20140810 インマヌエル教会聖日1部


心を広くしてください
(Ⅱコリント6:11-13)

序論
▶ある老夫婦がハーバード大学を訪ねました。大学の総長にお会いするということでした。しかし、その老夫婦の洋服など外見があまりよくありませんでした。総長も忙しい方ですから、秘書の方たちから断わられてしまいました。老夫婦は言いました。「私たちは待ちます」。でも、「総長はスケジュールが決まっていますし、会うのは大変です」ということで断られました。しかし、この老夫婦は帰りませんでした。かなりの時間が経過しました。大学側は早く家に帰そうとしたのですが、「短くならよいですよ」ということで会うができました。そこで老夫婦は総長に次のようなことをお話しました。「学校を建てるためにはいくら必要なのか」と。総長はその質問自体があきれてしまったので、「到底あなたがたには無理です」とまともには聞いてくれませんでした。「60億ドル以上のお金がかかるから、あなたがたにとっては無理なことだ」と。韓国のお金で換算すると、6兆ウォン以上になるということでした。すると、老夫婦は言いました。「それしかお金がかからないのですか」と意外な答えをしました。そして、その老夫婦が帰った後、大学は会議を開きました。実は老夫婦は自分たちの財産を大学側に寄付しようとしたのです。しかし、大学側は私たちのことをあまりまともに受け入れてくれていないから、私たちが個人的に建てましょうということで、実際に建てられた大学が、今のアメリカのスタンフォード大学です。自分の名前にちなんで付けたが、その祖父の名前がスタンフォードでした。今は有名な大学になりました。
▶皆さんはこれからそれぞれの現場に戻られます。外国から来ていらっしゃる方々も国に戻られると思います。ある方は会社へ、ある方は自分の現場に戻られると思います。また、ある方は自分の教会に戻って教役者としての働きをしなければなりません。いろいろなことがあるのですが、その前に目に見えないいろいろなことがあります。私たちは会社に行こうと教会に戻ろうとどの現場に行こうと、目に見えない奥義を持って行かなければならないということです。その目に見えない部分、とても重要な部分です。
今日の本文は分かるような内容かもしれませんが、心を開いてくださいということです。これは普通のように聞こえるかもしれません。心を開くというこの言葉が。例えば、ある牧師は教会を建てて、今まで長い間、牧会をやっても教会の信徒が30人を超えません。そして、30人を超えると、いつも争いが始まって、また派閥ができ分裂します。またあるところは100人を超えない教会で、100人を超えるとまた喧嘩が始まる。なぜそのようなことになるのか理由を知らなければなりません。その、部分を見ることができる、心を開いていかなければなりません。会社もそうです。信仰生活も同じです。あなたの心を開いてくださいということは、ただ単に心をオープンにして皆のことを受け入れるという意味ではありません。心を開くというのはとても重要な意味になります。
▶心を開いてくださいということを、今日はよく見ていく必要があります。すべてのことに思い煩いを捨てて、感謝しつつ、神に願い事を求めなさいと言われました。そうすれば、私たちの心とまた、思いが開かれる、広くなるということです。私たちは福音を握って、祈りを通して心と思いが広がっていくなら、つながっていくなら、それはよいと思います。でも、福音の中でそれをやって行かなければなりません。でも、福音の外でいくら心を開いてもうまくいきません。私たちは福音の外側で神のみことばを握ってはいけません。福音の中で神のみことばを握り、心と思いが一致して行く答えを受けるならばそれで十分だと思います。今日は心と思いと言うよりも、心を開くようにと言われました。考えは私たちの頭の部分、すべての知識の部分かもしれませんが、今日は心を開いてくださいと言われました。つまり、すべての部分が備わっているから、心さえ開いて、心さえ広くすればうまくいくということです。実際的に、教会の人数、信徒が増えない理由は、なぜそれが増えないのかという理由を知らないでいることです。それを知るなら、広がって増えていくと思います。その部分の目が開かれない限り、一生、10人は10人、30人は30人のままの教会になってしまいます。ハーバード大学の総長は老夫婦がなぜそこに来て、大学を立てるのに費用はいくらかかるのかということについて質問したかを分かりませんでした。心が開かれていないからです。逆におかしい夫婦が来て、自分たちにおかしい話をしているのだとしかとらえませんでした。
韓国に大院君という挑戦時代末期の王がいました。朝鮮が開国されることに対して、非常に反対しました。その結果、どうなったでしょうか。北朝鮮は今、どのようなことをしていますか。心が開かれていないから、あのようなことをしているのです。心を開くということは、とても重要な意味があります。
また、最近、韓国の軍隊でいろいろと暴力事件があって、ある兵士が死んでしまいました。いろいろな人たちが、いろいろな世論をもって言葉を話します。ある人は政治家たちが政治を間違って起きたことだと言います。例えば、昔は精神的に患っている人は軍隊に行かなくてもよかったそうなのですが、最近はそのような人たちを除くと軍人が少なくなるということで、軍隊に行かなくても良かった人たちを今は行かせているのですが、だから、政治家のせいで彼は死んでしまったとか言います。また、ずっと前は拳銃の事件によって、軍隊で人殺されてしまったりしましたが、それも管理不足だとかいろいろな言葉が出てきているのですが、私はそのような事件を見る目が違います。部隊の中には10人〜20人の部隊員がいると思います。その10人、20人の間で起きている暴力事件、または殺人事件なのです。それを大隊長が、部隊長が寝ないで見張っているわけにはいかないですし、問題はその兵士たちひとりひとりの中で一番トップにいるのは兵長です。星一つは准将、2つ星は少将、3つ星は中将、星四つは、大隊長、星5つは兵長と何個のスターを持っているかということによって、上下関係が激しいのです。 
それはさておき、問題はこの10人、20人の部隊の中で、実際的に正しい団結ができていないのです。この事件が起きた舞台というのは、やはり、この10人、20人をコントロールする素質のない人が兵長として、リーダー格になっていたわけです。だから、自分の目に気に入らない兵士たちがいれば暴力をふるうわけです。いじめます。そんな雰囲気になっていたところで、やはり、事件が起きました。
今、レムナントの男の人たちは軍隊に行ったら、皆さんが行かれた部隊の中の兵長、リーダーがどのような素質を持って、どんな人格かということを把握しなければなりません。今回事件があったところは、おかしい人がやはり、リーダー格になっていました。ですから、そのような部分をよく見極めて行かなければなりません。
▶私はなぜこのような言葉をメッセージの時間、お話をしているのでしょうか。私の頭の中の自分が、どれくらいの目を持っているかによって物事を見てしまいますから、心を開いていかなければなりません。自分の心がどれくらいの広さかによって、物事を見る見方も違いますから。5千人以上にならない教会は、5千人を受け入れられるような場所も、5千人を受け入れられるような頭も心もないのです。ですから、信徒が5千人以上は増えません。そこで私は釜山でも支持をしました。本当にRUTC、教会堂を建てることができ、本当に教会を正しく構築することができる長老700人を立てて700カ所で伝道運動をしなさいと。征服できるほどのRUTCと教会堂を建てなければならないから、そのためには福音、祈りが何だかわかるような700人の長老が必要です。だから、その700人の長老、重職者を先に立てることを支持しました。実際に釜山全体を福音化するためには、ひとりひとりよりも正しい重職者700人を立てれば、釜山全地域をカバーできるようになるのです。ですから、すべての教会、すべての地域、皆同じです。心を開いていくということは本当に重要な意味があります。
▶私は複雑な話を今、序論的に話しましたが、それを置いておいて、今度はワナメーカーの話をしたいと思います。ワナメーカーは学びはあまりありませんでした。知識がなかったのです。けれども、知識がある人以上の心を持っていました。自分が長官になる直前に、彼が言った言葉は有名です。「自分はデパート王になった。しかし、デパートの仕事は副業にすぎない」と言いました。自分の本業ではないということです。「もしも私が長官に任命されるなら、それは臨時職だ。私の本業、そして、私がこれからの人生において一番だと思っている働きはこれだ」と言いました。それは日曜礼拝と日曜学校の子どもたちを教えること、それがわたしの一生涯の本業だと言いました。大統領にそれを報告したときに、どんなに国が忙しくても日曜日はあなたを国会に呼ばないからそれをやりなさいと言いました。それで、結局、ワナメーカーは長官になりました。
▶元々は、清掃屋さんをやっていたシーバー。しかし、そのシーバーは大企業の幹部よりも、心が広く、頭も持っていました。彼はどんな働きの奥義を持っていたのでしょうか。その奥義を持って、会社の会長さんはこのシーバーを自分の会社の社長に任命しようと決めました。でも、任命しようとしたときにシーバーは、最初Noと言いました。なぜなら、「自分のような知識のないものが会社の幹部にはなれない。社長は到底、無理だ。こんな私に社長をまかすなんて」と会長に断わりました。しかし、会長は、つまり、鋼鉄王と言われたカーネギーだったのですが、シーバーに言いました。「専門家が必要ならあなたがお金を持って雇いなさい。技術が必要ならあなたがお金を持ってそのような人を雇えばいい。私が思うにそれらは重要なわけではない。私がこの会社に必要とするのは、あなたの中におられる神、神様がともにおられる力、それがわたしの会社に必要だ」とカーネギーはシーバーに言いました。さて、このように心が広かった人たちを例にあげましたが、心を広くする。
▶では、どうやったら心を広めることができるのでしょうか。例えば、会社でいろいろなトラブルがある。それは相手と意見が違うから喧嘩する必要はありません。どの部分がトラブルになったのかを見て、それをうまく解決して行けばいいのです。でも、私たちは問題を解決するためにイエス•キリストを信じているわけではありません。
▶心を広げる。どうすればいいのか。私はイエス・キリストを本当に信じて3つのことが変わりました。まず一つ目は、もしも私と相手が喧嘩するようなことになったとしたら、その時喧嘩をしたら負けてしまいます。例えば、私とだれかが利益損害のために戦うことになった。私は損することを選択します。もし相手が私に間違った場合は許します。キリストを知った日からはそうしました。勝ちか負けかと言われたら、私は負けを選択して、利益損害だったら損を選択しました。そして、相手のミスは全部許してあげる。なぜなら、私はイエスを信じてキリストがわたしとともにおられるからです。それが私に対してキリストの預言者であり、また王であり、祭司長の働きをすることができるからです。なぜなら、そのキリストを選択することでのろいが、サタンが縛り上がるからです。それで十分ではありませんか。心を広めるということは、キリストを選択するということです。イエス様はまた言われました。心を広く開きなさい。私はそれを埋めるから。また、主を待ち望みなさいと言われました。そうすれば、私は力の御手をあげて、あなたの敵を完全に打ち砕くと言われました。皆さんが心を広めていくという部分の奥義を本当に持っていただきたいと思います。
▶人々は心を広めることができないから、そこに人生を投資して人生がだめになって行きます。今、人生そのものが、心が広くないために序論的な人生で終ってしまっているのです。釜山、ヨンドを見てみてください。救われた人はいっぱいいます。でも、教会は100人を超えない教会がいっぱいです。それで皆、インマヌエル教会を悪く言っています。だから、私たちは悪く言われていますが、そこの主任牧師たちが本当にかわいそうだなと思います。心が広くないからです。
▶今、救われなければならない人たちがいっぱいです。私たちは福音を伝えて行かなければなりません。世界で教会は減少しています。私たちがああだ、こうだ、うるさく言う必要はありません。心を広げていく必要があります。今日の本文はこうです。キリスト、イエスの中にすべてがあるから、もう全部OKなのです。残り一つ、心を広めるだけでOKだということです。どうでしょうか。飲料水のふたを見てみてください。なんと狭くて小さいのでしょうか。昔は、コーラに、ふたがありましたがこのコーラのふたがどんなに小さいでしょうか。とにかく、人は器が大きくなければなりません。例えば、ホームレスも物乞いをする人も自分が持っている器が大きくてこそ、いろいろなものをそこに盛れるでしょう。小さな缶一個だとなにも入りません。また、小さな小川には大きな魚は泳いでいません。深い海、深い河、大きな川でなければ大きな魚は泳いでいません。ですから、小川には大きな魚は泳いでいません。たまにこういうことがあります。金海という地域に来まして、とても大きな魚を釣りました。その魚は霊的問題があるから、そこまで泳いできたのだと思います。だから、私は釣りましたが。
▶私たちの問題はキリストにあってすべて終わりました。すべては完了しているのです。けれども、自分の水準、自分の能力、自分の状況に収めて行こうとするから物事が見えてきません。だから、心を広くしなさい。そして、口を大きく開きなさいと言われました。心を広める理由は何でしょうか。今日の本論に入ります。

1. 神様はレムナントとみなさんに行う計画を持っておられる
▶神様はレムナントと皆さんに計画を持っておられます。
1)ピリピ1:9-10。まことに優れたものを見分ける、識別力を持ちなさいと言われました。皆さんはこれから国に戻ったときに、傷が皆さんを待ち構えているかもしれませんが、傷を受けないことです。なぜなら、皆さんには大きな計画があるからです。家に戻られたら、だれかが皆さんをつまずくようにします。けれども、一切、つまずかないことです。会社に行ってもいろいろなことが待ち構えています。霊的な目を開いて、まことに優れたことが何であるかの識別力を持ってください。
2)そして、ピリピ2:13に、神はなぜ私たちの心を広めなさいというのか。私たちひとりひとりの中に神の志が立てられてあるからです。神様は皆さんに計画を持っておられます。だから、無駄なことをせずに福音の中で、心を広くしていくことです。
3)使徒9:1-15は何でしょうか。明確に言われました。パウロに。あなたは多くの王とすべての民族の前に福音を伝えるために私が選んだ選びの器だと言われました。訓練も受けていない者、パウロに対して言われた言葉です。その言葉は、皆さん一人一人に神の志がある。だから、絶対に落胆せずに神の御前に立つことです。いろいろな争いことがあっても、いらないことに時間を費やせず、心を広めていくことです。簡単に言えば、物事に対して霊的な目を開いて見て行くということです。どの現場に行こうと、どの場所に行こうとそうです。そうすると、お金を儲けることもできるのです。そうすれば、教会も、職場も、伝道運動もいくらでもできるようになります。私たちは自分で自分を束縛しています。ですから、そのようなすべてのことをほどいてください。
▶例えば、ひとつの例を申し上げます。私がずっと昔の伝道師のころ、中高等部の修練会を開こうとしたら邪魔されました。なぜ中高等部の伝道などがうまくいかないのだろうかと思って、学校を訪れてみました。行って確認したのは、男の子は話し方、言葉の使い方も普通には話せません。言葉一つ一つのセンテンスの中にすべて乱暴な口調が入っています。そのような話し方でないと、自分たち同士では通じないくらいの学校の雰囲気でした。次に女子高に行ってみたら、すごくびっくりしました。私は鶏小屋に来たのかと思いました。ひとりひとりの女の子を見ればかわいいなと思うのですが、団体で見ると鶏が騒いでいるような感じでした。ある時、女子高のバスに乗ったことがあります。耳がちぎれるかと思いました。あまりにもうるさくて。だから、学校で伝道するというのは無理だと思いました。学校では伝道が成り立たない、そんな枠がびっしりとありました。では、その枠をどうほどいていくかが伝道の鍵だということを私は見つけたのです。また、学校には学校なりの方針があります。学校の方針が何かというのを見て、学校の前には必ずパン屋や駄菓子屋さんがあったので、そのようなところに集まる学生を見て、その学生たちに自分の手で書いた「福音の手紙」を渡して話しました。ただメッセージだけを送ったわけではなく、彼らが悩んでいるのは何かと悩みを序論的に書いて、その部分の悩みの答えはこうですということで福音を伝えました。そうすると、一人ずつの学生たちが福音にあって回復されて行く姿を見ました。ある学校では、今はそのような学生は少ないと思うのですが、不良の子がいました。学校も先生もお手上げの不良がいました。高校生なのにすでに自分横で鞄を持ってくれるような人もいました。校長先生も教師も皆、彼には「はい。はい」と言う感じでした。その子を私はパン屋に呼んで福音を伝えました。彼を呼ぶ前に、彼の成績だとか家庭環境だとか全部調べました。その後、驚いたことは、彼は不良でしたけれども、一対一で呼んで、とにかく、パン屋に入ってきた途端に思い切りびんたをくれました。そんなに痛くは殴りませんでした、すると、私になにも反抗できずにそのままパン屋の椅子に座りました。彼に私は思いきり伝えました。俺も学生時代君みたいだった。けれども、しっかりやりなさい。あなたは実は長老の息子ではないのか。私は長老の息子だと調べて分かった瞬間、これは殴ってもいいなと思って殴りました。それで彼に福音を伝えました。すると、彼は福音を受け入れました。受け入れたあとの彼の変化はものすごい大きな変化でした。なぜなら、彼は元々、自分が動いていた雰囲気がありました。彼に対しては誰も立ち向かえない雰囲気だったのですが、そんな彼が変わったわけですから、その彼が所属する学校に彼が福音運動ができるように皆を連れて行ったりしました。つまり、学校で福音運動ができなくさせるしっかりとあった枠が、彼によって全部ほどかれました。
4)使徒18:1-4にプリスキラ、アクラの夫婦が出てきますが、パウロはこの夫婦にあってコリント教会を完了させていきます。なぜ、私たちが心を広めないといけないのか。

2. 神様は貧困、無能、病気、苦しみを越える祈りの答えをくださろうと待っておられるためだ
▶なぜなら、私たちの虚しさ、貧しさ、無能、病気、それらの苦しみを超えて行くための祈りの答えが私たちにあるからです。でも、この祈りの答えは心が広くなければ、霊的な目が開かれなければ答えられません。私たちは答えを受けるのに当然な身分ですから、心を開いてほしいということです。
1) 神様は全能な方です。どれだけ全能だと思いますか。神様を信じていない人にまず聞いてみてく
ださい。その人は信じていませんから。私は信じない人に教えたことがあります。あなたは神を信じていないけれども、神はあなたがいつ死ぬか、あなたの葬儀の日を神は持っていると言いました。だから、その神に対して言うことがあるのかと言われたときに、「ない」ということでした。
▶キリストという御名はどれだけの力の御名だと思いますか。サタン、災い、地獄の権威を打ち壊した御名がキリストです。
▶聖霊の御働きが起きたらどうなるか分かりますか。聖霊の風が吹いたらどうなるのか。人間のもの人間的なすべてがひっくり返されるのが聖霊の風です。そんな三位一体の神が私たちとともにおられます。
▶父と子と聖霊の御名によって私たちはバプテスマが与えられました。そんな神が世の終わりまで、いつも私たちとともにおられると約束されました。それにもかかわらず、この真実を信じることができなくなる、私たちの心の罠があります。それを全部、壊して行かなければなりません。また、神は言われました。
2)天と地のすべての一切の権威が私たちとともにおられると。
3)そして、私たちをキリストの大使として送られました。ですから、私たちは家の中でどうでもいいようなこと、ささいなことでいつも傷ついて、つまずいて、泣いてわめいています。それらを全部捨ててください。
▶私は女性の方、女の子のレムナントにお願いしたいです。これから結婚したら、旦那様が一番この家は本当に楽だな、リラックスできるなという家庭を作ってください。なぜなら、旦那さんは外ですごく戦って家に帰ってくるのです。ものすごく激しい戦闘をしてきます。だから、家に帰って来たときには、この家は本当に安らげるという場が必要です。あまり、毎日、柳光洙先生のメッセージを大きく流してうるさくするような家の環境にしないで、本当に楽な環境にしてください。それで、いつも自分の旦那さんの携帯を見たりポケットを見たり探ったり「これは何ですか」ということをしないでください。そんな奥さんがいてもいいのですが、こういう人にはならないでください。本当に女の子にお願いしたいです。女の人は外見はともかく、内側が毎日新しい泉がわくくらいの新しい人になってください。
ある女性が結婚をして、1年間、旦那さんには内緒で日記帳を書きました。日記帳に何を書いたか。神様がこの旦那さんを私に与えてくださって感謝しますということを、毎日、日記に書きました。それは日記帳ですが、本みたいに作って1年後に旦那さんに渡しました。旦那さんはあまりにも感動して、これは本にして売るのはどうかというくらいに感動しました。それを見て旦那さんは感動したそうです。旦那さんはこんなことを独り言で言ったそうです。私の妻は本当に毎日新しい人だ。そういうことを言っていたそうなのですが、見れば見るほど新しく見える。自分の妻のことが。見れば見るほどなんと気持ち悪いというような人になってはいけません。見れば見るほど倦怠期になるような、そのような雰囲気にしてはいけません。牧師先生も同じです。信徒さんが毎週、牧師先生を見るときに「うちの先生は毎週、毎週、見れば見るほど新しい恵みが見える」となるべきで、見れば見るほど気持ち悪い先生だとなってはいけません。あるアメリカから来られた先生に「先生は国に戻らないのですか」と私が尋ねたら、「いや私の教会は私がいない方がうまくいくのです」と言いました。「だったら一生、帰らない方がいいですね」と言いました。
▶神様はなぜ私たちをキリストの大使として派遣されたのでしょうか。そこには仕事があるということです。生かすべき仕事があるということです。だから、私たちはつまらないことにとらわれず、心がつまずくことなく、心を広げてくださいという言葉です。霊的な目を開きなさいということです。レムナントたちにお話があります。家の中でいらないことに傷つかず、霊的な目を開いてください。教会に行ってみればいろいろな無駄なことがあります。でも、そのようなことに傷つかないで、本当の戦いで勝利しなさいということです。特にレムナントの皆さんにお願いしたいです。

3. 地の権威を持ってあなたがたとともにいる
▶3番です。私たちが心を広へる3つの理由は、宣教と伝道と未来の災い解決のために、私たちは備えられ他ので、心を広げていくことです。私たちの現場を見てください。人間、人類に繰り返されてくる災いがあります。福音をなくしてイスラエルの国で起きた災いは、何度も何度も繰り返されました。私は伝道しながら、その災いを発見することができました。
1)ニューエイジ運動は、創世記3章をそのまま繰り返している運動です。アメリカ、日本を見てください。先進国のビジネスが本当に活発に行われていても、全部ネフィリムの文化です。フリーメーソンはどうでしょうか。アメリカ、日本などがバベル塔運動をいまだに続けているのです。みなバベル塔を建てているのです。それで、全世界を制覇するということです。全部、バベル塔を建てています。これはすべてサタンの戦略です。
▶昨日も誰かが私に質問してきました。先生は日本人をどう思われますかと。私は日本人に対して、個人的に見たときに一番正直で、とても勤勉な人たちが多いです。皆まめで忙しく良い人たちばかりです。非常に信頼性があります。また、ひとりひとりを見ると本当に学べる部分が多すぎると思います。ただし、そのように良いところを創世記3章、6章、11章のサタンが日本人を掌握しています。だから、彼らを生かすためには福音運動しかないと言いました。
▶皆さんがやっていることは本当に重要なことばかりが残っています。だから、心を広めてください。使徒13章、16章、19章が私たちの文化になっています。なので、そのような現場を生かすために、私たちは伝道と宣教と未来があるために心を広めていくことです。心を広めるということは何でもOKといった心を広めることではありません。心を広めていくということは、私たちを束縛し、縛っているすべての災いを、キリストの名によって全部、回復して行く意味を指しています。ですから、何でもOKという心ではなく、キリスト、イエスによる心です。例えば、教会も信徒たちの心が本当にひどく荒れている部分を、毎回家に訪問しているから広まっていくわけではありません。キリスト、イエスによって答えを提示することです。ですから、ひとりひとりの信徒の心を広めるのも、彼が何によって縛られているのかということを見て、キリスト、イエスによって解放してあげることです。旦那さんの心も妻の心も優しくするからほどかれるわけではありません。何かに心が縛られている。その縛られた部分を、キリストの御名によって解放させてあげることです。それが心を広めると言うことです。本当に重要な部分です。
▶初代教会で起きたこの祝福を回復する必要があります。心を広める。この目さえ開かれるようになるなら、すべてが簡単になって行きます。何が簡単なのか。一つ目、霊を上げてみますと、私の某教会が釜山にあります。その釜山の某教会の特徴は何か。言葉にいつも何かがないということが口癖になっていました。これもない。あれもない。だから、私が契約として何を握ったのか。あるということです。これもある。あれもある。あるということを見せてあげることでした。とにかく、救われるべき人がいる。現場にある。そして、証拠は現れたのです。二番目に行ったある教会は、このような教会でした。人間主義の教会でした。人間主義だらけの教会でした。あの人間主義のひもを全部切ってやろうと思いました。私は自分で牧師や長老の方々を自分の自由にコントロールできないが、自分が教えている子どもたちから、まず始めることができると思いました。彼らの状態を調べてみました。学業のこと。家庭の雰囲気、環境、全部調べてみました。そのひとりひとりの学生の希望、志は何かという部分を調べて、祈りながらひとりひとりの心が開かれて行きました。ひとりひとりが喜びに満たされて行くようになりました。ひとりひとりの子どもが答えられる姿が見えました。心を引止めるという言葉は本当に普通の言葉ではありません。また、次の教会へ教役者として行くようになり、その教会の特徴は牧師先生が自由に教会を扱う教会でした。本当にそのような牧師先生はこれから出てはいけません。教会が自分のものだと思って動いていきます。教会の主人は牧師ではありません。牧師中心でやるから喧嘩が絶えません。そこで、また私は握った契約があります。信徒たちを慰めてあげようと思いました。そして、教会の牧師先生は、信徒と牧師の間に誤解が生まれないように福音運動をやっていこうと思いました。そのように伝道運動をしていきました。その次に行った教会が釜山中央教会でした。ここはまた、先ほどの教会とはまったく反対です。今度は長老が教会をコントロールする教会でした。例えば、牧師が気に入らないと、牧師の謝礼もカットして給料も渡しません。そのような教会を見て、私はあのような長老を自分で教えるわけにはいきませんが、でも、自分が今教えている学生や青年たちは教えることができる。このような教会の雰囲気が彼らにまで受け継がれてはならないから、このような呪いのひもは全部切っていこうと思いまして、心を広めていきました。そして、伝道の目が開かれて、大きな実がその教会で結ばれるようになったのです。次に行った教会の教役者生活、どのような教会かと言いますと、無気力ア教会です。何もやらない教会。喧嘩もしません。気力がないから、喧嘩をする力もありません。大人みたいに静かでした。これも問題だと思いました。だから、何をしたか。時分と心が通じるような人を少し見つけて、本格的な伝道運動をしようと思いました。怠慢で何もやらないような無気力な状態に力を入れていきました。
そして、最終的に行った教会が東三教会というところでした。その教会はどんな教会か。ものすごく喧嘩をする教会でした。こんな教会があってはならないと思うほど喧嘩が多かったです。いまだにその教会は喧嘩していて、その信徒たちは気分が悪くなるかもしれませんが、いつも派閥があって喧嘩ばかりです。私個人的にはその教会の信徒たちは救われていないのではないかなと、あくまでも個人の目ですがそう思いました。もしかしたら救われたかもしれませんが、救われていないのではと思うくらい喧嘩していました。どれくらい喧嘩がすごかったか。警察官が動員されて止めるくらいでした。その時、握った契約は青年たち、子供たちに伝道を教えよう。そして、伝道学校を作りました。私たちだけでも伝道して福音を伝えよう、だから、教会のために祈りましょうと。それだけしかやっていません。それしかやっていないのに、神様は教会を祝福してくださいました。私たちが大きく何かやれることなどあるでしょうか。
▶このような質問が生まれるでしょう。そんな大変な教会で、いつも利益損害の中で損を選んで、喧嘩をする教会で喧嘩をしないで、いつも自分は勝ちか負けかと言われたら負けの方を選択する。そんな信仰生活をしているならボロボロで私たちは何もならないのではないですかと思うかもしれません。しかし、違います。違うのです。こちらに証人たちがいらっしゃいます。普通に見える人も、お金を見たときに目つきが変わる人がいたりしたのですが、だから、みな狂ってしまうのでしょうか。お金を見れば狂う人がいるのです。私はお金にあまり興味がないので、タラッパンも初期のころ、私たちの訓練費用やいろいろな資料を売って残りの利益を全部集めて本部に戻し、それが宣教献金、伝道のための運営費用として使われていたのですが、それを自分でこれらのものを販売し、自分が儲けたから自分のものだと言って、それを持っていってしまった人がいました。そのような人は、噂によりますと結局、私の悪口まで言いながらそうしていました。ある日、そのメンバーにテグのあるホテルで会いました。いつも私のことを悪く言っていたそうなのですが、ホテルで会った瞬間、私と目と目があった瞬間、急いで私のところに来て大きくお辞儀をしました。内心、私の悪口をいつも言っているそうなのに、今度はなぜこうやって挨拶をするのだろうと思いました。私は一言、言いました。「最近、あなたは非常に忙しいそうですね」と言ったら、「はい。忙しいです」「では、体に気を付けてください」「はい、わかりました」。1年後、死んでしまったのです。その人は死ぬ前に釜山にいたのですが、釜山からソウルに上って、お金のいろいろなトラブルがありました。最初は普通だったのにお金のせいでおかしくなったのですから、最初はそれがかわいそうだと止めたのです。その止めた理由のせいで、私のことをすごく悪く言いました。その人は最終的におかしくなってしまいました。とにかく、そのようにおかしい人たちがいても関係ありません。なぜなら、父は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。私はどんな死の影の谷を歩くことがあっても、私は主に導かれるということです。

ですから、今日のポイントは、皆さん現場で本当に縛られている部分、それをキリストでほどくことです。そして、正しい道を開いてあげる。これらすべてを心を広めていくという作業になります。皆さんがどこに行こうとこの契約を持って、現場を生かし、人を生かしていくそんな人になっていただきたいと思います。


(祈り)
神に感謝します。キリストが私たちの中にいて、私たちはすべてを得ています。ですから、縛られているすべてをほどいていく私たちでありますように。塞がれているすべての部分を開いていく私たちでありますように。崩れていく現場を回復して行く私たちでありますように。そして、霊的に勝利する私たちでありますように。イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。