2009年8月9日  聖日礼拝 場所:インマヌエル教会 :


1部:安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ
(出エジプト記20:8-11)
 
☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲人間に最高の幸せは何か。人間に最も大きい幸せは何か。安息だ。
(1)肉的な平安のためにも安息しなさい。
(2)心(精神)も安息が必要だ。
(3)霊的な安息も必要だ。
それで神様が安息日を覚えて、これを聖なる日とせよと言われた。
▲チャールズ・チャップリン、マリリン・モンロー、エルビス・プレスリー、マイケル・ジャクソンが成功したが、なぜそのように死んだのか。共通点が平安がなかった。
▲パスカルは言うのに、神様が人間を創造されて、心に穴を創造された。この穴を満たせるものは一つしかない。この穴を満たせるのは神様だ。この安息をないところから度々探すから探せないことで、麻薬、ギャンブル、酒、堕落、淫乱、犯罪にはまってみるが絶対に安息がない。
▲私たちは険悪な世の中を生きていかなければならないのに、どのようにすべきなのか。なぜ神様が安息をくださって、私たちは安息を得るべきなのか。
1.なぜ神様がくださる安息を得るべきなのか
(1)だれにも分からないように苦痛を与える存在がある。
(2)少し過ぎたら私の思いのままに、現代科学でだめな霊的問題がくる。
(3)成功以後にさらに問題が来る。
▲それでマタイ11:128-30、イエス様が、すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう。マタイ8:17、あなたがたの弱さと病を担われた。イザヤ43:1-6私たちの霊的な問題、心の傷、病気をみな担って十字架にかかられたと言われている。
2.何の安息が必要なのか
(1)安息日に与えられる安息
1)主の安息日(10節)
2)主は安息日を祝福し(11節)
3)聖なるものとされた(11節)
▲諸葛亮-勇将→ 知将→ 徳将→ 天の恵みを受けた将軍がより良い。
4)ヘブル4:9-10、安息する時が神様の民に残っている。
▲皆さんが神様が与えられる真の力を得るように願う。神様が確かに約束されて、この日を祝福された。この日を聖なるものとされた。
(2)規律でだめだから主の日(聖日)の安息を与えられた(ヨハネ20:1)
▲イエス様が真の犠牲のいえにえとして、十字架ですべてを解決された。復活されて、キリストという証拠を得た。この安息を得なさい。
(3)礼拝を通して、再臨して来られる時まで五旬節の安息を与えられた。
▲この復活を信じる五旬節の日に、聖霊の働きが起きた。この安息を得ろということだ(使徒1:1-8、使徒2章の働き)
3.この安息をどのように得ることができるのか
▲みことばを握ってどのようにするのか。五つの祈りだ。
(1)私の問題を握って最後までインマヌエルになるように祈ろう(エレミヤ33:1-3)
(2)福音の中の安息-イエスがキリストだ!+キリストがキリストなること+キリストがあなたの主人だ。
(3)霊的事実の安息(キリストの中の7つの祝福、6つの権威-Iペテロ2:9)
▲キリストという祝福が私に来ている(Iペテロ2:9)。サタンの権威を打ち破る霊的祈りが始まる。
(4)ビジョン-その次にビジョンが見えて、神様の大きい計画が見える。
(5)なるようになる祈り-この時から祈りになる。定刻、常時...
4.結論
▲詩篇100:4に感謝しつつ主の大庭に入り...そのような契約を握ることを願われる。この力と安息を得てこそ余裕ができる。
▲ヘブル4:12-16,神様のみことばは生きていて...時にかなった恵みを得るために...新しい恵みが備えられている。
▲ローマ15:4、今でも成就しているみことばだ。
(1)行ってみれば来ている答えが見られる。
(2)他のものが見られる。ここに変化する神の国を待つ。
(3)少しすれば、神様が証拠をくれる。それで、私は証人になるのだ。
▲安息を味わう人々!(レムナント7人)極限状況の中で初代教会は神様の安息を持って勝った。契約を持った者の祈りの力、神様がくださる安息の祝福、皆さんが全部この祝福を回復するようになるようにイエス様の御名で祝福します。
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲安息日を覚えて、これを聖なる日とせよと言われました。十戒は、ほとんどするなという記録が多いです。これをするな、わたしの他の神をおがむな。偶像に仕えるな。このように、全部するなと言われています。ところで、二つだけ、しなさいとなっています。その一つは安息日を聖なる日として守りなさい。もう一つは、あなたの親を敬いなさい。その二つの他は、全部するな、このようになっています。
▲人間に最高の幸せは何でしょうか。釜山で信仰生活を上手にした姉妹がミスコリアに当選しました。ミスコリアに当選すると、少し遊びグセがついたのか、あちこち歩き回ったのです。そうしたところ、韓国の最高の財閥の中ある家系に嫁に行くようになりました。それで、みんなが言う言葉が、女はきれいでなければならないな、そのような話をするほどでした。信仰生活上手な人の中で、嫁に行けなかったオールドミスがいっぱいいるのに、この人は一気に財閥家に嫁入りするようになったのです。多分、一年も過ぎなかったと思います。一年もしないで、離婚になりました。その姉妹は今、韓国にいなくて、どこかを歩き回っています。聞こえるうわさによれば、とても食べて太っていて、こういう噂を聞きました。離縁になったあとに言った言葉です。財閥がよく暮らしていると思ったが、行ってみたら地獄です。地獄にいるよりは一人でいるのがより良い。そのように破局に至ったのでした。
▲人間に最も大きい幸せは何でしょうか。安息です。腹がいっぱいでも、平安がなければ困ります。私がお金をたくさん儲けたのに、平安がなくてどうなるのでしょうか。反対に、お金を私にふさわしいくらいに儲けても、平安がなければならないことではないのでしょうか。
(1)それで肉的な平安のためにも安息しなさい。私たちが休暇に行きます。さらに疲れます。家にいるのがより良いことで、さらに大変で、普通そのように言います。この前、見たら休暇に行ってきた夫婦で、けんかした人が十人中九人でした。なぜけんかをしたのでしょうか。一人は持って行こう、一人は持って行かなくてよい、それで行く前からけんかになって、子どもたちは話を聞かなくて、荷物は重いが他の人には関心もなく、別の女を見て、こういうものでけんかをするのです。これは何の休暇ではなくてストレスを受ける日です。それでも、なぜ休暇と言うのでしょうか。神様は人をよく知っておられます。全く同じことを継続すれば、はやく死にます。六日間努力して仕事をしたら、一日程度はするなということです。そうすべきです。六日間、そのことをしたら、全く同じことを七日目はせずに、礼拝をささげなさいということです。そのような意味も含まれています。
(2)安息日を記憶して守れという言葉は、体のことだけでなく、心も安息が必要なのです。私が今、絵をちょっと習おうとしています。なぜならば、私たち人は、花だ、音楽だ、美術だ、こういう側に行かなければなりません。あるいは盆栽だ、お金だ、骨董品だ、こういう側で人が行かなければならないのです。そうしてこそ精神的に安息になります。それでは、そういうことをしたら、長く生きるということでしょうか。そんな話ではありません。神様が長く生きるようにするためにそんなこともさせる、そのように考えれば良いのです。
(3)さらに重要なのは、私たちに、また人間には色々な問題がたくさん起きます。私たちには霊的な安息が必要です。ですから、神様が安息日を覚えて、聖なる日としなさいと言われたのです。
▲神様がしなさいと言われる時は、確かに理由があるからしなさいと言われました。皆さんが知っているでしょうが、ある有名な方、芸能人が、姿を隠して病院を訪ねて行きました。私がとても憂鬱だ。狂いそうだ。ですから、私にどのようにすれば良いか薬をちょっとください。私に対してたくさん尋ねずに、薬をください。医師が見て、この人がとても憂鬱な人でした。たくさん笑うべきだと思いました。たくさん笑って、度々楽しいのを見て、そのようにしなさい。どのようにすれば笑いますか。可能ならばユーモアのようなもの見て笑いなさい。チャールズ・チャップリン、その番組をたくさん見なさい。分かりました。患者が出てきながら、私がチャールズ・チャップリンなのに。化粧をするから、医師が見違えたのですが、人を一番たくさん笑わせたチャールズ・チャップリンが、最もうつ病に苦しめられて行ったという事実。
▲人はこのように霊的安息にならなければ、実際にだめだから、神様があなたは安息日を聖なるものとして守って、覚えなさい。この日を守りなさいと言われたのです。まだ写真が出ているでしょうが、マリリン・モンローのような人は、何が苦しくて、そのように薬をたくさん飲んで死んだのでしょうか。二十世紀音楽をひっくり返したエルビス・プレスリーという人が、38歳で死んだのですが、手術してみたら、お腹の中に薬が一杯になっていたのです。そんなに成功したのに、幸せでなかった、その話です。ないものはないということです。ですから、その人より倍に影響を与えたマイケル・ジャクソンのような人が、今、見ればこの話、あの話、たくさん出ています。共通点が何でしょうか。平安がありませんでした。平安であるべきなのに、平安がなかったのです。一般の人々ならば表に出ないのですが、有名な人であるから表に出てきます。さらに大変です。パスカルはこういう話をしました。神様が人間を創造して、心に穴を創造された。この穴を満たす方法はない。満たそうとすれば満たそうとするほど、さらに穴は大きくなる。まるで喉が渇いて海水を飲むようだ。飲めば飲むほど、のどが渇く。それで、この穴を満たせるものは一つしかない。この穴を満たせるのは神様だ。パスカルがそのような話をしました。哲学者だけれど、たくさん考えた人ではないのかという気がします。この安息を、ないところから探すから、あるところで探さなければならないのに、ないところから探すから見つからないのです。それで、簡単に私たちのレムナントが麻薬で陥ります。なぜならば、安息がないのにないところから探すからです。その麻薬は安息ではありません。快楽です。快楽後には呪いがくるようになっています。安息がないから、ギャンブルやダンスに求めて回るのです。絶対に幸せは来ません。ある日、私が直せないくらいに、災いが押しかけるようになります。堕落に、淫乱に、どんどん陥るのです。ある人は犯罪に陥ります。なぜでしょうか。安息がないからです。そのような程度ではありません。
▲イスラエル民族は出エジプトをしました。ものすごい事件が起きたのです。荒野に行かなければなりません。この道は、普通の道ではありません。カナンの地に入らなければならないのです。神様がくださる力が必要です。神様がくださる安息が必要です。そのような程度ではありません。イスラエル民族が、とてもお話が多いのです。どれくらい主導権争い、陰謀があったでしょう。それが一番多い民族がイスラエルと韓国の人です。私は、ある時は韓国の人が嫌いな時があります。私も韓国人なのに。恥ずかしい時があります。とても陰謀、むだな言葉、引き下ろし、こういうものをとても上手にします。いやタラッパンが復興するから、異端という単語をどこにでも付けるのです。陰謀をたくらんで、ねたんで、異端にしてしまいます。テジョンにいる、ある牧師に冗談を言いました。私たちを異端にする作業をした人なので。私に会って、ああすみません、この頃、お元気ですかと言います。いや牧師先生、私は異端ではないのですかと言ったら、そんな話をしないでくださいと言いました。自分がしておいて。世の中は、みなそんなことではないでしょうか。これからうまくいくでしょうと言いました。うまくいきますか、私がそう言いました。私が尋ねてもかまわないでしょうか。何ですか。冗談のように本当の話で尋ねました。異端は地獄に行きます。そう言ったら、そんなことは言わないで、今日、食事でもしましょうか。しかし、私は、いや私は地獄に行くのではないですか。そうしたら、にっこりと笑いながら、教会史にいつもあったことでしょうと言いました。それで、私が地獄に行く人なら、人を殺してもかまわないでしょうと言いました。怖い話です。地獄に行く人だから、人を殺してもかまわないでしょう。その時になって、その人の顔がぴったり固まったのです。死ぬ事は嫌いなようです。それで私が冗談ですと言いました。固まったので。このように韓国の人はよくありません。日本人が話しました。韓国の人材は牽制する必要がない。自分たちどうし戦ってみな倒すためです。ノーベル賞が出てこない理由がそこにあります。日本や中国の人々は人物が出てくればバックアップします。私たちの韓国の人は、人物一人出てきたら、どのようにしてでも引き下ろします。この引き下ろすのにいのちをかけるのです。だめなのが韓国の人です。直さなければなりません。外国に行っても、互いに告発して、告訴したのがみな韓国の人です。これと似ているのがユダヤ人です。荒野に行くのなら、はやく行くべきで、そこで権力争いと戦って指導者を変えなさいと大騒ぎをしました。
▲このような時に、神様が呼ばれて、戒律を与えられたのです。この中で最も祝福された戒律が、安息日を守りなさい。
▲私たちはこういう険悪な世の中を生きていかなければならないのに、どのようにすべきでしょうか。

1.なぜ神様がくださる安息を得るべきなのでしょうか
▲神様がなぜ安息をくださって、安息を得なければならないかを私たちは分からなければなりません。
(1)誰にも分からないように苦しみを与える存在があります。誰にも分からないように。この苦しみを与える存在があることを聖書は語っています。それで、神様がくださる安息を得なさい。そのみことばです。いくら立派な人が集まった国でも、ますますしきりに問題がくるのに分からないのです。
(2)少し過ぎたら、霊的問題が度々きます。霊的問題とは何でしょうか。私の思いどおりにできない状態がくるのです。霊的問題とは何でしょうか。科学が、今の現代科学が解決できない問題です。ですから、神様が神様の安息を得なさい。
(3)さらに重要なのは、成功以後にさらに問題が来るのです。出エジプトしたら、他の問題がきました。どれくらい国民が話を聞かないで、おかしな指導者が起きて、ねたみと問題を作って完全に、これは苦痛です。全世界の人の心をとらえたヘミングウェイが何のために自殺するのでしょうか。成功した以後に。
▲イエス様はマタイ11章28節に、すべて疲れて重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。マタイ8章17節には、私たちのすべての病気もみな担ってくださいました。イザヤ53章を見ると、私たちの霊的な問題、心の傷、肉の病気をみな担おうと、十字架にかかると約束されました。

2.何の安息が必要なのでしょうか
▲それでは、今日二番目に、何の安息が必要でしょうか。
(1)ここによく見なければなりません。何とおっしゃられたのかというと、主の安息日と言われました。10節にそうなっています。11節に何となっているかというと、主がその日を祝福されました。12節には、その日を聖なるものとされたのです。聖なるという言葉は、何の話なのでしょうか。私たちは、聖なる、このように言う時は、倫理的と思うのですが、聖なるという言葉は違います。この日を違うように神様が区別されたのです。それが聖なるです。皆さんが礼拝するこの時間に、神様は六日間、世の中に勝てる祝福を神様が準備される日です。諸葛亮がこのように言いました。勇将よりは、知将がより良い。知将よりは、徳がある徳将がより良い。神様も知らない人なのに、この人が何と言ったのか分かるでしょうか。徳将よりは、天の恵みを受けた将軍がより良い。
▲この難しい世の中を私たちが勝つ方法がありません。それで、神様がわたしがこの日を祝福すると言われたのです。ヘブル4章9-10節には、天国にある安息まで連係されました。神様が与えられる真の力を得るよう願います。今日、メッセージを最後まで聞いて、勝ち取らなければなりません。ひとまず、今日、聖書に神様が確かに約束されたのは、この日を祝福したと言われました。マナを取る時、安息日には取らないでも、別の日に祝福されるとなっています。この日を聖なるものにした。そのようにおっしゃられました。それで、この祝福を受けなさいと言われたのです。
(2)ところで、この日を守ってみたら、しきりに規律に縛られてしまいます。2世紀には、39種類のしてはいけないこと、それまで出てきたのです。
▲今日、皆さんが二番目に悟らなければならないことがあります。安息日を守るということは何でしょうか。安息日は金曜日夕方から土曜日の夕方までです。簡単に話せば土曜日です。それで今、アドベンチスト教会は土曜日に礼拝をささげます。
(3)なぜこの日を守らないで聖日を守るのでしょうか。アドベンチスト教会でこのように話します。本来、日曜日はローマが太陽神を崇める日なのに、教会が堕落をして合併しながら日曜日を守っていると攻撃するのです。間違っている言葉です。聖書で一箇所だけ証拠を出します。ヨハネ20章1節に安息日のあとの最初の日。安息日のあとの最初の日ならば聖日です。その日にイエス様が復活されました。聖書に歴史の証拠があります。安息日後の初めの日。その日にオリーブ山に集まれとイエス様が命令されました。それで集まって礼拝を始めたのです。今は本当に安息を得なさい。イエス様が真の犠牲のいけにえとして、十字架で全てのもの解決されました。復活されて、キリストという証拠が起きました。この安息を得なければなりません。ですから、土曜日を守るのは旧約の時の安息です。もう新しい安息を得なさい。皆さん、どんな問題でも解決できる神様の力を信じるように願います。復活は科学です。イエスがキリストという証拠です。これから私たちが天国に行く、そこに行くという証拠です。それで科学の中の科学です。

3.この安息をどのように得ることができるのでしょうか
▲三番目です。五旬節の日に。このキリストの復活を信じる五旬節の日に聖霊のみわざが起きるようになりました。この安息を得なさいということです。そうではなくては、複雑な世の中には勝てません。神様が与えられた安息を今日得なさいということです。皆さんが体験してみるように願います。使徒1章1節に、イエスがキリストということです。この部分が何かというと、世の中を見る目です。暗やみの中に覆われたところに光を照らすべきなのに、キリスト。少しだけ待てば良いのです。神の国。向こう側に掘り下げれば聖霊の働き。この力を得ろということです。この力を得るから、使徒2章に、この働き起きて、風、炎のような働き。防ぐことができません。この力を得なさい。ですから、旧約からこれまで日が発展したのです。人間には神様の安息が必要です。神様の力が必要で、それでは三番目、この安息をどのようにすれば得ることができるのでしょうか。もちろん、神様のみことばを握れば良いのですが、みことばを握ってどのようにするべきでしょうか。五つの祈りです。五つを覚える必要はありません。五つは連結するからです。
(1)皆さんは救われた神様の子どもだから、私の問題を握って最後までインマヌエルの時まで祈りましょう。最後までインマヌエルになる時まで祈りましょう。神様が最後まで祈れば答えを与えられる、そういうことではありません。理由があるからです。エレミヤを見て何とおっしゃったのでしょうか。わたしを呼べ。呼べとは何でしょうか。祈りなさい、このように言うるべきなのに、呼べ。この言葉は何の話なのでしょうか。攻撃的に祈れということです。前の話がさらに重要です。エレミヤがまだ監視の庭に閉じ込められていた時に。主のみことばが臨んだと言われました。それは、神様が知っておられるということです。神様は目に見えないが、皆さんの全てのことを知っておられます。皆さんが受ける困難を知っておられるのです。本当に受けている苦しみを知っておられます。それとともに何とおっしゃられるのでしょうか。地を造られた主、それを形造って確立させた主。その次になんと出ているでしょうか。その名は主である方がこう仰せられる。そこに保証をかけているのです。主の御名を、だれの名で保証をかけるかということが重要です。それとともに、わたしを呼べ。あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。皆さんの問題を握って最後まで祈りなさい。なぜなら神様の子どもだから。私は普段の時に定刻祈りではなく、普段の時にずっと呼吸をゆっくりしています。それとともにずっと祈っています。最近は、集中的に教会建築、RUTCを置いて祈っています。どんなことが起きるのか私は待っています。神様がどのようにされるのか待っているのです。私は多くの祈りの課題を置いて神様の前に祈った時、神様は答えられました。困難がきた時も祈った後にどんなことが起きるのか分かるから待っています。安らかに心の底からしてください。私の場合は、長い呼吸をしながらするから、健康にもなります。それとともにずっと祈っているのです。皆さんがひとまず問題を握って祈り始めなさい。そうすれば、ある日、そこに対する証拠がくるようになっています。
(2)この時から私たちは福音を正しく握るのです。イエスがキリストです。キリストがキリストになるのです。これは、普通の言葉ではありません。キリストがキリストになるのです。ある僧侶が水は水だと言いま下が、一番重要な言葉です。水が水だということです。その人は救われていないのですが、話は正しく言いました。山は山です。そうだ。それが一番重要な言葉です。山が何でしょうか。山です。これが第一の答えです。キリストがキリストになること。働きが起きます。キリストが私の主人になるのです。それで終わりません。キリストという祝福が私に来ています。あなたは、王である祭司、聖なる国民、この光を宣べ伝えるために呼ばれたのです。この祈りが開始されるのです。それとともに、どんな祈りをするのでしょうか。
(3)霊的な祈りが開始されます。目に見えないがサタンの権威を打ち砕く霊的な祈りが始まります。
(4)この時から何が見られるのでしょうか。ビジョンが見られます。神様がくださる答えが、大きいものが見られ始めます。いつも答えを受けるのですが、ビジョンというのは、大きいものが見られるのです。これのために神様がそのようにされるのだなと。
(5)この時から祈りになるのです。定刻、常時。
▲五つの中にすべて入っています。ですから、神様が私が与えられる力を得なさいということです。神様がくださる安息を得なさい、その話です。世の中のことも必要なことが多いのですが、本当に神様の安息を得るべきで、世の中ことも生き返るということです。こういう大きい意味を含んでいます。とても貴重な、少し短くなっているのですが、今でも働くメッセージで、安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。別のものは簡単ですが、これは3節もあります。それで神様がとても貴重なみことばを与えられたのです。安息を得なければならない理由をおっしゃられます。今日、二番目は安息とは何なのでしょうか。それでは、その安息を持ったので、どのようにこれを得るかを説明しました。
4.結論
▲詩100篇4節に、感謝しつつ主の大庭に入れ。礼拝に来られた時、祈る時に、感謝しつつ主の大庭に入れ。
それは何の話なのでしょうか。王様が総理に任命をしたのですが、その任命を受けて入る姿です。その話です。王様が長官に任命をしたのですが、その知らせを伝えられて、服を着替えて王宮に入るのです。そのような契約を握っていなければなりません。ものすごい神様の安息を与えられたので、絶対に気落ちせずに、どんな問題も神様は解決することができるのです。ところで、この安息と力を得てこそ余裕ができます。ヘブル4章12節に、みことばは生きていて力があります。そして16節に、時にかなって受ける恵み。それは、何の話なのでしょうか。神様は昨日くださった祝福ではなく、また新しい祝福をくださるために。ローマ15章4節に記録されたみことばは、今でも成就されているから。
▲このようになると、このような安息の力を得れば3つのことが見られます。
(1)一つはぴったり見れば、来ている答えが見られます。すべてではありません。来ている答えが見られるのです。
(2)その次に、もう一つ見られることがあります。何が見られるかというと、答えが見られます。ここにもう変化する神の国、それは待つのです。
(3)少しすれば、三番目に何か、神様が証拠をくださいます。そうすれば、私は証人で立ちます。皆さんのがさずに、特にレムナントは堅く握らなければなりません。
▲安息を味わった人々。みことばを結びます。これは私の話ではなく、証拠だから、大きい困難の中で安息を味わった人々。レムナント七人です。ヨセフはあまりにも大きい困難にあいました。後ほど陰謀にまであいました。ところで、ヨセフは神様が与えられる貴重な安息と力を握っていたのです。完全に災い転じて福となったのです。ヨセフが陰謀にあわれなかったならば、どうなるところだったでしょうか。困難の中で八十年間、答えが来なかったのです。ホレブ山で神様の安息の中に入りました。皆さん、少しだけしてみてください。本当にしてみてください。証拠はくるようになっています。すぐに来なくても、気をおとしてはなりません。大きい答えを受ける人は、はやく来ないこともあります。そうでなければ、神様が解決する問題があるから、解決されるところです。とても危機状況に置かれていた時、ダビデとサムエルはどこにいたでしょうか。この中にいました。極限の困難の中で、死が迫ってくるのに、初代教会がどのように勝ったのでしょうか。神様の安息。私は常にこの契約を握って始めました。なぜか。ないからです。私はヨンドから始まる時から何もありませんでした。私はこの契約を握ったのです。神様は正確に答えを与えられました。私たち10年前に皆さんと私が会いました。ここで開始をしたのです。何もありませんでした。他人の地下を借りて始めました。神様が皆さんの祈りと多くの計画を持っておられるでしょうが、新しい教会堂を与えられました。そこで、私たちはまた第2の出発をするようになります。神様は私たちが何もないのですが、神様はこの契約の中に握って入った時、人を生かすことまで起きます。祈りの力は大きいのです。ある日、悪いハマンという人がユダヤ人の失脚で契約をしました。世の中はこのように悪いのです。モルデカイが何か上手にしたから、それを殺そうとハマン総理が銀12万を使って、嘘を作り出したのです。神様を信じて王様に言うことを聞かないユダヤ人を全部殺すように日を決めました。そこに王様が印鑑を押したのです。王様の指輪が印鑑です。これを押しました。大変なことになりました。ところで、このハマン総理が知らないことが一つありました。正確に話せば2つのことを知りませんでした。王宮の中で王の愛を最も受けているエステルがユダヤ人であることを知りませんでした。聖書の記録を見れば、王宮に入る時、ユダヤ人であることを話さないでくれと言いました。もう一つです。契約の民が祈れば、どんなことが行われるかを知らなかったのです。この知らせを聞きました。エステルとモルデカイが会ったということです。モルデカイが話しました。私たちを助けなければならない。王に行って話せ。ところで、王が呼ばなかったら、行ってはいけない。法を犯して行け。それとともに、このモルデカイがこういう話をしました。神様があなたを王侯として立てたのは、この時のためではないか。私たちが今死んでいくのに私たちを生かすためにあなたを立てたのがないだろうか。それで、そのとき、モルデカイがこういう話をしました。あなたが、もし私たちを助けなければ、神様が他の手を通して私たちを救い出されるだろう。そして、あなたとあなたの父の家は滅びるだろう。それは、王宮がほろびるという言葉です。その時にエステルがこのように答えました。行くと話したのではなく、死ななければならないなら死にます。王宮にそのまま入れません。そのように入れば死にます。なぜならば、王を殺そうとする人が、突然きて、みんな法によってくるためです。この時、エステルがお願いを言いました。私は王宮に入るから、皆さんすべての民は断食して私のために祈ってください。これで、法に背くエステルが王宮に入ります。夜に王宮にこっそりと入れば、大変なことになるのです。隠れて行ったのですが、エステルが入ったので、王がエステルを見るとびっくりして、どうしてきたのか。それで罰を下すことができたところ、王が金の笏を差し出しました。王が持っている杖を笏と言うのですが、金の笏を差し出したのです。好きなように呼ぶことができなかったのですが、王も事実は会いたかったのです。どのようにきたのか。何の用事で来たのか。話さなくてもぴったり分かります。このように法を犯してきたから。重要なことがあった。その時、王が何と言ったでしょう。どんなことか、国の半分も与えるから話してみなさい。この時、エステルが話しませんでした。皆さんならば、すぐ話をみなするでしょう。エステルが私の家でパーティーをするので、王様が来てくださいと。いや、それが難しいのか良い。そのとき、来られるときに、総理を連れてきてください。ハマンが策略を計画したためです。ハマンが内心、この王侯が私を調べてみるんだな。パーティーをするのに、王がどうしても変だ。また尋ねました。どうしたのか。これは違う。理由を言いなさい。皆さんならば、すでに話したでしょう。また話すのに祈る人は余裕があります。パーティーをもう一度開きます。王が見ると変です。これが今、ご飯を食べて遊ぼうという言葉なのか、またパーティーを開くのです。また来ました。王がまた来たのです。王がすごいのがエステルをとても愛したのです。また来ました。言います。国の半分を与えるから話してみなさい。この話はそれだけあなたを愛しているという言葉です。その時になって、エステルが話をしました。王様がおわかりの通り、くやしく私たちのユダヤ人はみんな殺されるようになった。私もユダヤ人です。私のためにくやしくユダヤ人が死ぬようになった。悪い政治家一人が嘘をついて、ものすごいお金を使って王様をだまして、このように話したのです。アハシュエロス王が、世界を動かした王なのに、頭にきて、いったいそれが誰か。私をだましてくやしくユダヤ人殺す人は誰か。その時、もうハマンは真っ青になっていました。まさにこの人です。ですから、王がとてもアハシュエロス王が腹が立って、ひとまず外に出て行ったのです。息ができなくて。庭に立って息を整えたのです。ハマンが、そんなことができるのか。ですから、ハマンが大変なことになったのです。私は今は死んだんだなあ。卑怯な人々は、そのような事が上手です。私が死んだんだなあ。それで、はってエステル王侯の足をとらえて、殺さないでくださいと言ったのです。王がちょっと息を整えて戻ってきてみたら、これが女の足をつかんでいました。王が誤解をしたのです。王がいないその短い間に、王侯の足を触るとは。王が特命をおろしました。こいつを今、直ちに首をつって殺せ。直ちに。そしてユダヤ人を全部助けなさい。その日がプリムの祭りです。歴史にある事件です。
▲契約を持った者の祈りの力。神様がくださる安息の祝福。皆さんが全部、この祝福を回復するようになるようにイエス様の御名で祝福します。

(祈り)
神様に感謝します。世の中を生かせるように私たちに神様の安息を与えてください。険しい世の中を変えられるように、私たちに神様の力を与えてください。私たち自らを生かさなければならないから、神様が私たちに神様が与えられる真の安息をください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)



2部:私は約束の子どもなのか
(ローマ9:1-13)


☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲私は約束の子どもなのか。ローマ人への手紙は、とても大きい苦しみの中で書いたのだ。それでは、私たちは大きい苦しみに勝たなければならないから、分からなければならない。そうでなければ、大きい苦しみの中に陥った人を救い出さなければならないから、分からなければならない。ですから、パウロがここに対する確信を与えた。
(1)聖書的確信がなければ揺れるようになって、暗やみの勢力が攻撃する。
1)救い(Iヨハネ5:11-13)
2)祈り(ヨハネ14:14)
3)勝利(Iコリント10:13)
4)罪の赦し(マルコ10:45)
5)導き(マタイ28:20)
(2)神学的確信もなくてはならない。
1)アルミニウス主義(ホーリネス、メソジスト)-
2)カルビン主義(長老教)-神様が予定された人が別にいる。
3)悪霊論-神様の民と子どもは違う。民は信じれば救われるので、子どもは本来いるのではないのか!と主張した。
▲この3つの中で一つは確信がなければならない。
(3)事実的確信
▲私はどのように祈る、どのように信仰生活するということがなければならない。
▲本論-私は約束の子どもなのか
1.聖書の約束
▲聖書の約束が信じられる人は救われたのだ(Iコリント12:3)
(1)創世記1:2、暗やみ、混とん、むなしさ→ 創世記1:3、いのちの光(キリスト)
(2)創世記3:5→ 創世記3:15、女の子孫
(3)ローマ3:10、ローマ3:23→ ローマ5:8
(4)ローマ10:9-10、心で信じて口で告白して救われる。
(5)ヨハネ1:12、黙示3:20、受け入れ
(6)Iコリント3:16、聖霊があなたがたの中に
(7)ヨハネ5:24、死からいのちに移してしまった。
(8)Iヨハネ2:20-27、力が現れる。
2.ローマ8:31-39節のだれも引き離すことはできないという理由を分かる者
(1)エペソ1:3-5、ローマ16:25、世界の基が置かれる前に、世々にわたって長い間、あなたを準備した。
(2)サラから生まれた息子(9節)、リベカに大きい者が小さい者に仕える(12節)
(3)絶対的救いの祝福だ。
3.未来の重要なことを知るようになること
(1)真のイスラエルと肉のイスラエルの最後は違う(6節)
(2)真のアブラハムの子孫と肉の子孫の最後は違う(7節)
(3)肉の子どもと約束の子どもは違う(8節)
4.結論-実際的祈りをしなさい(3つ)
(1)イエス受け入れ(ヨハネ1:12、黙示3:20)-主イエスよ、この場に働いてください!
(2)聖霊受け入れ-聖霊が私の考え、心、からだの中に、たましいをおさめてください!(使徒1:8)これになっただけ、権威、力が出てくる。
(3)みことば受け入れ-必ずみことばの悟りをくださって、みことばで答え
▲この祈りを始めてみなさい。どうして初代教会はそんなに弱いのに、滅びないで征服したのか。何の力もがないマルティン・ルターがどのように征服したのか。福音を持った少数が、どのように世界を征服したのか。知らずにいる。この三つをする方法がある。これは各自が決めなければならない。それは、神様が正確に答えられる。今日から本当にこの奥義を味わうように願う。絶対に防げない。皆さんを防ぐ者はいない。本当にこの祈りを始めなさい。大きい答えを受ける皆さん、世界を生かす答えを受けることを希望する。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲時々、レムナントが祈りをどのようにするのか、みことばを宣べ伝えるのにどのように準備をするのか尋ねます。それは、かえって私が尋ねたいことですが、尋ねることができません。長老が、実際に祈りをどのようにするのか、皆さんがどのように祈ってどのように答えられるのかを尋ねたいのです。重要な質問です。このように礼拝に早くくれば30分ないし1時間を待つべきなのですが、その時、どのように時間を過ごしているのか気になります。その時間が重要で、決定的な時間になることがあります。そうでなければ1時間の間、なんとなく待たなければならないから、大変な時間になります。必ず尋ねたいのがこれです。実際に答えられる祈りをどのようにするのか気になります。重要な質問です。これを分かったら、色々なものが変わるためです。
▲今週から土曜日の午後にテグで核心メッセージしていたのを金曜日に変えました。土曜にしていたら、とても遅く終わるから、あまりに荷が重くて変えたのです。私が時間がなくて息子、娘に教えることができなくて、後悔したが、時間ができて孫たちには、教えなければならないと思いました。昨日は、イエウォン教会で核心を終えて、孫たちと一緒に登山をしました。自ら福音を理解させるための次元で、登山が何か説明したのです。どこかへ行けば動物園もあって、プールもあって良いと孫たちが言いました。それは登山ではなくて、登山は良いところに行くことでなく、山に行ってそのまま自然を味わうことだと説明しました。孫たちが自然が何かと質問したので、英語で説明しました。てっぺんまで上がってきました。汗は流さなければならないのだから、ふかずに流れるように放って置きなさいと言って、そのように山頂まで行って降りてきて、それと共に、多くの考えもして、このようにするのが登山だと説明しました。帰ってきたら、汗でぬれて、どれくらい暑かったでしょうか。しかし、洗い流せば気持ちが良くなりました。洗って出てきて、気持ちが良いかと尋ねたら、孫の娘のほうは幸せな日だったと答えました。このように一つずつ一つずつ教えなければなりません。他のものは分かりませんが、祈りは必ず教えようとしています。
▲実際に、私たちは、どのように祈りの答えを受けるのかが本当に重要です。今日のタイトルは、約束の子どもですが、私は約束の子どもなのか考えてみなければなりません。どのように祈らなければならないかは終わりで話すことにして、今日の本文をよく見れば、約束の子どもについての内容ですが、私が約束の子どもなのか考えてみなければなりません。参考にしなければならないことは、ローマ人への手紙は、大きい苦しみの中で書かれた聖書という点です。それなら、大きい苦しみに勝たなければならないから、今日の本文をよく分からなければなりません。また大きい苦しみの中に陥る人々を救い出すために分からなければなりません。
▲今日の本文はパウロがここに対する確信をあたえる内容です。いくつかの聖書的確信がなければ揺れるようになります。
(1)聖書的確信がなければ、皆さんに勝つことができない暗やみの勢力が攻撃します。
▲それでは、今日このように礼拝する時間が非常に疲れます。反対に祈りが何か、礼拝が何か分かったら、今晩には、すべての疲労が回復します。これを知らなければ非常に力が抜けます。それまでは大丈夫でしょう。かん難がやってきて、本当に迫害が来たら、どうなるでしょうか。その時に神様がパウロにこの内容を書くようにされたのです。本当に救われた神様の子どもなのか(救いの確信)。祈れば本当に答えられるのか(祈りの答えの確信)。私たちにいかなる苦難がきても必ず勝利することができるのか(勝利の確信)。私達が知ることを知らずに間違ったのが多いが、みな許されるか(罪の許しの確信)。本当に神様の導きを受けられるのか(導きの確信)。このような確信がなければ、攻撃されてサタンが攻撃するルートとなります。サタンは、皆さんが救いの確信がないことを知って攻撃するのです。Iヨハネ5:11〜13、そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためですと言われました。だれでも、イエスの名前で救われた者が祈れば答えられると言われました。Iコリント10:13に、耐えることができる試練だけが与えられ、それも勝つ道をくださると言われました。キリストが来られたことは、私たちのすべての呪いをなくすためにマルコ10:45で、十字架につけられたと言われています。世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいますと言われました。この祝福を見つけ出さなければなりません。確信がなければならず、今はなくても、今からなければなりません。
(2)神学的確信もなくてはなりません。
▲神学勉強をする理由がまさに、このためです。こういう神学があります。神様の予定があるならば、ある人は選ばれて、ある人は選ばれていないということだが、それなら伝道が必要ないということなのか。もちろん、神様が私たちを救われるが、予定されたことではないから、私たちが努力しなければならないという神学をアルミニウスが主張したといってアルミニウス主義と言います。韓国では、ホーリネス、メソジストが代表的です。だれかは救われて、だれかは救われないというのが話になるかと言います。正しい言葉のようです。反対に、予定されているので伝道する必要がない。神様が予定されたら神様の責任であって人間の責任でないという理論があります。ジョン・カルビンという人が主張したといって、カルビン主義と言います。ジョン・カルビンは、神様が予定した人は別にあって、そのような人は必ず救われて滅びることはないと主張しました。するとアルミニウス主義が反対します。それなら、救われない人はどうするかと尋ねて、答えるのにそれは私は知らないが聖書にそうなっていると言いました。こういう主張をカルビン主義だと言います。おもに長老教です。それで長老教は、確信は少しあるようですが伝道はしません。全てのものが予定されているためです。祈りもしません。みな予定されているから。信仰がとても良いのです。反対に、アルミニウス主義は、努力して信じなければならないから祈りをよくします。アルミニウス主義は、とても心配が多くて、カルビン主義は、とてものんきです。カルビンが話すのに、何が不安なのか、じっとしていろ。反対に、それでもじっとしていれば良いのか、祈らなくては。このように二つの神学が今でも戦っています。その中で、アメリカのある神学者が悪霊論を主張しました。神様の民と子どもは違う。考えてみなさい。王の子どもと王の民は違う。民は信じれば救われるので、子どもは本来からいるのだ。このように絶妙の理論を持ち出したのです。ところでまた聖書を見れば、子どもがいて、民がいるではないかと言います。この三つの中で確信がなければなりません。あえてアルミニウス主義を信じるというのに、私が付いて回りながら止めさせることはできないのです。神様がもちろん私たちを救われるのですが、私達が信じなければならず、私たちが熱心にしなくてはいけないのがアルミニウス主義で、正しいこともあります。何も心配する必要がない。神様が全部救われて、みな備えられたというカルビン主義です。悪霊論を主張する人は、神様の子どもと民が別にあると言います。それでイエス様が十字架にかかられた以後、だれでも救われる。それで、今は恵みの日です。救いの日です!と話さなかったのかと言います。どれが正しいのでしょうか。私はこの3つの中で一個です。聖書的確信もなくてはならず、神学的確信もなくてはなりません。
(3)確かに事実的確信がなければなりません。
▲私はどのように祈って、どのように信仰生活するのかに対する明らかな確信がなければなりません。皆さんは救われた者であることが確実だから、理論と方法が少し違っても、サタンは皆さんに勝てません。ただ、確信がない時、サタンは触るのです。証拠があります。心配するなと言われずに、あなたがたの思い煩いを主に任せなさいと言われました。心配があるのに、心配しないのはバカだけです。心配を主に任せてしまいなさいと言われました。祈りで主に持ってささげなさいと言われました。そして、謹んで、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように食い尽すべき者を探して歩き回っていますと言われました。エペソ4:27にも、悪魔が機会を利用することができないようにしなさいと言われました。
▲それなら、私たちは本当に約束の子どもなのでしょうか。それなら、どのようにすべきでしょうか。本当に私が神様の約束の子どもなのでしょうか。

1.聖書の約束
▲第一に、聖書で何と約束されているのか分からなければなりません。聖書的確信を持とうとするなら、聖書の約束を見なければなりません。私が救われたのか、救われていないのか確認しなければなりません。聖書の約束が信じられる人は救われた人です。なぜなら、Iコリント12:3を見ると、聖霊でなければだれもイエスを主と告白できないと言われました。聖書にある約束が信じられれば神様の子どもです。
(1)創世記1:2に暗やみ、混とん、むなしさがあるのが世の中です。それで神様がいのちの光を照らされたのです(創世記1:3)。その光がキリストです。
(2)やみの主人公であるサタンは、創世記3:5でアダムとエバを倒しました。ところで、女の子孫を送って蛇の頭を踏み砕くと約束されました(創世記3:15)。それが何の話かという人は救われていません。羊の血を塗らなければならないという言葉を理解できなければ神様の子どもではありません。犠牲のいけにえをささげに行きなさいという言葉をモーセがわかりました。神様の子どもです。このように通じる重要なことがあります。これをいくら説明しても、パロ王は聞き取れません。死ぬほどになったから出て行って、はやく犠牲のいけにえをささげて来なさいと言うその水準です。そのように立派な人も知りません。ひとまず、これが信じられれば、神様の子どもだということを聖書が約束しています。
(3)ローマ3:10に義人は一人もいないと言いました。救われる前に、すべての人は創世記3章に置かれているから救われません。それで神様がキリストを送られました。この事実が信じられる者は救われたのです。いくら考えても、信じられなかったら、まだ救われていない可能性があります。それは愚かな話だと言うからパウロが答えました。滅びに至る者には、十字架の言葉はおろかに見えるが、救われた私たちには神様の力になると言ったのです。
(4)ローマ10:9〜13に、だれでも主の名を呼ぶ者は救われるのに、心で信じて義と認められ、口で告白して救われると言われました。
(5)ヨハネ1:12には、受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神様の子どもになる特権が与えられましたと言われています。それでは神様の子どもです。これが信じられなかったら、神様の子どもではなくて、信じられれば神様の子どもです。火を受けないでもかまいません。それは、人ごとに受ける賜物によって違います。ある人がイエス信じて救われことは間違いないのに、悔い改めがうまくできないと尋ねます。関係ありません。本来、人情がない人は涙が出てきません。本来、涙が多くてTV見ながらも泣く人は当然泣きます。それは基準ではありません。みことばが基準です。私は火を受けていないが...関係ありません。それは基準ではなくて、結果として来ることもあります。確かに、それはからだに異常があるのです。ある人は、イエスを信じて祈って気絶したというのですが、まったく気絶しないと、ある人が尋ねます。それは基準ではありません。気絶した人は脳に異常があると見れば良いのです。聖書のみことばが基準です。
(6)それで、救われた者にIコリント3:16で、聖霊があなたがたの中にいるようになると言われています。この時から驚くことが行われ始めるのです。
(7)ヨハネ5:24には、死からいのちに移ってしまったと言われています。当然、受けなければならない呪いから、いのちに移されてしまったのです。天国に行く前に、悪魔の子どもから、神様の子どもに運命が変わってしまいました。この事実が本当に信じられる人には、この時から力が現れ始めます。
(8)Iヨハネ2:20〜27に、キリストによって、聖霊の油を注がれるようになると言われました。重要な話が出ています。世の中が教えなかったのに知るようになると言われています。この話をしたところ、ある人は学校に行きません。その話ではありません。これを知るようになっているということです。だれかがそばですべて教えてくれなくても、知るようになっています。

2.ローマ8:31-39、だれも引き離すことができないという理由を分かる者
▲二番目、先週の本文ローマ8:31〜30で、だれも引き離すことができないという、その理由を分からなければなりません。なぜそうでしょうか。カルビン主義と合います。私はこれを信じます。極限の迫害の中で与えられた答えです。極限の迫害の中でアルミニウス主義なら揺れます。呪いが、前後四方から来ているのに、私の力で行うべきだとすればできません。民、子どもの区分があるならば、私がどこにいるかが分かりません。本当に祈りの答えを受ける奥義です。聖書を見ましょう。
(1)エペソ1:3を見れば、世界の基が置かれる前にあなたを呼ばれたと言われています。ローマ16:25には、世々にわたって長い間、あなたを準備したと言われています。
(2)今日の本文に出てきました。アブラハムの息子がみな息子ではなくて、サラから生まれる息子でなければならないとローマ9:9で話しました。ですから、いかなる迫害も恐れる必要はありません。本当に信じなければなりません。リベカが息子を産んだのですが、聖書では大きい者が小さい者に仕える。エサウがヤコブに仕えるだろうとあらかじめ話しました。これが12節の内容です。何の話なのか分かるでしょうか。アルミニウス主義は、お腹がちょっといっぱいな時に言うことです。勉強をよくした神学者や、状態が良い人々がお腹がいっぱいで言うことで、本当に差し迫っていた人はアルミニウス主義が合いません。皆さんの子どもたちが、歩いていくところに差し迫った状況がきたが、カルビン主義を知らなければ死にます。いや死ぬことはないけれど、自ら崩れるのです。
(3)すなわち、神様の絶対的救いの祝福ということです。

3.未来の重要なことを知るようになること
▲そして説明がさらに出てきます。神様の子どもは何を知るようになるのでしょうか。他のことは分かりませんが、未来にとても重要なことを知るようになります。
(1)6節に真のイスラエルと肉のイスラエルの終わりが違うと言われています。肉のイスラエルは深刻に滅びてしまいました。本当に救われた者が真のイスラエルです。これを知っているから揺れる理由がありません。ところで、想像以上に、教会の信徒は小さいことに揺れます。もし悪魔が正しく脚本を組んで試みたら、みな揺れるでしょう。ですから、ほとんど大部分が試みが近づけば揺れます。
(2)真のアブラハムの子孫と肉の子孫は違います。これが7節の内容です。イスラエルの滅びを知っています。どれくらいパウロが残念で、はっきりと分かったのか、いっそ私が死んでもイスラエルと親戚が救われたら良いと言いました。何の話なのでしょうか。皆さんが代わりにほろびてあげて、他の人が救われるでしょうか。そのようなことはありません。それなら、私が代わりに地獄に行って、孫が救われるでしょうか。だめです。だめなことはパウロがとてもよく分かっています。それなら何の話なのでしょうか。イスラエルに起きるみじめなことを知っていたのです。ところで、恐れる必要があるのでしょうか。悪い未信者が皆さんを困らせても、ほろびる人が明らかなのに、それが恐ろしいのでしょうか。子どもも、子ども次第です。
(3)肉の子どもと約束の子どもは違います。この話をしながら、パウロがここに対する証拠を見せたのです。

4.結論-実際的祈りをしなさい(3つ)
▲結論を結びます。皆さんが実際的な祈りをしなければなりません。私は実際的な祈りは三つだと思います。これを習わなければならなくて、教えなければなりません。
(1)イエス受け入れ
▲イエス受け入れです。受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神様の子どもとされる特権をお与えになったと確かに約束されています。だれでもわたしの声を聞いてドアをあければ、私が中に入って、彼とともに食事をします(黙示3:20)。これはものすごいことです。神様が皆さんの中に居られるということです。聖霊が居られるということです。それで、イエス様を受け入れる祈りは、いくらよくしても再受け入れではありません。主イエスよ、この場に働いてくださいというこの祈りが先です。
(2)聖霊受け入れ
▲二番目は聖霊受け入れです。簡単に表現した言葉です。明け方祈りに行って何をするのでしょうか。メッセージを聞いて祈りを少ししてきます。朝の祈り行って10〜30分だけ聖霊が私の中に臨むように本当に祈りましょう。すでに来ているのに何をそうかと尋ねることもできるでしょうが、全く違う話です。聖霊に満たされた働きが起きるように祈れということです。そうすれば、驚くことが起きます。長老が祈る時、書いてもかまわなくて、書かなくてもかまいません。ある人は書かずにすらすら祈れば上手だと言いますが、私はそのように考えません。書くのが違った祈りでしょうか。そうではありません。分かりやすいように、書いて読んだ方が良いでしょう。ただ一つ注意する点があります。皆さんが祈る時、少しの間でも本当に聖霊が私の考え、心、たましい、中心を治めてくださいと祈ってください。代表祈りを準備する前に、この祈りをしなさい。驚くべきことに答えられる祈りが出てきます。長老が祈れば、それが必ず成就します。徹夜祈り1〜2時間する時、これをしなければなりません。1時間した。ものすごい時間を過ごします。一人で定刻のときに、これをしなければなりません。これになるだけ、権威が出てきます。これになるだけ、力ができます。かなり重要です。聖日に、このように礼拝時間に実際的に祈れば、ある面で、皆さんが手にあまるほど答えがきます。
(3)みことば受け入れ
▲三番目、みことば受け入れです。昨日、夜通し祈った中で、このみことばをどのように表現するべきか悩みました。今まで生きてきながら、私は信じられるのに、このみことばを何か、どのように表現してこそ皆さんことになるのか悩んだのです。そうするならば、私が先にみことばを受けなければなりません。みことばを受けるということは、みことばを読むということではありません。みことばを受け入れるべきで、そのみことばを私が受けなければなりません。この祈りをするのに神様が悟りを与えられました。どんな悟りでしょうか。極限の迫害のときにくださったメッセージ、死が迫ってきたときに与えられたメッセージではないのか。それなら極限の危機に勝てるメッセージ、危機の中に陥っている人を救い出すメッセージだ!私にこのようにみことばが迫ってきたのです。本当にこの祈りをしてください。からだが疲れる時、本当に祈ってください。私はこれを祈りながら、聖霊が私のたましい、考えだけでなく、からだの中に、私たちの教会に、現場に働いてくださいと祈ります。まちがいなく働きが起きるようになります。この祈りを始めれば、起きる証拠はものすごいのです。
▲まだ人々は、まだユダヤ人は、初代教会がそんなに弱かったのに滅びないで征服をしたのか知りません。何の力もないマルティン・ルターが征服をしたのか、まだ知らずにいます。福音を持った少数の人が、個人がどのように世界を征服できたのか人々は知らずにいます。
▲この3つのことに補充される方法があります。眠らずに聞きましょう。うとうとする人は、聖霊受け入れにならず、力がなくて眠たいのです。私はこの祈りを一日中すれば、夜に目がさえて問題です。本当です。昼間に眠くなると耐えます。昼間に少しだけ寝ても夜に寝られないからです。安らかで、遅くまで寝れば、その次の日の夜に支障があります。この話しを聞くと、キム・ヨンギ牧師は、寝れば寝るほどさらに眠れると言いました。私はむしろ目が覚めます。一番の問題が何かというと、メッセージを準備して恵みを受けたら目が覚めるのです。これで寝ようと、どうすれば寝るのか研究しています。これも一度くらいであって、メッセージを毎日準備するから毎日そのようなことになるのです。
▲このようにイエス受け入れ、聖霊受け入れ、みことば受け入れをするのに方法があります。この方法は各自が決めなければなりません。ある人は叫ぶ事もでき、ある人は自分の専攻で賛美することも、ある人は小部屋で、どんな人は山祈りで、ある人は礼拝堂に行くでしょう。私は黙想に入ります。時間がないから。私は深い呼吸と共に黙想に入るのです。分かりやすく解釈して、本当に祈りの答えを受けなければなりません。直ちに体験することができます。祈る長老、説教する方が、この祈りを継続すれば、直ちにメッセージと答えが出てくるのですが、多くの注釈を見なくても答えが出てきます。どの程度でしょうか。この祈りを継続すれば、神様が心と思いに答えをずっとくださいます。ところで、昨年に祈るのにレムナントをホームステイしなければならないなという考えが与えられました。どこで悟ったかというと、多くの学生たちが集会にきて耐えることができなくて、うとうとするのです。働きをする人々がレムナントが、夜通し寝ないで騒いで、朝にああなると言いました。その時、祈ってホームステイという答えを受けたのです。今回、ホームステイがどんな効果があったでしょうか。ある方は、ホームステイするというから、家がむさくるしいがだれがくるのか。ある子どもたちは、なぜ私たちをホームステイさせるのか、ホテルに送ってくれと電話がきました。また、ある家は夫婦でけんかをしたのです。なぜ子どもがくるか、私たちがどのように世話するのか。ただ1泊だけなのに....ところでしてみれば分かります。どれだけ恵みを受けたでしょうか。ただ一日しかしなかったのですが、泣き喚いて抱きあっていました。3日したら、家に帰ろうとしなかったでしょう。多くの他の世界を見るようになります。さらにすばらしいことに、子どもたちを集めないでいたから、今回、流行した新型インフルエンザが遮断されたのです。知ったところ、完全な答えでした。このように聖霊が私たちに正確に教えられるのです。その程度ではありません。今回、子どもたちがメッセージを聞くのに、今までの中で一番静かによく聞きました。何年か前に、光州(クァンジュ)で集会をしたが1万人が集まりました。説教ができませんでした。その時、祈って何を思ったかというと、タウン集会を思いました。これが後ほど100、200、300個タウンに増えれば、大祝祭になるのです。長旨洞(チャンヂドン)にある教会に引っ越しするのが心配です。室内の天井が高くて音が響くと、メッセージがよく伝えられません。よっぽどでなければ、中間に別の壁を作りなさいと指示しました。だめならば2、3階をガラスで防ぐ必要もあります。それで、音が響くのもはるかに減って、壁だけ作れば、各クラスに入れます。メッセージがかなり重要だと思わなければなりません。はじめにヨーロッパ教会、アメリカの教会に行ってみたら、天井が高くて音が響いていました。今でも借りて使っているワシントンインマヌエル教会も、メッセージをすれば、声がたくさん響きます。ここインマヌエルソウル教会も、あまりにも補強するからであって、はじめは声がとても響ました。釜山に行けば、天井の高さがここの半分です。それで、礼拝をささげれば安らかです。ソウルの人たちが釜山に来て帰って、教会に来て礼拝をささげたそうです。ソウルから来た人が言いました。これくらいメッセージが重要です。メッセージが入らないからタウン集会をするようになったのです。神様がこのように正確に答えておられます。今日から本当にこの奥義を味わうように願います。
▲悪い人多いのです。どのように祈るのでしょうか。私はそのような人に聖霊が働いてくださいという祈りが出てきません。惜しくて。どこにでも聖霊が働くべきでしょうか。それで、皆さんもアーメンしなかったのでしょう。私はそこに本当にヒゼキヤ王を助けた主の使いを送って、砕いてくださいと祈ります。その時、権威の祈りが出てきます。イエス・キリストの御名ですべての不信仰と呪いは縛られるようにと祈ります。間違いありません。その巨大な教権が絶対に防ぐことができませんでした。絶対に防げません。皆さんを防ぐ者はいません。本当にこの祈りを始めるように願います。大きい答えを受ける、世界を生かす答え受けることをイエス様の御名で祈ります。

(祈り)
神様に感謝いたします。主イエスがキリストで働いてください。聖霊が私たちの中に、私たちの考えの中に、私たちの人生の中に働いてください。みことばが成就するようにしてください。福音を防ぐすべての勢力がイエスの御名で縛られるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)