2009年8月23日  聖日礼拝 場所:インマヌエル教会 :


1部:姦淫してはならない
(出エジプト記20:14)

☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲カーネギーは、お金の問題だけ解決されれば人生問題70%が解決されると言った。ところで、姦淫問題が解決されたら家庭問題70%は解決されるだろう。数種類は変わらない真理がある。
(1)神様の子どもになったこと、与えられた祝福と背景は変わらない。見つけ出そう。この祝福を見つけ出さない以上、幸せはない。
(2)これにならないほど、霊的問題がきて傷となる。神様の子どもなのに、過去の傷に捕らわれていれば霊的問題がくる。
(3)霊的問題を持っていれば、結局はいろいろな所に問題が発生-堕落、ギャンブル、麻薬、ダンス、酒、淫乱に陥るようになる。
1.レムナントに
(1)レムナントが傷を持って度々揺れれば-堕落しやすくて、結婚もなにも考えずにして、離婚も簡単にして、霊的問題が深くなれば売春婦になったり、同性恋愛に陥るようになる。(Iコリント5:5-6)
(2)これをよく勝ったレムナントがヨセフだ。神様がヨセフに最も大きい祝福をくださったのだ。
2.既成世代に
▲聖書-複雑な家庭問題で難しい家庭があって、祝福を正しく受けて生きた家庭がある。
(1)イサクとリベカ- 1:1で清潔な家庭を作った。全く苦難に遭わなくて約束が成就した(100倍の祝福、泉の根源)
(2)出2:1、レビの男とレビの女が結婚して産まれた人物がモーセ
(3)プリスカとアクラ夫婦が祝福を受けた。
▲こういう祝福を受けた人々に清潔で祝福を受けた次世代が出てくる。
3.この問題で苦しみを受けて失敗した人はどのようにするのか
▲この問題を契約として握って福音の中に入ってきたら、より大きい祝福を味わうようになる。神様は最も良い神様だ。
(1)遊女ラハブ-マタイ1章にイエス様の系図に名前が入った。
(2)スカルの女性-イエス様に会って普通の祝福を受けたのではない。
(3)姦淫した女性-イエス様が再び罪を犯してはならないと言われて許された。
▲ひょっとして、私たちが過去に失敗したとしても、そこに留まっていてはいけない。むしろ、福音の中に入ってくればより大きく祝福を受けられる。姦淫する精神1/10だけ宣教に注いだら大きな働きが起きる。
4.結論
(1)これから、淫乱文化、商品化時代がくるから、私たちのレムナントはそのような部分を注意しなければならない。
(2)レムナントは結婚に成功しろ。結婚を大切に思え。
(3)いくら皆さんが間違ったとしても、ダビデのように立ち返れば、神様はそれを土台にして、大きく祝福される。
▲神様のみことばに耳を傾けて聞いて、大きい祝福を受ける一週間になることを望む。
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
▲ある泥棒が人の家に入って盗みをしたということです。あれこれ良いと思ったものなどを持って行こうとしたのです。そのような中に、ある本が一冊出てきて、この本が何かと思って開けてみました。開いてみたら盗んではならないと書かれていたのです。よりによって出エジプト記20章15節を開いたのです。いくら泥棒でも、どれくらい震えたでしょうか。盗む途中に見たのです。
▲突然に世界宣教大会をしようと宣教師がみな集まったが、姦淫してはならないというメッセージなのかと思うでしょう。突然に出てきたのではなく、出エジプト記を読み続けていて出てきたのです。私たちが神様の御声を聞く良い時刻表になれば良いでしょう。
▲この言葉をだれがしたかが重要です。家族がするのは、嫉妬すると見れば良いでしょう。人々がする言葉は、ほとんど人を難しくするための話です。現場で姦淫した女性をユダヤ人が捕まえてきました。目的は、この女を難しくするためであったし、聖書を見ればイエス様を試みようとしたと話しています。その難しい状況の中で、イエス様を試みようとしたのです。ユダヤ人は、そのように何度も試みました。税金をローマに出すべきなのか、やめなければならないのか尋ねる形式で試みたのです。この女を石で殴って殺せとイエス様が裁判するようになれば、愛がないと話そうとしました。許してやりなさいと言われたら、倫理が足りないと話そうとしたのです。今、石を持って女を捕まえてきたのです。その時、イエス様が何をされたのでしょうか。砂の上に指で字を書いておられたということです。何を書いておられたのでしょうか。そこに対しては記録がありません。何の内容を書いたのか記録はないのですが、ずっと指で字を書いておられたとなっています。イエス様が書かれているうちに、人々がみな帰ったということです。石を持って、みんな行ったということです。試みて困らせようとする目的に来て、帰って行ったということです。何を書かれたのでしょうか。それはよくわかりません。内容は聖書にありません。普通、注釈家の意見でも、律法を記録されたのではないかと言います。イエス様が聖書をよくご存知だから、律法を書かれて、その律法に引っかかるので、人々が石を置いておいて行ったと注釈家は解釈します。私は少し考えが違います。がんこなユダヤ人が律法を書いているからと、石を置いて行ったでしょうか。ナタナエルが現れた時、イエス様がわたしはあなたがいちじくの下にいる時に見たと言われました。これはあくまでも私の考えです。イエス様がそばに立っている○○さんは、00日どこで姦淫..と書かれたのかもしれません。なぜでしょうか。全能な神様であるためです。だれだれは、どこでどんなことを...という式でです。石をみな置いておいて行きました。そうでなければ、その人間がそのまま行く人間ではありません。その時、イエス様がこのようにおっしゃられました。だれもあなたを石で打つ者はいないのですか。わたしもあなたを罪に定めません。再び罪を犯してはなりません。そして許してくださったのです。この話は多くの人々に昔から今まで皆にあいうることです。
▲カーネギーはこういう話をしました。私たちがお金を思いのままに儲けて使えるならば、人生問題の70%は解決することができる。この姦淫問題が解決されたら、家庭問題の70%が解決されるでしょう。このように話すほどでした。
▲今日、私たちはこの本文に入る前に、いくつか必ず考えることがあります。この十戒は、救われる人にしたのではなく、救われた人になさったみことばです。だれがくださったかというと、神様が与えられました。人々がする言葉は、他の人々に被害を与えようとする言葉ですが、神様は私たちをとても祝福するためにくださったみことばです。
▲それで、いくつかは間違いない変わらない真理があります。皆さんが本当にイエスを信じて救われたというなら、神様の子どもになるのです。だれかが質問をしました。イエスを信じた後に自殺すれば地獄に行きますか、天国に行きますかと尋ねたのです。あるレムナントも質問しました。解釈者など色々な答えが出てくるでしょう。ところで、自殺はしてはならないでしょう。する人がサタンに捕えられてこそ自殺をするのです。それで、人々は地獄に行ったのです。なぜかサタンに捕えられて自殺したので、地獄に行ったのではないか。そのように言う人もいます。私は少し考えが違います。本当にイエス信じた..聖書には救われるとなっています。その人がどのように死んだかは、その次の話です。イエスを信じたか信じなかったかが重要です。だれでも主の御名を呼ぶ者は救われます。イエスを信じる者は神様の子どもになる権威をくださいました。それでは、イエスを信じたのに、霊的問題がきて苦しめられて自殺することがあります。それでは、イエスを信じて信仰生活する中に霊的問題は誰にも来ないでしょうか。きます。それでは同じ話になります。イエスを信じて霊的問題がきて盗むことや、イエスを信じて霊的問題がきて自殺することでも同じことです。
(1)私が皆さんに申し上げようと思うのは、神様の子どもは絶対に変わらないということです。神様の子どもにくださった祝福も絶対に変わりません。皆さんが行かなければならない天国と背景は絶対に変わりません。それで、この祝福を見つけ出さない以上、幸せはありません。これが信仰生活の絶対に変わらない最初の原理です。皆さん救われた神様の子どもは、サタンの子どもではないから、その祝福が絶対に変わらないので、見つけ出さなければなりません。皆さんは天国の民だから、その背景の祝福を見つけ出さなければなりません。それが信仰生活のすべてです。それで皆さんがこれを見つけたのか、見つけられなかったのかが重要なのです。神様のみわざが起きるようになっています。今日、この一行にすべての答えをみな出すべきです。神様の子どもは神様の祝福を受けるようになっています。神様の子どもは、地獄の背景ではなくて天国の背景です。その祝福を実際に見つけるぶん、信仰生活になるのです。
(2)二番目です。これにならないぶん、私に霊的問題がきて傷となります。そうではないでしょうか。私は神様の子どもであるのが間違いないのにもかかわらず、多くの傷に捕えられていれば霊的問題がきます。間違いありません。私が神様の子どもなのにもかかわらず、その祝福を置いておいて、しばしば昔にあった傷を持って毎日泣き喚いていれば、霊的問題がきます。今日の本文を解釈する前に序論を話すのです。
(3)三番目です。霊的問題を持っていれば、結局、いろいろな所に問題が発生します。ある人は堕落、ある者はギャンブル、ある者は麻薬。ある人はダンス。ある人は酒に陥ります。そうではないでしょうか。淫乱がその中の一つです。私が霊的問題を持って、向こう側に陥ることがあります。それで、神様がその中の一つで姦淫に陥られないということは、とても有益を与えるのです。

1.レムナントに
▲最初です。私たちのレムナントに差し上げる神様のみことばが含まれています。なぜなら、モーセになさった最初のみことばが、このみことばをあなたの子どもに教えろとおっしゃいました。今日、みことばを受けながら、私たちのレムナントは記憶しなければなりません。皆さんが持っている隠された葛藤が、淫乱に連結すれば、多くの損害を受けます。間違いないから、レムナントはそうだなと考えるだけでも益です。
(1)私たちのレムナントが傷を持ってしばしば揺れれば堕落しやすいのです。そして、レムナントがそのようにするならば、結婚も考えずにしてしまいます。そうするうちに問題がくれば簡単に離婚もします。こういうものがみな関連する問題です。霊的に深くなった人は売春婦になったりもします。自分が分かるのです。私がこのようにしてはいけないことを分かりながら、陥ってしまいます。売春婦の職業は恥ずかしいということを分かりながらも、度々します。それもイエスを信じながらもするのです。そうなることもあります。ある人々は同性恋愛もします。これがすべて関係あるものです。この頃、青少年は同性恋愛が多いのです。ある学生が私にメールを送ってきました。同性恋愛に対して。それが何で誤っているのですか。同性恋愛が誤りではないでしょう。人の家の後ろの家の女が前の家の男と遊ぶのが誤ったことであって、私たちがなぜ誤っているのかと言いました。そうでしょう。牧師先生が返事をしてください。私は確かに牧師先生のゆえに福音を悟って、イエス様を信じるのに、自分は同性恋愛者だ。それが誤っているのですか。それで、私がこのように返事をしました。教会に訪ねて来なさいと言ったのです。幸いなことに、この人が来ました。私と話を十分くらいしました。話を簡単にしたのです。倫理的に大きく問題になる必要はない。そして、法的に大きく問題になるべきこともない。大韓民国の法律で、同性恋愛をすれば捕まえて行くとなっていることでもない。ただ一箇所問題がある。原理的に問題がある。同性恋愛は反原理的だ。神様が男と女を創造されましたが、それは原理に従っているのだ。大きい誤りはないが、霊的問題は確かにくる。なぜなら、私は伝道者で牧師だから、正確な答えを与えなければならないのに、可能ならば完ぺきな答えは与えられなくても正確に知らせなければならない。確かに霊的問題はくる。法的には問題はない。倫理的に大きく問題になるのもない。しかし、とても大きな問題が霊的に来る。この人が幸いに認めました。自分に霊的問題がすでに来ていると言いました。牧師先生のみことばが正しいようだと言いました。その後に、真実の話を私にしました。事実、自分が違うことと分かりながら質問して申し訳ありませんと言いました。その後の話がさらに重要です。自分がしようとするのではなく、そうなってしまうと言いました。自分のために祈ってくださいと言いました。分かるといったのです。
▲こういうものが、みな開始が霊的な問題を通して来るために、一般の人々はよく知りません。それでは、ずっとそのように霊的に問題がくれば救いは受けられないのでしょうか。それは違います。Iコリント5章5節6節に確かに話しています。私たちがずっと救われたのにもかかわらず、淫らなことを継続すればどうなるのでしょうか。ずっとひどく陥れば、どうなるのでしょうか。聖書で言われるのには、それでも救いは変わらない。ただ、あなたのからだはサタンに引き渡すという記録があります。そうでしょう。いくらイエスを信じる人だとしても一日にずっと焼酎を何本かずつ飲めばどうなるでしょうか。救いは変わりません。主イエス・キリストの御名を呼びながら10本飲んで、また飲んでも救われています。しかし、からだは捨てられると言われました。それで私たちのレムナントは、今、希望があるから皆さんがこういう部分を一回ぐらいは必ず考えられなければならないのです。
(2)これによく勝ったレムナントがヨセフです。ヨセフはとても難しくて孤独でした。ヨセフはそのとき、最も若くて力があった時です。もしポティファルの妻の話を聞いたならば、ヨセフは幸せなこともあったでしょう。もしポティファルの妻と無事に過ごしたならば、すばらしい食べ物、服など恵みを受けられたでしょう。しかし、ヨセフは拒否したのです。ヨセフがその女に多くの侮辱にあっても拒否しました。神様がヨセフに最も大きい祝福を与えられたのです。それは間違いありません。私たちのレムナントが、神様のみことばを聞きながら、多くの祝福を見つけ出さなければなりません。
2.既成世代に
▲私たちの既成世代に与えられる神様のみことばです。聖書を詳しく見れば2つのことが出てきます。家庭が複雑な家庭には苦しみが多かったのです。アブラハムの家庭にも苦しみが多かったのです。複雑な家庭問題のために、今でも戦っているイシュマエルの部族と戦っています。ヤコブの家に妻が多くて、とても複雑でした。皆さんが知っているように、ダビデがとても困難にあいました。それは確実です。それで、聖書を見ると、本当に祝福された家庭があります。だれでしょうか。
(1)イサクとリベカです。その時代には一夫多妻時代だったのに、イサクとリベカは、そのまま清潔な家庭を守りました。ところで、聖書を見れば全く苦難を受けないでずっと約束が成就した人がイサクです。農作業をすれば、100倍に祝福されました。泉一つだけあってもかまわないのに、根源を得る祝福を受けました。
(2)そして、聖書の出エジプト記を見れば、レビの男とレビの女が結婚して生まれた人物がモーセです。
(3)聖書を見れば、夫婦がとても祝福された夫婦がいるのですが、彼らがまさにプリスキラとアクラ夫婦でした。
▲ところで、特徴がこういう祝福を受けた人々には実力あって清潔な次世代が出てくるのは確実です。それで、私たちの既成世代は、こういう祝福を見つけ出さなければなりません。神様がとても良い祝福をくださろう、姦淫してはならないと言われたのです。

3.この問題で苦しんで失敗した人はどのようにするのでしょうか
▲さらに重要なのは三番目です。それでは、この問題で苦しんで失敗した人々はどのようにすれば良いのでしょうか。この問題を契約でとらえて、福音の中に入ってきたらより大きい祝福を受けます。神様は、私たちに無条件に罰を与えられる方ではありません。良い神様ではなくて、最も良い神様です。
(1)遊女ラハブ
▲遊女として生きた人ならば、どんなことで生きていく人なのか分かるでしょう。そのような女が、ある日、決断を下したのです。噂を聞いて決断を下しました。もう遊女をしないで、契約の民について行く。ちょっと危険だが選択をしたのです。それでヨシュアとカレブを隠してあげることにしたのでした。この女がラハブです。このラハブがどれくらい祝福を受けたのか知っていますか。聖書マタイ福音1章を見れば、イエス様の系図が出てくるのに、そこに名が出ています。すごいではないでしょうか。
(2)スカルの女性
▲スカルの女性をご存知でしょうか。このスカルの女性がイエス様に会った時、何と言われたでしょうか。イエス様が夫を呼んできなさいと言われました。その女の返事が何か分かるでしょうか。私は夫がいません。だからイエス様が何とおっしゃったでしょうか。そうだ、あなたには夫がいない。前にあなたは夫5人いたが、それでもない。今、あなたの夫がいるのに、彼もあなたの夫ではない。前の夫でもなくて、今の夫も本当に夫でなければ総6人でないでしょうか。完全に頭が痛い女です。そうではないでしょうか。こんがらかるほどです。こういう女がキリストに会ったのです。それで神様の大きい祝福、ユダヤ人が味わえない祝福を味わったと聖書に記録されています。
(3)姦淫した女性
▲今日、イエス様もこの姦淫した女性に、再び罪を犯してはなりません。それと共に許したのですが、なぜそのようにされたのでしょうか。この女が泣きながら許してくれという、話にもならない心をイエス様がご存知です。ひょっとして私たちのレムナントが失敗したとしても、そこに留まっていてはいけないのです。
▲皆さんが過去に失敗したとしても、福音の中に入ってくれば、すばらしい祝福を大きく味わえます。大きい失敗をしたのですが、神様の契約を握った人々が大きい祝福を受けたことも多いのです。バテ・シェバのような人物です。こういうものを誤って理解して、私は過去がこれだと信仰生活が揺れる必要はありません。家庭が良くなくて揺れる必要もありません。とても良い人一人が長老になりましたが、しないと言いました。理由を尋ねてみたら、本人は再婚をしていたのでした。私が再婚でも大丈夫だと言いました。あなたがイエス信じて神様の子どもになって、神様の祝福を受ける重職者になったが、それは過去の問題です。
▲皆さんはご存知でしょう。実際の人物です。顔だちがよい女が歩き回っておかしくなりました。自分も知らない間に遊んでみたら、おかしな女になったのです。ほとんど売春婦になったが、ある日、このように生きて何をするのという気がしたのです。このように生きるよりは、死ぬほうが良いように思えたのです。本当に死ぬことにしました。死ぬ場所で海辺を定めました。そちらへ行く道に教会があったのです。その日に限って、外に説教のタイトルが付けてあったのですが、罪からの報酬は死だと書いてあったのでした。死のうと行くのに、それを見たのです。それでこの女が教会に入りました。聖日でした。メッセージを聞いていたら、牧師がはっきりと罪の報酬は死だと言いました。皆さんが犯すすべての罪は結果が出るが、それが死だ。ほろびると言いました。この女がメッセージを最後まで聞かないで出てきたのです。それで、海辺に行って、落ちれば絶対に死ぬ絶壁を選択しました。心に考えが一つ出てきたのです。今まで私が会った男の中で正しい話をした人は牧師しかいない。持ってきた週報を見て電話をしたのでした。今日、牧師先生のメッセージを聞いて大きい感動を受けた。罪からの報酬は死というみことばを聞いて、今日、死ぬためにこちらにきた。ところで最後に思うのに、誤って生きてきたようだと、電話を切ったのです。牧師が電話を受けてびっくりしたのです。メッセージを聞いて自殺する人がいるでしょうか。最後まで聞くこともなく。だいたいそれなりの場所を探して牧師が訪ねて行きました。行ってその女を見つけたのです。走って行って、この女に電話したかと聞いたら、そうだと言いました。行って、死んではいけません。頑張るべきですと話すべきなのに、行くやいなや正確に話しました。あなたは本当に死ななければならない人です。この女がさらに衝撃を受けたのです。しかし、死ぬ必要はありません。私も死ななければならない人だ。あなたもそうで、私も死ななければならない人だ。しかし、神様が御子を送って、私たちの代わりに全てを十字架につけてしまわれました。それで、あなたは死ぬ必要がない。もう新しい生活を送れば良い。この簡単な話に、この女にとても大きな聖霊の働きが起きたのです。これで、この女はアメリカ、全世界を生かすようになりました。その一言に、イエスを救い主として受け入れて、キリストを堅く握ったのですが、働きはずっと起きたのです。この人が本も残しました。多くの本を残したのですが、その中の一つに、私はあなたと結婚したという本があります。ずっと昔の話です。
▲神様は私たちにこういう多くの祝福を備えておいて、みことばをくださるのです。私は宣教大会なのに、このメッセージを一週間考えてみました。ちょっとおかしな気がしたのです。何の考えだったでしょうか。皆さんが神様が姦淫してはならないと言われたのですが、昨日はこういう気がしたのです。姦淫する精神10分の1だけ教会に注げば、教会では大きな働きが起きるだろう。姦淫は悪いことでほろびることなのに、その精神10分の1だけ宣教師に注いだとすれば..本当に祈りで..どうなるでしょうか。恥ずかしいことです。一度も宣教を思わないで、宣教大会する人もいます。本当に宣教師に対する心、祈り、霊的な交流がありません。それがないのに、私たちは宣教献金をします。それがないのに、私たちは宣教大会もするのです。もちろん、ある人もいるでしょう。しかし、大部分、そうでない場合が多いのです。私が分かることでは、少しだけ祈っても答えがきます。姦淫する、その精神10分の1でよいので、その精神で神様の前に祈ったら、世界を確かに変化させるでしょう。そのような気がしました。

結論
▲宣教大会と宣教師を見ながら祈って見たら、なぜ神様がこのみことばをくださったのでしょうか。特に、私たちのレムナントにお願いします。神様がこれをおっしゃられたことは、その時だけ見たのではなく、最後まで洞察して,なさったみことばです。
(1)淫乱文化、商品時代が来るために、私たちのレムナントは、より一層このみことばに耳を傾けなければならないのです。文化がそうです。コンピュータ、インターネットをしていれば、何の関係もないのにおかしな絵と文が上がってきます。機械をよく触ってコンピュータよく見る孫が、それを見て、女が出てくるのでずっと見ていて、ママにとてもひどく叱られたということです。その時から、女が出てくれば、私は見ていないと言いながらするということです。自分は良い子だという意味です。そんなことが普通です。文化がそうなのです。だから私たちのレムナントは基準も大人たちと違うのです。私たちはきれいな女性を見ても、見ていないふりをしたのですが、この頃は携帯電話でも見ているのです。
(2)私たちのレムナントにお願いします。結婚に成功しなさい。私たちのレムナントは、本当に結婚を大切に上手にすべきです。他のものはみな重要しないということではなくて、私たちのレムナントは、みんな結婚に成功しなさい。必ずそのように祝福したいのです。
(3)そして、いくら皆さんが困難の中で間違っても、ダビデのようにまた立ち返れば、むしろ、それを土台により大きく祝福されます。
▲すべての神様の家族、レムナントは、気をおとさずに頑張らなければなりません。この神様のみことばを耳を傾けて聞いて、大きい祝福を受ける一週間となることをイエスの御名で祈ります。

(祈り)
神様に感謝します。私たちを救ってくださった神様に感謝します。この祝福だけ味わえば勝利するように導いてくださる神様に感謝します。他の誘惑に私たちの人生をささげないように、神様が祝福してください。私たちの宣教師に本当に平安と霊的な力を得る機会になるようにしてください。前に知らなかった多くの目が開く時刻表になるようにしてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)



2部:信じる時に現れること
(ローマ9:30-33)


☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲真理は一つしかなくて、私たちが最後までいのちをかけて固執することは二つしかない。それが伝道と宣教だ。伝道宣教を置いて一日に一度でも考え(定刻祈り)、伝道宣教を置いて常時祈りをすると、本当にすべての答えがはっきりとみなくる。定刻祈りはほとんど私を置いてすることで、常時祈りは私の他に相手でも人や他のもの(環境)を置いて祈るのだ。ソロモンは日の下には新しいものはないと言った。主だけが真理だと言った。新しいものは一つしかない。滅びなければならない人間が救われることだけが新しいものだ(Uコリント5:17)。キリストの中にあれば新しい被造物で、以前のことは過ぎ去ったので見よ。新しいものになりました。神様は全能だから、皆さんは悩まなくてもかまわない。それで今日から始めてみなさい。本当に伝道と宣教が何か悩みからしてみなさい。イエス様が確かに天と地のすべての権威を持っていると言われた。私が世の中終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。あなたがたは行ってすべての国の人々を弟子としなさい。
▲信じる時、義が現れると言われた。
(1)神様が無条件に救いの恵み、赦しをくださった。無条件に信じれば良い。
(2)サタンにだまされたのを原罪と言うが、ここに陥った人間を無条件に許すと言われた。
(3)そのまま置いておけば個人にも、時代にも、怖い災いが来るために、神様が生かそうとされるのだ。
▲ある日、突然きて、科学、人間の力、宗教で解決できない。それで、あえてただイエス!という言葉を使ったのだ。
1.神様が無条件に恵みをくださることにされた。
(1)創世記3:15、女の子孫-蛇の頭を踏み砕く。すぐに救いの恵みを与えられた。
(2)創世記4:1-20、カインが死なないように白い石を与えられた。
(3)創世記6:14-20、箱舟の中に入ってきなさい。
(4)出3:18、羊の血を塗る日、生き返るようになる。
(5)イザヤ7:14、処女がみごもって男の子を生む。その名をインマヌエル
(6)マタイ16:16-20、あなたは生ける神の御子キリストです
(7)本文-異邦人も救い(30節)、ユダヤ人の律法で解決できなくて行いで解放できない(31-32節)、信じる者は失望させられることはない(33節)
2.それで、ただ義人は信仰によって生きる
(1)ハバクク2:1-4、悪人がうまくいくように見られるが少しの間だ。義人が苦しんでいるように見られるが少しの間だ。それと共に、ただ義人は信仰によって生きる。
(2)ローマ1:16-17、パウロがこの契約を握った。
(3)ルターがこのみことばを握った(ローマ1:16-17)
3.信じる時に義が現れる。
(1)救われる信仰
(2)救われたら、神様のみことばを信じる信仰がある。
(3)霊的世界の事実を信じる信仰
▲それで、あなたの信仰のとおりなるように。今日、信仰の権威を持って信仰のとおり祝福を受けるようになることを希望する。
▲皆さんがそのまま過去に留まっていてはいけない。ピリピ4:7、あなたがたの心と思いを守られる。今週に大きい答えを受ける開始があるようになることをイエスの御名で祝福します。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲やはり私たちの神様がレムナントの賛美を喜ばれるようです。賛美を聞いて神様に拍手した人々は20年もっと生きることを希望します。なぜなら拍手がとても健康に良いからです。
▲私が幼い時に見た映画があります。ある人が終身刑の宣告を受けました。一生監獄にいなければならないから逃げようと考えたのです。それで小さいさじを持って壁を突き抜けました。壁を突き抜けるのに、数年かかったのです。ところでやっとみな突き抜けたのですが、誤って突き抜けて隣室に突き抜けたのでした。自分は外側の海側だと思って突き抜けたが隣室でした。ところで見たら、人がいて二人で話をしたのです。何年の刑を受けたのか。1人が終身刑だ。あなたは何年か。私も終身刑だ。二人とも終身刑どうしが会ったのです。一生監獄にいなければなりません。だから、退屈だからまた尋ねました。罪名は何か。反ナポレオン派だ。そうか...あなたは罪名が何か。私はナポレオン派だ。このように政治の風が吹くから、こちらが罪になって、あちらが罪がなって、それでみな監獄に入ってきたのです。私はその映画を見ながら、その時は知らなかったのですが、今は見たら理解できます。今、私が福音を悟るから分かるのです。真理はただ一つしかなくて、真理の道は二つしかありません。私はそれを悟りました。皆さんが今、なにかに対してとても苦心する必要はありません。違えっていたら、どうするのでしょう。ですから真理は一つしかないのです。真理は一つしかなくて、私たちが最後までいのちをかけて固執しなければならないことは二つしかありません。それが何でしょうか。
▲伝道、宣教-定刻(私)、常時(環境)
最後まで固執しなければならないことは伝道と宣教です。皆さんは今日が宣教週なので集まっていますが、私は毎日この祝福を置いて祈っています。すばらしいことが出てきます。今日から皆さんが伝道と宣教を置いて一日に一度でも定刻祈りを始めてみなさい。皆さんが持っている考えがにせ物でなければ、無条件に答えが与えられます。私はある時は、教会の信徒を見れば哀れです。うわさを聞いてみるから外部教会が堂会が集まって戦うというのですが、そのような噂を聞けば哀れです。何で主張がそんなに多くて戦うのでしょうか。何の主張なのでしょうか。ナポレオン派なのか、反ナポレオン派なのでしょうか。私は分かります。もう全く答え受けられない人に来る自然的な現象です。皆さんが本当に伝道と宣教を置いていつでも祈ってみたことがあるのでしょうか。本当にすべての答えがみなきます。確実です。少し差があるとすれば、定刻祈りはほとんど私を置いてするのです。常時祈りは、私ではなく、相手や人や他のものを置いてする祈りです。人の中で見ればおかしな人が多いのです。ところで、あまりそのように考える必要はありません。福音以外は真理がありません。ここに対してだれかが話したかというと、ソロモンが話しました。私は王をしてみた。それも真理ではない。ソロモンが話したのです。富と栄華を味わってみたが、それも真理ではない。私を保護できなかった。多くの名誉も得たがそれでもない。私が神様のために多く仕えたが、それでもない。私はびっくりしたのが、神様によく仕えたのも、違うと言ったのです。それでは何ということでしょうか。主だけが真理だ。それとともに、ソロモンが何と三十何度か、日の下には新しいものがないと告白しました。みな過ぎ行くことだ。その時、私の心にさっとぶつかることがあります。そうだ。全部、むなしいことです。新しいものは一つしかありません。滅びなければならない人間が救われることだけが新しいものではないでしょうか。Uコリント5:17に、見よ。古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなりました。キリストの中にあれば新しい被造物です。古いものは過ぎ去って、見よ。すべてが新しくなりました。
▲皆さんが大きく伝道の実がなければ、これを祈るべきで、教会で何か主張のようなものをしないようにしましょう。大きく失敗します。皆さんに実がなかったら、本当に祈るべきで、これが正しい、あれが正しいと言わないようにしましょう。あの人はどうで、この人はどうだと言わないでください。そうでなければどうするのでしょうか。それは浅はかな人がすることです。それより大きい軽率はありません。それで、私たちはすべての人、すべての意見は尊重するのですが、真理は福音しかありません。それで皆さんがこれをすれば本当に答えがきます。
▲一番の悩み-お金(契約)
答えがくるのに、今、皆さんが一番悩んでいる部分は何でしょうか。それぞれ違うでしょうが、一番悩んでいる部分...無知に、一度表現してみます。お金ではないでしょうか。Uコリント5:17ではなくてお金です。福音ではなくて、お金が一番悩みになります。お金があれば、できそうだし...私はそのように考えません。インマヌエルソウル教会が正しい教会を作って、次世代に残す時刻表がいつでしょうか。首都圏の2千ヶ所で神様のみことばが起きるようにさせるのです。それが時刻表です。それが何の話でしょうか。1千万弟子が起きて、地球上に神様のみことば福音を一度でも伝えなければなりません。それもだめなのに、私たちが度々あれこれくれという理由がありません。最も大きい祝福を置いておいて、にせ物の祝福を置いて泣く必要がないのです。ですから、それがお金です。お金というのは他の見方をすれば、未信者のものではありません。ある学生が尋ねました。お金ならば最高だ。また、ある人はお金が必要ないと言います。二つともみな違った言葉です。そうでしょう。お金ということは必要である、ないではなくて、生活することができるように最も基本的なことを共に作るのです。病院に行く時、米を持って行ってはだめでしょう。ですから、診察した後にお金で計算することではないでしょうか。それで、それはそうだでもなく、違うのでもありません。
▲一つのお金が契約票だから、それで私たちが悩んで重要だということです。これら全部、契約の重要性は神様から出てくるのです。
▲それにしても今、昼間で眠たいのに、私が複雑な話をしているので、簡単に話します。皆さんの悩みは何でしょうか。しなくてもよいでしょう。なぜでしょうか。神様は全能だから...それが信じられなければ信徒ではありません。それで、今日から始めてみなさい。本当に始めてみなさい。本当に伝道と宣教が何か悩みから始めてみなさい。してみたでしょうか。それで、ある人はいつも何かが難しいのです。皆さんが本当にしてみたのでしょうか。皆さんが1年間だけ本当に伝道と宣教が何か祈りを一度だけしてみなさい。イエス様が無駄に嘘をつくために十字架を負われたのではありません。確かにおっしゃられました。天と地のすべての権威を持っていると言われたのです。わたしが世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいますと確かに話されました。あなたがたは行って、すべての国の人々を弟子としなさい。良心に帰って、私がこれを考えてみたのです。そうだ、確かにイエス様が力があると言いながら。そして、地の果てまで私とともにいると言われて、弟子としなさいとおっしゃいました。私はその話に、すぐ答えが出てきたのです。私は昔にはそれをしませんでした。教会学校を引き受けて、復興をさせてこそ、私に何かくるのかと思っていました。私はそれでしていたのです。私が引き受けた部分に何か生き返らなければならないでしょう。私は福音運動をしたことでなくて、それをしたのです。ひょっとして私たちの教会が大きなみわざが起きれば、私に何か益があるだろう。私はそれをしていたのです。ところで、それ一つ悟ったのですが、聖霊が働かれました。どれくらい神様は全能で正確でしょうか。
▲今日の本文にも出てきました。どのように悟ったのでしょうか。多分、そのまま読んだでしょう。信仰生活が上手なユダヤ人はほろびて、異邦人はほろびたのか。このように出てきました。信仰生活が上手なユダヤ人は信仰がなくて、行いを主張しなかったか、その話です。皆さんは聖書をたくさん読まないでも、今日、読んだ本文は理解をして行かなければならないでしょう。これはパウロがふつうにした話ではありません。この言葉を変えれば、どうなるのでしょうか。信仰生活をがんばって、正しくして、みことばを守る教会はほろびて...こうすればどうなるでしょうか。そんなにしない異邦人は救われて...その話です。ですから信じるときに、義が現れるのです。何を信じるときでしょうか。私たちが信じるときに現れる義です。今日、本当に答えを受けなければなりません。
▲それでは理由を知らなければならないでしょう。今日の本文のみことばを少し解釈して、私たちが恵みを受けること以前に、理由を知らなければなりません。
(1)救い、赦し、信仰
▲なぜそれでは神様は無条件に救いの恵みを与えられたのでしょうか。これを理解しなければなりません。何かをすべきで、無条件に信じれば良いということですか。皆さん知識人が分かるでしょうか。率直な話で、カトリックの教理がより良いでしょう。思い切り暮らしてみて最後に計算してみて、あなたが救いわれるか、救われないかというのが、カトリックの教理です。パウロは今、血を流しながら書いたことなので、皆さんは目を覚まして考えてみてください。これがどれくらい重要な話なのでしょうか。今、カトリックは、そのように教えます。他の見方をすれば、皆さんの思考と人生が、カトリックとさらに近いでしょう。カトリックでは、信じる時に救われるのではなく、思い切りみな生きて、のちほど計算して救われるのです。その教理がまさにユダヤ教の教理です。ところで、それでは神様が本当に変です。必要なくて、無条件に救われると言われました。これを理解しなければなりません。罪を犯したのですが、少し問い詰めて、はやく許してくださるのです。いったい神様がなぜそうされるのでしょうか。これを理解しなければなりません。皆さん、これを理解することができないでいれば、聖書全体が事実は理解できないのです。何も必要ありません。信じろということです。これを理解して、入らなければならないのです。簡単です。やさしいと思ってください。皆さんの子どもが家を出て行ったとすれば、どうするでしょうか。それも悪い奴に付いて回ったら、どうするでしょうか。理由はありません。そうでしょう。はやく戻ってこなければなりません。赦しは無条件です。分かるでしょうか。それです。かわいく育てた皆さんの娘が知らずにだまされて悪い奴に付いて回ったら、どのようにするでしょうか。今、家を出て行って麻薬中毒になる直前です。想像してみてください。その子が今、売春婦になる直前ならば、どのようにするでしょうか。はやく帰って来なさい。失敗したのもよいから、大丈夫だから、はやく帰って来なさい。恐れをなさずに、はやく帰ってきなさいと言うでしょう。
(2)サタン-原罪
▲サタンにだまされたことを原罪と言うのですが、ここに陥った人間を見て、神様は無条件に許されると言われたのです。これを悪用してはいけません。
(3)怖い災い
▲それで、そのまま置いておけば、個人にも、時代にも、怖い災いが来るから、神様が生かそうとされるのです。
1)突然-これがある日、突然きます。どれくらいくやしいでしょうか。個人と家系に時代の災いがきます。
(2)科学-この特徴が、科学で解決しないのです。科学で解決されるのだったら、イエス様が十字架にかかる必要はなくて、そのまま科学をすれば良いでしょう。
3)力、宗教-でも人間の力と宗教で解決しません。それで、あえて、ただイエスという言葉を使ったのです。
▲パウロをのせて行った船が、暴風に会って沈みそうになったが、どうなったでしょうか。14日間、真っ暗になって沈むのに、どうなるでしょうか。船に浸水してくるのに、残っているのは一つしかありません。何でしょうか。死です。それだけ待てば良いのです。ところで、その時はこれがだめなのです。いくらどんなに物を捨てて、手段、方法をみなしたのにだめなのです。それで、科学と力、宗教でできなら、これをすれば良いでしょう。ところで、これはいくら祈って、もがいてもだめなのです。そのとき、神様がくださったみことばです。パウロ。恐れてはなりません。カイザルの前に立たなければならない。それは、パウロのためでもなくて、カイザルのためでもありません。福音のためです。

1.恵み
▲それで、今日、皆さんがこの本文を理解しようとすれば、神様が無条件に恵みをくださることにされたのです。
(1)創世記3:15
▲それがまさに聖書の最も重要な創世記3:15、女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。原則では、このようでなければなりません。なぜ取って食べてはならないと言ったのに、食べたのか。そうでなければなりません。そのように食べないでと言ったのに、食べたので、天罰を受けろ。そうでなければなりません。ここに死なないように、すぐに救いの恵みを与えられました。
(2)創世記4:1-20
▲カインが罪を犯したのですが、何を与えられたのでしょうか。白い石を与えられました。それで死なないようにされたのです。
(3)創世記6:14-20
▲そんなに滅びた人間を、神様が無条件に箱舟の中に入って来なさいと言われました。これが、皆さんは分かるでしょう。
(4)出3:18
▲それで聖書に見れば、出3:18に羊の血を塗る日、生きるようになります。
(5)イザヤ7:14
▲また滅びたのですが、イザヤ預言者を通して、処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと呼ばれる。
(6)マタイ16:16-20
▲しばしば人間はだまされるのです。その時、あなたは生ける神の御子キリストです。
(7)ローマ9:30-33
▲上の6つが分かってこそ、今日の本文が分かるのです。今日の本文30節に、異邦人がむしろ救われたと言われました。ユダヤ人は律法を守ることができなかったのです。32節に行いを主張したためです。ここでまた誤解することがあります。行いが悪いということではなく、災いを解決できないということです。それで信じる者は33節に、失望させられることはない。どうして異邦人が救われるのでしょうか。信仰が義になったのです。この祝福です。分かったでしょうか。これは理解するふりをするだけでも、みわざが起きます。だから、理解してしまえば終わるのです。

2.ただ義人-信仰
▲それで出てきた話が、ただ義人は信仰によって生きる。皆さんこの言葉がわかれば、暗やみの勢力がぶるぶる震えるのです。
(1)ハバクク2:1-4
▲ハバクク預言者が尋ねました。神様、どうして悪人がうまくいくのですか。義人はなぜ苦労するのですか。質問するに値するでしょう。悪人がなぜうまくいきますか。あの悪人がほろびなくてはね...神様がこのように答えられました。起きて、わたしの言葉を石に刻みなさい。走って行きながらも読めるように、刻みなさい。それは、何の話なのでしょうか。馬に乗って行きながらも見えるように、刻みなさいということです。どこにでしょうか。石にです。なぜ石に刻むのでしょうか。なくならないところに刻みなさい。その話は、2つのことを含んでいます。悪人がうまくいくように見られるが少しの間です。義人が苦しんでいるように見られるが少しの間です。それとともに、わたしの言葉を石に刻みなさい。その時、くださったみことばです。ハバクク2:1-4、ただ義人は信仰によって生きる。このみことばです。皆さんが暮らししていれば悪い人がいるでしょう。あまり恐れをなさないように。そして、ひょっとして世の中に怖いこともあるでしょう。必ずそうではありません。
▲私たちの娘がアメリカで学校を卒業する時、その学校が良い学校なのか、実習しないと卒業できませんでした。実習はアメリカでも韓国どこでも可能だったのです。それで、韓国で一番良いところに実習に送ることにしました。私がまたそのまま送れば良いのに、ひょっとしてと思って、その会社に電話をしたのです。私がまた、自分でするでしょうか。直接しなくて人にさせたのです。それで言論人、高い人々が電話をして大騒ぎが起こったのです。それで会社が、ひっくり返りました。いやだれがくるので、会社をこのように騒々しくさせるのか。ある女学生が一人くるのに、上から電話がきて大騒ぎになったのでした。それで、社長が怒ったのでした。実習にくるのなら、実習にくれば良いので、何でそのようにするのかということです。そうでしょう。ところで、私がそのような意味ではないのですが、ひょっとしてまた変な所にいくかと確認してみたことので、電話した人も私がお願いするからしたのですが、この人が偉い人だったので、あちら側でおじけづいたのです。このようにして、私たちの娘がむしろ死ぬほど苦労したのです。なぜなら、ぴったり原則通りしてしまったのです。行ったら、私たちの娘がだめだと言うのです。それでなぜか。わざわざ苦労をさせるということです。何の苦労をさせるのか。自分が専攻したことは一つもさせないで、コーヒーを沸かしなさい、清掃しなさいとさせるということでした。そのとき、私がいいました。そうではなくて、その人々が今、あなたを扱っているのだ。だまされるな。そこに合格しなければならない。未信者があなたを扱うのだ。ところで、あなたはレムナントで、神様の娘で、世界福音化の娘なのに、あなたが今、そうすれば良いのか。企業体のようなところで大変なことをする人々は、わざわざ皆さんに少しの葛藤も与えます。わざわざ皆さんがすることが重要ならば、ライバルを立てたりもします。それで、私たちのレムナントが、それを知らずにしばしば試みにあえば困ります。皆さんが重要なことを引き受けたら、わざわざ崩れてはいけないから、反対のことを備えたりもします。それは大きい知能を持った人々は、そのようにするのです。それを、皆さんが誤解したり、浮かれてすれば、自ら崩れるのです。私の娘が本当に耐えたのでしょう。後ほどには、その方が喜んで、とにかく、そこで一番偉い方の奥さんが、私の娘に服をプレゼントすることもありました。それ見てください。絶対に神様はおられないように見えるのですが、悪い者の時刻表を結果的に持っておられるのです。
(2)パウロ(ローマ1:17)
▲この契約を握った人がいます。代表的に誰でしょうか。パウロです。ローマ1:17に、ただ義人は信仰によって生きる。それが何の話なのかとすれば、この言葉を背景にしたのです。ただ義人は全てのものに勝つキリストを信じる信仰によって生きる。
(3)ルター
▲この言葉を正しく握った人がいます。だれでしょうか。ルターです。ルターが主張しました。1500年ぶりにただ義人は信仰によって生きる。
▲このような話を、どのように一般の立派な方々が知識で理解することができるでしょうか。そして、皆さんが持った祝福を一般の人々が理解できません。なぜでしょうか。反対の話ですから。ところで、福音を抜いてしまえば、ただ人間は努力をすべきで、信仰が話になるでしょうか。そのように理解できるのです。それで、福音を持った人が努力をすべきなのに、この二つを混ぜてしまえば困るようになるのです。皆さんが勉強をするのは、最善を尽くさなければなりません。ところで、これはそれをするなという話ではありません。本当に答えを受ける霊的部分にとても重要なことを言います。

3.信じる時、義が現れます。
▲信じる時に義が現れるのです。結論を結びます。信仰は3つがあります。
(1)救い-救われる信仰があります。
(2)みことば-その次に、皆さんが救われたら、この神様のみことばを信じる信仰があります。
(3)霊的世界-そして、私たちは一般の人と違って霊的世界の事実を信じる信仰があります。それで、あなたの信仰のとおりなるように、重要な言葉です。
▲今日、皆さんが信仰の権威を持って、信仰のとおりになる祝福を受けることをイエスの御名で祈ります。

結論-過去
▲最後、結論です。一個は必ず参考にしなければなりません。皆さんがそのまま過去に留まっていてはいけないのです。何の話でしょうか。ユダヤ人は、考えが違っていました。メシヤが自分たちの国を救い出すメシヤだと思っていたのです。そのように知っていたので、根本的に違うように知っていました。そこから抜け出さなければ、いくら信じても仕方ありません。皆さんが今、この言葉を念入りに一度考えてみなさい。個人的に、追跡してみれば、ほとんど過去に留まっています。皆さんが一般農夫であって大統領になったら、その大統領は農夫のレベルに留まっていてはいけないのです。それで少しだけ考えを変えても、神様がそこに答えを一度に注がれるのです。それでピリピ4:7に、神様が答えられるから、あなたがたの心と思いを守られます。今週に皆さんが大きい答えを受ける開始があるようになることをイエスの御名で祈ります。それで、本当に答えを受けるようになるように願います。
▲2部礼拝のときに見ると、年をとっている方々もおられます。私が今、錯覚をしたのが釜山インマヌエルから始まった時、座っていた方たちが、ほとんどおばあさんでした。おばあさんたちの特徴は、格別知識がありません。そしてこの方たちの二番目の特徴がお金がないのです。知識なくて、お金がなければ、みなないけれど...率直に告白するのに、私の心の中で、このおばあさんたちが、私のメッセージをわかるだろうか。
これが不信仰です。思い切り話しておいて、わかったのだろうか。そして、その方たちの祈りの課題を聞いてみて、さらに衝撃を受けました。祈りの課題が世界福音化なのに、それはそのまま言う話で、柳光洙牧師とワゴン車に乗って遊びに行くのが願いでした。それで一度行ったのですが、お金もなくて、私がお金をすべて出しました。それで世界福音化するのでしょうか。これが私の錯覚でした。このおばあさんたちが、無条件に契約を握って、夜ごとに祈りを始めたのですが、今、釜山のその教会ぐらい伝道の門が大きく開かれたところはありません。これが私の考えです。これが聖霊の働きを、私たちがとても軽いと思っているのです。ひょっとして皆さんが私のような人が祈って良いだろうか、こう思うことがあるでしょう。絶対にそうではありません。今日、神様の答えを受ける門が大きく開かれることをイエスの御名で祈ります。祈ります。

(祈り)
神様に感謝します。私たちすべてのレムナントと宣教師と重職者に、神様が両手をあげて祝福してください。新しい力を与えてください。人が知らない神様の力をあたえてください。神様が途方もなく備えておかれた奥義を味わう祝福を与えてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)