2009年7月12日  聖日礼拝 場所:インマヌエル教会 :


1部:わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である
(出20:1-2)


☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲十戒を受ける前にくださった神様のみことばだ。とても重要な時刻表にくださるメッセージだ。
(1)今、シナイ山に集まったイスラエルの民が、重大な決断を下さなければならない時であるためだ。
(2)その中の半分以上は荒野で死ななければならない落伍する人々もいる。
(3)カナンの地には七部族30人の王がいるので、この人たちが知略を集めている。イスラエル民族がくるのに、どのようにしなければならないか
(4)そして、行く途中の道には、多くの戦争と危機がある。このような時、神様がイスラエル民族をシナイ山に呼び集められた。
(5)そして、永遠に変わらない戒律10個をくださるようになったが、まさにその直前に与えられたメッセージだ。すばらしい重要な時刻表だ。
▲私たちも重要な時刻表を迎えている- RUTC、OMC、重職者企画、重職者時代、ソウル教会の新しい教会堂、韓国教団(歴史の訂正委員会)
▲私たちは福音を伝えなければならないこの時に、どのようにしなければならないのか。こういう大きいことを私たちはどのように果たさなければならないのか。いったい私たちが祈りの答えをどのように受けなければならないのか。皆さんが祈りの答えを受けられる確実な答えを持っていなければならない。また信仰生活を始める方たちは、私がどのように信仰生活をすべきかという明らかな答えを出さなければならない。祈りが答えられないという方は、今日、答えを出さなければならない。重大なことを迎えているという方たちも、今日、答えを出さなければならない。信仰生活を始める方々も答えを出さなければならない。
▲わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である...多くの内容が入っているが、いくつかのことをもって、祈りの答えを捜し出さなければならない。
1.今までともにおられた神様の証拠を握ろう。
▲前へ行かなければならないことが重要だが、今までともにおられた神様の証拠を握れということだ。私は最も大きい証拠が、信仰生活が正しくできなかったが今まで恵みできたということが証拠だ。神様が私たちを救いの道に導かれたことだけでも証拠だ。エジプトを知らないか。エジプトの地で奴隷だったあなたを救い出した。運命、サタン、呪いからあなたを救い出した。これが福音だ。何の理由もない。それだけ持っても終わらなければならない。
2.みことばが事実的な祈りの課題に、未来が現実になるビジョンとして握って祈りなさい。
▲ところで二番目に重要なのが、わたしはあなたをエジプトの奴隷から救い出した主である、このみことばを申命記で10回も話した。ヨシュア24:17、士師6:8、イザヤ43:3
(1)このみことばがビジョンでずっと照らしてこなければならない。
▲今日から祈りに明らかな絵が描かれなければならない。
1)事実化-神様がずっと強調されることが反復ならば私たちは死ぬのだ。反復でなく事実化されなければならない。
例)オナシス(船舶王)、スピルバーグ(映画)、エステ(化粧品)、ヒルトン(ホテル250を作った)
▲私は2つのことを悟った。福音のほかには真理はない。それで、とても正しい、正しくないと強調する必要はない。そして伝道のほかには緊急なことはない。それで、ずっと釜山を見ると、釜山に4万人要員が必要だ。それをずっと祈ったが、韓国に40万要員が必要だということを知るようになって、それを置いてずっと祈ったが、全世界に1千万要員が必要だという計算が出てきて、ずっと祈ったら20の戦略、レムナントという答え、そして、私たちは行っていないのにレムナントが行かなければならない道がなければならないのでRUTCという答えが出てきた。
2)具体化-私たちのレムナントは、とても具体的に絵を描かなければならない。それを継続するのがビジョンだ。遠くにあるのを、どんどん近くに持ってきてみるのがビジョンだ。ここに霊的なすばらしい力が出てくるのだ。私が知っている何でもないことをもって、あの未来を見られる。これを信仰と言う。
(2)ある人は神様のみことばを握って、ずっと祈って変化することが起きた。
▲みことばの力ということはすばらしいのだ。神様のみことばを正しく事実で、私のことに握るのが重要だ。
3.根本的ないのち(福音)を握って祈りなさい。
▲私たちは礼拝をささげてみことば受ける時、失敗することがある。聖書をそのまま解釈しなければならないのに、必ずいのちというものを前提として、福音を伝えなければならないことを前提としなければならない。
▲私たちは問題がくれば私が何を間違っただろうかと思う。良心的だが、それは答えではない。普通の問題がくれば私が分からない。重要なのは、私の指向が福音か、そうではないかということだ。
▲今モーセは何を知っていたのか。
(1)人間の根本問題と解決策を知っていた(創世記3:15)
▲女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。
(2)そして、人間が解決できない状況がある。それで、神様が羊の血を塗りなさいという言葉をモーセがわかった。いのち。
(3)カナンの地に行けという言葉でなく、メシヤが来られる地に行け。
▲これを知って祈れということだ。いのちある者が律法を見れば福音になるが、いのちがない者が律法を見れば罪に定めることが出てくる。だから何を持って見るかが重要だ。
▲わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である!
@今まであった神様の力を証拠で握りなさい。
Aそれを持って祈りの課題としなさい。事実化されるように祈りの課題としなさい。皆さんの未来が現実になるように、祈りの課題にしなさい。エジプトから救い出した主という事実を忘れてしまってはならない。
Bそれよりさらに重要なのが根本的ないのち、福音だ。これを握って祈ればまちがいなく答えが起きる。
→結論
▲それでは、いのちを持った者が行くのに、荒野の苦難は何なのか。それは3つの理由がある。
(1)イスラエル民族が荒野を行くのに苦難にあった。ところで、その中で起きたみわざが全世界に証拠となった。
(2)その苦難を通して神様を信じる信仰ができた。
(3)七つの部族、31人の王が荒野の事件を聞いてすでに心がしなえた。それで苦難を与えたのだ。
▲皆さんが持った苦難は、いのちをもっているならば証しに過ぎない。皆さんが苦難をよく見なければならない。エジプトの地から出てきてカナンの地に行く間に苦難が2種類だ。いのちを知らない者には滅びの道だが、いのちを持った者にはすべて証しになるのだ(ムーディー、クロスビー)
▲今日、皆さんが大きいことはできなくても、簡単なことを捜し出さなければならない。祈りの答えを受ける方法を捜し出さなければならない。祈りの答えを受ける資格がある。祈りの答えを受ける奥義を捜し出さなければならない。そうすれば、目も違って、言葉も違って、みな違う。皆さんが今日、祈りの答えを受ける奥義を握って出て行ったらどんな困難にも勝てる。この荒野を十分に通過するようになる。わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である!
(宿題)-3ケ月間、あなたの人生の絵を描け。そして神様に一度祈ってみなさい。皆さんが一度描いてみることを望む。どんなことが起きるのか...神様は皆さんに答えられることを備えておられる。皆さんの人生に新しい力が始まる貴重な日になることをイエス様の御名で祈ります。
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。十戒を与えられる前に言われた神様のみことばです。
▲とても重要な時刻表に与えられるメッセージです。今、シナイ山に集まったイスラエルの民が、重大な決断を下さなければならない時であるためです。そこに集まった人々の中で、半分以上は荒野で死ななければならない落伍する人々も含まれています。また、イスラエルをのがしてしまったエジプトは、超強大国なのですが、イスラエルをそのまま置かないで滅ぼそうと計画しているところです。その中で、イスラエルの地には七部族、三十人の王が入ってきています。この人たちが、まちがいなく知略を集めています。どのようにしなければならないのでしょうか。ヘブル民族、イスラエル民族がくるのに、どのようにしなければならないのだろうか。また途中で行く道には多くの戦争、危機があります。このような時、神様がイスラエル民族をシナイ山に呼び集められたのです。それとともに、永遠に変わらない戒律十個をくださるようになったのですが、その直前に言われたことです。真に重要な時刻表です。
▲私たちも、今、とても重要な時刻表を迎えています。今、韓国教会で初めて三十万人が参加するRUTCを準備しています。また、長老が福音のために力を合わせて伝道運動をするというOMC時代を開いています。また、私たちは福音を伝えなければならない人が多いから重職者をたくさん立てて、重職者企画、重職者時代を今開いています。また、私たちは教会堂を落札して、入らなければならない大変なことを残しています。妨害者なども結構います。その中で、韓国教団では多くの論争が起きています。私たちとは関係ないのですが、歴史訂正委員会ができました。韓国教会が百年になったが、歴史を正すべきではないか。こういう学者が生じて集いを始めたということです。その方たちが集まった中で、タラッパンは異端ではないが、異端にしたことは謝らなければならないという言葉が出てきています。片方では、それでも、今、異端出ないと言うと教会の信徒が混乱するからだめだという論議が出てきています。私たちとは関係ないことです。
▲私たちは福音を伝えなければならないこの時に、どのようにしなければならないのでしょうか。こういう大変なことを、どのように私たちは果たさなければならないのでしょうか。それまで考えなくても、いったい今、私たちが祈りの答えをどのように受けるのでしょうか。皆さんが祈りの答えを受けられる確実な答えを持っていなければならないのではないでしょうか。また、信仰生活を新しく始める方たちは、どのようにすべきでしょうか。ここに対する明らかな答えを出さなければなりません。ひょっとして、皆さん自身を振り返りながら、私は祈りの答えがないという方たちもおられるでしょう。それでは今日、答えを出さなければなりません。ひょっとして、皆さんの中で、私は今、重大なことを迎えているという方々も答えを出さなければなりません。信仰生活を始める方々も答えを出さなければなりません。
▲この中にすばらしいメッセージが入っています。わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。神様がご自身を明らかにされました。ですからすばらしいのです。
▲多くの内容が入っているのですが、いくつかのことをもって、必ず祈りの答えを捜し出さなければなりません。あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。

1.今までともにおられた神様の証拠を握りましょう
▲このみことばは、第一に今までともにおられた神様の証拠を握りなさいということです。前へ行かなければならないのが重要ですが、今までともにおられた神様の証拠を握りなさいという言葉です。私たちがどれくらい数多くの危機があったでしょうか。証拠がなかったでしょうか。
(1)私に最も大きい証拠が、信仰生活を正しくできなかったが、恵みに今まできたとのことが証拠です。事実、私たちが信仰生活をよくしたことはたくさんありません。
(2)それでも、神様は私たちを救いの道に導いておられるのですが、これだけでも証拠です。それで証拠を握りなさい。
(3)エジプトの地の奴隷の家からあなたを救い出した。運命、サタン、呪いの中から救い出されました。これだけでも、何の理由がないのが福音です。福音を悟れば終わることなのに、しばしば困難に会います。エジプトの地の奴隷の家からあなたを救い出した。これだけでも、終わるべきです。
▲ところで、私たちの教会はそんなことがないのですが、大部分の教会を見れば争っています。それも牧師と教会の信徒が争うのです。なぜ争うのでしょうか。私は理由を知っています。なぜ争うのでしょうか。何も争うことがないのに、この部分がとても重要です。全世界教会が争っています。なぜ争うのでしょうか。私は簡単な答えで、福音ではないためです。福音ならば、神様を信じたら終わってしまいます。重職者時代が開けば、教役者はすべての重職者に伝道企画、経済企画、すべての行政企画をみな任せなければなりません。それを教役者がしようとするのが問題です。それが今日の世界教会の問題です。心配が生じるからなのです。心配できるということが信仰がないのです。重職者は、教役者のみことばだけ握ってもかまわないと思わなければなりません。それでこそ、神様がみことばをくださいます。私は昔に、牧師が説教が上手ならば教会の信徒が変化すると思っていました。違ったのです。神様が、必要とする信徒がいる時、神様は教役者にみことばをくださるのです。食べ物を正しく食べるお客さんが来ている時、主人はコック長に食べ物ができる権限を与えます。こういう重要なことがさかさまになったので、韓国に、全世界の教会に問題がきたのです。簡単な問題ではありません。私たちは関係ないのですが、たくさん争う教会は、考えてみなければなりません。争いは永遠に終わるべきだからです。
▲わたしは、あなたを奴隷の家から救い出した。終わるということです。エジプトから出る時、十の奇跡を見ることができなかったでしょうか。証拠を握りなさい。荒野を行く間に起きたことを知らないのでしょうか。神様が紅海を分けられた事件を知らないのでしょうか。そして雲の柱、火の柱で保護されたことを知らないのでしょうか。水がない時は水がわくようにされたのを知らないでしょうか。そのみことばです。わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。これが最初です。本当に福音ならばみな終わります。これが福音です。
▲わたしはあなたを奴隷の家から救い出した。霊的に何の話でしょうか。運命と呪い、サタンの権威からあなたを抜き取った。それで終わりです。その中に全部あるためです。

2.みことばが事実的な祈りの課題に、未来が現実になるビジョンで握って祈りなさい
▲ところで、重要なのが二番目です。わたしはあなたをエジプトの地の奴隷の家から救い出した。このみことばを申命記で十回、言われました。申命記とは何でしょうか。イスラエル民族がカナンの地に入る直前に決心したのです。申命記5章15節、6章12節、このような形で十回も話されます。一度話せば良かったでしょう。わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。これを申命記で十回も話されました。申命記でちょうど十回言われたのです。ヨシュア24章17節に、また言われました。エリコを倒してまた、言われたのです。わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。士師記6章8節を見れば、カナンの地に入って、また言われました。一度言われれば良いでしょう。カナンの地に入ってまた言われました。わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。これは何の話なのでしょうか。見れば、聖書にまた出てきます。イスラエル民族が完全に捕虜になった時、イザヤ43章3節に出てきます。ヤコブよ、イスラエルよ。わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。また出てきます。とても重要な言葉です。
▲これが反復でしょうか。ビジョンでしょうか。これが重要です。重職者の子どもたち、牧師の子どもたちが崩れるのが、福音を反復だと思ったので崩れるのです。またその話か、このようになったのです。
(1)このみことばが。ビジョンとしてずっと照らしてこなければなりません。祈りの答えを受ける、とても重要な答えがここにあります。
▲今から本当に、これが祈りで明らかな絵が描かれなければなりません。続けてするのです。ところで、私が知っていることでは、大部分の信徒がこれをのがしました。祈りに明らかなビジョンがあるのかと、個人的に尋ねたら答えられます。あると、それならまちがいなく勝利します。ないこともあります。それでは、まちがいなくさ迷います。これが問題です。それを、続けて繰り返すのです。
▲この頃、先生の中でイ・ジソン氏いう方が書いた本があります。題名が、夢見るタラッパンというものです。本を読んでみました。確かに知らないですのですが、この方はクリスチャンであることが確実なようです。本を本当によく書いています。学生たちは読んでみる必要があるのではないかと思います。この方が、学生たちに勇気を与えながら、祈りをこのようにしろというべきなのに、それでは他の人が誤解します。未信者に祈りをこのようにしろと言うと、誤解するから、夢を見なさいと単語を変えたのです。夢をとても生き生きと描かなければならない。夢をとても事実的に描かなければならない。こうしながら、よく分かる成功した人々をずらっと動員した説明です。よく書いていると思いました。これがもし福音を知っている人が福音を聞いたら、とても答えになります。この人がよく信じる信徒であるようだという気がしました。それで、学生たちに読んでみなさいと話したいのです。おかしな思想哲学が入っているのではなく、そのまま夢を見ろということです。学生たちに勇気を出して夢を見なさいということです。たんに見るのではなく、生き生きと見なさいと強調しています。正しい言葉です。神様がずっと強調されます。これが反復ならば、私たちは死んだのです。これが反復ではなくて事実にならなければなりません。すべての長老、すべての教役者は、これを捜し出さなければなりません。それで、私たちの学生たちはもちろん、重要なことに会えば捜し出さなければなりません。それと共に、この人が何人かの話を書いています。海辺で労務者として仕事をする人が、船を見つめながら、いつも考えたのです。他の人は酒を飲みに行って遊んでいる時、自分はそこで祈って、船を見ていつも思っていたのです。この人が世界船舶王オナシスになりました。そのような話で子どもたちを励ますのです。ある女学生が美容院に行きました。ある金持ちが美容室にきました。とても良い服を着ていました。服は何の服かと尋ねたのです。ところで、この金持ちが少女を無視したのです。あなたのような貧乏人が分かって何をするのか、言ってあげても分からないでしょうと言ってあざ笑ったのです。あまりにも侮辱感を感じたこの少女が、その時から祈りをしたのです。私は成功する。私はお金を儲ける。それをずっと夢を見たということです。それで、後ほど世界を動かす化粧品会社を作りました。その化粧品がエステという化粧品です。こういう、私たちがよく知っている人たちの話です。ヒルトンという人が、ベルボーイでホテルで仕事をしていました。自分より立派な人々がとても多かったのです。背景が良い人々がとても多かったのです。自分は全世界にどのようにホテルをよく作って、どのように奉仕するのかをずっと夢見たのです。このようにして、ヒルトンホテルを250個作りました。こういう話を子どもたちに度々しなければなりません。スピルバーグは、監督になる前に監督室を作っておいて準備したのです。一理ある話です。この方は良い人です。どのように、このように子どもたちに希望を正しく植え付けるかということです。確認はしていないのですが、この方はまちがいなくクリスチャンであるようです。この人は、祈りを知っている人です。
▲私が体験をしたのです。私は2つのことを悟りました。福音の他には真理はありません。それで、とても正しい、正しくないは強調する必要はありません。福音の他には真理はありません。そして、伝道の他には緊急なことはありません。これでずっと釜山を見ると、釜山に4万人の要員が必要でした。それをずっと祈ったのですが、韓国に40万人要員が必要だということを知るようになりました。それを置いて実際に祈りをしたのですが、全世界に1千万要員が必要だという計算が出てきたのです。それを置いてずっと祈ったところ20の戦略が聖書から出てきました。それを置いてずっと祈ったところ、レムナントという答えが出てきました。それを置いてずっと祈ったところ、私たちは行っていないのですが、レムナントが行かなければならない道がなければなりません。RUTCという答えが出てきました。まちがいなく、答えられます。ですから、わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。このみことばを重要な時、またして、またして、20回以上しました。祈りの答えの奥義です。もし、そうなれるならば誰でも答えを受けます。
▲レムナントは、とても具体的に絵を描かなければなりません。そうすれば、神様が違ったことは変えてくださいます。描かなかったので違うのか、正しいのかわかりません。それをずっと描いてこそ、それがビジョンです。ビジョンとは何でしょうか。遠くあるのを、近く持ってきてみることです。これがビジョンです。一般の人々は知らないでしょうが、ここにすばらしい霊的な力が出てきます。私がしている小さい何でもないことが、あの未来を持って見られるのです。これが信仰です。ダビデが羊飼いだったのですが、国を生かす準備をしたのです。羊を飼うことが神様が全世界を生かすことです。それが信仰です。ビジョンとは何でしょうか。同じ話ですが、反対のことです。遠くに必ずこなければならないことを遠くおいてみるのではなく、近くにおいてみることです。これが祈りです。
▲今日、これを捜し出さなければなりません。皆さんにはとても変化することが起き始めます。
(2)ある人は、神様のみことばを握ってずっと祈って変化するみわざが起きました。ある人が、三十数年間を他の人に話せない苦しいことがあったのです。この苦しめられることがあったのですが、話す所がなかったのです。どの程度だったかというと、夫にも話せませんでした。夫もエリートで、この方もエリートでした。ところで、隠してきたのです。いつも何かに苦しめられていました。それで、この方の告白が、自殺したいということでした。いつもそんなことでなく、そういう時があるということでした。そして家出したいと言いました。出て行きたいが、出て行く理由がないと言ったのです。夫が少しだけ間違っていれば、出て行きますが、とてもよくしてくれるということでした。その程度に幸せな家だったのです。夫は医師で、とても実力があって、清潔な医師でした。この方が狂いそうだと言いました。これを誰が理解できるでしょうか。ところで、この方がある日、メッセージを握ったのです。ところで、そのテープをずっと聞いて祈ったということです。ある日この人が、勝つことができる力が出る能力が現れたということです。このみことばの力ということはすばらしいのです。
▲私たちは多くの契約を握っているなかで、神様のみことばを正しく私のこととして、事実で握るのがとても重要です。大部分の人々が祝福をのがしています。
▲モーガン・ロバートソンという人がいます。その人が心血を注いで本を一冊出しました。なぜか、よりによって本を書くのに心血を注いで書いた本が、船がぶつかって事故がおきて死ぬ内容でした。同じ姿で十四年後に事故が起きたのですが、それがタイタニックでした。何のために心血を注いでそれを作ったのでしょうか。祈りの力というもの、霊的な力というものを分かるでしょうか。子どもに対して、夫に対して、いつも良い絵を描くべきで、いつも疑う絵を描けば、確かにそうなります。子どもに対しても希望の絵を、信仰の絵を描くべきで、たびたび不信仰の絵を描けば確かに霊的問題がきます。これを味わってこそ、祈りの味を分かるのです。それでずっと、わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。

3.根本的ないのち(福音)を握って祈りなさい
▲さらに重要なのが三番目です。私たちは礼拝をささげる時や、みことば受ける時、失敗することがあります。多くの神学者や、説教する人々がのがすことがあるのです。それが聖書をそのまま解釈しなければならないという正しい言葉のゆえです。失敗です。必ずいのちというものを前提としなければなりません。必ず福音を伝えなければなりません。なぜなら、聖書がそのような本だからです。それを抜いてしまって、聖書解釈すれば、聖書勉強に過ぎません。それで、のがすのです。生きている木に水と太陽を与えればどうなるのでしょうか。それは、いのちの肥料になって糧になります。死んだ木に水を与えて太陽の光を照らせば、どうなるでしょうか。かわいたり腐ったりします。これが重要です。いのち
▲この文章を書くようになった答えを受けたモーセ、ヨシュア、カレブはどんな人であったのでしょうか。今日、皆さんが最後に握らなければなりません。なぜなら、私たちに問題がたくさんくれば、大部分は私がなにかを間違えのだと思います。私が何か罪を犯したので、このようになったのか。より大きい罪を犯している人も元気に暮らしているのに、問題がくればそのようにします。悪いのではありません。良心的ですが、しかし、それが答えではありません。通常、問題がきた時、わかりません。相手方が言ってくれることもできません。それが何でしょうか。私の性向が、牧師の性向が、長老の性向が福音か違うかということです。福音を知っているのは関係ありません。性向が、簡単に話せば、私のからだに回っている血、体質が、これが重要なのです。
▲今、モーセは何を知っていたのでしょうか。
(1)人間の根本問題と解決策を知っていました。それが創世記3章15節です。創世記3章15節は、モーセが書きました。女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。
(2)そして人間が解決できない状況があります。私たちは知らずにいるのです。こういう問題が来てしまえばどのようにしたら良いかわかりません。それを知っていなければなりません。それで、神様の羊の血を塗れという言葉をモーセがわかったのです。パロ王は、その言葉をわかりませんでした。羊の血を塗りにでかけるといったところ狂ったのかと言いました。神様が狂ったのか。神様がそう言われて、血のいけにえをささげに行きなさいと言われた。この言葉がとても重要な言葉です。いのち
(3)カナンの地に行きなさいということではありません。メシヤに会いに行く地に行けということです。
▲これを知って祈るのです。そうすれば、驚くことが起きます。次の節から十戒が出てきます。ここで、一つ参考にしなければ大変なことになります。いのちある者が律法を見る時は福音になります。いのちがない者が律法をつかめば罪に定めるようになります。このように怖い結果がもたらされるのです。そのために、十戒を見るのも重要ですが、何を持って見るかも重要です。
▲わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。この話は、今まであった神様の力を証拠で握りなさい。二番目は、それを持って祈りの課題としなさい。事実化されるように祈りの課題としなさい。未来が何でしょうか。これが現実になるように、祈りの課題としてつかみなさい。エジプトから救い出した主であるという事実を忘れてしまってはなりません。そのみことばです。それより重要なのが、根本的ないのちです。福音です。これを握って祈れば、まちがいなく答えられる働きが起きます。

→結論-荒野の苦難は何でしょうか。
▲それではイスラエル民族が行く間、いのちを持った者の苦難が何でしょうか。荒野の道を行く間に起きた苦難は何でしょうか。そこには3つの理由があります。皆さんが受けている苦難があるならば3つの理由があります。一つは何でしょうか。
(1)イスラエル民族が荒野を行く間に苦難にあいました。ところで、主の証拠が全世界に証しされました。それが理由です。
(2)二番目の理由があります。イスラエル民族が神様を信じなかったのですが、神様を信じるようになる信仰ができました。
(3)さらに重要なのが三番目です。七部族三十人の王が、荒野事件を聞いて、すでに心がしなえていたのです。
▲それで苦難を与えられたのです。皆さんが受ける苦難は、いのちがあるならば証しに過ぎません。この祝福を確かに握るように願います。
▲苦難をよく見なければなりません。今、エジプトの地から出てきてカナンの地に行く中で苦難が2種類です。いのちの原理を知らない者には滅びの道になります。荒野でみな死にました。しかし、この苦難はいのちの原理を持った者には証しです。
▲とても幼い時、貧しい家で生まれた人物がムーディーです。それも九番目の子どもです。お父さんもなしで。とても貧しい家なのに、お母さんから信仰を学んだのです。今まで米国にムーディーぐらい影響を与えた人はいません。
▲幼い時、薮医者のために盲人になったクロスビーは、お父さんまで亡くなりました。幼い時、苦難の中の苦難をみな受けたのです。ところで、幸いにおばあさんとお母さんがクロスビーに信仰を植え付けたのでした。たとえ肉の目は見えなくても、霊的な目が良かったのです。クロスビーほど、米国に影響を与えた人はいません。ムーディーよりもっと大きいのです。今でも私たちが歌う重要で良い賛美はクロスビーの賛美です。
▲大変なことはできなくても、簡単なことを捜し出さなければなりません。それが何でしょうか。祈りの答え受ける方法を捜し出さなければならないのです。なぜなら、当然、私たちは祈りの答えを受ける資格があるからです。これから、どれくらい大変なことをするのかは後の事で、ひとまず祈りの答えを受ける奥義を捜し出さなければなりません。これを見つけた、見つけていないでは、目も違って、言葉も違って、みな違います。共に話してみれば、ひとりは苦しくて死ぬ。共に一度住んでみてください。どれくらい大変でしょうか。皆さんこの奥義を持っている人は、言葉も違って、目も違って、確かに違います。それで、祈りの答えを受ける奥義を握って出て行けば、どんな困難も勝てます。この荒野を十分に通過するようになります。
▲次の聖日から十戒を見ますが、今日、わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。それで、宿題を一つ出します。昨日、大邱に行ったら、賢いレムナントが集まったので、宿題を出しました。そのレムナントは本当に成功しなければならないから宿題を渡したのです。3ケ月間、あなたの人生の絵を描いてみなさい。なぜ3ケ月でしょうか。重要だからです。違うように描くこともあるためです。一度、描いてみなさい。そして、神様に祈ってみなさい。なぜ3ケ月でしょうか。雲をつかむように描くこともできるから、正しく一度描いてみなさい。本当に祈ってみなさい。あなたの人生にどんなことが起きるのかレムナントに話しました。皆さん一度、描いてみるように願います。どんなことが起きるでしょうか。神様は皆さんに答えを与えることを備えておられます。皆さんの人生に新しい力が始まる貴重な日になることをイエス様の御名で祈ります。

(祈り)
神様に感謝いたします。重要なことを控えている方々もいます。また私たちの教会とタラッパンは大変なことを控えています。今日、神様の御声を聞く日になるようにしてください。わたしは、あなたを奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主であるという神様みことばを握る時間になるようにしてください。人生に祈りの絵が描かれる驚くべき人生が始まるようにしてください。いのちの中にとどまる新しい人生が起きるようにしてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)



2部:子としてくださる御霊
(ローマ8:12-17)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲献身礼拝とは何か?どのようにするかではない。誰にするかだ。教会の主人が誰なのかをよく知らなくて献身をよく出来ずにいる。主人にしたがって方法も変わる。どのように上手にするかではない。主人が完全な方ならば私たちが上手にする、できない、ではない。恵みでするのだ。
▲私たちは世の中の霊、恐れの霊を受けたのではなく、子としてくださる霊を受けた。世の中の人々は、救われない人は恐れの霊を受けた。それで理由なく怖い。恐れがぎっしり埋まっている。
(1)生活の中でも恐れが基準になる。
(2)理由もなく恐れがくる。うつ病にもなって...
(3)12-13節、誤って生きたら恐ろしい。
(4)私たちに一番恐れがくるのが経済だ。
(5)成功したが恐れがくる。
▲私たちは何を持って献身して奉仕するのか。子としてくださる御霊。子としてくださる御霊をくださったということは何の話なのか。
1.私たちに法的権威を与えられた。
(1)15節、子としてくださる御霊を受けたので恐れない理由がある。
(2)14節、法的に神様の子どもになったので、神様の霊で導かれるようになっていて、答えを受けるようになっている。
(3)Iヨハネ4:18-19、ヨハネ3:25、Iペテロ5:7-8、エペソ4:27、マタイ12:45-47、恐れて心配する時、サタンが隙間を利用してだます。
2.今、実際的権威を与えられた。
(1)13節、霊的に戦える実際的な権威を与えられた。
(2)12節、霊的に借りのある者だ。それで、世界福音化することだけが私のすることで、この中にすべての経済、政治がすべて入っている。
(3)15節、神様を堂々とパパお父さんと呼べる。実際的に堂々とした権威を与えられた。
3.永遠な権威を与えられた。
(1)16節、聖霊が私たちの霊とともに子どもであることを証明する。
▲ヨハネ14:16-17、聖霊で永遠に共に...
(2)17節、キリストとともに神様の相続者として呼ばれた。
(3)17節、神様の栄光を現わすためだ。
→結論-嘘にだまされるな。
(1)事実的な、根本的な勇気を持って挑戦しよう。
(2)聖書的に、神様のみことばを握って挑戦しよう。
(3)霊的なことを正しく握って挑戦しよう。
▲こういう祝福を受けた。1-2部メッセージを握って皆さんの人生に祈りの図表を描いてみなさい。私の人生を置いて明らかな絵が出てきたとすれば、その時から働きが始まる。一番やさしいことから置いて始めてみなさい。今週には、そのような人生が始まることを希望する。私が何のためにこのように生きなければならないのか。その質問だけでもよい。皆さん人生に貴重な祝福が今週に始まることを祈ります。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲私が幼い時は、名節(韓国固有の盆・正月)の時だけ服を買いました。今が服が安くて多いのですが、私が幼い時はそうではありませんでした。名節(韓国固有の盆・正月)の前は、着なくて置いておいて、名節(韓国固有の盆・正月)日、明け方にだけ着ることができたのです。その時、私がその服をとても着たくて、明け方4時に起きました。夜明けに起きたのに、一つも疲れませんでした。他の日、そのように起きれば眠たいのです。
▲30年間、一日に三、四時間以上は寝ていません。時々、外国に出て行って秘書と一緒にいれば、そんなに寝ないのに、どのように生活できるのか尋ねられます。30〜40年そうです。ある時は、ほとんど寝られない場合もあります。それでは病気になるはずでしょうが、ならない理由があります。皆さんのためにお手伝いする中に、メッセージや戦略を夜にたくさん悟りました。初めに、初代教会で起きたタラッパン伝道運動を悟って、その日の夜に寝られませんでした。そんなことが多くなって、気持ちがとても良いから眠れなかったのです。皆さんが気持ちが良ければ、歌も賛美も意味が変わります。とても感謝して、賛美歌23番がそのとおりだと思います。チャールズ・ウェスルレイの賛美です。「主イエスのみいつと、みめぐみとを、ことばのかぎりにたたえまほし」(韓国語:もし私の口が1万個あるならば、その口すべて持って、主イエスがくあさった恵みをいつも賛美する)私たちは口が一つしかありません。それでも、一度も主の恵みを賛美しないで、違う話だけ度々するから世界福音化にならないのです。ひょっとして、うとうとしている方のために目覚めるために言うことです。本当にうれしくて恵みを受ければ寝られません。私に希望ができるためです。無理に映画を見るのも眠たいでしょう。無理に音楽会に行っても眠たいでしょう。音楽を本当に好きな人はうとうとしません。うとうとしないのでなく、眠たくないのです。
▲献身礼拝とは何でしょうか。どのようにするかではありません。それは未信者の方法です。私たちのレムナントが悟るべきなのですが、未信者の方法を使ってはいけません。未信者方法は基本で、常識で分かることであって、心より使ってはいけないのです。どのように献身するかでなく、だれにするかの問題です。それが重要なのです。だれに献身をするのか。子どもの友人三人が教会に集まって話をしました。牧師の息子がこのように話しました。うちのお父さんが牧師だから教会の主人だ。そうしたら、長老の息子が、そうではない。うちのお父さんが会計をしているから主人だ。すると、事務員の息子がそうではない。うちのお父さんが、鍵を開けてくれなければ、誰も入って来ることができないからうちのお父さんが主人だ。小さい子どもが集まって話したことですが、それが大人たちの姿ならば困ります。
▲教会の主人がだれなのかよく知らなくて、献身をよくできないのです。主人にしたがって方法も変わります。どのように良くするかではありません。主人にしたがって、主人が足りない時はそうです。主人が完全な方ならば、私たちが上手にしする、しないは問題ではありません。恵みでするのです。そうではないでしょうか。一般の王に仕える時は恐れでします。あなたがたは、世の中の霊を受けたのではなく、恐れの霊を受けたのではなく、子としてくださる霊を受けたのです。記憶しなければなりません。
▲世の中の人々は霊が違います。恐れる霊を受けました。それでびっくりするほどの聖書個所がローマ人への手紙に出てきます。救われなかった人々は恐れの霊を受けました。それで、理由なく怖いのです。信仰より恐れがいっぱいです。生活の中でも恐れが基準になります。昔に浴場に行けば鍵がありませんでした。明け方早く、あるなおじさんが入浴をしにきたが、少ししたら男が入ってきたのです。ところで、印象が泥棒のように見えました。あの人がひょっとして私のポケットの中のお金を持っていったのではないかという疑いと恐れが出てきました。とうていそのままいることができなくて、出てみたらお金はありました。ところで、後から入ってきた人が見たら、先にいた人が私が入ってくるやいなや出て行くのではないでしょうか。いや、なぜあの人は、私が入浴しに入ってきたら出て行くのか。私のお金を持っていくのではないか。少ししたら入ってきました。疑わしくて、とうてい入浴していられません。出て行って調べたら、お金はそのままあります。初めにいた人が私を安心させておいて、盗もうとするんだな。二人とも入浴もできなくて丸裸になって、ずっと行き来していました。おかしな話ですが、私たちが普通、そのように疑って怖がって生きています。
▲また、ある場合は、理由もなく恐れがきます。うつ病にもなって。ある教師をした人は、学校の発令を受けたが怖いと狂ってしまいました。今日も12-13節を見ると、肉に従って生きたと言われています。誤って生きれば恐ろしいのです。これが誤ったのではなく、問題がくることでないかと恐ろしいのです。私が正しく生きたら、恐ろしくないのに、誤って生きるから恐ろしいのです。
▲私たちに一番恐ろしいのが何でしょうか。経済問題です。経済に対する恐れがきます。このようにすればどうなるだろうか。一番たくさんくるのが経済問題です。人々に会ってみたら、共通の問題がお金がないということです。答えを受けて、いろいろなことはみな受けるのにお金だけがありません。不思議です。ある人は、いろいろなみわざがみな起きるのに献金をしません。知ったところ、お金がなくてできないのです。ないのをどうするでしょうか。一番、たくさん来る問題が経済問題です。その程度ではありません。確かに成功したが恐れがくるのです。
▲今週にまた悔い改めました。昔にマイケル・ジャクソンと連結できる人がいたのですが、福音に対するメッセージに送らなかったのです。私たちのメンバーの中で、おいがマイケル・ジャクソンの有名な俳優の友人の夫なのに、よく通じるのに、分かりながらも、その時はそこまで考えることができませんでした。からだが50キロに痩せていたということは、正常に生活ができなかったということです。そのように成功した人が髪の毛がみな抜けて、かつらをかぶっていたのです。どれくらい苦痛だったでしょうか。話す所はなくて、どれくらい恐ろしかったでしょうか。訪ねてくる人々はみなお金のためであって、真実がないのに、どれくらい孤独だったでしょうか。2,300人ずつ警護をたてても、みなお金のためであって、真心がなくて、人間対人間関係は一つもなかったはずなのに、どれくらい孤独だったのでしょうか。それで、これから重要な人々が困難にあえば、手紙ででも福音を伝えなければならないと考えました。
▲私たちが恐れる霊を受けなかったということは、他の人は恐れる霊に捕えられているということです。私たちは何を持って献身して奉仕するのでしょうか。子どもとしてくださる霊を持ってしなければなりません。ローマ1〜16章で一番重要な部分は8章にたくさん出ています。それで8章を宝と表現します。それで8章の内容だけよく理解しても、すばらしい答えを受けられます。
▲私は2つの誤解をたくさん受けます。ある人々は、私は性質が汚いと言います。じっくり考えてみました。私は約束をすればあらかじめ行っています。私は私たちのレムナントがそのように育たなければならないと思っています。常に遅刻をすれば失礼です。そういうのを見れば血圧がちょっと上がります。これを見て性質が汚いと言うのです。タラッパンで仕事をして出て行った人が何人かいます。初めから最後までずっと問題を起こす時、そうでした。出て行く時まで悟ることができない時。その以前には困難を与えませんでした。こういう私に性質が汚いと言うならば、悔い改めなければなりません。もう一つの誤解は、高慢だということです。そのように言う人々がいます。ある牧師が釜山老会に行って尋ねたのです。釜山で柳牧師が何か問題があって、ことが起こったのかと尋ねたら、他の問題はなくてちょっと高慢だと話したそうです。そうかもしれませんが、私には確信があります。開拓教会を始めた時も確信があって、私と皆さんがここで始める時も確信がありました。今でもあります。これを見間違えば、高慢だと思えるでしょうが、高慢ではなくて確信です。これを与えられたと言うのです。

1.私たちに法的権威を与えられました。
▲子どもとされる(養子の)御霊をくださったということは、私たちに法的な権威をくださったということです。単なる子どもと、養子は違う言葉です。養子ということは、法的に子どもとしたということです。
(1)それで今日、ローマ8:15に、あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。奴隷の霊を受けたのではなく、子どもとしてくださる霊を受けたので、私たちは恐れない明らかな理由があるのです。
(2)そして14節を見れば、神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもですと言われています。皆さんは法的に神様の子どもになったので、神様の霊で導かれるようになっています。ですから、恐れる理由がありません。私たちは恐れる霊を受けたのではありません。どんな場合も神様の前に立って祈れば、神様は必ず答えられます。本当に心配することは、私が福音か、本当に伝道のためのものかということであって、他のことは心配事ではありません。
▲3年間、学校で友人に殴られた子どもがいます。これが愚かなのです。両親に話したり、告発すれば良いのに、怖くなって話をしなかったのです。なぜ怖くなったかと聞いたラ、殺されそうだと言いました。自分が見るには、すごいかもしれませんが、何でもありません。子どもとしてくださる霊を受けた私たちが何のために恐れるのでしょうか。恐れる必要はありません。試合で優勝をよくしたテコンドーの師範を知っているのですが、その師範が寝ていたら、強盗が入ってきたのです。強盗は、何の力がないのに、からだが動かなかったそうです。そのように足でよく蹴ることができるのに、足が動かなかったそうです。それで、強盗が行った後に動くことができたそうです。そのようにおじけづいて動くことができなかったのです。
(3)なぜ神様が私たちにこのみことばをパウロを通して下さったのでしょうか。Iヨハネ4:18-19を見るならば、恐れる理由がないのに恐れる時、サタンが度々だまして、刑罰、問題が起きます。ヨブ3:25を見ると、ヨブは信仰が良いのに恐れるから、その部分に乗ってサタンが攻撃したのです。Iペテロ5:7-8を見ると、心配するその部分、心配に捕われた部分がまさにサタンが攻撃するところになるのです。エペソ4:27を見ると、私たちが不信仰して、怒って悪を出す時、サタンが隙間を利用して入ってくると言われています。マタイ12:25-47には、そのまま置いておけばサタンが家を作ると言いました。こういうものがとても長くなれば、他の悪霊を連れてきて家を作るということです。恐れる理由がありません。

2.今、実際的権威を与えられました。
▲子としてくださる霊を受けたということは、今、実際的な権威をくださったということです。私は、これを信じ始めたのです。なぜでしょうか。神様が法的にしなければ、私たちはサタンに勝てません。私たちに権威を与えられました。それも何の原理、いのちの原理を与えられたのです。それでなければ、私たちはできないということが分かりました。私はそれ以前には答えを受けられませんでした。神秘主義と騒いでも、いくらしても効果がありませんでした。したらさらに問題がきます。変化もできません。私たちの性質はそのままあります。ところで、神様の契約をぴったり握ってから答えがき始めたのです。この権威は実際的な権威です。
(1)今日13節に、霊でからだの行いを殺せば勝利すると言われています。何の話でしょうか。もう私たちには霊的戦いができる実際的な権威を与えられたのです。
(2)12節を見ると、私たちは借りがある者なので肉で生きてはならないと言われています。これを見て悟ったのです。私は霊的に借がある者です。それで、世界福音化することだけが私のすることで、その中にすべての経済、政治がすべて入っています。
(3)そして、15節を見ると、神様をパパ、お父さんと呼べるのです。実際的に堂々とした権威を与えられました。私たちを悪魔の子どもで置いておかれなくて、神様の子どもと呼ばれたので、堂々とパパ、お父さんと呼べるのです。

3.永遠な権威を与えられました。
▲この程度ではありません。これはたんなる権威でなく、なくなる権威でなく、永遠な権威です。嘘にだまされてはいけません。救いは変わったり、なくなることではありません。永遠な権威です。間違えたことは神様が悟るようにさせるのですが、なくなるようにされません。
(1)それで16節を見ると、聖霊が私たちの霊とともに子どもであることを証明すると言われています。どれくらい驚くことなのでしょうか。ヨハネ14:16-17を見るならば、永遠にあなたがたとともにいると言われました。
(2)そして、キリストとともに相続人として呼んだと言われています。こうすれば多大な事実です。あの天国まで...
(3)あなたがたが、苦難を受けるのは苦難でなく神様の栄光を現わすためだと。確実な神様の祝福です。
▲私はこの事実を信じて、そうだという確信を持ったのです。警官が恐れても良いでしょうか。警官が悪いやつをつかみに行く時、堂々としているので、恐れをなして逃げ回るでしょうか。それよりもっと大きい権威を私たちに与えられました。これを持って献身するのです。

→結論-嘘にだまされてはなりません
▲結論です。嘘にだまされてはなりません。
(1)神様が私たちに実際的な答えをくださったので、今から事実的、根本的な勇気を持って挑戦しましょう。学生たちも勉強ができない人を恐れずに、勉強ができない根本的な根元から始めて挑戦しましょう。
(2)本当に聖書的に神様をみことば握って挑戦しましょう。肉的なものは変わります。
(3)だから霊的であることを正しく握って挑戦しましょう。
▲こういう祝福を受けました。私は幼い時、家で多くの聞いた話が経済、貧困です。朝鮮戦争以後、難しくて貧しくて、それしか仕方がありませんでした。それで私は幼い時、間違っていました。貧しいのが当然だと思ったのです。嘘です。神様の力を知って福音味わった以後から、そんなことは基本であって絶対に勝てるということを分かりました。もう一つ、教会に通いながら見たら、伝道が難しいと話していました。嘘であることを分かったのです。救われる人がいっぱいいます。
▲今日、聖日ごとに長老が集まる伝道企画チームに行って話したのですが、私たちは軍隊にいれば、軍隊の話だけ継続するのですが、霊的な話を一度もしなかったために救い出せませんでした。裁判官であれば、法の話だけするのですが、一度も霊的な話をしなくて、霊的に死んでいくのにも言えないのです。それを分かるようにさせてあげるのが福音で伝道です。それを分かるようにさせてあげるために、礼儀もそろえて、事を成すのです。一つも難しいことではないのですが、嘘をつくのです。ある日、見たら外に救われる人が一杯になっているということを知るようになりました。遠くへ行くこともありません。霊的な事実を正しく話せば、中に隠されている正しい言葉を言います。無条件に道で話してはいけないのですが、話が通じれば知るようになっています。それで多くの人々がだまされるのです。それが嘘です。タラッパン運動を始めたら、こういうことを言われました。外で迫害して3年も続かないだろう。嘘です。私はその以後に、いくらでも伝道するのに、支障を受けないで多くのレムナント起きて、多くの伝道者が隠されています。ある人は、RUTCどのように作るかと尋ねます。何人の会員で十億程のお金が集まると話すのですが、私はそのように考えません。RUTCはまだ開始できていません。いつ開始でしょうか。30万人のタラッパン家族が全部参加する時、RUTCが始まるのです。良い建物を落札されたのですが、教会建築が開始されたのではありません。それは建物を得るだけであって、全3000人の信徒が神様の前に献身して恵みを受けるその時間を神様は待っておられるのです。それが開始です。聖書を見てください。神様は私たちにお金、献身を希望されるのではありません。全イスラエル民族が羊の血を塗る理由を悟ることを希望されるのです。数字が問題ではありません。マルコの屋上の間に集まったすべての信徒が契約を握って福音にあって聖霊に満たされることを神様は願われるのです。それが開始です。恐れる必要がありません。まちがいなく働きは起きます。
▲今日1,2部メッセージ握って、本当に祈り図表を描くように願います。重要なのです。私たちが重要な文書を作った時、重要な会社と契約する瞬間からみわざが起きます。神様の前に人生を置いて祈らなければならない、重要で明らかな絵が出てきたとすれば、その時からみわざが起きます。レムナントは、数ヶ月がかかっても祈りの図表を余裕をもって作りましょう。そうでなければ一番やさしいことから始めましょう。だんだん作られるのがさらに正確です。
▲私は一番初めに始めたのが、それまで恵みを受けられないで生きていたんだなあ。教会の中には恵みを受けられないで生きる人がとても多いな。この人たちを助けなければならないな。サタンの第1戦略を破らなければならないなと始めたのです。そして、福音を伝えるべきなのに知らない人がとても多いな、そのように始めたのですが、どんどん大きくなりました。本当に生涯の絵が完成される日、その時から神様から正しく,時刻表のとおり働かれます。
▲今週には、そのような人生が始まるように願います。私は何のためにこのように生きなければならないのか、その質問だけでもよいのです。私が本当に神様の恵みを受けるべきなのに、どのようにすれば良いか、このように質問すれば良いのです。皆さんの生涯に貴重な祝福が今週に始まることをイエス様の御名で祈ります。

(祈り)
神様に感謝いたします。恵みの週になりますように。前に知らなかった祝福を新しく受ける週になるようにしてください。聖なる神様の御名が高められる週になるようにしてください。RUTCと私たちの教会を通して神様が栄光を受けてください。すべての重職者、長老を通して、神様が栄光を受けてください。レムナントを通して、全地に主の栄光があらわれるようにしてください。私たち多民族、特に一般信徒宣教会を通して神様の栄光が皆に伝えられるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)