20140223 インマヌエル教会聖日2部


消してはならないこと
(Ⅰテサロニケ5:19-28)

今週は自分の健康がよくないという方も健康を回復していただきたいと思います。今週は神様がどのように働かれるでしょか。そのような期待をもって、一週間を始めなければなりません。ですから、今日のタイトルは消してはならないこと。第Ⅰテサロニケを終えるメッセージです。まず、第一に私が握るべき契約が使徒1:1キリストはすべての問題の解決者。つまり、王、預言者、祭司です。これを知らない人はいないでしょう。ところが皆さん、今日、ここで重要な始まりをするべきです。少しだけ正しく考えるのであれば、すぐに答えが始まります。私は正直に昔、祈りの答えを受けないで生活しました。伝道もよくできないし。そのため、この部分で悟りました。キリストはすべての問題の解決者。正しいでしょう。キリストという単語は最高の単語だ。しかし、自分には答えがありません。答えがないだけでなく、とてもしんどいです。それで、ある日、私は知るようになりました。私の考えが間違っていることがわかりました。これを発見した日から、すごい御業がなされるようになりました。なぜなら、私は救われた神の子どもだからです。私たちは救いをまた受けるのではなく、すでに救われた神様の子どもです。この部分を知るようになったのですが、この部分が誤っている人がとても多いです。ですから、フォーラムもこの部分のフォーラムをする必要があります。また多くの祈りの人々の中で祝福を受けたにもかかわらず、この部分が誤っている人がとても多いです。ある日、私はこの部分を悟るようになりました。その時から、驚くようなことが見えるようになりました。私がここでなにを悟ったかというと、私は成功するために神学を勉強して、牧会を始めました。復興させるために伝道しに行きました。それを悟ったのです。これは私があまりにも誤った詐欺師だったのだな。それを悟りました。別に祈りもそんなにしたわけでもないのに、タラッパンというものが目に見えるようになりました。それでタラッパン運動をするようになったのですが、御業が起きました。これがそれほど重要です。私たちが普通見ると、私もそうですし、皆さんもそうですし、とても考えが誤っています。神様は良い神様なので、私たちが誤った考えを持つことがないように願われる方です。では、皆さん、この部分をよく考えてみてください。この部分が話すのも難しいくらいに、私たちは誤った考え方をします。何といえばよいでしょうか。先ほども言いましたが、イム長老さんが来られて、「牧師先生。メッセージが難しかったです」と言いました。そうでしょう。難しいでしょう。私はとても易しいのですが、理解しようとする人は難しいでしょう。私が開拓を始めたときに、祈りの題目を書きなさいといいましたが、ほとんど99%が誤った題目でした。ほとんどがなにか雲をつかむような祈りの課題でした。要するに考えが誤っているのです。ですから、どのような答えが来ているのかもわかりません。私がどれぐらい悪い人間だったかというと、することもないし、何をしたらよいのかもわからないのに復興させようと、成功させようとしました。私は本当に救われた神様の子どもだ。ところが、この福音のものすごい力があるけれども、私はなぜこうなのか。そこから悟ったのに答えが来始めるようになりました。そのとき、答えがずっとくる中で、またすごいことを悟るようになりました。神の国。神の国はこの地に臨みますが、結局は天国に行くではないでしょうか。ここで私がすごい発見をしました。私たちの背景は天国ですが、私たちがこの地にいる間、神様は天使を送ってご自身の働きを成されるということがわかりました。実際に神様は聖霊で働いて、私たちに力を持って働かれるということを知るようになりました。これが一つになる中で、答えが来始めました。皆さん、この祝福を逃してはいけません。ですから、消してはならないこと。今日、神様がくださる大きな健康を回復していただきたいと思います。

最近はおかしなものが流行しています。癌患者、病気の人々を呼び集めて、医者もいない状態で手術もしないで治す。そんなおかしなことが流行しています。病気がとても深刻化しています。アメリカでも起きて韓国でも起きています。そこでなにを教えているのか、私が少し確認してみました。いったいその人々が何をしているのか。それを確認したかったのです。私の知っている人はそこに行って、実際に治って帰ってきました。その団体は祈る教会の信者の集まりではないです。私が知っている人は教会員だったのですが、そこで実際に治って帰ってきました。それも病院ではもうだめだと言われた病気でした。行って何をしたのかと尋ねると、全く治療をしなかったということです。私はその話を聞いてとても驚きました。なにをしたかというと、完全に心理療法を行うと言うことです。今あなたが持っている欲も不安も心配も全部捨ててしまいなさい。憎しみも全部捨てなさい。あなたが持っている傷も全部捨てなさい。そのような話を聞いて、そのとおりにして、水を飲んでまた運動をする。それだけするのに病気が治ったということです。今、私たちが何か、多くの事を逃していますが何でしょうか。最近は気功や超能力がとても流行しています。また、瞑想、テンプルステイなどがとても流行っています。何を語っているのでしょうか。人間は霊的に持っているものがとても多いです。悪霊につかれたものでもそういったことをするのに、私たちは何も知らないでいます。私は使徒1:1 、3、 8、これを知ってから、これがつながるようになってから祈りができるようになり始めました。今日、しっかりと契約を握って始めなければなりません。これだけ正しくしているのに、神様は答えられるようになりました。これからどうなるかは分かりません。しかし、私には確信があります。ただ聖霊があなたがたの上に臨まれるときに、あなたがたは力を受けて地の果てまで証人となる。これが私たちが受けた祝福です。このときからなにが出てきますか。神様が私にくださった天命が見えます。行く所々、召命が確認できるでしょう。私が何を持って生きるべきかという答え、使命が出てくるようになります。だから、答えが出てくるので、しないようにと思っていても自然となるでしょう。一心、全心、持続。この部分を皆さんが体験されて、大きな力を得ていただきたいと思います。

一つ目です。聖書は私たちに何も思い煩うなと言っています。聖書にはその言葉が365回も出てきます。なぜ365回出ていますか。聖書に心配するなという言葉が365回登場します。なぜそうなのかというと、1年が365日でしょう。だから、一日も心配してはいけないということです。ヨハネ19:30にはすべて完了した。第Ⅰペテロ2:9には、王のような大祭司。この光を宣べ伝えるために召されました。今日、病気のために苦しんでいる方々は本当に悩みを捨ててください。苦しんでいるのに悩むなというのでしょうか。自分に問題が来たのに心配するなと言うのでしょうか。神様が私とともにおられるので、病気でも構わないと考えるべきです。私たちには天国が背景なので、死んでも大丈夫だという答えを持っているべきです。一言で言うとこれはどんな話でしょうか。私たちが世の中の人たちのように、いつも心配しているので問題が来るのです。今日すべて捨てて、ただ聖霊は、ただ神の国、ただキリストを握っていただきたいと思います。どのようにしてでしょうか。証拠を握りなさい。神様がともにおられる証拠を握った人々は勝利するようになりました。本当に私が医師の助けを受けるべきですが、病はどのように癒すべきでしょうか。私の問題を本当にどのように解決するべきでしょうか?神の御言葉の証拠を握ってください。出エジプト3:18節に「モーセよ。血のいけにえをささげるようにしてください」。 20節には「私が力ある手であなたをつかんでいる」。そして、何と言いましたか。これがあなたに対する私の証拠だ。私は証拠を握りました。本当にイエスがキリストで、必ず必要だという証拠を握りました。皆さん、握ってみてください。そして、どのようになるのか祈ってみてください。神様がどのように働かれるのか、神様がくださる力を本当に得てください。本当に信仰生活をうまくしているように見えますが治りません。本当に始めてみてください。神様は今も天の御座で天使を送って、皆さんの生活を導いていらっしゃいます。聖霊が臨まれると神の国が臨むのです。そうでしょう。この契約を実際に握るのであれば御業がなされます。これから、私たちの教会とすべての伝道する教会にどのような証拠が現れるのか、契約を握ってください。

民数記14:1-10です。すべての人たちがだめだと言いました。ヨシュアとカレブは証拠を差し出しました。違う。彼らは完全に力が抜けて、今私たちに機会が来た。彼らは私たちの餌食だ。そのように証拠をしっかり握りました。新しく始めようとするレムナントや、本当に祈りの答えを受けようとする人たちは御言葉の証拠を握らなければなりません。御言葉が生きて働く体験をしてこそ信仰生活が成り立つのであって、御言葉が生きて働くとどのようなことが起こるのかを見なければなりません。私は驚きました。私がただ、聖書を見たのですが、タラッパンから20の戦略も見えて、全部見えるようになりました。ただ証拠を握ったのですが、レムナント運動が起きました。ただ証拠を握ったのですが、ローマ16章の答えが来ました。ですから、ここからメイソン運動が見えました。ローマ16章に、本当にそこに命をかけた決死隊が見え始めました。これを見てください。今日、皆さんが御言葉の証拠を握ってください。私に病気がある。治すべきだ。御言葉の証拠を握りなさい。本当に握りなさい。私は皆さん方が失敗しないことを願います。とても話しづらいです。気を使います。そうではないですか。たとえば、この人が本当に祝福を受ける人なのに、自分の考え、一つのところにひっかかってしまっています。すると、あとでこの人が祝福を受けると、正直に言うと大変なことになります。それが言いにくいのです。だから、皆さんがそれを探し出して捨てなければなりません。しかし、捨てることができないでしょう。捨てる方法がなにかというと、神の御言葉の証拠を握りなさい。今日、久しぶりにある牧師といろいろな会話をし話を聞きながら、ほとんどの人々はどうでもよいことを握っています。その牧師先生が話している内容が一つも事実でないのですが、そのようなことをずっと悩んで、ぐるぐる回って人を苦しめています。ですから、皆さんが今日、証拠だけ握れば御業が起きます。信じていただきたいと思います。皆さんがすることができる体験を今年してください。神の御言葉を証拠として握ってください。民14:1-10のヨシュアとカレブの話は単なる話ではありません。神の御言葉の証拠を握ったのです。なんと言ったのか知っていますか。私たちが行ってみるとそこは、本当に、乳と蜜の流れる地であった。神様が約束されたとおりに、彼らは私たちの餌食だ。霊的な目が開かれました。彼らはすでに皆逃げていて、また力が抜けている状態だ。見てください。ヨシュア1:3に何とありますか。あなたが踏む地を私が与えようとおっしゃいましたか。そのときに聖書を知らない人は「アーメン」と言ってしまいます。何と記録されていますか。私があなたの足が踏んだ地を与えたのだ。私が証拠を与えたではないか。この話を理解する人たちは勝利するようになりました。皆さん、今日この時間が大きな祝福の時間になることを願います。礼拝時間に力が全部抜けてぼーっとしていてはいけません。年を取った人たちほど力を得なければなりません。そして、レムナントは、外で勉強をしなければならないのですが、力がなければなりません。祈りの力がなければなりません。すると、このような答えなどが見えるようになります。

さあ、見てください。することができ1:3に何したのか?皆さんが今日、祈りの答えを受けるのが出てくる。何言った?わたしがあなたに足踏み地を与えるとグレトヌンガ?この時、聖書を知らない人はアーメンしまう。何ができている?わたしがあなたに足踏み土地を与えたノニ!あなたが証拠をとらなかったのか?この言葉を知っている者は、ヨシュアに勝利が起きた。今日、皆さんがこの時間に大きな祝福の時間になってほしい。だから礼拝時間に力尽き欠けていたらいけない。老化人ほどの力を得なければならない。そして、レムナントは、外に出れば勉強するべきなのに力がなければならない。証拠をぴったり握って祈りの力がなければならない。これにより、この応答がすべて見えるようになっている。
では、ヨシュア3章は何でしょうか。ヨルダンが分かれました。8節に何と記録されていますか。ヨルダン川に無条件、足を踏み入りなさい。どういう意味でしょうか。無条件しろという話でしょうか。違います。確実な契約を握った者は入りなさい。神様がそれを分けるだろう。今、福音を妨げるすべての制度を神様がわけるだろう。この契約をしっかりと握ってください。では、ここに対する聖書の証拠を見てください。ヨシュア10:10-14です。ヨシュアの祈りです。主に言いました。太陽よ。月よ。止まれ。なぜでしょうか。今、太陽が沈むと大変です。イスラエルの民たちがカナンの地に入ることは、神の御心です。証拠を間違いなく持っていました。モーセから聞いた証拠を持っていました。神の御言葉が答えだと証拠を持っていました。今日、皆さんは証拠を握って勝利するべきだと思います。体験してください。以前、水泳で教会に来た方を見てください。この人はコーヒーカップもスプーンも持てませんでした。事故にあって体が動けないのです。それでご主人が運転をして連れて来られました。その方にお友達が訪ねて御言葉を読んであげました。他のことではなくて、ヨハネ1:12「この方を受け入れた人々 、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権を与えられた」。ところが、耳は聞こえるのですが、話すことはできなかったということです。上から落ちてしまって動くことができないので、それを続けて、繰り返して聞いたそうです。ところが、それをしているある時、信じるようになったそうです。「ああ、私が本当に神の子どもになったのだな」。すると、嘘のように、その瞬間に治りました。それで起きて座っていたので、ご主人は個人タクシーの運転手なのですが帰ってきて驚いてしまいました。この人は力を得て動き始めるようになり、伝道をするようになりました。そして、この人が伝道についての講義を聞いて、私たちの教会に来て三ヶ月間、訓練を受けていかれました。初期のころですが、チョン牧師に話をして訓練を受けました。今日、皆さん、ただしないで、神の御言葉には何がありますか。生きていて力があります。神様は御言葉で天地を創造されました。本当に証拠を握って祈り始めるのであれば、神様の御業がなされます。

では、ヨシュア14:10。これはだれが言った言葉ですか。アナク山地を奪い取ったカレブが言った言葉です。なんと言いましたか。皆がぶるぶる震えていたときに、カレブが言った言葉です。今から40年前、主のしもべであるモーセがカナンの地に入るはずだと約束したのではないか。そうしながら、10節で言った話です。何と言いましたか。今まで私を生きながらえさせてくださいました。この山地を私に与えてください。

エレミヤ33:3です。「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」。皆さん、医者の話は聞くべきです。医者の話は100 %従うのが良いです。しかし、本当に一度体験してみてください。エレミヤ33:2節には、何とありますか。「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる」。あなたはわたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。来月頃には、身体検査を受ける時期になったと思っています。私のような場合はほとんど眠ることができません。すると、医者の話を聞くと不安になります。そのとおりだったら、死んでしまっているでしょう。ほとんどそのように繰り返されているのですが、私は個人的に違うと思っています。間違いなく神の御言葉に私に力を与えるとおっしゃっています。神の御言葉を握るものに神様は御業をなされるようになっています。

ヨナ書2:2を見ると、不思議な話が出てきます。ヨナが今過ちを犯して、大きな魚の腹の中にいます。ヨナの祈りです。「主よ、私の祈りを聞いてください」と言うべきでしょう。「主よ、私を許してください」と言うべきでしょう。ところがなんと言ったかわかりますか。ヨナ書2:2に「主はわたしの声を聞かれた」。この話は何かというと、神様が与えられた証拠を握っていたということです。

マルコ11:24に「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい」と書かれています。それならば、祈ったものは全部、答えられると信じるべきでしょうか。今、言っているのはその話ではありません。神の契約の証拠を握って祈った者は必ず答えられると信じなさいということです。そのように、信じるのであればそのとおりになります。

使徒1:8。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」。ある人は私の話を聞いて、本格的に祈ったのですがもっと病気が深刻になったそうです。そのようなこともあるでしょう。それは一日、二日でなることではないからです。でも、本当にあきらめないでください。

ですから、今日、重要な言葉が出てきました。消してはならない。ここに五つのことが出てきました。
19節、「御霊をけしてはなりません」。これはどういう話でしょうか。聖霊があなたとともにおられるので消してはいけない。それはどういう話でしょうか。聖霊は間違いなく働かれるので待ちなさいということです。この体験をしなければ信仰生活は難しいでしょう。聖霊が力をもってあなたに臨まれると、力を受けて証人となる。神様の御言葉、預言を消してはならない。20節です。そして、すべてのものを見分けなさい。21節です。私たちはこの21節をよく捨てるでしょう。神様は良い方なので固く守りなさい。24節、信仰です。これを捨ててはいけません。これを消してはいけません。そして、25節には、互いのために祈りなさい。私たちはよく逃してしまいます。聖霊の働きが起こることをよく信じないでしょう。皆さんが聖霊の働きが起こることを信じないというならば、今この礼拝時間にこれを知ることはとてもすごいことです。この御言葉の働きを人々はよく信じません。それで私たちは良いものはよく聞かないで、悪いものばかりを続けて頭に覚えています。神様は信頼に値する方です。必ず成し遂げられます。そして、祈るのであれば必ず御業がなされるのですが、いつも消してしまうのです。ここで重要な話を理解しなければなりません。何の条件もなく、無条件にこの祝福を味わいなさい。御業がなされるようになります。では、レムナントたちは、この祝福を消さないで味わいなさい。すると、ある日、重要な時刻表が来ます。どういう話でしょうか。

何も思い煩わないで、揺れずに祈っているのであれば、一部礼拝で話しましたが、神様は永遠と言う時刻表の中で答えられます。なぜ、神様をよく信じているレムナントは事故で死にますか。永遠な時刻表の中で神様が御業をなされたということです。あれだけ祈って答えがなかったのに、なぜ突然、祈りの答えが来るのか。神の永遠な時刻表の中にあるので、そうです。ある時は、人が死んだ後に御業がなされるのはなぜでしょうか。神の永遠な時刻表の中で起きていることです。理解されることを願います。間違いなく、御業がなされる神の証拠を握ってください。そして今、皆さんがこの契約だけ味わうべきです。いつまで生きられるか。そんな心配はしなくて結構です。私たちは聖霊の働きを信じます。この中にいるのです。すべての重職者がこの御言葉の中に入り、これを味わっていさえするならば、神様が御業をなされます。この時から、永遠な時刻表が出てきます。Ⅰテサロニケ1:1です。最初に何とありましたか。恵みと平安があなたがたの上にありますように。最高の祝福でしょう。恵みと平安があなたがた上にありますように。その次に、Ⅰテサロニケ2:19は、皆さんが福音の中でする小さなことでも永遠の誇りの冠となる。また、最後のⅠテサロニケ5:28にも同じようなことが記されています。私たちの主、イエス•キリストの恵みが、あなたがたとともにありますように。このような永遠な時刻表の中にあります。
では、今日から始めてみてください。結論3つです。今日から皆さんが答えを受けることができるので、すべての思い煩い、心配、すべて捨ててください。この捨てると言うことは、ある面では宗教のように見えるでしょう。すべて捨ててください。ここで終わるのであれば宗教になります。それであればとても危険です。それで皆さんの身分を回復してください。そして、皆さんに世に勝つことができる権威を神様が与えられました。だから、神の子どもとされる特権を与えられました。受け入れた人々 、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権を与えられた。今は始まりに過ぎません。私が副教役者のとき、難しかったときにこの恵みを悟りました。それで、他のことをしないで、この3つをしました。神様がくださるこの祝福が間違いないので、いつでも揺れないでこの証拠を握りなさい。そして、答えられなくても結構です。聖霊の中で、御言葉の中で、信仰の中で味わうだけでよいです。すると、必ず時刻表が来ます。単純な永遠な時刻表の中で来るものなので、すぐに答えが来ないように見えることもあります。ある答えがくるのに、私も理解できませんでした。知りませんでした。これだけをしていたのですが、行く所々で弟子が起こされました。ある時は一度だけ行ったのに、弟子が起き上がりました。そして、最も重要なことは、これだけしていたのに、神様は私に続けて力をくださいました。皆さん、力を得ていただきたいと思います。皆さん、霊的な力を得ていただきたいと思います。そうすると、じっとしていても、この中で時刻表がなされていきます。すると、これからどのようなことが起きるのでしょうか。予想はしています。私はこれから皆さんをとおしてくる答えを予想しています。また、もっと重要なことがあります。レムナントたちに起きることを予想しています。本人走りません。本人が知らないのは当然でしょう。ものすごい祝福が予備されています。ですから、私たちの教会の重職者たちは今日、神様がくださる力を得ていただきたいと思います。未信者でも治す病気なのに、私たちは聖霊で御業をなされます。

私は以前にも話をしました。最近は、あまりにも病気の人が多いから病院も多く、へんに治す人も多いです。あるところで癌患者を治すというおじいさんがいました。そこに私たちの牧師が行きました。いくつかの病を患っていました。牧師ということは明らかにしないで行きました。この牧師がとても驚いたということです。この人になにを話したかというと、約束をするように言ったそうです。あなたの中にある恨みつらみを全部捨てなさい。それが一番最初に言った言葉です。あなたの中にある恨みつらみ、傷、全部捨てなさい。そして、絶対に疑わないでください。そして、私の話をよく聞きなさい。信者でもないです。未信者が信者に対してこのように言うのです。何も思い煩うなと。救われてもいないおじいちゃんが、救われた牧師に対して傷を捨てなさい。これはどういうことでしょうか。あなたの考えを全部捨てなさい。私の話だけ聞きなさい。本当に治りました。すると、もう言葉が出ません。そして、いくつかのしたことは本当です。運動して汗を流さなければならない。私たちが運動をしないではないですか。未信者でもそんなふうにしています。

皆さんがどれだけ祝福された神の子どもかというと、今日テサロニケ書にあったようにこのような祝福を受けた人たちです。これをただするのではなく、先週は宣教大会だったではないですか。それに対する証拠を握りなさい。今日、宣教師と信徒たちは、今、一緒に礼拝をささげているではないですか。これは何でしょうか。マルコの屋上に集まった使徒2:9-11の内容です。それを証拠としてしっかりと握ってください。私は確実な証拠を握りました。そうすると、味わっているだけです。すると、時刻表は必ず来ます。これからレムナントをとおしてもっと大きな証拠が来るはずです。今、皆さんの心の中で「神様が、今週はまたどのように答えをくださるか」と胸が躍るべきです。眠気がまだ冷めていないですか。今日はちょっと長いね…。そのような状態では絶対、癒されませんね。むしろ病気になります。皆さん、詩篇100:4のように王宮に入っていくような心です。私は正直な話、神様の前で主日礼拝をささげることがどれほど感謝かというと、なにもしないで祈りにオールインするぐらいです。どれぐらいかというと、私の部屋のドアを開けて行ったり来たりするのも気を使うくらいです。それくらい私は期待しています。神様は間違いなく成就なされるので。今日1部、永遠な神様の計画。神様の絶対計画。これを握っているのであれば答えが来るのですが、消してはならないこと。皆さんがこれを味わっていれば答えが来ます。消すべきでないものを味わっていればよいです。今週、皆さんの健康が回復することをイエスの御名によってお祈りします。


(祈り)
神様に感謝をささげます。今週も神様の御業を見させてください。すべての暗やみが崩れる御業を見させてください。すべての不信仰が離れ去る御業を見させてください。すべての私達の心配、動機、体質が完全に離れ去る時間にしてください。神様の奇跡を見させてください。イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。