20150125 インマヌエル教会聖日1部


モーセの三つの回復
(出3:16-20)


序論
▶皆さんご存知のように、モーセは王宮の中で育ちました。エジプトでとても良い大学も出ました。王の家族だけ行くことができる大学に行ったので非常にエリートでした。成功したと言えます。しかし、実際にはうまくいきませんでした。実はモーセは、とてもさみしく、とても一人ぼっちなような気がしました。また、本人ではありませんでしたが、エジプト人を殺してしまうというところまで行ってしまいました。そして、指名手配を受け、王宮から逃亡したという背景が今日の聖書に記録されています。
そして、イテロの長老に会い、その娘と結婚することになります。モーセはもう王宮暮らしのものではなく、本当に妻の家で暮らしていくような悲惨な形になってしまいました。そうして年齢が80歳になりました。このような意味のない人生をモーセが生きるようになりました。あまりにも何の背景もない状況に一気になってしまいました。
▶今、貧しい人々が人口の90%になると言われているのですが、その中でとても生きることが大変だという人は、40〜50%程度になります。そして、あまりにも生きにくく自殺をする人も多いです。努力をしてがんばればなんとかなるという段階の人もいるのですが、努力ということが見えない人もいます。実際に、モーセの状況はそうでした。誰かの助けが必要な次元での話でもありませんでした。とても大変でした。背景もすべて失ってしまったということです。本当におかしい状況にまで至ってしまったのです。
▶そんなときのことです。そのような状況の中で、今、モーセが重要な時刻表を迎えることになりました。それがホレブの山です。ホレブの山で神の御声を聞くことになります。ホレブの山でモーセは相変わらず羊を飼っていました。ところが、木にとてつもなく大きな炎がついてしまいました。燃え上がる日が木についてしまった。木というのは燃え上がった後は消えなければならないのにいつまでも消えませんでした。その炎の中で突然、ある御声が聞こえます。どれくらいびっくりしたでしょう。モーセにこんな声が聞こえました。あなたが立っているところは聖地である。そこから靴を脱ぎなさいと言われました。つまり、靴を脱ぐということは、奴隷は靴がありません。韓国のことわざにも、一生懸命、夢中になってやるときには靴を脱いでやるという表現があります。
▶私の経験上、朝に山登りをして、夜明けの薄暗いときにびっくりした光景を見ました。夜も道を一人で歩くときに男より怖いのは女だと思いました。なぜなら、薄暗いところを女性が長い髪の毛で歩く姿を見ますとお化けだと思います。とにかく、朝に山登りをして登っていく最中に、ある人がいました。黙っているのですが死体のような感じがしました。その瞬間、ものすごい恐怖感が襲ってきました。頭の先から恐怖感があふれてきたのですが、それくらいびっくりしました。それを見たあとに町に戻ってきてその話をしました。あとから確認すると、やはりそれは死体でした。死因は分からないのですが、大きな山に寄りかかって、まるで座って寝ているような感じなのですが死んでいたのです。死んだ人だから何の力もなく、自分に害を与えるわけでもないのですが、とにかくすごく恐ろしかったのです。何もない空間に死体を見てびっくりしました。
▶では、モーセのことを考えてみてください。誰もいないところで「モーセよ、モーセよ」と、突然、火の中から声が聞こえてきました。モーセがどれほど驚いたでしょうか。あなたが立っているところは聖なるところであるから靴を脱ぎなさいと言いました。そこは、ホレブの山でした。今、私は私の民が虐げられているのを見た。そして、彼らの嘆きと祈りを私は聞いた。わたしはこれからわたしの民を連れだして行かなければならない。そのためにあなたが民を連れて出て行きなさいという声を聞いたのです。そして、すぐにパロ王のところに行って言いなさい。わたしの民は血のいけにえをささげられるようにしてほしいと、それを伝えなさいと言われました。モーセはびっくりしました。ショックを受けました。そして、モーセはショックのあまりに、最初の答えが、「私はできません」でした。私は今、指名手配されてパロの王が今私を殺そうと探しているのに、その私がそんなところに行くのは不可能です。そして、私は口下手でそんなことを上手に言えないと言いました。すると、神様はまた言われます。いや、わたしはあなたが話すべき言葉はわたしが与える。口が達者なあなたの兄を連れていきなさいと言いました。でも、モーセは自分の立場はそうではないと言いました。そして、さらに言います。私が民の前にいったとしても、民が私の言葉を聞いてくれるのだろうかと。神はまたこう言われます。主があなたを生かせたと言いなさい。そして、長老たちに伝えなさい。契約の血を塗ったときにすべての民がそこから解放されるということを伝えなさい。わたしが力の御手であなたを守ると。でも、モーセは最後まで拒みます。私はできませんと。私は理解できます。なぜなら、モーセは年老いた者、背景なく、お金がなくて、力もない。ところが、エジプトの軍隊は強大で、エジプトは、そうでなくてもモーセを指名手配していました。モーセが殺人犯だったからです。捕まったらすぐに刑務所に行くのですが、しかもパロ王の前に行きなさいと言います。その夜のことなのですが、神はモーセを殺そうとしました。もちろん、割礼の話をモーゼに持ち出しますが、でもモーセは自分が殺されようとする瞬間に本当にすべてのことを下ろします。神の御声を本当に聞いたのです。
▶では、皆さんにもとても多くの問題があると思います。本当に目の前が真っ暗だと思えるような問題にぶつかったり、また、そんな問題がまだ来ていない人もいれば、これから来る人もいるかもしれません。私たちはそのようなとき、下手をすると誤解をすることが多いです。誤解というよりは勘違い、錯覚をしてしまうときがあると思います。私はひとりだ。私の周りには誰もいない。誰も私を助けてくれる者がいないと思ってしまうことがあると思います。誰にも言えない、本当に会話ができる人もいない。「こんなにビジネスが大変だなんて。これから私のビジネスをどうしようか。止めようか。どうしようか。最後まで生き残るためにわたしはどうしたらよいのか」と思っていらっしゃると思います。私たちは同じ人間ですから悩みもあれば問題にもぶつかると思います。
▶そんな中、神様は私たちにとても重要なメッセージを語られます。神様は今日、モーセをホレブの山で答えを与えてくださいます。すべての答えを与えられました。

1. 王宮で80年前、お母さんに聞いた契約のみことばを回復した
▶わたしの民を連れて出て行きなさい。これはどういう意味でしょうか。神様は王宮でモーセが40年間聞いたすべての事柄に対して答えを与えます。その答えとは、今まであなたを取り囲んでいたすべての罠からあなたを解放するということです。
1)皆さん、創世記3章、6章、11章をおいて祈りをたくさんしていますね。根本問題の罠が分かりますか。これはモーセが記録した内容です。モーセは、父の顔も知りません。母から聞いただけです。モーセは自分に乳を飲ませてくれた、自分の生みの母に80年前に聞いた契約、創世記3、6、11章のわなから解放された答えをホレブの山で受けます。
▶つまり、皆さんを苦しめていたすべては重要な土台になっていくということを、そのホレブの山で神の声を聞きました。創世記3章、6章、11章、その問題は今も続いています。その罠から早く出てきなさいということです。
2)奴隷のような生活から早く解放されなさい。それがホレブの山の重要なメッセージです。
▶今日語るメッセージを私が語る説教だとは思わずに、神の御声として受け止めていただきたいと思います。民を連れ出せとは、罠から解放されなさいということです。私もこれを聞いた瞬間に新しく受け止めました。なぜ新しいメッセ―ジだったのか。私自身も神様の子どもだったのに、自分の悲惨な人生がこれは違うと思ったわけです。だから、私は神の子どもらしく福音を味わい伝えていくものにならなければと思いました。私にはお金がないわけではない。貧しいわけではない。これから新しく始めればいい。私が神の契約を握って福音を伝えればよいわけであって、教会が難しいのではない。教会が復興するとか、教会がお金持ちのようにならなければとか、そんなことは関係ない。だから、私は何もない時代、人の10倍、現場を走りました。なぜなら私には力がないから。今もまったく同じです。だから私は、私たちの秘書や一緒に通う牧師を見るとたまにうらやましいなと思うときがあります。今も私は10倍仕事をしています。皆が寝ているときに、また他の集会のメッセージを書かなければなりませんし、だいたいその日のスケジュールを終えるのは深夜の2時くらいです。朝6時に起きなければならないので、睡眠時間は4時間です。4時間だけ寝れば十分ですが、4時間きっちり寝るということは中々難しいです。なぜなら、寝ようと思ってもすぐには寝られないわけですから。それが何十年も続いています。そんな私の立場を分からない秘書たちが「先生、最近、すごくヒットした映画が出てきたので見に行きませんか」と言いました。「国際市場」という映画なのですが、それを見に行こうと。自分が楽な身だということにまだ気づいていないのでしょうか。秘書たちからそんなことを言われても行けるわけありません。チョン•ウンジュ牧師先生が説教しながら、たまに私のことを言います。「柳光洙牧師より私はすごく祝福された。なぜなら、柳光洙牧師はあれだけ祝福されてもメッセージを書かなければならなくて飛行機で寝られない。私はそんなことは何もしなくて恵みを受けて福音を伝える」と。私のこの話は、チョン・ウンジュ牧師の悪口を言っているのではなく、今何を説明したいのか。皆さんの過去です。自分の苦しみの過去が罠ではなく祝福に変わるように、そこから解放されなければなりません。
3)モーセは、40年間の王宮生活は、自分が出世しようとそこにいたのです。出世することが悪いわけではありません。モーセは、40年の間、本当に神を見詰めるという瞬間がなかったのです。それが問題でした。神の最高の計画持っている人なのに、神を見ていなかったのです。モーセは自分がエジプトの人だと思っていました。王宮で成功しようとヘスペリオ帝国大学を卒業して努力しましたが、自分がヘブル民族だということに気づきました。そして、モーセはいつも人目を気にしながら生きていた者でした。いつも人を意識し、人目を気にしながら生きていました。しかし、そのようなすべてをひっくり返すのがホレブの山であったということです。
▶私たちは人目を気にしなくてもいいとか、人を無視するとか人はいらないという意味ではありません。もちろん、私たちは人間関係が大事です。人を尊重して人を貴重に思わなければなりません。その話ではなく、モーセは未信者と同じように人だけを見て暮らしていたということがお話ししたかったのです。そんなモーセがホレブの山で変わっていきます。神様はホレブの山でモーセを召しました。

2. 神様だけを見上げる時間、神様だけを見上げる道を回復した
▶2番目です。神様がホレブの山でモーセを召されたのには、2つの重要な回復がありました。モーセは王宮を離れミディアンと言う荒野で暮らしましたが、すべてを捨てて、神様だけを見上げました。一番苦しんでいる時間のように見えますが、最も重要な時間でした。なぜなら神様を見上げる時間を持つことができれば、最も重要なこと発見することができます。人間は神様をまともに見られる時間があるなら、それこそ一番人間らしい時間です。今まではずっと人のことしか考えていませんでした。ミディアンで神様だけを見つめたので、一番良い時間が備えられたということです。そのタイミングで神様はモーセを召しました。「モーセよ、モーセよ。あなたが立っているところは聖なる所である。そこから早く自分の履物を脱ぎなさい」。ここで言うホレブの山というのは普通の山ではありません。
1)出1:16にパロ王はすべてのヘブル民族の男の子を殺しなさいと言われました。その時刻表で生まれたモーセは生き残るものになりました。
2)また、出2:11には、すべての自分の同胞、つまり、へブル人が苦しみを受けていました。苦役を見たわけです。そして、モーセはその自分の同胞の苦しみを見ながら神様の御声を聞きました。わたしの民を連れて出て行きなさい。民は苦しみの中にある。でも、パロの王は、生まれてくるすべての子どもを殺しなさいと言われたのです。パロ王の声を聞いて、民たちの叫びを聞いた後、今度はモーセは自分自身に対する御声をホレブの山で聞きます。
3)出4:24には、神様がモーセを天に召して行こうという場面だったのですが、本当に彼を殺そうとしたわけではありません。その瞬間は、あなたが誰なのか、あなたのいのちの主管者は誰なのかということをモーセに気づかせようとしたのです。そして、出4:24で、モーセは決断します。その時から、驚くべきことを体験して行くことになります。このすべての体験がホレブの山で行われました。
▶皆さんもホレブの山の祝福と御声を聞いていただきたいと思います。

3. 神様を見上げて、そばを見る重要な使命を回復しなさい
▶モーセを召された3番目の理由は何か。私たちが人だけを気にして行くならば未信者と同じです。でも、神様だけを見上げるとしたらどんな人になるのか。ちょっとバランスの崩れた人に見えるかもしれません。人しか考えない、人間のことしか考えない肉的で未信者のようであるなら、それを除いて神様だけをとなったときには、世的に見ればその人はおかしい人に見えるかもしれません。では、どのような姿がベストなのかと言いますと、神様を見上げながらも世の中を眺めるバランスのとれた使命を持って出発することです。神を見上げながらも世の中をどう生かしていくか、人の世界も分かるような人がバランスの取れた人だと見えます。モーセがそのような人になっていきます。今まではモーセはいつもバランスが崩れていました。左側しか見えなかったり、上しか見えなかったりでした。でも、モーセは民や御声を聞いた後は、上も下も横もバランスよく全体を見ることができる指導者になっていきます。その日から、皆さんがご存知のように、モーセは杖一本で行く所ごとに神の奇跡を行う指導者になっていきます。私は聖書の人物を見てモーセほど答えられた人がいるのかと思うくらいなのですが、皆さんもだまされないようにお願いします。皆さんもホレブの山の契約を握ってください。短い時間でも構いません。ホレブの山で行われたその力を握っていただきたいと思います。ホレブの山でくださった神の約束を私たちのものにしていただきたいと思います。その約束とは何か。山で祈りなさいという意味ではありません。私の過去の問題が完全に解決される、そのホレブの山の契約の中に入って欲しいということです。そして、もう一つは神様の本当の力を体験してほしいというのが2つ目の契約です。
▶この時から、どんなことが起こるのか。想像を絶するほどの働きが起きます。モーセは、杖一つを持って行きました。
1)その杖一本で堂々とパロの前に立つことができるくらいの者になりました。主なる神はイスラエルの民を連れ出せと言われていますと伝えました。その前にまず長老たちを呼びました。あなたたちが行ってすべての民に伝えてください。私は王宮に入るから。犠牲のいけにえをささげにいくのだということを伝えなさいと言いました。パロの王がそんな言葉を理解するわけがありません。大変なことになっていきます。パロの王は思いました。彼らはまだお腹がいっぱいになっているからあんなことを言うのだと。仕事をもっと何倍にもさせてご飯を少なく与えるようにしました。でも、その後、結局は皆さんもご存知のように、十の災いが行われます。ナイル川は血の海に変わっていきます。水が血に変わる瞬間、どういうことになるでしょうか。水を一切飲むことができません。パロの王はどうしましたか。大変申し訳ないと言いました。そして、パロの王も神様に祈ります。民たちを行かせてあげるから、元の状態にしてほしいと。でも、また理解することができません。これがサタンのしわざです。いつも行ったり来たり。今度はカエルの災いを与えました。寝室でも布団の中でもカエルが出てくるようになりました。でも、またパロの王はああする、こうすると言葉を変えます。その次もたくさんの災いが行われました。大変な災いに遭いましたが、パロの王は一切、かたくなな心を変えません。家畜の災いが行われたので予算的な問題が国に発生してしまいました。その後に、パロの王はようやくモーセに言います。イスラエルの民を連れていけにえをささげなさい。でも、あまり遠くに行ってはいけないと言われました。でも、その災いが静かになったときに、また元の状態に戻ってしまいます。悪魔も同じです。パロの王はこんな状態でした。聖書は面白いことに、主がパロ王の心をかたくなにしたと言っています。だから、後には雹が降り、すべての財産を取り除きます。また全町中が暗闇に覆われてしまいます。それでも降伏しません。最後の災いは何ですか。羊の血を塗るような状態になります。血を塗った瞬間、解放されますが、その前は自分の長子が殺される災いに遭います。エジプトのすべての長子は殺される。パロ王も自分の息子が殺される状態になっていきますから降伏することになりました。パロ王は呼んで早く出て行けと言いました。そして、今まであなたがたが貯めていた財産も全部持って行きなさい。そして、私たちのために神に祈ってほしい。このすべての災いが消えていくように祈って欲しい。あなたがたの財産も持って出ていきなさい。そのようにパロ王は変わっていきます。皆が出ていく姿を見ながら、その後ろ姿を見てまた呼びます。最後にまた一言言います。絶対に戻ってこないようにと言いました。その言葉は、本当に悟ったということです。それがいつか。長子が亡くなるような災いから、羊の血を塗った後のことです。
▶でも、悪魔がどれくらいしつこいかというと、そうして皆を出ていかせた数日後に、軍隊を動員してまた彼らを捕まえに行くのです。こんな感じで悪魔の勢力の動きを見ることができます。私たちはいつもイエス•キリストの名前で祈らなければならない理由がこういうことだからです。
2)このようにしてモーセは、イスラエルの民を連れて40年間荒野の道のりを歩くことになりました。神の驚くべき働きが始まります。
3)どのような働きが成し遂げられたのかは、今日の2部礼拝のときに詳しく説明しますが、結局、彼らはカナンの地を征服するところまでなっていきます。
▶皆さんはどうなのか。私たちも一生懸命勉強して熱心に努力して出世して行くような人生も必要かもしれません。そんな人生の40年も必要かもしれませんが、神様恵みが必要な40年も本当に必要です。では、本当に人生を美しく生きるためには、私たちは神の恵みのゆえに、そして、世を生かすための準備が備わった人生を生きるべきではないかと思います。40年の王宮生活をしたモーセは神をよく知りませんでした。しかし、その後の40年は、完全に苦難の中で神様だけを見上げました。そして、残りの40年は、使命の道を行きました。

結論
▶今日ここで重要なことは、すべての信徒に与える神の教訓は何かということです。本当に神様がともにおられる約束、神様が与えられる霊的な力を、ホレブ山の約束と力を回復しなさいということです。もしもこれが嘘ならば、私たちは最も愚かな場所にいるかも知れません。けれども、これが本当の話ならば世の中の人々は、どれだけ愚かな現場にいるのでしょうか。もしも今日の内容が本当ならば、私はどれほど幸せなものなのでしょうか。皆さん、その部分に対する答えを見つけなければなりません。
▶私はこの答えを貰う前までは礼拝をささげる理由も知りませんでした。何の意味か分からなかったので、礼拝の理由を知らなかったのです。しかし、この答えを得たあとは、礼拝の理由が分かったのですごく貴重な時間になりました。答えがなかった時代はすごく努力しました。努力して神様の恵みを貰おうとしました。その努力の一つがたくさんの本を読みました。祈りの本、信仰に関する本は全部読みました。神のみことばを回復したマルティン•ルターの生涯の研究と勉強もしてみました。神学を回復したジョン•カルバンのことも研究したりしました。ヨナタン・エドワード、ムーディー、ウェスレーのような伝道運動した人々についての本も細かく読みました。 「神はなぜムーディーを用いたのか」このような本は、非常に薄かったのでたくさん読んでみました。またハドソン・テイラーの話なども研究してみました。もちろん、それらの研究は、すべて私のプラスにはなりました。多くの助けを受けました。しかし、何か分からないが私の答えにはなりませんでした。ホレブの山、モーセが受けた答え、それが私と実際的に関係がなかったのです。だから、次は祈りに関する本もたくさん読んでみました。その後は、まだ物足りないから宗教団体は何をしているかと全部研究してみました。でも、答えは出ませんでした。違うなと思いました。そして、最終的には、聖書に戻りました。神様のみことばをずっと見ました。正直に、神様のみことばの中にすべての答えがあったのに、私はそれをよく分からなかったのです。私が伝道師のとき、一番先に回復したことが何なのか分かりますか。これは本当に恥ずかしい話なのですが、私は祈るときに山での祈りというのは山に登らないと祈れない、徹夜の祈りといったときに、毎日、徹夜の祈り会をやらないと祈れないから、毎日、徹夜祈り会をしなければいけないのか。断食祈りも、断食をしなければ祈れないなら、いつも断食すべきか?飢え死になってしまうのではないか。たまにやるならばいいけれども、祈るためにそれをわざわざそれをやるというのは違うのではないかと疑問を持つようになったのです。それで最終的に私が見つけた答えは、その週、その週に与えられる講壇のメッセージ、その本文と聖書箇所を黙想しながら祈っていく定刻礼拝でした。その定刻礼拝をささげながら自分が気づいたのは、まず賛美のことでした。日頃、私は賛美をあまりささげていないなということに気づきました。例えば、私は車を運転するときに、他の先生方はメッセージだとか賛美歌をたくさんかけているかもしれませんが、私は賛美歌よりかは、その当時の歌謡曲とか景色にあうような曲をかけて走ったりしていました。何曲かは讃美歌もありましたが、友人のチョ•ウンテク牧師の車に乗ってみると、彼は牧師ですが一切、賛美歌はありませんでした。本当に恥ずかしいですが、私生活の中であまり賛美をささげるということがありませんでした。教役者なのにこうでした。こんな告白を皆さんの前にするということは、すごく恥ずかしいことですがそうでした。その後、祈りについて少しずつ答えられるようになってからは、一人で車の中で賛美をささげ信条を告白し、その週の牧師先生の本文の内容を読んで祈りました。そのときの自分の賛美と聖書を読んだり黙想するのは、今までの自分とはちょっと違った叫びでした。一人で車に乗って運転するときは、叫びながら祈ってもいいですし、いくら声をはらして賛美をしてもいいです。そのようにシンプルに馬鹿のようにやって、少しずつ神の前に近づいていく作業を行うようになったのです。そうやって私は今のようになりました。それが定刻礼拝から始まって、説明できないほどの深い恵みの中に入ることになりました。そして、定刻祈りという形にまで行きました。本当に口では説明しにくいのですが、とても大きな神様の恵み、力を受ける段階にまで行くようになりました。それで悟ったのがこんなにもすばらしい恵みだったのに、なぜわからなかったのだろうか。自分がこの恵みに預かる前までは、一番賢いと思っていました。本当は賢くなかったのに。今も私は一日で一番幸せなプログラムは祈りのプログラムです。その祈りの中で力を受けてみことばを見つけて黙想して、その中から伝達すべきメッセージを見つけて皆さんに伝達します。モーセをやっと少しずつ理解できるようになったのです。
▶皆さん、今年少しだけ考えていただきたいと思います。ちょっと悩むだけでよいのです。昨日、自分の娘と婿と会って話をしたのですが、私の祈りに少し興味があるような感じでした。その視線を持つだけでも答えられます。でも、全く興味がない人がいます。関心のない人は、見るべきことを見ることもできませんし答えられません。でも、聖書は語っています。求めなさいと。必ず見つかると言っています。
▶今日、1部礼拝を通して皆さんに伝えたいのは、あの危機の中、寂しさの中でモーセが神様に会いました。神様の恵み、神様の力です。今、皆さんは大変でしょうか。世の中では比べ物にならない、口では説明できないほどの神の力、恵みを見つけてください。これが本当に事実ならば見つけたいと思いませんか。モーセが受けた問題も事実で、彼が受けた祈りも、彼が受けた力も本当ならば、私たちも今の問題の前で落胆する必要は一切ありません。私たちは今の問題を通して、主の力で証人として立たせてくださると信じています。神様から与えられる恵みに、今日も今年も慕っていくようにイエス様の御名でお祈りしたいと思います。


(祈り)
神様、感謝いたします。私たちの錯覚から、私たちの罠から、完全に解放されますように。そして、神様の完璧な恵みに預かることができる礼拝時間となりますように。これからは嘘ではなく本当の幸せ、祝福を見つけることができますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。