20140629 インマヌエル教会聖日1部


空と真
(Ⅰコリント15:58)

序論
今世界10何カ国の方でTVを通してメッセージを聞く方々がいます。また、RUTC放送を通して1万箇所以上の場所でメッセージを聞いています。また、インターネットで礼拝をささげる人もいます。主に海外にいる人たちだと思います。そして、韓国国内でも今、ソウル、蔚山(ウルサン)など、様々な地域で画面を通じて同時礼拝がささげられています。同じ恵みが皆さんに注がれますように願います。

今日の本文はとても重要なみことばです。数年前にUNで、地球上で一番大きな悩みは何であるかというような調査をしました。それによって青少年問題だという答えがありました。そして、その次の調査では家庭の問題だという答えがありました。離婚のパーセンテージはどんどん高まっていますし、そのような家庭が増えたということです。そして、最近ではどのような問題が出て来たかというと、各国々で起きているテロや戦争の問題だという声が上がっています。皆、合っている言葉でしょう。解決しなければならない問題だと思います。しかし、その方たちが今だに気づいていない部分があります。地球上に起こっている最も大きな問題は、そのような問題ではなく精神問題だと思います。精神的に患っている指導者たちによって他の国々を攻撃したり戦争したり、テロを行ったりしています。地球上に精神的におかしい指導者が生まれてしまえば世界中が患ってしまいます。ですから、私たちは祈りらなければなりません。ですから、福音を伝えなければなりません。ヨハネの黙示録によりますと、サタンが人の心を奪って動かすときに問題と災いが起きると言われています。そして、エペソ6:12にも、このサタンは人々の心を奪い取り、主権や力を持って振舞っていきます。祈らなければなりません。それ以外にも大きな問題は、今、全世界に急増しているうつ病です。深刻です。皆、心が平安ではありません。躁うつ病、パニック障害など似ているような病気だと思いますが、これらの問題が今地球上に増えています。人口の約20%の人たちが薬を服用しています。韓国では、1年に20万人が軍隊に入隊するが、その内の約4万人は薬を服用しているうつ病の患者さんだということです。速やかに軍隊の牧会者、担当者たちは彼らに答えを与えることをしていかなければいけません。他の道は答えがないからです。ですから、今回も軍隊で深刻な事件が起きました。事件を起こした人は、うつ病の患者さんです。残念なことです。軍隊で担当していらっしゃる牧師先生方は何をしていらっしゃるのでしょうか。他のことでは解決することができません。本格的なメッセージをとおして彼らを生かしていかなければなりません。他の宗教では彼らを生かすことはできません。本当に残念な事件が増えています。

イエス様は道を教えてくださいました。神の国と聖霊の満たしを与えてくれたのです。キリストを伝えたとき、またキリストと言ったとき、霊的変化が起きます。霊的な変化が起きない限り、私たちの霊的問題はいやすことができません。神の国が臨まれるということは、私たちの中に刻印された部分が変わらなければなりません。使徒1:8、ただ聖霊、しかし、聖霊でなければ私たちの体質は変わりません。私たちの魂の奥底の中にあるその体質が変わり、刻印されている部分が変わってこそいやされていきます。 本当に残念なことです。軍隊の牧師先生方はまた私のことを嫌うかもしれませんが、もう一度言わせていただきます。軍隊にいらっしゃる牧会者は4万人のうつ病患者さんをチェックしなければなりません。なぜならその治す力、権威をお坊さんに与えたわけではありません。それは牧師の責任です。

今日のⅠコリント15章は、全神学者が「復活の章」と言われています。もちろんそうです。キリストの復活について知りたい方はⅠコリント15章を読みなさいとも言われています。そして、公式的にも神学的に「復活の章」だと言われています。もちろんです。しかし、この聖書の本文全体を見たときに、イースターの時に復活の意味だけを説明するためにこの書が書かれたわけではありません。今パウロは真に虚しいこと、つまり、空と真について話しています。そして、58節に結論を下しています。
Ⅰコリント15:58。ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。これはとても重要なメッセージです。この時代には最高の学者であったパウロが伝道者となり残したメッセージです。あなたがたの労苦が福音にあって無駄ではないことを知りなさいと言うことです。

この内容には必ず知るべき3つの内容が含まれています。
1. むだになることがあるということだ
一つ目です。まず、空の空があるということです。虚しいことがあるということです。虚しいと言うこと、空は何でしょうか。これを知るべきです。勉強をたくさんしたパウロの言葉です。福音を悟ったパウロが伝えた言葉です。虚しいことは世に存在すると言うことです。だから、福音を伝えることがこの労苦が主にあって無駄ではないということ知りなさいと言っているのです。
1)人々は、よくわからないから簡単に説明させていただきます。偶像、理念、思想。これらが文化化されると災いが降りかかってきます。人々は知らずにいます。残念なことです。偶像、思想、理念が文化化になってしまえば、必ず災いが来ます。朝鮮戦争もそのとき起きました。この理念が文化化されて朝鮮戦争が起きたのです。韓国の東西南北に分かれて理念の戦いをしている人たちはのちに知らなければなりません。膨大なお金をかけて偶像を建てました。しかし、その後は災いがその国に降りかかってきたことを人々はわかっていません。皆さんはいかがお考えでしょうか。人々はわからずにいます。人々は偶像崇拝をし偶像を建てることにお金を使っていますが人生まで欠けています。しかし、虚しいことです。
2)なぜ宗教を崇拝したとき問題が来るのでしょうか。なぜ教会に通うだけの人に問題が来るのでしょうか。知るべきです。まことの福音ではなく別のことに投資していたために無駄なこと、空の空になってしまうのです。本当に残念なことです。今、韓国の大規模な教会に大変な問題が起きています。大型教会の長老が自殺したり、大きな教会でたくさんの問題が起きています。大型教会同士、告訴しあったりして法律的な問題も起きています。本当に狂っている状態です。何を知らないからなのでしょうか。

皆さんが福音のカラーを明確にしない限り、ある日、災いが来てしまうでしょう。皆さんはよく分からないかもしれません。福音は価値がないように見えるかもしれませんが、福音を伝えて福音を味わうときに、ある日、災いの勢力は打ち砕かれ勝利すると思います。自分が知識人だと思っている方も気を付けてください。ある日、災いが来るでしょう。それがローマです。それがエジプトです。悟らなければなりません。日本は必ずこれを置いて祈っていかなければなりません。アメリカ、ヨーロッパも祈らなければなりません。どういう意味かおわかりでしょうか。しかし、事実です。もうまもなく災いは来るでしょう。ですから、神様のみことばを無視してはいけません。軽んじてはいけません。まもなく災いは来るでしょう。なぜなら、それらは空の空であるからです。虚しいことであるからです。しかし、人々はそこに人生を投資してはいませんか。

2. 真実なこと3つが出てくる
今日の本文、58節だけを読ませていただきました。15章全体を読みますと、真のものはなにか3つ出ています。何でしょうか。
1)イエス様の復活について説明しましたが、イエス・キリストについて初穂だと表現しています。これはとても重要です。人間は皆、復活してよみがえられる。しかし、そのイエス様は眠った者の中から初穂としてよみがえられるということです。人間は永遠の存在です。死にません。皆さん、無駄なことは信じないでください。皆さんは永遠の存在です。私たちが死を迎えると言うことは、体が肉と霊が分離されていくだけであって、私たちは永遠の存在です。そして、私たちは神の子どもですから、のちに天国に入られる体の姿に変化して入って行きます。その働きにイエス・キリストが初穂となられたということです。これはなぜ重要なのでしょうか。実はとても重要なのです。皆さんがなぜ祈り、なぜ伝道し、なぜ神様の子どもになったことが重要なのか。永遠なものであるからです。では、地獄に行くことはなぜかわいそうなのか。それも永遠だからです。今、とても重要なことを話しています。

あるレムナントがこんな質問をしました。長文の手紙をとおして私に質問しました。「神様はなぜ善悪を知る木の実を作って食べるようにさせたのでしょうか」という質問でした。神様が人間が取って食べるということを知らないでいたのでしょうか。食べるということを最初から知っていたのではありませんか。それならば作らなければよかったのに、なぜ作ったのでしょうか。作っておいて、食べさせておいて、そして、地獄へ行かすのですかということです。どんなに考えても自分は理解できないということでした。そんなニュアンスの手紙でした。もちろん質問するだけはあると思います。皆さんも質問したかったかもしれませんが、ちょうど良かったと思うかもしれません。牧師先生の中でも質問したかったけれども、ちょうど良かったと、牧師だから恥ずかしいから質問できないと思った方もいらっしゃるかもしれません。そうすると、ある牧師はこう答えます。「いや。あなたがたは神様の計画を、奥底をどうやって分かるのでしょうか。ただ信じなさい」と。そのような説明の仕方であるから信徒たちは余計もどかしくなるでしょう。人はこう言います。「あなたのIQで神のIQを理解できるだろうか。ただ信じなさい」と。もちろん話にはなりますが、よくわからなくなります。それは実際に答えづらい部分かもしれません。そして、人間を造られたことを神様が後悔されたと、悔いに思ったということ。作っておいて悔いに思うのですかと思うかもしれません。そのような質問に対し、幸い学生だからということで、学生なのか学生のふりをしたのかわかりませんが、大人は質問しづらい部分かもしれません。こちらにいらっしゃる長老がそのような質問をしてきたならば、「なんで長老がこういう手紙を」と思うかもしれませんが。では、その手紙を送っている人、長老や大人たちも答えを正確に分かっているのかということなのですが、ただ単に信じる方もいらっしゃるかもしれません。とにかく答えはあります。

なぜなら神様は御使いす。御使いと人間だけを永遠の存在として造られました。つまり、御使いと人間を霊的存在として造られたのです。なので、鶏や牛や犬は取って食べても大丈夫です。霊的存在ではないから。神様は人間をとおし、神の栄光が現されるようにするために選択できる力を与えてくださったのです。つまり、霊的存在として造り、その霊的存在である私たちとして神の栄誉が現れるようにさせるために選択できる力を与えてくださった。だから、そうさせたわけです。もちろん、堕落の道もあったかもしれませんが、堕落の目的で造ったわけではなく、栄光のために栄誉のために造りました。ですから、そのように堕落目的で造ったわけではありません。例えば、今このタオルは左であろうと右であろうと、タオル自身が動くことはできません。私がこうして持ってこっちに持っていこうと、あっちに持っていこうと、私が選択できることです。なぜならこのタオルは生きている霊的存在ではありません。このタオルが自分自ら来て、私の顔を拭いてくれてこそ霊的存在なのですが、でもこれは物に過ぎません。霊的存在であるということは堕落する目的で造ったわけではないのですが、堕落する可能性があります。けれども、神に栄誉をささげるために造られたということは、本当に栄誉、栄光をささげることができる。でも、もし堕落したとしても、生きる道が与えられたということです。ですから、聖書にこういう言葉があります。私たちが神を知る前から、私たちは選ばれたということです。だから、神は悔いに思われたのです。結局こうなってしまったのかということで。なぜなら霊的存在としてものすごい祝福を与えたが、それを逆に持って悪魔を崇拝してしまったわけですからどれだけ悔いに思ったでしょうか。そして、また天使もどうでしょうか。堕落してしまって悪魔になってしまったわけです。その存在について行ってしまった。機械として造ったならばついて行かないかもしれませんが、霊的存在だからついて行ってしまった。それで、神様は道を開いてくださったのです。救いの道を。いつでしょうか。創造する前から。私たちが生まれる前から。もしかしたら私たちはまたそうなるかもしれない。だから、そのようなことを全部知っている神様は創造前から、私たちが生まれる前から救いの道を開かれたのです。だからその部分が理解できなければ、なぜ世々に渡る前から私たちが隠されている、救われる計画の中にあったのかということは分からないわけです。今日の本文のキーポイントはそのような意味です。
2)二つ目のキーポイントは宗教と福音は異なるということです。その部分を今日、説明しています。人間がいろいろともどかしくて何かを崇拝します。それは宗教です。自分の手で仏像を作りそれを崇拝する。それは宗教です。自分に余裕があってお金があるならば、その仏像を金で塗りつぶすこともできます。だからと言って神になれるのでしょうか。自分にお金がなければ金でなく銀で塗りつぶすことができる。ここに置こうとしたら狭いからあちらの方に仏像を動かそうと。それが神様でしょうか。そこにもちろん、いろいろな働きがあるとしても悪霊の働きです。だから、宗教と言います。それに対しての説明も今日、本文に記録されています。

最初のアダムは生きたものとなった。そして、最後のアダムは生かす御霊となりました。47節に第1の人は地にて土で作られたものですが、第2の人は天から出たものです。48節には、私たちは土でつくられた者に似ているのに、天からのものは皆、天に属する者に似ている。だから聖書どおりに言われたものは聖書どおりに死なれ、聖書どおりに復活された。しかも私たちの初穂としてよみがえられるということです。
3)そこで、もしかして私たちは死ぬのではないかと死に対して心配する必要はありません。死ぬということに対して永遠に恐れる必要はありません。なぜなら私たちは永遠な存在として召されたわけです。そこで、福音にあっての私たちの労苦はひとつも無駄にはならないと言うことです。そういう意味が今日の本文の内容です。

3.必ず未来がある
 三つ目はどんなことでしょうか。今、私たちが目先で苦労していること、それは重要ではない。未来があるということです。今、家庭問題があって大変だと思いますか。それは問題ではなく、あなたには未来があるということを説明しています。あなたの夫のために、妻のために、子供たちのために大変ですか。それは問題ではなく、あなたに未来があるという言葉です。なぜなら、今あなたの問題はさておき、あなたが福音の中で労苦していることは一つも無駄にならないと言うことです。

では主に未来は二つあります。
1)一つ目は何でしょうか。他のことは全部置いておいて、勉強を置いておいて、お金も置いておいて、これはどうしたらよいのでしょうか。勉強をどうしよう。お金はどうしよう。こういうことに対して未来があります。つまり、将来のこと、これからのことについてどうしようと言う方はすべて置いておいて、神の前に立つなら勝利するようになります。つまり、もう一度言いますが、お金がなくてどうしようと言うこと。お金がなくなったとしても、今、神の御前で100億はないとしても100億を動かせる力があるなら、それが本当の力ではありませんか。例えば、100億を動かせない人はお金がないだけであって、それを動かせる力があるということです。そういう人は一番低いところにひれ伏し、一番高いところを目指して祈ってみてください。絶対に勝利します。私たちは絶対にどん底には行けない身分です。大丈夫です。例えば、病気になった人。「私は病気です。どうしよう」と言う方、心配しないでください。大丈夫です。本当に病気を置いて、本当の聖霊の満たしをおいて祈ってみてください。でも、治すところがあるかもしれません。よく善良な人が病気になったりします。まあ悪く言えば小心者の人たちが病気によくなります。また良く言えばすごく繊細なデリケートな人たち。悪く言えばいろいろと敏感な人。また、ちょっと曲がっている部分が許せない人。悪く言えば性格の汚い人。そういう人たちが病気になりやすいです。せっかちであったりとか焦るタイプであったり。このような人々は病気が治しにくいタイプです。そのようなことはさておき、神の御手を神様を握ってください。主にあってあなたの労苦、祈りは無駄にならないと言われています。
2)また、もうひとつの未来があります。私には来世があるということです。私たちに来世がなければ、神様を信じる必要もありません。こうやっている理由がありません。来世もなければ、神様もなければ私たちがこんなに天気の良い日に、日曜日にここに集まって礼拝をささげる必要もありません。人々は神様の存在を否定しているから、人を殺したりするのです。神様がいないと思うから。神を信じないから。来世がない。だから、殺人もして泥棒もして親も殺します。お金があればよいと思います。それが滅びた人です。騙されてはなりません。明確に言います。来世はあります。そこで私たちは未来がありますから、無駄にはならないということです。この契約を握ってください。私たちは死んで天国の御座に行くだけではなく、今生きている間、祈るときに御座とつながる祝福が与えられます。今日だけを見て判断してはいけません。私たちは死んだあとも心配する必要がありません。未来があります。来世があります。無駄にはなりません。よく親が心配します。私の子どもをどうしようと。子どもがそうだったとしても、どうでしょうか。

以前もお話しました。ある勧士さん、元々は執事さんですが、いつも自分の旦那のことを悪く言っていました。自分の旦那がいつもお酒を飲むからです。私はその方に言いました。信仰生活をしない未信者の旦那がいつもお酒を飲むなんて、それは当たり前なことではないのですかと。本当に正直に言えば、私が旦那さんを見たときには本当に立派な人です。「あなたの旦那は立派です」と言ったら、奥さんは「そうです。上辺だけがそうなのです」「いや、でも人から尊敬され公務員なのに仕事をよくしています」「もちろんです。いつもお酒ばかり飲んでいるから人にも好かれるかもしれません」でも、私は言いました。「本当に福音を知らないだけであって立派な人です。仕事もできる方で友人からも好かれていて、居酒屋に行けば人気が100%ではありませんか」と。でもひとりの人にだけバツなのです。自分の妻だけにその旦那さんはバツと言われます。だから、民主主義的な立場から見れば、執事さん自身が間違っています。投票したらあなたが負けると言いました。執事さんの夫を好きな人がはるかに多いのですから。すると、その方がじっと聞いていました。「そうですね。話は合っていますが」と私は言われました。もちろん、そうです。でも実はあなたの旦那さんはお酒を飲んでいるわけではない。あなたの旦那さんはちょっといろいろとさまよっている。魂がさまよっている。何かの答えを見つけたい。だから見つけたいのに見つけられないし、見つけることもできない。自分の魂の主人が誰であるか、神様が誰なのかもわからないで、今さまよっているのです。とりあえずあなたより飲み屋さんのきれいな女性の方がはるかにマナーがあるのは事実です。人のことを楽にさせられるから、飲みに行くのかもしれません。お酒を飲むからと言って自分の妻はいつも束縛するから。それをよく聞いていた彼女は「なるほど」と言いました。私は言いました。祈ってくださいと。すると、その家は回復されまして、旦那さんの方がよっぽど信仰がよくなりました。

結論
 私たちはよく人のことを自分のことで判断します。自分で判断して考えます。違います。今皆さんは大変でしょうか。でも、伝道し献金し祈っていたこと、無駄だと思いますか。無駄ではありません。もしもそれが無駄なら、聖書はすべて偽りでありませんか。歴史も偽りではありませんか。私たちの信仰も無駄になるならば、未信者に負けていることではありませんか。違います。皆さん、正しい信仰を持ってください。
1)Ⅰテサロニケ2:19に、私たちが神の御前にあって与えられる冠。その冠は私が伝道した魂が天国に来ているということだそうです。
2)聖書一冊を韓国に届けたトーマス宣教師はその後殉教しましたが、その死は無駄になりませんでした。絶対に無駄になっていません。そのトーマス宣教師の殉教によって韓国は生かされました。韓国は福音が入って来る前までは、正直、乞食の国でした。韓国は福音が入って来る前までは、道路も磨かれていませんでした。しかしその当時、西洋の方ではエスカレーターが動かされるくらいでした。それくらい経済の差がありました。その宣教師の死は絶対に無駄な死ではありませんでした。平凡な普通の長老がある青年に福音を伝えました。少し曲がっていた青年だったのですが、でもその青年は伝道者になりました。それは価値のないことではなかったのです。その青年は後に、韓国を揺さぶるほどの伝道者になりました。キム•イッドゥ牧師です。ある5人の宣教師が黒人の国に行ったのですが、黒人は自分たちを攻撃するために来たと思って殺してしまいました。5人の男の人が来たので女性の原住民の人たちは、自分たちが殺されるかもしれないということで矢を打って殺してしまいました。理由もありません。ただ怖かったから。その死が虚しく見えるでしょうか。福音をまともに伝えるということもないままに殺されてしまったのです。でも、そのあと10年が経ちました。10年が過ぎてある女子5人がまたその国に行きました。いくらまたその原住民だとしても、インディアンの人たちであったとしても、女性だったのですぐに殺すわけにはいきません。ちょっと時間が経った後、よく見るとこの5人の人たちが自分たちに対してすごく優しくしてくれた。病人の人たちには薬で治してくれた。すごく感謝したということです。そして、すごく感謝だということで、そのあとこの5人の女性たちは福音を伝えました。福音を聞いてみるとこの人たちもすごく良いのです。「こんな福音を私たちは聞いたことがなかった。本当にありがとう」と言いました。「私たちは今、神様の子どもになった」と礼拝をささげるようになりました。あとから知ってみると、その5人の女性たちは昔自分たちが殺した5人の男の妻たちでした。

皆さんが今苦労していること、無駄だと思いますか。ダミアンという宣教師は、らい病人を治す宣教師でした。でも、病人たちは初め自分の言うことを聞いてくれませんでした。でも、ダミアン宣教師は言いました。私は彼らを生かしたいです。でも、私は病人ではないから、同じ立場ではないから言うことを聞いてくれません。神様、私もらい病人にしてください」と。そして、ダミアン宣教師はらい病人になりました。そして、福音を伝えました。愚かなことだと思いますか。そうやって福音を伝えましたが、その宣教師がやっていたことが無駄なことに見えるでしょうか。違います。のちにずっと御働きはつながって行きました。

さて、まとめますが、今日皆さんが本当に福音でやったことであるならば無駄ではありません。皆さん、今大変なことを目の前にしてとまどってはいけません。私も学生時代、貧しいから私はどうしようと瞬間、思いました。でも、このままではいけない。私は信仰を選ぼうと思いまして、確かな信仰を選びました。そして、お金がないとき、お金はさておき、本当に現場に必要なことはなにかと聖書に戻って福音運動をしました。しかし、私たちは何度も勘違いします。

58節をもう一度見てみます。ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。この15章は復活の章ではありますが、復活だけを説明したわけではなく、本当に重要な真のことと虚しいことについて説明されました。

今まで受けた恵みは本当に大きいが、今日から真の恵みを得ることを主の御名によってお祈りします。

(祈り)
神様に 感謝と賛美をささげます。私たちに朽ちない本当に真のことを与えてくださって神様に感謝します。空の空。私たちは時間を無駄に使うことがないように願います。霊的な目が開かれ、真の神様の喜びを回復する日になりますように。イエス•キリストの御名でお祈りします。アーメン。