2010年2月7日 聖日礼拝  場所:インマヌエル教会 講義:柳光洙牧師


第1部:祭司長のもう一つの服
(出エジプト記28:31-43)

〓要約資料〓
→序論
▲イスラエル民族の不安3つ-@エジプトの追撃 A荒野での環境と病気(水) B敵の出現
この時、神様がおかしな命令を下された。
(1)すべてのイスラエル民族、祭司は服を着替えなさい。そうでなければ死ぬようになる。
(2)それでは、私たちが祭司なのか。Iペテロ2:9、皆さんがみな大祭司、イエス様は大きい大祭司(偉大な祭司、ヘブル2:14)
(3)ここにとても重要な答えが入っている。皆さんが行く所ごとに暗やみの勢力はぶるぶる震えるという事実を知らなければならない。福音を持った神様の子どもは、最悪の状況になっても死なない。その服を着なさいということだ。
1.過去の服を脱いでしまいなさい
(1)過去の服、不平不満の服を脱いでしまいなさい。神様の民は恥じて恐れるのでなく、服を着て堂々と出て行きなさい。
(2)奴隷根性の服を脱いでしまいなさい。
(3)荒野根性の服を脱いでしまいなさい。
2.身分を回復した服を常に着なさい。
▲暗やみはずっと攻撃してきている。身分を確かにする服を着なさい。
(1)35節、上着を別に着なさい。
(2)36-37節、純金の札を額に付けなさい。そこに「主への聖なるもの」と書け。「聖なるもの」とはきよいという言葉にもなるが、さらに重要なのは区別されたということだ。
(3)41節、油(キリスト)を注いだ服を着なさい。
▲その服を着て行け!
3.未来の服を着なさい。
▲暗やみ勢力は心がしなえた。ですから真の勇気を出して挑戦しなさい。
(1)荒野の重職者会議でカナンの土地に行ってきた10人の偵察が逆に報告した。うわべだけ見たのだ。その時に、ヨシュア、カレブが言ったのは、違う、事実は、私たちが来るのを知って指導者がみな逃げた。そして、ある人は衝撃を受けて病気にかかっていて、私たちは行きさえすればよい。彼らは私たちの餌食だ。今が機会だ。ヨシュア、カレブは内容を見た。神様の子どもの目を開いて見たのだ。
(2)荒野の民が行く道にすべての民が未来の服を着なければならない。行って7つの部族、31人の王と戦わなければならない。
*結論
▲今日、皆さんが信仰にあって勇気を出すよう願う。私を強くしてくださる方にあって、私はどんなことでもできるのです。今日、すべての信徒は、目に見えない服を着替えることを望む。
(1)服を着替えた人々-ヘンデル、アインシュタイン、キム・イクドゥ
(2)皆さんが常に信仰の服を着なければならない(レムナント7人、初代教会、ルター)
(3)皆さんが祈ってあきらめるな(アウグスティヌスの母モニカの祈り-絶対に契約を持った者の祈りは無駄にならない。必ず時刻表がくる。あきらめるな。そして、涙の子どもはほろびない)
▲暗やみ勢力は皆さんと子どもをずっと攻撃する。それで服を着なさい。そして待ちなさい。神様が皆さんを救われたので、今はこの服を着替えてカナンの地に行きなさい。今日、この契約を握って皆さんが信仰の大きい勇気を出すよう願う。今日、この契約を握った人に病気は離れて、大きい暗やみ勢力は崩れるようになる。
(The end)

〓録音資料〓
→序論
▲イスラエル民族が3つのことで不安でした。エジプトが付いてくればどうするか。エジプトが前に一度たくさん死んだが、イスラエルを追撃して来る可能性がいつでもあったのです。とても不安でした。二番目に恐怖です。このように暑くて、寒くて、こういう自然の中で病気にかかればどうするのか。人は、温度が下がって行けば突然死ぬことがあります。またとても夏バテすれば死ぬこともあります。それだけではなく、行くところに水がありません。その時は、土地を掘れば石油だけが出てきて、水が出て来なかったのです。死ねばどうするのか。こういう不安感があったのです。それだけではありません。行く道にどんな敵が現れるかもわかりません。それで、はやく行くべきなのに、行くこともなく、こういう困難にあっていました。その時でした。その時、神様がおかしな命令を下されたのです。
(1)すべてのイスラエル民族は、服を着替えて祭司は、祭司の服を着なさい。
▲どれくらい不安でしょうか。それにしても、はやく避けて行くべきなのに「服を着なさい」ここで大きい錯覚が始まります。私が4年の時だったかと思います。文部省で指示を出したことがあります。ひょっとして皆さんの中でそのような方がいるでしょう。4年の時なのか5年の時なのか、文部省で指示を出しました。何の指示なのかというと、すべての男子学生は髪を刈りなさい。丸刈りにしなさい。そのようなことがあったのですが、学校で髪を刈ってきなさいと言うのでした。それで、床屋に行って髪の毛一本もなく、丸刈りにしました。私は父が死ぬ時も泣かなかったのですが、丸刈りの頭を見て泣きました。本当に変に見えたのです。これが私だな。とても変でした。とてもあきれたのです。その時から僧侶を尊敬し始めました。いつも剃って通わなければならないから。
▲ところで、そのまま着なさいとは言われませんでした。どのようにしたのでしょうか。祭司の服を完ぺきに着ては、上に覆うマントのようなものをまた着なさい。緊急に着られるように、頭からかぶれるように作りなさい。それでは首の部分が敗れることもあるから、その上に革を付けなさい。革だけ付けずに、金の鈴も付けて、ザクロの鈴も付けなさい。そして帽子をかぶりました。そこに付けなさい。何を付けるのでしょうか。金にできたものを付けなさい。その上に「主への聖なるもの」と書いて付けなさい。姿を想像してみなさい。そして下着も特別なのを着なさい。このように命令を下したのです。これをどう思いますか。今、イスラエルは緊急で死ぬところなのに、生きるか死ぬかなのに、服まで着て、どうなるのでしょうか。これがとても怖いこともあって、恥ずかしいこともあるのですが、また別の方向で見ることができます。すべての軍人は軍服を着なさい。これはそうでしょう。すべての罪人は囚人服を着なさい。恥ずかしいでしょう。これが重要な言葉です。とても重要な言葉です。私たちが、今、行くときに死ねばどうするのでしょうか。むしろ反対語で神様は「そのようにしなければ死ぬようになる」と2度も話されました。それでは先に解かなければならないことがあります。
(2)私たちは祭司なのでしょうか。Iペテロ2章9節に、皆さんはみな大祭司です。イエス様はヘブル4章14節、この聖書箇所は記憶しなければなりません。偉大な大祭司です。イエス様が大大祭司です。皆さんはみな大祭司です。その服を着て通いなさい。これがとても重要な言葉です。なぜそうでしょうか。何のためにイスラエル民族が服を着替えて大祭司の服を着ろと言われたのでしょうか。
(3)ここにとても重要な答えがあります。皆さんと私が悟らなければならない答えがここに入っているのです。
▲エジプトが来れば、どのようにするのでしょうか。行く道に現在、敵が起きればどのようにするのでしょうか。私たちが行く道に、もし飢え死ねば、どのようにするのでしょうか。これがイスラエルの人々の考えです。逆に悟っているのです。私たちが信仰生活を逆に悟っています。今、他のうわさが立っています。ヘブル民族が来ている。どんな民族。エジプトを完全に負かしてしまったヘブル民族が来ている。そして紅海も渡った。そして、この民族が今、死を通過して、荒野を通過して来ている。どの程度でしょうか。カナンの地に住んでいる人は心がしなえてしまったのです。その服を着なさい。皆さん普通、クリスチャンは逆に悟っています。神様が皆さんを神様の子どもとして呼ばれました。逆に悟っています。
▲昔に一度、数年前ですが、チェ・ジョンファン長老とウ・スヨン長老とコ・ジンオプ長老と私でゴルフに行きました。ところで、きて道を間違って入ったのです。道を間違って入ったのですが、その道が多分、行けないところだったのです。入れば違反だったようです。そのように入って、私たちはついて行くのにチェ・ジョンファン長老が捕まえられました。ところでウ・スヨン長老が捕えられました。判事、弁護士がみな捕えられたのです。当然、私たちも捕えられました。警察が挨拶をして、ここはこういうところだと言ったのですが、私がそのときに驚きました。私がチェ・ジョンファン長老ならば「私は今、どこどこの判事なのに、これを道を表示をすべきで、このようにすれば良いか」そのように言わなければならないではないでしょうか身分証を見せながら、私が判事だがここに入れば表示をしておくべきで、私たちが知らずに入ってきたのではないか。そう言わなければならないでしょう。ところでチェ・ジョンファン長老は、良い人で、申し訳ないと私が知らずに入ってきたと。若い警察が判事とも知らずに、このようなところに入ってきてはいけないと。表情で、ウ・スヨン長老が申し訳ない、私たちが知らずに入ってきた話をするようでした。確かに知らなかったのです。紙を切られたのか、許してもらったのか、確かにわかりません。もしチェ・ジョンファン長老が車に「判事チェ・ジョンファン」と付けて、前にも付けて判事の服を着ていたとしましょう。判事の服を着て、車を運転して出てきたら、警察が見て、あの方は判事だなと理解するでしょう。知らずにちょっと入ってきたのだろうと、そのまま見のがしたでしょう。
▲イスラエル民族に、服を着なさい。この言葉は普通の話ではありません。皆さんと私は逆に思っているのです。皆さんが行く所ごとに暗やみの勢力はぶるぶる震えるという事実を知らなければなりません。これは信仰ではありません。事実です。ところで大部分のクリスチャンは、知らずにいます。それで信仰生活をでたらめにしています。皆さんどうしけんかをして、とんでもない話もしています。それで他人をうらんで、他人を非難もして生きていっています。ものすごい祝福を受けたのを知らずにいるのです。それで、恐れずにすべてのイスラエル民族は服を着替えなさい。そして、祭司は祭司の服を着なさい。頭にも札を作って、金で付けなさい。このように神様が命令を下されたのです。これはものすごいメッセージです。その危機の中で服を着替えろということです。ただ服の話しでしょうか。霊的にすばらしい意味です。
▲私が前に話しました。本当に伝道しに占いの店に行ってみなさい。一度だけ行ってみなさい。それも、とても有名な占い師を訪ねて行きなさい。にせ物を訪ねて行かずに、本物の占い師は、悪霊につかれた占い師です。そこを訪ねて行ってみなさい。皆さんを見る瞬間正しく当てます。皆さんを見る瞬間、ぶるぶると震えます。ところで、大部分のクリスチャンが霊的なことも暗くて実際にも知らずにいるのです。アメリカにあるヒューストンに行けば勧士1人、長老夫婦がいます。その方が証しをしました。その方が執事の時なのに、友人がいくらイエスを信じろ言っても信じなかったということです。アメリカに住みながら難しいでしょうに、イエスを信じろといっても自分は信じないと言ったのでした。一度、電話がきたということです。アメリカに有名な占い師がいる。その人は生年月日も尋ねないで、すぐに皆あてる。自分が行くことにした。一緒に行ってくれるかと尋ねたということです。執事があきれたのです。イエスを信じろと言ったのに、イエスは信じないで、自分に占い師に行こうというから、行こうと言いました。行ったが、占いを一度するのに50ドルを出したのです。その友人が50ドルを出したら、占い師が男なのに、手をしっかりとつかんだということです。そうしたところ、とても驚くほど、はじめてきたのでうが、すべてみな占ったそうです。このようにしろ、あのようにしなさいとみな占いました。この執事が見て驚いたそうです。それで、自分も何も言わずに50ドルを出したということです。出したら、同じ方式で手を握れと言いました。この執事が祈りながらつかんだのです。つかんだら、その人は見ていて、勧士の手を握るとそのままぶるぶる震えたということです。その時、汗をダラダラ流しながら。そうしたところ、できないと言いました。どうしたのと尋ねたのです。あなたは何も出てこないと言ったのです。わざわざ見てくれと言ったということです。この方がまたつかむと、とても不思議に不安に思いながら、お金をまた返してくれたということです。持っていきなさい。それとともに言う言葉が、あなたには何の問題もないから持っていきなさい。これをそばの友人が見たのです。それで、この友人の心の門が開いたのです。本当に何かあるんだな。クリスチャンが、ほとんどうわべで宗教人の生活をして、教会を行き来してこのように信仰生活しています。そして本当に祝福をのがしているのです。聖霊の導きを受ければ良いのに受けないのです。
▲神様が服を合わせて着なさい。この話は霊的にすばらしい意味を持っているのです。エジプトを完全にたたき壊したイスラエル民族が、今、ものすごい服を着て来ています。簡単に話せば、あなたがヘブル民族であることを示しなさいと。簡単に話せば、あなたが神様の子どもであることを堂々と表わしなさい。とても重要な言葉です。私が今大きい困難にあったが、心配する必要はありません。
▲牧師先生、私たちはとても貧しくて死ぬようになったが、どうしますか。心配する必要がありません。私は聖書を話すのではありません。神様のみことばをあかしするのです。私はそんなことをたくさん見ました。私の父が40歳に私が産まれました。40歳で産まれたから、とても気持ちが良くて、咳をした病気が治ったのです。そして、下に3人が産まれたのです。それではどうなるでしょうか。三人を産んだので、私まで4人です。ところで、父がいろいろな事件、火災、困難のために私が13才の時に亡くなったのです。私が13歳の時になくなったから、父は何歳でしょうか。53歳です。亡くなりました。それで、私はその時、中学校1年です。下にはどうなるでしょうか。みな小さかったのです。我が家の財産が多かったのでしょうか。違います。背景があったでしょうか。違います。完全に深刻な状態になったのでした。ところで、私はその時、見たのです。その時、私の母が契約をつかみました。その時から契約を握って今まで生きてきたのですが、私は見たのです。何を学んだのでしょうか。神様の子どもは、いくら極限状況になっても死なない。私はそれを見ました。聞いたのではなく見たのです。
▲そして体験しました。福音を持った神様の子どもは、最悪の状態になっても死にません。その服を着なさい。その話です。これは普通のメッセージではありません。静かに出エジプト記を見ながら、神様が40年間、なぜ荒野に置いたのか理由を分かりますか。私は体験して見ました。それでは、よく暮らして神様がいなかった人々がうまくいったのでしょうか。違います。私は大変申し訳ないのですが、私たちの村で生き残った人の中で、私が福音のゆえに一番祝福を受けた人です。わかりません。皆さんは、そうではないと言うかもしれませんが、私はそうだと思います。
▲一度は、あまりにも連絡がきたので、同窓会に行ってみました。驚いてしまったのです。同窓会に行ったのですが、全部おじいさんでした。自分たちもそのように言います。いったいどうなったのかと尋ねてみました。このように若いことがあるかということです。イエスを信じてみなさい。私が牧師ではないでしょうか。そして一度は行かなかったが、とても集まって、簡単に話せば品が良くなかったのです。だめなように見えました。一度は、昔に道を行く時、チョ・ウンテク牧師と田舎に行きました。あるおじいさんが店をしていました。田舎者のおじいさんなので、私たちが尊重しなければなりません。おじいさんに、私たちはここに遊びにきたが釣りにきた。食事はここでする。そして地鶏も一匹煮てくれ。釣りがよくできる所を教えてくれ。そのように話したら、いろいろ教えてくれました。行ってきて夕方に食事をしたのです。この人が私たちを見てあなたたちと言い、私たちは年上の人に対して話をしていました。ご飯を食べて話が出て、何年生かと。私と同じ年でした。年齢が同じだったのです。ですから、この人がどうしてそうなのかと。この人は、完全におじいさんでした。ですから、私たちが今、イエスを信じて生きてきた中で霊的なことは話す必要もなくて、肉的なものまでも。
▲私たちが今、逆に知っているのです。極限状況にまでほろびた我が家は、ほろびたでしょうか。とんでもないことばです。むしろ我が家が偶像崇拝した方も、私たちを見てばかにしてイエスを信じると悪口を言っていた、その人々がほろびました。イスラエル民族は、恐れずに特に祭司は恐れずに、祭司の服を着なさいと。これは霊的にすばらしい意味です。

1.過去の服を脱いでしまいなさい
▲最初です。大部分の人々は問題を自ら作っています。
(1)過去の服を脱いでしまいなさい。その話です。いや今、勝利して行くのに、奴隷の服で行けば良いのでしょうか。皆さんしばしば人を恨むことが多いでしょうが、その人は本当にほろびたのです。大部分の問題は私から出てきたのです。恨む人は失敗するはずではなく、すでに失敗しています。いつ死ぬのでしょうか。それは時間の問題です。恨む必要はありません。過去の服を脱いでしまいましょう。まったくうそをつかず、脱いでしまいなさい。神様が働かれると言われたでしょう。証人です。
▲私たちの隣、親戚が、私たちを見て完全にほろびたと言いました。また、父が亡くなったのですが、正月に亡くなったのです。日もよく定めたものです。正月に亡くなりました。それも旧正月の正月です。昔に未信者は、旧正月の正月に人を呼べば来ません。これで親戚も来なかったのです。やむを得ず叔母と何人かが集まってしました。このようにみじめなことがあるでしょうか。それは人の考えです。神様の子どもはそうではありません。その村で一番に福音で祝福を受けた人がだれなのか確認してみてください。その村で一番に肉的な祝福を受けた家がどこなのか確認してみてください。神様の民が逆に知っているのです。恐れることではなくて、服を着て堂々と出て行きなさい。
▲今、この説教を聞いているでしょうが、釜山のある女執事の話です。この方がとても清潔で、きれいな人なのに、夫によく会えなかったのです。その夫の方には申し訳ないが、本人も告白しました。何もすることがありません。お金もないのにお金だけ使って通うのです。そして、おかしなことして歩き回るのでした。奥さんが仕方がないから屋台をしました。それで屋台をして稼げば、子どもたちを勉強させて、夫のお小遣もあげなければなりません。また、それで、屋台に男が入ってくれば笑ってはいけないのです。それをもってまた文句を言われます。足りないことを選びながらする人です。そうしたところ、どこかへ行ってしまったのです。ところで、女執事様が真心から、嘘ではなくて、いつも人々に会う時、そのように話したのです。あなたの夫を話せば、そうではないと言うのです。自分が本当に福音で夫にすべきことをできなかったと言うのでした。嘘でする話があるのですが、それが真心です。子どもたち見て、一度もパパの悪口を言いません。皆さんならば、千回と十回より増して言うでしょう。パパはそのような方ではないということです。初めにパパに会った時、とても良い人だったのに、ママが何かちょっと足りない。あなたたちは祈りなさい。パパはいつかは帰ってくる。今、何か準備している。それが真心だったのです。私は驚きました。どのようにあんな人がいるのか。その男が本当に帰ってきました。戻ってきて見たら、どんなことがあったのか右側足を怪我してきたのです。このようにきて告白をしました。私が全国世界みな歩き回ったが、あなたのような人は見たことがない。それで奥さんが告白したのです。違う、私は本当にあなたに福音をよく見せることができなくて、私はキリストのためにこのように恵みで生きている。私が説教で言っても大丈夫なのですが、その夫が、今、奥さんよりさらによく信じています。そして小さい商売のようなものをするのに上手にしています。この福音の力がどれくらい大きいのか分からないのです。
(2)それで今、奴隷根性の服を脱いでしまえということです。
(3)荒野の根性の服を脱いでしまいなさい。それを脱ぐべきで、着ていてはいけないのです。それを脱げという言葉です。

2.身分を回復した服をいつも着なさい
▲二番目です。この話は何の話なのでしょうか。身分を回復した服をいつも着なさい。暗やみはずっと攻撃してきています。服を着なさい。本文は、また別の上着を着なさい。身分を確かに見られる服を着なさい。
(1)35節には上着を別に着なさいと言いました。上着は身分を表わすのです。今はしないのですが、昔はそうでした。
(2)36、37節には金の札を額に付けなさい。そこに「主への聖なるもの」と書きなさい。聖なるものとは、きよいという言葉もあります。しかし、さらに重要なことがあります。この話は何の話なのでしょうか。区別されたのです。この聖殿(教会堂)はきよいという言葉ではなくて、区別された家という言葉です。聖殿。同じ物なのですが、これがカップですが、ここにあるから区別された物です。聖物。皆さんが同じ人なのに暗やみが触ることができません。聖徒。同じ本なのに区別された本です。聖書。その話です。神様が別に区別されました。それを付けなさい。もちろん、きよいということも「聖なるもの」に含まれます。
(3)41節に何となっているでしょうか。そして、油を注ぎなさい。油を注いだ服を着なさい。油という言葉は、キリストの油ではないでしょうか。皆さんがそのような服を着た人ということです。その服を着て行きなさい。そのような意味です。今日、皆さんが本当に霊的な服を言うのではありません。服なのですが、重要なことを悟らなければなりません。

3.未来の服を着なさい
▲さらに重要なのが三番目のことです。何と話されたでしょうか。今は服を着て、この話は未来の服を着なさいということです。しばしば恐れるのですが、恐れる必要はありません。みな逃げてしまい、いないのです。ヘブル民族がくるということを知って、指導者はみな逃げました。ヘブル民族がくるということを知って、彼らは心がしなえてしまいました。皆さんが、縮こまっておじけづくからであって、皆さんがくるのを知って暗やみの勢力は心がしなえています。ですから真の勇気を出しましょう。すばらしいことが行われます。学生たちも勉強する時、そのまませずに勇気を出してしなさい。皆さんが単なる勇気ではなくて、向う見ずになりなさいというのではありません。福音の神様の子どもです。皆さんが本当に勇気を出せば、からだの病気の半分が飛んで行きます。事業する方も、単にするのではなく、本当に福音の契約を握って祈りながら挑戦しなさい。今、ぶるぶる震えています。ところで、人々はおもに逆に見るのです。どのように見るのでしょうか。
(1)カナンの地に行ってきなさいと偵察を送ったのですが、十人が逆に話しました。荒野の重職者会議なのですが逆に話したのです。十二人の中で十人が話すからそうだと思いました。何と話したのでしょうか。大変なことになった。行ってみたら、みんなが巨人だ。そして、要塞、城壁があるのに、私たちは行けない。そこにはすでに城郭を積んで、軍人が守っているのに、私たちが入れば子どもたちで勝てない。そのように十人が荒野をみな通過して、そのように報告したのです。よく見ました。うわべだけ見たのです。このように、クリスチャンは、しばしばうわべだけ見ます。その時、ヨシュア、カレブが言った言葉です。違う。事実、私たちがくるのを知って指導者がみな逃亡している。多くの指導者はあらかじめ逃げた。そして、ある人は病気になった。衝撃を受けて。私たちが行きさえすればよい。彼らは私たちの餌食だ。そちらは乳と蜜が流れる、本当に神様が祝福された土地だ。今が機会だ、とヨシュア、カレブは話しました。どちらの話が正しいでしょうか。二つとも正しいのです。十人がした話も正しいのですが、これはうわべを見たのです。ヨシュア、カレブがした話しは内容を見たのです。神様の子どもの目を開いて見たのです。皆さんがしばしば恐れて、うわべを見るから失敗するようになっています。すでに指導者はみな逃げました。
(2)そして、荒野の民が行く道に、すべての民が未来の服を着なければなりません。行って七部族31人の王が偶像崇拝している、彼らと戦わなければならないのです。

*結論
▲今日、皆さんが向う見ずになるのではなく、信仰にあって勇気を出すよう願います。私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです。監獄で言った言葉です。パウロがどんな話をしたのでしょうか。私を強くしてくださる方にあって、どんなこともできるのです。今日、すべての信徒は目に見えない服を着替えるように願います。
(1)この服を着替えた人々が多くいます。
▲皆さん、ヘンデルという音楽する人を知っているでしょう。とてもこの人が堕落した酒飲みでした。酒をいつもそんなに途方もなく飲んだということです。そのようなある日、この人が服を着替えたのです。この人がある日、神様の恵みを受けました。その後に出てきた作品がおわかりの通りメサイヤです。その中で、おわかりの通り私たちが一番たくさん聞いて歌うハレルヤがあります。私はそのハレルヤの曲を聞きながら、私は音楽を知りませんが、とてもよく作られています。絶対、聖霊の感動がなければできない賛美です。聖霊の感動がなして、どのようにメサイヤという言葉でその曲を作れるでしょうか。
▲本来、アインシュタインも勉強をできなかったということです。記録に見れば、幼い時、勉強が本当にできなかったということです。それでアインシュタインが日記帳に落書きを見れば、全部、おかしな落書きをしたということです。国語の先生の顔も描いて、国語悪魔、数学の先生の顔を描いて数学悪魔、全部みな悪魔となっています。そのようなある日、服を着替えたのです。神様の大きい力の服に着替えました。
▲皆さんおわかりの通り、韓国で最高の復興運動した人がだれなのか分かるでしょう。その人が不良のキム・イクドゥです。チンピラでもなくて不良です。この頃の言葉ですれば、やくざです。この人がいつもおかしなことして、人々がどれくらいいやがったかというと、市場に行く時、石を投げながら祈ったということです。今日、キム・イクドゥに会わないようにしてくれと。この人がある日、長老に伝道されて変化し始めたのです。長老が学のある長老ではないが、農作業をしていた長老だったのですが、この人が福音を伝えたのでした。それでキム・イクドゥが福音を受けました。その時からキム・イクドゥがすばらしい服に変わったのです。この人を通じて神様がみわざを起こされました。おもしろい話もあります。ある日、恵みを受けてイエスを信じて伝道してくるのに酒飲みに会ったのです。昔にキム・イクドゥがそうでした。キム・イクドゥが相手に文句を言って歩いたのです。とても悪口を言われたので、キム・イクドゥは腹が立って殴ろうとして耐えたのです。あまりに腹が立つようにさせるから下手するとだまされるのです。その時、壁を殴ったということです。それとともに、キム・イクドゥが残したおもしろい話があります。イエスは私が信じて、恵みは君が受ける。昔ならば、殺したのにということです。この人が何をしたのか分かるでしょうか。1900年代初期に韓国教会をひっくり返しました。この人の服が変わったのです。
(2)皆さんが今、信仰の服を着なければなりません。常に着なさいということです。
▲レムナント7人がこの服を着たのです。すばらしい神様の働きを受けました。初代教会、ルターもそうで、みなそうだったのです。
(3)皆さんが祈ってあきらめないように望みます。
▲あきらめてはなりません。途中でとりなしの祈りも、他の人のことを祈ってあきらめてはなりません。必ず神様の働きが起きるようになっています。アウグスティヌスは、心に傷が入って霊的問題が入ってきて人が崩れたのです。ところで、そのお母さんがずっと祈ったのです。皆さんが祈る時に起きることを霊的に知っているでしょう。皆さんがため息をついて気をおとす時、起きる霊的なことを分かるのでしょうか。皆さんが毎日悩んで、他の人の悪口を言って、他の人を非難して誤解すれば、霊的状態がどうなるのか分かるでしょうか。ところで、このアウグスティヌスがますますおかしくなったのです。ですから気落ちするしかありません。多くの方がアウグスティヌスのお母さんを見て、祈らないでと言いました。ところで、アムブロスという監督が重要な話をしたのです。絶対に契約を持った者の祈りは無駄にならない。必ず時刻表が来る。あきらめてはならない。そして、涙の子どもはほろびない。その話をしたのです。モニカがその話を聞いて信仰を握って祈り始めました。今までおわかりの通り歴史上アウグスティヌスほど大きい人物が出てきたこともあまりありません。この人が霊的に服が変わったのです。暗やみの勢力が触れない服を着たのです。とても重要です。
▲暗やみの勢力が皆さんを触れば、静かに置いておけば皆さんの子どもまでずっと触ります。暗やみの勢力が目に見えなく皆さんをずっと攻撃するのです。それでこの服を着なさい。そして待ちなさい。重要な答えが来るようになっています。皆さんが持っている考えの中で、一つが私たちの基準で私はこれでだめだと思うこともあります。私は力がないと思う方もいるでしょう。それが今、逆に悟ったのです。神様が皆さんを救われたので、今はこの服を着替えてカナンの地に行きなさいということです。行く道に神様は驚くべき働きをすることができるのです。
▲今日、この契約を握って皆さんが大きい勇気を出すように願います。ある人は勇気を出せという言葉を聞いて、勇気を出して人と戦うのですが、そんな話ではありません。信仰の大きい勇気。よし、勇気を出して家に行って夫にこっちに来いと言う方がいます。よし、勇気を出して隣の人と戦う、そのような勇気ではありません。信仰の勇気です。この服を着る皆さんなることをイエス様の御名で祈ります。今週にも皆さんに証しするほどの答えがくるようになります。今日、この契約を握った人に病気が離れるようになります。今日、この契約を握る人に大きい暗やみの勢力は崩れる日になると信じます。
(祈り)
神様に感謝します。私たちの錯覚を脱いでしまうようにさせてください。この信仰の服を着る重要な時間になるようにしてください。カナンに向かっていく大きい勇気を持つ時間になるようにしてください。それで病気が離れるようにしてください。不信仰が崩れるようにしてください。すべての呪いが縛られるようにしてください。すべての暗やみの勢力がなくなるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)



第2部:あなたがたのために非常に労苦したマリヤに
(ローマ16:6)

〓要約資料〓
→序論
▲私たちのレムナントは主役になるだろう。主役になるために、必ず一つ考えなければならないことがローマ16:6節だ。結論から出すと、皆さんが主役になるためには目に見えない助演が上手でなければならない。
▲ところで先に解決しなければならないことが一つある。
(1)貧困-私が貧しい時、重要なこと2つをした。だれも入らない現場にずっと入った。そして勉強を継続した(本を読んだ)。
(2)弱点-これで気をおとす必要はない。弱点もよく活用すれば、とても祝福される。
(3)労苦したマリヤ-記録がなくて、だれなのかもなくて、どんなことをしたのかもなくて、ただ1節、労苦したマリヤと言われている。
▲労苦という単語を原文で見れば受難。だれのために仕事をしたのか。福音のために労苦した。本当に神様の前で福音のための働きならば、とても重要な働きになる。
(4)レムナントに言わなければならない。主役になろうとすれば助演が上手でなければならない。成功しようとすれば、目に見えない労苦がさらに重要だ。
1.旧約聖書で目に見えないように労苦した人々
(1)カレブ(民14:1-10、ヨシュア14:6-15)-カレブはモーセ、友人であるヨシュアにモーセに仕えるように仕えた。
(2)ラハブ-隠れた労苦をした。
(3)オバデヤ-アハブ王の下でオバデヤが預言者100人を隠して養った。それがイスラエルの歴史を変える驚くべき事になった。
2.新約時代に神様の前で隠れて労苦した人々
(1)ニゴデモ-ヨハネ19:38-42節を見れば、みな逃げた時、イエス様の葬式を行った。
(2)テオピロ-使徒1:1、ルカ1:3、総督になった人だ。
(3)ガイオ
(4)ピレモン
(5)プリスカ夫婦
(6)名前がまったくなく労苦した人々が多い。
3.教会史に隠れた人々
(1)マルティン・ルターを助けた人々-だれが助けたのか知らない。皆さんがしている小さい労苦が教会史を変える。
(2)ウエスレイを後から助けた人々
(3)ムーディーを後から助けた人々- 18-19世紀が変わった。
▲ひとりの隠れた労苦がどれくらい重要なのか。
*結論
▲皆さんは神様の子どもだ。皆さんは神様の祝福を受けなければならない重要な人々だ。それなら、今から神様の前で3つのことをしてみなさい。
(1)祈り-本当に神様の前で祈り始めてみなさい。そうすれば、大きい力、健康が回復する
(2)伝道-神様の前で伝道計画たててみなさい。そうすれば、行く所ごとに復興する働きが起きる。
(3)献金-神様の前で献金計画をたててみなさい。この時、経済の祝福がくる。
▲神様の前でこの三つを考えるようにしなさい。必ず捜し出さなければならない。そうすれば、皆さんの生活であかしするしかない答えがくる。皆さんがもう答え受け始めれば、すべてのことが変化する働きが起きる。
▲コラム・デオ!(神様の前で)皆さんが今週に神様の祝福を受けるように願う。今週に証拠を見るようになることをイエスの御名で祈ります。
(The end)

〓録音資料〓
→序論
▲レムナントは主役になるでしょう。主役になるために必ず考えなければならないことが一つあります。それが今日のローマ16:6です。結論から出します。皆さんが主役になるためには、目に見えない助演を上手にすべきです。皆さんが家でも、教会でも、会社でも、目に見えない労苦がとても重要なのです。私たちのレムナントは、必ずそれができなければなりません。
▲ところで、先に解決しなければならないことが一つあります。これは私が経験してみたことなのですが、皆さんも同じでしょう。
(1)私と我が家の貧しいのは、どうするのでしょうか。
▲このような時に、人々はまた失敗をします。私が本当に幸いなのは、たぶん性格なのでしょう。とても貧しいことが私のそばに来ていました。それも一番重要な時期でした。ところで、この時、私が2つのことをしたのです。私が貧しくて、何もできなくて、とても貧しかったのです。今でも世の中ではチョ・ウンテク牧師を一番有難いと考えています。なぜなら、私が学生の時、ご飯も買ってくれて、鶏の丸焼きも買ってくれて、もちろん、自分が食べるためですが、ジャジャン麺も買ってくれました。ほとんど100%チョ・ウンテク牧師がみな買ってくれていました。本当に有難い友人です。私がないのをよく知っていました。それで一度、見たらたくさん買っていました。ずっとおいしいものを買いました。後ほど分かったら、学校の学費を出さなくて、それまで買ってしまったのです。今ならば、学費を出さなかったら、授業に出られませんが、昔には話せば良かったのです。本当にすごい友人でした。今はチョ・ウンテク牧師に会えば、無条件に私がご飯をおごります。ある時、私にきてお金が必要だといえば、尋ねることもせずあげます。あまりにも昔にたくさん食べさせてもらったからです。
▲ところで、私が貧しい時、重要なことを2つしました。それは神様の恵みです。最初、私が何をしたかとういうと現場に入りました。だれも入らないで、入れない現場にずっと入ったのです。私はこれがそのように祝福になるとは思いませんでした。そして、一つしたことがあります。勉強を継続しました。勉強をしたということは、本を読んだのです。本だけ読んでいてはいけないでしょう。現場に入りました。この2つのことを今、考えてみればよくしたと思います。それで、私はレムナントにお願いしたいのです。お金がなくて、使いたくて、お金を借りて使います。そんなことはしてはいけません。それはひどい無能です。私が持っているお小遣より使うのが多い。それはとても危険な人です。自分が出して遊んで使うのが収入より多いということは、その人はとても悪い人になる可能性が高いのです。私が知っていることでは、成功しにくいのです。もし女性のレムナントが、そのような人に嫁に行くと、死ぬ時まで苦労します。ところで、とても難しくて貧しい時、使いませんでした。なぜなら、なかったからです。それでは、まぬけであってはいけないでしょう。その時、発見したのですが、神様が最も喜ばれる、最も重要な現場に入ったのです。そして、ずっと本を読みました。私に助けになる本。いろいろな力を得なければならないためでした。もちろん、学科の勉強もしなければならないのですが、本を読みました。ところで、それが今でも役に立つのです。それで、私はレムナントに話したいのです。皆さんがキリストの中にあるから、福音をよく聞きながら、良い本を読めば、良いことが多いのです。少し参考に言うと、私の場合には、指導者の本をたくさん読みました。それを必ず読まなければならないというのでなく、私はそれがおもしろいのです。それで読んでみたら、指導者はこのようでなければならない、こういうものをたくさん読んでみました。
(2)私たちには長所もあるが、弱点もあります。これで皆さんが気をおとす必要はありません。これを長所は話す必要なくて、弱点もよく活用すれば祝福になります。
▲私に幼い時からあった弱点があります。その弱点が何かというと、今でも消えないであります。私がメッセージの時、話しているでしょう。私が幼い時、想像以上に恥ずかしがり屋でした。これが普通の弱点でしょうか。他の人の前でとても恥ずかしかったのです。それで、今でも忘れないで思い出します。教会で礼拝をささげるのに、クリスマス日、発表するではないでしょうか。前に出てきて歌を歌おうとするのに、伴奏が出てくるのでしょう。それで地面だけ見れば良いのに、前を見たら人々がたくさん座っていたのです。その時、正確には知りませんが、2年か3年になった時です。そのように歌を歌おうとすると声が出てこなかったのです。とても恥ずかしくて、それは弱点でした。前で歌が出てこなかったのです。それで感づいた伝道師がもう一度、伴奏をしなおしたのですが、また声が出てきませんでした。どれだけ出てこないかというと、だんだん恥ずかしくなったのです。結局、私が歌を歌うことができないということを伝道師が判断したのか、入れと言ってくれました。それなら、私がそのようにバカでしょうか。そうではありません。それでも、私がそのようにIQが低いのでしょうか。そうでもありません。これで、歌を歌えないで入る私の心情を考えてみてください。狂いそうでした。それが、私が幼い時に受けた傷です。このように恥ずかしがり屋なのです。また、そうしたら、それが胸の中に残っていてみるから、私の息子が歌いに出て行く時、私が祈りました。私のようにならないようにしてくれと祈ったのです。ところで、私の息子は全く関係なく、母親に似たのか、口を大きく開いて歌を歌いました。そして二番目の傷があります。私がとても幼い時、6年の時は、冷蔵庫がなかったのです。暑ければ、私はアイスケーキを買って食べていました。ところでアイスケーキはだれでも売ることができました。町内の村に、私より一歳下の弟が、アイスケーキを売って、海水浴場に行こうと言いました。これで行ったのですが、アイスケーキ一箱ずつ運ぶところから問題が生じたのです。これを売ろうとするなら、アイスケーキと声を出さなければなりません。それも、普通にしてはいけなくて、節をつけて言わなければなりません。ところで、しようとしても、出てこなかったのです。私が大変なことになったと思いました。人いない所だけ歩き回りました。声を出せなかったのです。ところで、私より一歳下の子は、まさに熟達したように町中が鳴るように縫って通いました。今日は私が大変なことになったと思って、それをかついで一人で歩き回ったのです。それで通りすぎたら、この子がみな売って帰ってくるところでした。私は一つも売れませんでした。口を開いて声を出さなければならないのに、その子はみな売ってきたのです。それとともにこの子が言うのに、今日よく売れると言いました。私を見てたくさん売ったかと尋ねました。一個も売れていませんでした。それで、そのままあいまいに話しました。そして、この子はまた売りにでかけたのでした。夕方に箱をかついで帰ったら、みな溶けていました。それで棒だけ残っていました。この棒は溶けたのと溶けなかったのが見えます。社長が見て、なぜ売らなかったかと尋ねました。アイスケーキと言うべきなのに、それができなくて売れなかったということは言えず、バカのようにまごまごしました。私より一歳下の子は売って、お金をもらって、その子について遊びに行ったのでした。私がその時、その子を見ながら、すごい子だと思ったのでした。私は絶対に声が出ませんでした。そのように恥ずかしがりなのです。それで私はその子が出世すると思っていました。それで、時々、町の人々に会えば尋ねます。その子は何をするのかと尋ねてみるのです。それでは人々がナムポドンの酒場でラッパを吹いているということです。それで、やはり吹くのを上手にするんだなと考えました。
▲もう一度は、やっと私が心を入れかえて堕落していたところから、信仰生活を始めました。信仰生活を始めたら、教会が良いでしょう。教会も行っていたら、子どもたちが水曜礼拝をささげていました。私はそれが、さらに恥ずかしかったのです。私が子どもたちの後に座っていたら、司会の先生がこの賛美を歌ったら、柳光洙先生が祈ると言いました。今は祈りは普通にしますが、その時、祈りがなぜそんなに難しいのか、目の前がまっ暗になりました。完全に新しい信徒でした。新しく来た人がそんなことにあったと考えてみてください。私がその時、できないと言えば良いのに、神様、感謝しますと祈りを始めたのです。特に感謝することもなかったのですが、ひとまず感謝しますと祈り始めました。それで出てこなかったのです。私の性格が、どれくらいそうでしょうか。弱い性格です。祈りが出てこなかったのです。座っていたが子どもたちが、クスクス笑い始めました。私の生涯、そのような侮辱はありませんでした。そのような状況で、どのように続けていくのか。これが問題でした。教会に通わなければならないではないでしょうか。瞬間的に、頭がはやく回るのに計算をしてみたら、普通の問題ではありませんでした。そうするうちに、なんとかして出てきました。その時、悟った名言が、ネズミの穴があれば入りたいということです。そして、ぶつぶつ家に帰ってくるのにくやしかったのです。それで、私一人でこのバカが祈りもできないかと思いました。静かに私が考えてみたら、信仰がないとは思わず、祈りはよくすべきなのにしないからだと思ったのです。それでどれくらい頭にきたのか、母に明日の朝の祈りの時、起こしてくれと言いました。ひとまず練習をちょっとしようと思ったのです。そうしたら、母はとても衝撃を受けて、お前が聖霊に満たされたと言いました。それが私の性格です。今でも私は私にしろと言われたら、できません。説教は私が恵みを受けるからするので、今でもしろと言われたらできません。
▲今、私が一番尊敬する人がバスの中で商売をする人です。本当にすごいのです。その人々は、カバンを持って入ってきて、ポケットから物を取り出して本当に話しが上手です。今でも思い出します。ある人が乗ってきて、一つを売るのでなく、何を分けてあげると、その中にはさみもあって、ドライバーもあって、いろいろなものがありました。これはいくらかと尋ねれば、本来一万ウォンだが、今は千ウォンと言いました。皆さんこれを買えば感謝の意味で、ボールペンもう一つあげると言いました。その揺れるバスで、回りをつかんで話していました。そして1人1人の前に行って話したのです。買わない人々が大部分です。その日によって、だれも買いませんでした。おりながら、全く失望しない表情で運転手に挨拶しました。あれが千ウォンならば原価はいくらなのかと思いました。本当にすごい人でした。私はそれをできません。
▲ところで、この弱点がとても有益になりました。恥ずかしがり屋なので、考えて、考えて、ものすごい伝道を発見するようになったのです。これは本物です。私は伝道は歩き回るかけることだと思っていました。私は伝道が人々が行く時、伝道トラクトを渡すことだと思っていました。私は伝道が人の家に行ってベルを押して、ドアをあけて入ることなのかと思っていました。それも伝道ではあるのですが、私はそれが一番に恥ずかしかったのです。あるとき、あまりにも行けというので、アパートの門をたたいたら、あるおばさんが印象をとても悪かったのです。私がその時、発見したのですが、おばさんたちは朝早く訪ねて行くのを嫌います。化粧をしていないためです。寝て起きて、そのままの顔です。私はこういう伝道がとても難しかったのです。そのようなある日、発見しました。違う。私がいる場で証拠を見せるのです。これを分かったのです。私がいるタラッパンで証拠を見せるのです。私がいる地域で証拠を見せるのです。私はこれを発見しました。どれくらい感謝するのか、タラッパンを悟ったのです。この時から力が出るから、話しもするようになりました。どれくらい感謝なのかわかりません。
(3)さらに重要なのが三番目です。今日、労苦したマリヤと出てきます。
▲ここにとても重要なことがあります。私が一週間祈りながら、マリヤに対する記録を探してみたのですが、この人は記録がありません。この人はだれだ!こういうものもありません。この人がどんなことをしたか、それもありません。ただ1節があるだけです。労苦したマリヤ。労苦という単語の原文を探してみたら、受難でした。この人が、どこでどんなことをした。そのような記録がありません。ただ、だれのために仕事したか、それは私が悟りました。この人が福音のために労苦したということは悟りました。こうしながら、私が今週に一週間祈りながら答えを受けました。私は説教をそのまましているのではありません。私が力がないので、紙に一週間前にすでに準備して、次の週にすることは今日捜し出して、一週間中、ずっと考えています。考えるのに、これは答えが出てこなかったのです。神様が答えをくださらなければならないのに。何の記録もありませんでした。それで時間がなくて、注釈のようなものをよく見ないのに、注釈を探してみても、何の答えもありませんでした。そのまま原文で、労苦したという意味は、受難したという意味です。それだけでした。この時私がすばらしい恵みを受けたのです。神様はあらわれた働きも重くご覧になるのですが、あらわれなかった働きをさらに重くご覧になります。皆さんが本当に神様の前で福音のための働きならば、とても重要な働きになるのです。
(4)それとともに、私が得たもう一つの答えが、レムナントに言ってあげることでした。皆さんが主演になろうとすれば、助演も上手にすべきです。皆さんが成功しようとするなら、目に見られない労苦がさらに重要です。こうやって見ると、神様のみことばが心にあたってきました

1.旧約聖書に目に見えないように労苦した人々
▲旧約聖書に本当に目に見えないように労苦した人はだれでしょうか
(1)カレブです。
▲皆さん、カレブを知っているでしょう。ヨシュアと同じようにモーセに仕えた人です。モーセが死んだ後、ヨシュアは指導者になりました。カレブはまたモーセに仕えました。これは普通のことでしょうか。長老、副教役者は考えてみてください。これがの普通ことでしょうか。私はここで重要な人だと考えました。ヨシュアを友人ですが、モーセに仕えるように、また仕えたのです。すべての栄光はヨシュアにみな行って、カレブはまたお使いになりました。私はこれを見ながら、私たちが必ず助力者や2人者になれという言葉ではなく、私たちが瞬間、そんなことが必要な時があるのではないかと思いました。皆さんがどこかへ行って主演、主役をよくしなければならない時があって、助演が上手でなければならない時があります。重要なのです。それで、この労苦をしたマリヤに対する記録を聖書は永遠に祝福してほめています。同じように、モーセに仕えたのに、なぜあなただけみなするのか、こういう人はいるでしょう。同じように苦労したのに、なぜあなただけすべて持って行って、なぜ私を無視するのか。私はこういう人たくさん見ました。同じ働き人なのに、私をなぜ無視するのか。私はこういう人をたくさん見たのです。同じように苦労したのに、あなただけが良くなったのは何かと考える人をとてもたくさん見ました。それが小さい人物です。カレブは、またヨシュアに仕えました。その程度ではありません。そして難しい瞬間、自分がすべてしました。栄光はヨシュアが受けるのに、難しいことは自分がみなしたのです。ところで、この人に対する記録はたくさんありません。カナンの地に偵察に行ってきた時、十二人中の十人が見間違っていた時、その時カレブがまた現れました。ところで、その程度ではありません。カナンの地にみな入ったのですが、アナク山地が残りました。それを見れば、巨人がいる所でした。イスラエル民族が気落ちをしました。ここに入ってきて、私たちが死ねばどうするのかと言いながら、イスラエル民族が号泣して大騷ぎしたのです。この時、またカレブが現れました。立派な人です。私が見る時、神様の人です。この時、また現れました。現れて何と言ったのでしょうか。ヨシュアに話しました。私たちがカデシュ・バルネアで神様のしもべモーセに報告したではないのか。十人の偵察が行くことができないと言った時、私たちは信仰を持って報告したのではないか。すごいでしょう。すでに契約を持っています。その時、神様のしもべモーセが私たちをカナンの地に入ると言ったではないか。ところで、今、私たちが入ってきたではないか。それでは、神様が山地も私たちにくださるだろう。すごいのです。それとともに、このように話しました。私の年は85歳だが、その時と同じだ。若干、誇張でしょう。どうして、85歳と40歳が同じでしょうか。その時と同じだと言いました。それとともに、こういう話をしました。主がもし私とともにおられるなら。結局、その地を占領するようになりました。この「もし」という言葉は疑いではありません。自分を低くすることです。もし、ということは自信ではありません。神様に対する信仰です。皆さんが教会の仕事と職場、いろいろな所に行って神様の前で隠れた労苦をする者にならなければなりません。
(2)遊女ラハブです。本当に見つけられれば大変なことになるのにもかかわらず、隠れた献身をしました。
(3)旧約聖書に一番悪いのがだれでしょうか。アハブ王です。そのアハブ王の下にオバデヤが預言者百人を隠して置いて養いました。それがイスラエルの歴史を変える驚くべき事がなった事実を知らなければなりません。今日、皆さんが契約をよく握って帰らなければならないのです。

2.新約時代に神様の前で隠れて労苦した人々
▲新約時代にも見れば、本当に神様の前で隠れた労苦をした人々が、より大きい答えを受けることが多かったのです。
(1)ニゴデモという人を覚えていますか。この人がヨハネの福音書3章に、イエス様を訪ねてきたことを思い出しますか。この人がヨハネ19:38〜40を見れば、他の人がみな逃げて裏切ったのに、イエス様の葬式を行った人です。
(2)皆さんテオピロを知っていますか。この人は総督をした人であることが確実です。ルカ1:3を見ればテオビルロ殿(閣下)と記されています。閣下という言葉はだれにでも使う言葉ではありません。
(3)また聖書のガイオのような人物。
(4)またピレモンのような人物。
(5)また聖書でプリスカ夫婦のような人々。このように目に見えない多くの労苦をした人々がいます。
(6)この人たちより大きい労苦をした人が、名前が全くなく労苦した人が多いのです。今日祈る中で、神様の人ならば、大きい答えを受ける重要なことを捜し出さなければなりません。私は難しくないと思います。皆さんは神様の人だから、神様の前で仕事をすれば確かに答えがくるようになっています。

3.教会史に隠れた人々
▲教会史の学者が証明しました。今でもわかりません。
(1)マルティン・ルターが死刑を受けるために法で決まった時、だれが隠まってくれたのかだれも知りません。今でもマルティン・ルターに聖書を翻訳するように手助けした人がだれなのか正確な名前がまだわかりません。ところで、これが教会史を変えてしまいました。
▲皆さんがしている小さい労苦が、教会史を変えてしまいました。特にレムナントのために労苦する私たちの学校の多くの教師たち、そして多くの指導者の皆さんは、小さい労苦ではありません。マルティン・ルターが山に逃げて隠れていたので、だれかが手助けしました。ところで、だれが手助けしたのかわかりません。私は直接行ってみました。マルティン・ルターが隠れて聖書を翻訳した部屋に行ったのです。感慨無量でした。マルティン・ルターが教権に裁判を受けた教会にも行ってみました。多分、マルティン・ルターがあそこに立って異端の汚名を受けたのだろう。多分、あそこで死刑宣告を受けたのだろう。多分、マルティン・ルターが逃げて隠れて祈って聖書を翻訳した家を行ってみたら山の中にある家でした。そして、マルティン・ルターが聖書を翻訳する時、悪魔がどれくらい困らせたのか、インク瓶を悪魔に投げました。インク瓶を投げれば悪魔が逃げるでしょうか。逃げないから、ルターがひざまずいて祈ったのです。その時、ルターが残した話があります。犬と悪魔はひざまずけば逃げるということです。そのように私が行くやいなや、そこに行ってマルティン・ルターがインク瓶を投げた跡があると思ったのに、ありませんでした。ところで、ドイツで案内する人が私たちに説明をしました。あの壁にインクを投げたのですが、泥棒がきて壁を取っていったということです。事実、その泥棒は確実な泥棒です。それを取って、どうするのでしょうか。ドイツにそのような泥棒が多いのです。それだけでなく、マルティン・ルターが使った机を盗み出したので、親戚の家にある全く同じなものを持ってきたということでした。今でもわかりません。だれがマルティン・ルターを隠して助けたのか分からないのです。だいたいこの人だろうということであって、予測はあるが、まだわかりません。
(2)皆さんがする働きがそうです。ジョン・ウエスレイ後から少し助け、
(3)ムーディーを助けたのですが、18世紀、19世紀が変わるとは、だれも考えることができませんでした。
▲私が先週に忠州集会に行って小さい映画を見ました。多分、ヘレン・ケラーに関する映画ではないかという気がします。題名はブラックという映画です。かん養指導者学校学生たちに見なさいと言いました。映画でなく実話です。話もできず、見ることもできず、聞くこともできない人でした。ですから、どうなるのでしょうか。話もできず、見ることもできず、聞くこともできないので、自閉症になりました。あちこちひっくり返して大声で叫んだのです。ご飯を食べるのにも、スプーンで食べず、手ですくって食べました。ところで、先生1人がその子をつかまえて直したのです。先生がすごかったのです。その子を握って引続き直しました。問題は両親でした。両親がだめだと言いました。うちの子はそのようにしてはいけないと言ったのです。ですから、先生はそうではない、この子はこのようでなければならない。最後まで直さなければならないと言ったのです。それで、両親が先生を首にしました。先生は出て行かないで継続しなければならないと言いました。ご飯をスプーンで食べろと言ったら、手で食べました。ですから、手を握って食べないようにしたのです。両親がいた時、そうでなかったのです。結局、お腹がすいているからスプーンを持って食べたのです。このような形で教えて大学まで送りました。そのような映画です。私が見たら、実際にあった事が多いのです。ヘレン・ケラーがそうでした。本当にひとりの隠れた労苦というのが、どれくらい重要なのか知ることができます。

*結論
▲皆さんは神様の子どもです。ここに来られたすべての方は、神様の祝福を受けなければならない重要な人々です。それなら、今から神様の前で3つのことをしてみてください。
(1)祈り
▲皆さんが全く違うこと思わずに、本当に神様の前で祈りを始めてください。神様が目に見えないでしょう。本当に神様の前で祈れば、大きい力ができます。特に健康が回復します。
(2)伝道
▲二番目です。本当に神様の前で伝道計画を立てなさい。そうすれば、皆さんが伝道をする、行かないは問題でなく、皆さん行く所ごとに復興するみわざが起きます。間違いありません。
(3)献金
▲そして、三番目です。皆さんが神様の前で献金しなさい。
▲これは、私の経験です。この3つです。いっしょに祈ることも重要ですが、神様の前でする祈り、私たちが多くの働きが重要ですが、神様の前で考える伝道。神様の前で考える献金。この時、経済の祝福がきます。私は昔にはそんなに考えなかったが、今は悔い改めています。
▲それで、インマヌエルからインマヌエルソウル、釜山から実践しなければなりません。大人たちは自分ですべきですが、小さい子どもたちまで、教会で作った通帳を与えなさい。皆さんの息子と娘、孫、こういう子どもたちが、自分たちの手で教会建築、宣教献金するのを習わなければなりません。それで、その子どもたちがはじめにはお手伝いをして、父親母親がさせるとおりにして、この子たちが神様の前で考えるようにさせなければなりません。ここまでが皆さんがする教育です。皆さんの子ども、皆さんのレムナントが生きていく間に、一度も神様の前でこの3つのことを考えなかったとすれば、どうなるでしょうか。私はこの3つで答えを受けました。もちろん、いっしょに祈ること、徹夜祈り、朝の祈り、みな重要ですが、私が神様の前でするのです。必ず捜し出しましょう。そうすれば、皆さんの生涯にあかしするしかない答えがきます。答えがくれば、あかしができることが生まれるでしょう。話す必要がありません。答えを受ける人は違います。答えを受ける人は何かが違います。答えを受ける人は力があります。答えを受ける人は、不平不満のようなことは言いません。答えを受ける人は、すでにメッセージを聞くことから違います。聞く感覚から違うのです。考えてみてください。あることを自慢するしかないのではないでしょうか。私が昔におもしろい映画を見ました。私がその映画を見ながら、どれくらい泣いたのかわかりません。私が学校に行ってだれも話さないのに話していました。私が映画宣伝部長でもないのですが。そのまま話しました。ですから、皆さんが答えを受けるようになれば、全てのものが変わるみわざが起きます。簡単です。
▲神様の前でです。神様の人だけ分かる単語です。ラテン語で、コラム・デオです。私は大学を高神大学を出たのですが、その人々に学んだことはありませんが、学校で重要なのを一つ習いました。その人々が教会で私は習っていません。学校に入学したら、バッチを付けてくれました。それがラテン語で書いてあったのです。コラム・デオです。コラムが何かというと、「前で」(in front of)、デオは神様です。それが心に届いたのです。皆さんが今週に神様の祝福を受けるように願います。今週に証拠を見るようにイエスの御名で祈ります。

(祈り)
神様に感謝します。新しい力を与えてください。癒してください。私たちのレムナントの傷を癒してください。現実を見て崩れないように祝福してください。神様の前に立つようにしてください。大きい答えを味わうレムナントと私たちの使命者がなるようにしてください。イエス・キリストの御名で祈ります。アーメン
(The end)