20140615 インマヌエル教会聖日2部


真の救い-真の答えを得る器
(Ⅰコリント12:12-31)

序論
 今日、私たちは真の救いを受けた者。皆さん、真の救いを受けられましたか。あまり自信がなさそうですね。真の答えを得る器は何でしょうか。地球は丸いです。回りながら逆さまになったりもします。釜山の前にも海があります。地球が回っているにもかかわらず、水は落ちたりしません。地球は回って動いているわけですからこぼれるはずですが、そんなことはありません。ニュートンはある日、リンゴが下に落ちるのを見ました。「ああ、リンゴが落ちた」本当にとてつもないことを発見しました。地球の中からなにか引っ張ってくる力があるのだ。もしそうやって引っ張り込む力がなければ、この水もすぐこぼれてしまいます。そこで万有引力の法則を発見しました。リンゴ畑で働いている農夫さんはこのようなことをよく見たわけですが、法則は発見できませんでした。ある日、スティーブンソンという人が、水が沸騰したために釜のふたが上の方に上がってくるのを見ました。この人はそれを見てエンジンを発見し、蒸気機関車を造りました。こうして機関車としてつくられました。ふたが上がったり下がったりするのは家政婦の方がよく見ています。見るからできるというものではなく、おばさん方もどれだけ見たでしょうか。

ですから、皆さんが礼拝をささげるときも、とても大切な時間として持つか、またはただ過ぎ去る時間になってしまうかです。フランスのミレーという画家は、一日中働いたあと教会の鐘を打つ音を聞いて夫婦が祈っている姿が世界で一番美しいと幸せな姿だと思いました。皆さんは、毎日のように教会で祈るのにどういう意味なのか分からないと思います。本当に皆さんが礼拝に来るとき、どのような気持ちになるべきでしょうか。本当に神様が私とともにおられるこの恵み、となっていれば、信仰生活が今成功している人です。一晩中、一睡もしなくて礼拝堂に来ると、電流が走るような霊的な力を得て目が開かれます。ある意味、そちらの方が正常ではないかと思います。昔の友達に久々に会いに行くとき、皆さんはどんな気持ちでしょうか。エンドルフィンがどんどんわいてきて、その友人がどのように変わったのか、どんな仕事をしているのかと、すごく期待感にあふれます。それなのに私たちの生活の中にはそんな時間がないということは、本当におかしな生活になります。

しかし、クリスチャンには祈りの答えがあって、普段からこのような祈りの答えを受けつつ礼拝に向かうと言うことは本当に重要です。私がこんな話をしても、到底そんな感じではなさそうですね。ただ眠くなっているようです。夜にどのくらいTVを見ていたか。しかし、皆さんがTVを何度も見てどんなものを見ても霊的な力を持っていれば皆さんは変わります。実は私も昨日の夜10時頃に寝入って12時に目が覚め、今まで一睡もしていません。大丈夫です。私はみことばのことを考えたり、皆さんのことを考えると私にとっては大きな答えなので大丈夫です。

神様は皆さんの礼拝のたびに最も重要な霊的な目を開き、そして、最も重要なことを見させてくださいます。今日も教会会員メンバーの集まりがあり、そこにシン長老が訪ねて来られました。「本当に教会の中での他の集まりはすごくうまくいっているように見えるのですが、伝道会の集まりだけはうまくいきません。牧師先生、どうかこの伝道会が生かされるように祈っていただきたい」と言いました。長老さんが言っている姿を見ますと、本当に心から焦がれているのがわかります。ある意味でその話の裏は、ここで言ってほしいと言うことでしょう。ところが理由があります。伝道会のメンバーを見ますと、ある人は教会メンバーだったり教師や聖歌隊のメンバーだったりします。そこで夢中になって力を発揮していて、伝道会に来ると力が抜けてきます。そこで伝道会をとおして神様の働かれる大きな計画を逃してしまいます。女子伝道会も同じです。聖歌隊をしたり他のことで献身したりして、あとで伝道会に行こうとしても力が抜けます。ですから、女子伝道会も男子伝道会も難しいのです。聖歌隊はもしそこに座らなければすぐにばれてしまいますから座るしかありません。また私は説教者として来なければすぐに皆がわかりますから来なければなりません。しかし、伝道会はこっそり抜ければ誰もわかりません。逆に恵まれるときもあります。ですから、そんなことになります。それは皆さんの霊的な目がくらんでいるからです。皆さんが今教会でしていらっしゃる奉仕、女子伝道会も男子伝道会も日曜学校、聖歌隊の奉仕もここにすべて神の祝福がそこにあります。それを知ってこそそのような答えがあります。

ちょうど今週の集会は江原道集会を控えています。しかし牧師先生たちがすごく力が抜けています。ある教会の信徒は教会から離れてしまい、離れたのはいいのですが、新天地に行ってしまいました。旧天地から新天地に行くような感じでしょうか。キリストによってすべての答えが出たかと思いきやそうではなかった。これでは足りない。新天地に行くよ。このような人は地球の中にいっぱいです。霊的な目を開くべきです。そうです。皆さんは霊的な目を開いていなければなりません。そして、来週にもそれ終えて講師会の集会がまたあります。自分の教会の信徒が教会から離れて新天地に行ってしまった、そんな教会の牧師でも頑張って講師会に来ています。このように私たちに大事な霊的な目ひとつが開かれなければすべてを失ってしまいます。私たちが胎児幼児部から中高生のために献身することはどんなことなのか知っておくべきで、聖歌隊のことはサタンのことではなく本当に大事なことだということを知らなければなりません。例えば、男女伝道会に集まって祈る時間がどれほど大事なのかを知るべきです。その短い祈りがどのように重要であることかを知る必要があります。
例えば、ある 建物が火事になったときに、だれが死ぬのか分かりますか。軍隊を終えた人たちを訓練する予備軍訓練はあまり訓練がまともではなく出席だけで終わります。そんな訓練でもよく行ったり来たりする方がいざという時には事故に強いです。そのように私たちも霊的な問題、わざわいが来たときにどうすればよいかわからない場合があります。次の週は軍宣教大会が控えています。そして、その次は牧師夫婦修練会が予定されています。皆心配していらっしゃるのですがたくさんの人が集まります。しかし、私はそうは思いません。重要な人だけが来たらいいと思います。聞く耳のある人だけが来なければなりません。神によって導きを受けた人が来てこそ、神の御働きが起きます。皆さん、よく聞いていただきたいです。しばらくの間だけ用いられる人がいます。しかし、最後のところに行って失敗する人がいます。ほんの短い時間だけ用いられる人もいれば長く用いられて一番最後のところで滅びてしまう人がいます。ところが、その人が死んでいなくても永遠に働きが続く人がいます。聖書をよく見てください。テオピロよ、わたしは前の書で。その日、使徒2:9-11節15カ国から集まったこの答えは今でも続いています。この日、この人たちが出した献金は、初代教会の始まりとなってその答えは今だに続いています。使徒4:32-37。バルナバという人は自分の全財産を教会にささげました。本当に気が狂った人ではないでしょうか。自分の財産を全部教会にささげて、自分は何を持って食べていけるでしょうか。しかし、これこそローマをのちに征服する土台となりました。皆さん、霊的な目が開かれている人には、それがどれだけ大事なのかわかります。そこでローマ16:3-4を見ると、命までもかけていました。ローマ16:23には、ガイオのような人はすべての伝道者の家主になりました。

皆さん、今日間違った考え方を変えたときに真の答えが起きます。これから男女伝道会では意味ある集まりとして作ってみてください。いろいろあると思います。せっかちに意味なく無理やり引っ張ろうとするのではなく、意味あるものとして作ってみてください。するとその時から、男性も女性も伝道会が本当に重要な集まりなのだと分かります。そのように作ってみてください。神の祝福に預かるしかない伝道会を作るといいと思います。ないと思いますか。あります。それこそ霊的な目が開かれて、続けて答えられるようになります。男女伝道会もキャンプをする時も、本当に神が望まれるキャンプが何なのかを意味あるものとしてやってみてください。1回で皆さんの専門の答えが来ることもあります。
私が以前、したことは何でしょうか。「神様。私は牧師になる可能性が高いです。ということは教会を生かす牧師になるのは当然ではないでしょうか。今日、私が現場に行くとき、現場で必ず見るべきことが見られるように導いてください」と祈りました。私は実際に行って本当に衝撃を受けました。いざ現場に行ってみましたら、20年前に私と別れた人と再会しました。つまり、伝道できるようにすべて準備されていたのです。私たち二人はびっくりしました。「あなたはどうやって来たのですか」「私は伝道のために来ました。場所が必要だ」と言いました。「いくらでも使ってください。会館も何でもあります」と言われました。「実は私はこの町で会長を務めています。兄貴。どうやってここまで来られたのですか」「兄貴ではないよ。牧師だよ」と言いました。20年前の私の下の家来でした。いまでは按手執事、真の信仰者となって自分のお店を保っています。このように奇跡のような答えが行く所々で備えられていて、その答えは今でも続いています。

本当に神様は良い神様で、私たちを祝福してくださる神様で、私たちは少しだけ祈ったのに答えを続けてくださいます。ただし、考え変えなければなりません。つまり、ある物事を見る目が変わらなければなりません。考えが変わらない限り別のことをしだします。考えが正しくなって真の祝福に預かれます。この人を見てください。こんなに危険な場所に集まれるでしょうか。ここに集まれば大変なことになります。献金を少しするのはよいです。しかし、どうやったら自分の全財産をささげられるでしょうか。私はこちらの方がもっと難しくないかと思います。すべての伝道者の家主になったということは、自分にお金があったからできたわけで、どうやって自分の全財産をささげるのかと思います。私たちはどうでしょうか。つまり、ここまでできると言うことは、自分のいのちまでも、人生までもかけられるほどの価値を見たということです。

私たちは、今日どのような霊的な目を開くべきでしょうか。

1. 教会を見る目が違う
真の救いを受けた者、真の答えを受けるべき器の者は、まずは教会を見る目が変わるべきです。これが異なります。皆さんはすでに真の救いを受けました。しかし、真の答え受けるためにはまず教会を見る目を変えるべきです。今日何と記録されているでしょうか。教会をどのように示しているでしょうか。
12節。私たちは各器官であって、しかし体は一つだ。これが教会を見る目です。簡単に言えば、体は一つでありながら、その各器官は様々である。キリストがそのような方である。
13節。一つの御霊の中にすべてがある。これは重要な言葉です。例えば、キム長老が聖霊の導きを受けて、リ長老が聖霊の導き受ければ、どんな面でもこの二人はぴったり合っていきます。レムナントがもし聖霊の導きを受ければ、神様が計画されているそこにたどり着きます。これが人生になければ私たちはわざわざここまで来て主日礼拝をささげなくてもいいです。ここに座らなくてもよいです。外に出て日傘をさしてあちこちふら着くのがいいです。だから、私たちは人間主義しか使わないというのは、聖霊の導きを受けてこそ重要なことに出会うのです。どんなにこれは楽なことでしょうか。
私は信仰生活大変ですということは偽りです。信仰生活を間違ってしているからです。すると疲れるしかありません。間違った道をいろいろ歩き回っていますから疲れるしかありません。道も知らないのに一日中歩き回ったら本当に疲れますね。反対に私がよく知っている道で、カーナビもつけていくとすごく楽です。今日の聖書よく見てください。つまり、私たち全員が教会ということです。
15〜18節。足が手に向かって、私と同じではないねと言いました。私たちもよくそうです。あの人は私と合わない。そうやってよく信仰生活をしています。あの人の水準と私たちの水準とは合わない。よくそう思いがちです。手が足を見ておかしいと思う。私と違うねと。目が耳を見ながらどうしてこんな形なの。耳が目を見て丸くておかしいと思う。目が口を見てこんなにどうして横に開いているのか。このように開いてこそこぼれずによくご飯も入ります。こうやって私たちはよく信仰生活をしています。では、あなたの体全部、目だけで良いのか。

例えば、少しだけ伝道運動をすると異端にしてしまいます。自分と同じくさせようとします。自分と同じ古くて薄暗くさせたい。ちょっと長けているとすぐ抑えようとする。例えば、私たちの体が全部鼻だったらおかしくなります。鼻はこの形の方がやりやすいです。水も入りにくいです。神様はすごく完璧につくりました。耳もこんな形でこそ眼鏡もかけられます。耳はこんなにまっすぐで横の方がいいです。これがななめになってしまうとこぼれます。でも横並びなのでこぼしにくくなります。鼻の穴もこの位置なので鼻をかみやすいです。目はへこんでいます。私はボコッと出ていますが。私はちょっと出ていますから、幼い頃よくほこりがよく入りました。眉毛が上についているので防いでくれます。鼻毛は虫が入らないように防いでくれます。耳にも耳垢が付いて臭って虫も入りにくくなります。こんなにも完璧に神様がつくっておいたのに、私たちは合わない、合わないと言います。そこで本当に祝福されるべき器なのかどうかがすぐわかります。そこで足と手は会議しました。あの口は何なのかと、いつも自分だけおいしいものばかり食べている。いつもおしゃべりだけだ。手足は会議しました。食べさせるなと。本当に食べさせませんでした。口になにもいれません。そうすると口は楽です。動きませんので。その結果、一番力が抜けるところが手と足でした。このままではだめだ。単なる例えではありません。これが教会です。教会の中にどうしてあんな人がいるのか。あなたの体の弱いところはどうなるのかと。皆さんがもし体の弱いところがあったらどうしますか。薬をつけて包帯で巻きますね。これはどうしてこんななのかとほったらかしにしますか。私たちの体にもし弱い部分があったらもっと守ります。私たちの体をよく見てください。大事なところはへこんでいて、あまり大事ではないところは出ています。もし目玉が蛙のように出てしまったらどうなるでしょうか。蛙は水の中にいるのですが、私たちは寝ていても目が枕に引っかかってしまって痛くなります。神様は完璧に私たちを祝福された。これこそが教会を見る目です。
22節。弱く見えているものの方がもっと大事ではないのか。
24節。お互いに補い合って調和させて生きる者だと言いました。以前、私はあまり食事ができなくてお腹の真ん中の方がなにか抑えられているような感じがしました。重いものが上に置かれているような感じでした。病院にも行こうと思ったのですが、食事をしていて痛みはないのですがすごく圧迫感を感じました。光州という地域に体だけを調べるところがあります。検査だけを専門的にするセンターです。光州集会に行ったついでに行きました。そこは医師も看護師も全部女性です。そこで全身検査していただきました。あまり異常はなかったのですが、医者から言われました。「刺身が好きですね」「はい、そうです。私は好きです」と言いました。「他はあまり異常がないのですが、ジストマ(寄生虫の一種)が入っています。大きな問題ではありません。薬1個でいいです。帰ってからこれを飲んでください。1回だけ飲めばよいです。薬がきつくて居眠りをしやすいので運転は控えてください」「わかりました」。それでその薬を買いました。飲みました。本当に不思議なことに、今までの圧迫感がなくなりました。肝臓に虫がついているのにどうしてここに圧迫感があったのでしょうか。しかし、薬1個でその圧迫感は一切なくなりました。

つまり、私たちはキリストに会ってすべての体の各器官です。それこそ真の救いを得ている者、真の答えを受けるべき器です。私は永遠に滅びる人、そして、永遠に死んだ後もその祝福が続く人を見ました。
私は信仰生活60年を越える中で、子どもの世代まですごく苦しむ方、またある人は子どもの世代まですごく祝福されている家を見ました。どうしてかご存知ですか。簡単です。教会を利用した人はその子孫まで難しい目に遭います。教会を利用して悪いことした人、教会のお金を盗んだりする人は、子孫まで。私は献金も盗む人を見ました。牧師の中にも献金に手を出す人がいました。神にささげた献金を自分のお金にしました。するとその子どもまでずっと滅びてしまいました。反対に教会のために献身する人がいました。その人は死んで亡くなっていてもその子どもの世代まで祝福は続きました。信仰生活を長くした人は見たと思います。私もそれを見ました。
皆さんが今日ささげる一時間の礼拝は百年の答えになったり千年の答えにもなります。

2. 人を見る目が違う
真の救いを得た者、真の答えを得る者は人を見る目が違います。
牧師を見る目が違います。何でしょうか。今、災いが起こるか。それとも、正しい福音が証しされるか。よく見てください。未信者たちはこれが事実でありながらもわかりません。戦争なのか、または伝道運動なのか。滅亡なのか、宣教なのか。これが聖書で示されている内容です。そして歴史です。これが牧師の手にかかっています。ですから、牧師のために教役者のために祈るべきです。牧師がこれを逃してしまうと本当に大変なことになるからです。
私たちは、人を見る目がなくてはなりません。すべての信徒はどうして大事でしょうか。すべての信徒には神の計画があります。そこで、すべての信徒に祈りの課題を与えるところが教会です。すべての信徒に対してミッションが伝わって行くようにされるところ。これが教会です。すべての信徒は裏面契約を持っていなければなりません。なぜでしょうか。特別な祝福が約束されているからです。これが人を見る目です。
これからレムナントが大きく育って、どのように世界をひっくり返すかだれも予想できません。この中にあるはずです。今迫害されたり、あざ笑われたりしてもまったく関係ありません。レムナントたちが答えを受けて大きな1千万倍の祝福があるからです。まだ出ていませんが完全福音、完全キリストを知っている伝道者、大統領が出ることができます。私の知る限りではまだ出ていません。まことにキリストがわかる指導者が出られます。まことにキリストを握って味わい、行く所々に暗やみが砕かれる公務員も出られます。私が見る限りまだ出ていません。私はキリストを信じています。私は長い間、教会に通っています。そう言っても関係ありません。行く所々に実際に暗やみが砕かれます。ですから、これを見る目があってこそレムナントが大切だということが感じられます。そして、全世界には霊的な目が開かれたレムナントたちがRUTCを中心に集まらなければなりません。つまり、レムナントのために祈る理由のある人、人を見る目を持っていなければなりません。

レムナントのために祈るということは何でしょうか。これを知っているパウロは、最も重要な時刻表に会堂に入りました。使徒17:1。最も重要な人々に会って、その人を説得して一緒に会堂に入りました。使徒18:4。ローマに入る前に。使徒19:8。会堂でまず入りました。これがすべてです。皆さんが持っている霊的な状態、飢え渇き、祈りが正しいときに真の聖霊の働きが起きます。神様は私たちのいのちを主管しています。それなのに私たちの事業、ビジネスを知らないでいらっしゃるでしょうか。神様は私のお金、経済も命も全部、主管しておられるのに、私の貧しさ、富を知らないでしょうか。絶対にそうではありません。皆さんのその思い煩い、不信仰を捨てて、この目が開かれたときに真の御働きが始まります。パウロの場合には、人を見る目が違いました。いのちをかけて会堂に入りました。レムナント。

3. 国家、社会を見る目が違う
3番目です。社会と国家を見る目が違いました。ここには2種類の人がいます。レムナント自身が社会と国家を見る目が違っていました。奴隷として行ったわけではありません。エジプトです。目が異なっていました。今戦争が問題ではありません。契約の箱とペリシテの問題です。誰ですか。サムエルとダビデです。この時代を混乱させたり滅亡させるアラムの国を見たのです。これがエリシャです。そして、全世界の滅亡を知っていたパウロです。ですから、ローマも見なければならない。これを知って助けた人々は、同じ答えに預かります。すべてを除いてこの一つだけを見てもそうです。モーセは殺人犯じゃないですか。私はそのモーセを婿としたイテロはすごい人だと思います。今日この短い時間に、皆さんの人生と聖霊の働きがぴったりと合ってくることを願います。

実は何も心配することはありません。お金がないでしょうか。それもあまり心配することではありません。私も以前知らなくて心配しました。私の学費はどうやって払うのかと心配しました。何も関係ありません。私が正式に伝道師として任命されたときには、教会からの謝礼金が出たのですが、それまでは何もありませんでした。チョ・ウンテク牧師に聞いてみてください。一緒に二人で土方に行きました。結構な給料が入ります。土方の人たちは見る目がありませんでした。私の体はまだ痩せていて「あなたは本当に仕事ができるのか」と聞かれました。「私はこれをするために来ました」と答えました。午後の私の働きぶりを見て、なるほどと思ったでしょう。見てみたらチョ牧師より私の方が優れていたのです。チョ牧師は足も太くて上げるのに精一杯です。担ぐものに関係なく、自分の体が苦しいのですから。仕事の途中でうどんがもてなされました。土方をしているから健康にも良かったですし、お金も入ってそれで学費を払いました。伝道師のときもそうでした。お金がまた足りない。他の人たちはお金を使って遊びに行っても、私がそのとき行ったところはどこか。現場です。お金のある人はお金を使いに遊びに行き、私はお金がなくて足で歩いて現場に行きました。どちらが真の幸せであるのか本人がよくわかります。そして、神がご存じです。そして未来が証明します。

なにがそんなに心配することがあるでしょうか。皆さんが難しいでしょうか。では一番下に下がればよいです。自分の思いや考えは一番高いところに、自分の体、姿勢は一番低いところで契約を握ります。間違いなく証拠が現れます。皆さんの希望と夢は一番高いところに、皆さんの勉強の姿勢は基本からきちんと。皆さんが真の聖霊に預かれば、他の人より百倍、千倍の力が発揮できます。私たちの脳は黙想だけしてもすごく力が出てきます。聖霊に満たされるように祈りましょう。それ自体がものすごい力につながります。

結論
結論を結びます。
この神殿建築、RUTCは難しい部分です。しかし、これは真に霊的な目が開かれた人にのみ受けられる答えです。ある面では話にならない部分です。イスラエル民族は今やっとエジプトから解放されて出てきて大変なのに、そこで幕屋を作りなさいと言います。イスラエル民族は今やっとの思いで出エジプトしているわけなのに、自分の全財産を集めてでも幕屋を作りなさいと命令します。またバビロンに捕まえられたのに、早く家に帰って神殿建築の準備をしなさいと言われました。話にならないことのように聞こえます。しかし、霊的な目が開かれた人にはそれこそ話になることです。最も至急なことがそれだからです。皆さんがまず霊的に生かされてこそ他のところでも生かされます。
それでRUTC、レムナントが生かされてこそ未来が生かされます。この契約を握った出エジプトしたイスラエル民族をとおして紅海の奇跡、ヨルダン川の奇跡も起きました。火の馬と火の戦車をドタンという城に送られました。

このような祝福が今日、皆さんに臨みますように。こうして契約を握って、今日、神様、本当に私の霊的な目が開かれますように祈ってください。あらゆる面で霊的な目が開かれますように。救われた最高の民なのに霊的な目が暗くなってしまうと間違った事を握ってしまうからです。はたしてそれはどういう意味ですか。三つ中のひとつを選択してください。ヨセフです。1番目。兄たちは私のことをこのように売ってしまった。必ず私は生きの子って帰って復讐してやる。それも答えです。2番目は、兄たちは私を売ったものの、しかし、神様は私を救い出してくださるはずだ。3番目です。兄たちが私を売ったのではない。売ったように見えても売ったのではない。神様はエジプトの福音化という大事なものを持たせて私をここに遣わしたのだ。では皆さん。この3つの中のどれが皆さんのものでしょうか。それこそ霊的な目です。ご存知でしょう。
このようにすべての現場であります。例えば、ある困難が来た。来るべきものが来たと思ってください。そして、そこで神様の計画を見つけだすのが霊的な目です。どうしてあの人は私のことを無視するのか。そうしては霊的な目が暗くなってしまいます。ああ、私は無視されることをしたのだ。ああ、私はそのように見えたのだな。祈らなければ。神の栄光を隠してはならない。それが霊的な目です。あらゆる部分であります。

今日、霊的な目が開かれるようにイエスの御名によって祝福します。

(祈り)
神様に感謝します。祝福の日になりますように。大いなる答えの日になりますように。ここに座っているのですが、神様は私たちに未来を備えてくだる時間になりますように。イエス•キリストの御名でお祈りします。アーメン。