20140727 インマヌエル教会聖日1部


内なる人と外なる人
(Ⅱコリント4:16-18)

序論
▶何年か前にあったことです。夏になりますと、人々が渓谷に遊びに行きます。公務員たちが話しをかわします。もうじき嵐や梅雨に入るので、そこから早く避けるようにと。すると、その日、人々はそれを聞き逃してしまって、結局、夜中に大雨が降ってしまい18名の人たちが流されて死にました。今は本当に良い天気なのに、どうして大雨が降りますかと信じませんでした。人は状況に関していろいろ
早く気づくべきです。
▶今最も重要なレムナントたちが恵まれるために全世界から集まっています。このレムナントたちに私たちは何を伝えるべきでしょうか。そして、レムナントたちは何を持って帰るようにさせるべきでしょうか。このような考えをしなければなりません。では、このメッセージはレムナントたちだけ聞いて、私たちは聞かなくてもいいのか。皆さんの方がもっと至急です。
ある人は同じメッセージを聞いてもおかしく聞いて、これはキム執事が聞かなければならないと考えます。また、今日は私のことを売って来るねと言う人もいます。また、ある人はメッセージを聞いても、解釈をまったく異なる方向にします。世の中のことは全部いらないと言っているではないか。会社に辞表を出して辞めると言い出す人がいます。説教をそんなふうに聞いてはいけません。困ります。
▶ある人は、子どもを連れて挨拶に来ました。この子は勉強が本当によくできる子です。ご主人は来たかと尋ねると、教会には通っていませんと言いました。なぜかと尋ねました。以前はよく教会に通っていたのではないですか。すると、教会に通っていましたが、あるメッセージを聞いて試みにあってしまい、それ以来、教会に来ませんと。幸いですと言いました。試みにあったということは、聞いたのは聞いたのですねと。いつかは生かされるでしょう。
それでは、その人は何を聞いたのでしょうか。この説教を聞いたはずですが。
▶聖書には、いつでもこの二つのことを説明しています。外なる人と内なる人について。上辺ことと、内面のことと。私たちは、言葉も外なる人がいて、内なる人がいます。その人は間違いなく、上辺だけを見ていて内なる人を見ていなかったはずです。すると、落胆するようになります。レムナントたちは、そこにだまされては絶対にいけません。教会の中の人はどうしてあんなにおかしいのか。私はそうは見ていません。彼らの内なるひとを見なければなりません。彼らは今非常に飢え渇いているという証拠です。そうですよね。飢え渇いていて、まだ水準がそこまでなっていないということだけです。たとえ、皆さんの旦那さんがお酒で酔っ払って通っていますか。未信者の言葉で言うと、酔っ払いと言いますが、私はそうは見ていません。何かを今探そうとしています。そうですね。
皆さんの中にも外なる人と内なる人がいます。
▶今日の箇所を見ると、「私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています」とあります。つまり、今勇気を失っているということは、外なる人だけをことです。もちろん、外なる人も重要です。私は率直に言って、いろいろな人と相談をしていて、その人がホームレスのような恰好よりはおしゃれない人の方が良いです。正直に言えば、すごくブスな女性よりはきれいな人の方がいいです。金長老の娘さんを見てください。どれほどきれいでしょうか。レムナントDAYだということで来ました。私はその子が前回の集会に出ているのを見て、本当に惚れてしまいました。あんなにも賢いのかと。子どもでありながら完全に福音であり、賢くきれいです。それが本当におかしな顔だったら、人が見たときにはどうでしょう。もちろん、その人を無視できません。ある知っている人は、あまりにも整形しすぎて、元々の顔の方がよっぽどいいのにそんなことをしています。同じ鼻でもああしたり、こうしたりします。そこまでは理解します。前の鼻がちょっとまずかったということは私も認めました。しかし、ある日、会いましたら、頬になにかを入れてしまって以前の顔の方がよっぽどいいということは言えませんでした。ある時また見たら、手の甲にも何かを入れてしまって何をしたのかと思いました。あまりにも顔をいじりすぎて、顔がぐしゃぐしゃになってしまいます。最近ではこんな冗談話があります。地獄のえんま王はとても混乱しているそうです。住民登録番号とその人の顔写真をどんなに照らし合わせてもどれがどれなのか分からない。だから、辞表を出したという冗談話があります。あまりにも整形をするからです。それはよしとします。かわいらしく、きれいに見せようと努力するのは悪いという話ではありません。問題は、内なる人を一切見られないということです。
 ▶イスラエル民族がエジプトにいたとき、モーセが来て言いました。私たち民族は出て行って、犠牲のいけにえをささげるようにしてほしい。それは何ですかと尋ねました。私たちが神にいけにえをささげるのです。すると、どうしてそんなことを言うのか。ここでしなさい。その人から見たときには何の価値もないことだったからです。そうですよね。どうしてそんなことをするために出て行くのかとなるしかありません。霊的なことを一切わからないからです。それがその人です。パロ王は当然死んでしまいました。荒野の道を行く間、少しでも空腹になると「お腹がすいた」、水なければ、「水がない」「早く元に帰りたい」と言います。つまり、上辺だけを見たからです。外なる人だけ見たからです。殻だけを見たからです。レムナントたちがそのようにしたら、本当に大変なことになります。そうなってはいけません。ほとんどの人は上辺のことだけを見て、そればかり話をします。もちろん、外見のことも表側のことも正確に見るべきです。そこから芸術も出て、文学も生まれるのですが、まことの芸術や文学は、内なるものから出てきます。
そこまではよしとします。最終的に、カナンの地に入る直前に偵察隊12人送って見てこいと言いました。12人が見てきて10人が同じように報告すれば、ほとんどそうだということでしょう。皆さんはそのような信仰者になってはいけません。レムナントたちもそのようなレムナントになっては大変なことになります。10人が世論を作ってしまって、私たちは行けませんと言います。あの城はあまりにも大きすぎます。そこには将軍たちが構えています。要塞です。だから、私たちは入れません。私たちは今、小さな子供まで連れてどうやって戦うことができるだろうかと。本当に配慮のある賢い人の分析です。女性や子どもたちを連れて、どうやって入れるか。私たちは今、何の力もありません。だから、帰っていくしかありません。イスラエル民族はそれを聞いて号泣してしまいました。イスラエルの民たちは、私たちは本当にこのままでいいのかと見たのです。しかし、皆さんもよくご存じのように、ヨシュアとカレブの見る目は違いました。違いますと言いました。大きな町はあっても、それらを守る将軍たちはすでに逃げています。私たちの噂を先に聞いて、その町に残っている人たちは皆、おびえています。そして、彼らには乳と蜜の流れるような土地があります。そこは私たちの餌食です。神様が備えておかれた。まさに今です。どちらが正しいでしょう。こんなにも差が出てしまいます。
▶つまり、表面、上辺を見たことと、内面を見たこととの差です。レムナントたちに対して、親からの教育もこうです。私たちはひょっとすると、上辺だけの教育になりがちです。私たちの外なる人は日々衰えても、内なる人は日々、新しくなります。今のときの軽い患難は、私たちの内に働いて、計り知れない永遠の栄光をもたらすからと言います。なぜなら、神様は私たちの中に隠されていることが多くあります。目には見えない様々なことがあります。でも、私たちはこれを全部、逃しています。
昨日の夜中の3時頃にある放送を見ていたのですが、こういう話をすると、私が夜中に見ているということがばれてしまいますが、ある医師と患者が出てくるトーク番組でした。60代の男性でしたが、この人は胃がんの患者でした。胃がんがあまりにもひどくて。胃をすべて切って除きました。そして、抗がん剤治療をしている中、それが肝臓のほうにこれが転移してしまいました。治療の途中に、肝臓、肺にも転移されてしまいました。医者もそれを見て、もう余命3ヶ月だと言いました。しかし、そんな状況の中でその人はそれを勝ち抜いたという話が出たのです。もうそれ以来、10年が経ちました。10年前に自分の寿命は3ヶ月しかないと宣告されたのですが、その後、10年経って全部治って、健康的に運動もしています。方法はシンプルです。この人の方法はとても簡単でした。いい食物があります。それを食べて、口の中で5分間、噛み続けたそうです。5分間、噛み続けようとしたら気が狂いそうです。 皆さんは、2秒だけで飲み込みますから。本当です。チョン•ウンジュ牧師は、1秒で飲み込みます。私がどんなにアドバイスしても、1秒で飲み込みます。イ・ビョンム牧師は噛まずに飲み込みます。「本当に食べ終わったのか」「はい」。私はご飯をそんなふうに食べる人を初めて見ました。イ・ビョンム牧師とは食事がすぐ終わってしまいます。しかし、この人は一スプーンで5分も噛み続けます。このように10数年、食事をしました。写真を撮ったものを持ってきました。肝臓にあった癌細胞が全部無くなっていました。それを隣で聞いていた漢方医は言いました。未信者ですが、正確に答えました。私たちの体の中には自然治癒する能力がいくらでもあります。だから、ゆっくり食べれば、癌細胞を打ち負かすことができるよい細胞たちがたくさん生まれるので、そこに勝てるのは当然ですと言いました。神を信じる人はもっと正確に話せます。
神様が皆さんの体の中にもとてつもなく祝福を植えつけておられます。それなのに、私たちはそれを全部、逃しています。神様は空気の中にもとてつもないものを植え付けました。私は居眠りをするときもあるのですが、3時間以上は寝ません。しかし、何の異常もありません。昨日、私はそのTVを見たのが夜の3時頃なのに、メッセージを用意して、一睡だけして朝6時に起きたのですが、それでも大丈夫です。私は祈りながら、呼吸で酸素を深く吸い込むことがどんなに良いのか分かりません。神様はこれほどよいものをたくさん備えておられます。元々、私は1年に1回は健康診断を受けるのですが、今回は忙しくて2年ぶりに受けました。いつでも医者は私に運動をたくさんするようにお願いします。実は私は忙しいあまりに、あまり運動もできませんでした。だから、検査に行く前に3日間だけ集中して運動をしました。そして、今回の結果が出ました。コレステロール値も正常であり、なんでも全部良くなっていました。それで医者は言いました。体の管理がよくできましたねと。内心思いました。何もしていないのに。運動を3日間だけしたのに、こんなにも結果が出ます。
▶神様は私たちの体に与えられた基本的な祝福は限りなくあります。

1. 原罪とサタンのためにだまされてのがしてしまった内なる人にくださった祝福を回復するのだ
 ▶さて、今日も重要な言葉をくださいましたが何とおっしゃったでしょうか。私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々、新たにされる。どのような意味でしょうか。
1)原罪やサタンによってだまされて自ら奪われてしまったその祝福を全部、回復できるということです。過去のために全部、逃し他のですが、すべて取り戻すこと、それが内なる人です。皆さんもこの祝福を回復されるように願います。
▶私たちの内なる人に与えられた祝福が何でしょうか。キリストです。皆さん、キリストという言葉の意味が分かるでしょうか。私はキリストが分かったその瞬間から、こう思いました。一つだけが変わりました。もし問題がきたら、そうなるしかないことが来たのだ。すると、答えは出てきます。そうでしょう。例えば、ある人が私の悪口を言った。では、悪口を言われるしかなかったのだ。答えは出ます。誰かが私に対して、異端の濡れ衣を着せた。そうなるしかに状況だったのだ。そこで答えが出ます。レムナントのこれからの歩みの中で、皆さんのことを苦しめようとすることもあるでしょう。しかし、キリストはすべての問題の解決者です。皆さん、内なる人の目を開かれなければなりません。
▶あの奴隷で行ったヨセフもなにも恨みませんでした。我慢したのでもありません。ヨセフが我慢しました。もし我慢すれば病気になり、うつ病になります。ヨセフが我慢しましたか。理解しましたか。どのようにしたでしょうか。いいえ。そうなるしかないということを続けて悟りました。例えば、ああ、私がこんなに言いふらしたので、兄たちが私を奴隷とし売ったのだな。これからは、口を慎もう。もちろん、それから悟ったのですが、それだけではありません。私は夢の中で神様から世界福音化の道を与えられた。その道がまさにエジプトへ行くことなのだ。
 ▶ある人は、私はどうしてこんなにお金がないのかとなれば、お金はずっとありません。私はないことが当然だったと悟ったときに答えが出てきます。私は勉強ができない。勉強ができない仕組みだったと悟れば答えが出てきます。キリストは本当に限りない答えです。キリストは永遠に皆さんの弱点を利用して滅亡させようとするサタンの策略に対して、永遠に打ち砕いたのがキリストです。逃してはいけません。ですから、キリストにあって、あらゆることが備えられます。神の祝福も味わえるようにさせてくださいました。そこでキリストによって答えを得た人に対して、内なる人と言います。レムナントたちもこのような祝福や答えを持って出て行くべきです。
2)人間は誰でも、12の災いや問題に陥っている。しかし、私たちはそれが祝福であり、権威です。異なります。たとえ皆さんが公務員で行くとしても、学校に行ったり、仕事に行くとしても、神様は目に見えない方です。そうですよね。レムナントの目にも見えません。しかし、詳細に内なる人を見てください、創世記3章の問題にかかってしまい努力しています。そして、今、お金さえあればよいと思って創世記6章の問題にかかって苦労しています。他人は死んでも死ななくてもお構いなく、自分だけ成功しようと11章にかかっています。何か自分には今、力がないので、どこからか助けを受けようと13章、16章、19章にかかっています。ですから、いつの間にか自分も知らずにおかしな場所に来ています。それを指して運命だと言います。私はあんなに勉強して努力しているのに、時間が経つにつれてなぜこうなのかと思います。他の人には言えない問題に陥っています。それを指して霊的問題だと言います。次は他人も分かるようになります。それは、肉体の問題と言います。そのままいたら、それは次の世代に続きます。私たちの背景は地獄です。これが不信仰です。
3)こちらに勝つ権威を皆さんは持っています。驚くべきことでしょう。
▶内なる人。レムナントたちには内なる人が強くなる祝福をすでに預かっていますから、当然、答えを受けるべきです。
▶今日このように説教がどんどん難しくなるのに、私の説教は難しいでしょうか。多くの人が聞いてわからないと言います。だから悩んでいます。しかし、皆さんはこの内容が分からなければなりません。この意味が分からないので、今私たちの教会は本当に肉的な方向に行っています。目を開いて、全国、世界の教会を一度見てください。今の教会は全部お金で争ったり、紛争に巻き込まれています。それが霊的なことでしょうか。私は未信者の前で恥ずかしく思います。最近、ある裁判官に会ったのですが、私にこのような話をされました。牧師たちのために本当に頭が痛いです。いつも教会から牧師に対して、あまりにも無駄な告発がたくさん入ってきて煩わしいです。本当にこれは困ることです。皆さんが祈らなければなりません。レムナントたちは目を開いて祈ってください。だまされてはいけません。本当に残念でたまりません。あなただけそんなに良いのかということで、誹謗中傷を受けました。もし私の説教がそれだけに聞こえるなら、永遠に異端であっても構いません。悔い改めなければなりません。皆、上辺、外なる人、肉体、そればかりを握っています。
あなたがたの外なる人は衰えていても、内なる人は日々、新しくなる。

2. 現実問題のためにのがす霊的祝福を回復するのだ
▶それだけではありません。第二の理由です。今日の本文の中にあります。現実問題のために揺れているでしょうか。今日どのように答えがあるでしょうか。
1)落胆してはいけません。私たちは弱く外なる人は衰えていても、内なる人は日々、新しくなるからです。
2)そして、何と言われたでしょうか。これはしばらくの苦しみです。そして、それは軽い患難だと言われました。内なる人が弱い人は、どんな問題が生じるか、大変だとブルブル震えないでしょうか。しかし、私たちにはそれは一時的なものであり、軽いものになります。そして、本当に計り知れない、重い永遠の栄光の王も来ました。それが17節です。
3)そして、一時的に見えるものではなく、永遠で見えないもののために私たちは見ていきます。18節です。
▶亡きキム•ジュンゴン博士が、亡くなられる前に私は10回ほど会いました。もちろん、10回ともその方に呼ばれて行きました。その方には10回ほど会ったが、10回ほど話を交わしましたが、私はいつも感じることがあります。この方は、老人ではない。それをいつも感じました。年老いている方にばったり会えば、この人は年を取っていると思うのですが、この人からはそのようなことが一切感じられませんでした。本当に実力のある青年でした。一度食事をなさっているときに、食べ物が鼻に入ったのかちょっとへんに咳をましたが、そのような部分は年齢がありますので仕方がないですね。そして、とても感謝して、私たちのRUTCまで直接訪問して帰られました。その方が私に3つのミッションを残されました。トッピョンのRUTCをまわって見て、私たちに残されたミッションでした。韓国教会は、今、伝道が途切れている。伝道には関心が一切ない。他のことを一切しなくてもよいから、伝道運動を続けて下さい。それとともに、この方が靴を履いて出て行くとき、一言、言われた言葉がります。私たちに対して話す言葉もあれば、独り言のように出てくる言葉を私が聞きました。久しぶりに神の話ができて、本当に気分が爽快だと言いました。その言葉は何を言っているのでしょうか。いろいろな人に、どんな人に会っても、神の話をしないということです。教会でも神の話をしません。福音も語りません。肉的な話だけで言います。失望をしても肉的なものを持って、落胆しても肉的なものを持って、疲れたといっても肉的なものを持って、争ってもお金のために戦います。私たちのレムナントは、そのような罠に陥ってはいけません。そうですよね。
▶今日の18節で何を言われたでしょうか、目に見えるものは一時的なことです。私たちは永遠なことを見ようと行くことです。私たちに与えられた霊的な祝福はとてつもなく大きいです。皆さんが信じていなくても私は信じています。神様はエリシャが動いていくすべてのところに火の馬と火の戦車を動員されました。目に見えません。ということは、皆さんと私が伝道者であれば、私たちが行くすべてのとことに火の馬と火の戦車を遣わされます。だから、心配する必要はありません。
▶今、どれほど実力のある人達が現場にたくさん入っているでしょうか。この目を開いてしまえば一切問題がなくなります。感謝であることは。私たちのレムナントの中には実力を持ってすくすく育っています。私は特にレムナントの中で、ある勧士の息子をわざわざ呼びました。実力がなければ、そこに入るわけにはいきません。韓国の中でも人材の中で優秀な人材が選ばれ司法試験などをパスして、また司法試験をパスした人の中で、また上の人たちが企画部に入ります。つまり、政府機関の中でも企画及び、財政を担当している部署があって、そこに派遣されます。その中でも総理の側近として選ばれました。まさに私たちの実力のあるレムナントたちが、福音や霊的なことに対して目が開かれている人材がそのような現場の中に入ると違います。私はそこに行く前に早くその子に教えるべきことがあって呼びました。あなたは他の人とは違う。あなたはレムナントの祝福のモデルとして行くべきなのといろいろ言いました。時間さえあれば訓練も受けて、そして、結婚も重要であるといろいろな話をしました。このような人材がレムナントの中で多く起来ています。今日も長老たちを集めて、ちょっと話をしました。私たちは90歳まで生きると思って、全重職者たちは一生をかけて、一生残すほどの文化とRUTCが何なのかを考えて祈り始めなさいと言いました。結局私たちは腐ってしまう外なる人のためにしようとするものではありません。

3. 未来の心配のためにのがしてしまった天国の祝福を回復するのだ。
▶最後に何でしょうか。多くの人々が将来の心配のために重要な本物を逃してしまいますが、私たちは将来のための確実な内なる人がいます。
未来は何でしょうか。
1)救いそのものが神の国です。
2)皆さんが生きて行く中で、皆さんには天の御国が背景になって、皆さんを霊的に導かれます。
3)さらに重要なことは、私たちがこの地を去る日には天の御座のあるあの御国で永遠の祝福を味わうでしょう。これこそ残っているまことの祝福です。
▶ですから、簡単に言いますと、今目に見える目先のことで揺れることがない。まことの本物は今残っているということです。このようなキリスト教、教会や重職者、使命者がどんどん出てくるべきです。
▶いろいろな人が私の悪口を言われるかもしれませんが、私はもう一度はっきりと言いましょう。本当に偽り者、偽物は出てきてはいけません。ですから、教会は今、未信者たちから、悪いことをいろいろ言われています。未信者たちは教会の悪口を言っています。どうして教会はイエスの御名を使いながら、殺人、泥棒のような詐欺、いろいろなことをしているのでしょうか。
▶私は皆さんにお聞きしたいです。教会の中でどうして葛藤があるのでしょうか。その内容が皆さんの未来を左右します。もしそれが肉的なことでしたら、皆さんは失敗です。私は今、一生懸命、走るのですがどうしてでしょうか。それは肉的なことのためでしょうか。そうすると虚しくなります。私たちはそうではありません。永遠になくならない内なる人だけが味わえる神のまことの祝福のためです。ですから、実際、何も心配いりません。
▶私は前にも話しましたが、昔々のあるヨーロッパに住んでいる人がアメリカに行けばお金を稼げるかと思って船に乗りました。当時は昔だから飛行機もない時代でしたの、船に乗って行くしかありませんでした。ヨーロッパからアメリカまで一週間かかります。船もそんなにいいものではありません。当時は、いろいろヨーロッパからアメリカに移住する時期だったのです。この人はとても貧しい人で、しかし、いろいろな努力をして船の切符が買えるようにしました。問題は1週間行くしかないことです。ご飯を食べられるお金がありません。でも、食べることは必要です。お金は一切ありません。やっとその船のチケットが買えたからです。いろいろな人たちと話をしていたのですが、途中で皆食事に行きます。一人だけ残りました。他の人達を見たら、みな美味しく食べて気持ちよさそうに見えて、自分はお腹がすいている。また、お昼休みになったら、またお金がなくて食べられませんでした。夜になるとまた皆食事に行きます。でも自分はいけない。他人から言われました。あなたはどうして食事に行きませんか。私にはお金がありませんと言うのも申し訳ないと思い、私は今、胃腸の調子が良くないと言いました。本当に今は3食も食べていませんので、お腹がすくわけです。6日間、ずっと食べられませんでした。明日になれば到着します。私は少しだけ待てば就職もして、食事もできるだろうと。それだけ思っても気分がよくなります。1日だけで。でも、放送がかかりました。船が暴風の関係で遠回りをしなければならず、予想より一週間後に到着しますと。6日間、何も食べていなくて、あと1日かと思っていたらもう1週間だと言われ、14日も食べることができません。これを計算したら、自分はもう気が狂いそうでどうしようかとなりました。だから、決断しました。まずは食べて、話をしよう。もう私は死にそうだから。食事も抜きました。6日間も何も食べていませんから、本当にいっぱい食べました。計算しなければなりません。簡単に言って「いくらですかと」と尋ねました。従業員は「はい?」「いくらですか」「えっ、何ですか」「いや、今の私の食事代はいくらですか」「食事は初めてですか」実は初めてだったのです。「あなたはチケット代を払いませんでしたか」「もちろん私は払いました」「読んでいませんか。全部の食事はこみですよ」その船のチケットの中に、食べるのも飲むのも全部含んでいました。それをまったく知らずに6日間も食べられず、何も食べませんでした。もし嵐のこと知らなかったら、一切食べられずに降りたかもしれません。嵐のおかげで悟りました。私たち人間が救われるときも同じです。いろいろぶたれたり、痛めつけられたときにやっと分かります。

結論
▶皆さん、今日、外なる人も重要だが、内なる人、霊の目が開かれる貴重な祝福受けるように願います。つまり、これはどういう意味でしょうか。すべてのところにおいて適用されます。内なる人、外なる人、上辺と内側です。外見と内容。これがよく分かれば、どこに行っても門が開かれ答えられます。レムナントと皆さんが歩み道のりに、神の大いなる祝福と答えられますように、イエスの御名で祝福します。


(祈り)
神様に感謝します。
今日、私たちの内なる人が新しくなれるよう、霊的な目が開かれますように。レムナントたちもこの目が開かれて、世の中を生かしていきますように。すべての重職者もこの祝福によって、外なる人しかいかない未信者たちを生かすことができますように。
私たちのすべての役員が、この祝福に入り、外なる人の中にだけある未信者を生かして下さい。 今日、私たちの産業が、内なる人の産業となりますように。そして、私たちは今日、私たちの仕事と学業が内なる人の仕事となりますように。そして、天の扉が開かれますように。逃した教会が回復されますように。逃した教会が回復されますように。福音が回復されますように。神のみことばは回復できますように。
イエス•キリストの名によってお祈りします。アーメン。