2009年10月18日  聖日礼拝 場所:インマヌエル教会 :


1部:三つの祭りを永遠に記念しなさい
(出エジプト記23:14-17)
 

☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲皆さんが礼拝時間に神様のみことばを詳しく聞いて、神様の御声を聞くことが重要だ。どれだけ神様のみことばを正しく聞いて理解するかが重要だ。その時に起きる聖霊の働きは言葉にすることはできない。
▲今日、イスラエル民族が今、荒野を通過しているのに、いくつかの特徴がある。
(1)貧しい。
(2)病気になることもあり
(3)他の国を通過して行くから、いつ危機がくるかもしれない。
▲それでは極度の不安がきた時、どのようにすべきなのか。今日の本文に神様が極限の困難がくるとしてもこれは記憶しなさい。
1.過越の事実を信じなさい。
(1)イスラエル民族が祝福を受けるべきなのに、無能でエジプトの奴隷になった。
(2)偶像に仕える強大国エジプトにイスラエルの民が400年間奴隷になった。そこから抜け出した、とても大きな事件だ,
(3)過越-羊の血を塗った日、長子を打つ日、イスラエル民族を通り過ぎたということだ。ですから、血の契約を記憶して信じなさい。
1)霊的問題から解決しなさいという言葉だ。
2)あなたの運命を変えなければならないから血の契約を信じなさい。
3)一般の人々がとうてい知らないサタンの力を先に折れ。
▲これはこれから起きるものすごい十字架事件を預言したのだ。正確に福音を理解しなければならない。
2.五旬節の力を体験しなさい。
(1)父、御子、御霊は常に働いておられる。この力を体験しなさい
(2)レムナント7人が全部、この祝福を味わった。
(3)荒野を行く間に、カナンの地に入っても五旬節の力を体験しなさい。しかし、聖霊に満たされれば、力を受けて地の果てまで証人になります。これが五旬節だ。
3.収穫祭(秋収感謝節)の未来を見よう
▲過越の祭りは救いということで、五旬節は信仰生活の力、収穫祭は私たちが行かなければならない背景は天国だということだ。
▲このような時に、重要な3つが出てくる。
(1)皆さんが救われたということは個人に神の国
(2)皆さんが行く所ごとに現場に神の国
(3)そして、後ほど永遠に天国の御座に行くのだ。
(4)このような時に聖書に最も多く約束されたことがある。神様が救われた者に、目に見えなく天の御使いを送って助けられるとなっている。
*結論
(1)皆さんが問題がきた時、恐れずに最も事実を見つめて救いの力を体験しなさい。
(2)そして、この力を持って勝ちなさい。そして、五旬節の力を確かにくださるので、体験しなさい。
(3)収穫祭ということは、背景が天国だ。それで、皆さんが祈る時、神様が主の御使いを送るようになっている(I列王19:35、ダニエル6:22)
▲この三つの祭りを記憶しなさいと言われた。過越の祭り、五旬節、収穫祭は毎日起きなければならない。毎日クリスマスであるべき。そして毎日が聖日だ。
▲今日、皆さんが本当に過越の祭り、五旬節、収穫祭、言い換えれば救い、力、権威を回復することを望む。この祝福を持って皆さんの現場を生かす証人となることをイエスの御名で祈ります。
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲重要な人から手紙がきた時、それをみな覚える必要はありません。そして、その手紙の内容に対して多くの研究する必要はありません。何のために手紙を書いたのかという部分を理解しなければなりません。その内容をよく握れば、関係は祝福に連結するでしょう。
▲皆さんに聖書66巻をたくさん読むことを神様は願っておられません。私が分かることでは、皆さんが礼拝の時間に神様のみことばを詳しく聞いて、神様の御声を聞くことがとても重要です。どれだけ神様のみことばを正しく理解して聞くかがとても重要です。その時に起きる聖霊の働きは正確なのですが、それを体験しなければなりません。
▲今、約100ヶ所で一緒に衛星で礼拝しています。もちろん、インマヌエル・ソウル、ウルサン、チャンウォン、このようにみな多くの100ヶ所で共に礼拝しているのです。短い時間に神様のみことばを聞いてくださって、大きい祝福を受けることを希望します。またインターネットで5千ヶ所でみことばを受けています。その中にはレムナントがいます。また今、外国に出ているレムナントもいます。聖書をたくさん読んでたくさん覚えて、そのようにすることを神様は願われません。皆さんが正確に神様みことばを握って勉強するのに力を受けなければなりません。そうしてこそ、霊的戦いに勝利することができるのです。今日、また大切な方が他の地域でも礼拝に参加しています。その地域にもみことばの力が現れるように願います。またホセ牧師夫婦が釜山礼拝に参加されています。スペインとヨーロッパ全体に正確な神様のみことばを伝えられないために、その祝福がホセ牧師を通して現れるように願います。またインマヌエル・ソウル教会に教会の信徒であるヨム・ドンシン次長検事が礼拝に参加されました。釜山で発令を受けて来たのですが、これから多くの苦労する検事に神様のみことばが祝福に伝えられるように願います。私が信仰生活をして軍人に会ったのですが、軍人にそのような祈りをしました。これからあなたを通して軍に神様のみことばが伝えられることを望みます。とても遠くにある話ですが、このように話しました。あなたはこれから参謀総長になりなさい。それでは、さらにみことばを伝えやすいのです。それを神様が喜ばれたのでしょう。その方が本当に参謀総長になって、神様のみことばの影響をとても多く与えました。軍部隊を訪問してみると、軍部隊の入口に神様のみことば書いてあるほどです。
▲ところで、そのみことばをたくさん聞いて覚えて、これがそれほど重要ではないのです。みことばを正確に聞かなければなりません。そのみことばだけ少し正しく理解しても、聖霊が働かれます。
▲今日イスラエル民族に神様が重要な話をされました。3つの祭りを守りなさい。3つの祭りを永遠に記念しなさい。3つの祭りを忘れてしまってはならない。そのようにおっしゃられました。それではとても重要なのです。
▲私が幼い時、父親が早く亡くなりました。私の判断に、もう難しいということを感じました。それで、わざわざ、よそ見をしないで勉強だけがんばって通ったのです。それで、ちょっと食べ物がたくさんないという判断をしました。その時は、そのまま食べないで通ったのです。ですから、私がどうなったでしょうか。身長も標準になったのですが、他の色々な部分に考えが違うようになりました。このように人が貧しくなれば考えが違います。もちろん、良い側にも行くこともあり、悪い側に行くこともあるでしょうが、確かに違うことは事実です。十年近くなったくらいです。私が日本を一度研究してみるべきだという気がしたのです。日本伝道をしようとするなら、そうでなければならなくないでしょう。それで秘書とそのような話をしました。三日くらいだけ時間作ってください。それで東京に行きました。東京に行ったのですが、東京にあるホテルを予約をして、普通、私が秘書を連れて通うのですが、その時は一人で行くようになりました。集会がないから。旅行社を通して行ったのですが、東京にある大きいホテルに行ったのです。旅行社職員がした話とは違いました。行ってみたらホテルにある部屋代をみな支払ったので、お金がほとんどなくなったのです。韓国のお金は日本で変えてくれません。韓国のお金はあるのに、日本のお金とドルがなかったのです。それでは、三日いようとするなら、九食、食べなければなりません。お金が一銭もないのに。見たら100円玉が10ケありました。一食に100円ずつ食べなければならないということです。それで、東京にいる宣教師に私が状況がこのようなようになった、お金をちょっと持って来てくださいと言えばお金を持ってくるはずなのに、それではまた自尊心が傷つきます。そして宣教師にお金を準備してこいということは、話になりません。それで、連絡をしないようにして、それで食べて行かなければなりません。100円でご飯を食べようとするから難しいのです。道を通ってみたら、食堂も色々な種類があります。主人がいらっしゃいませと案内する所があるかと思えば、主人がない食堂もありました。道端を見れば筒が一つありました。そこに100円を入れれば100円と書かれた紙切れが出てきました。それを食堂の仕事をする人に与えれば、食事の仕度を一杯くれました。こういうご飯を九食、食べました。それでもうれしいのは100円が残ったのです。その時、私が感じたのです。人は貧しければこのようになるんだな。人は本当にお金がなくて食べることがなければ、正常にならない。私が三日だけ過ぎれば家に帰るのに、日本で日本のお金がなくて苦労をいたのです。それで過ぎ去ってみたら、日本の温泉があるのに温泉も見たら1500円くらいでした。それで入れませんでした。
▲外国に住んでいる多くの僑胞(海外在住韓国人)の方たちが、食べて生きなければならないという考えがぎっしり埋まっています。また、外国にいるレムナントが、どのようにしようが、親の期待もあって、祈る人もいるから、自分がよくしなければならないという考えがあります。こういう部分が信仰がなければどうなるのでしょうか。全部、緊張で、ストレスで1年、2年、4年積もるでしょう。それでは、通常の問題ではありません。
▲今日、イスラエル民族が荒野を今、通過しているところです。荒野を通過するにはいくつかの特徴があります。貧しい。安定したところではないから貧しいのです。また家をよく作って住んでいるのではないから病気にもなることがあります。そして、他の国を通過して行くから、いつ危機が押しかけるかもしれません。このように、イスラエル民族は、事実上、難しかったのです。
▲私たちが生きていって極限の危機がくればどのようにするのでしょうか。この問題、とうてい解決できないという時が来ます。そして、考えてみたら、これから私が生きていく道がまっ暗で、難しいこともあります。大部分の人々がこのような時、どうするのでしょうか。あきらめます。もう私はだめだ。挑戦すれば良いのに、だめそうだからとあきらめます。そして勝手に生きます。ある人は、とても極端に自殺します。私はこれ以上生きることができない。多くの学生たちが自殺が好きなのですが、他のものはみなしても自殺はしてはいけません。自殺というのは、私はこれ以上、生きる価値がないと思ったのです。分析は上手にしたのですが、方法が良くないのです。それは家族と多くの近くにいる人に永遠に選べない大釘を打ち込んで行くのです。もしレムナントに困難がきて自殺すれば、本人は大丈夫です。死ねば終わることだから。その親や家族の胸にとうてい拭い去ることができない釘を心臓に打ち込むのと全く同じです。いくらハンサムな人も自殺した顔を見れば鳥肌が立ちます。多くの知っている人に鳥肌が立つようにさせるのです。そして、知らない人もその話を聞けばおかしな感じになります。他の人を刃物で刺して殺す罪と同じだと思います。これくらい怖いのは、人々が方法はないから、そのようにとんでもない失敗をするようになるのです。それで、一時有名な俳優が自殺して大統領が自殺したのですが、私はそのようなことはとても悪いと思います。それでは、青少年が生きていって難しければみな死ななければならないのでしょうか。そのようにしろという言葉ではないでしょうか。それは有り得ないことです。私たちが人生を生きていって難しければ挑戦すべきで、自殺しなければならないのでしょうか。それはとても悪い教育です。ひょっとして、私たちのレムナントの中でそのような考えがあるならば、直ちに変えなければなりません。どんな困難がきても、私たちは挑戦しなければならないと考えてもできるか、できないかと言うのですが、死にたい、死ななければならないというのは、絶対に誤った考えです。
▲それでは、極度に不安になるほど、困難がきた時、どのようにすべきでしょうか。今日、神様がとても重要なみことばを3つ与えられました。私たちが脳の中には忘却できる神経があります。どんどん忘れてしまわなければなりません。また片方には記憶する神経があります。これが均衡を成し遂げなければならないのです。少し記憶する神経より忘れてしまう神経が多いならば、それを頭が悪いと言うのです。私たちはそのままキョンサンドの方言で、石頭と言います。記憶する神経がさらに発達していれば、勉強がよくできることもあります。それだけまた困難がくるのです。どうしてもたくさん積もるから。神経が二つが同じでなければなりません。忘れてしまうのと記憶するのが同じように一緒に行かなければならないのです。英語をよくできるのに、覚えても忘れてしまいます。正常です。そうならなければならないのです。それとともに、あるものは磨きあげるのです。磨きあげて重要なのは残らなければなりません。
▲今日、ここに忘れてしまうなとなっています。三回ずつ記念しなさい。何の話なのでしょうか。忘れてしまうな。必ず失敗する人を見れば、重要なのは忘れてしまい、悪い傷は記憶しています。それで、神様のみことばの中で極限の困難がくるとしても、これは記憶しなさい。

1.過越の事実を信じなさい。
▲最初、過越の事実を信じなさい。これが神様のみことばです。過越に対する事実を信じなさい。成功しようとすれば、ひとまず事実を見なければなりません。皆さんが問題きた時、最も解決できる最初の道が何でしょうか。事実を正確に見なければなりません。私が事実を見ないでしきりに解決しようとすれば、解決しなくなります。私が事実を正確に参考にしないで、しばしば無理に解決しようとすればごり押しとなります。とても重要な事実を見なければなりません。
(1)イスラエル民族が、神様の祝福を受けるべきなのに、無能でエジプトの奴隷になったのです。
(2)このエジプトという国はとても失敗するのにもかかわらず、偶像で強大な強大国です。ここにイスラエル民族が400年間、奴隷になったのです。ものすごい事件です。そのような中から抜け出して、荒野で行くものすごい事件です。
(3)それで、過越とは何でしょうか。イエスを信じない人が見る時には何の話なのか理解できません。羊の血を塗った日、イスラエル民族が通り過ぎたということです。長子を打つ日、殺さないで通り過ぎたということです。越えたということです。その過越の祭りです。ですから、血の契約を記念して信じろということです。
▲これは何の話なのでしょうか。
1)霊的問題から解決しなさい。
2)私たちは私たちの現実を正確に見なければならないのですが、あなたの運命を変えない以上だめだから、この血の契約を信じなさい。
3)一般の人々がとうてい知らないサタンの力を先に打ち砕きなさい。これをどのように人々がよく理解するでしょうか。これを神様は強く話されたのです。絶対に忘れてしまってはならない。女を十何人や、二十人も殺した人がいます。その人は精神がちょっと変で、以前にそれ以上のものがあります。この人は霊的状態が深刻なのです。それがまさにサタンに捕えられたのです。捕えられれば本人が想像を絶することを繰り広げるようになっています。一般の人にでも可能なことなのでしょうか。子どもをつかまえて、暴行して、助けてくれと哀願するのに殺しました。1人ではなくて数人を。正常だと思いますか。これが正常程度ではなくて、単なる事件だと思うのでしょうか。
▲人間には分からない多くの困難が迫ってきています。世の中では、どんな人も話せないみことばを神様は過越を記憶しなさい。羊の血を塗るその日、イスラエルがエジプトから出たのを記憶しなさい。それで私たちが神様のみことばを正確にわからなければなりません。私たちが救われた人ならば、正確に分からなければならないのです。これから荒野を行く間、どんな災いがくるかもわかりません。この契約を握りなさい。レムナントは、外で勉強していて、多くのいろいろな所を通わなければなりません。世の中にはどんなことが起きるかもわかりません。この契約を堅く握りなさい。そのみことばです。とても重要です。
▲多くの知識人は、本を読んで、聖書のこれは何の話か、聖書が何でそのように牛とらえて羊をとらえて、これがたくさん出るのか。何をそのようにつかまえるのでしょうか。理解できません。これを理解しなければならないのです。それは、これから起きるものすごい十字架事件を預言したのです。それで、私たちが聖書をたくさん読んで狂信して信じなさいということではありません。正確に福音を理解しなければなりません。

2.五旬節の力を体験しなさい。
▲二番目です。五旬節の力を体験しなさい。五旬節の力を体験しなさい。
(1)父、御子、御霊はいつもに働いておられます。神様がみことばでずっと働いておられるのです。それで、一度、目に見えなければならないから証拠で来られたのですが、その方がキリストです。そして、今でも聖霊で目に見えなく正確に働いておられます。この力を体験しなさい。勉強するなということではなく、この力を持って勉強しなさい。皆さんが生きていく間に、とても大きな困難にあったら、神様の力から体験しなさい。そのみことばです。字で説明するなら、五旬節、この言葉は、五十日ぶりに穀物を取り入れたということです。それで終えてしまえば、私たちは理解できません。使徒2章1節に、五旬節の日になって。
(2)それでレムナント七人が全部、この祝福をみな味わったのです。今日、皆さんは神様の子どもだから、全国、世界にいる方々が、この契約を堅く握って祈り始めなければなりません。何か他の力がなければならないから、聖霊でともにおられると言われました。
(3)それで、これから荒野を歩いていく間に、カナンの地に入ってもしなければならないことが何でしょうか。この五旬節の力を体験しなさい。この力を持っていてこそ正しくできるのです。それで、全世界に散ったレムナントは、少しだけすれば良いのです。
▲聖書を詳しく見ましょう。ヨセフという人物が現れた時、このように話しました。あなたは本当にすごいなと言いませんでした。何と言ったのでしょうか。主の霊に満たされている。そのように記録されています。それは、何の話なのでしょうか。この難しい世の中、レムナントがこれから行かなければならない多くの道に、本当にこの力を持てということです。持つのはあまりにも簡単です。みことばだけよく記憶して、握って聞いても、働かれるようになっています。
▲私たちはしきりにだまされて、私がものすごく断食祈祷をしなければならないんだなと思いますが、そうではありません。皆さんは救われた神様の子どもだから、この事実を信じさえすれば、神様は働かれるようになっています。五旬節の日になって、それが同じ日です。ところで神様が永遠に記念しろ、常に記念しなさい。この五旬節を守りなさい。
▲私は昔にいつも頭に残っていることがあります。何が残っているのかというと、なぜ何でもだめか、できることがありませんでした。それが私の頭の中に残っていたのです。なぜ良くならないのか。なぜ私たちは貧しいのか。いつもそれが残っていたのです。良くならないから。そのような、ある日でした。私が福音を悟ったのですが、福音は確かに私たちを神様の子どもとして呼ばれたのではないでしょうか。多くの人々が理解していないのですが、福音はこの暗やみの勢力をうち破ったのではないのでしょうか。そうするうちにある日伝道しながらも理解できなかったのです。伝道現場に行って、多くの人々見ながら何が分かったのかというと、これを聖書で悪霊の働きと言うのだということが理解できたのです。私は本来、本をたくさん読んでレベルが高いと思ったり、そんなことは言いませんでした。何かそのような話をするのかと話していました。多くの現場に行ってみて、このことなのだ。そして、多くの方が持っていても困難な目にあうのを見ながら、このことだったのだなと思いました。
▲そのとき、はじめて、何が分かったのかというと、なぜイエス様が最後にこの話をされたかということです。よりによって、あまりにも多くのみことばの中で、しかし聖霊があなたがたの上に臨めばあなたがたは力を受けて、地の果てまで証人になります。それでこの祈りを少し始めたのです。私に聖霊の力を与えてください。私がこの働きを自分の力で行うのではなく、聖霊の力でするようにさせてください。
▲同じ世の中を生きていく間に他の力が必要です。レムナントが外に出て行けば、同じように走らなければなりません。条件が全く同じです。勝てません。その上に、教会まで来なければなりません。その上に、信仰生活までしなければならないのです。他の力がなければ、することができないのです。それで、しかし、聖霊に満たされれば力を受けて、地の果てまで証人になります。これが五旬節です。

3.収穫祭(秋収感謝祭)の未来を見ましょう。
▲そして三番目のことをおっしゃられました。一つをさらに記念しろと言われたのです。収穫祭です。収穫祭という言葉は、おさめて保存するという言葉です。そのように、しばしば多く使う秋収感謝祭を言います。これは今、何の話なのでしょうか。私たちは神様みことばをよく聞けないでいれば、過越祭、五旬節、秋収感謝祭、これを守るのかというように理解できます。それではよくわかっていないのです。過越祭は、その話ではありません。過越祭は救いということです。五旬節は何でしょうか。信仰生活の力という意味です。収穫祭は何でしょうか。穀物を取り入れて倉庫に入れるように、私たちが行かなければならない背景は天国だということです。
▲このような時に重要な3つのことが出てきます。天国という言葉をどのように理解していますか。私たちが普通、伝道すれば誤った話をします。あなたはイエスを信じて天国に行きましょう。正しい言葉です。しかし、それは聖書的な話ではありません。ある人がからだが病んでいます。訪ねて行って、あなたはイエスを信じれば病気がよくなる。このように話します。とても違っているのです。もちろん、聖書にイエスを信じて病気が良くなる人はたくさんいます。正確に理解しなければなりません。病院に行って病気で横になっている人々は不安です。その人の顔を見て、イエスを信じて天国に行こう。この人がどれくらい悲しむでしょうか。私が行く時になったようだな、こう思うこともあるでしょう。そうでなければ、そうだ、私が死んでも天国に行くことができる、このように希望を持つこともできます。ところで、それは正確な話ではありません。聖書には、そうなっていません。病気が治って、良くなった、その次のことです。今日、あなたが神様の子どもにならなければならないのです。神様の子どもになった以後に祈れば、良くなることも、良くならないことも神様の御手にあるのです。良くなれば、世界福音化に用いられるので、そうでなければ、神の国に行くのです。それが正確な福音です。
▲救われたとは何の話なのでしょうか。
(1)個人に神の国。
(2)救われたということは、単なることではなく、行く所ごとに神様のみことばを通じて現場に神の国。
(3)そして、最後に永遠に天国の御座、そちらへ行くのです。これがものすごい背景なのです。それで、穀物を取り入れて倉庫におさめるように、私たちのたましいを神様が天国の倉庫に取り入れるとなっています。
(4)このような時に、聖書に一番たくさん約束されたことがあります。救いの次に聖霊の働き、目に見えない話です。この話の次にたくさん出る話です。本当に不思議な話です。その話が聖書にとてもたくさん出ます。それが何でしょうか。神様が救われた者に、目に見えなく天の御使いを送って助けると言われています。皆さんは信じられないのですが、聖書には、それをとてもたくさん記録しています。聖霊に感動して、預言者にくださったみことばの中で、その記録がぎっしり埋まっています。皆さんの子どもたちが、アメリカへ行って、ヨーロッパに行って、ロシアに行って勉強しているのに、皆さんが祈れば、神様は主の使いを送って助けるとなっています。気持ち悪くないでしょう。しかし、信じられないのです。ところで、聖書では、この信じられない事実を、あまりにもたくさん記録しているのです。なぜでしょうか。昔に、グアムに飛行機事故が起きたのですが、その中にアメリカ市民が1人いました。アメリカ市民が一人乗っていたので、アメリカ人がそこに事故対策本部を作ったのです。なぜでしょうか。アメリカ市民が乗っていたから、アメリカが責任を負うのです。
▲全く同じです。皆さんは単に信仰生活をするように見られるのですが、皆さんの名前が神の国に記録されていると言われています。それでは、皆さんと私たちの全世界に散ったレムナントの背景は何でしょうか。神の国です。個人に神の国が成されて行く所ごとに、神の国が成されるのですが、本当に背景は天国の御座にあるとなっています。これはものすごい祝福です。

*結論
(1)問題がきた時、恐れずに最も正しい事実を見つめて救いの力を体験しなさい。
(2)先に霊的問題に勝ちましょう。そして、五旬節の力を確かに神様がくださるので、体験してみましょう。この体験をすれば変わります。
▲ある学校の先生に会いました。イエスを信じるのかと尋ねたら、信じると言いました。自分はイエス様を信じるのに、よく信じると言ったのです。それと共に私が果物を持って行ったから証しをしました。自分は生きている間に昔に一番見たくない人が教会に通う人だったと言いました。自分は一番気分が悪いのが教会の信徒が訪ねてきてイエスを信じろと訪ねてくることだったと。自分は一番聞きたくないのが放送の中でキリスト教放送だったと言いました。道を行きながらも気分が悪い音が、教会堂の鐘の音。自分がそうだったということです。そのようなある日でした。それでも自分は立派な先生だったということです。自分は学校でも人気がある先生だったのです。ところで、ある日、倒れてしまったのです。本当に健康だったのに。病院に行ってみたら、病院では危険だ、今、入院しなくてはいけない。何が問題がきたかというと、自分は肝臓に問題がきて、死ぬしかない状況がきたということでした。その時に、自分は病院に横になって考えたということです。1ケ月前まで健康だったが私が、なぜこのようになるのだろう。それまで、学校で身体検査した時も異常ないと言われたのに。とうてい耐えられない状況がきたのです。横になってラジオをつけたそうです。ところで、よりによって知らずにキリスト教放送をつけたのでした。おりしも、ある牧師が説教をするのに説教が始まりました。あなたは病気のために苦難に会っていませんか。その話がぴったり自分にあてはまったのです。とても驚いておいて声を上げたのです。その日、そのメッセージを聞いてベッドでイエス様を救い主として受け入れたということです。そして、この人がその時から祈りを始めました。どうしたら良いのかわからない祈りだったのですが、継続したのです。この方が私にあかしをしたのです。祈りを継続したら変わったと、初めには助けてくださいと祈ったのでした。ところで、ずっと祈ってみたら、この方の話で、そのように祈りが出てこなくて、後ほどには他の祈りが出てきたということでした。私が本当に無視した神様を分かるようにして下さって感謝すると、この人に奇跡が起こりました。この人が神様の力を体験したのです。とうてい科学的に医学的に理解できません。それで、この方が学校の当直で座っていたのでした。私たちがその時、学校を借りて修練会をしたのでした。その方がいたので、果物をちょっと持って行って、その方に挨拶しようとあげたのですが、その方の証しを聞きました。もちろん非科学的なこともあります。ところで、私はそのように見ません。聖霊の働きは非科学ではなくて超科学です。ある時は、とても理性的でないことがあります。しかし、聖霊の働きはある時は超理性的でもあります。私たちのレムナントが、多くの困難にあっておいて極限状況の中で握るより、今、握りましょう。
(3)そして、収穫祭という言葉は背景が天国です。皆さんが本当に祈る時ごとに神様は主の聖霊で働いて、主の御使いを送られると確かにおっしゃいました。U列王19章35節、ヒゼキヤ王が祈った時。ダニエル6章22節、ダニエルが祈った時。私はこの事実が信じられます。率直に告白すれば、この事実が信じられる時から祈りの答えを受けました。それで、全世界のレムナントを置いて祈って、私たちは共に会わないでも祈りで助けられるのです。
▲前に私が告白をしました。ある宣教師が直接きて証ししたのです。とても夏に暑い国に行って宣教をするのに、昼間には通えないということです。暑くて。それで、そこは夜にむしろ勤務をするということです。日が沈んだが、自分に宣教費を送ってくるのを出してきたのですが、それでも暑くて座って休んだということです。今でも、そんなことが多いのです。強盗二人がきて、刀を向けました。宣教師がそのまま与えたそうです。持って行けと。持って逃げると、この人がだれなのか皆知っています。いつ月給がくるのか分かるから来たのです。その日の夜に時間がたくさん過ぎたのですが、この二人の強盗が宣教師を尋ねてきたのです。どれくらい怖いでしょうか。どうして来たのかと、入ってくるやいなや膝をぴったり折りました。そうして、お金を出したのです。宣教師がどれくらい戸惑ったでしょうか。そうしたところ、許してくれと言いました。許してあげるから、どうしたの。許してあげるから、イエスを信じなさい。ですから、ひとまず赦してください。それで、この二人に福音を伝えたのです。この人たちが、福音を受けて、とうてい想像できない話をしました。お金を奪い取って逃げるのに前で十人が銃を取ってぴったり立っていたということです。話にならないことです。何もなかったのに。それで二人で逃げるのに十人がずっと追いかけてきたそうです。それで、お金を持ってきたのです。本当にとんでもないことです。ところで、そうではありません。その方がその証しを教会にきてしたら、ぴったりその時間がその教会十人祈りチームが宣教師を置いて祈る時間だったのです。もちろん、偶然の一致でもあります。ところで、私は聖書に記録された約束を信じます。私は実際にこれをもって多くの答えを受けました。ものすごいことを忘れてしまわないようにということです。
▲皆さんが気をおとさないで、本当に祈る時に、目に見えない聖霊の働き、天の御座の祝福が起きるということです。これを多くの人々が無視します。現場に入ってみてください。どれくらい世の中が難しいのに、そんな話をするのですか。そうではありません。現場に入って、人々の胸の中に変化が起きてこそ、その時から物事がなるのです。これを守れと言われました。
▲今日、神様のみことばを契約で握るように願います。今日、秋収感謝祭ではないのに、なぜ秋収感謝祭を説明しますかと質問する人がいるでしょう。それは説教者の権限です。私はこう思います。過越祭、五旬節、収穫祭は、毎日、起きなければならないのです。やむを得ずクリスマスを12月25日に守りますが、毎日がクリスマスであるべきです。私たちは日曜日を聖日というのですが、それも誤った言葉です。日曜日が聖日ならば、月曜日は違う日なのでしょうか。火曜日は悪魔の日なのでしょうか。私はそのように考えません。日曜日も聖日で、月曜日も聖日で、火曜日も聖日で、毎日が聖日です。なぜこれが出てきたのでしょうか。前に知らなくてもかまわない内容が多いから、抜きました。
▲今日一度、皆さんがすることを止めなさいということではなくて、他の力を神様が与えられる力を得なければならないということです。モーセが40年間、王宮で出世しようと多くもがいたのですが、出世はしたが徒労に終わりました。モーセが40年間、ミデヤンの荒野で祈り始めたのですが、その時から働きが起きました。モーセが年齢が80歳になったのですが、その時から出エジプトが起きました。ヨシュアとカレブのような弟子を神様が与えられました。今日、皆さんが本当に過越祭、五旬節、収穫祭とは、救い、力、権威です。この祝福を回復するように願います。この祝福を持って皆さんの現場を生かす証人になることをイエスの御名で祈ります。特に世界に散ったレムナントは力を得る日になるように願います。
(祈り)
神様、私たちは肉体を持って生活しています。しかし、霊的な祝福を悟るようにさせてください。私たちの精神が生き返って、たましいが生き返るようにさせてください。行く所ごとに多くの人を生かすレムナントと、多くの人を生かす重職者が起きるようにしてください。今日、短い礼拝時間ですが、重要な答えの時間を過ごすようにさせてください。今日、短い礼拝時間ですが、聖霊が私たちのすべての所に働いてください。今日、みことば受ける時間に、主の御使いをレムナントに派遣してください。今、この時間にすべての現場、事業の場、職場に働いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)



2部:神様に喜ばれる完全なみこころ
(ローマ12:1-3)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲ローマ12章は、二つの部分を分けられる中間だ。ローマ1-11章までは、どのように信じなければならないか。12-16章までは、どのように生きなければならないのか。このように分けられる。それで1-11章までは信仰、12章からは生き方に対して出てくる。ある神学者は区分するのに、ローマ1-11章までを信仰から信仰に、12-16章までは信仰から生活に...表現が上手だ。
▲皆さんが献身をどのようにするべきか。
(1)私たちは弱いが、RUTC、教会堂建築をどのようにすべきか
(2)世の中に行って暮すのも難しいが
(3)個人的な悩み、勉強するのも難しいが、どのようにすべきか
▲今日、ここに重要な答えを与えておられる。1節に生きた礼拝、霊的礼拝をささげれば良い。どのようにすれば、私が祝福を受ける礼拝をささげられるのか。どのようにすれば、神様の喜ばれる完全なみこころを成し遂げることができるのか。これを悟ったことを霊的礼拝、霊的献身という。
▲そういうわけですから(1節)-この言葉は何の話なのでしょうか。前の何は話をしておいて、そういうわけですから...これだ。そして、その次に話もするということだ。
1.永遠な証拠(ローマ1-11章)
▲神様がくださった永遠な証拠があるのに、ここに献身する人。もし、皆さんの産業、職業、教会がこの中にあるならば、まちがいない。それをいう。
(1)ローマ3:10、ローマ3:23、原罪を言う。すべての人がサタンの話を聞いて神様を離れる罪を犯した。
(2)ローマ5:8、私たちがまだ罪人であった時に、神様がキリストを送られると約束。これが恵みだ。
(3)ローマ8:12-17、救われた者に子どもとされる霊を与えられた。
(4)ローマ8:31-39、だれも奪っていけない。
(5)異邦人宣教-イスラエルを退けられたのは、異邦人を救い出すためだ。
(6)残された者-それではイスラエルがほろびたのでなく残された者がある。
▲これを知って、心より喜びで献身する者。
2.永遠な証人(ローマ12-16章)
▲ローマ12-16枚、永遠な証人。ここに献身しなければならない。
(1)ローマ16:25-20、世々に渡って長い間、隠して今や現わされたことになった。ここに献身するのだ。
(2)ここに皆さんが証人だ。
▲助ける者(2節)、家主(23節)、同労者(3-4節)、同国人(7節)、愛する者、労苦する者、認められる者。
▲こうした者の献身を防げない。
3.永遠な勝利(ローマ16:17-20)
▲このことをするのに大きい戦いと永遠な勝利が何かを分かる者。
(1)離れろ(17節)-紛争、試みにだまされるな。今でもサタンは攻撃している。
(2)善良なことに賢くて、悪いことにはうといことを望みます(19節)
▲他人の話をするにはとても賢くて、自分を見るのにはおろかな者は100%失敗する。
(3)サタン権威を打ち砕く(20節)
▲このことを知って祈る人だ。
*結論-こういう祝福を受けるのに障害物がある。
(1)神様のあわれみがなければみんな死ぬ。
(2)本当に神様が喜ばれる所にあなたたちのからだをささげなさい。
(3)完全なみこころが何か分別しなさい。
▲この3つを記憶しなさい。今日、皆さんが本当に祝福を受ける献身、真っすぐするようになることを希望する。それでは皆さんが呼吸するのも答えになる。この中にあるならば皆さん動くものも答えになる。この祝福がすべての献身する者に起きるようになることをイエスの御名で祈ります。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲どのように献身しなければならないのでしょうか。ローマ12章は、二つの部分に分けられる中間です。ローマ1章から11章までは、どのように信じなければならないのでしょうか。12章から16章までは、どのように生きなければならないか。そのように分けられるのです。それで1章から12章までは信仰だとすれば、13章からは生活について出てきます。総主題は信仰ですが、そうです。ある神学者はこのように区分しました。ローマ1章から11章までを信仰から信仰へ。12章から16章までは信仰から人生へ。表現をよくしたと思います。
▲皆さん、献身をどのようにしなければならないのでしょうか。簡単に話せば、なぜ私はだめなのでしょうか。ある人はうまくいくと言うのに、どのようにすれば良いのでしょうか。その基準を今日、捜し出さなければなりません。それで、みな重要ですが、今日のことは本当に重要です。居眠りしている人も今は眠りから覚めなければなりません。本来、昔には説教をこのようにしたということです。説教者が入ってくれば、みな立ち上がったということです。教会をそのように作っておいて、説教者が座って説教したということです。それでは、皆さんが、うとうとすることがないでしょう。ところで、反対になって説教者が立って皆さんは座っています。皆さんが昼間に疲れる時間ですが、みことばをよく握って行かなければなりません。ローマ人への手紙全体が中間で切られて、今1部から2部へ移る部分です。
▲私は、この人がこれから用いられるか、用いられないかということを、これを見れば分かります。どのように献身すべきでしょうか。今日、見ると、神様が喜ばれる完全なみこころに従ってすれば良いのに、実際には、どのようにしなければならないのでしょうか。ローマ12:1-3は数えきれないほど、たくさん読んで知っていることなのですが、どのように献身しなければならないのでしょうか。皆さん、みな願いがあるでしょう。何が願いなのでしょうか。それがもしなされたらどうなるでしょうか。本当に良いでしょう。家に帰ってみれば通帳に百億円ずつ入っているとすれば、気持ちはどうでしょうか。良いでしょう。私は、それよりより大きいのが神様の答えだと思います。
▲どのようにすれば良いのでしょうか。私たちは弱いのですが、RUTC献金もすべきで、教会堂も作るというから悩みになります。それ以前に、明日から世の中に出て行って暮すべきなのに、私は今難しいということです。それではどのようにすべきでしょうか。勉強するのも難しくて、さらに悩みなる問題が私に来ているのに、どのようにすべきでしょうか。私たちは考えれば悩むことが一つや二つではありません。柳先生の説教を聞いてみると、柳先生の教会は人が千人ずつ2千人ずつ集まったというのに、私たちはなぜだめなのか。ひょっとしてそのような心配にもなるでしょう。今日、ここに重要な答えを与えておられます。
▲霊的礼拝- 1節を見れば、そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この生きた礼拝、霊的礼拝をささげれば良いと言われました。これを今日、見つけて行かなければなりません。どのようにすれば、私が祝福を受ける礼拝をささげられるのか。どのようにすれば、神様が喜ばれる完全なみこころを成し遂げる献身ができるのでしょうか。それを知らなければならないでしょう。私が神様の前に献身するのに、祝福を受けるべきで、祝福を受けられないではいけないでしょう。信仰生活を1年、2年、3年したら何か答えがくるべきで、来なければ変ではないでしょうか。それを悟ったころを霊的礼拝、霊的献身と言います。1節に「そういうわけですから」と言われています。これが重要な言葉です。ローマ12:1初めての単語に、そういうわけですから、兄弟たちよ...「そういうわけですから」という言葉は、どういうことでしょうか。前に何か話をしておいて、そういうわけですから、と言うのです。これが重要なのです。何も言わなかったのに、そういうわけですからと言ってはいけません。何か話をしておいて、私たちが、それで、そういうわけですから...このように続くでしょう。このように聖書を見るのが重要です。昔には神様がみことばをくださった時、1節、2節とくださったのではなくて、ずっとつながって与えられました。これをそれでは文章だと思わずに話だと思ってください。話をずっとしておいて、そういうわけですから...それでは何か話をずっとしたということです。そして、そういうわけですから、この言葉は、その次に話をまたするという言葉です。そうでしょう。いくら幼い人でもわかるでしょう。そういうわけですからという言葉は、何か話をして、またするということです。それと共に、今日、ちょうど献身礼拝なのですが、私が合わせることもしなかったのに献身に対する話が出ました。あなたのからだを生きた供え物としてささげなさい。私たちが神様が喜ばれる、聖なる、完全なみこころ、この言葉をみなわかったのです。問題は重要なのが「そういうわけですから」です。この言葉を抜いてしまえば、話をみなのがします。たとえば、私が昨日、話したのがあるでしょう。このように話すのに、昨日、話したことを知らなくてはいけないではないでしょうか。私たちこの間、約束したこと...このように言って、この間のことを知らなくてはいけないではないでしょうか。それでは、いくら聖なる生きた供え物をささげても、礼拝になりません。
▲それでは「そういうわけですから」という、この前に何のみことばが出てきたかということです。

1.永遠な証拠
▲ローマ1:1-11章、最後の節まで神様がくださった永遠な証拠があります。ここに献身する人です。そうでしょう。神様がくださった永遠な証拠の中に献身する人です。もし皆さんの産業、職業がこの中にあるならば、それはまちがいなくうまくいくでしょう。皆さんの教会が、この中にあるならば、まちがいなく、なっていくでしょう。それを話すのです。ですから、そういうわけですから、その言葉は前のことを話したので言う言葉です。
(1)ローマ3:10、23(原罪)
▲義人はいない、一人もいない。すべての人が罪を犯したので神様からの栄誉を受けることができない。私には何の罪もないと話す人が多いのですが、これはその罪を言うのではありません。すべての人が罪を犯して、神様を離れたということは、神様を知らない罪を言うのです。これを原罪と言います。これを話すのです。私たちは罪を犯したといえば、強盗や殺人を思うが、その話ではありません。すべての人がサタンの話を聞いて、神様を離れる罪を犯したのです。これが原罪です。神様のみことばは信じないのに、占い師の話は信じます。すべての人がサタンの話を聞いて神様を離れてしまうのです。世の中で結婚をするのに男女が目も正しく開いていないおばあさんに行って吉凶を占っています。それも、鳥がきて、何かをつかんでいくことで占うのに、鳥が何を分かるからと、そのようにするのでしょうか。また、ある人は、よく生きていたのに、見れば結婚する時は未信者に行くと言います。言葉は良いのです。牧師先生、未信者でも伝道してイエスを信じるようにすれば良いです。そのとおりですが、問題はそうでないということです。私の目とたましいが不信仰の中にいつもいたあとで会った人なので、それが問題だということです。私が本当に信仰生活をして、恵みを受けているのに、ある男性に出会うようになったが、この男性が良い人なのに未信者だということがあります。ところで見ると、よく信じる可能性がある。見れば分かるけれど、よく信じるようだ。それでは、この人と結婚してもよいでしょうか。そのような質問ならば私はOKをして、 千回でもしなさいと言います。ところが、今、私たちが心配するのはその話ではありません。いつも導かれずに生きてきて、導かれない人一人に会って、未信者も伝道すれば良いという言い方で出てくればそれは悪い人です。話をちょっとわからなければなりません。これが普通の事件ではありません。みな原罪に関わっているのです。1人も正しく成功することができません。ひょっとして少しの間でも原罪からは抜け出せないのです。ここから神様が私たちを救い出したのを感謝して、他の人を救い出そうとするのです。ここに献身するのです。ですからわかって献身しなければなりません。
(2)ローマ5:8(恵み)
▲それでローマ5:8に、私たちがまだ罪人であった時に...私たちは分からないでいるのに、神様がキリストを送られると約束されました。これが恵みです。私たちは罪人でそのまま生きているのに、神様がキリストを準備されたのです。これが理解できなかったり、これに感激がない人が献身をしてみても、その献身は献身にならないのです。皆さんの子どもが本当に死んでいくのに、その子どもに何を尋ねるでしょうか。無条件に救い出すでしょう。サタンの誘惑を受けて倒れた人間を、神様は無条件に救い出すことにされたのです。これを恵みと言います。
(3)ローマ8:12-17
▲それで、この救われた人にローマ8:12-17に子としてくださる霊を与えられました。
(4)ローマ8:31-39
▲ローマ8:31-39に、だれも引き離す者はいません。そうでしょう。
(5)異邦人宣教
▲イスラエルを崩壊させたことは異邦人を救い出すためです。悟れなければ、皆さんを滅亡させられても神様は世界福音化をさせられます。皆さんの肉を破っても、神様は霊的なことを生かされるのです。
(6)残された者
▲ところでイスラエルがほろびたのではなく、イスラエルの中で残された者がいます。
▲ここまでがローマ1章から11章です。わかるでしょうか。ここに献身する者、ここに心より献身した者は、喜びも感謝もできます。ここに私たちが献金をするということは、ものすごいことなのです。私たちがあのアフリカまで行くべきなのに、行かなくて献金を少ししたのですが、それがアフリカまで行くのです。そのような献身礼拝です。今、私たちが少しの物質を持ってパク長老がカレンを助けました。このカレンの人々は難民です。難民は何の生活保障もなくて追い出された人々です。ところで、これがどうしたことか、この難民がお金をたくさん持ってくる教団は来ないでくれと言って、パク長老だけ来てくださいと言うのです。その理由を明らかにしたのですが、あなた方が伝える福音が本物で、あなたが真実だということです。その人々が面白い話をしたということです。他の人はお金は多いが、全部、私たちを利用して無視するということです。それで、そこでタラッパンだけをすると可決したのです。その時、またおかしな法律ができました。その人々を難民から解放する法律が作られたのです。それで、この人たちが、アメリカへ、カナダへ、全世界に散るのです。そこで、またみことば運動がどんどん起きるのです。ものすごいのです。皆さん、この永遠な証拠を心より分かるとすれば、すばらしいみわざが起きます。
▲私は考えるだけでも感謝するのが、私は確かにこの福音を知らなかったならば、おかしな人になっているでしょう。私は確かにそうでしょう。私は本当に原罪に陥って死んだでしょう。それで、私がキリストを知った小さい理由で、このように多くの祝福を受けたのです。受けないでもかまわないのに、神様が多くの恵みを与えてくださいました。それで、ここに私も献身しなければならないと思うのが正しいのです。神様はそれを使って、その人に答えられるのです。皆さんが今日、ここに献身するようになったのです。

2.永遠な証人
▲二番目です。どこに献身してこそ成功するのでしょうか。ローマ12章から16章まで、重要なことが出てきます。ここにとても重要なことが出てきます。永遠な証人です。ここに献身するのです。すごいのです。それでは聖書を見ましょう。
(1)ローマ16:25-27
▲ローマ16:25-27に、世々に渡って長い間、隠されていて、今や現わされた。ここに皆さんが献身するのです。神様が、永遠の前に隠されておいたが、今、現わし始められました。ここに皆さん教会が用いられたらどうなるでしょうか。ここに皆さん人生が献身したらどうなるかということです。
(2)証人
▲そして、ここに今、証人になったり、証人を生かす献身ということです。ここに何か出てきたのでしょうか。
@助ける者- 2節には助ける者と出てきました。
A家主- 23節には家主。こういう人を捜し出すことに私たちが献身するのです。皆さんが知らずに少し献金をしたのですが、これがここに使われたらどうなるでしょうか。それも祝福です。皆さんは知らずにしたのに、詐欺師に使われればどうなるでしょうか。それも呪いです。そうでしょう。皆さんが知らずに献金をしたのですが、これが永遠な証拠に使われるということです。それも祝福です。それが献身です。
B同労者-ある人は3-4節に、同労者と言いました。
C同国人-ある人は7節に伝道者をどれだけ助けたのかというと、同国人のように。
D愛-いくら労苦しても、労苦するのでない。なぜでしょうか。愛する者。
E労苦-この福音の恵みがどれくらい大きいのか、難しいことが出たら自分がみなする。労苦する者。
F認められる-どれくらい祝福を受けたかとすれば未信者までも認める者です。防げません。
▲これが永遠な証人です。このことに献身する者、ここに方向を合わせた教会は答えを受けるしかありません。皆さんが本当にこれを悟れば、悟っただけ、答えはそのままきます。

3.永遠な勝利
▲三番目です。何を分かる者なのでしょうか。このことをするのに大きい戦いと永遠な勝利が何か知っている人です。
(1)離れなさい(紛争、試み)
▲ローマ16章を見てみましょう。ローマ16:17を見ましょう。兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。どこから離れなければならないかを分かる者です。教会を離れるのではありません。故郷を離れて家を出るのではありません。この紛争から離れる者です。こういう人は永遠な勝利が何かを分かります。特に私たちのレムナントは用心しなければなりません。そのようなことにだまされてはいけないのです。このような人は18節に出てきます。そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのですこういう人々が多いのです。皆さんここにだけだまされないでも勝利します。教会の中には多くの紛争、試みがあって、現場に行ってもあります。
▲だれかが、こういう話をします。教会に行ったところ、とても難しくて、試みが多い。それでは、私は内心、何と答えるのか分かるでしょうか。あなたはすでに負けたんだなあ。すでに負けたのです。あなたは勝利するのが難しいだろう。勝利する人々の目はこれを見るのが違います。こうしたところからは心が離れてしまっているのです。この話がわからなければ、皆さんは信仰生活ができません。皆さんがこういう話をわからなければ、レムナント7人はみな自殺しなければなりません。それなら初代教会の弟子や使徒は全部、家出しなければなりません。そうだったから250年間、迫害されて、全部みな教会を離れなければなりません。これがすでにレムナントが未来に大きくなるか、ならないかを見る基準です。皆さんが本当に答えをずっと受けるのか、受けないかという未来に対する基準です。
▲今日、私たちの外地から、また特にホナム地域から来られた重職者がたくさんおられます。皆さん、ここにだまされてしまえば、どんな場合も世界福音化できません。絶対にだまされてはなりません。皆さん近くにいる家族がこのように出てきてもだまされてはなりません。家族も厳密に問い詰めれば、私でなくて他人です。子どもも厳密に問い詰めれば私ではありません。それでだまされてはいけないのです。皆さんがだまされてしまえば、子どもも生かせません。皆さんがだまされてしまえば、家系、教会、みな殺すのに、どうなるのでしょうか。今でもサタンは攻撃しています。
(2)善-知恵、悪-うとく
▲二番目に見てください。18節にとても重要な話が出ました。ローマ16:19節の最後を見てください。私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。こういう人が勝つのです。善にはさとく、悪にはうといことを望みます。反対に善のところはとてもおろかで、悪いところは賢くてはいけないのです。変に他人の話をするにはとても賢くて、自分を見つめるにはおろかな人がいます。こういう人は100%失敗します。自分もよく見るが、他人のこともよく見る、こういう人は最後にはとてもはっきりと失敗します。変に善を行って神様のみこころを行うには知恵があるのに、人を悪くするのには知恵がない人がいます。私は教会に長く通ったが本当に伝道するとは思わない人は、悪いことをするには本当に天才です。どうしてそんなに他人の誤りをよく分かるのか、何年何日何時までみな記憶しています。英語の単語は100ケも知らないのに、どのようにそれをみな覚えたのかわかりません。あきれることです。学校に通う時、勉強もできなかったのに、どうしてそんなに他人のことはみな記憶するのか、それは毎日復習しているようです。それではみなほろびます。皆さんが善にはさとくありなさい。皆さんが人を生かして、私を生かして、答え受けて、こういうところに知恵が優れなければなりません。人を欺いて難しくして困らせることは知らなくなければなりません。私はこういうものをとてもたくさん見ました。長い間、重職者と牧師をたくさん見たのですが、伝道するとは思わない牧師は人間主義にすぐれています。最もまったく伝道を知らない重職者を見れば悪を行うには完全に9段です。これは19節に書いているので19段です。不思議です。私はそんなことをたくさん見ました。本当に恵みを受けられず、本当に伝道しようと思わない人々は、問題を天才的に作り出します。私は完全に驚きました。その時、一つ感じたことがあります。悪魔に捕えられれば、あのようになるんだな。どうしてそんなに悪いことには知恵が優れるのかわかりません。本当に不思議です。
(3)サタンを踏み砕く
▲ローマ16:20節です。真の宣教が何か分からなければなりません。平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。これが真の勝利です。サタン権威を踏み砕く、すばらしいことを言います。このことを知って祈る人です。それとともに、主イエスの恵みがあなたがたにあるように。とても、とても重要なのです。
▲また会えば善には知恵がなくて、悪には知恵ある人々を見ると、このような時はまたメッセージも聞かないのです。必ずこのような時、お客さんがきて、帰ったり、このような時、教会にきてもまた寝ます。不思議です。ほろびる人々を見れば、何か導きを受けるようです。とても重要なメッセージが出てくる時はいません。そして、それほど重要でないメッセージが出てくる時、その時、出てくるのです。皆さんローマ人の手紙を読んでいる月です。とても重要です。今日は献身礼拝を迎えています。

*結論-障害物
▲こういう祝福を受けるのに障害物があります。これを今日の本論で話したのです。今日のローマ12章に戻ります。このことを知らない人は誰もいないのに、ここに引っかかるのです。これが一番やさしいことなのですが、難しいことでもあります。
(1)あわれみ
▲ローマ12:1にそういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします...神様のあわれみがなければ、私たちはみな死にます。これを知らない人がいるのです。自分はものすごく間違いながらも、他人の誤りはとても小さいことも理解できない人がいるのです。そのような人が多いのです。そして見れば、自分の誤りは全く大丈夫だが、他人の誤りは少しだけ疑わしいのも耐えられないのです。これが普通の悪い人間ではありません。これが障害物に引っかかるのです。
(2)喜ぶ所
▲それとともに、このように話しました。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。本当に神様が喜ばれる所にささげましょう。皆さんこういうものを少しだけ記憶してしまえば、すばらしい答えの門が開かれます。
(3)みこころ
▲そして、神様が喜ばれることだけでなく、完全なみこころが何か分別するようにしなさい。こういうものが障害物になるから、少しだけ用心して今日の本論を分かればとても大きなみわざが起きるでしょう。
▲私はある時は、良心の前に立ってみる時、本当に恥ずかしい時が多いのです。私たちは良い家に住んで良い車に乗ろうとします。そして本当にRUTCや教会堂建築をすれば、献金を少ししかしません。それも、何の心もなくします。私はその時こういう考えました。神様が私のいのちを持って行かれたら、私は生きることができるでしょうか。これは金額以前に良心です。私たちがあらゆることをみなして、人々を見ればどれくらいよくしておいて生きるか分かりません。ところで、私の感じで見れば教会だけ関心がありません。その時、私の良心に引っかかるのです。私はこの頃ずっと思っています。私が多くの献身をするのが問題ではありません。私たちが良心にとても違ったことをするのです。私たちが人の前ですることより、神様の前にすることをさらに少なくします。皆さん、私たちの霊的状態はとても重要です。今日の本論の3つのことに献身するようになる人は困難がきても勝利することができます。
▲ジョン・バンヤンが福音のために監獄10年刑を受けました。彼は本論の3つを考えたのです。これを知っていました。それで、とても祈る中に神様の前に感謝しながら祈って本を書いたのが天路歴程です。その時、聖書66巻を読みながら得た答えが、この世は将来にほろびる町だ。私たちは天の御国に向かって行く。私たちはどれくらい欲をたくさん働かせるのか、天の御国に向かって行くのに、門から入れない。その時、門番が言うのに、君が今担っている罪の荷物が門より大きい。君のからだより大きい。それを悟るようにさせるのです。それを脱いでしまったら深く入って行きました。入ったが二つを与えられます。前にからだを防ぐ盾のような胸当てを与えられ、そして刃物を一つ与えました。初めには知らなかったのです。この前を防ぐ胸当ては、そのどんな武器も刺すことができません。それを後ほど分かったのです。そして、その刃物はどんなのも勝てました。それも後ほど分かったのです。大きい悪魔がきてクリスチャンを殺そうとしたのですが、刃物でいくら刺しても突かれないのです。恐れる必要がありません。神様がくださったこの胸当ては、どれくらい確実なのか、いくら刺しても入ってこないのです。一気にこの刃物でサタンの勢力を倒したのです。最後まで行ってみたら、ライオンが待ち構えていまいた。よく見たら、すでにライオンの足はみな縛られていたのです。それを見たのです。ジョン・バンヤンはよく書きました。
▲私たちはもう大きい挑戦をする必要があります。なぜでしょうか。世界福音化するところがとても多いためです。皆さん今は、私たちが大きい答えを受けなければなりません。なぜでしょうか。私たちが大きいことではないのですが、神様の計画が大きいためです。皆さん、大きい答えも受けるでしょう。私は皆さんと共に賛美をしながら、椅子に座っていたのですが、いちばん後ろの顔はよく見えないが見たのです。以前はたくさん集まったと感じました。ところで、今日はこのように感じました。この少ない数を持って世界福音化をするのか。外に出て行けば救われる数多くのたましいがあるのに、私たちがこのように集まって良いのか。一日も早く現場に入って700長老を見つけましょう。私たちの教役者は、一日も早く現場に飛び込んで700地教会を作り出しましょう。ここに使命者が雲の群れのように集まって祈りながら、釜山を動かさなければならないのです。私たちのソウルには、一日も早く2千ヶ所2千長老が起きて首都圏を動かさなければなりません。私はそのような考えを強く持ちました。
▲今日、皆さんが本当に祝福を受ける献身を真っ直ぐに見るようになるように願います。それでは皆さんが呼吸するのも答えになるでしょう。皆さんがこの中にいらっしゃるならば、皆さんが動くものも答えになるでしょう。この祝福がすべての献身者に起きるようになることをイエス様の御名で祈ります。祈ります。
(祈り)
神様に感謝いたします。永遠な契約の中に入るようにしてください。永遠な証人の中に入るようにしてください。永遠な勝利の中に入るようにしてください。それで、なるようになる答えを見るようにさせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)