20141102 インマヌエル教会聖日2部


私たちの祈りの内容
(エペソ1:17-19)


序論
▶今日の重要な私たちの祈りの内容です。今、ちょうど40日のオリーブの山の祈りに入って一週間になりました。皆さんの祈りは、すべて答えられますが、必ず祈る皆さんが記憶すべきことがあります。祈りをたくさんしているにもかかわらず、答えではなく問題がよく生じる人がいます。なぜでしょうか。祈りをとてもたくさんするのになぜ問題が来るのでしょうか。反対に、あまり祈っていないのに答えに預かる場合があります。それはなぜでしょうか。皆さんはこれを必ず知ってから次の段階に入らなければなりません。ある人は徹夜祈りも多くして、山にこもって祈りもするのに、どうして答えではなくて問題が生じるのでしょうか。もちろん、私たちは神の遠い計画はわかりませんが、あまり祈っていなのにある人はよく答えられて、また、祈りをたくさんしているのにそうでない場合があります。どうしてでしょうか。それは必ず知って、この40日のオリーブの山の祈りをして、また、重要な神の働きに預からなければなりません。例えば、こちらには就職を控えている人もいて、海外に行くために祈っている人もいて、また、ある人は新たな挑戦をするために準備している人もおられます。または結婚を控えている人もいて、ある人は出産を控えて祈っている人もいます。このように私たちには重要な事柄が周りに置かれています。そこで私たちが確認しなければならないことがあります。なぜ祈りをたくさんしているのに答えが来ないのでしょうか。その簡単な答えを得なければいけません。ある人は自分の手でお寺をいくつか建てたり、いろいろなよいことに力を入れているのに、霊的問題が家族に来るのでしょうか。ある人は本当に教会のために献身し、早天祈祷会も欠かさず参加しているのに、どうして祈りの答えではなく、問題ばかり生じるのでしょうか。これは必ず知ってから次の段階に入らなければなりません。最も簡単に仏教で教えていることは何でしょうか。仏教が間違っていることではありません。何を教えているでしょうか。完全に自分が仏になるということです。多くの神殿を築き上げて自分が仏になるということです。また、ニューエイジ運動が教えていることは何でしょうか。私はたくさんの祈りをして、私が神のようになるということです。また、教会に行って、たくさん祈っている人は自分の祈りの課題を持って祈ります。そこにはどんな共通点があるでしょうか。先ほど三つの例えを言っているのですが、三つの中に共通点があります。「私」が中心です。だから、問題が来ます。クリスチャンの中にはこのようなクリスチャンがたくさんいます。簡単に言えば、自分が主人になっているわけです。未信者と同じです。このようなクリスチャンが多いです。話が通じません。クリスチャンでありながら人との話が通じ合わない人がいます。相手のことを苦しめる感じで、自分が主人です。とにかく、「ください、ください。自分に力を与えてください」と祈ります。お祓いをしながら「私に力を与えてください」と言うのと、どこが違うのでしょうか。今信じている対象だけが違っていて、私の状態は同じです。
▶皆さん、この絵をよく見てください。どんなに自分はイエス・キリストを信じて神を信じる子どもになったとしても、この椅子の主人が「私」であるということです。サタンの攻撃先はここですから、百戦百敗です。サタンはどこを奪い取るでしょうか。皆さんの中心、心、生活、たましいを奪っていきます。救われていても自分が主人になっていると、サタンの攻撃を受け続けるしかありません。祈りの答えがなぜないのかも分かりません。どうして人々から自分が嫌われるのかも分かりません。教会に通っているのに、未信者たちが皆、嫌がっていて、なぜなのかも分かりません。これを変えなければならないのに。そうだと思いませんか。こうなりますと、攻撃されても勝つことができません。私という存在はなくなるわけではありません。このように取り変わらなければなりません。
▶別によく祈っていないのに答えられている人がいます。このようになっている人です。あまり祈っていません。しかし、答えられます。未信者の中に入っていっても、あまり人たちから悪く言われません。神が主人ですから、この職場も神様の働き場です。皆さんのビジネスも神様のものですが、ただ神様は私を社長に任命しただけです。違うのです。そして、私の子どもは自分のものではなく、神からの贈り物です。自分のものだと思っているから一緒に死んでしまいます。韓国人の場合には結婚したら、良く自分のものだと思って妻のことを半殺し状態にさせます。神のものです。反対に、韓国の女性は結婚すると、自分の旦那さんをいろいろと自分のもののようにします。神のものです。どういう意味かお分りでしょうか。そこで言いました。パウロは、私に力を与えてくださる方によって、私は強くなってどんなことでもできるのですと。このような人は、会社に行けば会社を変えることができます。
▶ヨセフは誰からも認められなくてもよいです。なぜなら、奴隷として行ったのですが主人は神様だからです。主の霊がヨセフとともにおられました。もしこの部分を皆さんが体験しますと、その時からは神の驚くべき働きが始まります。どうなるでしょうか。神様が私とともにおられることを体験します。すると、今度はどうなりますか。伝道の門が自然と開かれます。例えば、結婚した旦那さんの家柄も妻の家柄もまったくの未信者状態で言わなくても分かります。もし皆さんがキリストではなく自分が主人になっていますと、言われなくても皆さんを見てうんざりして教会に行きたがりません。私たちは全知全能ではありません。未信者の家族が私を見たときに、神様がともにおられる者として分かればよいのです。これが伝道です。これが祈りです。これを体験すればよいのです。ポティファルはヨセフを見て、「神様があなたとともにおられます」と言いました。時間が経つにつれて、まだ信じていない親族たちが見て、「本当にあなたの家を見たら、神がともにおられるのだな。私もいつかは神を信じたい」となるのです。水準も低ければ、性格も悪い。何よりも自分が主人になってしまったら何事もうまくいきません。神様のことは片隅に投げつけておいて、自分が主人になる。頭が悪く、性格も悪い。信仰はない。この三位一体になってしまった私。すると、反対に信じていない家族たちをとても苦しめてしまいます。家族はそれを見て「私は死んでも教会には行かない」と言います。証人はおろか「私は絶対に教会に行かない」と言われます。これを聞いている方、何人か笑っていらっしゃるのですが、分かるようですね。これが分からなければなりません。私のようなものでも大丈夫です。
▶ある人が未信者の夫に出会いました。二人とも未信者でしたが、妻の方だけが信仰に入りました。この人はいつも未信者の夫に対して感謝をしていました。私はあなたのような方に会って本当に神様が分かりました。私はあなたのような方に出会ったのでキリストを知るようになりました。ですから、あなたはキリストの次の存在です。私はあなたのために神の祝福に預かりました。あなたが本当に私が教会に行けるようにしてくださって感謝します。この夫からすると、この人は気は確かなのか。どうしてこんなに途中で変わったのか。大事なことはこの妻が変わったわけです。かつては本当に性格が悪い妻だったのですが、変わったのです。この夫も関心を持つようになりました。この人の性格を変えられたということは、神様は間違いなくおられる。このように感謝で満足して幸せがあるので、私も一度行ってみたいなと。行ったその日に、すべてが破られました。妻の神の恵みに預かったのです。こうして家中に福音運動が起こりました。この事実を忘れてはいけません。
▶この祝福を持っていればどのようになるでしょうか。聖書で確認してみました。

1.世の中を生かす祈りとなる
▶皆さん一人がこのようにしていますと、世の中を生かす祈りになります。皆さん、本当にこれを逃してはなりません。ダビデ一人が世の中を生かしたように、皆さん一人がこの体験をすれば、世の中を生かすことになります。まず、皆さん一人が先に信仰に入ったわけは、未信者である家族を生かすためです。それなのに、クリスチャンたちはそれを逆さまにしています。これを反対にしているから、物事がうまく運びません。昔、私の隣の家のある執事さんは、早天祈祷会に行ったとき、その日ものすごく恵まれたなら家に帰ってきません。祈りをたくさんしている方です。しかし、私はその方の顔を見てすぐに気づきました。祈りをたくさんしてこそ、自分が安定される、つまり、自分のための祈りをしているのです。顔を見ればわかります。夫もいりません。家族も無用です。自分だけが存在するような。それが本当に正しい祈りだと言えるでしょうか。そう祈っているクリスチャンたちが多くいます。それを指して不健全神秘主義だと言います。自分がよければよしとします。聖書を見ると似ている聖句があります。神の恵みは奥義だと。恵みは受けた者だけが知るものだと。人間に一番恐ろしいのは、神様を知っていると言いながら、とても放蕩していることです。
▶世を生かすことが始まります。
1)使徒2:1-13節、五旬節の日になって。それこそ力が現れ始めたのです。
2)使徒2:42節に礼拝をささげたのですが、大きな力を持って帰ることになります。使徒の教えを受けて、この言葉は、礼拝の時間にみことばを聞いて、祈りにひたすら祈りに専念しました。
3)これはどのように変わるのかと、定刻の祈りに変わります。午後三時の祈りの時間に。今日、皆さんがみことばを聞きながら、神のことばを聞きながら、ああそうだと思うのなら、あなたが一日、明日も静かな時間を持つことになります。祈りは、自分を生かす時間です。一日10分でも静かな時間を持つことは、私の精神的な状態を生かすのです。朝起きると新聞も見るでしょう。朝起きると、いくつかのこともあります。朝起きたら、うがいもします。いろいろします。私は新聞をそんなに見ません。なぜなら、時間的に、昔は新聞以外に知る方法はありませんでした。今はニュースも出てきて、インターネットも出てきて、たくさん出てきます。何か分からなくて通りすぎることはありません。朝の時間に静かに起きて祈りながらまとめてみましょう。本物に多くのことが変わります。午後三時の祈りの時間に定刻祈りに行って、足のなえた人を見るようになったのです。これで終わるわけではありません。
4)問題が発生した場合、この時から集中祈りの力を発揮することになります。私たちが生きていれば危機も来ます。このとき、前のことができている場合は、集中的に祈ることができる力が生まれます。その日の夜に神様がヘロデ王を呼んで行かれました。だれも知りません。神様が主の御使いを送って、ヘロデ王を呼んで行かれました。あなたが死ぬとき、信じない人は、だれが来ますか。悪魔が連れて行くのです。皆さんは死ぬ人多く見たことないしょう。私はたくさん見ました。死ぬ人はまったく同じです。不思議なことです。救われない未信者をみると、同じことを言います。悪魔が私を連れに来た。そうして、気を失ってしまうと行かないと叫びます。まったく驚くべきことです。あまり教会に通っていなくても救われていたら、天使が私を連れに来たと言います。不思議なことです。神様が主の御使いを送って、誰も知らないうちに、ヘロデ王を呼んでいきました。聖書に主の使いが打ったので、ヘロデは虫にかまれて死んだと書いてあります。
▶使徒13章には一度も行ったことがない道を行くので、人生の道の前に集中して祈って、神様の導きを受けることになります。
▶使徒19:1-7節にツラノ行く前にローマに行く前に集中的に祈って、神様の導きで力を受けることになりました。
5)私たちの生活で、生きていて重要な時刻表が来ることもあります。こういうときは、第二コリント12:1-10節に深い祈りの中で力を得ることになります。
これ祈りです。祈りは、世界だけで生かすのではありません。

2.私(家族)を生かす祈り
▶自分を生かす祈りになります。あるいは私の家族を生かす祈りになります。今日、その内容が出てきました。
1)17節に祈りは言葉だけでするものではなく、目でするのです。知恵と啓示の霊をあなたがたに注いで。なんでしょうか。詰まったことを見ることになるのが、明らかではないでしょうか。その霊を送る。知恵と啓示の御霊をあなたがたに与えて、何を知るようにでしょうか。神を知るように。誰もがするのではないでしょう。
2)18節に心の目を開けて、召しの望みが何であり、そして聖徒が受け継ぐものの栄光の豊かさとは何なのかを知ることを祈ります。
3)19節に、私たちに信仰の目を開けて、どうなるでしょうか。その力の働きに従って与えられた力の極めて大きいことを知ることを求めます。私たちが神様の前に何を祈らなければならと聞きます。神の力で働かれるのに従って、極めて大きなものは何なのか分かるようになることを祈ります。この程度ではありません。目に見えない霊の世界がついにあなたの産業をあなたの子孫を、あなたの職業を触わってしまうのです。ここまで持たなければなりません。

3. 霊界を生かす祈り
▶霊界を生かす祈りです。一般の人々が知らないのですが、麻薬する人も深い段階入ると幽霊を見ます。その程度になるといやすのが難しいのです。深い段階に入ると見えるのです。全世界の音楽とか映画の高いところに上がると、ニューエイジチームが霊界を掌握しています。引き続き上がるとそうです。ですから、そちらを生かすことができる祈りが私たちに必要なのですが、神様が贈り物として与えられたと言われています。皆さんが目を開ければ、実際に答えられて祝福されます。
▶私は残念に思って祈りました。その世界的な歌手、マイケル•ジャクソンの隣に本当に福音を知っている人が一人もいなかったという事実。残念なことです。福音を知って、この奥義を知っている人がいた場合、どのように大きな証拠になるでしょうか。ですから祈りとは何でしょうか。
1)皆さんは今、小さい集中の祈りだけでも、働きが起きます。これは、何でしょうか。
2)私が神様の力の御手に捕われこと言います。皆さんが小さな精神的なことを知って祈るようになれば、三位一体の神様の働きが起きるようになります。三位一体が何であるか知っていますか。神様は目には見えません。みことばで。イエス様の証拠は何でしょうか。キリスト、その御名の証拠で。目に見えない聖霊の働きで。これを三位一体の神様の働き、この程度で終わるものではありません。
3)皆さんが行く所ごとに主の御使いを送って、神様の霊的な事実が行われるでしょう。行くところごとにサタンが縛られて、皆さんは勝利することになります。
▶これを、霊界を生かす祈りと言います。ここまで持たなければなりません。したがって、この奥義を合わせれば、すばらしい答えになってきます。
皆さんが、ああ、この祝福をどのように受けるのか、ではありません。序論だけなれば、自然に来ます。言葉でイエスを信じていると言うでしょう。1番です。1番にあるところ(主人が私)、それで祈る、祈らない方が良いのです。ただ適当に行ったり来たりだけなのがよいでしょう。これで祈れば、どうなるでしょうか。ですから、多くの祝福を味わえないです。

結論
▶結論を結びましょう。皆さんがどのような仕事をしても、本当に勝利するために与えられた最初の祝福はなんでしょうか。
1)精神的なサミットに行きなさい。 summitご存知ですね。最高、トップの座です。皆さん見て精神的なサミットに行きなさい。
2)その後、何すればよいのでしょうか。いよいよ皆さんの専門知識の技能サミットにいくことになります。霊的サミットに行けば、技能サミットに行きます。
3)技能サミットに行けば、精神的なサミットと合わせて文化サミットに行くようになるでしょう。
▶バク・ジュ00選手が外国に出かけたときに挨拶に来たので、私が言いました。これからが始まりだ。人々は何も知らない。耳を傾けないで。霊的サミットに行きなさい。本物の選手になるには精神的なサミットに行きなさい。
私たちのレムナント一つが歌手オーディションに行くと言った時もそう言いました。あなたが実際に歌手になるには、精神的なサミットに行きなさい。なぜなら、人間は精神的な存在だから。最終的にここで会う。ですから、神様の祝福を受けた精神的なサミットに行かないときは、それが反対の道になるのです。それゆえ、多くの偉大な人物が三十代にならないで崩れたのです。皆さんは人間がすることの中で一番汚いのが何であるかを知っていますか。自殺です。そのことをすることになるのです。人間がすることの中で一番汚いことです。そのような人間が生きていて何をするのでしょうかと言うかもしれませんが、それでも多くの人に衝撃を与えます。私は祈るたびにチェ00の子どものために祈ります。顔は分からないのですが、定刻祈りのとき祈ります。その子どもたちがじっとしているように見えますが、完全に狂ったでしょう。考えてみてください。お母さんが自殺して、母方の叔父が自殺して、父が自殺して。これはサタンがする仕業です。ですから精神的な高さに上がると、サタン、霊的な満たしをわからない場合はそうなるのです。
▶皆さんがどのように大きな祝福を受けたのか知っておくべきです。正しいクリスチャンにならなければなりません。教会に通いながら町中、声をあげておかしなことして、このような人がいっぱいいます。多くのことは必要ありません。私は秘書にいつも言います。クリスチャンは仕事をキレイに仕上げなければならない。何を私達がよくできるでしょうか。難しいことは何もありません。レムナントがちょうど勉強する勉強が、普通の苦しみではありません。霊的サミットに行き、祈って勉強しなさい。これによって、技能サミットでいくのです。率直な話で、勉強がどれくらい大変でしょうか。精神的な強さがなければ、まともにできません。ですから、霊的な祝福なしで勉強がよくできる人が問題がくるのです。私たちがどれくらい大きな祝福を受けたのかわかりません。この1週間は、この祝福を、皆さんが回復して、永遠に味わう祝福をあることをイエス様の御名で祝福します。

(祈り)
神様に感謝します。私たちの霊的な目を開いてくださって、霊的な祝福を見させてください。霊的な存在である人間が、神様の祝福を知っている万物の霊長であるようにしてください。真の幸せを見る神様の祝福を知るようにしてください。私たちに啓示の霊をくださり、心の目を開いてください。真の福音をもった美しい弟子になるようにしてくださいますように。イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。