる人が出てきたとします。それでは、どのようにするでしょうか。それでは、すべての臣下の中で、その王がその臣下を一番好むでしょう。
▲序論-伝道(救い)
今日、皆さんが一つ知らなければならないことがあります。滅亡の中にいる者を救い出すことが最も重要なことでしょう。ところで私たちはしきりに伝道しなければならないと思うのです。そうではありません。伝道が何かを分からなければなりません。今日、はじめて来られた方も、100年信じた方も全く同じです。神様が滅亡を受けるなと、私たちに救いをくださったのに、これを話すのが伝道だから、分かれば良いのです。今日、全国、世界にいる方が、これを知るようになるように願います。大部分の人々が分からずにいます。ところで、するのが問題でなく、皆さん知らないのにしてはいけないのです。しなくても、知っていなければなりません。ある人は、分かりながらしないのがさらに悪いことではないかと言うのですが、それは知らないことです。何かを知っていなければなりません。今日、皆さんが滅亡を受けない祝福を受ける道があるのに、それを知らずにいる人に話すのが伝道ではないのでしょうか。この事実は、分かれば祝福を受けます。
ところで、受ける、受けないでもなくて、みなくるようになっているのです。そして、全部、見えるようになっています。全国、世界の教会牧師にお願いします。私たちのタラッパンではなく、今、全世界の牧師にお願いします。伝道や訓練をして何すると大騒ぎをするのですが、それは知らないからです。伝道はそんなことではありません。伝道が何かを分かれば、すべてのことが回復します。間違いありません。私たちのレムナントが、これを知って勉強しなければならなくて、特に重職者時代が開いているので、重職者はこれを知って重職者をしなければなりません。私たちの教役者は、当然、知らなければなりません。伝道も知らないのに、教役者をしようとすると難しいのです。伝道ということは、福音を伝えるのですが、それを知らないことは、みな知らないのです。
▲それで皆さんが正しく祈りの答えを受けようとすれば、この部分を必ず理解しなければなりません。
(1)ヨハネ8:44、あなたたちの父である悪魔→ 使徒13:48
▲人間はなぜ理由なく滅亡を受けるのでしょうか。何のために、そのように苦労した大統領が、そのように苦しめられて死ぬのでしょうか。その方だけなのでしょうか。なぜ米国の前職大統領が、全部今、精神に異常がきて揺れているのでしょうか。何のために、米国が住みやすい国なのに、麻薬する人が一番多いのでしょうか。ヨーロッパ、ドイツ、そのように住みやすいのに、なぜ自殺をよくするのでしょうか。理由を知らなければならないのではないでしょうか。これを原罪と言うのですが、原罪ということは、本人が犯したのでもなくて、知らないのです。創世記3章の事件以後、ヨハネ8:44に見ると、あなたたちの父である悪魔と言われています。ですから、皆さんの父が悪魔ならば、どれくらい気分が悪いでしょうか。ところで、人間はそのように今しきりにやられているのです。あなたたちの父である悪魔、分かるでしょうか。皆さんがテジョンデに今日行って絶壁を見下ろしてみてください。見下ろせば怖くなければなりません。怖いな、このように感じられなければなりません。それを見つめていたら、切実な心がうまれて、飛び降りたければ、それが悪魔に捕えられたのです。それが本人の心ではありません。もちろん本人が心に苦しみがあるでしょうが、悪魔に捕えられたのです。あなたがたの父である悪魔。ですから、人間はとても苦しんでいる人が多いのです。
▲神様が使徒13:48に救いに定められた者があると言われています。皆さんこのお手伝いする、この働きが伝道だから、ものすごく祝福を受けるのです。皆さんが伝道が何か分かったら、すばらしいことが行われるのです。しなくてもよいのです。分かれば良いのです。ですから、知らない人がすれば邪魔になります。食堂でパーティーが行われるのに、仕事をすると思っていない人が加われば邪魔になるということです。ですから、皆さんが伝道が何かみな知ればできるのです。
(2)出20:3-5、偶像崇拝(動物、石)
▲これを知らずに教会が何かも知らずに、とんでもなく騒いでいるから、人々はだんだん難しくなっているのですが、どうするのでしょうか。困難がどんどんくるから、どうするのでしょうか。話すところがありません。話にはしなくて、そのまま隠れて、とても苦労するのです。そうするうちに、苦しいから占いを探して行きます。そうするうちに、ムダン(霊媒師)を訪ねて行きます。さらに危険だから、今はどこかさらに腕が良いところに行くのです。ある時は、石にお辞儀をします。動物を見てもお辞儀をします。後には、鳥に吉凶を占ってもらったりします。こういう状況に行くのです。ですから出20:3-5に偶像崇拝するようになるのです。偶像崇拝とは何でしょうか。人間は神様に仕えなければならないのに、動物や石に仕えるのを偶像崇拝と言います。ひとまず、それが狂っているのです。私たちが神様に仕えなければならないのに、こういうタオルは単に必要な時にふいて、そのようなもので、これを拝んではいけません。皆さん、このぞうきんは単にふくものであって、これを置いておいて、こんにちは。私を祝福してくださいと言うなら、これがひとまず狂ったことです。これでは、問題がくるしかないのです。それで、どんどんおかしなことをするのです。全く表にあらわしません。全く表にあらわさないで、こういうことをするのです。今回も、色々な所で政治家たちがお金を出して、その方が家に霊媒師二人を連れています。出て行くこと、入ること、ネクタイを結ぶことまで、占い師がみな言うのです。ですから、いつでもサタンは、人を手助けするふりをしながら、ほろびるようにさせるのです。皆さんが詐欺師と付き合うなという理由が、詐欺師は良くしてくれて、後ほど詐欺を働くのです。全く同じです。
▲ですから、ここから救い出すのを伝道と言います。これを分かれば、ものすごい祝福がきます。
▲エレベーターに乗りました。乗ったら、壁が三面あって、一面が扉です。壁三面にみな各々、違う教会から鏡を付けてありました。鏡をつけるふりをしながら、教会の名前を付けていたのです。それが三面の壁にみなつけてありました。アパートのエレベーターごとに。片方にはドアが開かなければならないから付けていませんでした。もし皆さんがそのエレベーターに乗ったとして、三面にみな仏像がついていたとすればどうするでしょうか。気分が悪いでしょう。そういうことを見れば、仏教の人々は、真に紳士です。すっかり十字架を付けておいても、じっとしています。ところで、その人々は伝道を知っている人でしょうか。もちろん、良く話せば、そのようにでもして、何かしてみるということでしょうが、その人々は伝道を知らない人々です。ですから、教会は毎日、悪口だけ言われて、毎日、問題だけで起こして、毎日、難しくて、そんなことなのです。私があまりにも苦しくてこうした話を度々するので、私がこのように非難されるのです。話をしてあげなければならないのではないでしょうか。それでなければ、苦労だけするので、度々こう言うから、私を見て気分が悪くて、それではあなたは優秀で、私たちは良くないのか。このように言ってくるのです。それで、あの人間の話を聞くな、教会の信徒をみな連れていくと、聞けないようにします。それが間違いありません。人々はどんどん難しくなるから偶像崇拝に行くのです。これでは、難しくなれば後ほどには、いろいろなことをみなします。どの程度おかしなことをするのでしょうか。どこかに助けに成ることがあるならば無条件に行きます。これで、できたのが異端です。最初は、教会の責任です。
▲この頃、新天地が教会をごちゃごちゃにしています。牧師、長老を誘惑して打ち倒して、しながら新天地が通っています。今は、神学校に行って、神学生たちを倒しています。そのような悪い人々もいます。ところで、それよりさらに問題が何でしょうか。教会がそのようなことに揺れるのが問題です。揺れるでしょうか。本当に福音がない異端が生き残れるでしょうか。いくら建物を作って、いくらしてもだめになっています。ですから、そのようなことは心配する必要もありません。皆さん、これが教会の責任です。人々が偶像崇拝して、どんどん困難に会うのです。結局は、ほろびてしまうのです。偶像崇拝をひどくする人々は、みな破産します。彼らを救い出しなさいということです。ひょっとして皆さんがそうでなければ、私に話してください。家に財産たくさんある人は、ほとんどみなほろびました。ですから、聖書にそれをするなとなっています。それをしなくても済む道を知らせるのが伝道だから、祝福されるしかないのです。これを分かれば、自然に道も見えて、自然に答えもきて、みなきます。そして、私たちの重職者が、この目だけ開けてしまえば、分かりさえすれば、門が開かれるのです。これよりさらに重要なことはありません。
(3)使徒8:4-8、肉的問題
▲そのまま置いておくから、どうなるのでしょうか。今は、いよいよ肉体に病気がき始めます。深刻な不治の病がき始めるのです。病気にかからない人がどこにいるでしょうか。しかし、家族みんなが病気に苦しめられるようになるのです。生きていて、痛いところがない人がどこにあるでしょうか。しかし、一生、病魔に苦しめられるようになるのです。
(4)マタイ11:28,マルコ5:1-10、精神問題
▲こういうことで、それからは精神が狂います。ある人は精神が先に狂って、ある人はマルコ5:1-10を見ると、完全に精神が狂ってしまいました。こういう人々が一杯になっています。どれくらい重要でしょうか。彼らを救い出すのが伝道です。分かりさえすれば、門が開かれます。行かなくてもかまいません。分かりさえすれば行く門が開かれるのです。分かりさえすれば、本物ならば、すべての門がみな開かれます。
(5)マタイ27:25,子ども問題
▲これで終わるのではありません。その問題が子どもにくるのですが、そのままきます。皆さんが霊的問題苦しめられるのに、それが子どもにくるのです。皆さんが変に偶像崇拝すれば、子どもにも霊的問題がきます。皆さんが少し律法に捕まっていたら、子どもは、そこに押さえられてしまいます。特に用心しなければならないことは、変に乱雑に生きる人は、子どもにおかしな問題がきます。それよりさらに重要なのは、両親が苦しめられた、その霊的問題が子どもにくるのです。
(6)ルカ16:19-31,来世問題
▲そしてどうなるのでしょうか。ルカ16:19-31を見ると、地獄に行くようになります。地獄に行く前に、地獄を見るようになるのです。彼らを救い出すのが伝道だから、皆さんが分かりさえすれば働きが起きます。これを知っている人は神様が門を開けてくださるから、すべての答えがみな始まるのです。
▲全国にいる私たちの家族の皆さん、私たちの重職者が、伝道が何かをこれから知るようになる祝福があることを希望します。

1.神様が約束されました。
▲この人々を救い出す祝福を、すでに神様が約束されたのです。何の約束を送られたのでしょうか。
(1)創世記3:15
▲創世記3:15、女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。すでに約束されました。女の子孫とは何でしょうか。今朝、礼拝をささげる時、乙女マリヤより生まれ、それが女の子孫です。蛇とは何でしょうか。悪魔、サタンの頭を踏み砕く。
(2)簡単に話せば、皆さん家にずっと入ってきた、すべての呪いをなくしてくださるのです。
(3)さらに重要なのは、あなたの運命を変えてあげる。
▲これが聖書の約束です。ところで、これを信じないからどうなるのでしょうか。ところで、本当に信じない人が多いのです。ですから、毎日、イエスを信じても答えも来ないのです。

2.今でもこの答えは成されています。
▲今でもこの答えが成されています。今日、皆さんが読んだ本文にいくつかの約束が出てきます。
(1)ローマ5:1-2、キリストによって
▲キリストによって。今日ここにローマ5:1-2に見ると、キリストによって義と認められること、すなわち。これが何の話なのでしょうか。なぜあの人があのように呪いを受けるのでしょうか。皆さんをキリストによって、そのすべての呪いをなくしてくださいます。本当に信じるように願います。こういう霊的問題が皆さんの子どもにくればどうするでしょうか。ですから、それをなくしてくださるのです。キリストによって。そして、神様とともに和平を味わうようにしてくださいます。ローマ5:1-2にそう言われています。この祝福が今でも。キリストによって、恵みの中に入るようにしてくださるのです。
▲なぜ、そうなのでしょうか。なぜキリストによって、そのまま恵みを与えられるのでしょうか。なぜそうなのでしょうか。なぜそうかわからないでしょうか。それを知らなければなりません。なぜそうでしょうか。そのまま与えられるのです。そのまま救われなさい。そのまま祝福を受けなさい。そのままこの呪いから抜け出しなさい。なぜそうでしょうか。皆さんでも、皆さんの子どもが、沼に落ちたとすれば、どのようにするでしょうか。はやく救い出してあげるでしょう。その上から見つめて小言を言うでしょうか。今、溺れ死ぬのに。沼に落ちて、どんどん沈んで行くのに、見つめて、行くなと言ったでしょう。用心しなさいと言ったでしょう。今、はまって降りて行くのに、そのような両親がいるでしょうか。どのようにして落ちたの。左足から落ちたのか、右足から落ちたのか。そのような人がどこにいるでしょうか。はやく、綱を投げるでしょう。神様が皆さんが、ここから出て来ることができないないと思って、これが福音です。ですから、教会が福音を伝えないから毎日、ほろびるのです。教会がこの頃、悪口を言われています。当然、言われなければなりません。これを話さないから。ところで、これをやめたりしてはいけません。他のことはすることもありません。キリストによって、恵みで、神様の栄光を見るようになる。
(2)ローマ5:5,6,8、聖霊によって
▲ローマ5:5に重要なみことばが出てきました。聖霊によって。救われた皆さんに、世の中ことではだめです。聖霊によって。かん難の中で喜びなさい。イエスを信じる私が、本当に正しく信じたのに、なぜ困難が来るのでしょうか。かん難は忍耐を、忍耐は練られた品性を、練られた品性は希望を成し遂げるでしょう。そして、ローマ5:6に何となっているのでしょうか。あなたがたの弱さのためにキリストが十字架を背負われた。そして、何となっているのでしょうか。今日ローマ5:8には、私たちがまだ罪人であった時、滅亡の中にいる時、救いの門を開けてくださったのです。
(3)ローマ5:10、十字架
▲そして、今日、何となっているでしょうか。彼が十字架で死なれたことは神様がこの問題を解決するためです。あなたがたを救うためです。今日、その本文です。
▲特にここに今、教役者おられるのですが、伝道を理解するように願います。皆さんが今、多くの宣教師が伝道を理解してしまえば、目がみな開かれるようになっています。ですから、ある人は、伝道をどのようにすれば良いかと言うのですが、何かを分かればみわざが起きるようになっているのです。

3.さらに重要なのは祝福の証人(モデル)として呼ばれました。
▲さらに重要なことがあります。皆さんを呼ばれた理由は、恐れをなさないことは、この祝福の証人として呼ばれたのです。皆さん一番良い家がモデルハウスです。モデルハウスを見れば、わざと良くしてあります。なぜでしょうか。それでこそ、売れるでしょう。モデルハウスのようなところは、椅子も良いのを置いてあります。なぜでしょうか。それでこそ、それを見つめて、そのアパートを買うでしょう。シャンデリアも良いのを付けてあります。なぜでしょうか。それでこそ、そのアパートを買うでしょう。皆さんがそのようなモデルです。皆さんは、格別なことではないがシャンデリアを良いのを付けておくのです。それでこそ、皆さんを見つめて、他の人が救い受われるでしょう。
(1)レムナント
▲その証人として、私たちのレムナントを呼ばれたのです。神様の大きい祝福を受けるように願います。レムナント7人を、神様がここに溺れ死ぬなと証人として呼ばれました。今日、長老が、これからこの目が開いてしまえば、事業の門が自然に、じっとしているのに開かれます。この目が開かれる時、その時からみことば成就となります。この目が開かれなければ、聖書のみことばをいくら読んで、また読んで、100回読んでも仕方がありません。私は聖書100回読んだ、そのような人は好きではありません。勉強をすべきなのに、何で読むのでしょうか。これも知らないのに...神様の一番重要なことを知らないのに、聖書1000回読んだとすれば、時間の浪費です。両親が私にくれた手紙を、たくさん読むのが目的ではありません。黙想するのが目的ではありません。両親が私に手紙を送った時、文章自体を研究するのが目的ではありません。なぜ送ったかを知らなければなりません。そうではないでしょうか。なぜ送ったかを知らなければなりません。私に手紙がたくさんきます。必ず上を見れば、愛して尊敬する柳光洙先生に。それは本来そのように書くのです。ところで、嘘ではありません。しかし、下に話す言葉は別にあるのです。重要な理由があって、この話です。これをのがしてはいけないのです。それをのがしてしまい、尊敬して愛する、その言葉に線を引いて、毎日それを見ながら涙を流して...それが手紙を誤って読むことです。それはQTを間違ったのです。伝道を見られなければ、聖書を読まないでください。これ(序論-伝道/救い)分かってしまえば、率直な話で祈らないのに答えられます。最も重要なのを知らないながら、毎日、出してくださいと。何かを出しなさいと...与えれば受けて、何をするのでしょうか。皆さんを確かに証人として呼ばれました。
(2)使徒1:8
▲初代教会を見ると、使徒1:8に証人になります。
(3)教会史
▲今まで教会史に最も重要なことが何でしょうか。ここの証人として神様が用いられたのです。この祝福を皆さんが受けるように願います。
▲これから、伝道を理解するだけ、答えがきます。私はどの程度、理解できたのでしょうか。これでなくては話す必要なくて、このように理解しました。これをやめたりすることがありません。私がどれだけすることがないでしょうか。この教会にきて、したことが何もありません。それが何の話でしょうか。伝道の他には言うことはありません。教会に来てみれば、ある日見れば麦秋感謝祭と書いてありました。私は知らずにきてみたら、麦秋感謝祭だということが分かりました何の関係もありません。ある日、来てみたら、父母の聖日だと。父母聖日が特別にあるのでしょうか。花を付けてあげる日ですが。それが何か特別なことかということです。子どもの日が、何か特別なことがあるのでしょうか。公園に行く日なのに、それが何ですごいと言うのでしょうか。本物はみなのがしてしまうのです。ですから、この祝福を分かれば、答えが自然にくるようになっています。

4.結論- 1秒、祝福、問題
▲皆さんが重要な問題きた時も、この考えを1秒するだけでも答えを受けます。祈りをたくさんしなくてもよいのです。今からいくつかの話はしてはいけません。ああ私はこの頃、信仰生活がうまくできません。うまくいくのが何でしょうか。錯覚です。うまくいくのが何でしょう。それだけよく食べて寝て生きていれば、良いのです。何がうまくいくことなのでしょうか。問題は後のことです。人がその次にくる答えを知らないのです。神様が皆さんを完璧に知って、今、証人として呼ばれたのです。この祝福です。うまくいく、できないと言うこともありません。また、ある人は勘違いします。ああ私は信仰がなくて...そのような話をしてはいけません。自分にとっては謙虚に、私が信仰がないと言います。信仰がなければ救われないのでしょうか。ちょっと信仰が弱くて、少なくて、このように話せば良いのに、信仰がないと言うのです。ある人は、私はできないと言います。それは私がするのではありません。皆さんは神様の子どもです。これからこの祝福、皆さんがすることが何でしょうか。証人です。皆さんが祝福を受けて、他の人に証拠する証人です。皆さんと家系の問題が来ているのでしょうか。それも後ほど証拠になります。ああ私はなぜこのようによく信じるのに困難がきますか。それは困難ではなくて証拠です。それでは、皆さん一生、生きる間に何の問題もなければ、証拠がないでしょう。それでは働きになるでしょうか。何かがなくては。皆さんはこの一つだけ理解すれば、全てのものを理解するようになります。
▲来週には、また私たちが一段階、さらに深いことを理解しなければなりません。今週だけではなくて、今日から皆さんに新しい答えの門が開くようになることをイエス様の御名で祝福します。そばの人を祝福しましょう。あなたはすべての祝福をみな受けました。もう一度祝福しましょう。これから味わいましょう。祈ります。
(祈り)
神様に感謝します。今日、証人を呼ばれたことを感謝します。私たちがまだ罪人であった時、キリストが十字架で死なれたことによって、私たちに対するご自分の愛を明らかにされたことを感謝します。新しい人生が始まるようにしてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)