201400420 インマヌエル教会聖日2部


復活以降のメッセージ
(Iコリント15:1-5)

序論
 復活された主が皆さんに対し、献身できるようにメッセージを与えてくださいました。つまり、復活以後のメッセージです。こちらには重要な内容があります。17節です。「イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った」。そして、16節。「十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った」とあります。

私たちはこの時代を迎えて、重大な選択が待っています。皆さんは一刻も早く直さなければなりません。選択には3つのことがあります。例えば、皆さんの職場や家庭の中で「私は無視されているのではないか」という気がしたときに、そのまま悲しむばかりではいけません。自分で「私はどこかおかしい、常識とは合わない」ということを早く悟るべきです。だれも皆さんの代わりにはできません。思ったほど以上に、そのような人が多くいます。教会の信徒にも多くいます。教会の信徒だからではありません。そのような人々が恵まれようと教会に来るのに、他の人から見れば信徒だという話です。会社でもあまりにも常識とかけ離れてしまったら嫌がられます。家庭の中でも嫌がられます。そこで皆さんは早くキャッチしなければなりません。なぜなら皆さんは救われた神の民であるため、神の祝福に預かるべきです。そういったささいなことができなければ、非常に困難な目に遭いあます。また、ある人の場合には決定的な瞬間、導きの中に入る人もいれば、まったく違う方向に行く人もいます。なにも異常がない人だったにも関わらず、とっても重要なときには聖霊の導きから反れてしまう場合があります。反対に、決定的な瞬間、福音の選択に入る人がいます。そういった人は、結局、重要な答えを受けると思います。パウロの場合にはピリピ1:9-10節を見ると、いつでも福音にあって導きを受けていました。すると、勝利するようになっています。

Ⅰコリント15:20に、イエス様の復活は私たちにとっては初穂です。つまり、復活された主を体験することはそれほど重要です。なんと記されているでしょうか。
ヨハネ17:11-12。イエス様の名前は主の御名だと記されています。
使徒3:1-12まで見ると、イエス・キリストの名によってとなっています。
使徒16:16-18を見ると、イエス・キリストの名によって悪霊が離れていきました。なぜでしょうか。イエス・キリストはよみがえって約束され、その約束は今でも成就されているからです。イエス様が約束されたのです。私が行った後は助け主である御霊をあなたがたに送られ、永遠にともにおられると約束されました。そして、最後の最後のとき、使徒1:8。ただ聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、力を受けて勝利となると言われました。Ⅰヨハネ2:20にはすべてを悟らせてくださると言われました。

私たちは何によって献身できるでしょうか。そこで今日、私たちは主の最後のメッセージを見ればよいと思います。

1. マタイ28:16-20、権威(御座-御使い、権威-サタン束縛)
 1つ目です。マタイ28:16-20です。16節。イエス様がガリラヤに行ったら、彼らは礼拝したものの疑う者がいました。では、皆さんは何のために、そして、何を持って世界福音化に献身できるでしょうか。皆さんは世的な信仰では勝利できません。主の権威を持ってできます。18節にはなんと記されているでしょうか。天においても地においてもいっさいの権威が与えられていると言いました。私たちはこの力を持って、これからも世界福音化できます。
そして、そのあととても重要なことばを与えてくださいました。19節。すべての国の人々のところへ行きなさい。私たちはそこまでできる力があるでしょうか。私たちには世界に勝つ力があるでしょうか。しかし、イエス様はそれを言いませんでした。あらゆる国の人々を弟子としなさい。天においても地においてもいっさいの権威が与えられているから。それであなたがたは行きなさいと。答えが出ています。父と子と聖霊の御名によって。これが19節に出ています。私たちは他の力で行くのではなく、父と子と聖霊の御名によって、つまり、三位一体の神様の力をもって全世界に向かって行きます。

そして、聖書には何度も出てくる重要なことを言われるたびに「見よ」と言います。「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたとともにいます」。

皆さんこれを契約で握って献身します。つまり、これを信じるだけで、その祝福はそのとおりになります。これは奥義です。ある人は疑う人もいるのですが、しかし、この力さえ持っていれば世の中を生かすことができます。

2. マルコ16:15-20,暗やみ権威を打ち砕く力
そして、復活以降のメッセージ2つ目です。マルコ16:15-20。これは何でしょうか。私たちはよく不信仰に陥りやすいです。抜け出すべきです。何を強調しているのでしょうか。信じる人にはこのようなしるしが伴われる。どのようなしるしでしょうか。信じる者にと言われました。17節にあります。信じる人にはこのようなしるしが伴われる。つまり、私の名によって悪霊を追い出す。そして、新しい言葉を語る。本当に祈りの大いなる力を得るということです。これを持っていって世界福音化をしなさいと言われました。今日、忘れてはいけません。天においても、地においても、いっさいの権威をさずけてくださるその方が、世の終わりまでいつも私たちとともにおられますから、これを持って世界福音化に行きます。そこで一番真っ先に持つべきものは何でしょうか。天においても、地においても、いっさいの権威は何を言っているのでしょうか。天においては御座のことを言っています。皆さんは祈るたびに、あの背景である御の祝福、そして、天の御使いたちが遣わされます。そして、地においては何でしょうか。つまり、この世の中を掌握しているサタンに勝てる力を与えてくださいました。これをもって祈りなさい。すると、分かるようになります。私は世の終わりまでいつもあなたがたともにいることを。皆さん聖日1日だけでもこの祈りの中で礼拝をささげれば、6日間はこの答えを味わえるようになります。皆さんはなにも考えずになにも心配せずこの中に入るようにしてみてください。これが何度かできれば必ず答えが来ます。皆さんが主日だけでも正しく選択していけば必ず答えに預かることができます。すすると、これはどのように変わるでしょうか。定刻祈りへと変わります。つまり、主日礼拝が平日の定刻祈りとして変わります。もう少し時間が経てば、今度はこれは24時へと変わります。こうして答えられていきます。では、何を祈るべきでしょうか。

私の名によって信じる人にはこのようなしるしが伴われると言われました。今度は蛇をとっても、たとえ毒を飲んだとしても決して害を受けることはない。私たちはいつも蛇を取りに行くでしょうか。2つの解釈があります。たとえ私たちはどんな苦しみに遭ったとしても、毒を飲んだとしても、決して害を受けることはありません。そして、霊的に見たときにサタンの力があなたがたを捕えようとしても絶対に捕えられず、害を受けることもありません。そして、病人には手を置けば癒されるということが18節にあります。これはどういう意味でしょうか。皆さんは必ず祈るときにこれを考えなければなりません。皆さんはどこに行っても、まったく表に出さずに現場での暗闇の力を砕いてください。これは奥義だからです。表にわざわざ出さなくてよいです。職場の現場で皆さんが大声でおかしく見えるようなことをしてはいけません。祈りをもって味わっていけば必ず現場は変わります。どのような変わり方でしょうか。まず悪霊が追い出されます。そして、どのようなしるしがともなわれるでしょうか。皆さんが蛇を取ろうとしても、毒を飲んだとしても決して害を受けることはありません。また、病人に手を置けばその病人は癒されます。

3. ルカ24:13-35、実際の信仰-答え(神の国)
3つ目です。何をもって献身すべきでしょうか。ルカ24:13-35。特に皆さんに当ててのことばです。重職者70人の人々に言っています。これはどのような内容でしょうか。皆さんはそれぞれみことばも学び、教理も学ぶのですが、実際に信仰を持つことです。
例えば、70人の執事たちもみことばを味わいながら行きましたが、イエス様が隣にいても知りませんでした。イエス様がされたことを言いながらも、本人たちは信じていませんでした。たとえ皆さん自身、みことばを学び、フォーラムをしたとしても実際信じていません。
しかし、31節を見ると、目が開かれてイエス様を知るようになりました。どういうことでしょうか。「ああ。イエス様が私たちとともにおられるのだ」ということが信じられるようになりました。しかし、それまでは、みことばを勉強したとしても信じられませんでした。
そして、35節のように、この先なって行くことを証ししていく弟子として証人として変わります。どういう意味でしょうか。実際、私たちの現場にはそれぞれ答えが来ているにもかかわらず、それは見逃して他のことを捕まえようとします。なぜでしょうか。例えば、私たちの中で混乱させられてしまったら、他のことを握ってしまいます。テレビの放送で見ると、今回の大きな事件で船長だけが逃げ出したとか、脱出しようとするのを脱出できなくさせてしまったとか言われています。船長の立場で学生たちに対して「あなたたちは逃げてはならない」と言うことは言わなかったと思います。まだ、大きな事故になりかねないので、混乱しないように待ってくださいと言う意味で言ったのでしょう。でも、自分も思わず恐れてしまったので逃げ出したということになりました。何の話でしょうか。自分の中でとても混乱させられてしまったということでしょう。私たちに中でも混乱してしまうと、答えが来ていてもわからなくなります。見えません。以前、私は「どうして私は祈りの答えもないし、貧しいのか」と思いました。つまり、混乱していたということです。

実際、私は聖書を読んでダビデを見て学びました。どこで衝撃を受けたかと言いますと、主の神は私の羊飼いであるから、私は何も乏しいことはないというところです。現に私は足りない部分があるのにもかかわらず、実際、今のダビデの立場は逃げ出しているところです。それなのに、何も乏しくないと言います。でも、私にはいろいろ不足している部分があります。お金がない。行くべきところもたくさんある。本も買って読まなければいけない。留学も行きたい。海外研修も行きたい。でもお金はない。やるべきことはたくさんあるにもかかわらず、主がわたしとともにいて何も乏しいことはないのか。次の告白を見てみましょう。そのあと、ダビデは実際、ゴリヤテの前に向かました。その時告白したのを見て「ああ。これだ」と分かりました。完璧に準備した軍人たちがたくさんいたのにもかかわらず、ゴリヤテに向かう人はいませんでした。王もいて将軍もいて、そして、よろいを着ける多くの兵士たちがいたにもかかわらず、向かう者はいませんでした。何の準備もなかったようなそんなダビデが前に向かいました。そして、何かを言いました。兄たちの前で言いました。「私には理由があります」。そうです。理由があると言いました。もっと驚くことは、王の前でも言いました。「主なる神は私のことを獅子や熊から救い出してくださった」と言いました。だから、神様は今度も私を救い出してくださりますと。ところが、もっと驚くことは、よろいを渡されたのですが体に合いませんでした。あまりにも子どもだったからです。だから、よろいを脱いで出ていきました。そのとき私は感じました。ダビデのようなまことの勇者にはよろいなどはいらないと。よろいで武装している人々はたくさんいたとしても、彼らがゴリヤテに勝ったわけではない。ひとつだけ。準備されていた人。主が私とともにおられ、そして、私は今日、この契約をあなたに伝えたい。私はこのひとつで十分である。ダビデがもしゴリヤテと戦って死んだとしても、その前にダビデはこの告白をしたのです。私はこれは大事だと思います。もちろん、ダビデはゴリヤテとの戦いで負けるかもしれません。負けたとしてもダビデはこの告白をしたのです。私は主だけで十分だということを。キリストひとりだけで十分である。そして、契約このひとつで十分である。神の子ども、このひとつで私は十分ですということを。このときになにかが見えてくるはずです。ゴリヤテの前に行って言いました。あなたは剣や槍をもって出て来たけれども、私はあなたが侮辱する主の名をもって出てきた。あなたと私のいのちがこの剣にあるのではなくて、つまり、救いがこの剣の上ではなく、私はこれを証明するため出てきたということを言いました。ダビデは勝ちました。勝つとか負けるとかが大事ではありません。主は私の羊飼いであり、私はなにも乏しいことがないと言ったときに見えることです。ダビデが見えるもの。つまり、そのあとゴリヤテの実際が見えてきました。なにも持っていなかった病人のような人でした。それを知らなかった人々はゴリヤテを前にして震えあがったのですが、ダビデは大胆に向かいました。ゴリヤテは本当に大声で人々を脅かしたのですが、しかし、ダビデは恐れませんでした。つまり、主なる神ひとりのみで私は十分であるということがわかれば他の目が開かれます。つまり、奴隷ではなく、奴隷以上のとてつもない神様の祝福に預かる尊い現場であることが見えます。つまり、刑務所、牢屋ではなく、最も必要なことを見出す現場が見えます。そして、王の前では成功ではなく、絶対的なものを見つけ出す現場。主は王であるあなたを愛されたこのような夢を見させ、それを私にわからせました。この先どんなことが起きてきても、起きたとしても、そんなことが大事ではなくこの目が開かれたかどうかが重要です。つまり、聖書の学びが重要ではなくて、まことのものが見られる目が開かれなければなりません。この献身礼拝です。これからもこのような献身をしなさいと言うことです。すると、皆さんはそのままいても答えられるはずです。

結論
結論です。イエス様はこのように契約を与えられ、そして、最後になにをされたでしょうか。オリーブの山。これが最後です。イエス様はそこで間違いなく何も言わなかったはずなのに、証明されていることがあるからです。
使徒1;1。キリストです。終わったのです。
使徒1:3。そこで言われました。方法を言われました。神の国。この3つが臨まれるようにすること、これが神の国です。もし死んだとしても死んでよいのです。
使徒1:8。しかし、それをご存知であり、約束されました。力を与えよ。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、地の果てまで証人になる。これが神の国です。実際、皆さん、天においても地においても権威を知り、暗闇の力に勝つことを知り、そして、答えを知ればこのように神の国の答えが与えられます。実際、この時代は混とん時代であって霊的に混乱し問題が来ている人たちが多くいます。霊的問題によって苦しむ人たちが多くいて、私は彼らに対して何をすればいいのかと思い悩んでいます。そして、普通の一般の人のように見えて、表面的には現れなくても無能力に捕らわれている人々もたくさんいます。また、精神的にもおかしくなっている人たちが多くいます。教会に来ていること自体が幸いなのですが、これを実際に直していくシステムが必要です。本当におかしなことを考え、おかしなことばかりを言う人たちが多くいます。ですから、皆さんが少しだけ契約を握れば、神様が働かれます。

40日の間、神の国のことを語りました。今日、皆さんは献身礼拝をささげられていて、そして、一般信徒としての献身はどういう意味でしょうか。100年前に皆さんのように韓国でこのような献身礼拝をしていました。こうして宣教師一人が送られました。その宣教師は韓国に着きました。韓国に来て宣教をしたのですが、あとわずかで死んでしまいました。当時の韓国は宣教の門を閉ざしていたので殺されたわけです。ところが、この福音はだんだんと韓国に広がりました。初めて無知であった韓国は目が開かれるようになりました。どれほど無知であったかと言うと、木に対して神々だと思い切りませんでしたが切りました。そして、韓国のいろいろなところにあった岩に対して神々だと拝んでいたのですが、それを建築の材料としたり、そのような様々なことが起きました。つまり、福音が入ってきて光が照らされました。幸い、教授の中にも、政治家の中にも福音を受け入れている人たちが増えていました。こうしてここまで韓国は成長してきました。今の韓国は全世界の宣教大国となっています。外側からはよく言われます。到底理解できない国だと。海外からの人たちは実際に韓国を見て言います。韓国は豊かに暮らせない国なのに。どれほど韓国はお金を持っているでしょうか。献金を集めて建築するような国は韓国しかありません。どれほど大胆でしょうか。借金まで作っても献金します。ですから、西洋の人たちはこれを見ると衝撃受けます。アメリカではこんなことはできません。皆さんのような方々は世界中にいません。借金までして教会の働きができるなんてアメリカでは考えられないことです。十分の一献金もやっとなくらいです。韓国だからこそ、皆さんがいらっしゃるからこそRUTCも借金をしてでもされていますからできると思います。世界ではできないことです。そこで私たちの韓国に福音を伝える前に、ある人々がオーストラリアで宣教しようとしました。トーマス宣教師はイギリスから入ったのですが、オーストラリアでも宣教しようとする集まりがあるので、私たちの今日の献身礼拝のように集まったのです。そのお金を集めて韓国に送りました。お金だけでは行けなかったので宣教師ひとりを送るのですが、韓国はまだ目がくらんでいる時代だったので、みことばも聞きません。やっとオーストラリアに来て山の上に小さな教会を建てました。そこがイルシン教会と言うところで、私はその教会に行きました。行くところもそこしかありませんでした。私の町の子どもは全部行きました。救われていなくても行きました、私は救われていました。だから、私は今でもオーストラリアに行くときには他の意味があります。私は子どもの頃、オーストラリアからの宣教師の方のおかげでここまで来たのですから。たぶん、皆さんは普通に献金したはずです。ですから、皆さんは何も知らずに献金するのではなく、知ったうえで献金するように願います。私たちが捧げるこの小さな献金によって、海外にいるあの宣教師に渡されて、それでその宣教師はその国を生かすことをします。それで一心教会のようなものも生じます。どれほど驚くことでしょうか。トーマス宣教師のような人がいてそのようになります。ですから、皆さんはこのような流れを知ったうえで献金しなければなりません。この福音の力はどれほど大きなものでしょうか。物質ではなく、私たちのこの小さな信仰が流れてそこまで行くということです。私たちは小さな物質や献身によって、天においても血においてもこの権威が成し遂げられます。どうして、国々は災いが来て、指導者たちによって移されるしかありませんが、この暗闇の権威に掌握されているからです。ですから、皆さんは行く所々に暗闇の力が砕かれて、そこに神の国が臨みます。これが満たされて、聖霊の満たしと言います。

私はこの後すぐ、安養(アニャン)と言う地域に行って、重職者大学院の講義をしなければなりません。皆さんも一緒によく聞いていただきたいと思います。皆さん、必ず聞くべき重職者としてのミッション3つが出てきます。例えば、皆さんが間違ったものを握っていて、どんなに努力をしてもそれはうまくいくはずはありません。しかし、神の計画であるそれを握れば、皆さんはあまり大きなことをしなくても必ずなされていきます。ですから、今皆さんがささいなことと心配せず祈り、献身したうえでささげる献金、これが世界を動かすことになります。皆さんは多くの祝福を味わうようになります。今ちょうど長老の何人かから報告を受けましたが、この教会のためにいろいろ苦しみに遭ったり、攻撃を受けているということです。いちいち皆さんに対して言わなくても、長老やファン牧師先生はそのようないろいろなことに対して勝ってきたのですが、いまだに苦しみに遭っています。そして、私は今日皆さんの献金の報告を聞いて、こんなに困難な状況でも皆さんがされていることを聞いて、本当に神の恵みだと感謝でした。皆さんが世の中でお金を小さな献身でささげれば、これは世界を動かす、生かす世界宣教の献身につながります。そのお金で、私のような6.25戦争で貧しくなり、そして、火災に遭ったような、こんな欠けている私のような人が育てられるということです。今週も神の大いなる恵みに預かる祝福な幸いな1週間でありますように。

(祈り)
神様に感謝をささげます。神様、私たちの献身を受け取り、用いられますように。私たちの小さな献金をささげます。多くの人を生かしてくださいますように。イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。