20140608 インマヌエル教会聖日1部


もし福音を伝えなかったなら、私はわざわいだ
(Ⅰコリント9:1-6)

序論
このわざわいというのは災難を意味しています。セウォル号のちん没事件によって、いまだに死体が見つかっていないままの人もいます。もしかしてだれか一人でも注意深く船を運転したならば、そのような事故は防げたかもしれません。有名なマイケル・ジャクソンは亡くなりましたが、影響力が大きかった歌手です。薬物中毒によって結局、死んでしまいました。私は常に惜しいなと思う部分があります。いつも有名な人の隣に福音をまともに伝えられる人が1人、2人もいなかったということです。福音を伝えなかったならばわざわいがあるということは当然な話です。もっと大きなわざわいは、わざわいが何であるかもわからないということです。それは福音を受けているにも関わらず、救われたということにも関わらず、その救いがわからないということです。皆さんの中にも答えられる人と、そうでない人がいるかもしれませんが、自分がどれほど幸いな者であるかがわからないということです。

このひとつの奥義を悟ることによって多くの証拠が起きるようになります。そして、皆さんひとりが悟ることによって多くのわざわいを止めることができると言うことです。なぜでしょうか。ヨセフ一人によって世界が生かされる御働きが起きました。それがまことであるなら、大きな目を開いて見ていかなければいけません。事実、私もこの内容が昔、分かりませんでした。それで答えられなかったのです。しかし、ある日。悟りました。救われた者の祝福がいかに大きなものであるかがわかるようになったのです。神様が私に与えられた救いがどれだけ大きなものであるかがわかるようになりました。そのときから実際的に答えられるようになったのです。でも、それ以前は答えが中々ありませんでした。ダビデひとりによって国が生かされ、暗闇の勢力は打ち砕かれたのです。今日は皆さんの価値を発見することのできる貴重な日になっていただきたいと思います。

私は韓国に昔から伝わってくる偶像、そして大きな苦しみを見てきました。そして、私たちの家系の中も偶像によって滅びていく姿を見てきました。長い間、教会生活をしましたが、その教会ごとに神様の祝福を受けることができずわざわいの中にいることを見てきました。私たちはその祝福が何であるか悟る瞬間、すべて一括で解決されます。今日、短い時間ですが本当に神様の祝福を得る尊いときになっていただきたいと思います。

では、今皆さんはどんなことを考えていらっしゃるでしょうか。今、いろいろな考えを持ってその場所に座っていらっしゃると思います。ある方は礼拝堂に来てまでぼーっと座っている方がいらっしゃいます。おそらく日曜日だから、教会に行かなくてはならないということで来たかもしれません。もしそのような人はどうなるでしょか。間違いなく皆さんの人生はぼーっとした人生になって行きます。また心の中に葛藤があるでしょうか。そうすると、葛藤の中にいつまでも留まってしまいます。私はだれなのか。私は救われた神の子どもである。もちろんのことですが、それだけではいけません。今私はなにを考えているのか。それが私です。心の中に疑いがあるならば、疑いの中で疑いの人生になってしまうでしょう。霊的問題の中でいつもさまよっていたならば、いつもさまよいの人生になってしまいます。解決は簡単です。ある日、悟るようになります。

ある日、私は悟りました。暗闇の中で多くの人々が騙されて生きているということについて。そこで神は言われました。「あなたは世の光です」と言われました。そこで「大きく光を放て」と言われました。救われた者に聖霊が伴われる事実がわかるようになったのです。それは本当にものすごいことです。本当であるならば。では、多くのことを考えていかなければなりません。救われた皆さんの中に聖霊がともにおられると言うことがわかるならば、これは大きな事実になります。私もこの事実をある日わかるようになりました。ある日、祈るたびに神は天の門を開かれ御使いを遣わされるという事実についてわかるようになったのです。そうすると、心配する余地はひとつもありません。そうだと思いませんか。そうすると、多くのことが変わっていくのです。考えが変わるようになりました。皆さんが行かれるすべてのところで暗闇が打ち砕かれ、サタンが縛り上げられることがわかるならば、ものすごいことになっていくということに気付いたのです。短い1時間の礼拝をとおして、大きな答えに預かることができます。
もしも福音を伝えなかったならば、わざわいだと言われました。私はわざわいだ。一体、どういうことなのでしょうか。私たちは必ず3つのわざわいから逃れるようにしなければなりません。

1. 福音を知らなくて起きる災い
まず1つ目です。福音を知らずに起きるわざわいです。福音を知らないから起きるわざわいは知ればいいということです。皆さんもご存知のとおり、イスラエルには7度のわざわいが起きていました。あれだけ賢かった民族イスラエルが奴隷になってしまいました。福音がわからなかったからです。ある日、出エジプト3:18、この契約を悟ったモーセをとおして出エジプトが実現されます。これが聖書です。これが福音です。多くの人が教会と福音を誤解しています。だから、このようにわざわいが絶えず。続けて苦しみの連続です。「私はわざわいだ」という言葉はとても恐ろしい言葉です。「私は幸せです」。そう言いたいでしょうか。「私は豊かに生きています」。そう言いたいでしょうか。「私はよい大学に通っています」。そう言いたいでしょうか。「私は海外でも生活し、たくさんの勉強もしました」と言いたいでしょうか。私自身に起きる霊的問題によって、ある日突然滅びてしまう。だから神はキリストを遣わされたということです。イスラエルは解放されました。しかし、またペリシテによって攻撃されています。戦争が絶えませんでした。続けて攻撃されてしまう民族、イスラエルです。契約の箱を悟ったサムエルとダビデによって、特にサムエルが生きている間、戦い、戦争はなかったと言うような祝福もありました。

これらはすべて福音がわからないから起きてしまうわざわいなのです。ということは福音を悟ればよいのです。皆さんがまことに福音を悟るならばわざわいは退けられていきます。本当に残念なことです。この暗闇の勢力とわざわいは他のことは怖がりません。福音だけを怖がります。地球をひっくり返して掌握しているサタンは、ひとつ、キリストだけを怖がります。他は怖がりません。この部分を教会と信徒が逃しているのです。それでは今日この福音の奥義を見つけていただく1日になっていただきたいと思います。そして、答えられる、まことの神の祝福を得る1日なっていただきたいと思います。

本当に不思議なことがあります。また、イスラエルは忘れてしまうのです。イスラエルの民族は福音を与えられ、解放され生かされたにもかかわらず、また逃していくのです。イスラエルは800年の歴史をとおしてまた福音が無くなってしまうようになります。奇跡的なことではりませんか。イスラエルの地に福音を与えましたが、なぜまた福音が無くなってしまうのでしょうか。福音を語ったイザヤを打ち殺してしまいましたが、イザヤはとてつもなく大きな奥義、福音を語りました。「見よ。処女が身ごもって子を産む。その名をインマヌエルとせよ」と言われたのです。未信者が聞けば笑ってしまうようなことです。「一体、どういうことだ」と言うことで。多くの宗教人が聞いたならそれは本当に何でもないかのように見えたかもしれません。しかし、歴史上、一番重要な単語を発言したのです。処女が身ごもって子を産むということは、人間の子孫は救い主にはなれない。だから、聖霊によって身ごもられたその救い主こそがイエス・キリストであると証明しているのです。この契約を取ったとき、また握ったとき、バビロンから解放されました。

皆さん、一人、二人が福音を握ることによって、わざわいに勝つことができるのです。今日はまことに契約を握る一日になっていただきたいと思います。今伝えていることが、皆さんはよくわかっていることだと思いますか。いいえ、わかっていません。本当に悟るなら、わざわいは去って行きます。ほとんどがどうなのですが、特に伝道キャンプを海外に送ってみますと、ほとんどの牧師先生方が力がない状態です。重職者はほとんど揺れている状態です。そうすると、その間にいるレムナントはどうなると思いますか。それはわざわいだと私は判断します。早くそこから逃れなければなりません。主のしもべが皆力がなくなっている状態、重職者が皆揺れている状態、これはサタンの戦略中の戦略だと思います。サタンが狙っているのは一つしかありません。皆さんが知らず知らず何もわからないままで力を失ったまま死んでいくことを願っています。そうすると、皆さんの家系に、代々に、次の次まで災いの時代が絶えなくなると言うことです。ひとりだけでも悟るなら御働きが起きると言うことです。そして、イスラエルの民はまた解放されました。解放された後、またイスラエルの民は属国にされてしまいます。そのときのペテロの告白です。イエス・キリストに対し、「あなたは生ける神の御子キリストだ」と告白しました。私はこう思います。本当に福音さえ正しく悟るなら終わりです。「伝道をどうしたらよいのですか」と言う質問は嘘です。伝道はどのようにではありません。福音を悟るならばできます。「私はどうやって生きればよいのでしょうか」という質問自体が偽りです。福音さえ正しく悟るならば、永遠に神は私たちとともにおられるということ、それでいいのです。まことの福音を持つ、まことの教会でなければなりません。

神は言われます。皆さんは一切、未来のことについて心配してはならないと言われました。神は皆さんを祝福されます。最高に走り、最高になって世界福音化をしなさいと言われます。皆さんは尾にならず頭になり、全世界を征服しなさいと言われています。そこで皆さんは、レムナントはこの契約を握っていただきたいと思います。イスラエルはなんとまた福音を逃します。のちにはどうなったかわかりますか。エルサレムの神殿が燃えて無くなってしまいます。20カ国に及ぶ、すべての国々に約1200年間の間、イスラエルの民は散らされた民族となります。私はそう思います。いまだにイスラエルは重要です。イスラエルの民が契約を悟る瞬間、世界は福音化されると思っています。もし福音を宣べ伝えなかったならば、私はわざわいだと言われました。

私は初めて海外旅行に出かけたところがタイです。もちろん、そこは仏教の国です。その次がロシアでした。98%が皆クリスチャンだと誇っていた、キリスト教国家だと言われていたロシア。そのあと、共産国家になってしまいました、ロシアはとても発展した国で200年前からすでにエスカレーターが存在していた国です。そのエスカレーターはずっと前に行ったときに壊れて故障中でした。そして、どれだけ滅びてしまったのか。昔の公衆電話がいまだに設置されているのですが、ほとんどが使えない状態です。そして、公園を立派につくったのですがそれは昔の話で、公園の中に噴水台があるならば10個のうち8個は水が出ない状態です。こんなに滅びてしまっています。共産主義国家になり、完全に70年で滅びてしまいました。朝、出かけたところ、ロシアの女性がゴムで作られた靴を持っていました。私は朝、出るときにその女性を見たのですが、帰りの際、その女性がゴムの靴を持ってそのまま立っていました。現地の人に聞いたところ、ゴムの靴が手に入った人がそれを売っているのだということでした。また、ロシアの博物館も訪問しました。その次はヨーロッパのある国です。本当に残念な姿を拝見しました。ロシア、そして、ヨーロッパのとくにフランス、ルーブル博物館など皆同じです。何が同じかというと、その国々に伝えたいことがあります。いろいろな文化を見ながら福音を一度も聞いたことがない、そして、福音を一度も伝えたことがない国だと思いました。普通の問題ではないと判断します。聖書のこの言葉、福音を伝えなかったなら災いがあると言うこと、皆それぞれの国々はよく信じていると思っているでしょう。しかし、福音は一度も伝わったことがないと思います。もしもレムナントの皆さんがロシアに行くきっかけがあるならば、皆さんはロシアの博物館に行ってみてください。すべてを見ることができます。またルーブル博物館も行ってみてください。今までのヨーロッパの文化、すべてがそこに展示されているでしょう。そこで他はともかく絵をご覧になってください。絵が展示されているのですがキリストは一切ありません。絵はすべてマリヤを讃えています。でたらめな福音は本当の福音でしょうか。本当の福音が伝わったことがありません。普通の問題ではないと思います。もしかして私のメッセージを神父さんやシスターの方々が聞いていらっしゃるでしょうか。本当に悟っていただきたいと思います。マリヤは私たちと同じ人間です。ただ神様の意大きな恵みを受けた方であることは確かです。しかし、そのマリヤが原罪がないと主張するのは聖書についてまったく無知であると言うことです。カトリックはそう教えています。マリヤには罪がないと教えています。原罪がないと教えています。そこで実際に彼らはマリヤの名で祈っているではありませんか。こういうことによってロシアをはじめヨーロッパはそれらの働きに掌握されています。様々な絵を見ますと、イエス様が十字架にかけられていく寸前に倒れるのですが、後ろでマリヤがイエス様を支えようとする。そうすると、マリヤを讃えながら何気にキリス路の存在を薄めていく。災いはそこに降りかかるしかありません。今私たちが豊かに生きていると思うのは勘違いです。ヨーロッパはどれだけ滅びて行っているか皆さんおわかりでしょうか。ヨーロッパは神様のことを語ると、一体、なんと昔話をするのだと言う扱いをされます。それくらい霊的に滅びている状態を指しているのではありませんか。神様なんて言う言葉を口にするだけでも、まるでおかしく扱われます。こんな状態です。それで学生たちは、麻薬を楽しんでいる国になりました。学生の皆さんは、特に留学を考えていらっしゃる方々は、非常に気を付けて目を覚まして行かなければなりません。世界は今そのようになっています。

もしも福音を伝えなかったならば、私はわざわいだ。福音が伝わったことがありません。しかし、福音を伝えたならば、死からいのちに移り変わる祝福が始まります。聖書は言われました。「受け入れるもの、その名を信じるものには神の子どもになる特権が与えられる」と言われています。「あなたは生ける神の御子キリストです」。イエス様は直接このように語られました。「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます」。

「教会が難しく復興できません」。それは嘘です。キリストを悟る日、福音を悟る日、わざわいは去って行きます。韓国教会がいつまでも争っている理由、キリストをまともに悟らない限りわざわいはその教会から離れないでしょう。確実にやって行かなければなりません。福音、それでおしまいです。まことにご自分が福音を正しく理解しているかどうか、そして、福音を正しく理解しているならばわざわいは終わりです。

「私はイエス様を信じていますよ」もちろん救われると思います。イエスを信じれば。アブラハムはすべてを捨てて出て行きました。神に従ったのです。救われたのです。しかし、彼は捨てていないことがありました。何を捨てなかったのでしょうか。自分のものです。自分の欲。自分の肉。その内容をそのまま持って神に従いました。だから、救われているにもかかわらず、サタンの攻撃には勝つことができなかったのです。皆さんも今日理解しなければなりません。すべてを捨てた。でも捨てていないのです。「いや私は今子どもも一人もいない。こうやって生きていけるのだろうか。息子もいない。あと継ぐ者もいない。どうやって生きられるのだろうか。私に子を与えるなんて本当なのか」。こうやってアブラハムは実際的には信じていないのです。だから、続けて続けて苦しみが絶えませんでした。ある日、アブラハムは決断をします。神様はアブラハムに何と仰せられたのでしょうか。「アブラハムよ。目を開いて東西南北を見なさい。あなたが見るところ、あなたが踏み入れた地、すべてをあなたに与えよう」と言われました。「私はあなたの盾であり、私はあなたの報いである」と言われました。皆さんいかがでしょうか。

もしかして苦しんでいる方はいらっしゃらないでしょうか。なにかがうまくいかないと言う方はいらっしゃらないでしょうか。決断してください。本当に福音を悟ったならば、すべてのわざわい、すべての呪い、すべては終わっていくのです。勉強と福音はどんな関わりがあるのでしょうか。関わりがあります。福音の中で勉強してください。ダビデをご覧ください。ダビデはどう言いましたか。「主は私の羊飼い。私は乏しくありません」と言いました。主はヨセフとともにおられました。本当の福音を悟るとき、皆さんは皆さんにしかわからないその奥底の問題が終わっているのです。本当の福音を悟った日、すべての暗闇の勢力が退けられていきます。

教会がいかに間違ったことをしているのでしょうか。教会は今、社会問題に巻き込まれて、社会から嫌われています。だから、福音さえ正しく悟ったならば、すべての問題は終わっていくのです。今日まことに答えられる1日でありますように願います。ペテロは言われました。私は全部捨てて、主に従っていきます。全部捨てました。でも、捨てていないことが一つあります。それは何でしょうか。自分です。自我。肉。世的なこと。捨てていなかったのです。だから、ペテロは逃げていきました。逃げた後、またイエス様に捕らわれたのです。そして、子羊を買いなさいと言われました。ある日、ペテロはこの契約を悟って握りました。ペテロをとおして世界福音化が進行されていったのです。

2. 福音を伝えなくて起きる災い
福音を伝えなかったならば、私はわざわいだ。つまり、わざわいがあると言うことはどういうことでしょうか。福音がわからないから来るわざわいもあるのですが、福音を伝えないから来るわざわいもあります。聖書だけにそれらは記録されています。創世記3章の問題はいまだに続いています。そして、皆さんの家を攻撃し、社会を攻撃して行くのです。間違いなくそうです。聖書だけがそれを記録しています。創世記6章の世的な問題、世の中を困難に陥らせる問題は続いて皆さんの中に浸透します。いまだに創世記11章の問題は続いています。私たちが福音を伝えなかったならば、そこにはわざわいがあります。これらの霊的問題は文化に変わり、使徒の働き13,16,19章のようになって行きます。そこでなにも間違いをしていない人間には、続けて災いの中で生きていくしかありません。勉強を熱心にして学位を取りました。けれども、霊的問題は増えていってしまったのです。自分は過ちを犯していないと言うのに、なぜ私はこうなのだろうか。世界はなぜこうなっているのでしょうか。それらを指し原罪といいます。そうです。創世記3章から出発した問題です。そこで人間は偶像崇拝をし、信仰生活をするとは言うものの、すべて宗教生活です。これらは未信者の状態です。

3.これから迫る未来の災い
 福音を述べ伝えなかったならば、私はわざわいだ。どういうことでしょうか。これから来たる未来に対するわざわいを指しています。マタイ24章と25章には終末の時代が預言されています。その中で一つ成就されていることがあります。これから残ることがたくさんあるのですが、一つ成就されている部分があります。それは何か。エルサレム神殿は、石の上に石ひとつも残らないと言われました。それはどういうことでしょうか。つまり、石の上に石ひとつも残らないと言うことは崩れると言うことです。崩れました。そして、強力なカトリックはそのカトリックパワーによって、エルサレム神殿を回復しようとしましたが回復されませんでした。聖書は回復されないと預言しているからです。回復されるとしたら、それは終わりです。石の上に石ひとつも残らないと言うことは全部崩れる、滅びると言うことを指しています。今そこにはマホメッドの神殿が立てられています。ユダヤ人は今もそれを嘆きの壁として嘆いて祈っていますが、一体どうしたらいいのでしょうか。私たちはそこに訪問する必要もないくらい、預言されています。崩れると言うことが。イエス様はまた言われます。終わりの時代になりますと、敵キリストが生まれ、迫害の時代が来ると言われています。しかし、すべての民族に福音が宣べ伝えられた後は終わりが来ると言われました。マタイ25章は教会に対しても言われています。ともしびはあるけれども油がない。また同じように、山羊と羊がある。タラントを皆持っているけれども、そのタラントを埋めておいて、そして皆それを使うことができないと言われています。また第Ⅱテモテ3章を見ますと苦しみの時代が来ると言われています。そして、終わりの時代は霊的な困難な時代を迎える。しかし、この預言の言葉を読むもの、守るものは幸いだと言われました。

結論
さて、今日、契約を握るだけでよいです。福音が何であるのか、それさえ悟ればわざわいは終わって答えられるようになるのです。今日はこの質問をご自身に投げてみてください。キリストを知ると言う基準は何かということです。キリストを知る基準、それを変える瞬間、御働きが起きます。私は救われたけれども、キリストを信じると言うその基準は何かということです。その基準は私ではありません。神様の基準です。その基準を変える瞬間、すべてのわざわいは終わります。神の国、刻印されたものを変えるとき、すべての暗闇の勢力は終わって行きます。

私は伝道が難しいですと言う次元の話ではありません。私はたぶん、おかしい性格だと思います。いまだに理解できない性格です。例えば、子どものときだったのですが、親戚の家に行ったときがあります。食事をしていたら、ご飯の中に石があり石を噛んでしまいました。ならば、それを吐き出すしかありません。でも、口の中にあるものを吐くと言うのは汚いではないですか。自分がそれを吐く瞬間、もてなした人は私に対して非常に申し訳なくなるではないですか。それをこっそりと吐き出せばいいのですが、でも私はそれでもと思い、飲み込んでしまうのです。そんな性格です。この性格は本当におかしいな、理解できないなと思います。あるときは、父親がおいしいものを買って帰宅しました。私はその時ちょうど寝ていました。でも、寝たけれども父親が帰ってきたと言うことは大体わかりました。それでどういう性格かと言いますと、父親が帰ってきたわけですから目覚めたならば普通に起きて食べればいいのですが、「あの子は寝ているから」ということでだれも起こさないのです。わざとちょっと動いたりしてあげるのですが、私は寝ていると思われて私を起こしません。だから、私は泣きながら布団の中で寝ました。それが私の性格です。おかしい性格です。また、子どものときに道端でお母さんとおばさんたちがなにかを食べている。そうすると、私はそこを通りません。そこを通るとどうなるかと言いますと、私を呼んで「これを食べなさい」と言うでしょう。でも、それを狙ってわざとそこを通ったと思われるのが嫌だったので、わざと遠回りして行きました。それが私の性格です。本当におかしい性格だと思います。あるときは、昔私の近所の向かい側におかしいおじさんはいました。いろいろとごちゃごちゃがあって、おかしいタイプのおじさんがいました。そのおじさんを見るときに挨拶をしなければなりませんが、私は一度知らんぷりしました。1回知らんぷりしたのです。そうすると、1度しらんお売りしたわけですから、次も知らんぷりしなければなりません。だから、すぐ向い側に住んでいるのに、いつも挨拶をすればいいのに1度しなかったのです。だから、いつまでもしないわけです。普通に挨拶をすればいいのに、人がころころ変わるとはなりたくなかったので、1度私が相手にしかとをしたのでずっとしかとをしていきました。すると、やはりそれが噂されました。「あの子は挨拶をしない子だ」と噂されました。実際は挨拶をしないような私ではないのですが、そのようなタイプでした。おかしい性格です。あるときは、自分より1個下の子がいたのですが、私に「兄貴。海雲台の海に遊びに行こう」と言いました。私は「お金がないから行けない」と言いました。すると、その子は「お金は心配ない」と言います。私は小6でその子は5年生だったのですが大丈夫だと言うことでした。昔はドライアイスみたいなものを売って、自分の親戚がその商売をしているから、私たちもそれを売ってあげるとその儲けで海雲台に行けばいいと言うことでした。それでその言葉を信じていきました。それを売るためにはボックスの中にそれを入れ背負って売らなければなりません。私はそれを背負った瞬間、自分の性格がわかりました。例えば、そのアイスの箱を背負ったときに、今度はリズムに乗って歌わなければなりません。リズムに乗って声をあげなければなりません。それでこそ人が振り向くなりなんなりして売れるのです。その小学校5年生の子はボックスを背負った瞬間、リズムに乗って声を吐き出しました。でも、私は一切声が出ません。逆に沈んでしまいました。「ア」も出ません。結局、そんな自分が恥ずかしくなりました。それが私の性格です。だから、あえて人の少ない裏道を通ったりしました。人通りの少ない裏道を。途中でその子に会ったとき、「兄貴。全部売りましたか」と言われたのですが、私は1個も売っていないのですが「ちょっと残った」と嘘をつきました。でも、その子は全部売ったということでした。全部売ったので2回目をこれから売ると言うことで、私は彼を尊敬できるような瞬間でした。私は1個も売れない状態だったのですが、彼は2箱も打つと言う状態でした。その子は小5で私は小6だったのですが、彼が売ったお金で海雲台に遊びに行ったという覚えがあります。本当に尊敬しました。あいつは絶対大きくなったら偉い人になるのだろうなと思いました。近所の人に聞いてみました。彼はジョンミョルという名前だったのですが「最近、ジョンミョルはなにをしていますか」と尋ねました。すると、その子は今お酒を売りながらラッパを吹いていると皆に言われました。やはり、吹くことが得意だったのでラッパを吹いているのだなと思いました。それが私の子どものときの性格です。それが私の性格です。この間も言いましたが、飛行機に乗ったときに私の前に乗った人が座席をいろいろと汚くしていました。機内のトイレに入ったら他に人の汚物で便器が汚れていました。でも、私が出た瞬間、おそらくスチュワーデスさんが「ああ。あの牧師さんが大便をしてきれいにしなかったのだな」と思われるのが嫌だったので、人の汚物を私がきれいに掃除をしたという体験をしました。そんなにおかしい私の性格です。

では、なぜ私の性格をこんなに細かく言ったかと言いますと、私は死んでも伝道はできないタイプでした。アイスケーキひとつも売れない私、恥ずかしがり屋です。だから、福音を伝えることなどなんと難しいことだと思っていたと思いますか。でも、それは違うと言うことに気づきました。気づいてみたら、なんと私と一番ぴったりなのが伝道でした。なぜなら、聖書を見ますと、現場に行ってうるさくしながら伝道していません。現場、現場に行って静かにみことば運動をしていたということです。そして、聖書を見ると他ではなく、暗闇の文化と戦うことが伝道なのだなと言うことに気づきました。私はある日、悟りました。私のすべての問題が福音の中でだけ解決されるのだなと言うことを。私は希望が一切なく崩れている人間でした。私はそんな人生だったのです。6.25戦争、朝鮮戦争を経験しました。わざわいに遭い、災難に遭い、父親が亡くなり貧しい状態、希望は一切ありませんでした。しかも私はなにをしたらよいのか夢もありませんでした。そんな中で重要な若い時期さまよっていたのです。学生時代さまよったら大変です。一番重要な時期にさまよったのですべてが崩れてしまいました。どんなところを見ても私には希望がありませんでした。でも、ある日福音を悟ったのです。あなたのすべての罪を十字架でイエス様が解決した。神の子がこの世に現れたのは、悪魔のしわざを打ち壊すためであると記録されていました。私は道であり、いのちであり、真理である。私を通してでなければ父のもとに行く者はだれもいないと言われました。もっともな話です。どんな人がどういう偉い言葉を言ってくれても私には真理でありませんでした。お寺にも言ったことがあります。大変な私に対して、「あなたが自ら悟らなければなりません」と言われたのですが、そんな私は悟ることもできず、悟れば自殺しなければなりません。すべての宗教は正しいものばかりです。もちろん立派なものです。こうしなさい。ああしなさい。しかし、私はそうできる力がありませんでした。私は聖書を読みながらびっくりしたのです。人間を一番理解している書物が聖書。億万の罪の中に陥った私たちを生かすために、神はキリストを遣わされ、キリストをとおしてすべてを解決された。人間は創世記3,6,11章を解決することはできません。神がキリストを遣わし、十字架ですべてを完了したのです。受け入れる者、それを信じるものには神の子どもとなる特権が与えられたと言われました。まことに、まことに私はあなたがたに告げると言われました。私の言葉を聞いて私を受け入れる者は死からいのちへと移り変わると言われています。すでに、私を信じて受け入れる者は永遠なるいのちを得て、そして、死からいのちへと移り変わったのだと言われました。多くの地球上にいる人々が、この福音を悟らずに続いて来るわざわいの中から逃れることができていないのです。この福音を伝えなかったならば、私はわざわいだ。つまり、私にわざわいがあると言うことです。もちろんです。だから、私はある日決断しました。たとえ牧師にならなくても福音を伝えなければならないが、私は牧師になり、全正解にこの福音を伝えていくのだと言いました。ただ福音。その日以降、多くの祝福が与えられたのはもちろんのこと、世の中がなぜこのようになってしまったのか見えるようになりました。聖書だけ、福音だけ、神様のみことばだけにこの答えがあります。ですから、全世界にこの福音を伝えなければなりませんが、皆さんがこの福音を持つだけでも勝利すると言うことです。

まことに今日、本当に私は福音を持っているのか、質問をしてください。多くの人々は福音をわかっています。でもそれが肉的にわかっています。多くの人々はわかっていますが。でも自分の基準でわかっているのです。多くの人がキリストの言葉がわかります。けれども、世の中の基準でわかっています。全部、私の基準で考えているのです。そうすると、わざわいに勝つことはできません。福音はそのような基準で悟るものではありません。ある日、クロスビーが告白しました。「神様、今まで私の目を開いてくださいと祈りましたが、私はこれからはもう見えなくても結構です。それが私の祈りの課題です。なぜなら、このままの状態で結構です。これで幸いです。その彼女の賛美を見てみてください。私が行く道、果てるまでイエスはすべてを知っておられる。その愛はとても限りなく果てしないと言われました。ほとんど目が見えなかったが、道を歩く歌詞を作りました。今もその賛美の影響力は全世界に及んでいます。これからもそうだと思います。今日、基本的な質問をしてください。私は本当に福音を持っているのか。質問してみてください。それでおしまいです。もしもまだまだ終わっていない自分がいるなら、なぜか見てください。この福音を伝えなかったならば、私はわざわいだ。当然な話です。そこで今日、福音を回復する一番幸いない日になりますように、主の御名で祈りします。


(祈り)
神様、感謝と賛美をささげます。今日、福音を正しく回復する1日となりますように。すべての問題の解決者、キリストを正しく悟る人なりますように。この時代にわざわいを打ちとめる福音を悟ることに、本当に福音を伝えることに用いられますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン