20140921 インマヌエル教会聖日1部


必ず失敗することと勝利すること
(ガラテヤ1:10-17)


序論
▶パウロは非常に多くの苦難を受けた人です。組織的だったユダヤ人たちはパウロを続けて殺そうとしました。それだけではなく、強力だったローマもパウロを殺そうとしました。そして、行くすべてのところで宗教団体がパウロを殺そうとしました。もっと恐ろしいのは、初代教会の中にも、ユダヤ教の信仰を捨てられない律法的な人々のために苦しみも受けました。ところが、そんな中でもパウロは全く揺れませんでした。揺れなかっただけでなく、揺れる必要を感じなかったのです。なぜなら、重要なことを握っていたからです。今日も皆さんがこれを握っていただきたいと思います。
▶ガラテヤ書は、多くの神学者が「鋭い刃物のようだ」と表現しています。それぐらい皆さんに必要な重要な答えがガラテヤ書に多く含まれているということです。いったい私たちは何を見つけていけばよいのでしょうか。パウロは非常に多くの勉学に励んだものです。そうするうちに、ある日、任命されました。イエスを信じるすべての者を捕えて監獄に入れなさい。それで、その捕まえに行くチームのリーダーがパウロでした。パウロは、もともととても賢い人でした。聖書にも通じるものであり、しかも旧約聖書にも精通した学者でした。イエスを信じる者に対して捕えなければならない者でしたから、イエスを信じる人について多くの研究もしたと思います。そんなある日のことです。イエス様を信じる者を捕えに行ったところ、皆さんご存知のとおり不思議な事件が起きました。到底、人間では考えられないような事件が起きたのです。ダマスコという地域を通ろうとしたところ、突然、不思議なことが起きました。おそらく、神様が特別に働かれたと考えられます。光が照らされ、そこでパウロが倒れましたが、錯覚ではなく「サウロ、サウロ」と呼ばれる声が聞こえました。例えば、皆さんが道端を歩いている中、突然、光に照らされて倒れたらどうしますか。ただめまいがしたというだけではなく、その中で自分の名前が呼ばれたらどうしますか。元々、パウロ、サウロと同じように2つの名前を使っていましたが、そこで「サウロ、サウロ」と自分の名前が聞こえます。そんな中で自分の名前が呼ばれて、「どちら様ですか」となったのです。そして、非常に信仰の厚い人、学びの高い人たちが使う言葉があるのですが、それは「どちら様ですか」と言わずに、そこで土下座をしてひざまずいて「主よ、どちら様ですか」というように「主よ」という言葉を使うのだそうです。天から声がしました。「私はイエスである」という声ではなく、「私はあなたが迫害するイエスだ」と言いました。今からまっすぐ行きなさい。まっすぐというというところに向かいなさい。そこに行くと、アナニヤという人がいる。その人に会えば、あなたが今抱えている問題が解決されるだろう。パウロにとってはその瞬間が生涯にとって最高のショックなことでした。ダマスコでイエスを信じる者を捕えに行っているところ、迫害しに行っているところでキリストに出会う事件に会ったのです。しかも、夢でなく明白な現実の中でまっすぐというところに行きなさい。そこでアナニヤという人があなたを待っている。そして、アナニヤに会いました。パウロは突然の光を受けて倒れてしまったので、目が見えない状態でした。アナニヤの助けによって祈られるようになります。これが普通の事件のように見えますか。これがもし皆さんがそうなったらどうしますか。アナニヤが見たところ、びっくりしました。なぜなら、このパウロはイエスを信じる者を捕えにいったその頭であったわけです。そして、アナニヤはパウロを置いて祈りましたところパウロの視力が戻りました。そこでアナニヤはこう言います。あなたは今、イエスを信じる者を迫害して捕えている人ではありませんか。もしかしてあなたがあの噂の恐ろしいイエスを信じる者をいつも捕えに行っている人ではありませんか。すると、神はアナニヤにこう言います。「この人は数多くの国々の王や異邦人、人々を生かす私の選びの器だ。そして、証人となるだろう」と言いました。それだけではありません。サウロがそれまで本当に知りたいと思っていた、疑っていた部分のすべての答えを得る瞬間でもあったのです。
▶今日、皆さんが受けなければならない答えは何でしょうか。今日、パウロが言った重要な言葉です。 「これは人間から受けたのではなく、神から受けた答えだ」という部分を皆さんに握って欲しいです。もしこの部分、神から出たものを皆さんが握るなら大きな証人になっていくでしょう。そして、この答えを得たパウロは、来週もメッセージを見ていきたいと思いますが、続けて答えられるその時刻表の中に入っていくようになります。
▶私は朝晩、必ずやっていることがあります。それは祈りの課題は特別なく、朝晩に本当に祈ります。他に要求する条件はありません。ただ朝夕、本当にまじめに深く祈ります。神様の聖霊で満たされるように祈っています。霊力、知力、体力、経済力、人力を与えてくださいと祈ります。そして、4万、40万、1千万の弟子が起こされるように祈ります。RUTCと私たちの教会が証拠となるようにと祈ります。皆さんと皆さんの子孫たちが証拠になれるようにと祈っています。切実に祈っています。それ以外は特別ありません。他のものは要らないし、祈る必要も感じていません。ただ福音の中で5つの霊力を与えてくださいと祈り求めている以外は必要がありません。それを朝晩にずっと祈ります。そして、昼間は常時祈りとして行く所々で答えを確認しています。今日、皆さんが必ず勝利する神の子どもですから、この祝福を見つけていただきたいと思います。

1. 無力な者のように見えるが、神様がくださったことを捜し出せば、その時から歴史が変わる
▶力のない者のように見えますが、神のものが発見したものがあります。神のものを見つけていくならば、その時から新しい人生が始まっていきます。これは力の無いような皆さんが、神の内容を見つけていくならば本当に新しく始められます。ほんの少しだけ静かな時間を持って祈れば見つけられます。これがキーポイントです。
1)エリヤは数多くの預言者がいたにもかかわらず、その御声を聞くことができませんでした。そして、エリヤは自分の大いなる力を発揮しているときにも、実は神の御声を聞くことができませんでした。完全に苦しくなり、すべてをエリヤがあきらめてしまいました。もうこれ以上はできません。私はもうこれ以上はできません。その時、神様はエリヤに、主の御使いを遣わし力を与えられました。あなたはホレブの山に行きなさい。ホレブの山で40日間、昼も夜も神の偉大なることを体験しますが、出も答えを得ることはできませんでした。では、重要なことは一体何だったのでしょうか。実はとても詳細な本当に静かな中で神様の前にひざまずいて祈っていく中で確実な答えが聞こえてきます。それはアハブの王を恐れてはいけません。まもなく彼は死ぬであろう。そして、7千人の弟子が残される。そのリーダーであるエリシャという人をこれから見つけなさい。このように神は確実なメッセージをエリヤに与えられました。これを見つけるのが信仰生活の始まりです。皆さんが少しばかり神の御前に立つ時間があれば、少しだけ自分自身の前に正直に立つ時間があるならば、神の声を聞こえます。
2)例えば、家庭に苦しみがありました。皆、その状況を見て恨んで落胆し揺れます。そういう環境、状態だと、絶対に真理を見ることはできません。この環境の中で、神様の前に静かにひざまずいていきます。そこで確実な答えを見つけます。誰でしょうか。ヨセフです。確実なものを見ました。神は太陽と月と星がヨセフの前にひざまずくことを見せてくださったのです。それは世界福音化でした。これは他の人は分からないけれど、ヨセフは確実に握りました。この時から、ヨセフが行くすべての道は、全部、答えの道のりでした。この部分ができなければ奴隷になればなった分、監獄に行けば行った分、もっと滅びていってしまいます。
▶今、パウロは今日の本文を通して、これを語っています。神様は私に確実な契約を与えられました。だから、どんな苦しみが来ても構わない。そこで今皆さんはこれが確かに神からのものか、人間によるものではなく神からのものかどうかを見つければよいのです。しかし、ほとんどのクリスチャンは神の答えではなく別のものを握っていたり、または来ているにもかかわらずわからない状態でいるどちらかだと思います。特にレムナントや青年の皆さんは深く今日の部分を悩んでください。なぜでしょうか。 
3)あれだけ勉強して努力したにもかかわらず、かえってできませんでした。最高の大学の出身だったのに自分の問題を解決できませんでした。後に完全に力が抜けてしまっている状態で何もできません。そんな人生の中、深いところで神の御声を聞くときを迎えます。その時、彼の歳は80歳でした。誰ですか。モーセです。その時からことが起こり始めるようになります。今日の1番を覚えてください。すべてのことは来ています。この御声を聞くか聞かないか、見つけるか見つけないかの差です。
4)サムエルとダビデが大いなるものとして用いられたのはこの部分を知っていたからです。神からのもの、人間からではなく天によるものは誰も止められません。
5)これを正しく握っていた人がエリシャでした。神はエリシャが行くところで火の馬、火の戦車を動員しました。ましてや、イザヤはこの契約のために自分の命を惜しみませんでした。でも驚くべきことは、イザヤが語った言葉は今も成就されているということです。
6)パウロは全く揺れませんでした。初代教会の信徒たちを見てください。この部分が重要です。
▶皆さんの職業でも、仕事でも、信仰生活も本当に神から者かどうか見つける、その確信が必要です。しかし、その部分が分からなければ、答えが来ているのにもかかわらず分からない人生になります。神様が私に与えられた恵みがあるとしたら、その部分だと思います。私はこの神からのものを見つける前までは、本当にこれが聖書的なのか、これでいいのかどうか全く確認ができませんでした。正直に言えば、他の人からが信仰のない人のように思われるからかもしれませんが、昔は本当に答えられているのかどうかも分かりませんでした。ほんの少しだけ真実になればできていたものを、それを私は見つけられなかったのです。私は良心的に教会を見て人々を見て私自身を見ました。その時、神様は私に強く心の中に神の御声を聞かせてくださいました。本当に福音を回復して、伝道運動をしなさい。とても簡単な話です。本当の福音を回復して、それをまずあなたが味わい、伝道運動をしなさいということでした。これが私の天命として、神様の御声として聞こえました。まことに不思議なことは、その声が聞こえたときから答えがくるのです。その後の人生は答えが来る来ないで区別するのではなく、その時からずっと答えられる時刻表の中にいるということです。皆さんはどれほど幸いな者であるか、自分自身がどれだけ尊い者であるか分かるようになります。
▶パウロはそれを分かっていたので、その告白を今日の手紙を通して証明しました。私が受けたこの使命は人間によるものですか。違います。もしも人間によるものであるなら、私たちは今日このように集まる必要がないでしょう。私たちが受けた救いは人間によるものですか。人間によって作ったものですか。違いますということを今日、主張しています。何も知らずに滅亡に至っている私たちに、神が与えてくださったものです。今日の話をすれば、未信者はあざ笑うかもしれません。しかし、彼らがあざ笑っている部分を止める方法があります。伝道を難しくする必要がありません。この契約を持って伝道を為さってみてください。神様なしでも生きていける。神様はどこにいるのか。私たちは、神を信じません。あなたが教会に通うのは結構だが、私は行くつもりはない。もちろん、結構です。では神様がいないとしましょう。その人たちがそう思っていることが、いつ実が結ばれるのか。その人たちも成功する日が来るでしょう。でも、それがタイミングです。その後、滅びに至る時が来るでしょう。もし滅びなかったら、成功の後、苦しくなります。その時、皆さんは聖書箇所、一箇所だけで答えをくだすことができます。その重要な部分を見逃してはいけません。神様のものであるが苦しみが来たとしたら、そこもまた重要なタイミングです。その後に重要な答えが来るからです。このときに、神様のみことばも助けも与えることができます。
▶パウロはその奥義を知っていました。これからローマがひっくり返される大地震が起こるということが分かっていました。しばらくすると、ローマには、大きな戦争が起きるということを知っていました。これは人間によるものでしょうか。違います。ローマは全世界を征服しましたが、特にガラテヤの地域を征服していました。その地域に送った今日の手紙です。パウロは、環境を通して揺れませんでした。なおさら感謝したのです。そこで、今日の答えがそれです。私が伝道していること、使徒となったこと、これらはすべて人間によるものではなく神のよるものであると告白しています。そして、1章前の前半は何をしたか。彼はこう言いました。福音ではないものを伝えたときにはのろわれるべきだとも言っているのです。

2. パウロは神様がくださったことを握って全く揺れないで感謝した(16節)
▶そして16節にも告白しています。異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず。パウロは全く恐れていませんでした。なぜでしょうか。
1)使徒13:1、パウロは初の宣教師として派遣されて行きます。全く揺れなかった時、このような答えを受けました。皆さんも皆さんの環境で絶対に揺れずにこれを握ってください。思ってもいないことが皆さんを導いてくださるでしょう。このような奥義がなければ、人々が言っている言葉で頭の中が混乱していくでしょう。混乱している状態だと、絶対に真理を見つけることができません。そうすると、神の御声も聞くことができません。なぜなら神の御声は耳で聞くことではなく、私たちの霊によって、心によって聞くからです。
▶ついにパウロは使徒13:1で宣教師として派遣されていきます。想像もつかないことが起きていきます。なんと宣教師に行ってみたところ、今日のローマと日本と同じように総督という人が偶像崇拝をしていました。つまり、指導者、総督が占い師の手によって操られているということです。日本の信徒の皆さん、祈ってください。日本のすべての指導者が偶像崇拝しながら生きています。これはあいまいに考えては大変なことになります。日本人の皆さん一人でもそれをまじめに本当に考えて祈るならば、日本を生かすことができます。ニューエイジ、フリーメイソンの文化がアメリカを完全に掌握しています。たった一人でもそれを悲しむ思いで祈っていくなら、神は答えてくださるでしょう。そうだと思います。この部分をパウロは知っていたのです。
2)パウロの伝道の身がどれだけ結ばれたかはさておき、今度は門が閉ざされたときの瞬間でした。契約を握っていく中、答えを持っていくのに門が閉ざされた。でも、それは本当は閉ざされた門ではなかったはずです。どうでしょうか。皆さんの人生、現実、今、門が閉ざされていると思いますか。とても重要なことが後にあるということを皆さん、気づいてください。では、閉ざされたとき、なんとマケドニヤに行く答えが開かれて行きます。今度、マケドニヤに行ったところ、どんな答えがありましたか。今までと同じようなことがまた起きました。悪霊にとりつかれている占い師たちが町全体を掌握しているところ、パウロがその問題を解決していきます。アメリカにいらっしゃる方は認めているのではありませんか。ニューエイジとフリーメイソンがアメリカを掌握しているということは確実であるとご存知なのではありませんか。それを否定したり、または何も考えていないとしても、それを否定することはできません。5千以上の大学はニューエイジとフリーメイソンによって影響を受け掌握されています。彼らは私たちが寝ている夜の間、悪霊にもっと満たされるような作業を行っていくのです。簡単に言えば、霊的体験をさせていくのです。これは普通の問題ではありません。パウロがマケドニヤから、そして、ピリピの地域に行ったところで、すでに悪霊にとりつかれたものを解決していきます。
3)そして、これだけではありません。パウロは知っていました。ローマも見なければならない。これはパウロが実力のあるものだと言っているのではありません。間違いなく、私たちは神の御声を聞くべきです。それはローマも見なければならないということと同じように。この祝福を私たちも受けられます。皆さん、傲慢になる必要はありませんが、自分自身の価値を知らない状態でいたのではいけません。例えば、私が、私が、全部私がというのは傲慢ですが、私自身がどれだけ尊いものであるかは知るべきです。なぜなら、皆さんが受ける答えは、皆さんが思っている限りではありません。もっと大きな、はるかに大きなものです。霊的に悟るだけで答えられるようになります。

3. パウロはその以後のことを知っていたので揺れる必要がなかった
▶3番目です。パウロは、答えられた以降のことを知っていました。だから、揺れませんでした。答えが来ないはずがありません。今日のガラテヤ書を書いた年代はAD70年前の話です。それがADの60年ころに、この手紙が書かれたとしましょう。
1)AD60年頃にこの手紙が書かれたとしたら、AD70年頃、どんなことが起きました。とうとうエルサレムの神殿は火に燃やされてしまいました。そして、多くの子どもたちが殺されました。さらに妊婦さんたちも殺されました。普通、妊婦さんは殺されませんが、殺されてしまったのです。エルサレムの神殿(ヘロデ神殿)は完全に崩壊しました。数千万人のイスラエルの子孫たちが20数カ所に散らされて虐殺され始めます。皆さんご存知のように、ヒトラーによって殺された人も600万人になります。これは昔の物語ではありません。歴史の中で起こった実話です。これらの事件が起きるということを伝道者パウロは知っていて本当に福音を伝えたのです。
2)その9年後、何が起こったのかご存知でしょうか。AD70年にイスラエルが滅びて、AD79年、どんなことが起きましたか。イスラエルを征服して、エルサレムの神殿が崩されたあと、そこにローマの旗が立たされましたが、完全にローマを征服した9年後にどんなことになりましたか。人が止められないことが起きました。それが第1のしるしとして、ポンペイの火山の噴火がありました。ローマ全体が爆発したわけではなく、ローマのすぐ下の地域のポンペイが火山によって爆発します。火山が爆発したのですがその火球が上がるのに何キロも高く上がったそうです。一番小さく上がったとしても3キロくらいだったと言います。簡単に言えば、数十キロもの火山灰などが上がって町全体を覆ってしまいました。だから、ポンペイという地域はそれで完全に消えてしまいました。人間は見つけることができないほど溶けてしまい、非常に特殊なものだけが残って今、遺物として残っていますが、そこで全部溶けてしまいました。これはイエス様が言う如く、災いの始まりにすぎません。継続的にローマには戦争と問題が絶えませんでした。なぜなら、彼らは神様なしでも生きていけると言ったのですから。ローマは永遠だ。ローマは神がなくても生きていけるのだと言ったわけですから。
3)そして、その後、250年後、つまりAD313年に何が起こったか。その有名なコンスタンティヌスという皇帝が告白しました。それがAD313年8月4日です。信仰告白しました。私が思うにどう考えても、イエスがキリストだ。すべての民は私の言葉について恐れなく驚かず、イエス•キリストを信じなさい。だから、私は今日、イエス•キリストを救い主として信じてバプテスマを受ける。それがAD313年8月4日でした。
▶このような契約を伝道者パウロとチームはみな知っていました。皆さん、絶対に揺れる必要はありません。

結論―どのように受けられるのか
▶皆さんは今日、この祝福を受けていただきたいと思います。どのようにすればこの祝福を受けられるのでしょうか。簡単です。実際に、皆さんが5分でも10分でも構いません。御前に立つことです。物事に対してああだ、こうだと言うのは、全部言い訳です。神の御前に立つことです。そして、私自身の前に立つことです。これが何でもないように見えますか。これらを指してガラテヤ2:20と言います。私が死んで私がなくなったら奇跡が起切るのです。これは科学的です。しかし、それは宗教です。そうすると、大きな問題が来てしまいます。私自身が全部無くなってしまった、解脱することは、それは宗教の力で何かほかのことが起きてしまうのです。それは滅びてしまいます。なぜなら、自分で自分を消してしまったからです。しかし、聖書はそのように教えていません。聖書はガラテヤ2:20のように、もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きることを意味しています。それがガラテヤ2:20です。マタイ12章を見ると、私が私を無くしてしまいます。7倍以上の悪霊に取りつかれてしまう。御前と自分自身の前に立ち、ガラテヤ2:20のように、キリストが私の中で生きるならば、本当に大きな祝福を得られるようになります。その祝福は人を生かす祝福としてつながっていくでしょう。必ず、皆さん、覚えておいてください。
▶私は以前にも話しましたが、私が知っているあるがん患者さんが神の御声を聞きました。どのように御声を聞くようになったか。それは心で聞いたそうです。自分の人生一代、本当に重要な日でした。「がんにかかったことが自分にとって重要なことではない。あなたは今までたくさんのお金を儲けた。あなたはお金もある。全部ある。しかし今は健康がない。でも、健康がないということも問題ではない。いつかは私たちは皆死ぬ」。そのことばを聞いた患者さんは、このように思ったそうです。私が知っているすべての人に正確にキリストを伝えて私は死のうと思ったそうです。これはその人が聞いた神の御声で確かなことです。そして、奇跡が起来ました。
▶それだけが問題ではありません。今日、皆さんが少しでもこのガラテヤ2:20の御声を、本当に契約として握るならば、病気も癒される働きが起きます。一度も体験したことのない人生の新しいことが始まっていきます。今まで皆さんは、未信者のような方法で一生懸命に生きてきましたが、それ以外の方法で生きるようになります。ヨセフが行く現場ごとに、神の国が先に臨まれていたという事実があります。では、努力は一切、いりませんか。違います。私たちは努力の次元ではなく、生涯をかけるということです。熱心にやりますというのは、未信者が使う用語でしょう。私たちは熱心ではなく、いのちをかけてやります。私たちの勉強、いのちをかけてやるのです。職場に行けば、働くときもいのちをかけてやるのです。もし今後、未信者の中に入ると、仕事をどのようにするか。私たちの生涯、人生をかけてひっくり返していくのです。
▶最後に結論を結びます。今、四方八方、全部が囲まれて閉ざされていると思いますか。一番良い神様の時刻表です。最もよい神の計画が残っています。この祝福を見つけてください。人生80年間、門が閉ざされていましたモーセは、その内の40年間はなんと逃亡生活でした。でも、彼はどうなりましたか。なんと振り返って見ますと、最高の時刻表であったということです。エリヤができないと言いました。でも、過ぎてみると、まだ始まってもなかったのです。初代教会は迫害されて殉教される時代を送りました。しかし、それが始まりなのです。
▶今日も複雑な話を少し皆さんに長く述べさせていただきました。簡単に一言で終わりにします。皆さんの職分、皆さんの仕事、皆さんが行われるすべては神様が与えられたことです。だから、それが神のよるものであるということを確認するだけでよいのです。その確認が終了した自体、生涯をかけて生きていけるようになるでしょう。新しい人生が始まっていくはずです。本当にこの祝福が皆さんに臨まれますようにイエス様の御名によってお祈りします。


(祈り)
神様、感謝します。今日も私の人生が新しく始まっていきます。いつも揺れて生きてきました。いつも葛藤しながら世の中を見ながら生きてきました。どうかまことのことを見ることができる、そんな始まりとなりますように。私のまことの歌詞を発見する日となりますように。私に与えられたまことの価値を発見し、世の人々を生かす証人として立たせてください。イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。