2010年3月28日 聖日礼拝  場所:インマヌエル教会 講師:柳光洙牧師


第1部: 聖なる香油
(出エジプト記30:22-33)


〓要約資料〓
→序論
▲イスラエル民族が荒野を行く中での特徴が不安だ。難しい。そして、カナンの地も行ってみてこそ分かるが、多くのことが待っている。さらに残念なのは内部の問題だ。不思議にしきりに反対して、不信仰を話す人が荒野に行く間に度々できる。私たちと全く同じだ。私たちが人生を生きていくのにそんなに簡単ではない。そのうえに、さらに難しいのが無気力で、無能で、経済もまたすべての部分に難しい。私たちの人生の道を通り過ぎるようだ。
▲この時、神様がくだされた大きい命令がある。幕屋を作りなさい。幕屋中心で暮らしなさい。荒野を行く間に...行っても神殿を作りなさい。そして神殿中心に暮らしなさい。
▲そのような中に今日、重要な話をされた。
(1)香油を作りなさい。
(2)神殿のすべての器具に塗りなさい。
(3)アロンと祭司のからだにふりかけなさい。
これがとても重要なみことばだ。こういう高価な油をすべての神殿の器具に、すべての家に塗ればどうなるのか。神殿に入れば、香油のかおりがぎっしり埋まるのだ。聖霊の満たしの予表だ!聖霊に満たされなさいということだ!
▲皆さんの信仰生活で、最も早く受けなければならない答えが何ですか。皆さんが受けなければならない祝福の中で、最も早く受けなければならない祝福が何ですか。聖霊の満たしを与えるから、その力から得なさい!私たちの力でとうていできないから、聖霊の満たしを受けなさい!
▲今日、私たちは簡単に契約を握らなければならない。
1.聖霊に満たされなければならない理由
(1)聖霊の力でだけ神様の働きを悟れる。
1)ローマ8:26、聖霊が私たちの弱さをご存知で、私たちはじっとしているのに私たちのために祈られると言われている。
2)ヘブル9:14、私たちは仕える力がないのに、聖霊によって仕える力ができると言われた。
(2)聖霊の働きで、神様の力を体験することができる。
▲Iサムエル16:6、Iサムエル16;13、ゼカリヤ4:6、ヨエル2:28、Uコリント1:21、Iヨハネ2:20
▲皆さんの問題の中には、葛藤の中には神様の計画があると見て、私を聖霊で満たしてください!私に聖霊の力を与えてください!祈ってみなさい。そうしてこそ、世の中に勝つことができる。
(3)聖霊で霊と肉がいやされる働きが起きる。
▲たましいをいやすには、聖霊しかない。イザヤ1:6、ルカ10:34、使徒1:8聖霊に満たされなさい!聖霊の力を重ねて受けなさい!
(4)世の中にある多くの悪いことに勝てる力が出てくる(モーセ)
(5)世の中に勝てる力を得た人々の現場
▲聖書に見れば特徴が二つ出てくる。
山と川の話-世の中に勝てる力を得た人々の現場をいう。
3.握らなければならないより大きい契約
(1)旧約時代はイエス・キリストの影の契約で恵みを受けた。
(2)新約時代にはすべてみな完成された。
皆さんは聖霊に満たされるほどの祭司の祝福を受けた。
(3)聖霊に満たされた人々-レムナント7人、信仰の英雄
▲私は能力がないと錯覚してはならない。イエスを信じる瞬間、みなさんは神様の子どもになる権威が与えられた。イエス・キリストの名前で祈って聖霊に満たされれば良くなる。
4.結論-この人たちが油をどこでみな集めたのだろうか
(1)エジプトに暮らしていた時、持っていたこと、それをみな出せということだ。
(2)ルカ7:36-50、罪を犯した女がきてイエス様に油を塗った。
(3)マルコ14:1-9、イエス様に香油を注いだ女性、イエス様がこの女がしたことが福音が宣べ伝えられるすべてのところであかしされると言われた。
▲今日一つだけ決断しなさい。礼拝時間に聖霊で私に働いてください!私の事業に働いてください!私の現場に働いてください!祈ってみなさい。直ちにこないようでも、後ろを振り返れば働きと人生を通して完ぺきに答えが来ている。
(The end)

〓録音資料〓
→序論
▲今日、私たちのウルサンと全国、世界、神様の民が神様のみことばを受けるようになることを希望します。なぜなら、皆さんは神様の民であるためです。
▲レムナントに何を教えれば良いのでしょうか。世の中が本当に美しい。このように教えなければならないのでしょうか。そうでなければ、世の中は本当に悪い。このように教えなければならないのでしょうか。育ってい子どもを世の中に送りだすのに、世の中が美しいことだ、とても否定的と思うな。そのようにすべきでしょうか。世の中が本当に怖いから用心しなさい。そのようにすべきでしょうか。世の中に出て行くレムナントがたくさんそんなことにあうでしょう。
▲ある研究する青年がこのように話しました。自分が数年かかって油の研究をしたということです。油をまた使えるように研究をしたのです。すごいでしょう。ところで、うまくいくと思ったのですが、これが通常の問題ではなかったということです。油を売っている力がある人々が、それをまったく上がってくることができないようにするということでした。自分は理解できないと言いました。油を新しく使うようになれば、資源も多くなって、経済も生かされて、みんな生かされるのに、自分の利益だけ見て妨害をするのでしょうか。それで邪魔するほどではないと言いました。自分をあたかも殺しそうだということでした。それで不安だと、こういう相談を私にしました。
▲ある教授が、このような話をまた私にしました。ある地域に政治で出馬したのです。とても良い人だったのに、自分と敵になるから変に出てくるということです。ある、ない、嘘で言わないことがありませんでした。特別に政治家たちが、みなそのようにするのですが、その人はひどすぎたということです。この人は、とても立派な方なのに、とても人生を生きるのが汚いと、そのままあきらめたそうです。私たちは子どもたちに、何と教えるべきで、私たちはどのように理解すれば良いのでしょうか。この話も、あの話もみな正しい言葉で、参考にしなければなりません。
▲イスラエル民族が荒野を行く中の特徴が何でしょうか。不安です。荒野の特徴が難しいことです。エジプトがいつ追いかけてくるかもわかりません。そして、カナンの地にも行ってみてこそ分かるでしょうが、今、多くのことが待っています。さらに残念なのは内部問題です。不思議に、しきりに反対して、不信仰の話をして、荒野を行く道にそのような人々が生じるのです。信仰で話して、力を合わせてもできるかできないかと思うのに、不信仰で話して、その人々も聞かなければ良いのに、動揺させたりそのようになります。本当に不思議です。エサウの子孫がずっと邪魔するのです。エサウの子孫は、エドム族です。ずっと邪魔する作業をします。そういう血統なのかしばしば妨害します。イスラエルは今、荒野を行く中で難しいのです。
▲私たちと全く同じです。私たちが人生を生きていくのにそのように簡単ではありません。そうであるうえにさらに難しいのは無気力です。だれかが困難を与えても私が力があれば良いのに、私が力もありません。荒野を行く道に経済とすべての部分が難しいのです。そうではないでしょうか。定着していても難しいのに、荒野を行っているのに。人生の道を通り過ぎるようです。
▲この時、神様がくだされた大きい命令があります。引続き出てくる中に大きく話してしまえば何でしょうか。幕屋を作りなさい。その命令です。幕屋中心に生きなさい。荒野を行く間。行っても神殿を作りなさい。その神殿中心に生きなさい。このようにおっしゃられました。それなら、とても重要な話となります。その中で、これも作って、あれも作ってしながら、一つずつ一つずつ出てきています。あらましどんなことか思い出すでしょうか。燭台も作りなさい。あるいはパンの机も作りなさい。などという話がたくさん出ています。手と足を洗える洗盤を作りなさい。これが先週のことでした。手と足を洗う水を入れる洗盤を作りなさい。これをそのまま読み過ぎることはできます。ところで、手と足を洗いなさいという言葉は何の話なのでしょうか。洗って礼拝を正しくささげなさいということではないでしょうか。礼拝をささげるのに、そのままささげるのではなく、外で足に何がたくさんついたから洗って、手も洗ってそのように入ってきて、礼拝をささげなさいということではありません。特に祭司がそのようにしなさい。そのみことばです。
▲皆さんが礼拝だけ正しくささげても、1年だけ過ぎても証しすることできます。この幕屋を中心に生きなさいというこのことばがとても簡単ですが、重要なみことばです。聖書をたくさん読まないでもかまいません。聖日に教会で人の話を聞かずに、神様のみことばだけよく考えても、すばらしい変化が起きます。おもに私たちは説教を聞くから人の話を聞くようになります。長老が祈られるから、人の祈りを聞くようになります。また、私たちが聖歌隊で賛美をするから人が賛美をします。このように度々見るようになります。神様がなぜ私が生きていく間に、ここであの牧師を通してこのみことばを聞くようにされるのか。それでは、あの長老はどのようにして、あの祈りをするようになったのか。いったいこの賛美はどんな賛美なのか。少しだけ考えてもかまいません。これを大部分しないのです。皆さんが少しだけしてみれば、皆さん自身にすばらしいいやしがおきます。答え以前に、霊的いやしから起きます。こうしたことがキム・キルテ、カン・ホスン(暴行殺人事件の犯人)に一度もなかったのです。ですから霊的に死ぬのです。外側に出て行ってみなさい。多くの人々がそのまま熱心に生きています。一度も自分をストップさせておいて神様の前に立ったことがありません。
▲そのような中に、今日、重要な話をされました。今日は、この間よりさらに重要なみことばです。一つずつ、一つずつ、重要なみことばが出てくるでしょう。私は出エジプト記だけ持っても信仰が回復することができると思っています。そのような中に何が出てくるのでしょうか。
(1)香油を作りなさい。今日の本文がそれです。香油を作りなさい。それも、没薬、肉桂、におい菖蒲、桂枝、オリーブ油、こういうものを混ぜて作れということです。みな覚える必要はありません。そのように作れと出ています。そして、何となっているのでしょうか。
(2)神殿のすべての器具に塗りなさい。そして何となっているのでしょうか。
(3)アロンと祭司のからだに注ぎなさい。このように出てきたのです。
▲これがとても重要なみことばです。こういう高価な油をすべての神殿の器具に塗れば、どうなるのでしょうか。簡単に話せば、どうなるのでしょうか。家中に塗れば、どうなるのでしょうか。それでは神殿に入ればどうでしょうか。香油のかおりがぎっしり満ちるでしょう。まさにそれです。これをジャン・カルヴァンとすべての神学者が同じ答えを出しました。何でしょうか。聖霊に満たされる予表です。聖霊に満たされなさい。そこに対するみことばで統一してみな見ました。
▲私もそのように考えます。信仰生活に最も早く受けなければならない答えが何でしょうか。皆さんが受ける祝福の中で最も早く受けなければならないことが何でしょうか。聖霊の満たしを与えるから、その力から受けなさい。私たちの力でとうていできない状況もあります。聖霊に満たされなさい。率直な話で、私たちがウルサン福音化、首都圏福音化はできません。どのようにするのでしょうか。ご飯を食べて生きていくことも忙しいのに。学生が学校に行って宿題して勉強することも忙しいのに、どのように学校福音化するのでしょうか。そして、私たちはウルサン、慶尚南道(キョンサンナムド)を福音化しなければなりません。しなければ、目に見えない暗やみが押し寄せるから、私たちはしなければならないのに、どのようにすべきでしょうか。私と皆さんには力がありません。ですから、神様が正確な答を与えられたのですが、聖霊の満たしを受けなさい。どう思いますか。ソウル、釜山、全国、世界にいる方々、どう思いますか。ウルサンで礼拝をささげる神様の民は、どう思いますか。
▲私はここに対して人生に最も重要なものと見ています。私はこれを見ました。私は幼い時から本当に難しい状況にあった私の母が、また何人かの祈る方が祈るのに、聖霊の働きが何か分かりました。ある面では、私が皆さんに仕えるのに、一番重要な開始であったかもしれません。私が祝福を受けて、この場まで今日きたのですが、それが開始かもしれません。これは世の中の人々が分かることができません。聖霊の満たしをどのように分かるのでしょうか。教会に通う人もしらないのに。ところで、聖書には最も強く約束されました。外に出て行って、難しい中に仕事をして、家に帰ってきて私たちを育てなければならないのに、教会に行ってとても祈りをしました。ところで、どんな事が行われたでしょうか。私は想像もできないことです。神様がどのように働かれたかというと、私と私の家族が一度も病気になりませんでした。これがありえることでしょうか。医師もたくさんおられるのですが、どれくらい気分が悪いことでしょうか。長老も医師ではないでしょうか。分かることでしょうか。一度も病気になりませんでした。私は聖霊の働き、聖霊の満たしをその時は知りませんでした。どれくらい祈ったのか、一生、生きてきた間に、私たちが一番難しいのが何でしょうか。経済ではないでしょうか。率直に。とても生きていくのに経済が難しいのですが、神様は一度も私たちを経済のために困難にあわないようにさせられました。私はこれを見たのです。そして、その村が火事に会って、戦争に会って、このように集まった人々でしょう。その方たちに申し訳ないのですが、率直にみなほろびました。その中で、唯一祈る人が私の母でした。みな教会通って止めるのに、教会に最後まで行って礼拝をささげて、神様の恵みを受けた人が私の母です。驚くべきことに、私が全国、世界を歩き回りながら健康に福音を伝えて、今日もここにウルサンまできました。私は来ながら思ったのですが、私が思っても不思議に思います。私より立派で健康な方々が、一地域を引き受けてすることも大変だというのに、私は町中を歩き回りながら、このことをしています。これが神様が与えられた証拠の中の証拠です。
▲それで、私は何もすることがありません。ある人はあかしが多いと言うのですが、私はあかしがありません。なぜならば、福音、みことばを握って祈って、価値もない私が答えを受けたがあかしになるでしょうか。私たちの世界福音化新聞社で自分の一代記を書くと言ったのですが、私は話すことがないと言いました。本当に記者に私は話すことがありません。必ず話をしようとするなら、昔に恥ずかしい、それしかないのに必ず恥ずかしいのを話すべきでしょうか。本当に私は福音を握ってそのまま祈りだけ継続したのですが、神様がこのようにされたので、本当にあかしする必要がありません。それで多くの方は教会で不平不満を言いますが、私は不平もありません。例えば、私がすべての財産をみな教会に捧げたのに私がほろびたとします。私を教会から追い出すといえば恨むでしょうが、私は何もしたことはないのです。私のような足りない者に教会で謝礼金として給料もくださり、通いなさい交通費もくださり、世界福音化しなさいとくださるのに、話す言葉がありません。ある人は問題がきた、とてもこの話、あの話、みなするのですが、私は話す言葉がありません。理由があります。神様がどのように働かれるか、私はそれをたくさん見たからです。
▲難しい部分は静かに置いても解決されます。特に神様の人は神様の方法でしなければなりません。未信者も同じです。最も重要なことだと思います。すべての香油をすべての神殿に塗りなさい。入ってくるすべての信徒が、このかおりをかぐようにさせなさい。このかおりがすべて外側に出て行くようにさせなさい。その言葉ではないのでしょうか。
▲今日、私たちは簡単に本当に契約を握らなければなりません。

1.聖霊に満たされなければならない理由
▲聖霊に満たされる理由は何でしょうか。
(1)聖霊の力だけが神様の働きを悟ることができます。
▲世の中も大きい仕事をしようとするなら、人間の方法でできるのでしょうか。ところで神様の働きだけはそうです。ひょっとして高齢な方々、ファン・ソンス博士を知っていますか。名前を名指して申し訳ないのですが、立派な方でしょう。その方は裁判官もして、国会議員もして、立派な方でしょう。弁護士もして、本当に立派な方です。ところで、その方が職業がもう一つありました。何でしょうか。牧師でした。ところで、その方が告白しました。他のものはできるのに、牧会は自分の思いのままにはできない。その人はその難しい時期に、司法試験にも簡単にパスした人で、国会議員も簡単にした能力ある方です。後ほど米国へ行って教会をしてみたら、教会がうまくいきませんでした。そうでしょう。今日、私たちは神様の働きに対する奥義を悟るには、知識だけではだめです。
▲ローマ8章26節に何とおっしゃったのでしょうか。聖霊が私たちの弱さをご存知で、私たちはじっとしているのに、私たちのために祈ってくださるとなっています。
▲ヘブル9章14節に何となっているのでしょうか。私たちには仕える力がないのに、聖霊によってその仕える力ができるとなっています。
(2)聖霊の働きでだけ、神様の力を分かるのです。
▲Iサムエル16章6節に、サウル王にサムエルが油を注いだら、力が臨んだと言われています。
▲Iサムエル16章13節に、ダビデに按手して、油を注いだら聖霊の力が現れたと言われています。
▲ゼカリヤク4章6節に、このようにおっしゃっています。私たちが権力でも力でもできないが、主の霊によってできる。皆さんが今日礼拝する中に心よりみことばを握って、神様、私を神様の聖霊で満たしてください。この祈りだけ礼拝の時ごとにしても、皆さんがいやされる働きが起きます。
▲そしてIヨハネ2章28節に、確かに将来の事をするようになって、未来と幻を見るようになるとおっしゃられました。皆さんの問題がたくさん起きることもあります。この問題の中には、全部、神様の計画があると思って、私に聖霊の満たしをくださいと求めて祈ってみなさい。これが方法です。私たちは葛藤がたくさん生じますが、葛藤の中に神様の計画があります。この問題の中に神様の計画があります。それを知って、それを握って神様、私に聖霊の力を与えてください。そうしてこそ、世の中に勝てます。
▲私はクリスチャンに会えばそのように話します。長老が大統領になりました。私はその方に会えば、そのように話したいのです。多くの声、野党の声、それが全部、神様の計画です。それを握って一度してみなさい。4大河川の事業を一人でせずに、野党で事を行って共にしなさい。功労を半分を向こう側に与えるならばなることではないでしょうか。一方でうまくいってはいけないから、ならないようにしようとする心理が生じます。皆さんが祈りの答えを受ける方法は簡単です。どんな問題も神様の計画があります。ある問題がきたように見えるのですが、その中には神様の祝福が、計画が入っています。前に話しました。ホン博士のあかしを説教の時間に聞きました。アメリカからきたが、妻が文句を言って、けんかになったということです。牧師が説教をしに行くのに牧師夫人がそのように文句を言っても良いでしょうか。あまりに文句を言ったので、けんかになったのです。どのくらいひどくけんかをしたのか分かりませんが、内容は発表しなかったが、ひとまずけんかをしたそうです。どの程度ひどくけんかをしたのでしょうか。飛行機に乗れなかったということです。ところでニュースで、その日その飛行機が爆発したということでした。妻がケンカをふっかけるのもハレルヤです。
▲私たちは神様のどんな計画が隠れているのかわかりません。それで油でぎっしり埋まるようにしろということは、聖霊の力で満たされなさい。その時から働きが起き始めるのです。これは本当です。
▲それで私が信仰生活する中で、一つのことはできます。すべての人を神様の計画で見て祈り始めるのです。誤った人も許してあげながら祈ります。足りない人も手助けしながら祈ります。なぜか、その中に神様の計画が入っているからです。ところで、クリスチャンがこれをのがしてしまうから聖霊の満たされることがすべてなのに、実際に味を知らないのです。
▲Uコリント1章21節に、キリストにあって堅固にして油注がれた神様が、その方は神様なのです。
▲Iヨハネ2章20節に何となっているのか分かるでしょうか。聖霊の油を注がれた者に、油を注がれれば全てのものを知るようになるのです。すばらしいみことばではないでしょうか。あなたが全てのことを知るようになる。この祝福を受けなければならないのではないでしょうか。
▲これが聖霊に満たされる理由です。一つだけ理解して問題がきた時、これを問題だと見ずに、この中に問題ではなく、神様の良い計画がある。これを握って神様、私を聖霊で満たしてください。これが答えです。それしろということです。荒野は長く続くのに神様の計画があるのです。はやく行けば良いでしょうが、神様が計画を持っておられました。遅く連れて行くふりをしながら、全てのものをみな教えられるのです。反対で言うと、はやく入れば大変なことになるのです。はやく入れば、幕屋に対してどのように習えるでしょうか。祭り、どのように習うでしょうか。契約の箱、どのように作るのでしょうか。そして、カナンに入る前に信仰訓練させるべきなのに、どのようにさせるのでしょうか。カナンの地に入ってどうなるのでしょうか。このように人間は無知です。無条件にはやく行こうとします。無条件に問題に会えば避けようとするのです。私たちは問題に会えばしばしば不平を言おうとします。
▲いくら足りない人がした仕事の中にも神様の計画が隠れています。おかしな人の中で神様の計画が隠れているのです。昔、私の村に必ずこいつは危険な道に通うという奴がいました。危険な道に通うとお母さんに何度も殴られました。ところで、この子は必ず危険なところに通って一度落ちたのです。それでも通います。通っていたときに牧師一人がバイクで落ちたのですが死ぬ直前に、この子が横通って発見したのです。それでその牧師先生が助かりました。この子があちこち通う習慣のために見つけたのです。その牧師のあかしを聞いて、そんな奴も必要だなと思いました。
▲私たちは無条件に私と合わなければnoと言います。特に韓国の人々は脳に栄養失調になっていて、極端です。それを私は脳栄養失調と言います。脳に栄養が少しなくては。無条件に反対します。ですから、韓国が大変なことになったと思います。反対の側にも神様の計画があります。
▲この聖霊の満たしをなぜ受けなければならないのでしょうか。
(3)霊にも肉にもいやされる働きが起きます。
▲皆さんが本当に神様の計画があるということを知って、今日、主よ私に聖霊で働いてくださいと祈れば、知らないいやしがなされます。医師の方たちもここにおられますが、ヒポクラテスが何と話したでしょうか。心から直さないで、肉体の病気を直す医師は、最も悪い医師だ。皆さんのたましいをいやすには、聖霊の働きしかありません。
▲ですから、イザヤ1章6節に、満身瘡痍になった者に油を注いだとなっています。ルカ10章34節に、サマリヤを行く時、強盗に殴られて殺されそうになった人を直すため、ワインを注いだとなっています。それで、イエス様が何と約束されたのでしょうか。最もやさしくて良いこと、聖霊に満たされなさい(使徒1:8)。あまりにも重要な重職者、長老に向かって、勧士に向かって聖霊に満たされなさい。クリスチャンが会社のの中でどのように未信者と一緒に事業をして政治ができるのでしょうか。聖霊の力を重ねて受けなさい。イエス様がそのように約束されました。
(4)これは世の中にある多くの悪いものに勝てる力がここから出てきます。
▲モーセが40年間、成功しようと王宮にいました。不思議に他のものはなるように見えるのに、神様の力が現れませんでした。それでも幸せだと思っていたのです。なぜか、王女の息子であるから。それでも王宮に暮らしているから。ところで、後ほど時間が過ぎて見たら、何でもありません。王宮のなかで40年間、出世しようと色々なことをしてがんばったのですが、だめでした。王宮を抜け出して、神様の前に祈りはじめたのですが、それでもだめでした。その時がすでに年齢80歳です。ミデヤンの荒野で40年間、待ったのにだめだったのです。ある日、ホレブ山で火を見て、聖霊に満たされる働きを体験したのです。この時からモーセにまず最初にいやされることが行われたのです。簡単なようですが、間違いありません。それで礼拝がとても重要なのです。
▲私は切実に祈ります。賛美する時も、神様、この賛美を聞くすべての信徒が生き返るようにして、神様に栄光がささげられるようにしてください。本当にそのように祈って賛美してください。礼拝時間に、今日神様私に聖霊の働きで、すべての霊的な部分がいやされるようにしてください。肉体もいやされるようにしてください。モーセが80歳になったその年から40年間、驚くことが行われました。
(5)この聖霊の力ということは一般の人々は知りません。これを持っていてこそ、世の中を生かせるのです。
▲聖書を見れば特徴2つが出てきます。聖書をずらっと読んでみると、特徴が二つ出てきます。特徴2ケが出てくるのですが、何が出てくるかというと、山で、山がたくさん出ます。その次に川岸で。この2つが出てきます。ケバル川岸で、ヤボクの渡しで、こういう川が出てきます。ホレブ山で、その次にシナイ山で、カルメル山、カルバリ山で、オリーブ山で、こういう山が出てきます。これが何を話すのでしょうか。世の中に勝てる力を得た人々の現場を言うのです。その時ごとに大きいことが行われます。
▲どんな困難も気をおとさずに家庭問題、子ども問題も心配せずに、この契約を握ってずっと祈りなさい。ある日、神様の時刻表が来るのですが、それが聖霊の満たしと言います。

2.握らなければならないより大きい契約
▲さらに恐ろしいのは今日、皆さんが握るもっと大きい契約があります。それが何でしょうか。
(1)旧約時代にはイエス・キリストの影で恵みを受けました。
(2)新約時代にはイエス・キリストが完成されてしまったので、皆さんがみんな祭司なのです。
▲カトリックの悪口を言うのではありません。カトリックは私たちと思想が違います。どれが正しいかは判断するように願います。イエス様が十字架にかかられた後に、旧約を終わらせました。それで指導者に、祭司に私の罪を言う必要はありません。神様に直接すれば良いのです。どれが正しいでしょうか。イエス・キリストが十字架にかかられたため、皆さんがすべて祭司になったのです。それで聖書をみな読まなければなりません。昔にはカトリックは聖書を読まないようにしました。マルチン・ルターは聖書を読まなければならないと言ったのです。どれが正しいでしょうか。その流れの中にすばらしい流れがあります。旧約と新約の違う点が出てくるのです。ユダヤ教が何でしょうか。旧約の宗教ではないでしょうか。まだメシヤが来なかったと言うのです。イスラム教は何でしょうか。旧約の宗教です。SDA(セブンスデイ・アドバンチスト)は何でしょうか。旧約の宗教です。安息させようということではないのでしょうか。霊的にとても大きい流れがあるのです。人々は知らずにそのまま行くのですが、霊的に相当な問題が行き来するのです。
▲イエス・キリストが十字架にかかられた日、幕屋とこの聖所が造られたところで幕が裂けました。何の話なのでしょうか。皆さんがみな聖霊に満たされるほどの祭司の祝福をみな受けたのです。信じるように願います。
▲今日、皆さんが決断するのに、私は昔に誤解しました。どんな誤解をしたのでしょうか。私は力がないと思ったのです。そのように考えました。私は能力がない。能力があってするならどうなるのでしょうか。断食をしたり、祈りをよくするべきなのに、私は能力がない。これが錯覚です。イエスを信じる瞬間、皆さんは神様の子どもになる権威をもらいました。よく信じられないでしょう。その時から私が大胆に祈ったのです。ナザレのイエスの御名で。本人に祈りなさいと言いました。イエスの御名で。
(3)皆さんは絶対に気をおとさずにレムナント7人を見てください。
▲神様の契約を握って最後まで聖霊に満たされようとするなら、どうなるのでしょうか。少しだけ祈ってもよいのです。難しくありません。奴隷で仕事をしながら、その中で祈ったのです。それが聖霊の満たしです。奴隷で仕事をしながら。私がこの奴隷から抜け出なくては。そのように祈ったのではありません。お兄さんらが私を売り飛ばしたんだなあ。そのように祈ったのではありません。それは聖霊の満たしではありません。私たちはいつも祈りを違うようにします。この中に神様の計画がある。祈れば働きが起きます。奴隷ができることができない答えがきました。この契約だけ握ればだれでも、答えを受けることができます。
▲昔にはいつも話しました。私はエジプト民族ではないな。私は養子できた。私がどのようにすれば良いのか。私は今、故国に帰るべきなのに行くこともできないな。私は王子だと思ったがそれでもないな。これがモーセです。そのように祈っては何もだめです。なぜ神様が私をエジプトに。なぜ今この時刻表に。それを握ってモーセが祈る瞬間に働きが起き始めたのです。それを聖霊の満たしと言います。信仰の英雄を見てください。これは雲をつかむように信じて、信じます、この話ではありません。
▲本当にレムナント、ダビデのような人を見てください。羊を飼いながら、私は羊を最高でうまく飼うだろう。私が羊を飼うのに最高に羊を飼う。そして時間があれれば祈る。時間ができれば曲を作って、賛美をする。私が時間があれば、文章を書くことがすべてだ。時間があれば羊を守る練習をする。ある日、働きが起きました。それが聖霊の満たしです。危機がくることもあります。ある時は危機がきます。その時、どのようにすべきでしょうか。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴ、私たちが火の中で入れば主が救い出してくださいます。それは聖霊の満たしではありません。後に何と話したでしょうか。たとえそうでなくても、主が私たちを救いだしてくださらなくても、私たちは偶像の前にお辞儀はできない。そして祈ったのです。それが聖霊の満たしです。驚くべき奇跡が起こりました。
▲私は昔に誤解しました。私は何でもない存在だと思ったのです。そのとおりですが。お金もありません。私は何でもない存在です。お金がなくて。私は大きい職位もありません。私は何でもない存在です。自らそのように考えていました。私が大きい位を持ったのでもなくて、私は何でもない存在です。家に帰ってみれば、いつも生活は苦しい。私は良い状態ではない存在だ。このように勘違いしたのです。ですから答えが来なかったのです。だれかが見れば、教会に通っていると思ったでしょうが、私は教会に通っているようにはまったく見えませんでした。単に一つ知っていることは、あの子は昔にちょっとできなかったのにちょっと優しいようだ。この程度です。答えが一つも来ません。未信者と全く同じです。教会に通っているだけでした。こういうバカなことをしました。私は何も違う。このように生きていました。夢もありません。名誉もない。背景もない。かと言って、私が未来があるでしょうか。それもない。私はそのように考えていたのです。このように私が愚かでした。聖霊、キリストの御名で祈って聖霊に満たされれば良いという事実がある日信じられたのです。そのように昔に私の母と周囲の人々の証拠を見ても信じられなかったのです。ある日、私がそれが信じられたら、おれが見られるようになりました。奇跡ではないでしょうか。モーセがいよいよ見えたのです。それで私をエジプトで勉強するようにしたのではないか。このように見えるのです。今まで神様がミデヤンの荒野で40年間、準備させられたのではないか。力が現れ始めました。
▲皆さんもウルサンを生かして、慶尚南道(キョンサンナムド)を生かして、世界を生かせる力が神様の計画がいくらでもあるから、それを信じなければなりません。その時から覚悟しました。率直な話で、大変なことをしたのでもありません。私は2つのことしかしません。静かな時間があれば契約を握って深く祈ります。そしてさらにやさしいこと。そのまま通いながらずっと祈っています。それがとても幸せです。通いながら世界福音化を続けてします。食事の時も世界福音化。そうしたら、すばらしいみわざが起き始めます。ですから、神様が皆さんそれほどしなくても、今日礼拝する中に、特に神様が私に聖霊でいやしてください。一回、二回、三回祈ってみなさい。神様、今、私は礼拝堂で礼拝しているので主の使いを現場に送って、神様の働きを成し遂げるようにしてください。これが聖霊の働きです。クリスチャンがこれをしないなら、聖書66巻の一つも信じる必要がありません。それで未信者に負けるのです。これが何でもないようでも、その答えがくるように待つのを見て神の国。この祝福を皆さんが受けるようになるように願います。

4.結論-この人たちが油をどこでみな集めたのでしょうか
▲私が一度、自らに質問してみました。この人たちは油をみなどこで集めたのでしょうか。奴隷で行くのに、逃げるのに、いや逆に考えてみなさい。それにしてもやり過ぎでしょう。幕屋を作るとお金みなおさめ、油まで持ってきなさい。このようになるのではないでしょうか。この人たちは、油がどこにあるのでしょうか。ところであるのです。
(1)エジプトがとても発展した国です。エジプトで暮らしていた時、一人ずつ油があったのです。隠しておいたものがありました。それをみな出したのです。それを持って油を作ったり、材料をみな見つけ出しました。これが肉体的な話のように見られるのですが、霊的にどれくらい大きい話でしょうか。
(2)ルカ7章36-52節に罪を犯した女がきて、イエス様に油を塗りました。ですから、人々が非難しました。その時、イエス様が何と言われたでしょうか。50デナリの借金を赦してもらった人と500デナリの借金を赦してもらった人とどちらがうれしいか。答えは明らかです。その女がそのような人です。とてもうれしくて。
(3)またマルコ14章を見れば、香油を注いだ女が出てきます。イエス様に来て、香油を注ぐから、弟子たちが非難したのです。高いものを注ぐと。その時、イエス様が何とおっしゃられたでしょうか。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られるでしょう。
▲それでは今日、皆さんがただ一つだけ握れば良いのです。神様、私が礼拝時間に短い時間です。聖日ごとに祈ってみなさい。礼拝時間に別のことを皆さんがする時間はありません。礼拝時間に私に聖霊で働いてください。これを続けてしてみなさい。どんなことが起きるでしょうか。私の事業に働きが起きるようにしてください。私の現場に働いてください。ところで、祈ったら答えがすぐに来るのでしょうか。これがまた錯覚です。来ません。これが来ないのです。私がお金を求めてそのように祈ったら、門があいてお金が降ってくるべきなのに、一度も降ってきませんでした。これも錯覚です。後に振り返ってみたら、完ぺきに来ています。完ぺきに。歴史と人生を通じて完ぺきに。とても貧しく位していたのですが、神様に祈りました。神様、私に貧困をなくしてくださいと祈ったのです。どの程度、答えがきたでしょうか。私たちのタラッパンの中に入る収入を教会が持ったり、個人が持ったら、一番大きい教会を作ったでしょう。これを本部にみな入れました。これを個人がすべて持ったら、私がかなりお金をたくさんもうけたでしょう。ですから、これを全部本部で入れました。そして、私が走る量がどれほど多いでしょうか。私たちの家内が名言を言いました。走らなければ良いではないですか。それ正しい言葉です。走らなければ良いのです。考えるほど正しい言葉です。走らなければ良いでしょう。ある日、服にしわがよっていました。服にちょっとアイロンをかけておいてくれと私が怒ったのです。さらに名言を言いました。着て通えば伸びます。考えるほど名言です。着て通えば伸びます。ところで、神様が世界福音化するように今まで導かれたのを見てください。私たちは答えがないと思います。ですから、神様が必要、適切に正確に答えられるのです。振り返ってみてください。とても完ぺきに答えられます。
▲もう一つ参考にすることがあります。本当に私がウルサン地域をはやく福音化しなければならないと思う時、聖霊に満たされることが何かを考えてみなさい。これは来週に出てくるようになります。私が話すのではなくて、聖書の本文に出てきます。来週により大きい答えを受けるようになることをイエスの御名で祈ります。今日、礼拝する中にいやされる働きが起きることをイエスの御名で祝福します。
(祈り)
神様に感謝します。今日、目に見えない聖霊の働きが正確に起きることを祈ります。すべての信徒と重職者と教役者が力を得る祝福の日になるようにしてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)



第2部:主にあってとても労している者
(ローマ16:12)


〓要約資料〓
→序論
▲私たちは3つの現場で祝福をみなのがす。
@個人の出会い-祝福を受ける時刻表なのに不信仰を学び、人間主義をしてしまい...本当の答えは個人の出会いから始まる。(ヨセフ、ダビデ)
A教会現場-信仰生活しながら大きい祝福を毎日、見つけ出すべきなのに、教会に行って試みにあう。不信仰らどうしの疎通がうまくいく。
B社会現場-ここでまた混乱して、すべての祝福をみなのがす。
▲私が一人でいる時間に10分だけ福音を味わう祈りをしても、この3つのことは正しくなり始める。のちには、祈りがとても幸せになる。人生を生きていく間に問題、困難に会うこともある。このときに、とても重要な答えを見つけ出すようになる。これがすべてだ。
▲その中で、今日、主にあってとても労している人3人が出てきた。ツルバナ、ツルポサ、ペルイス-この三人がみな女性だ。パウロが女性三人を使徒級のレベルに置いた。
1.とても労した者
(1)どんな労をしたのかは記録がない。私たちが主の前に労したことは、全部、恵みで感謝であって、内容を知る必要はない。これから学ばなければならない。
(2)労した(ギリシヤ語の原文-コピアン)-とても疲れるほど苦労したという意味だ。最高、最善を尽くしたということだ。
(3)永遠に名前が残る労苦であった。
2.どのように初代教会が答えを受けたのか-3つの奉仕
(1)福音が福音になるようにすることに献身した。
▲問題に会った時-イエスはキリスト、キリストがキリスト、イエス・キリストが主人になる日、神様の働きが開始。
(2)伝道が伝道になるように献身した。
▲他の人が私に「あぁ、イエスがキリストだな!」と感じるようにするのが伝道が伝道になるようにすることだ(証人)
(3)ほとんどみないのちをかけた。献金にもいのちをかけた。神様がだれに経済祝福をくださるのか。この答えを得なければならない。神様は本当に福音、伝道運動をする人に経済祝福をくださる。私の子どもたちが経済の祝福を受けて世界福音化に走って入っていかなければならない。
▲皆さんが初代教会が受けた祝福を受けるように願う。
3.本文の三人の女性は経済力もなかったと見られる
(1)ところで、完全に福音を味わった人々だった。
(2)伝道を味わった人々だ。
(3)献金したこと以上に、献身した人々だ。
4.結論-今日の女性信徒が契約を堅く握りなさい。
(1)胎児、嬰児、幼児部(小学生部)の時までは、お母さんが最後の機会だと見るべきだ。母親の手によって左右される。目に見えない基本がみな敷かれ始める。
(2)小、中、高、大学生、青年会は-この時、刻印されたことは絶対に抜けない。これを抜けるようにする道は、福音で根をおろすようにすることしかない。
(3)おばあさんの祈りが教会の強固な基礎になった。
▲祈りは科学だ(黙示8:3-5)。祈って落胆してはならない。祈りの器が満たされる日、想像もできないみわざが起きる。
▲皆さん1人の祈りがどれくらい重要なのか悟らなければならない。皆さんが地域を生かして、家庭を生かそうとするなら、祈り運動、朝の祈り運動から起きなければならない。それで最高の祝福が臨むようになることを祈ります。
▲女には5つの種がなければならない。
容姿、言葉づかい、文字、手並み、気立て(心)-これよりさらに重要なのが福音のいのちの種がなければならない。今日、祈りを回復することを望む。その祈りは必ず答えで現れる。
(The end)

〓録音資料〓
→序論
▲確かにレムナントが賛美をすると違います。インマヌエル・ウルサン教会が成長したようです。前はきてみれば空席も見られました。ウルサンには救われるべき人が多いのに、こういう席が埋まらないのかと考えていました。今、見たらあちこちに満杯になって、活気ある姿を見られます。今日、セソマン教会14人の重職者とクァク牧師が共に礼拝に参加されています。14人の重職者を見ると、ウルサン福音化ができる準備ができた方のようです。私がさっきメッセージを与えた通りすれば、まちがいなくウルサンを生かすようになります。下手すると、インマヌエル・ウルサン教会よりもっと大きくなるのではないか、こういう考えになります。
▲間違うという言葉は3つのことを下手するとみわざが起きるということです。
(1)私たちは恵みを受けてキリストを知っているのですが、個人の出会いでしばしば崩れます。
▲祝福を受ける時刻表なのに、不信仰を学ぶようになるのです。それで、個人の出会いをよくできなくても、個人の出会いをとても上手にして、人間主義をしてしまっても祝福をみな逃してしまうようになります。普通は普通だと思うのですが、本当に答えはここから始まるのです。イエスはキリストで答えが出たから。救われたことが確実だから。ところで、大部分の人々がここで祝福をみな受けて、みな逃すということを知らずにいます。
▲ヨセフを例をあげてみましょう。奴隷でポティファルの家に行くやいなや、人々が困難を与えました。もし、その時、ヨセフが困難を感じたならば答えを受けられません。受けても遅くなります。ところで、ヨセフはポティファルとのその出会いを祝福にしました。少ししたら、物事がよくなるので、女がたびたび誘惑します。このような時、ヨセフが誘惑を受けたならば少し気楽なこともあったでしょう。神様の民であるから、誘惑を受けたといっても、完全に死にはしませんが、重要な答えはのがすようになります。普通は答え受けられない人々が大部分だから、人に会えば不信仰を言います。そのとき、それを信仰で答えに変えれば、すばらしい答えが出てきます。
▲私は30年前から重職者時代を祈りました。個人的にある長老が私にすばらしい不信仰を話したのですが、その時、私が契約を握りました。今はやく重職者時代を開かなければなりません。ですから、その個人の出会いが私にはすばらしい祝福になったのです。今は重職者時代の火が全世界で起きています。時間が経つほど導きを確かに受けたという気がします。
▲ダビデを見ましょう。このサウルに会ったので、ダビデの信仰をだんだん落とします。ところでダビデはそれをとても祝福にしました。先輩のサウル王を油注がれたしもべだと最後まで追いかけられました。
(2)3つの現場でまた問題があります。教会現場です。
▲教会に行くと、やや下手すると不信仰に陥ります。教会の働きをしてみれば、やや下手すると不信仰に陥ります。ところで、大部分の頭の悪い人々がこの不信仰にみな陥ります。教会の信仰生活をしながら大きい祝福を毎日捜し出すべきなのに、大部分、試みにあいます。また教会に行けば、いろいろな人々多くいます。多くならざるをえないのです。集まる所ですから。大学は4年ならば卒業するのに、教会は卒業がありません。軍隊は2年過ぎれば出て行くのに、ここは出て行くこともありません。だから、問題がおきるしかありません。また教会には毎日くるのではありません。一週間に一度来るので、一年といっても五十日くらいしかなりません。ですからこの話、あの話があまり通じないようにならざるをえません。それとともに不信仰でまたよく通じます。なぜでしょうか。不信仰体質どうし集まったので疎通がすぐできます。これで、ものすごい祝福をのがすのです。セソマン教会と全国教会とインマヌエル教会は記憶しなければなりません。むしろレムナントは、ここで祝福を見つけ出さなければなりません。
▲私が初めて通った母教会は、本当に貧しい教会でした。だから、私の頭の中には家に帰ってもお金、教会に行ってもお金。こういう考えがいつも頭の中にありました。本当に幸いに、お金に陥らずに祈りの答えを受けました。私はこれからおとなになれば、絶対に無能な人にならない。これを契約で握ったのです。それではどのようにすれば良いでしょうか。他の人より努力しなければならないということです。力もない私が他の人よりさらに努力しなければならない。背景もない私が、他の人より十倍に走るべきで、そうしなければ勝てるでしょうか。そのような気がしたのです。二番目に行った教会は、牧師がとても人の機嫌を取る所でした。私はそこで大きい祝福のメッセージを握りました。そうだ、牧師は人の機嫌を取るより神様の機嫌を取らなければならない。そうするうちに、三番目の教会に行ったのですが、ここは牧師が自分の思うとおりにしました。先輩にそんな話してはいけないのですが、本当に自分の思うとおりにしました。自分の思いのままにする人に会えば止められません。その時、習ったのです。牧師は教会信徒に仕える者でなければならないと習いました。四番目の教会に行くようになったのですが、私が教会をしばしば移ったのではなく、副教役者生活を長くしたからです。四番目の教会はエリートだけが集まっていました。たくさん学びました。そこでまた受けた祝福が、いちばん深刻に感じたのが福音なしでは教会にならないことを分かったのです。みなほろびました。それを分かりました。その次に行った教会はとても静かな教会でした。ここは牧師、長老、関係なく皆が寝る教会でした。それで熱心に眠りを覚まさなければならないと思いました。それが大きい祝福になって、むしろ教会現場で大きい祝福を学びました。ところで、その中でも信仰生活を正しくする人がいたのです。六番目に行くようになった教会は、けんかを本格的にする教会でした。あまりにけんかをよくして、警察が止めさせに来る教会でした。人は感情が対立すれば、ここまで行くんだな。人は恵みを受けられないなら、悪魔の巣窟になるのだな。大きいことを学びました。こういう教会信徒も手助けして、許してあげなければなりません。どんな教会の信徒も大切だと思わなければなりません。違った話も大切にしなければならないという覚悟をしました。このようにして、ヨンドで開拓をしたのですが、神様は本当に多くの実を与えてくださいました。大部分の人々が祝福をどこで奪われるのかを知りません。根本的には福音がないことで。
(3)三番目に社会現場です。明日から社会現場に出て行けば神様が見えません。神様が姿を現わせば分からないのですが、見えません。
▲ここで私たちはまた混乱するのです。
▲それでこの3つのこと(個人の出会い、教会現場、社会現場)で全てのものをみなのがすようになるのです。紙一重の差です。前に話しました。軍隊に行ったら神様はいません。軍隊を行ったところ悪口しかありません。軍隊を行ったところ、神様も天使も何もなくて殴られること以外ありません。それが軍隊です。また見たら、防衛の扱いは犬扱いでした。これでも私が戦闘防衛です。また私は星をつけて通っていたのですが、やっと棒いくつかの人々が防衛だと分かると何でもないと思っています。それで除隊するやいなや防衛服を捨てました。私の友だちは海兵隊ですが、服をかけてあります。私が防衛服をかけておくでしょうか。どれくらいいやだったか、すぐに捨てました。ところで、それが錯覚でした。5分もかかりません。私が神様の子どもではないか。それではひょっとしてこの部隊の中に神様が救われる民がいるはずだ。この考えを持つようになったのですが、その時から答えがあふれました。隊長が私を通してイエスを受け入れました。終わってしまったのです。ところで、この隊長がとても飢え渇いた人でした。私を毎日呼んで聖書について尋ねたのです。それで私は毎日、説明しました。隊長が私の弟子になったのです。だから、今日14人のセソマン教会の重職者が正しく伝道するルデヤのような人に会えば地教会が自然に開かれるでしょう。私たちはそこに焦点を合わせなければなりません。けんかする気になりません。そこに本当に焦点を合わせれば他人の話は聞こえません。町でも退屈ですることがない人は、他人の話をしますが、本当に忙しく歩き回る人が他人の話をするでしょうか。こういう祝福をウルサン全域に広げれば、本当の働きが起きます。これが問題です。外に出て行けば神様が見えないのが正常ですが、見ることができません。
▲ところで前後に問題があります。私が一人でいる時間です。一人でいる時間に10分だけ福音を味わう祈りをしても、このことは正しくなり始めます。本当です。10分だけ正しく味わう祈りをすると、このようなことが行われます。ところで、この祈りを味わうならば後ほどどうなるかというと、祈りが難しくなるのではなく、祈りがとても幸せになります。そうです。釣りする人は、はじめに釣りついて行けば悪口を言います。狂ったのか、このようなところに何しに来たのかと悪口を言います。私が昔に一番初めに友人について釣りに行ったのですが、後から悪口を言っていました。気違いだな。座って待っているのに一匹も釣れません。ところで、なぜ座っているのか、話はできないし、次にはもう来ないと思いました。ところで、釣りを味わえば、釣れなくても釣りをしに行くということが幸せです。それを釣好きと言います。ギャンブルを考えるだけでも熱くなります。それをギャンブラーと言います。そうでしょう。この味わえば幸せになります。そうすれば健康、あらゆることがみな回復します。少しだけでも。それでは、これ自体の中にものすごく大きなことが入っています。そうするうちに、つぎに何がくるでしょうか。問題に会うこともあります。人生を送る間に困難もきます。このような時は、とても重要な答えを見つけなければなりません。なぜでしょうか。祈りになるから。これがすべてです。
▲その中、今日の三人が出てきました。この人たちが、主にあって本当に労苦する三人が出てきています。名が知られています。忘れてしまってもかまいません。それほど重要なことではないから。ツルパナ、ツルポサ、ペルシス。この人たちが、とても労したと出ています。ツルパナは軟らかいという意味です。ツルポサは、軟らかいながら贅沢だという意味で、ペルシスという名前は転覆という意味です。ひっくり返されるという転覆なのか、食べるあわびなのかは分かりません。私も分からないので探してみました。その程度だけ分かれば良いのです。これを見ながら、人はよく名前をつけなければならないと思いました。あわびとは、何でしょうか。ツルパナはよいでしょうが、ツルポサは贅沢という意味です。上手に名前を付けなければなりません。本当です。名前をあまり変なのを両親がつけてやっても恥ずかしいでしょう。昔に本当にチョリャン教会にこういう人がいました。勧士なのに名前が桂という字を使った名前でした。ところでこの人が十五夜の月に生まれたので、年という字をつけて、桂年(ケニョン)にしました。ところで姓がリュ氏かアン氏ならば大丈夫だったのですが、チョン氏だったのです。姓がアンだったら、アン・ケニョンだったのですが、チョンだったので、チョン・ケニョンでした。それは両親が名前を変につけたことになります。そのような単語でなくても、語感がそうなのです。ところで見ると、この三人がみな女性です。
▲私はパウロがどんな人物なのかすぐ理解しました。この当時はまちがっていたのですが、女性を人扱いしませんでした。まちがったむかしの封建思想なのですが、そして人を数える時も女は数えませんでした。ところで、パウロがこの三人を使徒級で見たのです。それで、女性でも本当に実を結ぶ伝道できる人ならば、長老に立ててもかまわないと思いました。私がこの話をしたところ、中央アジア、ロシアで、人々がとてもすばらしいと言いました。わかったところ、中央アジア、ロシアでは、前に出ている人が全部、女性でした。国王も女性でしょう。この女性三人を重要な目録に入れたということを見れば、パウロがどれくらい人を育てる人であり、どれくらい福音に目が開かれた人なのか知ることができます。

1.たくさん労苦した者
▲ここに見ると、とても労したと出てきます。
(1)どれだけ苦労したのか、どんなご苦労をしたのかは記録されていません。
▲これが答えです。私たちが主の前に苦労したことは全部恵みで、感謝で、内容を知る必要はありません。そうでしょう。教会の仕事と社会の仕事は違います。教会の仕事はいくらしても、したのではありません。重職者がこれから学ばなければなりません。牧師と伝道師が、これから学ばなければなりません。教会の仕事はいくらよくしても社会と違います。功労でなく恵みです。それでレムナントに告白しました。いくら考えてみても答えは一つだけです。私は本もたくさん読んで勉強もかなりしました。多くのことを研究しました。天理教に行って研究して、仏教に関する本も何冊か読みました。しかし、私には全く答えになりませんでした。絶対に答えになりませんでした。自ら悟れと言われるのですが、それなら私は自殺しなければなりません。そのような力がなかったのです。絶対に私には真理ではなかったのです。天理教に行ったところ、罰を受けなければならない私のすべての罪を返そうとするなら歩き回らなければならないと言われました。私はそれはさらにできません。私は聖書を見ながら答えを受けました。滅びるしかないあなたの罪と運命と原罪を神様が解決されたのです。それでキリストを送ると言われました。私は分かったのです。そのとおりだ。地球上に本当に困難を受ける人は、自分の誤りでなく受けている人です。それが原罪です。子どもを三人産んだのに、みな障害者でした。自分の誤りではありません。こうしたことが地球上にいっぱいです。それで私たちが受けたことは恵みです。そのような意味で、私は30年間、伝道したのではなく、教会にご迷惑をかけた者です。それで、通いながらも一つも疲れないのは、とても感謝するからです。それで、この働きが知らされていないのが正常です。
(2)ところで労したという時、ギリシヤ語ではコピアンという単語です。これが何の意味かすればとても疲れるほど苦労したという意味です。これが何の話でしょうか。
(3)どれくらい福音に対する祝福を味わっていたのか、最高、最善を尽くしたということです。皆さんがする働きは小さいように見られるのですが、永遠に名前が残るのです。こういう祝福を受けました。

2.どのように初代教会は答えを受けたのでしょうか。-3つの奉仕
▲それでは初代教会はいったい何をそのように労苦したのでしょうか。今日から多くのことをしなくても、どのように初代教会が答えを受けたのか分かれば良いのです。初代教会は3つの奉仕をしました。今から絶対に忘れてはなりません。すべてのインマヌエルの家族、タラッパン家族、セソマン教会は、絶対に忘れてしまってはならないのです。
(1)初代教会は福音が福音になるようにするのに献身しました。
▲福音が福音なるようにするという言葉は、とても重要な言葉です。本当に問題に会った時、イエスがキリストという事実を知れば、その問題は解決され始めます。キリストがキリストなる日、現場に働きが起きます。キリストが主人になる日、神様の働きが起きます。わかったでしょうか。
(2)二番目、初代教会がどのように奉仕したのでしょうか。伝道が伝道になるように献身しました。
▲重職者は全く伝道しに行かなくても、伝道がなるようにすれば働きが起きます。福音をたくさん話さなくても、この人が私を見る時、これが福音だな、このように感じるようにさせるのが福音が福音になるようにさせることです。そのように、伝道が伝道になるようにさせるのです。ここですばらしい働きが起きます。これが何の話でしょうか。とても難しくないでしょうか。すぐ分かるでしょう。個人の出会い、教会現場、社会現場を見てください。福音を持っているのに、人に会って不信仰に陥って、教会にきてだれかの話を聞いて試みにあって、出て行ってまた倒れて、これだから福音が福音にならないのです。この伝道の中には全てのものがみな入っています。ところで、ここに陥ってしまうから、問題くればすぐ崩れるのです。この伝道ということは、持ったものを言う証人ですが、この祝福をみなのがしてしまうようになるのです。これが初代教会が奉仕して労苦したことです。
(3)そして、ほとんどみな命をかけました。
▲その中に皆さんが一番うまくできない献金。これがうまくできないのです。ところで、初代教会はここに本当に祝福を受けました。今日、みなさんは本当に決断をくださなければなりません。献金をしなければならないではありません。神様がだれに経済の祝福をくださるのでしょうか。この答えを受けければなりません。神様がだれに本当に経済の祝福をくださるのでしょうか。本当にこの運動をする人に神様は経済の祝福をくださいます。それで私はこれをおいてたくさん祈っています。神様、私と私たちの家系で、世界福音化のために献金することができるように祝福してください。献金をささげる時ごとにこのように祈っています。もし神様が私に経済を祝福されれば、私の息子、娘に与えず、全部みなRUTCと教会に出すようにさせてください。理由が何でしょうか。これから私の息子、娘が育って、私のお金を受け取って暮らすようになれば、ほろびたことでしょう。私たちの孫たちが私の助けを受けるべきだとすれば、ほろびたのです。それはまったく祝福を受けないと決意したのと同じです。そのようなことはありません。私が生きている間、私の息子と娘と孫たちが祝福を受けて、世界福音化に飛び込んでいなければなりません。そして、私が神様に受けた経済の祝福は全部、教会と世界福音化のために使われなければならないのです。こういう覚悟をしています。初代教会はいのちをかけた人々です。初代教会が受けた祝福を受けるように願います。

3.三人の女性は、経済力もなかったように見えます。
▲ところでこの三人の女性はお金はたくさんなかったようです。私が見るのに。
(1)ところで、この人たちが完全に福音を味わった人々です。
(2)そして、伝道を完全に味わった人々です。
(3)そして、献金すること以上に献身をした人々です。
▲それで、労苦をよくしたと言われているのです。このようにしたが、熱心にしたのではなく、何のために苦労したかによって神様の答えが働きを起こすのです。ここまでが初代教会が握った労苦です。今日、本当に祈りの課題を握って始めましょう。初代教会が受けた答えを私たちも受けるようにさせてください。今はこの祝福だけ味わうようになれば、他のものはみな付いてきます。このために苦労するように願います。そうすれば、神様が多くの祝福をくださるでしょう。

4.結論-今日、女の信徒が契約を堅く握りましょう。
▲今日三人の女性が出てきたことは、女の信徒が契約を堅く握りなさいという言葉です。お金が問題でなく何に労苦しなければならないのでしょうか。
(1)ここに胎児部、嬰児部、幼児部のお母さんたちがいます。女性を普通と思うのですが、聖書を見れば、女性が本当に重要なことをしました。女性が関連していないことがありません。そして特に子どもを育てるのには、とても母親と関係があります。それで胎児部、嬰児部、幼児部までは母親のふところにいます。まさに皆さんが最後の機会だと言えます。これから胎児部、嬰児部、幼児部の子どもたちの中に何が入るかとが、母親の手で左右されるのです。胎児部、嬰児部、幼児部の中には全部目に見えない基本が敷かれるようになります。どれくらい重要でしょうか。
(2)そして、今、中学生、高校生、大学生、青年に一番重要なのが何でしょうか。この時、刻印されたことは絶対に抜け出しません。抜け出せないのです。これを抜き取る薬は一つだけです。福音で根をおろすようにさせることです。
▲それで、胎児部、嬰児部、幼児部のように幼い子どもたちは、事実、小学生部も母親たちの手の中にあります。皆さんが夕方に少しだけ礼拝をささげて、本を読むようにしてあげても大きい人物が出てきます。ですから、少しだけ祈る時間を持っても大きい人物が出てきます。今からしてみてください。クロスビーのような人は目が見えなかったのですが、母親が夕方に仕事をしてきて、よく聖書について話をしてあげたのです。目が見えなかったのですが。おばあさんも話してくれたが、お母さんがよく話したのです。これが幼い時に入って刻印されたのです。止められないことが行われます。クロスビーを知っているでしょう。私が分かることでは、地球がなくなる前まではクロスビーの働きが継続されるでしょう。私たちが歌う良い賛美はクロスビーの賛美です。
(3)教会は高齢なおばあさんがいますが、おばあさんも重要です。
▲インマヌエル釜山教会の基礎を強固にさせたのは、おばあさんたちの祈りです。高齢な私たちが何をするかと言うでしょうが、それは未信者の声で、皆さんの祈りはものすごい力があるということを分からなければなりません。だから今日の本文のみことばを握って、祈り始めるように願います。私は2つのことのためにこれを分かりました。外に行ってくれば私の母がいつもに聖書を広げて祈っていました。昔にもよくしたが、亡くなる前にいつも見れば、いつでも祈っていました。この祈りがどうなるのか分かるでしょうか。祈りは科学です。黙示8:3-5を見るならば、次の聖日に説明するでしょうが、うつわにみな入れられると出てきます。そして私たちが開拓して、地下にいて難しかった時に行ってみると、おばあさんたちが集まって毎日のように祈っていました。多くの人々が福音を持った人の祈りがどれくらい重要かわからないでいます。子どものために、家族のために祈る時、気をおとさずに継続することを望みます。ある日、祈りのうつわが埋まる日、神様の働きが始まります。これは想像もできないことが行われるのです。私の母が私のためにずっと祈りました。私が祈らないでくれと言いました。その当時の私は、イエスも信じないで歩き回るのに、牧師になるようにしてくれとずっと祈っていました。私が教会も通わないのに何でそのような話をするのかと言いました。ところで、ある日、私がしようとしたことでないのですが、突然、事が行われたのです。ある日、突然、私がなぜそうだったのか、こういう気がしたのです。そうなります。私が悔い改めなければならない、これではなくて、ある日私がなぜこうやって通うのか。私は狂っているんだなあと思ったのです。これで教会に行くから町中が驚いたのです。私がどれくらい堕落していたかというと、町の人々が私とは遊んではならないと言うほどでした。心は優しかったのですが、この人たちがが勘違いしたのです。みな私と遊ばないようにと言いました。ところが、チョ・ウンテク牧師のお母さんだけは、遊ぶなという話はせずに遊べとおっしゃいました。それで、教会に行く時、二人が一緒に行きました。そのお母さんが真の良い人です。そのようにしたのに、私を理解して祈ってくださったのです。そのおかげで、私が世界福音化していて、チョ・ウンテク牧師も何でもないのに新聞社の社長をしています。したことがないのに、社長様です。それが、いっしょに遊んでいたからです。町中で私と遊ばないようにと言いました。祈りの力がどれくらい大きいのでしょうか。ある日、突然、変わりました。病気になったのでしょうか。それでもありません。そのままこのように生きてはいけないという考えになったのです。これで信仰生活を始めたら、みことばも正しく握るようになって、証拠がき始めたのです。
▲一人の祈りがどれくらい重要なのか悟らなければなりません。ところで、私たちはおもにこう思います。牧師先生、ちょっと祈りをよくしてください。ある方は贈り物まで買ってきて、夫のために祈ってくださいと言います。それで教えました。夫のために本当に祈る人はあなたです。そうでしょう。他の人が祈るのも重要ですが、本当に祈る人がいます。子どものために本当に祈る人は牧師でもありますが、まさに皆さんです。だから、お母さんの祈り、おばあさんの祈りがどれくらい重要でしょうか。本当にウルサンを生かそうとするなら、おばあさん、お母さんの祈り運動から起きなければなりません。夫と子どもを本当に生かそうとすれば、朝の祈り運動が起きなければならないのです。教会が祈りの火がつかなければ、霊的な多くの違いが生じます。福音を悟って祈り運動が起きれば、大きいみわざが起きます。それで全国でタラッパンする教会と特にウルサンに最高の祝福が臨むようになることをイエスの御名で祈ります。女を無視する時代があったが聖書はそうではありません。創世記から黙示録まで見れば、とても重要なことを成し遂げた人々が皆女性でした。エジプトから出る時もラハブ。決定的でした。イエス様について行って最も重要な働きをした人々が女性でした。みな逃げた時もイエス様に最後まで付いてきた人々は女性でした。そしてパウロを助けて、世界福音化を起こした人々も女性でした。男が必要ないという言葉ではないのですが、今日の本文で三人がみな女性です。契約を握るように願います。
▲ある人が言うのには、女性は五つのことがなければならないと言いました。女性は種が五つなければなりません。最初に結びます。女はおしゃれの種がなければなりません。あまりみにくかったら、赦されないという言葉もあります。女は顔だちがよいほど良いのです。だれがなんと言ってもそうです。牧師先生と秘書と台湾に行きました。郊外に行ったがモーテルのようなホテルがありました。入った入口で案内をする女性はとても美人でした。ところで、英語を一言もできなかったのです。中国の人なのに。やっと身振りや手まねをして入りました。その翌朝に食堂に行って、食事したらそこにはとても英語が上手な人がいました。知ったところ、この女はぶさいくな人でした。入口にいた女性は、英語を一つもできないのに美しい女性でした。その時また感じたのは、ひとまず女は顔だちがよくなければならないな。だから、そのように化粧して、いろいろ手を加えるのです。ところで、おしゃれは過ぎてしまいます。これよりさらに重要なのは何でしょうか。話をしてみれば、言葉使いで人がまた変わります。おしゃれより良いのが話し方の種です。話を変にすれば顔だちがよいのも変に見られます。話をすることを見れば、この人は立派か、そうでないのかを知ることができます。話すのを見れば、この人は足りないなと知ることができるのです。言葉が変だとするなら、おかしな人になります。話をむやみにすれば、だれがなんと言っても、むやみな人です。話がつじつまが合わない人がいます。つじつまが合わない人です。話を聞いてみれば、おしゃれより話し方が重要です。その次は何の種が出てくるかというと、ますます近づけば文字を知ることができます。字をきれいに書く人もいて、足で書いたような人がいます。それではどんな人なのか分かるようになります。もう少し近くのぞいて見れば、手並みが出てきます。これはしばらくして分かることで、暮らしてみてこそ分かるのことです。ところで、この四つをみな合わせたより重要なのが気立て(心)です。女は気立て(心)が良くなければなりません。この五ケをみな合わせたより重要なのが何でしょうか。福音のいのちの種がなければなりません。この三人の女性がこういう女性でした。今日この契約を握って、おばさんたちが新しく祈りを回復するように願います。執事と言えば良いのですが、おばさんたちが祈りを回復するように願います。おばあさんたちが祈りを回復するように願います。その祈りは必ず答えとして現れることになります。今日から帰りながら祈ってください。聖日の日、特に大きい答えがあるようになるように願います。

(祈り)
神様に感謝します。今は祈りの中で重要なことを見るようにしてください。今日いやされる時間になるようにしてください。私たちすべての信徒が初代教会の祈りを回復するようにしてください。今、この時間に聖霊で働いてくださって、目に見えない働きが私たちに起きることを祈ります。家庭と家系の背景にすべての暗やみがこの時間に崩れるようにしてください。ウルサンと世界全域に神様の働き起きるようにしてください。今日、私たちがみことばを握って祈るのに、主の天使を送ってくださって、今、現場に働いてください。私たちの信徒が、この席でみことばを受けるけれど、現場には神様の働きが起きるようにしてください。千時間、万時間より貴重な時間になるようにしてください。今、この時間が千人と万人に会ったより重要な時間になるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)