20140713 インマヌエル教会聖日1部


サタンに欺かれないためです
(Ⅱコリント2:5-11)

序論
▶皆さんの中で私は問題がとても多いと考えていらっしゃる方がいると思います。また、私はいろいろと難しいと言う方、また、私は誰々のせいで本当に大変だ、辛い。また、会社もやはりいろいろと大変だ。家に帰っても大変に疲れる。こういうケースが多いと思います。今日の礼拝を通してそのような考えがまるきり変わるように願います。
▶今日の本文はどんな背景かというと、そのような部分が答えとなる背景です。教会の中で突然の問題が起きると言うより、問題を起こすトラブルメーカーがいます。家庭や職場でもトラブルを起こす人がいたりします。特に、コリント教会でもそのような問題を起こす人がいました。これらの人々はこの人、あの人の悪口を言ったり、パウロことも非難したり、教会を非常に騒がしくします。その人に対してある程度の処罰をしました。しかし、処罰したとしても、この人が悟ることなく余計に難しくする。だから、周りの人はパウロに言ったと思います。「あんな人をただ放っておいてはいけません。あの人はあんなに悪いことをしていますから」。だから、それに対してパウロは「許してあげなさい」という話をしました。そのような今日の本文の背景となります。そして、こんなことをお話しています。あまり厳しく言わず、許してあげなさいと。それとともに言った言葉が、サタンに欺かれないためであるということです。
▶これはただの問題ではなく、私たちの現実にたくさんある問題です。
私たちは今日の問題に対してみことばがよく理解できなければ、どうなるでしょうか。なんでもないようなことでたくさんの問題にぶつかってしまうようになるでしょう。
私は6つの教会で副教役者の生活を送ってきました。行く所々で、教会が争いました。想像を絶するくらい。行く教会ごとに争いが絶えませんでした。そこで一番代表的な例として、私がいた某教会は、非常に水準が低い町でした。時代的にも、戦争の後でしたので非常に貧しく、町全体が火災で燃えてしまったわけですから、集まっている人たちもそういう人達が多かったと思うのですが、教会に集まれば争うのです。私はそれを見てなぜ喧嘩をするのかと不思議に思いました。子どものときから、そのような争いをたくさんする教会を見て育ったので、とても試みにあって教会に行かなくなった時期がありました。私は教会に行かずに歩き回って完全に滅びてしまいました。そこで一つ教訓として悟ったのは、どんなに嫌でも教会は行くべきなのだなと思いました。完全に行かなくなったときには全くダメになったのです。また、今度はすごくハイクラスの教会に行ったことがあります。レベルが高い人々が集まっていたのですが、争いの内容はハイレベルで争うと言う感じです。
今、韓国の教会は、教会同士の戦いが非常に厳しいです。今現実も韓国の代表的な大規模教会であるヨイド教会も派閥が起きて大変なことになっています。また、○○教会というところも弟子訓練で有名な教会だったのですが、派閥問題で戦っています。そして、韓国教会を代表するWCC運動をする教会の問題も非常に大きいです。このように今日の本文が分からなければ大変なことになります。ですから、祈りの答えがありません。また、世界の教会も大変です。ヨーロッパの教会は喧嘩はしません。なぜなら、教会に人がいませんので戦う人がいません。関心がありません。普通の問題ではありません。
▶どうしてここまでなってしまったのでしょうか。福音が何であるかを知らないからです。福音が何であるかを知らなければ、そのようにさまよって戦います。ユダヤ人がそうでした。そして、次の世代も滅びてしまいます。福音を知っている人にとっては、この争いの時こそチャンスだと思うはずです。皆さんに問題が来たならば、福音を知っている人は、それがチャンスだ、機会だと思ってください。なぜでしょうか。本当の理由を知っているからです。福音を知っている人は、問題に対する理由、そして、答えも分かっています。そうだと思いませんか。なぜなら、福音が何であるか分るからではありませんか。神様は私たちを億万の罪から、サタンと災いの勢力から完全に私たちを救い出し、そのためにキリストを遣わされました。すべての問題を、どんな人にとってもそれを解決できないから、キリストが遣わされたのです。福音を知っている人は問題がチャンスになります。どんなチャンスになるのでしょうか。その問題に神の大きな計画が隠されていると言うことが分かるようになります。

1. 福音を持っている者は問題の中に神様の大きい計画があることを分かるためだ
では、神の計画が隠されていると言うことはどういうことでしょうか。
1)レムナント7人。ヨセフの場合、兄たちによってとてもいじめられました。そうだと思いませんか。ヨセフを殺そうとまでしました。そして、なんと兄たちはヨセフを売ってしまうのです。ヨセフは奴隷市場で売られてしまいました。どれだけ苦労したでしょうか。そんなヨセフが30歳になった時、エジプトの総理になりました。この過程を見て、神のどれだけ大きな計画があったのでしょうか。ヨセフは奴隷であったとき、10年の間とても苦労しました。そして、ヨセフは非常に外見も良かったようです。17歳からエジプトに行って27歳頃だったと思うのですが、信仰も良く、ハンサム、そして、一生懸命、奴隷で生活していたので筋肉マンだったと思います。最近で言えば、韓国人俳優のヒョンビンのようだったと思います。ですから、周りの女からいろいろと誘惑されていたでしょう。そして、ポティファルの妻によって誘惑されますが、奴隷ですから呼ばれれば行かなければなりません。ヨセフの洋服を脱がしたりしました。ヨセフは裸になって逃げてしまったりしました。その姿がばれた瞬間、逆に自分が犯されそうになったとヨセフを捕えなさいと言ってヨセフに濡れ衣をかぶせたのです。その汚名は逃れる道はありません。エジプト、つまり、中東地域は非常に暑いです。ですから、どれが下着なのか、どっちが上着なのかということは、あまり区別されていません。ただ1枚しか着ていません。それを脱がされた状態では、それで終わりです。まるっきり裸になった状態でヨセフは逃げたのですから。その現行がばれてしまったので、逆に自分が犯したわけではなく、ヨセフが自分を犯そうとしたということで汚名をかけてしまいます。結局、ヨセフは捕らわれてしまいます。刑務所に入ってしまいます。本当にどうしようもない状態になってしまいました。しかし、そんな危機の前でもヨセフは揺れません。言い訳もしませんでした。でも、その監獄の中で驚くべきことが起きました。ヨセフは、子どものときから福音を悟っていました。祈るものであり、神の計画を知っていたものです。ダビデはどうだったでしょうか。ダビデは苦しみの中いつも逃亡生活をしていました。しかし、その苦しみの中、逃げながらも神の大きな計画が何だかを分かっていたため揺れませんでした。相手を許すことができたのです。そうです。ヨセフも総理になりました。ヨセフが総理になった後、どんな気分だったでしょうか。これは歴史的にあった事実です。誰が一番、彼を恐れるようになるでしょうか。ヨセフを刑務所の中に入れてしまったポティファルとその妻はどれほど恐ろしかったでしょうか。ポティファルは軍隊の長官でもあったのに、でも、その軍隊を全部仕切るのがヨセフとなります。しかし、ヨセフは彼らになにかの処罰を下したという記録はありません。ヨセフを売ってしまった兄たちは、エジプトに穀物を買いに来ました。飢饉になってしまい、エジプトに行って米を買うしかなかった状態で兄たちが来たのです。兄たちは自分たちが売ってしまったヨセフが総理になるなんて夢にも思っていませんでした。たとえ、見たとも分からなかったと思います。でも、劇的に会った時、ヨセフは総理になっていたのです。兄たちは震えました。恐れたのです。なぜなら、ヨセフを殺そうと企んで、彼を売ってしまったわけですから。そんな弟が実際に総理になってしまったわけですからどれくらい恐れたでしょうか。でも、その時、ヨセフが兄たちに語ります。「皆さんは恐れてはなりません。そして、何も心配しませんように。兄たちが私を売ったわけではありません。神様が私を先にエジプトに遣わしてくださったのです」と言いました。
2)初代教会。初代教会の人たちをあげてみますと、彼らも問題の前で震えたりしませんでした。神に計画を知っていたからです。
▶私達は小さな問題の前で揺れていませんか。ちょっとした問題の前で揺れてはいませんか。ある人は問題が来たらすぐに、まるで待っていましたとばかりに揺れてしまいます。ある人は、問題が起きなければ、自分で問題を起こす人もいます。問題がない人は、問題を見つけ出して揺れる人がいます。結論か申し上げますと、心配しないでください。福音を持っている人は、絶対に大丈夫です。そこに神様の計画を見つけることになります。
3)時代の証拠。また例えを挙げます。ある日突然韓国は国を失いました。日本によって支配されてしまいました。支配した後は、日本がしたことがあります。全地域に偶像を作って拝みなさいとしました。教会に対しても拝みなさいと言いました。もちろん、仏教や他の宗教は簡単でした。お辞儀をしたり拝みました。でも、クリスチャンは反対しました。でも、いろいろと日本側から圧迫されるので、教会の牧師先生方も総会を開き拝むことを可決したのです。でも、その行為に対して反対したチュ•キチョル牧師という方がいました。総会で拝むことに対して賛成すると言ったにもかかわらず、それに反対したのです。そこで日本兵によって捕まえられてしまいました。もちろん、いろいろと苦しめられたと思います。刑務所の中で亡くなりました。でも、チュ・キチョル牧師は愚かな人ではありません。神様の計画がその苦しみの中にもあったと言うことを知っていたのです。チュ・キチョル牧師は天国に行きましたが、韓国の人たちにとって信仰の英雄として記憶されています。皆さん、韓国を知っているでしょうか。韓国はなんと小さな面積の国で、何も資源がない国です。しかし、こんなにも神様は祝福してくださいました。なぜなら、あの大国のアメリカの次に世界に宣教師を一番多く派遣した国でもあります。韓国はとても小さな国です。しかし、こんなに小さな国が今、世界の上位クラスの方に入って行こうとしています。サッカーワールドカップで負けたからと言って、あまり落胆する必要はありません。ヨーロッパの人々はどれだけ強いか、ワールドカップ本大会に出たと言うことだけでも立派な成績だったと思います。韓国はとても大きな国だったり、資源が豊富だったりという国ではありません。
▶皆さんはどう思われるでしょうか。人生そのものの中に、大小の様々な問題が存在すると思います。すると、日本の植民地化から解放された後、今度は共産主義との戦いです。北朝鮮との問題があります。そして、ソン•ヤンウォン牧師は自分の親がクリスチャンだと言うことで、共産主義の人たちによっていろいろと苦しめられて息子二人を殺されてしまいました。しかも、近所に住んでいる青年が共産主義者になって、教会に通っているという理由だけで、ソン•ヤンウォン牧師の息子二人を殺したのです。皆さんならばどうしますか。ソン・ヤンウォン牧師はその苦しみの前で神様の大きな計画を発見します。どういう計画を発見したかと言いますと、自分の息子を殺した殺人者を、自分の養子にします。その働きも、韓国教会の歴史をひっくり返す働きにつながりました。
▶つまり、福音を持っている者は、問題を恐れません。なぜでしょうか?なぜなら問題の中に神の大きな計画があるからです。

2. 福音持った者はサタンにだまされないようにするためだ
 ▶福音を持っている者は、問題にだまされない二つ目の理由。今日の本文にも記されています。サタンに欺かれないためです。
1)ヨセフ。ヨセフはいくらでも自分を苦しめた人に復讐することができます。そうですよね?自分が総理になりました。エジプトのトップのなったのです。すぐにポティファルを呼んで始末することができるのです。ポティファルもその妻もすぐに総理の部屋に呼ぶことができます。妻を必ず連れてきなさいと命令することもできます。いくらでも可能なことです。そして、自分の兄たちのこともそうです。兄たちがどうやって私を殺そうとしたのか。どのようにして、私を奴隷市場に売って苦労させたのかと。「あなたがたがそうしても私は神がともにいて総理になりました。もうあなたがたはおしまいです」とも言えたはずです。しかし、全くそんなことは言いませんでした。彼は許したのです。なぜでしょうか。何かを知っていたのです。サタンに欺かれないためであったのです。
2)ダビデ。数十年間、サウル王はダビデを殺そうと企んでいました。しかも、軍隊まで集めてつけ回しました。でも、なぜダビデはサウルを殺さなかったのでしょうか。自分が殺すチャンスは何度もあったのに。とても立派な軍人たちがダビデの元にいましたが、チャンスが来てもサウル王を殺しませんでした。サウル王に悪霊に取りつかれたという場面も出てくるのですが、サウル王は悪霊にとりつかれて正気ではないということをダビデは少年のときから知っていました。それを知っていたダビデは最後の最後までサウロ王を助けます。私達がだまされない理由はサタンに欺かれないためです。 問題の前で揺れない理由は、サタンに欺かれないためです。
▶サタンにだまされなければ、目に見えない大きな答えが起こり始めます。
人生全体を考えながら、 今日の一日の答え、立派な答えを受けていただきたいと思います。
3)私は今まで伝道運動を20年、皆さんとともに歩んできました。たくさんの答えもありましたが、20年の間、いろいろと異端だと言うことで苦しめられました。でも、それを皮膚で感じることはあまりありませんでした。なぜなら、答えの中にいたからです。今も周りは私にこう言います。私を悪く異端にして苦しめてきた人たちを告訴しなさいと。告訴すればいくらでも勝つことができると。釜山の周りの教会が私に対して異端だという濡れ衣を着せたとき、いろいろと苦しめたときと言うのは、すべて不法なやり方でやりました。しかも、私のいない所で不法なやり方でやったのです。私がいない所で異端にしてしまったと言うのは不法です。私に何の質問もありませんでした。それも不法です。私たちが苦しめられたので、私たちが脱退しましたが、脱退した後に懲戒が与えられ、それもまた不法です。私が行ったこともないところに行ったとか嘘をついて、完全に不法でした。だから、私はいくらでも告訴できる、そして、100%勝つことができますと周りから言われます。いまだに新聞記者たちにも言われます。「黙っていないで先生も戦ってください。控訴してください」と。そして、ある人は告訴して1千万ウォンの賠償金も求めなさいと言います。私はなにも答えません。なぜなら、周りは私を助けようとして必死にお話してくださったのですから。でも、内心私は全く相手にしません。告訴もしません。でももし、裁判を起こせば勝つ自信もあります。今だに私たちを苦しめる人がいるのですが、私はその人がもし私に直接、質問するなら答えることができます。私はあなたに確実に勝つ方法があると。でも、私はいちいちそれには反応しません。
▶なぜ、そんなことをしないのか。教会が正しいことを今からやらなければなりません。韓国教会が今から正しいことをしなければなりません。私達が黙っているのは馬鹿ではなく、サタンに欺かれないためです。ここまでやられても黙って我慢しているわけではありません。サタンに欺かれないためです。皆さんがこの言葉を必ず記憶しなければなりません。間違っている人のことも許して、また許してあげる理由はサタンに欺かれないためです。

3.福音を持った者は他の未来がある
 ▶三番目に、もっと重要な理由があります。福音を持った者は、三番目の理由があります。何でしょうか。別の未来があるからです。皆さんが今苦しんでいると見えますが、皆さんにとって必ず別の未来があります。
1)Ⅰペテロ3:8-12にはこう記録されています。悪に対して悪をもって返してはいけません。悪を悪として報いてはならない。そして、悪いことを悪いことで報いてはなりません。私達はなおさら彼らのことを祝福してあげなければならないと言うことです。なぜでしょうか。それはあなたが本当にいのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思うならば、悪を悪として報いず、悪い行いに対しては悪い行いで報いることはできないと言うことです。そのようにⅠペテロ3:8-12に記されています。なぜなら、これらを伝える理由はいのちをあなたに相続として与えるためであると言われています。では、それは悪いことをしたら、いつまでも悪いことをしても放っておきなさいと言うことなのでしょうか。違います。12節に記されています。主の義、つまり、主は義人に向かって、そして、主の顔は悪人にも向けられています。主は義人も悪人も同時に見ておられます。今、私たちの教育はどうでしょうか。子どもたちに悪いこと悪い、正しいことは正しいと言わなければなりません。しかし、何の区別なしに教育は流れています。国会で政治家たちが戦う姿を子どもたちがテレビを見てそういう姿、全部を学んでいるのです。どうでしょうか。日本やアメリカのような先進国も野党与党で戦うことがあるとしても、国の利益を得ることであるならば、また団結します。今、子どもたちにとってもあまりにも間違った教育が私たちの頭の中に入ってきています。私はレムナントたちにお話ししています。レムナントたちにいつも言うこと。韓国には理念の戦いがあるが、それを上回ることができなければ絶対にサタンにだまされてしまいます。私たちはサタンに攻撃されることがあるとしても、私たちは許します。サタンに欺かれないためです。
2)さらに重要なのは、皆さんにとって重要な未来があります。ですから、目先の問題でくよくよしたり、つまずいたりしてはいけません。そして、もっと重要なのは、イスラエルはこれから滅びて行きます。だから、彼らのために祈りなさい。もう間もなく、マケドニヤに災いが降りかかるから、そのために祈りなさい。ローマもこれから崩れるようになるのだから、彼らが福音を受け入れられるように祈りなさい。これを知っていた人々は、落胆しませんでした。そこで初代教会は全く揺れることなく彼らのために祈ったのです。さて、皆様は未来があります。問題の前に揺れる必要はありません。
3)そして、未来に神を知らない人にとっては6つの滅びが来るようになっています。しかし、私たちは天国の背景を持ち、ものすごい祝福が与えられています。そこで私たちがこの世にあって未信者のような人生を生きるなら損をする必要はありません。今日、皆さんがいかに契約を握るのか。そのときから答えの門が開かれていきます。私は子どものときから、大人の苦しみを見て育てられました。しかし、私は本当に福音を悟った瞬間から、その苦しみが全部終わりました。昔は私も衣食住のことを心配しました。しかし、福音を悟ったときからは、そんな心配よりも人をどのように生かすべきかを悩みました。昔は私はどのようにして豊かに生きて、どうすれば子どもたちをよく教育できるだろうかと心配しました。でも、ある日、福音を悟ったときから、多くの人々を救わなければ、そして、彼らを生かさなければと変わりました。皆さんがこの祝福を回復しなければなりません。私は子どものときから、ずっと聞いていた言葉は「お金がない。大変だ。貧しい。何もない」という言葉です。しかし、福音を悟ったその瞬間からすべての環境は祝福だということに気づきました。皆さんも今日、この祝福を発見することになることを願います。

結論
 1)今日言われます。サタンに欺かれないように。皆さん、だまされてはいけません。目に見えないサタンは皆さんが神様の祝福について気づかないようにさせて行きます。未信者はよく分かりません。韓国の国が分裂して、紛争の中でさまよってしまうようにサタンはさせます。韓国、世界の教会が教会同士争いながら滅びることをサタンは望みますが、私たちはそれに欺かれないようにしなければなりません。本当に契約を握ってください。サタンは皆さんが受けた祝福がいかに大きなものであるか分からないようにさせてしまいます。皆さんが本当に契約を握って祈れば答えられるのに、その部分を分からなくさせてしまうのです。そこで、ヨハネ8:44。あなたがたの父、悪魔と言われています。欺く者、だます者、偽りの者です。皆さんが逆を取ってください。
2)むしろ、皆さんがサタンをだますようにしてください。サタンをだますとはどういうことなのでしょうか。代表的な例としてヨブです。ヨブにサタンが言います。ヨブは財産が多い。もしヨブの財産を奪い取れば、きっと神のことを信じないだろう。そしてヨブのことを試みたのです。でもヨブはどう言いましたか。私はこの世に生まれるとき、何も持たずに生まれた。そして、神に行くときに何も持たないで行く。ヨブが言った言葉です。主は与え、主はまたすべてを持っていかれる方です。すべての栄光を主にささげると言われました。だから、サタンは何も言えませんでした。恨むと思いきや、逆に信仰告白をしたヨブ。さらに、ヨブの体に病気が出てきました。そのときもこう言います。私は神様に会うときは、この病んだ体はなく、この肉の外で霊で神に会うことになると言いました。またヨブは友人からも非難されます。あなたはどうしてここまでになってしまったのか。ひどいと。しかし、ヨブは言います。神は私を今鍛錬している。この試練が終わった後、私は純金のように出てくるだろう。神の御心はいつも一つです。誰も変えることはできない。こんなことは神にとってはありふれたことだと言いました。ヨブは完全な勝利者になりました。神様は後にヨブに対して財産も祝福も健康も2倍与えられました。それは苦労をしたから2倍の祝福が与えられたというわけではありません。そのように解釈してはいけません。それはどんな暗やみの勢力も契約を持っている者をだますことはできない。倒すことはできないと言うことです。だから、だまされないでください。
3)では皆さん、貧しい人はいかがでしょうか。私も昔、本当に貧しかったです。結婚して子どもが生まれたのですが、まだ私は学生でお金がない。貧しい状態でした。そのとき私は2つを選択しました。何でしょうか。なにも使わないということです。お金がないから使わないのです。使わなければ何をするのか。一番重要なことをしようと思いました。私の生涯で最も重要なことを見つけ出し、私はお金は使わない。だから、交通は全部、徒歩です。歩いて現場に入りました。ほとんどの現場は歩いて行って、学生に会って福音を伝え、伝道運動をしました。衝撃的な答えの座に、神が私を導いてくださいました。その答えは、今も続いています。皆さんは何も恐れる必要ありません。
▶危機の前でどうしたらいいでしょうか。私は本当に危機にぶつかったときがあります。皆さんもご存知でしょう。その危機の前で、私が何をしたか分かりますか。私は自分の人生に図表を見つけました。これからの人生、神にどうすべきかという図表を書きだしたのです。私はノートに記録しました。本当に驚くべきことにそれはいまだに答えられています。神様はこんなにも答えてくださるのに、私はなにもわからずにだまされていたのです。
 サタンにだまされてはいけません。皆さんは大きな祝福を持っていらっしゃいますが、サタンがそれをわからなくさせるのです。だから、私たちがだまされてはなりません。無駄なこと、目先のことで紛争を起こし喧嘩をさせて、サタンによって祝福が分からなくさせてしまうのです。
▶聖書の英雄たちを覚えてください。彼らはどうしましたか。ソドムとゴモラのとき、ソドムの王が攻めて来て、完全に町を制覇しロトを連れて行ってしまいました。その時、アブラハムはどうしましたか。アブラハムは機会がきた。それはチャンスだと考えました。アブラハムは318人の自分の兵士たちを連れて戦争で勝利しロトを連れてきます。そして、ロトを連れてくるときにソドムの王はこう言いました。ソドムの王は出てきて、元々、戦争で負けてしまいますと戦利品を全部相手に渡しますが、そのときにアブラハムはこう言いました。私はあなたから糸1本も取ることはできない。その理由は、後に豊かになったなら、あなたによって私を豊かになったと言われるのではないだろうか。私はいと1本もいらない。神様が私を祝福するからです。アブラハムは大富豪になります。問題が来たとき、それはチャンスです。ヨセフは奴隷になったこと、そして、刑務所に入れられたこと、大きなチャンスです。レムナントにそのような目が必要です。なぜなら、ヨセフが奴隷として売られなければエジプトに行くこともなく、刑務所に入らなければエリートや政治家に会うこともできませんでした。目を開いてよく見てください。あの巨人ゴリアテが攻めて来て、主の御名をなぶりました。鎧を着て背が3メートルとされているあのゴリアテが、主の御名をなぶりながら自分と戦うと言っていました。1対1で戦うと。それはどういうことか。自分には力があるということです。1対1で戦って私が負ければ退場するけれど、あなたがたが負ければ国を出せと言うことでした。でも、イスラエル民族は誰一人、ゴリアテに向かっていきません。震えていたからです。ダビデはそのゴリアテの声を聞きました。チャンスが来たと思ったのです。どんなチャンスが来たのか。いつも主の御名を悪く言っていた、あざむいていたペリシテを完全に打ち壊すチャンスが来ました。そして、そのゴリアテに対し、主はどういう神であるかを説明するチャンスが来た。震えていたイスラエルの民と全世界に主なる神が真の神であると言うことを説明するチャンスが来たと思ったのです。確実です。
 ▶皆さん、今日、その信仰を持って出発してください。
問題はチャンスです。ぱっと見たとき問題でイライラするかもしれません。しかし、問題はチャンスです。それを見る目が祈りです。祈ると言うことは、それらの目が開かれると言うことです。とても大きな問題が来たでしょうか。でも、大きなチャンスが来たのではありませんか。よく新聞の記事を見ますと、例えば、大きな人と小さな人との戦いをダビデとゴリアテの戦いだと表現しますが、それは違います。ダビデとゴリアテの戦いは、100戦100勝、ダビデです。だから、大きな人と弱い人との戦い、また大きな企業と小さな会社の戦いだと言えばダビデとゴリアテの戦いだというのですが、その例えは違っていると思います。ダビデはどんなに小人で弱いとしても100回戦っても100回とも勝ちます。ゴリアテは、体が大きかっただけであって知恵遅れだったと思います。そして、精神的におかしいのです。他人の国を奪い取ろうと、侵略しようとするのは知恵遅れの人たちがやっていることです。相手は鎧を着ていましたが、ダビデは一切、何も着ていません。石を握っていただけです。自信があったのです。石5つを手に取っていました。なぜ5つを持っていたでしょうか。ダビデが5個の石を持っていたと言うのは、モーセ5書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の5個だと言う解釈もあるのですが、それは全然違うと思います。ダビデが5個石を持っていたのは、もしかしたら1個では当たらないかもしれないから5個持っていたと思います。また、一回で一発で終わりにできると言う確信があれば1個でよかったのですが、当たらなければ大変なので5個持っていました。でも、相手は槍を持っていましたが、槍を持って自分に投げる前に5個の石で相手を倒すことができると確信があったのです。なぜなら、それまでダビデは羊飼いをしていて、獅子が羊を捕えて逃げれば、自分で石を投げて獅子を完全に捕えました。そして、ゴリアテがどんなに軍服をしっかり来ていたとしても、目を開かなければ前に歩くことができません。額のところにちょうど隙間があったので、そこにダビデは投げました。一回で命中します。
▶福音を持っている私たちにとって問題はチャンスです。ですから、よく見てください。落胆せずによく見てください。また、恨んではいけません。恨んだりしますと、また祝福が見えなくなるのです。問題の前で恨んだり、不平をつぶやいたりしますと何も見えなくなります。皆さんはよく見てください。シャデラク、メシャク、アベデネゴが火の中に入らなければならないようになりました。死ぬってことです。死が目の前に来ました。でも、彼らはそれをチャンスだとしていたのです。すべてのバビロンに対し、主の御名を説明するチャンスが来たと言うことです。だから、死ぬことなど関係ありませんでした。たとえ私たちが火の中に入るとしても、主がたとえ私たちを助けてくださらないとしても大丈夫です。彼らは死んでも、つまり、死を説明するチャンスが来たと思ったのです。パウロはローマの刑務所の中で入れられたこと、最高のチャンスと思っていました。皆さんはいかがでしょうか。そこでエペソ5:18にも記録されています。問題の前で注意深く見なさい。よく見なさい。知恵のない人のように行動しないで、知恵のある者のようによく見なさいと。福音を持っている者にとっては、問題はチャンスです。今日、皆さんにこれから来る多くの問題はすべて答えです。よく見てください。皆さんに立ち向かう、様々なごたごたとした問題もチャンスです。なぜなら、福音を持っている者は神様が御霊、聖霊で働くため、他の目が開かれるはずです。主は言われました。あなたは未来について語る。幻を見る。夢を見ると言われました。聖霊が臨まれたとき...使徒2:17-18。
▶今日、短い礼拝時間でしたが、今日の契約を握って祈っていただきたいと思います。そうすると、答えが来ると言うことを見るようになります。そうしたら、その見える答えの方向に進めばよいのです。


(祈り)
神様。感謝します。私たちの救い主、救われた神に感謝します。福音の中で新しい目が開かれますよう、霊的な目が開かれますように。たくさんの問題は祝福であり答えであるということを悟らせてくださり感謝します。多くの問題、苦しみは本当に機会であると言うこと、チャンスであると言うことを悟らせてください。私に立ち向かってくる大きな危機は一番大きなチャンスであるように悟らせてください。そして、真の答えに預かることができる証人として立つことができますように。イエス•キリストの御名でお祈りします。アーメン。